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いつもお世話になっている、しぇる~さんから、☆イメージ バトン☆なるものを引き継ぎました。 おもしろそうなので、ありがたく頂戴いたしました。☆ イメージ バトン ☆1.受け取ったキーワード 「中島みゆき→わかれうた→失恋→涙→青春→どきどき→初対面→学校→部活→放課後の出来事→告白→初めてのチユー→はにかみ→笑顔→ひまわり→麦わら帽子→ルフィ→木綿→ハンカチ→黄色→○○」2.自分がイメージしたキーワード「みかん」からイメージする言葉ですね。。 昨日、お見かけした 西南の空に沈む 燃えるような太陽さま から連想しました。。。 { みかん → 黄金 }3.バトンを渡してくれたお方へのメッセージしぇる~ さんへ シンクロニシティーは、毎瞬ごとに、それこそ、毎旬、毎春、舞い起こっているものですね。。 言語にこだわると、それこそ、高速、校則、梗塞、光速…と、拘束されてしまいます。 『 言葉から入り、言葉へ出ろ 』 です。 日蓮でしたっけ・・・。 「 み か ん 」という、大切な言葉を、どうもありがとうございました。 『「大切な時がシンクロした」』ですか、言い得て妙です。 どうもありがとうございました。4.次にお願いする3人 バトンは、どうも、シンクロするらしいです・・・… 。 わたしがイメージした 『 黄金 』 から、誘導される新たなるイメージを楽しんでみてください ~♪ (__)*j ☆次にお願いする人たちを決めました♪ 1.ひとり目 たろうくん シンプルな女性、いつも素敵な形態写真を送ってくれています。 2.ふたり目 ple-plusさん 関西の義兄弟。和風癒しのスポットを紹介してくれています。 3.3にん目 昇華さん Flower Lady さん、いつも美しい世界を見せてくださっています。♪ お三人の方々、ご負担でなければどうぞバトンを受け取ってくださいね。お願いいたします。♪ もちロン他の方でも、受け取りたい方はお申し出下さっていただければ自由です? It's a game ですから。♪ キーワードは、 『黄金』 です。イメージバトンでした(*^.^*)☆参考:「中島みゆき→わかれうた→失恋→涙→青春→どきどき→初対面→学校→部活→ 放課後の出来事→告白→初めてのチユー→はにかみ→笑顔→ひまわり→麦わら帽子→ ルフィ→木綿→ハンカチ→黄色→みかん→黄金→ ○○○ 」
2005/10/26
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『あいことば』 目を覚ませ これが僕の 合言葉 目を覚ませ 今の自分を信じるのさ 目を覚ませ 部屋の窓を開けてみたら 目を覚ませ 高い空が待っていた 僕は この僕のこのままで それで それでどうしようも無い 何一つ 隠されちゃいやしない 何一つ こわがることは無いさ 目を覚ませ これが僕の 愛言葉 目を覚ませ 今のあなたを信じるのさ 目を覚ませ 雨が降っていたって 目を覚ませ 雲の上には太陽が あなたは あなたのままで それで それで美しいいよ 何一つ 隠されちゃいやしない 何一つ こわがることは無いさ 目を覚ませ これが僕の 逢い言葉 目を覚ませ 今と言うこの時を 目を覚ませ 両手を空に広げてごらん 目を覚ませ 何もつかめやしないだろう そうさ これが僕たちだから そうさ ここから始めてみよう そうさ 人は変わって行くさ そうさ 哀しさだけが笑ってる 何一つ 隠されちゃいやしない 何一つ こわがることは無いさ ほらごらん 心の奥の底に ほらごらん 何かが今目覚めた め・ざーめた さめた 花いちもんめ~ Copyright(C) 1976 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- 正直に告白いたしますと、わたしは長い間、口を閉ざしてまいりました。心の奥を閉ざして来ました。わたしの中から生まれ出てきた歌たちを、長い間、放りっぱなしにして来たのです。口を閉ざして来たのです。無碍に扱って来たのです。わたしの愛しい子供たち。長い間ごめんなさい。やっと今、わたしは口を開きます。 ☆ 歌は唄ってあげましょう ☆ 2005年10月23日(日)・快晴
2005/10/23
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@ミッション(使命) 1.この世界に生きていくこと 地に足つけて、遠きを忘れず 毎瞬ごとの只中に、常に今に在ること 2.一目散に片付けに着手すること 先ずは初心の足がかりから 流れの中で物事を整理整頓して行くこと 3.身近なものや人を愛していくこと 相手はいつも鏡であるから 愛の手を通して自分を知ること@アファーメーション(肯定的祈り) 最善のことが最善のタイミングで起こっていると日々感じられますように 天のお導きがありますように 天からの恩恵を受け取れますように 自らの自由な選択のもとに、今日を価値取って行けますように---------------------------------------------------------------------------- 「ミッション」とは、例えば夢の啓示。トップからダウン。 「アファーメーション」とは、神への祈り。ボトムからアップ。この2つが共鳴する空間が 「わたし」 と云う楽器となる。言葉は確信から、ブレがないように、各自が工夫すること。願わくば、美しく楽しい、ユニークな音色が響き渡らんことを。 和風フレンチ・長谷の隠れ家
2005/10/23
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『たとえば』 書くために生きるのではなく 生きるために書くのである Copyright(C) 2005 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- 長谷の夕暮れ・湘南海岸
2005/10/22
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忙しい毎日が続いております。 美しい毎日が続いております。 言葉少なで、進んでおります。 でも、チャレンジ。 日毎の更新に挑戦して見ます。 言葉は あまり 要らない…。
2005/10/21
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8月・9月・10月と、関係者たちの周辺に、数々の奇跡的な、気付きと出来事を引き起こした、ヒプノセラピー&フォーカシングセミナーも、充実と豊穣の内に終了しました。 家にたどり着いたのは、深夜零時の事でした。 まあるい月が、紺碧の夜空にぽっかり浮かんでおりました。 わたしの脚は、豊穣の大地をしっかりと踏みしめて、 わたしは、思わず空を見上げていたのでした。 ここに帰って来て見ると、シュタイナーの新しい言葉が、ブレのないタイミングで、やさしくわたしを迎えてくれました。 夏の遺産であり 秋の平静であり 冬の希望である ふたつの季節を通り過ぎて、 わたしは、静かにわたしに戻ります。 今はただ、この穏やかさの中に身を沈めようと思います。 来るべき、冬への希望を抱いて。
2005/10/20
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今、修行中でなかなか皆さんの所へ落ち着いてうかがえません。 このサイクルが終わったら、ゆっくりお伺いいたしますね。 今日はヒプノの5回目で、始まりからは2ヶ月が経ちました。その間、わたしも含め、同期生たちにも、日常生活にいろんな変化があったようです。5日目ともなると、速度が倍増しているらしいです。大体そのように日常の生活へも波及するのが常だそうです。 わたしは、昨日の余韻を抱えたままに講座を受けましたが、今日の講座も濃縮でした。頭がぐるぐる回るほどに疲れて来ました。そんな流れで、終わりのセッションでは、オラクルカードのゲームなどでわいわい。それでわたしはリラックス出来たようです。 くたくたになって我が家に着いたら、家庭の雰囲気もどこか変わっていました。 昨夜は妻が遅かったので、だいちは私のリラクゼーション誘導で、ひとりで眠りに就きました。結構気に入ったらしく、今日はママも一緒にね、とのご要望。二人同時に、心地よく眠るための誘導瞑想を施しました。もう二人ともぐっすり寝入っているようです。ああ、トドニも一緒ににお眠です。 わたしとしては、今学んでいるヒプノの入り口。講座で学んだリラクゼーションと誘導瞑想の練習が出来て、大助かりです。 眠りに就いた二人と一匹に、「ありがとう」とささやきました。 明日は待望の最終日。終わったら打ち上げパーティー。 しっかり学んでこようと思います。 そして、存分に楽しんで来たいなぁ。 この2ヶ月間からの解放です。 そしてまだまだ学びは続く…。
2005/10/19
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今、思いが言葉にならない。 体験に心が動揺しているようだ。 今日は、ヒプノセラピー初体験の日になるはずだった。 午後、師からヒプノセラピーを、初めて自らが受けるために、都内某所に赴いた。 しかし、ものごとは予定通りには進まないものだ。 事前カウンセリングで、今日はまた別のセッションを受けることに切り替えたのだ。 約1時間。 凝縮した時間。 そこで受け取った体験は、あまりにも大き過ぎて、言葉にならない。 帰路からずっと、その体験の余韻が続いている。 今もだ。 今日は特別な日だった。 何かを書き残しておきたい。 そこで、事後カウンセリング・シェアの時に、師と同時に『初めて気づいた事実』のエッセンスだけを、和歌・川柳にしたためることにした。 いま気づく 万円札の 新・旧は 違うと見れば 大違いなり ここまでの文章を、うんうん言いながら練っていると、隣で宿題をしていた息子のだいちが、俳句を2つも作ってくれた。 やっぱりね 冬は寒いよ 秋よりも みんながね おなじ地球の 仲間だよ わたしより、息子のほうが、相当上を行く。 明日、明後日で、今回のヒプノセラピー講座が修了する。 今日は、皆さんには訳のわからないような日記になってしまいました。 すみません。 でもこれで、わたしは気持ち良く爆睡出来そうです。 ありがとうございます。
2005/10/18
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このところ朝が早いです。寝起きもスムースで、目覚めの気分も良いです。夢もはっきりとストーリーのあるものやメッセージ性のあるものを見ています。夢のバイブルによると、満月までの5日間は夢が力強く鮮明になると書いてあります。わたしのこの5日間は、立て続けに夢を見て(覚えて)おり、力強く鮮明というより、すんなりとした適度の夢という感じでした。 『適度の夢』というのは、目覚めの時にはっきり思い出せて、ストーリーがあり、夢特有の不思議な部分が適度にあって、取り組みやすい夢という意味です。怖さで飛び起きたり、クライマックスのところで突然目覚めたりしてしまったり、何も思い出せないんだけれどもうなされていた、とかというものではないものです。適度に不思議があるから、その?マークの謎解きも適度に出来るということなんですね。つまり、適度なメッセージを受け取れるというそんな夢。 ☆ ☆ ☆ 今朝の夢では、唐突に今はもう縁遠い二人の女性が出て来て驚きました。二人とも親戚で、母方のいとこのN姉さんと、父方のY伯母さん。それぞれ、子供の頃に縁の深かった二人でしたが、もう30年近くご無沙汰しています。今では二人とも高齢になっており、現実世界での状況は、それぞれに厳しいものです。 いとこのN姉さんには、小学生くらいの頃、長休みの折など里へ帰った時に良く遊んでもらっていました。男勝りの背の高い女性で、姉と二人して慕っていました。しかし、実の所は出生の秘密があり、伯父夫婦の所に生まれていながら、訳あってその両親、わたしからいえば祖父母の所に養子縁組されていたのです。だから子供の頃のわたしは、ずっと叔母さんだと思っていました。子供のわたしにとっては、そんなことはどうでもいいことで、とにかく一緒になって遊んでくれるので、とっても大好きなお姉さんでした。 このN姉さんは、いつ自分の出生の秘密を知ったのかは知りませんが、そんなこともあってか、その後、ある宗教に精進して親戚内で物議をかもしたり、結婚もあまりうまくいかなかったり、不遇の人生を歩むことになったそうです。今では、生活の不遇で精神的に患ったりして、生活保護を受けなくてはならないほどの深刻さだと聞いています。もう何十年も会っていないのですが、そんな話を耳にして気になっていたりはしました。 そんなA姉さんが夢に登場したのですが、夢の中に出て来たN姉さんは、生活保護家庭にお世話になっているようでした。余談ですがN姉さんの名前には、「紀」と言う字が含まれています。 Y伯母さんの方は、わたしが子供の頃、子供が授からないので、わたしを養子にくれないかと言ってきたことがあったのをうっすら覚えています。父が断っていましたが、子供心になんとなくイヤだなぁと思っていたのを思い出します。この伯母も男勝りの所があって、元気できびきびした女性でした。好きな伯母さんだったのですが、ちょっと厳しそうな所が怖かったように覚えています。 Y伯母さんの方は、もう10年近くも前からボケが始まり、認知症で、誰も彼もはわからなくなっている状態です。子供のいないY伯母さんは、伯父に介護される日々を送っているようです。去年、10年ぶりかに父の里へ帰った折に会いましたが、わたしのことが分かったのかどうなのか、朗らかに笑い転げて歌を唄ったりしていました。いつもの症状だそうでした。伯父が、Y伯母さんを介護することが今の生きがいだ、と言っていたのが印象に残っています。 そのY伯母さんが、今朝の夢では赤ん坊を抱いて笑顔であやしているのです。とても嬉しそうでした。まるで、子供を授からなかった悔しさをわたしの夢の中で解放してでもいるかのように幸福そうでした。余談ですがY伯母さんの名前には、「幸」と言う字が含まれています。 二人とも養子縁組や不妊など、親子関係に問題のあった女性。それぞれに往年は元気はつらつだった、男勝りの女性。病気などには縁のなかった感じだったのに、それぞれ今では病気を患っている。夢の中では、その二人がダブって見えたり、実の姉も登場したりしていました。また、何らかの群集たちからひっそりと隠されているようだったりしました。 この夢は、どんなメッセージをわたしに発しているのでしょうか? 何を、わたしに言いたいのでしょうか? 今、わたしに分かることは、わたしの好きな格言を思い起こすこと くらいです。 「心の赴くままに従えども 則を越えず」 すなわち、 「幸」 と 「紀」 である。
2005/10/18
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今日は、朝早くから起きてPCとにらめっこしたりしながら遊んでいた。 そして、おもむろに履歴書というものを久しぶりに書いて見る気になった。 その作業は自筆だから少し疲れたが、結構面白い振り返りになった。 履歴書なんて、10年以上書いていないから新鮮だったのか? ほぼ書き終わったところで仕事から帰ってきた妻に、デジカメでポートレイトを撮ってもらった。 PCで加工して履歴書に丁寧に貼り付けた。 そんな風に午後までかかって、PCの所へ行ったり来たりしながら完成。 夕方に市役所のハローワーク出張所に出かけて紹介状を貰って、同封し投函してきた。 実は先週、ぴったりの副業パート求人票を見つけていたのだ。 それは、わたしのキャリアが通用するもので、時間シフトが今の生活リズムにほぼシンクロしていたものだった。 ちょっと、ザワッと直感がひらめいた。 もう少し副業を増やさないと、本業の好きな仕事が出来なくなりそうな経済状態を迎えている。 これも何かの縁かなぁと思い、そのタイミングで応募するだけ応募してみることにしたのだった。 期日がギリギリだったから、望み薄だとは思うけど、なんであれ縁があるものには巡り会う仕組みになっている。 そんな実生活で、今日は一日ちょっと疲れた。 気がつけば折も折、今日は満月の瞑想の日ではないか。 しかも月食がおまけについている。 東京はあいにく、しとしと雨。 これも何かの兆しかな? 雨模様の画像を貼りたいところだが、あいにく今はストックがない。 それに、もう半分眠くなっている。 うとうとうと。。。 秋の長雨、これからちょっくら満月の瞑想をして、今夜は早めに床に就きます。 しとしとしと。。。 秋の長雨。 しとしとしと。。。
2005/10/17
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『キズキ』 ぼくは自分が馬鹿だということをよく知っている。 しかし、残念なことに、そんなことを知っていてもどうにもならないのだ。 時々、ぼくの身体はぼくの頭脳からはなれていってしまう。 頭脳には手をつけられなくなるほどだ。 頭ではわかっているのだ。 しかし、実際やっていることは、どうだろう。 やっているその時は、何を、どんなことをやっているかわからないのだ。 行動と思想が一致しないのだ。 まるで子供ではないか、自分で自分の身体をうまく動かせないなんて。 だたら、ぼくは自分が馬鹿だということをよく知っている。 しかし、残念なことにそんなことは自慢にならないのだ。 Copyright(C) 1973 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved.---------------------------------------------------------------------------- この拙いメモは、わたしの記念すべき第一番目のノートの片隅に刻まれたある断章である。端っこに9/27と銘記されている。17才、高校3年生の時だ。表現は拙いし、詩も文学も何も知らない、素人の生の声の表出である。それは、やや弱い筆圧の鉛筆で、つぶやくように丁寧に書かれている。ゆっくりした足取りで、一つ一つ確認するかのように刻まれている。 しかし、振り返れば、ここがわたしのポエジーの原点であったように思う。誰かの詩や文学の真似事ではなく、自分の中から出てきた言葉たちを、ただ書き記していく。詩や文学が、表現者の内側から自ずとあふれ出てくるものだとすれば、そのポイントだけは踏まれている。 何故かその断章が、今日蘇って来た。特に何があったわけではない、ただ何気なく…。ふと、それを、今日ここにUPしようと思った。そして、題名だけが今の今、付けられたばかりの作品となった。 「キズキ」とは、「傷来」であり「傷気」であり「傷記」であるのだ。文学や芸術は、往々にして人間の負の部分の刺激から発生しやすいものである。意識や自我なんていうものも、何らかの負の体験から立ち上がって来るものである。しかしそれらは、始まりとしてのアクセントとして必要な、少量の毒なのではないか。それは「キズ」であり「刻み」である。 始めは題名を『初心』にしようかと思った。「初心忘るべからず」と言う。その言葉は、初々しく溢れるエネルギーを放っている。しかし、この諺は戒めの言葉でもある。「初心」とは何だろう? ただ、ただ意気込みに満ちただけのものではない。そこには謙虚さがあり、不安に満ちた心情もある。そこへと導かれる「蒙《無知》」も「キズ」もあったことだろう。 そんな思いが募って来て、拙い断章であるが、ここに作品として上梓することにした。自分自身への「キズ」の刻印として。忘れないように。当然ながら、この作品が示すような心許ない心情は、未だに、事や時に応じて良く見舞われているものである。 この作品は、そんな今の自分に対しても、充分わたしには腹に効く特効薬なのである。
2005/10/16
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天文学における惑星の名や星座の命名は、そのほとんどがギリシャ・ローマの神話の神々から採られている。 それは何故か? その2つの発祥時期が同じだからであろう。 天文学のルーツは占星学であった訳であり、今でも新しい惑星が発見されたとなれば、命名は神話から決められるはずだ。 西洋占星術は興味深い。 実際の天体観測に基づいて、ある仮説の元に解釈が練りこまれていくのである。 外なる天体の動きと内なる神々の(すなわち人間の)物語が対応すると言う仮説である。 仮説に従って、論理を組み立てていくと言う点においては、まさに科学ともいえるのではないか? 星座には神話が織り込まれ、それぞれの象徴を持つ。 惑星や太陽・月にも意味が付与され、それぞれの動きの中での布置によって、解釈を創造的に展開させていくことが出来る。 天文学こそ膨大な未知を抱える、発展途上の科学である。 占星学も同様ではないか? 心理占星学というものも出てきた。 小惑星のジュノーやセレスやキローンなどを組み入れている占星学者もいる。 今回発見されたセドナや 2003 UB313 などの、太陽系の辺境あたりの准惑星を考慮する者も、そのうちに出てくるだろう。 これらの非常に遠い准惑星たちが興味深いことは、その公転周期が非常に長いことだろう。 これまでは、約80年~250年の公転周期を持つ天王星や海王星・冥王星の動きは、人間の人生の寿命を越えており、世代レベルの変遷を解釈するように使われてきた。 今回の新星たちは、さらに長く500年にもなるそうだ。 それらは時代レベルの変遷に使われるかも知れない。 そんな、気の遠くなる宇宙の辺境で遊んでいたら、まだまだ上がいた。 昨今、言われ始めたフォトンベルトの物語だ。 その説の周期は、なんと約26,000年なのだ。 2,6000年に2回、各2,000年ずつフォトン(光子)の帯の中に太陽系が突入する。 フォトンベルトに入っていない時が今のような闇の時代で、フォトンベルトに入った2,000年間は光の時代だという訳だ。 それは1987年頃から始まり、今は半分くらいフォトンベルトの中に入っており、2012年の12月の冬至には太陽系全体が入り込むと言う。 そのとき地球に夜はなくなり、人類は進化し、悟った生命体になる。それをアセンションという。 詳しくは誰にも分からないが、今までの常識が覆される事態になることは間違いないと言うのだ。 科学者はニューエイジの産物の神秘思想だという風潮のようだ。 全く相手にしていない科学者が今の良識と言うことだろう。 果たして、そのようなコペルニクス的な転換は起こるのか? どのような形で起こるのか? …と、真偽のほどはわたしには手が余る…。 しかし、今生きているわたしたちにとってそれほど遠くない未来のこと。こんな時代に生まれてきて、なんてファンタスティックなんだろう。 …夜な夜な宇宙を想い、高邁なことを考えて、確かにとんでもない所まで旅して来たようです…。 …みなさん、お久しぶりです。 まあ、でも、浴衣に袋手でもして、宇宙見物とでも行きますか?
2005/10/14
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