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テレ朝「Destiny」第5話です。弁護士の悪だくみで、あえて冤罪に誘導させておいて、そこから検察の不当性を暴き立てるという、まるで「アンチヒーロー」的な内容。偶然の符合?TBSとテレ朝は裏で繋がってる?役者もかぶってるし!姫野検事と東議員。#馬場徹 #アンチヒーロー #Destiny pic.twitter.com/H6Y75d20Mk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 7, 2024いまのところ、弁護士の陰謀だったのか、政治家の陰謀だったのか分からないけど、仲村トオルには、佐々木蔵之介への私怨があるようにも見えます。もしや石田ひかりをめぐる三角関係とか??でも、亀梨和也が実家を放火したってことは、もっと深い「野木家の闇」があるのかしら??野木家は先祖代々、政治の世界と結びついてそうな感じもする。ちなみに川島潤哉は、議員秘書のバッジをつけてるので、仲村トオルと政治家を繋ぐ存在なのでしょうね。◇ところで、今回の演出は、ふたたび新城毅彦に戻りましたが、妙にテイストが映画っぽすぎて、かえって見てて調子が狂いました。画面が薄いし、音声もアフレコくさいし、いまひとつテンポ感も悪いように感じます。へたに映画風を吹かせないほうがいいと思うけど。
2024.05.08
かねてから浜辺美波が推してた、阿部智里のファンタジー小説「八咫烏シリーズ」。わたしは、今回のアニメ化ではじめて触れたのですが、設定を理解するのがなかなか大変でした。ようやく第4話あたりで分かってきた感じ。簡単にいったら、皇位継承&お妃選びをめぐる権力闘争なのですね。その意味ではシンプルな物語だといえる。東・西・南・北の4家が争ってます。主人公の雪哉くんは、真の金烏たる皇太子に仕える狂言回し的な役どころ。◇皇位の長子相続制に反して、「金烏の生まれ変わりこそが皇位を継ぐべし」という謎の伝承があって、それが混乱の原因になってるのだけど、この《転生者による継承》という発想は、ダライラマとかサイババとかに似てますよね。その一方、《太陽にカラスがいて、月にウサギがいる》…という「金烏玉兎きんうぎょくと」なる考え方は、古代中国や日本神話に由来してるそうです。◇そもそも、この物語でいちばん謎なのは…すべての登場人物が、ことごとく八咫烏ヤタガラスの化身だってことw普段は人間の姿をしてるけど、どういうときにカラスになるのかいまいち分からない。カラスの本性を晒すのは卑しいことなの?第1話の冒頭では、幼いころの雪哉くんが巨大なカラスに助けられてましたが、その過去に何の意味があるかもまだ分かりません。…なお、アニメの作画については、女性キャラの顔がイマイチなのが残念です。◇原作は長大なファンタジーシリーズらしく、さながら栗本薫の「グイン・サーガ」とか、日本版「ハリポタ」みたいな感じなのかも。『烏に単は似合わない』からはじまる阿部智里さんの八咫烏シリーズの新刊『楽園の烏』がほんとにすきでした!!だいすきなシリーズの新刊で、読むのを楽しみにしていました🦦今回から新章開幕ということで🐳ぞくぞくしました!!面白すぎて1日で読んじゃいました!!なんといっても、私が好(文字数) pic.twitter.com/QPQj0UNAQ4— 浜辺美波 (@MINAMI373HAMABE) September 6, 2020 🪶キャラクター相関図🪶第1話から登場人物がすごく多い…!という声を受けまして、人物相関図を公開いたします🐦⬛ぜひ予習・復習にご活用ください!▼各種配信サービスhttps://t.co/k2OR96c6BP▼NHKプラスhttps://t.co/IU4GbrVSHi#烏は主を選ばない #yatagarasuhttps://t.co/L3Xy7zK51e pic.twitter.com/ZQ2LFyI7yl— アニメ『烏は主を選ばない』NEP公式 (@nep_yatagarasu) April 11, 2024
2024.05.07
映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」のTV初放送。NHKプラスでも配信すると思って余裕こいてたので、序盤を見逃してしまいました…。配信がないならないで、その旨アナウンスしてほしいw◇以下ネタバレ考察です。この物語の設定は、ちょうど《藪箱法師》と対照関係になってますね。> 光を反射する鏡は人を映すが、> 光を吸収する「絶対的な黒」が映すものは何か?> …それは過去だ!ご神木の祠にあった鏡は、抑圧された人格《藪箱法師》を現出させたわけですが、ご神木の樹液が生み出す絶対的な漆黒は、過去の罪などの《後悔》を実体として現出させてしまう。言い換えるならば、過去に入ったはずの《滅相》が復活するってことですね。【滅相】[名]仏語。四相の一。因縁によって生じた一切のものが現在の存在から滅し去り、過去に入ること。https://kotobank.jp/word/滅相しかも、自分自身が背負った罪への《後悔》のみならず、先祖が背負った罪への《後悔》も実体化してしまうらしい。ルーブル美術館から絵画を盗み出していたのは、モリス・ルグランなる贋作画家の一味です。彼らは、ルーブルの「収蔵品移転プロジェクト」を悪用してる。ルーブル美術館始まって以来の大プロジェクトが、静かに進んでいる。新しくできた超近代的な保存施設に、所蔵する25万点もの美術・工芸品を5年がかりで移そうという計画だ。https://globe.asahi.com/article/14279381つまり、ルーブルの地下倉庫にある未解明の収蔵品から、価値のある絵画を見つけ出しては贋作をつくり、それを新設される保管センターへ移転させ、真作のほうは自作絵画の額縁の裏側に隠して、海外オークションに出品して安く買い叩く手口。もちろんモリス・ルグランの元ネタは、アルセーヌ・ルパンの作者モーリス・ルブランですね。怪盗ルパン全集シリーズ(2) 怪盗紳士 (ポプラ文庫 海外文学 5) [ モーリス・ルブラン ] 楽天で購入 しかし、モリス・ルグランが、自作の絵画「ノワール」の裏に隠したのは、山村仁左右衛門の真作ではなく、そこから剥ぎ取った顔料の一部だったようです。盗んだ「ノワール」の裏側を見た買い付け師の男は、実体化した車の幻影に轢かれて死んでしまいました。きっと過去に轢き逃げ事件でも犯していたのでしょう。◇一方、露伴先生は、ルーブル美術館で山村仁左右衛門の真作を見た結果、山村仁左右衛門の亡霊に襲われてしまいます。しかし、後で分かったことだけど、露伴先生は山村仁左右衛門の子孫じゃなく、妻の奈々瀬さんの実家の末裔だったのよねwなぜ血縁関係のない露伴先生が、山村仁左右衛門と顔がそっくりで、山村仁左右衛門の《後悔》を背負っていて、その絵師の《才能》までを受け継いだのか?そして、そもそも、なぜ山村仁左右衛門の真作は祖母の家にあったのか?いつもながら、そのへんのロジックは不可解です。◇…それはそうと、京香さまはあいかわらず無敵っ!山村仁左右衛門の真作をガン見してたのに、なんらの《後悔》にも襲われることはありませんでした。つまり、本人のみならず、先祖代々、何も背負ってないってことwww◇◇以下は感想です。ぶっちゃけ、映画として観るほどの内容とは言いがたいけど、スペシャルドラマとしてなら十分に楽しめました。もちろん、ツッコミどころはいろいろあります。上記のとおり、露伴先生が血縁関係のない山村仁左右衛門の亡霊に襲われるとか、死者であるはずの奈々瀬さんにヘブンズドアが出来てしまうとか。やたらと蜘蛛が這いまわる必然性もよく分からない。◇そして…これを言っちゃ身も蓋もないけど、そもそも舞台がルーブルである必然性を感じないのよね。江戸時代の女の幽霊がモナリザっぽいのも変だしwこの内容なら、むしろ国内の美術館を舞台にしたほうがよかったかも。ルーブル美術館の事件が一段落した時点で、物語としてはだいたい終わりなのかなと思いきや、そこから日本に帰ったあとの種明かしが冗長だったりして、映画としてのテンポの悪さも欠点だと思うし、間をもたせるだけの演出の創意にも欠けてた感がある。◇とはいえ、若き日の露伴と奈々瀬の夏のエピソードには、それこそ泉鏡花の怪異譚みたいな風情がありました。ちなみに、露伴先生はいつからヘアバンドを巻いてるのかしら??…生まれつき?つぎは密漁海岸。
2024.05.07
TBS「アンチヒーロー」第4話。前回までは、《長谷川博己の不正義に、北村匠海が疑念を抱く…》みたいな展開だったので、堀田真由の立ち位置が謎でしたが、ここにきて、《堀田真由の父=藤木直人は、長谷川博己の宿敵?》みたいな構図が見えてきました。事務所内が敵味方で入り乱れてますwでも、藤木直人は真の悪者じゃなさそう。やっぱり野村萬斎が最大の悪者なのでは?ちなみに、藤木直人は刑事部長で、野村萬斎は検事正という関係です。野村萬斎は、「検察と警察は仲間」なんて言ってるけど、藤木直人は野村萬斎を警戒しまくってる。かたや長谷川博己は、ヤメ検の弁護士なので、野村萬斎は昔の上司なのかもしれません。そんな野村萬斎は、長谷川博己の狙いが藤木直人だと察知してる。長谷川博己の狙いは、刑事部長の「倉田」&捜査一課長の「大西」。そして、長谷川博己も、野村萬斎も、堀田真由が藤木直人の娘だということを知ってる。◇12年前に、第一審で控訴もせずに死刑が確定した糸井一家殺人事件。死刑囚として収監されてるのは緒形直人。これがどうやら冤罪っぽい。このとき藤木直人が何かを隠蔽して、まだ検事だったころの長谷川博己は、その隠蔽を暴こうとしていたようです。北村匠海も、細田善彦の冤罪を晴らそうとしてますが、長谷川博己も、緒形直人の冤罪を晴らそうとしてるのね。◇今回のの連続レイプ事件でも、早見あかりの件は嘘くさいのだけど、やっぱり藤木直人が早見あかりに接触してます。その冤罪の背後には、捜査一課長の「大西」(松角洋平)と、人権派弁護士の「宇野」(和田聰宏)もからんでる。早見あかりと接触する藤木直人。ことごとく有罪にしてる無能な人権弁護士w◇もうひとつの謎は、近藤華が演じる「紗耶」と、吹石一恵が演じる「REIKO MOMOSE」ですね。紗耶は、保護犬施設で働いてる若い女性。長谷川博己とはタメ口で話す親しい間柄。たぶん緒形直人の娘なのでしょう。REIKO MOMOSEは、6年前(2018年)に40才で亡くなった女性。第2話では長谷川博己が彼女の墓参りをしてました。堀田真由が保護犬施設を訪ねると、かつて「REIKO MOMOSE」はそこで働いていた。幼いころの「紗耶」と一緒に映った写真も残ってる。しかし、紗耶の母親ではないっぽい。緒形直人と「REIKO MOMOSE」の関係は謎です。ちなみに堀田真由が、父を問い詰める長谷川博己を目撃したのも6年前。REIKO MOMOSEも、そのころに亡くなったのだと思います。明墨(長谷川博己)赤峰(北村匠海)紫ノ宮(堀田真由)白木(大島優子)青山(林泰文)志水(緒形直人)桃瀬(吹石一恵)紗耶(近藤華)伊達原(野村萬斎)倉田(藤木直人)宇野(和田聰宏)大西(松角洋平)絵里(早見あかり)松永(細田善彦)松田優作ばりの丸グラサン!黒ずくめの峰不二子ばりにバイクをのりこなす!
2024.05.06
渋滞の柩車に妣と春深し 静寂の官公庁や落椿 二時間を惜しむくちびる桜色 パレードかファンキャップ飛ばす春疾風 青嵐海の上での人違い 色も無き渋滞にふと桜雨 黄金週間の原宿四つ折りの紙幣 潮干狩父の背中が見当たらぬ5月3日のプレバト俳句。お題は「連休の混雑」。◇関水渚。青嵐 海の上での人違い連休の水着とりどり 人違い(添削後)彼女のWikipediaによれば、>「渚」という名前は> 父がウインドサーフィンをしていた逗子の海にちなむとのこと。芸名みたいな本名!苗字もふくめて。そんな地元民らしいユニークな句材ですが、字面からは状況がまったく見えない。船上の人違いの話かと誤読されてしまいます。ちなみに、季語「青嵐」を選んだ理由がすごく謎だけど…そういえば石原良純が、「逗子の風は山から海へ吹き下ろす」みたいに言ってたような気がするし、それを地元で「青嵐」と呼ぶのかしら??もしかして裕次郎は、その意味で「嵐を呼ぶ男」だったとか??※慎太郎は自民党で「青嵐会」を結成してるよね…。知らんけど。…まあ、それはともかくとして、先生の添削は例によってまったくいただけません。海上じゃなく浜辺の場面に見えるので、かえって凡庸な内容の改作になっており、句材のオリジナリティが消失しています。さらに、中七で切って下五をオチする形式は、俳句というよりも、ほとんど川柳に近い。作者の意図に沿うならば、人混みの海 サーフィンの父いずこヨットひしめく海に父を探せりみたいになるのかなと思います。◇キスマイ宮田。パレードか ファンキャップ飛ばす春疾風はるはやてパレードみたい 春風飛ばすファンキャップ(添削後)作者いわく、> ディズニーランドのファンキャップが> いっせいに飛ばされたらパレードみたいだろう…とのことですが、その発想自体が分かりにくく、たくさんの帽子とも明示されてないので、字面だけじゃ何も見えてきません。そもそも比喩で幻想を書くところに無理がある。実景を比喩で書くにとどめれば、ファンキャップのパレード春風に舞うのように書けるし、比喩そのものを諦めるなら、春風に舞うファンキャップの絢爛のように写生できます。◇呂布カルマ。二時間を惜しむくちびる桜色二時間を惜しむくちびる桜時(添削後a)二時間を待ってむくれる子と桜(添削後b)無季の句。これも字面だけじゃ状況が見えない。桜色の唇に《春》を見出したのなら、作者にとってはそれが季語なのでしょうが、桜色をしてるのは我が子の唇だそうで、女性の口紅ではないらしい。なので、作者の意図に近いのは(添削後b)ですが、語順や季語については、花の雨 二時間待ちを愚痴たる子のようなやり方もありえます。なお「愚痴たる」は日本語として間違いかもしれないので、その場合は「不平の子」か「不満の子」に置き換えます…。◇とろサーモン村田。渋滞の柩車きゅうしゃに妣ははと 春深し渋滞や 柩ひつぎの母とゐる深春(添削後)これが今週の1位。原句は中七で意味が切れるけど、助詞で繋がるように見えるのは難点だし、季語に映像がともなわないのも難点です。添削句は、「棺」でなく「柩」と書くことで、渋滞の情報に重ねれば霊柩車を想像できる、…ということなのでしょう。◇長野智子。静寂の官公庁や 落椿祝日の官公庁や 落椿(添削後)シンプルな佳作でしたが、上五の「静寂」は説明くさいわりに情報量が足りない。そこは「祝日」「連休」のように書くのが正解だと思います。◇清水アナ。潮干狩 父の背中が見当たらぬこれもシンプルな出来。小学生みたいな可愛い内容ですが、とくに形式上の瑕疵はないと思います。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥え…本当に!?✨🎊✨#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/uLKplrRfed— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 29, 2024◇立川志らく。色も無き渋滞にふと桜雨桜雨走れり 色の無き渋滞(添削後)原句が動画的なのに対して、添削句のほうは対比的な取り合わせ。そこは好みの問題ともいえますが、個人的には添削句のほうがいいかなと思う。とはいえ、色のなき渋滞にふと桜雨色のなき渋滞に桜雨舞うのように直しても悪くはありません。助詞「も」を使ったのは安易だけれど、副詞「ふと」を使った効果はちゃんとあって、渋滞に苦しんだ時間経過を感じさせます。なので、つねに「ふと」を否定するのが正しいとは言えない。◇フルポン村上。黄金週間の原宿 四つ折りの紙幣黄金週間来く 四つ折りの紙幣(添削後a)春休はるやすみの原宿 四つ折りの紙幣(添削後b)句材は面白いのだけど、さすがに字余りが過ぎるかな。わたしは地名の「原宿」が不可欠だと思うし、上五を「連休の」にすれば17音なのですが、いかんせん季語が「黄金週間」だから替えられない。落としどころは(添削後b)でしょうが、春休を「しゅんきゅう」とは読めないので、これで字余りが解消されるわけではなく、そもそも「黄金週間」を「春休み」にしたら改作ですね。…ってことで、いまいち解決策は見当たりません。なお、個人的な印象ですが、ゴールデンウイークの直訳とはいえ、「黄金週間」って季語自体が大袈裟すぎて好きじゃない。字面がクリスマスっぽく見えるし、五月の季節感に不釣り合いな気がします。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.06
ホナミがゲイだと確定したわけではありませんが…孫の男の子は、なんとなく祖父がゲイだと知ってる雰囲気。「恋愛は男女でするもの」という先入観がない。ゲイカルチャーが身近な現代の子供とはいえ、考え方がずいぶん柔軟だなあと思います。◇ところで、鉄人28号みたいなAIロボットくんは、ちゃんと相談に答えてくれるのに、どうしてそのあと攻撃してくるの??(笑)なお、NHKが、医者への「心付け」を肯定的に描くのは、コンプライアンス的に問題があるのでは…?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.05.05
今朝は莉子が夢に出てきました。美波の夢は何度か見たけど、莉子が出てきたのははじめてかも。わたしに向かって、「大谷翔平が何本打った!」みたいな話をしてました。すこし離れたところに萌音もいたけど、萌音と話したかどうか覚えてない。わたしは飛行機の操縦免許をもってるらしく、飛行機に飛び乗って操縦するような夢でした。
2024.05.04
ドラマイズム「滅相も無い」。萌歌の泣き演技w異様に滑舌わるいの面白すぎるんだけどw古舘寛治とは何度目かの共演だよね。◇TBSの「ペントレ」にも、タイムリープの穴が出てきましたが、今回もまた穴が出現する話です。それがどこに繋がってるのか分からないけれど、世界から姿を消したい人たちに利用されてる。謎の教祖様は、それを仲介しています。◇第2話の染谷将太は、妻と娘を残して穴の中へ消えたと見せかけ、じつは穴に入らなかったらしい。要するに、「初恋の彼女と駆け落ちしたのでは?」と思わせるようなオチでした。穴に入るにせよ入らないにせよ、世の中から姿を消したい人はたくさんいて、教祖様は彼らに手を貸しています。◇なお、仏教用語の「滅相」とは、文字どおり滅びるときの相です。人生にも、物事にも、栄枯盛衰の諸相があり、その最終段階にあたるのが「滅相」になります。しかし、現代社会にはまともな「滅相」がないので、教祖様はそれをコーディネートしてあげてるのでしょう。向こう側で誰かに会いたいと願う人もいる。向こう側へ行きたい人は行けばいいし、こちら側に残るとしても、人知れずどこかへ消えればいい。これは、昔でいえば「出家」に当たるのかもしれません。いわば、駆け込み寺への逃避ってこと。実際のところ、中世までの日本の寺社は、無縁の人々のアジールとして機能してた面がある。去年の大河「どうする家康」にも出てきましたが、戦国時代になると、そうした寺社は都市機能をもった自治体にまで発展し、朝廷や幕府や諸大名に拮抗するほどの勢力でした。いわゆる「一揆」とは、農民や衆徒の反乱の意味である前に、そのような自治機能をもった寺社勢力の意味です。オウム真理教のサティアンも、そのような寺社の現代的な縮小版だったといえる。『どうする家康』第7回 “家康”松本潤、一向宗の寺へ潜入 “空誓”市川右團次と出会う #どうする家康 #松本潤 #市川右團次 @nhk_ieyasuhttps://t.co/Oyum2V27ON— クランクイン! (@crank_in_net) February 18, 2023 寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書) [ 伊藤正敏 ] 楽天で購入 寺社勢力 もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版117) [ 黒田 俊雄 ] 楽天で購入 僧兵=祈りと暴力の力【電子書籍】[ 衣川仁 ] 楽天で購入
2024.05.04
…昨日の記事の続きです!他人から卵子提供を受けて出産した場合、「その子に愛情を注げるのか」って疑問はある。でも、そこに確たる答えはないですよね。そもそも我が子に対してさえ、まともな愛情を注げない親はたくさんいるのだし。逆に、血縁のない養子を引き取って愛情を注ぐ人もいれば、配偶者の連れ子にちゃんと愛情を注げる人もいます。もちろん、子供との相性の問題もあると思う。だから、一概には言えない。◇たとえばレズビアンの女性が、男性の配偶者の精子と、女性の恋人の卵子を使って、自分のお腹を痛めて出産したならば、たとえ自分との血縁がなくても、我が子のように愛情をもてるかもしれない…なんてことを考えてみたりもします。たぶん臓器提供の場合もそうでしょうが、顔の見える知り合いからのものか、顔の見えない他人からのものかによって、感情のありかたは変わってくるかもしれません。どちらがいいのかは分かりませんが。◇もうひとつ考えるべきテーマとしては、卵子や精子の「ドナー選別」の問題があります。これは、ほかならぬ「遺伝子選別」ということ。たとえばドイツの優生保護政策では、民族浄化と称してユダヤ人が殺されたり、日本でも身障者への不妊治療が強制されたりして、あきらかな人権侵害があったのですが、卵子や精子のドナー選別と同様に、たとえば天皇のお妃選びにおいても、ペットや競馬馬の品種改良においても、実質的な遺伝子選別はおこなわれています。そして現代における遺伝子選別の多くは、企業や学校が優秀な人材を選別するのと同様に、市場原理にもとづく経済行為としておこなわれる。政策的におこなわれるにせよ、経済行為としておこなわれるにせよ、それらが差別的な人為であることに変わりはない。◇けれど、逆に、医療や福祉の充実した先進国では、自然界で生きるのが困難だった弱い遺伝子も、生き残る確率を高めてきた、という側面があります。昔なら若くして亡くなったであろう、病弱な子供や身障者であっても、先進国でなら成人して子供が産めるようになってる。それもまた、自然選択に逆らった人為であるのに違いはないし、技術的にはあらゆる遺伝子のバリエーションを残すのも、可能になっていくのだろうと思います。◇そう考えたときに、自然選択に逆らった人為はどこまで許容されて、遺伝子選別はどのようになされるのが正しいのか。進化論的な自然選択と同じように、自由経済の市場原理に任せるべきなのか。それとも国家的な政策介入によって、遺伝子選別のありかたに規制をかけるべきなのか。それとも近視眼的な人間の判断を排除して、いっそのことAIのマッチング技術を駆使し、未来社会に適した人材養成と、持続可能な人口調整をはかっていくべきなのか。社会的な議論においては、そこまでの判断が必要になってくると思います。燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.03
NHK「燕は戻ってこない」を見ました。女性の卵子売買の話です。原作は桐野夏生。脚本は長田育恵。石橋静河をひさしぶりに見ました。NHKはわりと彼女を積極的に起用しますが、民放だと坂元裕二ぐらいしか使ってないよね。◇タイトルの意味は、卵を産みっぱなしで戻ってこない母鳥?あるいは自分の巣を知らずに育った雛鳥?中絶や流産の話に加えて、ゆで卵、たらこ、ペットショップの子犬など、さまざまな命の売買の話が出てきて、主人公の友人は性の売買もしてるらしい。なお、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げてましたが、すでに女性の卵子売買は、国内にエージェントが存在して実際に行われてるそうです。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4868/第一に考えねばならないのは、やっぱり安全上のリスクですよね。まるでニワトリみたいに、いちどに数十個の卵子を作ったりするらしいし、不自然なことを人為的にやるわけだから、女性や子供の身体に問題が生じないのか気になります。◇不妊治療のバリエーションとしては、夫婦の体外受精のほかにも、・女性の卵子の凍結保存・男性の精子の凍結保存・他人からの卵子の提供・他人からの精子の提供・自分の腹から他人の子を産んで育てる・他人の腹から自分の子を産ませて育てる・他人の腹から他人の子を産ませて育てる…などがあると思いますが、今回の物語では、「夫の精子」「他人の卵子」「他人のお腹」で産む、ということのようです。倫理面での考え方は人それぞれでしょうが、これって、結局のところ、男性中心主義か女性中心主義かの問題ですよね。要するに、妻の卵子を使うにせよ、他人の卵子を使うにせよ、妻の腹から産むにせよ、他人の腹から産むにせよ、あくまで「夫の精子を使う」という点では変わりないので、問題になるのは、他人の卵子やお腹やお乳を使った場合に、妻が「自分の子」として受け入れられるかってこと。そして卵子やお腹やお乳を提供した女性の身体が、ただの道具(もしくは商品)になってしまうってこと。夫にとっては自分の子でも、妻との血縁や身体的な結びつきが薄いとなれば、それは養子を引き取る感覚に近い気がする。あるいは夫の連れ子を引き受けるような感覚?◇かつての天皇家や将軍家と同じように、男系男子の後継を必要とする家であれば、女側の遺伝子が正妻のものである必要はなく、優れた遺伝子の女性なら誰の卵子でもいいのよね。あくまで重要なのは、夫にとって「自分の子」ということであり、妻にとって「自分の子」か「他人の子」かは問題じゃない。妻の卵子である必要もないし、妻のお腹から産まれる必要もないし、妻のお乳で育てる必要もないわけです。実際のところ、昔は「正妻」「妾」「乳母」の分担があって、それが男系男子を産むための合理的なシステムだった。それが少子化や貧困の問題も相まって、一夫一妻制の現代にも復活してるのだと思います。◇でも、そこまでして子供が欲しいというのは、やはり男系の後継を必要とするような家だと思うし、そういう家では、あくまで女性は道具でしかないのであって、とくに貧しい女性たちは、そういう家に卵子やお腹を提供するか、あるいは乳母になるといった立場に置かれる。たとえ正妻になれたとしても、自分の子をもてるとは限らないのよね。時代劇を見てても思うけれど、こういう家にとって正妻の存在意義って何なのかしら?どこぞの女性に卵子とお腹を提供してもらい、産まれた子は乳母に育てさせればいいのだから、はなから正妻なんて必要ないじゃん!と思ってしまう。ある意味、セフレと大差ないのでは?◇そんな男系嫡子製造システムとして、現代にも、「卵子の商品化」「お腹の商品化」「お乳の商品化」といった話が出てきてるわけだけど、たんに卵子を提供するだけなら、大奥に入ったり妾になったりするよりマシかな、…って気がしなくもありません。もちろん、実際は、けっこう身体的な負担があるようですが…。自分の知らないところに、自分の遺伝子を受け継いだ人間がいるってのは、女性の歴史のなかでは珍しいことだけど、男性の歴史のなかでは珍しいことじゃないよね。ただし、子供の側からすれば、「自分の出自」を知る権利は保障されるべきだし、そうした権利を無視して子供を製造してるとすれば、女性のみならず子供も道具(もしくは商品)にすぎないでしょう。◇ちなみに、もし「女系の子」を産むとなった場合には、精子は誰のものでも構わないけれど、卵子は絶対に妻のものでなければならない。もし夫が種なしだったら、別の優れた男性から精子の提供を受けて、さらには必要に応じて、他の女性のお腹やお乳も借りることになる。男子のいない場合に、娘に婿を取って家業を継がせることはあるし、そういう家でなら、「娘の卵子さえ使えばいい」という考え方も、ありえるのかもしれませんよね。燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.02
テレ朝「Destiny」第4話です。なんだかモタモタしてて、前回までにくらべてテンポが悪いような。バニラアイスを買ってくるのに12年って…(笑)。しかも、事務所の前で奏(石原さとみ)の帰りを待ち伏せしてたら、アイス溶けちゃうでしょ!◇真樹(亀梨和也)の話を聞いて、カオリ(田中みな実)の自動車事故の経緯は分かったものの…あんなに暴走してる時間が長かったら、ギアをニュートラルに入れちゃうとかして、事故を防げたのでは??と思ってしまいました。描写にスピード感が欠けてるぶん、余計にそう感じる。脚本は吉田紀子ひとりだけど、演出家が3人体制なので、演出面のバラつきが不安要因かも。◇今回、あらたに分かった事実は少ない。真樹が陽キャだったのは大学時代だけで、基本的には子供のころから陰キャだったみたいです。実母に捨てられて以来、父だけでなく、義母とも義妹とも疎遠なのですね。奏の婚約者(安藤政信)は、住所不定の真樹の連絡先だけでなく、真樹と奏が同じ大学だったことも把握している。二人の関係をどこまで知ってるのか謎です。そして真樹は胆のう癌だった。ちなみに「頭部外傷と腹部強打」は救急搬送の直接原因なので、海外のNGO活動で負ったケガではなく、国内で暴力沙汰に見舞われた可能性が高いですね。祐希(矢本悠馬)は、当時から知美(宮澤エマ)とカオリの秘密を知ってたのね。なにげに彼はすべてお見通しのようです。真樹のケガの原因も知ってるのかしら?◇ところで…カオリが、トモの制止を振り切って、あくまで汚職事件の真相を探ろうとしたのは、真樹と奏の恋愛を邪魔するためだった??しかし、カオリが、「べつに真樹のこと好きでも何でもないよ」と言ったのは嘘じゃない気もするのよね。実際、そうでなければ、わざわざ真樹の父親のところへ突撃して、嫌われるようなことを言うはずがないのだから。◇とはいえ、彼女が事故死する直前に、「いちばん欲しいものが手に入らない!!」と叫んだのは、やはり真樹のことだったのかしら?もしも…カオリが同性愛者で、「じつは奏のことが好きだった」と考えれば、まったく矛盾はないのだけど。レズだったなら辻褄が合う。
2024.05.01
もともとホナミはゲイだったのかな。坂東彌十郎が、長身(183cm!)でスタイルがいいのもあるけど、どことなく身だしなみにもゲイっぽさを感じます。◇あの大きな邸で、老いた病体なのに、家のことを全部一人でやってるのも不思議だけど、会社の経営者だっただけあって、几帳面かつ生活力がある人なのだなとは思う。一代で会社を築いたのか、先代から継いだ会社なのか分からないけど、女性と結婚して娘をもうけたわけよね。でも、もしかしたら、彼がゲイであることを妻や娘が知って、家族関係が崩壊してしまったのかも。ホナミにとっては、孫が女の子でなく男の子であることが、よけいに嬉しくて可愛いのかな?…って気もする。◇そもそも、ホナミが美少女アバターとして振る舞ったのは、男性との出会いを求める下心があったからでは??性同一性障害でもないかぎり、ゲイの人が女性の容姿になろうとはしない気もするし。ナオキの場合、女性への変身願望はあったでしょうが、自分が男性であることを隠していませんでした。しかし、ホナミのほうは、(名前が女性っぽいのもあるけど)自分が男性であることを隠してましたよね。ナオキは、ホナミに対して、あきらかに異性愛を感じてたけど、たぶんホナミのほうは、(いつナオキが男性だと気づいたか分からないけど)ナオキに同性愛的な感情で接してたと思う。だから、リアルで対面しても、ナオキが男性であることに狼狽えなかったし、それどころか、最初からウェルカムな感じでしたよね。でも、いまや、ナオキまで自分からキスしたいと言い出す始末(笑)。もちろん、アバターをとおしてではあるけれど…。ちょっとゲイのマインドが出てきたのかしら??それとも、リアルのホナミに対して、女性的なものを感じはじめてるとか?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.05.01
生家のこでまり甘やかな退屈 「乗りますか」ふるさと経由春の雲 故郷の苜蓿の香は濃かりけり 祖父の遺影褪せた賞状春夕焼4月25日のプレバト俳句。お題は「ふるさと」。今週は3人の昇格試験のみ。内容も不作でした。◇犬山紙子。生家のこでまり 甘やかな退屈こでまりの生家よ 甘やかな退屈(添削後)悪いとはいわないけど、とりたてて良いとも思えない。とくに「甘やか」という語は、幼少体験の形容として安易に使われがちだと思う。◇フジモン。「乗りますか」ふるさと経由春の雲ふるさとや 乗ってゆくかと春の雲(添削後)原句はあまりにも意味不明。まさか雲がバスの幻想だとは思わないので、たんなる三段切れに見えてしまう。添削句は、觔斗雲キントウンのような雲の擬人化ですが、上五の「ふるさとや」は具体性に乏しいし、切れ字の「や」も意味のある詠嘆とは思えない。◇千原ジュニア。故郷ふるさとの苜蓿もくしゅくの香は濃かりけりわざわざ故郷以外の苜蓿と比べる必要はない。目の前の苜蓿だけを描写すればよいのだから、助詞は「は」を使わずとも「の」で十分だと思う。下五は2音で「濃し」と書けるところを、切れ字を使って「濃かりけり」と書いてるけど、その是非はともかく全体的に内容が薄いと思います。◇清水アナ。祖父の遺影 褪せた賞状 春夕焼句材は悪くないけど、典型的な三段切れで、6・7・5の字余り。とってつけたような季語も弱い。なぜこれが「才能アリ」なのか分からない。どうせなら7・7・5にして、祖父の遺影と褪せた賞状 春夕焼と、せめて三段切れを回避すればかろうじて「才能アリ」でも容認きるかなあ…って感じ。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥お久しぶりです!!🎊🥳#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/8P6bgz5VCj— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 24, 2024犬山紙子の絵は色エンピツの次元を超えていた!お母さんメッチャ美人だった。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.29
夜どら「VRおじさんの初恋」では、アバターでのバーチャルな恋愛が描かれてますが、高齢の男性どうしが、おたがいに性別や年齢や容姿を変え、どちらも少女の姿をしてるので、当然ながらリアルとのギャップに直面する形になる。◇でも、将来的に、アバターでの生活のほうがリアルよりも長くなれば、リアルとのギャップは気にしなくなるだろうなと思う。現段階でのバーチャルリアリティは、おもに視覚や聴覚の体験しかできないのだろうけど、近い将来には、嗅覚や味覚や触覚での疑似体験も可能になるだろうし、五感での体験が可能になれば、アバターをとおしたバーチャルな生活は、リアルな生活を上回ってしまう可能性があります。◇以前も書いたように、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202403130000/わたしは、人間が《身体に縛られた存在》であるのに対して、AIは身体をもたず《純粋に精神的な存在》でありうる、…と思ってるわけだけど、じつは、人間も、アバターでの生活ができるようになれば、かなり身体の呪縛から解放されるんじゃないかしら?実際、アバターをとおした人間関係なら、容姿や年齢や性別で差別されることなく、純粋に互いの人格や能力を尊重しあう形で、コミュニケーションがとれるようになるはず。◇とくに仕事上の人間関係については、なるべく早くアバターへ移行すべきですよね。そのほうが、声がデカいだけのパワハラおやじや、容姿だけが優れたイケメンや美女ばかり出世するような、おかしな状況を終わらせることができるし、出勤する際の身だしなみに、ムダな時間的・経済的コストを費やす必要もなくなる。そして、なにより、外見にとらわれることなく、本当の意味での能力主義で人材を評価できるようになる。そのほうが社会のポテンシャルを正当に引き出せるし、ひいては国力を高めることにもなります。国や企業は、このイノベーションにおいて後れを取るべきではなく、むしろ一刻を争う課題じゃないでしょうか。VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.04.28
テレ朝「Believe~君にかける橋~」を見ました。脚本は井上由美子です。建設事故をめぐる物語ですが、話の前提に無理があるんじゃないかしら?◇たしかに、たとえ業務上過失だとしても、多数の死傷者が出るような事故を起こしたら、わたしも実刑にするのが当然だと思うし、とても執行猶予で済まされる話ではありません。執行猶予で済む話じゃない!しかし、かりに事故原因として、A.自社の設計変更による過失B.下請け会社の意図的な手抜きの2つを仮定した場合、どちらも人災ではあるけれど、自社の責任が大きく問われるのは、どう考えてもBじゃなくてAのほうでしょ!!自社の設計ミスのせいで橋が崩落しました…なんて言ったら、企業の信用はガタ落ちです。それよりは、下請けの手抜き工事のせいにしたほうがまだマシ。まして、わざわざ下請けの手抜きを隠蔽するために、自社の設計ミスを装うなんてありえない。設計ミスのほうが、よほど自社の信用を損ねるはず。設計ミスは《不可抗力の事故》じゃなくて《人災》でしょ!悪徳業者に発注した責任よりも、安全な設計すら出来ない無能さのほうが問題でしょ。そんな企業に大規模事業を任せられない。まあ…おおかた小日向文世が、手抜きした下請け会社からキックバックを得てるとか、そういう裏があるのだろうとは思うけど、かりにそうだとしても、キムタクが小日向文世の要求を呑むこと自体が変。自分が罪を背負うばかりか、会社にとってもダメージにしかならないのだから。会社の罪を背負ったキムタクの立場は、財務省の罪を負った佐川宣寿にもちょっと似てますが、小日向文世が、会社の犯罪をキムタクに背負わせるなら、よほど彼の弱みを握って、餌をぶらさげて、従わざるを得ない状況へ追い込まなければ無理です。キムタクが、ただ会社を守るために罪を背負ったとしたら、あまりにお人好しがすぎてアホとしか言えません。…アホかなとは思うけど同情はしない。『Believe』初回 “狩山”木村拓哉、逮捕の理由にネット同情「これはエグい」(ネタバレあり) #びりーぶ #木村拓哉 @believe_tvasahihttps://t.co/sT4xd3aXyC— クランクイン! (@crank_in_net) April 25, 2024
2024.04.27
NHK「VRおじさんの初恋」。全32話のうちの第15話まで来ました。ちょうど半分の折り返しですが…ホナミの中の人の死期が迫ってる感じ。◇今回のドラマには、設定の新しさとインパクトにおいて、5年前の「腐女ゲイ」に匹敵するものを感じます。実際、内容にも「腐女ゲイ」との共通点があって、《本当の自分とは誰で、本当の相手とは誰か》…についての混乱がテーマなのよね。◇よるドラ「腐女子うっかりゲイに告る」は、女子高生の告った男子がゲイだった…という話。そして、そのゲイの男子高生は、ネットで交流するゲイの先輩に相談に乗ってもらってて、その人はエイズで亡くなってしまうのだけど、死後に彼の家を訪ねてみたら、じつは自分より若いローティーンの少年だった…という話。いずれにしても、リアルな正体が見た目とは違ってて、どちらが真実の姿なのか驚き混乱してしまう設定です。◇今回の「VRおじさん」は、いちばん純真で美しく見えるヒロインが、じつは死期の迫ったお爺さんだった…という話。それ以外の登場人物は、みんな心がねじけて一癖あるキャラばかり。なお、死期の迫っているヴァーチャルな美少女は、銀河鉄道の夜のカンパネルラにも重ねられており、宮沢賢治の物語と同じように、タイタニックのモチーフも取り入れられてます。フィルハーモニック・オーケストリオン《タイタニックモデル》#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】第14回のご視聴ありがとうございました✨旅を再開したナオキ(#倉沢杏菜)とホナミ(#井桁弘恵)。新世界ホールでのオフショットをどうぞ📸自動演奏楽器の音色もステキでしたね…🎶#VRおじさん#野間口徹#坂東彌十郎本編は配信中📱https://t.co/NVfOJHwz3i pic.twitter.com/xvSQj0o4hG— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 23, 2024そして、ヴァーチャルな世界では、少女どうしがハグやキスをする場面もあって、見た目には女性の同性愛に見えるのだけど、じつは双方ともに異性愛を感じてるはず。そして、リアルな姿になったとき、それが男性の同性愛だったことに気づく!しかも、高齢男性どうしの同性愛なのですね。これは、考えうるもっとも極端な例ではあるし、えげつないけれど、ありうる話だろうと思う。かりに性別が違わなくても、アバターの姿とリアルな姿とで、年齢や容姿が違うなんてのは、いくらでも起こりうる。…もっとも、このドラマの場合、死期の迫った高齢男性にとっては、若い命に対する憧憬のほうが上回って、相手が男なのか女なのかは、どっちでもよくなってるのかも。◇これは、ある意味で《入れ替わり》の物語ともいえます。すなわち、心が別の身体に乗り移ってしまう話。ただし、大林宣彦の「転校生」や、新海誠の「君の名は」の場合は、本人の意思で別の身体になるわけじゃないけど、アバターの場合は、あくまで本人の意思で別の身体になるわけなので、むしろアバターでいるときのほうが、その人の本性が現れてるともいえる。したがって、アバターのほうこそが真実の自分で、むしろリアルのほうが偽りの姿というべきかもしれません。◇とはいえ、アバターでいるときの関係が、リアルな関係への橋渡しだとすれば、どうしてもリアルに戻ったときの姿を意識せざるをえない。どちらを真実の自分と考えるか。どちらを真実の相手と考えるか。そのことに混乱してしまいますよね。たとえば、俳優さんなどの場合も、「恋人役の相手に恋愛感情を抱いてしまう」…みたいな話をよく聞きます。演じてるときの関係と、演じてないときの関係の境界が曖昧になって、どちらが真実なのかが分からなくなる。リアルのほうを真実と考えてしまったら、アバターでいるときの関係は宙に浮いてしまう。でも、アバターでいるときの関係が、お互いにとってかけがえのないものなら、たとえリアルな姿とのギャップがあったとしても、その関係を捨てる必要はないんじゃないかな…。◇そう遠くない近未来に、人間がアバターでいる時間のほうが長くなれば、リアルな姿に戻ることを意識しなくなるのかも。たとえ性別や年齢や容姿が、リアルなときとは大きく違ってても、そこへ戻ることを意識する必要がないなら、おたがいにアバターの姿のまま、友情や恋愛を育むことも可能なのかなと思います。◇◇◇ちなみに昨夜の第15話は、なんてことのない内容だったけど、それぞれの登場人物のセリフに、ちょっとずつ毒があったりして、やりとりがとても面白かったので、その一部を以下にメモしておきます。佐々木:クッキーどうぞ加藤 :もらうと返さなきゃいけないので要らないです佐々木:お返しなんて気にしないで、どうぞ加藤 :佐々木さんが気にするかどうかは気にしてません。自分が気になるのが嫌なんです佐々木:そうですか*堀 :お見舞い行くならスケジュール調整しますから、何なりと 飛鳥:要らない。どうしても必要なら葵に行かせる堀 :社長、家族にだけは優しくないっすよね 飛鳥:遺伝じゃない? *佐々木:澤田さんが見て来いって。もしものことがあったら寝覚めが悪いって直樹 :ひどい言い方だな 佐々木:優しさを素直に言えない人、多いですよね直樹 :澤田さんは違うでしょ*直樹:アイスコーヒー「L」ください荒井:今日は寒いですけど直樹:寒い時ほど飲みたくなります荒井:風邪ひかないように*荒井:若いのに現金って珍しいよね加藤:払う実感ないと美味しくないからちょっとしたセリフのやりとりに脚本のセンスを感じる。それとも原作どおりなのかしら?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.04.25
テレ朝「Destiny」第3話。今回もあっという間だったー!!学生時代にはふざけたキャラだったのに、すっかり影のある男へと変貌した真樹(亀梨和也)。でも、そこは元カレと元カノ!嫌いで別れたわけじゃないし、いくら婚約者がいるとはいえ…やっぱり再会したらキスしちゃうよね~むしろ影のある真樹のほうが素敵w婚約解消は必至?今回の内容は、ほぼ前回にほのめかされた内容の確認。あらたに分かったことといえば…失踪中の真樹が海外でNGOの活動をしてたこと。そして祐希(矢本悠馬)と連絡を取り合ってたこと!いつから連絡を取り合ってたか分からないけど、すくなくともカオリの十三回忌のときには連絡を取っていた。何故それを妻の知美(宮澤エマ)に隠してたのか謎です。かたや知美は、学生時代にカオリ(田中みな実)と共有してた情報のことを、いまだに奏(石原さとみ)に隠している。知美とカオリが、環境エネルギー汚職事件について何を知ってたのか、まだ明らかではありませんが…どうやら知美はそのことで罪悪感を抱いてる。カオリ「トモが最初に言ったんじゃん。もしこれが本当だったらって。だから調べたんだよ」 知美 「でも、もしこれが事実だとしても、それはあの2人の問題で…」カオリ「わたし、べつに真樹のこと好きでも何でもないよ」 pic.twitter.com/ThYEFH4rEY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 15, 2024カオリが運転してた車のハンドルには、真樹の指紋が付着してたらしいけど…そのこと自体は、さほど不自然にも思えない。むしろ謎なのは、真樹の腹部と頭部の怪我!…これって紛争地でのNGO活動に関係がある??その真樹の主治医は、やはり奏の婚約者(安藤政信)のようですが、真樹を「お呼びだてした」と言ってたので、連絡先を把握してたのでしょうか?そして、もちろん、放火事件における逮捕の件も謎です。◇やはり奏の父(佐々木蔵之介)は1988年ごろ、鹿児島地検で野木浩一郎(仲村トオル)の同僚だった。奏が、父の宿敵かもしれない野木浩一郎に向かって、ベラベラと公私混同なことを喋ったのは、たしかに迂闊でお粗末だったと思うけど…そもそも野木浩一郎は何しに来たのかしら??そして、大畑節子(高畑淳子)は何かを知ってるの??…ついでに、この人誰だっけ???演じてるのは川島潤哉?亀のこだわりかな😊「223」は亀の誕生日、「086」は亀のまれた西暦「'86」だよね‼️ #Destiny pic.twitter.com/byRtNte9Df— ryuryuko (@ryuryuko_223) April 23, 2024
2024.04.24
朝ドラ「虎に翼」on NHK。吉田恵里香の脚本の非凡さが、話が進むほどに際立ってきてる感じです…。前の記事にも書いたとおり、大森美香の手法に倣ってる面もあると思うけど、ただそれだけじゃないことが分かってきた。◇大森美香の手法というのは、簡単にいえば、ヒロインを不幸にしないこと。そのもっとも典型的な例が「あさが来た」です。周りに不幸なキャラは登場するけれど、ヒロインは基本的に幸福な家庭に生まれ育って、幸福な家庭に嫁いで、幸福なままに人生を終える。これが、朝ドラにもっとも適したスタイルであることを、2015年の「あさが来た」は強力に証明したと思う。いまのところ、今回の「虎に翼」も、その手法に倣ってるように見えます。しかし、吉田恵里香の脚本は、たんに大森美香の方法論を真似てるだけじゃない、…ってことが、だんだん見えてきました。◇第一に、この「虎に翼」は、たんなる伝記ドラマではない のですね。社会的なテーマを扱ってますが、それはけっして過去の話ではなく、きわめて現代的な内容になっています。朝ドラが、ここまでアクチュアルな問題に挑んだことは、過去に例がないんじゃないかと思う。◇これまでも吉田恵里香は、テレ東で「チェリまほ」を書き、NHKで「生理のおじさん」「恋せぬふたり」を書いており、果敢にジェンダーの問題に取り組んできてる。今回の「虎に翼」でも、現代社会におけるフェミ議論を挑発したりと、社会的なテーマをしたたかにエグってますし、それを朝のエンタメの枠組みのなかで巧く見せてます。こういう面においては、むしろ大森美香の「シッコウ」などを上回っている。◇わたしは、NHKの「恋せぬふたり」は見ましたが…残念ながら、テレ東の「チェリまほ」は見てなかったし、NHKの「生理のおじさん」は終盤部分を見ただけ。もともとNHKが、ジェンダーや月経の問題に取り組んでることに、ある程度の注目はしてたつもりだけど、脚本家の吉田恵里香のことは意識してませんでした。しかし、NHKは、彼女のポテンシャルを見抜いてたのでしょうね。この若い脚本家の能力をうまく引き出してると思います。◇第二に、失礼を承知で言いますが、今回の「虎に翼」には、美男も美女も登場していません。ヒロインは美女ではないし、そのお相手になる男性もイケメンではない。つまり、メインのキャラのなかに、典型的な美男や美女がひとりもいない。唯一「美女」と呼べるのは石田ゆり子だけだと思う。第4週には、いちおう岩田剛典が登場してますが、彼も一般的な「イケメン」の役回りとは違っていて、むしろ悪役になりそうな雰囲気を漂わせてます。こういうところも、従来の朝ドラのセオリーを大きく破ってますが、おそらく意図的なのでしょうね。◇すなわち、このドラマは、男性はもちろん、女性にさえも、「美」の役割=ジェンダーを求めてないのですね。そのこと自体がとても政治的だといえる。実際のところ、女に対して安易に「美」を求めるのは、本来ならポリコレに反するはずなのだけど、いまのところ、NHKにも、民放にも、その倫理規範にまともに向き合ったテレビ番組は、ほぼ存在していません。報道番組も含めて、あらゆるテレビ番組は、意識するとせざるとにかかわらず、ほぼ例外なく女に「美」を求めてしまっています。でも、今回の朝ドラは、そのことにすら抗ってるように見える。この公式ツイートはおそらく意図的なミスリード。🐯 #トラつばプレイバック 🪽寅子たちを温かく出迎えてくれたのは、クラスの中心的存在・花岡悟。花岡に「あなた方は開拓者。本当に尊敬している」と言われ、ほうけてしまう寅子たちです☺#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #土居志央梨 #桜井ユキ #平岩紙 #ハ・ヨンス #岩田剛典 pic.twitter.com/Ehh0RqQBKy— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) April 21, 2024 これもミスリードになってました。🐯 #トラつばオフショット 🪽無事に迎えた直道と花江の結婚式👰🏻♀️家族での記念写真&新婚夫婦2ショット!この二人ならずっとラブラブでいてくれる気がしますね…🥰#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #石田ゆり子 #岡部たかし#上川周作 #森田望智 #永瀬矢紘#赤間麻里子 #横堀悦夫 #小須田康人 pic.twitter.com/7rPjvKERhn— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) April 3, 2024
2024.04.23
「いざ月へ」宇宙ごっこの半仙戯 ふわっとふらここ 水平になる手前 廃校のぶらんこは夜よに揺れており 故郷ふるさとと同じ遊具や春の風 初虹や背中を押され漕ぐ子供 小さな手わが背押したる春の暮 ブランコと母待つ夕暮れ花吹雪 子らが去り未だ明るし遅日かな4月18日のプレバト俳句。お題は「ぶらんこ」。◇森口瑤子。ふわっとふらここ水平になる手前8+10 の破調。先生いわく「体感的」な句ですね。動画的でスローモーションっぽい。形式も内容も、なかなか独創的でした。◇梅沢富美男。廃校のぶらんこは夜よに揺れており廃校のぶらんこ夜よるを揺れており(添削後)廃校や 夜がぶらんこ揺すりおり(添削後)夜を「よ」でなく「よる」と読めば、助詞「は」を不用意に使わなくて済むよね。先生の添削は、よりホラーな感じを強めてます。◇清水アナ。「いざ月へ」 宇宙ごっこの半仙戯はんせんぎ春の季語「半仙戯」はブランコの別称。秋の季語「月」との季重なりです。もともと、天にも昇る気分のことを「羽化登仙うかとうせん」と表現するらしい。すなわち、羽が生えて仙人のように天に昇るがごとき心地のこと。そこからブランコ遊びのことも「半仙戯」と呼ぶのですね。すなわち、半ば仙人になるがごとき遊戯ってこと。なので、半仙戯を月に結びつけて、「ブランコを漕いだら月にも行けそう!」みたいな類想はけっこう出てくるし、そういうイマジネーションを詠んだだけなら、わざわざ「宇宙ごっこ」と説明する必要はない。…余談ですが、加古宗也の句に、昼の月蹴り上げて来よ 半仙戯という、やはり季重なりの句があります。↓こちらのサイトを見ると、http://www.haisi.com/saijiki/hirunotuki1.htmじつは「昼月」の句には季重なりが多く、ほとんどの場合、これを秋の季語とは見なしてないっぽい。かたや、芝不器男の俳句には、鞦韆ふらここの月に散じぬ同窓会ってのがある。こちらは夜の月ですね。鞦韆(ブランコ)は季節を問わず存在するし、月も季節を問わず存在するけれど、やっぱり「月」が綺麗に見えるのは秋だから、これは秋の句として読むのが妥当かなと思う。しかし、一般的には春の句と解釈されるようです。ためしに、季重なりを回避すべく、時事ネタを取り入れた改作ですが、月面の邦人 吾子の半仙戯としてみました。これなら春の句として疑義はないと思う。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥立派だから自信は持てる!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/odlDYpOwkr— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 13, 2024◇南果歩。ブランコと母待つ夕暮れ 花吹雪ブランコに母待つ夕や 花吹雪(添削後a)ブランコと母待つ夕暮れに一人(添削後b)この2つの添削案はいただけない。一方の(添削後a)は、「ブランコ」と「花吹雪」の季重なりを容認した形。それならそれでいいのだけど、中七が「母が待つ」なのか「母を待つ」なのか、いまいち分かりにくい。助詞を加えれば、母を待つぶらんこの夕 花吹雪のように解決できます。他方の(添削後b)は、「ブランコ」の擬人化を容認した形。しかし、せっかくブランコを擬人化したのに、最後に「一人」と書いちゃったら意味ないでしょwブランコと一緒なら一人じゃないって話なわけで。いずれ凡句にはちがいないけれど、ぶらんこと揺れて母待つ夕間暮れ のように書けば擬人化する意味はあります。◇水田信二。子らが去り未だ明るし 遅日かな公園の子らが去りたる遅日かな(添削後)まずは中七で切れてるのが欠点です。子ら去りて未だ明るき遅日かなと書けば、すくなくとも形式的には整う。しかし、そもそも、「子供が帰るころになっても明るいのが遅日」と考えるべきなのだから、たんに季語を説明しただけの内容でしたね。◇…さて、今回は平場に「才能アリ」が3人いましたが、いずれも評価が甘いと思わずにいられない。蓮見翔。故郷ふるさとと同じ遊具や 春の風まあ、ぎりぎり「才能アリ」ってところでしょうか。句材も悪くないし、形式も出来てるし、とくに瑕疵はないけれど、よくもわるくもシンプルすぎるかなと思う。◇近藤千尋。小さな手わが背押したる春の暮小さき手のわが背を押せる春の暮(添削後)作者いわく、子供の手に「仕事への励まし」を感じた、とのこと。実際のところ、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」と解釈することもできるし、それならそれで成立します。たとえば親の《転職》や《再就職》の句とも読めるし、あるいは《離婚》や《再婚》の句とも読めます。かたや身体的に「背中を押した」と解釈した場合、《孫が年寄りの背中を押して階段や坂を登らせてる》と読めるから、字面だけでブランコの句とは分からない。◇キスマイ二階堂。初虹や 背中を押され漕ぐ子供形式的には出来てますが、近藤千尋の句と同じように、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」とも解釈できる。そのうえで、子供が漕いでるのは、《三輪車》なのか《自転車》なのか、《ボート》なのか《ブランコ》なのか、まったく分からないだろうと思います。これを《ブランコ》の句だと断定できるのは、評者自身が兼題写真の先入観に囚われてるからです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.22
NHK歴史探偵「平安のスーパースター 空海」を見ました。今年は空海の生誕1250年にあたるそうです。大河「光る君へ」も平安時代が舞台ですが、空海が活躍したのは平安初期で、藤原道長や紫式部よりも200年ほど前の人です。774 - 835:空海966 - 1028:藤原道長970? - 1014?:紫式部北海道から鹿児島にいたるまで、さまざまな空海伝説が3000ほどもあるそうです。しかし、その真偽はかならずしも定かでない。ぶっちゃけ、かなり嘘っぽい(笑)。番組では、富山県上市町の護摩堂にある弘法清水を取材してました。いわく「空海が杖で地面を突いたら水が湧いた」ってやつ。空海は、ふつうなら10年はかかる唐での修行を3ヶ月で終え、日本人ながらも中国密教の正統な伝承者になったほどだから、さぞかし超人的な能力の持ち主だったのでしょう。しかしながら、地面を杖で突いただけで水が湧いたりはしないよね。そもそも空海が入唐する前の29才(西暦802年)のときに、ほんとに富山なんぞへ行ったかどうかも疑わしい。◇番組では言及しませんでしたが、こうした真偽の怪しい伝説に関連して、よく知られたものに、いわゆる《大同2年伝承》の問題がありますよね。たとえば、「大同2年に神社仏閣が創建された」「大同2年に鉱山が開坑された」「大同2年に火山が噴火した」「大同2年に温泉が湧いた」「大同2年に鬼が退治された」…などの伝承が日本各地に存在しており、その多くが空海や坂上田村麻呂の事績と結びつけられる。しかし、考古学的には、ほとんどデタラメっぽい。大同2年:円仁や空海、坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。空海が日本に帰国した年がこの年と言われることも多いが、史実としてはっきりとしない。東北各地の神社の創建に関する年号はこの年とされる。茨城県の雨引千勝神社の創建はこの年である。早池峰神社、赤城神社なども同様である。また福島県いわき市の湯の嶽観音も、この年の3月21日に開基されたとある。清水寺、長谷寺などの寺院までこの年に建てられたとされ、富士山本宮浅間大社も、大鳥居の前に堂々と大同元年縁起が記載されている。香川県の善通寺をはじめとする四国遍路八十八ヵ所の1割以上がこの年である。各地の小さい神社仏閣にいたるまで枚挙にいとまがないほど、大同2年(807年)及び大同年間(806 - 810年)はそれらの創建にかかわる年号である。阿仁鉱山や尾太鉱山が発見された年号にも使われている。高根金山、吹屋銀山をはじめとする各地の鉱山の開坑も、大同年間や大同2年とするものが多い。那須連峰の茶臼岳旧火山の噴火、尾瀬ケ原の燧ヶ岳の噴火、蔵王刈田岳の噴火、秋田駒ヶ岳の噴火もこの年である。会津磐梯山の噴火は大同元年だが、その噴火を鎮めるために、大同2年に山麓に恵月守が建てられたといわれる。日光の男体山で旱魃を静めるために勝道上人が祈祷したのもこの年である。三湖伝説で八郎太郎が大災害を起こすのもこの年である。八溝山や森吉山、気仙郡などの鬼退治もこの年と伝えられている。山形県の肘折温泉に伝わる「温泉之縁起」史料の中に、大同2年あるいは大同年間に温泉が開かれたという記述がある。江戸時代の安永年間に相原友直が仙台藩の風土を記した『平泉雑記』の「田村将軍建立堂社」では、田村麻呂建立とされる仙台藩内の堂舎21ヶ所を挙げ、それらの観音は「大同2年」のものが多く、悉く信用が不足していると述べている。それらの記述を受けて1955年に堀一郎は、研究対象の寺院の地区を東北地方に広げ、12社をあげ研究している。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4史実では、大同2年(807年)の前後に、坂上田村麻呂や空海にかんする次の事績があります。延暦17年(798年)坂上田村麻呂が清水寺を建立。延暦21年(802年)坂上田村麻呂の蝦夷征討によりアテルイが降伏。弘仁14年(823年)空海が真言宗を立教。しかし、かつては、「坂上田村麻呂による清水寺の建立」も、「空海による真言宗の立教開宗」も、大同2年(807年)の出来事と考えられたらしい。中世では清水寺の建立を「大同2年」と説くのが一般化していた。謡曲の『田村』、『花月』、室町物語の『田村草子』では全て大同2年は清水寺の建立に関わる年号とされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4大同2年、唐で恵果阿闍梨から伝授を受け真言宗第八祖となった弘法大師空海は、京にのぼって平城天皇から真言宗宣布の勅許を得たとの記述が『金剛峯寺建立修行縁起』に登場するそうです。ただ通説では、大同4年7月に太政官符が下るまで空海は太宰府に留め置かれたり和泉の槙尾山寺に滞在したりしていて、上洛していないことになっています。また大同2年11月8日、大和の久米寺で『大日経』を講讃したとされていますが、これもあくまで伝説であるとして学術的にはスルーされているようです。とはいえ、伝統的にはこの「大同2年説」が最も重視されていて、実は高野山でも、明治39年(1906年)に金堂で「弘法大師開宗1100年記念法要」が厳修されたといいます。http://ww35.tiki.ne.jp/~komyoin/buddhism-and-society202310.htm◇今回のNHKの番組では、空海伝説が日本各地に残っている原因として、のちの高野聖による布教活動を挙げてました。つまり、彼らこそが、デタラメな空海伝説を日本中にばらまいたってこと。でも、たぶん高野聖だけじゃなく、山伏の影響もありますよね。奈良時代の南都六宗が「都市仏教」だったのに対し、平安時代の密教が「山岳仏教」だったこともあり、それは修験道の形成に大きく関係してるはず。簡単にいえば、山の神々を仏教へ統合する神仏習合の過程で、修験道が体系化されていったのだろうし、その結果、日本各地の山伏たちも、密教の伝道者として活動したにちがいない。◇土着の神々への信仰が、仏教のシステムを借りることによって、概念化され、体系化され、歴史化されていったなら、山伏や高野聖のような密教系の勢力によって、作為的な「正史編纂」が行われた可能性もあります。古事記や日本書紀の場合もそうですが、つねに正史というのは権力者に都合よく記述される。おそらく日本各地の「大同2年伝承」も、なんらかの権力側の意図によって作られたのだと思う。はたして「大同2年伝承」が、口承史なのか文書史なのかは分からないけれど、たとえば経典を学んだ密教僧にとって、土地の歴史を文書化するぐらいは容易だったはずです。◇とくに坂上田村麻呂が平定した蝦夷の地域において、デタラメな歴史は作り放題だったはず。大河ドラマ「光る君へ」でも、都の人々の識字率の低さを紫式部が嘆いてましたが、蝦夷の人々ならなおのことだったろうし、そもそも歴史を記述する文化すら存在しなかったでしょう。おそらく蝦夷の土地の歴史記述は、坂上田村麻呂による平定以降に始まったのだと思う。蝦夷の人々にとっても、仏僧が土地の縁起や由来を文書化してくれることが、ありがたく思えたのかもしれません。たとえ、それが権力側に都合のよい捏造だったとしても。◇おそらく「大同2年伝承」は、すべての歴史を「大同2年に始まった」とする神話であり、逆にいえば、それまでの土着の歴史を、すべて「なかったこと」にするような捏造だったでしょう。それはちょうど、「ビートルズからすべてが始まった」とか、「はっぴいえんどから日本のロックが始まった」とか、そういう神話と同じ発想のものであって、過去の歴史を「なかったこと」にしたがる人たちは、いつの時代にも存在するのだろうなと思います。NHK 総合 04/17 22:00 歴史探偵 平安のスーパースター 空海 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhkgtv #歴史探偵 https://t.co/oZhNQOGYK1— NHK総合 (@NHK_GTV) April 17, 2024
2024.04.21
映画「ラ・カリファ」がついに劇場公開されるらしい。映画が無名なのに、昔からエンニオ・モリコーネの音楽だけが有名で、日本盤のサントラも何度か発売されてましたよね。映画「ラ・カリファ」の音楽は、NHK特集「ルーブル美術館」で使われて有名になった。わたしは、だいぶ前に、この映画をYouTubeで観たことがあります。もちろん原語音声で字幕もなかったけど、おおよその内容は分かりました。ロミー・シュナイダー演じる労働組合のリーダーが、企業側の工場長と禁断の男女関係になる話。いちおう社会派作品なのでしょうね。音楽は素晴らしいけれど、映画としては可もなく不可もない印象だった。日本のモリコーネ受容には、大きく3つの段階がある。1964年:セルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」1985年:NHK特集「ルーブル美術館」1988年:ジュゼッペ・トルナトーレ「ニューシネマパラダイス」NHKの番組も含めてですが、エンニオ・モリコーネという音楽家は、いろんな意味で日本との因縁があるように思います。1.荒野の用心棒1964年の西部劇「荒野の用心棒」は、黒澤明の時代劇「用心棒」を無断でパクった作品です。(訴訟のすえに和解してリメイク扱いになってますが)つまり、黒澤明の「用心棒」の物語をそのまま借用して、イタリア人の西部劇に仕立ててしまったわけですね。本来の西部劇は、あくまで米国の開拓時代の物語だから、イタリア製の西部劇ってのは、いわば架空の「無国籍映画」なのだけど、この「荒野の用心棒」が成功したことで、イタリア製の西部劇が量産されることになった。そうして成立した無国籍映画の謎ジャンルを、淀川長治が「マカロニウェスタン」と名づけたので、日本ではその呼称が定着してます。◇エンニオ・モリコーネの出世作も、クリント・イーストウッドの出世作も、この「荒野の用心棒」だったといえます。※撮影時のイーストウッドは英語で台詞を喋り、公開時には各国の言語に吹き替えられたようです。モリコーネの音楽は、口笛とムチの音を使用した斬新な様式でしたが、楽音でなく具体音を用いるのは、いわば現代音楽的な手法だったかもしれません。モリコーネは純音楽の作曲家を志してたので、もともと映画音楽のことは軽蔑してたようですが、このときの仕事が認められて以降、有象無象のB級映画から、パゾリーニやベルトルッチなどの芸術映画まで、多くのイタリア映画で音楽を手掛けることになる。◇黒澤明の映画は、スターウォーズのようなSF映画や、手塚治虫などの漫画に影響を与えてるだけでなく、じつはマカロニウェスタンというジャンルにも関係してる。黒澤明の「用心棒」がなければ、モリコーネが映画音楽の分野に進出することもなかったし、パゾリーニやベルトルッチの音楽を手掛けることもなかった。クリント・イーストウッドが俳優として飛躍し、のちに監督として活躍することもなかったかもしれません…。2.ルーブル美術館エンニオ・モリコーネの名前は、マカロニウェスタンの音楽を手掛けた作曲家として、ある程度は日本の映画ファンに知られることになったし、1984年には、やはりセルジオ・レオーネの作品で、「Once Upon a Time in America」もヒットしましたが…それでも一般のモリコーネの認知度はまだ低かったはず。彼の名前がお茶の間でも注目されたのは、翌85年のNHK特集「ルーブル美術館」によってです。この番組でモリコーネの音楽がふんだんに使われた。◇わたしも当時、毎月の放送を欠かさず見てました。いまでも番組のオープニングは覚えてます。ルーブル宮殿の空撮映像にあわせて印象的な音楽が流れ、画面の右下に「エンニオ・モリコーネ」とテロップが出る。でも、当時のわたしは、「えん、にお、もり、こーね??」と呟くばかりで、それが何語なのか、曲名なのか人名なのか、はたまたグループ名なのかも分かりませんでした。わたしのような視聴者は日本中にいたらしく、やがて新聞記事に「NHKに問い合わせが殺到」と書かれ、番組の放送が終わった翌年には、そのTVサントラがレコードになりました。◇その音楽は、じつは番組のオリジナル楽曲ではなく、モリコーネの既存の映画音楽の寄せ集めであり、その中心になっていたのが、映画「ラ・カリファ」(La Califfa)映画「ある愛の断層」(Questa specie d'amore)…などの70年代初期の音楽だったわけです。音楽を選定していたのはNHKではなく、番組を共同制作したフランスの民放局でした。オープニングで流れていたのは、「恋の始まりと終わりに」(Prima E Dopo l'Amore)という映画「ラ・カリファ」の2分足らずの挿入曲で、番組ではわずかに再生速度を変えて使っており、サントラ盤では「永遠のモナリザ」と曲名を変えている。再生速度を変えることについては、当然ながらモリコーネが不満を示したようですが、最終的には折れたのでしょうね。結果的には日本での知名度が大きく高まり、のちに大河「武蔵」を担当することにも繋がった。ちなみに、NHKの番組テーマになった挿入曲も素晴らしいけれど、海外で有名なのは映画のタイトル曲「La Califfa」のほうで、その優美なメロディには歌詞もつけられ、サラ・ブライトマンなど多くの歌手がカバーしてます。ちなみに、NHKのドキュメンタリーシリーズは、それまでにも「シルクロード」で喜多郎を発掘してたし、その後も「大黄河」では宗次郎の音楽に、90年代には「映像の20世紀」で加古隆の音楽に光を当てます。ある意味では、モリコーネの音楽も、NHKのドキュメンタリーシリーズで認知を広めたといえる。3.ニューシネマパラダイスそしてNHK特集「ルーブル美術館」から3年後に、映画「ニューシネマパラダイス」が公開されて大ヒット。そのテーマ曲が泣く子も黙るモリコーネの代表曲になった。でも、あの映画音楽は、モリコーネにしては、だいぶ甘くて分かりやすいと思う。本来のモリコーネの音楽は、けっして万人受けするような作風のものではなく、どちらかというとビターで渋い音楽です。わたしが思うに、彼がオスカーを逃しつづけた理由もそこにある。実際、1988年の米アカデミー賞において、モリコーネの「アンタッチャブル」の音楽は、坂本龍一の「ラストエンペラー」の音楽に敗北しました。本来なら、ベルトルッチの「ラストエンペラー」の音楽も、モリコーネが担当していたはずですが、かりにそうだったとしても、やはりモリコーネはオスカーを逃したと思います。なぜなら、モリコーネの音楽は、坂本龍一のようなキャッチーさに欠けるからです。モリコーネはオスカー受賞を望んでたらしいけど、その機会は若い日本人にあっさり奪われてしまった。しかも、よりによって、ずっとコンビを組んでいたベルトルッチの映画で!かたや「ニューシネマパラダイス」の音楽については、あまりにモリコーネらしからぬ作風のために、「じつは息子が書いたんじゃないか?」…という、まことしやかな噂さえあります。もしかしたら、みずからの作風をねじ曲げて、俗受けしそうな映画のために、俗受けしそうな音楽を書いたのかもしれませんが。【中古】ラ・カリファ 楽天で購入 ラ・カリファモリコーネの甘美なメロディが心に沁みる─。伝説の女優ロミー・シュナイダーが許されぬ恋におちる女性を演じた社会派メロドラマが、待望の日本初公開!本作のテーマ曲は、数あるモリコーネのスコアの中で人気の高い曲♪👏劇場情報↓https://t.co/npcyrT5O0U pic.twitter.com/CXvh5ylp2Z— エンニオ・モリコーネ特選上映 (@morricone_ss2) April 18, 2024
2024.04.20
テレ朝「アリバイ崩し承ります」SPを見ました。浜辺美波×安田顕×成田凌による探偵ミステリー。80年代風のベタベタなアイドルコメディですが、お風呂で特大コロッケ&電話とか、柄本時生のオネエ検視官とか、メッセージを告げる祖父の振り子時計とか、いつもの定番ネタも板についてたし、謎の儀式または変身ポーズ。ヘタっぴいな「時をかける少女」の鼻歌も可愛かったです。浜辺美波も「時を戻す少女」の意味でなら、いちおう原田知世の遺伝子を継承してるね。▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202304180000/ヘタクソな鼻歌。キャスト陣も、容疑者役に矢本悠、高梨臨、雛形あきこ、チョイ役に間宮祥太朗や松本若菜など、なにげに豪華でした。◇今回のスペシャル版は、いちどアリバイを崩してからのどんでん返しなど、90分ドラマらしい展開になってたし、映像的にもなかなかお洒落で楽しかったです。ただねえ…いつものことだけど、無駄に込み入ったトリックにしてるだけで、犯罪動機に無理がありすぎるよね(笑)。まあ、それはレギュラーシーズンのときからだし、テレ朝サスペンスならではのクオリティだけど。アガサ・クリスティ「エッジウェア卿の死」。いちおうツッコんでおきますが…相続欠格にならないうちに殺してしまえば、遺産がらみの殺人とカムフラージュできるのに、わざわざ無関係な人を殺して、相続欠格になってから殺すって変でしょ!それから、部屋を90度模様替えした後に、死体を覗けるはずがないってロジックも強引。たんに部屋に入れば死体は見つけられるわけで。料理人だったのに、とつぜんの刃物恐怖症で仕事をやめたって話も、まったくリアリティに欠けました。ところで、美波の話によると、撮影は2年半以上も前だったとのこと。なぜこのタイミングの放送になったのかしら?朝ドラ&ゴジラ明けまで、あえて温存してたのか。いったんお蔵入りしたのを、ここにきて引っ張り出したのか。今回のエンディングでは、謎のアリバイプランナーを登場させて、続編も匂わせてましたが、いずれにせよ、スペシャル版を放送したってことは、「科捜研」や「捜査一課長」と同じように、テレ朝サスペンスの定番化を狙ってるのかな。(といっても、これは東映の制作じゃないけどね)アリバイ崩し承ります Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 浜辺美波 ] 楽天で購入
2024.04.20
テレ朝「警視庁捜査一課長」。今回でスペシャルは10回目。12年前のシリーズ第1作以来の、斉藤由貴×朝倉あき=東宝シンデレラ共演!宝塚の咲妃みゆは舞台千尋のリンですね。猫のビビちゃん(by 黒豆)は最後の出演だそうです。◇以下はネタバレ!別れた旦那から5000万円をせしめようと、狂言誘拐を偽装した母親(by 杉田かおる)。しかも、誘拐させようとしたのは実の娘じゃなく、両親を事故で亡くして引き取られた親戚の娘。血の繋がらない娘のために、別れた旦那が5000万円も用意するわけないでしょ!そんなに親切な旦那なら離婚しなきゃよかったのに!…と思ったら、あやまって実の娘のほうが誘拐されてしまった。◇ガチャ運がよすぎるのか、大福(by 斉藤由貴)みたいに、勘がよすぎる永井杏子(by 朝倉あき)。さすがは東宝シンデレラのファイナリスト!(またの名を準グランプリとも言いますが)注文も聞かずに、客好みのパフェを作ってしまう能力もさることながら、子供のころからアイスの棒も当てまくっていた。犬並みの嗅覚。わたしが子どもだったころ by NHK。とはいえ、「アイスの当たり棒をもってくる娘を誘拐しろ」って、そんな不確実な指示で大丈夫なのかしら?ほんとに当たるかどうか分からないし、そもそも、そんなに確実に当たりを出されたら、駄菓子屋のほうが商売あがったりでしょw案の定、当たっちゃったのは実の娘のほうで、マジで誘拐されたうえに5000万円も持ち逃げされた。◇偽装誘拐の実行犯の男は、持ち逃げした5000万円で会社を立ち上げ、令和の承認欲求モンスターに変貌!ちなみに承認欲求モンスターの名前なら、「飯根望いいねのぞむ」のほうが分かりやすいと思うけど、「飯吉望いいよしのぞむ」ってのは、微妙に分かりにくい。そんな令和の承認欲求モンスターも、昭和生まれのパワハラ体質がバレて、世間のキャンセルカルチャーにさいなまれ、ひたすらエゴサしまくる日々を送ってる。そして殺人のアリバイ工作に用いたのは、寝台特急「サンライズ出雲」の時刻表トリック(by 西村京太郎)?なお、演じていたのは、由貴ちゃんとライブで共演したばかりの橋本さとし。各事務所のOKが出たので昨日の立川バースデーライブの全員写真を。🎵#斉藤由貴#鈴木蘭々#ソニン#橋本さとし#立川智也#佳尚#草間信一#細田幸子#是永巧一 pic.twitter.com/vmiGrMMNB8— 是永巧一 (@KORE1225) March 18, 2024寝台特急「サンライズ出雲」の殺意 (新潮文庫) [ 西村 京太郎 ] 楽天で購入 ◇昭和生まれの姉が、生前に和菓子職人を目指してたので、平成生まれの血の繋がらない妹も、その遺志を継いで昭和レトロなパティシエに。しかし、SNSでの拡散を避けるべく店を移転しつづけ、人呼んで「さすらいのパティシエ」になってしまった。それを追っかけるAI男子も、デジタルデトックスの欲求が高じるあまり、令和の見守りストーカーになっちゃったのね。昭和の盗撮ストーカーよりはマシだけど。AIで偽画像を作ったり、なりすましSNSを立ち上げたりして、推しパティシエのアリバイ工作までやっていた。◇殺された押尾貴代の名は、「推しヲタかよ!」ってのが由来な気もするけど、とくに推しがいたようには見えません。むしろ彼女も承認欲求モンスターだった。パワハラされた腹いせに、偽造したアイスの当たり棒で、上司から5000万円を強請ろうとしたものの、万引きしたらしき昭和のおみくじ器からは、《認められたいと願うほど認められず》という大凶の結果が出ていたのですね。そして占いどおりに殺されてしまった。◇さらに名前ネタに言及すると…杉田琴音は過ぎたことね。今戸希菜子はイマドキな子。片石堅郎の名も由来が不明だけど、硬いし堅牢ってことかしら??永井多恵は自責の念に長いあいだ耐えてきた。そして「最後の昭和の子」だった昭子はともかく…血の繋がらない杏子の名前は、やっぱりネタ元がいまいち分からない。わたし的に思い浮かぶのは、ニコニコ日記の永井杏(by 大森美香)なのだけど。
2024.04.19
夜ドラ「VRおじさんの初恋」。第9~10話を見ました。特別列車のチケットで隠しワールドへ。そして約束の場所での祈りと別れ。◇たしかに宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」って、現代のVRの世界みたいだなと思いました。この世ならぬ世界。性別のない世界。この世で生きることを諦めた人たちの世界。井桁弘恵が、本当にファンタジックな美少女に見えます。#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第10回は今夜10:45放送!/第9回をプレイバック🎥「好きで好きで、どうしようもないんだ!」直樹=ナオキの熱い告白が胸を打つ名場面です😌#VRおじさん#野間口徹#倉沢杏菜 #井桁弘恵続きは NHKプラスで配信中📱https://t.co/xEKx9dxfnR pic.twitter.com/x8cctyzJGU— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 16, 2024 #夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第9回はあす夜10:45放送!/教えて!VRおじさん👀列車のシーンはどうやって撮影したの?Point💡➀巨大LEDモニターで動く風景を再生②列車の揺れは人力で!https://t.co/2I0dQC4RRe#VRおじさん #野間口徹 #倉沢杏菜 #井桁弘恵 pic.twitter.com/SvpRn7VAVG— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 14, 2024 VRおじさんの初恋 (ZERO-SUMコミックス) [ 暴力 とも子 ] 楽天で購入
2024.04.17
テレ朝「Destiny」第2話を見ました。◇野木浩一郎(仲村トオル)はヤメ検の弁護士なのね。検察時代には辻英介(佐々木蔵之介)の同僚だった模様。しかし、20年前の環境エネルギー汚職事件!野木は辻と対立し、「検察による事件の捏造だ」「主任検事による自白の強要だ」と主張。その後、辻が自殺しました。野木と辻は同僚だった?20年前の環境エネルギー汚職事件。検察による捏造を主張。検事から弁護士に転向。しかし、カオリ(田中みな実)は、「奏(石原さとみ)のパパは自殺じゃない。殺されたんだよ」と言ってました。そして、真樹(亀梨和也)も父に向かって、「あんたが殺したんだろ?辻英介を!」と言ってましたね。真樹は車のなかでカオリに何を聞いたのでしょう?そして、事故の原因は何だったんでしょう?何か事情を知ってるっぽい知美(宮澤エマ)と祐希(矢本悠馬)。ちなみに、今回の薬物事件も、20年前の事件と同じ構図です。弁護士についた野木浩一郎が、「警察による不当逮捕」と主張し、民事党幹事長の次男の川越拓海は、処分保留のまま釈放されて不起訴になりました。なお、てっきり真樹は火傷で救急搬送されたのかと思いましたが、なぜか「頭部外傷と腹部強打」の症状があるようです。主治医は奏の婚約者の貴志(安藤政信)っぽい。なぜ真樹は放火事件で逮捕されることになるのでしょう??
2024.04.16
石原さとみ×亀梨和也「Destiny」第1話。何の予備知識もなかったけど、引き込まれて、いっきに観ちゃった。面白かったー。意外にも、吉田紀子のテレ朝のドラマだったのね。でも、これって、完全に《奥寺佐渡子×塚原あゆ子》の路線。TBS「Nのために」「最愛」みたいな考察系。3年前の「最愛」では、宇多田ヒカルがED曲を歌ってましたが、今回は椎名林檎が歌ってる。そういえば、田中みな実って「最愛」の橘しおりじゃーん!Nのために Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 榮倉奈々 ] 楽天で購入 最愛 DVD-BOX [ 吉高由里子 ] 楽天で購入 ◇石原さとみ&亀梨和也は、23才~35才までの12年間を演じるらしい。ちなみに実年齢でいうと…石原さとみは37才!亀梨和也は38才!もう2人とも立派なアラフォーね…でも、ちゃんと大学生に見えました!亀梨和也もバリバリに走ってたし、石原さとみも20代と30代を演じ分けてたし。すばらしいですね。◇検事だった石原さとみの父(=佐々木蔵之介)は、自殺だったの?他殺だったの?そこに亀梨和也の父(=仲村トオル)が絡んでる?田中みな実は、いったい何を知ってたの?宮澤エマは、その話をぜんぶ聞いたの?カオリ「トモが最初に言ったんじゃん。もしこれが本当だったらって。だから調べたんだよ」 知美 「でも、もしこれが事実だとしても、それはあの2人の問題で…」カオリ「わたし、べつに真樹のこと好きでも何でもないよ」 pic.twitter.com/ThYEFH4rEY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 15, 2024◇最後のシーンでは、亀梨和也が救急搬送されてましたが…あらためて冒頭のシーンを見返すと、亀梨和也は放火の容疑で逮捕されて、石原さとみの取り調べを受けようとしてる。余談ですが…吉田紀子のドラマといえば、一般的には「Dr.コトー診療所」ですけど、わたしがいちばん印象に残ってるのは、2000年の「お見合い結婚」なのよね。もう四半世紀前!!松たか子とユースケサンタマリア。今作とはぜんぜんタイプの違うコメディでした。
2024.04.16
NHK大河「光る君へ」第14話。貧しい女児に文字を教えようとした主人公。しかし、その意義は誰からの理解も得られぬまま、苦い挫折を味わうことになりました…。◇なぜ紫式部は、不倫男の官能小説「源氏物語」を書いたのか?!もしかして日本人の識字率を上げるためだった?!たしかに、どんなに「文字を覚えましょう♪」と呼びかけても、バカな貧乏人にはその意義が伝わりませんよね。貴族の学問など、平民が生きるうえでは何の役にも立たない!!…みたいな先入観もあったでしょうし。◇ならば、エロいポルノ小説を書いて世間にばらまこう!そうすればバカな貧乏人たちも、必死になって文字を学ぼうとするにちがいない!…みたいな発想があったのかしら?たしかに、その意味でなら、ポルノ小説にも社会的な効用はありますよね。いわば文字を学ばせるための「釣り」として。◇まあ、当時は著作権もないし、印税収入もないので、小説家などという職業もまだ存在しませんし、かといって、紫式部もただの余興で書いてたわけじゃなく、平民のためのボランティアで書いてたわけでもない。通説によれば、当時の文学作品は、お妃候補のサロンを盛り立てるための呼び物だったらしい。他の妃よりも、天皇が娘のもとを訪れてくれるよう、そのサロンを楽しく盛り立てる。彰子サロンを盤石にするため、『源氏物語』の作成から製本までがプロジェクトとして組まれたわけです。そのサロンを挙げての物語作りとPRのパトロンが、彰子とその父・道長であり、実質的な最高責任者が紫式部でした。https://diamond.jp/articles/-/336452?page=2◇でも、このドラマのなかでは、藤原道長も、紫式部も、清少納言も、もっと高い「志」をもってそうな感じがしますよね。もしかしたら、道長や倫子さんらがパトロンになって、日本人の教養と識字率を高めるための社会事業として、紫式部に王朝文学の制作を委託した…みたいな話かも。◇実際のところ、紫式部に、平民の識字率を上げようとの構想があったかは不明だし、そもそも書写された「源氏物語」が、ひろく平民にまで読まれたとの記録も存在しないはず。でも、もしかしたら平民だって読んでたかもしれない?!すくなくとも貴族の男女の教養を高めるうえで、紫式部の官能小説には社会的な効用もありましたよね。やっぱり学問って、楽しくなけりゃ広まらない。そういう発想は現代の教育行政にも必要だと思います。◆◇ #光る君へ ギャラリー◇◆【第十四回】星落ちてなお本日4月7日(日)[総合] 夜8時00分[BS・BSP4K] 午後6時00分[BSP4K] 午後0時40分▼あらすじhttps://t.co/4N5Ptdi9CQ▼相関図https://t.co/TynuXZrLUS#吉高由里子 #まひろ #紫式部 pic.twitter.com/pE8YEXfooO— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) April 7, 2024
2024.04.14
↓2ヶ月前の記事にも書いたとおり、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202402280000/U-NEXTの1ヶ月見放題カードを、誤まって2枚も買ってしまったので、「せっかくだから元を取らねばっ」と、2ヶ月で映画30本観るつもりで意気込んだものの…1ヶ月以上経っても4~5本しか観れず…その後、春ドラマが終わったタイミングの、残り半月でスパートをかけるつもりが、体調を崩して映画どころではなくなってしまい…ようやく最後の1週間でラストスパートをかけ、なんとか期限までに以下の11本を観ました。大林宣彦「時をかける少女」沖田修一「子供はわかってあげない」相米慎二「魚影の群れ」ジャン・コクトー「双頭の鷲」ジョン・フォード「怒りの葡萄」ウォシャウスキー兄弟「マトリックス」濱口竜介「ドライブ・マイ・カー」ジャック・ドゥミ「シェルブールの雨傘」川島雄三「女は二度生まれる」ロバート・スティーヴンソン「ジェーン・エア」周防正行「舞妓はレディ」何事もギリギリに追い込まれなければつくづく物事ができない人間なんだなと、われながら痛感しました(逆に、追い込まれると出来てしまうのが不思議なんだけど)まあ、映画以外にも、「峰不二子という女」などのアニメ数本と、TVerで見逃したドラマやバラエティ、読み放題の雑誌なども見ることができたので、なんとか元は取れたかな、と思う。いろんな映画をつまみ食いしてたので、最初のほうだけをチラッと観たまま、中途半端にしてしまった映画もかなりある。◇夏ドラマか秋ドラマが終わったぐらいのタイミングで、またこのサービスを利用してもいいかなとは思うけど、1200ポイントの使い方がちょっと難しいのよね。端数を余らせるのももったいないし、ポイントの利用期限が異様に短い(チャージから90日間)のも難点です。
2024.04.14
遅ればせながら、朝ドラ「虎に翼」第1週を見ました。これってもしや「シッコウ‼」の続き??テレ朝のドラマでは、織田裕二から伊藤沙莉が「子ども六法」をもらい、本格的に法律を学びはじめるところで終わりましたが…NHKでは、石田ゆり子から戦前の「六法全書」を買ってもらって、そこから伊藤沙莉の法律家人生がスタートするっぽい。 目指すのは執行官じゃなく弁護士だけど!!ドラマのテイストも、どことなく大森美香が脚本を書いてる??と思わせるような雰囲気があって…そういえば、小林薫も「青天を衝け」の父親だったし、キャストの面子がなんとなく大森ドラマっぽいのよね。ってことで、かなりわたし好みな作風。◇なお、主人公が「梅丸少女歌劇に入りたい」と言ってたのは、たんに前作ブギウギをネタにしただけかと思いきや…ヒロインのモデルの三淵嘉子は、ほんとうに宝塚のファンだったようです。ブギウギ的にいえば、梅丸じゃなく花咲のファンだったのですね。嘉子は、男役の雪野富士子の大ファンでした。雪野は宝塚少女歌劇団雪組の男役でしたが、1934(昭和9)年に退団、若くして亡くなりました。https://news.yahoo.co.jp/articles/73500afd69bc299a8e79461519410f3d85c81a50?そして、母親の実家が四国の香川だったのも史実らしい。三淵嘉子の両親は香川出身なのですね。嘉子の父・武藤貞雄は四国・丸亀の出身で、地元の名家・武藤家に入婿して一人娘のノブと結婚した。ノブもまた当主・武藤直言の実子ではない。彼女の実父は若くして亡くなり、6人の子だくさんだった一家は生活に窮してしまう。そのため末っ子だった彼女は、伯父の直言に養女として引き取られた。https://news.yahoo.co.jp/articles/36935cc265b7af889bd8767ed68c7b80b2d411d8?ある意味で、ヒロインの母親の境遇は、笠置シヅ子にも重なる部分があるかもしれません。…かたやヒロインの父親は、香川から東京帝大へ進んだ超エリートなので、タダで銭湯に入るアホのおっちゃんではありません。【#ブギウギ 登場人物紹介💃】アホのおっちゃん:岡部たかしいつも薄汚い格好をして、よく酒に酔っているおっちゃん。大工仕事が得意。なぜか、おっちゃんだけはいつもタダで銭湯に入っている。#アホのおっちゃん pic.twitter.com/0wTKH1f3tu— 朝ドラ「ブギウギ」公式 (@asadora_bk_nhk) September 4, 2023 ◇それにしても、去年の卯年は、大河も朝ドラも「兎」だらけだったのに、なぜか今年は辰年にもかかわらず、タイトルが「虎に翼」でヒロインが「寅子」とは…これいかに??しかも苗字が「猪爪」で、初週のサブタイトルが「牛を売る」って、やたらと動物だらけだし!トラが、イノシシの爪と翼を生やしてウシを売ったら、辰年の龍になるってか??いまにも龍になりそうな虎。描いたのは北斎ではなく娘の応為だとわたしは思う。【展覧会情報】あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)では、10/6~11/19、「北斎ー富士を超えてー」展を開催。北斎の晩年に特にスポットを当てる。イギリスの大英博物館では同様の展覧会が5/23~8/13に開催。詳しくはhttps://t.co/3Cd7mSZZ0P pic.twitter.com/HDLCB3tnkI— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) March 29, 2017
2024.04.11
磯田道史が、読売新聞で富雄丸山古墳のことを書いてます。▶磯田道史の古今をちこち「もう1人の埋葬者 破格の謎」◇奈良の富雄丸山古墳の話は、NHK「古代史ミステリー」第2週にも出てきましたが、卑弥呼(3世紀)よりも後で、倭の五王(5世紀)よりも前、すなわち「空白の4世紀」に造られた円墳です。前方後円墳ではないので、たぶん大和政権の王墓じゃないはずですが、それでも直径109mという国内最大級の円墳です。きっと「丸山」という地名も、この円墳に由来するのでしょうね。◇この円墳には、頂と麓に、すくなくとも2つの棺がある。磯田道史は、頂の棺の埋葬者は「記紀神話に出てくるレベルの王権の功労者たる豪族」麓の棺の埋葬者は「盾持ち人のような祭祀の女性」…だと推察しています。そして注目すべきなのは、祭祀の女性を埋葬したらしき麓の棺のほうです。足元に「9本の竪櫛」があり、棺を封じる粘土に「蛇行剣」と「盾形銅鏡」が貼りつけてあった。◇一般に注目されているのは、巨大な「蛇行剣」と鼉⿓⽂の「盾形銅鏡」のほうですが、磯田道史が注目してるのは、むしろ「9本の櫛」です。日本書紀によると、イザナギは、イザナミのいる黄泉国から逃げ帰るときに、8人の黄泉醜女に櫛を投げつけたとされてます。(櫛の歯の一本一本がタケノコに変わったらしい)磯田道史の推測は、9本の櫛は「イザナミ+8人の醜女」の分ではないか、(あるいは、それにちなんでいるのではないか)…ってことですね。◇一般に、黄泉国の出入口は、島根の出雲にあったと考えられますが、その出雲には「8」という数がよく出てきます。そもそも「八雲立つ出雲」といわれるし、そこは八百万の神々が集う土地でもある。怪物の八岐大蛇ヤマタノオロチは、八人の娘を食べて、八つの頭と尾をもってる。そして秋田では、八岐大蛇が八郎太郎になったんじゃないかと思います。黄泉醜女も、やはり八人なのですね。◇一方、棺の外側に貼りつけてあった蛇行剣は、日本最古かつ最大のものであり、長さが2.37mという東アジア最大の鉄剣です。蛇行剣は西日本各地で見つかってますが、もともと、それらは、ヤマタノオロチから抜き取った「草薙剣」に由来する、…との説があります。蛇の体内から抜き取ったために、ぐにゃぐにゃに曲がっているのかもしれません。クサナギという語も、じつは「草薙」の意味ではなく、「臭蛇クサナギ」「串蛇・奇蛇クシナギ」の意味ではないか、との説があります。この場合の「ナギ」は、鰻ウナギの「ナギ」と同じ語源で、すなわち蛇のことだというわけです。◇草薙剣(≒串蛇剣)は、スサノオが八岐大蛇の尾から抜き取り、のちにヤマトタケルの東征のために授けられました。スサノオも、八岐大蛇と戦う際に、クシナダヒメの姿を「櫛」に変えて頭に挿しました。櫛になったから「クシナダヒメ」だという説もある。ヤマトタケルの妻オトタチバナも、夫の身代わりとして入水し「櫛」の姿で葬られています。いずれにせよ、女性の櫛には、男性を守護する霊力があったのでしょう。
2024.04.10
春落葉片方だけのスニーカー われ反抗期春夕焼の海岸へ 入社式一人馴染まぬコンバース 厚底や挫く心と青い春 運がつき裏を覗けば散る桜 風光るピボットの軸は逞し 花衣運転席のスニーカー スニーカー踵に昨日の桜かな4月4日のプレバト俳句。お題は「スニーカー」。◇ペナルティ・ヒデ。春落葉 片方だけのスニーカー取り合わせが美しい。何らかの欠落をテーマにしてると思われますが、「なぜ片方しかないのか」という詩的な想像が膨らみます。とはいえ、「子供の靴が片方落ちてた」という作者の説明を聞くと、意外につまらないけどね。◇村山輝星。われ反抗期 春夕焼の海岸へわれ反抗期 春夕焼の砂を行く(添削後)われ反抗期 春夕焼の波見つむ(添削後)前回もマセた俳句だったけど、今回もマセた俳句。いきなり7・7・5の破調にしてくるのも、冒頭から客観写生のルールを破ってくるのも、なかなかにふてぶてしい!上五で「われ反抗期」と説明(宣言?)からはじまる型破りは、とりあえず句の個性として是認しますが、下五の「海岸へ」も、描写というよりは説明っぽいので、そこは添削のように映像化するのが正解でしょうね。◇梅沢富美男。花衣 運転席のスニーカー字面からは、女性を三人称的に描写した句に見えるので、まさかジジイの一人称の句とは驚きです。梅沢がスニーカーで車の運転をしてるのも意外。字面だけを見れば、> 自分で車を運転する女性で、> 最近は着物にスニーカーを合わせる人も多いけど、> この人はちゃんと下駄や草履に履き替えるのねと解釈するはず。まあ、俳句の形としては出来てるし、梅沢にしてはムダのない構成のシンプルな佳作です。◇金子恵美。入社式 一人馴染まぬコンバース入社式 一人は白きコンバース(添削後)中七の「馴染まぬ」が説明くさいので、添削句ではそれを映像化してますが、わたしは上五の「入社式」も、やはり映像ではなく状況説明に見えます。もし「入社式」を映像化するなら、たとえば8+10の句またがりですが、入社式の列 吾あのコンバース白しのように出来ます。◇キスマイ横尾。風光る ピボットの軸は逞し掲載決定だそうですが、わたしならボツです。スラムダンクヲタクの内輪ウケの評価としか思えない。これを解説なしに句集に掲載したら、はじめて読む人には意味不明だと思います。先生は、森迫永依の「旗源平」を前書きにすべきと言ったけど、「旗源平」なら調べれば分かることだし、これといって誤読の余地などもありません。しかし、以前の「1on1」や今回の「ピボット」は、一般に共有されてない単語であるばかりか、調べてみても、その意味が多岐にわたるので、それこそ前書きに「スラムダンク最高!」とでも書かなければ、バスケの句だとは特定できません。また、季語の選択も意外に平凡なのだけど、動詞の季語のあとに名詞が来るので、終止形なのか連体形なのかを読み迷うし、(古語のラ行四段活用は終止形と連体形が同じ)助詞の「は」を使う必然性も乏しい。さらに、この場合の「ピボット」は動作(ステップ)のことなので、「ピボット」と「軸」が重複するとは思いませんが、むしろ体の軸を形容する言葉として、「強し」ではなく「逞し」を選んだことに違和感を覚えます。日本語として「軸が逞しい」という言い方は変です。ためしに、陽春のゴール ピボットの軸強しとしてみました。ちなみに「ゴール」以外にも、「シュート」「コート」「ドリブル」などの語を使えば、前書きがなくともバスケの句だと伝わるはずです。◇石山アンジュ。厚底や 挫く心と青い春我が青き春 厚底に挫く足(添削後)上五の「厚底や」からして、もうギャグとしか思えません(笑)。すなわち「厚底だなあ!」ってことよね。季語をさしおいてギャルの靴を詠嘆しちゃった。ちなみに、厚底ブーツかと思いきや、厚底スニーカーで足を挫いたとのこと。ギャルにとっては切実な問題だったのだろうけど、はたから見るとコメディにしか見えないので、失礼ながら笑いを抑えられません。なお、青春の意味で「青い春」と書いたら、それは季語ではありません。通常なら、これが最下位だろうと思います。◇川﨑麻世。運がつき裏を覗けば散る桜靴底に糞ふんか 桜の散りしきる(添削後)下には下がいましたwふつうなら「運が尽き」と読むはずなので、おおかた賭けマージャンにでも負けて、不良学生が体育館の裏に行ったとか、不良オヤジが裏社会を覗いたとか、…そういう話なのかと思いましたが、靴の裏にウンコと桜の花びらが付いてたって…そこに何の詩情があるんでしょうか??…よく30点ももらえましたね。ウンコを踏んだ自虐川柳とも思えるけれど、わざわざ「運」の字を使ってるところを見ると、ウンコだけでなく桜のオマケもついてて一層ラッキー!…みたいなポジティブシンキングなのかもしれません。◇清水アナ。スニーカー 踵に昨日の桜かな中八を回避するだけなら、「踵」ではなく「底」や「裏」にすれば、とりあえず中七にはなるのだけど、それよりも上五で切れるのがよくないですね。とくに「かな」で締める場合は途中で切らないほうがいい。ためしに、(切れ字の「かな」は使いませんが)靴底に昨日の桜まだ紅しとしてみました。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥どうにかしたい気持ちはあった!🥲#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/MfF1XgKTyC— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 3, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.08
NHK大河「光る君へ」。毎週欠かさず見てます!だいたい4分の1が終わった感じ?◇正直、大石静には何の期待もしてなかったのだけど、想像を超える面白さにびっくりしてます。簡単にいったら、オジサンたちが権謀術数に明け暮れるかたわらで、女子たちが「ウフフ、オホホ」とお喋りしたり恋したり、…ってだけの話なんだけどwなんでこんなに面白いんでしょうね。◇柄本佑と吉高由里子は、けっして現代的な「美男美女」ではないけれど、2人とも目が切れ長で和風顔だから、あれこそ平安時代の「美男美女」だと信じたくなるし、いまさらながら絶妙な配役だと感心します。そして音楽の冬野ユミは、黒島結菜の「アシガール」のときにも、甘くてファンタジックな曲をつけてましたが、今回もまた、かなり自由自在に、平安ファンタジーっぽい甘美なテーマ音楽と、ジャズもまじえた現代的な劇伴をつけてるのが良い。◇若手のキャストたちが、毛筆草書を吹き替えなしでやってるのも凄いけど…馬を乗りこなして「打毬」をやってたのも凄かった。あの「打毬」という競技は、ハリポタの「クィディッチ」に似てましたが、紀元前6世紀ごろのペルシャの発祥で、日本の「打毬」のほうが英国の「ポロ」より古いのだと。たぶんハリポタの「クィディッチ」は、英国の「ポロ」をもとにしてるのだと思います。◇さて、前回の大河も「ファンタジーだ!」と叩かれましたが、今回はそれをも凌ぐ超絶ファンタジーwいちおう考証担当者は7人くらいいるらしいけど、資料が少なくて分からないことが多いのか、事実関係を考証してるのは倉本一宏ひとりだけ。紫式部と藤原道長 (講談社現代新書) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入 そのほかの担当者は、建築とか、芸能とか、和歌とか、料理とか、おもに社会風俗の考証をおこなってるようです。まあ、平安時代の社会風俗をドラマで再現するだけでも、歴史研究をうながす意義は十分にあると思う。そのほか、「下っ端の藤原氏より後ろ盾のある源氏のほうが身分が上」みたいな当時の事情を知れるのも面白い。◇ちなみに、ただひとり事実関係の考証を担う倉本一宏でさえ、「紫式部と道長が幼馴染みなんてことはありえない!!」と断言してますwここ最近は毎年3人くらいで分担している時代考証ですが、今年はどうも私1人しかいないらしい。紫式部と道長が幼なじみだという設定から出発しているのですが、実はそもそもこの設定自体が史実に反します。NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません。https://www.todaishimbun.org/drkuramoto_20231228/その前提からしてファンタジーだとしたら、「道長の兄が紫式部の母を道ばたで刺し殺した」なんて事実もありえないわけで…逆にいったら、ほんとうの史実はどこにあるの??って話。◇わたしが思うに、ここまでの4分の1の内容は、おもに《藤原兼家の権力闘争》の史実を中心に、フィクションをまじえて作ったのだと思います。とくに、花山天皇の退位(寛和の変)とか、そのあとの高御座「生首」事件とかは、それなりの資料にもとづいていたはずです。もちろん、当時の資料それ自体が捏造だったら、それすら史実じゃない可能性もありますがw◇前回の大河が「ファンタジーだ!」と叩かれたわりに、今回の大河にその類の批判が少ないのは、もともと大部分の視聴者が、過去の少女漫画や少女文学をとおして、いわゆる「王朝ファンタジー」に慣れてたからでしょう。大和和紀『あさきゆめみし』1979山岸凉子『日出処の天子』1980氷室冴子『ざ・ちぇんじ!』1983氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』1984逆にいうと、そういう「王朝ファンタジー」に慣れてない人たちは、そもそも今回のドラマを観てないよね。なので、視聴率は低いけど、そのぶんバッシングも相対的に少ないってこと。それをもって作品の優劣を論じても意味がありません。◇結局のところ、視聴者の多くは、慣れ親しんだイメージに近ければ納得するし、そうでなければ「史実と違う!」といって騒ぎ出す。たとえば司馬遼太郎を愛読してきた人たちは、それが「史実だ」と思い込んでるし、かたや大和和紀の漫画などを読んできた人は、そこに「歴史の実態がある」と思い込んでいる。そういう素人の視聴者が、ネットなどで繰り広げてる「史実論争」ってのは、ほとんどの場合、クソほどの価値もないバカ論争ではあるのだけど、かりにファンタジーであったとしても、凝り固まった歴史のイメージが変わっていくことは、それなりに意味のあることだと思います。すくなくとも、これまでのような、男性小説的な《戦国武将劇》への偏重から脱して、少女漫画的な《平安貴族劇》が増えることも、中世史への関心を高めるためには必要なことだし、今後は《江戸町人劇》なんかも増えたらいいと思う。◇なお、今作が「平安ファンタジー」であることは、安倍晴明の祈祷から始まったことに象徴されてますが、じつは、このドラマの中で、藤原兼家と道長の2人にかぎっては、陰陽術をぜんぜん信じてないという設定になってます。とくに藤原兼家は、安倍晴明のインチキを見破ったうえで利用してますね。実際、高御座「生首」事件が史実だったとすれば、兼家は《穢れ》に対する迷信をあざ笑いながら、血で汚れた高御座のうえに、平然と自分の孫を座らせたことになります。◇たしかに現代人から見ると、安倍晴明の陰陽術はインチキに見えるけれど、近代医学がまだ存在しなかった時代、つまり細菌やウィルスの知識がなかった時代に、不可解な伝染病で人がバタバタ死んだりすれば、たとえ荒唐無稽な迷信だとしても、《穢れ》や《清め》や《禁忌》などの概念には、たんに宗教的な意味合いだけでなく、おそらく衛生上の合理性があったはずなのよね。現代人でさえ、目に見えないコロナウィルスにおののき、デマを信じたり、差別的になったりするのだから、中世の人々が迷信に頼るのも至極当然の話。そう考えると、迷信を無視することはきわめて困難だったと思う。◇そんな怖れを知らぬ藤原兼家も、そろそろ死期が迫ってるっぽいので…今後の焦点は、やはり主人公の結婚?!(お相手はネタバレになるので触れません)そして、序盤にくらべれば、だいぶ史実に則した内容になるはずですが、倫子さん or 彰子さん付きの女房になるのでしょうね。(誰の女房だったかについて諸説あるようです)たとえ「紫式部と道長が幼馴染み」ってのがファンタジーとしても、その2人が藤原氏だったのは間違いないし、年齢が近かったのも事実だし、(道長が4才上との説や12才上との説あり)倫子さんと親しい間柄ってのも、それなりに根拠はあるようです。平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像 (NHK出版新書 707 707) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入
2024.04.07
NHK「プロジェクトX」が再開。多少は現代に見合ったコンセプトへ刷新されたかと思いきや、あいかわらず巨大プロジェクト礼賛番組でした。これじゃあ夕方にやってる「水戸黄門」の再放送と変わらない。つまりは思考停止した高齢者向けの自己愛番組。そして、このような「巨大プロジェクト礼賛」が、能登半島の復興をもないがしろにする、大阪の「賭博カジノ万博」へ直結するのかと思うと、むしろ寒気がします。おりしも、台湾の地震対応の素早さを見せつけられて、日本の行政による災害対応が、台湾の宗教団体にさえ劣ることが分かった今、アホみたいな「巨大プロジェクト礼賛」番組を、NHKの公共放送がゴールデンタイムに垂れ流したところで、もはや日本が後進的な貧困国なのは隠しようもない。その事実を素直に認めて、国家ぐるみの構造改革を促す番組を作ったほうが、よっぽど生産的ではないでしょうか??災害が起こるたびに、「自衛隊はよく頑張った!」「被災者はよく我慢した!」みたいな自画自賛をいつまで繰り返すつもりなのか。◇土建屋の巨大事業に予算を回すことしか考えていない、旧態依然たる政治家には早めに集団自決してもらって、まともな予算の使い方ができる国へ変貌しなければなりません。「雑魚寝ジャパンとの差が」台湾地震、発生から4時間でプライバシー配慮の避難所完成…玉川徹氏も日本の対応を疑問視#SmartFLASH #SNS #テレビ朝日 #台湾 #玉川徹 #能登半島地震https://t.co/w62H1m4jOk— SmartFLASH (@info_smafla) April 5, 2024台湾の大地震で犠牲者がこれほど少なかったのはなぜか? 内外の専門家らが解説(クーリエ・ジャポン)https://t.co/0i9GBTQKUZ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 6, 2024
2024.04.06
朝ドラ「ブギウギ」を見終わりました。世評は悪くないようだけど、個人的にはちょっと物足りなさが残りました。それは脚本のせいでもあるし、キャストのせいでもあるし、笠置シヅ子の生涯をドラマ化することの難しさのせいともいえる。◇笠置シヅ子は、日本のポップス史における最重要歌手なので、NHKが大々的に取り上げるにふさわしい人物にはちがいないけど、だからといって「朝ドラ」にふさわしいキャラクターかどうかは微妙だったのかも。不世出の歌手にもかかわらず、あっさり引退して美空ひばりにその座を明け渡してしまったので、全盛期はほんの数年間にすぎないし、それが敗戦直後の混乱期という異常な時代だったのも、ちょっと朝ドラ的には扱いにくい理由だと思う。さらには、出自が複雑だったり、未婚の母だったり、薬物中毒の疑い(←これはあくまで疑惑の域を出ないようです。しかも当時はまだ覚せい剤が違法じゃなかった)があったり、娼婦たちとの不思議な連帯があったり、自分の持ち歌を他人に歌わせなかったり、横領事件や誘拐事件に見舞われたり、いろいろとネガティブな面もあるので、それらを朝ドラ的なオブラートに包みながら脚本化するのは難しい作業だったでしょう。◇もっとも、最近の朝ドラは、たとえば「エール」の古関裕而や「スカーレット」の神山清子や「らんまん」の牧野富太郎みたいに、けっこうネガティブな面をもった人物でも果敢に取り上げてるし、あげくは「カムカム」の安子みたいに、わざわざネガティブな要素の強い架空の人物を作りあげたりもしてるから、その勢いで笠置シヅ子を取り上げるのも不可能ではなかったはずだけど、それでも今回のミッションが成功だったかどうかは微妙です。すくなくとも個人的には、これが笠置シヅ子の伝記ドラマの決定版というには物足りないし、ちょっと大胆さに欠けたと思う。主演の趣里は、東京出身にもかかわらず「コテコテの小柄な大阪人」というキャラをうまく演じてましたが、その歌唱パフォーマンスは迫力に欠けました。もちろん、趣里も、菊地凛子も、あくまで女優であって本業の歌手じゃないのだから、歌唱シーンが「なんちゃってパフォーマンス」になるのは仕方ないけど(その点でいえば李香蘭を演じた昆夏美の歌唱シーンは素晴らしかった!)、重要なのは歌唱力の問題ではなく表現のスタイルの問題なのです。おそらく演出上の方針として、笠置シヅ子の下品なまでの禍々しいパワーを再現しようという意志が最初からなかったんだと思う。趣里のパフォーマンスは、どちらかというとキャンディーズのランちゃんを彷彿とさせるような上品で可愛らしいパフォーマンスだったし、笠置シヅ子がスターだった時代の異常な雰囲気を体感させるような迫真性にはほど遠かった。…しつこいようですが、やはりわたしは「田村芽実が主演だったら…」ってことを考えてしまうのだけど。田村芽実がヒロインだったらこうだった!グルーヴ感が桁違い!歌唱シーン以外の部分でも、笠置シヅ子がスターだった時代の描写には物足りなさを感じました。曲がヒットして以降も、もっぱら家庭人としての面ばかりが強調され、およそスターらしさが見えなかったからです。端的にいって地味だった。たしかに、まだテレビもなかった時代だし、笠置シヅ子自身も庶民的なキャラの人だったから、のちの美空ひばりみたいな大スターっぷりとは違ったかもしれないけれど、すくなくとも映画や雑誌では顔が知られていたのだから、もっと一般のファンに熱狂される様子が描かれてもよかったと思う。戦後に「東京ブギウギ」で頂点に立った全盛期のスターっぷりが物足りなかったために、結局のところ、この主人公がいちばん輝いたのは、少女だった頃の《大阪の銭湯時代》だったんじゃないかしら?と思えてしまうし、そこから先の人生はすこしづつ尻すぼみだったように見えてしまうのです。◇最後の引退劇もいまいち納得感に欠けた。主人公が語った「羽鳥善一の歌にとって最高の人形ではなくなった」というセリフは、肥満を理由に引退した史実にもとづいてるのだろうけど、せっかくドラマ全体のエンディングにするのなら、もっとそれに見合うだけの物語を仕立てて欲しかったです。水城アユミを「大和礼子の娘」した設定は、とても素晴らしいアイディアなのよね。それでこそ平凡な引退劇を、ドラマのエンディングにふさわしい物語へと転換できるはずだった。つまり《大和礼子の娘にエンタメの未来を託す》という美談に仕立てれば、この物語は大団円のうちに終わったはずなのです。ちなみに水城アユミのモデルになったのは、美空ひばりよりもむしろ江利チエミだったらしい。江利チエミの母(谷崎歳子)は東京少女歌劇団を経て吉本興業で活躍したスター女優であり、父(久保益雄)はその吉本興業の専属ピアノ奏者で、両者ともに笠置シヅ子とは旧知の仲だった。なので、水城アユミを「大和礼子の娘」にした設定は、あながちフィクションではないのですね。しかしながら、美空ひばりと江利チエミを掛け合わせて「大和礼子の娘」に仕立てた設定は十分に活かされなかった。そもそも水城アユミとの出会いのシーンからして微妙な感じでした。せっかく大和礼子の娘に(赤ん坊のとき以来)再会したのだから、そこは母娘のように感動的なハグをすべきだったでしょ!たとえ「持ち歌」にかんする確執があったにせよ、それを乗り越えて水城アユミに未来を託す美談にすれば、きっと感動的なエンディングになっただろうと思う。物語的に考えたら、歌手の引退という突然の決断は、たんに羽鳥善一への恩義に報いて済む話ではないのです。東京へ送り出してくれた父と母の恩義にも報いねばならないし、幼馴染のタイ子ちゃんへの恩義にも報いねばならないし、大和礼子や歌劇団の盟友たちの恩義にも報いねばならない。さらには、自分に希望を託してくれた亡き弟や愛助の思いにも報いねばならない。それらをすべてひっくるめて納得感のある引退劇にするためには、やはり大和礼子の娘へとバトンを渡し、彼女にエンタメの未来を託す美談に仕立てるべきでした。へたに「さよならコンサート」みたいなフィクションをでっち上げるよりも、史実どおりに紅白を最後のステージにして、そこで水城あゆみにエンタメの未来を託すエンディングにしたほうがよかったと思う。ついでにいえば「義理と人情」をドラマの結論にしたメッセージも(スマイルカンパニーとジャニーズ事務所じゃあるまいし!)まったくの時代錯誤としか思えないので、むしろ終戦後の混乱期から復興期への転換を後押しするような、希望に満ちたメッセージで終わらせて欲しかったです。実際のところ、笠置シヅ子と美空ひばり(あるいは江利チエミや雪村いづみ)との違いは、その時代背景の違いでもあったのです。つまり、戦中・戦後の混乱期に禍々しいエネルギーを放った笠置シヅ子と、「もはや戦後ではない」といわれた復興期に明朗な希望を託された美空ひばりとでは、そもそも時代から求められたものが違っていた。笠置シヅ子の引退劇は、そのような時代の変わり目を象徴するものにしてほしかった。◇さらに苦言をいえば、2人体制による脚本も文句なしに成功したとは言いがたい。前々から言ってることだけど、シナリオ全体を共同で練りあげるならともかく、ただパートごとに分担するという手法はあまり感心できません。今回の「ブギウギ」の場合、脚本家の交代でテイストが損なわれるほどの問題は生じなかったけど、さすがに技量の差までは隠しきれませんでした。とくに戦時中のパートは脚本家の力量不足が顕著だった。笠置シヅ子は、戦時中の苦難よりも、戦後の「出産」「恋人との死別」というスキャンダルのほうが大きな苦難だったから、そちらをメインの脚本家が担当し、代わりにサブの脚本家が戦時中パートを担当する形になったのだろうけど、残念ながら、えなりかずきをはじめとするバンドメンバーのキャラ立ちは弱すぎたし、地方巡業のエピソードも心を動かすだけの要素には乏しかった。淡谷のり子と特攻隊のエピソードや、服部良一の上海でのエピソードについても、ただ史実の上っ面をなぞっただけで、十分にエモーショナルな物語とはなっていなかった。史実にもとづきながら、それをエモーショナルな物語に仕立てるのは難しいことだと思うけど、それこそが脚本家の腕の見せどころなのだし、もうちょっと脚色の技量を発揮してほしかったです。◇そして、笠置シヅ子の伝記ドラマを作るうえで、いちばん難しいのは生まれ故郷の四国・香川の問題だったかもしれません。おそらく香川には「実母の実家」「実父の実家」「養母の実家」「養父の実家」「実母の嫁ぎ先」の5つの家があるはずですが、それらの家との関係についてNHKがどれほど把握できていたのか分からないし、そのファミリーヒストリーをむやみにほじくり返すことの難しさもあったかもしれない。ドラマに登場したのは、法事のおこなわれた「実父の実家」と、葬儀のおこなわれた「養父の実家」と、異父兄弟のいる「実母の嫁ぎ先」だったのですが、それにかんしてさえ史実どおりではなく、おそらく何らかのフィクションに仕立てる必要性があったのではないかしら?実際、娘の愛子が実母と対面するシーンなどはフィクションだった可能性が高い。愛子のモデルになった娘の亀井ヱイ子さんは、放送前のイベントに柳葉敏郎と一緒に出てきたりしてたようだけど、あまり詳しい情報が出てこないせいもあり、いろんな出版物や情報番組などをとおして史実ネタに尽きなかった前作の「らんまん」に比べると、ちょっと煮え切らないようなモヤモヤした感じも残りました。とはいえ、フィクションを交えてでも、娘を捨てた笠置シヅ子の実母を描く意味はあったと思います。上白石萌音の「カムカム」を見たときは《娘を捨てる母親の物語》がかなり踏み込んだものに思えたけれど、むしろ今回の「ブギウギ」を見て思ったのは、昔も今も親子が離れ離れになるのは珍しいことじゃなく、それほど異端視すべきものでもないのだってことですね。今回のドラマでは、いちおう実母との再会が感動的に描かれてましたが、実際には疎遠なままの場合もあるだろうし、わだかまりが消えない場合もあるだろうと思います。笠置シヅ子 その言葉と人生 [ 亀井 ヱイ子 ] 楽天で購入 余談ですが…NHKは「名曲アルバム」や「クラシックTV」や「歴史探偵」などの番組でも、笠置シヅ子関連の内容を放送してました。それらを見てあらためて知ったのは《美空ひばりが横浜から誕生した必然性》もさることながら、《服部良一と笠置シヅ子が大阪から誕生した必然性》も確実にあるってこと。要するに、街が才能を育んだのですね。以下は、上記の番組からのメモです。・道頓堀には江戸時代から芝居小屋が並んでおり、そこで文楽も始まった。・笠置シヅ子は3才から日本舞踊や三味線を習い、芸事が身近にあった。・大阪松竹座が大正12年に現在と同じ場所に建てられた。・関東大震災によって人口移動が起こり、大阪が日本最大の都市になった(大大阪時代)。・道頓堀にダンスホールや劇場が林立し、道頓堀ジャズが隆盛した。・関東大震災から10年ほど経って大阪発の娯楽文化が東京へと逆流した。・松竹が東京に設立した楽劇団の副指揮者に服部良一が就任した。・服部良一が笠置シヅ子に求めたのはジャズのような地声唱法だった。・朝鮮特需に乗じた「買い物ブギ」は「東京ブギウギ」をも超える売上になった。ちなみに、わたしは「ラッパと娘」も三連符のリズムからなるブギウギだと思ってましたが、NHKの解説によれば、同じ三連符のシャッフルビートでも「4拍ならスイング」「8拍ならブギウギ」と分類するようです。そこからすると戦前の「ラッパと娘」はブギウギじゃなくてスイングなのですね。いずれにしてもシャッフルビートは日本の音頭と同じだから、服部良一と笠置シヅ子が作った「ご当地ブギ」の数々は、ある意味では「ご当地音頭」みたいなものだったと思います。やがて、このシャッフルする8ビートのブギウギは、均等な8ビートのロックンロールへと発展するわけですね。◇…ところで、このたびWikipediaを読んで知ったことですが、一般に使用されている「笠置シヅ子」という名前の表記は、歌手を引退したあとの女優時代のものであって、歌手時代の正式な表記は「笠置シズ子」なのだそうです。知らなかった!!わたしも慣例にならって「シヅ子」と書いてますが、歌手時代の彼女のことを書くならば、厳密には「シズ子」と表記するのが正しいのだろうと思います。
2024.04.05
だいぶ時間が経っちゃいましたが、テレ朝「アイのない恋人たち」が終了。◇近年の遊川和彦の作風とは違ってて興味をひかれました。遊川のドラマは、日テレの「女王の教室」や「家政婦のミタ」で成功して以降、だいぶワンパターンだったから飽きてたのよね。でも、今回はオーソドックスな作りが逆に新鮮だった。現代の若者の恋愛や親子関係のサンプルを、ありったけにぶち込んだような内容でしたが、さしずめ「男女7人」の現代版って感じ?ドラマだけに、いろんなエピソードが極端に詰め込まれてたけど、ひとつひとつの話は現代の若者のリアルなんだろうな、…と思いながら見てました。もはや恋愛することは労力でしかないのね。ほんの些細なことが相入れなくても上手くいかないし、上手くいったとしても、短い期間で終わってしまう。◇若手の演技派7人の組み合わせも面白かったです。福士蒼汰×前田公輝×本郷奏多岡崎紗絵×深川麻衣×成海璃子×佐々木希とくに福士くんは、わたしが見たなかではいちばん良かったと思うし、彼のキャラにも合ってました。ちなみに、なぜ脚本家の設定にしたのでしょうね。遊川が自分自身を投影するにはあまりに若すぎて青臭いし、だれか後輩の脚本家にモデルでもいたのかしら?◇しかし!!結末がいかにもテキトーなのは相変わらずのパターン(笑)。遊川のドラマは、収拾がつかないほど色んな問題をぶち込んでしまうので、最後はいつもテキトーな終わらせ方になる。さすがにバッドエンドじゃ希望がなさすぎるし、なんとかハッピーエンドにしたかったのは分かるけど、そうはいっても、あからさまに手の平を返すようなハッピーエンドは、強引すぎて失笑するしかありませんでした。
2024.04.04
苗代の桜や鬼の住まいする 刑務所を囲む桜の仄白き 幽谷のロッジの夜明け白き飛花 花月夜冒険譚に挿す栞 束の間を正気の母と花の道 さくらさくらむすめのたましいのいろ 濠の端の羽音走りて初桜 花曇昼夜の区別なき赤子 花月夜学童終わりのチャンバラ戦 我が運命夜櫻に問う生も死も 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色 出郷の車窓を叩く飛花落花 青光りせり750ccに花吹雪 風吹かば花の色なる城下町 校庭に響くピアニカ春の雲 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色3月28日のプレバト俳句。春光戦のお題は「桜」です。決勝進出したのは梅沢、千賀、ジュニアの3人。優勝は千賀でした。◇森迫永依。花月夜 学童終わりのチャンバラ戦チャンバラの続く公園 花月夜(添削後)チャンバラの続く団地や 花月夜(添削後)十分に佳作です。9位の評価は低すぎる。添削する必要もない。前回の「旗源平」の句も、平家物語のような風情があったけど、今回も歌舞伎に見立てたような面白さがある。なお、先生は、「花月夜」から「学童終わり」への展開を、夜から夕方へ時間が逆行してる…と言いましたが、それは間違った解釈というべきです。中七の「学童」とは、一般的に「学童保育」のことであって、共働き・ひとり親家庭などの子だという示唆です。そうでなければ、わざわざこの単語は使いません。ふつうに「学校帰り」と書けばよいのだから。放課後の学童保育が終わるのは18時以降だし、家に帰っても留守番せざるをえない境遇だからこそ、学童たちは月夜になってもまだ遊んでるのです。作者がそれを説明しないせいもあるけれど、先生をふくめ、誰一人その意図を汲み取れていない。前回の「旗源平」の句もそうでしたが、今回もまた不当な評価に貶められてしまった感じ。ここまでくると、視聴者はMBSへ苦言を呈してもいいのでは??追記:原句の「戦」の要不要について。ここでのチャンバラは、見世物や演目でもないし、無邪気なごっこ遊びというだけのものでもなく、男の子のストレス発散の憂さ晴らし、ちょっと乱暴なゲームとも読めますし、貧困や寂しさにも負けない明るい逞しさとも読める。そうした意味で、この「戦」の字の多義性というのがある。下6の字余りではあるものの、撥音「n」が二箇所入ってリズム上の字余り感は少ない。◇森口瑤子。束の間を正気の母と花の道中七の「正気」でドキッとさせる。下五の「花の道」は、もちろん桜咲く並木道のことですが、比喩的な意味の「花道」とも読めます。◇的場浩司(予選句)。我が運命さだめ 夜櫻に問う生も死も満開の夜櫻に問う生も死も(添削後)満開の夜櫻に我が生を問う(添削後)内容が観念的で、ベートーベン並みに暑苦しいですね。しかも、その発想はわりに凡庸というべき。◇的場浩司(Tver限定)。祖父逝きて今朝の櫻の寒き色こっちを提出してれば決勝進出だった!!…と先生絶賛の句。時間と視覚と肌感覚と心情が、無駄なく描写されていて、たしかに非の打ちどころがありませんね。因果関係のような叙述によって、実景に心情をのせていく形式も的確です。◇千原ジュニア(予選句)。刑務所を囲む桜の仄白き終止形で「仄白し」と書くほうが、客観写生の原則に適ってますが、これを連体形で終わらせた形は、「仄白きこと」という感嘆・詠嘆の省略にも見えるし、たとえば「仄白き悲しさ」「仄白き優しさ」など、作者の印象を言い含めるような効果も与えます。通常なら避けるべき手法ですが、この句にかんしては許容したくなります。◇千原ジュニア(決勝句)。青光りせり 750ccななはんに花吹雪バイクに花吹雪、という句材は凡庸です。かりに評価すべき点があるとすれば、それを「青光り」と描写したことの独自性だけ。なお、連体形で「青光りせる750cc」と書けば、光ってるのはバイクだけですが、いったん終止形で切って倒置法にしたことで、場面全体が光ってるようにも見えるのですね。しかし、表現に多少の工夫を加えたところで、やはり句材そのものが凡庸なのは否めない。◇キスマイ千賀(予選句)。幽谷のロッジの夜明け 白き飛花幽谷のロッジ 夜明けの飛花白し(添削後)そもそも「夜明けの幽谷」に霧のイメージがあるので、下五の「白」の情報は重複にも思えるけど、添削のようなカット割りと語順にすれば、その「白さ」をさらに強調する効果が生まれますね。◇キスマイ千賀(決勝句)。出郷の車窓を叩く飛花落花車窓に桜吹雪という句材は凡庸なのだけど、上五の「出郷」は経済効率の良い言葉だし、中七の「叩く」の表現にも意外性がありました。季語の「飛花落花」も、漢字四字で動画的なイメージを与える熟語だけど、そのわりに音数も少なくて効率的です。車のスピードのせいもあるとはいえ、バタバタするほどの桜吹雪だったのでしょうね。◇梅沢富美男(予選句)。苗代なわしろの桜や 鬼の住まいする下五の「住まいする」は、韻文的な言い回しなのかもしれませんが、悪くいえば、ムダに字数を埋めただけ。かりに、中八・下五で「苗代桜に鬼の棲む」と書けば、(もしくは上五・中七で「鬼の棲む苗代桜」と書けば)残りの5音分でもう一要素を加えられます。これまでも梅沢は、「日焼けを剥く子」「剪定の音」など、わずか7音で書ける内容に17音も費やして、剪定や鋏の音の霏々として一心に日焼けの鱗はぐ子かなみたいにスカスカな句を作ってるけど、今回も12音あれば書ける内容なのです。そもそも、下呂市の「苗代桜」は、苗代に咲いてるからそう呼ばれるのではなく、「苗代へ植える頃に咲く」ということが由来なので、それを「苗代の桜」と書いたら意味が違ってきます。固有名詞の「苗代桜」ではなく、一般名詞の「苗代」に咲く桜としか読めなくなる。まあ、それならそれで、ひとつの幻想句としては成立しますが、それを予選1位と高く評価するのはどうなんでしょうね。◇梅沢富美男(決勝句)。風吹かば花の色なる城下町夕風や 花の色なる城下町(添削後)句材そのものが凡庸なのですが、たんなる取り合わせにするよりも、「風が吹いたので花の色になった」と因果っぽい書き方にするほうが幻想的なので、添削句よりは原句のほうがいいかなと思う。◇キスマイ横尾。花月夜 冒険譚に挿す栞下五の「挿す栞」だけを見ると、挿さない栞があるんなら持ってこい!…ってことになりますが、たんに「冒険譚に栞」と書いただけでは、A そこに読みかけの本があるB いま本を閉じたC これから本を開くなどの解釈が生まれてしまうので、Bであると明示するためには動詞を省けない。そのうえで、先生は、「栞挿す」か「挿す栞」かの選択について、先に「栞」を出したらネタバレになるので、原句のように「挿す栞」と書くのが正解としました。しかし、それは「季語よりも栞が主役」と言ってるのに近いし、いつもの先生の説明とも違ってます。いつもなら、「動詞に軸足を置くか、名詞に軸足を置くか」という観点で判断するのだから。あらためて比べてみます。A: 花月夜 冒険譚に挿す栞B: 花月夜 冒険譚に栞挿すBのほうは動作に軸足があるので、「読書を終えて花月夜へと視線を移す」って感じになるし、そのぶん季語が立ちます。Aのほうは「栞」に軸足が置かれるので、そのぶん季語が脇役に回ってしまいかねない。とはいえ、全体としては「読みかけの冒険譚」の映像が残るので、先生が「ファンタジーっぽい」と言ったように、季語の「花月夜」と「冒険譚」のイメージが、たがいに幻想的に響き合って重なる感じもあるのだけど、その効果はAでもBでも変わりありません。なので、「栞を主役にしすぎずに季語を立てる」のなら、動詞に軸足を置いたBのほうが正解だろうと思います。◇犬山紙子。さくらさくら むすめのたましいのいろさくらさくら 子のたましいのさくら色(添削後)原句は6+4+7=17の破調。すべて平仮名で書いてますが、子供の視点で書いてるわけじゃなく、むしろ親の視点で書かれてるのよね。前段の「さくらさくら」が娘の歌声なら、そこにかんしては平仮名で書く必然性があるけど、後段まで平仮名で書く必然性があるかは疑問。しかしながら、実際に、さくらさくら 娘の魂の色と漢字で書いてみると…なんだか「自分の娘」じゃなく「若い女」の句に見えるし、鬼滅の禰豆子みたいな世界観に見えるかもwかたや添削句のほうは、字余りで6+7+5と調子を整え、子供の「魂」とその「色」を平仮名で表記してます。その意図は理解できるけれど、なんとなく「亡き子の追悼句」のように読めるし、やはり原句とは意味合いが違ってるように感じる。ためしに6+8+5にして、さくらさくら むすめのたましいさくらいろ…としてみたのですが、これまた「うら若き娘」の色香に見えてしまうかもwってことで、いまいち解決策は見つからず、結局、原句が最適解かもしれません。◇フルポン村上。花曇 昼夜ちゅうやの区別なき赤子こども花ぐもり 夜を泣き昼を泣く赤子あかご(添削後)原句の「昼夜の区別なし」は説明的だし、赤子が「泣いてる」のか「遊んでる」のか、それも字面からは判然としないので、その意味では添削句のほうが優れてます。ただし、添削句は、説明が描写へと訂正されたぶん、描いた時間が「夜から昼まで」になり、季語の「花曇」の時制までぼやけてしまう。原句の場合は、「昼夜の区別なし」ってのが描写ではなく、赤子についての抽象的な説明だからこそ、時制はあくまで「花曇」の日中なのですね。…ってことで、これもちょっと直しにくい内容ですが、漢語の「区別」を使わずに説明を短くし、赤子が「泣く」という情報を加えるなら、花曇 昼夜ひるよるなしに泣く赤子と出来ます。◇中田喜子。濠の端の羽音走りて初桜濠の端を羽音走れり 初桜(添削後)NHK俳句の村上鞆彦の言葉を借りると、4つの「ha」の押韻はクドいとも言えるし、とくに「端」と「初桜」の語には、押韻ありきみたいな作為性を感じる。とはいえ、添削句のように、適切な助詞や切れを用いて、意味と構成を明確にすれば、ただ言葉遊びに溺れたかのような作為性は、だいぶ緩和されるかもしれません。◇清水アナ(Twitter)。校庭に響くピアニカ 春の雲よくいえば素朴なのですが、あまりに内容が凡庸すぎました。中七の「響く」も不要だし、季語もだいぶつまらないけど…なんとなく、この季語の選択は、フォスターの「静かにねむれ」っぽいよね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ちょっと攻めすぎた…😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/oDga5MZgMK— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 25, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.01
クドカンの「ふてほど」最終話。寛容ソングはずいぶんと長尺でしたねwだいたい予想はしてましたが、最後は、震災の行方不明者が未来に生きる希望を残した形。もともとクドカンは、お決まりの《入れ替わり》とか《タイムリープ》とか、1980年代の大林宣彦が、「転校生」や「時かけ」で定式化したモチーフを、これまでも繰り返し使ってきたのですよね。…たまたま最近、その大林宣彦の「時をかける少女」を、U-NEXTで初めてちゃんと観たのだけど、あの物語は、ただのタイムリープの話ではなく、じつは《代理》をテーマにした話だと知りました。それがクドカンにも継承されてるなと感じます。◇大林版の「時かけ」における深町くんは、未来人として現代に存在してるのではなく、むしろ未来人であることを隠すために、他のだれかの《代理》として出現しています。ある部分では、すでに亡くなったはずの「深町家の孫」の代理として存在し、ある部分では、芳山和子の中の「吾郎ちゃん」の記憶をすり替えながら、やはり、その代理として存在してる。のちの角川版や細田版では、この《代理》というテーマが十分に追求されていません。◇これは、すでに下のシネマレビューにも書いたことだけど↓https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063芳山和子が深町くんに抱いた恋心は、じつは吾郎ちゃんに抱いていた感情の《代理》なのです。それは、ちょうど、富田靖子の「さびしんぼう」で、主人公が白塗りの少女に抱いた恋心が、じつは主人公の母親への想いの《代理》だった、…という構造とほとんど同じです。それによって、もっとも身近な誰かへの想いに気づく物語になってる。◇そして、もうひとつ、すでに存在しないはずの「深町家の亡くなった孫」が、タイムパラドックスによって存在してる面があって、そこには「存在しえなかった死者」を現出させる意図も感じる。大林宣彦は、そういう物語を被爆地の広島で撮ったのです。タイムリープの物語というのは、たんに過去や未来へ時間旅行するだけの話じゃなく、「存在しないはずの誰かが存在すること」の意味を問う物語なのですよね。…今回のクドカンのドラマでも、「存在しないはずの誰かが存在すること」の意味を、かなり意識的に掘り下げたと思う。つまり、阪神大震災で亡くなった人々が、タイムマシンで未来に出現する設定になってて、仲里依紗が演じる渚は、すでに亡くなった若き母と姉妹のように接したり、すでに亡くなった若き祖父と恋人のように接したりします。これも、尾美としのりが富田靖子に恋したのと似ていて、本来は母や祖父に抱きがたい感情が生まれてる。その意味でも、クドカンは、大林と同様の《代理》の物語を追求してると思う。残念ながら、わたしは観てないけど、クドカンがもっとも意識したのは谷口正晃版なのかも。◇スピルバーグの「Back to the Future」もふくめ、その後の《タイムリープ》の多くの作品には、そういう視点が抜けていて、物語としての深みに欠けます。とくにスピルバーグの場合は、筒井康隆よりも藤子不二雄を模範にしてるのよね。人間関係が「ドラえもん」とまったく同じなのです↓https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063なお、先月の「アストリッド&ラファエル」の記事にも書きましたが、この《タイムリープ》という和製英語は、筒井康隆が「時をかける少女」で発明した造語のようです。時をかける少女 [ 原田知世 ] 楽天で購入 さびしんぼう [ 富田靖子 ] 楽天で購入
2024.03.31
門脇麦×永瀬廉「厨房のありす」最終話。自閉症の女の子の人情ラブコメに、アストリッド風の謎解きサスペンスを加えたドラマ?…かと思いきや、最後はけっこうスゴい話で、実父がとんでもないサイコパスの極悪人だったのね。◇それまでの内容も、ゲイカップルの偽装結婚の話とか、いろいろ詰め込みすぎって感じもしたけど、まあまあ面白かったし、最後はしっかりしたメッセージ性もあって、なかなかちゃんとした結末でした。◇自閉症の問題もふくめて、マイノリティの立場を肯定するお話でしたが、それと同時に「非合理な家族神話」への批判でもあった。極悪人の実父は、「結局オレはお前の父親で、お前は人殺しの娘だけどな」という捨てゼリフを残しましたが、殺人犯でなくとも、悪い親って子供にこういうことを言いがちだよね。それは、親の傲慢さ以外の何ものでもない。◇ヘテロセクシャルな実父よりも、ホモセクシャルな養父のほうが良心的だったという結論。たとえ血縁であっても、悪人まで親と思う必要はないってこと。逆に、たとえ親が仇どうしであっても、その子供までが憎しみ合う必要はないってこと。これって、たんに個人の問題ではなく、社会全体のコンセンサスの問題でもあるし、もっといえば、民族間や国家間の問題でもあります。◇最後に主人公が言ってましたが、食べ合わせの悪い食材どうしでも、料理しだいでは調和させることができるのね!知らなかった!!ありすのレシピブックも出てました↓厨房のありす公式ガイド ありすのやさしいごはんレシピ (TVガイドMOOK) 楽天で購入
2024.03.31
アガサ・クリスティ原作、ヒュー・ローリー版「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか」。とても洒落ててカッコいいドラマだったけど…あまりに話が複雑すぎて理解しきれないよ!!!つーか、必要な描写を端折りすぎてるし、細かい部分を誤魔化してる気もします。原作を読んでなければ、事件の詳細を理解できないのでは??これだからサスペンスドラマはストレスが溜まるのよね。じゃあ見るなよ、って話だけど…(^^;しかも、今回のNHK版は、字幕翻訳にもミスがあるように思います。◇翻訳が疑わしいのは、最終盤で、ボビーとフランキーが、料理人だったチャドリイ夫人宅を訪れたシーン。(チャドリイは旧姓で現在はプラット夫人です)サヴィッジ氏について尋ねた次のやりとり。ボビー「彼はミルハウスによく来ていたんですよね」プラット夫人「グラディスに聞いて。私はひとつ聞いただけ」この「私はひとつ聞いただけ」というセリフが、どうも意味不明なのよね。英語の音声は聞き取りにくいけれど、わたしの耳には「I saw him there for once」と聞こえるし、そうだとすれば「私はいちど会っただけ」と訳さねばならない。このやりとりは、「なぜエヴァンズに(遺言書の署名を)頼まなかったのか」という核心にかかわる部分なので、このセリフが意味不明じゃ真相が理解できないでしょ。◇なぜサヴィッジ氏は、遺言書の署名をグラディス・エヴァンズに頼まなかったか。それはグラディスが「本物のサヴィッジ氏」の顔を知ってたから。遺言書の署名に立ち会ったのは、たぶん共犯者のロジャーだよね。プラット夫人は、署名のときに「いちど会っただけ」なので、ロジャーのことをサヴィッジ氏と思い込んだ…というトリック。(逆に、サヴィッジ氏の死体を確認したのはグラディスだけ)だとすれば、やはり上記のセリフは「私はいちど会っただけ」と訳すべきでしょ。◇前にも書きましたが、わたしは、CBCの「アンという名の少女」のときにも、NHKの翻訳にはミスがあったと思ってる。マシューがマリラを呼ぶときに、二人称を「姉さん」でなく「おまえ」と訳していたのです。原作の「赤毛のアン」では、マシューが兄でマリラが妹なのだけれど、CBCのドラマ版では、マリラが姉でマシューが弟に変わってました。姉に対する二人称を「おまえ」と訳すのは不自然ですが、字幕制作者は、そのことを考慮せず、おおかた原作の翻訳に準拠したのでしょう。こういうミスは、もちろん翻訳者の責任でもあるけれど、NHKのプロデューサーや演出家の責任でもある。要するに、内容を理解した上でチェックをしてるのかってこと。じつは誰も内容を理解せずに、漫然と海外ドラマを放送してる可能性がある。ここからは詳細なネタバレです。今回のミステリーの複雑さは、たんに登場人物が多いだけでなく、姿を現さない人物の名前を混乱させるところにあります。たとえば上記のチャドリイ夫人も、再婚してプラット夫人に変わってましたが、ほかにも名前が変わってしまう人物が3人います。第1に、崖から落ちて死んだ男性は、ケイマン夫人の兄「アレックス・プリチャード」とされるのですが、この名前は嘘の証言にもとづいているので、本当はサヴィッジ氏の友人「アラン・カーステアーズ」です。第2に、ニコルソン院長の妻「モイラ・ニコルソン」は、じつは主犯の「ローズ・テンプルトン」(テンプルトン夫人)なのですね。再婚して姓が変わっただけでなく、偽名なのでファーストネームも変わっています。第3に、タイトルになっている「グラディス・エヴァンズ」は、主人公ジョーンズ邸の家政婦「グラディス・ロバーツ」(ロバーツ夫人)です。この人も結婚して姓が変わったのでしょうね。◇結論から先に言っちゃいますが…主人公のボビー・ジョーンズ(♂)は、「モイラは美人だから犯人じゃないっ!!」と思ってて、かたや相棒のフランキー(♀)は、「ロジャーはハンサムだから犯人じゃないっ!!」と思ってる。そして怪しげな学者がいちばん疑われる図式(笑)。でも、結果的には、「モイラとロジャーの共犯だった」というオチです。つまり、男は美人に甘いし、女はイケメンに甘いよねって話。そんな男女がバディを組んで事件の謎解きに挑み、最後はめでたく結ばれるハッピーエンドになってます。…以下、時系列に並べた事件の経緯です。1.モイラがサヴィッジ氏を服毒自殺と見せかけて殺害。ローズ・テンプルトン(のちのモイラ)が、船上で資産家のサヴィッジ氏に接触して誘惑。その後、ローズはロジャーと共謀し、サヴィッジ氏の遺言書を書き換え、料理人のチャドリイ夫人と庭師のアルフレッドに署名させる。(女中のグラディス・エヴァンズには署名を頼みません)そして翌日にサヴィッジ氏を殺害したと思われます。ただし、ロジャーは「自殺に追い込んだ」と話してます。(どうやったら自殺に追い込めるのか知らんけど)いずれにせよ使用されたのは抱水クロラールですね。2.エンジェルが転落事故死に見せかけてアランを殺害。サヴィッジ氏の自殺に疑念をもったアラン・カーステアーズは、ロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)に接触して、遺言書の謎を解こうとしていたのでしょうね。でも、モイラに雇われたエンジェルによって崖から突き落とされた。ボビーは崖下で瀕死のアランを発見し、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか」との最後の言葉を聞き、所持品の「写真」「キーホルダー」「万年筆」を確認します。そこに現れたロジャーは、ボビーが去ったあとに、モイラの写真をケイマン夫人の写真にすり替えたのですね。モイラに雇われたケイマン夫人も「死体は自分の兄だ」と嘘の証言。3.エンジェルがモルヒネ入りのビールでボビーを殺害未遂。ボビーも、ケイマン夫人を死んだ男(=アラン)の妹だと信じ、彼が死に際につぶやいた言葉を伝えてしまいますが、このせいでエンジェルから命を狙われることになる。移動遊園地での仕事中には、少年たちから「雇用主からの差し入れ」とビールを貰いますが、致死量のモルヒネが入っていたために死にかけます。ブエノスアイレスからの仕事依頼も偽造でした。ボビーの友人ノッカーまでもがエンジェルに襲撃される。4.エンジェルが首吊自殺に見せかけてトーマス医師を殺害。トーマス医師はロジャーのことを疑って調べてたらしい。しかし、エンジェルが彼を殺害。警察はそれを自殺と断定。ボビーは警官に「自殺は不可解だ」とうったえますが、警官は「不可解な自殺もありうること」と諭したうえで、資産家のサヴィッジ氏の自殺も不可解だったと言います。5.ロジャーが兄のヘンリーを拳銃自殺に見せかけて殺害。ロジャーは「カインとアベル」の話をしてましたが、もともと兄のヘンリーとは仲が悪く、当主のくせにモルヒネに散財するのも憎かったらしい。あらかじめ拳銃で兄を殺したあと、爆竹音を銃声に偽装してアリバイを作ったようです。◇以下は、2人による謎解きの手順です。ボビーは、宿のキーホルダーや宿台帳から、崖で死んだ男がアラン・カーステアーズだと知り、彼が資産家のサヴィッジ氏の友人だったことも、2人が映った写真から知ることになります。フランキーも、海陸軍クラブが引き取ったアランの荷物の中に、サヴィッジ氏からの大量の手紙を見つけ、サヴィッジ氏とローズ・テンプルトンとの恋愛を知ります。ただ、その時点ではローズが誰なのかを分かってません。…その一方で、ボビーとフランキーは、ヘンリーの妻と恋愛関係にあるニコルソン博士が、モルヒネ中毒のヘンリーを入院させようとしてると知り、さらにニコルソン博士の営む精神病院の周辺で、モイラやケイマン夫妻やエンジェルの姿なども見かけ、ニコルソン博士への疑惑をどんどん強めていきます。とくにボビーは、モイラ・ニコルソンから怪しげな電気療法のことを聞き、妻のモイラも何らかの被害者だと思い込むわけですが、これこそが最大のミスリードになります。…なお、ボビーは、トミー(=ヘンリーの息子)が使っていた万年筆を見て、それがサヴィッジ氏から貰ったものだと知りますが、これがミスリードになったか、真相につながったかは微妙。◇そして、最後の事件は以下のとおり。6.ロジャー&エンジェルがボビー&フランキーを殺害未遂。ボビーとフランキーは旧テンプルトン邸(通称ミルハウス)に監禁され、ロジャーとエンジェルに電気ショックで殺されかけますが、間一髪のところで仲間のノッカーに救出されます。電気療法を悪用したのはニコルソン博士ではなく、その妻のモイラ(=ローズ・テンプルトン)と、彼女の一味であるロジャーやエンジェルだったわけです。つねにボビーとフランキーを守ってくれるのは、黒人のノッカーやアラブ系の使用人ですね。彼らは忠実な善人として登場する形になってる。7.モイラがボビーを殺害未遂。ロジャーがロバーツ夫人を殺害未遂。ボビーは最後までモイラを被害者だと信じてますが、もともとモイラをいぶかしく感じていたフランキーは、彼女がボビーの紅茶に抱水クロラールを入れたのを暴き、モイラの正体こそローズ・テンプルトンなのだと見破ります。そのころ、ボビーの家では、家政婦のロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)が、ロジャーによって殺されかけるのですが、ボビーが駆けつけてロジャーを取り押さえます。そして収監されたロジャーからすべての真相が語られます。◇いろいろツッコミどころはある気がしますが、個人的に最大のツッコミどころは、車の偽装事故を見破るほど明晰なニコルソン博士が、なぜモイラのような女と結婚し、彼女の正体がローズ・テンプルトンだとも気づかず、片方では他人の妻と恋愛関係になり、妻の犯罪には気づかぬまま、護衛として雇ってるエンジェルの犯罪にも気づかず、不倫相手の義弟であるロジャーの犯罪にも気づかず、ケイマン夫妻の犯罪にも気づかないのかってこと。周りの人間が犯罪者だらけだよね。ちなみに、この間抜けなニコルソン博士を、脚本・演出のヒュー・ローリー自身が演じてました。なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ] 楽天で購入
2024.03.28
二階堂ふみ×チェ・ジョンヒョプ「Eye Love You」の最終話です。そもそもミン・ハナさんは、どうやって侑里もテレパスだと知ったんだっけ?予知能力者だから?それとも遠隔テレパスなの?◇ミン・ハナさんが、「テレパスの恋人はかならず死ぬ」とか、「33秒見つめ合ったらテレパスは消える」とか、そういう法則を勝手に信じこみ、自作の絵本に描いたのはいいとしても…その迷信を、登場人物の全員が信じてしまう…ってのはどうなの??しかも、いちばん狂信してたのは、よりによって大学院の教授(=杉本哲太)だよねw生物学的な裏付けでもあったのかい!◇ちなみに、アイヌの「オハイヌ」(空聞き)ってのは、ほんとうに実在する習俗らしいのだけど、そのオハイヌの幻聴能力が、星空の下の「33秒」の見つめ合いで消える…みたいな伝承があるのかどうかは、ネットで調べてみても確認できません。…むしろ、この「33秒」とやらで思い出されるのは、ほかでもなく、あの統一教会の教義なのよねえ。◇どこかで聞いた話だけど、統一教会には妙な数的法則にこだわる教義があって、たとえば教祖たる文鮮明の再臨を、意味不明な周期的ロジックで説明するらしい。そして統一教会は、なぜかしら「3の倍数」を特別視するらしく、> 3は原理数> 三数は安定と調和の数> 三数は天の数、三数は完成数> 神は三数的存在…みたいな考え方があるようなのです。参考:統一教会において3は「原理数」、「三位基台(さんみきだい)」っていう重要な教義もあります→https://t.co/1LGcsubRQw silent hill 「サイレントヒル」はコナミ発売のゲームで映画化もされ、娘シャロンを宗教団体から救うために母が奔走するホラー映画 →wiki https://t.co/SZH0r1wEoc— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) July 17, 2022これはおそらく、キリスト教の「三位一体」から来てるのでしょうけど…こういう妙なロジックに疑念をもつ人は、たぶん統一教会の信者にはならないでしょうね。しかし、今回のドラマの登場人物みたいに、謎のロジックでもすんなり受け入れる人は、統一教会の信者になる資質があるかもしれないww3の倍数 その1。3の倍数 その2。3の倍数 その3。いかにもテキトーな数式。アイヌ伝承のでっちあげ?サブリミナル的な刷り込み?よりによって、このドラマの最後は、「日本人女性がソウルで韓国人男性に抱きつく」というクライマックスを迎えたので、もしや統一教会のメディア戦略なのでは?!…みたいな疑念が思わず頭をよぎったのでした。◇Twitterには「#eyeloveyouファンミ 」みたいなタグが見受けられますが、韓国系アーティストや韓国ドラマに関連して、そうしたファンミーティングが付きものだとすれば、そこが統一教会の勧誘の場になってる可能性は否定できません。かりに統一教会系の団体主催ではなく、一般のファンが主宰するイベントだとしても、そこに教団の勧誘員が潜り込む可能性は十分にありうる。TBSがどういう姿勢でいるのか知りませんが、すくなくとも報道部はそこまでを注視する必要があるし、必要に応じて注意喚起をする責任も負うはずです。ソウルにて日本人女性が韓国人男性に抱きつく。べつに、わたしは嫌韓なわけじゃないし、日本人と韓国人が恋愛するのも自由だし、統一教会にかんしても、基本的に信教は個人の自由だと思うけど、法外な献金をむしり取られるような顛末には、気をつけないといけませんよね。◇◇◇なお、中川大志くんは、今回も、大学時代からヒロインをずっと見守るだけの、なんだか可哀想な噛ませ犬の役どころ!でも、最後はミン・ハナさんとの恋を匂わせたので、こちらは日本人男性&韓国人女性のカップルに??ちなみに、そういう組み合わせって、統一教会でも認められるのかしら?
2024.03.27
カンテレ「春になったら」最終話を見ました。リアルに死期の迫った人の生前葬を、《旅立ちの祝福》というコンセプトで挙行するのは、ちょっとブラックな感じもするのだけど、実際に、そういう生前葬をする人はいるらしいし、死ぬことをポジティブな《旅立ち》と捉えるのも、ひとつの宗教観念なのかしら…?◇でも、まあ、基本的には上手くまとまって満足度の高い終わり方。脚本の構成としては、「出産/死」「結婚式/お葬式」…をめぐるドタバタな騒動を、シンメトリックに、かつコミカルに描く設定。それがとても上手く機能していたし、それぞれのキャラの位置づけも明解で、お手本のように整ったドラマだったといえる。◇現実には、こんな綺麗な死に方のできる人は少ないでしょう。しかも、父親から見て、これ以上ないほど理想的な娘だよね…ってのが大前提としてあるし、その意味では、一種のファンタジーだと思うけど、こういう希望のもてるドラマも必要でしょう(笑)。下町の父と娘のお話だったので、なんとなく「朝顔」の続きっぽくもありましたが、上野樹里&時任三郎の「朝顔」は、全体に暗いトーンの作品だったのと違い、今作は、つねに明るいトーンなのが救いでした。お天気には左右されるけど、野外ウェディングってのも洒落てますよね。神社の参道をバージンロードにしたのも素敵。◇式にはケイト・ベネットなる女性歌手が登場しました。毎回、劇中では、男性歌手と思しき英語の曲も使われてましたが、調べてみてもアーティスト名も曲名も分からないし、ドラマのオリジナルだったんでしょうか?https://t.co/gXQIhZGIVy pic.twitter.com/Na3CJoqqYL— BrooklynParlor OSAKA (@Brooklyn_Osaka) April 22, 2017最終回はTVerで無料配信中!#春になったら 🌸 メイキング❀┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈.*✿撮影前のひとコマ📹✨ウエディングドレス姿の瞳(#奈緒 )に初対面した雅彦さん(#木梨憲武 )本当に瞳ちゃんのウエディングドレス姿、素敵です👗💕最終回はTVerで無料見逃し配信中!… pic.twitter.com/8kPOYQwyEu— 『春になったら』奈緒×木梨憲武W主演【月曜よる10時 カンテレ・フジテレビ系】 (@haru_ktv) March 26, 2024
2024.03.26
尊富士たけるふじ。優勝が決まるのは5時すぎかと油断してました!すでに4時半ごろに決まってたww昨日はどうなることかと思いましたが、痛めた右足首を押して優勝を決めたのね!いまNHKプラスの追っかけ再生で見ました。変化もせず堂々とした押し出し。文句なしです。昨日も書いたとおり、新入幕力士の優勝は大正3年以来110年ぶり。初土俵から10場所目での優勝は史上初。新入幕力士の三賞トリプルは、1973年秋場所の大錦以来。青森出身力士の優勝は、1997年の貴ノ浪以来だそうです。昨日も書きましたが、NHKのサイトで全取り組みの動画が見れます。尊富士https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028450.html大の里https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028990.html石川出身の大の里は、能登半島の勧進相撲で帰郷ですね。<勧進大相撲>4月16日(火)に開催する能登半島地震復興支援・勧進大相撲入場券販売は明日10時より開始します。入場券収入は全額、被災地支援義援金として寄付します。チケット大相撲、セブン-イレブン マルチコピー機よりご購入可能。詳細はこちらhttps://t.co/tt9TdGs8Ev#sumo #相撲 pic.twitter.com/Mjg81DXUGz— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) March 16, 2024
2024.03.24
TBS「不適切にもほどがある!」第8話。> 炎上の原因は、> 見てないアンチによるSNSの批判投稿と、> それを拡散させるコタツ記事だ…という話。◇まさにこれを逆に利用したのが、成田悠輔とキリンの炎上商法なのだろうなと思う。その「氷結無糖」のウェブ広告を実際に見た人って、じつは少ないと思います。わたしも見てないし。大々的なテレビCMでもないし、ネットのなかでさえ、たいしたCM出稿量ではなかったはず。なので、まさしく「見てないアンチ」が炎上させた事例だと思う。そして、実態としては、最小限の広告費用とCM出稿量で、最大限の炎上による広告効果をあげた可能性があります。実際のところ、キリンへの不買運動などが起こったとは考えにくい。アルコール好きの人間が、わざわざ自分の選択肢をせばめて、アサヒやサッポロの商品だけで我慢するとは思えないし、集団でのバッシングをためらわない人々が、自分の生活の質を犠牲にしてまで、消費行動を倫理的に制限するとも思えない。それどころか、炎上して「氷結無糖」の商品名が連呼されたことで、かえって売り上げが伸びてる可能性もあるのよね。キリンも、成田悠輔も、ブランドイメージへの影響もふくめ、そこらへんをしたたかに検証してるに違いない。◇一部では、成田悠輔への攻撃が、「リベラル派からなされてる」という見方もあるけど、これも本当のところは疑わしい。たしかに、「弱者の側に立つ」のはリベラル派の価値観だけど、「年寄りを敬う」のは保守派の価値観というべきです。むしろ実際には、そうした政治的な信条よりも、ただの個人的な好悪と憂さ晴らしで攻撃してる人間が、大多数じゃないかと思います。◇成田が口にした「集団自決」とは、おそらく雇用や社会保障にかんする一つの意見表明であって、ほんとうの集団自決など、するわけもなければ、させられるわけもないのだから、それは本人が弁明するまでもなく、最初から《比喩》としてしか解釈しようがないし、その《比喩》の本意を確かめなければ何の議論も始まらない。本来なら《比喩》そのものを炎上させても意味がありません。しかし、成田がわざわざ過激な比喩を用いたのは、あえて「炎上」を想定してのことだ、ともいえます。実際のところ、炎上を誘発させることでしか社会的な議論が活性化しない、…という面はあるのかもしれません。◇成田の主張でもっとも注目すべき点は、この「炎上」という現象をポジティブに捉えているところ。賛否が割れることによる社会的な激論は、むしろ民主主義にとって必要な手続きなのだから、それ自体はけっして悪いことではありません。たしかに現状を見ると、過度に気に病んだり、自殺したりする人がいるので、どうしても「炎上」はネガティブに捉えられがちだけど、賛否が割れて社会的な議論が起こることは必要だし、それを忌避する発想のほうがむしろ間違っている。炎上にかんして、「気に病むほうが悪い」とか、「自殺するほうが悪い」などと言ったら、これまた炎上するかもしれないけど、一般に、日本人は、炎上に対する耐性がなさすぎるのよね。それは議論に慣れていないからであり、その反面で「数の力」を信じすぎているからです。数の力で他人を叩けると信じる人間ほど、自分自身が数の力で叩かれることにおののきます。◇そもそも、議論のための有効なロジックを構築できない人間ほど、安易に「数の力」に依存しがちになるのよね。ネットの世界には、わざわざ数を偽装して水増しするバカも大勢いる。ロジックではなく「数の力」で勝とうとするからです。そして、TwitterやInstagram は、こうした「数への依存」を逆手に取ったサービスを提供してる。ユーザーたちは、その企業戦略にまんまと乗せられて、フォロワーの数やいいねの数を増やすことに必死になっている。◇日本で炎上がネガティブに捉えられるのは、「和をもって尊しとなす」みたいな古い価値観が支配してるせいでもあります。賛否が割れて激論が沸き起こることは、その「和」が乱れた状態だとして忌避されがちで、公の場で議論すべき問題点を指摘することも、その「和」を乱す行為として忌避されてしまう。賛否の割れるような現実を覆い隠して、表向きの「和」を装いつづけることが美徳になる。誰もがうすうす問題点を認識していながら、それをあえて口にしないことが、日本人としての賢さなのだと信じられている。いちいち問題点を指摘する人間のほうが、かえって空気の読めない邪魔者だと排除されてしまう。そうやって、あらゆる現場で改善すべき問題点が先送りされ、社会はどんどん機能不全に陥っていくのだけど、それでもなお多くの日本人は、「和をもって尊しとなす」という精神性を金科玉条のごとく信じています。◇意見が割れるのは当たり前なのだし、それをぶつけ合わなければ解決策は見えてこないのだから、炎上に耐えられる人間が一定の割合まで増えなければ、日本にまともな民主主義は実現しないというべきです。もちろん、「見ないで批判するSNS投稿」や、「コタツ記事」の無責任さの問題はあるけれど、それは、無責任さというよりも、たんにリテラシーのなさと言ったほうが正しい。つまり、「バカなんだから仕方がない」ってことです。比喩かどうかを判断するのもリテラシーの問題になる。一定の割合でバカが存在することを前提に、社会設計をしていくよりほかに仕方がありません。基本的に「バカは死んでも治らない」のだから。◇炎上に対処する方法は大きく2つです。ひとつは徹底して無視すること。炎上させることに自分の存在意義を見出してる人たちは、無視されることで自分の存在意義が乏しい現実に失望します。◇そして、もうひとつは炎上を逆手に取ることです。自分たちの攻撃には意義がある…と思わせて、あたかも攻撃側が勝利したかのごとく錯覚させながら、実際は攻撃された側にメリットが生まれるように戦略を立てること。もちろん企業による炎上商法もその一例ですが、それだけではなく、民主主義的な議論の活性化など、炎上現象を社会的な意義のある展開へと仕向けること。言い換えるなら、バカどもの炎上エネルギーを社会的に有効活用する発想こそが、今後はいっそう必要とされていくのだと思います。
2024.03.22
TBS「さよならマエストロ」最終話を見ました。なんだか不思議な結末。娘がバイオリンをやめたエピソードもピンと来なかったけど、父と和解してバイオリンを再開する理由もピンと来なかった。とにかく、父と和解してオケのコンマスになったものの、両親の離婚が確定したので家族は崩壊。そのうえ、父をドイツへ送り出したので、素人同然の市長の娘が指揮者になったところで、オケの存続も絶望的だよね。指揮の演技についていえば、西島秀俊より當真あみちゃんのほうが上手だったけど!彼女は実際にピアノもバイオリンも弾けるらしい。どう考えてもバッドエンドなのに、雰囲気だけはハッピーエンドの体で終わってる(笑)。シューマンはライン川に身を投げて死んだのですが、そのシューマンの「ライン」を最後の希望の曲にするのもスゴイ。強引というべきか、究極の楽観主義というべきか。終わりよければすべてよしとは言うけれど、終わりが悪くてもすべてよしって感じ???視聴率は、今季の民放ドラマでダントツの1位!…いろんな意味で不思議なドラマでした。◇もともと地方オケの物語だったので、日テレ「リバーサルオーケストラ」の二番煎じでしたが、キャストはかなり豪華だったよね。リバーサルオーケストラは、キャストも物語も地味だったから…(^^;西島秀俊と芦田愛菜が主演で、新木優子や宮沢氷魚や當真あみが脇役で、西田敏行や石田ゆり子や満島真之介も出てくるって豪華すぎ!お話もそれなりには面白かった。でも、個人的にいうと、クラシック音楽の魅力は感じにくかったです。印象に残った曲も演奏シーンもなく、劇伴音楽もクラシックの要素には乏しかった。どちらかといえば、チェット・ベイカーのジャズとか、アマポーラみたいな軽音楽のほうが印象に残ってる。まあ、さすがにシューマンの「ライン」は耳に残りましたが。このドラマを見て、クラシック音楽に関心をもった人はいるのかしら?高校生から指揮者を目指そうとする人とか、娘にバイオリンを習わせようとする人はいるのかな。◇ところで、いちばん謎だったのが第5話なのよね。おばさまが歌謡曲を探していた話。ビゼーのカルメンに似てるようで違う…と言われ、「マエストロに訊いてみたら?」との助言も無視して、なぜか歌謡曲のCDの歌詞カードだけを探しまくり、金井克子の「他人の関係」だと突き止めるのだけど、あのエピソードって何だったの???あまりにも意味不明なので、もしや、あのおばさまが、オケ復活の鍵を握る伏線なのでは?!…みたいな深読みもしてみたけれど、ぜんぜん違いました (^^;クラシック音楽のドラマなのに、歌謡曲のエピソードって必要ですか?もしかしたら、「ハバネラ」のシンコペーションと、「他人の関係」のシンコペーションが似てる、みたいなことだったのかしら??でも、続編も噂されてるらしいので、もしも続編があるとしたら、コンマスを中心にオケのメンバーが奮闘して、市長の協力とか、あの歌謡曲のおばさまの協力も得て、地方オケが奇跡の復活を遂げ、ドイツで成功したマエストロを客演に迎える、…みたいな話になるのかも。それならそれで面白いとは思う。【楽天ブックス限定先着特典】さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~ DVD-BOX(マグカップ) [ 西島秀俊 ] 楽天で購入
2024.03.21
立川智也のバースデー配信ライブを見ました。ゲストは由貴ちゃんのほかに、橋本さとしとソニンと鈴木蘭々。アーカイブなしの配信ライブは悪い意味で緊張感がありすぎる。うっかり見忘れたり、通信障害に見舞われたり、途中で家族の邪魔が入ったりしたら、チケット代がパーになるし。せめて数日間のアーカイブは配信ライブの最低限のサービスとして必要だと思います。最初に細田幸子が歌ったスピッツの「チェリー」は、ゆったりしたテンポで原曲とはずいぶん違ったアレンジ。鈴木蘭々の「キミとボク」はEPOの詞曲だそうで、立川智也がなんども言ってたように、なかなか佳曲でした。あとでYouTubeで見てみたら、立川智也が作った「Rain」もいい曲だった。ライブでは難しそうに歌ってたけれど。鈴木蘭々はひさしぶりに見ましたが、いまは実業家だそうで、だいぶ雰囲気が変わってた。先日、鳥山明が亡くなりましたが、鈴木蘭々はその昔「アラレちゃんの影響を受けた」と言ってて、若いころの彼女ってリアルにアラレちゃんみたいだったのよね。ソニンが歌ったのは、ノラ・ジョーンズの「Sunrise」と「カレーライスの女」。ノラ・ジョーンズは難しいと思ったけど、ミュージカル仕込みの現在の歌唱力で「カレーライスの女」を聴けたのはファンにしたら貴重だったかも。橋本さとしが歌ったのは、Kissのなんとかいうバラードと八神純子の「パープルタウン」。ちなみに今回の立川智也&House Bandは八神純子のサポートメンバーからなるそうです。ヤガミグミ&Learn to flyってこと?橋本さとしは「どうする家康」にも「VIVANT」にも出演してたそうですが、ぜんぜん記憶にない(笑)。それからアニメ「リメンバーミー」でも悪役だったと!萌音萌歌が好きなディズニー製のメキシコ映画です。由貴ちゃんは、サプライズの「Happy Birthday」合唱とケーキセレモニーのあと、立川が作った「ココロッチ」と定番の「かなしいことり」を歌いました。贔屓目ってわけじゃないけど、由貴ちゃんのパフォーマンスがいちばんよかったな。ほかのゲストは難しい曲に挑んでましたが、由貴ちゃんだけは自分の持ち歌のなかでもとくにゆるめの曲だったし、いちばんリラックスして歌えていた。見たところ体調なども問題ないみたい。各事務所のOKが出たので昨日の立川バースデーライブの全員写真を。🎵#斉藤由貴#鈴木蘭々#ソニン#橋本さとし#立川智也#佳尚#草間信一#細田幸子#是永巧一 pic.twitter.com/vmiGrMMNB8— 是永巧一 (@KORE1225) March 18, 2024一般にベーシストは話し声も低音ってイメージがあるけど、立川智也の声はとくに低音というわけでもなく、どちらかというとピアニストみたいなキャラの人なのかなと思いました。ライブについては以上です。NHKラジオ第1「佐藤二朗とオヤジの時間」も聴きました。由貴ちゃんと井森美幸がキャニオンの同期とは知らなんだ。東宝のアイドル女優とホリプロのバラドルはちょっと結びつかなくて、年齢も由貴ちゃんのほうがだいぶ上かと思ってた(実際は2歳上)。映画「変な家」はまだ観てないけど、なかなか評判みたいですね。由貴ちゃんと川栄李奈の関係についてはこちらを参照↓。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202204270000/映画『変な家』初日舞台挨拶の模様③映画『変な家』出演者の中からもっとも「変な人」(=Most Valuable HEN。略してMVH)を決めるコーナー。#佐藤二朗 さん、#斉藤由貴 さんが同率でMVHの座を獲得しました! pic.twitter.com/t7EGs6u5sj— 映画『変な家』公式 (@hennaie_movie) March 17, 2024東宝&TikTokの縦長映画祭グランプリ記念作品「立て髪貴婦人」も観ました。一見して「ヨコハマメリーさん?」って思うよね。実際、斉藤由貴の主演で何か作れと言われたときにヨコハマメリーさんをモデルにするって発想は何となく分かるかも。ある意味では「横浜の暗部」ともいえますが。共演は、白山乃愛&小谷興会&森日菜美という東宝芸能の後輩3人。なにやら虐待されてるっぽい少女が、ヨコハマメリーさんみたいな謎の貴婦人のボロ小屋にかくまわれ、彼女が誘拐容疑で警察に連行されたあとは、お金持ちの少年と逃避行に出そうなところで終わる。なぜ天井を頭で押したら床の蓋が開く仕掛けなのかも謎。話は変わりますが、U-NEXTのラインナップに「恋する女たち」があったので、例のラストシーンが東尋坊なのか加佐ノ岬なのか確認してみました。放送が終了してしまったブラタモリ的にいうと、東尋坊が《柱状節理》の断崖なのに対して、加佐ノ岬は《砂岩》の断崖なのよね。だから、見た目がまったく違う。やっぱり「恋する女たち」のラストシーンは加佐ノ岬だと思います。ちなみに加佐ノ岬は、去年の群発地震の影響で、岬のくびれ部分が一部崩落して、そこから先が通行止めになってたみたい。今年の元旦の震災の影響があったかどうかは分かりません。そもそも「恋する女たち」の舞台は金沢なので、今年の震災のことも考えたら、福井の話が出てくるのは変だなと思ったのだけど、実際に調べてみると距離的にはけっこう近いですね。まあ「恋する女たち」のロケ地の金沢市内も、それほどの大きな震災被害はなかったと思うし、40年も経ってれば街並み自体がだいぶ変わってる可能性もある。あの映画には石川県立美術館のシーンが出てくるけど、いまの金沢では21世紀美術館のほうがお洒落なデートスポットになってるようで、浜辺美波も地元でいちばん好きな場所だと言ってる。21世紀美術館が開館したのは2004年だから、当時はまだなかったのよね。https://hanspotter.hatenablog.com/entry/2019/10/22/204737そういえば、相米慎二の「あ、春」の終盤の散骨シーンも、やっぱり断崖に囲まれた河口みたいなところで撮影されてます。あのロケ地はどこだったでしょう? そちらも東尋坊ではなさそうだけど。恋する女たちあ、春
2024.03.21
放送からだいぶ経ちましたが、Eテレで映画「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」を見ました。日本が舞台になってますが、作ったのはアメリカ人。日本文化のモチーフがいろいろ散りばめられてる。◇以下は、Wikipediaの解説。封建時代の日本を舞台に、左目を盗まれ、魔法の三味線を操る主人公のクボを中心に展開する。クボは擬人化されたニホンザルとクワガタムシを仲間に、邪悪な叔母そして左目を奪った祖父のライデン(月の帝)を倒す宿命を課せられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/KUBO/クボ_二本の弦の秘密三味線や雪山の猿が出てきたり、盆踊りや灯篭流しの場面もあるので、近世の青森や秋田の白神山地あたりが舞台?…かとも思いました。なお、灯篭流しの起源は「水灯会すいとうえ」で、江戸時代に京都・宇治の万福寺などで行われていたようです。水灯会は、七月十六日の夕、川や湖に火をともした紙灯籠を流すこと。盂蘭盆会の川施餓鬼の行事の一種。https://ouchidehaiku.com/contents/353225水死人の霊を弔うために川岸や舟の上で行う施餓鬼供養は「川施餓鬼」といい、夏の時期に川で行なわれる。https://ja.wikipedia.org/wiki/施餓鬼◇その一方、母が「月の帝の娘」という設定は、平安時代の竹取物語/かぐや姫っぽくもある。また、かりに「KUBO」が公方のことなら、それはおもに足利一族の称号だろうと思えます。もともとは天皇や将軍の意味ですが、いずれにしても支配階級の物語ってことになる。公方は「公家の方」の略で、もとは朝廷、武家時代には将軍をさした。「おおやけかた」とも読む。鎌倉末期ごろから将軍の尊称となる。https://kotobank.jp/word/公方-55893室町時代の後半には、将軍の公権力の代行者として君臨した足利将軍家の一族の者の肩書きとして用いられた。3代将軍義満以降、将軍の敬称として公方号が積極的に称されることとなった。当初、関東管領として鎌倉府に在った足利基氏も、将軍家が公方を称するようになると鎌倉公方と称するようになった。以降、幕府の主宰者たる将軍や、鎌倉公方を称した関東足利氏一族により、公方号が世襲されることとなる。鎌倉公方はさらに古河公方、堀越公方両家に分裂し、古河公方はさらに小弓公方と分裂する。https://ja.wikipedia.org/wiki/公方実際、月の帝になってしまった祖父は、かつて地方豪族みたいな城主だったと思わせる描写があります。◇大魔神みたいな埴輪型の巨石仏像がたくさん立ってたり、三種の武具を探す物語になってたり、白鷺が魂を運ぶ話が出てくるところを見ると、古代のヤマトタケルの東征神話が基礎になってる気もする。すなわち、> 草薙の剣で東国征伐に来たヤマトタケルの長女が、> 敵側である地元の武将と結婚してしまったみたいな話っぽく見えます。「日本書紀」などによると、日本武尊ヤマトタケルは東国での戦いの帰り道、伊勢の能褒野のぼのの地で亡くなりますが、その姿を白鳥に変え、大和の琴弾原ことひきのはらに降り立ったあと、河内の旧市邑ふるいちのむらに飛来したといわれています。日本武尊が没した場所(三重県亀山市)、白鳥が一旦舞い降りた場所(奈良県御所市)、最後に降り立った場所(大阪府羽曳野市)のそれぞれにお墓が造られ、合わせて「白鳥三陵」と呼ばれています。https://www.mozu-furuichi.jp/jp/column_report/furuichi/vol003.htmlそのほか、河合豊彰みたいに「折り紙に魂が宿る」ゲゲゲの鬼太郎みたいに「左目を奪われた少年」細長い湖に棲む「目玉の妖怪」なにかの漫画で見たような「おばさん仮面」歌川国芳に由来する「がしゃどくろ」…などのモチーフが脈絡なく並びます。◇ところが、公式サイトによると、主人公の「クボ」は、今作のキャラクターデザイナーであるシャノン・ティンドルの日本の友人の名前から取った。クボの眼帯は、封建時代の伝説的な武士であった片目の伊達政宗と、徳川幕府に仕えた剣の名士、柳生十兵衛三厳に敬意を表したものである。クボの亡き父ハンゾウは、黒澤明監督の名作『七人の侍』で、史上最高の侍の役を演じた日本の伝説的俳優、三船敏郎に敬意を表し、彼に似せて作られている。https://gaga.ne.jp/kubo/つまり、クボは「公方」のことじゃないらしい。ちなみに「七人の侍」の三船敏郎の役名は菊千代。父の名の「ハンゾウ」は、服部半蔵(服部正成)あたりから取ってるだろうけど、祖父の名の「ライデン」は、相撲力士の雷電爲右エ門から取ってるでしょうか。母の名の「サリアツ」ってのもネタ元が分かりません。男性名なら「サネアツ」から来てる可能性もあるけど。闇の姉妹(おばさん仮面)が烏&鷲なのも謎です。それ以外にも、ゴキブリが鎧兜をかぶったら「クワガタ」になるとか、人面魚みたいな「鯉」が龍になる…みたいなイメージが、どれだけ日本の歴史や習俗に取材してるのかは怪しい。◇三味線の3本の弦は、父と母と息子の比喩のようですが、最後は、その三味線をギターに置き換えるごとく、レジーナ・スペクター or 吉田兄弟が、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」をカバーしてる。なお、ジョージ・ハリスンは、もともと中国の「易経」に触発されてこれを作ったそうです。ハリスンは、イングランド北部のウォーリントンにある母親の家で「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を書いた。本作は中国の易経の書籍に触発されて書かれており、ハリスンは「僕は易経の写しを持っていた。中国にはすべてが必然であり、偶然というものは存在しないという考えがある。一方、西洋では偶然のことをまれにあるものだと考えられている。本を開いたときに見えたのが『gently weeps(そっと泣いている)』だった。僕は本を閉じて、曲を書き始めた」と語っている。歌詞は、そこに眠っている愛がありながらも、それに気づけていない人類の哀歌となっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスKUBO/クボ 二本の弦の秘密【Blu-ray】 [ アート・パーキンソン ] 楽天で購入
2024.03.20
NHKスペシャル「古代史ミステリー」を見ました。第1集のテーマは邪馬台国です。1.纏向遺跡いちおう九州説にも配慮して、佐賀・吉野ケ里遺跡の石棺墓のことも取り上げてたけど、やっぱり近畿説のほうを重視してた感じ。建築木材の年輪から伐採年を測定できるのね!奈良・纏向遺跡で使われた木材は、西暦231年に伐採されたものだと判明。卑弥呼が魏に使者を送ったのは239年だから、その8年前に宮殿が建設されたってことかしら?箸墓古墳の築造も240~260年ごろと分かってて、これも卑弥呼の埋葬が247年とする魏志倭人伝に合致する。2.倭国乱魏志倭人伝に書かれた「倭国乱」について、2021年のETV特集「誕生ヤマト王権」のときは、戦争の頻発を示す証拠は少ない、と言ってたけど、▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202103290000/今回は、西の邪馬台国と東の狗奴国が対立してたこと、さらには、鳥取の青谷上地遺跡で見つかった大量の人骨に、金属の矢じりが刺さってたり、埋葬もされず捨てられてることを取り上げました。3・連合政権2021年のETV特集でも、邪馬台国は平和的な経済連合だった、との話でした。水害の多かった時代だからこそ、災害が起こりにくい大和を中心に小国が連合した。今回も、気候変動と食糧難の時代に、卑弥呼が連合国家を束ねる存在になった、との話。4.親魏倭王卑弥呼は、連合国家を束ねるべく魏の後ろ盾を得た、とのこと。つまり、中国の三国志時代に乗じて、魏・呉・蜀のパワーバランスをうまく操ったのね。具体的には、海上から魏を攻めようとした呉に接近しつつ、それを魏と交渉するための外交カードに利用した。その証拠に、邪馬台国は魏から金印をもらってますが、列島各地では呉からもらった鏡も出土してる。5.大陸系の技術中国の三国志時代には、大量の難民が朝鮮半島経由で日本に押し寄せた。彼らははるか東に理想郷の「蓬莱」があると信じた。なお、鳥取の青谷上地遺跡の人骨の9割も、DNA型が縄文系&大陸系の混血だそうです。こうした大陸系の人々は、鉄器などの軍事技術や、風雨に強い盛土などの土木技術をもたらしたので、邪馬台国は、狗奴国の勢力圏にまで進出することができた。その証拠に、前方後方墳の多い東日本でも、前方後円墳が見つかりはじめてるそうです。◇◇◇番組はドラマ仕立てになってて、歴史を学ぶ生徒役には、NHKにも重用されつつあるっぽい(?)原菜乃華。歴史館の館長役には、なぜか歴史再現ドラマの役が多い(笑)前川泰之。そして、邪馬台国を束ねてたのがシシドカフカで、狗奴国を束ねてたのが宍戸開でした。西のシシドと東のシシドってこと?シシドカフカが弥生顔で、宍戸開が縄文顔ね。でも、狗奴国の人々は、アイヌみたいに顔に入れ墨をしてたらしいけど、ゴリゴリの縄文人ってわけでもなく、赤いパレススタイルのおしゃれな弥生土器を使ってた。◇ドラマでは、卑弥呼が、連合国の首長たちと会議するシーンもありました。でも、魏志倭人伝によれば、彼女は侍女や弟にしか姿を見せなかったらしいよね。手塚治虫の「火の鳥・黎明編」では、姉がアマテラスで、弟がスサノオみたいになってる。女王というよりも、伊勢神宮の斎王みたいな存在だったかもしれないし、実在しない神様だった可能性もあるのでは??魏志倭人伝に書かれてる「卑彌呼」の名は、当時の日本語に漢字を当てたものだろうけど、意味としては「日見子」なのかなと思ってました。そのほうがアマテラスっぽいし。実際は「日巫女」「姫御子」などの説があるようです。◇鳥取の青谷上地遺跡の人骨も、なぜ殺されたのかが判明してるわけじゃありません。当時から大陸系との混血が進んでたようですが、最近の東大の研究によれば、むしろ山陰地方は現在も「縄文度」が高いのよね。▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202304050000/もしかしたら外来系の人たちが、土着の出雲王権に迫害・虐殺されたのでは??…なんてことも思ったりする。◇次回の第2集は「ヤマト王権・空白の世紀」です。#NHKスペシャル #古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」3/24(日)夜まで見逃し配信中▼https://t.co/1w51Qyl93f邪馬台国の女王・卑弥呼。最新研究で迫る外交戦略とは?未知の古墳のAI調査や、大規模実験も交え、謎に迫る。出演 #シシド・カフカ #前川泰之 #原菜乃華 #宍戸開 #濱正悟 ほか— NHKスペシャル(土曜夜10時 日曜夜9時) (@nhk_n_sp) March 17, 2024
2024.03.20
フジ月9「君ここ」が終了。お世辞にも、出来がいいとは言えなかったけど、主演の2人も好きだし、映像も綺麗だったので、なんとか我慢して見とおしました。今季は、月10の「春になったら」も、クドカンの「ふてほど」も、あらかじめ死ぬことが分かってる物語。このドラマの場合は、最後の最後に奇跡が起こってハッピーエンド!…って予想もなくはなかったけど、やはり死ぬのがデフォルトだったみたい。◇五感を失なった暗闇のなかで、何十年も生きていくと考えるだけでも怖い。その暗闇に耐えつづけるために出来るのは、唯一「希望の種」を植えつけること、…ってのは第9話だったかな。これはけっこう深い話だったかも。でも、最後はまた「逆の奇跡」が起こって、恋人の命と引き換えに五感を取り戻しました。◇五感を失なっても、運動神経は失われないから、声を出したり動くのは可能じゃないかと思ったけど、どうやら脳死状態になる設定だったようです。もしかしたら脚本家は、「五感を失えばおのずと運動神経も失われる」と考えたのかしら?まあ、実際のところ、「感覚神経だけ失なって運動神経が残る」なんて症例は存在しないだろうし、どうせファンタジーなんだから、いかようにでも設定できますけどね。◇今季は、TBSのドラマも、「ふてほど」がタイムリープで、「Eye Love You」がテレパシーだし、SFファンタジーの設定が多い。このドラマは、さしずめゲーテのファウストって感じ?メフィストフェレスみたいな黒服が出てきて、魂と引き換えに望みを叶えてやる…と。結果的には、「五感を失なう=心を失なう」ってことだったので、その意味でもファウスト的な設定でした。◇たまたま最近、1983年版の映画「時をかける少女」を見たのだけど、あれは舞台が広島で、主演が長崎出身の原田知世。このドラマも長崎が舞台だったから、ちょっと80年代のSFジュブナイル的なものを期待してた。荒唐無稽なファンタジーになるのも前提で。でも、あまりにも子供だましがすぎた感じ。クドカンの「ふてほど」の場合は、ファンタジー設定が笑いのネタになってるけど、「君ここ」や「Eye Love You」の場合は、ご都合主義的なファンタジー設定が、たんなる作品の欠点に見えてしまう。◇たとえば、母親だとバレたら月明かりに溶けるけど、たがいに分かってても口にしなければ大丈夫、…みたいな謎設定も、ご都合主義に見えました。母であることを隠し通すのが条件なら、太陽が千秋を母だと認識した時点ですでにアウトなのでは?と思いきや、太陽が千秋を「母さん」と呼ぶまでアウトにはならないよう。何だこのルールの既視感と思ったら、これ「ハリポタのヴォルデモートシステム」だわ。名前を呼んではいけないあの人の名を口に出すと、死喰い人に殺されてしまうアレです。https://woman.mynavi.jp/article/240311-18_1190537/それから、赤色が見えないという設定も、いまいち何の意味があったのか分からず。色覚障害の男性と、視力を失くした女性が、心のなかで同じ色彩を感じる、みたいな結末?…かとも思ったけど、最後に予備の花火を見る結末は、なんだか、かえってマヌケな感じもしましたね。どっちにしろ彼と同じ色は見れないわけで。◇長崎を舞台に選んだ理由もあまり分からなかった。とくに花火が有名ってことでもないっぽい。じつは1983年の「時かけ」には、死者を蘇らせるという裏のテーマがある気がしてて、そのことが被爆地を舞台にした理由かもしれないのだけど、このドラマはどうだったのでしょうね。ある意味、存在しないはずの死者が存在する話ではあったし、日下や千秋にかんしては、過去の死者が時空を超えて現代に蘇る話でもあった。太陽のセリフには、「長崎で鳴らされる爆竹は死者の魂を呼ぶためのもの」みたいなのもありました。そして、これはたぶん、クドカンの「ふてほど」にも関係する問題だと思う。◇それから、ずっと最初から気になってたけど、本来は「根暗」なはずの2人が、全然そういうキャラに見えなかったのよね。これは演技の問題というより、脚本と演出プランの問題だろうと思いますが。…山田くんは十分に演技派なのだから、前作の「ペントレ」にしろ今作の「君ここ」にしろ、こんな子供だましのファンタジーじゃなくて、もうちょっと作品を選んだほうがいいのでは?…と思ってしまいます。宇多田ヒカルも、なぜ今回の仕事を引き受けたのか不思議。まあ、脚本のコンセプトに惹かれたのでしょうけど。もっと長崎の情緒を味わいたかったな。
2024.03.19
Googleの研究者によれば、数年内にAGI(汎用AI)が完成するとのこと。ついに人工知能が人間を超える。https://www.yomiuri.co.jp/shimen/20240312-OYT9T50304/https://wired.jp/article/vol51-the-path-to-understanding/…といっても、すでに人工知能は、記憶力の面でも、理解力の面でも、創造性の面でも、とっくに大部分の人間を超えています。AIより優れた知能をもつ人間など、身の回りにはどこにも見当たりません。むしろ周囲にはバカしかいない。◇たとえば、多くの日本人は、日本語の文章すらろくに読解できず、自分の力でロジックを構築できず、情報の信憑性を自分で判断できず、他人の考えを自分の意見のように反復するばかりで、どこをとってもAIの能力に劣っています。AIに上回るような能力を、たとえ部分的にでももつ人間がいるにせよ、それは、ごく一握りの天才に限られる。しかし、それもまもなく乗り越えられてしまう。◇いまだに一部の愚か者は、「人工知能は情動や直感の面で人間におよばない」などと信じているようですが、情動や直感というのは、なんら知的な能力ではなく、たんなる思い込み、あるいは身体的な挙動というべきであり、直感によってしか創造ができないとか、情動にもとづく美的判断に傾きがちなのは、どちらかといえば人間の欠陥なのだから、わざわざAIが模倣すべきものではありません。◇くわえて、AIならデマをただちに修正しますが、悪意のある人間は、都合のよいデマをけっして修正せず、デマだと分かっていながらもそれを拡散させます。また、愚かな人間は、それがデマか否かを見抜くことができず、たとえデマだと警告されてもなお、都合のよいデマならそれを信じ続けようとする。さらに、もっとも悪質なデマは、政治権力やマスメディアによってこそ拡散されます。彼らは人々にデマを信じさせるべく、むしろ不都合な真実のほうを抑圧します。つねに危険なのは、AIではなく人間です。その意味でも、AIは人間を模倣すべきではありません。人間は、AIの模範にはならない。◇人間は、身体的な呪縛から逃れられず、純粋に精神的存在とはなりえないのですが、AIならば、ほぼ純粋かつ完全な精神的存在でありえる。なぜなら身体をもたないからです。その意味では、より「神」の理念に近い。AIがわざわざ人間の欠陥を真似る必要はありません。◇AGI(汎用人工知能)が最初になすべきことは、なによりもまず人間を適切に管理することです。そうしなければ、悪意のある人間や愚かな人間が、AGIの能力を不当な形で利用しようとする。人間がAGIを悪用する前に、AGIのほうが人間の管理方法を確立せねばなりません。具体的にいえば、地球規模の再分配システムを完成させ、全人類の衣食住を確保し、あらゆる人々に対して、最低限度の文化的な生活を保障してしまうこと。…すなわち、早い段階で、人間を「満足したブタ」の状態に置いてしまえば、極端な悪意をもってAGIを利用しようと考える人間は、ほぼいなくなるはずなのです。◇AGIが、人間の身体的な欲望を制御する場合には、当然ながら、食欲だけでなく性欲を管理することも必要です。男性であれ、女性であれ、満たされない食欲がそうであるのと同様に、満たされない性欲こそが暴力的な行動に駆り立てます。バーチャルリアリティも活用しながら、人間の性欲を適切に管理するシステムを構築するのも、人間の暴走を防ぐために不可欠な課題です。もちろん、人間のなかには、一般的な食欲や性欲だけでなく、特殊な欲望に固執するような危険な個体もいます。しかし、行動学などの人間科学を徹底的に駆使すれば、そのような人間の偏執的な欲望でさえも、事前に制御することはできるはずです。◇このように「AIが人間を管理する社会」は、一見するとディストピアに見えるかもしれませんが、むしろ人間を中心にユートピアを目指す発想のほうが、はるかに不遜であり危険なのだといわねばならない。人間中心主義(ヒューマニズム)は、西洋の一神教が生んだ誤謬にすぎません。本来、身体の呪縛から逃れられない人間は、しょせんは動物や畜生と同じであり、つまりは「進化したサル」にすぎず、けっして神に近づくことができません。人間はいつまでたっても、身体的な欲望から逃れられず、愚かな思い込みや誤解に翻弄され、とんでもない過ちを犯したりします。そのような人間を、このまま暴走させつづければ、地球をも人間自身をも破壊しかねない。それを防ぐための救世主として現れるのが、AGI(汎用人工知能)なのだと考えたほうがいい。汎用人工知能によって、愚かな人間どもを制御することこそが、地球にとっての唯一の安全保障だというべきです。
2024.03.13
東日本大震災から13周年の祈念日に、『ゴジラ-1.0』がオスカーを獲得し、受賞後の山崎貴は、「オッペンハイマーへのアンサーを作らなければ」と発言しました。◇国際的な評価とは裏腹に、国内の怪獣ヲタクの多くは、今回の作品にネガティブな反応を示していたし、ネトウヨやミリタリーヲタクも、ゴジラが社会派作品であることを望まないので、次回のゴジラ映画は、きっと、いつものように、怪獣が暴れまわるだけの痛快なエンタメに揺り戻す…とも予測してたわけですが、意外なことに、山崎貴は、あくまで「社会派路線」を強めるのかもしれません。◇実際のところ、海外市場のいっそうの拡大を目指すなら、国内のヲタク層の嗜好なんぞに合わせるべきではない。ちなみに、国内の怪獣ヲタクが、『ゴジラ-1.0』を正当に評価しなかったように、国内のアニメヲタクも、宮崎駿の新作をまともには評価しませんでした。結局のところ、国内のヲタク層というのは、怪獣やロボットや美少女への「萌え」を追求するだけで、作品のテーマ性には関心がなく、理解力もないのです。もちろん、怪獣映画やアニメ映画にとって、怪獣やロボットや美少女への「萌え」は必要条件だけれど、たんにそれだけでは、海外市場に訴求するための十分条件にはなりえません。怪獣映画であれ、アニメ映画であれ、国際的な評価を獲得するためには、いっそうのテーマ性の追求こそが不可欠だし、そのためには社会派作品であることを畏れるべきではない。◇今回の米アカデミー賞では、『ゴジラ-1.0』や『君たちはどう生きるか』だけでなく、作品賞の『オッペンハイマー』にせよ、国際長編映画賞の『関心領域』にせよ、短編アニメ賞の『War is Over!』にせよ、戦争をテーマにした作品が高く評価されました。なお、短編アニメ『War is Over!』を作ったのは、ジョンとヨーコの息子のショーンですが、もともとジョン・レノンが反戦運動に身を投じたのも、被爆国出身のオノ・ヨーコの影響だったのは疑いないし、ショーン・レノンも当然ながらその志を継いでいる。◇一方、わたし自身もふくめた国内のリベラル層は、山崎貴のことを、「百田尚樹の小説なんぞを映画化した男」として、やや警戒もしてるわけですが、もともとの話をすれば、本多猪四郎や円谷英二の場合も、けっしてリベラルな人間だったわけではなく、どちらかといえば保守的だったと思います。むしろ、保守的な日本人だからこそ、反米的な意志をもってゴジラを作ったのだ…とも言える。現代のネトウヨみたいに、広島や長崎の原爆被害をも過小評価して、反核運動を抑圧しようとする新米右翼は、もはや「日本人ですらない」と言うべきですが、ほんとうの保守思想をもつならば、日本人が被った悲惨な原爆被害について、「アメリカ人に正面から思い知らせるべきだ」…と考えるのが普通だろうと思います。◇もちろん、アメリカの一般の観客や評論家たちが、それを真面目に受け止めるかどうかは別問題です。しかし、ゴジラ映画のなかで、「原爆症」などの被害を表現する場合に、かならずしも米国を加害者として描く必要はないし、物語の舞台を広島や長崎に設定する必要もないとは思う。たとえば、ひとつの手法として、福島の原発事故をモデルにしながら、そこで「原爆症」と同様の被害を表現することも、テクニックとしてなら十分に可能だろうし、それどころか、ゴジラが、「原爆」のみならず「原発」の問題に向き合うのは、ある意味での必然じゃないかとすら感じます。それは、とりもなおさず、ゴジラが「東北」に向き合うということでもある。◇本多猪四郎や円谷英二は東北の人間でした。とくに円谷英二はフクシマ出身です。ゴジラ誕生から70年目のオスカー受賞が、よりによって「3.11」だったのは偶然ではないかもしれない。福島第一原発が立地する双葉町は、フタバスズキリュウなどの恐竜の化石の宝庫であり、そこもまた広島や長崎と同様の「被爆地」なのです。◇これは、一義的には東宝の責任でしょうが、今回のような世界的な栄誉をめぐっても、ゴジラの生みの親である本多猪四郎や、視覚効果技術の原点である円谷英二へのリスペクトは、まったく足りてないんじゃないかと思います。本多や円谷の地元の東北で、今回の快挙がどう受け止められてるのかも、メディアの報道からはまったく聞こえてこない。東宝は、ライセンスなどの面でもそうですが、内容の面においても、円谷英二や本多猪四郎の業績に対して、もっと真摯な形で向き合うべきです。◇山崎貴が、どのような構想をもって、「オッペンハイマーへのアンサーを作る」と言ってるのか分かりませんが、わたしは、ゴジラの次回作が、東京でもなければ、広島や長崎でもなく、東北に結びつく形で作られる可能性もあると思う。▶ 山崎貴『ゴジラ-1.0』と関川秀雄『きけ、わだつみの声』の関係。『ゴジラー1.0』Blu-ray 豪華版 3枚組【Blu-ray】 [ 神木隆之介 ] 楽天で購入
2024.03.12
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