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この春に七ツ森を歩いたとき、七ツ森山域に含まれながら七つに加えられていない「 たがら(たんがら)森 」の名称のことを少し書いたのだが、そのことについて「仙台タウンウォッチング」の講師だった三原征郎さんから「たがら(たんがら)森」の名称由来について、メールで貴重な教えをいただいた。 私は「たがら(たんがら)森」を「宝森」と理解して得心していたのだが、もっと古い由来について、次のようなご指摘をいただいた。
「たがら」または「たんがら」とは縄で編みこんだ背負いかごのこと。「宝」の文字を当てたのは明治以降のことではないか。「たんがら山(森)」「宝山(森)」は各地に見られ、近辺では後白髪山の峰続き、さらに泉ヶ岳から東に下る稜線上にもある。いずれも親山にくっついた子山またはこぶ山といった姿である。※上記の2山を含む七ツ森連山中のたがら森は「 みやぎ里山文庫 」に記載されている。
そして、七ツ森そのものの由来伝説として、二つのネット記事を紹介していただいた。一つは「ウィキペディア」の「 七ツ森 」の項で、次のような記述がある。
七ツ森の生い立ちを語る朝比奈三郎についての民話が伝わっている。 伝承には色々な種類がある が、共通する概略は、 朝比奈三郎が土を運ぶことで七ツ森ができたというものである。 土を運ぶのにはたんがらを使ったとされ、これが遂倉山に添って立つたんがら森の名称と結びつけて語られる。
もうひとつのネット記事は 「ボクらのまほろば探検」 というWEBサイトの一節で、次のような記述である。
朝比奈三郎という弓作り好きの大男が、矢の的になる山を作ろうと原っぱからたくさんの土を入れて七回運びました。その途中にそれぞれ1回ずつ休んだ所で、たんがら(土を運ぶ背負い籠)からこぼれた土が七つ森になったという、ずいぶんスケールの大きな話です。七つ森とは笹倉山、遂ヶ倉山、鎌倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山という山々のことをそう呼んでいます。なぜかすべて名前に「倉山」とつきます。
で、それに加え、最後に余った土を捨ててできた小さな山をたんがら山というそうです。さらにさらに土を掘ったあとが品井沼になり、歩いた足跡に水がたまって吉田川に、そして作った的山が矢喰山(やくらいさん)になった。
ここで言う矢喰山は薬莱山のことである。
結論から言えば、「たんがら」とは背に負う荷運び(土?)の道具であり、人間が「たんがら」を背負った姿からの連想で、大きな山の背にくっついたような山を「たんがら山(森)」と呼ぶようになった、と推測できる。つまりローカルには、ある形態の山の一般名称のような性質を持つ名前ということになる。「たんがら」は仙台弁では宝(たから)を「たがら(たんがら)」ということから、後世、「たんがら森」に「宝森」の字を当てたということが、三原さんのご指摘である。
その三原さんのご指摘にある泉ヶ岳に隣接する「宝森」や、船形連山の「宝森」は、それと知らずに撮した私の山歩き記録の写真に入っていた。
泉ヶ岳東麓の宝森(国道457号、根白石から)。 (2011/5/18 5:29)
船形連山の中の宝森(泉ヶ岳山頂から)。(2012/5/14 7:42)
そのほかに、七ツ森の北、加美町に鬢櫛山(756.3m)という山があって、その北東に宝森(676m)があるのを地図上で見つけた。その二山は、加美町から登った翁峠(翁山、1075m)の東にあるので、山歩きの記録写真を調べてみたが皆目見当がつかなかった。それもそのはずで、翁山と鬢櫛山、宝森に間にはその二山より高い山がいくつかあって、とても眺望することは無理なのであった(地図上での判断だけれども)。
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