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第2日目は 中学S、中学B、高校A 部門です。中学B部門はおおむねぼくの予想したとおりの結果でした。ただ、ガリバー旅行記を演奏した2校はちょっと違った。曲によっては、ミスが気になるもの、逆に良いところが目立つものの両面を兼ね備えたものがあるようだ。そして人によって相対するものを重視すると、こういう食い違いが生じる。ぼくは網干中学に関してはミスが多く気になって、金賞は無理だと判断した。もちろん金賞のようないい響きが聞こえた箇所ももちろんあった。どちらを優先させるかの問題なのです。赤穂中学は金賞でもいいと思ったけど、やはり気になるところが多くてはっきり金だといいきれない感じだった。Bの部は全体的にレベルが低いから、ある程度ミスがあっても、聴かせ所さえ押さえていれば金賞を貰えるということでもあるのでしょう。中学S部門は、かなりずれのある結果になってしまいました。先ずチャイコフスキーの3つの評価が違った。ぼくが一番いいと思ったのは山崎東中の「くるみ割り人形」。御津中の「白鳥の湖」と波賀中の「四季」は金と銀の間という感じだった。結果は見事に逆で、山崎東が銀(奨励賞)で、御津と波賀が金で代表。これもたぶん、ぼくが細かいミスを気にしすぎたことによると思われる。でも気になるミスは少ない方がいいでしょう。ミスの少ないバンドはそれだけ練習を積んだのだからちゃんと評価してあげなくてはいけないと思う。中学の小編成は良いところと悪いところが混在しているバンドが多いので正確公平に評価するのが本当に難しい。減点のポイントと加点のポイントなどは審査員によってまちまちだし、それらを正確にカウントして点数にすることなど不可能に近い。プロの音楽家はそんなことはたやすくやってのけるのかもしれないけど、ぼくは絶対できない。30年近くコンクールを聴き続けてもできない。そんな中、これだけは納得がいかないと怒りに燃えたのが、城乾中の「ウェールズの歌」です。この曲はぼくが大学の時に指揮した経験があるので、誰よりも内容を把握しているつもり。そのぼくが聴いて、この演奏はこの曲の持つ旨みを十二分に表現していました。ユニゾンも美しかったし、ハーモニーもていねいに仕上げているのがよく分かったし、対旋律のバランスの取り方も絶妙でした。この曲をよく勉強しよい練習を積み上げてきたことが手に取るように分かりました。それなのに銀賞。あり得ないですよね。もしぼくがこのクラブの部員なら、これから先全くやる気がなくなってしまうと思う。退部するかもしれない。聞く耳を持たない審査員の前で演奏することほどばからしいことはない。たしかに、この曲はテンポが緩くて、聴きようによっては間延びのする、だるい、簡単な曲ととられるかもしれない。コンクールでは評価の対象になりやすいスピードや迫力といったものがほとんどない。格好いい、複雑なフレーズもほとんどない。でもそれでいいのかと思う。迫力と勢いだけの音楽性のかけらも見えないつまらない曲を、それなりに演奏して金賞代表。簡単ではあるけれど音楽性と吹奏楽の旨みに満ちたこの曲を充分表現して銀賞。もう一度言うけど、本当にあり得ない。 そして、その勢いだけのバンドは県大会で銅賞でした。代表に選ばれなかった広嶺中学の朝鮮民謡なら絶対銀賞以上を獲れていたと断言できることからして、この審査は絶対に間違っていたと言える。こういう審査員は二度と呼んではいけない。審査員を審査する審査員が必要だ。 高校Aの部は、さすがにレベルが違う。中学の小編成のあとで聴くせいで余計そう感じるようだ。中学のように吹けていない箇所や、音が合っていない箇所などは全く見られないので、自ずから評価のポイントが違ってくる。あからさまな減点ポイントはほとんど見出せないから、漠然とした表現力や、スピードや迫力、色彩感といったもので評価することになる。 2番目に演奏した姫路南高は、自由曲「ベルキス」の1楽章を聴いた時点で金賞だと確信したのですが、2楽章になると首を傾げざるを得なかった。2年前の明石北高のそれとあまりに違いすぎる。スピードや迫力が3分の1だ。ミスはないけれど迫ってこない。終楽章の盛り上げ方も充分とはいえなかった。この曲の最後を盛り上げるのは普通のことをしていては絶対無理。ということで、熱演には違いなかったけれど、銀賞はやむを得ないところでしょう。 唯一学生指揮者で挑んだ山崎高校は、本当に良い演奏でした。指揮者の棒の技術はさすがに問題はいろいろあったのですが、それを補うだけの、気迫、あるいは熱意のようなものがはっきり伝わってきました。関西の大学の学生指揮者に欠けているのは、この熱意じゃないかと思ったくらいです。勝ちたいんや、という必死の思いが彼らの棒には伝わっていないのじゃないか。9校中5校が金賞だったのですが、学生だけでこの5校に入るのは並大抵のことではないはずだ。
2005年07月31日
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第1日目は 高校S、高校B、中学A。高校Sの部、12校のトップに輝いたのは姫路飾西高校、2位は赤穂高校。この2校とも学生指揮者でした。学生指揮者自体かなり珍しいのに、ワンツーをやってのけてしまうとは、本当に異例中の異例といっていい。Sの部は部員数が30名に満たないチームがほとんどで、20名以下のバンドも少なくない。そういうクラブの指導者、指揮者というのは、Aクラスで金賞を狙うバンドの指揮者などとは自ずからレベルが違う。そういうレベルの低い環境であったからこそ、学生指揮者でも勝てたのだ、と言うことはたやすい。でもこの2校の演奏は本当に立派でした。正しい練習をみっちり積み上げてきたことがはっきり見えました。各パートのまとまりは本当に美しい、美しいからこそ他のパートの邪魔を全然していない、邪魔をしていないから多くの音がきれいにバランスよく聞こえる。指揮者だけでなく、各パートの上級生がやるべきことを充分認識していないと、これだけの音楽はできあがってこない。 高校Bの部は、代表2校が金賞にはなったけれど、それは便宜上のことで、6校とも銀賞ではなかったか、と感じたくらい差はほとんどなかった。実際、ぼくは姫路高と太子高が代表になると思っていた。思っていたけど飛び抜けていいとは思わなかったし煮え切らないものを感じてもいた。代表になった姫路東高と琴丘高の方がその煮え切らないものがやや強かったという印象でしかなかった。おそらく審査員の中でも割れていたと思う。 中学Aの部は、ほとんど予想通りの結果で、文句をつけるところは全くない。山陽中は金賞だと思ったけど、たしかにこの「トスカ」は分かりにくかった。元々オペラのアレンジは苦手です。聴いたことがないので、何を演奏しているのかが先ず分からない。それが歌を表しているのかオーケストラだけの演奏を表しているのかが分からない。歌だとしたらそれは何を歌っているのかも判らない。原曲を聴いたことがないから表現がうまくいっているのかどうかも分からない。ぼくは自分の分からない曲を評価することはできない。だから審査員と評価が違っても何とも思わない。ただ、演奏する方は分かっていたのだろうか、分からない曲を分からないまま演奏していたということはないだろうか。だとしたら、伝わらないですよね。 初めて聞く曲でも伝わるものは伝わるということを幾度となく経験していますからね。
2005年07月30日
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近畿大学の定期演奏会は第14回(78年)から昨年の44回まで一度も欠かさず生で聴いています、と言いたいところですが、残念ながら3回だけ聞けていません。ただ、その3回もレコードとCDを買って一応は聞けています。 この31回の中で一番の名演をあげるとすれば、躊躇なく第19回の演奏をあげる。プログラムは 1部 交響的断章 V.ネリベル 大坂俗謡による幻想曲 大栗裕 スラヴァ L.バーンスタイン 交響詩「前奏曲」 F.リスト 2部 祝典序曲 D.ショスタコヴィチ 舞踊音楽四季より「秋」 A.グラズノフ 交響曲 M.グールド アンコール アッピア街道の松 O.レスピーギ フローレンスマーチ J.フチーク すごいプログラムですよね。自由曲でよく演奏されるのが5曲も入っている。ちなみに近大のこの年の自由曲は「大阪俗謡」で、全国大会金賞。ここで演奏されたのはもちろんコンクール用の短縮版です。となると、この演奏が最も優れていたと思いがちですが、そうではありませんでした。どの曲を自由曲にしていたとしても金賞間違いなし、と言ってもいいほどの密度の高い演奏会なのでした。とくに「交響的断章」の迫力は息をのむほどです。ぼくは、この曲で全国大会金賞を獲った、関西学院大学(74年)、名古屋電気高校(82年)、山崎西中学(98年)の演奏を生で聴いています。いずれも非の打ち所のない完璧な演奏でした。ところがこの近大の演奏は、これらの演奏と印象がだいぶ違いました。完璧でないというのではない、まとまっていないというのでもない。曲を聴くより先に楽器の音が聞こえるのだ。すべての楽器の音が目の前で吹いているように聞こえる。指揮者の頭の2~3m後ろにぶら下がっているノイマンのマイクロフォンと同じところで聴いてるかのようだ。ぼくが聴いているのはフェスティバルホールの2階の後ろの方の席。これだけ離れていて、木管も、ラッパも、低音楽器も平等に、分離がよくきいて聞こえる。それぞれの音が実に生き生き、伸び伸び、つやつやしていて飽きることがない。評価などする気になれないし、そんな余裕もない。出てくる音出てくる音を楽しむので精一杯なのです。それで気がついたのですが、この曲のタイトルは誤訳ではないか。ムーブメントの音楽的な意味は「楽章」です。交響曲の第1楽章が、ファーストムーブメント、だ。断章という意味は、文章の断片、という意味でしかない。音楽に文章はないから、断章というタイトルはあり得ない。「交響的楽章」とするしかなかったはずだ。それでも、あまり意味をなしていない。複数の曲があってこその楽章だから、単一の曲に敢えて楽章とするのはほとんど無意味といっていい。単一の曲が楽章であるならば、ほとんどの曲がシンフォニックムーブメントではないか。「交響的無題」と訳すのと同じことになる。故に、このタイトルの本当の意味は「交響的動き」ではないか。ムーブメントの本来の意味を作曲者は意図していたに違いない。実際この曲は動き回っている。メロディ(主旋律)を吹くパートがめまぐるしく動く。時に1拍ずつ移動する。メロディだと思っていたらいつの間にか伴奏になり、合いの手だと思っていたパートがメロディになったりする。この動きについていく(振り回される)楽しさこそこの曲の本領ではないのか。 祝典序曲も格別と言うしかない演奏です。思い込みで喋ってる恐れもあるので、ありったけの祝典の録音を持ちだして聴き比べてみました。この演奏の5年前の近畿大、関西大、淀川工業高(82年、01年)、信愛女学院高、大阪府音楽団の6種。それぞれなかなかに優れた演奏です。特に信愛女学院は同じフェスティバルホールでの演奏で、ヴォリューム感たっぷりで非常に安定した演奏です。これ以上はないだろうといえる演奏です。でもその後で、この近大を聴くと、全然違う。圧力が全然違う。本当にすべての楽器が迫ってくる、食いついてくる、吹ききってくる。会場の空気が鳴りまくっているのが実感できる。録音でですよ。パワーだけじゃない、リズム打ちをするパートは本当に軽やかで的確。この7つの録音の中で一番テンポが速いのにです。ホルンのメロディからピッコロに移って最後オーボエでしめる流れの所では、ピッコロとユニゾンで吹いているトランペットのハイトーンが本当に美しい。余裕で吹いているとしか思えない軽やかさで、音程も全然崩れない。この部分でこのハイトーンがきっちり聞こえたのはこの演奏だけなのでした。ラッパは本当に自由自在だ。そして、木管もそのラッパに全然負けていない。全部のパートが思いきり吹いているのに全然つぶし合いをしていない。全部が負けていないので本当に強い音が気持ちよく入ってくる。 この2曲以上に感動したのがリストです。ぼくは元々この「前奏曲」が好きではありませんでした。ところがこの近大の演奏を聞くや、大好きな曲になってしまいました。先ず、木管のアルペジオです。金管楽器のファンファーレのような壮大なメロディの下で必死に吹いているのですが、たいていの場合何をやっているのかよくわかんない。ところがこの近大の木管ときたら、負けてなるものかとばかりに思い切りかみついてくる。金管を食ってやる、消してやると言わんばかりだ。実際の所は金管の方がよく聞こえているのだけれど、その意気、気迫というものがありありと見える。そして決定的だったのが、最後の方の長大なスケールです。これも普通金管の陰に隠れて、か細く弱々しい線で終始しがちのフレーズです。ところがこのクラリネットは何ですか。この太さ、力強さ、流れの美しさ。金管という暗雲をつんざいて勢いよく天に舞い上がる昇り龍のようではないか。本当に素晴らしくてほれぼれするばかりです。これだけの音量であれば、オーケストラにも勝っているのではないかと思い、5種類の録音と聴き比べてみました。カラヤン=ベルリンフィル、ムーティ=フィラデルフィア、マズア=ライプチヒゲバントハウス、ショルティ=ロンドンフィル、フェレンチェク=ハンガリー国立の5種類。やはり別物という感じが先ずする。ヴァイオリンの音色は細くて鋭いし、クラリネットは太くてマイルド。音色をそのまま再現できているかと言えば、首を振るしかないけれど、音量や存在感は全然負けていない。いないどころかどのオーケストラより美しく存在感を示している。別物ではあるけど、ぼくは一番好きです。そして、こういう音楽ができれば、本当に最高だと思う。吹奏楽の理想の姿であることは、疑う余地もないのです。
2005年07月06日
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