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夕暮れから夜に入る時間帯のカメラ散歩が面白かったし自分なりに気に入った写真が撮れたので、次は朝の暗い時間に、と考えた。ただ、私の散歩はほとんど早朝なので朝日の昇る時間帯がカメラ散歩だったのは何度もあった。ということで、夜明けではなく夜明け前、どんな店も閉まっていて街には一番人が少ない真っ暗な時間帯に歩いてみようと考えた。陽が昇り始めたらおしまいのカメラ散歩ということにした。その時間帯なら、家族が起き出す前に帰ってきて、暮れの仕事にも影響はないだろうと考えた。 5時30分ころ家を出て、5時44分に最初のシャッターを押した。見慣れた交差点でも新鮮に感じるのが不思議だ。大通り(青葉通り)を仙台駅に向かって歩く。葉を振るい落としたケヤキが大きなマンションの壁面を背にして、影絵のような立ち姿を見せている。車が通らないのでビルのガラスがありったけの街の光を映し出している。その前を歩いて行く人がいて、コンビニに入って行った。そうなんだ、コンビニは24時間営業なんだ、とそんなつまらない再確認をする。 文化横丁、いろは横丁という飲食店の多い路地を覗いてみたが、当然のように人っ子一人いない。一番町近くのショーウィンドウには等身大のマネキンが飾られていて、暗い街に映画のスクリーンのように目立っていた。さすがにこの辺には朝帰りらしいグループがいる(まだ朝になっていないが)。 駅近くに「仙台銀座」という飲み屋の連なる路地があったはずなので覗いてみたが、飲み屋の数はだいぶ減ったように思う(もっとも30年近く前と比べるのは無理があるが)。どことなく暗く寂しいその路地をり抜けて「仙台朝市」の路地に出ると、魚屋さんが荷下ろししていたり、開店の準備にかかっていた。 暮れの今日(29日)はこの路地が正月の買い物客ですれ違うのもむずかしいほどごった返すのである。少なくとも4年前まではそうだった。私たち夫婦も以前はここで正月用の買い物をしていた。私が登山用のザックを背負い、妻が買った品を後ろからザックに詰め込みながら雑踏を通り抜けていたのである。この戦いのような買い物から撤退して3年目である。老兵には無理だと判断した。 朝市を抜けて駅前通りに出ると東の空が白みだした。半地下通路でJR線をくぐって仙台駅の東口に出る。陽が昇る前にカメラ散歩を終わりにする。仙台駅の2階の自由通路に植えられている木の冬姿を写して最後にした。 帰りは動き始めた地下鉄に乗ってあっという間である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.31
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ブログの題を決めて本文を書きだそうとして、このタイトルのイメージに愕然とした。まるで人生の黄昏どきとなった老人が(認知症を患って)徘徊を繰り返している事態のブログのようだ。それを全面的に否定する自信がなくて、まんざら当たっていなくもないと思ってしまう自分にまた愕然とするのである。 タイトルの意味は、先日の夕暮れのカメラ散歩が楽しかったのでその思いをもう一度と一週間後にふたたび夕方のカメラ散歩に出かけたというだけのことである。たしかにあっちにフラフラ、こっちにフラフラしながらの散歩なので徘徊と言えば徘徊なのである。なんかこんなふうに言い訳しているとどんどん深みにはまって戻れなくなりそうなのがいくぶんつらい。 とにかく、12月26日夕暮れ、青葉区の本町近辺のカメラ散歩に出かけたのである。この辺は繁華街に近く、坂道があり、変形6差路などもあって、カメラ向きではないかと期待したのである。 広瀬通りからビルの間の抜け道を通って本町の中心部に入っていく。この辺はかつてたくさんの家具屋が並んでいて、結婚したばかりのときと家を建て直したときに何度も足を運んで家具を選んだところである。「家具の街」と呼ばれていたが、今は私の知る限り1軒しか残っていない。今は大きな予備校などがあって、若い学生さんが大勢歩いているところでもある。 レストランやカフェなどもあるが、飲食店街とは違う落ち着いた雰囲気の店が多い。夕暮れが進んで暗さが増していくと、そんな店から漏れる灯が意味ありげに見える。暗さとともに家路を急ぐ人たちが目立つようになる。乳母車を押して坂道を急ぐ若いお母さん、仕事帰りらしい二人連れ、三人連れ。そういう人物にピントを合わせてシャッターチャンスを狙うのだが、人物を撮るのはいろんな意味で難しい。 法で定められているのかどうか定かではないが、新しいビルの前には植込みのスペースが作られていて、丈の低い茂みの中に灯がともっていたり、木立を透かして見える窓の中の灯りも魅力的だったが、ピント合わせが難しい。 黄昏どきが「ゴールデンアワー」でも、その時間はあっという間に終わる。本町を出て自宅への帰り道、一番町、稲荷小路、国分町と繁華街(飲食店街)を抜ける。飲み屋が並んでいるはずの小さな路地で1軒だけが活気にあふれた店先を見せているだけで他の店の灯は消えていた。古くからある路地のひとつである。 時代はどんどん変わり、私は老いる。徘徊老人にはならないように頑張ろう。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.26
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もう傘寿の年だが、私にもまだ仕事がある。県の委員会の委員を25年ほど続けていて、ここ13年ほどは会長職にある。閑職には違いないが、当然ながら仕事に行くことがある。午後からの会議がほとんどなので、冬のこの時期は帰りが夕暮れ時になる。 12月19日のカメラ散歩で夕暮れ時の写真はとても楽しくシャッターを押しつ続けることができ、それに味を占めてバッグにカメラを突っ込んで会議に出た(この仕事にカメラを持って行ったのは初めてである)。 会議が終わったのはいつもより早い3時半ころで夕暮れにはまだ早い。蕎麦屋で鍋焼きうどんを食べて時間を過ごしたので、少し夕暮れめいてきた。それでも写真に写る空は昼とほとんど同じにしか見えない。いろいろ撮影条件の設定を変えれば夕暮れ風にすることもできるだろうが、あまり人工的な写真にはいくぶん逡巡するところがある。少しずつ細かなカメラ操作も覚えつつあるが、使いたくない設定もあるのだ。 帰り道には国分町とか稲荷小路とかの飲食店街(つまり飲み屋街)を選んで歩いてみた。ビルの間の空は西の下の方がわずかに色づき始めた程度で、南はふつうの青空である。 店先にはクリスマスらしい飾りつけがあったりするが、夕暮れと言えどもはやはりまだ時間が早くて飲み屋街らしい雰囲気はそれほどない。狭い路地で小さな店の明るい光がよく目立っている。今は(というよりかなり以前から)外飲みをほとんどしないので惹きつけられそうな店構えでも、シャッターを押してそのまま通り過ぎるだけである。そんな店にふらっと入っていく若いときのおのれの姿を想像するだけで気分を味わうのである。ゆふぐれの微光ただよふ美しき町すぢは往くに誰にも肖(に)たくなし 佐々木幸綱『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)(p. 528) 仙台市街中心部から西に向かう帰路は、あっという間に広瀬川に架かる仲の瀬橋を渡ることになる。ちょうど仙台市営地下鉄東西線の電車が地上に出て広瀬川を渡っていて、電車の窓明かりに惹かれて写真を撮った。私はカメラ好きだが決して「撮り鉄」ではない。それでも目の前を電車が走っていればシャッターを押してしまう。ちょっと子供の心理っぽい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.24
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12月19日の投稿以来、ブログ投稿をずっとさぼっていた。カメラ散歩に行ったことなどの終活の記録をできるだけに書き記しておこうと決めていたのだが、まったくブログを書く気になれなかった。だいぶ気分が落ち込んでいたように思う。やる気が起きなかった。12月19日の投稿では「筋トレ散歩は春までのんびりやる」などと言い訳めいたことを書いていた。そこでは12月8日、10日のカメラ散歩で街に出たことも書いてはいたが………。 じつは、それ以降も12月19日、22日、26日、29日、翌1月12日、14日とカメラ散歩に出かけている。1月26日にはしばらくぶりで筋トレ散歩を再開した。もっとも、足に自信がなかったのでカメラ持参でただのカメラ散歩になってもいいようにしていた。完ぺきではなかったがそれなりの筋トレにはなって気をよくして、1月19日にも筋トレ散歩に行った。 つまり、少しずつやる気が出てきたのである。筋トレ散歩を再開できたことでだいぶ気分が上がったようだ。それで書くべきだったブログを一つずつ片付けていくことにした。今日は、12月19日に大崎八幡宮近くの坂道の多い住宅街を夕暮れから夜が始まるまでの時間に歩いてみた、そのことを書いておく。 「おさんどん」を引き受けている身なので、陽が落ちるのが早いこの時期なら台所仕事に間に合うように帰って来られるのである。小旅行に出かけたときは、台所仕事がないので夕暮れ時はほんとうに楽しいカメラ時間だった。そのことを思い出してずっと思っていたのが実現したということである。 家を出てすぐ、雲一つない夕空を短い飛行機雲をひきながら飛行機が飛んでいて、それが最初の一枚となった。八幡町の大通りを行くと個人宅の庭先に石灯籠があって、街灯の光を受けてとても雰囲気がいい。何度も通っている道なのに知らないでいた。その気になって歩かなければ目を開いていても何も見えないということこんなところでも教えられる。 大通りから逸れて坂道のある細道を住宅街に入ってみる。石垣の上から垂れ下がる枯れ薄の穂が街灯の光で輝いていたりする。立派な門構えのお宅の門灯が照らす庭木の枝ぶりに見いることもあった。原付バイクで細道の坂を大通りに向かって急いでいる様子も意味ありげである。 途中、自転車を押して坂道を上る人、坂の上で待っている人、大きな犬を散歩させている人。そのそばを終業式の日の荷物をいっぱい抱えて通り過ぎる小学生、手をつないで夜道を帰る親子連れ、それぞれとてもいい被写体に見えた。狭い住宅街をサイレンを鳴らして走り抜ける救急車の光が住宅を明るく照らしているのも撮れた。 夕暮れには、へたくそなカメラマンもいい写真が撮れたような気分にひたれるのである。いい時間だ。カメラマンは、これを「ゴールデンアワー」と呼ぶらしい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.22
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