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◇3月11日(土曜日)晴れ; 旧如月十二日、己亥時々改めて自分の年齢を考えては自分でびっくりしている。僕は亥年生まれであるから、今年は満年齢で59歳になる。しかし普段忙しくしているときは、年齢など全く気にすることはない。50歳代後半だなどとは露ほど思わず、40歳代とも思わない。第一自分の歳のことなど忘れてしまっている。宴席にだって平気に出るし、僕の半分くらいの年齢の人間と張り合いながらカラオケだってガンガン唄う。しかし、時々ふっと「あぁ僕はもう来年は還暦なんだ」となって慄然とする。還暦と言えば紅いチャンチャンコを着せられ、床の間を背にして座らされ、孫たちを連れた子供達が前に並び、孫から「おじいちゃんおめでとう!ご苦労様」と言われて鼻水をすする歳だ。少なくとも世間的にはそうである。10代の時には早く20歳になって大人になりたかった。なってみたら20歳なんてオトナでもなんでもなくて拍子抜けした。20代の時には自分が40歳になるなんて信じられなかった。なってみたら「おじさん」と呼ばれて頭に来た。「冗談じゃないや。おじさんなんかじゃないぞ。」と思った。そのうち「おじさん」と呼ばれても自然に返事をしてしまうようになったら50歳になっていた。その辺から僕は歳をとるのをやめてしまったようだ。今では子供の出来た娘夫婦から「おじいちゃん」と呼ばれるのに大いに抵抗している。しかし時々吾に返ってしまうと、世間的にはもう結構な年齢なんだなぁと気が付く。僕は年齢という点では感覚が鈍くアホなのかもしれない。昨日の金曜日、古巣の総合商社に勤める友人から電話で、「会社を辞めることにしたよ!」と連絡があった。我々の世代は所謂「2007年問題」の主役である。彼も、定年より一年早く早期退職プログラムに応募したのかと、最初はそう思った。ところがそうではなく転職するのだと言う。彼は入社以来一貫して原子力関連の畑を歩んできた。総合商社での原子力部門は、ニッチであるだけに一旦配属されると潰しが利かない。深い専門知識を求められるから、総務や業務など他部門へ転属してキャリアを積む可能性が殆どない。つまり、会社のトップに向う路は最初から閉ざされているといっても過言ではない。彼も同様でひたすら原子力分野を歩いてこの歳になったのだ。ご他聞に漏れず、彼も何年か前に人事権、決裁権のない担当部長職になった。予算や戦略の分野では、それまでの部下の指揮に従う立場になったのである。こういう制度は、若手が閉塞することを避け、企業の活力を維持するためには必要なことだとは思うが、本人にしてみれば「もうあなたの時代ではないのだよ」と婉曲に言われたことと同じで、やはりいささかなりとも意気は沮喪するものである。しかし、僕などのように途中からガイシケーに出て、その後も幾つかの会社を歩いてきた人間とは違い、大学を出て以来一つの企業で営々と勤め上げてきた男だ。このまま定年まで勤め上げて、いずれは関連企業の監査役とかなんとか、要するに閑な名誉職に就いて安穏な生活に入るのだろうと勝手に思っていた。つまりは年齢に関わらず「転職」などというものには縁のない人間だと思っていたのである。それが「転職するよ!」である。聞けばエネルギー分野の財団法人で、原子力関連の専門家として働くのだそうだ。名誉職なんかではない。立派に実務の伴う仕事のようだ。昨今排出CO2削減のうねりの中で、実は原子力は密かに復活の胎動を始めている。化石燃料に代わるエネルギー源の探索の努力は他にも色々続けられているが、どれもまだ必要とされるエネルギー需要を支え得る基幹的な存在にはなり得ていない。実態はまだまだ世界は石油資源に依存している。そして、世界の石油資源は殆ど米国の支配下に置かれている。だから米国としては石油資源を握ることで世界を動かしてきたし、これからも自らの支配権を捨てるつもりはない。一方、原子力エネルギー資源であるウラン鉱床の採掘権は、アメリカではなく別の組織(ダイヤモンドカルテルなのだそうだ)に支配されてしまっているから、原子力が普及するとアメリカの立場が弱くなってしまう。屁理屈だらけのイラクでの戦争も本音は石油資源の占有的確保にあったし、アメリカが京都議定書に調印しないのも、CO2規制によってエネルギー源の主体が石油資源から原子力へ移るのを防ぐためでもあるという。エネルギー問題は、環境問題のみならず政治問題であるのだ。そういう中で、資源の少ないわが国が非石油資源の開発に力を注ぎ、政治的にもエネルギー上も一国に対する過剰依存の状態を抜け出そうとするのはむしろ当然だし健全な事だろう。電話での彼には30年以上勤めた会社を去る寂しさは微塵もなく、抱負を語る声は弾んでいた。責任を持てるポジションで、意義を実感しつつ社会とかかわりあっていける間は、歳などはとらないものなのだ。彼は五月から新天地での勤務を開始するのだそうだ。別の同期生は、やはりこの春長年勤め上げた銀行を早期退職し、又新しいチャレンジを始めるのだという。どちらにも2007年問題など無縁である。亥年のBaby Boomerの誉れである。近々首都圏の同期生を糾合して、又盛大に乾杯の宴を張らねばなるまい。浮き立つようにそう思うのである。
2006.03.11
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◇3月8日(水曜日)晴れ; 旧如月九日 丙申、国際婦人デー創業社長の殆ど百パーセントが、折に触れて「社員を全とっかえしたい」と思うのだそうである。良く分かる。実に良く分かる。肩を叩き合って一緒にビールで乾杯したいほど良く分かる。これは、既に存在する組織の階梯を登りつめて社長の椅子を手にした所謂「サラリーマン社長」の諸兄には恐らくは理解できない気持ちであろうと思う。会社を興すとその直後から資金繰りに忙殺される。僕自身も創業後半年もしないうちに資金繰りの洗礼を受けた。とにかく、会社のどこかからお金が沸いてくるなどということは金輪際無い。自分で稼ぐか、或はどこかから持ってくるかしない限り、お金なんかどこにも無いのだという状況は、考えてみれば当たり前とはいえ、いざ自ら体験してみると格別である。人も知る「良家の育ちの??」僕の事である。人様からお金を借りるなどしてはいけません、と常日頃云われて育ってきたのだから、個人はもとより組織としての借金などした事は無い。最初は銀行の通帳を見ながら途方にくれて胃の腑が縮み上がる思いであった。しかし、良くしたものでこうした事にもその内慣れる。お金を持っている連中が貸す時の条件や心理も掴めてきた。金は天下の回りものというではないか。そう肚が座ると、いささかの事では動じなくなった。そうして気が付いてみたら、仕事をするより仕事が出来るように条件を整え、それを何とか維持していく事の方が僕の主たる仕事になってしまっていた。そうなると実際の現場での仕事は数少ない部下に任せて、その力量に依存しなければならなくなる。すると今度は彼らの仕事振りにイライラが募るようになるのである。「なんでこういうことが出来ないのか」、「どうしてこんなに時間がかかるのか」、「何故頭を使わないのか」、「どうしてみすみす機会を逸して帰ってくるのか」などなど、精神衛生上よろしくないこと夥しい。しかし、そうはいってもこちらも、目の前にあるのは焦眉の急の要件ばかり。資金繰りや融資調達などの仕事は余人に任せる事など出来ない。よしんば任せたとしても、うまく行く訳は無い。幾ら若くて小さい企業で同志的結束が固いとはいえ、従業員は所詮従業員である。毎月給与がもらえるのは当然だと思っている。その給与を支払い、事業の継続を可能にする原資を調達する事の重要性は、理屈で分かっていても肚の底までは沁み込んでいない。だから、駄目だとなればそうかと帰ってきてしまう。それでは会社は立ち行かない。だから、創業社長としては、せめて我が意を汲んで君らは君らの本分を尽くしてくれよと、祈る気持ちを残して駆け回る事になるのだが、社員は中々そうは動かない。かつて所属していた大きな企業でのやり方を相変らず踏襲して、のんびりのんびり動いている。組織など有りっこないのを承知しているのに、「組織が、組織が」と言い立てる。小組織だからこそ、相互に補完し合い機敏に動かなければならないのに、つまらないことでいがみ合い、やれルールを決めてくれないと・・・などと本末転倒を言い立てる。挙句に、何とかしてくれないと辞めるぞなどと暗に匂わせては脅迫したつもりになっているのである。こちらが幹部社員と期待している連中からしてこうなのだから、そうでない連中の有様は推して知るべしである。苦労の限りを尽くして作り出したお金を、給与台帳の数字と引き比べながら、「何でこんな奴らにむざむざ持っていかせるのだ」と思う事も一度ならずある。「若しこいつらを全とっかえできたら、どんなにすっきり出来るだろう。」と思ってしまうのだ。さりながら、一人で出来る事には限界がある。小なりとはいえ組織は組織として価値を発揮できる。今は我慢と自らに言い聞かせて、会社にも早々に春が来る事をひたすら念じているのである。
2006.03.08
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◇3月7日(火曜日)晴れ; 旧如月八日 乙未; 上弦、旧事始、旧針供養昨日6日は二十四気の啓蟄であった。蟄は虫が穴篭りする様子を表す。つまりこの頃になるとようやく春の兆しも土中に伝わり、冬の間蟄居していた虫君達が、徐に閉ざしていた戸を啓いて外に出てくるというのである。この冬は首都圏地方でも本当に厳しく寒い日が多かったが、流石に啓蟄のこの日は気温も十数度にまで上昇し、平年より11日遅れで春一番が吹いた。この冬の異例の寒さに中々ご近所の梅の花も咲かず、今年は♪梅は咲いたよ、桜も咲いちゃった♪になるんじゃ有るまいかと思っていたけれど、この春一番をきっかけに梅の花も紅白繚乱となるのであろう。最近我国の観光地を写した写真を見ると、昔の写真には無かった光景に気が付く。景勝地や名所旧跡に人が群れているのは昔と変わらないが、皆一様に昔のお公家のように笏しゃく様の長方形の小道具を目の前に掲げている。笏は、今では神主さんが手に持っている姿くらいしかお目にかかるチャンスが無いが、昔はお公家さんが、第一礼装である束帯を着用に及ぶ際に手に持つ道具として用いられた。元来は、君命を忘れる事の無いように、或は何か天子の前で言上しなければならない時に、それぞれの内容を書き付けておいた、いわばカンニングペーパーなのである。しかし現代の若年貴族諸君が掲げ持っているのは、無論カンニングペーパーではなく、言わずと知れたケータイである。最近のケータイは殆ど例外なくデジタルカメラを兼ねているから、観光地に行くと皆一斉にケータイを笏のように掲げ持って、カシャカシャシャッターを切ることになる。一団となった人間が、色とりどりの笏を掲げて目を凝らしている様は、遠目にはまことに奇妙な光景である。ケータイは事ほど左様に非常な勢いで普及し、今では高齢者の一部を除き、持っていない人のほうが珍しくなってしまった。それも単なる電話としてではなく、スナップショットカメラや、電車の回数券、コンビニでのお金など、いろいろな使い方がされるようになっている。なによりケータイメールとしての使い方がすさまじい。だから最早「携帯電話」と書くのでは、使途の多様性を説明出来ない。かといって「携帯複合機能情報機器」などと大仰に書くほどのノリでは皆使ってはいない。もっと軽ぅーいノリで使われているのである。だからカタカナで「ケータイ」と書くのが最も似合っていると思う。実は僕もケータイメールを頻繁に使用する。会社宛に届いたメールを、ケータイに転送するように指定しておけば、外に出ていても急ぎの連絡を逃す心配は無いし、重い目をしてノートパソコンを持ち運ばなくても済む。何人もの人間に同じことを伝えたい時も、同報発信が出来るから、電話で伝言ゲームのような事をしなくて済む。受発信の記録が残るから、後で言った云わないで揉めることも無い。しかし、そうなると電話をかけて済む時にもケータイメールを送る事になってくるのだ。これは何もケータイに限らず、会社のメールでも同様である。以前パソコンメールが普及しだした頃、ラビットハウスにサーバーを設置し、LANを張って個人用のパソコンを置いて、夫婦背中合わせになってメールで会話しているという、笑い話のような恐ろしい実話があったけれど、今はもうそれが当たり前のようになってしまった。ケータイメールの「表現力」は、絵文字を多用するとそれなりに独自の豊かさを持つもののようで、訥弁で音声交信をするより楽しいのだとも聞く。会社でも、すぐ隣に座っている相手にメールを送っては用事を済ます。「すぐ傍にいるんだから話せば良いじゃないか」と云うと、「いえ、これは彼だけでなく社内や客先の何人かにも同時に送っているから、この方が良いんです」のだそうだ。お蔭で、日本中は随分静かになりつつあるのだ。路傍では、色とりどりの笏を掲げ持って無言で相手との「会話」に熱中し、家庭では2階と1階の間でメールで「会話」し、会社でも声高に話すことも無くひたすらメールに専念する。これが良いのか悪いのか分からないが、とにかく高々数年前には無かった、当時からすれば異様な光景である事は事実である。
2006.03.07
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