2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全14件 (14件中 1-14件目)
1
KOMIMIはミッキーと王子のダブルキャストがお気に入り。大好きな『どちらかのミッキー』が常に出ずっぱりなのだから…。TVっ子にはしたくないからと、これまでわが家では古ボケた凸面ブラウン管TVにVHSで頑張ってきたが、私の里帰り時に実家でみたDVDとフラットデジタルTVのあまりの迫力に圧倒され、さらに今後のソフト購入はDVDのほうが賢明との判断からDVDの導入が決定、まずは本日コジマで再生機を購入。早速レンタルソフトでディズニーの新作を数本借りた。で、あすトイザらスに行ってソフトも買うことにトントン拍子であいなった。
2003.12.20
研修のプレゼンはどうにか順調に。活発な質問も多数戴いたので興味をもって聴いてもらえたようだ。初回で盛り沢山の内容の説明だった割にそこそこ上手く出来た。しかし1日中立ちどおし、喋りどおしは疲れた。その足で部の忘年会へ。パワーを使い切っている状態でのボウリングは散々な結果。宴会になって籤引きがあり、狙ったボルドーワインを獲得した。
2003.12.19
あす丸1日、研修の講師を務める。先週本社で受けたトレーナー研修を今度は教える立場になるのだ。24名の受講者のリストをみると部長・課長クラスが中心で、副工場長までいらっしゃる。緊張しつつテキストのコピーや原稿の下読みをするのであった。
2003.12.18
誕生日。この賑やかなクリスマス前に祝うバースデー、なかなか盛り上がります。本格的なお祝いは週末にすることにしているのできょうは少し早めに仕事から帰宅して3人でなんとなく過ごしています。あれから3年。2000年12月16日の日記、読み返してみるとするかな…。どんどんおねえさんになるんだよ、KOMIMI。
2003.12.16
週末しばらくぶりに小田急や京急に乗車した際、目をひいたのが両社とも同様に自社の株主優待の広告が車内に張られるようになっていた点。個人投資家が株式に戻りつつある上、彼らが優待で銘柄を選ぶのもひとつの流行のようだ。沿線の個人株主なら会社側にとっても安定性が見込まれるのだろう。叔母が阪急電鉄株を持っていて昔から全線パスでスルっと乗りこなすのをよく目にしていただけに、たまにしか私鉄に乗る機会のない私でも私鉄株を持つのには前々から興味を持ちつづけてはいるのである。
2003.12.15
私の実家では成長したKOMIMIの写真をデジカメプリントしてプレゼント。これが好評。午前中は両親に専らKOMIMIの話題。羽田空港へは早めに到着してガレリアと展望デッキでくつろぐ。到着階はガラス張りで手荷物受け取りのあたりがよく見渡せる。ガラス越しに手を振ると、まだママが荷物を受け取る前にKOMIMIだけ私のほうへすたすたと出てきた。おかえり!KOMIMI。
2003.12.14
七里ガ浜の駐車場にあるファーストキッチンでコーヒーを買い実家を拠点に海岸散歩に出た。由比ガ浜、材木座、小坪と浜辺をあるいた。和賀江島という日本最古の築港(鎌倉時代)を見て感慨に浸る。これはクルマからだと見落として通過してしまうアングルにある。やはり鎌倉は歩いて見ないとよさがわからない。小坪では瀟洒なマリーナと干物を売る漁港のコントラストが楽しい。朝から気持ちのよい日差しでじつにのどかだ。逗子まで歩き通して京急で横浜方面へ。日ノ出町で有馬記念を買う人波に交じって下車。もうじき廃線になる東横線の桜木町ー横浜間にこの際乗っておく。ランドマークの有隣堂は相変わらず洋書が充実していて嬉しい。カフェでお茶して京急で実家に引き返した。
2003.12.13
やもめぐらしにも飽きが出始めた金曜日、うまい日程で川崎市にある研修所で一日講習を受けた。当然その足で夜はひさびさの実家へ直行。首尾よく私のほうもミニ里帰りなのである。帰り際に横浜の地下鉄で売っていたマリノス完全優勝記念パスネットをゲットした。
2003.12.12
今週はひとり家で留守番。カレーやシチューをつくりおきしてくれているのだが冷凍庫のどこに入っているのか、探せど探せどわからない。寒いのでマフラーを引っ張り出そうと納戸を捜索、やはりどこだかわからない。仕方なく実家にいる妻に電話。日頃管理している者に訊けばなんのことはない場所に。あ、KOMIMIが電話でのバイバイでまた涙声に…笑。
2003.12.10
気楽だ。のべつまくなく食べたり飲んだりしまくりである。どたばたうるさいKOMIMIも妻もいない、静まり返ったいつもの部屋。ちょっとさびしいがたまにはこんな自由なのもいい。遥か昔の独身生活を遠く思いだしたりして…。
2003.12.09
K’Sデンキなし、コジマなし、石丸電気なし、ホーマックなし、ロイヤルホームセンターなし、IZUMIYAなし、で、しかたなしに市内をあきらめてつくば市まで遠征。巨艦店ヤマダの大きな売り場にはありました!愛用の古いプリンタに合うフォトインクを扱っているお店がもうわずか。来年の年賀状シーズンには本体の買い換えを余儀なくされるかな。ヤマダに残っていたインクは2本買っておきました。
2003.12.08
早朝、まだ薄ぐらい近くの駅へ妻とKOMIMIを手を振って見送った。乗換駅のトイレの位置に至るまで「えきから時刻表」で念入りに確認済みではあったが無事に空港までついただろうか、というわけで便の出発30分前に妻のパスワードで航空会社の画面をWEBでチェック。さっきまで「チケットレス」だった予約のステータスが「自動発券済み」に変っているから既に空港にいることがわかる。昼過ぎにおばあちゃんちからKOMIMIの電話があった。ママによると「パパは?パパは」と電車で泣いていたんだという。ま、おばあちゃんちに着いたらすっかり楽しくはしゃいでいる様子だ。単純なKOMIMI…。
2003.12.07
あすから妻がKOMIMIを連れて1週間の里帰り。衣類や七五三の写真などを詰めたダンボールを夕方四時にコンビ二へ持ちこめば宅配でおばあちゃんちにあす届く。これで羽田までKOMIMIの手をひいた母子でもラクラクだ。いまでは当たり前のこの方法だが、思い起こせば私の幼い頃には、里帰りの前の日に父に連れられて荷物を駅に出しにいった。それも最寄駅ではなく『国鉄』横浜線のたしか小机か中山といった地味な駅だった。木造の駅舎内でガラガラと大きなガラス戸をあけて荷物を差し出すと大きな秤で目方を計ってくれた。新幹線の乗車券を提示して荷物の送料を支払った。この制度は『チッキ』と呼ばれ時刻表のピンクの巻末ページにも昭和の末期まで載っていた気がする。時代は変っても「荷物出し」がパパの仕事だという点は変らない。
2003.12.06
水色のAマーク。なつかしい宇都宮のあらゆるところにATMがあり、栃木県民にはこれほど便利な金融機間もないといった感じであった。そのあしぎんの名を天下の小泉首相やらニュースステーションやらが口にするだけでもなんだかこそばゆい。堅実な県下2番手のとちぎん(栃木銀行)のほうが健全だとはよく言われたがこんなことになろうとは。栃木県経済が消沈しないよう離れて隣県から祈るばかりだ。
2003.12.01
全14件 (14件中 1-14件目)
1


