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フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。第10話は、これまで以上にずっしり重たい内容…。◇Yuki Saito のドキュメンタリー風の演出は、味わい深くもあり、怖くもありました。忘れられない悲しみがある一方で、忘れてしまう恐怖と、忘れられる恐怖がある。死別した後になってもなお、自分と相手の存在が区別できなくなるほど、強く記憶に刻み込まれてしまう人もいる。脳には内側前頭前野という場所があって、自分と他人を区別する場所なんですけど、大切な人や恋人に関しては区別しなくなるという報告があります。つまり、その人のことを自分のように感じてしまうんです。その一方で、大切な相手が目の前にいてもなお、その人が誰なのか分からなくなる人もいる。私は何を、いつまで覚えていられるのか?大切な人たちも、交わした言葉も、一緒に過ごした日々も全てなくして、最後は何も残らないのだろうか?◇でも、記憶がなくなっても、心は覚えてるかもしれない。それがわずかな望み。失われないものも、きっとある。最終回、三瓶先生はノーマンズランドの手術に挑むの???小っちゃいのに一口が大きい!
2024.06.18
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解く◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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TBS「アンチヒーロー」が終了。明墨の手法は、みずからが犯罪者になる捨て身の戦術。証拠隠滅から文書偽造まであらゆる手段を使った。伊達原が文書の偽造で冤罪を生み出したように、明墨も文書を偽造によってそれを暴いたってこと。そうでもしなければ、巨悪は追い込むことはできなかったし、冤罪に加担した罪悪感からも逃れられなかったのね。◇結局、緋山は殺人犯でした。名前に色のついたキャラは、全員が明墨サイドの人物でしたが、やはり《緋色=スカーレット》は、犯罪に関係する名前だったみたいです。朝ドラ「虎に翼」の岩田剛典は、法を順守して餓死してしまう役でしたが、こちらのドラマでも、法だけじゃ人間を守れないことが示された。場合によっては、法を破らないと真実にたどりつけない。法は完全じゃないし、法だけじゃ正義を守れない。実際、巨悪は暴かれて冤罪は晴らされたけれど、ボツリヌストキシンで一家を毒殺した犯人は、いまもどこかで生き延びてる。法の網をくぐる悪も存在するし、法を逆手にとった悪も存在します。「#アンチヒーロー」12年前の真犯人は…未回収のまま終わった2つの謎#長谷川博己 #緒形直人 #大島優子 #野村萬斎 @antihero_tbshttps://t.co/kQXu5Utz21— シネマトゥデイ (@cinematoday) June 16, 2024◇ある意味で、巨悪との戦いは世代間の争いでもありました。明墨&桃瀬&緑川 という同期の3人が、上の世代の組織犯罪を暴くために、組織の枠を超えて横に繋がり続けてたのですね。桃瀬と緑川と明墨は同期でした。現実にも、世代交代によってしか覆らない犯罪があるはず。とくに縦の組織によって隠蔽された犯罪は、組織の枠を超える横の繋がりがないと暴けないし、そのときには世代的な連帯が意味をもちます。◇奇しくも、この図式は、日テレの「花咲舞が黙ってない」と同じですね。銀行の組織的な闇を暴くために、相馬&川野&昇仙峡 という同期の3人が、立場を超えて横に連携していました。川野と昇仙峡と相馬も同期でした。こちらの場合は、銀行の組織そのものが、"エリア51"なる犯罪を隠蔽する人脈で形成され、その共犯者にならないと出世できない仕組みだった。紀本に接近していた昇仙峡は、伊達原に接近していた緑川と似ています。巨悪を暴くべく10年かけて内部に潜り込んでいた。紀本に取り入った昇仙峡。伊達原に取り入った緑川。◇上の世代の罪が重ければ重いほど、下の世代の負担やコストは大きくなり、無駄な時間とエネルギーを費やさざるをえなくなる。明墨の犯罪は、世代悪を浄化するための必要悪でした。#アンチヒーロー ご覧頂きありがとうございました‼️約3ヶ月間たくさんの応援ありがとうございました🐶ミル、マメ、ココアが皆さんの心に残っていますように🍀*゜ #アニマルプロ pic.twitter.com/AXEF3FmCQr— アニマルプロ/動物プロダクション【公式】 (@animalpro_1212) June 16, 2024
2024.06.17
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アガサ・クリスティ原作、ヒュー・ローリー版「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか」。とても洒落ててカッコいいドラマだったけど…あまりに話が複雑すぎて理解しきれないよ!!!つーか、必要な描写を端折りすぎてるし、細かい部分を誤魔化してる気もします。原作を読んでなければ、事件の詳細を理解できないのでは??これだからサスペンスドラマはストレスが溜まるのよね。じゃあ見るなよ、って話だけど…(^^;しかも、今回のNHK版は、字幕翻訳にもミスがあるように思います。◇翻訳が疑わしいのは、最終盤で、ボビーとフランキーが、料理人だったチャドリイ夫人宅を訪れたシーン。(チャドリイは旧姓で現在はプラット夫人です)サヴィッジ氏について尋ねた次のやりとり。ボビー「彼はミルハウスによく来ていたんですよね」プラット夫人「グラディスに聞いて。私はひとつ聞いただけ」この「私はひとつ聞いただけ」というセリフが、どうも意味不明なのよね。英語の音声は聞き取りにくいけれど、わたしの耳には「I saw him there for once」と聞こえるし、そうだとすれば「私はいちど会っただけ」と訳さねばならない。このやりとりは、「なぜエヴァンズに(遺言書の署名を)頼まなかったのか」という核心にかかわる部分なので、このセリフが意味不明じゃ真相が理解できないでしょ。◇なぜサヴィッジ氏は、遺言書の署名をグラディス・エヴァンズに頼まなかったか。それはグラディスが「本物のサヴィッジ氏」の顔を知ってたから。遺言書の署名に立ち会ったのは、たぶん共犯者のロジャーだよね。プラット夫人は、署名のときに「いちど会っただけ」なので、ロジャーのことをサヴィッジ氏と思い込んだ…というトリック。(逆に、サヴィッジ氏の死体を確認したのはグラディスだけ)だとすれば、やはり上記のセリフは「私はいちど会っただけ」と訳すべきでしょ。◇前にも書きましたが、わたしは、CBCの「アンという名の少女」のときにも、NHKの翻訳にはミスがあったと思ってる。マシューがマリラを呼ぶときに、二人称を「姉さん」でなく「おまえ」と訳していたのです。原作の「赤毛のアン」では、マシューが兄でマリラが妹なのだけれど、CBCのドラマ版では、マリラが姉でマシューが弟に変わってました。姉に対する二人称を「おまえ」と訳すのは不自然ですが、字幕制作者は、そのことを考慮せず、おおかた原作の翻訳に準拠したのでしょう。こういうミスは、もちろん翻訳者の責任でもあるけれど、NHKのプロデューサーや演出家の責任でもある。要するに、内容を理解した上でチェックをしてるのかってこと。じつは誰も内容を理解せずに、漫然と海外ドラマを放送してる可能性がある。ここからは詳細なネタバレです。今回のミステリーの複雑さは、たんに登場人物が多いだけでなく、姿を現さない人物の名前を混乱させるところにあります。たとえば上記のチャドリイ夫人も、再婚してプラット夫人に変わってましたが、ほかにも名前が変わってしまう人物が3人います。第1に、崖から落ちて死んだ男性は、ケイマン夫人の兄「アレックス・プリチャード」とされるのですが、この名前は嘘の証言にもとづいているので、本当はサヴィッジ氏の友人「アラン・カーステアーズ」です。第2に、ニコルソン院長の妻「モイラ・ニコルソン」は、じつは主犯の「ローズ・テンプルトン」(テンプルトン夫人)なのですね。再婚して姓が変わっただけでなく、偽名なのでファーストネームも変わっています。第3に、タイトルになっている「グラディス・エヴァンズ」は、主人公ジョーンズ邸の家政婦「グラディス・ロバーツ」(ロバーツ夫人)です。この人も結婚して姓が変わったのでしょうね。◇結論から先に言っちゃいますが…主人公のボビー・ジョーンズ(♂)は、「モイラは美人だから犯人じゃないっ!!」と思ってて、かたや相棒のフランキー(♀)は、「ロジャーはハンサムだから犯人じゃないっ!!」と思ってる。そして怪しげな学者がいちばん疑われる図式(笑)。でも、結果的には、「モイラとロジャーの共犯だった」というオチです。つまり、男は美人に甘いし、女はイケメンに甘いよねって話。そんな男女がバディを組んで事件の謎解きに挑み、最後はめでたく結ばれるハッピーエンドになってます。…以下、時系列に並べた事件の経緯です。1.モイラがサヴィッジ氏を服毒自殺と見せかけて殺害。ローズ・テンプルトン(のちのモイラ)が、船上で資産家のサヴィッジ氏に接触して誘惑。その後、ローズはロジャーと共謀し、サヴィッジ氏の遺言書を書き換え、料理人のチャドリイ夫人と庭師のアルフレッドに署名させる。(女中のグラディス・エヴァンズには署名を頼みません)そして翌日にサヴィッジ氏を殺害したと思われます。ただし、ロジャーは「自殺に追い込んだ」と話してます。(どうやったら自殺に追い込めるのか知らんけど)いずれにせよ使用されたのは抱水クロラールですね。2.エンジェルが転落事故死に見せかけてアランを殺害。サヴィッジ氏の自殺に疑念をもったアラン・カーステアーズは、ロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)に接触して、遺言書の謎を解こうとしていたのでしょうね。でも、モイラに雇われたエンジェルによって崖から突き落とされた。ボビーは崖下で瀕死のアランを発見し、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか」との最後の言葉を聞き、所持品の「写真」「キーホルダー」「万年筆」を確認します。そこに現れたロジャーは、ボビーが去ったあとに、モイラの写真をケイマン夫人の写真にすり替えたのですね。モイラに雇われたケイマン夫人も「死体は自分の兄だ」と嘘の証言。3.エンジェルがモルヒネ入りのビールでボビーを殺害未遂。ボビーも、ケイマン夫人を死んだ男(=アラン)の妹だと信じ、彼が死に際につぶやいた言葉を伝えてしまいますが、このせいでエンジェルから命を狙われることになる。移動遊園地での仕事中には、少年たちから「雇用主からの差し入れ」とビールを貰いますが、致死量のモルヒネが入っていたために死にかけます。ブエノスアイレスからの仕事依頼も偽造でした。ボビーの友人ノッカーまでもがエンジェルに襲撃される。4.エンジェルが首吊自殺に見せかけてトーマス医師を殺害。トーマス医師はロジャーのことを疑って調べてたらしい。しかし、エンジェルが彼を殺害。警察はそれを自殺と断定。ボビーは警官に「自殺は不可解だ」とうったえますが、警官は「不可解な自殺もありうること」と諭したうえで、資産家のサヴィッジ氏の自殺も不可解だったと言います。5.ロジャーが兄のヘンリーを拳銃自殺に見せかけて殺害。ロジャーは「カインとアベル」の話をしてましたが、もともと兄のヘンリーとは仲が悪く、当主のくせにモルヒネに散財するのも憎かったらしい。あらかじめ拳銃で兄を殺したあと、爆竹音を銃声に偽装してアリバイを作ったようです。◇以下は、2人による謎解きの手順です。ボビーは、宿のキーホルダーや宿台帳から、崖で死んだ男がアラン・カーステアーズだと知り、彼が資産家のサヴィッジ氏の友人だったことも、2人が映った写真から知ることになります。フランキーも、海陸軍クラブが引き取ったアランの荷物の中に、サヴィッジ氏からの大量の手紙を見つけ、サヴィッジ氏とローズ・テンプルトンとの恋愛を知ります。ただ、その時点ではローズが誰なのかを分かってません。…その一方で、ボビーとフランキーは、ヘンリーの妻と恋愛関係にあるニコルソン博士が、モルヒネ中毒のヘンリーを入院させようとしてると知り、さらにニコルソン博士の営む精神病院の周辺で、モイラやケイマン夫妻やエンジェルの姿なども見かけ、ニコルソン博士への疑惑をどんどん強めていきます。とくにボビーは、モイラ・ニコルソンから怪しげな電気療法のことを聞き、妻のモイラも何らかの被害者だと思い込むわけですが、これこそが最大のミスリードになります。…なお、ボビーは、トミー(=ヘンリーの息子)が使っていた万年筆を見て、それがサヴィッジ氏から貰ったものだと知りますが、これがミスリードになったか、真相につながったかは微妙。◇そして、最後の事件は以下のとおり。6.ロジャー&エンジェルがボビー&フランキーを殺害未遂。ボビーとフランキーは旧テンプルトン邸(通称ミルハウス)に監禁され、ロジャーとエンジェルに電気ショックで殺されかけますが、間一髪のところで仲間のノッカーに救出されます。電気療法を悪用したのはニコルソン博士ではなく、その妻のモイラ(=ローズ・テンプルトン)と、彼女の一味であるロジャーやエンジェルだったわけです。つねにボビーとフランキーを守ってくれるのは、黒人のノッカーやアラブ系の使用人ですね。彼らは忠実な善人として登場する形になってる。7.モイラがボビーを殺害未遂。ロジャーがロバーツ夫人を殺害未遂。ボビーは最後までモイラを被害者だと信じてますが、もともとモイラをいぶかしく感じていたフランキーは、彼女がボビーの紅茶に抱水クロラールを入れたのを暴き、モイラの正体こそローズ・テンプルトンなのだと見破ります。そのころ、ボビーの家では、家政婦のロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)が、ロジャーによって殺されかけるのですが、ボビーが駆けつけてロジャーを取り押さえます。そして収監されたロジャーからすべての真相が語られます。◇いろいろツッコミどころはある気がしますが、個人的に最大のツッコミどころは、車の偽装事故を見破るほど明晰なニコルソン博士が、なぜモイラのような女と結婚し、彼女の正体がローズ・テンプルトンだとも気づかず、片方では他人の妻と恋愛関係になり、妻の犯罪には気づかぬまま、護衛として雇ってるエンジェルの犯罪にも気づかず、不倫相手の義弟であるロジャーの犯罪にも気づかず、ケイマン夫妻の犯罪にも気づかないのかってこと。周りの人間が犯罪者だらけだよね。ちなみに、この間抜けなニコルソン博士を、脚本・演出のヒュー・ローリー自身が演じてました。なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ] 楽天で購入
2024.03.28
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フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。第9話の終盤の長回しシーンは、熱愛中とも噂される主演2人の、まるでドキュメンタリーのようでしたが…最後のセリフで、いっきに突き落とされました。えええ~っっ?!やっと想いを交じわらせて、たったいま泣きながら抱きしめたのに!…そんなことあります???#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/3cRkzuLZBz— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 10, 2024 ◇今季も、前季と同じく、やたらと記憶喪失のドラマが多く、前季の「ONEDAY」とか、今季の「くる恋」「9ボーダー」とかは、おおむねファンタジーと割り切って楽しめるけど、前季の「たとあな」や今季の「アンメット」は、どうしてもリアリティの真偽が気になるのよね。とくに「アンメット」の場合は、医師が原作を書いた医療ドラマだし、リアリティにこだわってるとの触れ込みだし、ただのファンタジーとは片付けられない。NHKのドラマなら、特設サイトに解説が掲載されることもあるけど、民放のドラマはそこまでやらないし、リアルとファンタジーの境目は判然としません。◇もちろん基本的にはフィクションだと思う。深夜まで詳しい日記をつけて、その膨大な日記を早朝から読み込んで、脳外科医としての仕事をそつなくこなすって、さすがにそんなことは、現実的にはありえないだろうし、前日の記憶を失なっていく人が、練習や訓練を重ねる意味があるのかって疑問もある。でも、その一方、「記憶を失っても強い感情は忘れない」「記憶を失っても自転車の乗り方は忘れない」みたいな話が出てきたりするので、それなりに根拠はあるのかな?とも思ってしまう。てんかん薬の増減によって、記憶障害が出たり、認知障害が出たりって話も、なんらかの実例にもとづいたエピソードだろうし、今回のように、直前の記憶すら失なってしまう場面も、実際の症例があってこそなのかもしれません。◇命や健康だけじゃなくて、記憶や感情など人間の本質を揺るがす疾患を扱うのが、この医療ドラマの特徴ですが、記憶喪失のリアリティについてはともかく、篠崎絵里子の脚本は上手く出来ててドラマとしては面白い。また、同じフジの「Re:リベンジ」もそうですが、大病院経営にまつわる権力の暗部についても描かれてますね。◇これまで主役級では見たことのなかった若葉竜也が、とても個性的なキャラを発揮してるのも魅力的。朝ドラ「おちょやん」のときは、ほとんど印象にも残らなかったけど、今作では彼の個性がとてもよく活きてる。ちくっとします!月10ドラマ『アンメット』制作発表会見杉咲花&若葉竜也、朝ドラ『おちょやん』コンビが再共演✨️新ドラマ出演の経緯明かす「電話でプレッシャーかけられて(笑)」#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/eVLPQXIN2r— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) April 15, 2024若葉竜也の出演を熱望したのは、NHKとWOWOWで共演を重ねた杉咲花だった、…という話なので、2人の交際報道もまったく驚きじゃなかったし、なんなら、すこし予測してましたw杉咲花はもともと演技が上手ですが、今回は過去作にも増して演技がイキイキしてる。きっと撮影が楽しくて仕方ないのでしょうね。視聴者の側も、2人のコンビをもっと見たい気持ちは強まってる。原作は連載中とのことなので、続編も期待できる?杉咲花、若葉竜也と熱愛報道に関係者は「ああ、やっぱりね」このまま結婚も、唯一の心配事はhttps://t.co/tIAgFout8F主演ドラマ「アンメット」で共演する若葉竜也と熱愛が報じられた杉咲花。もっとも、業界関係者は2人の交際について気づいていたそうだ。#デイリー新潮— デイリー新潮 (@dailyshincho) June 3, 2024
2024.06.11
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NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」を見ました。今回は《ルート66~アメリカの夢と絶望を運んだ道》です。ちょうど4月にU-NEXTで、ジョン・フォードの「怒りの葡萄」を観たばかりだったので、ルート66のことは気になってたのよね。◇番組で取り上げられた事項を、年代順に並べると以下のような感じ。1926 国道66号線(シカゴ~サンタモニカ)が創設。1928 大陸横断マラソン(LA~NY)5500km。1929 世界大恐慌で失業者1200万人=4人に1人。1933 ボニー&クライドがミズーリ州ジョプリンの隠れ家から逃走。1934 ルイジアナ州の警官隊がボニー&クライドを射殺。テキサス州ダラスで葬儀。1935 ダストボウルによる《黒い日曜日》。1936 黒人ドライバーのためのグリーンブック創刊。1939 ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」。1940 ジョン・フォードの映画「怒りの葡萄」。1940 ウディ・ガスリー「我が祖国」(This land is your land)。1941 第二次世界大戦。シリコンバレーの軍需産業が300万人の雇用を生む。1942 日系人の強制収容。カリフォルニア州マンザナー収容所に1万人。1945 終戦。1946 ネバダ州ラスベガスにカジノホテルの建設ラッシュ。1948 マクドナルドがカリフォルニア州サンバーナーディーノでセルフサービス開始。1951 ラスベガスの北西約105kmにネバダ核実験場が開設。1953 マイルス・デイヴィスがオクラホマ州エドモントで黒人排斥に遭う。1956 ナット・キング・コール「ルート66」。1956 州間高速道路網の整備が開始。1957 ジャック・ケルアックの小説「路上」。1960-64 テレビシリーズ「ルート66」。1960 ラスベガス観光客1000万人収益2億ドル。アトミックパーティと原爆カクテル。1962 ジョン・スタインベックがノーベル文学賞。1963 マクドナルドのテレビCM。1964 公民権法が成立。1965 ママス&パパス「夢のカリフォルニア」。ベトナム反戦運動。1967 黒人ドライバーのためのグリーンブック廃刊。1969 ピーター・フォンダ&デニス・ホッパーの映画「イージーライダー」。1973 米軍がベトナムから撤退。カウンターカルチャーの収束。1985 国道66号線が廃線。1987 アリゾナ州で「Historic Route66 協会」設立。2008 リーマンショック。車上生活の季節労働者ワーキャンパーが増加。2016 ドナルド・トランプが大統領選に勝利。◇大都市と大都市を結ぶ国道が整備されたら、沿線の田舎町も潤うかと思いきや、皮肉にもダストボウル難民が発生してしまう。そして、土地を追われた彼らは、出来たばかりの国道でカリフォルニアへ向かうものの、そこに十分な仕事はなく、粗末な難民キャンプで暮らすしかなかった。ちなみに、ダストボウルは、無計画な耕地開発による人災とも言われるけど、もしかしたら、それ自体が、国道整備を当てにした資本投入の結果だったのでは?とにかく、オーキーと呼ばれた人々にとって、国道整備は恩恵どころか悲劇しか生まなかった。最終的に彼らを救ったのが大戦特需だったのも皮肉です。そして、第二次大戦によってオーキーが救われる代わりに、こんどは日系人が排斥されて強制収容される。ヘンリー・フォンダはネブラスカ州出身。なお、音楽惑星さんは、ボブ・ディランが「ウディ・ガスリーの後継者」であり、スタインベックが1962年に、そしてディランが2016年にノーベル文学賞を受賞したのは、まったく無関係な出来事なのではない。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-144.html…と書いてましたが、たしかにウディ・ガスリーを起点に考えると、2人のノーベル賞受賞は関連してるように思えます。第2の国歌とも呼ばれる「This land is your land」。◇一方、戦後のルート66の享楽的なイメージは、ナット・キング・コールの歌に象徴されます。個人的にはマンハッタントランスファーでよく聴いたけど。マフィアがカジノを仕切ったラスベガスでは、ネバダの核実験を見物しながらカクテルを飲んだりしてた。◇とはいえ、戦前のボニー&クライドや、戦後のジャック・ケルアックの小説のように、自由と退廃の交錯するイメージも、ずっと尾を引いてる。サマー・オブ・ラブの実態は、ヒッピーたちのドラッグ&セックスだった。ボニー&クライドのことは、「時をかけるな恋人たち」のマギー&キケロのときに、ちょっと取り上げたけど、彼らの犯罪もルート66がらみなのね。1967年の映画「俺たちに明日はない」は、日本でいう《アメリカン・ニューシネマ》の嚆矢になる。ピーター・フォンダの「イージーライダー」も、やはり《アメリカン・ニューシネマ》の代表作。父のヘンリー・フォンダとともに、息子も映画でルート66を走るという不思議な因縁。◇マイルス・デイヴィスが、オクラホマ州のエドモントで黒人排斥に遭ったように、国道沿線には「サンダウンタウン」と呼ばれる町があり、基本的には白人保守の世界だった。黒人旅行者のためのグリーンブックが発刊されたのは、理由もなく黒人が射殺されるような状況があったから。現在は、そうした白人保守層が、リーマンショック後に貧困化するなかで、共和党のドナルド・トランプが強力に支持される現実がある。公民権法が施行されてもなお、社会の分断がなくなったわけじゃなく、むしろ亀裂はいっそう複雑化して深まってます。ルート66をゆくーアメリカの「保守」を訪ねてー(新潮新書)【電子書籍】[ 松尾理也 ]価格:660円 (2024/6/14時点) 楽天で購入
2024.06.16
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まずは、武部聡志の45周年ライブ(3月31日)について!わたしは、ネットではクレジットカードを使わない主義なのだけど、ローソンで「Vプリカギフト」ってのを手に入れて、なんとか配信チケットを購入できました。※残高はAmazonのEメールギフトで処理。ちょっと面倒くさかった。◇一青窈は、かつて見たことがないほど素晴らしいパフォーマンス。圧倒的でした。失礼ながら「もらい泣き」を聴いて感動したの初めて。あの曲の良さがはじめて分かった気がした(笑)。デタラメな古語ででっち上げられた「春よ来い」も、一青窈が歌ったら、不思議な説得力がありましたね…。あの曲は、日本より台湾の文脈で聴くべきなのかも。スガシカオの歌声も素晴らしかったです。でも、いわゆる《実力派》ばかりを揃えるのでないところが、武部らしさなのだろうな。ももクロにも胸を打つところがありました。— 武部聡志-TAKEBE SATOSHI- (@takebesatoshi) April 18, 2023 ◇由貴ちゃんは、な、な、なんと「ダンデライオン」を歌った。わたしは3月1日のブログ記事で、≫ 萌音は「Woman」も「ダンデライオン」も歌ってるけど、≫ 由貴ちゃんはまだ「ダンデライオン」を歌ってないよね。みたいなことを書いたばかりだったので、必然?偶然?たったの1ヶ月で実現する?!…さすがに驚きました。でも、「守ってあげたい」でなく、「ダンデライオン」を選ぶところに、やっぱり由貴ちゃんの意向が反映されてた気はします。そして、これにて、ユーミンを歌うのは3曲目、辛島美登里と「卒業写真」をデュエットしてました。他にもあるかも。原田知世を歌うのは2曲目ってことになる。ただ、萌音も由貴ちゃんも、「Woman」は "薬師丸ひろ子の曲" と認識してるようだけど、「ダンデライオン」は "ユーミンの曲" と認識してるっぽい。まあ、一般的にもそういう認識が普通でしょう。でも、わたしに言わせれば、やっぱり「ダンデライオン」は "原田知世の曲" なのよね。あくまでもユーミンが知世のために作った曲だから。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 12, 2022◇じつは以前から、音楽惑星さんと《斉藤由貴と原田知世》について、ガッチリ話そうと思ったまま予定が伸び伸びになってます。おもなテーマは崎谷健次郎の作った「夢迷賦」ですが、他にもいろいろある。原田知世と斉藤由貴は、それぞれに《薬師丸ひろ子の後継》的な位置づけで、ほぼ同時代のアイドルとして活躍したのだけど、わたしの知るかぎり、両者は、共演機会がほとんど見当たらないのよね。由貴ちゃんのほうが1つ年上だけど、デビューは知世のほうが2年早いから、すこし由貴ちゃんが後追いになったぶん、活躍した時期が少しズレたともいえるし、あまりにも立ち位置が近いせいで、事実上の共演NGだった可能性もなくはない。とはいえ、「ダンデライオン」がアイドル期の精神的な支えになった、…という由貴ちゃんの話もあるし、知世の「夢迷賦」と由貴ちゃんの「意味」の関係もあるし、そのほかにも、筒井康隆とか、大林宣彦とか、高橋幸宏とか、かしぶち哲郎とか、中崎英也とか、間接的にはいろいろと共通項があって、林隆三の相手役だったというのもあるし、大森一樹の映画では原田貴和子の妹(!!)だったのもある。そこらへんを、いわゆる「夢迷賦問題」に絡めて話そうと思ってるんだけど、音楽惑星さんとの対話は『LOVE』までたどり着けそうにない(笑)。◇一方、筒井康隆の『時をかける少女』は、原田知世で映画化されて以降、大林宣彦や角川春樹だけでなく、細田守や上田誠などによって様々に変奏され続けていて、もはや筒井自身からは「金を稼ぐ少女」と揶揄される有様なのだけれど(笑)じつは東宝シンデレラたちも、この伝統を引き継いでます。上白石萌音は、細田版『時かけ』のテーマ曲をカバーしてるし、上白石萌歌は、上田版『続・時かけ』に出演してる。それから『時かけ』ではないけれど、山崎紘菜は、最後の大林女優として芳山和子を演じてるし、福本莉子も、やはりタイムリープの少女を演じています。大林宣彦と高橋幸宏の遺作ですねそういうわけで、由貴ちゃんと知世のニアミスもさることながら、原田知世の遺伝子が東宝シンデレラにまで継承されていることは、なかなかに興味のあるテーマなのです。◇◇◇さて、原田知世の話はここまでにして。…由貴ちゃんは、今度の舞台で富田靖子と共演するとのこと。こちらも80年代アイドルどうし。原田知世との共演は見当たらないけど、富田靖子との共演は『浪花少年探偵団』以来2度目かしら?NHKの「新十津川物語」では祖母と孫の関係なので直接の共演シーンはないと思う。彼女も、薬師丸ひろ子に憧れて女優になったらしく、その意味では、知世や由貴ちゃんと同様に、ポスト薬師丸的なアイドルだったといえるし、もちろん初期の大林女優(もうひとりは小林聡美)でもある。デビューは、原田知世より遅いけれど、由貴ちゃんよりは早い。年齢は、由貴ちゃんより3つ下、知世の2つ下です。斉藤由貴と富田靖子といえば、なんといっても「シャア推し」で知られるわけですが、じつは2人とも谷山浩子のファンだという共通点があって、現在はもっぱら、由貴ちゃんと谷山の関係のほうが強固に見えるものの、当時は、富田靖子と谷山の関係も、かなり親密だったっぽい。由貴ちゃんは、「卒業」が発表された1985年の2月21日に、谷山浩子のオールナイトニッポンに出演したのだけど、じつは、その前の週のゲストが富田靖子だったのですね。しかも2週連続で!(「さびしんぼう」のプロモーションです)由貴ちゃんが谷山のラジオ番組に出演したのは、たぶんその1回だけじゃないかと思いますが、富田のほうは、他の番組も含めて5回ぐらい呼ばれてる。富田靖子が谷山ファンだったのもあるけれど、やはり少女漫画オタクでもあったらしいので、その点でも谷山とは趣味を共有できたのでしょうか。◇そんな由貴ちゃんと富田靖子は、2012年の『浪花少年探偵団』のときに共演しています。撮影現場で顔を合わせる機会は、せいぜいのところ1~2日程度だったでしょうが、もし二人に雑談する時間があったとすれば、おそらく『ガンダム THE ORIGIN』の話か、谷山浩子の話だったろうことは想像に難くない。ガンダムを、富野作品と見るか、大河原作品と見るか、安彦作品と見るかは、人それぞれだと思うけれど、由貴ちゃんや富田靖子のように「シャア推し」の人は、やっぱり安彦良和の絵の美しさ、そしてキャラクターの魅力に惹かれる面が強いだろうし、とくに『THE ORIGIN』は、アムロではなく、シャアの物語だったから、2人にとっては見逃せない作品だったはずです。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 17, 2023 ◇由貴ちゃんが、一昨年のBSの『アニソンデイズ』に出演したときには、司会の森口博子に、「水の星へ愛をこめて」のことを話す様子が、予告の映像でチラッと流れたのよね。でも、番組本編では、その話がまるごとカットされていた。わたしが思うに、きっと当時の由貴ちゃんは、コムアイが歌ったヴァージョンが気になってたんだと思う。ちなみに、わたしは、コムアイ版の「水の星へ愛をこめて」を聴いて、一瞬、由貴ちゃんが歌ってるのかと思ったのよね(笑)。独特のエアリーな歌声が。編曲も素晴らしくて、ニール・セダカのメロディの美しさを、幻想的にメランコリックに引き出していました。(なんとなくバート・バカラック的な感じ)由貴ちゃんも、あのコムアイ版には反応しただろうと思う。◇富田靖子といえば、浜辺美波がボキャブライダーで弓道少女を演じたときに、わたしはすかさず「原田知世の引用!」と思いましたが、じつはその原型が『アイコ十六歳』だということに、つい最近になって気がつきました(笑)。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 18, 2023 いちばん最初は、たぶんTV版の伊藤つかさだったはずなのだけど、富田靖子が演じた映画版を大林宣彦がプロデュースしてたので、それを原田知世の『時をかける少女』にも応用したんだと思う。筒井康隆の原作では、芳山和子は弓道部ではありません。そこから、こうした《弓道部少女》の系譜は、綾瀬はるかとか、井上真央とか、2010年に芳山和子を演じた仲里依紗とか、成海璃子とか、広瀬すずとか、池田エライザとか、そして、これも東宝の浜辺美波や山崎紘菜にまで、連綿と受け継がれていくのだけど、その始点に位置してるのが、伊藤つかさと、富田靖子と、原田知世なのよね。≫ 弓道部女子の系譜◇ついでに、由貴ちゃん絡みでいえば、原由子が作曲した「少女時代」の原型も、もとはといえば『アイコ十六歳』への提供曲だった気がします。
2023.04.18
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TBS「さよならマエストロ」最終話を見ました。なんだか不思議な結末。娘がバイオリンをやめたエピソードもピンと来なかったけど、父と和解してバイオリンを再開する理由もピンと来なかった。とにかく、父と和解してオケのコンマスになったものの、両親の離婚が確定したので家族は崩壊。そのうえ、父をドイツへ送り出したので、素人同然の市長の娘が指揮者になったところで、オケの存続も絶望的だよね。指揮の演技についていえば、西島秀俊より當真あみちゃんのほうが上手だったけど!彼女は実際にピアノもバイオリンも弾けるらしい。どう考えてもバッドエンドなのに、雰囲気だけはハッピーエンドの体で終わってる(笑)。シューマンはライン川に身を投げて死んだのですが、そのシューマンの「ライン」を最後の希望の曲にするのもスゴイ。強引というべきか、究極の楽観主義というべきか。終わりよければすべてよしとは言うけれど、終わりが悪くてもすべてよしって感じ???視聴率は、今季の民放ドラマでダントツの1位!…いろんな意味で不思議なドラマでした。◇もともと地方オケの物語だったので、日テレ「リバーサルオーケストラ」の二番煎じでしたが、キャストはかなり豪華だったよね。リバーサルオーケストラは、キャストも物語も地味だったから…(^^;西島秀俊と芦田愛菜が主演で、新木優子や宮沢氷魚や當真あみが脇役で、西田敏行や石田ゆり子や満島真之介も出てくるって豪華すぎ!お話もそれなりには面白かった。でも、個人的にいうと、クラシック音楽の魅力は感じにくかったです。印象に残った曲も演奏シーンもなく、劇伴音楽もクラシックの要素には乏しかった。どちらかといえば、チェット・ベイカーのジャズとか、アマポーラみたいな軽音楽のほうが印象に残ってる。まあ、さすがにシューマンの「ライン」は耳に残りましたが。このドラマを見て、クラシック音楽に関心をもった人はいるのかしら?高校生から指揮者を目指そうとする人とか、娘にバイオリンを習わせようとする人はいるのかな。◇ところで、いちばん謎だったのが第5話なのよね。おばさまが歌謡曲を探していた話。ビゼーのカルメンに似てるようで違う…と言われ、「マエストロに訊いてみたら?」との助言も無視して、なぜか歌謡曲のCDの歌詞カードだけを探しまくり、金井克子の「他人の関係」だと突き止めるのだけど、あのエピソードって何だったの???あまりにも意味不明なので、もしや、あのおばさまが、オケ復活の鍵を握る伏線なのでは?!…みたいな深読みもしてみたけれど、ぜんぜん違いました (^^;クラシック音楽のドラマなのに、歌謡曲のエピソードって必要ですか?もしかしたら、「ハバネラ」のシンコペーションと、「他人の関係」のシンコペーションが似てる、みたいなことだったのかしら??でも、続編も噂されてるらしいので、もしも続編があるとしたら、コンマスを中心にオケのメンバーが奮闘して、市長の協力とか、あの歌謡曲のおばさまの協力も得て、地方オケが奇跡の復活を遂げ、ドイツで成功したマエストロを客演に迎える、…みたいな話になるのかも。それならそれで面白いとは思う。【楽天ブックス限定先着特典】さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~ DVD-BOX(マグカップ) [ 西島秀俊 ] 楽天で購入
2024.03.21
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初デート上出来茄子上手く炊けた 吊橋の下は万緑初デート 初デート彼の団扇を借りたまま6月6日のプレバト俳句。お題は「初デート」。◇梅沢富美男。吊橋の下は万緑 初デート初デートの吊橋万緑に揺れる(添削後)形式面でいうと、中七で切ったら季語は下五に置くほうがいい。この句の下五は、映像というより説明っぽく見えてしまう。一方、フジモンと先生が疑問を呈したのは、「緑が茂ってるのは橋の下じゃなく橋の周囲では?」…ってこと。まあ、吊り橋の位置によっては、眼下に緑が広がる場合もあろうし、客観的事実としては周囲に緑が茂ってても、吊り橋に立ったときの主観的な印象として、眼下の緑に圧倒されることもあるでしょう。ただし、万緑とは「見渡すかぎりの緑」のことだから、下だけに限定するのなら、むしろ「深緑」「青葉」などを使うべきかな、…という考えもありうる。◇フジモン。初デート上出来 茄子上手く炊けたボツかなあ…と思ったけど掲載決定でした。女性の視点で詠んだとのことで、俵万智の短歌みたいな内容。モノローグ的というか、日記っぽい。関西では「煮びたし」を「炊いたん」というのね。二句一章と考えると、前段は結果の説明とも見えるけど、全体をひとつのセリフと考えれば、公開録画当たった 浅蜊開いたと同じような作風だといえます。おうちデートで料理を振る舞い、「上手く炊けただけでも上出来!」と、自分に言い聞かせてる感じ?ただし、作者の説明によると、彼に料理を振る舞ったのではなく、外デートからの帰宅後に自炊した場面らしい。◇清水アナ。初デート 彼の団扇を借りたままこれはフジモンとは逆に、デート中の話ではなく、帰宅後の話のように読めてしまいます。帰宅後も借りたままだったという意味なら、上五は原因の説明になるけど、彼の団扇を持って歩いたという意味なら、初デート 君から借りた白団扇のようにも出来るし、あるいは破調の17音で、初デート 君に借りた団扇の風のようにも出来ます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥きゅんです!🫰#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/AilKA0T6Of— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 5, 2024 ナイツ土屋。2位だったけど空気感がオシャレ!広告写真みたいなカッコよさ。 辻本舞は、独特の色彩が絵本みたいでファンタジックね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.10
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カンテレのドラマ「エルピス」。視聴者のなかには、「政治家の息子が犯人」みたいな予想もあるっぽいけど、わたしは、そんなありきたりな話じゃないと思う。◇瑛太が演じる謎の男は、政治家の息子じゃなくて、「本城建託の息子」という設定のようだし、かりに彼が何らかの裏事情を知っているとしても、おそらく真犯人ではない…というのがわたしの見立て。第一、ドラマのモデルとされる足利事件は真犯人が見つかってないし、飯塚事件にいたっては、再捜査はおろか再審請求さえ通っていません。したがって、この物語は、最後まで真犯人にたどり着かない可能性もある。◇一般に、現実の冤罪事件ってのは、たぶん「真犯人隠し」よりも、権力の「不祥事隠し」の側面のほうが強いのだろうと思う。つまり、世間的な関心の高い重大事件において、地元の警察が、人事への配慮や点数稼ぎなどのために、強引な捜査や証拠のでっちあげなどを行った場合、それを起訴した検察、そして有罪判決を下した司法なども、いわば共犯関係になっていくわけだし、さらには、選挙地盤からの要請を受ける形で、政府判断で死刑執行を強行して幕引き…なんてところまで権力の共犯関係が連鎖しかねない。そうやって、地元警察から中央政府にいたるまで、権力側の「不祥事隠し」の共犯関係が連鎖していくと、冤罪報道や真犯人捜査に対しても隠然と圧力がかかるのでしょう。そんな闇のカラクリを暴き出すことこそ、このドラマの最大の主題なのだろう…とわたしは見ています。単純に、「政治家の息子が殺人犯」なんて話は、ちょっとリアリティに欠けると思いますし、そこらのミステリー小説の読みすぎじゃないかしら?◇なお「本城建託」という地元企業が出てきたので、今後は、この企業と麻生太郎モドキとの癒着の構造が、殺人事件とはまた別の闇を浮かび上がらせるのかもしれません。佐野Pも、ここからの話が《後編》になるとツイートしてましたし。たとえば、福岡の麻生グループの、セメント会社や学校法人なんかがモデルの可能性もありますよね。ただでさえ福岡はヤクザが多いから、企業体&ヤクザ&地元警察の、三つどもえの組んずほぐれつとか、色々ありそうだし。◇ってなわけで、第6話まで来ました!!いやー、ヤヴァすぎ…リアルすぎて手に汗握った。てっきり事件追及の主体と思われたBONBONチームは、あっさり解散してしまって、ゴードンは経理部に異動!セクハラプロデューサーは子会社に出向!報道復帰した長澤まさみは、忙しすぎて取材できない!もしかして、今回のマスコミの粛清劇って、佐野PがTBSを追い出された経緯に重なってます?梶原善は、ただのチョイ役で終わりなの?(T〇T)◇…とはいえ、事件は世間の注目を浴びたのだから、ほかのメディアも取材に乗り出すはずだし、トンズラした目撃証言者もメディアに追われるはず。金を振り込んでいたアサベ商事の実態も解明されるに違いない。しかし、今のところ、瑛太の周辺を嗅ぎまわってるのはゴードンだけ。そして、麻生太郎モドキを疑ってるのは長澤まさみだけ。なので、今後は、その情報を池津祥子と共有していくかが焦点になる。セクハラプロデューサーも子会社で底意地を見せてくれるかも。そして、わたしは、鈴木亮平が最終的に味方に転じる可能性についても、まだ希望を捨てていませんっ!!!つーか、ホリプロと東宝、キスしすぎwww◇ところで、脚本の渡辺あやは、ゴードンのことを、「ひとりでハアハア言ってるところが、必死な大型犬みたい」と言ってました。それって、まさに三船敏郎のことなのよ!三船敏郎の魅力って、あの目力もさることながら、まさしく「ひとりでハアハア言ってた」とこなのです。やっぱり目力ゴードンって、三船敏郎なんだわ。…それはそうと、長澤まさみの歌った「贈る言葉」。意外に上手なのでビックリしました。でも、こちらのデュエットを聴くと…(長澤&サチモス) やっぱり二人ともヘタwwドラマよりもゆったりしたバージョンですね。◇同一マネージャーの新旧タレント共演wwなんか笑える。
2022.12.01
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TBS「アンチヒーロー」は最終回を残すのみ。◇予告には《全伏線回収》とあります。それは、つまり…志水(緒形直人)の冤罪が晴れるだけじゃなく、ほんとうの犯人も明らかになるってことよね!真犯人が明らかになるとすれば、すでにドラマに登場してる人物なのかしら??◇ちなみに明墨(長谷川博己)の推理はこうです。伊達原はイラついていた。清水さんを拘留してはいたものの、起訴するだけの十分な証拠は出ていなかった。このままでは証拠不十分で清水を逃がすことになる。それでは西千葉建設の横領事件の真相も遠のいてしまう。伊達原にとって、それだけは絶対に避けたいことだった。ならば、清水が犯人だと示せるような証拠を作ってしまおう。そう考えた伊達原は、科捜研の担当者に指示を出して鑑定結果を書き換えさせた。しかし、じつは伊達原(野村萬斎)の真の目的は、「検察の点数稼ぎ」とか、「横領事件の真相解明」とかじゃなく、「真犯人の隠蔽」だったかもしれません。だとしたら、その罪はもっと重い。真犯人を逃がすために別人に罪を着せたってこと。◇一方で、緋山(岩田剛典)がほんとうに殺人犯だったのかも、まだハッキリしてない気がします。白木(大島優子)は、返り血の付いた作業着を伊達原のもとへ持ち込んだけど、あれって本物なの?あれ自体が明墨の仕込みなのでは??もし緋山が殺人犯じゃないとすれば、そちらにも真犯人がいるってことですが…白木は、明墨を裏切ったと見せかけて、じつは二重スパイをやってる可能性がある。倉田(藤木直人)も、伊達原を裏切ることになるのは間違いない。緑川(木村佳乃)と瀬古(神野三鈴)も、伊達原を裏切ることになりそうな予感。明墨は逮捕されましたが、実際には伊達原のほうが包囲されつつある!ってことじゃないかしら?
2024.06.10
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☆「12鬼月」の由来鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。この「鬼月きづき」とは何でしょうか。台湾では、旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。この場合の「鬼」とは先祖のことですから、台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。一方、鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。その場合、6+6=12という数は何を意味するのでしょうか?古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか?それとも、たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか?ちなみに、上弦の月は1年間に12回、下弦の月も1年間に12回、それぞれ夜空に昇るのですから、そこから考えれば、上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。これに対して、上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、もっと別の由来と意味合いがあるはずです。月は、太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、ちょうどドラキュラや狼男と同じように、月にこそ親しい存在なのだと考えられます。しかし、たとえ同じ月であっても、その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。つまり、望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。そして、上弦の月や下弦の月(半月)は、いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。おそらく、このような太陽との関係が、「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。◇月の周期は、およそ4週間です。最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。そして、月初の7日間のうち、1日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。同じように、月末の7日間のうち、7日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。このように月初と月末の合計12日間に現れる、半月よりも細い6段階の月、すなわち、太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。下位の鬼たちが、いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、上位の鬼=鬼月というのは、太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。…では、太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か?いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。◇気象予報士の森田正光は、映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、と述べたうえで、それを、「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。ちなみに月の周期は、厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、平均でおよそ29.53日ですから、旧暦において下弦の月が現れるのは、毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。かつては各月の23日に、下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。このことから、十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、旧暦でいうところの10月23~24日の夜、下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、15日から16日ごろに満月となり、24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「9柱」の由来鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。この9という数字は何を意味するのでしょうか?一般に、柱といえば、建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。ただし、一口に神道とはいっても、日本の神々はけっして一枚岩ではありません。このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、とりわけ出雲の周辺にいた神々です。◇伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。もともと出雲周辺には、これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。そして、出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、それは、鬼を退治した神々というよりも、むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「鬼舞辻」の由来「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。その場所がどこなのか明らかではありませんが、とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。これは、その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、通称「あわわの辻」とも呼ばれています。藤原常行や安倍晴明は、ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。
2020.12.09
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いろいろと盛りだくさんでしたが…いまひとつ話の流れが分かりにくい。とくにダイアナの心の動きがよくつかめませんでした。まず手はじめに、ジェリーに対する一方的な決別宣告!ジェリーが可哀想!その後、ジョセフィンおばさんに背中を押されると、パリへの花嫁修行ではなく、進学を志すという賭けに出る。そして、妹のミニーメイから「いい子ぶった嘘つき」だと指摘されるや、なぜかアンの家に駆けつけて仲直りをする。…うーん。どういうこと??◇わたしが思うに…進学を諦めてパリでの花嫁修行を受け入れる。↓やむなく身分違いのジェリーとは別れる。↓しかし、ジョセフィンおばさんに翻意を促される。↓妹のミニーからも「いい子ぶった嘘つき」と指摘される。↓一転して、進学を目指すという賭けに出る。↓その勢いでジェリーとも仲直りをする。↓ついでにアンとも仲直りをする。…みたいな流れだったら、もっと分かりやすかったのですけどね。たんなる編集ミスなのでは?いずれにしても、ダイアナとジェリーの仲直りは、来週以降に持ち越しのようです。◇アンとギルバートの心の動きも、なんだか唐突。どうやら2人は、前回のダンスパーティーの夜あたりに、おたがいのことを急に意識しはじめたっぽいのだけど、その気持ちに従うべきかどうかを迷っている。頼みのジョセフィンおばさんも、かろうじて「真実は隠れている」などとと言うばかり。とくにギルバートにとって、アンを選ぶということは、医者としての成功を諦めることにもなりかねないし、のみならず、それはウィニフレッドと彼女の両親を裏切ることにもなる。そもそも、ギルバートにとって、ウィニフレッドへの恋心とは何だったのでしょう?はなから恋ですらなかったってこと??ウィニフレッドも、彼女の両親も、ギルバートのことを受け入れてくれてる善良な人だし、それをギルバートのほうから一方的に反故にするってのは、それはそれで、視聴者的には釈然としないかも…◇他方で、リンド夫人はすっかり人が変わったみたい!もともとは、アンの天敵であり、バッシュの天敵であり、ステイシー先生の天敵でもあったけれど、いまや最大の味方になっています。以前なら、「結婚して子供を産むのが女の幸せ!」みたいな考えだったのに、今じゃあ、「女はずっと抑圧されてきた!」みたいなことまで口にしている。どんだけ?(笑)アンに感化されたのか…それとも、評議会のオヤジどもから受けた屈辱が、よっぽど癇に障ったのか…そんなリンド夫人が、なかなかの策士っぷりを発揮して、評議会のオヤジどもを見事に黙らせました。そしてなんと、マリラが評議会の女性メンバーに!すごい社会進出!!アンの人生が動き出すのはまだまだこれからだけど、それより先に、ダイアナや、リンド夫人や、マリラの人生が変わろうとしている。◇それはそうと、バッシュとステイシー先生の2人。なにやら水辺でイイ感じ?!2人とも「人を殺したい」と思うほど世間に立腹したらしい。古臭い社会のしきたりに苦しめられてきたのですね。まったく予想してなかったけれど、これって、もしや恋愛フラグなの??だとしたら、バッシュは、ギルバートと違って、ものすごい恋愛巧者だよねえ!彼にとって人種ごときは何の壁でもないのかしら?ステイシー先生に会った瞬間から、なんかニヤニヤしてたし(笑)。もし、そういう流れなら、わざわざトリニダードからお母さんを呼び寄せなくて済んだよね。◇さて、その黒人のお母さん。べつに悪い人ではないけれど、身についた「白人のご主人様」にへりくだる態度を変えようとしない。それは、ちょっと滑稽であると同時に、評議会のオヤジどもとはまた別の意味で、やっぱり「古臭い考え方にとらわれてる」ってことでもある。彼女自身が時代の犠牲者には違いないけれど、このドラマのなかでの立ち位置は、ちょっと微妙です。◇カクウェットが、寄宿学校から命からがら脱走してきた。彼女を探しに出た男たちは、銃を抱えていた。シーズン2の、詐欺師の捕物騒動のときにも、馬にのった村の自警団が銃を片手に探しに出たけれど、無防備な子供でさえ殺すことがあったのでしょうか??かりに子供を殺した場合、それは殺人事件として問われることもなく、カトリックの教会権力によって闇に葬られるってこと?◇なお、コロナ禍で延期になってるようですが、その寄宿学校の遺骨問題の件で、バチカンのローマ法王がカナダを訪問する予定になっています。最近は「法王」ではなく、歴史教科書とおなじく「教皇」と言うらしい。ローマ教皇カナダへ。寄宿学校跡地に子どもの遺体多数。#アンという名の少女#アンという名の少女3https://t.co/Q2KKiCyXEt— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 10, 2022 日本では、近世のキリシタンが「被害者」と見なされることが多いけど、海外に目を向けると、むしろバチカンは「加害者」として数々のジェノサイドに加担している。両義的ではあるけれど、どちらも歴史の真実であるのに違いありません。
2022.02.10
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「いざ月へ」宇宙ごっこの半仙戯 ふわっとふらここ 水平になる手前 廃校のぶらんこは夜よに揺れており 故郷ふるさとと同じ遊具や春の風 初虹や背中を押され漕ぐ子供 小さな手わが背押したる春の暮 ブランコと母待つ夕暮れ花吹雪 子らが去り未だ明るし遅日かな4月18日のプレバト俳句。お題は「ぶらんこ」。◇森口瑤子。ふわっとふらここ水平になる手前8+10 の破調。先生いわく「体感的」な句ですね。動画的でスローモーションっぽい。形式も内容も、なかなか独創的でした。◇梅沢富美男。廃校のぶらんこは夜よに揺れており廃校のぶらんこ夜よるを揺れており(添削後)廃校や 夜がぶらんこ揺すりおり(添削後)夜を「よ」でなく「よる」と読めば、助詞「は」を不用意に使わなくて済むよね。先生の添削は、よりホラーな感じを強めてます。◇清水アナ。「いざ月へ」 宇宙ごっこの半仙戯はんせんぎ春の季語「半仙戯」はブランコの別称。秋の季語「月」との季重なりです。もともと、天にも昇る気分のことを「羽化登仙うかとうせん」と表現するらしい。すなわち、羽が生えて仙人のように天に昇るがごとき心地のこと。そこからブランコ遊びのことも「半仙戯」と呼ぶのですね。すなわち、半ば仙人になるがごとき遊戯ってこと。なので、半仙戯を月に結びつけて、「ブランコを漕いだら月にも行けそう!」みたいな類想はけっこう出てくるし、そういうイマジネーションを詠んだだけなら、わざわざ「宇宙ごっこ」と説明する必要はない。…余談ですが、加古宗也の句に、昼の月蹴り上げて来よ 半仙戯という、やはり季重なりの句があります。↓こちらのサイトを見ると、http://www.haisi.com/saijiki/hirunotuki1.htmじつは「昼月」の句には季重なりが多く、ほとんどの場合、これを秋の季語とは見なしてないっぽい。かたや、芝不器男の俳句には、鞦韆ふらここの月に散じぬ同窓会ってのがある。こちらは夜の月ですね。鞦韆(ブランコ)は季節を問わず存在するし、月も季節を問わず存在するけれど、やっぱり「月」が綺麗に見えるのは秋だから、これは秋の句として読むのが妥当かなと思う。しかし、一般的には春の句と解釈されるようです。ためしに、季重なりを回避すべく、時事ネタを取り入れた改作ですが、月面の邦人 吾子の半仙戯としてみました。これなら春の句として疑義はないと思う。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥立派だから自信は持てる!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/odlDYpOwkr— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 13, 2024◇南果歩。ブランコと母待つ夕暮れ 花吹雪ブランコに母待つ夕や 花吹雪(添削後a)ブランコと母待つ夕暮れに一人(添削後b)この2つの添削案はいただけない。一方の(添削後a)は、「ブランコ」と「花吹雪」の季重なりを容認した形。それならそれでいいのだけど、中七が「母が待つ」なのか「母を待つ」なのか、いまいち分かりにくい。助詞を加えれば、母を待つぶらんこの夕 花吹雪のように解決できます。他方の(添削後b)は、「ブランコ」の擬人化を容認した形。しかし、せっかくブランコを擬人化したのに、最後に「一人」と書いちゃったら意味ないでしょwブランコと一緒なら一人じゃないって話なわけで。いずれ凡句にはちがいないけれど、ぶらんこと揺れて母待つ夕間暮れ のように書けば擬人化する意味はあります。◇水田信二。子らが去り未だ明るし 遅日かな公園の子らが去りたる遅日かな(添削後)まずは中七で切れてるのが欠点です。子ら去りて未だ明るき遅日かなと書けば、すくなくとも形式的には整う。しかし、そもそも、「子供が帰るころになっても明るいのが遅日」と考えるべきなのだから、たんに季語を説明しただけの内容でしたね。◇…さて、今回は平場に「才能アリ」が3人いましたが、いずれも評価が甘いと思わずにいられない。蓮見翔。故郷ふるさとと同じ遊具や 春の風まあ、ぎりぎり「才能アリ」ってところでしょうか。句材も悪くないし、形式も出来てるし、とくに瑕疵はないけれど、よくもわるくもシンプルすぎるかなと思う。◇近藤千尋。小さな手わが背押したる春の暮小さき手のわが背を押せる春の暮(添削後)作者いわく、子供の手に「仕事への励まし」を感じた、とのこと。実際のところ、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」と解釈することもできるし、それならそれで成立します。たとえば親の《転職》や《再就職》の句とも読めるし、あるいは《離婚》や《再婚》の句とも読めます。かたや身体的に「背中を押した」と解釈した場合、《孫が年寄りの背中を押して階段や坂を登らせてる》と読めるから、字面だけでブランコの句とは分からない。◇キスマイ二階堂。初虹や 背中を押され漕ぐ子供形式的には出来てますが、近藤千尋の句と同じように、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」とも解釈できる。そのうえで、子供が漕いでるのは、《三輪車》なのか《自転車》なのか、《ボート》なのか《ブランコ》なのか、まったく分からないだろうと思います。これを《ブランコ》の句だと断定できるのは、評者自身が兼題写真の先入観に囚われてるからです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.22
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ひとつ前の記事で、映画やドラマの「弓道部女子」のことを書きましたが、…ツイッターにそれをまとめてる方々がいました。美波。 一般に、弓道部女子といえば、映画『時をかける少女』の原田知世のイメージが強いけど、おそらく原点は、堀田あけみの小説「1980アイコ十六歳」なのだと思います。1982年のテレビドラマ版では、伊藤つかさが主人公の織田アイコを演じている。他方、筒井康隆の小説「時をかける少女」では、主人公の芳山和子は弓道部ではありません。前の記事にも書きましたが、富田靖子が演じた1983年の映画版『アイコ十六歳』を、大林宣彦がプロデュースしてたので、ついでに同年の『時をかける少女』の原田知世も、弓道部ってことにしてしまったんだと思います。(公開は『時をかける少女』のほうがすこし先)しかし、それが、のちの弓道部女子のイメージを決定づけたのですね。◇以下、ツイッターを参考に年代順に並べてみました。ひまつぶし!(笑)1982 アイコ十六歳(伊藤つかさ)1983 時をかける少女(原田知世)1983 アイコ十六歳(富田靖子)1984 アイコ十六歳(真野あずさ)…2004 冬空に月は輝く(綾瀬はるか/佐藤めぐみ/水川あさみ/沢尻エリカ) 2006 ネスカフェ匠(伊東美咲) 2009 僕の初恋をキミに捧ぐ(井上真央) 2009 Hi-Fi CAMP「だから一歩前へ踏み出して」(川口春奈) 2010 時をかける少女(仲里依紗)2010 ブカツ道(成海璃子)2010 If~今日、恋をはじめます~(高城亜樹)2015 花燃ゆ(黒島結菜)2017 先生!好きになってもいいですか?(広瀬すず)2017 一礼して、キス(池田エライザ)2018 ボキャブライダー選ばれし者(浜辺美波)2018 半分、青い。(古畑星夏)2019 僕の初恋をキミに捧ぐ(桜井日奈子)2019 かぐや様は告らせたい(橋本環奈)2021 ブレイブ -群青戦記-(山崎紘菜)2021 書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~(山田杏奈)2022 鎌倉殿の13人(新垣結衣)2023 SUZUKIスペーシア(芦田愛菜)まだまだあるとは思いますが…なお、新垣結衣とかは弓道部じゃなくて戦国女子です(笑)。弓道部少女。 pic.twitter.com/rcUv2IYl3M— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 18, 2023— ひぞっこ (@musicapiccolino) May 15, 2018 — てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015— てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015 — てす@花粉症😷 (@test84616661) April 11, 2015— てす@花粉症😷 (@test84616661) April 12, 2015 — 左内 円卓倶楽部💉💉💉💉 (@sonthetown) January 17, 2021— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 19, 2023 紘菜。芦田愛菜。かつてのスケバン刑事も弓を引いてます!!from 言霊荘(2021)突然のサプライズにびっくりの #斉藤由貴 さん🎂ギフトを見て大喜びの様子がこちら🥰#食パン好きの由貴さんへ🍞#喜ぶ姿がかわいすぎます💕#西野七瀬 #永山絢斗#言霊荘 #10月9日土よる11時スタート pic.twitter.com/JOMjx81suw— 土曜ナイトドラマ『言霊荘』【公式】 (@kotodamasou) September 19, 2021 碧野圭「凜として弓を引く」余談ですが…斉藤由貴にはじまるポニーテール女子については、音楽惑星さんのサイトにまとめてもらってます。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-364.html#ponytail
2023.04.19
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TBS「最愛」が終了。加瀬はまったくノーマークでした…(^^;真田家の陰謀でもなければ、警察がらみの事件でもなければ、たんなる加瀬の突発的な犯行。あるいは、ほとんど事故だったってこと。視聴者のなかに膨らんだ妄想は宙に浮いて、やや肩透かしを喰らった形です…(^^;◇中盤あたりでは、「真田家が最大の黒幕!最後には梨央が母を殺すのでは?!」とまで考えたのだけど、そんなひどい話じゃなかった(笑)。まあ、脚本や演出は、中だるみも尻すぼみもなく、一貫してスピード感と緊張感を持続していたし、映像も美しかったし、プロデューサーも含めて、ほとんど女性ばかりのチームでしたけれど、今後への期待を高めさせる作品になりました。ただ、同じ考察系の「天国と地獄」もそうだったけど、最終回は、劇的なカタルシスよりも、視聴者のなかに肥大しつづけた考察と妄想が、宙に浮いてしまうような呆気なさがある…(^^;欲をいえば、もっとカタルシスが欲しい…実際、視聴者の妄想を肥大させた色々な伏線は、ほとんどミスリードだったので、矛盾してるとまでは言わないけど、未回収のまま放置されたものが多いです。◇以下、未回収ポイントを整理します。1.なぜ旧札の1万円だったのか。記録に残ってるのは8年前からの不正だけど、実際には、17年以上前から裏金を溜め込んでいたと考えるほかありません。2.なぜ梨央は芝池公園へ行ったのか。梨央と渡辺昭を芝池公園に引き合わせたのは後藤だろうけど、梨央が誰からの連絡を受けて、なぜ公園に行ったのかは謎です。3.優のスパイ活動。姉を守るために後藤を監視していたとは言うけど、梓とも加瀬とも連絡が途絶えた中で、どうやって社内のパソコンをハッキングしたのかも、どうやって後藤の攻撃を阻止するつもりだったかも謎。結果的には、まったく無意味な活動だったように思えます。4.橘しおりの両親の離婚。事件とは無関係?たまたま時期が重なっただけ?5.橘しおりの真田家への怨恨。自分の人生を狂わせた合宿寮の娘が、自分とは真逆の栄光を掴んでいることへの逆恨み?6.青木菜奈の「被害者じゃない」発言。渡辺康介に襲われたあとも薬物仲間であり続け、渡辺康介との堕落した関係を抜け出せず、その後は渡辺康介が失踪したショックに苦しみ、小瓶を保管しながら15年のあいだ告訴できずにいたってこと?7.優が記憶をなくした日。事件とは無関係?◇8.梓の関与。そして、いちばん大きな謎は、やはり「梓が何をどこまで知ってたのか」ってこと。後藤の不正を知ってたのは間違いないけれど、加瀬の犯行を知ってかどうかは謎。赤いペンにかんしては、たまたま梓が部屋に落としたペンを、加瀬が拾って、そのまま公園で落としたように見えます。だとすると、梓は、加瀬の犯行を知らないはずです。ただし、あとで気づいた可能性はあります。…刑務所に収監された梓は、後藤や加瀬の罪まで負わされかねない状況ですが、あくまで「自分の罪を自分で負う」とうったえる後藤に対して、加瀬は、梓を捨て置いて、いまも逃走を続けています。もともと梓は、優を山梨の学生寮に隔離したときから、優と達雄の犯行についても、加瀬の共犯についても、知っていたかもしれません。そして、それ以降、加瀬と梓のあいだには秘密の共有があったかもしれません。梓が出頭して以降の加瀬の行動についても、二人のあいだに何らかの合意があるのかもしれません。優のスパイ活動についても、加瀬と梓が裏で操っていたと考えるほうが自然だと思う。◇9.加瀬の逃亡。加瀬は、池尻の防犯カメラには映っていましたが、なぜか芝池公園の防犯カメラには映っていませんでした。運転手から連絡を受けて駆けつけ、渡辺昭を殺して、びしょ濡れになりましたが、足跡痕は残っていたものの、行きも帰りも防犯カメラに映っていないし、目撃者にも見つかっていません。最後の渋谷ウィングプラザでも、大勢の刑事たちの追跡をすり抜けて逃げおおせました。犯行を決定づける証拠を何ひとつ残さず、いまもなお世界のどこかに身を隠しつづける加瀬は、ルパン三世、もしくは透明人間並みの逃亡の達人!!渋谷ウィングプラザの入り口付近で、桑子が別人を確保するシーンがありましたが、あれこそルパン三世並みに変装した加瀬だったのでは…?今日の夕飯何食べようかな…
2021.12.19
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CBCとNetflixによる「アンという名の少女」は、シーズン3で中断したまま、制作が止まっています。一部では《先住民問題》を扱ったことが、打ち切りの原因ではないか、とも噂されています。◇しかし、先住民問題を扱うのは、当初からの既定方針だったはずです。たとえば、すでにシーズン1の第5話では、学校を無断でサボっていたアンが、ひそかに「イギリスとカナダの歴史」という本を読み、偶然ページを開いたサスカチュワン州の歴史を学んでいます。これは、あきらかに、その後の伏線です。また、シーズン2の第2話では、下宿人のダンロップが、ダイアナのピアノ伴奏で、アリス・ホーソーンの「The Friends We Love」という曲を歌うのですが、わたしが気になっていたのは、アリス・ホーソーン(=セプティマス・ウィナー)が、じつは「10人のインディアン」の作者でもあったということです。この曲のもともとの歌詞は、インディアンの子供がひとりずつ消えていく恐ろしい内容です。◇今年の5~6月にかけて、カナダの先住民寄宿学校の跡地において、子どもの遺骨や墓が大量に発見されたそうです。先住民寄宿学校というのは、事実上の強制収容所だったのですが、まさに「10人のインディアン」で歌われているような、恐ろしい歴史が存在したことが裏付けられつつあります。ブリティッシュコロンビア州では182の墓と251人の遺骨が、サスカチュワン州では751もの墓が見つかったそうです。彼らの死因については報じられていません。https://www.tokyo-np.co.jp/article/115351近年のカナダ政府は、こうした歴史の調査に積極的に取り組んでおり、それを一般に公表したうえで、公式な反省や謝罪も行ってきました。カナダ政府も、CBC公共放送も、けっして歴史を隠蔽しようとしているわけではありません。したがって、「アンという名の少女」の制作打ち切りの背景に、負の歴史を隠蔽しようとするカナダ側の意図があるとは考えにくい。むしろ、下記の年表を見れば分かるように、制作中止が発表された2019年の時点でいえば、米側(トランプ政権)のほうが後ろ向きの姿勢を示していました。まさに、この時期、米政府とカナダ政府の方針にズレが生じていたことが分かります。20082009201520172018201920202021スティーブン・ハーパー首相が過去の先住民への扱いを謝罪。真実和解委員会(TRC)が発足。米オバマ大統領が先住民族への過去の暴力や虐待を認めて謝罪する法案に署名。ジャスティン・トルドーが首相に就任。TRCが最終報告書を発表し、当時の政策を「文化的なジェノサイド」だったと認める。ドナルド・トランプが米大統領に就任。CBCで「アンという名の少女/シーズン1」が放送、Netflixで世界配信。CBCで「シーズン2」が放送、Netflixで世界配信。米トランプ大統領が先住民族への差別発言で抗議を受ける。CBCの社長が、Netflixとの共同製作をやめると発言。CBCで「シーズン3」が放送。Netflixで「シーズン3」が世界配信。NHKで「シーズン1」が放送。ジョー・バイデンが米大統領に就任。先住民寄宿学校の跡地で大量の子どもの遺骨や墓が発見される。NHKで「シーズン2」が放送。NHKエンタープライズで「シーズン3」までディスク化。トランプ政権からバイデン政権に変わったことは、CBCとNetflixの関係にも変化をもたらすかもしれません。かりにドラマの制作が再開されることになれば、より一層、過去の負の歴史に向き合う必要が強まるでしょう。ちなみに、モンゴメリの「赤毛のアン」は、村岡花子が1952年に邦訳して以来、とりわけ日本において高い人気を誇ってきました。朝ドラの「花子とアン」も、その関連作品だといえます。したがって、「アンという名の少女」がNHKで放送され、それが日本で反響を呼ぶことは、大きな意味をもちます。原作の評価と同様に、ドラマの評価も多くを日本に負っています。◇話を戻しますが、先住民に対する残虐な同化政策を推進したのは、カナダ初代首相のジョン・A・マクドナルド(保守党)でした。プリンスエドワード島のシャーロットタウンにも、彼の銅像があったそうですが、抗議を受けて先ごろ撤去されたとのこと。なぜシャーロットタウンに彼の銅像があったのか分かりませんが、(1864年のシャーロットタウン会議を記念したものかもしれません)モンゴメリの「赤毛のアン」原作には、アヴォンリー村の住民のほとんどが保守党支持者だったとあります。おそらく当時は彼の政策が広く支持されたのでしょう。なお、シーズン1の第6話では、マリラたちが首相演説を聞きにシャーロットタウンに出かけていますが、ドラマの時代設定に重なる1896年ごろには政権が交代していて、自由党のウィルフリッド・ローリエが首相に就任しています。◇北米で先住民寄宿学校を運営していたのは、キリスト教会でした。ただし、それはアヴォンリーの人々が信仰していた長老派教会ではなく、ケベック州のフランス系住民などが信仰していたカトリック教会です。北米においては少数派のキリスト教徒たちですね。その本部は、いうまでもなくバチカンです。カトリック教徒は、イギリス系よりもフランス系・スペイン系の白人に多いので、北米大陸においては北部よりも南部のほうに多く、さらに北米大陸よりも南米大陸のほうに多いわけですが、彼らはしばしば黒人や先住民に対して残虐な政策をとっています。もちろん、長老派のようなプロテスタントの人々も、黒人や先住民に対して差別的だったとは思いますが、どちらかと言うと、保守的なプロテスタントは、異人種・異民族に対して距離をとって生活する傾向が強く、そのぶんだけ黒人や先住民に対しても暴力的になりにくく、また奴隷制への依存も小さかったために、プロテスタントの多い北部地域は、カトリックの多い南部地域よりも、早い時期に奴隷制を終わらせることができました。これに対し、カトリックの人々は、なまじ黒人や先住民との生活圏域が近いだけに、しばしば残虐にもなりやすいし、また混血もしやすいのです。北米よりも南米のほうが混血割合が多いのはそのためです。古代からの歴史を考えてみても、ヨーロッパ北部に住むゲルマン人やアングロサクソンに比べて、地中海沿岸にすむラテン人のほうが、はるかにアフリカ人やアラブ人との生活圏域が近かったし、そのぶんだけ奴隷への依存度も高かったのです。
2021.12.25
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水嶋凜が由貴ちゃんの「予感」をカバーするそうです。編曲はオリジナルと同じ武部聡志。レーベルも当時と同じポニーキャニオン。(現在の由貴ちゃんはビクターの所属ですが)◇いい選曲だと思います。わたし自身、「斉藤由貴の曲は色褪せない」というときに、真っ先に思い浮かべるのは、この曲です。斉藤由貴の屈指の名作。アルバム曲ではあるけれど、これをベストソングに挙げるファンは多い。これまでセルフカバーはありましたが、他のアーティストがカバーした例はたぶんないと思います。そして、水嶋凜がこれをカバーするのはふさわしい!もしかしたら、これ以降、いろんなアーティストにカバーされるかもしれませんね。ちなみに由貴ちゃん本人の作詞なので、もれなく印税も由貴ちゃんに入ります…(笑)この歌に出てくる「銀色電車」というのは、当時の東横線の車両ですが、現在はもう走っていません。おそらく80年代前半ぐらいに、由貴ちゃんが横浜と渋谷の往復時に乗っていた電車です。具体的に言うと、2008年の1月まで運行していた東急の8000系。1988年からは赤いライン模様が入ったものの、それ以前はステンレスむきだしの銀色の車両でした。かたや「幾千の人が行き交う」というのは、渋谷のスクランブル交差点のようにも思えますが、実際には、横浜へ帰ってきたときの街の風景を描いたらしい。◇しかし、(わたしは関東の人間じゃないので詳しくありませんが)現在の横浜駅や渋谷駅は、すっかり当時とは様変わりしていますよね。いまは両駅とも地下にありますが、2004年までの横浜駅は地上にあり、2013年までの渋谷駅は地上2階にありました。なので、この歌に描かれている光景はもう存在しないのでしょう。◇当時はホットカルピスのCMに使われていましたが、「風にふるえて動けなくなる」という一節があるので、わたしも、なんとなく初冬の都会の情景を思い浮かべます。いずれにせよ、亀井登志夫の美しいメロディの抑揚に、品のよい言葉が綺麗に無理なくおさまっていて、描き出される映像がメロディによく調和している。何げない日常の風景が、不思議なほど高貴な光をまとって見えてくる。ワイプは福本莉子。ほんとの娘&Eテレの娘。◇参考までに、東横線にかんする情報を抜粋で引用しておきます。(リンク先には昔の写真なども掲載されています)・東急8000系についてコンサートのトークの中で斉藤由貴さんが、”「予感」という曲に出てくる「銀色電車」は、横浜と渋谷を結ぶ東横線で使用されていた車両を指したものだが、最近は赤い電車しか来ない!”と怒っていました。種明かしをすれば、当時活躍していたのは「8000系」。皆が皆、ステンレスにしてしまうと、個性も見分けもつきにくいので、カラーアクセントが入ったわけです。この車両も先日東横線から引退し、現在は「新5000系」が主力になっています。https://info-railway.at.webry.info/200803/article_3.html7000系電車以来の流れを汲むアメリカ・バッド社のライセンスによるオールステンレス車で、機能最優先な直線基調の形態である。製造当初からしばらくの間、車体はステンレスの地色のままであったが、1988年(昭和63年)の春から夏にかけて先頭車の前面に赤帯が配された。2001年(平成13年)より廃車が開始され、東横線では2006年(平成18年)9月25日のダイヤ改正からは平日ラッシュ時のみの運行となっていた。2008年1月13日に、臨時特急としてさよなら運転が実施された(8000系さよなら運転)。そして、同月23日に東横線・みなとみらい線での8000系の旅客営業運転を終了した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A58000%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A東急8000系に特徴的な意匠がない理由は低コストにするためだったという。8000系は面白みのない姿だけれども、完璧な道具であった。もっとも、それも今となっては、という話で、当時はオールステンレス車体、未塗装で銀色の大型電車というだけで、非凡であり存在感があった。東横線では2008年1月13日にさよなら運転が行われ、記念ヘッドマークの取り付け、車内への記念ポスター展示、特急運用によって花道を飾った。その後、8000系のうち45両は伊豆急行に譲渡された。外観は8000系のまま、伊豆急行のシンボルともいえる青と水色の帯が入った。8両編成2本はインドネシアに送られ、首都ジャカルタ近郊の通勤電車として余生を送る。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1906/07/news029.html・地上時代の横浜駅についてかつての東横線横浜駅は高架駅で、駅ビル「CIAL」に隣接していました。2004年1月30日限りで横浜~桜木町間が廃止になると同時に、高架駅も役目を終え、翌日よりみなとみらい線との相互直通開始に備えた地下駅に移転しました。https://japanese-autobus.at.webry.info/201308/article_4.html横浜~桜木町間の廃止、反町・横浜駅の地下化など、横浜界隈では様々な変化がありました。https://jyuden.com/zakki_tra/200401touyoko-01/・地上時代の渋谷駅について2013年(平成25年)3月16日に東横線渋谷駅 - 代官山駅間(約1.3km)が地下化され、渋谷駅で東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始された。東急側ではアプローチとなる渋谷駅 - 代官山駅間の地下化工事完了に伴い、東横線の渋谷駅は地上2階から地下5階にある副都心線渋谷駅ホームに移設し、高架式ホームは廃止となった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E6%9D%B1%E6%A8%AA%E7%B7%9A◇なお、水嶋凜は9月から舞台「シンデレラストーリー」に出演します。たぶん、彼女は、かなりの「おばあちゃん子」なのだと思うけど、大塚千弘が主演した当時の舞台も、子供のころからお祖母ちゃんの家のビデオでよく見ていたそうです。(おそらく母方の祖母=由貴ちゃんのお母さんのことだと思う)由貴ちゃんのお母さんも宝塚に憧れていた人なので、娘の作品にかぎらず、きっと芸能全般が好きなのでしょう。この「シンデレラストーリー」以外にも、アニメ版の「コゼット」やら、映画版の「レミゼ」やら、いろんなビデオが家に揃えてあったようです。ただ、水嶋凜は、由貴ちゃん自身がコゼットを演じた「レミゼ」は観てないっぽい。これは上白石萌音や生田絵梨花にも言えることですが、この年代の人たちが最初に見た「レミゼ」は、ジョン・ケアード版のミュージカルではなく、2012年の映画なのですよね。(萌音は、かろうじて最後のケアード版をロンドンで見たそうですが)ちなみに、わたしが最初に見たのは、まんが世界昔ばなしの「ああ無情」です。宮城まり子がアフレコしてたアニメ。古い!(笑)訂正:生田絵梨花は小中学生のときに帝劇でケアード版を観てたっぽいです。くわしくはこちら↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202311120000/◇余談ですが…芹澤優は、凜の芸能界デビューをネットニュースで知ったそうです。ほんとに?!てことは、セリコママも知らなかったってこと?そんなことあります??#水嶋凜 #芹澤優 #斉藤由貴 pic.twitter.com/zFzwdtBAAI— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 21, 2022
2022.07.20
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Mステ。萌音の由貴語り。斉藤由貴の娘役を演じたことも!松本隆と筒美京平の!「卒業」聴いて「木綿のハンカチーフ」聴くと!心が震えるwwよくできました!>>「卒業」について>>「卒業」は「木綿のハンカチーフ」のエピソードゼロではない>>「AXIA~かなしいことり」
2022.09.03
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Eテレの「すイエんサー」が終了。女の子のための理科番組って感じで、コンセプトが面白かったし、子供だったら真似したくなる実験をやってました。14年間も続いたってことで、番組の視聴者のなかには、ほんとにリケジョになった人もいるでしょうねえ。◇最後の「知力の格闘技」は、すいチームがエリート大学チームに勝ってましたが、まぐれ当たりじゃなく、安定的な実力で圧勝してる感じが凄かったです。前にも書いた奥森皐月とか、由貴ちゃんのミスマガの後輩にあたる豊田ルナとかが、(↑この人はなんとなく若いころの薬師丸ひろ子に似てます)このチームにいたけど、やっぱり頭よさそうなのよね。◇過去のすイガールには、清野菜名とか、福原遥もいたとのこと。ちなみに「すイエんサー」って、「サイエンス」のアナグラムだったことを、いまになって、はじめて知りました(笑)。奥森皐月と豊田ルナ。向かい風に負けず飛行機を飛ばそうとする福原遥。隣はガッテンの山根千佳。すでに舞いあがろうとしてる。
2023.04.02
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先日の記事にも書きましたが、日本版の舞台「千尋」と、英国版の舞台「トトロ」は、何らかの関連があるはずだと思います。そして、それぞれの作品が、言語の壁を乗り越えて海外展開するために、ひとつの方法として、日英の台本を相互に翻訳・翻案し、キャストとスタッフをそっくり入れ替える、…ってのも可能かもしれない。つまり、日本版「千尋」のカンパニーが「トトロ」をやり、英国版「トトロ」のカンパニーが「千尋」をやる、ってこと。外国語の舞台を字幕付きでやるより、そのほうが合理的かもしれません。ジョン・ケアードなら、そういうことも考えそうな気がする。…そうなると、日本では、萌音と環奈のWキャストが、サツキとメイを交互にやることになるかも?!いわゆる「ジェーンエア」方式で。あくまで、わたしの勝手な妄想ですが。
2023.05.04
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一月の笑いの外にひとりいた 残業の鍋焼M-1の出囃子 初笑い追い出す寄席のはね太鼓 爆笑や横隔膜に去年の揺れ 福笑いのような祖父の、死に顔 初旅のB席iPadにドリフ 盃の富士に一礼初笑 「犯人は…」に続く客席のくつさめ 笑ひ声洩るる交番注連飾 妣の忌や遺言だもの牡蠣フライ ばればれの手品の父や冬座敷 ゲラの子はゲラに育つや春隣 元日の大仏の鼻抜く女優 大笑ふ君は私似春間近 墓前にてあなたと笑った冬の空 雪景色転んだあとの顔判子 1月11日のプレバト俳句。冬麗戦です。お題は「大笑い」。上位から順に見ていきます。◇1位は春風亭昇吉。一月の笑いの外にひとりいた笑いの外に誰かを見つけたときのセリフなら、「いた」という過去形にもなるだろうけど、自分自身を描写したのなら、ふつうは「居いる/居をり」と現在形にすべきです。◇2位はキスマイ横尾。残業の鍋焼 M-1の出囃子いつもの対句。正直、このスタイルにも飽きたけど(笑)。問題は季語の「鍋焼」です。本来の「鍋焼」は、肉を野菜と一緒に煮る料理。職場で豪勢に鍋焼を囲んでるのかしら?…とも誤読されるだろうし、かりに「鍋焼うどん」の略だとしても、キッチンのある職場で鍋焼うどんを作ったのかしら?…とも誤読されるはず。しかし、映像を見ると、即席の鍋焼うどんのようです。思うに、「いつものカップラーメンよりは贅沢」みたいなニュアンスかもしれませんが、そこらへんの作者の意図が量りにくい。なお、歳時記にはないものの、「M1」も「紅白」と同様に、実質的に季語としての機能をもってるので、ダメ押しの年末感がありますね。◇3位は梅沢富美男。初笑い追い出す寄席のはね太鼓ハネ太鼓の別称は「追い出し」です。なので、言ってみれば、「観客を追い出すのが寄席のハネ太鼓である」との説明を、季語を使って俳句っぽく書いただけ。いつもならボツになるパターンですが、今回は景気の良さや縁起の良さもあいまって、たまたま上手くいったかな、という感じ。◇4位はフルポン村上。爆笑や 横隔膜に去年こぞの揺れこれは評価するのが難しい…。季語でないものを上五で詠嘆し、形式は二句一章なのに、中身は一物仕立てに見えます。山本健吉の言葉を借りるなら、《主題+細叙的な反復》かもしれないけど、わたしにはたんに、《主題+主題の説明》のようにも思えるし、ある意味では、梅沢と同じく、「笑いとは横隔膜の揺れである」との説明に、季語を加えただけの句とも言える。上五の「爆笑」が、現在の爆笑か去年の爆笑かも分かりませんが、それを切れ字で詠嘆した際の位置づけも、どう解釈すればよいのか、判断しがたい。◇5位は立川志らく。福笑いのような祖父の、死に顔読点込みで17音ってこと?散文でいうなら、さしずめ「…」のような効果を狙ったものですが、なんか小手先の技巧って気もする。◇6位は川島如恵留。初旅のB席 iPadにドリフ9+9=18音の対句。他人のiPadなら、初旅や 隣のiPadにドリフと助詞の「に」を使ってもいいと思いますが、自分のiPadだったら、助詞は「の」を使うほうが妥当じゃないかな。◇7位は中田喜子。盃の富士に一礼 初笑実体験だといわれれば仕方ないけど、富士の絵柄に頭を下げる場面は、なんだかちょっと芝居がかっていて、あまりリアリティを感じないのよね。むしろ大袈裟に「一拝」「叩頭」などと書いて、マンガっぽい滑稽味を強める手もあるかなと思う。◇8位の森口瑤子。「犯人は…」に続く客席のくつさめ「犯人は…」の静黙 客席のくつさめ(添削後)原句は18音、添削句は19音の破調。芝居の重要なシーンの緊張感を、観客のくしゃみで遮られた様子ですが、あえて「くしゃみ」と書かずに、狂言っぽく「くっさめ」と描写した大仰さが、この場面の滑稽味を強めています。たしかに原句の「続く」が説明くさいけど、うまい代替案を出すのもちょっと難しい。ためしに17音で、「犯人は!」…そこで客席のくつさめでどうでしょうか。◇9位は千原ジュニア。笑ひ声洩るる交番 注連飾しめかざり兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由で9位に甘んじましたが、俳句自体の出来としては、これがいちばん良いと感じました。◇10位は安藤和津。妣ははの忌や 遺言だもの牡蠣フライ母の忌や 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)母の通夜 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)梅沢が言うように、「妣」と「忌」の重複は避けるべきなのか、正直なところ、よく分からないけど、まあ、あえて両方を並べずとも、「母の忌」or「妣の日」で十分ってことでしょう。なお、後段のフレーズを面白いと思う人もいるでしょうが、わたしは「相田みつを?」との印象が先立って、どうも安っぽいコピーライトのように感じてしまう。むしろ、母の忌も遺言だから牡蠣フライと書いたほうが滑稽味が増すのでは?◇11位の本上まなみ。ばればれの手品の父や 冬座敷ばればれの手品の父や お正月(添削後)これも兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由でランク外。たしかに添削のほうがいいと思うけど、個人的にはジュニアの次に良い出来だと思いました。◇12位はこがけん。ゲラの子はゲラに育つや 春隣大笑げらの子は大笑げらや 春隣のげらげら(添削後)原句は、助詞の「は」を使う必要を感じない。むしろ「の」を使うのが妥当だと思います。添削句のほうは「は」でいいと思いますが、いつもながらリフレインがくどくて好きじゃない。なお、Wikipediaを見ると、「ゲラ」はおもに関西方言とあります。とはいえ、その記述はやや信憑性に乏しい。むしろ起源不詳の現代語じゃないのかな。もちろん俳句に現代語を使っても構わないのだし、「ゲラ=校了紙」と誤読される惧れがなければ、あえて「大笑」にルビをふる必要もない気がする。◇13位はかたせ梨乃。元日の「大仏の鼻」抜く女優大仏の鼻を抜けたり お元日(添削後)これは東大寺の「柱くぐり」の場面。おそらく、「通り抜ける」を古語で「通り抜く」としたのでしょうが、字面からは古語か現代語か判断できないので、まるで鼻を「抜き取った」みたいに誤読されますね。◇14位は水野真紀。大笑ふ君は私似 春間近君は私似 春まぢかなる大笑ひ(添削後)造語「大笑ふ」の是非と、我が子の意味で「君」を使ったことの是非。※俳句では、恋人の意味で使うのが一般的。ふつうに書いたら、笑ふ子の顔は私似 春間近私似の子の笑ひ顔 春間近のようになるんじゃないかしら?◇15位は勝村政信。墓前にてあなたと笑った冬の空冬空に笑う原田芳雄の墓前にて(添削後)原句には2通りの解釈がありうる。A: あなた(墓参りの同伴者)とふたり墓前で笑ったときの冬空を思い出してるよB: 墓前にひとり立って、あなた(死者)と笑ったときのような冬空を見てるよしかし、Aの解釈はありえません。季語をふくめてまるごと過去の話になってしまうし、そもそも「墓前で笑う」という行為が不謹慎です。なので、Bの解釈が正しいのだけど、過去と現在の時制が交錯して分かりにくいし、上五に切れがあると言えなくもない。かたや添削句にも複数の解釈がありえる。A: 冬空に私は笑っている、原田芳雄の墓前で。B: 私は「冬空に笑う原田芳雄」の墓前でたたずむ。Aの解釈は、やはり「墓前で笑う」という不謹慎な話になる。Bの解釈は、季語が過去の話になる。したがって、両方とも許容できない。かろうじて、C: 冬空に「笑う原田芳雄」の墓前で立つ私との解釈をとれば問題を回避できるけど、かなり無理があるし、これなら原句のほうがマシ。ためしに句またがりで、冬空の墓前 あなたと笑った日としてみました。◇16位はえなこ。雪景色 転んだあとの顔判子失恋や 雪にわたしの顔の痕(添削後)下五「顔判子」の比喩の是非。手をつかずに顔面から転ぶ場面が、なにやらマンガっぽくて嘘くさく、比喩そのものもつまらなく思えるけど、あえてマンガっぽさを自嘲して、雪に転べば見事なる顔の型のようにも書けるかもしれない。◇清水アナ。ゴーグルの雪焼け はきと残りけり先生が言うとおり、後段の説明は不要ですね。かりに横尾っぽい対句にすれば、オフィスの休憩 ゴーグルの雪焼けみたいな感じでしょうか。なお、「ゴーグル」には、スキーの雪眼鏡や、水泳の水中眼鏡のほかに、オートバイ用とか、最近はVR用ゴーグルもあるけど、なぜか歳時記によっては冬の季語になってるらしい。一昔前の日本人にとっては、もっぱらスキー用語だったのでしょうねえ…(^^;https://t.co/mGVY7rUA6r— 清水麻椰 (@mayasmz4) January 6, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.15
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青天の富士鼻唄は茶摘唄 次郎長も観し富士の山新茶の香 夏場所へ新緑薫富士を背に 立春来る緑鮮やか富士山も 高座より富士より高い新茶かな ツアー初日の楽屋あいさつ新茶の香 新茶汲む所作ぎこちなき左利き 母の日に贈る新茶を母と飲む5月23日のプレバト俳句。お題は「新茶」。◇丘みどり。青天の富士 鼻唄は茶摘唄これは山梨じゃなくて静岡側だよね。茶畑も見えてる気がします。◇坂東彌十郎。次郎長も観し富士の山 新茶の香次郎長も愛でし富士山ふじやま 新茶の香(添削後)梅沢も、先生も、古臭いキャッチコピーのようだ!と酷評。わたしは浪曲のことはよく知りませんが、♪ 旅行けば 駿河の国に 茶の香り…ってのが「清水次郎長伝」の名文句なのね。博徒・次郎長の尽力によって、清水港が輸出拠点となり、富士裾野に茶園が造成され、近代の茶生産の中心が宇治から静岡へ移ったらしい。◇豊ノ島大樹。夏場所へ 新緑薫かおる富士を背に夏場所へ高ぶる心 富士堂々(添削後)これは「夏場所」と「新緑」の季重なり。原句の「薫る」は送り仮名が欠落してますが、おそらく直喩&倒置法で、「(茶畑の)新緑が薫るような富士を後にして夏場所へ」という一句一章なのでしょうね。中七を「茶畑薫る」とすれば、とりあえず季重なりは回避できますが、ちょっと無理のある直喩というべきだし、添削では茶畑の情報をカットしてます。◇清水アナ。母の日に贈る新茶を母と飲む母の日の母への新茶母と飲む(添削後)なにやら添削句は、《人民の人民による人民のための政治》…みたいですね(笑)。これも季重なりですが、「母の日」は映像をもたないので、主たる季語は「新茶」といえるでしょうか。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい!実力がついてきている!💪#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/kEWCkkuscK— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 21, 2024◇コウメ太夫。立春来る 緑鮮やか 富士山も立春を眠る茶畑 富士白し(添削後)立春を眠る茶畑 富士青し(添削後)そもそも「立春」とは「春立つ=春来る」ことなので、上五の「立春が来る」は「頭痛が痛い」と同じような重複。(→ 百歩譲って「立春日が来る」という意味なら許容できるのかもしれませんが)作者の話によると、中七・下五は「富士山も緑鮮やか」の倒置じゃなく、(→ ネットで調べると「緑色の富士山」ってのもなくはないようですが)「茶畑も緑鮮やか。富士山も絶景」という意図らしい。なので、三段切れです。新茶を意識して作った春の句だそうですが、そもそも、お題の「新茶」は初夏の季語。新茶の収穫は4~5月なので、現代の感覚でいうなら春ですが、俳句的には「立夏」の前後なので、作者が「立春」の句にしたのは明らかな事実誤認。だとすれば、添削は「立夏」の句に直すべきだと思うけど、先生はあくまで「立春」の句として直したのね(笑)。とはいえ、この添削句では、「富士」が主役で「茶畑」が脇役に見えるし、結果として、季語もいまいち立ってない。せめて語順を逆にして、茶畑の眠る立春 富士青しとしたほうが季語は立つんじゃないかしら?◇蝶花楼桃花。高座より富士より高い新茶かな高座より富士より高値なる新茶(添削後)原句は、比喩を使って物価高を嘆いた時事川柳。落語家がやりがちな失策です。とはいえ、これはあくまで、比高や標高と値段とを掛けた比喩なのだから、添削のように「高値」と明言してしまうのも、それはそれで妙な感じがします。◇アインシュタイン河井。ツアー初日の楽屋あいさつ 新茶の香7・7・5の字余り。梅沢は「詰め込みすぎ」と批判しましたが、先生は逆にそれを「丁寧」と評価しました。わたしは梅沢と同意見ですね。「ツアー」「初日」「楽屋」「挨拶」この4つの要素がすべて必要なのかどうか。とくに「ツアー」「初日」「楽屋」は、いずれも興行にかんする情報なので、やや重なる。たとえば句またがりで、初日の挨拶 新茶の香の楽屋のような17音にすることも可能でしょう。◇梅沢富美男。新茶汲む所作ぎこちなき左利き新茶汲む急須 生憎左利き(添削後)原句は、左利きの人の滑稽味を描いた一物仕立て。季語の「新茶」は、そのダシに使われてる感じ。せめて語順を逆にして、ぎこちなき左利きの手が注ぐつぐ新茶ぎこちなき左利きの注ぐ新茶かなのようにすれば、中八ではあるものの、季語の「新茶」を主役にした一物仕立てになる。添削句のほうも、内容的には一物仕立てなのですが、新茶を汲む優雅さと、左利きのぎこちなさが、まるで二物衝撃のように取り合わされて、いわばオチをつけた滑稽句のようになってます。…余談ですが、「汲む」というのは、ちょっと謎の動詞です。柄杓や器ですくう、というのが第一義ですが、「茶汲み」といえば客などに茶を供することで、「茶を汲む」といえば器に注いで飲むことになる。最後の用法は「酒を酌む」という場合に似てます。つまり、すくったり、淹れて出したり、注いで飲んだりすることまで、すべての動作を全般的に「汲む」と言うのですね。でも、急須から茶碗へ注ぐ動作だけに限定するなら、やはり「茶を注ぐ」と言うほうが明瞭だし、違和感も少ないかなあ…と個人的には思います。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.27
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鬼滅の刃。遊郭編の第10話。神がかった異次元のクオリティでした。あまりのスピードに目がついていかず、テレビの「0.8倍速機能」を使って見直しましたが(笑)。←これはオススメ!壮絶なシーンの連続だけど、あらゆるカットが美しいのが分かります。作画のレベルが他の回とはあきらかに違いました。絵コンテを作ったのは白井俊行。立志編の第19話も担当したアニメーターです。◇TVシリーズ「立志編」の第19話は、特別編集版「那田蜘蛛山編」でいうところのクライマックス部分。"竈門炭治郎のうた" が流れて、炭治郎が累の首を切る伝説的な回です。やはり絵のきわだった美しさが印象に残っている。◇ちなみに、わたしは、映画「無限列車編」に対して、かなり不満がありました。内容もさることながら、とくに作画にかんしてです。…今回の「遊郭編」は、前半部分の作画は申し分なく美しくて、女装させられた炭治郎たちも可愛かったけれど、やはり後半になるにつれて、作画の質は落ちていた。内容についても、いろいろ不満がないわけではない。◇作画の出来不出来というのは、アニメが分業制であるかぎり避けられない問題ですよね。とくに納入期限を迫られると、そうなるんだと思う。でも、今回の第10話のように、神がかるほどの素晴らしい回を見てしまうと、余計に他の回との差が目についてしまいます。まあ、それだけ見る側の目が肥えてしまったともいえる。そして、そういうことを意識するにつけ、このアニメ作品の価値が、なんだかんだで「作画の美しさ」に多くを負っていると痛感する。結局のところ、そこが生命線なのです。◇今後のシリーズは、栖原隆史や白井俊行らを軸にした体制に組み直すべきじゃないでしょうか?とくに映画版は、やはり美しい絵で見たいです。脚本についても、いろいろ思うところはありますが、それは原作そのものにかかわる問題でもあるので、最終話を見てから、あらためて書くことにします。追記:最終回を見ました。絵コンテは、栖原隆史/白井俊行とクレジットされていましたが…正直、あまり作画の出来がいいとは思えませんでした。とくに、無限列車編の後半部分と同様、目から流れる涙が粘液質だったのは不快でした。こうした作画の不出来が絵コンテによるものなのか、それ以外の要因によるものなのか、素人にはよく分かりません。物語の中身については、後日、別稿で考察します。
2022.02.09
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テレ朝「警視庁アウトサイダー」が終了しました。最後はけっこうイイ話だった。それぞれの事情が絡み合ってて、思ったほどの巨悪や極悪人は存在しなかった感じ。視聴率は、最終回が2桁越えということで、テレ朝サスペンスとしては及第点ってところ?◇脚本は、わりにしっかり構成されていた。ただ、サスペンスにはありがちだけど、登場人物の名前がかなり覚えにくくて、それがちょっと事件の構図を分かりにくくしていた。架川、蓮見、水木という、メイン3人の名前でさえ覚えにくいのに、…蓮見の実父が梶間で?…兄貴がわりが羽村で?…水木の実父が有働で?…架川の先輩が藤原で?そのうえ、当麻とか、椛島とか、折原とか、小山内とか、信濃組とか、鷲見組とか、誰が誰で何が何だか終盤までよく分からなかった。せめて登場人物の名前と顔が一致すれば、さぞや視聴者の考察も盛り上がったろうに、ちょっと前提が分かりにくすぎたかなと思う。まあ、蓋をあければ、警察内部とヤクザの癒着はあったものの、思ったほど複雑な構図ではなかったし、前半に「18箇所も刺すのは女」というフラグもあったから、もし視聴者がこぞって考察していたら、かえって真犯人の推理は、容易にすぎたのかもしれません。◇事件の内容が分かりにくかったのは、やたらにネタドラマ的な演出のせいでもあって、たぶん、警視庁捜査一課の最終シリーズみたいに、《サスペンス面》と《ネタドラマ面》の、ほどよい両立が狙いだったとは思うのだけど、とくに序盤の数回は、堤幸彦のパロディと思しき木村ひさしの演出が、あまりにもガチャガチャしすぎて、一話完結のストーリーでさえ何が何だか分からず、ネタとしても空回りしてる感がありました。むしろサブの演出家のほうが落ち着いてましたねwとはいえ、後半になるにつれ、観てる側もだいぶノリと小ネタに慣れてきて、西島秀俊の下手なコメディ演技も、それ自体をネタとして笑えるようになりました…(^^;テレ朝ネタ。#はぐれ刑事純情派 #警視庁捜査一課長 #遺留捜査 #警視庁アウトサイダー https://t.co/IkuUdJ6dJr pic.twitter.com/pWyDCFf6hk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2023 ◇ちなみに、西島秀俊の俳優デビューは、1992年の「はぐれ刑事純情派」第5シリーズだそうです!そして翌93年に、彼は、石田ひかりの「あすなろ白書」にも出てるんだけど、わたしは、萌歌のツイートを見るまで、それを知らなかった!「あすなろ白書」って、石田ひかりと筒井道隆のほかに、誰が出てたのかまったく思い出せないし、たぶん、あのドラマをまともに見てなかったんだな…。つーか、わたしには、そもそも、冬吾以前の西島秀俊の記憶がほとんどない…(笑)。— 上白石 萌歌 (@moka_____k) February 13, 2023柴門ふみ×北川悦吏子明日ならハクション。◇さて、わたしのお目当ては、もっぱら萌歌だったわけですが、もともと手脚が長くて見栄えがするので、それを活かした刑事の役はハマってたと思うし、とんちんかんな天然キャラも合っていました。ちなみに萌歌は、日テレの「バンクオーバー」でも、刑事の役で華麗な蹴りを見せていたwそういえば水木ちゃんは、架川と蓮見を「尊い関係」と勘違いしてましたが、その誤解って、ちゃんと解けたんだっけ??◇萌歌については、カムカムで「姉の兄」だった濱田岳との共演も、それ自体、ひとつのネタだったのですが、それ以外に、長濱ねるとの「親友共演」もネタ、野波麻帆との「東宝シンデレラ共演」もネタ、石田ひかりとの「妹女優共演」までがぜんぶネタww石田ゆり子が、デビュー前に水泳選手だったのは有名ですが、妹のひかりも水泳をやってたみたいだし、萌歌も、過去作品ではすでに水泳3種目を泳いでるし、姉の萌音は、父親に似て陸上での活躍が多かったらしいけど、やっぱり運動神経がいいから水泳もできるとは思う。なので、石田姉妹と上白石姉妹は「水泳姉妹」でもあります。それを踏まえて、母と娘にバタフライを泳がせれば完璧だったのだけど、(萌歌の残りの4種目目はバタフライです)スタッフはそこを見落としていた可能性が高い!!adieuネタ。 アデュー♪左が親友。右が三代前のシンデレラ。水泳姉妹の妹共演。 小ネタ的には、「エッて言うな」とか「エモ散らかし」とか、カフェオレの欧陽珈琲とかもじわじわ笑えたので、カフェラテ個人的には、最後に萌歌が「ラヴイズオーヴァー」を熱唱すると期待したのですが、それも叶わなかったです…(^^;そこらへんが、テレ朝はまだまだだな。欧陽菲菲— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 15, 2023 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 23, 2023
2023.03.03
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英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の舞台版「となりのトトロ/My Neighbour Totoro」が、WhatsOnStage Awardsにて5冠、ローレンス・オリビエ賞にて6冠を獲得しました。この舞台の発案者は、エグゼクティブ・プロデューサーの久石譲とも言われていますし、はたまた劇作家のトム・モートン・スミスとも言われていますが、詳細はよく分かりません。作曲家の久石譲が舞台化を提案し、宮﨑駿監督がこれを快諾したことで始まったプロジェクト。舞台は、以前から「となりのトトロ」の舞台化を熱望していたRSCが制作。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000096921.html将来のプロジェクトについて話している中で、RSCがモートン=スミスに何か別の、今度は家族向けの舞台のアイデアはないかと尋ねたところ、彼は「となりのトトロ」をやりたいと即答したという。映画作品の舞台化に慎重だったジブリとの調整は難しいという懸念もあったようだが、やがてRSCは、長年ジブリ作品の作曲を手がける久石譲と連絡を取り合うことになる。久石は、RSCで上演されたロアルド・ダール原作の「マチルダは小さな大天才」の舞台版を気に入っており、「となりのトトロ」の舞台版を作ってもらえないか、と考えていたという。 https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/tom-morton-smith-talks-about-my-neighbour-totoro-010623久石譲は、コンサートホールの芸術監督の経験はあるものの、演劇作品のプロデュースの経験はないし、そもそも演劇人ではありませんよね。そんな久石が、英国で演劇(オペラでもミュージカルでもないストレートプレイ)の企画を発案し、なおかつ製作総指揮まで行なうというのは不思議です。むしろ、この企画を考えたのはジョン・ケアードと今井麻緒子ではないでしょうか。周知のとおり、日本版の舞台「千と千尋の神隠し」を企画したのは、この夫婦です。けっしてジブリの鈴木敏夫や宮崎駿の発案ではありませんし、もちろん久石譲の発案でもありません。舞台「千と千尋」の制作発表のときに、今井麻緒子とジョン・ケアードは次のように話しています。今井麻緒子:私がジブリに出会ったのは大人になってからでしたが、あっという間に引き込まれたことを今でも鮮明に覚えています。イギリスで生まれ育った子どもたち、それをそばで見ていた(夫の)ジョンまでもが魅了されてしまって、我が家の何%かは宮﨑ジブリでできていると言っても過言ではないくらい強い影響を受けています。ジョン・ケアード:初めて観た時から、舞台的な、演劇的な作品だと思っていました。これは絶対に舞台になると。鈴木さんと宮﨑さんにお会いした時、絶対に(舞台化を)いいとは言ってくれないだろうなと思っていましたが、何分かお話したら、宮﨑さんが「いいよ」と。上演の許可をいただいて感謝しております。準備のために宮﨑さんの作品を全部観ました。『となりのトトロ』も『風の谷のナウシカ』も観ました。もうひとつ大事なのは、久石譲さん。彼も快く音楽を使っていいとおっしゃってくださいました。 https://ticket-cd.jp/interview/spirited_away/ジョン・ケアード自身が英国版「トトロ」を作ることもできたはずですが、彼の古巣であるRSC(ケアードは現在も名誉アソシエート・ディレクターに就いている)にも、若くて優秀な劇作家トム・モートン・スミスがいます。ジョンと今井は、彼に舞台化を託して、あとは日本側とのコーディネートをすればよかったのだと思う。久石譲をエグゼクティブ・プロデューサーに立てたのは、彼の海外での知名度に期待してのことではないでしょうか。宮崎駿は演劇に関心が薄いし、鈴木敏夫は海外で知名度が高いわけではありません。しかし、久石譲なら、ジブリや北野武の映画のほとんどで音楽を担当していて、海外での知名度が非常に高い。コンサートも欧米の各都市でおこなっています。日本では英国人(出身はカナダ)の演出家であるジョン・ケアードが「千と千尋」を作り、英国では日本人の音楽監督である久石譲が「トトロ」を作った。2つのプロジェクトが無関係であるとは思えません。このような交差的な企画が同時期におこなわれたのは、おそらく国際的な相乗効果を狙ってのことでしょう。日本で「千尋」を見た観客は、英国版の「トトロ」が見たくなるだろうし、英国で「トトロ」を見た観客は、日本版の「千尋」が見たくなるはずです。すなわち、日本版の「千尋」が英国版「トトロ」の世界進出の足掛かりになり、英国版の「トトロ」が日本版「千尋」の世界進出の足掛かりになる、ということ。問題は、日本語と英語の「言語の壁」をどう乗り越えるかです。おそらく、先にアメリカに上陸するのは、日本版の「千尋」ではなく、英国版の「トトロ」になるはずです。英国版「トトロ」が主要な賞を総ナメにしたニュースは、すでに米国側にも伝わってるでしょうし、そもそも英国の作品が米国に進出するのは珍しいことではありません。それに対して、日本語のような非英語圏の作品が米国で受け入れられるのは難しい。とはいえ、米国でも、英国版の「トトロ」を見た観客は、やはり日本版の「千尋」が見たくなるはずです。その際に、言語の壁をどう乗り越えるのか。さまざまな可能性が考えられます。すでに米国の映画館では、日本版の「千と千尋」のライブ映像が字幕付きで上映されました。映像はもちろん、舞台字幕での上演もけっして不可能なことではありません。かりに日本語での上演が困難ならば、現地キャストで英語などの台本に作り替えることになるでしょう。おそらく、すでに何らかの構想やプランがあるのだろうと思います。舞台『#千と千尋の神隠し』北米の約1,000館の映画館で上映決定🇺🇸🇨🇦#橋本環奈 主演ver.は4月23日#上白石萌音 主演ver.は4月27日 https://t.co/mmSYrrZD95— 舞台『千と千尋の神隠し』 (@sentochihiro_st) March 1, 2023
2023.05.01
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実写版「岸辺露伴は動かない」。第9話目になる《密漁海岸》を見ました。映像は、先日放送された映画版をしのぐほど美しかったけど、内容はあいかわらずのナンセンス!これまでになくツッコミどころが満載でしたw◇前半のテーマは医食同源。というよりも「薬毒同源」ですね。毒をもって毒を制すれば、毒にも薬にもなる。食材や生薬の探究に貪欲なのは、イタリア人よりも中国人のような気がするけど、ナポリ出身のトニオさんは、あらゆる食材をイタリア薬膳料理にしてしまう!…そして後半のテーマは密漁者の捕獲。アワビの密漁法を記した古い指南書が、じつは密漁者を死に追いやるための罠だった…という話。密漁者も、密猟者も、そうやって捕獲すりゃいいのね!なお、露伴先生が溺れるシーンで使われたのは、能「阿漕あこぎ」の謡だったらしい。伊勢神宮御用の禁漁区だった阿漕ヶ浦の話です。https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_070.htmlクライマックスで流れる謡は、能の演目「阿漕」をアレンジしたもの。渡辺監督は「歌詞自体も漁師が禁漁区で漁をしてひどいめにあってしまうというもので、音楽の菊地成孔さんがアレンジして作って下さいました。露伴が墓場に着いた時に流れるのは法華経です」と会見で説明していた。「#岸辺露伴は動かない」 #密漁海岸 クライマックスで流れる謡は?#高橋一生 #トニオhttps://t.co/lbuanvhRcq— シネマトゥデイ (@cinematoday) May 10, 2024 1.密漁海岸は加賀の潜戸?阿漕ヶ浦があるのは三重県津市ですが…巨大アワビに襲われた密漁者たちの死体が漂着し、その遺骨が大量に転がってる岩場には、大きな風穴(海食洞門)と小さな鳥居がありました。そこはまるで、島根半島の「加賀の潜戸くけど」のようです。加賀の潜戸は、水子供養の霊場だったと思われる賽の河原で、古代の海人族わだつみの聖地ともいわれてます。小泉八雲や水木しげるを惹きつけた加賀の潜戸。水木しげるは、境港で死体が漂着する話もしてる。>> 水木しげると小泉八雲と国引き神話。>> 水木しげると境港と一畑薬師。…そういえば第5話の《背中の正面》も、松江の「黄泉比良坂よもつひらさか」がネタ元だろうと思うけど、岸辺露伴に出てくる怪異譚って、じつは島根県に取材してることが多いのかもしれません。そこから察すると、露伴先生のモデルは、幸田露伴よりも小泉八雲じゃないのかしら?…島根県といえば、出雲大社の御神体は「巨大な九穴アワビ」との説があります。同じような「九穴の貝」の伝承は日本各地にあって、それを食べれば不老長寿を得るといわれてる。今回のヒョウガラクロアワビも九穴の貝だったのかな。九穴って、人間の男性と同じ数だけど、密漁者を食い殺したアワビが九穴になるのかもね!2.ヒョウガラ列岩は明神礁?ヒョウガラ列岩に棲息してたのが、ヒョウガラクロアワビだったわけですが…ヒョウ柄って、そんな大阪のおばちゃんみたいな岩があるの?そのヒョウ柄の岩に張りつくから、クロアワビも保護色でヒョウ柄になるってか?映像を見たところは、どこがヒョウ柄なのかよく分かりませんでしたが。◇なお、ネットで「列岩」を調べてみましたが、日本の場合は、明神礁みょうじんしょうのベヨネース列岩しか出てこない。たぶん列岩というのは、海底火山で隆起した岩礁群なのだと思います。ちなみに、海人・海神わだつみは、新海誠「天気の子」や山崎貴「ゴジラ-1.0」に関係しますが、明神礁は、本多猪四郎の初代「ゴジラ」に関係します。初代ゴジラのモデルになった事件は、1952年に明神礁の噴火で遭難した第五海洋丸と、1954年にビキニ環礁で被爆した第五福竜丸だからです。(前者は海上保安庁の測量船、後者は遠洋マグロ漁船)3.蛸とアワビの吸着力。巨大なアワビが顔に張りついて死にかける場面は強烈!そんな危機を救ったのがアワビの天敵の蛸たこ。実際、タコの8本足の吸着力は、アワビを引き剥がすほどに強力なのだそうです。日本沿岸に棲息する蛸だけに、ヘブンズドアの命令も日本語で話が通じるのかしら?つーか、蛸にヘブンズドアが出来るなら、アワビにだって出来るでしょwついでに六壁青蛙ムツカベアオガエルにも!◇蛸はアワビを退治してくれましたが、そのまま蛸が顔に張りついたら死んじゃうよね。それもヘブンズドアで乗り切ったのかな。…とにもかくにも、アワビ成分入りの蛸料理を食べたおかげで、初音さん(蓮佛美沙子)の病はすっかり快癒したらしく、美味しそうなクロスタータ(イタリアのタルト)を作ってくれました。あれって、絶対グレープフルーツのジャム入りでしょ!そうでなきゃ頭の腫瘍はどこ行ったの?どうして食べても何の反応も起きないの?オチがなさすぎww大量のジャムを使うクロスタータ!
2024.05.11
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NHK「地球ドラマチック」を見ました。今回は《ネアンデルタール人 vs ホモサピエンス》です。以前、縄文人と弥生人の遺伝子分布の記事を書いたときから、ネアンデルタール人とホモサピエンスの関係にも、ちょっと興味があったのよね♪◇最初に問われるのは、「なぜホモサピエンスだけが生き残ったのか?」「なぜネアンデルタール人は絶滅したのか?」…ってことなのだけど、実際は、ネアンデルタール人が絶滅したとは言いきれず、現生人類の遺伝子の数%のなかに生き残ってる。その意味では、われわれの先祖だと言っていい。NHK Eテレ 06/08 19:00 地球ドラマチック ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhketv #地ドラ #地球ドラマチック https://t.co/3qwgiyAEjd— NHK Eテレ(教育テレビ) (@NHK_ETV) June 8, 2024◇たしかに、純血のネアンデルタール人は絶滅したけれど、それをいうなら、アフリカ以外の地域では、純血のホモサピエンスもまた絶滅してしまって、いまや両者の混血しか残っていません。しかも、(今回の番組では取り上げられませんでしたが)以下の研究結果によれば、現在のアフリカ人のなかにさえ、ネアンデルタール人の遺伝子は混じってるらしい。アフリカ人にもネアンデルタール人DNA、定説覆す: これまでアフリカ人はネアンデルタール人由来のDNAをほとんど持たないとされてきましたが、新研究で覆されました。ヒト族の交雑の歴史は思ったより複雑です。 https://t.co/XVchHvAMUN #ナショジオ— ナショナルジオグラフィック日本版 (@NatGeoMagJP) February 3, 2020これは何を意味するか??…わたしが思うに、少数の凶暴なネアンデルタール人が、大多数のホモサピエンスとの交配を繰り返して、純血のホモサピエンスを駆逐したのでは?ってこと。ホモサピエンスがネアンデルタール人を駆逐したのではなく、ネアンデルタール人が純血のホモサピエンスを駆逐した、というほうが正しいのではないかしら?◇今回の番組に則していうと…ネアンデルタール人は、ヨーロッパをはじめとする北方に進出した狩猟種族で、資源の乏しい過酷な環境で狩りをしながら生き延びていた。ホモサピエンスよりも脳の体積が大きく、背は小さいけれど筋力が非常に強く、肌の色は白くて、瞳や髪の色も明るかった。木製の槍や火を使いこなし、アフリカゾウの2倍も大きいアンティクウスゾウを、協働で追い込みながら狩ったりしていた。子音や母音を発声できる舌骨をもち、装飾品を作る芸術的な能力ももっていた。30人程度の集団で生活をし、他の集団から女性を迎えて(あるいは略奪して?)いわゆる父系社会を構成していたようです。しかし、資源の乏しい環境に生きたネアンデルタール人は、最大でも総人口が7万人ほどしかおらず、孤立した集団などでは近親婚を繰り返し、その結果、遺伝的な多様性を失って、さまざまな環境変化に適応できなくなっていった。◇ホモサピエンスが、現在のネグロイドの直接の先祖、つまり、アフリカの黒人そのものなのに対して、ネアンデルタール人は、現在のコーカソイドに似ていて、つまり、ヨーロッパの白人に近いように思える。ホモサピエンスが、温暖なアフリカで繁栄した採集種族だとすれば、ネアンデルタール人は、寒冷なヨーロッパを生き延びた狩猟種族ですし、どちらが狂暴だったかは想像に難くありません…。◇これは、あくまで、わたしの想像だけど、人口の増えすぎたホモサピエンスは、アフリカを出て中東からヨーロッパへと進出した。そして、そのとき、ネアンデルタール人の一部は、近親婚を回避すべく、ホモサピエンスの女性を略奪し、混血交配を繰り返しながら遺伝子を残したのでは?そして、その際に、競合するホモサピエンスの男性を排除すべく、殺戮を行った可能性もあるんじゃないかしら?◇考えてみれば、南北アメリカの白人入植者たちも、先住民族やアフリカ人奴隷を虐げながら、その女性たちとの混血を進めてきたわけです。これは、北方の凶暴なネアンデルタール人が、南国の従順なホモサピエンスと混血してきた歴史を、現代において継続してるってことではないかしら?
2024.06.15
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プレバト俳句。インテリ&東大王3時間SP。「林修の名人認定査定」「プレバトvs東大王 秋の他流試合」という2本立て。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、後半部分の他流試合についての個人的な感想です。お題は「文房具」でした。◇わたしとしては、岡本沙紀の句がいちばん良かったです。シャー芯を ストンと補充 秋高しここで詩情を生み出しているのは、「ストン」という音と、「秋高し」という季語なのですが、その気持ちのよさや清々しさが、うまく響き合っていると思います。でも、それ以上に見事なのは、「シャー芯」と「補充」という表現です。言葉の経済効率がすごくいいですよね。「シャー芯」というだけで、主人公が若者(たぶん中高生)だと分かるし、「補充」というだけで、何かに備えて準備していると分かってしまう。つまり、たった2つの単語だけで、試験前や受講前の中高生だと分かってしまう仕組み。それが分かると、「ストン」という音や、「秋高し」という季語が、たんに気持ちのよさや清々しさだけでなく、青春らしい若々しさとか、自信とか希望まで伝えてきます。◇次。ちょっと違和感を覚えたのが、鶴崎修功の句です。休暇果つ ノートに新規性ひとつ「ノートに新規性ひとつ」は、オリジナリティがあって面白いと思うのですが、「休暇果つ」の意味合いが、いまひとつ分かりません。そもそも、これが季語だとは知らなかったのですが、「夏休み明け」を意味する秋の季語だそうです。わたしが分からないのは、ここでの「休暇」の意味合いです。作者の説明を聞くと、「休暇中なのに発見ができた」という意味ではなく、「休暇中にかろうじて一つ発見ができた」という意味であり、さもなくば、「休暇中なのに一つしか発見できなかった」という意味なのです。つまり、「休暇」とは言いながら、この作者は、ちっとも休んでいないのです。そこにこそ面白さがあるのかもしれませんが、わたしは、むしろ、そこに違和感を覚えます。そもそも、読んだだけでは、「発見できた」と喜んでいるのか、「発見しきれなかった」と悔やんでいるのか、作者の心情が見えてきません。本来なら「休暇果つ」という季語は、これから学業や仕事が始まる季節を表すのでしょうけれど、作者の場合は、まったく逆で、「学業に専念すべき期間が終わった」という意味で使っている。大学院生は(というより日本人は)、そもそも休暇中に休まないという前提があるのかもしれませんが、そうだとしたら、「休暇」という言葉の本来の意味も、「休暇明け」とか「休暇果つ」という言葉の本来の意味も、薄らいでしまうどころか、まったく逆転してしまいます。そのことを肯定的に評価できるのかどうか、それが、わたしには、かなり疑問です。◇鈴木光の句も、ちょっと分かりにくかったです。封筒の刃痕や ボンの月の暈「ボンの月の暈」という表現は素敵だし、いかにもドイツっぽい情景だなと思います。わたしが分からないのは「封筒の刃痕」のほうです。そもそも、わたしには、主人公がドイツにいるのか、日本にいるのかが分からない。作者の説明によると、日本にいて、ドイツを思い出しているのだそうです。つまり、季語をふくむドイツの光景は、現在の映像ではなく、作者の記憶のなかの映像なのです。その時点で、季語の鮮度が一段落ちています。それは、まあいいとして、とにかく作者は、封筒を見てドイツを思い出したらしいのですが、それを思い出させたのは、「封筒の文字」でもなければ、「封筒の色や香り」でもなく、不思議なことに「封筒の刃痕」だというのです。これがわたしには分からない!「刃痕」だけで何かを思い出せるものでしょうか?日本とドイツでは「刃痕」が違うのでしょうか?ハサミで切ろうと、ペーパーナイフで切ろうと、刃痕なんて、さほど変わらない気がしますが。それとも、ドイツで封を切った当時の心境が、なにか特別なものだったのでしょうか?ドイツで悲しい失恋でもして、ぷるぷる震えながら、その封を切ったのでしょうか?あるいは、なにか重大な通知でも受け取ったのでしょうか?よほどの緊張や、不安や、悲しみでもなければ、「刃痕」を見ただけで何かを思い出すなんてことは、そうそう無いだろうと思います。すくなくとも、わたしは、封筒の切り口を見ただけで、「刃痕や!」というほどの感興を覚えたことはありません。むしろ、日本でドイツを思い出しているのではなく、現在、主人公がドイツにいて、たった今、重大な封筒を開けたばかり、と解釈するほうが、「刃痕」のリアリティも強まるし、季語の「月の暈」の鮮度も上がると思います。◇次に、フジモンの句。秋雲に名をつけ 窓に貼る付箋いつものとおり、可愛らしい句ですよね。これを見て難しいなと思ったのは、「窓に貼る付箋」の語順です。「窓に付箋 貼る」ともできるし、「付箋 窓に貼る」ともできますよね。貼られた付箋のことを言うか、付箋を貼っていく行為のことを言うか、それによって語順が変わると思いますし、あるいは、これから貼る付箋のことを言うか、次々に貼られていく付箋のことを言うか、すでに窓に貼られた付箋のことを言うか、それによっても言い方が変わると思います。1枚の付箋なのか、たくさんの付箋なのか、それによっても違ってくるかもしれない。どれが正解か分からないけど、わたしなら「窓に 付箋貼る」としたかも。◇最後に、梅沢富美男の句。暮れてゆく 秋の飴色 セロテープ夏井先生は、この句をたいそう褒めていました。でも、(志らくも言ってたけど)どこに貼られたセロテープなのかを言わないと、ちょっと映像の具体性に乏しいと思いました。わたしとしては、うまく上五のなかに季語を組み込んで、「壁の飴色セロテープ」にしたほうがいいと思います。
2020.09.25
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『鬼滅の刃』の世界観は、日本の記紀神話に関係しており、山民・山伏などアジールの歴史にも関係するのですが、それはとりわけ、禰豆子のキャラ設定のなかに集約されていると思います。◇『鬼滅の刃』の世界において、謎を解く鍵になる最重要キャラは、すくなくとも3人。まずは、鬼の元祖である鬼舞辻無惨。さらに、鬼殺隊当主である産屋敷耀哉。そして、炭治郎の妹である禰豆子です。なぜ禰豆子は、鬼になっても人を喰わないのか?このことが、鬼舞辻や産屋敷の出自とともに、鬼の謎を解くための大きな鍵になっています。◇禰豆子の名前の由来は何でしょうか?眠ってばかりいるのに「寝ず子」?禰(=父祖の霊力)豆(=鬼を払う霊力)子という意味合いを考えれば、おそらく竈門家の父方が、鬼にも屈しない特別な家系であり、なかでも禰豆子は、その血をもっとも強力に受け継いだ子なのでしょう。この漫画の当初のタイトル候補として、「鬼狩りのカグツチ」「炭のカグツチ」などがあったらしいので、竈門家の父方は、おそらく日本神話のカグツチに連なるはずなのです。歴史学者の岡田英弘は、倭国の最初の王の名が「禰」(でい)だったと唱えていますが、いずれにしても特別な家系であることをうかがわせます。◇日本神話でイザナギとイザナミが産んだ三貴神のうち、アマテラスは皇祖神であり、鬼を死滅させる太陽の女神でもあります。スサノオは草薙剣を振るった武力神であり、桃太郎の鬼退治伝承に重なる部分があります。ツクヨミは月と仁慈の神であり、竹取物語のかぐや姫に重なる部分があります。(ちなみにツクヨミが男神か女神かは不明です)これに対して、カグツチは、火の神として産まれ、そのせいで母のイザナミは焼け死んでしまいました。ヒルコという神も、異形の子として生まれ、海に捨てられてしまいました。◇わたしの仮説ですが、カグツチに連なるのが禰豆子の父方の竈門家であり、ツクヨミに連なるのが禰豆子の母方ではないかと思っています。というのも、禰豆子には、カグツチとツクヨミの両方の要素を感じるのです。竈門家は、アマテラスやスサノオのように、勧善懲悪的に鬼を退治してきた天皇家や桃太郎とは違います。むしろヒルコやカグツチのように、鬼にさえも共感するような不遇な面をもっているのです。(ヒルコに連なるのが「鬼」なのかもしれません。)また、禰豆子の長い髪や、くわえている竹や、大きくなったり小さくなったりする体、さらに一般の人間にはない特殊な能力には、月の住人であるかぐや姫との類似性が感じられるし、人への慈しみはツクヨミに通じるものに思えるのですよね。◇一般には、アマテラスこそが「太陽神」(日の神)であるとされ、だからこそ、それに連なる天皇家は鬼を退治してきました。しかし、『鬼滅の刃』の世界では、カグツチこそが「火の神」であり「日の神」であるとされます。そして、それに連なる竈門家の人々は、たんに鬼を退治するのではなく、鬼を人に戻すことができると信じるのです。◇◇禰豆子は体を小さくして木箱に収まっています。この木箱には、3つの由来が考えられます。1.背負子(しょいこ)本来は、炭焼きの薪を背負うための道具で、木を梯子状に組んで作ったものです。二宮金次郎の銅像も背負子に薪を積んでいます。2.笈(おい)本来は、修験者が法具などを運ぶためのもので、背負子に箱をのせたものを「板笈いたおい/縁笈ふちおい」と呼び、箱そのものに肩帯を付けたものを「箱笈はこおい」と呼びます。炭治郎や武蔵坊弁慶が背負っているのは箱笈のタイプです。3.まわり地蔵江戸時代、日本の各地には、村の家々に地蔵を巡回させる風習があり、現在でも、笈に地蔵を入れて運ぶ地域が残っています。疫病退散や子宝祈願などの御利益があったようです。もともとは旅の修行僧が村にもちこんだものとも言われています。木箱に小さく収まった禰豆子は、修験者や炭焼にとっての守り神のような存在なのかもしれません。◇◇最後に、彼岸花という植物についてまとめておきます。TVアニメのエンディング「from the edge」のときにも出てきますが、仏教における曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも同一視される謎の植物です。英語でいうと「red spider lily」(赤い蜘蛛百合)ですね。柿本人麻呂が、万葉集で、「路邊 壹師花 灼然(道の辺の 壱師の花の いちしろく)…」と詠んだのも、赤い彼岸花だったとされるのですが、これについては賛否が分かれています。彼岸花=曼珠沙華は、球根に毒をもち、日本では墓地に生えていることが多く、「死人花」「地獄花」「幽霊花」などとも呼ばれており、その「罪」のイメージが山口百恵の曲になったり、その「諦め」のイメージが小津安二郎の映画になったりしています。赤い炎のような花の姿は「火」のイメージにも結びつけられます。かつて日本の墓地に多くの彼岸花が植えられたのは、秋のお彼岸のころに花を咲かすからだけでなく、その球根の毒によって、土葬された遺体を食害から守るためでもあったようです。◇彼岸花=曼珠沙華には、しばしば不気味で不吉なイメージがつきまとうのですが、じつは、そこに花の「色」の問題が絡んでいます。仏教における曼珠沙華は、説法をする釈迦の頭上に天から降った聖なる花であり、「मञ्जूषक/mañjūṣaka=赤い」という梵語に由来するのですが、本来は、一目見ただけで悪業から救われるような白い花だった、ともいわれているのです。一方、山口百恵の「曼珠沙華まんじゅしゃか」の歌詞では、曼珠沙華 恋する女は 罪作り白い花さえ 真紅に染める白い夢さえ 真紅に染めるというように歌われています。ここでは、曼珠沙華の赤い色が罪業の象徴になっていますが、もともとの仏教では、むしろ紅蓮ぐれんの花こそが地獄に落ちた者の血のような色だ、とされていたのです。◇『鬼滅の刃』の世界においては、青い彼岸花が存在するとされています。日本原産の青い花といえば、代表的なものは藤です。藤は、マメ(豆)科であるのみならず、強い日光を好む植物でもあるので、『鬼滅』において、鬼はとりわけ藤の花を嫌うとされています。ちなみに飛鳥時代、中臣鎌足は、藤の花のもとで中大兄皇子と謀議をしたことから、蘇我入鹿を討ったのちに「藤原」の姓を賜ることになりました。その次男の不比等が藤原姓を受け継いで、大宝律令選定や平城京遷都や日本書紀編纂などの事業に影響力をふるうと、藤原氏はさらに天皇との結びつきを強めて権勢を誇り、やがて佐藤、斎藤、伊藤、後藤、加藤、遠藤…などの姓を派生させていきます。すなわち、日本史的に見ても、藤という植物は最強だったのです。かりに、 白 から赤にではなく、強い日光を浴びた藤と同じように、 白 から青に変異した彼岸花/曼珠沙華があったなら、それは、鬼の性質をも変異させるのかもしれません。
2020.11.03
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萌音は、一見するとドンクサそうに見えるけど、じつは、とても運動神経がいい。…ということにわたしが気づいたのは2019年。TBSの「関口宏のフレンドパーク」に出てるのを見たとき。つまり「恋つづ」の番宣のころです。ああいう、ゆる~い遊びやゲームでも、タレントの勘の良さとか、運動神経の良さって、けっこう分かりますよね。◇萌音は、どのゲームでも、すぐに器用にコツをつかんで、とても上手にやっていた。サラッと、簡単そうに。見ていて「勘がいいんだなあ…」と思いました。だんだん分かってきたことですが、彼女は、子供のころからミュージカル教室に通って、バレエやら何やらのダンスをいろいろ踊ったりして、いまでも脚が縦に180度開くほど体が柔らかい。そして、このたび発売されたエッセー集を読むと、もともとお父さんが陸上の選手で、彼女もその血を受け継いで足がとても速く、運動会ではたいてい1等賞だったとか、リレーにも選ばれていたとか書いてある。◇小柄な見た目からは想像できないけれど、彼女の度胸の良さとか、頭の回転の速さというのは、おそらく「体の動かし方を知っている」というところから来ている。そういう面は、かなり大きいと思う。一方、妹の萌歌はというと、姉のように足が速いかは分からないけど、すでに水泳4種目が泳げることは知られているし、「平泳ぎなら永遠に泳げる」とも言ってたので、やっぱり運動神経は良いんでしょう。追記:萌歌も「意外に足は速い」とのこと。紅白リレーなどにも出てたそうです。◇一般には、姉妹とも読書家で、どちらかというと文学少女的なイメージが強いし、とくに萌音のほうは、役柄のうえでも地味キャラを演じることが多く、たぶん今後もそれは変わらないだろうけど、じつは二人ともけっこう肉体派なのです。◇そういう意味では、ヨーヨーもろくに出来なかった漫画オタクの由貴ちゃんとは素材が違う…。でも、まあ、なんだかんだで、由貴ちゃんも歌とか絵とか文章とか、いろんなことが器用に出来た人だとは思いますが。
2021.10.03
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亀鳴くやお辞儀が深いグラウンド 抱きしめた子の髪ふわり菖蒲の香 尾を張って猫も眺める鯉のぼり 飛び石の蛙声静まる靴の音 竹割つて垂直線のこどもの日 函嶺のスイッチバック朝燕 暁光や桜隠しの五稜郭プレバト俳句。お題は「ゴールデンウィーク」。なかなか勉強になりましたが…勝村政信が出場する回は、彼に対する評価の是非にかかわらず、いつも内容がハイレベルになりがちですよね。解説も、ちょっと難しいことが多い。「昭和の日」「憲法記念日」「みどりの日」までが春の季語、「こどもの日」からは夏の季語だそうです!知りませんでした…。◇キスマイ横尾。函嶺かんれいのスイッチバック 朝燕函嶺とは箱根山の別称だそうです。※「箱(はこ)の山」=「函(はこ)の山」ですね。スイッチバックするほど急峻だってことですが、なんとなく字面からも、北海道の「函館」のイメージなどが相俟って、いかにも寒冷・峻厳な山のように見えてくるし、それがまた朝燕の清々しい映像と響き合ってます。◇高橋真麻。抱きしめた子の髪ふわり 菖蒲しょうぶの香抱きしめる子に菖蒲湯の香のほのか(添削後)中七の「ふわり」は、下五の「香」と重複した無駄な音数合わせの感がある。まあ、添削の「ほのか」も音数合わせには違いないけど、原句よりは意味のあるものになってるし、やはり風呂上がりだと明示したほうがいいですね。◇ぼる塾田辺。亀鳴くや お辞儀が深いグラウンド亀鳴くや お辞儀の深きグラウンド(添削後a)亀鳴くや 一礼深きグラウンド(添削後b)口語で「お辞儀が深いグラウンド」と言うと、え?どゆこと?グラウンドさんがお辞儀してるの??…みたいになりがちだけど、なぜか文語で「一礼深きグラウンド」と言うと、情景も見えてきて不思議と成立してしまう感じはある。季語の「亀鳴く」は知りませんでしたが、のどかな春の昼、あるいは朧の夜の描写だそうです。◇勝村政信。飛び石の蛙声あせい静まる靴の音飛び石をゆけば蛙の声やみぬ(添削後)出ましたっ、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」のパクリ判定っ!…まあ、勝村に対する評価が、一般の出場者よりも厳しめってのはあると思います。一読したときには、とくにパクリだとは感じなかったのですけど、たしかに、添削句と比べてみると、原句がつまらないパロディに見えてきますねw…それはそうと、芭蕉の原句も原句で、「水のない池があったら持って来いっ!!」とか、「音のしない飛び込みがあったら持って来い!!」とか、総じて「水の音のしない池の飛び込みがあったら持って来い!!」とか、下五の必要性に疑問を感じるところはありますし…本当に《名句》と呼びうるのか怪しい面がありますwわたしなら芭蕉の句にボツッ!!◇梅沢富美男。暁光や 桜隠しの五稜郭桜隠しや 暁の五稜郭(添削後)季語ではない「暁光」を上五で切って強調し、下五にも重みのある「五稜郭」を置いた結果、中七の季語「桜隠し」が埋没してしまった、とのこと。これまた、なかなか高度なダメ出しです。その理屈は分かるのですが、あらためて原句と添削句を見比べてみても、ちょっと甲乙つけがたい気はします…。◇中田喜子。竹割つて垂直線のこどもの日竹を割る垂直線や こどもの日(添削後)これも、原句と添削句の優劣を判断するのは、正直、なかなか難しいと思うのですけど、ワンカットで穏当にまとめるよりも、ツーカットに分けることによって、あえて二物の衝撃性を強調すべきってことでしょうね。◇中川翔子。尾を張って猫も眺める鯉のぼり尾を立てる猫よ 鯉のぼりは風に(添削後)才能ナシの35点って、ちょっと厳しめの評価だとは思うけど、たしかに、いろいろ欠点はあるのですよね。上五の助詞「て」は、経緯の説明っぽいし、動詞の主語も曖昧なので、まずは「尾を張った猫」として動作主体を明確にすべき。また、中七の助詞は「も」である必要性がないので、ふつうならな「猫の眺める」とすべきですね。尾を張った猫の眺める鯉のぼりただし、「張った」と過去形にするよりも、「張る」と現在形にしたほうがいいし、そもそも「尾を張る」という独特な表現の是非も問われますし、「張る」「眺める」「のぼる」と動詞が多いのも欠点かもしれない。さらにいえば、猫の低い視界から考えると、高所にある鯉のぼりに関心を示すのは不自然に思えるし、かりに関心をもったとしても、大きくゆらめく鯉のぼりに警戒こそすれ、尻尾を立ててゴキゲンになるとは考えにくいのですよね。つまり、ここで詠まれてる情景ってのは、作者が頭のなかで空想しただけの、現実味の乏しいファンタジーじゃないかと思います。…ってことで、先生の添削では、この嘘っぽい因果関係を断ち切って、2カットの取り合わせに直しています。ちなみに、作者自身は、猫と鯉の両方に掛けて「尾を張る」としたらしいので、※助詞の「も」を使ったのは、たぶん「猫も鯉も尾を張る」の含意だったのでしょうね。添削句では、動詞を用いずに、風を吹かせることで鯉のぼりの尾を張らせています。
2022.05.02
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完全保存版「絶対覚えておきたい!究極の短歌・俳句100選」。第2回のテーマは「人生の岐路」。今回も型破りな俳句が多く、とりわけ無季の句については、「川柳との違いは何か」を考えさせられました…。◇松尾芭蕉。荒海や 佐渡によこたふ天河あまのがわ(江戸時代)季語は「天の川」で秋。芭蕉らしからぬ雄々しい壮大さ。前段は視線が下にあるのに対して、後段は視線が上にあるというのだけど…どうしても「横たわる=寝る」のイメージがあるので、何故この動詞を使ったのか疑問にも思う。湖ならばともかく、荒海に星空が映るはずもないし…。天の川が佐渡ケ島を布団にしているように見えたとか?あるいは、自分が寝そべっていたせいで星空が「眼下」に見えたとか?もしかしたら「横たふ」という動詞は、たんに《水平に伸びる》というだけの意味で、かならずしも《床に寝る》という意味ではないのかも。◇正岡子規。糸瓜へちま咲て痰のつまりし仏かな(明治時代)思わずプッと笑ってしまう内容だけど、肺結核で死ぬ直前に詠まれたらしい。ものすごいユーモア。糸瓜は結核の薬だったそうで、「いまごろ咲いても間に合わない」という皮肉な恨み節ととれなくもありません。本来なら、季語は「糸瓜の花」で晩夏なのだけど、この句は秋に読まれたため、季語は「糸瓜」と見なすとのこと。しかし、そういう解釈はちょっとおかしい。つまり、晩夏に咲いていれば間に合ったのに、秋の「糸瓜の花」では遅すぎた、ということだろうと思います。季語の概念を逆手に取っているのでしょう。◇石田波郷。七夕竹たなばただけ 惜命しゃくみょうの文字隠れなし(昭和戦後)季語は「七夕竹」で初秋。これも肺結核がらみの句。竹の葉や短冊が重なる中に「惜命」の文字だけは隠れていなかった。…というより、そこだけがはっきり見えてしまった。ユーモアなのか、それとも抑えきれない切実な願いなのか。◇日野草城。見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く(昭和戦後)無季の句。こちらは緑内障による失明の句。自分の習性を笑ったユーモアのように見えるし、無季なだけに、川柳にも見えないことはない。しかし、ある種の哀れみを感じることも出来るし、人生の春夏秋冬でいえば「秋」の俳句なのでしょうか?◇林田紀音夫。鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ(昭和戦後)5・5・8の破調。無季の句。孤独への自嘲とも、あるいは侘しさともとれる。これも川柳にも見えないことはない。でも、人生の春夏秋冬でいうならば「冬」の俳句かな。◇久保田万太郎。湯豆腐や いのちのはてのうすあかり(昭和戦後)季語は「湯豆腐」で冬。一年の春夏秋冬においても、人生の春夏秋冬においても、まごうことなき冬の句。ーー人生関連の句はここまでです。◇永田耕衣。泥鰌どじょう浮いて鯰なまずも居るというて沈む(昭和戦後)6・7・6の破調。季語は「泥鰌」と「鯰」で、夏の季重なり。ドジョウが出てきて「こんにちは」と言うのかと思いきや、ぶしつけに「ナマズもいるぞ」と言って沈んでいったという、客観写生でもなければ心情表現でもない、まったくのフィクション。得体の知れない底なし沼を写生してると言えなくもないけど…もしかして柳川鍋ばかり食べる人間への恨み節?(作者は関西の人ですが)どうみても主役は「泥鰌」だと思うのだけど、一般に、この句の季語は「鯰」だとされているようです。…なぜ?◇波多野爽波。チューリップ花びら外れかけてをり(平成)季語は「チューリップ」で晩春。なんとなくフルポン村上的な作風ですよね。「落ちる」ではなく「外れる」という動詞の面白さ。チューリップが日本で栽培されはじめたのは大正以降だそうです。俳句そのものは平成になって詠まれたようですが、大正生まれの作者にとって、いまだ外来植物への物珍しさもあったでしょうか?
2022.08.22
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NHK「ブラタモリ」の境港・米子編を見ました。水木しげるの生誕100周年にちなんで、鳥取県の境港市にスポットライトを当てていました。この土地は、現在は「弓ヶ浜半島」(=鳥取の尻尾)の一部になってますが、もともとは砂洲で出来た島だったらしい。その名も、なんと夜見島よみのしま!今から1200年ぐらい前、つまり、奈良の終わりから平安の初めごろに、砂洲が拡大して米子地域と陸続きになったのです。弓ヶ浜という名前も、「砂浜の形が弓のようだから」と思われがちですが、その別名は「夜見ヶ浜」です。夜見の語源は、いうまでもなく「黄泉よみ」。というよりも、古代日本語の「ヨミ(黄泉)」が、もともと「夜見」「闇」から転じていると言うべきかもしれません。ちなみに、弓ヶ浜半島は、島根半島の側とは繋がっておらず、幅200~600mほどの「境水道」が鳥取と島根の県境になっています。水木しげるも漫画に描いていましたが、この境水道の南側と北側とでは地形がまったく違います。弓ヶ浜半島が低く平らな土地であるのに対して、島根半島は急峻な山地です。弓ヶ浜半島。境水道を挟んで島根半島の東端部分に向かい合っている。1.国引き神話もともと島根半島の周辺は、神話の世界ですよね。半島の西の付け根には出雲大社があり、海へ突き出した部分には、日御碕神社、佐太神社、美保神社が並んでいる。今回の番組も、まさに「国引き神話」を彷彿とさせる内容でした。…まずは、島根半島の成り立ち。今から2000万年前に、日本列島となる部分がユーラシア大陸から離れ、さらに1500万年前に、フィリピン海プレートの沈み込みによって日本列島全体が隆起。その後のさらなる圧迫により、島根の沖合で断層が隆起し、これが島根半島の原型になったらしい。たぶん最初は島だったのでしょう。…かたや、出雲国風土記に書かれてある「国引き神話」では、八束水臣津野ヤツカミズオミツヌという神さまが、朝鮮半島と、隠岐の島と、能登半島のそれぞれから、あまった土地を綱で引っ張ってきて 現在の島根半島を作ったのだとされています。http://www.route54-shinwa.gr.jp/prof/p_his.htmhttps://www.mapple.net/articles/bk/18942/実際、島根半島から見ると、西側200kmあまりに朝鮮半島があり、正面の50kmほど沖合に隠岐の島があり、東側200kmあまりに能登半島があります。半島の付け根にある三瓶山と大山に縄をくくりつけ、ものすごい怪力で、三方から土地を引き寄せたのですっ!2.漂着する砂~神々と妖怪すでに現在の島根半島は、出雲と松江の2箇所で砂洲が繋がり、本州と陸続きになっています。前述のとおり、境港の砂洲も幅200mのところまで迫っている。番組のなかでも解説されていましたが、島根半島が本州と砂洲で繋がる原理は、離岸堤が海岸と陸繋砂州(トンボロ)で繋がる原理と同じ。つまり、海流が内側に回り込んで砂が堆積するのです。事実、米子市の皆生温泉地区にある離岸堤とトンボロの形が、現在の島根半島の形にそっくりでした!西側の砂洲が出雲、中央の砂洲が松江、東側の砂洲が境港。ちなみに砂洲の根元部分にあるのが三瓶山(西側)と大山(東側)。◇しかし、この土地に流れ着いたのは砂だけではないはずです。神さまが土地ごと綱で引っ張ってきたというのは、さすがに神話的なファンタジーだと思いますが、たとえば朝鮮半島や隠岐の島や能登半島からは、海流に乗って漂流民が流れ着いたのかもしれません。また、ご承知のとおり、西側の出雲(稲佐の浜)には列島の神々が流れ着くのだし、東側の境港(水木しげるの故郷)には妖怪たちが流れ着くのですよね。島根半島の東端にある美保神社は事代主神を祀っていますが、それも漂流の神であるヱビス神の別名なのであり、ある種の妖怪というべきヒルコ神の別名でもあります。3.松江の小泉八雲現在の境港市はかつて「夜見島よみのしま」だったのですが、一般に「黄泉の国」があると考えられているのは、むしろ松江市ですね。それこそ『岸辺露伴』の六壁坂の話じゃありませんが、松江市の揖夜いふや神社にほどちかい黄泉平坂(=平境ヒラサカイ)こそが、黄泉の国との「境界」なのであり、そこを黄泉醜女という妖怪が追ってくるのです。小泉八雲も、松江市でこそ多くの怪談話を収集しました。おそらく「夜見島」が陸続きになる以前は、松江の砂州にこそ多くの神々や妖怪たちが漂着したのでしょう。ちなみに松江市の神魂かもす神社は、出雲国造家の起源だとされています。砂州の北端にあたる大橋川沿いの石屋古墳では、最古の埴輪も発見されています。砂州の南端には、かつての出雲国庁があり、勾玉造りの拠点もありました。トンボロ形成の原理から考えれば、おそらく最初に中央の松江地域の砂洲が作られ、その次に西側の出雲地域の砂洲が作られ、(宍道湖の誕生は約1万年前だとされています)最後に東側の境港の砂洲ができたのではないでしょうか。それにともなって、大社おおやしろの立地が、松江から出雲へ移転したのかもしれません。 ⇒ 「歴史探偵」出雲の回でもこれに関連する話題が出ていました。先の神話によれば、神さまが島根半島を引き寄せる際、三瓶山にくくりつけた綱が出雲の砂洲になり、大山にくくりつけた綱が境港の砂洲になったとされています。おそらく神話的な記憶のなかにも、それらの土地が新しいものだという知見は残っていたのでしょう。◇ところで、こうした砂洲はあくまで黄泉の国との《境界》でしかありません。はたして「黄泉の国」そのものはどこにあるのでしょうか?それは、神々や妖怪たちを運んでくる日本海であり、あるいは、隆起した島根半島全体を覆っている森でしょう。とりわけ島根半島の中央部分は「闇見くらみ」と呼ばれています。古代の神さまが隠岐の島から土地を引いてきたという部分です。その突端には、小泉八雲や水木しげるも訪れたという加賀の潜戸かかのくけどがあります。日本列島に「浦島太郎(山幸彦と海幸彦)」や「かぐや姫(竹取物語)」などを伝えた、いわゆる海人ワダツミ族の聖地だとされています。きっと彼らこそが黄泉の国の住人だったのでしょう。
2022.08.29
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瑛太が犯人みたいでーす。ごめんなさーい。予想がハズレっぽい…。ドラマの結末には、3つの可能性が出てきました。1.真犯人の本城彰が逮捕される。2.風俗店長が犯人に仕立てられる。3.松本良夫の死刑が執行されてしまう。どうなるんでしょうか??そして長澤まさみが闇落ち??!ちなみに風俗店長の苗字が、弁護士と同じ「木村」なのは、ただの偶然だよね…◇いまさらながら言い訳をすると、わたしが「瑛太犯人説」をミスリードと疑ったのは、真犯人が、訪ねてきたジャーナリストにむかって、なにか思わせぶりに話そうとするのは変だし、いずれ身元が割れることも分かってるのに、シャッターを閉じて、そのまま店もやめて、行方をくらましてしまうなんて、そんないかにも怪しげな行動をとるのも、すごく変だな~と思ったからです。しかし、今にして思えば、あのとき本城彰は、シャッターを閉めた密室で、浅川恵那のことも殺そうとしたのかもしれませんし、それでも絶対に捕まらないという自信があって、ヤバくなったら、また海外にでも逃亡すればいい、という考えだったのかもしれませんね。…ただ、後述するように、本人のDNA鑑定とか、誰かの証言などがないかぎり、本城彰が犯人とはまだ確定できないし、ドラマ内でさえ、最後まで犯人が確定されずに終わる可能性もあります。◇さて、第8話の内容は、かなり不可解な点が多かったのですが…その内容を、わたしなりに《脳内補完》すると、次のようになります!目撃証言が虚偽であることも判明し、弁護側のDNA鑑定も「不一致」の結果が出たので、松本死刑囚が無罪になる可能性が高まっています。警察側も、それを見越して、あらたに「風俗店長を犯人に仕立てる方針」を固めた??平川刑事が、岸本に風俗店の顧客情報を売ってきたのも、(まるで単独での内部告発のように装っていましたが)じつは警察組織の方針に沿ったものではないでしょうか?もちろん、その顧客情報からは、本城彰の情報だけが抜き取られていました。しかし、岸本は、あっさり本城彰にたどりついてしまったのですね。これは警察側にとって誤算だったろうと思います。しかも、岸本は、金と引き換えに内部告発をした事実をバラすと言って、平川刑事に「本城彰の情報を出せ」と要求した。これに対して、平川刑事は、「録音の元データと引き換えに」という条件で、その要求に従うしかなかったのだと思います。ところが、岸本は、そもそも録音などしていなかったわけです。警察側も、それが分かるやいなや、あらためて「風俗店長を犯人にする計画」を推し進め、こんどは逆に、>風俗店の顧客情報が漏洩したのは、>金と引き換えの内部告発などではなく、>岸本が刑事を脅迫したからだみたいな言いがかりをつけてきた。岸本は、これに反論できる証拠をもっていません。その結果、岸本はテレビ局を解雇されました。◇ところで、岸本は、弁護士にも新聞記者にも相談せずに、いきなりニュース8にスクープを持ちかけました。つまり、彼は、弁護士とか新聞記者ではなく、だれよりも浅川恵那を信頼していたってことですね。しかし、その浅川恵那に裏切られました…じゃあ首都新聞でスクープすればいいじゃん!と思うけど、新聞社も報道を自粛してしまったのかもしれないし、あるいは、首都圏だけの新聞報道よりは、全国区の週刊誌で報道するほうがいい、という判断だったかも。しかし、こんどは、「風俗店長逮捕」の報道を受けて、週刊誌までがスクープを取りやめ。あわせて遺族会も、ほかの被害者まで風俗嬢と見なされるのを恐れて、会見を中止してしまいました。◇いまのところ、2つの事件が同一犯によるものだと証明できるのは、岸本によるDNA鑑定の結果しかありません。むろん、本城彰は海外に逃亡していますから、彼のDNAと照合することは難しい。かといって、岸本の鑑定したDNAが風俗店長のDNAと一致するはずもない。なので、警察は、あらたな証拠をでっちあげないかぎり、「風俗店長を2つの事件の犯人に仕立てる」ことは出来ません。はたして警察側は、すでにそんな証拠まで用意しているでしょうか??…一方、本城彰を容疑者と見なす理由としては、「ひきこもり友人の証言」「本城彰が風俗店の顧客のひとりだった事実」「事件の空白期間と海外の逃亡期間が一致する」の3点がありますが、いずれも決定的な証拠とはいえません。上述したとおり、本城彰を海外から連れ戻してDNA鑑定をするか、誰かの有力な証言を得ないかぎり、彼を犯人だと確定することはできません。◇ここまでの流れからすると、松本良夫の死刑が執行される可能性は少ないと思います。むしろ無実になるんじゃないでしょうか。けれど、一方で、EDの映像にかんする以下の考察があって、・ケーキは「刑期」の暗喩・賞味期限の「10月24日」は飯塚事件の死刑執行命令の日付これを読むと、ちょっと寒気がします…。— 蒼士 (@aoshi151) December 5, 2022 — iiboshi kyoko (@kizdki) November 20, 2022 ◇それはそうと!今回の内容で気になったのは、池津祥子が「本城建託の怪しい海外事業」に触れていたこと。これって、やっぱり麻生セメントがモデルじゃないでしょうか?麻生セメントの「怪しい海外事業」といえば、なんといっても北朝鮮の巨大ホテル建設があります。もともと麻生セメントは、過去の徴用工問題を抱えているので、南北朝鮮とは敵対関係にあるはずなのですが、なぜかフランスのラファージュと組んで、北朝鮮もふくむ朝鮮半島での事業を展開しています。表でケンカしながら、裏で手を組んでいるという図式。麻生太郎が、北九州を起点とする日韓トンネル構想に賛同していたのも、やはりセメント利権が念頭にあったからでは?…と噂されています。すでに80年代から90年代にかけて、麻生事務所には統一教会員の秘書がいたとのことで、じつは、安倍晋三よりも、麻生太郎のほうが統一教会に近かった可能性がある。なぜ自民党政権が、北朝鮮への融和路線をとる統一教会と関係を断ち切らなかったのか。その理由については、いろいろと取り沙汰されていますが、上記のようなことも背景として見え隠れします。たとえば、政権支持率を上げなきゃならないタイミングとか、防衛予算を増額しなきゃならないタイミングで、都合よく北朝鮮からミサイルが飛んでくるのも、じつは裏で手を結んでるからじゃないの?…みたいな話がたえず出てくるのは、そのためです。
2022.12.15
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テレ朝「警視庁・捜査一課長」スペシャル9~映えスポット連続殺人事件~ を観ました。シャープな映像にふざけた脚本。ますます独自路線を邁進してました(笑)。青春という名のラーメン?◇ 登場人物は…見た感じを語る三田寛治。特ダネ記者の徳田寧々。強情さが勝る郷城勝。ぽよぽよの大福売ってるぽよの豊福保代。イケイケで行こうの池井景子。勝とうと勝つ気の加藤香月。エグいほどレベチな未来に託した江口未来。エグチの謎を秘める江口姫子。咎は酷いよ外川英雄。才気に欠ける斉木翔。盛りすぎてるな森杉照奈。羽ばたきたいなら羽場滝奈。(演じたのは「ギャル論破王」のみりちゃむです)…て感じ?ぽよぽよの大福売り。白い粉の正体。◇ まさに今回は、ギャルマインドでやりたいようにやったスペシャル版で、難解なギャル語の解明が最大のテーマでした。大岩が電話を受け取ると、「なくなったのは木曜夜8時」だと!…何が?? 以下は、真相のネタバレです。ラスボス"GM"の意味は、「General Manager」でもなければ、「ごめん」や「ギャルマインド」の略でもなく、やっぱり「Gojyo Masaru」の頭文字だったようです。"エグチ"と呼んだ意味も、「エグいほどレベチ」の略ではなく、「江口の未来のぶんを生きている」からでした。あまりにもギャル語に翻弄されすぎていたのですね。スケバンだったかどうかは内緒。◇ ところで、笹川部長ですが、なにやら謎の首輪を嵌められていました。大岩は笹川の額に自分の額を合わせて、これを取り外していました。どういう仕組みなのでしょうか?てっきりメタバース的な装置かと思いましたが、Twitterを見ると、エヴァの「DSSチョーカー」バトロワの「ガダルカナル22号」…などの説があるようです(汗)。◇ こまかいあらすじは次のとおり。12年前に大岩に出会ったころ、エグいほどレベチなギャルのエグチ(江口未来)に、トイプーおにぎりを貰って生き延びていた池井景子は、ともに論破大会を目指したエグチを病気で失った後、GM(ギャルマインド)革命を起こすためにイケイケで行こうと、論破代行会社のGMレボリューションを設立し、未来のエグチになり代わって街中のギャルにおにぎりを配っていました。GMレボリューションのGM(ゼネラルマネージャー)になった加藤香月は、才気に欠ける斉木翔などの秘書を使い捨てる強情なGojyo Masaru(郷城勝)に、論破で勝とうと勝つ気で挑みましたが、勝ちきれませんでした。それどころか特ダネ記者の徳田寧々を殺すように強要されますが、エグチの未来の姿になり代わって殺害を試みたものの、自分を「エグチ!」と呼んだ徳田寧々のことを殺せませんでした。結局、エグチの未来の姿になり代わって、徳田寧々も加藤香月も殺すという酷い咎を負ったのは、強情なGojyoにインサイダー情報を流していた外川英雄でした。エグチの未来のぶんを生きているギャルたちを、おにぎりで支援しつづけていたエグチの母の江口姫子は、池井景子に咎が及ばないように死体を移動したのでした。◇いろいろイミフすぎて、かなりキャパいけど、とりま、空き時間も楽しそうでした。床嶋佳子と仲よさげな由貴ちゃん。◇ じつはカッコいい山本清香のテーマ曲!↓これもカッコいいのよね。↓これも素敵だし。↓これは大福のブルース。
2023.04.06
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ドラマイズム「滅相も無い」。萌歌の泣き演技w異様に滑舌わるいの面白すぎるんだけどw古舘寛治とは何度目かの共演だよね。◇TBSの「ペントレ」にも、タイムリープの穴が出てきましたが、今回もまた穴が出現する話です。それがどこに繋がってるのか分からないけれど、世界から姿を消したい人たちに利用されてる。謎の教祖様は、それを仲介しています。◇第2話の染谷将太は、妻と娘を残して穴の中へ消えたと見せかけ、じつは穴に入らなかったらしい。要するに、「初恋の彼女と駆け落ちしたのでは?」と思わせるようなオチでした。穴に入るにせよ入らないにせよ、世の中から姿を消したい人はたくさんいて、教祖様は彼らに手を貸しています。◇なお、仏教用語の「滅相」とは、文字どおり滅びるときの相です。人生にも、物事にも、栄枯盛衰の諸相があり、その最終段階にあたるのが「滅相」になります。しかし、現代社会にはまともな「滅相」がないので、教祖様はそれをコーディネートしてあげてるのでしょう。向こう側で誰かに会いたいと願う人もいる。向こう側へ行きたい人は行けばいいし、こちら側に残るとしても、人知れずどこかへ消えればいい。これは、昔でいえば「出家」に当たるのかもしれません。いわば、駆け込み寺への逃避ってこと。実際のところ、中世までの日本の寺社は、無縁の人々のアジールとして機能してた面がある。去年の大河「どうする家康」にも出てきましたが、戦国時代になると、そうした寺社は都市機能をもった自治体にまで発展し、朝廷や幕府や諸大名に拮抗するほどの勢力でした。いわゆる「一揆」とは、農民や衆徒の反乱の意味である前に、そのような自治機能をもった寺社勢力の意味です。オウム真理教のサティアンも、そのような寺社の現代的な縮小版だったといえる。『どうする家康』第7回 “家康”松本潤、一向宗の寺へ潜入 “空誓”市川右團次と出会う #どうする家康 #松本潤 #市川右團次 @nhk_ieyasuhttps://t.co/Oyum2V27ON— クランクイン! (@crank_in_net) February 18, 2023 寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書) [ 伊藤正敏 ] 楽天で購入 寺社勢力 もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版117) [ 黒田 俊雄 ] 楽天で購入 僧兵=祈りと暴力の力【電子書籍】[ 衣川仁 ] 楽天で購入
2024.05.04
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TBS「アンチヒーロー」第6話。あっという間だった!◇保護犬施設の紗耶は、やっぱり志水(緒形直人)の娘っぽい。でも、フルネームは「牧野紗耶」でしたね。志水とも桃瀬(吹石一恵)とも苗字が違います。◇今回の終盤では、赤峰(北村匠海)によるボード解説があって、だいぶ状況が整理されました。視聴者サービスなのかミスリードなのか分からず、ちょっと身構えましたが…(^^;でも、どうやら来週は、瀬古判事(神野三鈴)との対決になりそうです!最高裁判事の座を狙ってるらしき大物。志水(緒形直人)や松永(細田善彦)の裁判で、検察と通じて冤罪判決をおこなってきた黒幕??◇それにしても、瀬古判事を演じてる神野三鈴はハマり役!野村萬斎は見るからに悪人って感じだけど、神野三鈴は善人か悪人かが分かりにくくて、そのしたたかなラスボス感がリアルな政治家みたいです。#アンチヒーロー #神野三鈴 #小曽根真 #上白石萌音 #井上芳雄 #井上ひさし pic.twitter.com/uDK6VThYOD— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 19, 2024 ◇一方、緋山(岩田剛典)は「江越」なる人物のことを調べてて、その人物が12年前の事件にも関係してるらしい。以下は、明墨(長谷川博己)とのやりとりです。緋山:過去の携帯から履歴を探ったら、一人連絡がつきました。江越のもとで働いていた人間です。明墨:いいですねえ。そのまま探っていきましょう。あとは、その12年前のものがまだ残ってるかどうかですが…緋山:手元に残しているはずです。相手の弱みを握って支配する。江越とはそういう奴です。 明墨:その言葉、信じますよ…緋山:はい。赤峰(北村匠海)は、緋山が返り血の付いた上着を廃棄する場面を目撃したけど、彼が本当に殺人犯だったかどうかはまだ不明。明墨(長谷川博己)は、あえて緋山を泳がせて利用してるのか。それとも、ほんとうに無実だったのか。◇ちなみに、このドラマの主要人物の苗字には、色を表す漢字が入ってるのだけど…明墨(長谷川博己)赤峰(北村匠海)紫ノ宮(堀田真由)白木(大島優子)青山(林泰文)桃瀬(吹石一恵)緑川(木村佳乃) そこから考えても、緋山という名前は意味深なのよね。↓下の記事にも書いたとおり、>>100分de名著「シャーロック・ホームズ」ゴシックロマンスの緋色。伝統的に緋色/スカーレットは犯罪に結びつけられる色だからです。
2024.05.20
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NHKの日曜美術館「美を見つめ、美を届ける」を見ました。第1週は、辻惟雄『奇想の系譜』。第2週は、高階秀爾『名画を見る眼』。どちらも1960年代末~70年代初めに書かれた美術史の著作。◇辻惟雄は、伊藤若冲とアンリ・ルソーに《奇想》の共通性を見出してて、さらに華園力という精神科医は、若冲の絵を「自閉スペクトラム特性」の観点で語ってました。自閉症スペクトラムは細かいところに注目して全体を見ないっていう特徴があります。これを「細部への焦点化」というんですけども、全体を俯瞰するように総合的に見るんじゃなくて、細かいところだけに焦点を当てて集中するという見方をすることがあります。若冲も、やはりそういう特性を持っていたのではないか。たとえば「南天雄鶏図」というのがあります。主題は鶏でしょうけれど、背景の南天と同じ密度やエネルギーをもって強調されているので、背景と主題の差があまりないんですね。南天の実にしても一つ一つがかなり細かく描き分けられていて、中には実の一つが熟しすぎて、ちょっと黄色いところが出ている。そういうところまで描き分けてるんですね。そういう「細部への焦点化」というのがはっきりと見られます。もう1つは「反復繰り返し」と言いまして、驚異的な集中力をもって同じことを繰り返していく、というのも特徴なんですね。そういうのが若冲の作品の中に垣間見られるということが言えます。この説明を聞いて、若冲とルソーの秘密が分かったというより、「アストリッドとラファエル」の描写に合点がいきましたwなるほど自閉症スペクトラムって、そういうことなのね。伊藤若冲『動植綵絵 南天雄鶏図』江戸時代(18世紀) 皇居三の丸尚蔵館皇居三の丸尚蔵館にて「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」が開催されます。2023年11月3日(金・祝)~2024年6月23日(日) pic.twitter.com/QHfsc0539A— 美術ファン@世界の名画 (@bijutsufan) October 10, 2023華園力は、「伊藤若冲:創造性の地下水脈としての自閉スペクトラム特性」という論文を2019年に発表して、若冲の絵画表現に《特定の発達特性をもつ人との共通性》を指摘し、以降、《認知特性とアート表現の関わり》を研究してるとのこと。以下の論文もあるようです。アート表現に認められる自閉スペクトラム特性─創造性の源泉として─自閉スペクトラムがヴィジュアルアートの表現に及ぼす影響を、その行動表現型や認知表現型の特徴との関連から分析した。伊藤若冲を主とした自閉スペクトラム特性の強いアーティストたちの作品を取り上げ、そこにみられる特有の表現を、細部への焦点化、多重視点、表情認知の弱さ、反復繰り返しという4つの徴標から読み解き、背景にある認知特性や神経基盤について推考した。さらに、ヴィジュアルアートにおける創造性に自閉スペクトラム特性がどのように関与しているのかを考察した。https://arcmedium.co.jp/products/detail.php?product_id=2862◇一方、高階秀爾は次のように書いてます。絵画の歴史には、時に奇蹟としか言いようのない不思議が起こることがある。様式の発展とか時代の動きなどというものとはまったく無関係に、思いがけない傑作が、まるで別の星の世界から突然やってきたかのように、われわれの目の前に出現する場合がある。印象派以前と以後の様式の断絶は、エキゾチズムの影響(具体的にはパリ万博の影響)ですよね。同じことは音楽の印象派にもいえる。日本の北斎らが、西欧近代の影響を受けて遠近法を取り入れたのとは裏腹に、西欧の印象派の人たちは、遠近法を否定して、二次元表現の可能性を追求しはじめた。平面で三次元世界を再現する西欧絵画の伝統を放棄した。これは東欧やアジアやアフリカの影響ですよね。あくまで非西欧世界の絵画は、平面芸術=デザインの可能性を追求してきたわけだから。◇しかし、辻惟雄が言うところの「奇想」や、高階秀爾が言うところの「奇蹟」は、印象派が西欧美術の伝統を破ったこととは意味合いが違う。若冲やルソーの特徴は、むしろ異常なまでに微視的なリアリズムであって、アジアの伝統的な様式美をも、印象派の潮流をも逸脱するような偏執症的な過激さです。The Sleeping Gypsy https://t.co/mYjeLUSpDQ pic.twitter.com/LW9KIj8cIT— Henri Rousseau (@artrousseau) February 9, 2024 The Dream https://t.co/bRn83FNLo1 pic.twitter.com/Nq9LhTmoXi— Henri Rousseau (@artrousseau) April 10, 2024◇なお、第1週の対談では、曽我蕭白の「群仙図屏風」が取り上げられ、さらに画狂老人・北斎漫画の関連で、「狂(アナーキー)」と「漫」についても触れられたのだけど、そのテーマが第2週で掘り下げられなかったのは残念。重要文化財《群仙図屏風》1764年 文化庁蔵今日の蕭白研究はこの作品から始まったと言っても過言ではない!さらには、近世美術史のバイブル・辻惟雄著『奇想の系譜』の原点ともなった蕭白の代表作。何としてでもご覧ください!#蕭白#群仙図屏風#江戸絵画#奇想#愛知県美術館#前期展示 pic.twitter.com/O3JEWwzfbc— 曽我蕭白展 公式 (@shohaku2021) October 9, 2021
2024.06.10
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今田美桜×山本耕史「花咲舞が黙ってない」が終了。シーズン3はちゃんと見てなかったのだけど、先週の朝倉あきの登場もあって、最後の2話だけ気になって見てしまいました…(^^;半沢直樹と花咲舞って、同じ世界線のお話だったのね!でも、昇仙峡玲子の東京第一銀行と、半沢直樹の産業中央銀行は、合併して「東京中央銀行」になるわけだし、しかも昇仙峡と半沢は、それぞれ頭取を目指してるわけだから、両者はいずれ争うことになるのかしら??…それを日テレとTBSのどちらでやるかも大問題??(笑)🌸5話のオフショット🌸#昇仙峡玲子 VS(!?) #半沢直樹 シーンの裏側でパチリ📸笑顔ver😁とクールver😎フォトジェニック昇仙峡&半沢✨ ◤本編は #TVer で無料配信中◢🔗https://t.co/nXnIo9N4Fk#菊地凛子 #劇団ひとり#花咲舞が黙ってない📢次回、6話は5/18(土)よる9時 pic.twitter.com/CEaY6dX5FM— 花咲舞が黙ってない【公式】日テレ 土ドラ9 (@hanasakimai2024) May 16, 2024新装増補版 花咲舞が黙ってない (講談社文庫) [ 池井戸 潤 ]価格:1,056円(税込、送料無料) (2024/6/15時点) 楽天で購入
2024.06.16
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星の入東風今夜の恋をくれた人 助手席でポテト抱える息白し 冬の朝我慢しきれずはしご芋 初雪日湯気たつ郷まで道中宴 冬の星信号待ちのポテト2本 時雨るるやジュニアシートで待つポテト 小さき手のピクルスつまみ出す小春プレバト俳句。お題は「ドライブスルー」。◇梅沢富美男。小さき手のピクルスつまみ出す小春ピクルスはパパに小春のハンバーガー(添削後)フジモンも横尾も「これは行く!」と言ってたし、わたしも掲載決定かな、と思いましたが、結果はボツでした。まあ、好みの問題なのでしょうか。原句のほうは、幼い子供の好き嫌いを愛おしく眺めてる感じですが、添削句のほうは、子供なりの善意で父親に食べ物を分けているように見えます。結果、まったく別の句になってしまっている。◇レイザーラモンRG。星の入東風いりごち 今夜の恋をくれた人星の入東風よ 今夜の恋ひとつ(添削後)難しい季語ですね。旧暦10月ごろの明け方に、昴(プレアデス星団)が西へ沈むときの風だそうです。原句のほうは、後段がクサい。細川たかしの「北酒場」の引用だそうですが、そもそも歌謡曲は七五調で書かれていることが多いのだし、この手法を認めたら、いくらでも安易な俳句が出来てしまいますね。◇7MEN侍 矢花黎。助手席でポテト抱える息白し助手席へ渡すポテトや 息白し(添削後)わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってますが、かといって(後述するように)、この句の場合は、他の助詞に置き代えるのが難しい。添削句のほうは、動作の主体を運転手に置き代えることで、結果的に助詞の「で」を回避しており、運転席と助手席の2人ともが「息白し」になっています。◇勝俣州和。冬の朝 我慢しきれずはしご芋ドライブスルー 冬のポテトをはしごして(添削後)下五の「芋」は秋の季語なので、季重なりです。なお、俳句における「芋」とは「里芋」のことだそうです。つまり、サツマイモやジャガイモが日本で普及したのは、わりと最近のことなのでしょうね。それはそうと、なぜポテトを「はしご」するのかが分かりません。一度にたくさん買えば済む話なのだから、たんにバカな二度手間をしているとしか思えない。そんなことに詩情を感じろ、といわれても無理です。◇松嶋尚美。初雪日はつゆきひ 湯気たつ郷ごうまで道中宴うたげ初雪の道中楽し 温泉へ(添削後)見かけによらず、松嶋尚美って字が綺麗なのね…。耳慣れない語彙とか、5・8・7の形もなかなかふてぶてしくて、なにやら貫禄さえ感じてしまいましたが…「ドーチューって2音じゃないの?」との本人の発言を聞いてズコった(笑)。感性が英語的なのでは?いわば「Do you love me」で4音みたいな発想ですよね…。なお、「湯気立て=加湿器」は冬の季語ですが、「湯気」「温泉」などは季語になってないようです。添削句のほうは、やや投げやり。感情語を用いた《楽しいな俳句》みたいになっている。わたしは、初雪や 温泉までの車中の宴えぐらいでもいいと思いましたが。◇キスマイ横尾。冬の星 信号待ちのポテト2本ポテト2本 信号待ちの冬の星(添削後)季語を活かすためにも、調べをよくするためにも、語順を入れ替えたほうがよい。ただ、わたしは、添削のように「ポテト2本」で切れを作るよりも、7・7・5で、信号待ちのポテト2本や 冬の星のほうがいいかなと思う。◇フジモン。時雨るるや ジュニアシートで待つポテト時雨また ジュニアシートに待つポテト(添削後)上五の「や」が大袈裟だとの添削でしたが、その先生の真意はよく分からなかった。もともと「時雨るる」という動詞は、「時雨が降る」という意味で使われることもありますが、本来は「降ったりやんだりする」「雨がちな天候になる」という意味で、時間の幅があって、どちらかといえば映像をもたない時候の季語に近い。しかしながら、時候の季語を「や」で詠嘆するのが間違いというわけでもなく、この「時雨るるや」の用例も、芭蕉や蕪村や山頭火などに見られるようです。なぜ先生が「大袈裟」と言ったのか分かりませんが、中七下五の軽さに比べて上五が重いという意味かもしれませんし、たとえば「夕時雨」「時雨雲」「時雨傘」などの選択もありえたか、とは思います。一方、下五にかんしては、わたしなら「ポテト待つ」と直したかもしれません。さて…このフジモンの添削の際に、先生が助詞の「に」と「で」の使い分けに言及しました。いわく、「に」は静的、「で」は動的な動詞に用いる、…とのことです。わたしは夏井信者ではありませんので、この説明をにわかに鵜呑みにすることは出来ませんし、すこしばかり検討を加えてみようと思います。◇上にも書いたとおり、わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってます。現代語の助詞の「で」は、おそらく古語の「にて」から発生しており、理由や手段や場所を説明するための助詞ですね。・風邪で休む(理由)・ナイフで切る(手段)・事務所で会う(場所)現代語の「~によって」とか「~において」と同じ意味です。そのため、この助詞を使うと、どうしても《描写》ではなく《説明》に見えてしまう。俳句の客観写生はあくまでも《描写》なので、理由の《説明》や手段の《説明》をすべきではありません。問題になるのは、場所を示すときですね。そのときに「に」を使うか「で」を使うか、ってこと。じつは口語や散文でも、「に」と「で」の使い分けは非常に厄介で、▼とりわけ外国人に日本語を教える際には困難を極めるようです。https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf上記の論文によれば、「に」は存在場所を表し、「で」は動作場所を表すとのことなので、おおむね「に」は静的、「で」は動的だといえます。しかしながら、「ベッドで寝る」「家で休む」「バス停で待つ」「庭で考える」「部屋で話す」などの場合は、あきらかに静的な動詞に「で」を用いますし、さらには「ベッドに寝る」と「ベッドで寝る」のように、どちらの助詞の使用も可能なケースがあります。わたしは、なんとなく、「で」を用いる場合には、場所ではなく手段の説明になっている気もしますし、夏井先生が言うように、とりわけ俳句においては、これらをすべて「に」に置き代えるべきかもしれません。◇これとは逆に、文語や韻文では、動的な動詞に「に」を用いる場合もあります。もっとも代表的なのは「遊ぶ」です。たとえば、「華胥の国に遊ぶ」の慣用句もありますし、「野に遊ぶ」とか「山に遊ぶ」などの用例は俳句にも無数にあります。そう考えると、助詞の「に」と「で」の線引きはそれほど容易ではありません。◇ただ、見方を変えれば、今回、先生が使い分けに言及したということは、部分的になら助詞の「で」の使用を認めるということでしょう。わたし自身、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいい…と考えてはいるものの、「ほぼほぼ」は「絶対に」という意味ではなく、やはり「で」を使わざるを得ないケースはあると思う。直近でいうなら、稽古場で台詞繰る(山西惇)助手席でポテト抱える(矢花黎)などは、他の助詞に置き代えることが難しい。いずれにしても、どのような場合に「で」の使用が容認できるのかは、今後もよく吟味していこうと思います。
2022.11.15
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初霜やオーディション会場不安 肩ぐるまズシン嬉しや日脚伸ぶ 秋夕焼5kmポストの兄を追う 黄葉が頬にうつりし無邪気顔 足踏みを五回枯葉の音愉快 銀杏落葉やカチンコの渇いた音 吾子踏みぬ銀杏落葉の無尽なりプレバト俳句。お題は「神宮外苑の銀杏いちょう」。◇梅沢富美男。吾子踏みぬ銀杏落葉の無尽なり銀杏落葉 歩きはじめた子に無尽(添削後)悪くないと思ったけど、ボツ!つまり、修飾語の「吾」とか、完了の助動詞「ぬ」とか、終止形の「なり」などで音数を埋めずに、もっと子供の描写に音数を費やせってことですね。それはまあ、分からなくもない。でも、もし、添削句を初めて目にしたら、何が「無尽」なのかが分かるでしょうか?ただでさえ二句一章に見えるから、子供の未来に「無尽の可能性」があると誤読されるのでは?◇キスマイ二階堂。初霜や オーディション会場不安70点の1位。そして、まさかの破調w大雪と初霜は違うと思うけど、まあ、そのへんの話は聞き流すとして。最後の「不安」は感情語であるものの、これは意味があって有効な使い方。なかなかの出来ですねえ。次回は句またがりに挑戦するらしいので、横尾みたいな対句にしてくる可能性が大です。◇大友康平。肩ぐるまズシン嬉しや 日脚ひあし伸ぶ肩ぐるまズシンと嬉し 日脚伸ぶ(添削後)63点の2位。内容はやや凡庸だけど形は悪くない。感情語の「嬉し」を詠嘆したのは大袈裟、との先生の添削は妥当でしょうね。ちなみに、「日脚伸ぶ」は晩冬・年明けの季語なので、やや季節外れだったかもしれません。◇小倉優子。秋夕焼 5kmポストの兄を追うゴールは5km 兄を追う秋夕焼(添削後)60点の3位。本人の説明を聞いても意味が分からなかったのですが、調べてみたら、鉄道や道路などの距離標を「キロポスト」と言うらしい。マラソンにも同じものがあるのか知らないけど、その意味が分かると、けっして悪い句じゃありません。むしろ才能アリの70点でもよかったかなと思う。添削は必要なかった気がします。◇ダイアン・ユースケ。黄葉こうようが頬にうつりし無邪気顔子は駆ける銀杏黄葉もみじの只中を(添削後)35点の最下位。「頬に映る」も凡庸だし、「無邪気」も感情語くさい凡庸な形容ですね。とはいえ、添削してそれほど良くなったとも思えない。とりあえずは作者の意図を尊重して、一面の黄葉もみじに染まる顔の子よぐらいでよかったのでは?◇森口瑤子。足踏みを五回 枯葉の音愉快1ランク昇格でしたが、わたしはボツかなあと思いました。どうも下五の「音愉快」がつまらない。枯葉を踏んだら音がするのは当たり前だし、最後の「愉快」は音の描写なのだろうけど、なんだか感情語でオチをつけてるようにも見える。その結果、ただカイとカイで韻を踏んだだけの戯句に思えます。◇千原ジュニア。銀杏落葉や カチンコの渇いた音おとカチンコの渇きや 銀杏落葉霏々ひひ(添削後)リズムが良くないので、1つ後退でも異論はありませんが、添削はビミョー。もし、この添削句を初めて目にしたら、「カチンコの渇き」の意味が通じるでしょうか?表現への「渇望」との含意どころか、音が乾いてることすら伝わらず、たんに木が乾燥してるだけに見えるでしょう。へたに含意などせず、直截に「乾いたカチンコ」と書くべきだと思います。犬山紙子は絵も上手ってスゴいね。俳句はお休み?
2022.11.19
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NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第3弾。第2夜は「ジャンケン小僧」です。子供相手のじゃんけん3回勝負に死に物狂いの1時間!この荒唐無稽なくだらなさこそ、岸辺露伴の真骨頂!ずっと笑いが止まりませんでした。◇ってなわけで、すこし考察めいたことを書いておくと、今回のエピソードの基礎になっていたのは、「3の安定性」と「4の不安定性」という発想ですね。ジャンケン小僧は「四ツ辻」の交差性を司る厄神でした。…四ツ辻は不安定な場所であり、交差した者どうしが互いの運命に影響を与えます。そのため、辻占いがおこなわれたり、出会いがしらの勝負になったときは、負けた者の能力が、勝った者のほうへ移転したりするようです。しかし、他方で、四ツ辻を支配するはずのジャンケン小僧には、じつは「3の安定性」に対する嫉妬があって、なんなら「3」こそがいちばん美しい数だと思っている。そのため、ホットサマーマーサの目は「3つ」であるべきだと訴え、じゃんけんの「三つ巴(三すくみ)」こそが、世界でもっとも完全なシステムだと思っているようです。それが、お話の前提ですね。◇ただし、このエピソードには、いくつか腑に落ちない点もありました。まずは、ドラマの映像で見る交差点が、「四ツ辻」ではなく「三叉路」(T字路)に見えたことです。露伴が神社のほうへ曲がった交差点は、すこしズレのある四ツ辻のようでしたが、ジャンケン小僧が転んだ交差点はまるでT字路に見えました。そうはいっても、ジャンケン小僧のヘブンズドアで現れたのは、大きなバツ印(+)だったのだから、彼が「四ツ辻」の厄神だったのは間違いないのですが。◇もうひとつ腑に落ちないのは、交差した者どうしが互いに運命を変えるのは、あくまで「四ツ辻」の不安定性であるはずなのに、露伴とジャンケン小僧は、なぜか「三つ巴」のじゃんけんで運命を交差させ、互いの能力を奪い合っていたことです。このあたりは、ややロジックがちぐはぐしていた感じ?京香さまが担当している漫画家の「志士十五」も、4×4と3×5のズレ(-1)を明示していて、やはり数のロジックをおかしくしています。◇できれば、第1夜で神社へ向かうときも、「バキンちゃんが何か感じてる」という描写ではなく、たとえば、「横から風が吹いてきて持ち物が飛ばされる」とか、「横から野良犬が走り抜けてバキンちゃんが追う」とか、そういう描写のほうが、四ツ辻の交差性の表現としては説得力があった気がします。◇まあ、第2夜もじゅうぶん面白かったのだけど、作品の出来としては第1夜のほうが上だったかな。なお、次回は「ルーブル編」になるっぽい!!
2022.12.30
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春立つやダンス部活の予定表 初虹レッスン場に向かうメモ見る バレンタイン娘らが正の字父の数 開運を願う初春にメモ外す 春立つや桃色のメモ退院日 サンタへの手紙貼られたままの春 お三時は固めのプリン春の雪プレバト俳句。お題は「冷蔵庫のメモ」。◇伊原六花。春立つや ダンス部活の予定表バブリーダンス部時代の実体験でしょうか。動詞の季語に切れ字の「や」をつけるあたり、ちゃんと勉強したうえで作ってる感じがします。なお、雪の結晶を意味する「六花」も冬の季語で、読みは「りっか」「むつのはな」など色々あるようです。音数的にも使い勝手のよさそうな季語ですね。◇キスマイ二階堂。初虹 レッスン場に向かうメモ見る初虹や レッスン場に向かうメモ(添削後)本人の説明によれば、「母がメモに書き出してくれたレッスン場への出発時刻」とのことですが、原句を読んでも、添削句を読んでも、「レッスン場へ出掛けてしまった誰かの書置き」としか読めません。逆に、母の視点から、初虹や 息子の出発時刻記すのように詠む選択もあるけれど、作者の意図したものを17音に収めるのは難しい。…それにしても、なぜ18音の破調にしたのでしょうねえ(笑)。いまいち思考回路が読めません。清水アナからも諫められる始末でした。とりあえず、ジャニオタのファンでも、キスマイのメンバーの誰でもいいから、9音「○○○○の○○○○」+8音「○○○○の○○○」の組み合わせで、17音の対句を作る方法を教えてあげたらいいのでは?◇山﨑ケイ。バレンタイン 娘こらが正の字 父の数愛の日の正の字 父のチョコの数(添削後a)愛の日の戦果よ 父のチョコの数(添削後b)三段切れ。複数の父にチョコを贈る娘たちの句と読めるし、人によっては「パパ活」などと誤解しかねません…。◇YOU。開運を願う初春しょしゅんにメモ外す「冷蔵庫のメモを外せ」と初みくじ(添削後)原句は、どこから何のメモを外すのか分からないし、その理由もいまいち分からない。かたや、添削句のほうは、なにやら不吉なお告げが御神籤に出てきたみたいで、ちょっと主旨が違ってる気もする。作者の意図したとおり描写するなら、初春はつはるに冷蔵庫のメモ整理する初春や 冷蔵庫のメモ取り除けりなどで十分だと思うし、2月に新年の句を詠むのも季節外れなので、季語は「立春」に置き代えてもいいと思います。◇中田喜子。春立つや 桃色のメモ 退院日桃色のメモよ 春立つ退院日(添削後)中七は、「桃色メモに」とか「ピンクのメモに」とすれば、とりあえず三段切れを回避できます。添削句はよさそうにも見えるのだけど、「メモ」と「退院日」の位置が離れたことで、かえって意味が分からなってしまう気がするし、ワンカットの内容なのか、ツーカットの対句なのかも不明瞭になる。◇千原ジュニア。サンタへの手紙貼られたままの春これは意図的な季重なりへの挑戦ですね。なお、未掲載の歳時記もあるようですが、「サンタクロース」を冬の季語とすることに、なんら議論の余地はないと思います。◇梅沢富美男。お三時は固めのプリン 春の雪甘すぎる固めのプリン 春の雪(添削後a)あの頃の固めのプリン 春の雪(添削後b)わたしは悪くない句だと思ったけど、上五の「お三時」は不要な説明だ、との厳しい評価でした。ちなみに、わたしぐらいの世代もふくめて、「固めのプリン」は昔のプリンじゃなく、むしろ今どきのプリンだと思う人も多いのでは?かつて「固いプリン」しか作れなかった時代と、あえて「固めのプリン」を作る現代を描き分けるには、むしろ「固きプリン」と書くほうが妥当だと思うし、上五に助詞の「は」を用いる必然性も感じないので、わたしなら、お三時の固きプリンや 春の雪とするかもしれません。なお、梅沢は、「春の雪」がプリンの比喩であるかのように言いましたが、その発想はかえって減点要素になると思う。
2023.02.12
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もともとホナミはゲイだったのかな。坂東彌十郎が、長身(183cm!)でスタイルがいいのもあるけど、どことなく身だしなみにもゲイっぽさを感じます。◇あの大きな邸で、老いた病体なのに、家のことを全部一人でやってるのも不思議だけど、会社の経営者だっただけあって、几帳面かつ生活力がある人なのだなとは思う。一代で会社を築いたのか、先代から継いだ会社なのか分からないけど、女性と結婚して娘をもうけたわけよね。でも、もしかしたら、彼がゲイであることを妻や娘が知って、家族関係が崩壊してしまったのかも。ホナミにとっては、孫が女の子でなく男の子であることが、よけいに嬉しくて可愛いのかな?…って気もする。◇そもそも、ホナミが美少女アバターとして振る舞ったのは、男性との出会いを求める下心があったからでは??性同一性障害でもないかぎり、ゲイの人が女性の容姿になろうとはしない気もするし。ナオキの場合、女性への変身願望はあったでしょうが、自分が男性であることを隠していませんでした。しかし、ホナミのほうは、(名前が女性っぽいのもあるけど)自分が男性であることを隠してましたよね。ナオキは、ホナミに対して、あきらかに異性愛を感じてたけど、たぶんホナミのほうは、(いつナオキが男性だと気づいたか分からないけど)ナオキに同性愛的な感情で接してたと思う。だから、リアルで対面しても、ナオキが男性であることに狼狽えなかったし、それどころか、最初からウェルカムな感じでしたよね。でも、いまや、ナオキまで自分からキスしたいと言い出す始末(笑)。もちろん、アバターをとおしてではあるけれど…。ちょっとゲイのマインドが出てきたのかしら??それとも、リアルのホナミに対して、女性的なものを感じはじめてるとか?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.05.01
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NHK「燕は戻ってこない」第5話。Xのツイートを見てると、視聴者のあいだでドラマへの反応が極端に割れてる。どのレベルで《倫理》をとらえるかが違うからです。◇社会良識や法規範のレベルで《倫理》をとらえる視聴者は、代理出産そのものの異常性に抵抗感を抱いてるので、「エージェントが偽装離婚や偽装結婚を勧めるのも異常!」「クライアントが主人公に行動制限を強制するのも異常!」…と考えるわけですが、当事者どうしの義理や契約のレベルから《倫理》を考える視聴者は、「大金を貰うんだから契約義務をちゃんと果たすべき!」「主人公の行動は身勝手すぎて共感できない!」…と思うわけですね。おそらくNHKの制作者側は、前者のような視聴者を想定してるでしょうけど、その意図とは裏腹に、後者のような視聴者も一定の割合で存在します。とくに、(これは吾郎ちゃんがクライアント役を演じてるせいですが)後者のような視聴者は旧ジャニヲタに多いようです。ジャニー喜多川問題における山下達郎の態度もそうだったけど…ジャニヲタの価値観ってのは、社会良識や法倫理よりも「恩義」のほうへ寄っていく傾向があり、それが一定の規模でジャニヲタ世論みたいなものを形成するのよね。もちろん、そういう発想は、なにもジャニヲタにかぎった話ではなく、たとえばヤクザ業や風俗業の場合も、あるいは悪徳業界のブラック企業の場合もそうだろうけど、そのなかで生きている人たちは、社会良識や法規範よりも、内部の「契約」「掟」「義理」のほうを重視します。その内部の人間関係においては、社会良識や法規範に反するかどうかが問題にされなくなる。契約違反のことする主人公にいらつくわ。#燕は戻ってこない— さとぴー (@satopy1971) May 28, 2024 主人公リキに1ミリも共感できないドラマ…#燕は戻ってこない— mika (@hugomika1) May 28, 2024 主人公浅はか過ぎるだろ…てか、避妊くらいしようぜ…大金貰うし依頼者は人生かけてるのに責任感なさすぎる…#燕は戻ってこない— 華凛 (@krn_pika_rp) May 28, 2024 #燕は戻ってこない主人公の女がちょっとやばない??代理出産なんやからそら母体は大事にせなあかんわけで飲酒しないとか勿論他人とセックスしないとかは守るの普通なんじゃ…?北海道いくな!はちょっと制限しすぎじゃない?てなるけど。。ビッチの代理母怖すぎるてか稲垣吾郎ちゃん演技いいな— 🍑🎀古美屋·kein·珠李(こみやケインしゅり)💜 (@sado_peachmoon) May 28, 2024 #燕は戻ってこないたとえ違法でも悪事でも、その世界の仁義ってもんがあんだろ。この後も、りきのクソっぷり見せられるの嫌な気分になるだろなぁ— lavender (@lavender1073472) May 28, 2024 守秘義務とはなんぞや。あっちこっちで喋りすぎだろ、リキ。てゆか、なぜ避妊をしないのだ。なんでいつも生なのだ。#燕は戻ってこない— 莉央 (@Rio_Grande_5656) May 28, 2024 つーか、避妊してないのかよ。ダメじゃん。リキはバカなの?この後不幸になったとしても、仮に殺されたりしても何も言えなくなっちゃうじゃない、今のリキの行動は。#燕は戻ってこない— みう (@Miu_t3) May 28, 2024 うーん今回のリキ見ていると、リキの今現在の立ち位置は、(運や世情もあるけど)今までのリキ自身の生き方によるように思えてきた。不安定になるのも憤るのもわからなくはないけど…契約したのに、避妊無しでするの無知で無責任すぎる。#燕は戻ってこない— りんごろ📎 (@wa_go_roku) May 28, 2024 ◇ちなみに、奇しくも朝ドラでは、社会的地位を得るための結婚をしたヒロインが描かれましたが、このドラマでも、偽装結婚をした主人公が期せずして「世間的な評価」を得ます。地元の友人が主人公に一目置くようになって、親族までもが主人公の手柄を褒め称える。一時的とはいえ、大金だけじゃないメリットがそこに生まれてる。意外に、離婚したあとになっても、そういう世間的な評価は、いわば武勇伝のように維持されるかもしれません。もしかしたら、代理出産を異常とは考えない人々にとって、セレブとの偽装結婚もひとつの誘惑になりえるのでは??
2024.05.29
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フジ「Re:リベンジ」第10話。何も分からないまま、あっという間に終わっちゃった!残るは、あと1話。最後どうなるんだろう??大友(錦戸亮)が勝つ?天堂(赤楚衛二)が勝つ?◇木下紗耶(見上愛)を殺したのは誰?遺書には何が書いてあったの?誰がどうやって記事を取り下げさせた?編集デスクは紗耶のパソコンに何を見つけたの?誰がどうやって若林(橋本淳)を黙らせた?秘書の高村(利重剛)は事件に関係してるの?この車のシーンもちょっと気になりました。ちなみに、TBSの「アンチヒーロー」は、長谷川博己×野村萬斎の『シンゴジラ』対決だけど、この「Re:リベンジ」は、ほの暗い映像と堤裕介のミニマルな音楽が、そこはかとなく『ゴジラ-1.0』っぽいと思うのです。理事長室の絵も、一瞬ゴジラに見えるwそういえば、紗耶役の見上愛が「ボクらの時代」に出て、ふてほどの河合優実や青木柚と喋ってましたね。まだ見てないけど!明日あさ7:00からは#ボクらの時代 必見です👀大学で知り合ってからの親友 #河合優実 さん、3年連続5度目の共演!を果たした #青木柚 さん、と自然体トーク🌿お楽しみに☺️見上愛staff#見上愛 pic.twitter.com/e33XDIOJHP— 見上愛&STAFF (@mikami_ai_) June 8, 2024ずっと「けんじょう」だと思ってましたが、見上は「みかみ」と読むのね。珍しい苗字?一昨年の日本ダービーのときは、長澤まさみと2人で予想を的中させてた。#長澤まさみ #見上愛 #ドウドュース #武豊 #日本ダービー pic.twitter.com/ExZ9sOGwrH— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 29, 2022
2024.06.14
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知らなくていいコト。第3話。唖然とするほどツマラナイです…。あいかわらず一話完結部分の脚本がひどすぎる。今回は、ただ大貫勇輔のダンスを見せるために、無理矢理でっちあげたようなエピソードでした。もしかしたら、父親の殺人をめぐるメインのストーリーに、何らかのかたちで結びつくのかもしれませんが、このエピソードじたいはほとんど無意味でした。>>動画の一部が切り取られて、流出・炎上しました。>>取材して真意を語らせて、名誉を挽回できました。…この話のどこに面白さがあったでしょうか?どこにもドラマらしきものが見当たりません。◇篠井英介のブティックのくだりは何だったのでしょうか?母親を亡くしたばかりの女性に会うなり、「あなたが結婚しないのを待ちくたびれて死んだのよ」などと無礼な挨拶をする人間が存在するのでしょうか?「タツミーヌさんとお知り合いなんですか?」などと驚いてましたが、そもそもそれを聞くために取材を申し込んだんじゃないのですか?「自分でコーディネートするのはお金がかかりますよね」と言ったら、「お金をかけないのが才能なのよ」と答えていましたが、これは会話として成立していたのでしょうか?「三丁目の角のラーメン屋」って…、そんな漫画みたいな紋切り型の店があるのでしょうか?住民説明会のシーンでは、いったい誰と誰が争っていたのでしょうか?介護施設の誘致賛成派として、町の老人たちがゾロゾロ集まったりするでしょうか?◇細部の描き方にリアリティがなさすぎる。適当な材料を寄せ集めて話をつくったら、そこにバンクシーだの、小澤征爾だの、蜷川幸雄だの、それっぽいネタをまぶしてるだけじゃないですか?このドラマのつまらなさは、あまりにも低次元な脚本にこそ原因があると思います。主演の吉高由里子に責任を押しつけるのは筋違いです。
2020.01.23
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めずらしく「NHK俳句」を見ました。今回の講師は、櫂未知子。最後の「俳句ドリル」のコーナーが参考になったので、忘れないうちにメモしておきます。◇いとうまいこの句。放課後に響くオルガン 初秋かな放課後にオルガン響く初秋かな(添削後)添削理由は…最後の「かな」が重たい切れ字なので、中七で切るのは避けたほうがよい …とのこと。一般に、・「や」と「かな」の併用は避けるべき。・「や」と「けり」の併用は避けるべき。などと言われるのですが、それと同じような理由ではないかと思います。つまり、感動の焦点が分散するので、一句のなかで2度の詠嘆は避けるべきってことですね。◇櫻井紗季の句。あざやかな幟旗のぼりばた揺る 初秋かなあざやかな幟の揺るる初秋かな(添削後)これも同じ添削理由です。中七を「揺る」の終止形で切るのではなく、「揺るる」の連体形で繋いだほうがいい、と。ちなみに「揺る」は下二段活用なので、連体形は「揺るる」になります。◇番組マネージャーの句。窓枠に埃溜まるる初秋かな窓枠に埃溜まれる初秋かな(添削後)これは、たんに誤用を改めた添削です。「溜まる」は四段活用なので、連体形は「溜まるる」ではなく「溜まる」だそうです。古語の場合は紛らわしい。添削では、助動詞「り」の連体形を用いて7音に処理していますが、文法的には、窓枠に埃の溜まる初秋かなでも正解だろうと思います。◇…そういえば、大昔、動詞が「四段」なのか、それとも「上二段/下二段」なのかを見分けるには、未然形の「~ず」の形にすればいいと覚えた気がする。未然形:切らず → 四段活用 → 連体形:切る時未然形:懲りず → 上二段活用 → 連体形:凝るる時未然形:入れず → 下二段活用 → 連体形:入るる時(Wikipediaより)ですね。ちなみにNHKプラスは8/29まで配信してるようです。
2021.08.27
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今年の7月に上白石萌音がニューアルバム『name』を発表します。そのなかでハンバートハンバートの佐藤良成の曲を歌うそうです。富田望生からの勧めもあって、萌音・萌歌がハンバートハンバートを愛聴していて、それが楽曲提供にまで繋がったのは興味深いし面白いけど、ちょっと、この件に関連して、音楽惑星さんと面白い意見交換が出来たので、わたしのブログで掲載させてもらうことにしました。pic.twitter.com/HO9SB9EQuF— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 20, 2022赤字がわたし。青字が音楽惑星さんです。以前、萌音がJ-WAVEでVetiverを紹介していたことがあって、「こんなオッサンみたいな渋い音楽を聴くの?!」と驚いたんです。そういうフォーク的な嗜好が、藤原さくらとか、ハンバートハンバートみたいな音楽にも結びつくんだとは思う。ただ、Vetiverのような本場のフォークやカントリーの土臭さに比べて、最近の日本のフォーク系音楽は、どうしてもオシャレで小綺麗で、ゆる~い「癒し系」みたいになっちゃうのよね。そっちのほうが日本ではウケるから。つじあやのみたいな。そうそう(笑)。脱力系みたいになっちゃうわけよ。それがちょっとね、物足りないというか。まあ、バンジョーとかウクレレみたいなサウンドが、女の子が聞いても可愛いという感覚は分かるんだけど。米国のフォークやカントリーにも、やっぱり両面があるかもしれません。ブルーグラスに象徴されるアパラチア系の音楽は、やはり昔懐かしい「癒し系音楽」として消費されてると思いますよ。それに対して、それこそ50年代にハリー・スミスが紹介したようなフォークソングというのは、かなり「いかがわしい音楽」だったわけですね。酔っ払いの歌とか、人殺しの歌とか。それが、その後のアシッドフォークやサイケロックに直結していく。ボブ・ディランの音楽もそれを基礎にしていたし、たとえばハンク・ウィリアムスの孫とかデヴェンドラ・バンハートとかは、そういう系統を現在に引いている。うん。ちなみにハンバートハンバートって、なんかデヴェンドラ・バンハートの影響みたいに勘違いしてたので、もうちょっとハードな音楽かと思ったら、ぜんぜん違いましたね。字面がちょっと似てるだけでした(笑)。この名前はナボコフの「ロリータ」が由来だそうです。もともとはフランス風のロリータポップをやろうとしてたらしい。だから癒し系になっちゃうんですね。でも、佐藤良成という人は、もともとボブ・ディランとかザ・バンドとかをやってたらしい。だから、きっと土臭い部分もあるんだとは思う。ただ、日本でやるとなると、やっぱり小綺麗な「癒し系音楽」のほうがいいんでしょうね。日本にだって60年代にはアングラフォークがあったんですけどねえ。フォークルにしろ、高田渡にしろ、ほとんど酔っ払いみたいなアシッドフォークだったわけです。たしかにね。それが悪しきニューミュージックに追いやられたのね(笑)。日本でアシッドフォークやサイケロックをずっとやり続けてきたのは、あがた森魚とかムーンライダーズですね。一般にはニューウェイヴと呼ばれますが、実質的にいえば60年代のアングラの流れです。アングラフォークが退潮した後も、けっしてメジャーではないけど、そういう流れはありました。80年代でいえば、巻上公一とか、じゃがたらとか。細野さんもそういうアングラ系の音楽に一枚噛んでいた。たま(さよなら人類)もそうかもしれませんし、椎名林檎にもそういう面はあるでしょう。そういうアングラ系の流れって、やっぱり寺山修司あたりが起点なんじゃないかな。フォークルも寺山の曲をやってたし。そうですね。天井桟敷は、ウォーホルとヴェルヴェットアンダーグラウンドの関係を意識してたはずだし、その後のパンク・ニューウェイヴの流れが、JAシーザーとかの舞台音楽にはじまっているところはあって、だから細野さん以降の「日本語派」だけでなく、内田裕也以降の「英語派」のほうにもそういう流れがありますよね。ケラとかもアングラですよね。演劇系パンクみたいな。クドカンも。そうですね。あとは、板倉文とか谷山さんとか、由貴さんの周辺にいたプログレ・ニューウェイヴ系の人たちもアングラからの流れといえるでしょうね。ニューウェイヴといえば、上田知華が亡くなっていたそうです。去年のクリスマスに由貴ちゃんは「金色の夜」を歌ったみたいだけど、そのときにはすでに亡くなってたのよね。それと、さっきの60年代のアングラフォークで思い出したけど、カネコアヤノが高田渡をカバーしたりしてますね。それから工藤祐次郎という、まるで高田渡みたいなことをやってる人もいる。このへんも、ぜんぶ萌歌経由で知ったのだけど(笑)。そっちのほうが過激で面白そうですね。わたしも、そっちのほうがフォークとしては面白いなあ、と思うわけ。べつに萌音萌歌にまで「そういうことやれ」とは思わないけど。
2022.05.22
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