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この日記を書くまでに数日逡巡した。迷った理由そのものは難しいものではないが仮にもそれでご飯を食べてきた商売で見聞きしたことも含まれているからで、これまでもお客さんについて書かなかったわけではないが出来る限り職業も特定せずにいたのもある。けれど考えてみれば貸切であったわけではなく、見ようと思えば誰でも目に映ったことでもあるしまた共に生きたと言える我々道産子だけではなく道外のお客さんにまで迷惑をおかけしているJR北海道の現状を見るにつけやはり私が見た事実は書いておかねばと思った。これまでここでJR北海道の車両について書いたことはある。10年近く前だったと思うが当時乗った車両(通勤形)で生まれて初めてドアの上のビスが緩んだ音を聞いた。元々国鉄時代、なんちゃら鉄という用語がない頃から乗るのが好きで昭和の末までに国鉄北海道全線には乗ったくらいだから割合と色んな車両に乗ったとは思うが、その前の子供時代入れて40年ほど乗っていて初めて明らかなビスの緩み音を聞いた。そしてその驚きの原因を考えていると店をよく使ってくれていたJRの人達の国鉄時代からJRを経た移り変わりも思い出していた。ちょうど大勢で来る人達が変わってきた頃合いだったと思う。主に組合関係または会合の後に大勢で来られることが多かったわけで、そうなると大体は職種別になる。運転士、車掌、整備、そして会社は別れたが清掃などのグループが会合などの後に寄ってくださる。昭和の頃含めて以前(概ね平成15年より前)は大勢で来ると皆さん同じものを注文しそこからはみ出ることや人はなかった。必ずジョッキ1杯か2杯、その後は焼酎、そして焼くものはホルモンとジンギスカン、後は漬物と野菜。本当はそれぞれ好みもあるだろうし他に食べたいものもあるとは思うし実際個人で来る時や小グループの時とは様変わりする注文内容で、そこは団体行動としての則とはっきりと区別があった。だから一人あたりの勘定も大体決まっていてうちもそういう則に合わせた値段を頂戴するのが長年の決まりのようなものになっていた。それが変わったのがさっきのカッコ書きの頃、今から10年ほど前になる。団体の人数が少なくなり、それに加えて見慣れない人の注文がそれまでとは様変わりした。個々人で食べたいものを注文する。これについて店側としては実はかなり難しいものもある。本当は皆さんで来られるときの勘定のまま、つまり長年慣習のようになっているお金より高くなるのはなんとなく憚られる。いつもの以外を頼んだ人からその分だけ頂戴し、いつもと同じ注文の人からはいつもの分を戴きたい。だけど食べたいから頼むものを無碍に断るわけにもいかないのはそれが前もって宴会として受けたわけではないからで、最初から一人いくら、内容はこれとこれとなっているわけじゃあない長年のお決まり同士のお付き合い。時には際限なく頼む人も出てくるようになって実は頭を抱えていた。一人くらいならまだ何とかなるがこれが複数になると流石にこれまでと同じというわけにもいかず、といって宴会じゃあないので幹事もいない。けれど昔から来ている人は食べるものもいつもと同じなわけで、テーブル3つ4つ向こうで数人が値段の張るものを食べ放題に食べている分まで割り勘でというのは店の側から見てもなんか違う。牛肉が高騰だけじゃなく仕入れの量が限られてきた頃、どうしようもなくなって別勘定の分を全額きちんと戴くようにした。その頃になると国鉄時代から団体行動を取ってきた人達も減り、OBの集まりの後ぽつぽつ来られるようになっていたのでこちらも思い切れたのもある。だから何だという話でもあるけれど、しかし気楽に来られる場末の焼肉屋での振る舞いがこれだけ変わっていた。推測を言えばこの頃から良くも悪しくも労組や職種による団体行動が減り、それと共に会話からして仕事の話、特に反省点やこれからどうするかなどの会話がほぼなくなっていたように思う。実際は仕事が終わってまで仕事の話をするのは野暮というものでもあるしそれも正論なんだが鉄道は一人では動かない。運転士だけでは動くものではないし整備だけでなんとかなるものでもない。うちには所謂幹部、背広組の方も長年おいでになっていたから店を閉めると決めた後に伺ってみたこともある。それで得た感触は概ね私の推測と違わないものでもあった。もう一度書くが本当にだから何だという話でもある。しかしこういう変遷もあったのだという事実を書いてみた。
2013.07.31
数日雨模様も相まって涼しい日が続いていたが、妙な寝起きをした今日になって夏がまた始まった。例年暑さで寝そびれたり疲れ果てて寝起きが狂ったりすることは多いけれど、それなりに過ごしやすかったのにこんな妙な寝起きの日に暑くなるとは不覚である。一つには先月まで休む暇もなかったくらい忙しかった階下の年寄りがそれなりにでも少し落ち着いたのもある。昼夜問わずだったので眠れる時に寝ようとしていたら21時22時に横になってしまい、夜中の声や物音で飛び起きる生活から少し解放されたのが大きい。ただ自分のリズムで生活できるようになると元々の夜更かしが頭をもたげるから全体の生活時間がちょっと遅めになっていた。そこに昨日断続的な雨の中リュック背負って3箇所買い物荷物持ちで疲れたのかもしれない。それなら涼しいうちにちゃんと寝ればいいものをうっかり手持ちの本を読みながらうたた寝したのが悪かった。夜中に起きてしまい、ごにゃごにゃやっているうちに明るくなり何とか寝たがドアを開けているから階下のTV2台のステレオ騒音で何度も起きる。ようやくさっき観念して起き、部屋のドアを閉めて静かになったがぼーっとしたままひたすら暑い。窓の外の空もとろりとした夏空になっていてうっすら見える雲と空の区別がつかない。暑い暑いと言ってはいてもあと2週間ばかりの北国の夏がまた始まった。
2013.07.30
政権奪還したら忌憚のない意見を述べたいというのが50を過ぎて公認団体とはいえ生まれて初めてJ-NSCに参加した時からの希望であった。つまりその希望を叶えるにはまず政権奪還、自民党が政権与党にならねば糸で吊り下げた的に向かって紙つぶてを投げるようなもので、多少はなんか飛んできたなとは判るだろうけれど的の方でもどうにもならない。だからJ-NSC参加から3年は政権奪還は手段と云えどもまずそれを成し遂げてもらわずば話が進まないと思ってもきた。ただ政権奪還して今思うのはよくもまあワンチャン逃さず政権奪還できたものだと、これは相手の敵失が大きすぎたのもあるけれど、まずは谷垣前総裁の手腕に心から敬意を表したい。さて。長年の後援者とは比べ物にならないけれど支援者の外輪、半ばお客さんとして3年ちょっと自民党を眺めてきたことになる。主に見るのは選挙の時だから組織がある程度高揚した所謂ハレの面とはいえ、2010年のまだ自民党に対する目が厳しかった時から見てきて一つ判った事がある。それは県連会長及び県連の熱意と力量がそのまま選挙に反映され、候補者そのものの当落もさることながら積み重ねた選挙の結果も国政のみならず地域に移ってくるということだ。ぶっちゃけると候補選定、決定を見ていれば県連会長や県連幹部の力量が推し量れる。どこでも県連は県連なりの地域事情や歴史的経緯や時には確執も内包しているものだろうし、県連の下の単位でもそれは同じ事なのだと思う。それらを如何に取りまとめ、時には県連として圧倒してでも見出してきて支援者のみならず有権者にこれだと、この人なんだと示すことが出来る県連はやはり強い。ネット選挙運動が始まったのでこうした姿勢の違いがどこにいてもほぼリアルタイムで如実に眺められるようになったわけで、今後はこの比較の目にも耐えられるような選挙のやり方も求められる。今回参院選はそのネット選挙運動の手始めで各陣営とも手探り、思ったよりも再生が伸びずになんだと思うこともあるかもしれないけれど、ネットの運動も継続がまず第一で続けることによって何らかのきっかけを掴むこともある。昔と違い大層な機材を揃えずとも3万円くらいの手ぶれ補正つきコンデジ程度で充分動画は撮れるからやらないのならそれはそれでいいがやると決めたのなら継続がまず第一。もう一つ自民党そのものへの意見を書けば。党役員人事、内閣改造などへの意見は内部に留めて戴きたい。マスコミにオフレコでも今は漏れる時代で、昔とは違う。それでなくとも完全与党には厳しくなる今後を見据えれば何が怖いといって自民党内部からの不協和音が一番怖い。色々意見があるのは当然で、執行部に意見があるのは有権者支援者だけじゃあない、中の人には当たり前のことなのだがこの当たり前が外にどう響くのかは与党から野党になった時に嫌というほど味わったはずで、この痛さを忘れ果てるようではどうにもならない。勝った時にもやせ我慢を求めるのは酷ではあるけれど、その代わり国民の付託を得たわけだからここは実務に邁進していただきたい。そしてこれまた酷ではあるけれど、できれば「使える野党」をも育てて戴ければとも期待している。使える使えないのは野党自身の責任だが、そうはいっても国家のことを考えれば使えない野党ばかりでは議会としても成立しているとは言いがたい。数字を始めとした事実に基づいた指摘がまず第一、しかし数字に現れない事情を汲み取れる野党が今は必要なわけで、それぞれおのおの得意分野があるのならそこに特化することから始めた思想信条ではない政治的野党の育成は野党自身には無理な現状を見ているとこれはもう与党が育成するのも国家100年の計ではないかと感じた。政策を実行する為に政権を取りたいと言って自民党は政権を奪還した。私はそれを信じてもいる。だからこそ今後は政権維持の為だけではなく国家を前に、一歩前へを継続させ次の世代次の世紀に渡せる事も信じている。今後はむしろ厳しい意見ばかりになるけれどまともな野党ができるまでは続けていきたい。
2013.07.29
先週前半までの暑さが嘘のようにここ数日涼しい日が続いている。書きかけで中途のままのようだった洗面所のフローリング材の敷き詰めはその暑い日、2日かけて終えている。昔建てた家の洗面所だから窓も小さく、熱気が籠もると抜けないのであんまり暑いとできないねえと話していたし、そもそもどんなに簡便にしても10枚以上は下地入れて5層の材を切らなきゃならないので簡単に終えるとは思ってもいなかった。ただうちは午前中、いや昼ごろまではやや涼しいのでそれがやり終えられた要因だと思う。結局仮敷きだったフローリング材の置き並べ方を変えて引き戸を隔てて隣接している台所と平行に見えるように敷くことにした。切った材は10枚ちょっと。実はこの材は前にも書いたが4方全部出っ張りと凹みがあり、これを噛み合わせればかなりきちんとぴったり敷ける。その代わりこの噛み合せを活かすには一枚切るごとにフローリング材2本を使うことになりつまり倍切らねばならない。元々洗面所の数倍(多分5倍ほど)ある台所用に買ったものだから潤沢に使うことはできるけれど、あんまり余らせてもと思い何とかまあまあ見られる程度に繰り合わせた。全体のサイズまでぴったりじゃない上に洗面台と洗濯機置き場も平行じゃあないから端の隙間から前の床が仄見えるけれどここは踏むような場所じゃないので似たようなハバキを見つけて浮かせ張りする予定。基本的に洗面所との引き戸は開けておくからぱっと見える範囲では先月業者さんにやってもらった台所と合わせて見かけフローリングのようになった。*台所は正確にはフローリングじゃなく元は防音用(だからあったかいだろうと)で厚くちょっとふかふかする床材台所の床がやや上がった分洗面所が低くなっていた上にどう見ても古めかしい模様の床材だったのでこれで見た目もそして少しは冬も過ごしやすくなればいいなあと思ってもいる。これで今年は業者さんに小屋根一枚と台所床、私達で洗面所床とごく小規模ながらリフォームを終え、おまけに16年ものだった冷蔵庫(元は私のものでそもそも小さかった)も新調した。夏が来るともう秋とそして一番長い冬にまで気が行ってしまう北国なんですが、これで少しはよくなればいいなあと。
2013.07.28
昨夜は開催が決まっていたとはいえ本当に危なっかしい雲と風の中、花火を見てきた。花火大会で例年使う駅ではなく、もう一つ手前の駅で降り対岸に渡り開始30分ほど前に橋の下に着きそこで見た。街なかを少し歩いた時は少々暑く感じた服装も吹き渡る風に晒されていると少し寒く感じるくらいの日であった。花火が始まってからも対岸を歩く人達の列が途切れない。と思っているうちに花火に吸い込まれ、ずっと寒さも忘れて見入っていた。風があるのでそれを見込んで例年と違う場所にしたのは正解で、打ち上げ後の煙を避けられたので最初から最後までうっとりと見ていた。最後恒例の大きな合図花火が終わり対岸の人々を見てこれはこの橋を渡って帰るよりはもう一つ下流の橋まで行きひと駅手前から乗るかと帰り道も決めた。花火を見た橋そのものは他より空いているが橋を渡り終えて駅までの道が狭く歩きにくい。こうすると地下鉄の乗り換えも要らないので人混みに遭う確率も減る。久しぶりの夜道は最初少し肌寒さもあったが心地よかった。空いている歩道なので私なりの速さでに歩くと座っていた時の寒さも軽くなり、駅につく頃には冷えていた身体も戻った。一人で花火を見るとどちらかというと浮かれ気分より少し鎮静する。帰り道次第ですぐ盛り場だが歳のせいもあるけれど「さて、どっか行くか」というよりまっすぐ帰り風呂に入って静かに花火の日を終えたくなる。風呂から上がり軽くご飯を食べていると雨になった。少し開けていった2階ベランダの窓を閉め、ちょっとだけその方向で見とれていた花火を思い出していた。当地の遅い夏休みが始まったが、これからだというのに花火を見ると何故かもう夏も半ばを終えた気がする。
2013.07.27
天候がまだ定まらないので13時に決定になるそうだが、今日は豊平川の花火大会の予定。今は年に一度になった街なかでの花火大会になる。前は夜仕事だったからこれは無職になった時からの楽しみで、今の生活は何もいいことはないけれど言ってみればこれが年に一度の決まった娯楽になっている。何せ一人で行くから仮に座れる場所を見つけてもどなたか座ったほうがよさそうな方がおいでになれば結局立って見てしまうが、不思議なもので花火だけは立ったまま夜空を見上げている方が雰囲気が出る。視界いっぱいに広がる色とりどりに吸い込まれそうになるほど集中するので花火は一人で行くのが常になっている。合間に人出も眺めるのだが、地上のものすごい観客に引き比べて大空に自由に放たれている花火をそれぞれに楽しんでいるのを見るのもまた楽しい。帰りは若いころならススキノに寄りついでに遊ぶと思うのだが、何せ往きも帰りも交通機関が混みあうからひと駅外して乗り降りするのと立ちっぱなしなので足がくたびれて早々に帰るようにもなった。行って歩いて眺めて帰る、ただそれだけだが快い疲れが余韻になり、どんなに見事でも一瞬で開いて消える花火の事はさっぱり忘れるけれどやはり花火はいい。天候は持ちそうだが風が強いのでひょっとしたら順延になるかなと思いつつ、楽しみを抑えかねてこれを打っている。
2013.07.26
2012年末の総選挙に突入するタイミングでこちらは大雪に見舞われていた。確かに年間降雪量は6mになる我が街のそれも雪の多い地域に居住しているから、冬支度はそれなりに終えていたが、いつもなら降っては融け融けては凍りその上にまた降り、いつの間にか根雪になっているというのとは訳が違った。公示が12月3日、実はこの前から非常に寒い日が続いていて街なかもそして郊外のここも雪が積もっていた。例年ならまだ街なかまでは雪が積もるまではゆかないような時点での雪かきが始まっていて、まさかこんなに積もってしまうとはと道産子で子供の頃から雪かきに慣れている私でさえちょっと経験したことがない冬だった。公示日第一声はそこに雨が降り足元が悪すぎて行けずじまい、だから本番の街頭を見聞きしようと必死にスケジュールを取得しようとしていた。当時はまだネット選挙運動開始前だから通常はこちらから出向いてスケジュールを教えてもらうか党幹部が来る予定を知る他ない。だが居住区の自民党幹部の方を知っていた事である程度連絡が頂けていた。後援会にも入らずにいる者にこうしたお知らせをして下さるのはありがたいことで、おまけに毎日雪かきに追われているからこちらも出られるかどうか予定も立たないからつまり当てにはならない者にも教えてくださるのはきめ細かく地域の網があるからだと理解もでき感謝もしている。本格的に候補者の選挙街頭演説を聞いたのは朝8時の一番近い場所においでになった時で、この時は吹雪のなか30分近く雪だるまになって演説を聞いていたのは関係者以外は私ともう一人候補者出身地ナンバーを付けた車から降りてきた方だけだった。次は偶然の遭遇で、やや離れた場所に雪をかき分け母とようやく買い物に出た時で、遠くから宣車の音はしていたが雪道の年寄り連れではとてもじゃないがこちらからは近づけず、もし視界に入ったらいつも持って交通機関などで広げて読んでいた自民党パンフを振ろうとカバンから出しているタイミングでその横道を通り過ぎた…と思ったら市議と候補者が降りて来てびっくりしたということもあった。何せ雪かきが毎日何度もあり、おまけに寒い。これの合間に何とかして街頭に行こうとするのだが本当に埋もれてしまっていて、個人演説会が徒歩圏であった時も階段や門内の雪かきはあとに回して出かけたが、それはご近所どこも事情は同じでおそらく予定の半分ほどしか集まらなかったのではないかと思ってもいる。街なかに総裁が来るという時には生憎の猛吹雪、おまけに土壇場になって飛行機が飛ばないのではないかというほど酷くなり、結局総裁は来ないまま地元議員のリレー演説だったけれど中途で帰る人もなく立ち止まって話を聞く人がどんどん増え、増えただけじゃなくこれまでにない若い年齢層もじっと真っ白になって話を聞いていた。これを見てひょっとしたらいいところに行くかなという感触は持った。ただ正直言って居住選挙区の小選挙区勝利は願っていたがそれはかなり厳しいかなと踏んでいたのも事実で、だからこそ交通機関の行き帰りなどではパンフレットを広げ読んだりもしていた。足しになるとは到底思えないが、しかしそれが年寄りと同居し雪かきに追われている日常でできる精一杯でもあった。総選挙で勝った時はようやく取り返してくれたと思ったが、しかし結果の差ほどの実感はなく、北海道で全勝したというのも正直ほんとかねと居住選挙区の数字を何度も見返した。忌避の忌避による勝利だとしたらこれはよほど頑張らないと捻れのある参院選を翌年控えているだけに一層危惧していた。しかし組閣から閣僚記者会見などを見ているうちに日本を取り返した実感が出てきたのも事実で、それは躍り上がって嬉しいというよりももっとしみじみしたもので、事実上野党の時しか知らない私にさえ3年半の出来事が次々に思い起こされた。年が明け2013年になった。しかし雪との戦いは連日続き、雪の止み間には屋根の雪下ろしテラスの雪片付けなど本当に休む暇がなく、そういう時に有難かったのはネット動画であった。身動きが取れず、毎日疲労困憊している中でも自民党公式サイトの新しい動画や総選挙での風景アーカイブなどを眺めていると孤立感が癒される。各地の模様や東京最終演説などを眺めて春を待った。春も遅かった。3月半ばに党大会に行ったけれど、真っ白に埋もれた我が家からいざ東京に着いてみると日当たりのいい場所では桜が咲き、桜だけじゃない花々が咲き草や樹の緑が陽光に照り返していてこれは本当に違う国だなと思った。早い時には3月も末になれば雪割りを始められるものが4月になり、それも連日ずっしりと重くなった半ば氷を割り、少しずつ日の当たるところに出してそれを半月繰り返した。もう腰が限界だという時になってようやく雪割りが終わった。その時にはすでに各地参院選の準備、つまり参院比例区候補選挙区候補が徐々に出始めていたのだが、我が北海道は相変わらず決定が遅くここでも少々意見を書いたことがある。とはいっても決定した以上、私は参加した時に腹を括ったわけでネット選挙運動も開始することもあり6月にまた会合で東京に行った。忙しい時間を割いてくださった新藤大臣、平井議員、木原稔議員、そして自民党広報本部に心から感謝している。こうしてネット選挙運動の準備をしつつ参院選を待った。とは言っても事務所開きに顔出しした時に感じたのだが、野党の時とは段違いな人手があった。たまたまタイミングよく証紙貼りや貼ったポスター、チラシ纏めに参加でき出陣式に間に合っただけのようなもので、後はアレルギーと相談しての選挙戦になった。雪が多い年は暑いというがまさに7月は連日暑く、日焼け止めを二重に塗った顔はともかく塗り方のぞんざいだった足の甲や膝、腕などは湿疹と日焼けで見るも無残なことになったけれど結果は捻れを解消した。これで本当に最初J-NSCに参加した時に宣言した「忌憚のない意見を述べられる」ようになったのが心から嬉しい。ここで末尾ながら忌憚のない意見を少し言えば何が怖いといって自民党内部からの軋轢や不協和音がこれまでの何倍も外に響くということだ。有権者の多くは忌避の忌避の結果自民党を選択したのは間違いなく、私にしてもどう見ても国政を委ねられるのが自民党しかないから支持しているわけで、これでまた一体どちらを向いているのか判らない党内抗争でも始められたら一体どうすりゃいいんだと、これは老婆心かもしれないがこれまで何度もあったことだから改めて気をつけていただきたい。本当に政権奪還が目的ではなく手段であったのだと証明できてこそ有権者と共に日本を取り戻すつもりなのだなと判るから。これだけの大国になれば一度傾いたものを戻すには大きな労力とそして政治家だけに全部放り投げない国民有権者の当事者意識も求められる。だから他人事じゃあない自分のこととしてこれからも見続けていきたいと思っている。
2013.07.25
東日本大震災関連で私がしたことといえるようなことは当時組む予定をしていたPCほどの僅かな寄付を除いてなにもない。当時は爺婆と私3人がそれぞれ独居していた生活から3人暮らしとなり、一人は認知症、一人は老齢、私もそう若くはないということでこの生活に慣れるのに日々軋轢と小さな諍い、どうにもならなくなると夜中に散歩したりの毎日だったように思う。2011統一地方選は当地札幌は四重選挙、知事と市長と道議と市議でまずは行きやすそうな市議さん道議さんの事務所には出かけたが、自分が楽だからといって一番近いところだけというのもなにか違う気もしていたし結局は選挙事務所に度々行ったのは一番苦しいと言われていて事実そうだった市長選に主に行くことにしていた。震災に遭遇したのはこの市長選事務所で、それでなくとも厳しい選挙が震災で自粛傾向になったわけで実はこうなると出入りする人も少なく手があまりなく私はここで小旗の巻き方など所謂裏方の細かい事をやっていた。ただ、この選挙くらいからJ-NSC会員からDMがしばしばあり、そこで気がついて私の予定をTwすることにより「顔を出したいが一人では」という方をぽつりぽつりお連れしてそれこそ小人数だが選挙の実際を見て時には小旗を一緒に巻きということが増えた。全市対象というにはあまりにも小さい事務所と作業場、おまけに選挙が厳しいということで手がないから小旗巻きまで居合わせた人が何もかもやるという意味では今も私の糧になっていると思う。この選挙は結果も厳しかったが、震災時の事務局の対応自民党の対応、そして厳しい選挙の事務所での状況などを垣間見たという点で大きな声では言い難いが私の基準にもなった。ただ全国的にも全道的にも概ね自民党が固く勝ち、全体の潮目が少し変わったかなとは内心思ってもいた。この選挙では最終演説も応援に行き、終了後ゴミ拾いしていたら某放送局ディレクターのノートを拾って届けたりした。どちらかというとJ-NSCとしては地方選挙だと中々動きにくく、また例えば市議道議だと同地区(札幌市の区)から複数出るのでこっちに行ってあっちに行かないというのもどうなのかと猫の手レベルなのに考えこんだりもしたが、よく考えてみると我々は「やれる時にやれることを」なので狭い地域で顔が差して困るのなら隣でもその隣地域でもいいわけで、そういう点では頭さえ切り替えれば自由にできる。これは一つの後援会に入って肩入れするのも無論いいけれど、そうじゃなくもっと機動的にかつその時の都合でもなんなら旅先や出張先でもというフレキシブルさを持っているのだと思えば活動の範囲も広がる。翌2012年は年の初めから実感として民主党政権の終焉を肌で感じていた。しかし自民党を応援するものにとって何が困ったといって地元選挙区の支部長が決まらないほど困ることはない。誰がいいとかどうとか口を出せるような立場ではないが、それだけにこの決定の遅さには相当焦れていた。年寄りを抱えていると主な主戦場はネットで、無論始まれば現場にも行くが始まってもいないのならやはりネットでとなるわけで、相手が長い間鉄板と言われているのならこちらはせめてネットだけでも知名度を上げるほかはなく、この時くらいに密かにGoogleでサイトを作り用意しておいて決まったら無理かもしれないがインタビューしてサイトに上げようとしていた。自民党サイトを見ると他都府県では続々と支部長が決まっていて、その地域のJ-NSC会員や県によっては県連会長の協力で積極的にJ-NSCが関わる動画などが出てきていて、内心これは出遅れると焦っていたのも事実。しかしこちらにはこちらの事情もあるのだろうしと見た目は平静を装ってもいた。どこかに出かけるとこの焦りが元になり自分でも何を言い出すか判らんと思ったので支部長が決まるまではどこにもほぼ顔は出さなかった。そして民主党が追い詰められ解散の声がいよいよ高くなり、こちらではもう冬支度が始まっている頃に支部長が決まった。5期務めた道議会議員ではあるがここから数百キロ離れた地域選出。北海道は広いが道央圏ならまだ各種街頭などに顔出しなどもされていて馴染みはあるけれどと最初は驚いた。他の選挙区支部だと近隣やその地区の地方議員で、正直こんなに離れた地域の道議会議員はあんまり聞いたことがない。本州で言うと県を3つほどまたいだ向こうからという感じ。しかし私はまず我が目で見てから我が耳で聞いてからがスタンス。全く接点も何もないがとにかくできたばかりの支部事務所にお邪魔し、最初の決起集会に行かせて貰いたいとお願いした。できたばかりなどというものではなくFAXや通信を引いているさなかだったけれど、快く受け入れてくださり最初の決起集会-事実上の選挙区への顔見世-に出かけた。かなりの人が集まっていたのはまず最初の驚きで、もう一つの驚きは妙な声を妙なところから出すプロの司会者ではなく選挙区市議が落ち着いた声で司会をしていたことで、これでまず好感は持った。ご本人の演説というか挨拶も見た目と違い流石地方議員を何期もされているだけあって力強い。挨拶の中身は無難ながらこれは選挙始まったら街頭も聞きたいと思った。忘れられないのは帰り、こういう会合につきものの候補者夫妻の見送り風景。数百キロ離れた出身地域からバスを仕立てておいでになった後援会の方々が涙ながらに「今度からここで頑張りなさい」と口々に仰っているのをそっと眺めていた。大事な地域の議員を託してくださったのだなと、私はこの光景で本気で腹を決めたといえる。しかし腹を決めてなんでもやると誓ったのを根本から覆される日常も始まった。あまりに長くなったのでまた明日ということで。
2013.07.24
4年前麻生政権時の解散が決まったのが2009年7月22日。ここにも書いた記憶があるのだが私は2006年総裁選時に「今回は安倍さんより麻生さん」と思っていてそれくらいから麻生氏には注目し自民党サイトもチェックするようにはなっていた。生まれて初めて当時居住していた地域の自民党支部に行きポスターを分けてもらい窓に貼り、支部通称ギャンブルパンフを自民党本部に直接連絡して送付してもらい、それをこつこつとポスティングしていた夏の日を思い出す。当時はまだ店をやっていて、今とは選挙区も違うのだが近隣で自民党のポスターを住宅に貼っていたところは半径500m付近では当時借りていた私のアパートの部屋くらいであった。普通は商売をやっていればタブーであろう政党ポスターが小さな商店街に次々と貼られていたのも2009年選挙の特徴で、うちの店も母と相談し自民党ポスターを店の横に貼った…はいいが次々と破られてもいた。結局自民党が惨敗し、悔し涙を抑えながらここに「民意」というお題の日記を書きその無念さが消えない秋に中川昭一氏の死去に酷い痛手を受けた年が2009年であった。翌2010年春、自民党からメールが来た。ギャンブルパンフを配った人に送っていますというそのメールはネットを主な活動拠点とする団体を作るのでどうだというお話であった。民主党政権が出来る前から私でさえ予想していた酷さが現実になってきているところでもあり、自民党がベストと言うよりは最早自民党にまた政権を取り返してもらう他日本を委ねられる方法はもうないと思い定めていたところでもあったからそのお話にはすぐ参加の意志を伝えた。その時に私は条件というのではないが「与党になったら忌憚のない意見を送りたいので是非早く政権を取り返して戴きたい」とした。それまでも比較的政治には興味はあったものの実際には50過ぎて初めて政治というものに積極的に関わり、ここのトップページにあった文言を変更しJ-NSCに参加することにした。2010年の青年局一斉街頭を聞きに行き、翌月2010年7月参院選が初めての選挙活動参加になったわけだが、最初は「人を見ること」に終始することになる。だからその為には候補者に限らず自民党を我が目で見て聞いてということになるのだがそれは私にとってどちらかというといい方に認識を改める機会でもあった。衆参共に野党であるという状況での選挙はそれはもう過酷なもので、J-NSCが全く知られていない上に実質ただの外野の傍観者である私にもその過酷さは沁みた。何とか比較第一党、但し野党ということには変わりないという誠に微妙といえば微妙だがしかし足がかりにはなる結果になった2010年参院選だった。そして私事では2010年春から夏にかけて父の認知症が発覚しその対応をどうするかも家族で話し合う機会が増え、またそれによるトラブルや親戚の訃報など今に繋がる事態が進んでもいた。店を閉めるという決心をしたタイミングでJ-NSCの第一回公式オフ会が札幌に決まり、その準備や道連への挨拶に追われつつも店を閉めるのだから最早宣伝行為にはならんだろうということで有志の方々に「よかったらどうぞ」とお知らせしたのもいい思い出になった。そして2011年1月の自民党総会に行きその時の自民党議員の方々の雪に対するねぎらいに感銘を受けた。雪が降らない地域やお育ちからいって雪かきなんぞしたことがなかろうという議員さんまで北海道から来たというと雪害に触れてくださったのはなるほどこれが長年政権党であったことなのかと。その記憶が薄れないうちの春先に統一地方選が始まり、その序盤に東日本大震災が起きた。その時の自民党の活躍は忘れられない。中央もさることながら地方選の事務所という小さな単位でも手伝いの私達を気遣い、また生中継で津波被害を目の当たりにした時点で交通機関を確認し作業が中途のままで構わないからまず自宅を無事をと言ってくださり、すでに事務所と責任者の電話は地震関連で鳴りっぱなしになっていた。自宅に戻りそこから丸3日は当時唯一繋がっていたTwitterでの情報拡散や安否確認、そしてGoogleやMSが立ち上げたポータルサイトへの登録などPCを触って初めて指の腹が痺れるほどキーボードを叩いていた。救難船を仕立て動かし接岸させるのにどうしても民主党に伝えねばならないということになり、前居住地の選出議員(当時大臣)事務所に電話をかけてもかけても繋がらず、どうしようもないので出かけてこれも旧知の後援会長のところまで行ったが門前払いを食らった事もある。つくづくしみじみと民主党ではどうにもならないと改めて感じた。国家の危急時に役に立たないというのはこれはもう与党どころか国政政党としても箸にも棒にもかからないということで、反面国政政党としても自民党の動きは地方議員に至るまで早くまた的確であった。親の仇のように言われていた所謂自民党族議員の活躍なくば物資の前の油すら届かなかったのは事実で、これは優先順位の判断と要所を理解できていなければできない。諸々取り混ざっているうちに思いの外長くなったので続きは明日。
2013.07.23
例年より好天が続く中の選挙戦で、日光にあたるのが禁忌とはいえ日焼け止めを塗りつつこれはという時には出かけてきた。とはいっても野党の時とは比べ物にならないくらい人手が足りているので、お手伝いといえるようなものは殆どしないままでもあった。残ったのは足の甲のサンダルの跡とちょっと油断した膝や腕の多少の腫れ跡。ちょうど家のなんやかやと重なったのもあり何かもっとできたのではないかと、これは毎回そうなんだが終わった直後に感じている。しかし結果としては総選挙に続けて参院選でも勝ち、今後は与党の国会運営含めた政策の実施に焦点が移ることになった。内心は躍り上がりたいほど嬉しいが、反面単純に喜んでばかりもいられずさてどうなるかとも思っている。正しいことが政治的に正しいのかという哲学めいたことすら頭に浮かぶのは、これは野党時代の苦闘を見てきただけではないだろう。明日の一歩を歩み続ける始まりなのだと思うことにしている。
2013.07.22
昨夜はよんどころない事情で私の他4人、全部で5人がススキノから道庁西側まで走る羽目になった。実際は走らずともよかったのだが、勝手に間に合わないと思い込んで土曜夜の繁華街を駆け抜けたのだから世話はない。ちょっとした長さのあるもの、おまけに総勢5人、加えて街なかではタクシーに乗ろうにも歩いたほうが早く、また剥き出しの長尺ものもあるので地下鉄に乗っていいものかどうかも判らない。しかし勝手に使命感を帯び、少々の面白がりも込みで繁華街を走った。先に書いたように長尺物やかさばりものを持っている人もいるので一番荷が簡単な私が周囲の皆様に声をかけつつどんどこ行く…はずだが何せ街なかだから1丁ごとに信号がある。そこは長年暮らしている街だから間に合わないと見るや歩いてみたりだったけれど、とにかくここ20年はないほど走った。長い丁目ではさすがに足が持つかと思ったが人間夢中になると思いもかけない馬力も出る。結局先発直行した車とほぼ同着した。着いてから急がずとも良いと判ったのは大笑いだが、夏の夜をまっしぐらに走るのは中々気持ちが良かった。但し起きてみると背中に筋肉痛が少しある。足はさしたることはないが軽いものとはいえ抱えて走ったので張ったのだろう。途中でたまらなくおかしくなり、笑いを噛み殺しつつ走ったり歩いたりしていましたな。昨日のうちに期日前投票を済ませたので今日は本当にゆっくりできます。
2013.07.21
事前にあれほど総務省サイトや自民党の告知動画などを見ていたが、いざ始まってみると手探りなネット選挙運動を事実上今日終える。事実上と書いたのは本当は明日の投票日が終わるまでは法律上の扱いは同じなのでそこは気をつけねばならないが、街頭演説予定などを間違いのないように打ち込み拡散するのはもうほぼ終わったという意味で。今回、リンク先URLを貼って終わらせる事もできたしそれで済ませた場合もあるが、時には分かち書きしてでも全部Twitterに打ったのにはそれなり理由もあった。一つにはサイトの方に勘違いや重複があった場合気がつきやすく早めの告知であれば事務所側に連絡を入れて訂正してもらいやすい。また参院選の街頭演説はどこもそうだが選挙区が広いので、地元の人の感覚の場所住所記載だと例えば観光客や出張などでたまたまいるので見たいなあという人に伝わりにくいので補足しながら打てる。そしてお知らせ拡散の時間帯を調整することによって効果的に告知できる。この理由はいまどきの特に若い世代は子供の頃から友達と家の周りで遊ぶのさえ必ず予定約束をした上で遊ぶ。思いつきでその時その時集まった顔でという私の時代とは様相が変わっているし一人で行動するのさえそう。だから選挙事務所をせっつきせめて前日夕方までには大枠でいいから予定を上げてくれと言ってきた。今日の予定を今日上げるのでは間に合わない、最低限24時間前にと。概ねこれら3つの理由から手打ちにしていた。無論リスクも高く告知するつもりで間違えていたらそれこそ大変で、そこには神経を使った。元々この日記含めて余程じゃないと下書きをしない私だが、分かち書きをする時は特に神経を尖らせた。Twitterの場合だと選挙予定は勝手に書き足されることがないよう140字ほぼびっしり埋めるから書いたものにぶら下がることがないため、もし日程が変更になっても断りを入れ削除訂正がしやすいというのもあり、また「関心のある人が仕事を終えて戻る、もしくは明日の予定を考えるタイミング」をこちらで測りやすい。これがFBだといいねやコメントがぶら下がるために仮に大幅な変更があった場合ちょっと扱いに困る。せっかく書き入れてくれる人のコメントを無碍にはできず、といってこっそり上書き変更もできず、別の「変更」として書き直すのはいいがそこに改めていいねやコメントをということになるので双方の負担が増える。うっかり変更になった場所で待っている旨のコメントなどがね、特に。FBはFBのいいところもあるとは思うものの、変更や訂正がつきものの選挙運動告知にはちょっとつらいものがあるなと今回感じましたな。実際FBの設定を外部から見られない設定のままにしている候補者や、FB、Twitter両方付け焼刃で始めたはいいが使い方が未熟な候補者事務所や応援者にも見受けられたのは惜しいのだが、ネット選挙運動をする選択もあればしない選択もあると私は以前書いたわけで、ある程度使い方やコツを掴んだ上で臨まないとただリソースを浪費するだけに終わる。今回、北海道の候補や重点候補はその点はある意味過不足がなかったけれど、もっとうまく使っていた全国比例候補者もいたわけで道具(ネット)は使い方ですなあとは感じました。ということで本日は最終演説があり、今ひとつな体調が悪化しなければ出かけます。これまでと同じように最後ゴミ拾いして家に戻り結果を待つということで。
2013.07.20
というには大げさですが、洗面所の床にフローリング材を敷くことにしました。実はこのフローリング材、元々は自分たちで台所に敷くつもりで買っておいたものなんですが結局台所は業者さんに頼み先月終えました。ただ、敷くつもりとはいってもまさかに2人で大型食器棚を運ぶつもりもなく、動かせそうな家具をどけた分くらいの軽い気持ちで買ったものでして結局余ったかたちになりそういや洗面所は前のままの床だったよねえということに。暑い盛りにわざわざ窓の小さい狭い洗面所で作業することもなかろうと言い合っていた上に私が軽く暑気あたりめいたことになっていてそれどころじゃあなかった。しかし昨日、少し元気になったので実際に敷いたらどうなるか、切るにしてもどんな案配かと試しているうちに動かせる棚をずらして一応どう敷けるか試してみました。そんなこんなで判ったのは値段の割合には工作精度がよく、また素人では切るのにいささか難儀するくらい厚くまた敷いてみたら誠に見栄えもいい。仮置きというか仮組みのようにしてとんとんと端を叩ききっちり組んでみると隙間に手のひらを押し付けてみても挟まるようなこともない。これはいけるんじゃあないかと切らずに置ける場所に敷けるだけ敷いてあります。都合でどうしても切って嵌めなきゃならないのは十数枚。洗面所ですからどうしても動かせないのは洗面ユニットと洗濯機置き場、残りにうまいことなるべく切らずに済むように縦横色々試してみていました。ですのであちこち隙間はまだありますが、敷いた部分は中々いい。フローリング材といってもプロ用でしてなんでこんなに切るのに難儀すると思ったら5層でした。側面4面全部に溝がありますからきっちり嵌め込めば揺るぎはしませんし、材がだめになればまた剥がして敷けばいいというお手軽さ。狭い洗面所だからできるわけですが。隙間を埋めるための材を切る作業は一枚が大変なのでゆっくりとやることにしまして今はまだ置けるところだけに置いてある状態です。当面使う水場は避けてありますから滅多なことはなかろうと。暑い日は避け、ゆっくりやっても今月中にはなんとかなりそうですな。出来上がるのが楽しみです。
2013.07.19
どこがというほどはっきりしない不調なんですが。昨日は食欲も失せかけておりましてな。夕飯支度に下りたらご飯が中途半端な量でして、母が炊こうか炊くまいかしきりに迷っている。急がなくていいと伝え、おかずを作りご飯は父母の分を取り分けて残り(いつも半分くらい)を梅干しで食べました。うちの梅干しは戴き物も自家製も飛び上がるほど酸っぱい昔ながらのもの。そういやしばらく食べていなかったなあと。それを早い時間に食べて横になったりここPC前に座り直しているうちに少し元気が出ました。夜が涼しかったお陰もあり、遅い時間に小腹が空いた分はインスタントラーメンを。インスタントラーメンで食養生とは何事かという話ですが、普通のとはタイプが違うもので麺が胸つかえすることがない。麺もスープも一鍋にする本来の作り方ではなくお湯を倍量沸かし、スープの素を入れた丼にあけ残りのお湯で茹でた麺を湯切りして作るので更にさっぱりしております。いつもより遅めの就寝でしたが寝起きの感じが昨日一昨日より随分はっきりしてきました。週末は選挙の最終日などがあり、来週は選挙期間中に滞ってしまったことを片づけ、また楽しみにしている花火大会。なんとか明日くらいまでに取り戻さねば。
2013.07.18
ああ、バテてるなあと書いたばかりなんですが。久しぶりに昨日昼寝もしましてな。ここの処夜が比較的静かに過ごせていて、まあまあ人並みに寝起きはできていたんですが暑さとここ1ヶ月のドタバタが折り重なり解消できないまま堪えたらしくてですね。雲と湿気が今ひとつなので布団干しもできないと判り、じゃあということでとっととシャワー浴びて中食を摂りそよそよ吹き渡る窓越しの風に吹かれているうちにぐぅぐぅ。寝て起きると夕刻、うちが暑くなる頃ですんですぐに爺婆に冷やした缶詰開けて配給し、ご飯の下ごしらえなどしていました。夕飯は珍しく母が作り、食べるだけ。2時間弱の昼寝ですから夜寝そびれるかなと思ったらちゃんといつもの時間にぐぅぐぅ。我ながらよく寝ますな。寒い夏よりはずっといいんですが今年は冬が厳しかった分の埋め合わせなのか夏が早くて長い。本州に比べるのも申し訳ないような気温湿度ですが、それでも私には充分長い真夏でございます。眠れる時には寝て、食べるものを食べて何とか年寄りとこの夏を越えねば。
2013.07.17
本州ほどの酷暑ではないものの、こちらはこちらなりの夏が続き暑さに弱い私はすでにバテてきている。TL(Twitter TimeLine)越しのフォロアーさんも昨日までの連休に複数こちらにおいでになり「ああ、涼しい」など言われてはいるが道産子にとっては夏。特にうちは午前中は涼しいが夕方からぐんと室温が上がる家なので、結局ご飯支度などまで影響し夏バテがさらに続く要因になっている。去年も暑かったが、今年は暑さが早く始まったせいかそれとも軽い熱中症気味になったのがまだ尾を引いているのかすっきりしない日々が続いている。だが年寄りを抱えている家としては私もここでひっくり返ってもいられないので、運動不足になってもいかんから母と夕刻、といっても普通の家ならご飯支度をするような時間に散歩することにした。お互いの体調やら買い物で歩いた日は除くので今季これまで3回か4回だが、これが中々気持ちがいい。日暮れ前だから犬の散歩させている方や庭の手入れをされている方、遊ぶ子供達もいるし連休だと庭でBBQやら。音と匂いが同時に入ってくる。あちこち角を曲がりよそ様の庭を眺め適当に歩いておおよそ1時間。母と一緒なのでペースは落としているから私の運動不足解消にはならないが、それでも高齢の母が歩けるうちはと思ってもいる。
2013.07.16
一昨日の総裁街頭で実はかなり疲れてしまい、疲れたというよりは暑気に当たったようでこれは少しじっとしていた方がいいなと昨日起きた時までは思っていたものの。全道駆け巡っている候補者が割合と行きやすい場所に来ると聞いて寸前まで迷いながら結局出かけた。よし行こうと思ったのは理由が一つじゃあなかったから。無論私が行こうが行くまいがそんなことが大した事ではないのはよく判っていてそこじゃあない。付き添っているであろう関係者の疲れがピークであろうことと、参院選挙区といっても北海道だから実質的には地元代議士や地方議員のリレー方式になっているわけで、総裁が来るという派手な時だけじゃなく自らマイクを握り頑張っている地元議員や関係者に一人でもと思ったのが一つ。もう一つはちょっと書きにくいが私の所属する団体で2年ほど前に見かけて、ひょっとしたら地元事務所にご迷惑をかけているのではないかと案じた人達も来ているのではないかというのがもう一つ。最後は一般的な街頭の反応などをこの目で見たかった。これら全部を何とか自分で見て聞いて気になる方々と一言でも言葉を交わせたのでよしとした。戻ってきた時は疲労困憊、こんなことではどうにもならないと思いつつ今度は家の日課的なものを終え、恒例の候補者日程書き写し。これはリンク一発貼れば済むんだが、自分の打ち間違いというリスク込みで打ち出すのには訳がある。万が一候補者サイトなどに間違いや重複がある場合に判りやすいからでして。Twする時間帯もある程度タイミングも見計らっているので何かあった時に選挙事務所に確認連絡もできる。タイミングというのは今の時代の若い有権者は子供の頃から遊ぶにしてもお互い前もって予定を立てて過ごしている。だから街頭演説を見に行くにしても最低でも前日夕方まで、出来れば前々日に予定が出ていれば一人でもその場に来てくれる可能性が高くなる。今日の今日というのは私くらいまでの年代の話で、調整その他本当に大変だとは思うもののまずはそこから候補者関係者に理解していただかねば話が前に進まない。今回は党幹部、総理、閣僚クラスまで2日前3日前のスケジュールを党本部サイトで出してくれているのでそういう点では地元事務所などに話はしやすくなった。連休挟んでの長い選挙戦、特に夏なのでこうした前倒し調整は本当に効果があると思う。とまあそんなこんなで選挙戦も後半に差し掛かったわけですが、今日で連休が終われば関係者もラストが見えてくるわけで、あとひと頑張りですね。ラスト演説が恒例の当地随一繁華街になれば最後のゴミ拾いまでしに行くつもりです。
2013.07.15
道産子的にはすっかり夏でして、昨日もこれ以上ないほど塗りたくり薬も飲み万全の状態で自民党総裁の演説を聞きに行きましたが長い時間でもないのに疲れ果てておりました。演説は非常によかった。流石総裁(総理)の街頭でしてものすごい数の警備でしたが、昨年総裁選の時のような「ん」な方の姿も目立たず演説にじっと聞き入る雰囲気でした。気温は27,8度なんですが日光が強くてですね、主にそれにアテられた感じです。せっかく街に行ったものの家の近くに買い物の予定があり、昨日限定でしたから家に取って返して一服して夕方近くから母とリュック背負ってとことこと。どうも最近、この手の「出かけるんだけどゆっくりできない」のが続いておりまして、街には結構行っているんですがどこも何も見ていずひたすら用事足して直帰しまた用事のパターン。ふらくらする事が好きでうろつきつつ色々眺め、眺めながら考え事もする癖の私には中々つらい日々ですな。それと選挙期間でもあり、ネット選挙運動解禁によってある程度自由に発信発言できるようになったのはありがたいんですが以前産物を送っていただいた方にようやく道産ものが出てきたのでちょっとしたものをお返し送ろうと思ってはたと気付き、選挙期間が終わるのを待つことにしました。いや別に選挙関係なくその前の戴き物にお返ししたいだけなんですが手が止まりましてね。過剰反応かもしれませんがひとまず終わるまでということで。それとネット知人がこれまでになく当地においでになっています。こちらも期間中なのでもし選挙の話に言及でもすれば仮にお会いしても割り勘という味気なさを言わねばならず、なんだか腰の重いことに。昨日ちょっと無理をして出かけたのもあって今日明日は薬飲みつつ完全休養にしたいところでもあり、いつもなら空き時間聞いてお茶でもとなるところをじっと遠慮したりしています。そういうこともあってこれまでもお茶という時もドトールなど各自お勘定できる店を使っているんですよね。と言いつつ広い当地での選挙ですから普段は至って静かなものです。ここは住宅地ということもあってこれまで窓から宣車の音が聞こえたのは1回か2回。以前の住まいのように朝晩時には昼往復で各陣営がという通り道でもないので出かけでもしない限り本当に選挙なのかという静けさです。
2013.07.14
今日はいつもよりいささか早起きになったが、午前中から外出の予定もあるのでちょうどいい。10時30分に安倍総裁が大通西3丁目で街頭演説をする予定。この街頭演説日程は割合と早くから決まっていて与党総裁(つまり総理)が3連休のしょっぱなからこちらに来るのは最初聞いた時驚いたが、遠隔地でもあるし平日というわけにもいかないのでこうなったのも頷ける。たまたま政治に興味があるからネットで情報収集しているとなるほど総裁に限らず全国駆けまわってるなあとそのスケジュールに唖然とするが、しかしこれでネットでの中継や録画視聴がなければ選挙区範囲の広い参院選、特に北海道ともなれば自宅の周りに選挙っぽいものがあるとすれば選管のポスター掲示板とこれまで一度か二度、開けた窓からほんのり聞こえた宣車の音だけ。誠に静かな選挙といっていい。静かなのはありがたいが同時に興味を持たない人には実感があまり伴わないのも本当なのだろうなとは思った。まずは投票率の底上げが急務でもあるし、また「選挙には行くものだ」という風潮というか常識化も必要だと思いましたな。うちの親の世代のように「誰もが選挙に行けるとは限らなかった時代を知っている」最後の世代ですと歩くのもようやくなのに選挙には行かねばならないと思い込んでもいる。これはもう最後の特殊な世代例かもしれないけれど、しかし何だかんだ言ってもこの世代の投票率と数が多いとなれば政策もどうしたって高齢者向きになるのは選挙を経なければ政治家になれず政権も取れないわけなんですから自明なわけで、もうちょっと現役層に配慮した政策を求めるのならまずは投票へと。こうなります。だから現役世代やこれからの世代はもうちょっと投票率を上げて行かないと意見を反映させるのは難しく、人口比でいっても私の1世代上、団塊の世代に対抗しうる数がまずないとこの先も同じ状況は続きかねない。なのでまず投票を、その上でできれば自民党へ、そして参院全国比例区の投票は政党名よりも全国比例候補者名をというのが今回の選挙のお願いでもあります。高齢世帯に属するといえども例えば高齢者の医療費自己負担が臨時措置という形で長いこと現役層より1割も低いということを是としているわけではなく、どう考えても毎日懸命に働きまた子供を育てている現役層が医療費を気にして病院に行くのを躊躇うというのは大枠で考えても国家の得にはならない。せめて所得で分けて高所得層であれば現役層と同じ負担割合にする、その代わり通院にかかる交通費も按分するなど省庁はまたがるかもしれないけれどこれまで通りとはいかない覚悟も必要になるんじゃあないかと思います。それもこれも経済の底が上がればこれまでなんとしても動かなかった景気の歯車も回るわけで、回りさえすれば歯車自体は大きいですから北海道のような辺地にも波及はする。これをただ口開けて待つというのも北海道だったんですが、今後の気象変化をも視野に入れた長期計画を立てるとするのならインフラを整備し、このインフラをただ整えて本州並みになった所で満足するのではなくこれまで原材料産地であったものをせめて二次産業整備まで持ってゆく、北海道に足りないのはこの二次産業でもありますから人材育成含めて体制を整えるには20年30年スパンでの政治の力というものも必要になりますよね。少し政治というかスタンスというかそうしたものへの壁のようなものを感じる出来事がありまして、それによってすぐどうだ、ころりと変わるということはないにせよなるほど万人が思うようなものはできないのも政治だなとはつくづく感じたんですが、自分で決めて始めたことでもありますからやめる時は自分に関わる事にしよう、他者に拠ってやめることはないと決めて始めたことですのでこけつまろびつながらでも今日は今日のやることをやろうと思ってもいます。
2013.07.13
今週に入ってから急に思い出しように北海道南西沖地震の記録が出てきているのだが。この地震も津波で被害が拡大した災害であった。しかし被害地域が限定的であったこと、特に主な被害地が離島であったために被害の大きさと津波の速さはあまり記憶に残ることがなかった…のは東日本大震災で判ることになる。無論とっさに逃げなかったから悪いとか被災したのだというのではない。逃げられないであろう年寄りと一緒にいればそれはよくよく判っている。これが他人でもそれを置いて動けるものが先に逃げるというのは理屈ではその通り、私も呼びかけるのならそうするがではさてその場になって自分ができるのかというとそれはわからない。ただ、震災後はどこか出かけたり交通機関を利用していると「何かあったら」とお子さん連れを確認したりすることは増えた。大人なら抱えられないがお子さんならなんとかなる、自分の負える範囲は何だ、どこからどの方向にいけばいいのかなどをね。二度と起こらないということは断言できず、ましてやこの日本では大丈夫などという保証はなにもないけれど、しかしせめて同じ規模の被災は避けられるように心がけてゆくしかにあのだと改めて感じましたな。
2013.07.12
今回の参院選からネット選挙活動が開始されたが、主な観察場所であるTwitterでいえば予想の1/10ほど増加したにすぎない。どちらかというとフォロアーさんに政治関係が多いからもっともっとTL(TimeLine)が無茶なことになると思っていたけれど、いつものほぼ変わらない中にこれまでなかった分として街頭演説の撮って出しとか画像が上がり、また候補者本人や応援議員がぽつぽつ書き込んでいるくらいであろうか。FBはそのコンセプトが気に入らないのでやらないけれど、大抵の候補者は設定をオープンにsぐているのでこちらの閲覧にも困っていない。んで、先週の公示から今週明けまではまだ各陣営勢いよく何かしらの動きがネット越しでも盛んだったけれど、ここに来て昨日くらいから明らかにペースダウンした。始まって1週間、先がまだ長いのと全県区は広い上に全国比例区候補者ともなればその移動や土地土地への仁義調整その他で疲労困憊だろう。疲れがピークになるのがちょうど今頃、これはおっとろしいことにネット越しでも判る。週末3連休は嫌でも人出もあるから少し精神的に楽になり、それを越せば投票日まで一気になだれ込めるけれど、間違いなく今が一番辛い。椅子に座って日長一日キーボード打つだけでも相当積もってきているんだから現場はもっともっと大変だと思う。ですがこのしんどいのは皆同じ。ですのでもし「今日は早く片付けて」という日があったら一日すっかりよく寝てしまうのも手かもしれませんですよ。7月13日1030札幌大通公園3丁目に安倍総裁が当地に来られるということでその日は出る予定ですが明日辺りは私も少し楽をして英気を養おうと思います。
2013.07.11
昨日福島第一原発元所長の吉田氏が死去した。今になってはよく知られてはいるが、あの津波の後の全電源喪失という想定外の被災のさなか上(東電本店)と政府(菅政権)から海水注入はまかりならんと言われていたにも関わらず敢行して被害を最小限に食い止めた現場責任者でもある。当時の菅政権は今改めて考えても口を出さなくていいことには口を出し、政治家として責任を取る所では逃げ、さらに言えば時間との争いである事態にあろうことか己の誇示の為に不要なヘリを出し乗務員を危険に晒しやったことはカメラマン連れてアピールという有様だった。自衛隊ヘリで上から注水などという見栄えはするが危険なだけで2階から目薬よりまだ悪い「やった振りと自己宣伝だけはうまいが人を踏みつけて平気」なものを見せつけられただけだった。東電の現場幹部とはいえ一社員に過ぎない吉田氏を殊更に英雄視するのは本来極めて危険で本質を見失いかねないことではあるものの、しかし事実現場責任者としてそこにいて決断し実行した。日本をお救い下さり誠にありがとうございました、御礼申し上げます。
2013.07.10
実は北海道でも夏はそれなり暑い。涼しいのは盆地以外の道東道北太平洋岸くらいなもので、それ以外は毎年ほぼもれなく30度は突破する。本州ほどではないもののよくよく考えてみると今年は降雪が7m超、夏になったら33度超(昨日)というのは中々過酷だなと昨日一昨日暑さに喘ぎながらそんなことばかり考えていた。この暑さはある程度予報もされていたから先日の買い物になるわけで、その上冷蔵庫も大きくなっているから暑い中出かけずに家の中でひぃひぃ言っているだけで済んだのは幸いだった。実は窓を開けて寝たから雨の音で目を覚ましたが、うちもそうだがこれくらいの雨では皆様窓は開けたまま。エアコンも普及はしてきたもののまだこの辺りでは窓を開け風を通して凌ぐ住宅の方が多い。ただ、昨日のような好天だと2階のここは午後夕方から窓を開けたくらいではどうにもならない暑さになるので我慢していた扇風機を引っ張りだした。汗をかきにくいと扇風機の効果も今ひとつだが、それでもないよりマシで居場所でもある部屋の隅っこに溜まった熱い空気を追い出し、それから我が身に当てて少しの間楽をした。結局一晩中(実は3日連続)隣室も窓を開けたままで室温は26度。とてもじゃないが朝とは思えないけれど、それでも息をつけるように思うのはすっかり夏に慣れたからかもしれない。天気がいいと暑いのは平気な母はせっせと汗ばみながら掃除など張り切っているが、gdgdになる私はただのナマケモノで、涼しいところを探し台所やら廊下やらでへたばっている。夏が来ましたなあ。
2013.07.09
昨日朝TLに金子勇氏の訃報が流れ、その発信元は極めて確度の高いものだった。しかしながら確かまだ40代そこそこだったはずで、信じていいのに信じられず裏を求めてさまよっていたけれど誤報ではなく金子勇氏は亡くなられた。謹んで弔意を表します。ここの日記も無論私も手探りだった時代(2004年5月)にももう本当によちよちとしたものながら金子氏逮捕への憤りは書いてあり、その記述の未熟さに恥ずかしさを覚えつつ、しかし私としては今も尚あの逮捕は一体何のためだったのだろうと首を傾げざるを得ない。司法機関側が有罪にさせる為だったのかそれとも法適用の網を拡げるためだったのかから始まり、そもそもプログラムという道具を作る側には無限の利用使用時責任が伴うのか、一体誰が道具をどう使うのかまで作成者に問えるのか、また敢えて言えばあの裁判の流れは本当に金子氏の意図を汲めていたのかなど9年経った今でも判らないままだ。判らないというよりは金子氏の時間を奪い、拘留されている間Winny経由のウイルスは跋扈し、金子氏のみならず人の人生を変えるほどの副次産物を次々と生み出しても何もさせず結局一体どこの誰の何が益を得たのかすら判らなかった。結果として最高裁で無罪が確定したからよかったですねというのは金子氏にとっても、またその間自業自得ならともかく自業自得のとばっちりを食った人間には到底承服できない「無駄な時間」であったろう。何のことはない違法不法に道具を使った人間が罪を得るものであって道具にも道具を作った人間にも罪は問えないのだから。金子氏にとって失った時間はあまりにも長く、今になって思えば彼が自由の身になってから残された時間はあまりにも短かった。そして今になってようやくああだこうだ言う人間も出てきているが、しかしあなた方は当時一体何を言ったのかね。
2013.07.08
昨日の予報は早くから曇りのち雨でそれこそ昨日朝までそのまんまだった。かねてから行きたい上にどうしてもその手のところじゃあないと調達できなさそうなものがあったので、母と2人昼前から出かけた。どうせ出かけるのならということで、欲張って最初の巨大HS(ホームセンター)→いつもの買い物ゾーン→家の近くのミニ商店という移動、着るものも真夏仕様。巨大なHSはまさに巨大で、目当ての物はプロ向け、DIY向けの地下ですぐ見つかったけれど、迷い込んだネジやら工具、そして各種建設関連用品などここだけで半日いられる充実っぷり。だが足弱の母を連れているから上の階の一般向け商品をちょっと覗いて一服(立派な喫煙室がある)しつつ早めに食料品買い物に移動した。食料品はいつもの「ちょっと離れた辺り」の2軒。ここで刺身やら野菜など生鮮品を買い込み、フードコートでソフトクリームやら福島県浪江町名物の焼きそばなど軽く食べて帰路。帰路は帰路だが真っ直ぐ帰るのではなくちょっと歩いて小さな商店へ。ここは今月半ばで閉めるというのだがノートの存続嘆願書が置いてあるような店で、足腰の弱った方などが食料品を調達するにはいい店だったので閉めるまでは毎回行こうということで。何だかんだでリュック一杯、プラス最後の買い物は手持ちになる量とそして予報はすっかり外れ時には陽が照りつけた日でした。晴れは勿論曇でも雨でも今時期出かけるとなれば支度は変わらないのでアレルギー対処は大丈夫でしたが、それにしても暑かった。ですがこれで乗り換えの必要なやや離れた場所での必要なものも買ったし、今日明日の暑さには閉じこもって過ごせそうです。それにしても暑いですな。エアコンある方は点けてくだされ。TV消してエアコンとはTVでは絶対言いませんが、しかしTVよりエアコンでして、それも早い時間帯から弱のままずっと稼働させたほうがスイッチを頻繁にONOFFするより節電になります。これはコンピュータも同じで、頻繁に電源ONOFFするよりはサスペンド、スリーブ運用の方がよほど節電になります。間違いなく24時間留守にするなど以外は今時のPCならスリーブ運用を。
2013.07.07
本州に比べれば大したことはないと言いながらも耐性のない道産子にはそれなりの夏が来た。特に今週は天気の変わり方が激しく、それに伴って蒸し暑い日が多い。週の初めもそうだった気がするが、昼はともかく夜になっても蒸し暑いのにえらい早く寝てしまいベッドサイドの窓も網戸のままだった。雨なら吹き込むし夜風がほぼ直撃するのでいくら夏でも気をつけねばならないのだが、ふと起きてみてもひんやり感すら感じず念のためつけた蚊取り線香の残りの煙も真っ直ぐ立ち上っている。窓の外の小さな山にも雲というか霧がかかり、それでも降らないからこの湿気はまだ続くんでしょうなあ。昨夜もちょっと探しものをしたら汗かきましたから、働く方は大変な日々だと思います。せめてこの湿気だけでも引いてくれるといいんですが。
2013.07.06
昨日は公示された参議院選挙候補、橋本聖子事務所に行ってみた。といっても予定は午後から母と散歩し、その後間に合えばというつもりがうまく早めの時間に出て抜けられたので夕方から。伺ってみるとポスターの証紙貼りに大わらわだったので急遽手伝いし、道内出陣式と第一声にも間に合った。第一声なのともう一人の候補は朝出陣式を終えすでに道内を駆け巡っているので告知は札幌の国会議員、地方議員、関係者とかなり限られたものだったけれどそれでも大通公園には相当数の人がいた。30分ちょっと大通公園で第一声、その後一服で時間を過ごし第一声の会場跡に戻りゴミ拾いしてそこから取って返して事務所に戻り証紙貼りをまた少しだけお手伝いして帰路についた。帰り時刻なので交通機関が次から次とうまいこといき、今までにない速さで帰宅できたのと夕方からだったので疲れはさほどない。橋本聖子候補者は全国比例区道内重点候補なので全国、選挙区候補も道内を巡るので札幌の街頭演説の日程はあまりなく、揃い踏みになるのは選挙戦最終日になるだろう。また閣僚や自民党幹部も北海道に来られるが、同じく全国を回っているのでどちらも分刻みだがネット選挙運動解禁で前もって日程が判るのは本当にありがたい。なるべく私も時間を合わせてそうした街頭に行き、最後のゴミ拾いまでできればと思ってもいる。広々とした北海道対象の選挙だから札幌市郊外のここでは声も聞こえずポスターだけのような選挙だが、日程が明確になったので時間が合い都合が付けば行けるようにもなった。見聞きの機会が広がり、またネットを駆使した候補者や党の動画、特に選挙街頭のものなどが生中継や数時間で家にいても見られる。総理第一声をネット越しで見てから出かけたのでいい時代になったなと、しかしそれでも証紙貼りという極めてアナログな作業はあるんだなと両方味わった一日であった。
2013.07.05
本日、参議院選挙が公示されました。改正された公職選挙法に基づき、サイトトップにメールアドレスを明記しました。本当ならこの参院選について書くところなんですがその前に。審議された国会委員会を見られる人も少なく、改正の中身が判りにくいという声もありましたのでガイドラインとしてはこの総務省の「インターネット選挙運動」概要が判りやすいと思います。うっかりしがちなのは「未成年者の選挙運動はこれからも禁止されている」ということでして、例えば選挙活動と看做されるTwを未成年者がRTするなども含まれます。成年者もうっかりしがちなのは「有権者はメールを使った選挙運動はできない」ということがポイントになると思います。うっかりポイントを纏めたチラシも判りやすいと思います。何はともかく投票に行きましょう。国政に対する直接の意思表示は投票ということになります。当地は選挙区も広く重点候補も同じく広い北海道を駆けまわるので札幌と言えども中々候補者の話を聞くのは困難です。ですが機会を捉えてなるべく候補者の話や周囲、関係者などを見聞きしたいと思っております。
2013.07.04
私が「高木浩光」という存在を知ってからかれこれ10年以上経つ。人様を掴まえて「という存在」もないが、しかし彼の存在そのものが人によってまたは団体や会社にとって災厄かも知れないが少なくとも私にとっては疑義を持つきっかけと過程と検証をこのようにして明らかにするのかという指標にはなった。忘れもしない10年前、私は東京であるイベントというか催しというか会合に出席していた。その10年前が初めてではなくその前々年、前年と続けて出ていてその分野では当時日本でアクティブにしていた人達が出て、または出席していたと思う。強く記憶に残っているのは最後の時で、分煙スタイルになっていたから行事の合間の一服時には喫煙所に色んな人が来た。私もそれまでに数回出席しているので、ネットの知り合いがリアルの顔見知りになったりしていてそれなり楽しく時間を過ごしつつ素人ならではのしょうもない思いつきや素朴すぎる疑問を恥ずかしげもなく雑談する時間でもあった。夜から朝までのイベントだからその休憩が何度もある。何回目だったろう、いい加減疲れが出ていたので雑談のネタも相当バカバカしくまた夢のような話をしている最中、後ろの柱から視線を感じた。そこに高木氏がいた。確か彼はタバコを吸わないと思った(その前も喫煙所利用の記憶がない)が、あまりに馬鹿馬鹿しいネタは喫煙所で話しているというのはご存知だったのだろう。そうした本当に話すのも躊躇われるようなバカバカしさ満載の雑談にさえアンテナを伸ばしているのかというのが私の驚きでもあった。その時の雑談が今になってある程度現実に近づきつつあることもなくはないけれど、しかしその時はまだただの馬鹿話で、プロが苦笑いするようなしょうもなさにも関わらず煙草臭いであろう喫煙所の傍に寄り貪欲にアンテナを広げておられた姿は今も目にやきついている。さて。ネット上ではこの10年、高木氏が関わりまた関わることによって広がり是正されてきた問題が枚挙に暇のないほどある。私の記憶では高木氏は元々JAVA系の技術者だったように思っていたが、今現在彼は主にネットセキュリティ面で名を知られている。冒頭リンクにした日記はその最たるもので、加えてTwitterでの呟きがリアルタイムで加わることによって威力も増した。その高木氏がNISCに異動になると聞いた。高木浩光氏、7月1日付でNISCに研修出向する高木ひろみちゅ先生が活動一時停止を発表、音楽性の違い原因かご本人の異動関連発言は上2つに纏められていて、今現在起こっている武雄市やスマホなど彼が関わりまだ続いている問題にも言及されている。そして関わり続けている人達(私も隅っこでだが武雄市に関しては発言もしている)の中には高木氏が出向によって一旦私的ネット活動から引くことに危惧を抱くのはある意味当然かもしれない。発信、記述、伝播の全てに関して高木氏に追随するのは難しく、彼が欠けることによる影響力の低下は免れないのも事実だ。けれどそれは高木氏によらず誰にもどこにもありうる事で、嘆いてばかりいても話も事態も一歩も進まない。私はTogetterに書いた通りこういう時は来るのではないかと思っていたしまたこれはちょっと書くのはおこがましいが高木氏のような存在にとって一度は根回しや人脈が必要な世界に身を置いてみるのは決して時間の無駄ではないとも思っている。フェーズが変わったからといって彼のスタンスやベクトルが変わるものでもなかろうし、より一層実現させるための手段に近くなるという意味でも。但し抜けた穴は大きく、特に武雄市の問題に関しては彼自身が恫喝された経緯もあるだけにこちらの関係者にとっては痛いのも事実だが。しかし高木浩光の代わりはいないがそれをどう埋められるか、埋めずとも別の手段があるのではないかと考えてはいるが、先ほど高木氏のフェーズについて触れたがこちら側も違うフェーズに入ったということなのだろう。隅っこからエールを送りまたこちらも改めてこれからのやり方を始めようかと思ってもいる。
2013.07.03
今は何処もそうだろうけれど、引越しほどじゃあなくてもなにか片づけやちょっとした工事などで出てくるのはゴミとその始末。明らかにゴミであるものならまだいいが、年寄りが長年過ごしているとなんとなくそこにいつもあるが絶対に10年スパンで使っていないというものが必ずある。今回台所工事をしたのをきっかけにそのような「壊れ物ではないが不要品、または使うか使わないか判らない代物」を全部捨てた。但しこれは片付いた下の話で、上(2階)はまだまだこれから。母の荷物ももう2階に上げたきり3年経ち、本人も忘れているんだから私が黙って処分してもよさそうなものだが。何にでもなにか言いたい性格で私の物にも首と口を出すくらいだから何が面倒といって前に口頭で処分と言っていたものをまた翻したり、ゴミに纏めた後でgdgdいうのが面倒。古臭い私には似合わない服を押しつけようとしたり要らないと言っても「いいものだから」と見当違いなのでむしろこちらに困っている。そんなこんなをくぐり抜け、先ほどまずは重量物のゴミを2往復して捨ててきたわけだが。これで上の片付けとゴミ捨てに専念できる。しかし取り返した棚にぽつぽつと場所をとる大物と空き箱を寄せていっているのが現状で、まだまだ片付くのは先の話、そもそも押入れが満杯で冬ものや洗い替えなど予備布団が入らないとか洋服ダンスの前が母の衣装ケースで埋まってて開かないから中身捨てられないなど物理的障害が多すぎる。何年かかってるんだというお話だが、なんとかして今年中には本来の2部屋を取り戻したい。その為には集中して取り掛かれる日も欲しいけれど、これが中々ねえ。先月は自分の用事もさることながらあっという間に何もせずじまいで終わったくらいなもんで、道のりは遠い。
2013.07.02
これまで何度か武雄市長とその周辺について書いてきたが、秀逸な纏めもあるし各論客が優れた考証を展開もしているのでここのトップに問題の集成となるリンクを貼り、あとは日々眺めてきた。但し一昨夜から出てきた問題は疑問や疑惑などではなく明らかに犯罪であり、それも日本国内ではなく国外に向けて「日本の売り込み」とされてきたのでここはもう一度きちんと書かねばと記している。今回の概要のきっかけは#SG問題 Satisfaction GuaranteedのFacebookページの検証後の所感kここから始まる一連の疑問から始まる。次にこれらを纏めたものが12:Satisfaction Guaranteedそして小島先生のセキュリティホールmemo FB良品改め Satisfaction Guaranteed ……は剽窃だらけから始まる一連の纏めリンクがある。当たり前ですが他人のそれも商用写真や広告写真に勝手にロゴを入れてあたかも自前の商品であるかのようにしてはいけませんやね。お目こぼしがあると思えるのは例えばそれが商用目的でなく、また公共性が高いと思われるもの、更に広く認知させるのが公共の利益に叶うと思われるものでしょうか。商品写真について私も何度かここに写真を貼りましたが、それは販売企業に電話を入れてありますし記述についての申し入れもしています。んで。これについて当該企業=武雄市長の取り巻きというより彼らに言わせれば一心同体な方はどういう反応をしたか。これは残り字数が短いために端的な私の反応ですが当然ながら剽窃した側は剽窃したもの全てのデータを持っている加害者なわけで、それをまるで親告罪を受け付ける司法機関のように「申し出があれば」と抜かすのは甚だおかしい。全ての権利侵害被害者に対して自分から謝罪し撤回するのが筋でして、そんな事も判らずに海外展開がどうのなどというレベルではない。日本企業からの海外展開のように見せかけてその写真の多くが剽窃、それも悪質なことにロゴまですり替えて我が物としてFBとはいえ公開するとは一体どういう企業なのか。コンプライアンス以前の出自のいかがわしさすら感じてしまう。しかし公称400万いいねとやらがあったこのような剽窃が一体何故今まで大きな話題にならなかったか、そこも大変不思議ですな。つまりこの400万いいねとやらも本当に純粋な400万人のいいねであったのかということも含めてね。一部の見せたい人間にさえ数を見せればいいのだという悪意すら感じます。はっきり言いますと匿名可、所謂コテハン状態なTwitterよりもFBの方が実名を謳う建前からか、もしくは商用利用前提なのかスパム行為には全体に公式の処分が甘い傾向にあります。私は匿名実名論などという20世紀の議論に付き合う気は毛頭ありませんし、連続性のあるHNを12年ほど使い続け、実名よりもよほどそれなりに良し悪し別にして積み上げたものがあると思っておりますのでこのHNが使えないような半端なSNSに参加する気はありません。改めて感じたのは武雄市長のような人間の周りには尽くいかがわしさの漂う人間や行為が集まるのだなと、だからこれらがうっかり周辺自治体に擦り寄ってきたり支持政党に近づいたらそれは全力で抵抗しますよとここに書いておきます。その為なら私の取りうる手段を取ります。
2013.07.01
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