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今日のくろーずあっぷげんだいは・・番組紹介文から・・「医学の進歩で生存できる小児がん患者が増える一方、抗がん剤や放射線治療により、晩期合併症と呼ばれる後遺症を発症する実態が明らかに」番組で紹介されていた青年は 生まれてほどなく小児ガンになり 強い抗がん剤治療を耐えて生還し なんとか良くなったかと思われたけれど抗がん剤の副作用の一つとして 第2次成長が来なかっただからいつまでも体格は小学生のままそれでも苦しみながらも 大人としての自立の道を探っていた青年に この晩期合併症(幼い頃に強い抗がん剤治療をしたことで大人になってから副作用が出てくるという)としての 病が訪れて22歳で白血病となり・・せっかくの自立への道も閉ざされ23歳で自らの命を閉じた・・のだという私は少なからず運命に翻弄されて 病 という形で悩む方々と接することがありとても 現実感を持って実感するのだけれどその青年のお父様が「この子は 生まれてきて良かった・・と思ったことが無かったんではないか?」と 涙を流すほど 壮絶な青年の人生だったのかと思うやろうと 前向きになった頃頑張ろうと やる気が出た頃そんなときに次々と病が 訪れるって・・どうなんだろう・・そしてアジアカップで優勝した 日本サッカーチーム!!その 決勝シュートを決めた李選手TVでの短い紹介を聞くとお父様はサッカーより 年俸のよい野球をしたら?と 幼い頃言ったというそれでもサッカーの好きな李少年に「やるのはいいが フォワードにしろッ!」と許可したのだってそのあともことあるごとに 李少年 李青年に 選択を迫るような指示をしているそうしながらも きっと 息子と心は一つ父親としての我欲じゃなかったのかな強く絶対な指示をたびたび受けながらも なるほどと思いながらもその上で 彼の気持ちをまっすぐ優先して選べたことそういうのって どうしてできる?韓国なんて 先祖とか親とかを尊重してっていう儒教の国でドラマも日本では考えられないほど 先祖に対する畏敬の念が垣間見れるそれでもあの うるさいほど指示しまくったお父様が 帰化したいといった息子の意見を受け入れたことと自分の気持を尊重できた李青年のことそういうのってどう????受け入れるとか黙って見守るとかそういう 儀式化したこと以上に 深ッい まっすぐな 本当のガッツリした 親子のやりとりがあれば言い方 とかやり方 とかそういう言葉尻でなくてきっと まるごとオーケーなんだろうなァ・・と思ったスタートラインに立つには親がホヤホヤのやわらかな基本を作る必要があってもきっと他人の深い愛 愛で無くとも他人でさえも尊重する心とかそういう 人を思いやる気持ちに触れられたら いいな・・と思う狭い許容量だからせめて形から入るのはいいけれどほんとはどっかり どっしり 本当に深い心があればちょっとした言葉とかそういうので右往左往しないんだな・・と思うということは 自分で言ってみて 思うに動けない息子らは まだスタートラインをひけてないのか?とスタートラインが軽々引けた 幸運な親子と違ってスタートラインまでセットアップできるように何歳であろうが親子共々 道をさがすんんだろなそれが 基本なんだろうと思ういいなあ理屈でなく 自然にその頃合が会得できた奇跡の親子それくらいよそさまがうらやましい・・親だからできることもあるけれど社会であるからできることもあってコーチと選手監督と選手チームの中の選手同士そんな中で 成長できることもあるのだと思うそれとは違うのかもしれないが厳しく聡明な義母に接して 実母からは得られない気づきを得られたしそういう強さを前に 自分を自分の努力で制御する前に 必然としてそのコントロールができたことそれは ラッキーだったと思う近親というのもすごいが他というのも案外 すごいちょっとした よそいきの制御は しようと思ってするのでなく外へ対しての自然の態勢なので緊張と 新しさと 切り替えとで自身の努力以上の効果を生み出すだからそっかやっぱりかかえこんでばかりじゃ ダメだね漠然とした外へも 開いとかないと・・そんなのあり?ていう世間も想定してしかも私らでは容認できないそんなんでも うまくいくってのも 認めないとね
2011.01.31
所得税の配偶者控除や成人の扶養者控除がそのうち無くなるとか ッて話があるで新聞に そうなった場合のシュミレーションが 各世代ごとに例としてて書かれてて50代の世帯主の場合の例がさーー妻・・配偶者控除子・・25歳で無職の扶養者控除ってフツーーに例として書かれてたよ特別でもないのかのーーー?といううちも息子らの国保料やらが半端なく大変で(支払い月は 年金が15000円、国保が12000円)とかで彼らに貯金があるうちは 払わせていたけれど最近のように 「俺らに未来はあるのか?」的な絶望感なのか さらに篭りぎみだし・・貯金もゼロになってまで 自己責任だと迫るわけもいかず払ってはいるけどそれを主人の扶養にすれば 健康保険は支払わなくてもよくなるので申請してみたが近頃は そういう家庭が増えたとかでなぜ 成人なのに収入がないのか?とか世帯全体の収入 生活費 などなど洗いざらい事細かに申請して 本当に扶養者にできるのかを 判定するそうでいやーーー 大変だアルバイトで稼げる収入って 一ヶ所ならだいたい月10万前後でしょそれって とにかく生活していく費用カツカツで そのほかなんの発展的夢にかける消費は全くできないうちは 自宅だけれど国民年金(親亡き後の 生活 保険に不可欠) 国民保険料 光熱費 食費その他の生活費だけでも彼ら一人10万はかかるそれ うちは二人だからねそりゃあ 親とはいえ迫り来る老後年金生活では無理でしょと思うで 今から 恥も外聞もなく 会社に扶養者申請したら 根掘り葉掘りなぜ??ということで 注釈に「言い辛い 記入しづらい場合は守秘義務を守りますから担当者に直接電話して 事情を話してください。」とかって・・・理由を明確に説明するって むずかしいよなァ・・・大人な子供を養っていくのは いろいろあるのだ・・・(10万のバイトだって すんばらしい!よ10万 親が捻出するのと 彼ら自らが得てくるのは 行って来いで20万違うもんね)だが普通に子は独立し 少なくとも夫婦だけの生活費を確保すればいいと思いこむのもどうか・・いろんな場合も考えて老いても 子を扶養するってこともあるよなァと覚悟しちゃえばいいのかな今 主人の会社もダウンぎみで 主人曰く 退職金を確保するためにももう少し働くそうだ60前には引退したいと言っていたけれどもう少し頑張ってくれるそうだ頑張るったってなァーーーー・・・・・・・・ ・・・・ ・・ ・・
2011.01.26
賠償保険に入ってはいるけれどいろんなことに責任を持たなければならないだからいいかげんなことはできなくてだからあんなこと そんなことできます できます と吹聴することに躊躇する一人で責任を負う仕事だから今日もあの店ではやってくれるよ・・と言って ちょっとした無理を頼まれたのだけど問い合わせてみますと時間をもらったう~~ん せっかくのお客さんだけどできないことは できないからやっぱり ちゃんと説得できるようにして お断りしよう一回 一回が経験になるなあでも きっと自分の感性も信じたい 信じてやっていきたい子育ては ある意味自己責任だけれど仕事ってのは 第三者への責任を持つってことだろうだからなァなかなか気軽に一歩が出ない雇われパートおばさんのときには 感じなかったことだてことでうんすぐに結果が出なくてもしっかり 責任を持てる範囲で きっちりやっていこうと思う商売っていうよりも 人生の一部だからさ
2011.01.25
今日のくろーずあっぷ現代は「飛び出せ 異能!」だった。特別な才能があるけれど埋もれている才能を 世に送り出せれば・・みたいな話うん 確かに常識的じゃないかもなァ・・ちょっと浮くかなァ・・だけど だから みんなと違うひらめきで視点で 発見があるそういうもんだなァ30過ぎても大学院生って あるのか?それでも 生活できる環境がある彼らなのかなひいきめだけどAもBも 才能はあると思うんだよなあ・・それを まったく生かせないってのが悲しくもあるんだけど今日の番組の彼らは 「絶対成功させてみる!」という力があるやる気がある今まで 相手にされなかったり うまくいかなかったりしててもめげないで まだまだ序の口さ これからだ・・というやる気があるそれも 才能の一つだよなァでそういう才能を 支援者 投資家に繋げるという発表会が開かれたというそうなのねえちょっと異能な彼らってセールスとか 投資家を探して歩き回るとか それが苦手だったりするかもそいういとこだけでも理解してもらってフォローしてもらうだけで・・ほんとAとかBとかちょっと ちょっとーーー!!そういうこと普通はするんだよとかそれはしとかないとね・・・とかそういう 彼らにとっては些末なことが 世間では大事なので期限を守るとか書類を出すとか手続きをするとかそういう彼らにとってとても大事な事の前ではどうでもいいことを スルーしちゃうとこがあってせっかくのチャンスとか今年の期限とか締め切りとかそれには不可欠なこととかそういうのに 疎いんだなーーー二人を見ていてけっこうそういう 世間的には大前提な事をうっかりorまったく無視してだから そういうことに引っかかる機会までも 逃しちゃうそうそうたいしたことじゃないんだけど大事な手続きうーーーんそれが 世間的な社会人なわけで私だって 知らなければ ちんぷんかんぷんな世界ってあるたとえばさ ある日急に歌舞伎の世界に入って その常識をちゃんとクリアできるか?っていうのとおんなじくらい彼らは 世間並みが ちんぷんかんぷんなのでそれは やっぱり知らせるのがいいのだとおもうわかってて 重々わかってて無視しているんじゃないのだよなその頃は私らも それがわからずに任せてみすみす逃したチャンスは限りなくあるだから 町内会の掲示板くらいの軽さで知らせることは大事だと思う昔は 大学で言えば 学部も基本的なくくりしかなかったのでそんなに手続き的にはいろいろなかった様に思うでも今の情報学部?とか なんとか学部とか または いろいろな大学でグループになって単位を認定し合うとか・・・いろいろ複雑らしいでさAの大学は ちゃんと手続きしない学生を呼んでフォローしてたみたいで単位の未申請とか 手続き不履行とか そういう失態をカバーしてくれたらしいが Bの大学は ほったらかしで(いや それが正しいのだが・・)Bは 自分はちゃんと必要な授業は受けていたし 期末試験も受けたのに実は 授業の履修届けをしていなくて1年棒に振った・・というなんともねェ私ら親は 当然したものと思うではないですかでも彼には できなかった今 中退やら 休学やら そういうのが多くて大学も本当に頭を悩ませているらしいけれどその辺を改善したら ずいぶんそういうのが防げるような気がするななんでできない? 今時の青年は・・と言うけれど昔はね もっとアナログで 単純だったよ親の世代は 簡単だったよ大学に付いて行くので精いっぱいで 複雑な手続きにエネルギーを遣えない子もいるんだろな・・で一度そういうのを理解したら知ったらきっと次からはできると思うからもう大人なんだから・・と手放さないで一度だけは 懇切丁寧に 知らせてやってほしいんだなそんなこと書いてるところにBが合鍵で静かに入ってきまして(私の部屋の電気がついていたから)「ねえ ねえ お米少しもらえない?」ってさAならメモに 『ご飯少し炊飯器からもらいました』って書いていくけどBは お米をもらって この夜更けから炊くらしいはいはい「いいよ 2合くらいなら・・」と ケチな母
2011.01.24
朝から車で 北方面にドライブ 目的地近くのホテルでビュッフェランチこのバイキング形式の食事が苦手な私達だけれど和食懐石ランチだと3000円・・しかもあんまりおいしそうじゃない・・ってことでビュッフェランチ2000円に挑戦これがさ2500円とかだと う~~んどうだかなァ・・だけど2000円だからと お得感そう上等でもなかったけど 満足しかも 都内のように込み入ってなくて テーブル間も余裕があってゆっくり静かに食事ができた駐車場 無料時間はどのくらいかな?と ちょっと気にして2時間前にレストランを出てカウンターで駐車券を出すと「5時間無料です」って!!!!ありえないすごい周辺で遊べるじゃないか・・・と積んで来た折りたたみ自転車で散策ゆっくりできた2時そろそろ帰るか?と 1時間半かけて帰宅充分旅行気分楽しめたこれいいなこれからは このミニ旅行しよっと
2011.01.23
義父母は80代後半なのだけれど、いよいよ弱ってきて介護ホームを考え始めた。主人の姉は地方に嫁いで、定年間近日本海側なので冬は寒く 雪に閉ざされるけれどそちらの介護ホームが安いから・・と 義父母を呼んでくれているでも当の義父母が 「そんな寒いところは嫌だ。」そうでうち私達の近くのホームを探したら 良さそうなところがあって検討しているでも月一人基本20万 二人なら40万だってそれ以外に 消耗費 私物の買い物 医療費など日々かかる費用もあるんだしほんとにやっていけるんかいな?と 疑問義母は なかなか財産の内訳を明かさないので 皆目検討がつかないが公務員なので かなり共済年金をもらっているから 大丈夫そうといういいなあ・・・サラリーマンには なかなか難しいと思ううちは 月40万+それ以外に生活費を終身で・・なんて無理だよなァ厚生年金て 将来どのくらい出るんだろ?個人年金もしているけれどそれだって 月40万以上確実に・・なんて自信が無い息子らに老後を託したりもできないし自分らの事は 何とかせねば・・月々収入が入るというのは 少なくたって 大きなことだなと老後を考えると思う実家の両親は まったく年金を受け取っていない任意加入時代に 父が「国に預けて 何に使われるかわかったもんじゃないッ!」とか言って 年金をかけなかったからで73で引退するまでに貯めた貯金を切り崩して生活しているだから主人の親のように 終身で年金が入ってくるって事がないからホームなんて今は怖くて入れないその代わり財産がいくらあっても 年間所得(年金など)がないので非課税世帯=貧しい世帯っていうことでこれがなかなか自治体の援助があるのね母は「いいのかなァ・・でも貯金は減っていくし 割り切って役所に申請したわ・・」とか 言ってたう~~んむずかしいねえでも両家の親 それぞれ私達に負担をかけないでいてくれるのでありがたいだから うちらも老後の計画が 切迫してはいるさて毎日100円単位の商売を考えていると 日々の消費も100円単位感覚最近なんだか チマチマしているので明日は 早起きしてせっかくの新車で ドライブ&おいしいもの食べに行くことにした宿泊はワン娘が寂しがるので できるだけしないからねあした主人が どっかに連れて行ってくれるそうだよ
2011.01.22
6,7年前でしょうか真冬の 都下ですが めずらしく雪の降った日20代後半の背の高い青年が ボロボロの薄着の衣服でなにかわめきながら 震えながら歩いていたことがありました。ホームレスとか酔っ払いとかの言葉は知っていても一見どこか心身の障害があるようにも見えませんでしたので”なんで そんなことになってるの? しっかりしなさい!”とは思いました。いったん立ち止まって どうしよう・・・・と思案しましたがやっぱり躊躇しながらもその場を後にしてしまいました。それが ずっと気持ちの中に残っています。どこか支援組織 自治体とかにでもつなげられなかった・・と悔やみますホームレスの何割かは 心身の障害があって家族に 「もう大人なんだから 家を出て行くこと!」と 追い出された人々なのだと NHKの番組でやっていたことがありました。いろんな葛藤があっても そこを乗り越えてなんとか自分を立てることができればいいけれどどうやってもたとえば 目が悪ければ どうしたって目が見えないように。支援があって 使いこなせて 代替の活動方法を得られる人がいるかもしれなくても越えられないところはあるわけで本人自らが努力して越えていけるのが 望ましくてもそうできないときは・・・・・またグルグルにはまってしまった・・いつか きっと・・と 希望があった時期は千里の道も 自転車で駆け抜けて 夜昼かまわぬ甘えにも 身をすり減らしても応えてきたけれど近頃は 身をすり減らしちゃいかん長生きせねば・・・・とそう思っています。
2011.01.20
あることをきっかけに分かり合えたネッ友さんなら実生活では がんばっている分 できれば どんな場合であっても そうだよねーー・・と分かち合いたいってことになっていくことと思うなぜ リアルの家族とそうできないのかな・・と思う愛し合った家族なのだから お互いを想って 分かり合いたいはずなのにやっぱり 実生活は 正味のもので生々しいものなんだろうネットでは やっぱり少しは よそゆきな理性が働くそれが ちょうどいい深呼吸であって頭を冷やしてバランスをとれるならそんなふうに 我が子 我が主人にも そんなふうな深呼吸をしてみようかな::::::::::::主人が帰宅後 夕飯での話「ねえ ねえ 昔ってさァBみたいな子って周りにいたァ? たとえば 高校で周りに いた?」と 聞いてみた。主人「え?なんで 大学じゃなくて高校なの?」私「だって 大学なんてクラスメート観察なんてできないでしょ・・?」主人「昔の事は 覚えてないよ まして親しくも無いクラスメートなんて・・ でも みんなの方が僕のことを変なヤツって思ってたかもしれないなあ・・」ちと 目が泳ぐ主人・・自分でのとても不安な時期だったらしい私「え? どういうこと?」主人「だって 授業中ほとんど寝てたし 寝ぼけて机の上に置いた教科書とかドサッっと落として 先生に叱られたりした。 でも なんで僕 そんなふうになったんだろう・・・」私「ふ~~ん 中学校の時とは違った?」主人「うん 中学校ではうまくいっててなんでもできて いい気になってたけど 高校じゃあ ちょっと怠けたら下から数えた方がいいくらいになって 途端に やる気なくした・・必死にならなくちゃいけないなんて できないもんなァ・ 高三で 部活が終わって不登校ぎみになった。 だって 高校に通う意味がなくなったし・・・ でも あの頃は 不登校なんて選ぶ余地も無い時代で 必死で勉強してみたら なんとかなったってとこかな・・・」私「まるで お父さん自体がBそっくりじゃない・・ Bも 授業中寝てばかりで それで 寝ててもできるほど天才じゃないから ドンドン成績が下がって もっとやる気が失せて・・・ でも 高校を離れて いざ自分流の受験勉強を始めたら なんとかなって・・・」そういえば主人は 現役時代 私と楽しそうに遊んでたっけ問題集も手付かずのままで受験勉強するからって 図書館デートのときも図書館の絵本「泣いた赤鬼」やらいっぱい絵本を 二人で読んだっけ外語大って今もある?(スンマセンm(__)m)親には そこを受けるってことにして 受験の日も私と図書館にいたんだっけなァ・・・お義母さんの作った サンドウィッチを二人で食べたなあ私「あなたも 自覚しなかったかもしれないけれど 受験とか偏差値とか進学とかに違和感があったんじゃないの?しゃかりきにならなくちゃ負けるのが悔しかったとか?」「え?そうなのかなァ・・わかんないなァ・」「Bも そうなのかもねえ・・・グルグルしているうちに 期限切れになって ありゃ どうしようーーって・・ Bにも 一緒にいる彼女がいたらよかったかな・・・」おやすみねむ
2011.01.18
確定申告 大変ですよねーー私は案外好きで・・って還付申告ですけどーーー好きなのは・・アハ今回は 前の家を売った損益申告で 去年の所得税が全部還ってくるのと事業の青色申告です。どっちも利益が無いので 納めるのでなく 還付なのでーー気は楽ですがいつもの医療費控除とは違うので 手引きと格闘しております。で 自治体から紹介してもらった無料の税理士さんの指導この時期 じっくり指導してくれるってことは どこかの会社の顧問税理士さんじゃないってことかなと思っていたら なって数年の一匹狼さんでしたで 教科書で知った知識でなく 実際を経験するのに「指導」ってのが そんな新米さんにも良いようで最終的には こちらも税務署にて 相談申告するのですがその前のいろんな知識を教えてもらうってことどこぞの税理士事務所に所属するんでなく 新米さんかつ一匹狼・・はい そういう青年?うーー40歳くらいですが理解できました主人は 初め 「あれ しっかりしてないし 役に立たん いいよ断れよ・・」なんて 言ってたんですが「息子だと思ってさ 彼だって経験を積めば きっといつか独り立ちできると思うから 私達で手伝えるなら 経験の一個になってやろうよ。」と言うと税理士も よけいなこと言ったり 遅刻してきたりと やっぱり うーーーんなのですけど主人 イラッとは来るようですがビシッっと言うべきところは 言って持ち上げるところは 持ち上げてなかなか やっぱり社会人な主人 税理士さん「えーーと 開業するに当たり 100万以上する税理士用ソフトが必要なんだけど・・と両親に言ったら 『そんな金無い』と言われた。」そうなで今も 手作業なんだって去年も 収支はマイナスなんだって自治体から紹介された クライアントにも なんだか みんな逃げられて・・って さも有りなんマルマルさんが 唯一いい方だったんですよーーーーって能力はあるんでしょうが うまくいかないんですよねそれも やっぱりドンドン失敗ばかりだったら 育つものも育たないからねえなんだか 息子を見る思いで お世話になっていますそういえば・・・うちにも「なんだ つぶれそうだから来てやったよ 頑張れよ?」と 言ってくださる方が数人いるけどきっと そんなボランティアな気持ちなのかな私も助けられてるんだな誰かに傷つけられたって場合もあるけど自分だって傷つけてる助けたつもりでも 助けられてる見えない可能性もありそうだと 認識して 一人よがりにならないようにしたいな
2011.01.15
役所に出す書類の期限が迫ってた私。雛形が役所のホームページにあったけど そのエクセル形式を うち用にいじって うまく編集しなくちゃならない。じっくりやれば きっとまるちゃんできるけどさじっくりやってるひまがない。だって 〆切が今日なんだもの・・で おろおろジタバタしてたらさBがヒョロってやってきた「あ B お願いこれやってくれない?」と 情けない顔で聞くと「おう!どれ?」と 男らしいただ途方にくれていたから 原稿 資料も書いてないでも せっかく 今来てるBに助けて欲しくて あわてたわァバタバタと 資料を揃えた雛形をいじって 「え? どこをどうしたいの?」というB「え?えーーとね えーー あの・あの・えっとね そ そこにこれを入れて・・・・」「1行目にこれね?」「あ 違う ゴメン これ あ 違うか えーと それ あ そうじゃなくって・・・」と 舞いあがる私「落ち着けッ!」と 一括された「はいッ!」深呼吸して・・それでも「僕にわかるように 順序だって言って!」と言われ次々打ち込んでもらううちに「えーーーーー・・・う~~ん・・う~~ん・・」と 唸りだしたこうなったら厄介だぞ?「はい? なに B・・・」「なんでさァーー こんな表なわけ? 意味ある?」始まった・・・・腕を組んで考え出したしーーーーま 結局は この資料を出す意味から 役所がきっとこれをどう利用するか行政に活用していく予想までうまいことごまかして 納得してもらって「ああ なるほどね なら わかった!」とその後はすんなりやってくれて うまく出来上がりましたとさッ!その場しのぎな私を痛感させられたってことでもあるが・・・・それでね役所の窓口に持参して ちょっと説明しなくちゃならなっかったのねで すんなり説明 審査受けて「はい OKです。」なんて 偉そうに言われてさいごに Bが言ってた疑問点を あえてBのおっかさんでもある私は言ってみたすると「ふ~~む・・・なるほど・・そうともいえますね・・・ うん これは 上にもあげて話し合ってみます。」なんて 応えてくれたで帰ってから Bに「検討するって言ってたよ。Bのいうことは合理性があるんだね。」って 報告すると嬉しそうだったほんの一ミリだけど Bが社会と繋がったんだ
2011.01.13
今は もう一人の自分くらいに 仲良し・・まあ けんかはしますよ そりゃあ ですが犬も食わないでも昔は 横で眠る主人の顔を見て「だれだァ・・こいつ どこのどいつだ?」と 不気味に感じたことだってあるし部屋に閉じこもって 母親業ボイコットした日もあるお菓子と 2,3回の非常食と仕込んでね家出したこともあるのよ夜中にヨッパで 真剣に 明日の朝一番で出て行こう!なーんて決心して荷造りしたことも暴れて 家具を壊したこともあるのよーー私ーー奥さん!そりゃあ もう苦しかったんですよォ女はさ 自己実現できる瞬間て そうないよね本当は にんまり自分で満足してたらいいのに一回でいいから世間に認められたいわけね親から巣立って(と思って)社会に出たのもつかのままた 子育てで 自分との孤独な葛藤の日々夫に嫉妬しますよなああんな夫よりさ 私のほうが ずっと社会貢献できるさって悶々子供はそりゃあ 不安だったでしょうなあお父ちゃんと お母ちゃんどうなっちゃってんの??とねそういうもんなの30、40代はね子育ての時期ってのはね自分と他の誰か・・っていうただ 自分中心の時期から何者にも代え難いのに うまくいかない子育ての時期そうして ホッと振り返って 親をあらためて見る時期あたしって しつこいからなあできれば より良くって思うのせっかくでしょうよ人生そうそう紋切り調に 正論が無いのだと腑に落ちてあれ やっぱり残るのは伴侶であって巣立った子供を未練なく送り出してなんとか 自分と格闘するようにもう一人のことを自分の人生に受け入れなんで あんた そこにいるのよ?と問いながらもおもしろいもんで すべての総決算のような 残りの人生にとなりに伴侶がいるんですなあれ ヨッパですつじつまあってる?おやすみなさい
2011.01.12
石田さんちの大家族のTV番組見ました?あれだけ子供がいると 本当にいろんなタイプの子供達が育つんだなあと思います。あのお母さんと同年代なので 応援しながら見ていますがドキッとしたのが 末っ子の男の子に いつまでも夏休みの宿題をやらなくてカメラがあるのに 思い切り怒鳴ってましたね私なら 外に聞こえるゥ~~とかって あんなに思い切り子供に負けないくらいの大声で怒鳴れないよな。しかも その子が「母ちゃんは 自分が正しいと思ってる。」のようなことを言ったら「ああ だけど あんたを生んだのが間違いだ!・・」のようなことまで言っちゃって・・・オイオイと思いましたけどきっと石田家では 有りなんだろうなと思いました。たとえばきれいごとを言っても 見抜かれているように逆に あんなこと言っても 見抜かれててたいしたことにならない・・とか言葉尻りじゃないんだろうな魂を見抜く力を子供は持ってるもんね 今よりも もう少し前石田さんちの子供達がせーのッで思春期まっさかりだった頃はさすがに 母ちゃんは疲れ果てて ことの顛末 一つ一つを父さんに説明したり相談したりの暇もなく父さんも子供らの養育費教育費を捻出すべく 忙しく働いていた頃は夫婦の危機がありましたねえでも少し落ち着いてきたみたいですね嵐の時期が去って 見えてきた部分もあるのでしょうかねお母さんてさ子供に対するのが お仕事みたい そう言っちゃ違うか・・人生の一時期みたいじゃないですかだから みんな私は昔ひどい母だった・・とか言ってもだんだん経験して つまづいて 母友とも情報を交換して 成長するでもさ 父さんてのは 母さんが引きずり込まなきゃ いつまでたっても成長できないわけねずっとおんなじでも できなくもあるのね母さんと子供が 悩みながら 日々刻々と変わっていくのに父さんはわけがわからん状態で・・・「ねえ ねえ どうしてる? あれはどういうこと?」なんて聞くわけにもいかずへたに聞くと「まったくゥーー まだそんなこと言ってんの・・」と 嫌われるんじゃなんも言えねーーと思うなうちもねやっぱり 深くじっくり話すようになったのは Aの事があってからだな・・・・危機感を感じなくちゃ母さんだけじゃ 乗り切れないと思ったときかな夫婦ともに朝出勤前も 出社中でさえメールして 帰宅も早くなって そんで 話しぬいたなあ・・・ほんとに・・主人がお風呂に入ってるときも 時間がないからドアの外からとか(子には聞こえぬようにね)いっぱい いっぱい いっぱい話したなあだってさ旦那は 私から見れば たったの夫だけど子から見たら 血の繋がった「おとうさん」なんだもの好きとか嫌いとかじゃなく ルーツのとっかかりだもんね
2011.01.12
私って元来 突き詰めてちゃんとやるってことのできないひと ッて思ってるエッセンスを ちょこっとかじって わかったつもりになることがあるそんなときは イライラ気持も悪いのだけれどそれを解消するように きちんとちゃんと努力してコツコツ できないからさ怠けもんなんだろうなあAが 言語障害になったとき そのときはさ必死になっていろんなことただの私ならできないような努力もしたし いろんな本も読んだで 武満徹氏のことも知ってはいたそれが実家の父の撮り貯めたビデオテープの山の中に 少なからず武満氏の番組のビデオがあってそれを Bが目に留め父(Bのおじいちゃんだな)に 「このテープもらっていい?」と聞いたってことで 高尚な音楽に疎い私が 昔の記憶から「へえ 武満徹って お兄ちゃんと同じ言語障害があったんだよね?」と Bに問うと「え?・・そうなのかァ・・・」と 合点何がどうなのかは わからないまま武満徹が 繋げた 彼らの共鳴点は なんなんだ???
2011.01.11
ソレッ!う~~ん もう少しだわァ・・と耐えること2時間夜中に ちょっとヨッパになって携帯でBに「今日さ おじいちゃんち行ってきたけど ちょっと弱ったけど元気に笑ってたよ。」などとBによく似た義父の話をしたのですよ。そこから そこから 昨日書いた引き揚げの話だのなんだの かんだの 気持ちよくしゃべっていやあ ほんとにBと話すのは(私がほとんどしゃべるけど(>_
2011.01.11
今日は主人の実家へ行ってきた。車で2時間くらい。90歳の義父は 3年前の重い帯状疱疹の後 ひどい痛みが消えず入院したりしてから 精根使い果たしちゃったようでほぼ寝たきりのような生活パターンになった。それを86歳の義母が介護保険を利用しながら看ている。私の家の周りは 介護ホームが多い費用的にはピンキリだけれど 料理がまあまあという◇タミの経営するホームもある。でチラシが入ったので 今回はそれを提案として主人が持って行った。事業を始めちゃったので 頻回には行けないけれど 近くなら今よりは銀行とか お花見とか 買い物とか 一緒に過ごせるのではないかと思ったから。主人 行く前は「そんなチラシ 興味ないと思うよ。自分らでなんか考えてるだろう。」などと クールに言ってたのに積極的に説明してたわやっぱり親子だなァと思った半年前に会った時より さらに義母の耳が遠い義父も ヨチヨチ歩きがおぼつかない今年は考えなくちゃなあ・・と思う私の両親も 主人の両親も 奇遇にも戦後外地からの引き揚げ者だ。うちの両親の話は 結構聞いていたけれど義実家の両親の話は ほとんど聞いた事がなかったで 主人が今回 義母に聞いてみた「引き揚げは大変だった?」と義母は唐突に聞かれて ビックリはしていたけれど 今までになく話してくれた義母と義父は遠戚関係だったこと小さい頃から知っていたけど 義父が義母に恋したこと義両親共に 朝鮮で育ったこと義父の父は 今のソウル大学の前身 京城大学の教授をしていたこと義母は朝鮮に来る前は 中国の大連にいたこと そこで生まれたこと義母の父は 満州鉄道に勤めていたことだから引き揚げてくる20歳までは日本を知らなかったこと終戦間近には 今までいばっていた軍人達は なぜか最初に逃げていったこと残ったのは 民間人や教育関係者らだった残った若い兵隊さんは シベリアに連れて行かれた人も多いらしいある日 終戦になったけれど日本人を襲撃 略奪などがあったわけでもなく 怖いと言う感覚はなかったと言うただ お屋敷や土地 財産は 明け渡さなくてはならなかったが とりあえず 引き揚げるまでは追い立てるわけでもなく 見守ってくれたと思うってそれまでの京城(今のソウル)では 朝鮮人と日本人との関係はわだかまりはあったろうけれど共存共栄 学問や仕事では尊重し合っていた京城大の学生が 日本の京大や東大へ留学したりもしていたし義母の勤めていた化学学校でも上司は朝鮮人だったしお正月などは その上司が部下の朝鮮人、日本人を家に招いてくれてご馳走をしてくれたりして 和気藹々だったとのこと一応国家公務員に準じていたので 割合に早めに釜山港まで引き揚げるための列車には乗り込むことができたらしいきっと奥地の満州の人は もっと大変だったろうってで 手に持てるくらいの荷物だけ日本に到着するまでの食料も持たなければならないから 思い出の品や財産はほとんど持って帰れなかったそれでも 日本での生活のためにとタイプライターをやっと持ち帰ったのに やっとたどり着いた日本の博多港で 日本人に盗まれたのだって朝鮮でさえ 略奪されなかったのに・・・・数ヶ月かかって やっと本籍のある地に戻って親戚に遠慮しながら生活を立て直したんだそうだ義父は 日本に来ていて大学生だったけれどいよいよ学徒動員で もう一歩で戦地へ送られる寸前で終戦だったそうだくわしいことは けっきょく義父からは聞けず終いだったでも 義母からいろいろが聞けて良かった主人も初めて聞いた両親の話そうやって 踏ん張って生きてくれたおかげで 主人がいる私の両親も 引き揚げ者だから全てを捨てて無一文で帰って来たのだから苦労をしてきたんだろうそうやって 年老いた今があるんだな遠いようで ついこの間の戦争だ
2011.01.10
正月に実家へ行ったとき 末妹は来なかったけれど 来ていた次妹は末妹に気兼ねなく父の手を取ったり 足を揉んだりしていた姿を見て私は「ホホー わたしゃできないね そういうの」って 頭で思うより前に 無理って思う母が「次子はあーして小さい時から甘えん坊で お父さんにも甘えてたけど そういえば○子は 私がベタベタ抱っこするのとかも 嫌いだったよねェ・・」と 言ったのねそうだなーーーー今も なんか主人がベタベタしてきたら嫌だしねそういえばAも抱っこしても嬉しそうじゃなく 体を離す仕草をしたりする子だった。それに比べBは べったりだんご虫のように丸くなって 私にいつも抱っこされてたっけなァと思った次妹やBが だからって自閉的傾向が無いって言うんじゃなく私やAみたいのとか・・ 次妹やBのようなタイプとか・・やっぱり人っていろいろなんだなと思う。Aも とやかく周りでかまわれるのが嫌なタイプでだから 障害があっても 親に甘えるってことをしなくて泣き言も 甘えもせずただ 彼曰く「俺は一人ぽっちで・・」頑張ってきたんだ親にそのことを妙にかばわれたり 繕われたり変に介入されたりすることを拒んで「たった一人で・・」頑張ってきたのだと言ってただから ものすごく自分にプライドがあるとても踏み込めないほどでも大学に入ってから 病気になってやっと私達もフォローする立場を得て Aもそれを欲して 私も主人もがっちりフォローしてきたつもりだったそして無事就職して「ありがとう・・」と 気持ちも一つになったかのようになれてでもやっぱり 会社でうまくいかなくて・・・Aなりにこんなに努力してもなお うまくいかないのはこんなふうに生んだせいだって俺の努力では もう及ばないってで「責任取れよ!」になったようなのだ親の育て方ってことでは収まらないことでAが先日言ったこと「Bには 甘いよな? Bって努力もしないで端から甘えてないか? 大学卒業もしていない 俺のように勉強もしていない あいつはなにをしてるんだ? それでも 母さん達は甘やかしてるだろ?」って・・・・は?あんたは 一人で悶々と 頑張ってたんでしょあんたも 甘えていいんだよなんか 親と張り合ってないか?Bみたいに 「できな~い・・だめなんだァ・・」って甘えていいんだって思うのに甘えたいのに 甘えられないそうできないでも 確信的には 愛は感じていたと思う自分を大事に思っているとは信じていたと思うそれでなくちゃ 無条件の自信はなかったと思うんだて私も親にどうされてもしかたないなあ でも私を愛してんだなァという絶対的自信があったからそれを信じながら頼るってことが嫌だったな頼りかかる甘えるのが 嫌だった私は まったく 一人で平気 自立してるって言いたかったAもそんな 感じなのかなと思うでここへ来て自分のプライドが揺らぐような状況になってきて「でも おれは甘えないよ? だけどそれとは違って甘えないけど 責任として世話しろよ!」っていう迫り方そういう甘え方なのかもしれない障害があっても負けないでここまで来た病気になっても ここまで来たこんなに頑張ったのに こんなことになって・・・だから助けろよッ助けてよって叫んでんのかなァ・・・Aは 障害があることで 同級生に見くびられるのは我慢できなくてせめて「バカにされないように」勉強を頑張ったんだってそれから 先生にも「おじいちゃんは大学教授で どこ大出身で お父さんもどこ大出身で・・」と 言ったそうだ小五の担任が「そんなことを言ってきた子供は初めてでビックリしました。」と言われたそれほどAは 自分の地位を確保することに大変だったんな と思うどこ大出身なんて『裁縫が得意』てのと同じくらいの事なのに・・ねどんだけ 一人ぽっちで 頑張ってきたのかと思う彼らが小さい時のクリスマスの晩のビデオケーキを食べ プレゼントを開け 楽しい夜ビデオを定点に固定して撮影しておいたんだけどのちに ビデオを見ると楽しいTV番組を家族みんなが見ている中でAは とてもくらい顔で 辛い顔をしていたちっとも楽しそうでなく 子供らしくなく・・・私達には想像できないくらい辛い毎日だったろうと思う健常の友達と 普通に自分を卑下せずに 対等に過ごすひとり頑張るAを信じて いや任せきって 手抜きしてたかと思うだって Aの方から 拒否するし・・・って一種のネグレクトか?とまで 自分を省みる私が 苦しかったと同じくらい Bも辛かったしかも小学生レベルで考え 奮闘してたってことなんだな親はやっぱりある程度辛くないとなせめて子の背負う分は 辛くないとな・・
2011.01.09
私は もう全てに対しての鎧を着ているのが苦しくなってリセット・・今年はどこにも年賀状を書いてないのだ生まれ変わって この地域で新しくやっていくそう思っているのだけれど気になっていた友人二人からの年賀状には 嬉しくなった一人は ガンの手術をした友人「その後転移もなく元気です。」って一人は 息子さんが中一から不登校で 数年前から年賀状も来なくなり心配していたのだけど「息子は大学生になりました。」ってそれぞれどんだけ苦労をしただろうかでもよかった ホッとした。グルグルの渦中にある人は ある時期やっぱり年賀状が途絶えたりするなあと思うでも 復活すると 書いてくれる私も今年は 欠礼しよう今は 書けない来年は なにか書けるかも知れないなあっという間の年末年始だったたな卸し 確定申告の資料つくり・・主人と私とBで う~~んと唸りながら 四苦八苦してたBもね まだ自分の可能性を試したいのかもしれないけど 自信が無い 動けないってハローワークに行こうと思ってはいるって言ってたけど そのまま・・「そうかァ・・」とだけ答えたうちの仕事を継ぐってのは なんか世間みんな抵抗があるんだろうななんか 夢が無い実力を試せないこんなちっぽけなところで 生きていくって決めるのはつまらんつうか私だって 継げって言われたら絶対無理ありえないなにを親は勝手なこと言ってんの? だよなしかし ほんとは 親が子を産むってとこから もう継いではいるんだろう子は試せばいい子は失敗してみればいいお好きにやっていいんだなァそうとは思えなくて支配が恐ろしくて絶対無理って思うんだけど子から見て 親は支配しようなんて ちっとも思ってないってわかってきたよただ 良かれと勝手に思いこんでただけちょっと? 大いに迷惑だよね ほんと親はさ踏み台なんだよそうやって順繰り朽ちていくんでいいの親の良かれ・・の思い込みを 恐れなくっていいの好き勝手にやってみればいいの子ってそれでいいのそれで 親は嬉しかったりしてるんだから・・つじつま合ってる?真夜中に書く日記は ほぼヨッパですのですんませんおやすみなさいあしたも がんばるぞ
2011.01.04
あけましておめでとうございます。へたれならへたれ ダメ人間ならダメ人間らしく正直に愚痴って バランスをとれたらいいなと思います。よろしくお願いいたします。年末のたな卸しが なかなか大変で昨日はTVも見ずに 主人とBと3人で頑張ってました。伝票と合わねーーーーーッと消しゴムで消し去った記憶を 必死に呼び戻してつじつまあわせ まだ終わりません。Aにも声をかけていたのですが 主人やらBとも一緒に長い間作業をするっつうのが 気が引けるのか なんなのか「調子悪い。」と パスでした。ま それなりに お雑煮食べには来ましたし 「あけましておめでとう」と ポソッと言っておりました。ま今年が よい年になるといいなあ・・
2011.01.01
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