山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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元お蝶夫人 @ Re:薬師堂(陸奥国分寺跡)の桜(2026年4月9日)(05/06) 小野寺秀也さん こんばんは(*^。^*) 桜の…
歩世亜 @ Re:薬師堂(陸奥国分寺跡)の桜(2026年4月9日)(05/06) こんにちは。 桜は散るのも早いので写せ…
歩世亜 @ Re:賑わう松音寺山門(2026年4月8日)(04/28) 今晩は。 可なり立派な桜の木ですね。 …

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2012.11.30
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テーマ: 街歩き(692)
カテゴリ: 街歩き

  またひとつ、とても訴求力のあるデモ・アイテムをFacebookで見つけた。「あのね、原発はエネルギー問題じゃないんだよ。人権問題なんだよ!」という 善養寺 ススム さんのポスターである。
  原発をエネルギーや電力の問題、ひいては電力を要する産業の問題として括ろうとする人間がいるが、人命を超えてエネルギー問題を選択することは〈普通の人間〉には許されない。

  自分の周囲に放射能被爆で亡くなったり、傷ついたり、病んだりする人がいないことをいいことに、原発を擁護しつつエネルギー問題を論じることを「大所・高所から社会を考えている」と思い込んでいるのは、たいてい田舎政治家である。それを「自分は立派な〈高い〉政治意識を持っているのだ」と自己欺瞞で思い込んでいるので、偉ぶって威張り散らす人間が多い。
  彼らは、ただ単に社会全体に対する想像力が劣悪であるに過ぎない。「田舎」というのは、ローカルな周囲を世界の全てと信じているような視野が狭い喩えなので、東京に田舎政治家がたくさんいるのは不思議ではない。代表格は、東京と大阪に一人ずついる。私はそれを「大所・高所シンドローム」と呼んで、精神的(厳密に言えば思想的)な病気の一つに数えている。

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             善養寺 ススム さんのポスター(FB投稿をシェア)。

  それにしても「あのね」と怒っている女の子が秀逸である。幼稚園か保育所の帽子の紐をきちんと締めた姿の可愛くて凛々しいこと。私には絵の才能がないので、嫉妬というか妬みに似た感情が湧いてくるほどである。

  このような巷の才能について、毛利嘉孝さんが『ストリートの思想』という本に書いている。

 二〇〇〇年代のストリートの叛乱は、名人芸を身につけたポストモダン・プロレタリアートが、名人芸を国家や資本に回収させずに、自分たちで使いこなすことで起こった。 [1]

  そして、マルチチュードによる〈帝国〉への叛乱を思い描くネグリ&ハートを援用して、「ストリートの叛乱」を支える人々のありようを描いている。

 ネグリとハートは、人々を運動へと駆り立てる「愛」や「情動」を、「ポッセ」という語で表現している。ポッセとはラテン語で「活動性としての力」を意味する。ルネッサンスの人文主義において、この語は「知と存在をともに編み込む機械」として、「存在論的動性の核心部」に位置づけられていた。
 ネグリとハートがおもしろいのは、この古い哲学用語をヒップホップ用語の「ポッセ」と重ね合わせているところだ。「ポッセ」はヒップホップ文化では、「集団」「仲間」「連中」「奴ら」というニュアンスで用いられる。ヒップホップ用語と重ねられることで、この古い哲学用語は、現在のマルチチュードの存在様式の核として再生するのである。ここで発見された「ポッセ」とは、いかなる対象をも超えていくような「公共性とそれを構成する諸々の特異性を持った個の活動」であり、「新しい政治的なものの現実の起源に存在する」とされる。
 ここで重要なのは、「ポッセ」が、何かに対抗して生まれるもの--たとえば、資本主義の不当な搾取に抗して生まれる反対運動のようなもの--ではないということだ。それは、労働を通じて人間が自らの価値を決定する力であり、ほかの人とコミュニケーションをはかりながら協働する力であり、究極の自由を求める力である。
 [2]

  確かに私たちは、今、「反原発」あるいは「脱原発」として、つまり、「何かに対抗して」集まっている。それでも、「ポッセ」である人々の参集と「ポッセ」の発揮によって、「反原発」「脱原発」を実現しながら、その先に、この社会に向けての多様な「協働する力」を生みだしていけるのではないか。そんな希望を私はずっと抱きつづけている(老いて旧弊な自分に苛立ちながら)。

  さて、大所・高所の話ならぬ日々のデモのことである。「みやぎ脱原発デモ」が始まって19回目だという。毎回参加していて、そのたびにブログを書き、それに使う写真整理のためのファイル番号が21まである。つまり、21回はデモに参加している。そのうち1回は東京の〈11・11〉で、これはすぐに思い出した(つい先日なので忘れるほうがどうかしているが)。もう1回がなかなか思い出せない。
  それで過去ブログを調べたら「金曜デモ」のタイトルがあるのは18だった。それ以外のデモは3で、7/27(金)の勾当台公園の集会、8/11(土)の昼デモ、そして〈11・11〉である。合計は合うが、明細は微妙に違う。まぁ、何が問題というわけでもないのだが。

nnk21-1     京都大学の学生さんのスピーチ。 (2012/11/30 18:11)

  まもなく、衆議院選挙なので雰囲気が変わるかな、と思っていたのだがそんなこともない。立候補者の一人が公示後には参加できないという挨拶をした。選挙は脱原発運動にとって、重大事である。もちろん「シングル・イシュウ」を尊重しての集まりなので、誰かを推すなどという話は出ない。政治は原発だけでは語れないなどという人がいるが、私は少なくとも今回は(場合によっては今後もだが)原発問題一点で投票するつもりである。
  今度の総選挙に対して 『原発危機と「東大話法」』 の著者である 安冨歩 さんがtwitterで次のような提言をしている。

投票の方針の提案】(1)比例区は脱原発方針を明確にしている党のいずれかに投票。どれにするかは趣味で決める。(2)小選挙区では、当選しそうな候補のうち、原発により賛成していない奴に仕方ないから入れる。(3)選挙区でなくとも信頼できる人を、資金やツイートやボランティアで助ける。

  確かに、「原発0」を目指すリアルな提案である。じつのところ、それなりの年齢に達するまで生きてきた経緯の中で、私にはどうしても許せない政党、イデオローグたちがいる。ずっと拒否してきたし、時として争ったこともある。あるいはまったく関心がわかない政党や政治家もいる。それでも、今回だけは「原発イシュー」だけで判断しようと思っている。

  また、デモの話から逸れてしまった。

  京都大学の学生さんの「京都大学で頑張っている」というスピーチ。中年の司会者は若い人のスピーチに大感激という図になった。

nnk21-2   1番町のイルミネーション天井(定禅寺通りと広瀬通の間)。 (2012/11/30 18:45)

  デモはいつものコース。1番町の仙台三越前を過ぎて気づいたが、青緑色のイルミネーションが天井のように張られている。LEDが発明されてからは、こんな色彩のイルミネーションが多くなった。胸が締めつけられるほど懐かしい遠くに見える黄色味を帯びた灯火、などという光の世界は放逐されてしまった。世界は明るくなった。光という電磁波に満ち満ちている。おまけに、ガンマ線という電磁波まで降りそそいでいる始末だ。

「フクシマ返せ!」

[1] 毛利嘉孝『ストリートの思想--転換期としての1990年代』(NHK出版、2009年)p. 248。
[2] 同上、p. 243。






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Last updated  2021.11.24 10:56:02
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