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「信じる」ということは、仮定形の上には成り立たないのではないか。 湯川 豊 大岡昇平の小説『野火』は、戦地で小隊からも病院からも見放され、山中を放浪する一等兵を描く。疲労と飢餓で意識が朦朧(もうろう)となる中、ふと「神」らしき何かに見られていると感じた兵士の独白、「もし彼が真に、私一人のために」にふれ、文芸評論家はこう記す。信仰は聴き届けられる保証のないまま差し出されるもの。人を愛することもきっと同じ。評論『大岡昇平の時代』から。 (朝日新聞・折々のことば1674・2019.12.20) トイレットペーパーはおろか、ティッシュペーパーまで完全に姿を消した。ドラッグストアもコンビニも商品を失った棚だけが寂し気にしている。「トイレットペーパーとティッシュペーパーが品薄になりそう。製造元が中国です。事前に購入しておいた方がいいかも」なんてデマ情報を流した奴がいるらしい。伸びない消費を上げようとした政府関係者が発信源ではないだろうが、根拠のない情報を信じてしまうのが人というものなのだろうか。昨秋日本列島を度々襲った台風ではブルーシートや養生テープが品切れになったが、オイルショックでもあるまいし、日常的に安定生産されているペーパーがなくなると信じ疑わない人というものが恐ろしい。 SNSとやらにも無関心な私だが、発信者の投稿を安易に信じて拡散させてしまう世の中に改めて身震いした。そもそも、私は中国製のトレペなどお目にかかったことはないが、それを信じる多数の人が買いあさっているようだ。 発信者は、マスクに次いで、トレペを買い占めてネット転売で儲けようと考えたのかもしれないが地域社会を混乱させた罪は重い。トレペやティッシュだけでなく、おむつなどの介護用品も店頭在庫が品薄になっているそうだからもはや大犯罪だ。デマ情報発信者及び積極的に拡散させた愚か者を特定し、禁錮刑にでも処すべきだろう。そうでもしないと、また次のデマ情報で日常生活が乱される事態になる。「信じれば」ではなく、「信じる」確信を自ら備えておきたい。 モーニングの帰りに寄ったら、ガラガラの棚に置かれた段ボール箱に入っていました。「よろしければお使いください」とあったので、一つ頂戴してきました。水に流せる紙だって……販促用品でしょうが、セブンイレブン偉い! ありがとう。
2020.02.29
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洗足駅裏からの洗足流れを歩き、[荏原病院通り]と[学研通り]とが合流する東雪谷五丁目の交差点に出たところです。ちなみに、合流した道は[十中通り]となって南に……10分も歩けば池上梅園に行かれますよ~ (2月1日の散歩) 長慶寺山門…… 池上末院 雪谷山長慶寺・南無妙法蓮華経……当然日蓮宗のお寺です。 円長寺と共に、こちらも雪ヶ谷八幡神社(1月30日訪問)の別当寺だったようです。 長慶寺本堂…… 日蓮聖人坐像は区の文化財……本堂前にありましたが非公開『木造寄木造り、彩色、玉眼、像高40センチ。 当寺の開創年代は明らかではないが、はじめ荏原郡碑文谷村(目黒区)にあって法華寺の末寺であった。 法華寺が悲田派不受不施を唱えて元禄期(1688~1704年)に幕府の弾圧を受けた際、池上本門寺の末寺にかわった。……』円長寺もそうでしたが、巻き込まれた寺院がたくさんあります。『本像の銘文によって、法華寺の日禅が感得主(かんとくしゅ)となり、弾圧以前の明暦2年(1656年)に造立されたことがわかる。この意味からも、本像が今日まで現存されたことは不受不施史研究上注目に値する。(大田区教委)』 本堂前右……祠には日限地蔵菩薩……日限=[ひぎり]と読むらしい。日を限って願い事をすると叶うらしい……知らなかったから、何も願ってきませんでした。 昭和21年10月31日、22歳でこの世を去った文子さん……「この世に我生を受けしは只々仮の姿なり。我これより釈迦如来のお許しにて修行せん」との言葉を残して現世を去った。昭和51年10月31日を期して日限地蔵菩薩と御名を賜りて再生仕奉(しぶ)……とありました。現世を去っても来世から諸々の憂苦を慰めいやすありがたき諸行であります。 祠脇の説明文を撮っておいて良かったです。眼鏡をかけないと読めないので、いつもそうして独り反省会で確認しています。 題目供養塔…… 広々とした境内…… さてさて、長慶寺をあとにして脇の細い道を行きます。 左側の中十通りを行けば池上本門寺方面……新幹線をくぐってすぐに三又に分かれますが、左の道です。 洗足流れの終盤……暗渠の道 写真中央の狭い所から出てくると庚申塔…… すぐ左に[花抜坂]ってのがあったようです。『…日蓮聖人が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので、以来、花抜き(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。…』と大田区HPにありました。 庚申塔2基…… 右の1mほどの庚申塔は享保7年(1722年)で、道標を兼ねています。左 九品仏・雪ヶ谷村……右 瀬田ヶ谷村と読めました。 目に余る委員会運営にまい進棚する橋泰文予算委員長、安倍首相の意向にあわせて法を曲げちゃう森雅子法相、発言を撤回させられプロパティー一つ提示を拒否する人事院・松尾恵美子局長、「プロパティーも行政文書」と即答したのにすぐに撤回しちゃう北村誠吾地方創生相、自粛を求められているなかでパーティーを開催しちゃう秋葉賢也首相補佐官……腐りきってしまったような日本の政治にブツブツ言いたいけど、時間が無駄だから今日は止めておきます。
2020.02.28
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荏原病院、雪ヶ谷八幡神社と円長寺をちょろっと歩いた1月30日、最後の訪問先です。本当に情報がないので、写真だけ…… 呑川……中原街道と緑が丘駅の中間にある次の橋[島畑橋]を左に…… こんな所にお寺があるとは知らなんだ…… 浄土宗大音寺……車が入れるこちらが歩きやすいけど…… 山門……やっぱりここからお邪魔しました。 最近、すっかり定番になりました。 すっきりした境内…… 南無阿弥陀仏……「どうぞ私を救って」と唱えることで、阿弥陀仏様が極楽浄土へ導いてくれます。 境内社……後ろは見晴らしがよい結構な高台にあります。 文字が読めない…… 左に庫裏…… 大音寺本堂……大きい音とはなんぞや? 報恩山 正覚院 大音寺…… 十三重塔…… 水子・子安地蔵…… 引き返したら参道左に…… 良く分かりませんが撮ってしまう私……悪い癖…… 車道を上がったところにありました。 左は庚申塔ですが、その右が分かりません。どうみても[南無大師遍照金剛]と刻まれているのですが……連れ合いが教えてくれるかもしれません。 でもって帰り道……私の後方にある大音寺は世田谷区奥沢で、この位置から前方は目黒区緑が丘……すぐ先に呑川…… なんで木に縛り付けてあるのかしら? 呑川沿いをブラブラ帰りましたとさ……ちなみに、私が立っている場所は目黒区で、橋の向こうは大田区……微妙な位置でした。 黒川検事長の定年延長問題をブツブツ書こうと思ったり、昨日の法要夕食会のご馳走を載せようかとも思ったりしましたが、なんだか気力がないのでこれでお終い。気力がないのは日々のことだけど、ダメだな~
2020.02.27
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亡き祖父母と父の法要に行ってきました。 五十回忌と二十三回忌……どうにか雨も止み助かりましたが、それも先祖のお蔭でしょう。足元の悪い中、お集り下さった皆様にも感謝いたします。 長昌山立源寺……寛永元年(1624年)碑文谷法華寺住職・遠聲院日運により開基。元禄11(1698年)年11月不受不施法難の直後、法華寺改修の際に本尊三宝が当寺に移されたそうです。偶然にも昨日の円長寺とほぼ同時期の開基でした。 良きお声のご住職にお経をあげていただきました。南無妙法蓮華経…… 庫裏の廊下に飾られていた壺? 白磁ってのかしら? 時節柄……きっと価値のあるひな人形なのでしょう。《おまけ》 近くに歯医者さんが開業するようで、内覧説明会をやっていたので昨日ちょいと拝見。顕微鏡やCTなど、最新機器が導入されていました。手伝いであろうイベントスタッフ、歯科衛生士さんや先生……説明くださるのはいいのですが、狭い廊下で至近距離の会話はな~ 顔を見せたいのでしょうが、マスクしたほうがよろしくないかしら? 不特定多数の人と接するわけだから、恐くなって早々に退散しました。土足で上がれないのでスリッパに履き替えるんだけど、他人の使ったスリッパは嫌……靴下を履いていれば水虫は移らないらしいけど、それでもな~ 靴を履く時に、靴ベラがなかった。腰掛が見当たらなかったので、ヒモ靴だったら履いて結ぶの大変そう。靴脱ぎ場が狭いので表に出たけど、スニーカーに踵を入れるのも一苦労しました。治療室内の衛生管理のためにそうしているのでしょうが、靴やスリッパに触れる分けだから、手の消毒液も常備したほうがいいかもね。 でもって、しっかりお土産をもらいました。歯磨きだっていうけど、子ども用かもしれません。激戦地域での新規出店は大変でしょうが、長く続きますように……
2020.02.26
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雪ヶ谷八幡神社から向かった、1月30日の散歩…… 荏原病院前から南西に傾斜12%の坂を下り、呑川・円長寺橋を渡って住宅街に…… 円長寺……総門になるのかしら? 毘沙つ堂でいいのかしら?「どうぞお入りください」とばかりに開かれた門……この時点でワクワク… みごとに手入れをされた植木も美しい。右へは庫裏まで車が入るのでしょう。 山門があって…… 良い景色です。最近、門扉ごしのこのショットが気に入っています。門扉の木目も素晴らしい……私、材木屋じゃないけど…… 本堂……日蓮宗の寺院 創建当初は、末寺75寺を擁し日蓮宗の名刹寺院として栄えた碑文谷法華寺(現・円融寺)の末寺だったけど、同寺が不受不施派の拠点として幕府より弾圧を受け元の天台宗に改宗してしまう。おそらくその時点で円長寺は身延山久遠寺の末寺となったようです。 照光山 円長寺…… 本堂から山門を見る…… 境内社……情報不足でほとんど分かりません……トホト… 後光が差してます……逆光利用で結構苦労しました。ちょっとズレると仏像が黒く潰れちゃうんです。 一枚岩をくりぬいた立派な手水舎…… 定番の龍……頭部だけなのでかろうじて逆鱗はありません。触れずにすみます。 本堂左側を奥へ…… 歴代塔募……開基は、常照院日豊聖人・寛永7年(1630年)6月6日75歳、と墓誌に刻まれていました。 左は題目塔でしょうか? 南無妙法蓮華経…… 奥から本堂前に向かって……きれいに丸く刈り込まれた植木たちはツツジかサツキでしょうか? ぜひ、春に再訪したい寺院です。 梅がチラホラ……この後 一気に咲いたことでしょう。 私の定番……こんなことしてるから遅くなってしまいます。 本堂前を通過して庫裏の脇奥に……『道でつまずいて転んだ時。「痛い!」。思わずでこぼこを恨みます。でも立ち上がる時、その道に手をついて立ち上がっていませんか。そして「もっと気を付けて歩こう」そう自分に言い聞かせていませんか。道に傷つけられ、道に教えられているのが私たちではないでしょうか……』休息所のような小屋の中に貼ってありました。ありがたく一服もさせていただきました。 山門脇から…… 不明なことだらけの寺院ですが、とても心地よく拝見させていただきました。 ありがとうございました。 昨日馬込文士村を載せたら「街角のカテゴリーは369もあるから、前のが探せない…」と連れ合いからご指摘を賜りました。なんでもかんでも街角にしている私ですが、やっぱり仕分けをしないとだめかもしれないと反省……それでも自分ではすぐに探せるんだけどな~ 馬込方面は1年前ぐらいだよな~と思ったら予想通りでした。 連れ合い用におまけでリンク付けておいてあげますよ~ [2019.1.10訪問・山本有三・室生犀星・榊原潤・藤浦洸(日記は1/18)] [2019.2.4訪問・蘇峰公園と尾崎士郎記念館(日記は2/15)]
2020.02.25
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ここのところ模型を作っていないので、載せるものと言ったら寺社がほとんど。連続してもいかんな~と思い、割り込みで昨日の散歩の一部を切り出してみました。 月初に洗足流れを歩いた時、プロムナード地図に[馬込桜並木方面]の文字を見つけ、気になっていたので出かけてみました。どうやらここが馬込桜並木の起点みたいです。 私のことなので、すでに圓乗院・出世稲荷神社・善照寺を拝見した後ですが、桜並木通りをちょいと左折してこんな道……ゆるい上り坂……南馬込も結構起伏のある地域です。 熊谷恒子記念館……坂道の途中にありました。『美智子上皇后にご進講されたことでも知られる現代女流かな書道家…旧居を改修し、作品を展示しています。』と大田区HPにありました。大田区さん、記述が[皇后陛下]のままでしたよ~ 修正した方がよろしいのでは? 私は書など分かりませんが、連れ合いは興味があるかもしれません。いつか行かれたらいいね~ 入場料100円だけど、僕は無料やさかいな~『…庭の花を見渡せる一階の書室で作品にとりくんでいたそうです。』と書かれているように、家屋の南側が日当たりの良い庭でした。残念ながら立ち入り禁止でしたが……玄関前にあった銅像の写真はまた今度…… 桜並木通りを歩いて龍子公園……川端龍子も馬込文士村の住人の一人。看板は以前撮ったのでアップはなしです。 10時・11時と14時に向かいにある記念館の職員が案内してくれるそうで、残念ながらその他の時間は立ち入りできません。せっかくだから門扉の上からパチリ… この写真の撮影時刻は14時42分だったから、30分程度の入園かもしれません。 臼田坂を上ります。臼田を姓とする人が多く住んでいたからこの名がついたって。 坂の途中を右に……こっちも上り……電信柱の向こうに… ありました……二枚ゲット!! 別に収集家じゃないけどね~ 川端康成……『…「賭けで負けたので……」と、婦人がある日突然断髪姿で帰宅したり……』だって~ なんと潔(いさぎよ)い奥さんだこと。 川端康成は高校時代によく読んだっけ。『山の音』も読んだな~ 登場人物に持たせるそれぞれの心の内側、あるいはその描き方も上手な人でした。 原節子・上原謙…白黒映画をテレビで見た記憶があるんだけど…… 石坂洋次郎……『陽のあたる坂道』…タイトルだけは知っているけど、この方の本は一冊も読んだことがありません。恥ずかしいかしら? 臼田坂上を右へ入ると……住宅の駐車場内に立っていました。 萩原朔太郎……竹『光る地面に竹が生え、 青竹が生え、 地下には竹の根が生え、 根がしだいにほそらみ、 根の先より繊毛が生え、 かすかにけぶる繊毛が生え、 かすかにふるえ。 かたき地面に竹が生え、 地上にするどく竹が生え、 まつしぐらに竹が生え、 凍れる節節りんりんと、 青空のもとに竹が生え、 竹、竹、竹が生え。』 「生え」「生え」の連続……自らを高みに導こうとする彼自身の心の叫びかもしれない。 以前訊ねた馬込文士村…… [2019.1.10訪問・山本有三・室生犀星・榊原潤・藤浦洸(日記は1/18)] [2019.2.4訪問・蘇峰公園と尾崎士郎記念館(日記は2/15)]《おまけ》 龍子記念館でも同様でしたが、イベント中止の案内……当然ですが…… 今朝、新聞を読み終えて外に出たら長い行列……喫茶店のお客さんの話によると、どうやらパチスロ開店のクジ引きに並んでいるらしいです。開店までまだ30分以上あるみたいだし、コロナのみならずインフルエンザ感染の温床だと思うんだけどな~ 感染しないようにすることも大切だけど、他人に移さない心づもりも必要だと思っています。検査をしなければ分かりませんが、自分も感染者しているかもしれないという意識をもって他人には接したいものです。 さて、今日はなにをしようかしら?
2020.02.24
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1月30日……野次馬根性と言うか?怖いもの知らずで、荏原病院を見に行く前に寄りました。 雪ヶ谷八幡神社にお詣りをすませると、社殿左側には境内社があると…… こんな感じに大小さまざま…… 現在は完全に未使用…… 齋霊殿……一番大きな社殿で、英霊・祖霊を祀っています。 齋霊殿扁額…… 米俵を担ぎ上げて一人前といわれていた時代、村の若者たちの力くらべに使われた石。重さ約40貫(約150kg)……私には無理……若者でなくてよかった~ 雪ヶ谷稲荷神社…… 稲荷神社の扁額…… 稲荷神社の御祭神は宇迦之魂命……五穀豊穣・商売繁盛 奥にも並んでおられました…… 後方に八幡神社拝殿・本殿…… 四社合祀殿……(左から)[薬神社(小名彦名命を祀り、病気平癒)]・[稲荷神社]・[天神社(菅原道真公を祀り、学業成就)]・[加藤神社(加藤清正公を祀り、科学振興)] しかし、こまめに置かれた賽銭箱……小銭入れの出し入れが大変でした。 奥には右から左へと庚申供養塔群……天和元年(1681年)から安政4年(1857年)まで大田区文化財の7基…… 境内奥の社殿側に3基…… 猿田彦神社の木札が……ついでに住居表示があるのは何ででしょう? 雪ヶ谷村の人々によって建てられ、あちこちに点在していたのを当地に移したのでしょう。右は元禄十年と読めました……300年以上前…… こちらは庚申塔ではありません。祠の木札が詠めませんが、入り口にあった一覧から考えると水神社かもしれません。 由緒書きがある時は撮ってきて独り反省会で読む私……不明なことは同時にネットで検索しますが見つからないことが多い。よく現地で観察して伺って来れば良いのですが、研究家ではないのでまぁこんなものでしょう。 こちらは屋根が崩れかけています……庚申塔はしっかりしているのに…… こちらにも猿田彦神社とありました。 猿田彦神社っていうのは初めてお目にかかったかもしれませんので、良く分かりません。同社HPによると『猿田彦命は、天孫(てんそん)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)の先頭に立って国土の案内をした国津神(くにつかみ)であるが、その異様な面相は神幸祭の先導をする華高の相であり、この霊威に邪神、悪神はおそれ去り、無事行列は進むのである。』とあり、吉方に導く・災難除けの神のようだけど、何で庚申塔が祀られているのか? 猿田彦命の顔は鼻が高いというから天狗みたいなんだろうけど、ここに並んでいるのは良く見かける青面金剛ばかり。彫られている三猿を猿田にひっかけたのでしょうか? 考えると眠れなくなるので止めておきます。 ※ 瓊々杵尊(ににぎのみこと)っていうのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫だそうです。 7基すべて駒形の庚申塔でしたし青面金剛……天狗はいらっしゃいませんでした。ちなみに、庚申信仰の礼拝対象は、仏教系は青面金剛、真道系では猿田彦という見方が出来るようです。元気で散歩をしていれば、そのうちに猿田彦の庚申塔に巡り合えることでしょう。 八幡宮石坂供養の碑……天明3年…… こちらにも猿田彦神社…… ポツンと一人きり……小さい庚申塔ですが、もしかしたら一番古いものかしら? 引き返して脇の参道鳥居……次への都合上こちらは使いません。ちなみに東急池上線石川台駅は、この鳥居を出て右に行けばすぐです。カールルイスなら10秒…… 空が青くて気持ちが良い日でした。少々汗ばんでいたかもしれません。 表参道を出て直進する方法もあったのですが…… なぜか宮前坂を上った私……鉄飛坂より楽です。 坂上到着…… ということで、書ききれないほどブツブツもあるけど、今日はこれでお終い。 連れ合いは義母のお供でお寺に行ったし、私は何をしようかしら? 天気が良いから、私も寺社巡りに出かけましょうかしら?
2020.02.23
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1月30日の散歩…… 中原街道から荏原病院通りを少しだけ進み、南西方向に右折…… 住宅街…… 見晴らしいいな~ と思ったら坂……正面は武蔵小杉方面でしょう。 宮前坂……八幡神社の前の道だから当然のネーミング。神社を通過して呑川に架かる橋は宮前橋です。この日もぐるっと回って、帰りには呑川沿いを歩きました。 ありました……雪ヶ谷八幡神社 立派な一之鳥居と社号碑……左 呑川方向にまだ下る傾斜地です。 左奥は雪ヶ谷児童遊園があり、こじんまりした神社かと思いきや、右前方に石段と二之鳥居……奥が深そうです。 一之鳥居をくぐって右にはこんなの……神輿蔵かしら? 氏子六町会の祭りは盛大でしょう。 出世石……『大鵬関が、まだ納谷と呼ばれていた序二段の頃、当神社の境内で氏子の子供達に相撲の稽古をつけていた。後に、昭和34年雪ヶ谷八幡神社社殿の御造営が完成し、初めての節分祭に年男として参加以来横綱に至るまで毎年当神社節分祭に御奉仕をした。そして異例の出世をとげ、文字通り「心」「技」「体」の三位一体を兼ね備え「不出世の大横綱」と称えられた。横綱大鵬幸喜は「これは雪ヶ谷八幡神社の御加護の賜物である」と感謝し、当神社に『出世石』とかいた書を奉納した。それを、氏子の人々が石に刻み現在の『出世石』が出来た。(同社HP)』……そうです。それにしても、大きな書き物を奉納したものです。 そう言えば、大鵬の親戚の納谷先生は元気かしら? ほぼ3年お目にかかってないな~ 横綱大鵬の直筆…… 大鵬の手形もありました。 次の石段の脇に忠魂碑……等々力玉川神社にも立派な忠霊塔がありましたが、地域出身の兵士の忠義を称える碑でしょう。 二之鳥居への石段…… これで終わりかと思ったら、まだ先があるみたい…… 左に神楽殿……右に手水舎と三之鳥居…… 神楽殿と思いきや…… 扁額は「舞殿」……鶴岡八幡宮には『静御前が義経を慕い、心を込めて舞った』とされる舞殿があります。おっと、不味い事書いたか? 手水舎手前から見る三之鳥居……まだ上るのね~ 手水舎…… 龍じゃなくて珍しい狛犬……こちらもセンサーが付いていたかも? 忘れてしまいました……情けない… 手水舎の手前に見つけちゃいました。ありがたく一服休憩…… ニコチン補給をして最後の石段…… おっちらこっちら……よいしょこらしょ…… 社殿……創建は永禄年中(1558~1569年) 元亀(1570~1573年)・天正(1573~1593年)戦乱の世を経て、慶長(1596~1615年)・元和(1615~1624年)の頃、円長寺・長慶寺の創建により別当として二寺臨年に奉仕することになると……今知りましたが、幸いにも円長寺はこの日、長慶寺は2月1日に行きました。 幾たびの再建・造営をかさねたけど、やっぱり昭和20年の戦災によって焼失……現社殿は昭和34年8月とのことです。 御祭神は誉田別命……コロナウイルスの感染予防対策として、この綱がはずされている所もあるようです。日に日に感染が広がって不安ですが、一人一人が周囲の方に気遣わなければなりません。高熱があるのにバスツアーなんてもってのほか。『咳をしても一人』……尾崎放哉(おざきほうさい)のようなら安心です。『いれものがない両手でうける』……「マスクがない両手でうける」しかないかも。横流ししてもらって高額でネット販売している方々、心が痛まないのかな~ 社殿扁額…… 社殿からの眺め…… 複数の境内社や庚申塔がある雪ヶ谷八幡神社……続きはまた明日……
2020.02.22
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1月25日の散歩日記がやっと最後となります。あっちこっち見て歩くものだからすっかり遅くなりました。楽天ブログの一日の画像アップロード容量が倍あったら遅れも少なくなるんだけどな~ 安方神社を出て環八沿いのお隣へ…… 光明山遍照院無量寺……堂々たる寺号碑 光明山遍照院無量寺……真言宗智山派 だからってこともないけど、玉川八十八ヶ所霊場 第64番札所 そして、東海観音三十三ヶ所霊場 第二十番 本堂扁額は[遍照]……[照稔]とあるのは成田山新勝寺の橋本照稔貫主大導師様のことかしら? 中興二十一世貫主のようです。(間違っていたらごめんなさい) ご本尊は阿弥陀如来でしょう。 本堂前に薬師瑠璃光如来……『お薬師さまは病ことごとく除き心身を安楽にしてくださる仏さまです。〈ご真言〉オン コロコロ センダリマトウギソワカ』 左手に持っておられるのは薬瓶でしょうか? 本堂前左に、案内板があったので行ってみると…… 大田区文化財・供養塔群……江戸時代に地元の小林村・安方村の村民が寄進造立したもので、古くから当寺境内にあったけど、環八通りの道路敷地となったために整備後に現地に移されたとのこと。境内が縮小されたということは、隣の安方神社も縮小されたのかしら? 中央部に三基の庚申供養塔と念仏供養塔、および廻国(かいこく)供養塔が置かれていました。 (左から①~④) ① 庚申供養塔 文化5年(1808年) ② 廻国供養塔 正徳4年(1714年) ③ 庚申供養塔 延宝8年(1680年) ④ 念仏供養塔 承応3年(1654年)『…特に念仏供養塔は、阿弥陀如来像を陰刻した念仏供養塔としては区内最古のもので、中世板碑の遺風を伝えるものである…』と大田区教委の説明がありました。 梅はまだこんな状態でしたね~ それでもかすかに春の薫りか? 矢口渡駅前歩道橋……先の信号を渡るか?迷ったけど脚力強化…… 環八羽田方向……左のクリーム色の壁が遍照院で、その先に安方神社… 田園調布方面……随分空いていました。ということで10ヶ所ほどの寺社を訪ねたこの日の散歩は終了です。悪い癖がついたものですが、留守番を中座して外出したこともあり矢口渡駅から電車で帰宅……家の電気点けないとなりませんものね~ さてさて、今日も天気が良いので散歩をしたいところですが、ちょいと用事があるので断念……たまには真面目にしなくちゃね~
2020.02.21
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未だに1月25日の散歩を引っ張っています。 環八の向こうの玉垣を目指します。大國屋……[だいこくや]ではなく[おおくにや]という和菓子屋のようです。栗大福本舗……大福よりも栗蒸し羊羹の方がいいな~ 15時半を過ぎたので、少々急いでいた私…… 安方神社……到着!!「慶長14年に安方村の検地が行われた」と、江戸時代後期の新編武蔵国風土記に書かれているようで、古い時代の村名が残っています。 参道左に手水舎……イロハモミジやドウダンツツジなど氏子さんたちの献木も目に付きました。地元の方々が支えている様子がうかがえます。 手水舎の奥に置かれていましたが、戦禍を逃れた手水舎でしょうか? この日や14日に歩いたこの辺りの寺社同様に、昭和20年4月の空襲によって焼失。復興再建の会により昭和36年に社殿を落成したそうですが、焼かれてしまった町の家々を立て直しながら、ほんとうにご苦労様でした。 その後、社殿劣化損傷が著しくなり改修。平成28年6月に社殿改修法祝祭と記念例大祭を行ったとのこと。枯れている姿は保っているので、部分的な改修だったのでしょう。 御祭神は応仁天皇 誉田別命…… 安方稲荷……境内社 この稲荷社の社殿は、平成28年の改修時に新築されたそうです。 安方神社社殿と稲荷社の現在の位置関係はこのようですが、以前は稲荷の場所は違ったそうです。 稲荷社前からみた境内……左端にあるのは藤棚かしら? 藤棚の下に力石らしきが置かれていました。 そうそう、後方の社務所に灰皿が置かれていたので一服しましたっけ……この写真を見て思い出しました。さっさと書かないからふとしたことは忘れているかもしれません。少し反省……《ちょっと独り言》 籠池前理事長に懲役5年の実刑判決がでた。補助金不正は悪いが、なぜ8億円余りの値引きがなされたのかは検証されない。決裁文書などの廃棄はおろか、安倍昭恵首相夫人の名などを削除する改ざんまで行われた経緯・理由は明らかにならない。近畿財務局職員の自殺という悲劇まで生んだ森友問題だが、手を染めた役人は辞職や省内処分で幕引き。「桜を見る会」も構図は同じ。年々膨らみ続け、首相後援会関係者や昭恵氏が推薦したであろう知人参加者が大勢含まれていた。保存期間を管理簿への記載義務がない1年未満に変更して短期間で廃棄。首相にとっては表に出てほしくない資料なのだろう。 昨年11月22日に参院予算委に提出された名簿から、推薦部局に関する記載が白塗りで消されていた。「黒塗りなら隠されていることがわかるが、あった文字を消されたら発見不能」誰の忖度か? 1月21日には、保存期間がとっくに過ぎた2011~2013年の関連文書が残っていたことを内閣府が明らかにした。一般的に考えて参加者名簿のデジタルデータが残っていないはずはないと考えるが、再調査委もログの提示も拒否する安倍政権。 首相答弁に大いに疑義がある事務所主催の前夜祭においては、ANAホテルから異なる回答が書面で提示されても「私が述べたことがすべて…」と、お決まりの説明でごまかし通す。私が神だ、とでも言っているように聞こえてならない。「言い間違え」だったと、人事院・松尾恵美子給与局長が昨日の衆院予算委で直近の答弁撤回を表明した。東京高検の黒川弘務検事長の定年延長を突然閣議決定したが、法務省の解釈が異なると責められ、「今般、国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」……なんて解釈変更を首相が口にしちゃったから仕方ない。集団的自衛権もそうだったが、都合のいいようにいとも簡単に解釈を変更する首相・政府。振り回される官僚も可哀そうだが、信念ってものは持ち合わせていないのか? 誰でも良いから真実を公にしてみたらいかがかしら……きっと晴れ晴れした気持ちになるよ。 全閣僚出席とした16日のコロナウイルス感染症対策本部だが、会合を欠席したのは小泉進次郎環境相だけではなかったと。萩生田光一文科相は地元消防団長の叙勲祝賀会で、森雅子法相は書道展の表彰式で地元にいたらしい。三人ともコロナそっちのけで地元の政務(私に言わせれば自分たちの選挙活動)を理由に欠席。「指摘は真摯に受け止め反省する」と述べたが、指摘される以前に自ら判断できないのだろうか。「政務官に代理をお願いし、手続きもきちんとやっている」と言うが、こんな理由の欠席届を受理する対策本部の本気度がうかがえる。 ちなみに、森法相は16日、[本日、第10回新型コロナウイルス対策会議が開催されました。]と自身のTwitter及びFacebookに投稿している。丁寧に首相官邸のHPに張り付いている写真まで載せて、さも「出席した」と言わんばかり。Facebookは加藤厚労相と安倍総理の2ショット写真、Twitterにはテーブルをはさんで各大臣が並ぶ写真……まぁ、秘書にやらせているんだろうけど、対策会議の内容や庶民が注意することを配信する方が先じゃないのかな~ なんて、また今日もブツブツ書いてしまったけど、日本の政治はおかしいことだらけ。有権者である私ら国民がしっかりしないから愚弄されているんだろう。
2020.02.20
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昨年の同日同様に、例年を考えると「まだ早いかな~」とは思ったけど、15日に訪問した大田区東嶺町・白山神社境内の奉納河津桜はチラホラ咲いていたし、「天気が良いから散歩行かれては…」と連れ合いの言葉に後押しされて、昨日ダメ元で林試の森公園を視察に…… 寒いとは感じなかったけど、冬枯れ景色の林試の森公園……北門から入って延々とこんな景色……「咲いてるかな~」と不安を抱えて歩くと…… ほぼ満開~ 来て良かった~ ベンチが新しくなっていましたが、残念ながら灰皿は撤去。従って休憩することなくパチパチと撮って早々に引き上げましたが、短時間でも目の保養ができました。 河津桜がある広場の中で、この木がいち早く咲いたのかもしれません。地面に花びらが散っていました。風が吹くと瞬く間に散ってしまいます。お時間のある方は早めに行かれたらいかがでしょう。 暖冬のせいなのか、[去年の3月2日]と同じようでしたから、今年は早いです。 2017年11月に見たお店……ウォーキングのおっちゃんオバチャンが見入っていました。早く渡らないと信号変わっちゃうよ~ ちなみにブリキの看板は増え続けています。右に置かれた赤いビールケースの上、丸い[鎌倉駅行(バス停か?)]と隣の黄色い[自転車らしき]、さらにそれらの左斜め上にオレンジ色の[たばこ]と左隣の縦長[サッポロラガービール取扱店]などは以前はありませんでした……どうでも良い事でしたね~ でもって、モーニングが早かったので遅咲きながらも昼食。久々にらーめん田丸でチャーシュー麺を味わってきました。シネマカフェや二葉のラーメンもいいけど、この一杯も大好きです。 最後に食べたのはいつだったか調べたら、面白い偶然。2017年11月17日……山手七福神を巡った日に前の写真[カウンター酒場下目]を発見し、帰りに田丸に寄ったようです。大圓寺は昨日ものぞきましたが、そっち方面を歩いたなら寄って当然でした。でも2年以上食べてなかったんだな~ と、我ながらビックリでした。 唐ヶ崎電波塔……この方角から撮ったことがなかったのでパチリ……歩きにくいからいつもこの道は敬遠する私でした。 新型コロナウイルス対策で、不要不急の集まりを控えろと呼びかける国……どんなことが不要不急かを問われて、「新年会や送別会」と政府専門家会議座長が答弁したのに、対策本部の会合を欠席して新年会に出ていた小泉進次郎環境相。「欠席して何をしていたのか」を問われても「ご指摘があった通り」を繰り返し、認めはしても「新年会」の言葉は封印。「危機管理は万全」も連発したが、議員・大臣としての危機管理能力がなさすぎる。 まぁ、感染症対策本部に医療知識のない者が参加した所で役には立たないのだが、一般国民同様に素人目線での監視も必要だろう。厚労省の電話相談窓口を設けたようだがお粗末な対応らしい。37.5度以上の発熱など風邪の症状があったら、学校や会社を休んで外出を控えろ。でもって4日続いたら相談しなさいなんて伝えられるが、38度以上の熱を4日も我慢していられない。不要不急を控えても食料も買いに外出しなくちゃならないのに、マスクもない消毒液もない。モーニングに行っても「病院に行かなくちゃならないんだけどマスク売ってないのよ~」の声が毎日聞こえる。新年会なんかに参加してる場合かよ~ ったく……またブツブツ書いてしまった。いつまで嘘をつきとおす気なのか? 安倍首相も気になるが、今日はこのへんで止めておきましょう。
2020.02.19
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桜を見る会前日の夕食会……ANAインターコンチネンタル東京が、これまでの安倍首相の答弁を真っ向からひっくり返す見解を書面で示した。 ① 見積書や明細書を主催者に発行しなかった事例は「ない」 ② 宛名を空欄のまま領収書を発行することは「ない」 ③ ホテル主催の宴席を除いて、代金は主催者からまとめてお支払い頂く。 2013年以降に同ホテルで行われたパーティー・宴席においては、主催者が誰であろうと同一の規定を守ってきた証。総理大臣だろうが、我々一般人だろうが、差別なく最善のサービスを提供することは一流ホテルとして当然のことだろうし、ましてや①~③などは曲げる理由はない。 ホテルへの確認を求められた安倍首相は、午後になって「(ホテルは)あくまで一般論で答えた。個別の案件については営業の秘密に関わるため、(辻本氏への)回答には含まれていない」と事務所が口頭で確認したと答弁。 野党側は、食い違い解消のためにホテルから書面で回答を取り寄せるよう求めたが、首相は拒否。 昨夜朝日新聞の取材にANAホテル広報担当が回答したメールは、『「一般論として答えた」と説明しましたが、例外があったとはお答えしておりません。』自分だけ例外論を維持したい首相にはとても苦しい。さらに『「個別の案件については営業の秘密にかかわるため、回答に含まれない」と申し上げた事実はございません。』と、これまた首相答弁を否定。 政治資金規正法違反に問われかねないから有耶無耶にしてしまいたいのだろうが、「説明責任」は口だけなのか? 白なら白と、さっさと物証を示して終わりにしてよ。多くの国民が不信感を持っている。森加計や日報、その他さまざまなことで信頼できなくなっている政府・官僚。辺野古沿岸部の埋め立て予定海域の一部に、約70mより深い海底の地盤が軟弱である可能性を示すデータがあったり、都合の悪いことは隠そうとする隠ぺい体質からなぜ脱却できないのか。 公明正大に運営されるべき予算委員会だが、昨日もひどかった。棚橋秦文委員長の差配も原因の一つだろう。どうみても中立でなく政権よりの運営としか思えない。「静粛に願います」と繰り返し叫ぶが、一番やかましいかもしれない。13日の理事会で、与野党筆頭理事から「適正に委員会を運営するよう」求められた棚橋氏……「厳粛に受け止め、厳正公平な運営を心掛ける」と応じたのだから、きちんと指揮してくださいね。 ちなみに、辻本氏はニューオータニには同じ質問書を送らなかったのかしら? 送っても「営業上の秘密」と言われるだろうと推察して止めたのか? はたまた、送ったけど無回答だったのか? つまらないことが気になる私でありました。 補助26号線……ずいぶん繋がって工事も行われています。部分的に通行できない一般道もあったりで、誘導員の方々が立っておいでですが、高齢の男性にまざって若い女性もけっこう見かけます。「ごくろうさま」と声をかけて通過しますが、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と若い女性から返事があると嬉しいものです。こんなことを書くと連れ合いに何と言われるか? それも楽しみ…… ちびシクラメン……元気です。 今日の空 (11:07) さてさて、今日は何をしようかしら? 林試の森の河津桜でも見て来ようかしら?
2020.02.18
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1月25日のブラブラ…… 武蔵新田から大田区新蒲田……気付けば蒲田駅近くまで来ちゃいました。 金剛院・真言宗智山派……しめしめ…きれいに刻まれていました。 ストレートではない、くの字の参道も味わいがあります。山門からまっすぐに本堂が望める景色も良いものですが、少しのおあずけも悪くはありません。 いくつのお寺を訪れたことか? 訪れるたびに、いずこの風情も清々しく感じる私です。訪問したすべての寺院の名こそ記憶してはいませんが、風と景色だけは覚えています。ぼんやりとはしていますが…… 本堂……玉川八十八ヶ所霊場 第六五番札所、そして東海観音三十三ヶ所霊場 第十二番霊場でした。 本堂扁額……円日山金剛院 黒も趣があります……大日如来坐像は区の文化財 本堂左わきに沢山の石仏が……寛永・宝暦・安永・天明……の時代と童女・童子の文字が読めます。幼くして亡くなった子供たちの供養塔でしょう。 境内左側に祠……後方は墓地…… ご尊顔がかすれています…… 新しそうな六地蔵……「なんで?」と思うように、六地蔵の右に草木に隠れて石仏……だいじにしてあげてくださいね~ 逆くの字……手を合わせわずかなお賽銭だけの私ですが、何処へ訪問しても気ままな散策を許して下さる寺社は不思議な場所です。来る者を拒ばないありがたい場所です。 門の向こうは環八…… 五三の桐……菊の紋についで使用規定が厳しかったようですが、今は一般的に使えるみたいです。 東急多摩川線……金蔵院の後は蒲田駅から電車に乗りたかったけど、もうひと頑張りと思い矢口渡駅方面に… 電車来ないな~ って思ったら…… 来ました多摩川線…… でもって、踏切手前の左側……車庫の隣だし個人のかと思いましたが…… 道路側にフェンスの切れ目……石を並べた参道があります。 お稲荷さん……鳥居やお狐様は改修されたのでしょう。次は祠か? 地元の方々が守っていらっしゃるのでしょうが、ごくろうさまです。 後ろ姿にサヨナラして次の寺社に進みましたが、続きはまた今度……《おまけ》 満開を過ぎた紅梅 ハラハラと舞い散っていました。桜同様に梅の散り際もきれいだったんですね~
2020.02.17
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去年は少し早かったので満足ではなかった池上梅園……混んでいるだろうし新型コロナに感染しては困ると、本命ではなく、大田区鵜の木・久が原あたりの寺社をブラブラ…… それでも最後に寄ってしまいました。予想通り人人人……見晴台に行く石段も蟻のような行列だから、自分のペースを保てない私には窮屈この上ない苦痛なので無視。 本当はタダで入園できるけど、「免許書忘れたので…」と100円を受付に置きました。「いいですよ~。次回はお持ちください。」と言ってくれましたが、トイレ使用料だと思い支払ってきました。 去年は65歳未満だった私の顔を見て「いいんですよ~」と言われたのを覚えているものね。もちろんちゃんと払った。維持管理費もかかるでしょう。入園者も高齢者が多いし無料が増えたらお困りだろう。100円なら私にも払えますからと協力した次第です。 他人のことは言えないけど、あんなにも写真好きが多いとは……人を入れずに写すのは至難の業でした。 早咲き遅咲きが入り乱れているので一概には言えないけど、8~9分咲きというところでしょうか? 傷み始めている花もあるし難しい…… しかし年寄りは良いカメラ持ってるんだよね~ 重いのによく持ち歩けるものだと感心します。 人込みを早く脱出しなければと思った時に閃いた……あそこなら空いているかもしれないと…… 一番近い茶室の裏の裏……満開というより、少し枯れかけている花も……でも去年の座輪梅よりはるかにきれいでした。覚えていた自分をほめてあげよう。 このまわりも人だかりでした。 こんな具合……次から次へとやってきました。一方通行の狭い庭だから出入り口は渋滞。 青空がなかったのが心残り……でもって、この枝垂れ梅を見て去年訪問した近隣のお寺を思い出しました。 こんなところで近距離撮影してもつまらないけど、1枚だけ他人の真似をして梅園を退散しました。 長崇山大坊本行寺……とりあえずお賽銭を入れてごあいさつ。梅を見にお寄りしたわけではありません。 不謹慎ですが、これがあるのを覚えている私……座って一服させていただき体力回復……ありがたやありがたや… 南之院…… 本堂はリフォーム中…… ありました……きれいに咲いた枝垂れ梅 ※ 去年の南之院・慧光山嚴定院・妙祐山理境院 慧光山嚴定院……池上七福神・弁財天のお寺。紅白がきれいです。 車坂下を通過…… 妙祐山理境院……池上三院家の一つ 作業中の庭ですた、若い女性が一人ウロウロ梅の写真を撮っていました。梅園ではなく寺院の梅は味わいがあることをご存じなのでしょう。一人じゃコピット寂しいかもしれないけど…… 池上本門寺への石段=此経難持坂……けっこうきついんだよな~ 右の女坂が楽だそうだけど、昨日は本門寺さんへはここでお辞儀をして失礼しました。 本妙院……本門寺総門から呑川霊山橋の間には左右にお寺がならびますが、総門に一番近いです。 中道院……本妙院とは反対に、霊山橋の脇。 ちなみに、このあたりの寺社はいつ頃の訪問だったかと思ったら2018年10月……それでも梅の木があったお寺が思い浮かぶということはボケてないのかな? 藤乃屋……久寿餅を求めるお客さんが行列。もしかして店内飲食を待っているのかも? ちなみに私の背後は御三家の一軒・池田屋が……みなさんお好きなんですね。 葛餅と思っていたのに久寿餅……葛粉を使うと葛餅で、小麦粉からグルテンを分離して発行させたのが久寿餅なんだって~ 知らなかった~ お土産に買おうかと思ったけど、これじゃ~無理だよね~ 堪忍ね~ 梅園のにぎわいをよそに、本門寺道りはガラガラ……幾度か歩いたけど、こんな状態は初めてでした。寂しか~ 最近の悪い癖で、帰りは池上から電車に乗ってしまった私……梅見物の人たちはどこから帰るのか? 地図を見たら、梅園からは都営浅草線西馬込なんて駅が近いみたい。都営浅草線なんて縁がないからよく知らないけど、何かの時には便利かもしれません。頭の片隅に入れておきましょう。 ということで、順番を無視して昨日の梅の開花状況を割り込みました。一日中 青空は顔を出しませんでしたが、今日の雨を思えば良しとしましょう。
2020.02.16
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1月25日……大田区矢口から多摩川を経由して新蒲田をブラブラ… 道塚神社の隣…… 大楽寺山門……表題を[蒲田不動尊 大楽寺]としたのは、同寺のHPにならってです。蒲田不動尊が境内に建立されたのは平成6年と新しいですが、人気があるのか? 不動尊が先頭にきていました。 山門扁額……境内から出土している石碑などから寛仁3年(1019年)の開基と伝えられる一方、写真で残る焼失した本尊が場所と大きさから近隣寺院の本尊(和銅3年・710年・五尺五寸)と同時期のものと考えられるため1300年の歴史が確実とも言えるそうです。とにかく古いですが、古の昔には[極楽寺]と呼ばれ七堂迦藍(しちどうがらん)の整った壮麗な道場だったと……迦藍(がらん)としているんじゃありません。 ※ 七堂迦藍=寺に必要な七つの建物……塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂 玉川八十八ヶ所霊場 第六十七番札所……真言宗智山派でした。 東海観音三十三ヶ所霊場 第十二番札所……でもあるそうです。東海観音霊場は、以前品川区でお見掛けしたような? ちなみに、この後訪問した金剛院は十一番でした。 戦国時代には、小田原北条氏の軍勢が闇夜に新田氏を追って寺に火を放った。江戸時代には、徳川二代将軍秀忠が三代将軍家光のために経文一巻と朱印を奉納したと。その時に使用を認められた葵の紋が境内随所に見られましたが、写真に写っていませんでした。職人さんが入っておられたから、ウロウロは遠慮した私でした。そうでもなかったかしら? 昭和20年の大空襲で本堂、書院、山門等々すっかり焼失。昭和30年に木造本堂が建立され、現本堂が再建されたのは昭和48年だそうです。失うのは一瞬…… ご本尊は阿弥陀三尊。東海観音霊場とあるのは千手観音でしょうか? 本堂扁額……金剛法山 大楽寺 本堂から見た境内……正面の山門と鐘楼の後ろが道塚小学校で、右に蒲田不動尊。 南無大師遍照金剛……またお会いしました。 本堂右奥……石塔石仏が並んでいました。一番奥から[いぼ地蔵]・[庚申塔]・[六地蔵幢]……そして慰霊塔… 六地蔵尊…… 左の石碑に[銭洗い弁財天]の文字……五円玉を洗わせていただきました。 中央の祠には[琵琶弁天]と[八臂弁財天]と書かれた木札が…… なるほど、琵琶を抱えておいで……六臂じゃなくて確かに八臂…… 昔、ドラムを叩いたことがありますが、両の手足を別々に動かすのはとんでもなく難しかった。慣れればなんともないよ~ と知人は涼しい顔でしたが、両手しか使わないピアノですらうまく弾けないのが普通の人間。腕が八本あっても困っちゃうことでしょう。 延命子育地蔵堂…… 地蔵堂扁額…… 子育て地蔵様……優しいご尊顔…… 子育て……しかし見事に彫れるものです。 手水舎…… 無縁大塔 弘法大師1150年遠忌記念 昭和56年11月29日…… 法界萬霊塔……[延命寺]でも見ましたっけ… 蒲田不動尊 不動堂……平成6年建立と、新しいながらも人気があるそうです。 扁額…… 蒲田不動尊と成田山新勝寺および高幡不動より勧請されたお不動様……2.7mの坐像です。ガラス格子からお賽銭を入れたら、迫力のある声でなにやら法話らしきが聞こえてきました。「やろうと思ったことは早くやるんだよ~…」みたいな……ビックリしたので少々聞き逃しました。 不動堂階段下にありました……なんだか分かりませんが、とりあえずパチリ… 手入れの行き届いた境内でした。鐘楼は昭和63年みたいです。 楼門というのが正しいのかしら? こちらも昭和63年みたいですが、空襲からの再興には時間がかかりましたね。二度と起きませんように…… 昨日は簡単だったので「これでお終いなの?」「具合が悪いの?」と連れ合いに言われてしまいました。今日とて簡単ですが、昨日より写真がコピット多いから堪忍ね~ さてさて、散歩行ってこようかしら?
2020.02.15
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1月25日… [原児童公園]……東福寺と多摩川諏訪神社を出て東に向かうとあります。この写真の右方向2ブロック程先には[多摩川2丁目児童公園](一昨日の日記掲載)がありました。どちらも現住所は多摩川2丁目なので別の名前にしたのでしょうが、[原]という昔の地名を残したのは素晴らしいです。ちなみに、[原]は住人原氏の名字を残したと云われているようです。 子どもが飛び出さないようにガードレールを設置するあたり、大田区はしっかりしています。 こんな道を歩いて……住所が大田区新蒲田になりました。 み~つけ!!! 行かれないことはありませんが、きちんと表参道入り口を目指すことに…… ありました…… 道塚神社参道入り口……東に向かっています。 住宅に挟まれた参道…… 燈籠も社殿前の狛犬も新しい……昭和20年の空襲で損壊したようだが、再建には長い時が必要だったでしょう。 手水舎と向こうに記念碑…… 道塚神社建設記念碑……『道塚神社は祖先が日月両宮を建立したのが起源である。天保2年(1831年)天祖神社と改め。天照大神をまつることになって、大正3年当時道塚にあった油山稲荷大明神・神明宮・熊野大権現・茅場稲荷大明神を合祀し、名を道塚神社と改めた……』と碑に刻まれていました。[道塚]も地名だったのでしょう。 両脇に置かれている狛犬は明治29年(1896年)だそうですが、明治も遠く遠くなりました。右の狛犬が抱いている子どもの頭が破損していて残念です。 道塚神社社殿……祭神は天照皇大神 社殿扁額…… 社殿右から…… 社殿左には、塀越しにお隣の[大楽寺]本堂が見えます。別当寺だったのでしょうね…… 社殿前から……正面は道塚小学校…… ということで、このあとお隣・大楽寺にお寄りしましたが続きは次回です。《おまけ》 今朝、モーニングの帰りに撮りました。実物の方がはるかに美しかった~ 今日も簡単にお終い……
2020.02.14
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なんとなく今朝はグズグズしてしまったので、こんなのでお茶を濁す私…… 昨日歯医者に行くため、自由が丘の階段をおりたらホームに発車間際の電車が停まっていた。なにも考えずに飛び乗ったのだが、動き出してビックリ!!! ヘッドレスト付きのこんな座席……「電車間違えたか? いやいや特急とかが出来ていたら大岡山は止まらない?」なんて一瞬オロオロ。ひょっとすると向かい合わせに回転するかもしれないこの座席、座り心地も良かった。下りた時に確認したら、1車両だけ色違いだった大井町線。東横線もこんな車両があるのかしら? 歯医者の予約時刻まで暇だったから遊んでみました。こんなブランコの椅子は初めて見たけど、安全なのかしら? ちょっと怖いけど。チェーン触ったから、歯医者で手を洗っておきました。 駅傍高架下のお店が3月で撤退らしい。[肉の丸徳][鮮魚北浜][京樽][山六ひもの][焼鳥日本一]などなどみなさん便利に買い物をされていたのに…… 便利だからか?京樽のちらしをよく食べていたお袋も困るだろう。日本一ではチビッ子たちが親におねだりする姿を幾度も見た。メロンパンファクトリーは早々に撤退したけど、その他店舗は頑張ってきたのに残念でしょう。東急ストアー別館にでもするのかしら? 高給食パン 令和館が変わる。[瀬都]なる店名だが「高給食パン」の冠は一緒。外壁にある照明付きの立派な店名を隠すように、今朝はこんな姿になっていた。足には重りの石が付いているけど、春一番が吹いたら危ないかもしれない。15日開店だって~ アドバンカラーのシビックに、今度はウイングが付きました。本当にお好きなんですね~ 今朝は、久しぶりに暇を売る店でコーヒーを飲んできた。入ると二人の若い女性客がおいでだった。「最近 若い方が増えました~」とママさんが言っていた。外の看板を携帯で写す女性は以前から多かったが、SNSとやらで拡散しているのだろう。「またお寄り下さいね~」と、ママさんに送り出された今朝の女性たちもパチリ……インスタ映えするのが撮れたかしら? 国会中継を見て呆れている私……ブツブツ書こうと思ったけどやめておきます。心穏やかに今日を過ごしましょう。
2020.02.13
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1月25日……多摩川七福神を制覇して、スッキリした気分でブラブラ… 私ごとながら「池上七福神を制覇したのはいつだっけ?」と確認したら、去年の2月10日でした。1年前も近い所を歩いていた私です。 第二京浜をくぐって大田区矢口から東に……多摩川2丁目あたり…… NSX……いいな~ 多摩川二丁目児童公園……ほんとうに公園が多いです。こちらでは遊んでいる子どもたちがいました。土曜の昼下がり……今日はこれから歯医者に行くので、無駄な唄など載せません。 公園から2ブロック程進むと…… 横並び……どちらにしようかな? 東福寺から、お先に失礼…… 諏訪山 東福寺……真言宗智山派……明らかにお隣 諏訪神社の元別当寺でしょう。 玉川八十八ヶ所霊場 第六十六番札所……選んできたつもりはまったくないんだけど……ありがたや。 失礼してお隣へ行くことに…… 多摩川諏訪神社参道入り口……他社と区別のため、あえて多摩川を付けました。 多摩川二丁目地区(旧原地区)の鎮守様…… 鳥居をくぐってすぐ右に境内社…… 右は[稲荷社]…… 左は[御嶽神社]・[氷川神社]・[天祖神社]の合殿 木札……なんとか判読できました。たぶん、きっと…… 南に向かって建つ社殿と参道……新しそうな狛犬の後方に、古くて小さい狛犬……ダブルでお迎え… もとは村内に諏訪神社二座があって、上社、下社として村人の尊崇を集めていたけど、明治13年(1880年)2月、上社下社を合祀したと……こちらの狛犬は合祀前からここにあったものでしょう。 手水舎と左は御神木…… 現在の社殿は平成14年(2002年)8月に竣功されたもの……と兼務社の徳持神社HPにありました。 社殿扁額…… 御祭神は[建御名方命(たけみなかたのみこと)]・[八坂刀売命(やさかとめのみこと)]……創建は承和(じょうわ)年間(834~848年)と伝えられ、信濃諏訪大社のご分霊をお祀り……超古いな~ 年を重ねるごとに重厚さが増すことでしょう。 境内北側にも裏道への鳥居……二つ石碑がありましたが、読み切れませんでした。 今日もまたクルーズ船乗船者からコロナウイルス感染が見つかったようです。日々増え続けていますが、どうなっちゃうのかしら? 船にしろホテルにしろ、缶詰にされている皆さんの心中をお察しします。対応に見過ごされていることがないのか、米国で猛威を振るっているインフルエンザも含めて、拡散防止の観点からも厳重な見直しをしてください。コロナばかりに気を取られていると、えらいことになるような予感……ブルブル……考えただけで悪寒……お燗でアルコール消毒せなあかんな~ 電車に乗りたくないけど、歯医者に行ってきましょう。痛いの嫌だけどな~
2020.02.12
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1月25日……やってきました、最後の多摩川七福神…… 圓応寺からほど近く、区道主要第102号線なんて面倒な名前の多摩川に沿って走る道の交差点……向こうには多摩川大橋が見えました。 交差点内だから撮るのに一苦労……古市児童遊園が併設……この辺りは昔、古市だったのでしょう。古い地名が失われていくことは寂しいです。歴史的な価値があるんだけどな~ 東八幡神社……村の鎮守の神様!! 「東」と、あえて付けたからには村内に別の八幡神社(宮)があったのかしら?『江戸期には湯坂八幡神社と呼ばれていました。もとは村内に西八幡神社(領家八幡軍宮)がありましたが、明治44年(1911年)当社に合祀して東八幡神社と称するようになりました。(徳持神社HP)』 あぁ~すっきりした~ [矢口の渡し跡]……川にあるかと思ったら鳥居の脇にありました。『「矢口の渡し」の位置は、多摩川の流れの変化に従って変わりました。昭和24年(1949年)に多摩川大橋が完成するまで、この付近が区内で最後の渡船場として利用されていました。』と大田区HPにありましたが、江戸時代から現在までに流れは相当変わったことでしょう。 東八幡神社復興記念碑……創建は建長2年(1250年)と伝えられているようですが、明治35年(1902年)に修築された旧社殿が空襲で焼失。現在の社殿は昭和47年(1971年)2月に竣功されたものとのこと。 左のポールの土台には[昭和十年四月古市町……]の文字……やっぱりかつては古市だった。いつから大田区矢口に吸収されたのか? ちなみに圓応寺・庚申供養塔の説明書きには[古市場村]の表記があった。[町]に変わる際、[場]が外されたんでしょう。 参道右手に手水舎……奥が公園……土曜の昼下がりだというのに、誰も遊んでいない。 雨 歌:三善英史 詩:千家和也 曲:浜圭介『雨にぬれながら たたずむ人がいる 傘の花が咲く 土曜の昼下がり 約束した時間だけが 体をすりぬける 道行く人は誰一人も 見向きもしない 恋はいつの日も 捧げるものだから じっと耐えるのが つとめと信じてる…』 昭和47年(1972年) 三善英史のデビュー曲……レコード大賞[新人賞]受賞 ちなみに同年のレコード大賞は[喝采(ちあきなおみ)] 最優秀歌唱賞[あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子)] 最優秀新人賞[芽ばえ(麻丘めぐみ)] 歌唱賞は[瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)]・[夜汽車の女(五木ひろし)]・[許されない愛(沢田研二)] ……なつかしい昭和の時代でした。五木ひろしの夜汽車の女はまったく記憶にありませんが、シングルB面のタイトルは[ある秋の昼下がり]だって。 大田区池上にある徳持神社の兼務社……前回訪問の[十寄神社]も、この後お邪魔した[諏訪神社(多摩川2丁目)]も兼務社でした。 徳持神社の昔の地名は荏原郡池上村大字徳持……だからなのね~ 神輿蔵も綺麗…… 狛犬……後ろの灯籠と比べると、いかにも古そう。 空襲の猛火に耐え抜いたのでしょう。 社殿…… 社殿扁額…… 御祭神は誉田別命……源氏の氏神であり、武士の守り神。 多摩川七福神・弁財天……七福神の中で唯一女性の神様。元はインドの水神で琵琶を持つ姿が美しいんだけど、すみっこに角度を付けて置かれていたのでお姿は撮れませんでした。ガラスに反射しちゃうし、真っすぐ向けておいてちょうだいな~『弁財天……日本では[才]の字が[財]と同じ音をすることから「財運」「商売繁盛」の神としても信仰されている(多摩川七福神実行委員会)』とのことでした。 鮮やかな朱色……幾度も塗り直しているのでしょう。 社殿・参道・鳥居は南向き……鳥居の先が多摩川です。神社は石段を上がって行くのが普通だと思っていますが、こちらは道路から数段ですが下がっていました。 土手に上がって振り返りました。昨年の水害の影響はなかったのかしら? Googleマップに示された[矢口の渡し跡]に行ってみたかったのですが、河川敷には下りられませんでした。大変な爪痕ですが、いつになったら復興されることやら……天気が良かったら右端に富士山が見えるのにな~ これで多摩川七福神は制覇しましたが、飽きずに東方面をブラブラした私……でも続きはまた今度です。 ≪余談≫ 日祝の喫茶店はとても混むので、今朝は早く行きました。既に半分程の席は埋まっていたのですが、なんとか新聞は広げて読めたので満足。昨日は休刊日だったからつまらなかった…… そんなことはどうでも良いのだけど、「これから仕事でロシアに行くの…」と来店した常連さんらしき女性の声が聞こえた。間髪入れず「どこへ行くんだって?」と、私の隣の席のオバチャンが対面のオッチャンに尋ねた。ロシアが聞き取れなかったのか返事をしないオッチャンに、「フィリピン?」と問い重ねるオバチャン。「ロシアがフィリピンと聞こえるなんて、すごい耳してるな~」と感心する私を尻目に、「どこへ行くの~」とオバチャンが直接女性に尋ねた。勿論返ってきた答えは「ロシア」なのだが、次の瞬間天地がひっくり返った私……オバチャンがオッチャンに言った言葉……「ロシアってフィリピンでしょう?」……コーヒーを口に含んでなくて良かった~ 地理にはウトイ私でもその間違えはしないよ~ でも久しぶりに心は爆笑させてもらった……おーきに!
2020.02.11
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1月25日のブラブラ…… でかいマンション……矢口新田神社から十寄神社の道沿いを南下したあたりにありました。施主施行は東急みたいですが、なんと総戸数461戸だって。凄い! 古市中央児童公園……13時45分……ここからまだ2時間以上フラフラしましたっけ。結構 根性ありました。 多摩川は近い…… 昭和の匂い……大和屋酒店の脇道に寺と小さな祠が見えたので入ってみたけど…… これは大和屋さんのみたい……後ろはお寺なんだけど…… さらに進んでみたら、本堂らしきはあるけど山門がない。入れないことはなさそうだけど、いくら私でもこの裏口からは断念。お墓参りに来られる方は、車をおいてこちらから行かれるみたいです。ちなみに、大きめのうろこ雲……きれいだった~ 引き返して酒屋の反対側……最初からこっちに来ればよかった~ 後悔は先に立たない。 圓応寺山門…… まずは本堂に御挨拶…… 幡曜山 恵門院 圓応寺……真言宗智山派・玉川八十八ヶ所霊場第六十三番札所 こちらの歴史はよく存じませんが、ご本尊は大日如来でしょう。 多摩川が見えます。走っているのは大田区道主要第102号線というそうです。向こう岸まで多摩川大橋が架かっています。 南無大師遍照金剛……今年はたくさんお目にかかっています。 奥は息災延命六私蔵……右は庚申供養塔です。『総高138センチ。 寛文12年(1672年)に、古市場村の人々が建てたものである。 区内に現存する庚申供養塔の中で、青面金剛の像を彫った庚申供養塔としては最古のものである。 板碑型の石碑に、青面金剛立像を中心に、日月や鶏、三猿が刻まれ、江戸初期の典型的な様式である。 銘文は、寛文十二年を「寛文二六年壬子(みずのえね)と積算表示したり、また「六郷荘」という中世的な表記や「古市之跡泥沙…」と刻まれていることも注目されるが、風化のため判読不能の部分が多いのは残念である。 もとは矢口三丁目の旧道沿いに建てられていたが、後に現在地に移設された。(太田区教育委員会)』 中央は陸軍歩兵上等兵の碑と彫られています。両側も墓碑ですが、お三方とも同姓……日露戦争の犠牲になられたのでしょう。戦争反対!!! 胎蔵生 大日如来…… 宝篋印塔……新しそうです。 十三佛まいり……13の石仏が並んでいます。 (左から) [阿弥陀如来] [阿閦如来(あしゅくにょらい)] [金剛界 大日如来] [虚空蔵菩薩] (左から) [地蔵菩薩] [弥勒菩薩] [薬師如来] [観音菩薩] [勢至菩薩] (左から) [不動明王] [釈迦如来] [文殊菩薩] [普賢菩薩]……普賢菩薩は、知恵を受け持つ文殊菩薩といっしょに釈迦如来の脇侍として配されることが多い、とのこと。明王も守護神だから脇においででした。 本当はお線香を置いてお参りするのでしょうが、お賽銭だけでご容赦賜りました。小さい鐘楼もあったから、つけば良かったかもしれません。 本堂をふり返り、失礼した私でありました。 連れ合いは義母に付き添ってお寺に行きました。お疲れ様です。しかし、お寺の[水行]寒いだろうな~ 水浴びしてお風邪を召されませんように…… 留守番をしながらなにをしようかしら?
2020.02.10
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1月25日……見損なっていた多摩川七福神の残りなどを訪ねました。 矢口中稲荷神社を後にして、線路沿いを多摩川駅方面にちょっとバック…… 先頭車両がわずかに欠けました。スマホもワンテンポ遅れてカシャ!ってなるから仕方ありませんが、普段静止画ばかりなので慣れません。 右は環八…… 見えてきた!……ちなみにこの道に沿って行けば、1年前に訪問した[光明寺道標]のある変則交差点に出ることを今日の独り反省会で知りました。始終歩くエリアではありませんが、つながると嬉しいものです。 正面のスリムな鉄塔は[NTT矢口ビル]に立っているようです。下丸子駅のそばなのに矢口ビルなんてピンときませんが、一階はデニーズみたいです。光明寺を訪問した日の写真にも写っていました。 頓兵衛地蔵尊……左の立派な木は椋(むく)だそうです。 塀も垣根もありませんが、よく悪戯されないものです。 こちらが頓兵衛地蔵様かしら?『正式名を地蔵菩薩立像という。正平13年(1358年)新田義興(よしおき)の謀殺に加担した船頭の頓兵衛が、その罪を悔い一体の地蔵を作った。それが俗称「頓兵衛地蔵」である。この話は浄瑠璃「神霊矢口渡(平賀源内作)」に登場する。また、義興の恨みで地蔵の顔は溶けてしまい別名「とろけ地蔵」とも言われている。だが実際は崩れやすい砂岩で出来ているためらしい。(新田神社HP)』なるほど、崩れやすいみたい…… 多摩川七福神・布袋尊……『中国唐の時代に実在した僧侶の化身。また、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身ともいわれ、聖人として神格化された。大きな布の袋を携え、福々しい顔と太ったお腹という風貌から「幸福」の象徴とされ「開運」「良縁」「家庭円満」の神として慕われている。(新田神社HP)』 しかし、弥勒菩薩の化身とは、ずいぶんな変身ぶりです。 史跡 矢口渡頓兵衛地蔵尊堂……新田義興は寝返った旧臣らによって矢口の渡しで舟を沈められて最期を遂げた。だから[矢口]と付いているのだな~ 良いカメラを持った方々が来られました。たぶん七福神めぐりでしょう……東八幡神社を出た時にもやってこられましたから… スタンプ2つだけ押してきました。 左・こちらの布袋尊 右・矢口中稲荷神社の福禄寿 次の場所に移動する際に見かけました。本当に「酒 量り売り」してるのかしら? 前回は気付きませんでした。 新田神社の前を通ったら、前回あったガラス扉が開けられフルオープンだったから撮り直し…… 神輿は氷川神社の祭礼にも使われるもの……こちらは新田神社の社紋『一つ引き両』みたいです。氷川神社の『左三つ巴』は写せませんでした。 ラッキーでした。 南下して多摩堤通りと十寄神社直前…… 祠発見!!…… またまたラッキー……偶然見つけると嬉しいです。 庚申塔(左)・阿弥陀如来尊(右) この後、残りの東八幡神社・弁財天方向を目指しましたが、今日はこれでお終い… さてさて、何をしようかしら?
2020.02.09
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子日、過而不改、是謂過矣 孔子「子の日(のたま)わく、過(あやま)ちて改めざる、是を過ちと謂(い)う」。人はよく過つ不完全な存在。人の評価はむしろ過ちと知った後の身の処し方で決まる。そこをこそ過つな、と。「過てば則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ」ともいわれ、さらに弟子の子夏が「小人の過つや、必ず文(かざ)る」と述べる。「文る」とは言い繕い粉飾して躱(かわ)そうとすること。『論語』(金谷治訳注)巻第八・衛霊公第十五から。 (朝日新聞・折々のことば1693・2020.1.9)「過ちと知った後の身の処し方……」人として生きていくうえで重要なことだが、今の日本のリーダーは持ち合わせていない様子。「募集」と「募る」とは意味が違うと解釈する方には論語を理解するのは難しいかも? 函館居酒屋ながまるさんの水槽に…… はるばる静岡から運ばれてきた鯵が放流されました。全員同じ方を向いて泳ぐのが魚の習性……どこかの政党政治家さんたちみたい… トラックの水槽で揺られてきたのに元気…… でもって、活き造りを頂戴しました。10分間は数秒おきに口をパク・パク……そのうち尻尾もピクピク……心臓だけで15分ほどは生きてました。可哀そうではありますが、強い生命力を享受してもらったということで勘弁してもらえるでしょう。 骨の揚げたの……カレイはあるけど、アジは初めてだったかも。内臓以外は完食だから鯵も喜んでいるでしょう。 頭は縦割りにして揚げてありました。だからサクサク食べやすいんだわね~ さすがプロの技であります。そうそう、エラの部分も外すそうです。ごちそうさまでした…… ほとんど陽の当たらない場所ですが、紅梅は咲きました。8~9分咲きかしら。 そのうちに池上梅園に行ってみましょう。14日から3月1日までは夜間のライトアップも見られるようです。今年は免許証持っていけばタダで入園できるものね~
2020.02.08
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1月25日の散歩……14日に歩いた辺りですが、多摩川七福神の撮り残し三か所が心残りだったのでそれらを含めてブラブラしました。留守番中の身でもあったので短時間勝負のため、武蔵新田駅まで電車……蒲田の手前から引き返して矢口渡駅そばの寺社も拝見してきました。 武蔵新田駅裏側……50メートルほど先は環八… 矢口中稲荷神社……多摩川七福神の幟が立っています。 朱色の鳥居は北東、社殿は南東に向いています。玉垣も年代を感じます。 社殿左側は東急多摩川線・武蔵新田駅蒲田方面ホーム……鉄道を敷く時に移動させなかったことは褒めてあげましょう。 囚われのお狐様……金網入りの狐はたまに見かけますが、逃げ出さないようにではないでしょう。触られて劣化することを防止しているものと思われます……たぶん、おそらく……あくまで私の推測です。 正一位……伏見稲荷の分社です。 近隣の方の御尽力でしょう……掃除も行き届いていました。日々ご苦労様です。 主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのかみ)……伏見稲荷大社祈祷之符と狐たち 多摩川七福神の福禄寿……財運招福(お顔は笑福)・立身出世だそうです。福禄寿は中国の神様で、寿老人と同一人物とも言われるようですが、日本では別人だって。「福(幸福)」「禄(高給)」「寿(寿命)」の3つの福徳を授けてくれると……『当稲荷神社は今から二百十年前頃、この地は矢口村田町という地名の農地でした。長く凶作の年が続き村民が京都伏見より正一位の大明神の御神体を戴き秋は大豊作になり、以降御神徳に帰依し現在に至っております。』と、簡単なスタンプ台紙に書かれていました。揚げをお供えする感謝の気持ちは引き継がれています。 前回訪問した先では目にしなかったスタンプが置いてありました。このあと寄った頓兵衛地蔵にもありましたが…… 多摩川七福神は、平成26年(2014年)に町会・自治会・商店街が中心となって「まちおこし」として設置したそうで、歴史は浅いです。 壁に貼ってありました。だから「多摩川七福神パワースポットめぐり」の出発点は新田神社を推奨しているのでしょう。 ちなみに七福神めぐりは、元旦から1月7日と毎月第一日曜日……新田神社にゴールしたら、自己申告で全部の七福神スタンプがもらえるようです。ズルする方はいないでしょうが…… 狭い境内ですが、スマホの広角レンズが役立ちます。ありがたやありがたや…… ということで、今日はこれでお終い…… ダイヤモンド・プリンセス乗船の患者さんが61人になったらしい。早く収束してくれることを願います。様々な事情でチャーター便に乗せてもらえない方々を初め、各国の方々のご健勝を願います。 北朝鮮にもチャーター便飛ばして、拉致被害者の方々を迎えに行ってくれたらいいのにとも思います。
2020.02.07
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1月14日……新田神社から一回りして、この日最後の訪問先… 長福寺参道入り口を東急多摩川線下丸子駅に向かうと…… 下丸子諏訪神社……(他所特別するため[下丸子]を付しました) 東に向いている鳥居と社殿ですが、なぜか大木が中央にあり、邪魔をしているようです。 玉垣にゴミのネットがかかっていたり、山門が集積所っていうのは少々悲しい……綺麗になっているから良いのですが…… 諏訪児童遊園の内……社殿と鳥居だけが取り残されたような神社『…玉垣・灯籠・狛犬などには上がらないでください…』と注意書きが貼ってありましたが、狛犬も灯籠もありません。いつから撤去されたのかしら? 由緒や創建年代は不明です。江戸時代にはあったのでしょうが、さすがに屋根は改修されています。子どもだったら、外壁にボールを投げて1人キャッチボールをしたいところですが、ダメですよ~ 横切るのは「平間街道」……ここも五差路でしたね~ 五差路から偶然右を見たらあったので行ってみることに…… 発見!!…… 名もなき地蔵尊…… 道標が赤いおべべで半分隠れちゃってます。14日だったのに、まだ鏡餅が供えられています。二十日正月って、20日に鏡開きを行っていた昔の名残があるのかしら?『平間街道と地蔵尊 江戸時代初期下丸子は、武蔵国橘樹(たちばな)郡に属していた。元禄15年(1702)からは、武州荏原郡六郷領下丸子村に変わっていて、この頃の下丸子村は天領(幕府領)で、家数64軒、人口346人、馬数16頭ほどの小村だった。(参考資料・大田区史・平川家文書・大田の史話) 現在の川崎市上丸子や中丸子と一体の村だったが、多摩川の流れが中丸子と下丸子を分断するように変わって、中世の多摩川の流れの跡と近世の流れの間の中州の部分が下丸子になった。 平間街道は中世の鎌倉街道で品川~池上~下丸子を最後に村落の中を通り抜け平間の渡し(現在のガス橋付近)を経て、鎌倉に至る古道であり、この道路の角地に[道標]があり、その正面には、『是より いけ上江戸 寛政十年(1789)午年 下丸子村』と刻んである。 ★道標は現在、地蔵尊の台座として使用している。 この地蔵尊には特に正式名称はなく、かつては昭和三十年初め頃まで地蔵尊の前にゴザを敷き、大人や子供が輪になって「南無阿弥陀仏」(百万遍の念仏)と繰り返し唱え大数珠を廻す「念仏講」が行われていたが、交通事情の影響でこの行事は廃止となった。地蔵尊管理者(鈴木)』 守り続けている鈴木さん…ご立派です。 お隣の灯籠も地蔵堂を引き立てていました。目指しもせず、歩いていて偶然巡り合えてうれしかった私です。 ≪ちょっとブツブツ…≫『保護男性 置き去り 愛知県職員 上司の指示で』(朝日新聞朝刊) スーパーでキャッシュカードを持たずにATMを操作していたところを愛知県警津島署に保護された身元不明の70代男性……津島署から愛知県海部福祉相談センターに引き継がれたのだが、こんなひどいことが平然と行われているとは…… 福祉相談センターの50代男性と20代の女性職員は「簡易宿泊所」などの受け入れ先を探したが見つからなかったので上司に相談。上司の指示は「男性を消防の管轄が変わる場所まで連れて行き、名乗らずに119番通報して消防に保護させろ」……センターの職員は、1月17日深夜、話も筆談もできなかった男性を名古屋市中村区の公園まで連れて行き、18日未明に偽名で119番通報。市消防局が保護して県警中村署に引き継いだという。 助けが必要な人間を公務員が平然と遺棄するなんて考えられないことが起こっていた。1月18日の東京は雨と小雪……名古屋は寒かっただろうに公園に放り出されて死んじゃうとは考えなかったのか? それ以前に、管轄外に置き去りにしようなんて考える職員やそんな指示に従ってしまう職員がいるなんて信じられない時代。 児相も問題になっているが、国も地方も行政がおかしい。残念ながら、人を第一に考えられない空気が漂っているようだ。
2020.02.06
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1月14日……下丸子六所神社から裏のお寺探し…… INABA CLOST96……だって。なにをあずけるのかしら? クローゼットって言うから衣類なんでしょうか? サラリーマン晩年に買って捨てられないスーツが邪魔だから、近くにあって安かったら借りるんだけどな~ この辺なんだけどな~ とウロウロ…… また遠回りしちゃいましたがありました。背の高い松……松がお好きみたいです。 長福寺参道入り口……真言宗智山派… 山門前…… 山門から境内…… 参道入り口から奥に細長い境内…… 庫裏の手前に石仏…… 右は観音様かしら?… そうとう古そうですが、花が似合います。 参道にそってきっちり庭造りがされていました。 何か書かれているのでパチリ…… 二文字目が私には読めません。連れ合いが教えてくれるでしょう。 本堂……長明山長福寺・本尊は観世音菩薩らしい。 玉川八十八ヶ所霊場 第六十番札所……この日は[花光院・62番][蓮光院・59番]と三つの札所を訪ねることができました。池上本門寺に近づくと日蓮宗のお寺ばかりになりますから、この辺りは真言宗を含めて他宗派が多いのでしょう。 本堂から山門……幾何学的という言葉は当てはまらないかもしれませんが、この参道 好きです。限られた敷地を活かした結果なんでしょうが…… さてさて、今日は歯医者に行くので簡単に……痛いのいやだな~
2020.02.05
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1月14日……新田神社を皮切りに今泉北向庚申塔を含めて8か所訪問した後にたどり着きました。結構へばっていたかもしれません。 下丸子六所神社入り口……武家屋敷門を山門としている蓮光院の西隣…… 参道から振り返ると左が蓮光院……右の石には[花崗石鳥居建設碑]と彫られていますが、表には[村社六所神社]と記されていました。 一之鳥居……この鳥居が花崗石(別名御影石)なのかしら? 花崗岩を上手に円筒形に削るのは大変でしょうに…… 二之鳥居と手水舎…… 手水舎の向こうに神楽殿…… 愛らしい龍であろう顔……また遊んでしまいました。新しくなったスマホはきれいに撮れるものの、スポットでピントを合わせるのは私には難しい。やっぱり一眼レフ欲しいかな~ 狛犬・燈籠そして社殿……『鎌倉時代、四條天皇の御宇(みよ)の文暦(ぶんりゃく)元年(1234年)に、荏原左衛門義宗が多摩川下流のこの下丸子の地に、六柱の神々を奉斎したのが当社の創祀(そうし)であると伝えられている。(六所神社境内由緒書き)』 [奉斎]=神をまつることだから、それが始まりと分かりますが、難しい言葉で書かんといて欲しいな~ 頭の回転が衰えているからストンと落ちない昨今の私です。 拝殿……嘉永5年(1852年)12月建築 (昭和13年6月に改築) 祭神……[大己貴命(おおなむちのみこと)][伊邪那岐命(いざなぎのみこと)][素戔嗚尊(すさのおのみこと)][大宮比売命(おおみやひめのみこと)][瓊々杵尊(ににぎのみこと)][布留大神(ふるのおおかみ)] 真東に向いている参道…… 社殿右側にも鳥居といくつかの社…… 祠が三つ鎮座しています。社殿左側にも二つの祠がありますが、一つを除いては稲荷神社らしいです。 奥にあるのは神輿蔵かしら? 社殿左から……本殿は昭和13年(1938年)の建築とのことで、拝殿の改修も同時に行ったようです。 戦没従軍紀念碑……どこでお目にかかっても手を合わせますが、戦争反対碑に思える私です。 社殿左側の二つの祠……赤いのだけが三峰神社らしい。いずれにしても五つの祠は、近隣から遷座(せんざ)されてきたと想像します。 最近、児童の遊具が置かれている神社にお目にかかりますが、こちらはスッキリしていました。 六所神社をあとにした、裏側にあるであろう二か所の寺社に向かいました。 続きはまた次回……
2020.02.04
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先日 荏原病院辺りを目指す折も、ルート選択肢の一つとして頭には浮かんでいた[洗足流れ]を一昨日(2月1日)歩いてみました。存在は以前から師匠のブログで知っていたのに初歩きの道です。 環七に架かる富士見台歩道橋……とりあえず洗足池を目指すのですが、先日は大岡山駅から池の西側を南下するコースだったので、一昨日は駅は避けて洗足池の真上に向かう、おそらく最短コースをチョイス。雷王模型店の傍だから、ここに歩道橋があることは熟知していました。 環七大森方面……歩道橋は嫌だけど、横断歩道は迂回が必要なので上りました。歩道橋の上り始めは目黒区ですが、見えている範囲は大田区。私は写真右の車が出てきた道を行きます。 東急目黒線が下を走っている道……大岡山駅は近いですが、私は次の信号を左。 北千束あたりの住宅街をてこてこ…… 下り坂ってことは、池は近い…… 洗足池北側、ど真ん中に無事到着…… 池の周りは何度も訪問しましたが、上の方に少年野球ができるグラウンドがあったとは知りませんでした。土曜日だったので熱心に練習してましたが、フェンスの低い所を通過するときはフライ球に直撃されないよう注意が必要です。 公園内は写真も撮らずスタスタ……東急池上線洗足池駅前…… 駅裏・南側に到着…… 洗足流れ(洗足用水)の出発点みたいです。 だって…… 水は結構きれい……この広くなっているところは石段が付いていました。 『明治期から大正期にかけて、台地の上の畑では野菜作りがさかんになり、とれた野菜を洗うための洗い場が各所に作られました。池上根方(ねかた)(現在の仲池上一・二丁目付近)には、谷戸(やと)の集落単位の共同洗い場がありました。洗う野菜は小松菜、ねぎ、大根、にんじん、かぶなどで、暮れの小松菜の出荷時は洗う人々で大変混雑しました。(大田区)』 先日の大岡越前で、将軍吉宗(平岳大)が出かけた先の民家で子どもから勧められ、庶民が口にしている葉っぱのゴマ汚しを食べ急病で倒れる。ゴマ汚しが悪かったわけではないのでじきに解放されるものの、子どもは捉えられてしまう。本編事件が解決して将軍も元気になった折、子どもが「小松川でとれたもの」だと、例の葉っぱを献上する。ゴマ汚しで食した将軍は「小松川か……ならば今後これを小松菜と呼ぼう」でドラマは終わった。ちなみに小松川は川ではなく、荒川沿いの江戸川区の一画を言うのであろう。小松菜の名づけの親が、本当に八代将軍吉宗であったか? 真実は私には分からない…… 私には無用の地図……プロムナードってのはフランス語で、散歩あるいは散歩の場所なんだって……[馬込桜並木方面]って書かれていたけど、なんと龍子記念館の方だから結構遠いし、繋がってないじゃないの? 千原橋…… 桜並木があります。川面に浮かぶ桜の花びらもきれいでしょう。師匠のブログでは鳥も鯉も見られましたが、この日は鯉が一匹だけ確認されました。 ワンブロックごとに様子が変化するプロムナード……車はめったに通らないので車道もゆったり歩けます。 およよ! 流れがなくなっちゃうのか?…… 荏原病院の裏側…… 川はありました……こういう細い道、好きです。 クリスマスの名残…… 川の両側を歩行可能……東雪谷あたりからまた広くなりました。 残念ながらワンブロック先からはこれ…… 車庫があるので暗渠が増えて…… 洗足流れ東雪児童公園……東雪谷じゃないの? とは思ったのですが、東雪で良いのでした。 住所確認…… ボチボチ終わりかしら? 暗渠になってしまいました。 左からの荏原病院通りと、前方から向かって来る学研通りとが合流する三差路ですが、細い道も交差しています。私は左の歩行者信号脇からこちらに歩いてきました。 前の写真から後ろを向くと、左の幹線道路と右・長慶寺との間に細い道……暗渠となった洗足流れが走っていると思われます。 長慶寺脇の路地を抜けると新幹線の高架……高架をくぐった先が集落単位の共同洗い場があったとされる池上根方(現在の仲池上一・二丁目)ですが、実際には洗足流れというより、呑川にあったのではないかと思う私です。 新幹線の高架をくぐって進むと、じきに呑川に到着します。 呑川・本村橋……大きな口から流れ出しています。たぶん、おそらくですが、洗足池の水はここに流れ落ちるのでしょう。あくまでも私の推察です。 ちなみに、新幹線高架下から別ルートで寺社を散策した後で撮った写真なので時差があります。 合計32枚……なんとか昨日今日でギリギリ写真登録ができたので、明日の予定でしたが今日載せられました。連れ合いの要望により、散歩訪問順番を無視した私であります。今日は、堀之内まで厄除けのお札をいただきに行ってくれている連れ合いに感謝です。醤油団子の屋台が出ていると嬉しいな~ せっかくできたと思ったら、どこかにエラーがあったようで書き直し……とんだ時間のロスをしてしまいました。疲れた~ 連れ合いは無事に帰ってきましたが「ごめんなさい。団子はありませんでした~」とのこと……連れ合いが悪いわけではありませんよ~ ちょっと残念だけどね~ お疲れさまでした。
2020.02.03
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1月14日……住居表示が矢口から下丸子になっていました。 次の交差点で多摩堤通りは直角に右折。でも環八を越えはせず、左(北西)・多摩川上流へと続きます。どうでも良い事ですが、反対方向は蒲田に……以前 呑川沿いの散歩で渡りました。京急蒲田が終点?始点?だったかしら…… 写真の方向に辿って行けば、連れ合いも迷子にならず二子玉川まで行かれますよ~ そんな暇はなかったですね~ 私は前の写真を左に、こんな道を…… 何やらそれっぽい……五差路・三差路も多い大田区だから、変則な十字路もしごく当然…… 武家屋敷門……東京都指定有形文化財(昭和39年4月28日指定) 残念ながらシャットアウト……写真左の出格子窓から、番人が応対していたのでしょう。 重厚で格式の高い屋敷門です。木材は欅(けやき)らしい……『もともと池田山にあった岡山池田家の大名屋敷の門であったと伝わります。池田山から大田区馬込町に移築し、さらに昭和10年頃蓮光院の山門として現在地に移築されました。(都教委)』 都教委の解説には蓮光院(れんこういん)に関することは何もない。なんで同寺に移築されたのか? 勝手な推測をすれば、池田藩の菩提寺だったのかもしれません。 壽福山蓮光院円満寺……真言宗智山派らしいから本尊は大日如来? 当然のように玉川八十八ヶ所霊場 第五十九番札所でした。1月はここまでで五つの札所に訪問しました。しかし、武家屋敷門と相まって美しい…… どこからか入場できないかと、脇(蓮光院南側)に回って振り返ると次の写真…… ふり返ると、本堂は前堂と後堂の二つからなっているようです。立源寺もそんな構造だったな~ さらに屋敷門と反対側に……本堂裏側(写真手前)は墓地… 北側の道を進んだところに「方丈(ほうじょう)」と書かれた門がありました。庫裏への門だろうと思いましたが、墓参りでも御朱印を賜るわけでもないのでスルーした小心者の私でした。 でもって結局一周してしまいましたた、1ブロックすべてが蓮光院敷地でした。 無名坂を歩いた日に見かけた[武家屋敷門]とか[世田谷代官屋敷]の門など、あちらこちらで見かけます。維持管理費を要すでしょうが、できうる限りの保存を願います。そうそう、代官屋敷の修復は済んだかしら? 昨夜「今日はどこまで散歩したの?」と連れ合いから聞かれ、「内緒」って答えたら「早く日記に載せてください」と催促……順番待ちがあるので昨日のはまだまだ先なんだけど、「順番通りじゃなくても良いじゃないですか~」と連れ合い……まぁ、一昨日の荏原病院も順番無視したから構わない。ただ、写真の整理と登録が追い付かないんだよね~ 昨日のメインは32枚一気に載せないと中途半端になってしまうから、頑張るけど4日(火曜日)までオアズケですよ~ 枚数は多いけど、大した景色でないことは先に伝えておきます。 ほな、頑張って整理しよーっと……
2020.02.02
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1月14日……新田神社を皮切りに東南方面の寺社をウロウロしてから… 多摩堤通りを下丸子方面に歩き、五差路……後日の再訪で知るのですが、この交差点を右にまっすぐ進むと新田神社前を通り、武蔵新田駅に行かれます。 五差路を左折して前方を見ると、三差路に見えるのですが、実は又しても五差路。とにかく変な道ばかり……後日直進しましたが、この日の目的地は私の左… 十寄神社……月極駐車場……参道が月極とは時世の流れを感じます。多摩川七福神の赤い幟がなかったら、見過ごしたかもしれません。 社号碑には「是ヨリ 本社江 二丁」・脇の石には享和二年(1802年)とありました。古き時代に本社とされたのは、左方向まっすぐ200mほど先の新田神社でしょう。 両脇を民家に挟まれていますが、参道…… 鳥居は一つ……やっと全景が拝見できました。 おっと! 本社は新田神社だと思ったら、以前お邪魔した[徳持神社]が兼務とのことです。同社は、東急多摩川線と池上線とを越えた場所です。近くはないから大変です。ちなみに徳持神社は未訪問の池上七福神を訪ねたついでにお寄りしましたが、あれから1年、早いです。『南北朝争乱期の正平12年(1358)10月、矢口の渡しで謀殺された南朝方の武将、新田義興公(新田義貞公の次男)と、その死を共にした氏族および近習の将兵十柱の御霊(みたま)をお祀りしています。初めに十寄神社を参拝してから新田神社へお詣りすると願い事がかなうと云われ、江戸期には大いに栄えました。現在のご社殿は昭和55年(1980)10月に竣工されたものです。』(徳持神社HPより) 参道の狛犬は昭和初期みたいですが、社殿前両脇に置かれている小さい狛犬はとても古そうでした。 社殿扁額……神額としたほうが正しいのかしら? 立て向きは扁額と呼ばない、なんてことを聞いた気もするけど……私的には扁額で良いか~ ご祭神はたくさんおいでです…… 新田義興命(にったよしおきのみこと) 世良田右馬助義周命(せらたうまのすけよしちかのみこと) 井伊弾正左衛門直秀命(いいだんじょうざえもんなおひでのみこと) 大嶋周防守義遠命(おおしますおうのかみよしとおのみこと) 由良兵庫助命(ゆらひょうごのすけのみこと) 由良新左衛門命(ゆらしんざえもんのみこと) 新藤孫六左衛門命(しんどうまごろくざえもんのみこと) 堺壱岐権守命(さかいいきごんのかみのみこと) 土肥三郎左衛門命(どひさぶろうざえもんのみこと) 南瀬口六郎命(なせぐちろくろうのみこと) 市河五郎命(いちかわごろうのみこと) 多摩川七福神・毘沙門天……おいででした。この日の散歩では、新田神社[恵比寿]・氷川神社[大黒天]・延命寺[寿老人]とこちらの十寄神社……残る三福神も先日訪問して制覇しておきました。山手七福神もずいぶん前に制覇したな~ 民家の敷地でもあり進入禁止のため社殿裏へは行かれませんが、新田神社の御神木同様、雷にでも裂かれたようにパックリと割れた巨木がありました。春になったら緑の葉を茂られてくれることでしょう。 社殿前から鳥居・参道…… 鳥居をくぐってすぐ左にある社の扁額は十騎神社となっています。旧社名なのか? いずれにしても、死を共にした氏族および近習が祀られているのでしょう。 手水舎にも時代を感じます。 多摩堤通りに戻って、右へカーブしながら北西へ…… 美容院の入り口に……こんなことやってるから歩みがのろい… 喫茶店 柊(ひいらぎ)……寄りたかったんだけど……ドアの前に立ったら、にぎやかな会話が聞こえてきたので断念しました。よそ者が邪魔したらいけないので…… キャンディ・キャンディ……女の子の漫画だということだけは知っていますが、熱心なファンがいらっしゃるんですね~ [奥様の昼カラオケ]は閉まってました。もちろん住宅も建ち並びますが、大小の工場も目立ちました。昼カラ歌ってもいられないんでしょう。 [みそら]ってのは、やっぱり[ひばり]さんのファンなのかしら? [美空]と漢字にしないのは遠慮かしら? ということで、今日はここまで……続きは次回です。《おまけ》 昨日のサラダは特盛でした。ウインナー、初めは長い方が好きでしたが、最近はこの短いデブが美味しいと思います。ウインナーもフライパンで焼いてあるから嬉しいです。茹でて終わりのドトールとは違うわな~ 毎日ホットドックと言うわけにもいかず、今朝はスクランブル……朝からこんなに食べる習慣はなかったのに頑張って頂戴しています。携帯マイ箸を、日々洗ってくれる連れ合いにも感謝です。 それにしても珈琲舎バンが懐かしい。ちょこっとのモーニングとランチのナポリタンに美味しいコーヒーが悔やまれます。 天気が良いから調子の乗って、また散歩してこようかな~ 蛇足ながら、モーニング帰りに轢かれそうになりました。信号のある交差点で、横断歩道を渡っていたら右折車が突っ込んできて危機一髪……青信号を守っていても右左折の車には十二分に注意が必要です。左右を見ていないドライバーがたくさんいますから、歩行者の我々が注意しないと簡単に轢かれる時代のようです。
2020.02.01
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