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テレ朝「ちょっとだけエスパー」第7話。去年の「海に眠るダイヤモンド」も、はなからハッピーエンドになりえない話だったけど、今作もハッピーエンドは望めない感じですね…◇1万人が死ぬのか?1000万人が死ぬのか?…かといって、すべてをリセットしてしまったら、エスパーの4人が死んでしまう。◇四季は夢の中で、たびたび文太が死ぬ場面を見てましたが、(本来なら文人か死ぬ場面ですね)わたしのなかで、あのシーンは、去年のクドカンの「終りに見た街」の、大泉洋が核戦争で死ぬ場面にも重なってました…。実際、1万人死ぬとか1000万人死ぬとかいうのは、そういう規模の災害だし。◇1000万人といえば、日本の人口の10人に1人です。最近の研究によれば、戦争末期の2年間の死者数が376万人だそうで、1000万人はその2〜3倍の規模だから、そういうディストピア的な話に思えてしまう。《国の死亡統計が存在しない日中戦争と太平洋戦争末期の1944年と45年に亡くなった日本人は全体で約626万人と推計されることが、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の研究者の調査で明らかになった。》【独自】戦争で死亡の日本人、376万人と推計 政府公表の310万人と開き:朝日新聞…— 朝日新聞社会部 (@Asahi_Shakai) November 16, 2025今季のドラマは、沢口靖子の「絶対零度」もそうなんだけど、妙に日本の今の状況を予言してる感じがして、なんだかドラマを見るのも怖くなってしまいます。◇記憶をインストールする変な液体が出てきて、ますます話が複雑になってきました。わたしは、てっきり、文人は過去に死んでて、遺体が冷凍保存されて、未来の医療技術で蘇生するのかと思ってましたが…そもそも四季の記憶は、「過去の記憶」じゃなくて「未来の記憶」なのね。でも、何のために、未来の記憶を現在の四季にインストールしたの?事前に危険を回避させるため?しかも、その記憶のなかで文人は死んでるのに、なぜ30年後の文人はまだ生きてるのかしら?色々とちんぷんかんぷんです…(^^;◇いずれにせよ、記憶の操作に失敗して、予期せぬ恋愛感情が生まれてしまうところは、やっぱり「時をかける少女」に似てますね。そして四季は、文太への愛情を捨てられなくなってしまった。
2025.12.03
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冴ゆる夜や白粉残る耳の裏 風邪の吾へスピースピーと犬の息 寒鴉鳴く路地看板の齋の字 自分への批判をスクショクリスマス 冬の朝七年呼びし時計かな 幽天を見て取り戻す晴れ舞台 冬の暮黒髪の影連れ去りて 寒晴や靴紐硬く待つ号砲11月27日のプレバト俳句。お題は「消せない写真」。◇ふくらP。寒鴉かんあ鳴く路地 看板の斎いつきの字たんに珍しい文字を眺めてる、…というだけの場面なので、フルポン村上の作風と同じく、さして意味のある句じゃありません。実際に使われたのはこの文字。https://jigen.net/kanji/25998ただし、(番組の映像は居酒屋の看板だったようですが)看板に「斎」の字があるとなれば、ふつうは葬儀・斎場関連の看板と思うはず。まして背後で寒鴉が鳴いてるのだから、余計に不吉な雰囲気が漂います。作者がどこまで意図してるかは不明だけど…。ちなみに、「斎いつき」というのは神道の読み方。「斎とき」と読めば仏事の際の食事会のこと。さらにWikipediaによると、正教会でも断食を「斎ものいみ」というそうです。◇さや香新山。自分への批判をスクショ クリスマス批判・スクショ・寂しさ・孤独・クリスマス(添削後)上五「自分への」がやや説明的に感じるので、たとえば中間切れで、アンチコメのスクショ クリスマスの朝のような方法もあるかと思います。かたや添削句は、型なのか型破りなのか知らんけど、いくらなんでも「寂しさ・孤独」は重複でしょw◇柿澤勇人。幽天を見て取り戻す晴れ舞台真青なる冬空 舞台への再起(添削後)季語「幽天」は冬の薄暗い空のことだけど、作者は晴天のことだと勘違いしてるっぽい…(^^;ふつうに直せば、冬晴に意気取り戻す舞台前のようになるかと思います。◇永島優美。冬の朝 七年呼びし時計かな朝を呼ぶ時計よ 七度目の冬よ(添削後)俳句の出来よりも、《気合を入れたいときに目覚まし時計の写真を見る》というエピソードが特殊すぎました…(^^;そんな人います??スマホに目覚まし時計の写真を保存してるの?ちょっとした変人なのでは?…なお、作者は初句切れのつもりで詠んだらしいけど、最後を「かな」で締める場合、途中で切れを入れないのが基本的だから、《冬の朝を7年間呼んだ時計だなあ》…みたいな意味になってしまいます。二句一章にするなら、七年ななとせを鳴らした時計 寒き朝のように書くべきですね。一方、添削句は、何が「七度目」なのか分からない。時計を買ってから七年目というより、その土地に住んで七年目と解釈する人が多いのでは?◇浮所飛貴。冬の暮 黒髪の影連れ去りて金色に暮れゆく冬よ 黒髪よ(添削後)原句は意味不明だし、添削句は女性を写生してると誤読されます。初句切れなので、a. 冬の暮れだなあ。黒髪の影が何かを連れ去っていくよ。b. 冬の暮れだなあ。何かが黒髪の影を連れ去っていくよ。という2通りの解釈ができますが…本人は一句一章のつもりで、c. 冬の暮れが黒髪の影を連れ去っていくよ。と詠んだらしい。そして中七の「影」は実景じゃなく、自分の過去の面影のことらしいのだけど、読み手には伝わらないし、すでに消え去ったものは写生できません。比喩を排して書けば、冬の暮 黒髪だった吾の写真のようになりますが…ハゲ親父の句と誤読されるので、中八ですが、冬の暮 いまは金髪の吾の写真とでも書いて、過去の黒髪を想像してもらうしかない。◇梅沢富美男。冴ゆる夜や 白粉残る耳の裏悪くはないけれど…語順を逆にして、白粉の残る耳裏 冴ゆる夜とするか迷うところです。◇森口瑤子。風邪の吾へスピースピーと犬の息お得意のオノマトペ句ですが、「スピィスピィ」「すぴぃすぴぃ」と表記するほうが、オノマトペ感は強まるんじゃないかしら?◇清水アナ。寒晴や 靴紐硬く待つ号砲(添削後)フルマラソン走るってスゴいね…。文法的には、「硬し」と「待つ」の主語が違うので、寒晴や 靴紐締めて待つ号砲とすべきなのだけど、これは許容範囲なのかなあ…(^^;/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥すごい!!🏃♀️#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/d2729vUWMw— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 25, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.12.01
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メール産声送信ドバイは大夕焼 恋を終わらせ平日の海月見る メールぴこんぴこんシャワー中だってば 羽蟻わく今宵ロマンス詐欺メール アルパカを返す手配り雲の峰 白雨受くネットショップの段ボール 緋ダリアや「メール不達」のメール来る 社食から花火原稿音読す 月見草文箱の底に出さぬ文 夏の雲逝くな逝くなと文字叩く 夕涼の竹富未読メール百 晩涼のRe:Re:Re:セットリストの見せ場 故人との弾みしメール夜の秋 真夏来てサブスクのtrf 風鈴鳴る千の躊躇を弔ってプレバト俳句。お題は「メール」。今回は女性が上位を独占しました。水彩画などのアート系査定では、もともと女性が男性を上回ってましたが、俳句査定では、以前は男性ばかりが上位を占めていた。しかし、最近は、女性の特待生もだんだん増えてきて、ついに今回は女性陣が男性を圧倒した形です。そういえば芥川賞も直木賞も女性だらけ!◇順不同で、2位の犬山紙子から。恋を終わらせ平日の海月くらげ見る唯一の映像であるはずの「平日の海月」が、ある種の心情描写になっていて、最後の「見る」が主人公を浮かび上がらせる。2つの動詞「終わらせ」「見る」を重ねていますが、前回の、喪服着てメロンソーダの列に居るにおける「着て」「居る」と同じ構造で、動詞の使い方が、描写というよりモノローグ的なのですよね。◇1位の中田喜子。産声送信 ドバイは大夕焼おめでたい!景気がいい!そして壮大なスケール感!これは「ドバイ」という地名の勝利でもある。◇11位のかたせ梨乃。夕涼の竹富 未読メール百これも「ドバイ」と同様に、場所の具体性が功を奏してると思います。都会の喧騒から切り離された、ゆったりした時間の流れがおのずと対比される。◇3位の森口瑤子。メールぴこんぴこん シャワー中だってば本人はネガティブな意図で詠んだらしいけれど、ミッツが言うように、ちょっと嬉しそうですよね(笑)。よくもわるくも森口瑤子らしくなくて、なんだかアニメ声優みたいな俳句だなと思いました。◇以下も順不同で。安藤和津。白雨はくう受くネットショップの段ボール玄関先の「人気ひとけの無さ」にこそ詩情を感じます。段ボールが白雨を「受く」という動詞は擬人化した用法だけど、これも無人の状況のなかで功を奏してると思います。◇キスマイ千賀。緋ダリアや 「メール不達」のメール来るダリアは緋 「メール不達」のメール来る(添削後)原句は良く出来ている。かたや、「ダリアは緋」とする添削の論理はちょっと難しくて、これには賛否両論があるんじゃでしょうか。客観写生というよりも、ダリアへの「意味づけ」があまりに強調されすぎなのでは?◇勝村政信。夏の雲 逝くな逝くなと文字叩く夏雲や 逝くな逝くなと文字叩く(添削後)わたしも先生と同様に、かなり痛切な衝迫を詠んだ句かと思ったのだけど、本人の説明を聞くと、意外にそうでもなくて、「参列者たちのメールを打つ様子がそのように見えた」という作者のファンタジーだったのですね。◇梅沢富美男。月見草 文箱ふばこの底に出さぬ文悪くないと思ったけど、凡と言われてしまった…(笑)。ちなみに「ふばこ」という読み方をはじめて知りました。◇ミッツ・マングローブ。真夏来てサブスクのtrf先生からは「奥行きに乏しい」との評。たしかに薄っぺらいとも言えるし、いつものミッツらしい妖艶さは足りなかったですね。たぶん、本人的には、夏の歌謡曲にもじゅうぶん色気を感じてるのだろうけど(笑)。◇5位のフジモン。アルパカを返す手配り 雲の峰そもそも、「アルパカを返す」という状況が一般的ではないので、何のことを描いてるのか、まったく分かりませんでした。しかも、「手配てはい」ではなく「手配り」としたことで、手で何か配ってるのかな?と誤読してしまう。テレビやイベントなどの業界で働く人でなければ、ちょっと分からない言い回しじゃないでしょうか?かりに、「アルパカを返す手配や」とか、「アルパカの返却手配」なら、だいぶ誤読は少ないかもしれません。◇久代萌美。社食から花火 原稿音読す原稿を下読み 社食から花火(添削後)一瞬、「花火原稿」と誤読してしまいました。花火大会に行けない人のもとへ、花火の様子を伝える原稿が届いたのかな、と。説明を聞かないと、何の原稿なのかも分からないのですよね。添削句では、そういう読みの迷いや誤読の余地はなくなっています。◇4位の東国原英夫。羽蟻わく今宵 ロマンス詐欺メール切れがどこにあるのか迷いました。強いていえば、それが欠点かなと思う。「羽蟻わく / 今宵ロマンス詐欺メール」だと、古びた家屋と、なにやら「コンフィデンスマンJP」みたいな状況が、ちょっと不釣り合いになるけれど、「羽蟻わく今宵 / ロマンス詐欺メール」だと、2種類の《望まない害悪》が同等に響き合って、「古びた家屋」と「ロマンス詐欺」という不釣り合いが、かえって風刺や哀れみや滑稽味を生むのですね。◇キスマイ横尾。晩涼のRe:Re:Re: セットリストの見せ場本人いわく、「Re:」はメンバー同士のメールのやり取りとのことらしい。わたしは、てっきり歌詞のリフレイン(繰り返し)のことかと思いました。ライブが盛り上がって、リフレインが止まらないのかと。そもそも、読んだだけでは、ソロ歌手なのかグループなのかも判断できないわけですし。これも、ちょっと分かりにくいです。◇千原ジュニア。故人との弾みしメール 夜の秋中七「弾みし」の是非かなあ…。弾んでいたのはすでに過去のことだから、この動詞の躍動感が浮いてしまっている気がする。ちなみに「夜の秋」という夏の季語ははじめて知りました。◇最下位のフルポン村上。風鈴鳴る 千の躊躇を弔って秋川雅史の「千の風になって」のパロディに見えるけど、実際は、死者とは何の関係もなくて、「躊躇を弔う(=送信しなかった文言を消す)」という比喩であり、しかも「弔うのは風鈴である」という擬人化。詩情には優れてると思うけど、ちょっと分かりにくいです。
2022.07.24
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アニメ版『鬼滅の刃』には、禰豆子役の「鬼頭明里」とか、美術担当の「鬼頭裕子」とか、なにやら不穏な名前のスタッフが参加しており、さらに作画監督には、「鬼澤佳代」が「遠藤花織」と対峙しています。◇そういえば、主題歌を歌ってるLiSAには八重歯がありますが、わたしには、あれが「禰豆子の牙きば」に見えてきます。歌っていないときに、竹を噛んだまま眠ってても不思議じゃない気がする。そんなLiSAが鬼滅の主題歌「紅蓮華ぐれんげ」を作詞したのは、まだアニメの放送前、原作も連載途中だったのですが、見事なくらい物語の世界観にぴったりハマっています。アニメの主題歌は、通常なら原作者が作詞することが多く、歌手自身が作詞をするのは稀だと思いますが、なぜLiSAは「紅蓮華」を作詞できたのでしょうか?◇LiSAの地元は、岐阜県の関市ですがここは、もともと「刃物の町」として有名なところです。や、刃?きっと、鋼鐵塚はがねづかさんみたいな鍛冶職人が大勢いる町なのですよね。山から売りにきた炭を買い、鍛冶屋が里で炉を燃やす。きっと、そんな町なのだろうと思います。そして、LiSAの実家は山奥にあるらしいのですが、彼女のブログを見たら、それはなんと築130年(!)のポツンと一軒家で、里のコンビニまで歩いて30分もかかるところ。お祖母ちゃんの野菜畑は、ときどき何者かに荒らされるそうです…。もしかして、実家は炭焼き?つか、竈門家かまどけ?鬼が出る?LiSAの口に牙が生えたのは、岐阜の山奥で鬼の血を浴びたからでしょうか?◇実際は、鬼じゃなくて、猿が出て、畑を荒らすのだそうです。ちなみに、LiSAの本名は「織部里沙おりべりさ」なので、竈門家じゃなくて、織部家です。そうそう。岐阜で「織部」といったら、古田織部ふるたおりべが創始した織部焼ですよね!織部焼の発祥地は、岐阜とはいっても、関市じゃなくて土岐市なのですが、そこには窯元がたくさんあるはずなので、やはり周辺の山々には炭焼の職人がいたはずです!まあ、織部家の稼業は、たぶん炭焼きではないのでしょうけれど、もともと古田織部の名が、古来の織染部署である「織部司おりべのつかさ」に由来しますので、そこから考えると、なにか別の由緒がありそうな苗字にも思えてきます。◇岐阜県の関市は、現在はハサミや包丁などの刃物の名産地ですが、かつては「美濃伝みのでん」という刀鍛冶の流派がありました。初代の村正むらまさも、ここで学んだといわれています。彼は、そこから伊勢に移って「千子派せんごは」を生み出し、その弟子たちは数代にわたって「村正」の名刀を作りました。村正の刀は、凄まじい斬れ味だったらしく、とくに徳川などの三河武士に愛用されたそうです。岐阜には関ヶ原もありますが、きっとそこでも使われたでしょう。奈良県の天石立あまのいわたて神社には、柳生宗厳やぎゅうむねよしが天狗との修行中に一刀両断にしたという、その名も「一刀石」と呼ばれる巨岩があって、いまや鬼滅ファンの聖地になっているのですが、この柳生一族も、徳川方として関ヶ原に加わっていましたし、やはり村正の刀を使っていたのかもしれません。栃木県足利市には「弁慶の割石」ってのもありますが、こちらは武蔵坊弁慶が岩の上に仁王立ちになり、錫杖しゃくじょうで突き割ったものだそうです。そして、岐阜県の鬼岩公園や、長野県の坂田山でも、まっぷたつに割れた巨岩が見つかったらしく、それぞれ「蓮華岩」「龍の割岩」と呼ばれていたそうです。これこそ日輪刀で炭治郎が切った岩なのでは? ※岩に浸み入った雨水が凍って膨張したとかじゃなくて。鋼鐵塚さんの作による日輪刀は Amazon でも売っています。これさえあれば、岩でも切れるにちがいありません。お値段は6000円くらいです。
2020.11.24
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たとえ事務所から逃げることが恥だとしても、彼女が生き抜くうえで役に立つ選択であるならば、そこに異論や反論は必要ないのですが、新垣結衣ほどの人気タレントでも、所属事務所からの独立後の安定をはかるために、駆け込み的な「結婚」以外の選択肢がなかったとすれば、これを手放しで祝福していいのか分からないし、社会的な観点からいって考えるべき問題は残っている。◇小泉今日子が所属していたのは、ヤクザとして知られる周防郁夫のバーニングプロでしたが、新垣結衣の所属するレプロはそのバーニングの系列です。それから、国分佐智子が所属していたのは、沖縄ヤクザとして知られる平哲夫のライジングプロです。国分佐智子が、林家一平と結婚したときにも、やはり事務所との不和がささやかれました。もちろん彼女は、いまでも結婚生活を送っているわけだし、かりに事務所問題や独立問題が背景にあるからと言って、それをただちに偽装結婚と考えるべきではない。そもそも、すべての結婚が恋愛にもとづくわけではないのだし、一般の女性でさえ、ほとんど恋愛を経ずして、もっぱら社会的安定のために結婚するというのも、十分にありうる選択だし、その意味でなら、契約結婚みたいなものは実在する。◇しかし、一時はなかば休業状態だったというか、ほとんど無気力のようにも見えた新垣結衣が、とつぜん昨年のSPドラマの出演をきっかけにして、間髪も入れずに「結婚を前提とした交際」を開始し、実際には交際らしい交際もないままに、半年足らずで結婚発表にまで駆け込むというのは、何かしら逼迫した事情というか、それを急がねばならない理由があったかなあ、とは思う。同じレプロから独立した能年玲奈(→のん)や、バーニングから独立した小泉今日子の場合は、けっしてスムーズに事が運んだとは言えないし、これら芸能事務所からの独立問題が、いかに厄介なのかを、またしても考えずにはいられない。政治的にも、社会的にも、 この界隈の内情については注視する必要があるし、場合によってはメスを入れていくべきだろうと思います。
2021.05.20
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読売テレビ「しょうもない僕らの恋愛論」 が終了。ほとんどの視聴者は、拓郎と絵里が結ばれるとか、くるみと悠が結ばれるとか、そういう結末を予想したと思うけど、…ぜんぜん違いました。かといって、絵里は古舘の息子と結ばれるわけでもなく…。わたしは見ていませんが、Huluでは「10.5話」が配信されていて、そこでは、どうやら、くるみと悠が結ばれ、絵里と古舘の息子が結ばれる、…みたいな方向に展開してるらしい。実際、くるみと悠にかんしては、高校生の男女があんなにいつも一緒にいるのに、ぜんぜん異性として意識してないってのが、さすがにちょっと不自然ではありました。そのHuluの「10.5話」を見るかどうかは、視聴者がそういう結末を望むかどうかでもあり、有料コンテンツへの誘導という面もあると思うけど、わたしとしては、地上波をあえて未完に終わらせたことの意義を感じました。◇前回までの絵理は、20年もの片思いをしてきたわりに、ずいぶんと拓郎に無理難題を要求していて、くるみ(あるいは安奈?)への嫉妬も相俟ったのか、拓郎の想いが自分へ向いてないことに苛立ち、結局は、自分で身を引いてしまったように見える。かたや、くるみのほうは、高校卒業から数年経っても、ずっと拓郎への一途な想いが変わらず、もう成人してもいるので、そのままいけば結ばれそうな雰囲気だったし、わたしもそういう結末で納得しかけたけど、…結局は、こちらも結ばれずに終わりました。拓朗は、最後まで安奈が好きだったわけですね。しかし、いったんは絵理の想いを受け入れました。ただし、くるみの想いは最後まで受け入れなかった。そこには、やはり年齢の問題があったと思う。◇悠がくるみに言ったセリフに、「まともな恋愛をしろ」という一言があったけど、拓郎もまさに、その分別にしたがって、絵理との恋愛は受け入れる一方、くるみとの年の差恋愛は避けたように見えます。つまり、絵理との恋愛は「まともな恋愛」だけれど、くるみとの恋愛は「まともじゃない恋愛」ってこと。そういう年齢的な自制をかけていたのですね。しかし、「まともな恋愛」っていったい何でしょう??◇ドラマを見ている視聴者は、「お似合いの男女」が結ばれることを無意識に望むし、それにしたがって、拓郎と絵理が結ばれるとか、くるみと悠が結ばれるとか、そういうことを望みます。その視聴者の願望に沿うのがドラマの予定調和でもある。現実においても、「誰と誰はお似合い」だとか、「誰と誰はくっつくべきじゃない」とか、外野の人間が、当人の気持ちとは無関係に、「あるべき恋愛」や「まともな恋愛」について、好き勝手なことを言いがちです。つまり、何が「まともな恋愛」なのかを、当事者ではなく、世間が決めてしまうのよね。親や友人でさえ、当人の気持ちを無視して、勝手な助言で恋愛の邪魔をするものだし、しまいには当人も周囲の考えに左右されてしまいます。恋愛ドラマも、その観念に沿って作られることが多い。でも、何が「まともな恋愛」かなんて、本来なら他人が決めることじゃないし、誰と誰が「お似合い」とか「お似合いじゃない」とか、はっきりいって余計なお世話なのよね。◇…まともな恋愛とは、いったい何なのか。それこそ、矢田亜希子が押尾学と結婚したときには、わたしも正直「どうなんだろう?」と思ったし、その結婚が破綻したときには、「ほら言わんこっちゃない」と思ったけど…今だったら、そういうことは考えない。だって、そんなことは当人の気持ちの問題だし。結果的にそれが破綻するとしても、外野がとやかく言うべき話ではない。たとえお似合いの男女でも、破綻するときは破綻するし、たとえ不釣り合いな男女でも、上手くいくときは上手くいく。恋愛において、何が「まともな恋愛」だとか、誰と誰が「お似合い」とか「お似合いじゃない」とか、そんなことは他人や世間が決める話じゃないし、それは年の差恋愛についても言える。◇ドラマの設定だと、くるみが17才のときに拓郎が41才で、くるみが20才になると拓郎は44才で、くるみが25才になると拓郎は49才です。もちろん、年齢の差は埋まらないけれど、徐々に恋愛の許容量は増す気もする。あとは当事者の気持ちが持続するのかどうかの問題。地上波の物語をあえて未完にしたのは、そういう含みをもたせる意味もあったように感じます。ちなみに、このドラマは、原作者が男性で、脚本家はほぼ女性。演出家は、2人が男性で1人が女性。とくに松本花奈は、弱冠25才の若い演出家ですね。おそらく制作陣のあいだでも、年齢や性別によって、物語の見方や考え方が違うだろうし、そこもちょっと興味深いところではあった。◇◇◇余談ですが、三角テーブルって、何の伏線でもなかったのね(笑)。てっきり3人が疑似家族になるのだろうと読み違えました。さらに、漫画家のワカタマコは、「ワカタ・マコ」なのか、「ワカ・タマコ」なのか分からなかったけど、そもそも女性じゃなくてキム兄だったというオチ!◇なお、このドラマは神保町を舞台にしていて、神保町シアターがたびたび出てきました。絵里と悠は、マキノ正博の「鴛鴦歌合戦」を観てました。オープニングのテーマ曲も、なにやら小津安二郎っぽい雰囲気があって、もしかしたら制作陣のなかに映画オタクがいたのかも。矢田亜希子って、実際はお金持ちヤンキーみたいな人だから、プライベートな実像と、演じるキャラに乖離があるけれど、昔から、小津映画の原節子みたいに、良家のお嬢様的な役を演じてきた面があって、今回も、強気なキャリアウーマンなのに、片思いをつづける映画オタク…という、いまひとつ分かりにくいキャラを演じてました。古館の息子くんも、本業はミュージシャンなのだと思うけど、ショボめの役でもぜんぜん選り好みしないのですね。古舘佑太郎が作ったadieu「愛って」。矢作歌子。#ちむどんどん #上白石萌歌 #井之脇海 #adieu3 pic.twitter.com/lmIR3J7Img— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 31, 2022「ナラタージュ」にも出てたので、萌歌とは何かと縁がある。
2023.03.24
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GYAOの無料動画で、相米慎二の「風花」を見ていたら、わたしのなかで、相米の「雪の断章」と黒沢清の「岸辺の旅」が繋がりました。ネットで検索する限り、この3つの作品を関連づけるテキストは見当たらなかったので、とりあえず私的なメモとして書いておこうと思います。もしかしたら、それは「雪の断章」の不可解な特異性とか、そのラストシーンの忠臣蔵の謎を解く手懸かりになるかもしれない。◇一般に、相米慎二は、ロングショットの長回しに象徴される「文体の作家」だと思われていて、その物語の内容に関心が寄せられることは、ほとんどありません。なんなら、相米自身が、物語にまったく無関心な作家だとさえ思われてるし、わたし自身も、おおむね今まではそう考えてきました。事実、「雪の断章」などを見ると、サスペンスの真相を明かす台詞がカットされてたりして、物語に対するあからさまな関心のなさが現れてるようにも見える。そんなわけで、相米慎二が「物語の作家」として言及されることは、ほぼ無いに等しいのですね。◇けれど、今回、彼の遺作になった「風花」を見ていたら、相米慎二にも何かしら描かずにはいられない内容があったんだな…と思ってしまったのです。といっても、それは明確に《物語》というほどのものではなく、むしろ、ぼんやりとした、風景とか、記憶とか、感情みたいなもの。端的にいうと、「雪の断章」と「風花」に共通して描かれているのは、北海道の《記憶》と、そこに付随する《底知れぬ寂しさ》のようなもの。より具体的にいうと、「風花」で小泉今日子が死のうとするまでの流れと、「雪の断章」で世良公則が海で死のうとするまでの流れが、とてもよく似ているのです。酒を呑んで、性の売り買いがあって、雪が降っていて、水のそばで死のうとする。この一連の流れが、とてつもなく悲しくて寂しい。死の淵から引き寄せられているような怖さもある。ちなみに、相米慎二は岩手の生まれですが、6才から18才までの少年期を北海道で過ごしています。◇黒沢清の「岸辺の旅」で、深津絵里が滝壺や海岸から戻ってくる物語も、この小泉今日子や世良公則が死の淵から引き返してくる物語に近い。もっとも「雪の断章」の世良公則の場合は、結局、ラストで原作どおりに死んでしまいますが、小泉今日子と深津絵里は、最後に生きる力を取り戻すのですね。…濱口竜介は、「あ、春」を肯定的に捉えることで「雪の断章」を相対化し、その不可解さにひとつの答えを出していたけれど、彼が言及していたのも、結局は「文体」の問題だったといえる。でも、案外、黒沢清などは、相米が「風花」で描いた物語に注目したうえで、あえて「岸辺の旅」のような作品に挑んだのかもしれません。浅野忠信の役柄だけでなく、文体の面でも「風花」と「岸辺の旅」は似ていると思う。◇わたしは、いままで、相米の「雪の断章」も「あ、春」も、そして黒沢清の「岸辺の旅」についてさえも、もっぱら文体という点からしか観てこなかったので、過去に書いたレビューでも、ほとんど内容面には触れてこなかったけれど、▶「雪の断章」▶「岸辺の旅」▶「あ、春」このたび「風花」を見たことで、これらの映画も文体だけで論じるべきではないと感じています。 …ってことで、とりあえず「風花」についての基本的な感想もこちらに書きました。▶「風花」ちなみに、相米慎二の映画は、しばしば原作を冒涜してるともいわれるけど、彼があえて佐々木丸美や鳴海章なんぞの小説をとりあげたのも、この2人が北海道の作家だからこそだろうと思います。 なお、4月18日に映画プロデューサーの佐々木史朗が亡くなりました。彼が最後に制作したのが、黒沢清の「岸辺の旅」だったようです。追記:U-NEXTで「魚影の群れ」を観ました。くわしいことは↓こちらに書きましたが、https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063&TITLE_NO=6934#HITやはり死の匂いのする北海道の海岸で、セックスをして酒を呑むという構造は「雪の断章」と同じ。緒形拳は生きて帰ってきますが、代わりに佐藤浩市が死んでしまう。製作の順序から考えれば、「雪の断章」や「あ、春」や「風花」の原型は、この「魚影の群れ」なのかもしれません。
2022.05.14
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冬晴の牌楼龍の顎昏し 帰路寒夜バスに異国の香ほのか 月冴えて塔の光を曳く屋形 日の近き富士五合目や秋高し 寒暁の浅草車夫見習の湯気 冬の海工場の吹き流し揺蕩う 冬帝や路地の隙間のスカイツリー11月13日のプレバト俳句。今回はチャンピオン決定戦「はとバス杯」です。◇フルポン村上。冬晴の牌楼ぱいろう 龍の顎昏しまあ、形式上の欠点はないのだけど、あいかわらず「だから何?」って句よね。多くの読み手は、龍の顎が暗いことに、何かしら象徴的な意味を感じてしまうはずだけど、村上の場合は何もないからね…(^^;陽光の当たらぬ裏側が暗いことに、はたして詩情があるといえるのかしら??◇千原ジュニア。寒暁の浅草 車夫見習の湯気強いて順位をつけるなら、この句がいちばんよかったかな。ただし「車夫見習」ってのは、行為なのか人物なのかが不明瞭だから、寒暁の浅草 見習い車夫の湯気と書くべきだろうと思いますが。◇蓮見翔。冬の海 工場こうばの吹き流し揺蕩たゆたう京浜工業地帯の夜景です。通常、吹き流しは揺蕩うものなので、この動詞は不要とも思えるし、「吹く/流す/揺蕩う」の動詞3連打に見えるのが、いささか煩わしいと言えなくもない。ちゃんと「夜」の情報も加えれば、冬浜の工場夜景と吹き流しのように的確な写生も出来るはず。…とはいえ、あえて動的な印象を強調したところが、原句の個性なのかもしれません。◇清水アナ。冬帝や 路地の隙間のスカイツリー映像のない季語を詠嘆しつつ、じつは「冬の皇帝」みたいな隠喩的なイメージを、スカイツリーに重ねてるあざとさが見えますwまあ、それならそれで悪くないと思うけどね。かりに、季語を映像化するというセオリーに従って、冬帝の路地や 隙間のスカイツリーと書いたら、かえって二物の衝撃性が弱まるし。でも、それ以前に、類想句が多いと言われちゃ仕方ありませんが…。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !! 11/13は2時間スペシャル!✨\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥関西人にとっては新鮮な景色です…🥲#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/lmBL22kmx5— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 11, 2025◇梅沢富美男。帰路寒夜 バスに異国の香ほのかはとバスの帰路 八角の香さやか(添削後)読点を1音分ととらえて、「香、ほのか」「香、さやか」で5音分と見なす…という技法なのね。もちろん、「香のほのか」「香のさやか」でもいいわけですが、リズムに面白さが生まれるってことでしょうか。なお、添削について一言いえば、「ほのか」と「さやか」では意味が違います。梅沢は、バスの車内に紛れ込んだ残り香の意味で、あえて「ほのか」と書いたわけだけど、添削句の「さやか」というのは、秋の風を含意する季語なのだから、バスの窓から吹き込んでくる中華街の香り、…みたいな意味合いに変わります。したがって、これは添削でなく改作です。◇中田喜子。月冴えて塔の光を曳く屋形月冴ゆや 塔の灯を曳く屋形船(添削後)この句は「屋形が(光を)曳く」だけど、かりに「屋形を曳く」だとすれば、郡上踊りの屋形曳きみたいな誤解もありえるので、やはり「屋形船」と明記したほうがいい。もうひとつの問題は、2種類の光の描写が重なってること。添削では二句一章にして、「月の光」「塔の光」のカットを分けてますが、そもそも2種類の光を描くことで、主題が散漫になるし、詩情の焦点もぼやけます。やはり季語は「月」以外のものを選ぶべきでしょ。たとえば、秋彼岸 塔の灯を曳く屋形船のようにすれば、光ってるのは「塔」だけになる。◇かたせ梨乃。日の近き富士五合目や 秋高し陽や強こわき富士五合目の秋高し(添削後)高いものを、「太陽」「富士」「秋空」と3つ並べたうえで、富士の五合目まで来たら、太陽は近づいたけど秋の空は高い…とのこと。結果的に、何が高くて何が低いかよく分からないのよね…(^^;それは添削句でもさほど変わらない。季語を変えて、秋爽や 富士五合目の陽は強しのようにすれば、高いのは「富士」だけになって、陽光の強さに焦点がしぼられます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.11.17
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解くこちらにその他のブログ。◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第3弾。第2夜は「ジャンケン小僧」です。子供相手のじゃんけん3回勝負に死に物狂いの1時間!この荒唐無稽なくだらなさこそ、岸辺露伴の真骨頂!ずっと笑いが止まりませんでした。◇ってなわけで、すこし考察めいたことを書いておくと、今回のエピソードの基礎になっていたのは、「3の安定性」と「4の不安定性」という発想ですね。ジャンケン小僧は「四ツ辻」の交差性を司る厄神でした。…四ツ辻は不安定な場所であり、交差した者どうしが互いの運命に影響を与えます。そのため、辻占いがおこなわれたり、出会いがしらの勝負になったときは、負けた者の能力が、勝った者のほうへ移転したりするようです。しかし、他方で、四ツ辻を支配するはずのジャンケン小僧には、じつは「3の安定性」に対する嫉妬があって、なんなら「3」こそがいちばん美しい数だと思っている。そのため、ホットサマーマーサの目は「3つ」であるべきだと訴え、じゃんけんの「三つ巴(三すくみ)」こそが、世界でもっとも完全なシステムだと思っているようです。それが、お話の前提ですね。◇ただし、このエピソードには、いくつか腑に落ちない点もありました。まずは、ドラマの映像で見る交差点が、「四ツ辻」ではなく「三叉路」(T字路)に見えたことです。露伴が神社のほうへ曲がった交差点は、すこしズレのある四ツ辻のようでしたが、ジャンケン小僧が転んだ交差点はまるでT字路に見えました。そうはいっても、ジャンケン小僧のヘブンズドアで現れたのは、大きなバツ印(+)だったのだから、彼が「四ツ辻」の厄神だったのは間違いないのですが。◇もうひとつ腑に落ちないのは、交差した者どうしが互いに運命を変えるのは、あくまで「四ツ辻」の不安定性であるはずなのに、露伴とジャンケン小僧は、なぜか「三つ巴」のじゃんけんで運命を交差させ、互いの能力を奪い合っていたことです。このあたりは、ややロジックがちぐはぐしていた感じ?京香さまが担当している漫画家の「志士十五」も、4×4と3×5のズレ(-1)を明示していて、やはり数のロジックをおかしくしています。◇できれば、第1夜で神社へ向かうときも、「バキンちゃんが何か感じてる」という描写ではなく、たとえば、「横から風が吹いてきて持ち物が飛ばされる」とか、「横から野良犬が走り抜けてバキンちゃんが追う」とか、そういう描写のほうが、四ツ辻の交差性の表現としては説得力があった気がします。◇まあ、第2夜もじゅうぶん面白かったのだけど、作品の出来としては第1夜のほうが上だったかな。なお、次回は「ルーブル編」になるっぽい!!
2022.12.30
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NHK「The Covers」中島みゆき特集を見ました。◇中島みゆきの音楽は、日本のポップスのなかではちょっと異質で、分類上はフォークソングになってるけど、シャンソンだなと思えるところもあるし、北海道出身のせいか、ロシア民謡っぽく感じさせるところもある。立ち位置としては、加藤登紀子に近いかもしれませんが、もうすこしナショナリスティックな色合いが強い。◇池田エライザの、フォーキーでプリミティブな演奏は、すごく生々しくて面白かったです。中島みゆきの解釈やカバーとして、正しいアプローチのひとつかもしれません。いろんな曲を、ひとつキーを下げて、全部あのスタイルでカバーしたら、なかなかスゴイ作品ができそうです。…売れるかどうかは別として。それから、工藤静香のジャジーなアレンジについて、「昔話や伝説を歌うさすらいの人みたい」と言ってました。ジャグバンドスタイルで歌うような、吟遊詩人やバラッド歌手ってことでしょうね。そういう彼女の話から察しても、けっこう古い海外の音楽をよく聴いてそうな感じ。ちなみに池田エライザは、母親がスペイン人とフィリピン人のハーフで、父親が長崎の離島出身で、本人は福岡育ち。たぶん野木亜紀子は、TBSの「海に眠るダイヤモンド」のときに、そういう彼女の出自と歌唱力を念頭において、リナの役を完全にアテ書きしたのだろうけど、残念ながら、いまいちリナの歌唱シーンは説得力に欠けた。楽曲との相性も悪かったかもしれませんが、あのシチュエーションでは、高音の伸びや声量が足りなくて拍子抜けでした。野木亜紀子も狙いが外れたんじゃないかと思う。「海に眠るダイヤモンド」ディレクターズカット版 DVD-BOX [ 神木隆之介 ]価格:18,480円(税込、送料無料) (2025/7/5時点) 楽天で購入 ◇田島貴男は、「ヘッドライト・テールライト」を、アーバンソウル風の解釈で歌ってました。かなり意外でしたけど、さすがです。郷ひろみは「悪女」を歌いました。80年代のヒット曲なので、ああいうシティポップ風の編曲もアリですね。それから、氷川きよしが「かもめはかもめ」を、柴咲コウが「銀の龍の背に乗って」を歌ってましたが、これは組み合わせが逆のほうが合ってるのでは??工藤静香「わかれうた」郷ひろみ「悪女」田島貴男「ヘッドライト・テールライト」ELAIZA「時代」氷川きよし「かもめはかもめ」宮本浩次「春なのに」柴咲コウ「銀の龍の背に乗って」福山雅治「糸」[📺まもなく22:00~総合]#カバーズ SP#中島みゆき ナイト!「準備OK?」エラ[3代目MC]&モカオ[5代目MC] より✌️🌃ゲスト#ELAIZA #池田エライザ#工藤静香#郷ひろみ#田島貴男🌃セレクション#氷川きよし#宮本浩次#柴咲コウ#福山雅治#リリー・フランキー#上白石萌歌語り #堂本光一 pic.twitter.com/B35hUbt9sR— NHK The Covers (@nhk_covers) July 3, 2025
2025.07.05
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テレ朝「ちょっとだけエスパー」第5〜6話。内容がいっきに考察系っぽくなりました。◇文太ぶんたが自殺をしたのはバーチャル世界で、現実には生きてたわけですが…文人ふみと(=兆)は現実世界で死んでしまって、いまはバーチャルな状態で存在してるのね。でも、死者をAIで再現してるわけでもなく、30年後からのデータ送信で出現してるらしい。つまり、未来の医療技術で蘇生したってことなのかな?◇結局のところ、この物語って、時間操作にともなうパラレルワールドの話よね。かつて四季の夫だった文人=兆は、ほんとに死んでしまったのだろうけど、未来の蘇生技術でよみがえったために、そこで妻との再会を果たそうとしてる。…かりに「1万人救う」って話が事実だとしても、やはり真の目的は、その1万人の死者のなかに含まれる妻を、自分のいる未来まで延命させることなのでしょう。けれど、そのための時間操作は、別のバタフライエフェクトを生んでしまうので、「1000万人の死をもたらす」って話も、やはり一面の真実なのだろうと思う。◇さまざまな未来人が、利己的な目的のために過去を操作してるなら、これはもう、どっちがヒーローでもないし、どっちがヴィランでもありません。強いていうなら、歴史を操作させないタイムパトロール的な存在こそ、本物のヒーローって結末になるのかも。◇ちなみに…これまで宮﨑あおいは、自分の出演作をかなり選んできたと思うし、とくに民放では、ほぼ主演らしい主演をしてこなかったけど、今回のドラマは、そんな彼女のお眼鏡に適ったというより、はじめから野木亜紀子が、《宮﨑あおいありき》でアテ書きしてるのでは?…と感じさせる内容になってます。この役って、新垣結衣にも、石原さとみにも、ちょっと代替できない気がするのよね。宮﨑あおいでこそ成立する物語なのです。◇SFではないけれど、じつは宮﨑あおいの映画デビューって、大林宣彦の尾道作品だったんですよね。見たことないけど!…(^^;野木亜紀子は、そのことを念頭に置いて、宮﨑あおいのためのSFを書いてるのでは?…と思えてならない。かりに、時間操作によるパラレルワールドが消滅して、文太と四季のあいだに育まれた愛情も、それと同時に消滅してしまうのだとしたら、それって、かつて大林宣彦が、「時をかける少女」で追求したテーマと同じ。その宮﨑あおい版ってことになるからです。◇ただし、今作の場合、いちど作られたパラレルワールドは、完全に消去されてしまうわけじゃなく、むしろ、文人=兆の目的のほうが、達成されずに失敗に終わりそうな予感。…まあ、未来で生身の体での再会はできなくとも、ホログラムの形でなら、時空を超えて意思疎通ができるのだから、そこでお互いの運命を受け入れながら ある種の遠距離的関係を続けるってことも、たぶん出来なくはない。それが幸福か不幸かは分からないけれど。
2025.11.27
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めずらしく「NHK俳句」を見ました。今回の講師は、櫂未知子。最後の「俳句ドリル」のコーナーが参考になったので、忘れないうちにメモしておきます。◇いとうまいこの句。放課後に響くオルガン 初秋かな放課後にオルガン響く初秋かな(添削後)添削理由は…最後の「かな」が重たい切れ字なので、中七で切るのは避けたほうがよい …とのこと。一般に、・「や」と「かな」の併用は避けるべき。・「や」と「けり」の併用は避けるべき。などと言われるのですが、それと同じような理由ではないかと思います。つまり、感動の焦点が分散するので、一句のなかで2度の詠嘆は避けるべきってことですね。◇櫻井紗季の句。あざやかな幟旗のぼりばた揺る 初秋かなあざやかな幟の揺るる初秋かな(添削後)これも同じ添削理由です。中七を「揺る」の終止形で切るのではなく、「揺るる」の連体形で繋いだほうがいい、と。ちなみに「揺る」は下二段活用なので、連体形は「揺るる」になります。◇番組マネージャーの句。窓枠に埃溜まるる初秋かな窓枠に埃溜まれる初秋かな(添削後)これは、たんに誤用を改めた添削です。「溜まる」は四段活用なので、連体形は「溜まるる」ではなく「溜まる」だそうです。古語の場合は紛らわしい。添削では、助動詞「り」の連体形を用いて7音に処理していますが、文法的には、窓枠に埃の溜まる初秋かなでも正解だろうと思います。◇…そういえば、大昔、動詞が「四段」なのか、それとも「上二段/下二段」なのかを見分けるには、未然形の「~ず」の形にすればいいと覚えた気がする。未然形:切らず → 四段活用 → 連体形:切る時未然形:懲りず → 上二段活用 → 連体形:凝るる時未然形:入れず → 下二段活用 → 連体形:入るる時(Wikipediaより)ですね。ちなみにNHKプラスは8/29まで配信してるようです。
2021.08.27
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またまたNHK「フロンティア」を見ました。テーマは《ヒトはなぜ歌うのか》です。英国の認知症患者や、アフリカのピグミーのバカ族を取材して、音楽の起源や脳とのかかわりを探ってましたが…これが奇しくも、アニメ「鬼滅の刃」柱稽古編や、ドラマ「アンメット」にも重なる内容!1.予測機能と反復動作音楽のビートには次のような効用があるそうです。音楽のビート(リズム)を聴くと、脳内でドーパミンなどの報酬物質が発生することがわかっています。報酬物質とは私たちが気持ち良さ、快楽を感じた時に分泌される脳内物質です。ビートが繰り返されると脳の「予測機能」が働き出し、次にどんなビートが来るか「予測」し始めます。予測することの快感に加え、裏切られることの快感もあります。予測の複雑さを脳が喜んで大きな報酬を感じる。新生児を対象にした実験の結果、人が生まれながらにしてビート予測の能力を持っていることがわかった。https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/YRJ4VJLZRP/これは、ドラマ「アンメット」の《咀嚼》の効果に似てますよね。咀嚼のように一定のリズムで同じ運動を繰り返すことで、幸せホルモンと言われるセロトニンの分泌量が増えて幸福度が上がります。さらに、これは、岩柱・悲鳴嶼行冥の《反復動作》にも似てる。“反復動作”とは、全ての感覚を一気に開く技であり、これにより心拍と体温を上昇させていつでも一瞬で集中を極限まで高める事が可能となる。“反復動作”を発動する際のルーティン(定型)は行冥と玄弥の場合は念仏だが、方法は人により異なる。https://dic.pixiv.net/a/岩の呼吸これって、いわゆる「変性意識状態」じゃないかしら?変性意識状態となるのは、たとえば精神や肉体が極限まで追い込まれた場合、瞑想を行っている時、薬物を使用している時などがあるとされる。変性意識状態は「宇宙との一体感」「全知全能感」「強い至福感」などを伴うことがあり、この体験(変性意識体験)は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものも含まれる、といわれる。変性意識状態の代表としてトランス状態を挙げることができる。https://ja.wikipedia.org/wiki/変性意識状態アフリカやアマゾンで暮らす人々、あるいはネイティブアメリカンのシャーマン(呪術師)が祈ったり踊ったりしてトランス状態になるとき、誰かが必ず太鼓を叩いています。https://kangaeruhito.jp/article/357盲僧みたいな悲鳴嶼行冥のキャラには、浄土真宗の「衆生救済」「悪人正機」の思想を感じるのだけど、彼のおこなってる《反復動作》は、おそらく念仏行による変性意識状態を目指したものでしょう。2.内側前頭前野NHKの番組では、脳の「内側前頭前野」の話も出てきました。ヒトの脳でとくに発達してる内側前頭前野は、他人のことを考えるときに働く部分で、社会生活に欠かせない機能をもつものの、年齢とともに衰えやすく、とくに認知症で損傷するそうです。しかし、認知症の患者は、言葉を忘れても、音楽は忘れない。むしろ音楽に触れることで、その「内側前頭前野」を活性化させることができる。一方、ドラマ「アンメット」では次のように説明されてました。脳には内側前頭前野という場所があって、自分と他人を区別する場所なんですけど、大切な人や恋人に関しては区別しなくなるという報告があります。つまり、その人のことを自分のように感じてしまうんです。自他の区別がなくなるというのは、変性意識状態で「宇宙との一体感」「全知全能感」を得るのに似てる。内側前頭前野が報酬系に関係してるかは分からないけど、ドーパミンやセロトニンなどの効果で、自他の区別が溶解するのかもしれません。『集団の絆』というキーワードは、音楽の起源を考える上で外せないでしょう。音楽のビートにはたくさんの人を同時に動かす力があります。他人と一緒に体を動かすことは同じ体験の共有です。共に歌うのは『助け合えるよ』というサインだと言ってもいい。社会的動物であるヒトにとって報酬を感じる行動です。動物はグルーミング(毛づくろい)で『集団の絆』を確認しますが、ヒトが作った大集団ではグルーミングしきれない。その代わりに音楽が生まれたのではないでしょうか。集団が協力し合うためにとても役立つ発明だったはずです。『ヒトはなぜ歌うのか?』の答えは『集団の絆』のため、私たちは人とつながるために音楽を手にしたといっていいのではないでしょうか。https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/YRJ4VJLZRP/◇さらに、《認知症患者は言葉を忘れても歌は忘れない》…という話は、ドラマ「アンメット」でいうところの、《記憶を失っても強い感情は心が覚えてる》…という話に近い気もします。つまり、言語的な記憶や映像的な記憶を失っても、報酬系が活性化した記憶は別の場所に残る、…ってことかもしれません。◇なお、ピグミーのバカ族の歌は、完全4度の和音をなすポリフォニーと、即興的なポリリズムからなる高度な音楽です。ただし、ピグミーは、ネグロイドから分岐した別系統ともいわれるので、彼らの文化が人類の文化的起源といえるかどうかは、ちょっと分からないと思います。とはいえ、インドネシアのガムランなども、ポリフォニーとポリリズムを駆使した音楽ですよね。アフリカにもアジアにも、定義上ピグミーにあたる低身長の人々は居住しており、前者はネグリロ、後者はネグリトと呼ばれている。アジアのピグミーとアフリカのピグミーは遺伝的に近縁だと考えられたことはあるが、今ではこの説は否定されている。しかし少なくとも、アフリカ熱帯雨林に住むピグミー系集団の多くは遺伝的に近く、Bahuchet [1993]によると、これらの集団は少なくとも二万年前から、まわりの集団と遺伝的に分岐していたと考えられている。https://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/🌙今日深夜放送【#フロンティア】音楽を愛するすべての人へ✨️『ヒトはなぜ歌うのか』その謎を解く鍵はアフリカ熱帯雨林に住む音楽の民・バカ族の暮らしにあった脳と音楽の密接な関係とは🤔📺6/19(水) 2:25~NHK総合 ※火曜深夜🔻NHKプラスで見るhttps://t.co/LStfdJb5i1— NHK MUSIC (@nhk_musicjp) June 18, 2024
2024.06.27
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洗ひ髪百五ページの栞紐 夏空と履けぬサンダル目眩く風薫るロレックスで遊ぶ息子 汗止まぬ前途不安なサプライズ 旅涼し魚介カレーは八千円 夏深し象牙のパイプ飴色に 夏暁やさらのゴルフバッグ撫でる7月24日のプレバト俳句。お題は「高い買い物」。川柳っぽくなりそうな兼題です。◇野村麻純。洗ひ髪 百五ページの栞紐本好きの累計百万円の夏(添削後)この人は特待生候補ですね。季語は「洗ひ髪」で夏。俳句としては出来てますが、兼題から遠いという理由で才能アリを逃しました。兼題に近づけると、川柳になりそうな句材ではあるものの、(漢語を連ねた中八・下六で)夏深し 積読つんどく累計百万円のようにも出来るかもしれません。◇鈴木砂羽。夏空と履けぬサンダル 目眩めくるめく夏空とサイズの合わぬサンダルと(添削後a)履けずじまいのブランドサンダル 夏の空(添削後b)原句は下五「目眩く」が意味不明。夏空が眩しいのか。サンダルの値段に目が眩んでるのか。サイズが合わないことに目眩してるのか。なお、多くの歳時記において、サンダルは夏の季語じゃないようです。添削案は妥当です。(添削後b)は785の字余りですが、撥音「n」が多いので中八は気になりません。◇さや香新山。風薫る ロレックスで遊ぶ息子ロレックスおもちゃに吾子の風薫る(添削後)やはり手段の助詞「で」は避けるほうがよい。添削句の語順を変えれば、薫風や 吾子のおもちゃのロレックスのようにも出来るし、さらに中八ならば、薫風や 子はロレックスを玩具とすとも出来ます。◇水谷隼。汗止まぬ前途不安なサプライズ後輩へヴィトンのTシャツ サプライズ(添削後)本人の話によれば、> 高価なTシャツを後輩にプレゼントしたものの> それを無造作に重ね着する様子を見て> Tシャツの前途に不安を感じて汗が止まなかった…とのこと。あまり上達が見込めなさそうな才能ナシですw描写に具体性がないだけでなく、Tシャツの「前途」という日本語のチョイスも変だし、この場合の「汗」は季語じゃない。17音に収めるのは難しい内容ですが、高価な商品に無頓着な振る舞いを詠むのなら、後輩はヴィトンTシャツ重ね着すでもいいんじゃないかと思います。◇キスマイ横尾。旅涼し 魚介カレーは八千円掲載決定でしたが、わたしは助詞「は」が説明くさいと思う。魚介カレーだけでなく、すべてのメニューが高価なのであれば、ふつうに助詞「が」を使えば十分です。◇梅沢富美男。夏深し 象牙のパイプ飴色に夏深し 象牙パイプはまがい物(添削後)本人の話によれば、「象牙でなく鯨骨だったから変色した」との内容らしいけど、読み手には伝わらない。季語の「夏深し」もふくめて考えると、ネガティブな意味合いじゃなく、経年変化に想いを深めてるように見えます。ためしに季語を変えて、夏逝くや 象牙パイプは模造品としてみました。◇清水アナ。夏暁や さらのゴルフバッグ撫でる悪くもないけど良くもないって感じ。内容も調べもパッとしないのですね。直したところで、新品のゴルフバッグや 夏の朝のようにしか出来ません。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥久しぶりに学びです!😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/d9w76l6xYe— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 21, 2025 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.07.28
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遅ればせながら、先週のプレバトです。お題は「ソフトクリーム」。今回も個人的な感想です。◇朝日奈央。リハ帰りのプラットホーム 氷菓子「リハビリの帰り」のことかと思ったわたしは婆臭い??…とも考えたけれど、そもそも「リハーサル帰り」なんてのは芸能人の話だし、一般人にとってはリハビリのほうが身近でしょ!いまや「通所リハ」なんて言葉もあるんだから、きっとリハビリの句だと解釈した人もいるはずです。先生によれば、「反省の場面」とも「充足の場面」とも読めるという話でしたが、わたしはたんに「疲れた体でほっと一息」と読みました。◇ポンコツ玉森。もといキスマイ玉森。いつ終わる 氷菓にぎり長電話手に氷菓 なかなか終わらない電話(添削後)なぜ字足らずにしたんだろう?添削のほうは、これで妥当かなと思います。◇ポンコツ藤ヶ谷。もとい、キスマイ藤ヶ谷。あどけなし 夜中のアイス キミ愛す真夜中の アイス愛するキミ愛す(添削後)なかなかのポンコツ(笑)。添削のほうは、これが模範的といえるかどうかは分からないけど、なかなかに個性的で面白い出来ですね。◇ニューヨーク嶋佐。夏の雲 ソフトクリームと溶けてゆく溶けてゆくソフトクリーム そして雲(添削後a)溶けてゆくソフトクリーム・雲そして(添削後b)とりあえず添削では季重なりを解消していますが、そもそも「雲」と「ソフトクリーム」を同じ動詞で描写する態度が、詩的なふりをしてるだけで客観性に欠けていますから、それぞれ動詞を別にしたほうがいいと思います。…といっても、雲崩れ ソフトクリーム溶け落ちるぐらいにしか出来ませんが。◇キスマイ千賀。バニラの香 あさの牧場の涼しさよ朝の牧場 仕込むアイスのバニラの香(添削後)季語は「涼し」なのだけど、下五の「涼しさよ」という言い方は、感情語とまでは言わないまでも、かなり主観的な印象を与えてしまう表現です。やはり添削の描写ほうが客観的だし、言葉にせずとも「涼しさ」は伝わってくると思います。◇キスマイ横尾。八合目のドラム缶風呂 シャーベット取り合わせの句です。わたしは、「風呂に浸かりながらシャーベット食べてるの??」と思ってしまいましたが、実際は「風呂あがりのシャーベット」だそうです。人によっては、たんに「シャーベットの背景に風呂が見えている」と考えるかもしれないし、読んだだけでは、取り合わせの関係性が見えない。あえて関係性を明示しないのが正しいのですか?わたし自身は、上五の「八合目」でいったん切れを入れて、中七と下五の関係性を明示する構造のほうがいいと思う。◇梅沢。ババヘラの器用に咲かせ 砂日傘パラソルが派手で ババヘラアイス婆(添削後)原句の「咲く」という動詞は、「アイス」と「日傘」の両方に掛かってますが、この比喩的な掛け合わせの手法が、いつもながらにクサい。そのうえ、わたしは、しばしば、梅沢が「文法的な厳密さ」を怠ってるんじゃないかな、と思うのですが、この「咲かせ」という動詞の選択も怪しい…と感じる。「咲かす」は使役動詞なので、かりに「ババヘラ」がアイスのことだとすれば、「アイスが(自分自身を)器用に咲かせて」という意味になる。これはアイスの擬人化ですね。逆に「ババヘラ」が売り子のことだとすれば、「売り子が(アイスを)器用に咲かせて」という意味になります。どちらの意味で書いてるのかが、よく分からない。もしかすると、梅沢自身は、「アイスが器用に咲かせられて」という受身形のつもりで書いたのかもしれないけど、受身形であれば「咲かせ」ではなく「咲かせられ」です。そこらへんを厳密に確認してるかどうかが怪しい。ただの字数合わせでテキトーに処理しているように見えます。クサい比喩と擬人化。クサい掛け合わせ。そして、文法的な曖昧さ。これがパターン化しつつある。梅沢は、永世名人になって以降、かえって欠点が明瞭になってきたのではないでしょうか?その欠点を克服せずに句集の出版を急ぐのはどうかと思います。一方、先生の添削は、ただの投げやりとしか思えない。中七「派手で」の「で」の意味も分かりません。
2021.08.12
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フジ木曜劇場「silent」。今夜は第7話が放送されますが、第6話の《音のない世界は悲しい世界じゃない》を見ました。正直なところ、あまり乗り切れずにいたドラマでしたが、第6話の終盤部分はすごかった。ここまでテレビドラマで号泣したのは何年かぶり。今回の終盤15分ほどの内容だけで、のちのちまで「名作」と言われ続けるドラマになったなあ…と思います。◇先々週の第5話で、湊斗(鈴鹿央士)が自分から身を引き、主演の2人がヨリを戻したのを見たとき、え??この話って、もう終わりじゃない?このあとやることあります??と思ったんだけど、そうじゃなかったですね…。この第6話が、いちばん重要だった。ある意味、それまでの話は、第6話のための前フリだったとさえ思う(笑)。最後に奈々が泣くシーンを見て、ヒゲダンのテーマ曲がようやく耳に残るようになりました。◇夏帆が演じる奈々。彼女は、たんなる脇役じゃなくて、もしかしたら、物語でいちばん重要な存在なのかも。そして、夏帆のキャスティングがじつに絶妙なのだなと分かった。このドラマは、ほんとうは奈々が主役じゃないかな、とさえ思う。たしかに紬(川口春奈)は、太陽のように明るくて前向きな主人公だけど、ドラマの主役としては、あまりにも屈託がなさすぎて、それほど面白いキャラではないのよね。むしろ、奈々の悲しみを際立たせるためのポジションなのでは?◇奈々が紬にあてつけた、「プレゼントを使い回されたような気持ち」ってのは、けっこう強烈なセリフです。健常者は、あまりこういうことを言わない。これを「ひがみ・ねたみ」と言えばそうなのだけど、考えてみれば、人間にとって、ひがみやねたみって自然な感情なのよね。だって、人間はけっして平等には生まれていないのだから。そのことを悔しいと感じるのは、ごく自然な気持ちなんだなあと思う。ただでさえ健常者に嫉妬や憧れを抱いてきたのに、自分のわずかな幸せまで健常者に奪われたことの悔しさ、悲しさ。手話で話す人たちは、つねに両手を使う必要があるから、たとえ恋人が出来たとしても、手をつないで歩くこともできないし、おしゃれな可愛いバッグを持つこともできない。ささやかな望みですが、奈々の痛切な想いが分かって泣けてくる。ろう者の人たちは、言葉で意志疎通ができないハンデを補うために、健常者よりも感情を強めに表現する傾向がありますよね。だから、なおさら健常者から見ると、ろう者の人のあまりにもストレートな感情表現に面食らって、ちょっと驚いてしまう。そのへんの描写もリアルでした。このドラマは、とくに若い世代に支持されているとのことだけど、現実のろう者の人たちは、どう捉えているのでしょうか。やたらに「障害者は可哀想」という印象を植えつけるのも、賛否が分かれるところかもしれませんが、すくなくとも、健常者にはなかなか理解しにくい世界を、たくみに想像させる内容になっている点では評価できると思う。そして、今季の助演女優賞は、まちがいなく夏帆でしょう。◇◇◇わたしは、第5話までの内容を、30年前の「東京ラブストーリー」と比較しながら見ていた。4人の男女の恋愛模様という設定が同じだったから。30年前の「東京ラブストーリー」の場合は、やたらと互いにぶつかり合ったり、マウントを取り合ったりするので、あれはあれで、見ていて非常に疲れたのですが、逆に、今回の「silent」のほうは、やたらと譲り合いすぎるし、自分のことを必要以上に卑下したりするので、こちらはこちらで見ていてまどろっこしい、ってのがある。セリフのやりとりも、丁寧といえば丁寧だけど、かえって展開がモタモタしてて疲れる。おおむね、そういう感想を抱いてました。先々週の、湊斗「紬には片思いなんて分からないでしょ」紬 「いま片思いだよ」…みたいなやり取りなどは、なかなか洒落ていると思ったものの、それでも1.25倍速で見るぐらいがちょうどいいかなあ、って感じだった(笑)。◇しかし、若年世代にはとても評判がいいらしいし、わたしごときがそれにケチをつける必要もないし、さらに、ろう者の人たちがどう見てるかも重要な点なので、それについても、わたしがとやかく言う話ではない。くわえて、今後の展開が奈々を中心に動いていくのなら、わたしの興味のほうも、まだしばらくは続きそうです。◇ちなみに、Tverでは、湊斗(鈴鹿央士)と紬の弟(板垣李光人)の過去を描いた、「EP#0~8年前のある出来事~」が配信されている。これって、ちゃんと本編に組み込むべき内容なのよね…。そうしないと、湊斗と弟くんの親密ぶりは謎過ぎるのよ。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 16, 2022
2022.11.17
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冬銀河打ち上げピザはナポリ風 400℃火の如赤き父のセーター 炭ドームチーズとトマトの一騎討ち 炭火前早く運べとサラミの目 雪催煤切れを待つ耳赤く ピザカッターの先に居るずわい蟹 ピザに焼く上顎の皮雪催プレバト俳句。お題は「ピザ窯」。◇高瀬愛奈。冬銀河 打ち上げピザはナポリ風読んだ瞬間、「ピザはもともとナポリ発祥でしょ!」というツッコミもありうるかと思ったけど、まあ、ピッツァナポレターナを日本語で言ったら、たぶん「ナポリ風ピザ」ってことになるのだろうし、そこはとくに問題なしですね。ってことで、基本型にのっとった佳作でした。◇渡辺満里奈。400℃ 火の如ごと赤き父のセーターピザ窯の火のいろ 父のセーターは(添削後)調べてみたら、「400℃」という名の有名なピザ屋もあるらしいし、きっとそこからヒントを得たのでしょうが、梅沢が言ったように、兼題写真がなければ何が「400℃」か分からないし、陶窯にしちゃ温度が低いとは思うものの、読んだだけでピザ窯だと分かる人は少数でしょう。上五に季語でも主題でもなく、抽象的な数値情報を置いて切ってるのも、俳句の形として、いまいちバランスが良くない。なお、原句のほうは、「セーターが火のように赤い」という比喩ですが、添削句は、「セーターが窯の火に照らされている」と読めます。そして、先生は、最後の助詞の「は」は余韻を残すためだと言ったけれど、ふつうに読んだら倒置法に見えます。◇鬼越トマホーク坂井。炭ドーム チーズとトマトの一騎討ちピザ窯はチーズとトマトの一騎討ち(添削後)「炭」(冬)と「トマト」(夏)の季重なり。「炭ドーム」という変な造語。「一騎打ち」という擬人化。…と、いろいろやってますが、結局は「窯の中でピザを焼いてる」ということを、ただ比喩的に説明しただけの句で、それ以外には中身がありません。添削は、助詞の「は」を用いて隠喩を説明する形です。まあ、これは添削したところで凡人以下ですね。◇大貫勇輔。炭火前 早く運べとサラミの目炭火爆づ ピザのサラミは目のごとく(添削後)これも比喩と擬人化。上五は「窯の前」じゃ季語にならないから、あえて「炭火前」としたのかもしれませんが、ちょっと無理のある言い方です。添削句は、これまた助詞の「は」を使って直喩を説明する形。最後を「ごとし」と終止形にしないのは、こちらを見ている、との含意なのでしょうか?◇キスマイ北山。雪催ゆきもよい 煤切れすすぎれを待つ耳赤く石窯の煤切れを待つ雪催(添削後)やたらと難しい語彙を使うあたり、よくもわるくも千賀っぽくて、ほんとに自分で作ってるか疑わしくなるのよね…。中七の「煤切れ」というのは、陶芸でも使う用語らしいので、これだけでピザ窯とは特定できないはずですが、まあ、陶芸の句と誤読されるのも許容範囲でしょうか。寒さで耳が赤いのか、熱さで耳が赤いのかという問題はありますが、耳に焦点を当てること自体は悪くないと思います。とはいえ、なぜ「赤し」と終止形にしないのでしょうか?あえて連用形で省略を匂わせる必要性を感じません。◇馬場典子。ピザカッターの先に居るずわい蟹ピザカッターの先にずわい蟹のかたまり(添削後a)ピザカッターの先にずわい蟹のこんもり(添削後b)ピザカッターの先のずわい蟹を睨む(添削後c)ピザカッターの先のずわい蟹をどうする(添削後d)蟹の身がピザの上に盛ってあるらしいのだけど、さばく前のカニを切ろうとしているように見えるし、中七の「居る」という不要な動詞が、なおさら擬人化されたカニの姿を想像させてしまう。かたや添削句は、いくら上五を字余りにするといっても、7・3・6・4って…(笑)せめて中七・下五で調べを整えないと、あまりにシッチャカメッチャカなのでは?※追記:何度か読んでみたら、意外に句またがり的なリズムがある気もする…(^^;ためしに、ピザカッター ずわい蟹の身こぼれ落つとしてみました。◇梅沢富美男。ピザに焼く上顎うわあごの皮 雪催ゆきもよいピザに焼く上顎 雪催しんしん(添削後)上顎を火傷したという事実だけでなく、めくれた皮までを視覚化する意味でなら、原句のように「皮」と書いてもいいような気はする。ただし、その露悪的な描写が、季語の詩情と釣り合ってるかどうかは微妙。俳諧味と受け取る人もいれば、なんか汚らしいと思う人もいるでしょうね。なお、添削で用いている「しんしん」は、音もなく雪が降る様子の擬態語かと思ってたけど、寒さを表す擬態語でもあるのですね。
2022.12.02
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初冬のラグかの愛犬の尨毛あり 手入れして畳むセーター弛む歌 コロコロする寒夜ルンバ充電中 重ね着でコロコロ使う孫の顔 家族集うセーターから取る犬のぬくもり 着膨れた背中猫の毛あちこちに コロコロのミシン目ずれている四温11月23日のプレバト俳句。お題は、掃除具の「コロコロ」。もともとは商品名ですが、いまや一般名詞として使われている単語です。◇竹財輝之助。コロコロする寒夜 ルンバ充電中コロコロする絨毯 ルンバ充電中(添削後)原句は9+9=18音、添削句は10+9=19音の句またがり。今週のお題を選んだ時点で、もし「コロコロ」という単語を使えば、それが《掃除具》なのか《擬態語》なのか区別がつかない、…という問題が生じるのは容易に想像できる。まして、動詞で「コロコロする」と書いたら、ほとんどの読み手は擬態語と誤解するはずです。原句の「コロコロする寒夜」は、《何かを撫で転がしてる》とも読めるし、《寝転んでじゃれている》とも読めるし、《患部が腫れて違和感がある》とも読めるし、《何かが木枯らしに吹かれて鳴っている》とも読める。添削句の「コロコロする絨毯」は、《丸まって転がってしまう》とも読めるし、《毛玉が固まって凹凸が気になる》とも読めます。かろうじて誤読を回避するなら、7+10 の句またがりで、ルンバ充電 絨毯にコロコロをとでもするしかないかと思います。◇辰巳琢郎。重ね着でコロコロ使う孫の顔コロコロを巧みに重ね着の孫よ(添削後)原句も原句ですが、やはり添削句も添削句で、兼題を知らなければ、字面だけで「コロコロを巧みに」は理解しがたいし、語順的にも「巧みに重ね着する」との誤読を誘います。かろうじて誤読を回避するなら、重ね着の孫のお掃除コロコロととでもするしかないと思う。◇清水アナ。ローラーにマフラーのひだ張り付いて擬態語の「コロコロ」に誤読されるのを避けて、あえて「ローラー」という語にしたのでしょうが、これはこれで意味が分かりにくいですね…。上五から中七で、「ローラー=重機 or 工具」「マフラー=自動車の消音器」と解釈したら、まったく意味不明だし、かりに衣類のマフラーと解釈しても、「美顔ローラー or 粘着ローラー」などの読みの迷いが生じなくはない。さらにいうと「マフラーのひだ」も、《フリンジ/房飾り》なのか、《ニット面の繊維のひだ》なのか、《巻いたときのドレープ/たるみ》なのか、ちょっと判断がつきません。…内容的にも、さして詩情のある場面とは思えませんが、接続助詞の「て」で終わらせた後は、何の動詞が省略されてるんでしょうか?マフラーが絡まった滑稽味を詠んだのなら、マフラーの房コロコロに貼りつきぬと終止形にすればよいと思います。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ストレートでシンプルな表現が1番!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Qm4Wl9onQg— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 12, 2023◇アインシュタイン河井。初冬はつふゆのラグ かの愛犬の尨毛むくげあり7・7・5の字余りなので、「かの」or「あり」の省略も検討できるし、さもなくば、ラグに亡き犬の尨毛や 冬支度のような形に直すことも可能ではある。ところで、ラグは年間をとおして使う人もいるので、その場合は「初冬のラグ」でも問題ありませんが、この句では1年前の犬の毛を目にしたのだから、あきらかに冬物としてのラグを扱ってるわけで、単語の記載が歳時記にないとしても、それは冬の季語「カーペット」と同義であり、実質的には季重なりというべきです。そう考えると、たとえば6・7・5で、去年のラグ かの愛犬の尨毛ありのように直すことも出来ます。※ちなみに去年を「こぞ」と読むことも出来ますが、それだと新年の季語になってしまいます。4音の「昨年」などを使って「あり」を省略する手もある。◇YOU。手入れして畳むセーター 弛たゆむ歌手入れしてたたむセーター 弛む歌(添削後)おおむね俳句の形は出来ていて、「te・te・ta・ta・ta・ta・ta」の韻も面白いけど、描いてる場面は、どちらかといえば凡庸です。さらに、上五の「手入れ」が具体性に乏しいし、「~して~する」というのは経緯の説明です。手入れをしたのは、すでに過去であって現在ではない。そこにかんしては、手入れしたセーターたたみ弛む歌と名詞の修飾部にすることで、おおむね解決しますが。◇山之内すず。家族集う セーターから取る犬のぬくもりコロコロで犬の毛を取るお元日(添削後)6・8・7の字余りですが、上六の動詞は連体形か終止形かを読み迷うし、毛を意味する「ぬくもり」の直喩は誤読を招きます。さらに、助詞の「から」があれば動詞の「取る」は不要だし、逆に動詞の「取る」があれば助詞の「から」は不要です。つまり、技術的にムダが多いための字余り。なお、添削では道具の情報を優先してますが、原句に沿って、セーターの犬の毛を取るお元日でもいいんじゃないでしょうか。追記:スミマセン。これだと季重なりでした…◇皆藤愛子。着膨れた背中 猫の毛あちこちに外出時の場面らしいけど、字面からはそのことが読み取れないし、下五の「あちこちに」も蛇足に思えるし、内容的には、切れを入れず一句一章にすべきなので、着膨れて急ぐ少女の背に猫毛としてみました。◇梅沢富美男。コロコロのミシン目ずれている四温。前回の句《鼈甲のフレームにある小春》を見たとき、それが許されるなら、「階段にある小春」でも「鉛筆にある小春」でも、テキトーに言ったもん勝ちじゃないの?と思ったのだけど、今回の句についても、たとえば「埃の舞っている四温」とか、たとえば「ラジオの鳴っている四温」とか、テキトーに言ったもん勝ちって気がしなくはないし、そのまま「小春」に置き換えても成立する句です。…とはいえ、三寒のあとの四温という弛んだ日柄と、室内で掃除具の細部を観察してる気分は、それなりに響き合ってるし、季語の選択に説得力があるぶんだけ、前回よりはマシかなと思います。…それはそうと、前回といい、今回といい、半径30㎝のちまちました世界を詠んでて、いつのまにか作風が村上みたくなってますねw
2023.11.27
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便座冷たし世界地図睨む夜 万国旗小春の影を落としけり 冬虹のかけらとなった万国旗 万国旗隠し持つ手の如き鵠11月30日のプレバト俳句。お題は「万国旗」。◇清水アナ。便座冷たし 世界地図睨む夜なかなか面白い句材です。トイレの壁に世界地図が貼ってあるのね。先生は「世界地図」から始める語順にせよ、とのこと。たとえば、a. 世界地図にらむ便座の冷えし夜b. 世界地図にらみ冷たき夜よの便座c. 世界地図にらむ寒夜の便座かななどの案がありえます。動詞「にらむ」は、通常なら連体形になるはずですが、連用形で「にらみ」とすれば、そのあとに「座る」「いきむ」などの省略を仄めかせる。でも、動詞を使わずに句またがりで、世界地図の壁 夜の便座つめたしと写生するほうが面白いんじゃないかな。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しいぃぃぃ!😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/sZYfG1cwC3— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 28, 2023◇森迫永依。万国旗小春の影を落としけり作者自身は、《万国旗の影が小春の暖かさをもたらす》とポジティブな印象を詠んだらしいけど、先生も言ったように、「影を落とす」という慣用句のニュアンスが、不穏な世界情勢のネガティブな印象を抱かせる。平和への願いを込めてることには違いないけど、作者の意図とは逆の解釈で高評価となりました。追記:たとえば《万国旗小春の影を地に揺らす》のようにすれば、ネガティブな読みは避けられるかもしれません。◇森口瑤子。冬虹のかけらとなった万国旗冬虹に溶けて万国旗の残像(添削後)ある種の幻想句ですが、やや散文的という気がしなくはない。より韻文らしくするために、a. 冬虹の欠片となりて万国旗b. 冬虹の散りたるごとき万国旗c. 冬虹の弧のほどければ万国旗などの案もあるかと思います。なお、原句は、《虹が消えて万国旗になった》という話だけど、なぜか添削句のほうは、《万国旗が消えて虹になった》という話に変わってる。追記:Tverで作者の話を聞き直すと「褪せている万国旗が冬の虹にリンクして…。吸い取られてしまったのかな」と言ってるので、「万国旗」の色彩が「冬虹」に吸い取られたという意味かもしれません。そう考えれば、添削はそれなりに意図を汲んでるし、たとえば《万国旗色あせ冬の虹と化す》のような案もありえます。◇フルポン村上。万国旗隠し持つ手の如き鵠くぐい万国旗抱くか 白鳥の羽撃はたたき(添削後)これも一種の幻想句ですが、白鳥のくちばしをマジシャンの手に見立て、そこからカラフルな万国旗まで想像させるのは、かなり唐突な比喩じゃないかなと思う。しかも、わたし個人の感覚でいえば、万国旗の手品は、手よりも口から繰り出すイメージが強いので、そもそも「万国旗隠し持つ手」の意味が分かりにくい。せめて「万国旗を繰り出す手」のほうが平易かも。17音で表現するには困難な内容の幻想でした。添削句も、完全な改作になってます。追記:Tverで作者の話を聞き直したら、白鳥の「くちばし」ではなく「飛び立つときの華やかさ」をマジシャンの手に見立てたとのこと。だとすれば、先生の添削はその意図を汲んでますね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2023.12.04
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NHK「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」シーズン4。21世紀の地政学《ゴシック編》の全3回を見ましたが…Twitterの感想も不評が多かったようだし、民放のバラエティならともかく、NHKのドキュメンタリー番組の水準としては、ちょっと見劣りのする内容だったように思う。◇で、例によって、音楽惑星さんと意見交換をしました。全面的な番組批判というわけじゃないのですが、自分的にいろいろ気づきもありました。今回もその内容をこちらに掲載します。◇赤字がわたし。青字が音楽惑星さんです。NHK「サブカルチャー史」ゴシック編の内容って、あんなんでいいのかな?なんか上っ面な感じで本質からズレてる気がするんだけど。どうなんでしょうね。まあ、文化史に「正史」があるわけじゃないし、サブカルチャーとして「ゴシック」を語ったら、ああいう風になるのかな。すくなくとも「ゴシック」のメインストリームにはなってないと思う。あのNHKのシリーズって、番組名が「サブカルチャー史」になってますが、《アメリカ編》なんかを見ると、完全に「メインカルチャー史」ですよね(笑)。B級映画ならともかく、スター俳優が出演するハリウッド映画なんてメインカルチャーなんだから、サブカルチャーじゃないですよ。だから、番組のコンセプトがもともと曖昧なんじゃないでしょうか。英国のロックミュージックだって、サブカルチャーじゃなくてメインカルチャーだと思いますよ。サブカルチャーがしだいにメインカルチャーに変わるのよね。日本の漫画やアニメも元来はサブカルチャーだったのに、いまや国家経済を支えるメインカルチャーだもんね。《アメリカ編》はけっこう見ごたえがあったけど、言われてみれば、たしかに「メインカルチャー史」だったね。だから、よけいに《ゴシック編》のサブカルチャー史が薄っぺらく見えるのかな。しかも日本のゴスロリなんぞを結論にしてるから、内容が全体にキッチュで軽薄なんですよ。いまや日本のゴスロリは海外にも輸出されてるから、そこに焦点を当てたい気持ちも分かるんだけど。ゴシックの本流から見れば、日本のゴスロリは枝葉末節でしょうね。日本の覆面レスラーがゴシックだ…とかいう話も唐突だし。あれはメキシコのルチャリブレから来てますよね。アステカ文明の影響だろうと思います。まあ、南米先住民の生贄文化やドクロの文化って不気味だけどさあ。それをゴシックの文脈でとらえる必要があるのかっていう。今回の番組でプロレスのことを取り上げたのは、たぶんヘビメタがプロレスの文化に近い文脈で消費されてることを念頭に置いたんだと思います。あー、そうなのね。それもまあ、枝葉末節だと思いますが(笑)。プロレス入場曲-ハードロック・ヘヴィメタル-https://t.co/1eoVoqSIER— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 27, 2024もともとゴシック的な美学をもってたのは、ハードロックやヘビメタよりも、グラムロックですよね。ルー・リードやアリス・クーパーやデヴィッド・ボウイなんかがノワール風のロックオペラやシアトリカルロックを作ってた。厳密にいえば「ノワール」と「ゴシック」は違うと思いますが、そういうグラムロックからゴシックロックが派生して、さらにヘヴィメタルと融合してゴシックメタルになるんだと思います。今回の番組ではグラムロックのことには触れてなかったね。サブカル的にはプロレス寄りのヘビメタのほうが重要なのかな(笑)。ただ、番組全体は英国中心史観で作られてたと思います。わたしは、そこがいちばん気に入らない(笑)。英国のゴシックロマンスを起点にするから??英国のゴシックロマンスはもちろん重要なんだけど、そこへ至る前提として大陸のロマン主義があるわけでしょ。ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」とか、ゲーテの「ファウスト」とか。そういう大陸ロマン主義のおどろおどろしさというのが前提にある。そうですね。英国中心史観って、ロックのビートルズ中心史観もそうだけど、大陸的な要素を必然的に見落とすでしょ。萩尾望都の「ポーの一族」とか永井豪の「デビルマン」だってそうなんだけど、日本のマンガ文化もドイツロマン主義の影響を受けてることを認識すべきです。手塚治虫にはゲーテの影響があるし、萩尾望都にはトーマス・マンの影響がある。英国ゴシックからの流れをいうんなら、藤子不二雄Aの「怪物くん」を挙げるべきだ!(笑)そう(笑)。もれなくドラキュラもフランケンも出てくるよ!ドイツといえば、グラムロックは基本的に英国の潮流ですけど、ルー・リードの「ベルリン」とか、デヴィッド・ボウイの「ベルリン三部作」とか、イギー・ポップの「イディオット」みたいにドイツに関連した作品もけっこう多いです。英国のゴシックロマンスも、ドイツ文化に発想の源泉を得てますよね。とくにゲーテの「ファウスト」は、フランケンシュタインを考えるうえで欠かせない。近代性への批判という意味で。悪魔に魂を売ったファウスト博士がいなければ、フランケンシュタイン博士もいないし、ジキル博士も、天馬博士もいないわけでしょ。そういう認識があってこそ、試験管ベビーやヒトゲノム計画が「ゴシック」の文脈に繋がる。ティム・バートンの「シザーハンズ」や枢やなの「黒執事」だって、ゲーテの「ファウスト」の流れから見ないと分からない。それから「サイボーグ009」のギルモア博士もそうです。石ノ森章太郎の「サイボーグ009」や「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」がなければ、永井豪の「デビルマン」もありえないはずです。キューブリックのストレンジラブ博士もその系統だよね。オッペンハイマーのことも意識してると思うけど。あのモデルはヴェルナー・フォン・ブラウンとかエドワード・テラーとか、いろいろ言われてますね。そして、そういう文明批判と同時に、「ゴシック」には異教的なものへの負の眼差しがあるわけよね。ゲーテの「ファウスト」にもワルプルギスの夜が出てくる。これはトーマス・マンの「魔の山」にも関係する。ケルト的な、あるいはゲルマン的な異教文化の象徴です。それからキリスト教の世界では、異教の神々を悪魔よばわりしたり、異教の精霊を堕天使よばわりするんだよね。だから、メフィストフェレスは異教の神さまなんだと思う。永井豪の「デビルマン」や庵野秀明の「エヴァンゲリオン」は堕天使ですね。ファウスト博士は錬金術師なんです。錬金術も東方の異教的な文化だと言っていい。そうだね。近代の科学技術は錬金術の影響を受けてるわけですよ。アイザック・ニュートンも錬金術師だった。錬金術は、古代ギリシアにもあったはずなのに、中世のカトリック教会はそれを排除してしまった。ところが、十字軍のときにイスラムから逆輸入されて、それが近代科学の発端になるわけです。まさに、それこそが「ゴシック」だよね。異教的であると同時に近代的でもあると。異教の文明にしても、近代科学文明にしても、カトリックの神を否定するという点で同質なのです。東方の異教文化に対する視線は「ゴシック」の共通要素かもしれません。ルーマニアのドラキュラも、東欧の正教文化に対する暗黒的なイメージが重なってるんじゃないでしょうか。冷戦時代のベルリンも東方世界に囲まれた飛び地だったから、何かせめぎ合うような場所だったと思う。NHKの番組ではチェコの映画のことを取り上げてましたが、チェコのプラハも錬金術師の多かった町だし、西欧カトリック社会を裏返すような異質な要素に満ち満ちてる。フランケンシュタインにはユダヤのゴーレムの影響もあると思います。いずれにしても東方の異教文化ですよね。さっき「怪物くん」の話をしましたが、あれに出てくる狼男も、東欧や北欧の獣人伝承です。チェコの「闇のバイブル/聖少女の詩」という映画は、1968年のプラハの春のさなかに作られてるんだけど、社会主義の立場からカトリックを批判してるのか、それともカトリック教会による抑圧を社会主義政府による抑圧に重ねてるのか、よく分からない。チェコの人たちは、カトリック信仰をみずから選んだんじゃなくて、ハプスブルク家に押しつけられたのだし、宗教改革も封じられてきた。そしてハプスブルク家が退場したと思ったら、こんどはソ連から社会主義を押し付けられた。いろんな抑圧のなかで地下文化を育んできた国ですね。シュルレアリスムの発信地でもあった。英国から「ゴシック」の影響を受けるまでもなく、もともと奇怪な想像力を肥大させてきた国だと思います。南北戦争時代の南部社会もゴシックロマンスの舞台になってきたんだけど、それについても今回の番組では取り上げてない。南部ゴシックについては、ちょっと分からないです。なぜ米国南部が「ゴシック」になるのかが、いまいち分からない。ヨーロッパの「ゴシック」とはちょっと違うでしょう。異教的なわけでもないし、異民族的なわけでもないし、先住民の文化を「ゴシック」ととらえてるわけでもないし、むしろ南部の白人社会を「ゴシック」として表象してるわけですよね。北部から見たら、南部の社会が野蛮で暗黒的に見えたんだろうね(笑)。よくいえば西部劇みたいに逞しくてカッコいいけど、馬に乗った人たちが道端で決闘して殺し合ったりしてたわけだから。19世紀の日本人がチョンマゲ結って切腹したりしてたのと同じで、野蛮な未開社会に見えたんじゃないの?20世紀になってもKKKなんかが黒人のリンチ殺人したりしてるし。ビリー・ホリデーの「奇妙な果実」とか。それはやはり「ゴシック」というより「ノワール」じゃないかと思います。まあ、そうだね。ナサニエル・ホーソンとかエドガー・アラン・ポーの場合も、要するにサスペンスのことを「ゴシック」と言ってるんだろうね。それでいうと、同じころの英国にダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」とかシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」とかがあって、そちらもサスペンス要素がゴシック風味になってる。あとは、大きなお邸がゴシック建築に見えるかどうかって話かもしれませんね(笑)。日本のゴスロリは「ロッキーホラーショー」の影響だと思ってたんだけど、大槻ケンヂは80年代前半の鹿鳴館ギャルのことを話してました。Wikipediaによると、米国で「ロッキーホラーショー」のコスプレ上映が始まったのは76年なんだけど、日本で応援上映をやったのは88年のリヴァイヴァル上映のときみたい。わたしが東京で「ロッキーホラーショー」を観たのも90年代です。欧米でいちはやく「ロッキーホラーショー」を体験した人が、80年代の鹿鳴館ギャルになった可能性もありますが…。自分はてっきりフランス人形の影響かと思ってました(笑)。フリフリのお人形みたいなドレスを着てるから。人形って怖いもんね。ホラー映画にもよく出てくるね。古い人形は怖いんですよ(笑)。日本の市松人形も怖い。四ツ谷シモンの関節人形みたいなのも不気味だしね。日本の場合は、とくに大正時代に、怪奇趣味的なものや退廃趣味的なものが和洋折衷のなかで生まれてきて、人形文化もそういう面を負ってるんじゃないかな。江戸川乱歩とか澁澤龍彦あたりを「ゴシック」の文脈で括ることもありますよね。ジム・シャーマンの「ロッキー・ホラー・ショー」は75年の英国映画だけど、同じ年にケン・ラッセルが「トミー」を撮ってて、当時としては、そっちのほうが評価が高かったはず。そしてケンちゃんは86年になって、その名も「ゴシック」という映画を撮ってるわけです。わたしが「ゴシック」の文化に触れたのも、この映画が最初でした。観たのは90年代になってからだけど。たぶん三鷹オスカーの3本立てとかで。三鷹オスカーの3本立て(笑)。そのときはメアリー・シェリーのこともブラム・ストーカーのこともよく知らないから、内容もよく分からなかったんだけど、いま考えると「ゴシック」の何たるかを知る上でお手本のような映画だったと思います。ディオダティ荘の怪奇談義を再現してるわけですよね。ケン・ラッセルってエキセントリックな人だけど、じつはイギリスの正統をとても意識してる人だと思う。D.H.ロレンスとか、オスカー・ワイルドとか、ザ・フーとかのキテレツな部分こそが英国らしさだと考えてたんでしょう。あれも、ひとつの英国らしさなんですね。そんな彼がなぜ「マーラー」を撮ったのかはよく分かんないんだけど(笑)。プログレの起源をマーラーに探ったとか?マーラーも分裂症的でキテレツな音楽だからかな。70年代に長尺の楽曲を収録したプログレのアルバムが売れるようになってから、マーラーのような長大なクラシック音楽も売れるようになったそうです。英国のロック文化とドイツ系のクラシック文化が、重厚長大な美学で重なり合ったともいえます。それまでマーラーやブルックナーなんて聴く人はあまりいなかった。もともとの「ゴシック」の語源は、西ゴート族のゴテゴテした野蛮な文化の蔑称なのだけど、それを18世紀以降のゴシック・リヴァイヴァルのなかで、英国人やドイツ人が自民族的なルーツとして再評価していくわけよね。異民族の異教文化に対する恐怖心とか侮蔑の感情が根底にありつつ、それを反転させたところに新しい価値が生まれてきた。ラテン的ではない、ゲルマン・アングロサクソン的な価値。そういう意味でいうと、日本にも「ゴシック」に相当するものはあると思います。たとえば弥生土器にくらべて縄文土器はゴテゴテしてる。能・狂言にくらべて歌舞伎はゴテゴテしてる。奈良の都市仏教にくらべて山岳修験道や北陸の浄土真宗はゴテゴテしてる。これは神仏習合の結果だけど。つまり、上方の朝廷文化から見ると、列島周辺の土着の文化ってゴテゴテしてるんですよ。洗練されてない。わたしは荒木飛呂彦の「岸辺露伴」の志向に日本のゴシックを感じるんだけど、それはたんに怪奇趣味的だからじゃなくて、都の仏教的な文化と対極的な土着の習俗を掘ってるからなんです。たとえば、小泉八雲みたいに出雲の神話を探ったり、北陸の浄土真宗的な泉鏡花とか、滝沢馬琴みたいな房総半島のヤンキー武士の世界をリスペクトしたり、目のつけどころがいちいちゴシックだと思うのよね。馬琴の「南総里見八犬伝」って千葉のヤンキーなんですね(笑)。あれは戦国時代の木更津キャッツアイですよ。荒くれ者の野武士集団だから。岸辺露伴は京都に行くべきじゃない、と。いや、べつに京都で百鬼夜行に遭遇してもいいんだけどさ(笑)。このあいだNHKでやった「密漁海岸」も伊勢が舞台だった可能性はあります。でも、いままでのところは、おおむねゴシックな感じがするんです。
2024.06.29
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11/26放送の「県民ソング栄誉賞」。番組は見ませんでしたが、▶ Xにランキングが掲載されてました。◇都道府県ごとに、ゆかりのミュージシャンを選んでますが、「岩手のランキングに大滝詠一が入ってない!」「熊本のランキングに八代亜紀が入ってない!」…とツッコミを入れてしまいました。しかし、どうやら《故人を除く》というルールらしい。なるほど。存命のミュージシャンにかぎるのね。◇それにくわえて、《地元出身者に限定しない》というルールらしく、ご当地ソングを歌ってる、…などの理由でランクインしてる人も多い。たとえば、石川さゆりは地元の熊本だけでなく、青森、静岡、石川でもランクインしてます。「津軽海峡」が青森の歌、「天城越え」が静岡の歌、「能登半島」が石川の歌だからですね。ご当地ソングおそるべし!◇・北海道北海道はミュージシャンの層が厚いのだけど、細川たかしやジュディマリやピチカートファイヴを押しのけて、長崎出身のさだまさしがランクインしてるのがスゴいwWhiteberry も ZONE も入る余地がない。・埼玉埼玉もミュージシャンの層は厚いのだけど、なぜか吉田美奈子もスタレビも、NOKKOもCHARAもランクインしてません。本人が「埼玉出身」と言いたがらないのかしら?ダサイタマだから??ちなみに大友康平は「埼玉育ち」らしいけど、どちらかといえば「宮城生まれ」の印象が強い。逆に、はなわは「埼玉生まれ」らしいけど、どちらかといえば「佐賀育ち」の印象が強いです。・東京東京のランキングがいちばん不思議!なぜ福岡出身の郷ひろみがランクインするの?東京都民は、誰が東京出身なのか認識してないのかしら?坂本龍一や高橋幸宏は故人だから仕方ないけど、山下達郎とか大貫妙子とか、佐野元春とか忌野清志郎とか、オザケンとか小山田圭吾とか、薬師丸ひろ子とか菊池桃子とか、いかにも東京っぽい人は他に沢山いるよね。・神奈川神奈川は、ミュージシャンの層が厚いだけでなく、地元愛の強い人が多いので、それがランキングにもしっかり反映されてる印象。おおむね納得感のある結果だと思います。谷山浩子や由貴ちゃんがランク外なのは仕方ないかな。ブレッド&バターや横山剣もランク外でした。・石川金沢出身といえば中田ヤスタカの一択かと思ったけど、なぜか八王子のユーミンや台湾の一青窈がランクイン。いろいろと縁があるらしいけど、詳しいことは分かりません。・京都・大阪・兵庫関西圏は、だれが京都でだれが大阪でだれが兵庫なのか、ちょっと区別がつきにくい。トータス松本は兵庫出身だけど、ウルフルズは大阪のバンドだそうです。京都のBONNIE PINKや、大阪のUAはランクインしてない。関西フォーク勢も見当たらないし、憂歌団もゴンチチも入ってません。大阪のトップがドリカムってのはどうかと思うけど、大阪府民は大阪人が嫌いなのかもしれませんねwなお、個人的に、神戸出身の印象が強いのは石野真子とナンノです。・広島広島はロックの層が厚いけど、矢沢、ハマショー、奥田民生のTOP3かと思ったら、そういうわけでもないようです。西城秀樹は故人なのでランク外ですが、さすがに世良公則は入れとくべきでしょう。吉田拓郎は鹿児島生まれの広島育ちなので、両県でランクインしてます。・福岡福岡のランキングがいちばん納得できる。ちゃんと入るべきミュージシャンが入ってます。神奈川と同じく、ミュージシャンの層が厚いだけでなく、地元愛の強い人が多いからでしょう。チューリップや甲斐バンドが入ってないけど仕方ない。氷川きよしやYUIもランク外なのだから。強いていえば、チェッカーズと藤井フミヤの重複が余計ですね。・鹿児島萌音・萌歌がランクインしてるのはすごい!!地元民に愛されてるんだね。辛島美登里はランク外でした…(T_T)・沖縄沖縄もミュージシャンの層が厚いので仕方ないけど、SpeedもCoccoも喜納昌吉も押しのけて、山梨出身のブームが入ってくるのがすごいw北海道にさだまさしが入るのと同じ現象ですね…(^^;
2024.11.30
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Eテレで「日曜美術館」ビアズリー特集を見ました。ビアズリーといえば山岸涼子と思うけれど…コメント出演したのは萩尾望都でした。山岸涼子はビアズリーよりミュシャに憧れてたそうです。【中古】 イシス(文庫版) 潮漫画文庫/山岸凉子(著者)価格:423円(税込、送料別) (2025/7/4時点) 楽天で購入 ◇番組を見て思いましたが…ヴィクトリア朝末期のロンドンって、ハプスブルク朝末期のウィーンに似てたのかも。19世紀末ヨーロッパの西端と東端だけど、どちらも王朝末期の文化が爛熟・頽廃するなかで、抑圧された欲望が噴き出てた感じがある。もっと知りたい世紀末ウィーンの美術 クリムト、シーレらが活躍した黄金と退廃の帝都 (アート・ビギナーズ・コレクション) [ 千足伸行 ]価格:1,980円(税込、送料無料) (2025/7/4時点) 楽天で購入 一方、本来の禁欲主義的なヴィクトリアニズムは、新大陸のプロテスタント社会へ受け継がれた気がします。◇ビアズリーの挿絵を載せたのは、オスカー・ワイルドの「サロメ」だけど、この物語は、あらゆるエロスのてんこ盛りなのよね…(^^;・ヘロデヤの密通と殺人・不義の娘サロメの死体愛・ヘロデ王の権力欲と近親愛・オスカー・ワイルド自身の同性愛この嗜虐的なエロスが、王朝末期の文化的な爛熟と頽廃にも、結核に冒されたビアズリーの死の恐怖にも、どこかで呼応してたんだろうなと感じる。ヨカナーンの首を掲げるのは毛の生えた腕?◇もともと、パリのサディズムとウィーンのマゾヒズムは、ファムファタールの理想を共有してたと思うけど、その英国的な回答がサロメだったのでしょうね。その意味でも、プラハやパリで活躍したミュシャと、ロンドンで活躍したビアズリーには共通性があるし、高度な印刷技術が発達した時代に、おもにイラストレーションの分野で、縦長の構図に女性を描いたところも両者は似てる。【中古】 ミュシャのすべて 角川新書/KADOKAWA(編者),ミュシャ価格:363円(税込、送料別) (2025/7/4時点) 楽天で購入 ◇わたしは90年代に、ケンちゃんの映画「サロメ」に心酔し、岩波文庫でオスカー・ワイルドの戯曲を読み、そこでビアズリーの挿絵を目にしたわけですが…もともとオスカー・ワイルドの戯曲が、フランス語で書かれたのも知らなかったし、挿絵を描いたときのビアズリーが20才だったとか、彼が25才の若さで亡くなったとかも知らなかった。たぶん、わたしが忘れてるだけで、岩波文庫の解説にはちゃんと書いてあったんだろうな…(^^;【中古】 ケン・ラッセルのサロメ [DVD]価格:30,753円(税込、送料無料) (2025/7/4時点) 楽天で購入 ◇ビアズリーは詩や小説も書いてたんですね。みずからを「詩人の残骸」と呼んでたっぽい。さらには、文芸誌「イエローブック」の創刊にも関わってます。当時のフランスに黄表紙の小説が多かったので、それに倣って創刊された文芸誌らしい。そういえば、大河「べらぼう」にも江戸の黄表紙が出てきましたね。pic.twitter.com/5ngLCh1v9q— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 3, 2025ビアズリーは詩才や文才だけでなく、母譲りの音楽の才能もあったようで、かなりピアノが弾けたとのことです。番組の解説によれば、ワグネリアンを嫌うワグネリアンだったそうでw一方、父方の祖父が金型細工の職人だったらしく、それがペン画の才能に結びついてる気がします。今回のEテレの番組サブタイトルは、《禁忌タブーの線/戦慄の白黒モノクローム》ですが、彼の残した作品はモノクロの線画ばかり?色彩を感じさせる作品はあるものの、明瞭にカラー作品と呼べるものは出てきません。pic.twitter.com/4kOesQbn6d— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 3, 2025 岸辺露伴は「もっとも黒い絵」を探してましたね…。◇なお、オスカー・ワイルドは、「俺の戯曲はビザンツ風なのに、ビアズリーの挿絵は日本風すぎる」と批判してたそうです。ビザンツ風ってのは、ギリシャ語聖書の世界ということもあろうけど、それこそクリムトやミュシャなんかも、ギリシャ神話を題材にした作品を描いてたし、サティは「ジムノペディ」みたいな曲を作ってたし、当時は荘重なギリシャ風が流行りだったのでしょう。そこから見るとビアズリーの線描画は、シンプルすぎて荘重さに欠けたのかもしれません。◇日本人がサロメの挿絵を見ても、あれを「日本風」とは思わないけれど、当時のヨーロッパの人たちから見ると、版画のようなシンプルな線画のスタイルが、浮世絵風(あるいは漫画風)に見えたのでしょうね。たしかに、ビアズリーのイラストレーションには、ちょっと漫画っぽく見えるものもあるし、実際に日本の漫画にも影響を与えたのだから、オスカー・ワイルドの認識は間違ってないと思う。ちなみに萩尾望都は、「縦横の直線のなかに曲線的な女性を配置する」…というビアズリーの特徴を指摘してましたが、それは日本の葛飾応為にもいえる気がします。ビアズリーが日本の浮世絵を見てた可能性もなくはない。◇他方、オスカー・ワイルドの「サロメ」は…日本では、松井須磨子と島村抱月の不倫や後追い自殺、さらに三島由紀夫の同性愛や自決にまで、禁断のエロスのイメージが繋がっていきますね。こちらは原田マハの小説。サロメ (文春文庫) [ 原田 マハ ]価格:803円(税込、送料無料) (2025/7/4時点) 楽天で購入 【再視聴は NHKプラス】 本日放送の #日曜美術館 「ビアズリー 禁忌の線/戦慄の白黒」は #NHKプラス なら7月6日(日)までの1週間、いつでもお好きなときにPCやスマホから再視聴できます。https://t.co/1uL2zF9lkw pic.twitter.com/1CVp7QbMiN— NHK びじゅつ委員長 (@nhk_bijutsu) June 29, 2025 6/27放送(7/6再放送) #日曜美術館 はビアズリー特集。久留米市美術館「異端の奇才 ビアズリー展」が紹介されました💛竹久夢二美術館 #夢二でたどるアール・ヌーヴォーとその周辺 では【ビアズリーと夢二】コーナーで「サロメ」「イエローブック」を展示中!東京でもビアズリー作品をご覧頂けます🧐 https://t.co/XKJEAe2gDM pic.twitter.com/3f4DpSk34I— 弥生美術館・竹久夢二美術館 (@yayoi_yumeji) July 2, 2025
2025.07.04
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NHK「SONGS」井上芳雄の回を見ました。今回は萌音の出番なし!◇NHKのポップス番組は、意味のない内輪アゲの場合も多いのだけど、今回は井上芳雄アゲというよりも、むしろ韓国ミュージカルアゲというべき内容。…かなりの衝撃でした。◇とにかく韓国ミュージカルの躍進がスゴい。わたしは去年の記事に、「韓国のミュージカル俳優なら世界でも通用する」…みたいなことを書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202405100000/ミュージカル俳優どころか、韓国の作品そのものがトニー賞を席巻してしまった。第78回トニー賞、ミュージカル「メイビー・ハッピー・エンディング」が最多6部門に輝くhttps://t.co/1UrqclSlqr— ステージナタリー (@stage_natalie) June 9, 2025日本には、宝塚や、劇団四季や、労音や、東宝ミュージカルなどがあって、韓国よりもはるかに歴史は古いけど…現状では、ブロードウェイに進出することさえ難しい。ところが、韓国ミュージカルは、BTSの音楽やポン・ジュノの映画のように、あっというまに世界で成功を収めてしまった。日本は先を越されてしまった形です。◇井上芳雄の話によると、20年前の韓国は日本から学ぶ立場だったらしい。大泉洋の話によれば、ドラマの世界でも、30年前までは韓国が日本に学んでたそうです。その立場がすっかり逆転しちゃってる。筋力の強い韓国人と、筋力の弱い日本人の身体能力の差、…ってこともあるだろうけれど、身体能力だけじゃトニー賞を6冠も獲れません。◇英語版ウィキペディアのGoogle翻訳によれば…トニー賞に輝いた「Maybe Happy Ending」は、韓国人作詞家のヒュー・パークと、米国人作曲家のウィル・アロンソンの共同脚本で、はじめから韓国語版と英語版があったようです。『Maybe Happy Ending』(어쩌면 해피엔딩)は、ヒュー・パークが作詞、ウィル・アロンソンが作曲、パークとアロンソンの両者が脚本を書いた韓国のミュージカルである。パークは友人のウィル・アロンソンにメールを送った。アロンソンはパークのアイデアに興味をそそられ、最終的に二人は一緒に物語を書き始めた。このショーは韓国語と英語の両言語で書かれ、アロンソンが最初の草稿を英語で書き、パークがそれを韓国語に翻訳した。両方のバージョンは、2016年にニューヨーク市での業界ワークショップで上演された。完全な英語プロダクションは別のチームで開発されたため、最終的なブロードウェイバージョンは、韓国で上演されたバージョンとは目立った違いがある。https://en.wikipedia.org/wiki/Maybe_Happy_Ending物語は、近未来を舞台にしたSFラブストーリーです。20☓☓年、ヘルパーロボットが活躍する時代。郊外にひっそりと佇む、主人を失った旧型ロボット達の専用アパートで、ヘルパーロボット3のオリバーは大好きなレコードと雑誌に囲まれて植木鉢と共に毎日規則正しく暮らしていた。ある日、向かいの部屋に住むヘルパーロボット5のクレアが充電コンセントを貸してほしいと訪ねて来る。同じヘルパーロボットながら考え方が正反対で溌溂としたクレアに振り回されるオリバーだが、2人は徐々に交流を深めていく。ロボットにはプログラミングされていないはずの感情に戸惑いながらも、お互いへの気持ちを育むオリバーとクレアだったが―。https://www.tohostage.com/maybe/story.html◇先日の「バタフライエフェクト」韓国編でも、そのことは取りあげられてましたが…韓流ドラマ、音楽、映画の隆盛は、1998年の金大中による文化政策が発端です。https://fujinkoron.jp/articles/-/7847?page=3その結果、国と民間による支援体制が確立してるっぽい。地元のプロデューサーの話によると、最初から海外展開を目指すのではなく、国内向けに質の高い作品が出来れば、おのずと世界にも進出できる…という考え方だそうです。◇日本にも、銀座や浅草や下北沢に劇場街の歴史はあります。しかし、井上芳雄が訪れたソウル市の大学路テハンノには、200もの劇場が林立してて規模が桁違いです。もともとはソウル大学のあった街だとのこと。pic.twitter.com/eKfgUMVlN7— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 28, 2025それだけの劇場街が成立するってことは、演劇人の層だけでなく観客の層も厚いってこと。どのくらいの料金で鑑賞できるかも重要だと思います。大学路テハンノの劇場街。大邱テグの国際フェスティバル。1万ウォンの幸せ:1人2枚まで1000円程度(通常の1/10)でミュージカルを鑑賞できる(座席指定不可)。人材の育成:ソウル市の運営するミュージカル学校が今年5月にオープン。 pic.twitter.com/G5JnxNQd65— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 1, 2025 【#SONGS #井上芳雄】💫歌唱動画公開💫「#雨が止んだら」#亀田誠治 プロデュース🎵#桜井和寿 作詞作曲🌟#日比谷ブロードウェイ のSPパフォーマンス🔥#井上芳雄 #甲斐翔真 #木下晴香#佐藤隆紀 (#LEVELVETS) #島田歌穂#田代万里生 #遥海👇本編の配信はこちら👇https://t.co/ZlGNp0j0Ta pic.twitter.com/afXE0Sqcnf— NHK SONGS (@nhk_songs) July 25, 2025
2025.07.29
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もう一ヶ月近く前の放送になりますが、NHK歴史探偵「ゴジラ」の回のメモです。◇以前、音楽惑星さんが、伊福部昭は映画『ひろしま』の音楽をゴジラに転用した…と書いてたので、http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-368.html詳しい背景について知りたかったのだけど、残念ながら、その話は出てこなかった。あらためて音楽惑星さんに確認してみたら、映画『ひろしま』のテーマ曲を、ゴジラの「帝都の惨状」に転用してるとのこと。映画『ひろしま』は、YouTubeやU-NEXTで見れますが、たしかにメロディが同じです。◇さらにネットで調べてみると、有名な「♪ド・シ・ラ、ド・シ・ラ」のメロディが、ラベルのピアノ協奏曲の引用(ほぼパクリ)との話も…(^^;https://note.com/newjapanphil/n/ne958940f4020日経新聞の記事よれば、伊福部はこの音列を10代の頃から使ってたらしい。映画「ゴジラ」テーマ曲、似た音列が未完楽譜に 公開20年前、伊福部さんの原点 - 日本経済新聞 https://t.co/8x3hjN2eBJ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025きっとNHKも、そのへんは承知の上で、面倒くさいからあえて取り上げなかったのでしょうw伊福部はゴジラのために、重低音を強調した音楽を作ったものの、この「ド・シ・ラ」の曲にかんしては、あえて高音のバイオリンを用いて、いびつに潰れたような低音のサウンドにしたらしい。pic.twitter.com/g5In0zEQpM— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025 pic.twitter.com/hr5NMklTJM— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025◇今回の番組ではじめて知ったのは、伊福部昭が被曝者だったということ。…といっても、広島や長崎ではなく研究所での被曝だそうです。pic.twitter.com/7c8JtBPTz5— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025伊福部は被曝者でもある。敗戦まで音楽家と技術者の二足の草鞋を履き、戦争中は木製飛行機製造のための強化木材の開発に従事し、研究に放射線を用いて被曝。1年間、寝たきりになった。https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=114979※なお、この片山杜秀の記事では、伊福部が「ド・シ・ラ」のメロディも『ひろしま』から『ゴジラ』へ転用したかのように書かれてますが、これは映画を見ても確認できません。Wikipediaによれば、伊福部の兄は被爆して亡くなったとのこと。1942年(昭和17年)28歳。兄・勲が、東京・羽田で戦時科学研究の放射線障害により死去。1945年(昭和20年)31歳。宮内省帝室林野局林業試験場に兄と同じく戦時科学研究員として勤務。放射線による航空機用木材強化の研究に携わるが、当時は防護服も用意されず、無防備のまま実験を続けた。研究成果を得ないまま終戦となったある日、突然血を吐いて倒れたが、医者には結核や過度の電波実験による毛細管の異状などと言われ、「何せ生命が最も軽んぜられた時代なので、医師も無責任なものであった」と述懐している。https://ja.wikipedia.org/wiki/伊福部昭ただし、伊福部昭の公式HPには以下のような注釈も。終戦直後の伊福部先生の謎の病ですが、成書ではよく放射線障害であるとの記述が見られますが、現代医学的な観点から症状を考査すると、原因として多少の放射線障害もあったとも考えられますが、主因は木材振動実験に伴う振動障害と過度の喫煙ではないかと考えるのが妥当と思われます。何れにせよ「生命が最も軽んぜられた」という時代を反映している一件であることは間違いないでしょう。https://www.akira-ifukube.jp/伊福部昭を読む/転向10年/そして、当初はゴジラも被曝者として、人間のような造形デザインがなされたらしい。pic.twitter.com/TqvBAvouXa— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025ちなみに、映画『ひろしま』や『ゴジラ』が制作できたのは、GHQのプレスコードが解除されたからです。pic.twitter.com/EuP1kRsJsY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025とはいえ、音楽惑星さんの記事にも書いてありますが…レッドパージの影響で、反米的な映画制作はなおも困難だったはずだし、米国では実際に検閲もあったようですね。ギャレス・エドワーズの「GODZILLA」でも。 pic.twitter.com/hvGcSMD3Hl— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025◇番組の最後には山崎貴が登場しました。もしかして、今回のNHKの「歴史探偵」は、彼の次回作を意識して作られたのでは??案外、NHKは、制作過程のドキュメントを作ってるのかも。◇山崎貴は『ゴジラ-1.0』を撮った後に、『オッペンハイマー』のアンサーを撮りたい!…みたいな話をしてましたが、いまや日本よりも米国の観客のほうが、反戦的なメッセージを受け止める姿勢をもっている、と。たしかに、いまの日本のヲタクどもは、萌え要素をデータベース的に消費するだけで、テーマや物語に対して無関心なのよね。その意味では、むしろ米国人のほうが、歴史に対する反省意識を強めてるかもしれません。pic.twitter.com/HUPqgbhiTl— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 25, 2025伊福部 昭(1914-2006) / 伊福部昭の芸術5 楽 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲、ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲 広上淳一、徳永ニ男、大友直人、日本フィル 【CD】価格:2,948円(税込、送料別) (2025/10/25時点) 楽天で購入
2025.10.25
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プレバト俳句。お題は「携帯扇風機」。俳句もイマイチ、添削もイマイチでした。◇まずは、しょこたん。扇風機持つ手甘噛む仔猫たち今週はこの句がいちばんよかったと思います。切れ目なしですが一物仕立てではありません。ただ、これを「コロナ禍の春を詠んでる」と解釈した先生の話は、正直、よく分かりませんでした。たしかに「仔猫たち」と複数になってるので、仔猫がたくさん産まれた春の句と読めるかもしれませんが、なぜ春に扇風機が回ってるのかも分からないし、なぜその状況をコロナ禍とまで読めるのかも謎。そもそも作者自身は、「仔猫」が春の季語とは認識してなかったようで、あきらかに夏の句として詠んでるわけですよね。実際、春に生まれたばかりの仔猫たちなら、せいぜい這って歩くのがやっとだから、手元にまで登ってくる脚力はないかなあと思う。むしろ、わたしは、扇風機もつ手甘噛みする子猫と一匹の猫にして、夏の場面を詠んだほうがいいと思います。◇小林幸子。扇風機 市民ホールの舞台袖開演の舞台袖なる扇風機(添削後)この添削はいいと思いますが、本人の話を聞くと、舞台袖で冷たい風に当たって一息ついたらしいので、上五は「開演の」より「幕間の」としたほうが妥当ですね。かりに上五を「幕間の」とした場合、中七の「舞台袖」と情報がかぶってる気もするので、本人談を参考にして、幕間のたらいの水と扇風機としてみました。◇鷲見玲奈。仕事ぶり見張るデスクの扇風機見張るかに回るデスクの扇風機(添削後)扇風機を擬人化しただけの一物仕立てで、切れ目なし。原句もイマイチだけど、添削も微妙です。添削の、「見張るかに回る(=周回する)」と、「回る(=回転する)扇風機」とでは、「回る」の意味が微妙に違ってるわけなので、これは一種の《掛詞》ですね。しかし、結果的には、後者の意味で「回る」を用いてるわけだから、(掛詞としての役割を除けば)たんに「回らない扇風機があったら持って来い!」という不要な重複語句でしかありません。正直、いい添削だとは思えなかったので、破調ではありますが、在宅ワーク 扇風機からの視線とやってみました。◇おいでやす小田。挟み立つマイクさながら扇風機マイク挟むごと相方と扇風機(添削後)これも切れ目なしの一物仕立て。扇風機をマイクに見立てた直喩ですが、原句のように「挟み立つマイク」とすると、まるで2本のマイクが自分を挟み立ってるように見えます。それが扇風機の比喩というわけだから、2本の扇風機が自分を挟み立ってることになるし、それをわざわざマイクに喩える意味も分からなくなる。他方で、先生が添削したあとでも、状況は依然として分かりにくく、まるで、「相方と扇風機がマイクを挟むように向かい合っている」と読めます。しかも、ギクシャクした破調です。ためしに、a: 漫才のマイク替わりや 扇風機b: マイクのごと コンビで囲む扇風機としてみました。◇千原ジュニア。ゆるキャラの汗の匂いとファンの音これも切れ目なしの一物仕立て。嗅覚と聴覚の情報に焦点を当てたとは言うものの、たんに「着ぐるみの中」を描いただけだし、さほど面白いとは思えない句でした。◇立川志らく。焼き鳥屋の団扇うちわに「みつを」を見つけ 焼き鳥屋の団扇に相田みつをの詩(添削後)これも切れ目なしの一物仕立て。「焼き鳥」は冬の季語ですから、夏にもかかわらず冬の句を詠んでしまったわけですね。破調を容認するほどの内容とは思えないし、たとえば、鳥を焼く団扇に相田みつをの詩鶫つぐみ焼く団扇に相田みつをの詩などとすれば、ちゃんと575に収まるんじゃないでしょうか。◇梅沢富美男。南国の果実色してハンディファン 季語を使わずに夏らしさを表現してる点に独自性はあるものの、これも扇風機の色を比喩しただけの切れ目のない一物仕立てだし、さほど面白い句だとは思えません。爺のくせに、柄にもなくカラフルな場面を描いてるところからして、「にこるんと デートに行った 電気屋さん」みたいな浮かれた気分だったのでしょう。そのことだけは、ありありと伝わってきます。◇ところで、梅沢の、「○○のようにして□□(が…している)」(果実のような色をしてハンディファンが並んでいる)と同じスタイルの比喩の句は、あえかなる鏡の色をして冬日(鏡のような色をして冬日が射している)がそうだったし、別珍の手触りのして梅の香よ(別珍の手触りのようにして梅の香りが漂っている)もそうかもしれません。これはたぶん、まゆはきを俤おもかげにして紅粉べにの花(眉掃きを思い出させるようにして紅花が咲いている)という芭蕉あたりが模範かと思いますが、これもいずれワンパターンに陥りそうな気がします。
2021.07.10
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頬紅き少女の髪に六つの花 左見右見風を抱くや鬱金香 ライン引き残してつるべ落としかな 花びらも乗車するなり春隣 えり足に冬の風ありLINE消す 空のあお富士の蒼へと飛花落花 旱星ラジオは余震しらせおり 廃村のポストに小鳥来て夜明け 札止めの墨色の濃さ初芝居 鷹鳩と化すカフェオレの白き髭 白髪の薄色に染め春立ちぬ おひねりや子役の見得に夏芝居 桐の花いつかは来ない紙袋 剪定や鋏の音の霏々としてプレバト俳句。今回は、梅沢富美男の過去作品を回顧していました。2020年以前の句は、このブログでは取り上げていなかったのですが、思いのほか凡句が多いですね…。初期のころは、かなり評価が甘かった気もします。…古いほうから順に見ていきます。いちばん最初の句は10年前らしいです。◇テーマは「12月の風物詩」。頬紅き少女の髪に六つの花これが、初登場にして「才能アリ1位」だったらしい。でも、いま見ると凡句です。冬に「頬紅き少女」ってのは発想が凡庸だし、たんに「雪」と書けば2音で済むものを、わざわざ「六つの花」などと書いて5音も費やしてる。次の句でも、フジモンに「綺麗な言葉詐欺」と言われていましたが、たんに美辞麗句をひけらかして、何か文学的な表現をした気になってるだけで、じつは内容に乏しい駄作でした。◇テーマは「チューリップと遠足」。 左見右見とみこうみ風を抱くや 鬱金香うこんこうおもたげに風を抱くや 鬱金香(添削後)これも典型的な綺麗な言葉詐欺。そしてクサい擬人化。先生からも、ゆらゆらと風を抱くや チューリップと書けば意味は同じと切り捨てられていました。◇テーマは「秋の運動会」。ライン引き残してつるべ落としかな上五の「ライン引き」は、器具ではなく人物だと誤読されかねないし、そもそも名詞ではなく、複合動詞の「引き残す」だとも誤読されかねず、いずれの場合も、グラウンドの光景すら思い浮かべるのが困難になる。一般に、動詞を含む名詞を扱うのは厄介だと思いますが、耳慣れない名詞であればなおさらです。そして、この句もやっぱり綺麗な言葉詐欺。たんに「夕暮れ」と書けばいいものを、わざわざ「つるべ落とし」などと6音も費やし、それで何か文学的なことをやった気になっている。プレバトの俳句査定がはじまった当初は、こういう古い日本語の美しさを、テレビで紹介することの教育的意義もあったでしょうが、おそらく今ならボツにされる可能性が高いと思いますし、分かりやすい口語で詠む村上やフジモンに比べると、こういう梅沢の作風はたんなる虚飾としか見えません。◇テーマは「江ノ電と桜」。花びらも乗車するなり 春隣花びらも乗車す 風ゆらぐ電停(添削後)このあたりからは、これ見よがしな美辞麗句は控えられています。しかし、それに代わって「クサい擬人化」が出始めてますね。◇テーマは「初冬の代々木公園」。 えり足に冬の風あり LINE消す冬の恋終わりぬ 風に消すLINE(添削後)失恋して髪を切った女性を詠んだらしい。句材そのものにはオリジナリティがあり、詩情も悪くないと思いますが、せっかくの内容が読み手には伝わりにくい。たんに「えり足」と書いただけでは、髪を切った後だとは分からないし、たんに「LINE消す」と書いただけでは、恋人との連絡手段を断ち切ったとは分からない。短髪の男性がLINEの交信を終えただけにも見えます。まあ、それはそれで、ひとつの風景にはなりますが。◇テーマは「桜と富士山」。空のあお富士の蒼へと飛花落花鮮やかな映像ともいえますが、句材そのものにはさほどの独創性がなく、リフレインの効果だけで誤魔化されてる感もある。◇テーマは「ラジカセ」。旱星 ラジオは余震しらせおりこれは良い句ですね。率直で無駄のない客観写生になってますし、社会的な句材にも迫真性があります。◇テーマは「郵便ポスト」。廃村のポストに小鳥来て夜明けこれも良い句です。やはり社会的な題材を扱っている。梅沢が、接続助詞の「て」でお茶を濁すのは悪い癖ですが、ここで「小鳥来る夜明け」とせずに、あえて「小鳥来て夜明け」としたのは、まるで小鳥が朝を呼び込んだような面白さを生んでいて、例外的に「て」の使用が功を奏しています。◇テーマは「書初」。札止めの墨色の濃さ 初芝居札止めの墨色の濃し 初芝居(添削後)札止めの墨色ぞ濃き 初芝居(添削後)切れの作り方で添削されたのは惜しいですが、これも率直な客観写生で良い句だと思います。初芝居の期待と目出度さと活力がみなぎっている。◇テーマは「コーヒー」。鷹鳩と化す カフェオレの白き髭またもや文学的表現のひけらかし?…って気もするけど、この句にかんしては、滑稽な場面が季語と響き合ってるし、春の緩んだ空気感も出てますし、なかなか上手く出来てると思います。◇テーマは「美容室」。白髪の薄色に染め春立ちぬ白髪をうすむらさきに春立ちぬ(添削後)原句は「てにをは」がおかしい。「白髪の染まる」or「白髪を染める」のどちらかでなければなりません。◇テーマは「100円玉」。おひねりや 子役の見得に夏芝居おひねりの飴よ硬貨よ 夏芝居(添削後)これも原句は「てにをは」がおかしい。「見得に」が「夏芝居」に掛かっていますが、どう考えても「おひねり」に掛けるべきです。◇テーマは「紙袋」。桐の花 いつかは来ない紙袋読み手に「いつかは来ない」の意味が伝わるのか、ちょっと微妙ですよね。≫ いつか使う日が来るだろうと思ってても、≫ 実際に紙袋のストックを使う日は来ない…ってことなのだけど、読み手によっては、「いつもの紙袋の人がいつかは来なくなる」みたいに誤読されかねない。◇これ以降の句は、過去に取り上げたはずなので割愛します。最後は、今回の締めの一句。テーマは「シュレッダー」。剪定や 鋏の音の霏々ひひとして言葉摘むに似て剪定の鋏の音(添削後)ああ!無内容の極み!この場合の「霏霏」は、《絶え間なくずっと~》みたいな意味ですが、「絶え間なく鋏の音のしない剪定があったら持って来い!!!」ってやつで、上五の「剪定や」以外は、まったく不要な情報です。たんに「霏霏」って言ってみたかっただけ!相も変わらず綺麗な言葉詐欺。なんら成長していませんでしたwなお、比喩をやる場合に、「~ごと」を使う手法は何度も見ましたが、この添削のように「~に似て」も使えるのですね。
2023.04.09
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朝ドラ「らんまん」。浜辺美波が演じる寿恵子の部屋には、いわゆる"八犬伝グッズ"があふれています。…まずはこちらのカット。左がワンちゃんの置物。右は八徳の霊玉セット。こうしたワンちゃんが、いわば八犬伝のイメージキャラなのですよね。2匹の犬がじゃれ合っているのは、やっぱり現八と信乃のイメージでしょうか?寿恵子が読んでいる八犬伝の冊子にも、やはりワンちゃんのデザインが施してあります。国立国会図書館デジタルコレクションそして、八徳の霊玉セット。8つの玉は木製ですが、中央には大きな水晶玉が。江戸時代には、安価な「とんぼ玉」のアクセサリーが庶民の間で流行したそうですが、明治時代の水晶玉やガラス玉って、いったい、どのぐらいのお値段だったんでしょう?現在でも、大きさによって1000円~10000円までさまざまです。なお、八徳の霊玉セットは、現在でも売っています。里見八犬伝の舞台にあたる「南総」の館山市では、これが、ふるさと納税の返礼品になってるようです(笑)。https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12205/44640731個1万円。8万円の寄付でコンプリート出来るらしい。Amazonでは1個1500円!8個12000円でコンプリート?!◇…次に、寿恵子の後ろに貼られている縦長のポスター!これと似た浮世絵がWikipediaにも載っています。月岡芳年の「芳涼閣両雄動」です。めちゃカッコいい!信乃と現八が戦った《芳流閣屋根上》の場面。上から信乃が覗き込み、下で現八が待ち構えている構図です。やはり信乃は、色白の美少年として描かれています。芳流閣ってのは高層の物見櫓です。その屋根の上で2人は戦ったのですね。「放龍閣」「教竜閣」「芳涼閣」など色々な字が当てられるらしい。寿恵子が貼っているポスターは、よく見ると、芳年の絵とはちょっと違いますが、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八字をあしらった満月がデザインされてるっぽい。…オシャレ!!追記:寿恵子が貼っていたのは、月岡芳年ではなく、↓歌川国芳のこちらの絵に近いですね。https://www.city.tateyama.chiba.jpなお、Amazonには、歌川国芳版の別バージョンの絵のマグカップも売ってます。◇その右側の壁にも2枚のポスターが貼られてます。やはり、いずれも《芳流閣屋根上》の場面。調べてみたら、左は歌川豊国、右は豊原国周の浮世絵でした。ちなみに、豊国のポスターには信乃しか描かれていません。これは三枚続の絵の右端部分なのですが、源八は、左端部分に描かれているためです。きっと寿恵子は、美少年の信乃推しなのでしょうね。http://history.hanaumikaidou.com/archives/8602かたや、豊原国周は同時代に生きていた浮世絵師。貼られているポスターは、明治7年に歌舞伎役者を描いた三枚続の絵に似ています。寿恵子は、10年ぐらい前の役者絵を飾っているわけです。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/382048◇さて、明日からの第7週は「ボタン」というサブタイトルです。どうやら寿恵子の"牡丹好き"が明かされるらしい。きっと八犬士に牡丹模様の痣があるからですね(笑)。はたして明治の初めに、腐女子のBL文化があったかどうかは謎ですが、大河の「どうする家康」でも、信長による《白兎の耳かじりプレイ》などが描かれています。実際、信長や信玄は美少年が好きだったらしいので、大河ドラマまでBL目線で見てしまいそうですw
2023.05.14
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山積みのプリント救いのかき氷 餅飯殿にも賑はひ戻りかき氷 まどろみの友は臨月夏氷 炎ゆる雲ボール回した帰り道 口元や甘いドラキュラかき氷 高原の氷菓エスプーマの瑞煙 秋淋し宇治金時のほろ苦く 駄菓子屋は今日までだってかき氷8月15日のプレバト俳句。地震の影響で一週ズレましたが、お題は「かき氷」です。◇玉井詩織。山積みのプリント 救いのかき氷山積みのプリント置いてかき氷(添削後)山積みのプリント終えてかき氷(添削後)原句は中八の句またがり。「救いの」が描写ではなく説明なので、これは添削のほうが妥当です。◇辰巳琢郎。餅飯殿もちいどのにも賑はひ戻りかき氷餅飯殿に戻る賑はひ かき氷(添削後)奈良の「餅飯殿」なる地名は初耳でした。まるで平安時代の御馳走邸みたいな名前ですが、もちめしでん…じゃないんですね(笑)。原句は7・7・5の字余り。助詞の「も」で言外のことまで説明するのは、やはり描写の範囲を超えてるので、これも添削のほうが妥当です。◇野村麻純。まどろみの友は臨月 夏氷これも描写的に書くならば、臨月の友のまどろみ 夏氷となるわけですが、原句は、友をいたわる作者の心のセリフと読めるので、これはこれでありかなと思います。ちなみに、作者は短大で俳句や短歌を学んだとのこと。それで大河の「さわさん」役に起用されたのかしら?さわさんのモデルは、行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るとか知ると詠んだ筑紫の君ですよね。◇Aぇ! 佐野晶哉。炎ゆる雲 ボール回した帰り道夕焼ゆやけ雲 ボール回した帰り道(添削後)夕焼や ボール回した帰り道(添削後)37点の才能ナシ。夕焼雲の意味で「炎ゆる雲」と書いたのは、まあ無理もないかなあと思うけど、それより不可解なのは、野球のボールと台所のボールを掛けたって話。帰り道のキャッチボールと、帰宅後に回し食いしたかき氷とを掛けて、「ボール回した帰り道」と書いたらしい。しかし、読み手にはまったく伝わらない。なんか上達を見込むのが難しそうな才能ナシです。かき氷をボールで食べる場面に絞るなら、削氷けずりひをボウルに盛って友と食う野球の要素を取り入れるなら、友と分ける野球のあとのかき氷って感じでしょうか。◇ずん飯尾。口元や 甘いドラキュラ かき氷口元は甘いドラキュラ かき氷(添削後)原句は三段切れです。「甘いドラキュラ」も意味不明。ギリ凡の45点だけど、これも才能ナシでしょ!作者の話によれば、口の周りが苺シロップだらけの子供を詠んだらしい。しかし、字面だけでは隠喩かどうかも分からない。添削句は「口元は甘いドラキュラ」と書いてますが、それでも意味が明確になったとは言えない。苺シロップの味の話ではなく、甘い顔だちのドラキュラとも読めるし、甘い性格のドラキュラとも読めるからです。直喩で書けば、ドラキュラのごと口赤し かき氷削氷や ドラキュラのごと口赤くのようになりますが、隠喩で書くならば、口染めた氷いちごの吸血鬼みたいな書き方もあるかな。◇こがけん。高原の氷菓 エスプーマの瑞煙ずいえんエスプーマの瑞煙 高原の氷菓(添削後)1ランク昇格でしたが、梅沢の意見と同じで、わたしならボツです。読んだだけでは、隠喩かどうかも分からないし、何が何を比喩してるのかも分からない。「瑞煙」とは雲のことで、「エスプーマ」とは泡のことですが、《高原の雲が泡のようだ》と言ってるのか、《氷菓の泡が雲のようだ》と言ってるのか。原句でも分からないし、添削句ではいっそう分からない。…なお、俳句の世界では、「氷菓」と「アイスクリーム」を同一視してますが、一般的には別のものだというべきだし、まして、かき氷とは別のものだと思います。ためしに直喩で、削氷に瑞煙のごとエスプーマとしてみました。◇梅沢富美男。秋淋し 宇治金時のほろ苦く秋淋し 宇治金時のほろ甘く(添削後)これも微妙。作者はかき氷のことを詠んだわけですが…宇治金時というのは、一義的には小豆のことであって、かき氷のことではありません。百歩ゆずって、「夏の宇治金時」と書けば、抹茶シロップのかき氷とも解釈できるけれど、「秋の宇治金時」となると、さすがに小豆という解釈にしかならないと思う。そして「小豆が苦い」となれば、それはもう抹茶の苦さじゃないので、せいぜい心情的な苦さと解釈するほかない。添削のほうは、小豆の句としてなら成立してますが、小豆は秋の季語なので季重なりかもしれません。たとえば夏の句として、日暮れれば氷金時ほろ苦しのように詠む方法もある。それなら「抹茶の苦さ」という解釈も可能です。◇清水アナ。駄菓子屋は今日までだって かき氷かき氷を出す駄菓子屋があるんですねえ。わたしの近所にそんな店はなかったな。地域にもよるんでしょうか?先生は「駄菓子屋」と「かき氷」が近いというけど、わたしはそんな風にも感じなかった。全体が伝聞のセリフ形式で書かれてるので、季語の映像がやや弱いかもしれません。たとえば倒置法の句またがりで、食べ納めたり 駄菓子屋のかき氷のようにも書けます。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥次がんばりましょう!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/l3iK6nrMWW— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) August 5, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.08.19
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初蹴りはハットトリック初雀 船出かなより良い明日へ冬の朝 迎え春日当たる場所へ25の壁 初神籤花びら見据え徒手空拳 寒空にせ~ので見るよ恋模様 冬晴れや吉凶よりも腹の虫 枝数多吉凶咲くや初みくじ 笹飾る巫女のあかぎれ残り福1月9日のプレバト俳句。お題は「おみくじ」。今回は、ほとんどが比喩を用いた心情句。客観写生の基本に則った実景句が少なく、正月早々、惨憺たる結果でした…(^^;◇SixTONES髙地。初蹴りはハットトリック 初雀唯一、この句だけが、客観写生の原則にもとづいた実景句でした。作者によれば「ha」の頭韻は偶然らしい。ネット情報によれば、新年のサッカー練習を「初蹴り」と呼ぶそうで、それを新しい季語と考えるなら、季重なりと見えなくもありません。ちなみに「蹴鞠始けまりはじめ」は新年の季語です。◇鬼越トマホーク金ちゃん。船出かな より良い明日へ冬の朝初みくじ 船出のごとき朝の風(添削後)原句は、「船出」が年始の比喩で「明日」が未来の比喩。そして「より良い明日へ」は作者の心情。実景が「冬の朝」だけなので描写性に乏しい。◇伊原六花。迎え春 日当たる場所へ 25の壁おみくじを結ぶ春日の当たる場所(添削後a)春の日や 25歳の壁に立つ(添削後b)これを実景句として解釈するなら、「25枚の壁を日向に移動する」みたいな意味になりますが、作者の説明を聞くに、これは三段切れの心情句です。つまり、実景が皆無。また、上五・中七はポジティブな印象なのに、下五の「壁」がネガティブな障害の比喩に見えるので、全体の句意が分かりにくいのも欠点。なお、日本語に「迎え春」という単語は存在しませんが、かといって「春迎え」としたら春の句になるので、新年の句なら「迎春や」と書くのが正解でしょう。添削は両方とも春の句に直してますが、それだと作者の意図に反するのでは?◇大友康平。初神籤 花びら見据え徒手空拳徒手空拳 花のごとくに初神籤(添削後)原句は、「初神籤」と「花」の季重なりですが、「花びら」は結んだおみくじの比喩なので、それについては大目に見ることも可能。下6の「徒手空拳」とは、武器をもたずに立ち向かうことですが、少林寺の初詣じゃあるまいし、武器をもっておみくじを引く人などいないのだから、何故わざわざ「徒手空拳」と言う必要があるのかが謎。結果として、「花びら」が比喩であり、「徒手空拳」が実質的には心情なので、やはり実景の描写性に欠けます。◇みりちゃむ。寒空にせ~ので見るよ恋模様それぞれの恋のぞき込む初みくじ(添削後)これが最下位でしたが…実景を詠もうとした姿勢においては、上記の3句よりマシな内容に思えます。季語を「初空」「初御空」などに替えて、下五で「恋模様」という比喩を使わずに、初御空 せ~ので見るよ恋みくじのように直せば、60点以上の凡人評価にはなると思います。◇森迫永依。冬晴れや 吉凶よりも腹の虫冬晴れや 吉凶わらふ腹の虫(添削後)めずらしく客観写生の原則を無視して、主観的な心情句を詠んでますが…それが裏目に出て1ランク降格でした。おみくじを引いた場面とは分かるけど、やはり実景描写としての魅力に乏しいし、わたしも過去イチ出来が悪いと思う。深読みすれば、初詣の行列に並び疲れて、おみくじを引いた頃には、お腹がペコペコってことかもしれません。しかし、下五の「腹の虫」は、《空腹》なのか《腹立たしさ》なのか、一読しただけでは判別しにくいよね。◇梅沢富美男。枝数多あまた吉凶咲くや 初みくじ吉凶を咲かせ初みくじの御空(添削後)「枝に数多の初みくじ」の描写に、「吉凶が咲く」という比喩を重複させた無内容な句。◇清水アナ。笹飾る巫女のあかぎれ 残り福恵比須さまの福笹を飾ってるのね。作者の地元の兵庫なら、西宮神社の十日戎3日目でしょうか。しかし、その「残り福」が季重なりになった。上五・中七の実景は十分に魅力があるし、下五の季重なりさえ修正すれば、才能アリを取れた内容だったと思います。/📣木曜、夜7⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい〜2025年のスタートダッシュならず😭今年もよろしくお願い致します!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/qfT0f7rAeo— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 6, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.01.13
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祝日の回転寿司や夏近し 念願の当たりの文字ぞ初桜 〆の皿名脇役やわらび餅 額寄せて蛤に泌む卒園日 それ取って!くらでもおかんはいなり寿司 白きねたはんなり握り桜どき 亀鳴くや光封じる寿司カバー4月3日のプレバト俳句。お題は「回転寿司」。今回はろくな句がありませんでした。梅沢と中田喜子が、回転寿司初体験だったことに驚き。さすが上級国民だわね…(^^;なお、「寿司」は夏の季語ですが、「寿司屋」「回転寿司」などは年中あるので、季語にはなりにくいかなと思います。◇大西流星。祝日の回転寿司や 夏近しとりあえず形は出来てるので、平場なら1位でいいと思いますが…回転寿司の代わりに、「マクドナルド」でも「テーマパーク」でも、なんでも成立してしまう句だよね。なお、屋外の場面なら「寿司屋の列や」と出来るし、屋内の場面なら「寿司屋の混むや」と出来ます。◇ME:I・AYANE。念願の当たりの文字ぞ 初桜ビッくらポン!「当たり」の文字ぞ 桜咲く(添削後)原句は何の「当たり」か分からない。かたや添削句は三段切れなので、上6字余りで助詞を補って、ビッくらポン!の「あたり」の文字や 桜咲くとすべきでしょうね。◇高島礼子。〆の皿 名脇役や わらび餅回転寿司 〆は人気のわらび餅(添削後)原句はリズムが三段切れ。字面だけでは状況もよく見えない。実景描写に徹すれば、〆に喰ふ回転寿司のわらび餅のような滑稽句になると思います。◇知花くらら。額ぬか寄せて蛤はまぐりの沁む卒園日額寄せて卒園の日の潮うしお汁(添削後)原句は日本語になってません。字面どおりに解釈したら、《ハマグリが額を寄せて卒園式に沁みている》というファンタジーホラーになる。なぜなら、主語のちがう動詞を接続してるからであり、動詞「沁みる」も終止形か連体形か不明だから。とりあえず、額寄せて蛤汁や 卒園日と書けば意味はとおるけれど、「蛤」と「卒園」が季重なりなので、まあ添削句が妥当でしょう。◇稲田美紀。それ取って!くらでもおかんはいなり寿司稲荷寿司ばかり 回転寿司の母(添削後)原句は中8の字余り。「くら」はくら寿司とは分からないし、助詞の「でも」も説明的です。実景だけを描けば、たしかに添削句のようになるけど、さすがに「寿司」の重複はどうかと思います。ためしに、いなり寿司ばかりの母の四皿目と直しました。◇中田喜子。白きねたはんなり握り桜どき花烏賊はないかの白し 寿司飯はんなりと(添削後)中田喜子は一昨年にも「はんなり」を使ってる。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202308070000/京都の寿司屋だと言いたいのだろうけど、はんなりの語源が《華あり》だとすれば、さすがに「はんなり握る」は意味不明です。そもそも回転寿司じゃ職人の姿は見えないし、作者の説明を聞いても、寿司職人を描写したわけじゃないようだし。添削句のほうは、つややかな寿司飯が《華あり》ってこと?◇梅沢富美男。亀鳴くや 光封じる寿司カバー寿司カバーに針魚さよりのひかり封じたり(添削後)季語の本意を無視して、《ゆっくり流れる丸い寿司カバーを亀に見立てた》…という愚作。そんなの、平場に降格すべきでしょ。添削句のほうは、従業員がカバーをかぶせた場面でしょうね。◇清水アナ。ビッくらポン!見守る父は浅蜊汁ビッくらポン!父淡々と浅蜊汁(添削後)当たりくじに夢中な子供と、食後の味噌汁で一息ついてる父との対比。添削句のほうは、親子の句としては、ちょっと冷淡すぎる。助詞「は」があることで、子供と父の対比が明示されるわけだから、それを省くべきでもありません。わたしは原句のままでいいと思うけど、子供を見守ってるのなら、ビッくらポン!父は笑って浅蜊汁のようにも出来るし、当たりくじに無関心なら、ビッくらポン!父はゆっくり浅蜊汁のようにも出来ます。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!4/3は2時間スペシャル!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥もうひと工夫!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/2FPI3bIuIE— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 31, 2025 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.04.07
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Nスペ「堺雅人が巡る古代エジプト」後編を見ました。すでにNHKプラスの配信も終わってます…(^^;エジプト&スーダンの国境あたりにあった、ナイル川上流ヌビア地方のクシュ王国が、古代エジプトの混乱期に黒人ファラオを輩出してた、…との話です。まあ、それ自体は初耳ってほどでもありません。◇個人的に興味を引いたのは、古代エジプトにコブラ信仰があったこと。pic.twitter.com/POMoAEVhyw— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 28, 2025日本の縄文人にも、蛇神信仰があったと思うけど、そういう信仰が世界中にあったのかも。日本では、スサノオのヤマタノオロチ退治とか、仏僧による龍退治とか、おそらくは弥生以降の大陸系勢力によって、土着の信仰が駆逐されていった感じですが、地中海世界でも、聖ゲオルギオスのドラゴン退治などを見ると、キリスト教のような一神教によって、土着の信仰が駆逐されたと思えてなりません。当初のドラゴンはただの蛇だった。◇それから、クシュの「マンドリス神」を、エジプトの「ホルス神」に習合させた話も出てきた。(あるいは両者を兄弟にしてしまった)pic.twitter.com/dLLn19b4Wu— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 28, 2025 これは日本の本地垂迹と同じですね。異民族の神様を、自分たちの宗教体系のなかへ組み入れてしまう。そういう神仏習合みたいなことは、多神教世界ならどこにでもあるんだと思う。一方、ブラックファラオ時代の女性神官について、堺雅人は「卑弥呼みたい」と言ってましたが、男性の王と女性の神官に分かれるところは、どちらかというと日本の斎王に似てますね。pic.twitter.com/hnus1w2tjw— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 28, 2025◇クシュにも、エジプトにも、優れた金の精錬・工芸技術があったらしい。しかし、ブラックファラオの王朝は、鉄器をもったアッシリアに滅ぼされてしまいます。のちのプトレマイオス朝アレキサンドリアでは、いわゆる「錬金術」が発展するわけだけど…当時としては、金を精錬する技術よりも、製鉄技術のほうが高度かつ有用だったのでは??pic.twitter.com/v93zZmCv2B— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 28, 2025その他の世界史ブログ。◇ところで、今回の番組の冒頭に、ヨーロッパの基礎をなした古代ギリシャ文明は、古代エジプトの影響を受けてるから、そこに黒人の王(ブラックファラオ)がいたのは、ヨーロッパ人にとって不都合な史実だった。…みたいな話がありました。pic.twitter.com/BNWlbnCDRC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 28, 2025現代のヨーロッパ人が、自分たちの起源を古代エジプトに求めるのは、わたしには奇妙なことのように思えます。その昔、ナイジェリアのフェラ・クティが、アフリカ文明の起源をエジプトに求めたのも、それはそれで奇妙なことに思えたけど、ヨーロッパ文明の起源をエジプトに求めるのは、それ以上に変なことだと感じる。輸入盤 FELA KUTI / ORIGINAL SUFFERHEAD / I.T.T. [CD]価格:1,757円(税込、送料別) (2025/8/28時点) 楽天で購入 なぜならエジプトは、アフリカやヨーロッパではなく、むしろ中東の文明圏に属すと思うから。古代エジプト文明は、メソポタミアからの流れを汲んでるはずだし、現在のエジプトも、アフリカ諸国というより、むしろ中東諸国のひとつに位置づけられるよね。◇他方で、ヨーロッパ文明の起源に、ブラックファラオの国があるのが不都合なら、それ以前の古代エジプトは、ずっとホワイトファラオの国だと言いたいわけ?…とのツッコミも入れたくなる。たしかに最近でも、「古代エジプト人のDNAは中東の人々と近縁だった」…みたいな研究があって、メソポタミアからの移民も含まれてるっぽいから、古代エジプト人は、昔の人種概念でいうならば、「ネグロイド」じゃなく「コーカソイド」よね。その意味では黒人じゃなくて白人だといえる。でも、それを言ったら、スーダン人やエチオピア人だって同じでしょ。おそらく北アフリカの全域が、昔でいうところのコーカソイドの社会であって、エジプトとスーダンの国境付近に、コーカソイドとネグロイドの境界があるわけじゃない。相対的には、エジプト人よりヌビア人のほうが色黒だったにせよ、せいぜい目クソ鼻クソのちがいでしょう。◇マーティン・バナールの『黒いアテナ』も、ギリシャ人は色黒だった!…と主張して物議を醸しましたが、現代のヨーロッパ人に比べれば、エジプト人も、ギリシャ人も、キリスト教を生み出したヘブライ人も、ローマ帝国をつくったラテン人も、だいたい色黒だっただろうと思うのよねwヨーロッパ人が文字どおりの「白人」になったのは、7世紀にゲルマン人やスラブ人が流入して以降の話でしょ。それ以前は、色黒のラテン人やギリシャ人こそが「ヨーロッパ人」であり、色白のゲルマン人やスラブ人はむしろ「異民族」だったわけで、そのことを考えたら、「ヨーロッパ人は白人である」という定義は、ある意味で転倒したアイデンティティなのだといえる。そのアイデンティティを極めたのが、ナチスドイツの「アーリア人幻想」なのでしょうが、現在のヨーロッパにもまだ、一種の「コーカソイド幻想」みたいのがあるのかしら?【送料無料】黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ 上 2 考古学と文書にみる証拠/マーティン・バナール/〔著〕 金井和子/訳価格:5,280円(税込、送料別) (2025/8/28時点) 楽天で購入 ◇ヨーロッパ文明の起源を、古代のローマやギリシャやエジプトに見出しつつ、そのかたわらで、「白人でなきゃヨーロッパ人じゃない!」…みたいに思ってるんだとしたら、それは、考えれば考えるほど奇妙なアイデンティティです。まあ、日本にも、「日本語や天皇のルーツは朝鮮半島にある」と言うと、意地でも抗おうとする馬鹿なネトウヨがいますが、それと五十歩百歩なのかもしれません。◇もうひとつ、これはいつも疑問に感じるのだけど、たとえば「古代エジプト3000年の歴史」という場合、いったい何が3000年続いたってことなのかしら?中国でも「3000年の歴史」などとは言うものの、秦の始皇帝から清のラストエンペラーの間にさえ、一貫した王朝や民族文化は存在せず、そのつど前の王朝を滅ぼしながら、次々と異なる王朝へ入れ替わってるわけよね。それにつれて民族も言語も宗教も変わってる。古代エジプトでも、ブラックファラオの王朝や、ギリシャ系のプトレマイオス朝は、あきらかに異民族国家なのだし、民族的にも宗教的にも一貫してるわけじゃない。いったい何が「3000年続いた」んでしょうか??◇今回の番組を見ると、ヌビア人が引き継いだブラックファラオの王朝は、ヨーロッパでいえば、ゲルマン人が引き継いだ神聖ローマ帝国に似てます。つまり、異民族によって、歴史ある国家の体裁が受け継がれた形。実際、古代ローマ文明についても、それをラテン人の帝国において考えるのか、ギリシャ人の東ローマ帝国もふくめるのか、ゲルマン人の神聖ローマ帝国もふくめるのか、それによって歴史の長さが変わってくるわけです。…なお、ヌビア人も、ゲルマン人も、自分たちがまともな文明をもたなかったからこそ、(とりわけ文字をもってないことは大きい)積極的に異民族の文明を受け継いだのだと思う。そうしなければ、歴史のなかに自分たちの名を残せないからですね。黄金の国から来たファラオ エジプトを再興したヌビアの王たち[本/雑誌] (YAROKU BOOKS 図説古代エジプト誌) (単行本・ムック) / 松本弥/著価格:2,200円(税込、送料別) (2025/8/28時点) 楽天で購入
2025.08.29
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すでにNHKプラスの配信は終わってますが、ETV特集「POP:大滝詠一〜幸せな結末」を見ました。ほとんどの視聴者は、はっぴいえんど一派の礼賛番組と受け止めたっぽいけど、一体どこまでオメデタイんでしょうね…(^^;よくもわるくも、大瀧詠一はよく分かっていた。それに対して松本隆は、本気で分かっていないのか、それとも分かってないフリをしてるのか。◇洋楽のメロディに日本語を乗せるってのは、近代日本のポピュラー音楽の一般的な課題であって、明治以来のあらゆるミュージシャンがやってきたことで、それはべつに松本隆の独創ではないし、ましてロックに固有の課題ではないのだから、そんなことを内田裕也と話し合っても意味がありません。pic.twitter.com/t4uMHN1QeC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 19, 2025 日本のポピュラー音楽が、たとえ洋楽を分母にしていても、しだいに日本語の音楽になるのは当たり前のこと。ロックに固有の課題というのは、そんなこととは別のところにあるはずだった。曲がりなりにも、それはカウンターカルチャーだったのだから。◇日本語ロック派の連中は、「はっぴいえんどが勝った!」といって喜んでるらしいけど、ロックを日本語の歌にして商業的に成功することが、はたして《Rockの勝利》なんですか?山下達郎みたいに、ご縁とご恩にあやかって権力に取り入り、プチブル風のポップスを土着化させることが、ほんとうにロックの目指すべき姿なの?それはむしろ《Rockの敗北》でしょ。◇なぜ大瀧詠一は、「僕のやりたい音楽はPOPなのだ」などとわざわざ書いたのか。なぜ、そのことの意味を誰も理解しないのでしょうね。思考能力がないのかしら…?大瀧詠一はRockを放棄すべきだと自覚したわけでしょ。つまり、ボブディランやビートルズの可能性を信じるよりも、コニーフランシスやクレイジーキャッツを愛でることのほうが、彼にとっては大事だったのです。べつに、そのことを否定するつもりはありません。個人の趣味の問題なのだから。しかし、それを《Rockの勝利》であるかのごとく吹聴してる連中は、端的にいって頭がオカシイのです。◇なぜ大瀧詠一は、1985年を最後に音楽をやめたのでしょうか?日本語ポップスの隆盛が、あたかも《Rockの勝利》であるかのごとく誤解されることに、危機感と徒労感を抱いたからではないの??要は、自分のシンパの連中が、あまりにも馬鹿すぎて失望したんじゃないの?まあ、はっぴいえんど史観の信者たちは、死んでもそのことを認めようとはしないでしょうけれど。本人の自筆メモ帳の巻頭言
2025.09.22
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楽天が不具合の真っ最中ですね。◇沢口靖子の月9「絶対零度」は、女性総理が就任した政権下での、海外に拠点を置くトクリュウによる詐欺とか、カルト宗教教団のマネーロンダリングとか、大規模なサイバー攻撃の話になってて、それが同一グループの犯行かは、まだ来週以降を見ないと分からないのだけど…◇ちょうど現実の日本社会でも、高市政権の発足前後から、アサヒビールとかアスクルとかが、ロシア拠点のハッカーから攻撃を受けてて、昨日あたりもバンダイが攻撃を受けたっぽい。まるで、高市政権の経済安全保障政策を、狙い撃ちしてるような感じですね。(政権側の自作自演という陰謀論もなくはないけど)…ってことで、大河「べらぼう」の米騒動もそうでしたが、沢口靖子のドラマも予言めいた感じになってます。◇今回の楽天の不具合については、その原因も、完全に解消したかどうかも、まだ詳細が発表されてませんが、とりあえず…情報を提供するページにアクセスできなきゃ、アナウンスしてる意味ないじゃん!!!↓今回のアクセス障害。https://infoseek.faq.rakuten.net/s/detail/000007985?s=09https://plaza.rakuten.co.jp/hirobastaff/diary/202511070000/↓こちらは4月の改行バグ。https://plaza.rakuten.co.jp/hirobastaff/diary/202504110000/こういう重要な情報は、楽天グループの全ページに表示すべきでしょ。でなきゃメールで通知するとか。(まあ、ウイルス付きのメールを送付されても困るけど…)◇かりに今回の楽天のアクセス障害が、サイバー攻撃によるものだとすれば、攻撃の解除とか、内部情報の漏洩回避とか、ブログ以外のサービスへの攻撃回避とかを条件に、相手側との交渉を強いられるはずなので、何らかの不具合が今後も長引くかもしれません。◇アサヒビールの場合は、CM出稿量や出荷量を増やして対応してるっぽいけど、もし楽天の本業サービスがサイバー攻撃を受けたら、ほとんど企業として存続できなくなるのでは??そういう事態に、高市政権の経済安全保障政策は、ほとんど意味をなさないと思います。ただの勇ましげな掛け声で終わる可能性が高い。◇小泉政権の「備えあれば憂いなし」もそうだけど、こちらが盾を強めれば、むこうも矛を強めるだけなので、一時的に国民の支持が得られたとしても、じつは本質的な解決にならないのですよね。これって、経済的な安全保障だけでなく、軍事的な安全保障についてもいえることです。結果的には、軍産コミュニティを潤わせるだけで終わる。◇高市政権下で、日本の既存システムが崩壊するとの予言もあるけれど、実際、社会的な危機を、緊急事態宣言だとか、戒厳令やら徴兵制とかで乗り切ろうとするのは、じつはもっともアホな手法なのだと、今後の数年間(あるいは数ヶ月間?)で、日本人は痛感することになるかもしれません。◇そもそもポピュリズム的な政治が、外交や安全保障を争点にすること自体が、ほんとうは間違いなのよね。そんなものはプロに任せるしかないのだから。民主主義というのは、労使間や世代間の予算配分を争点にすれば十分なのです。安全保障政策をポピュリズムに委ねたところで、戦前の日本やナチスドイツのようになるのは自明です。つねに国民の7〜8割はバカなのだから。そのことを前提に民主主義を運営しなければなりません。幼稚なポピュリズムが自分の首を絞めるというのは、多分そういうことだと思います。アサヒ、アスクルに学ぶ サイバー攻撃後に「信頼を落とさない会社」がやっていること - ITmedia ビジネスオンライン https://t.co/wNqfWBcw4T— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 8, 2025
2025.11.08
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NHK-ONEの配信は終わってますが、映像の世紀「銀座百年の記憶」を見ました。昭和00年代と10年代とでは、いっきに状況が激変してしまうのですね。街を闊歩してたモダンガールが、わずか数年後にはモンペ姿へ変貌し、最後は空襲を受けて道端に死体が転がる。◇現代の日本も、ついに中国との軍拡競争へ突入してます。日中間に経済交流や人的交流があれば、それが事実上の安全保障の役目を果たすけれど、あらゆるレベルの交流が途絶えれば、いよいよ戦時体制の準備段階になってきます。いちど引き金が引かれたら、あとは雪崩を打つようにして、状況は急激に変わっていくはずですね。「銀座 百年の記憶」変わることで、変わらない街であり続けた #銀座 。時代は常にこの街を追いかけてきました。▼配信はこちらからhttps://t.co/2OjfuIujpQ#永井荷風#和光#資生堂#木村屋#モダンガール#美輪明宏#鳩居堂#バタフライエフェクト#映像の世紀 pic.twitter.com/GgcvS3Imp0— 映像の世紀バタフライエフェクト (@nhk_butterfly) November 10, 2025 去年のクドカンの「終りに見た街」も、80年前のタイムスリップから戻ってきたら、現代の日本が核戦争になってた…というオチでしたが、その予言がいよいよ現実味を増してきました。◇太平洋戦争のときは、日本が制空権を奪われたので、大都市がB29の空襲を受けたわけですが、日中間が軍事衝突になった場合、ウクライナやパレスチナと同じように、ミサイルを軸とした空中戦になるはずなので、もっとも危険なのは、沖縄の米軍基地&日本海沿岸の原発ですね。◇日本を大陸側から見ると、ちょうどアメリカの防波堤のような形になってるし、実際、最終的な局面になれば、アメリカは日本を防波堤にするはずなのよね。日本海沿岸には原発が林立してるので、かりに核弾頭がなくとも、核ミサイルと同じだけの被害が発生することになる。https://t.co/m2yMyFBWBz— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 19, 2025 高市早苗が、日中間の軍拡路線へ方向転換したタイミングで、柏崎刈羽原発を再稼働するってのは、彼女がまったく何も考えてない証拠です。矛盾したことをやってる自覚もないのでしょうね。本来なら、再稼働させるより前に、原発周辺の防空システムを整備せねばなりません。◇かりに柏崎原発が攻撃を受け、核汚染で新潟のコシヒカリが全滅すると、日本の食料自給率はほぼゼロになる。おこめ券を配って、国産米依存からの脱却を図るというのは、そのための準備なのでしょうか??◇高市早苗の支持者たちは、彼女のファッションを真似たりすることを、さかんに「#サナ活」などと言ってるらしいけど…(^^;ほんとうの「#サナ活」とは、ブランド品の洋服やバッグを真似ることじゃなく、防空頭巾やモンペを買うことであり、自宅の地下に核シェルターを作ることになるはずです。
2025.11.20
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TBS「せかくら」を見てて驚くのは、日本のアニメ「セーラームーン」が、とんでもなく海外に浸透してるんだなあ…ってこと。街なかに設置したカラオケで、現地の女性が主題歌の「ムーンライト伝説」を歌うと、通行人が足を止めて、みんな懐かしそうに口ずさむ。メキシコでは、女の子にいちばん人気のあるテレビ番組だったらしく、ポルトガルでは、テレビ史上もっとも視聴者数の多かった番組だそうです。◇調べてみると、アニメ「美少女戦士セーラームーン」は、1993年にスペインとフランスで放送され、その後はロシア、韓国、フィリピン、中国、イタリア、さらに台湾、タイ、インドネシア、香港、そして北米へ広がり、最終的には「世界40ヶ国で放送されている」とのこと。2017年の世界フィギュアのときに、メドベージェワが「ムーンライト伝説」で踊ったときは、あくまで日本向けのファンサービスよね…などと思ったけど、案外、そうじゃなかったのかもしれません。彼女も本気でセーラームーンが好きだったらしい。◇英語のWikipediaによると、セーラームーンは、フェミニズムやガールパワーなどの面で、女性視聴者を力づけた作品と見なされてるようです。In western culture, Sailor Moon is sometimes associated with the feminist and Girl Power movements and with empowering its viewers, especially regarding the "credible, charismatic and independent" characterizations of the Sailor Guardians.実際、せかくらに出てきたメキシコやポルトガルの女性も、「セーラームーンは女の子にとっての夢だった」「セーラームーンの主題歌は女の子にとって大事な曲」と話してました。世界中の女子に与えた影響力の大きさからいうと、ジブリ作品をも上回ってた可能性がありますね。◇もともとセーラームーンは、武内直子の漫画「コードネームはセーラーV」を、東映の企画によってアニメ化したものです。それはいわば、・魔法少女路線・戦隊ヒーロー路線・セーラー服少女戦士路線を結びつけたところに生まれている。このうち、東映の魔女っ子シリーズというのは、1966年の「魔法使いサリー」にはじまっていて、東映のスーパー戦隊シリーズは、1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」にはじまります。https://ja.wikipedia.org/wiki/東映魔女っ子シリーズhttps://ja.wikipedia.org/wiki/スーパー戦隊シリーズ◇そして、東映のセーラー服少女戦士の路線は、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」(1981)にはじまり、斉藤由貴の「スケバン刑事」(1985)に受け継がれた、と考えるのが一般的でしょう。しかし、これについては、以前、音楽惑星さんと話したことがあるので、その部分をすこし抜粋しておきます。青字が音楽惑星さんで、赤字がわたしです。薬師丸ひろ子は、セーラー服を着て機関銃をぶっぱなしながら「快感…!」などと呟いてしまった。これが世間の度肝を抜いてパンドラの箱を開けたのです。これが1981年の出来事なのですね。赤川次郎の『セーラー服と機関銃』は78年の小説です。和田慎二の『スケバン刑事』の連載は75年にはじまっています。しかし、それらのイメージは、あくまでも小説や漫画の中にとどまっていて、お茶の間で共有されるようなものではなかったと思います。やっぱり実写のインパクトは強い。実写でいうと、72年にはじまる東映の「恐怖女子高校シリーズ」なんてのもありました。じつは、ここらへんが起点のひとつではあります。その前に日活の「黒猫ロックシリーズ」や東映の「女番長シリーズ」などがあり、それが若年化して不良女子高生のシリーズになっていたんですね。和田慎二の漫画よりも、チンピラ映画のほうが先にあった。もともと「スケバン」という用語も、71年の『女番長ブルース牝蜂の逆襲』という東映の成人映画にはじまってます。「セーラー服と機関銃」も東映の配給だし、「スケバン刑事」も東映のドラマだから、東映ヤクザ映画の流れを汲んでるのはまちがいない。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-363.html#sailorもともと東映は、バイオレンスやエロティシズムなどの表現も、まったく臆することのない会社だし、幼女向けの魔女っ子シリーズにさえ、永井豪の「キューティーハニー」みたいに、けっこうエロティックな作品があったりします。そんな東映の作品に、とてもフェミニズム的な観点があったとは思えないし、むしろ少女を性的な商品とみなす発想のほうが、はるかに強かっただろうと想像できます。そもそも、「魔法使いサリー」の横山光輝も、「キューティーハニー」の永井豪も、「スケバン刑事」の和田慎二も、「セーラー服と機関銃」の赤川次郎も、ことごとく男性作家なのだから。◇英語のWikipediaによると、武内直子も、「東映のアニメは男性的な視点で作られている」との思いを抱いていたようです。Takeuchi later said because Toei's production staff were mostly male, she feels the anime has "a slight male perspective."しかし、制作側の意図がどうであれ、受け手側の少女たちは、「魔女っ子メグちゃん」や「セーラー服と機関銃」などを、女子を勇気づける作品と解釈した可能性はあるし、とりわけ「セーラームーン」の場合は、作者の武内直子が女性だったこともあり、なるべく男性的な視点を排除して、女子を中心とする市場にターゲットを絞ったようです。Although the audience for Sailor Moon is both male and female, Takeuchi does not use excessive fanservice for males, which would run the risk of alienating her female audience. それは端的にいえば、男性向けのエロティックな描写を控えたってことでしょう。そしていまや、東映の生んだ美少女アニメが、世界の「女性解放」を象徴する文化として共有されてる。それはちょっと不思議なことです。ムーンライト伝説。セーラームーン。この曲はメキシコの女の子にとってシンボル的な存在なの。子供のころアニメがはじまるとテレビの前で歌いながら踊ってたわ。メキシコの女の子が大事にしてる曲です。 https://t.co/GcHTERXm24 pic.twitter.com/KV1ZwUSe9S— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024メキシコではセーラームーンは女の子にとって1番っていうくらい人気。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cPV5J85krC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024セーラームーンで育ったようなものよ。セーラームーンがいちばん好き。セーラー服で戦うのが斬新だった。セーラームーン(1997放送)ポルトガルテレビ史上もっとも観ていた人が多い番組。記録は未だに抜かれていない。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cfVq04zlPD— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024◇余談ですが…主題歌の「ムーンライト伝説」の冒頭のメロディは、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」のパクリなので、著作権使用料を一部分けることで和解してますね。◇…ちなみに、TBS「せかくら」のカラオケ企画は、機械採点でランキングをつけてるのだけど、あいかわらずカラオケの機械採点ってのは、人間の歌を譜面に押し込む発想で設計されてて、細かい節回しやリズムの揺らぎなどを許容せず、あろうことかプロのジャズ歌手に低い点をつけたりしてる。こういう機械採点は歌の多様性を殺しますよね。人を感動させる歌の何たるかをまったく理解してない。たとえば米国の黒人音楽なら、自由に節やリズムを変えて歌ったりするわけだから、こんなバカげた機械は絶対に作らないと思いますけど、もしかしたら、カラオケの設計をしてる日本の企業人は、「ボーカロイドの歌がいちばん上手い」とでも思ってるのでしょうか?
2024.01.26
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アストリッドとラファエル5~文書係の事件録。第8話「完全犯罪の台本」を見ました。冒頭にいきなり犯行の一部始終を見せる、…というコロンボ的な倒叙形式でスタート。ところが、その犯人は、あっけなくビルの屋上から転落死してしまう。彼を突き落としたのは、その犯行の筋書きを書いていたラマルクです。いましたね!そんな奴が!モリアーティ教授的な宿敵!!すっかり忘れてました…(^^;◇ラマルクは、いつどうやって勘づいたのか知らないけど、アストリッドの過去のトラウマの真相を、サミを誘拐して自室に監禁して聞き出してました。サメの歯のペンダントをした、乗馬クラブのパワハラ指導員は、後ろから馬に蹴飛ばされて、サミのもってた干し草フォークに刺さって死んだのね。そして、その死体は、サミの父親が空き家の壁の裏に隠してました。なので、サミは過失致死もしくは正当防衛。そしてサミとサミの父親は死体遺棄の罪ですね。事故を目撃したアストリッドも、記憶喪失を証明できなければ共犯の可能性がある。◇社会力向上クラブで再会したサミが、アストリッドを見るなり帰ってしまったのは、そのためだったんですね。アストリッドが、しばらくぶりにサミの家を訪ねたときも、きっとサミの父親はヒヤヒヤしてたのでしょう。アストリッドが乗馬クラブのことを聞くたびに、きっとサミもビクビクしてたはずです。◇ラマルクは、結婚するアストリッドへのはなむけに、渾身の謎解きクイズを出題!!アストリッドのほうも、ラファエルが準備した婚前パーティなんかより、ラマルクの謎を解くのに夢中でしたねwある意味、ラファエルよりもラマルクのほうが、アストリッドのことをよく理解してるのよね…(^^;2人は不思議な絆でつながってるとさえいえる。実際、ラマルクのおかげで謎も解けたので、アストリッドの発作は完治するでしょう。◇なお、ダン・ブラウンの『ダヴィンチコード』では、ダヴィンチの「最後の晩餐」のなかに、イエスの秘密が隠れてたわけですが、今回は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の裏に、アストリッドの秘密が隠れてた…というオチ。なぜフェルメールなのか不明ですが、金色のターバンが金髪のポニーテールっぽいので、この少女をアストリッドに見立てたのかも。一説によると、この絵に描かれた少女は、父殺しで斬首刑になったベアトリーチェ・チェンチ、…ではないかといわれてる。ラマルクは、「アストリッドが殺人犯だ!」と主張してましたが、それもこの絵画に掛けてのことでしょう。【中古】フェルメール ——謎めいた生涯と全作品 Kadokawa Art Selection (角川文庫 ん 30-1 Kadokawa Art Selection)/小林 頼子価格:350円(税込、送料別) (2025/5/26時点) 楽天で購入 以下はシーズン1の話。そういえば、アストリッドって青い服が多くてフェルメールのイメージと重なります!— のんた (@QhsI4ys1gzRkBtm) October 5, 2022◇ラマルクは、ラファエルに銃殺されましたが、ほんとうに死んだのかしら?墓から出てきて復活する予感しかありませんw司法解剖の前に、遺体安置所から抜け出してるかもよ…(^^;◇ラファエルは、アストリッドの結婚指輪を、なぜか自分の指に嵌めました。…え??何やってんの?そして、その直後、「ラマルク…あ〜クソッ!」と呟いて倒れてしまった。きっと次のシーズンは、この指輪の謎を解くことから始まるのね。◇指輪に仕込まれていたのは、はたして致死量の毒なのか否か?それを仕込んだのは、ほんとうにラマルクなの?いつのまに?何のために?なぜラファエルはとっさに彼の仕業だと思ったの?ラマルクは、アストリッドの指輪に毒を仕込んで、彼女と心中しようとしたのでしょうか?もしかしたらラファエルは指が太くて、テツオの指輪を嵌めたのかもしれませんよねwだとしたら、ラマルクの標的は、恋敵のテツオだった可能性もあります。◇ところで、大腿骨で出来た弾丸からは、誰のDNAが検出されるのかしら??英国リメイク版『ペイシェンスとビー』ヨーク警察文書係の事件録。
2025.05.26
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NHK「あんぱん」第95話。母の登美子(松嶋菜々子)は嵩の退職に大反対!!自分は好き勝手に生きてきたんだから、息子についても自由放任主義でいいのに、意外なくらい過保護ですよね…(^^;つーか、はやく孫の顔が見たいだけ?それとも、いよいよ身寄りがなくなりそうで、にわかに息子に依存しはじめたのかしら?◇まあ、贔屓目に見るなら、彼女は好き勝手に生きてきたのじゃなく、当時の未亡人としては、やむをえない選択だった…とも言えます。だから、たんなるエゴイストか、息子想いか、ちょっと本心が判断しにくいところはある。いまのところ、戦死した次男についての言及もないのよね。◇さて、次週の予告も公開されましたが、蘭子と八木が結婚?…ともっぱらの噂です!つーか、ここどこ?誰の家?もしかして、すでに結婚してる??ここで八木は、「お前らしいものを描けばいい」と言ってるけど、これは嵩に言ってるセリフだよね。もし蘭子へのセリフなら、そこは「描く」じゃなく「書く」だろうから。◇ちなみに八木のモデルについては、サンリオ創業者の辻信太郎なのでは?…という噂なので、もしや蘭子がサンリオ社長夫人ってこと?!いやいや、三姉妹とも成功しすぎでしょ…(^^;みんなのたあ坊の先人訓 今も大切な日本の言葉100 [ 辻信太郎 ]価格:726円(税込、送料無料) (2025/8/8時点) 楽天で購入 ほかのドラマブログ!一方、こちらでは、ラジオを聴いて何を喜んでるのかしら?やっぱりNHKのど自慢?でも、メイコはラジオの前にいます。…いや、ラジオじゃなくてテレビかも。◇そして、永六輔といずみたくが作った「見上げてごらん夜の星を」は、もしや日本初のミュージカルでしたか?ちなみに最初の東宝ミュージカルは、菊田一夫が演出した「マイフェアレディ」で、これは「見上げてごらん夜の星を」の3年後。しかも国産じゃなく輸入ミュージカルです。一方、ネットで検索すると…日本初のミュージカルは、1951年の帝劇「モルガンお雪」だとの情報も。これは秦豊吉のプロデュースで菊田一夫の脚本。宝塚女優だった越路吹雪と古川ロッパの出演です。しかし、考えてみれば、宝塚歌劇だって一種のミュージカルよね。ならば、その起源は1914年(大正3年)にまで遡る。さらに、1911年(明治44年)には帝劇オペラもはじまってて、これがのちの浅草オペラに繋がっていくわけです。正直いって、ミュージカルの定義がよく分かりません…(^^;◇なお、以下の本が、労音のミュージカルに言及してないとすれば、それはちょっと片手落ちかもしれません↓日本のブロードウェイ・ミュージカル60年 プロデューサーたちはいかにしてミュージカルを輸入したのか [ 武田寿恵 ]価格:2,420円(税込、送料無料) (2025/8/8時点) 楽天で購入
2025.08.08
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テレ朝「顔に泥を塗る」最終回を見ました。去年も同じテレ朝枠で、高橋ひかる主演の「ハレーションラブ」があって、夏っぽいサイコホラーに惹かれたのだけど、今作もストーカー男の話で、すこしサイコホラーの要素がありました。◇去年のドラマにくらべると、物語の面白さには欠けましたが、ストーカー男の心理は、なかなかリアルに思えました。ねえハルくん、ハルくんにとって私って一体何だったの?大切な人だったよ。でも、それは美紅が俺にとって都合の良い存在だったから。愛してたかって聞かれたら、愛してたよ。でも「こんなの愛じゃない」って言われたら、そうなんだろうね。もし初めて会ったときの美紅が今日の美紅だったら、好きにすらなってなかっただろうから。ごめん、6年も無駄にさせて。そっか。今の私だったら好きにすらなってないのか。でも、今の私がいるのはハルくんに目いっぱい恋した6年があるからだよ。ありがとう。私の6年間、ぜんぜん無駄じゃなかった。↑これってありがちですよね。支配できる相手しか好きになれないって、ある意味、絶望的ですが…。さらに最終回では、毒親の問題にも触れていた。私はね、昔から人に流されて生きてきて、お母さんや周りの人に認めてもらえる道が正解だと思ってた。でも、やっと分かったの。自分の道は自分で探さないと、誰かにすがらなきゃいけないなくなるって。◇イヴくん役の木村慧人は、ほんとに美人で可愛かった!てっきりジャニタレかと思ってましたが、EXILEの人なのね…(^^;窪塚ジュニアはちょっと意外な役どころでした。…一方、バラエティなどで見かける高橋ひかるには、とくに魅力も感じないし、もともと華奢な女の子も好きじゃないのだけど、この枠のドラマで見る高橋ひかるは、儚げで、色白で、綺麗だな~と思います。華奢なわりに腰回りが細すぎないのも可愛い。あらためて、この人は夏のホラーが似合うと感じます。顔に泥を塗る(2) (ゼノンコミックス タタン) [ ヨシカズ ] 楽天で購入
2024.09.27
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NHK「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第14話。結局、唐丸はいなかったのね…。蔦重がそれを確かめることもなかった。◇でも、盲人の高利貸しの情報網は、吉原や裏社会にも張り巡らされてて、唐丸が犯罪組織に連れ戻されたことや、蔦重が彼の行方を探してることまで、しっかり把握してたのでしょうね。あるいは、もともと瀬川が、唐丸の捜索を鳥山検校に頼んでたとか?◇それはともかく…はやくもヒロインが退場??当初、わたしは、《このドラマの主題は瀬川の不幸を描くこと》と予想してたわけですが…なんか、アタリもせずハズレもせずって感じ。どうせなら夫婦にしてくれてもよかったのに…(^^;◇松葉屋の女将(水野美紀)みたいに、花魁から忘八の奥さんになった人もいるので、瀬川にだって、蔦重の妻になれる可能性はあったはずだけど、どうして自分から幸せをつかみに行かないの?…まあ、女のダンディズムを見せたとも言えますが、せっかく夫の鳥山検校が、男のダンディズムを見せて離縁してくれたのに、意味ないじゃーーん!!(T_T)◇もともと、瀬川と蔦重が幼馴染なのはフィクションですが、鳥山検校と離縁した後の史実は不明らしいし、蔦重に妻がいたかどうかも不明らしいので、森下佳子がその気になれば、いくらでも脚色し放題だったはず。こんなに早くヒロインを退場させて、残りの8ヶ月を一体どうするの??もしかして、6代目瀬川とか7代目瀬川とかを、とっかえひっかえヒロインにするつもり?◇なお、Wikipediaには「蔦屋重三郎に妻子がいたかどうかついての詳細はわかっていない」と書かれているものの…北尾重政の筆による『絵本吾妻抉』には、《恵比寿に祈願する重三郎とその妻子》の姿が描かれており、さらには、歴史学者安藤優一郎の書籍には、文政8年(1825年)に妻が死去したことが記されており、正法寺の過去帳に記された「錬心妙貞日義信女 文政8年10月11日」が重三郎の妻にあたると見られている。https://ja.wikipedia.org/wiki/蔦屋重三郎…のだそうです。◇そして、先週の「午後LIVEニュースーン」によれば、すでに橋本愛が妻役に決まってると!去年の10月には発表されてたのね…(^^;本命のヒロインがいたとは知らなんだ。橋本愛が大河で妻を演じるのは3回目だそうです。でも、いまのところ、蔦重の妻が吉原の人か市中の人かは分からない。忘八にはみんな奥さんがいますけど、いったいどこから嫁いできた人たちなのかしら?吉原は「四民の外」なのだから、市中から嫁いでくる女性なんていないよね…(^^;そして、蔦重の妻になる女性は、初恋の瀬川を超える存在になれるのか。そこもドラマ後半の焦点になるのでしょう。◇なお、その後の瀬川にかんして、Wikipediaには、喜多村信節『筠庭雑考』によれば、深川六間堀に住む深川何某という武士の妻となり2人の子を産んだ後、寡婦となった後髪を下ろして本所埋堀の大久保家町屋敷の家守をしていた大工・結城屋八五郎と連れ添い老後を過ごしたという。…とも書かれてますから、ドラマでも再登場はあるかもしれません。蔦屋重三郎の生涯と吉原遊廓【電子書籍】[ 永井義男 ]価格:1,595円 (2025/4/8時点) 楽天で購入
2025.04.08
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今回のドラマ「眩くらら~北斎の娘~」を見るまで、お栄(葛飾応為)のことをまったく知らなかったのですが、ネットで調べてみたら、これまでにも、いろんな媒体で何度も取り上げられてるんですね。最初期のものとしては、三国連太郎と岡田茉莉子による1970年のMBSドラマがあります。脚本は「眠狂四郎」シリーズでも知られる直木賞作家の星川清司。第25回芸術祭優秀賞と1972年のイタリア賞グランプリを受賞してる。その後、さまざまな戯曲や漫画や小説などの題材になってます。◇2007年の美術展あたりをきっかけに、西洋画法が北斎作品に与えた影響が指摘されるようになり、そのなかで娘・応為の役割がいっそう注目されることになったようです。今回のドラマも、こうした経緯を意識して作られているものと思いますし、カンヌでの上映というのも、近年の北斎研究の展開をふまえてのことだと思います。◇ドラマを見ていて疑問だったのが、お栄と善次郎(渓斎英泉)の恋愛というのが、はたしてフィクションなのか史実なのかという点だったんだけど、この2人の関係に軸を置くという物語の作法は、おそらく杉浦日向子の「百日紅」あたりから始まったのではないでしょうか。◇ちなみに、お栄の役は、これまで田中裕子、吉田羊、杏なども演じています。今回、宮崎あおいちゃんは、お栄を演じるにあたって、北斎やお栄の作品を鑑賞しにロンドンを訪ねていましたが、2年前にアニメ作品でお栄の声を演じた杏ちゃんも、もともと浮世絵が好きだったこともあり、けっこう熱心に葛飾応為のことを勉強してたみたいです。ちなみに、杏ちゃんの解説を聞いて、お栄がみずからの画号にした「応為」の由来というのは、父・北斎の「おーい」という呼びかけに「応える為」なんだな、と理解できました。◇以下は、応為を扱ったおもな作品と関連事項についての年表。1966美術本「艶本研究:お栄と英泉」林美一(林美一 江戸艶本集成「溪齋英泉・葛飾応為」)1970MBSドラマ「わが父北斎」星川清司(北斎:三国連太郎、阿栄:岡田茉莉子)1973戯曲「北斎漫画」矢代静一1977漫画「狂人関係」上村一夫1981映画「北斎漫画」新藤兼人(北斎:緒形拳、お栄:田中裕子)1983漫画「百日紅さるすべり」杉浦日向子1984小説「応為坦坦録」山本昌代1986漫画「北斎の娘お栄:奇女が奔放に描く心の世界/一筆描きの恋」いくざわのぶこ1990戯曲「夏の盛りの蝉のように」吉永仁郎1998米LIFE誌の企画「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に唯一の日本人として北斎が選出。2001小説「北斎の娘」塩川治子2007美術展「北斎:ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」江戸東京博物館2010日本テレビ系「おんな北斎:天才浮世絵師は二人いた!」荒俣宏/高嶋礼子(北斎:荒俣宏、お栄:吉田羊)2012漫画「お栄と鉄蔵:応為・北斎大江戸草子」トミイ大塚2013ユネスコの世界遺産に「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」が登録。2014小説「ゴーストブラッシュ(北斎と応為)」キャサリン・ゴヴィエ2015アニメ映画「百日紅さるすべり」原恵一(お栄:杏、北斎:松重豊、善次郎:濱田岳)2015美術解説本「北斎娘・応為栄女集」久保田一洋2016小説「眩くらら」朝井まかて2016テレビ東京系「美の巨人たち:北斎父娘特集」小林薫/蒼井優2016戯曲「燦々」長田育恵2017美術展「北斎 - 富士を超えて - 」あべのハルカス美術館「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」上野国立西洋美術館「北斎 - 大波の彼方へ」ロンドン大英博物館2017漫画「北斎のむすめ。」松阪 2017小説「北斎まんだら」梶よう子小説「北斎夢枕草紙:娘お栄との最晩年」三日木人2017NHKドラマ「眩〜北斎の娘〜」(北斎:長塚京三、お栄:宮﨑あおい、善次郎:松田龍平)BS11「北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」(久保田一洋/キャサリン・ゴヴィエ/安村敏信/内田恭子)2019戯曲「画狂人北斎」宮本亜門(北斎:升毅、お栄:黒谷友香、高井鴻山:玉城裕規)2019美術展「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」森アーツセンターギャラリー2020美術展「鴻山と北斎・応為 - 小布施に吹いた江戸の風 - 」髙井鴻山記念館2021映画「HOKUSAI」河原れん/橋本一(北斎:柳楽優弥/田中泯、お栄:河原れん)美術展「北斎 - 万物絵本大全図」大英博物館2024NHKドラマ「広重ぶるう」(北斎:長塚京三、お栄:中島ひろ子)映画「八犬伝」曽利文彦(お栄:永瀬未留)漫画「女北斎大罪記」末太シノ2025美術展「小布施 - 北斎の傑作 EXPOSITION HOKUSAI」仏ナント歴史博物館美術展「HOKUSAI - ぜんぶ北斎のしわざでした」CREATIVE MUSEUM TOKYO映画「おーい、応為」(北斎:永瀬正敏、お栄:長澤まさみ)※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.09.26
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プレバト俳句。お題は「折りたたみ傘」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇まずは、中川大輔。夏の雨 凌ぐ如意棒 ふりまわす本人の説明によると、中七の「如意棒」は伸縮する折りたたみ傘の隠喩らしく、しかも、> 雨を凌ぐために持ってきた傘だけど、> 降ってないので振り回して遊んでいたということらしいです。雨降ってなかった!晴れてた!ってことで、前段の「夏の雨 凌ぐ」は、映像描写ではなく傘の役割の説明なのです(笑)。季語の風景を描いてるわけじゃないのです。考えてみれば、傘ふりまわしたって雨は凌げないし、雨が降ってるなら傘させよって話ですから。先生の添削では、とりあえず隠喩を直喩にあらためて、如意棒のごと傘を振る 夏の雨(添削後)としていますが、そもそも雨が降っていないのですから、本人の意図どおりに添削するならば、如意棒のごと傘を振る 夏の空とすべきです。さもなくば、空梅雨や 如意棒のごと傘を振るでしょうか。◇神田愛花。NEWの傘 「カワイイ!」欲しい 梅雨カモン!!NEWの傘 カワイイ!欲しい 梅雨COME ON!(添削後)この句、40点の凡人3位でしたが、添削では、すこし表記を改めただけで、ほとんど直しらしい直しがありません。実際のところ、ちょっと評価に悩んでしまう俳句です。じつは、先週の伊集院光の、濡れ鼠 せめてどこぞの喜雨であれと同じように、実際に描写された映像は上五だけで、中七と下五は「心の台詞」「気持ちの表明」なのです。伊集院の句の場合は、「喜雨であれ」という台詞によって、夏の雨が見えてくる仕組みなのですが、今回の神田愛花の句の場合は、「カワイイ!」という台詞によって、傘のデザインが見えてきて、「欲しい!」という台詞によって、店内の傘売り場が見えてきて、「梅雨カモン!」という台詞によって、梅雨前の季節ということが分かる仕組みです。そう考えると、一語一語にそれなりの役割があるし、なかなか添削しにくいのですね。一見すると、バカっぽくて糞みたいな俳句だし、「梅雨」という季語の扱いにも問題はありそうだし、「NEW」というのは不要な重複情報に思えるし、詩情の有無という点でも評価は分かれるでしょうし、さすがに才能アリの評価は無理だとしても、俳句の構造自体は、じつは伊集院の作品に近いというべきです。◇ティモンディ高岸。夏の朝 丸太をもってはおろしては夏の朝 丸太かついでランニング(添削後)原句を読んだときに見えてくるのは、清々しい夏の朝に労働している様子であり、そう読むとすれば、それで結果オーライなのですが、本人が描こうとしたのは、雨天の屋内で高校生が朝練する場面だそうです。本人が描こうとしたものと、俳句から見えてくる映像が、あまりにも違いすぎる(笑)。そして、「雨天の屋内」が見えてこないという点では、先生の添削も不十分だと思います。どう添削すればいいかわからないけど、とりあえず7・7・5で、梅雨の朝練 丸太挙げては降ろしてはとかでしょうか。◇村上弘明。雲の峰 写生する手に筆と傘雲の峰写生す 傍らに雨傘(添削後)番組で指摘されていたとおり、傘を手にもったまま写生してるのは不自然ですが、まあ、言いたいことは伝わるし、それなりの詩情もありうる場面だと思うので、実際は37点で才能ナシ4位でしたが、わたし的には55点の凡人2位ぐらいでいいと思います。◇キスマイ宮田。戻り梅雨 軒先の粒 犬吠える犬吠える 梅雨の戻りの軒しずく(添削後)三段切れの問題はありますが、まあ、言いたいことは伝わると思うし、それなりの詩情もあると思うし、「凡人中の凡人」というほどつまらなくはないと思う。わたし的には、(60点ぐらいの凡人だとは思うけど)これが今週の1位です。◇◇特待生の森口瑤子。ジェラシーを折ってたたんで 白日傘女の裏表をぜんぶ内側に折り込んで、綺麗な外見を取り繕って巧妙に隠して、ある意味で、とっても気持ち悪い句というか、いやらしい句というか、したたかで老獪な句というか。ドロドロした嫉妬心を折ってたたんで、白日傘さして美人女優でゴザイマスって恐すぎるだろっ!!さすがは坂元裕二の妻というか、つい「まめ夫」のしたたかさと複雑さのことまで考えてしまう。誰に嫉妬してるのか知りませんけど、そこはヤバそうなので触れないでおきます。怖いけど、俳句じたいは上手です。◇さて、今週も問題なのは、梅沢の句!!!子の傘に透ける窓あり 青蛙ハイ。掲載決定だそうです。先生の絶賛ポイントは、中七の「あり」が見事な伏線になっている、とのことでした。いったい、どういうことでしょう?上五・中七までを読むと、「子供の傘に透ける窓があるナァ」ということなのですが、そこにさしたる詩情は感じられません。たんに「そういう傘も売ってますよね」って話です。しかし、じつはそこに詩情を詠んでいると見せかけて、本当の詩情は「透ける窓」それ自体にあるのではなく、そこから見えているだろう「青蛙」にあるのです。そして、その結果として、傘をさす子と、青蛙との対照がまた詩情を生んでいる。わかりますか?わかりませんか?わたしも、自分で書いててよく分かりません。(^^;もっともらしくテキトーなことを書いてみただけです!ものは言いようですね。わたしなら、ボツにしたかも…。ぶっちゃけ、ビニル傘 子の透かし見る青蛙とかでいいかな、と思いました。◇6/21追記。あえて、もういちど、先生のいう「伏線」の意味について、もっともらしい説明を試みてみます。通常、俳句で「○○あり」といえば、強調のニュアンスをもつので、形式的に見れば、この俳句の主役は「透ける窓」です。しかし、それは見せかけのカムフラージュにすぎません。青蛙が出てきたとたん、その「透ける窓」は、「窓を見る子」と「窓から見える青蛙」の媒介なのだと判明します。その瞬間、「透ける窓」それ自体は脇役に後退して、代わりに、「子と青蛙の関係性」が主役として前面に出てきます。つまり、「透ける窓あり」というのは、両者の関係性を浮かび上がらせるための前フリにすぎない。たぶん、そういうことだろうと思います。でも、はたして梅沢が、本当にそのような効果を意図していたのかは分かりません。案外、梅沢自身は、本気で「透ける窓」が主役だと思ってるかもしれません。
2021.06.20
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金秋戦がはじまりました。さすがに上級者どうしの争いとあって、原句も、添削も、なかなか通常のセオリーには収まらないですね…。◇中田喜子。しぶき上げ 復活の秋ひとりじめどうやら池江璃花子の話のようです。「しぶき上げ」で水泳だと分かり、「復活の秋」で闘病明けの秋の試合だと分かり、「ひとりじめ」でその活躍ぶりが想像できる、という仕掛け。その意味で、言葉の経済効率はよいのかもしれませんが、あえて意地悪な言い方をすれば、すべてのフレーズが "コピーライト" っぽいとも感じます。広告のコピーとか、ニュース記事の見出し文句は、まさに「言葉の経済効率」で勝負する世界だから、ある意味で俳句に近い表現だとは思うけど、やや誇張気味だし、既視感もあるし、安っぽくも感じる。そういう言葉を俳句に用いるのは良し悪しだと思います。前回も「句読点なき恋花火」というまるでポップスの歌詞みたいなフレーズを使ってましたが、わたしはあまり好きじゃありません。…ちなみに、わたしは、上五の「しぶき上げ」だけで水泳とは判断できませんでした。実際、ツイッターを見ていたら、「競艇の句だと思った」という人もいたし、秋だから「雪しぶき」ではないにしても、サーフィンの句だとか、漁師の句だとか、雨の高速道路の句だとか、かなりの誤読の可能性があるのも欠点だと思います。◇森口瑤子。座り込む アンカーの目に秋夕焼座り込むアンカー 秋夕焼くずる(添削後a)くずおれるアンカー 秋夕焼赫あかし(添削後b)わたしは、小学生のリレーではなく駅伝のアンカーだと思ったのですが、そのうえでいえば、原句のほうが好きです。目に映った秋夕焼の映像だけで、走り終えた人物の様子が詩情をもって伝わってくるし、あえて勝ち負けを明示する必要もないと思います。なお、(添削後b)についていうと…セオリーに従うならば、「赤くない夕焼けがあるんなら持ってこいっ!!」となるはずですが、あえて韻を踏みつつ「赫」という字で強調することで、そのセオリーを破っています。それが妥当なのかどうか、わたしには判断がつきません。◇岩永徹也。軸足のギプスの寄せ書き 山粧ふ軸足のギプスに金秋の寄せ書き(添削後)上五の「軸足」でスポーツ選手だということが分かる。しかし、季語が山の情景なので、病室ではなく、屋外の練習風景が見えてしまいました。杖をついて練習を見学に来たのかしら?と。添削後の句なら、病室の窓越しに落ち葉が舞う様子も見えます。◇春風亭昇吉。負けても勝っても母秋刀魚焼く試合如何に 子の好物の秋刀魚焼く(添削後a)勝敗如何に 子の好物の秋刀魚焼く(添削後b)勝負如何に 子の好物の秋刀魚焼く(添削後c)原句は、切れ目なしの一行詩的なリズムが、これといった詩情を伝えるでもなく、あまりパッとしないと率直に感じました。◇パックン。天高し アーチ描くホットドッグ天高し 売り子の放るホットドッグ(添削後)まず、リズムについてですが、「中6下6」で17音に辻褄を合わせるよりも、アーチを描くホットドッグと「中7下6」の字余りにするほうがマシだと思う。内容的には、球場でホットドッグを投げるという米国式の習慣を知らないので、原句を読んだ瞬間、ホームランを見ながらホットドッグを食べてるのかと思いました。人によっては、野球のことすら連想できないかもしれません。一般の日本の読者にとっては、添削後のほうが状況は分かりやすいですが、「アーチ」という言葉を省いた結果、野球に結びつく要素はほぼ無くなったともいえる。◇フジモン。魚群探知機 朝寒のがなり声本来は、朝寒の魚群探知機 がなり声とすれば、5・7・5の定型になるのですが、時候の季語に具体性をもたせるために、あえてこの語順にしたのは正しい、との評価でした。なるほど。◇立川志らく。《首つりの家》には林檎は無いのか季語の「林檎」を、かなり象徴的な意味合いで使っていて、しかも、その林檎すらも「無い」という句。季語によって季節を描くというセオリーを完全に破っています。良し悪しはともかく、かなり挑戦的な句でした。◇三遊亭円楽。病院の 脂の抜けた蒸し秋刀魚病院や 脂の抜けた蒸し秋刀魚(添削後)これもセオリー破りです。季語の「秋刀魚」を不味そうに否定的に描いています。さしずめ「目黒の秋刀魚のほうが美味い!」ってところでしょうか(笑)。先生の添削は面白いと思いました。季語を強調するのではなく、あえて「病院」のほうに切れ字をつけることで、この《季語の否定》を逆説的に浮き上がらせています。◇筒井真理子。中心に記憶の螺旋 黒葡萄黒葡萄に種 吾に記憶の螺旋(添削後)作者は山梨出身とのことで、葡萄の記憶が刻みつけられているらしく、その自分の「記憶」についてのイメージが、葡萄の実の真ん中にある種子や、そのDNAの螺旋形にまで重なったとのことです。しかし、それはあくまでも観念的なイメージに過ぎないし、それ自体を句材にするのはハードルが高すぎると思いました。◇パンサー向井。秋刀魚の目 勧める母の目に力秋刀魚の目 勧める母の目の静か(添削後)焼かれた秋刀魚の目玉の気味の悪さと、それを「食べろ」という母の目の威圧感を、子供が怯えつつ見比べている…というコミカルな状況。しかし、いまひとつ、その滑稽味を活かしきれていない気がする。ためしに、秋刀魚の目 それを食べろとお母かあの目としてみました。
2021.09.16
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NHK大河「青天を衝け」。おくにとの不倫が描かれて以降、渋沢栄一の女性問題に多くの関心が集まりました。まず、くわしい史実については、河合敦の以下の記事があります。https://president.jp/articles/-/45236また、この手の話にいかにも詳しそうな鹿島茂が、より歴史的な観点からこのテーマを相対化しています。https://bunshun.jp/articles/-/49391とりあえずの事実確認。渋沢は、1858年、尾高千代と結婚して、手はじめに一男二女を産ませ、1871年、大内くにに不義の娘を産ませて、ここから「妻妾さいしょう同居」の第1期を開始します。その後さらに、千代に一男一女を、くにに一女を産ませていますので、ひとつの同じ屋敷のなかで、妻とも妾とも性生活が営まれていたことになります。1882年に千代がコレラで亡くなると、渋沢は、伊藤兼子と再婚して、妻妾同居の第2期を開始します。なんと兼子には七男二女を産ませています。そのうえ、家の外にも、多くの妾(愛人)を囲って多くの子供を産ませたらしい。なお、妾の大内くには、1888年ごろに渋沢家を出て、渋沢の友人だった織田完之と再婚しています。こちらでは、妾ではなく後妻だったようです。◇渋沢の女たらしは、自他ともに認めるところでした。地位が高くて金持ちだっただけでなく、パリ留学時代にフランス流のエレガンスやモダニズムに触れ、レディファーストの習慣を身につけるなどして、見かけ以上に、当時の女性からモテたかもしれない。また、文人でありながら、じつは武闘派でもありました。つまり、沢山の事業を起こしながら、沢山の女性に沢山の子供を産ませ、91才まで生き抜くという異常なほどのバイタリティがあった。モンゴル帝国の初代皇帝チンギスハンは、65年ほどの生涯のうちに、とんでもない数の女性ととんでもない数の子供を作り、その子孫がいま世界に3200万人ぐらいいるらしいのですが、渋沢もこれに負けてなかったかもしれない。◇渋沢が好色だったのは間違いないけれど、脚本家の大森美香は、それをことさら否定的に描くのではなく、すくなくとも千代・くに・兼子との関係については、つとめて肯定的に描こうとしていたようです。これは、もともとの大森美香の脚本手法でもあります。彼女のドラマには、本質的に「悪者」が登場しない。すべての登場人物に愛情を注ぐのが彼女の流儀だから、たとえ幕府側の人間であろうと、新政府側の人間であろうと、根っからの「悪人」として描くことはないし、千代はもちろん、くにであれ、兼子であれ、けっして「悪い女」にはしない。そして、それは案外、渋沢栄一の生き方にも則した人間観だったかもしれません。つまり、男女や善悪や敵味方を問わず、合本によって適材適所へ配置すれば、全体的な繁栄を目指すことができる、という考え方ですね。実際のところ、渋沢と3人の女性たちとの関係は、意外に安定的で良好なものだったように思います。つまり、大森美香が描いた千代・くに・兼子との関係は、あながち美化された脚色というわけではなく、それなりに事実に即したものだったように思うのです。◇千代、くに、兼子に共通して言えることがあります。彼女たちの存在意義は、あくまで家のなかでの役割によって測られていて、夫から「女として愛されているかどうか」には、さほど依存していない。とくに千代が血洗島の中ん家にいたころ、栄一はほとんど家にいなかったわけなので、千代は、女所帯である渋沢家の嫁の役割だけに徹していました。ようやく東京で暮らすようになって以降、いくばくか妻らしい地位を手に入れたように見えますが、まもなくすると妾との二世帯(?)同居になります。しかし、その妻と妾の立場も、夫から見て「本命か愛人か」で測られるような優劣ではなく、たんに家での役割分担の違いだったように思える。つまり、妻は「表の顔」という役割を、妾は「内助の功」という役割を負ったにすぎないのでは?こうした役割分担の発想は、渋沢家の男性たちにも適用されていて、たとえば篤二は、実子の長男でありながら、その無能さゆえに嫡男としての役割を認められませんでした。逆に、多くの妾や愛人のなかで、大内くにだけが渋沢家に入ることができたのは、彼女にそれだけの器があったからかもしれません。ちなみに大内くには、ドラマでは控えめな女性として描かれていますが、実際は、もっと男勝りで明るい女性だった気がします。◇…女の主体性って何なのでしょうか?それについて考えるとき、「本妻になる」だの「夫に愛され続ける」だのってことは、みじめなほど従属的な指標にしかならない。夫に愛されるか否かに関わらず、家庭や社会での自分の役割を生きることのほうが、よっぽど主体的というべきなのかもしれません。…まあ、ひとつの家のなかで、妻とも妾とも公然と性生活が営まれるってのは、いくら広い屋敷だとはいえ、なかなか理解しがたいものがあるのだけれど、実際のところ、夫に経済力があって、ちゃんと生活を保障してくれるなら、妻だろうが、妾だろうが、嫡子だろうが、庶子だろうが、さほどの違いも不満もないのかもしれませんし、案外、女所帯のなかで各自の役割分担をこなしていくうえでは、夫が忙しければ忙しいほど、妻妾ともども「亭主元気で留守がいい」ってのが本音だったかも。夫が留守であれば、そのぶん女たちが自由恋愛をする機会も増えるわけだし(笑)。昔だったら、夫以外の子供が出来てしまっても、それを「夫の子供」と称して産めちゃったかもしれないし。◇ドラマのなかで、姉の歌子は、弟の篤二にこう言います。あれほどの仕事をなすった父さまなら、品行上の欠点があっても「時代の通弊」として致し方ありません。しかし、その子たるものは違います。本心からそう思ってるかどうかはともかく、父の好色は「時代の通弊」として許される…というのが、ここでの歌子の考えです。たしかに渋沢栄一は、幕府に仕えたこともあって、一方では、大奥や吉原のような江戸文化の名残りを生きていた面があるし、他方では、鹿島茂が「メナージュ・ア・ラ・パリジェンヌ」と言うような、フランス流の自由恋愛の文化に触れていた面もある。いずれにしても、それらは、ひとりの妻だけを愛する「一夫一婦制」の価値観とは異なるものでした。◇敗戦後の日本は、米国流の「一夫一婦制」を取り入れ、一人の妻が一人の夫に愛される家族像を理想にしたのですが、これがかならずしも合理的なシステムだとはいえません。なぜなら、一夫一婦制の場合、妻ひとりの役割があまりにも多すぎるからです。およそ不可能なほどの無賃労働を強いられるハメになっている。これに対して、たとえば「一夫多妻制」は、家長の権力を強大化させたり、ヒエラルキーを硬直化させる弊害はあるけれど、女性側の拒否権や選択権が保障されるのならば、じつは多くの女性にとって都合のいいシステムだともいえる。むしろ一夫多妻制というのは、男性にとって不都合なシステムなのですよね。多くの男性があぶれるわけだから(笑)。◇一夫一婦制は、社会的な強制力がないかぎり実現しません。それはたしかに平等といえば平等であり、あらゆる遺伝子を残して多様性を確保する意義はあるかもしれないけれど、自然に逆らっているわけだし、悪平等と言えないこともない。べつに優生政策を支持するつもりはないけど、出来の悪い男の遺伝子まで満遍なく残す必要ってあるの?という疑念もある。むしろ、一夫多妻のシステムでなら、ほとんどの女はあぶれることなく経済的にも安定するし、女所帯のなかで、余裕をもって役割分担ができる気もする。◇一夫多妻制を想定する場合、つい「女の幸せ」がどうなのかを心配しがちですが、むしろ考慮すべきなのは「男の幸せ」のほうなのですね。あぶれてしまう大多数の男たちを、社会がどう制御するのか。実際、男の妬みは、女の妬み以上に凶悪です。たとえば猫の場合、あぶれたオスはとても凶暴化して、メスをふたたび発情させるために子殺しをするそうです。人間のなかにも、それに近いことをやる男がたまにいますよね。おそらく一夫一婦制というのは、公娼制度と同じように、あぶれた男たちの暴力性を抑制するための救済措置なのだと思う。◇近年の日本のテレビドラマやコミックでは、契約結婚や偽装結婚などの思考実験がさかんに行われていますが、これをたんなるフィクションだと笑うことはできません。実際のところ、地縁からも血縁からも切り離された一対の若い男女に、「恋愛」と「生活」と「経済」と「出産」と「子育て」を、すべて全うさせようとする現行の結婚制度のほうが、はるかに荒唐無稽なファンタジーだと言わざるをえないのです。とりわけ女性の負担が多すぎる。…いまさら一夫多妻に戻せとまでは言わないけれど、この期に及んで渋沢栄一の顔を紙幣にする意味があるとしたら、もうすこし、男女の役割を合理的・社会的に分担できるような新しいシステムの創出を喚起することにあるのかもしれません。
2021.12.10
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カンテレのドラマ「エルピス」。視聴者のなかには、「政治家の息子が犯人」みたいな予想もあるっぽいけど、わたしは、そんなありきたりな話じゃないと思う。◇瑛太が演じる謎の男は、政治家の息子じゃなくて、「本城建託の息子」という設定のようだし、かりに彼が何らかの裏事情を知っているとしても、おそらく真犯人ではない…というのがわたしの見立て。第一、ドラマのモデルとされる足利事件は真犯人が見つかってないし、飯塚事件にいたっては、再捜査はおろか再審請求さえ通っていません。したがって、この物語は、最後まで真犯人にたどり着かない可能性もある。◇一般に、現実の冤罪事件ってのは、たぶん「真犯人隠し」よりも、権力の「不祥事隠し」の側面のほうが強いのだろうと思う。つまり、世間的な関心の高い重大事件において、地元の警察が、人事への配慮や点数稼ぎなどのために、強引な捜査や証拠のでっちあげなどを行った場合、それを起訴した検察、そして有罪判決を下した司法なども、いわば共犯関係になっていくわけだし、さらには、選挙地盤からの要請を受ける形で、政府判断で死刑執行を強行して幕引き…なんてところまで権力の共犯関係が連鎖しかねない。そうやって、地元警察から中央政府にいたるまで、権力側の「不祥事隠し」の共犯関係が連鎖していくと、冤罪報道や真犯人捜査に対しても隠然と圧力がかかるのでしょう。そんな闇のカラクリを暴き出すことこそ、このドラマの最大の主題なのだろう…とわたしは見ています。単純に、「政治家の息子が殺人犯」なんて話は、ちょっとリアリティに欠けると思いますし、そこらのミステリー小説の読みすぎじゃないかしら?◇なお「本城建託」という地元企業が出てきたので、今後は、この企業と麻生太郎モドキとの癒着の構造が、殺人事件とはまた別の闇を浮かび上がらせるのかもしれません。佐野Pも、ここからの話が《後編》になるとツイートしてましたし。たとえば、福岡の麻生グループの、セメント会社や学校法人なんかがモデルの可能性もありますよね。ただでさえ福岡はヤクザが多いから、企業体&ヤクザ&地元警察の、三つどもえの組んずほぐれつとか、色々ありそうだし。そのほかのドラマブログ。◇ってなわけで、第6話まで来ました!!いやー、ヤヴァすぎ…リアルすぎて手に汗握った。てっきり事件追及の主体と思われたBONBONチームは、あっさり解散してしまって、ゴードンは経理部に異動!セクハラプロデューサーは子会社に出向!報道復帰した長澤まさみは、忙しすぎて取材できない!もしかして、今回のマスコミの粛清劇って、佐野PがTBSを追い出された経緯に重なってます?梶原善は、ただのチョイ役で終わりなの?(T〇T)◇…とはいえ、事件は世間の注目を浴びたのだから、ほかのメディアも取材に乗り出すはずだし、トンズラした目撃証言者もメディアに追われるはず。金を振り込んでいたアサベ商事の実態も解明されるに違いない。しかし、今のところ、瑛太の周辺を嗅ぎまわってるのはゴードンだけ。そして、麻生太郎モドキを疑ってるのは長澤まさみだけ。なので、今後は、その情報を池津祥子と共有していくかが焦点になる。セクハラプロデューサーも子会社で底意地を見せてくれるかも。そして、わたしは、鈴木亮平が最終的に味方に転じる可能性についても、まだ希望を捨てていませんっ!!!つーか、ホリプロと東宝、キスしすぎwww◇ところで、脚本の渡辺あやは、ゴードンのことを、「ひとりでハアハア言ってるところが、必死な大型犬みたい」と言ってました。それって、まさに三船敏郎のことなのよ!三船敏郎の魅力って、あの目力もさることながら、まさしく「ひとりでハアハア言ってた」とこなのです。やっぱり目力ゴードンって、三船敏郎なんだわ。…それはそうと、長澤まさみの歌った「贈る言葉」。意外に上手なのでビックリしました。でも、こちらのデュエットを聴くと…(長澤&サチモス) やっぱり二人ともヘタwwドラマよりもゆったりしたバージョンですね。◇同一マネージャーの新旧タレント共演wwなんか笑える。
2022.12.01
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米林宏昌の「思い出のマーニー」を見ました。とても綺麗な作品でした。◇原作を読んでないので、どこが同じでどこが違うのか知らないけど、たぶん「七夕祭」が出てくるのは宮沢賢治の引用ですよね。つまり、ジョバンニとカンパネルラの関係を女子に置き換えて、カンパネルラの存在をイマジナリーフレンドに見立て、まるで同性の恋人との出会いの物語のようにしている。◇マーニーのボートに乗ることは、「銀河鉄道の夜」みたいな死を意味しているようでもあり、《月夜にボートを漕いで入江の奥へ行く》という場面もあるので、松田聖子の「秘密の花園」みたいなセックスの隠喩っぽくもある。主人公は、自分の悲しみと憎しみと恐怖を、マーニーの悲しみと憎しみと恐怖に置き換えながら、さらには男女の性の役割さえも入れ替えながら、ともに乗り越えて成長していくのですね。◇青い目の主人公は、じつはクォーターだったというオチですが、基本的には、東洋人のヒロインと、西洋人のイマジナリーフレンドの交流のお話なので、この映画を、東洋人の観客が見るのと、西洋人の観客が見るのとでは、すこし見え方が違うかもしれませんが、そのことにさえ何らかの意義がある気はする。◇大林宣彦の「さびしんぼう」の場合は、《イマジナリーフレンドが少女時代の母だった》というお話ですが、本作ではおばあちゃんだったのですね。ジブリ的にいうと、「おもひでぽろぽろ」みたいに田舎へ行って、「千と千尋」みたいに此岸と彼岸の境界を越えて、クララみたいなお金持ちの美少女や、無口なおじいさんに出会うって「ハイジ」っぽさもある。それぞれの要素は、過去に反復されてきたモチーフの組み合わせではあるけれど、ひとつの物語として綺麗にまとまっています。最後は種明かしをしすぎてる感もありますが、あえて欠点というほどでもありません。作画も美しかったし、村松崇継の音楽も美しかったです。まだ本格的にブレイクする前の、有村架純や杉咲花やTEAM NACSが参加してるのもすごい。
2023.01.14
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テレ朝「警視庁・捜査一課長」スペシャル9~映えスポット連続殺人事件~ を観ました。シャープな映像にふざけた脚本。ますます独自路線を邁進してました(笑)。青春という名のラーメン?◇ 登場人物は…見た感じを語る三田寛治。特ダネ記者の徳田寧々。強情さが勝る郷城勝。ぽよぽよの大福売ってるぽよの豊福保代。イケイケで行こうの池井景子。勝とうと勝つ気の加藤香月。エグいほどレベチな未来に託した江口未来。エグチの謎を秘める江口姫子。咎は酷いよ外川英雄。才気に欠ける斉木翔。盛りすぎてるな森杉照奈。羽ばたきたいなら羽場滝奈。(演じたのは「ギャル論破王」のみりちゃむです)…て感じ?ぽよぽよの大福売り。白い粉の正体。◇ まさに今回は、ギャルマインドでやりたいようにやったスペシャル版で、難解なギャル語の解明が最大のテーマでした。大岩が電話を受け取ると、「なくなったのは木曜夜8時」だと!…何が?? 以下は、真相のネタバレです。ラスボス"GM"の意味は、「General Manager」でもなければ、「ごめん」や「ギャルマインド」の略でもなく、やっぱり「Gojyo Masaru」の頭文字だったようです。"エグチ"と呼んだ意味も、「エグいほどレベチ」の略ではなく、「江口の未来のぶんを生きている」からでした。あまりにもギャル語に翻弄されすぎていたのですね。スケバンだったかどうかは内緒。◇ ところで、笹川部長ですが、なにやら謎の首輪を嵌められていました。大岩は笹川の額に自分の額を合わせて、これを取り外していました。どういう仕組みなのでしょうか?てっきりメタバース的な装置かと思いましたが、Twitterを見ると、エヴァの「DSSチョーカー」バトロワの「ガダルカナル22号」…などの説があるようです(汗)。◇ こまかいあらすじは次のとおり。12年前に大岩に出会ったころ、エグいほどレベチなギャルのエグチ(江口未来)に、トイプーおにぎりを貰って生き延びていた池井景子は、ともに論破大会を目指したエグチを病気で失った後、GM(ギャルマインド)革命を起こすためにイケイケで行こうと、論破代行会社のGMレボリューションを設立し、未来のエグチになり代わって街中のギャルにおにぎりを配っていました。GMレボリューションのGM(ゼネラルマネージャー)になった加藤香月は、才気に欠ける斉木翔などの秘書を使い捨てる強情なGojyo Masaru(郷城勝)に、論破で勝とうと勝つ気で挑みましたが、勝ちきれませんでした。それどころか特ダネ記者の徳田寧々を殺すように強要されますが、エグチの未来の姿になり代わって殺害を試みたものの、自分を「エグチ!」と呼んだ徳田寧々のことを殺せませんでした。結局、エグチの未来の姿になり代わって、徳田寧々も加藤香月も殺すという酷い咎を負ったのは、強情なGojyoにインサイダー情報を流していた外川英雄でした。エグチの未来のぶんを生きているギャルたちを、おにぎりで支援しつづけていたエグチの母の江口姫子は、池井景子に咎が及ばないように死体を移動したのでした。◇いろいろイミフすぎて、かなりキャパいけど、とりま、空き時間も楽しそうでした。床嶋佳子と仲よさげな由貴ちゃん。◇ じつはカッコいい山本清香のテーマ曲!↓これもカッコいいのよね。↓これも素敵だし。↓これは大福のブルース。
2023.04.06
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色褪せし無人の木馬春しぐれ ジャズ流し桜湯啜るラジオブース 銀の風船の中にも遊園地 カメラごし君の横顔さくらんぼ 春嵐継父と見上ぐ観覧車 春愁や廻る木馬の目の潤み ポップコーンまじり遊園地の落花プレバト俳句。お題は「遊園地」。◇梅沢富美男。ポップコーンまじり遊園地の落花9+9=18の破調。「まじる」と連体形にせず連用形で繋いでいる。いつもの梅沢なら「まじりて」とするはずですが、さすがに字数が多いと思ったのか、接続助詞の「て」は省いてしまったのでしょう。意味としては、「ポップコーンがまじって遊園地の落花がある」で、末尾の「あり」が省略された形だといえます。しかし、助詞の「て」を省いたことによって、「○○まじり」という名詞止めにも見えるのは難点だし、わたしは(助詞も入れて19音に増えますが)、ポップコーンのまじる遊園地の落花と連体形で繋ぐほうが安定的だと思います。追記:もしかしたら「ポップコーンまじり」は名詞止めなのかもしれません。その場合は「遊園地の落花はポップコーンまじり」の倒置法ってことですね。ただ、梅沢がそういうことを厳密に考えてるとも思えないので、たんに「あやふやな形式で作った」と見るのが妥当じゃないでしょうか。◇安藤和津。色褪せし無人の木馬 春しぐれわたしは、てっきり、廃園になったメリーゴーランドかと思いましたが、たまたま雨天で乗客がいなかっただけのようです。形は整っていて過不足もありませんが、さほど意外性のある句材ではないし、1位の句にしては、やや類想感がある気もします。◇千原ジュニア。春嵐 継父と見上ぐ 観覧車継父と見上ぐ 春の嵐の観覧車(添削後)現代語なら終止形と連体形の区別は不要ですが、古語なので「見上ぐる」でなければ繋がらないのよね。なので、はからずも三段切れになってしまった。これは、わたしもウッカリやってしまいそう。ありがちな技術ミスなので、気をつけなきゃなりません。古語の「見上ぐ」を使わずに、現代語の「仰ぐ」や「見遣る」を使う手もありますが、すこしニュアンスは違ってしまうかもしれません。◇フルポン村上。春愁や 廻る木馬の目の潤み春愁の木馬よ 青く潤む目よ(添削後a)春愁の木馬よ 雨に潤む目よ(添削後b)先生が問題にしたのは、木馬が「廻る」ことのほうに詩情があるのか、目の「潤み」のほうに詩情があるのか、両方を欲張った結果、かえって散漫になってるってこと。用言の「廻る」に余計な詩情をあたえず、名詞の「回転木馬」で代替させる方法もありますが、それだと1音増えるので、中八になりますね。木馬が「廻る」という情報を除去して、目の「潤み」だけに焦点を当てるなら、(添削後a)のように「青」の映像を加えて、春愁や 木馬の青き目の潤みとする案もあるけれど、「自宅の置物(玩具)」のことなのか、「遊園地のメリーゴーランド」のことなのか、判別できない句になってしまいます。その意味では、(添削後b)のように「雨」の映像を加えて、春愁や 雨の木馬の目の潤みとすれば、屋外だと明示されるぶん、誤読は少ない。(自宅の庭に木馬を置いてる人もいるかもしれないけど…)もうひとつの問題としては、季語との取り合わせが近すぎることと、「春愁」は映像をもたない季語なので、季語だけを独立させるのは弱い、ってことがある。そもそも、この句は一物仕立ての内容なのだから、わざわざカットを割って季語を独立させる必要がありません。先生の添削でも、二句一章の形をとらず、季語を映像化したうえで一句一章にまとめています。(リズム上の切れはありますが内容的には一句一章)季語を独立させずに一句一章にまとめるなら、春愁を廻る木馬の目は潤むのようにする方法もありますが、それでも「廻る」と「潤む」に詩情が分散されるかしら?◇キスマイ宮田。ジャズ流し桜湯啜すするラジオブース桜湯や ラジオブースに流すジャズ(添削後)句材がよかったと思います。村上の句とは反対に、こういう映像をもった季語なら、それだけを独立させても成立するのですね。◇ジャンポケ斉藤。銀の風船の中にも遊園地風船のメタルに映り込む木馬(添削後)風船のメタルに映り込むパレード(添削後)これも句材はいいと思います。一方、添削の「風船のメタル」は意味が通じるのかしら?特殊な金属製の風船とか、巨大な飛行船とか、風船の紐になにかの金属がついてるとか、いろんな誤読を生みかねない気もします。たとえば、シンプルに、銀色の風船が映せし木馬と17音にまとめることも出来ます。最後に字足らず感が生まれるので、すこし寂しげな印象になるかもしれませんが。◇寺田心。カメラごし 君の横顔 さくらんぼファインダに君の横顔 風光る(添削後)作者の解説によれば、「カメラごしの君の横顔がさくらんぼのようだ」ってことらしいけれど、三段切れになってしまったのと、比喩の意図が読者に伝わらないのが欠点。まあ、初心者が素朴に俳句を作ると、三段切れでイメージを繋ぐ形になりがちだし、ある意味では、それが普通だなという気もしますが。
2023.05.01
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セクシー田中さん問題。いろいろと議論が進展しています。まずはプレジデントオンライン。西山守の記事です。~芦原さんを苦しめたのは「原作改編」と「SNS炎上」のどちらか~これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。「原作が尊重されなかった」と主張しているのは第三者だけではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/00423158fe0253207d329fbb4b63232794eb7741つまり、ドラマ版「セクシー田中さん」は、双方に想定以上の労力を強いたとはいえ、たえず原作者による修正が加えられたことで、結果的には「原作に忠実」な形で放送されてる…って話。たしかに、この事実は重要です。一部の漫画ヲタクは、「改変されまくりのドラマ版はつまらなかった!!」などと言ってるようですが、それは事実上、芦原妃名子の仕事を否定してることになる。◇最終的に、ドラマが「原作に忠実」な形で放送されたなら、プロデューサーは当初の約束を守ったことになります。…もちろん、いくつかの未解明な部分についての説明責任は残ってますが。それは大きく以下の7点です。1.なぜドラマ化は許諾されたのか。そもそもドラマ化に消極的だった芦原妃名子は、なぜ日テレによるドラマ化を許諾したのでしょうか?いちどは矢島弘一の脚本によるドラマ化を断り、まだ連載も途上だったのに、なぜ三上絵里子プロデュースのドラマ化には応じたのか?その時点で相沢友子の脚本起用は決まっていたのか?これについては、日テレよりも、許諾側の代理人たる小学館が説明すべきだと思います。2.なぜ木南晴夏は5月からダンスレッスンを始めたのか。原作者がドラマ化を許諾する1か月前から、木南晴夏はダンスレッスンを始めていたらしい。これについては日テレから説明するほうが早いでしょう。小学館と口裏を合わせていた可能性もありますが、たんに日テレやホリプロの勇み足だった可能性もあるし、これもまた業界の慣例だったかもしれません。3.プロデューサーは脚本家に何を伝えて何を伝えなかったのか。相沢友子は「初めて聞く事ばかり」とコメントしましたが、具体的に何を指してそう言ってるのかはハッキリしません。さすがに「原作に忠実に」という条件すら知らなかった、…とは考えにくいです。もし、そうなら、第1~8話も修正どころでは済まなかったはずだから。逆に「原作に忠実に」という条件が共有されていたなら、第1~8話の修正は想定内の作業だったといえます。実際、相沢友子も、第1~8話については「自分が書いた」と言ってるだけで、原作者による修正についてはとくに言及していません。一方、終盤の脚本を原作者に交代する可能性については、あらかじめ脚本家に伝えられていたのでしょうか?原作者側から、その可能性を通告されていたにもかかわらず、実際にそんな事態になるとは予想せずに、プロデューサーが相沢友子に伝えてなかった、…ってことも考えられる。その場合、相沢友子にとって脚本交代は青天の霹靂で、大きなショックになったろうと想像されます。そのあたりの事情は三上絵里子が説明したほうがいい。4.相沢友子のインスタ発信は妥当だったのか。相沢友子が、脚本交代の顛末をインスタで明かしたことが、騒動の発端になってしまったわけですが、わたしは、昨日の記事にも書いたとおり、暴露したその行為自体が悪いとは思いません。その種の「不満のぶちまけ」は、ほかの作家や脚本家もやってることだし、あくまで個人の表現行為の範疇であって、べつに日テレ側が制止すべきことでもないはずです。まあ、それについても、三上絵里子なりの見解を示せばいいと思いますが。5.なぜ脚本交代の経緯を小学館から説明しなかったのか。終盤の脚本交代に至るまでの経緯をくわしく説明したのは、小学館ではなく原作者自身だったわけですが、それは何故だったのか。日テレとの窓口は小学館だったのに、なぜか世間の矢面に立ったのは原作者自身だった。その理由については、代理人たる小学館が説明すればいい。6.なぜ芦原妃名子はSNSの文章を削除したのか。脚本交代に至る経緯について説明した文章を、芦原妃名子は亡くなる前に削除したのですが、これは本人の独断だったのか。それとも第三者による何らかの関与があったのか。それについて事情を知る人がいるなら説明すべきでしょうね。7.なぜ連載は休止になったのか。小学館によれば、今回の事態が起きる前から休載は決まっていたとのこと。これについても、自殺の動機を知る手掛かりの一つかもしれないし、代理人たる小学館が説明すればよいと思う。◇…ってことで、じつは三上絵里子が説明すべきことは、さほど多くありません。実際のところ、日テレのプロデューサー陣には、これといった契約違反もないし、目立った過失も義務違反もないのかもしれません。◇次に、Yahooの猿渡由紀の記事です。~原作ものの映像化と改変、最近のハリウッドの例を見る~小説やノンフィクション本、コミックが映像化されることは過去にも今にも数えきれないほどあるハリウッドでは、傑作の中にも、駄作の中にも、原作に沿ったものもあれば、大きく改変されたものもある。実際のところ、ある程度改変されることのほうが多い。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4f16e5b6d5bcb5bd82c97339e4057e5e105b08f9ハリウッドの優れた映画が、かならずしも原作に忠実なわけじゃない…という話です。まあ、常識的に考えて、オスカーにせよ、カンヌにせよ、原作をそのままトレースしただけの映画が高評価を得るわけがない。漫画ヲタクを喜ばせる映画と、映画ファンを唸らせる映画は、かならずしも同じではない、ってこと。◇次に、Yahooの徳力基彦の記事です。~「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために~おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3ed6b751c16a1baee29f72a36e2de6bc79653899じつはSNSでの怒りの連鎖に着火したのは、ひとつのネット記事だったのではないか?…という話です。この問題については、明日以降に言及できれば、と思います。
2024.02.10
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タン塩を頬張る視線春愁の吾子 ハラミ食む君の笑顔や春の恋 目を背く燃えるパプリカ彼我の春 先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜 焼肉で筋肉つけて春肥大 スッカラの窪みは浅し春の宵 春愁の一人焼肉持て余す 二月の焼肉屋涙の受験生2月8日のプレバト俳句。お題は「焼肉」。◇清水アナ。二月の焼肉屋 涙の受験生AのB/CのDの対句。季重なりなのもあるけど、下五の「受験生」って主観の説明なのかも。つまり、作者が「受験生だろう」と判断しただけで、厳密な意味の視覚情報ではないのでは?視覚的に描写するなら、学生の涙 二月の焼肉屋焼肉屋の冬 セーラー服の涙みたいな書き方になると思います。まあ、かつて受験生だった自分とか、知り合いの受験生を描写した可能性もあるので、季重なりを回避するだけなら、駒場の焼肉屋 涙の受験生焼肉屋の煙 受験生の涙みたいなやり方もあります。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥初歩的ミス…。😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/kQx69Mmwo3— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 5, 2024◇渡辺満里奈。タン塩を頬張る視線 春愁の吾子タン塩を頬張る春愁の吾子よ(添削後)下7の字余りですが、「春愁の吾子」と書いたら、わざわざその表情まで書く必要はない。なお、語順を逆にして、春愁の子はタン塩を頬張れりのようにも出来ます。◇梅沢富美男。春愁の一人焼肉持て余す春愁と一人焼肉持て余す(添削後)渡辺満里奈と同じ理屈でいえば、下五の「持て余す」が不要との判断になる。つまり、「持て余さない春愁の一人焼肉があったら持って来い!」ってこと。しかし!先生の添削は予想外の一手。下五を消すのではなく、「春愁」と「一人焼肉」を切り離してしまう作戦。これは添削というより改作だけど、なるほど、その手もあるか!って感じです。◇笠原秀幸。ハラミ食む君の笑顔や 春の恋ハラミ食む君と春待つ恋ひとつ(添削後)中七を「や」で切って下五に季語を置く形。そして「ha」の頭韻も踏んでます。…ってことからいえば、俳句の型はしっかり出来てるのだけど(笑)まず内容がつまらないし、「ハラミ食む君」と書いたら、あとは「笑顔」だの「恋」だの書く必要はない。そして、韻を踏むために使ったのか、文語のつもりで使ったのか、女性を可愛く見せるために使ったのか知りませんが、一般に「食はむ」という動詞は、人間が肉を食べるときには使いません。牛や馬が草を食べるときの動詞です。その意味では添削句も容認しがたいので、春待つや ハラミを食べる君の口としてみました。…そもそも、詩歌の世界で、「肉を食べる女性」というのを、綺麗な恋愛対象として描くのは難しいよね。あえてそれをやったら、滑稽になるか、ちょっと諧謔的になってしまう。◇棚橋弘至。焼肉で筋肉つけて春肥大筋肉の映える春なり 肉を食う(添削後)こちらは「肉を食べる男性」なので、女性にくらべれば句材にしやすいけど、発想があまりに散文的で詩情に欠けました。でも、本人の意図はともかく、下五の「春が肥大する」という表現は、考えようによっては面白いのよねw春の息吹が膨れ上がる…とも読めるし、春の妄想が膨れ上がる…みたいな解釈もできなくはない。まあ、作者自身が意図したところは、肉食えば筋肉輝く俺の春みたいな話なのだけど…(笑)。一方、先生の添削もなかなか面白い。下五は「肉喰らう」のほうがいいかも。◇市川紗椰。目を背く 燃えるパプリカ 彼我ひがの春彼と吾と網にパプリカ焦がす春(添削後)市川紗椰にはちょっと期待したのに!予想以上にダメだったな…(笑)。なにか難しいことをやろうとしたっぽいけど、結果的には意味不明な三段切れでした。本人の話によれば、網の上でパプリカが焼け焦げてるのに、それを見て見ぬふりをする自分の姿を、彼との距離感に重ねた…とのこと。うーん。ちょっと何言ってるかわからない!まず上五で、なにか凄惨な場面から「目を背けてる」と誤解させるので、中七の「燃えるパプリカ」もなにやら大仰な事態に見えます。下五の「彼我」は、相手と自分を対比的にとらえる言葉だから、あながち間違った用法とも言えないけど、男女の描写というよりは、パプリカをめぐる地域紛争とか、パプリカに象徴される国家戦争とか、そういう対立の抽象的表現かと見まがってしまう。たとえば、パプリカの焦げるのも見ず 春の彼我のように書けば大仰さは軽減されるけど、それでも状況はちょっと分かりにくい。かりに男女の描写だとしても、まだ出会ったばかりで距離感が埋まらないのか、もう別れ際で距離が遠ざかったのかも判別できない。ちなみに、以前もパプリカを使った句はありましたが、つい、それが季語なのかと錯覚してしまうし、色彩的なぶんだけ季語の主役感を喰ってしまいます。その意味でちょっと扱いにくいアイテム。なお、パプリカの一般的な収穫時期は7月以降なので、本来なら「春の野菜」とは言いがたいらしい。◇和牛水田。先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜焼肉屋の前に先輩待つ余寒(添削後)いわく、「俺が寒さのなかで待ってるのは先輩ではなく肉なのだ」ってことだけど、意味も分かるし、句材も面白いとは思う。ただ、それは写生というより作者の心情なのよね。これを描写的に書き換えるのはなかなか難しい。◇フルポン村上。スッカラの窪みは浅し 春の宵掲載決定だそうですが…わたしなら断じてボツ!!句材は悪くない。描いてる映像は良いと思います。しかし、スプーンや匙のヘラ部分を「窪み」って言いますか??「スプーンの窪み」とか「匙の窪み」とか、そんな日本語の言い方は聞いたことがない。むしろヘラじゃなくて柄の部分に「窪み」があるのかしら?…と誤解してしまいます。わざわざ「窪み」などと書かなくても、「浅いスプーン」「浅い匙」と書けば通じるのだから、この句の場合も「浅いスッカラ」と書けば済むのです。たとえば、汁掬ふ浅きスッカラ 春の宵料理屋のスッカラ浅し 春の宵スッカラの浅きこと知る 春の宵のように書けば事足りる。ところが!!Googleで「スッカラ/浅い/深い」を検索すると、なぜか、この「窪み」という表現がネット上に頻出します。ちなみに、「スプーン/浅い/深い」で検索しても、「匙/浅い/深い」で検索しても、この「窪み」という表現はいっさい出てきません。せいぜい「掬う部分」「皿の部分」などと出てくるだけ。にもかかわらず、なぜか「スッカラ」で検索したときにだけ、この「窪み」という謎の日本語表現が頻出するのです。…どゆこと?あくまで、わたしの想像ですが、きっと日本語を使い慣れない韓国人のだれかが、この「スッカラの窪み」という変な表現を使いはじめて、それが韓国料理業界へと広まったのではないかしら?そして、村上も、これをどこかの韓国料理屋かネットで目にして、俳句にそのまま取り入れたんだと思う。しかし、これは日本語の表現としてかなり違和感があります。日本語の「窪み」は、全体の中でそこだけ凹んでる箇所を指すわけで、皿状・椀状の器具などに使う言葉ではありません。「茶碗の窪みに飯を盛る」「鍋の窪みで汁を煮る」「湯船の窪みにお湯を張る」などとは言いません。またしても、おかしな日本語が、公共の出版物に掲載されることになってしまった。やれやれ。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.12
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