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榴岡公園と隣の天満宮の桜の写真をたっぷりとって、十分にカメラ遊びを満喫したので終了ということにしようとカメラをバッグにしまいかけたとき、松音寺に行こうと思い立った。足にはまだ余裕がある。松音寺は、朝歩きだした宮城野通駅の一駅先、連坊小路駅近くにある。ふたつの駅と榴岡公園はほぼ正三角形に頂点に位置する。その三角形の一辺を歩けばいいので、とくに歩行距離が増えるわけでもない。 20年ほど前、休日にはよく長散歩と称して犬と一緒に遠くの街まで徒歩で出かけたものだった。そんな散歩で桜の時期に松音寺の前を通ったことがある。道から奥まったところに山門があり、そこまでの参道と桜が醸し出す雰囲気がとてもよかったのでずっと記憶に残っていた。犬連れなので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだった。先日、桜の季節ではなかったが松音寺を訪ねて寺内を一通り見る(撮る)ことができた。 今日こそ松音寺の桜が撮れると意気込んでいったのだが、山門前の参道は遠足の幼稚園児たちがあふれていた。桜の季節からなのか参道には長椅子が並べられていて、子供たちのリュックや水筒が置かれていた。子供たちの顔が写りこむのは避けたいのでレンズは上を向くしかないのだが、桜だけが写っても参道の雰囲気はどうに名ならないのだった。 子供たちがいっせいに参道わきの庭園の方に移動したのでチャンスと思ったもののかならず数人の子供と先生が残っているのだった。非常に窮屈な感じの撮影になったが、これもカメラ遊びの妙味の一つだろうとけっこう納得してシャッターを押し続けた。 構図は思ったように自由には撮れなかったもののそれなりに満足して、道向かいの松音寺の墓地に移動した。ここにも大きな桜の木があって、「墓石と桜」など言うテーマが思い浮かんだが、どうにもいまいち良い立ち位置が見つからなかった。 帰りは連坊小路駅から地下鉄に乗るのだが、もう一つ先の駅は薬師堂駅である。陸奥国分寺跡の薬師堂の庭にもたくさんの桜の木があったが、それは後日ということにしては逆方向の電車に乗って帰ってきた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.28
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西公園の桜の木と花はたっぷり写した。西公園は仙台旧市街の西端近く、仙台城跡の広瀬川向かいにある。旧市街の東部には榴岡公園があって、こちらも桜の(花見の)名所である。とはいうものの、榴岡公園の桜が咲いているのを一度も見たことがなかった。20年ほど前、季節外れに犬と一緒に1時間ちょっと歩いて公園で遊んだことがある。つい先日は、榴岡天満宮の梅の写真を撮りに行ったとき、梅の花を探しに公園に入って少しだけ歩いた。梅の木は少しだけ、冬木姿の桜木をたくさん見ただけだった。 西公園で桜をどう撮ったらいいのか、その入り口がほんのちょっとだけ見えたような気がして、もう少し桜を撮っておこうと榴岡公園に出かけることにした。この年ではさすがに徒歩は無理なので、ちょっと距離があるが地下鉄の宮城野通駅から歩くことにした。 西公園の経験から、広角レンズで撮る桜木の景色がとてもいい感じに写ることが分かったので、今日は一眼レフに広角レンズ、ミラーレス一眼にズームレンズを装着して左右の肩に振り分けての撮影である。野外でのレンズ交換というのはけっこう気を遣うので、大げさな恰好ながら気楽に歩き回れるのである。午前9時頃、もうけっこう人出がある。外国人らしきグループもあちこちにいた。そのような団体が、気に入った場所では入れ代わり立ち代わりして記念写真を撮っているので、ひと廻りしてからそこの写真を撮ろうと戻ったら、まだ終わらずに一塊になって撮影が続いているということもあった。 榴岡公園の桜風景は、西公園に比べるとかなり赤みが強い。ベニシダレの木が多いのである。ベニシダレが並木のように並んでいる場所もあった。どういうわけか、「シダレザクラ」とや「ヤエベニシダレ」の表記だけがあった。いろんな桜があるのだが、品種名がわからないのが残念で、先日の梅園のようにほぼ全ての木に品種表示があるのと比べると淋しい限りである。もっとも、花見酒に浮かれる人たちには桜が咲いていれば(咲いていなくても)品種などはまったく気にしないのだろうけれども。むかし、西公園の桜には品種名がついているときがあったが、今は一つもない。公園というところはそんなものなんだろうか、と改めて不思議に思う。梅園のように桜園というものがあっていろんな品種が集められ、きちんと品種名が表記されている施設がどこにあるのだろうか(あればぜひ教えてほしい)。 さて、榴岡公園の撮影が終わって、先日梅の花を撮った榴岡天満宮へ回った。まだ花の咲いていなかった桜の古木が気になっていたのである。広くない天満宮に大きな桜木が4、5本あった。どれも高木なので花の近接写真は無理だったが、ここでも広角レンズが大いに役立ったのである。 もう帰る時間だが、まだまだ足に余裕があったので、これから西音寺まで足をのばして山門前の桜を狙うのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.25
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モミジの芽吹きの写真を整理しているとき、西公園の桜が見ごろになっていた。今年の春は梅の花の写真をたくさん撮ったあとに、桜も撮らなきゃという気分が盛り上がっていた。なるべく早い時間にと思ったが、家を出たのは9時ごろだった。 西公園では、まだ勤めていたころ職場の行事として2度ほど花見をしたことがある。その他にはとくに桜を見に西公園へ行くということはなかったが、そこの桜はしこたま見ていた。西公園は30年ほど私の通勤路の一部だったのである。桜の時期の朝、出勤で公園を抜けるときはアルコール臭も混じった異様な匂いに悩まされ、暗くなって帰宅するときにはふらふら歩く酔っ払いにぶつからないように歩くというのが嫌だった。いい記憶がないのだが、もちろん桜のせいではなくひたすら人間のせいなのである。 公園に着いたが、開花して日が浅いせいか、管理が行き届くようになったのか、人間がおとなしくなったのかよく分からないが、昔のような悪臭は全くないのだった。通勤路に使わなくなっておよそ25年、変われば変わるものだと少し気をよくしてカメラを取り出した。今日は初めに広角レンズで遠景、桜の木の全景などを撮りながら一回りし、次にズームレンズで様々な距離、アングルで撮って、さいごにマクロレンズで花の拡大写真を撮りながら一回りするという計画である。この計画には歩数を稼いで健康に資するという欲も絡んでいる。 レンズを替えてたくさん写真を撮ったのだが、結局気に入ったのは広角レンズで撮った写真ばかりになった。花のアップの写真もきれいなものが多いが、梅の写真で見慣れているせいか、広角レンズのため周囲が歪んだ写真の方がとても新鮮に見えるのである。 西公園から広瀬川向かいの青葉山公園の「桜の小径」に回ってそこの写真も撮った。 梅は品種名が表記されている梅園で撮ったが、公園の桜にはそれがない。いずれ、種名を調べることになりそうだが、そのときにはマクロレンズで撮った写真が役に立つだろうと思う。 さて、西公園の桜だけで終わりそうもない。市内のいくつかは回ろうと思っている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.23
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「斜面に蕗の薹がいっぱい生えてたよ」と妻が言う。車の窓から見たというのだが、どこの斜面なのか、さっぱり要領を得ない。地理の説明がへたくそなのである(たとえば、Aに行きたいと言われ、どこかと訪ねるとBの隣という。Bはどこにあるのかと尋ねるとCの向かいといわれる。AもBもCも知らない私は行きようがないのである)。どこを通ったかきくと、順序はばらばらだがおおよその見当がついた。そのコースで斜面に蕗の薹がたくさん生えて場所は1か所しかない。私が去年の春、蕗の薹を採ったところである。 さっそく翌日の早朝に蕗の薹を採りに出かけた。梅花の写真をたくさん撮り、その整理に夢中になっていて、蕗の薹のことはすっかり忘れていて、少し大きくなりすぎていた。とはいえ、漬物にする予定なので柔らかそうな部分だけを摘んできた。大きくなっていた分だけ、袋は15分ほどで満杯になって帰ってきた。 今日の本題は、その帰り道から始まる。東北大学の川内キャンパスの間を千貫沢が流れていてその斜面に生えている木々が芽吹き始めていて、冬木の廻りをうっすらと淡く赤みがかった空気が包み込んでいるように見えて、しばらく眺めて楽しんだのだが、これを写真に撮ろうと決めた。 その翌日、陽が昇り始めるころ千貫沢の遊歩道に入った。ところが沢が深くて、沢底からは高い木の芽吹きの写真は無理だった。さいわい両岸に沿った道もあるので、そこからカメラを向けることにした。 同じような芽吹きなのに色合いが違うもの、葉だけの芽吹き、葉と花芽が同時に芽吹いているものなどいろいろあるのだが、そのどれもが、モミジ、カエデの類なのだった。ほかの木々も芽吹いているのだが、モミジ類と比べるとぱらぱらとしか目がついていないので私の腕では絵にならないのである。 梅の花の写真を撮りながら「仙台の春」を感じていたのだが、それより後の木々の芽吹きの方がはるかに「春が来」たという実感がする。「芽吹き」と「落葉」こそが季節をよく象徴するのではないか、などと大げさなことを考えた。いずれにせよ、来年以降もカメラ生活が続けられるのなら、「芽吹き」と「落葉」も大切なテーマにしたいとは思っている。 そんなことを考えながら写真の整理をしていたら、テレビで開花宣言の出た仙台の桜は数日後に見ごろになるのではないかというニュースがあった。梅花をたくさん撮ったので、桜花も撮らなければ落ち着きが悪い。そう思っただけで忙しない感じになるのだ。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.21
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生まれ故郷の墓参に出かけた翌日、せんだい農業園芸センターの梅園に急遽行くことにした。テレビのローカルニュースがセンターで観梅会を開いたと報じていた。観梅会を開くぐらいなら、今頃が梅の盛りなのではないかと思ったのである。 「行くか?」「行く!」いうことで今回も妻も一緒に車に乗り込む。二度目だが仙台の中心部を通り抜けるのでやはりナビを使った。街中ということもあって1分ほどの違うコース候補が何本もあって、考えると混乱するのでナビが教える最短コースなるものにひたすら従うだけである。 さすがに今日の人出は多いが混んでるというほどではない。人数的には先日の倍くらいであろうか。一目眺め渡すと、梅花満開という体である。しかし、写真を撮り始めて気づいたのだが、その多くは先日にも咲いていて撮り終えているものも多く、中には満開の時期を過ぎてしまってややくたびれた花になっているものもある。 数枚のシャッターを押して横を見ると大きなインコを歩かせながら散歩している女性がいた。会釈しようとしたらインコがわらわらと急ぎ足で私に近づいてくる。びっくりしていると女性が抱き上げて道に戻したのだが、やはり急ぎ足で私に近寄ってくる。写真を撮ろうと思っても動くのが早すぎてピントを合わせるのが難しい。それでも何とかしようと構えていたらもうレンズにくっつくほど近くに寄っている。しょうがなくて手を出してみたら私の手の乗るのである。犬と猫はお手のもだがこんな大きなナインコは初めてでどうしたものか戸惑ったが、そのまま女性のところに行って手渡した。その次に寄ってきたときには「写真の邪魔になるでしょ」といってすぐに抱き上げてくれた。せっかくのお言葉なのであらためて写真を撮り始めたものの、振り向いてみれば面白がって集まってきた人の手や肩に乗ってぞろぞろと梅を見ない集団散歩が始まっていた。 グリーンカラーのインコで、私がたまたま着ていたグリーンのジャケットを見て仲間や親兄弟、とくに自分のおじいさんとかを思い出したのかなどと思ったが、飼い主さんとずっとおしゃべりしていた妻が「男の人が好きなんだって!」と興味半減の結論を言うのだった。 この日新しく撮った品種は15種類だった。満開状態の梅園にやや興奮して次々シャッターを切っていたのでかなりの種類を撮ったと思っていたが、先日の品種とかなり重なっていた。撮った記憶がある種類はスルーしていたつもりだったが、老人の記憶があてにならないことを再確認する始末だった。 2回目の梅園撮影で手際よくなったのかけっこう早く撮影は終わった。昼にはだいぶ時間があったのでさっさと帰ることにした。もうちょっとぐずぐず行動してここで昼食できたら食事の用意が1回減るのにと気が付いたときには車に乗っていたので後の祭りである。シャッターを押すのに夢中になるという年甲斐もない戦略ミスをしたのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.11
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榴岡天満宮と西公園で続けて梅の花を見た。すこしばかり勢いがでたので、次は梅園でたくさんの梅を見ようと思い立った。ネットで調べると仙台で梅園と呼べる(宮城県に範囲を拡大しても同じだった)のは「せんだい農業園芸センター」の中の梅園だけだった。かつて梅園があった「養種園」が、郊外の広い敷地に移転してせんだい農業園芸センターになったとき、その梅園も移設された。養種園時代には2度ほど行ったことがあったが、移転した後は行ったことがない。 絶対に行くと言い張る妻と9時半ごろ家を出た。ひたすら東に向かい、まもなく太平洋に突っ込むのではないかと思えるころ、ようやくセンターに着いた。駐車場にはかなりの数の車が停まっていたが、広い施設に人はまばらにしか見えない。梅園を見渡しても7、8人の姿が見えるだけで、ゆっくりカメラを持って回れそうで少しばかりほっとした。 それぞれの梅の木には品種名が表示されていて、混乱しないように初めに品種名を写し、それからその木の花を写すということを繰り返した。 だいぶシャッターを押したのだが、まだ梅園の半分ほどしか歩いていない。私から離れてあちこち見て歩いていた妻が「蔵王がきれいに見えているよ」とトイレの裏から呼んでいる。しかし、蔵王は見えるもののごちゃごちゃと夾雑物も映るので、いったんセンターを出て広い田んぼのほうにしばらく歩いて仙台市街の向こう、雪をかぶった冬の蔵王連山の写真を撮った。仙台市街から蔵王を見ることは難しいので、とてもいい機会になった。 ふたたび梅園に戻って撮影を再開したが、どこまで撮ったか忘れてしまって少しうろうろした。その時に目に入ったのは、先日西公園で写したのと同じ臥竜梅である。説明によると、政宗が持ち帰った二本のうち一本は、政宗の隠居所である若林城に植えられたがその後継樹が養種園を経てここに植えられているのだという。この木もまたその樹形が人目を引き付けるらしく、その周りに人が絶えないのでどこから映しても人影が入ってしまうのだった。 帰宅してからの写真整理で27品種の写真を撮っていたことを確認した。たくさん撮ったと言えばそう言えるのだが、梅園にはまだ開花していない木がたくさんあったし、写すことができた木でも一本に4、5輪しか咲いていない木もあった。仙台の3月6日は梅の開花の最盛期には早いのかもしれない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.09
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春の彼岸なので3月21日にわが家の墓参をすませた。早朝6時ころに出かけ7時ころには帰るという墓参はいつものことである。今年の彼岸は、元のわが家(生まれ故郷の)の墓参りにも行くことにしていた。6月に腎臓病を発病し7月は入院だったのでその年の盆には行けなかった。次の年の盆は百日咳で行けなかった。なんだかんだの理由があってしばらくは行くことがかなわなかった。 田舎には、長兄と次兄の家をそれぞれ息子が継いでおり、共に働き盛りということもあって宅を訪ねることはせず、二つの墓地の墓参りだけで戻ってくるのである。 生れ故郷というもののとても近い。今や高速を使えば40分で行ける。故郷が遠いのは心の問題である。親も5人の兄弟もなくなり、生まれ育った家もとうの昔になくなって、いわば私には他郷のように感じられるのである。甥や姪には残されたった一人の叔父だが、気を遣わせるばかりで心苦しいのでいっそう足が遠のくということになる。 ゆっくり朝食をとって10時ころに家を出発した。まず本家の墓に行った。本家は次兄が継いで、祖母、両親、次兄夫婦の骨が収められている。いま、墓に供えらえている花は造花が多くなって、この墓にも造花が供えらえていた。何とか持って行った生花を供え、やや強めの風が吹く中でようやく線香に火を移し、なんとか墓参を終えた。いつものことだが、あとで甥たちの家に電話して、適当な時期に枯れた花を片付けてくれるよう頼むのである。 なにかいい被写体が見つかるだろうとカメラも車に積んでいったのだが、墓石の前の妻の写真を撮ったらあとは何を写せばいいのかわからないのである。供えた花の写真を撮っていると、墓石が鏡のように花を写していて、面白そうに思えてそれも撮ってみた。墓地の上に広がる青空もきれいだと思ってシャッターを押したが、墓参りの気分で見なければ良さがわからない写真にしかならないだろう。 そこから車で南に7分ほどのところの別の墓地に向かった。そこは長兄が養子に入った一族の墓があって、長兄夫婦が眠っている。私の父親代わりだった長兄は中学の教師で私の学業に期待していることは痛いほどわかっていた。長兄がなくなったとき、義姉が「十分に期待に応えたよ」と言ってくれた時、すごく大きな何かを兄に返すことができたような気がして泣きそうになった。そんなことを思い出しながらの墓参りになった。 帰り道の高速で昼食にした。SAのレストランに入ったら「野菜湯麺」があったので、二人ともそれにした。最近の私の小さなマイブームの一つが野菜湯麺(ラーメン)なのである。ラーメン店でも町中華の店でもまずは野菜湯麺を探すのである。どちらかといえば町中華の店のほうがおいしいような気がする。 私と妻が店で麺類を食べるときは妻が麺を少し分けてくれるのだが、この日に限って私の胸が詰まるようになって途中でギブアップしてしまった。胃切除の影響で詰まることはよくあるのだが、昼食の麺類ではほとんどないことなので妻は心配していたが、半分は喜びながら自分の分だけでなく私の残した分まで平らげてしまった。母親譲りの健啖家らしさがすぐに発揮されるのである。 次の墓参ができるのはいつのことやら………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.07
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正午ちょうどに外出から帰ってきた妻が、「西公園の臥竜梅が満開だったよ」と言うので、さっそく出かけた。わが家の川向い、広瀬川の左岸にある西公園に「臥竜梅」という梅の木がある。伊達政宗が秀吉の朝鮮出兵のおりにかの地から持ち帰った二本の朝鮮梅の一本である。 西公園に臥龍梅の近くに20人ほどの人がいてテレビの撮影か何かをしていたが臥龍梅とは全く関係がないようなので、周囲をまわりながらシャッターを押した。臥竜梅そのものは何度も(通勤の時、この木のそばを通っていた)見ていたが、花をじっくり見たのは初めてのような気がする。やや大輪の端正な白梅で、気品高い花である。混みすぎずまばら過ぎず花付きも適当なのだが、樹そのものはうねうねと横に伸びるので大庭園でもなければ庭木には向いていないだろう。 カメラを構えていると、ヒヨドリが飛んできて眼の前(カメラの前)で花の蜜を吸いだした。いいお客さんである。ヒヨドリもモデルにしながら撮影していると、10人ほどの観光客がやってきて木のそばを動き回ったので、ヒヨドリはどこかにとんでいってしまった。 一通り撮り終えたので、急いで帰って昼食を用意しなければと思ったのだが、遠目に桜の花らしいのが見えたので寄り道をした。西公園は桜の名所(というよりも花見の名所)の一つなのだが、まだ桜の季節には早い。寄ってみると、花の小ぶりな寒梅の一種らしい木だった。公園内の道の並木のように植えられた若木だった。 朝鮮から持ち帰った二本の臥龍梅のもう一本は、旧養種園(現せんだい農業園芸センター)にあるということは知っていたが、見たことはない。せんだい農業園芸センターには立派な梅園があるということなので、行ってみようと思っている。 さて、急いで帰って昼食を作らなければ………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.05
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