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今年の3月と8月に 『太陽系第10惑星発見!?』 のニュースが世界を駆け巡りました。わたしは、ワクワクする感覚を味わいました。 理科の時間に 「すいきんちかもく どってんかいめいおう」 と習った惑星の覚え方にも修正が加えられるかも知れません。 しかし、いずれもまだ?マーク入りの情報のようです。天文学者の議論の中では、惑星の定義から蒸し返してそれらの星を惑星とするかどうかでもめているらしいのです。話によっては、冥王星は惑星からはずされることにもなるようです。 発見された新しい星たち(?)は、いずれも、太陽系の外縁付近を廻っているもので、そのあたりの様相は現代の天文学においても未だ良く分かっていないほど、遠くの世界のことです。 古来よりの占星学では、水星・金星・地球・火星・木星・土星までが惑星の時代でした。1781年に天王星、1864年に海王星、1930年に冥王星が発見されています。それに応じて、星の命名と象徴が取り込まれ、今日の占星学につながっています。 新たな惑星が加われば、占星学もまた新しくなっていくことでしょう。 現代は、宇宙規模の大きな転換期にあり、占いも定石では、通用しなくなってきていると聞きます。今回の新しい星たちの発見が、今の時代のどんな変化とシンクロしていくのかが見ものです。 先ずは、もし第10惑星として認められた星が、どう命名されるかが楽しみです。今までの惑星は、ギリシャ神話に出てくる神々の名をつけられ、その神話の象徴をも担って来ました。 3月に発表された星の仮名は 『セドナ』 と言ってイヌイットの神話から取られたものだそうです。 惑星候補としては、この8月に発表された星の方が有力だそうですが、いまだ記号名 『2003UB313』 のままです。 夜空を見て星座に神話を呼び起こし、 この地球の未来を想うというのも、乙なものではありませんか? 惑星の想像図。遠くに太陽が見える。芸術的表現。by ロバート・ハート(IPAC) 冥王星の軌道と2003UB313の軌道
2005/09/27
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昨日はのどかな日曜日。午後から友人の展示会へ行って来た。イラストが主の友人だが文章も書く。この半年は、主に書き物に熱中していたと聞く。イラストが点在する中に、ぽつりぽつりと文章があった。詩的な言葉たち。わたしはいつも言葉の方に惹きつけられる。昨日もいくつか気に入ってきた言葉があった。 その人の話を深く聞くことのなかに あなたが今、伝えたいことのすべてがある。 伝えたければ聞きなさい。 ずいぶん省略してあるのだが、そのフレーズが心に残っている。 会場には人は少なかったが、来客者のひとりがずいぶんと話し込んでいて、友人は只ただ聞いていた。その来客者が、彼のイラスト作品を見て話し込んでいたことが、そのまま友人が伝えたいことだったのだ。ということが良くわかった。 わたしは彼らをそっとしておき、自分なりに作品群を鑑賞してその場を立ち去った。展示会に来るのは久しぶりだったが、アートに触れると、いつも受容体の如くになり、言葉少なくなってしまうわたしだった。しかし、展示会場を出たわたしは、妙にすがすがしい気持ちだった。 今日は午後から外出と仕事だ。昼前のさわやかな時間に日記を上げておこう。午前は、片付けと掃除の時間だった。
2005/09/26
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『私の生活/遠さと近さ』(『僕の友へ(その3)』) 僕はひとりで生活していて、仲良い皆の遠さをいっぱい持っているけれど、 一日に何回となく、誰かの近さがやって来るよ。 そんな時は、宇宙の電話線がつながった思いがする。 見返りを期待する訳じゃなく、そんな時の時々は、手紙を書いたり、連絡したりもするよ。 僕に誰かの近さが到来して、 その気に乗って、そいつに呼びかけに行っても、 そいつは、たまたま、その気じゃなかったりする。 そんな風にも、僕らはひとりひとりなんだ。 だから、手紙なんても乙なものなんだな。 手紙は、必然的に、時間を有してしまうもんな。 こっちが今日思いついたことが、 2~3日後のあっちの今日に届いたりする。 でもそれが、かえって良かったりもして、悪かったりもする。 人間は、気分的なところがあるからね。 手紙は時間を持ってるから、そいつをなだめてくれる。 手紙は、時間軸に沿った長さのある棒。 鳥たちのように 流れるように しゃべってみたい。 相手は誰だっていいんだ、―――気まぐれだろ。 ただ、出逢いの場面を求めているんだな。 誰かと、近さの中で共有できる時にあこがれているんだな。 近さがやって来た時には、どちらからとなく、何の気構えもなく、 スムースに口が動いて、声が飛び出してくれるもんなんだ。 なめらかに、あまりになめらかに、そうなっちまうんで、 そんな時、いつも僕は気を失ってしまっているんだよ。 Copyright(C) 1980 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.
2005/09/25
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★★★この日記は9月25日早朝のものです、日にち設定がずれてしまいました★★★ 昨夜は10時過ぎに就寝し、今朝4時過ぎに目が覚めた。ここの所は夢をよく覚えていられる。夢と共に目覚められる時は、大体が心地良い目覚めなのだ。夢の世界とつながっている感覚がやさしい。今朝の夢は、前の職場で人員チェックのメモをと取る仕事をしていた、人と関わる仕事なのであった。 今朝も、まるで自然のように歌が流れていて、そのやさしさの中で、ゆっくりと目覚めていった。初期の荒井由美の 『朝陽の中で微笑んで』 だった。ごく最近、CMでも誰かのカバーが使われていた。 ♪ 朝陽の中で微笑んで 金のヴェールのむこうから 夜明けの露が溶けはじめ ざわめく街が 夢をさます 朝陽の中でふりむいて どうぞその手をさしのべて 薔薇の色さえうつろわす 時の流れがとてもこわい 宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは うたかたでも身をやつすの 朝陽の中で抱きしめて 形のない愛を包み込んで カード一枚ひくように 決まるさだめがとてもこわい 宇宙の片隅で つぶやき合う永遠は 幻だと知っていても 朝陽の中で微笑んて 形のない愛をつなぎとめて つなぎとめて~ つなぎとめて~ ☆ ♪ とても好い詩です。隙がない。結局全部書き写してしまった。こんな感じで朝陽に見守られて目覚めることが出来れば、きっと素晴らしい一日になるだろうなぁ。 今日は、あいにく雨。台風の影響らしい。朝陽の白みもまだ音連れていない今だけれど、静かな一日の始まりに感謝です。 今日の日に おはようさん
2005/09/24
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『僕の友へ(その2)』 再び 出会えれば、近さが戻って来る。 ―――その共有する場で、 近さの中で、饒舌の中に浸りこもう。 やがてそいつは記念碑となって、 お互いの生活の区切りとなって、 ひとりひとりは また 遠さへと帰っていく。 人間は やはり、ひとりひとりなんだ。 この ひとり の意味がわかるかい。 一人になりたいと言ってる時の ひとりじゃないんだ。 もとから人間は 逃れようもなく ひとりひとりなんだ、 この世では。 一緒に住んでいたって ひとりひとりに変わりはない。 ぴったり重ね合うことは出来ないんだ。 だから、いっそ、こんなに遠くに居る方が良いってもんだ。 遠さがあるから、近さが訪れるというもんだ。 遠さの中に近さがあって 近さの中に遠さがある。 君の遠さに 僕は哀しみ 同時に僕は 喜んでいる。 Copyright(C) 1980 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- わたしがノートをつけるようになったのは、高校入学の頃でした。それは、日記と呼べるようなものではなく、精神の波に敏感に呼応するような、ただの『書き付け』でした。一日に大学ノート一冊分を埋めてしまうこともあれば、2~3ヶ月以上も空白の時もありました。 それは若き日の精神の叫びかと思われました。しかし、そのノートは未だもって続いていて、通し番号にして、もう3桁を通り越しています。そんな『書き付け』から、断片的に、詩のようなものを感じ取りました。それは、時と共には、消え去ってしまわない想いとして、私の前に立ち現れました。今でもそのノートたちはすべて保管されています。また、日々書き付けられ、増殖しています。 ブログを始めて、時として過去の言葉たちの情景が蘇ってくることがあるのに気がつきました。それは過去の想いであり過去の『書き付け』なのですが、今、再び同じ感慨の付近にいる自分を感じました。もう何年もお蔵に入っていた彼らを、蘇る都度に、ここで、陽の目に会わせてやろうと思いました。それらは過去の産物でありながら、今の自分を表しているようなそんな作品たちです。私は、今、初めて彼らを作品化しているのです。Copyright(C)の日付がオリジナルのノートであり、それらは思い出す都度、すなわちランダムに並んで行く訳です。 今日の詩は、昨日の『僕の友へ』に続いて書きなぐった言葉たちです。ほとんど即興の書きなぐりです。しかし、そんな稚拙な彼らが、儚くこそあれ愛おしくもあります。今回の言葉はまだ継続中で、(その3)へと続いていきます。それは明日UPするとして、この機会に、時としてこのブログに登場する poem たちの謎を今日明かす事にしました。…今日の言葉たちは、特に稚拙で作品と呼べるようなものには程遠いような、そんな代物ですが、そんな日こそが、秘密を明かすにはもってこいの日なのだと、私のどこかが感じ取っています。たぶん、今こそが絶妙のタイミングなのでしょう。
2005/09/24
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生活のリズムが夜型から朝方に切り替わった。 とは言っても、「ルーティーン」や「コンスタント」ということには、元々縁遠いわたしは、これがずっと続いていくとは露とも思っていないのだが…。 今朝は、鮮明でドラマティックな夢と共に夜半に目が覚めた。 今日は、夢について書く気分ではないのだが、頭の中では ORANGE RANGE の『以心電信』が流れている。 すがすがしい朝の目覚めの意識の中で、こうして日記をUPするのは気持ちがいいものだ。 3週間くらいこのブログから離れてみたが、日記をUP しなければならない などと思うようになっては本末転倒だ。 日常に忙しく、「ああ、今日中にUPしなくっちゃ」と夜も深くに思うようになると泥沼になる。 それでもPCに夢中になると、当然夜更かしになり、翌日に響くことになる。 それが、朝にサラッとでも書き込んでおくと気分が楽になるのですねぇ。 まあ、この先どうなるかは、誰にもわからないことなんですけどね…。 そろそろ、皆さんも、おはよう! ですか?
2005/09/24
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『僕の友へ』 僕の友に祝福あれ お前は 僕のやれないことをやり 僕は お前のやれないことをやる それぞれの境遇の中で それぞれの運命を拡げてゆくけれど 何時だって出会えれば なごみの時が戻って来る 勇気をお出し 何を守っているのだね 勇気をお出し 僕らはみんな旅の途上者なんだよ 口に出してごらん 誰も何も嫌がりゃしないよ 何を言っても言われても 知り合えることが素晴らしいんだ 批難や賞賛じゃあない ゲームなんだよ そんなもの 口論したり許しあったりしている その底で 触り合いだけが ほんとうに横たわっている … だからそんなに気にしないで ちょっとのことで気を沈めたり飛ばしたりしないで こっちの方が気になっちゃうじゃない … 唯 つながりが出来ることだけが在ることなんだ 出会って 知り合えることだけが存していくんだ Copyright(C) 1980 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.
2005/09/23
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学生時代に研究室の一角に机をひとつ貰っていた。 時に、ややも知れぬ内側からの要請に誘われてか、艶やかな外的世界の要請に誘われてか、居ても立っても居られなくなることが良くあった。 そんな時の時々は、机の周りをきれいに片付けて、一枚の紙を真ん中に置いて姿を消した。 OUT OF SPSACE と、ただそれだけを書いて。 そして、(何処ともなく)しばらく旅へ出かけ、ほとぼりが冷めたころにおもむろに帰還するのであった。 自由のボタンを掛け違えるのは失礼千万なことだろうけど、いつも、そんな自由は持っていたい。 気心の知れた友たちは、なーんにも心配してくれなかったし、そのことがわたしにはとてもありがたいことだった。 そして、おもむろにいつもの会話に入るのであった。 皆さんお久しぶりです。確実に秋の空気になりましたね。留守中のご訪問など、ありがとうございました。また、ぼちぼちとそちらへもお邪魔させていただきたいと思います。・・・ずっと忘れてはいなかったからね・・・。 しかし、シュタイナーの暦の言霊も、妙にシンクロしているなぁ…。
2005/09/22
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