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広瀬川の上流部に入ってみた。ヤマメは数多く出るところではなかったが、川にアプローチしやすいこととここの渓の景色が好きでずいぶん前に何回かは通った釣り場である。雑木林の急斜面を下って川岸に出ると川岸の斜面から何か所も湧水が流れ出していて芹がたくさん生えている。少し上流に上がれば岸にたくさん蕗も生えていたはずだ。つまりは、芹と蕗が目的で入川場所が決まったのである。 天気予報では7、8mの強風の予想で、テンカラ釣りで毛ばりを飛ばすのは無理だろうと諦めて、ひたすら芹と蕗を目的として入選したのだが、朝凪(海辺ではないが)というのだろうか、風がほとんど吹いていない。さっそく何ヶ月もかけて準備してしていた仕掛けを試すことにした。 テンカララインは2種類を用意していたのだが、昨日釣り道具入れの12段のケースを片っ端から調べていたら古いテンカララインが見つかった。以前にある釣り具メーカーのインストラクターをしていたのだが、その時そのメーカーの商品が送られてきた中に入っていたものらしい。少し武骨な感じのラインだったが、振ってみるとテンカラ初心者の私にも毛ばりをよく飛ばせるのだった。 毛ばりがよく飛ぶことに気をよくして、以前に実績のあった大渕への瀬落ちなど4ヵ所ほどのポイントを行きつ戻りつしてテンカラ竿を振った。初めは伝統的なテンカラ毛ばり(ウエットフライ)で表層付近を流し、次にニンフフライで沈めて流し(その時はインジケーターも使ってみた)、ドライフライを眼で追いながら流しても見た。 サングラスを外し、近眼鏡を老眼鏡に替え、のんびりと毛ばりを結び替えては、また近眼鏡を掛け、その上にオーバーサンガラスを掛け直して竿を何回か降る。その繰り返しがじつに楽しい。かつて競技のアユ釣りをしていたときはいかに短時間で仕掛けを用意したり交換したりするかに血道を上げていたのだが、いまはのんびりと仕掛けをいじっているのがとても楽しいのである。 楽しい、楽しいとワクワクしながら2時間ほど竿を振り続けて遊んでいたのだが、予想通りにヤマメは一度たりとも姿を現さなかった。釣れなくともよいと思って終活の釣りとしてほとんど経験のないテンカラ釣りを選んだので何の問題もないのだが、いずれ間違ってでも釣れることがあるかもしれないと考えるだけでまたワクワクするのである。 竿をザックにいれ、岸辺の岩に腰かけて朝飯を食べていると目の前にも芹が映えている。さっそくそこの芹を摘んで、次は蕗である。岸辺を歩きながら蕗を探す。スマホのカメラで花の写真も撮った。40年も昔のことだが、イワナ釣りの渓流で一眼レフを流れに入れてしまったことがあるので、川に入るときは防水ケースに入れたスマホしか持参しないのだが、まあそれなりに写っているのでいいことにしている(花は花で別立てのブログに写真を載せている)。 さて、かんじんの芹と蕗だがいくぶん季節遅れで完璧というわけにはいかなかったが、芹は漬物、蕗は煮びたしでおいしく食べられた。 二日後、朝目覚めて右手で起き上がろうとしたら肩に激痛が走った。テンカラ竿を右手で2時間ほど降り続けて三角筋を痛めてしまったらしい。降り方も下手なうえに筋力も年相応に弱っていたのだろう。楽しい、楽しいと夢中で遊び続けられる年齢ではないということか。これからの水行は竿なしということになってしまうのかどうか、しばらくはわが身に尋ねながら思案しなければならないようだ。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.05.24
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「登山」と呼べるような山歩きは2018年7月31日の泉ヶ岳が最後だったのだが、低山とはいえ頂上まで登ることになれば、松倉山でも登山と呼んでもいいだろうと思った。とはいえ、6年ぶりのことである。単にブランクがあったというだけではない。70代の6年は体力の衰えという点では実に深刻なのである。とにかく無理はしない、年齢相応に、山の花の写真を撮ることを主な目的の山歩きであれば十分などと考えて家を出たのである。松倉山(右) 小さな花もきちんと写すためにマクロレンズとコンパクト三脚もザックに入れてきたのだが、1枚目の松倉山の山容を撮った時、カメラの電池が切れかかっているのに気づいた。慌ててザックのなかを探したが予備の電地は持ってきていなかった。しょうがない、撮れるだけ撮って、あとはスマホのカメラでと思いなおして歩き出した。 10年以上も前にこの山には2度ほど登っているが、山裾の林の中にはいろんな花が咲いていた記憶があって、その写真を撮りたいと思ったのだが、少し季節がずれていてほとんど花を見ることができなかった。春になると始まる私の山登りは、低山から始めて雪が消えるのに合わせて山の標高を上げていくので、たぶん松倉山は4月初旬に歩いたのではないかと思う。その時に見て感動した花たちの花期はとうに終わっていたのである。かろうじて見ることができたのはマムシグサ、シャク、咲き残りのオドリコソウぐらいでだった。 花がないのでマクロレンズも三脚も必要がなくなったのだが、電池のなくなったカメラも必要がないということで、マイナスが二乗して何となく収まってしまった。私の失敗のためにできることもできなくなった、というわけではないのである。急坂とロープ 見つからない花を探しながら沢沿いの道を登って行くと、突然「松倉山登山口」という標識が現れて、急坂が始まった。花のことは思い出したが、この急坂のことはすっかり忘れていた。夜から朝にかけて降った雨で斜面は濡れていていっそう登りづらくなっていた。登山道のほとんどにロープが張られていて、そのロープにつかまりながらかろうじて登山道を辿ることができた。さほど息が切れるわけでもないのにちょっと登っては一息入れ、また登っては一息という繰り返しになった。急坂とはいえわずかな高低差なのに、2回ほど腰を掛けての休憩が入った。 頂上尾根に着くと左に行けば三角点のある頂上、右は薬師如来の祀ってある頂上という三差路に出る。三角点のある頂上には1mほどの山ツツジがあってパラパラと4,5輪の花が咲いていた。一方の山頂には高さ60cmほどのずんぐりした石仏が据えられていて、薬師如来像ということである。 さて、下りはいくぶん楽だろうと思っていたが、雨に降られた粘土質の登山道は立っていられないほど滑るので、結局は下りの道もロープだよりでなかなか距離を稼げないのだった。隣接する大倉山にも登れるなら登ろうと計画していたのだが、途中まで登ってから遊歩道へ下るコースを選んだ。12年に来た時には、松倉山の次に撫倉山(354m)に登り、次いで大倉山(327m)を辿るコースだったのだが、60代後半と70代後半の年齢差を考えれば、まぁ当たり前といえば当たり前だと自分を慰めながらアップダウンの道をゆっくりと歩いてきた。 登山道も終わりに近づいた頃、きれいなマムシグサを見つけた。たった1本だけ生えていて、電池切れのカメラに代えてスマホで写真を撮ろうとしたらこちらも電池切れになっていた。こっちは大容量バッテリーをザックに入れてきたので大丈夫と高を括っていたのだが、こっちも充電切れで全く役に立たなくなっていた。登山用のとソーラーモバイルバッテリーなのだが、こちらも6年のブランクでメインテナンスをおろそかになっていたのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.05.17
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