まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.04.20
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映画「ラ・カリファ」がついに劇場公開されるらしい。

映画が無名なのに、
昔からエンニオ・モリコーネの音楽だけが有名で、
日本盤のサントラも何度か発売されてましたよね。

映画「ラ・カリファ」の音楽は、
NHK特集「ルーブル美術館」で使われて有名になった。


わたしは、だいぶ前に、
この映画をYouTubeで観たことがあります。

もちろん原語音声で字幕もなかったけど、

ロミー・シュナイダー演じる労働組合のリーダーが、
企業側の工場長と禁断の男女関係になる話。

いちおう社会派作品なのでしょうね。

音楽は素晴らしいけれど、
映画としては可もなく不可もない印象だった。



日本のモリコーネ受容には、大きく3つの段階がある。

1964年:セルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」
1985年:NHK特集「ルーブル美術館」
1988年:ジュゼッペ・トルナトーレ「ニューシネマパラダイス」


NHKの番組も含めてですが、
エンニオ・モリコーネという音楽家は、
いろんな意味で日本との因縁があるように思います。


1.荒野の用心棒


1964年の西部劇「荒野の用心棒」は、
黒澤明の時代劇「用心棒」を無断でパクった作品です。



黒澤明の「用心棒」の物語をそのまま借用して、
イタリア人の西部劇に仕立ててしまったわけですね。

本来の西部劇は、
あくまで米国の開拓時代の物語だから、
イタリア製の西部劇ってのは、


この「荒野の用心棒」が成功したことで、
イタリア製の西部劇が量産されることになった。
そうして成立した無国籍映画の謎ジャンルを、
淀川長治が「マカロニウェスタン」と名づけたので、
日本ではその呼称が定着してます。



エンニオ・モリコーネの出世作も、
クリント・イーストウッドの出世作も、
この「荒野の用心棒」だったといえます。
※撮影時のイーストウッドは英語で台詞を喋り、公開時には各国の言語に吹き替えられたようです。

モリコーネの音楽は、
口笛とムチの音を使用した斬新な様式でしたが、
楽音でなく具体音を用いるのは、
いわば現代音楽的な手法だったかもしれません。

モリコーネは純音楽の作曲家を志してたので、
もともと映画音楽のことは軽蔑してたようですが、

このときの仕事が認められて以降、
有象無象のB級映画から、
パゾリーニやベルトルッチなどの芸術映画まで、
多くのイタリア映画で音楽を手掛けることになる。



黒澤明の映画は、
スターウォーズのようなSF映画や、
手塚治虫などの漫画に影響を与えてるだけでなく、
じつはマカロニウェスタンというジャンルにも関係してる。

黒澤明の「用心棒」がなければ、
モリコーネが映画音楽の分野に進出することもなかったし、
パゾリーニやベルトルッチの音楽を手掛けることもなかった。

クリント・イーストウッドが俳優として飛躍し、
のちに監督として活躍することもなかったかもしれません…。





2.ルーブル美術館


エンニオ・モリコーネの名前は、
マカロニウェスタンの音楽を手掛けた作曲家として、
ある程度は日本の映画ファンに知られることになったし、

1984年には、
やはりセルジオ・レオーネの作品で、
「Once Upon a Time in America」もヒットしましたが…
それでも一般のモリコーネの認知度はまだ低かったはず。

彼の名前がお茶の間でも注目されたのは、
翌85年のNHK特集「ルーブル美術館」によってです。
この番組でモリコーネの音楽がふんだんに使われた。



わたしも当時、毎月の放送を欠かさず見てました。

いまでも番組のオープニングは覚えてます。
ルーブル宮殿の空撮映像にあわせて印象的な音楽が流れ、
画面の右下に「エンニオ・モリコーネ」とテロップが出る。

でも、当時のわたしは、
「えん、にお、もり、こーね??」と呟くばかりで、
それが何語なのか、
曲名なのか人名なのか、
はたまたグループ名なのかも分かりませんでした。

わたしのような視聴者は日本中にいたらしく、
やがて新聞記事に「NHKに問い合わせが殺到」と書かれ、
番組の放送が終わった翌年には、
そのTVサントラがレコードになりました。



その音楽は、
じつは番組のオリジナル楽曲ではなく、
モリコーネの既存の映画音楽の寄せ集めであり、

その中心になっていたのが、
映画「ラ・カリファ」 (La Califfa)
映画「ある愛の断層」 (Questa specie d'amore)
…などの70年代初期の音楽だったわけです。

音楽を選定していたのはNHKではなく、
番組を共同制作したフランスの民放局でした。

オープニングで流れていたのは、
「恋の始まりと終わりに」 (Prima E Dopo l'Amore)
という映画「ラ・カリファ」の2分足らずの挿入曲で、
番組ではわずかに再生速度を変えて使っており、
サントラ盤では「永遠のモナリザ」と曲名を変えている。



再生速度を変えることについては、
当然ながらモリコーネが不満を示したようですが、
最終的には折れたのでしょうね。

結果的には日本での知名度が大きく高まり、
のちに大河「武蔵」を担当することにも繋がった。

ちなみに、
NHKの番組テーマになった挿入曲も素晴らしいけれど、
海外で有名なのは映画のタイトル曲「La Califfa」のほうで、
その優美なメロディには歌詞もつけられ、
サラ・ブライトマンなど多くの歌手がカバーしてます。



ちなみに、NHKのドキュメンタリーシリーズは、
それまでにも「シルクロード」で喜多郎を発掘してたし、
その後も「大黄河」では宗次郎の音楽に、
90年代には「映像の20世紀」で加古隆の音楽に光を当てます。

ある意味では、モリコーネの音楽も、
NHKのドキュメンタリーシリーズで認知を広めたといえる。


3.ニューシネマパラダイス

そしてNHK特集「ルーブル美術館」から3年後に、
映画「ニューシネマパラダイス」が公開されて大ヒット。
そのテーマ曲が泣く子も黙るモリコーネの代表曲になった。

でも、あの映画音楽は、
モリコーネにしては、だいぶ甘くて分かりやすいと思う。

本来のモリコーネの音楽は、
けっして万人受けするような作風のものではなく、
どちらかというとビターで渋い音楽です。
わたしが思うに、
彼がオスカーを逃しつづけた理由もそこにある。

実際、1988年の米アカデミー賞において、
モリコーネの「アンタッチャブル」の音楽は、
坂本龍一の「ラストエンペラー」の音楽に敗北しました。

本来なら、
ベルトルッチの「ラストエンペラー」の音楽も、
モリコーネが担当していたはずですが、
かりにそうだったとしても、
やはりモリコーネはオスカーを逃したと思います。

なぜなら、モリコーネの音楽は、
坂本龍一のようなキャッチーさに欠けるからです。



モリコーネはオスカー受賞を望んでたらしいけど、
その機会は若い日本人にあっさり奪われてしまった。
しかも、よりによって、
ずっとコンビを組んでいたベルトルッチの映画で!

かたや「ニューシネマパラダイス」の音楽については、
あまりにモリコーネらしからぬ作風のために、
「じつは息子が書いたんじゃないか?」
…という、まことしやかな噂さえあります。

もしかしたら、
みずからの作風をねじ曲げて、
俗受けしそうな映画のために、
俗受けしそうな音楽を書いたのかもしれませんが。






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最終更新日  2024.06.17 05:44:27


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