文化を紡ぐ 無形文化財 0
日本の文化を紡ぐ 未来の無形文化財 0
西洋:石の家 日本:木と紙と草の家 0
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うちへ帰ってメールをチェックしていると、知人からのメールが。大阪のフランス料理店に勤めている、サービスマンの方からのメールです。どうも仕事のオペレーションで疑問があったようで、ちょっとした質問でした。 「...今テーブルセッティング時に手袋をはめてするようにしました。料理を提供するときや、新しいシルバーのセッティングに行くときは手袋をはめてもおかしくないものなのでしょうか?」 とのコト。 ホテル・レストランで行われる婚礼では新郎新婦のアテンド担当のスタッフが白い手袋をつけていることが多いようです。これは他のスタッフと担当との違いが明らかになる目的もあるようですね。 そういえば東京でサービススタッフとして参加したガラディナーは、サーヴィスにあたるスタッフ全員が白手袋をしていました。ガラ(Gala)には、祝典とか華美なという意味がある、特別な催しのディナーです。ガラディナーの風景など雑誌で見ることがあれば、スタッフ全員が白手袋をしている様子を見ることもあります。ある意味正装なんでしょうが、少々クラシックなスタイルにも見えますね。また、プロトコールの観点からみると、白手袋が正装である以上、やはり装いはタキシードが望ましいとも思われます。 サーヴィスコンクールの試技のテーブルサービスでは着用しませんでしたが、むしろ、大勢のお客さまに対して、いっときにサービスにあたる、このガラディナーなどでは、料理提供の際や、セッティング時にシルバーに指紋が着かないように、また、クロッシュを使用するときなども常に指紋が着かないように白手袋をしています。同時にサーヴィスする上で統一感を持たせることも考慮されていると考えられます。 特別感の雰囲気を演出するには良いと思います。ただ、セッティングに行くときに手袋をするなら必ずする。オペレーションを統一することがひとつと、やはりお客さまの目に触れるわけですから、常に綺麗な状態の手袋を使うことを心がけることをおすすめしますね。
Aug 29, 2008
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このところ、原材料費の値段の高騰には悩まされます。この春にワイン、シャンパンも一斉に値段が上りました。お客様はニュースなどで様々な食品原料のコストが上っているのはご存知なんですが、それでも我々販売する側にとって見れば、いくらのお値段をつけるかというのは非常に悩ましい事柄として日々迫ってきています。 マクドナルドが、1970年代に日本に初上陸してきたとき、ハンバーガー一個の値段をいくらにするかというので、随分と社内で討議されたそうです。原材料費がいくらで、人件費がいくらで、、、で、お客さまが、いったいいくらだったら支払う価値を見出せるのか。 辿りついた結論は、「タバコ一箱」の値段。非日常では無く日常的な商品として、人々が毎日のように使う金額、と同じくにすることで最初の値段は決まったそうです。 今日の出来事。何回かご来店頂いているシャンパン好きなお客さまとお話していました。 「いやぁ~、それにしてもここのドン・ペリニィヨンは頑張ってはるねぇ(←大阪でいう、安いという意味です)なかなか今時、2万円台では飲めへんなぁ。こないだ行ったXホテルは35000円やったし、Qホテルはそれでも31000円やったからなぁ」 そうなんやぁ。じゃあ、ここのお店ももうチョット値上げしようかな、、、 と、考えてしまうのは早計で、この「安い」と言ってもらえる効果こそ、サービスマンのもうひとつの技術、つまり情報収集のスキルによるものなのです。 うちの店舗で、ドン・ペリニィヨンは価格帯としてはもちろん、ビールや焼酎よりもさらに高価なプライシングゾーンにあります。しかし、私どものお店に来店して頂けるお客様は自然に大阪の一流ホテルであるところのXホテルやQホテルと比較して下さってるわけです。もちろんドン・ペリニィヨン一本の価格だけ見れば、カジュアルなバーとか、それこそ量販店なら半値以下で手に入るかもしれません。 価格とは比較される対象があってこそ、「高い」「安い」の判断がなされるのです。ドン・ぺリが広く知れ渡られたブランドネームであることが効果的に働いています。ブランド品が他社より安い、イコール名前を聞いたことも無いような銘柄でもお値打ちだろう、と感じていただくことも出来るのではないでしょうか。 お客さまの声を聞く、とは情報を収集するに他なりません。メートル・ドテル、ソムリエに求められるのは充分な知識や技術だけではなく、お客さまの声をいかに聞き取れるか、さらにはその情報を充分に活用できるかではないでしょうか。
Aug 26, 2008
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眠いっ! 眠いのだ! いかんいかん。このままではせっかく復活したブログがまた三日ボウズなってしまう!…というのもですね、このブログを長いことお休みしていた間に勤めだした今のお店は、現在のところ営業時間が、午後5時から翌午前3時オーダーストップという全くの深夜勤務形態。 大体、午前3時か4時くらいにお客様がひけた後、5時過ぎの始発に合わせて帰宅するという生活になってしまいました。 昼夜が逆転してしまうとやっぱり体内リズムがズレてくるんでしょうね、昼間働いている時と、同じ長さの睡眠時間を取っているはずなんですが、、、zzz眠気がくる時間がまた違ってくるようです。 営業時間を“現在のところ”と言ったのは、実は、今月末からランチも始めることになったからなんです。お店は昨年の6月にオープンしたのですが、8ヶ月目を迎えて新たにランチタイムの営業もすることになったのです。今回のランチ営業開始については、夜と趣きを変えて臨むというのが会社の方針で、スタッフも新規採用を進め、新しいお店をもう一軒オープンするような感覚です。 私も、少なからず一度は自分でお店をオープンしようともくろんで居ました。お店の新規オープンに対してはいろいろと興味が湧きますが、、、、予算作成の相談も受けたりするのですが、この予算というもの、まだ動き出していない状況においては昨年対比などが参考にできないで、予測の、想像で考えられる数字ということになります。このあたりは例えば建築や設計のお仕事と同じくで、最初にしっかりした設計図を作っておかなければなりません。(つづく、、、)
Feb 19, 2008
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(昨日からの続き…) さて、私がワインを扱い始めた当初は、仕入価格に一律いくらかの金額を掛けていました。一律3000円として、1000円で入荷したものは4000円で販売するが、10000円で入荷したものでも13000円で販売すると言った方式です。 この、「一律いくらか」には人件費も含まれます。また、グラスの洗浄代、長い目で見ればグラスも消耗するので、破損に対する経費。何千分の一にしてもセラーを置いている場所の家賃、電気代水道代などなどの「経費」が載っています。 良心的なお店だと、例えばワインの持ち込みをお願いした時に、この「手数料」的なものを、「抜栓料」として売上られるところもあります。そのため、ワインの持ち込みが可能なお店では、どんなワインも一律1本あたり○○円としている所が多いように見受けられます。 この方式であれば、どんなワインでも1本売れれば3000円、10本売れれば30000円の粗利益が計上できることになります。この場合、「原価率」という数字はほとんど無視です。 ところがこの方式だと、高単価のワインが売れるようになってくると再び若干の問題が生じてきます。 ひとつには、ワインの銘柄によってはお酒屋さん、つまり小売店で買い求めるよりも安くなってしまうこと。もうひとつは高級、高単価のワインに対して、傷んでいた場合などのフォローの問題と、扱いに対するソムリエとしての技術が求められることの差異が計上出来なくなってしまうことになります。 通常レストランの仕入価格とは、酒販店店頭における希望小売価格の大体1割から3割引きで入荷されています。 そのため一旦、希望小売価格、あるいは流通している価格に近づけるために、原価×1,3~1,7の数値を掛ける事にしました。そうして現れた数値に、+2000円~+3500円の「手数料・抜栓料」を加えるといった方法です。『オレ流』ワインの原価率の数式;ワインの仕入値 × 1,3~1,7 + 2000円~3500円 = ワインの販売価格 この方法で例を挙げると、例えば料理のみの客単価が平均5000円のお店があったとします。人数やお店のグレードなど様々な要因はあるにせよ、1本あたり同程度、5000円くらいののワインが売れるようにしたいと望むなら、ワインの原価×1.5倍+2500円=ワインの売価くらいの数式が妥当では無いかと思われます。1000円のワインと10000円の仕入れ値のワインがあったとして、それぞれに1,5倍の数値と、2500円を均等に掛けたとすると、1000円→4000円10000円→17500円となります。それぞれの原価率と粗利益をみると、1000円のワインの原価率は25%となり、10000円のワインは57%となります。粗利は1000円のワインは3000円しかありませんが、10000円のワインは7500円となります。と、言うことはこのお店のワインの一番売れ筋で価格帯の膨らみが一番大きいところは、原価率が30パーセントになるくらいの所、という事ですから、1500円で仕入れたワインを4750円で販売するということになります。 という事は、ワインリストを構成する時において、もちろん安価なワインも必要ですが、いざというときに機会損失せぬよう、高級ワインもいくつか用意する必要があると言えます。 販売するワインの分布において、一番お店がの自信を持って薦められる価格帯のワインを量、質ともに充実させる必要があると言えるのです。
May 26, 2006
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料理やワインや飲んで楽しむだけならともかく、レストランを運営していくとなると、とかく「収支」が気に掛かるところです。 その中でも「原価」、つまり仕入値と販売価格の兼ね合いにどこのお店でも苦慮することとなります。 さて、今日お話したいのは「ワインの原価と販売価格」についてのお話です。と言ってもここからはいわゆる同業者の方向けですので、「お客様」にとっては、しごく退屈なお話しになるかも知れません。…と、言うか、まぁ、あんまり知られたくないお話ですが(^^;) さて、「原価」つまり「材料費」と言うもの、「レストラン」全体で考えるとすれば、健全な運営をしていくにあたっては総売上の30%から35%というところが妥当と言われています。 しかし、料理においては、原価の設定をする際に高単価の商品は原価が低く押さえられ、単価の安い商品は原価率も高くなってしまいます。あるお店が1000円のランチと、10000円のディナーを提供しているとします。 このお店で、1000円のランチなら、材料費は500円以上掛かってしまうかも知れません。また、10000円のディナーなら、逆に原価は3000円程度と言うところでしょうか。ならば、全部値段設定を10000円以上にすれば良いじゃ無いか、ということになりがちですが、実のところ3000円の材料を10000円で売るためにはそれ相当の雰囲気と料理人の腕が必要になってきます。もちろん、お客様の絶対数があっての事ですが。 一方、ドリンク、ビバレージに関して言うと、ワインなどはその傾向は顕著なのですが、1000円で仕入れた商品を3000円で販売することは出来ても、10000円で仕入れた商品を30000円で売ることは不可能です。 なぜこの逆転現象、違いが生じてくるのでしょうか? それは、料理は「製造業」であるのに対して、ワインを提供するという事は「流通業」であるからです。「製造業」と「流通業」が混在するところに「レストラン」という空間の面白さもあるのですが、その反面、厄介な事象が多いのも確かなのです。 さて、ひと昔前なら、多くのホテル・レストランにおいて、ワインでもなんでも 一律何%という原価設定がなされていました。 なんでも3倍掛けてしまうというのは現代においては非常に乱暴な方法と見て取れます。仕入値1000円のワインは3000円になるのですが、10000円で仕入れたワインは30000円になってしまいます。確かに全て原価率は33%なのですが、当然高い商品は売れなくなってしまいます。また、少なくとも都市部において、 昨今では小売店での金額が広く知れ渡ってしまってますから、「暴利」と捉えられても致し方ないとも言えます。 原価の「率」ばかりに気を取られてしまうと、料理との金額のバランスがくずれてしまう。また、よく売れる価格帯が定まらない。金額で選ぶようになってしまう。などなどの弊害が生じてきます。(明日へ続く…)
May 25, 2006
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どんな商売でもそうなのでしょうが、「売上」はお店の運営にとっても非常に大事なものです。もちろん、お客様抜きにしては「売上」は考えられませんから、料理の品質の向上や、サーヴィスのスキルアップなども抜きにしては語れません。 どちらか一方を重視して良いというものでは無いとも思います。車の左右両輪のような関係で、どちらか一方が回転していても、1箇所でぐるぐる同じところを回転するだけですので、バランスよく両輪を同じ速度で回転させて初めてまっすぐ進むと言えるのです。 さて、どんな事業においても適切な収支比率と言うのがあります。これは他業種の小売業やサービス業においてもそうです。フランス料理はおおむねにして、高い単価をお客様に求めますし、リーズナブルな飲食店では低い単価でお客様の来店数を増やすことで利益を上げているのが普通です。 だから利益が上がる、上がらないという観点においては、高級店だから潤っている、沢山お客さんが入っているから儲かっている、ということにはならないケースも多いのです。 収支比率とは、大雑把にいって売上の内訳です。私が身をおくフランス料理業界のモデルケースと言えば、下記のようになります。○売上を100%とします。 原価25~35%(お店のスタイルによって異なります。材料重視のレストランか、サーヴィス重視のレストランコンセプトかによって変わってきます。また、ワインなどを含むドリンクは加工部分が少ない分、原価率は自ずと上がって来ます。そのため、料理部門とドリンク部門の原価率には違いが出て来ます。)人件費30~35%(社員、およびアルバイトの給料です。売上の3分の位1が目安とされています。)家賃8~15(売上の10%が目安とされています。また、2営業日分の売上で家賃が賄えれば安定していると言われています。家賃は固定費ですので、営業を全くしなくても発生して来ます。そのため、売上の20%を越える家賃は危険であると言われています。)初期投資の回収、または借入金の返済 5~7%(考え方は経営者によってまちまちなのですが、借入で店鋪を開店する場合はあらかじめ返済額を固定費としてとらえる方法が主流になりつつあります。初期投資が少なく、借入が無いにこしたことはありませんが、おおむねにして、お客様の客単価を決定する要素になります。)その他経費、雑費 10%~15%(レストランはガスや電気を使用する量はかなり多くなりますので、光熱費だけで5%くらいは掛かってしまうのが普通です。その他はパンフレットなどの宣伝広告費、消耗品の補充に掛かる経費などがあります。)以上が経費です。原価償却費は含んでいません。となると、利益の率は、、、利益0~10%となります。0%というのは極端ですが、多くの飲食店ではあり得ない数字でもありません。が、大体、健全経営のフランス料理店では6~8%くらいでは無いでしょうか。飲食業は技術を持った人材、良い食材に掛ける原価など、割合いを多く占める経費がありますので、決して利益率は良いとはいえません。 飲食業界において日本で最も売上の大きいのが「日本○クドナルド」なのですが、こちらにおいては利益率は0.5%。つまり1000万円の売上があっても、純利益は50000円と言われています。(続く)
Apr 6, 2006
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(昨日の日記の続き)「プレゼンテーション」とは、自社の商品、あるいは自分自身ををいかに魅力的に提供できるか、と言うことであり、「コミュニケーション」とは人と人との間をいかに取り持つかということです。 多くの社会人の方がこの2点において、社会に出たときに衝突する壁であるといえます。 商品が売れないのは、「プレゼンテーション」が他社より優れていない為であり、社内の人間関係がうまく調和を図れないのは「コミュニケ-ション」の能力に欠ける部分があるのかもしれません。 日常的に「プレゼンテーション」技術と「コミュニケーション」能力が問われるのは、他ならぬサービス産業であり、「接客業」であるといえるのです。 飲食店も旅館も、ひと昔まえはいづれも「水商売」と呼ばれていました。 「水商売」の最たる、「銀座のクラブのホステス」さんや、「新宿のホスト」と呼ばれる商売に至っては以前は皆、テレビなどに登場することは無く、また、素顔はモザイクなどを掛けての出演が多くあったように思います。 しかし、ここ最近ではホスト稼業の方々も堂々とテレビに登場し、銀座のクラブのママの手記がビジネス書として読まれるように成ってきました。 サービス業、接客業への世間の見方が変わってきたと言えるのではないでしょうか。 事実、ホテル・レストランの現場を長年勤めた方々が、とある大企業にヘッドハンティングされているという話もよく耳にします。 とある企業とは、この3月期において日本で最も売上高の多かったと言われる「ト○タ自動車」という企業です。この「ト○タ自動車」、最近高級車の販売店舗を「セル塩」という名前(仮名)に名称変更しました。当の大企業は販売店舗のハード、つまり内装などの高級化と合わせて、ソフトの部分、つまり「接客」にも重きを置いたのです。 高級車を購入しようという意識のある人々はとりもなおさず、高額所得者であることはもちろんです。では、高額所得者に対する「接客」に一日の長があったのは、ホテルのサーヴィスマンであり、また高級レストランの現場のサーヴィスマンであったのです。 今後、この傾向は強くなると私は予想します。お客様の目はバブル崩壊の時代を経て、「値段に見あった手頃な商品」か、あるいは「値段以上の付加価値を持ちうる高額商品」の2極に分化すると思われます。 景気は「元に戻った」のでしょうか?あるいは、「新しい形に変化した」のでしょうか?「新しい形に変化した」のであれば、今後、消費者が求めるものは商品への付加価値であり、それはとりもなおさず、「サーヴィス」と「接客」の向上に他なりません。…昨日、今日とオチがないなぁ、、、
Apr 2, 2006
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4月に入ると、ニュース番組では今年度の様々な企業の入社式の模様が画面に映し出されています。今年は、昨年来の不況感からの脱却が見られることもあり、多くの企業で新卒者の採用が盛んな様です。 私くらいの年代になると、ちょうど社会に出る頃がバブル真っ盛り、そしてバブル崩壊、長く続いた不況間感など、ここ20年近い経済の移り変わりの激しさをまさに体感している世代といえるのではないでしょうか。 とはいえ、飲食業界は慢性的に人手不足は否めないようです。諸々の要因はあるのですが、他業種が回復してきて人事採用が盛んになり、少子化が進むと、今後さらに、絶対数が少なくなるのも無理からぬことです。 しかし、接客業という点に限って言うと、これは産業として充分に将来伸びる可能性を秘めています。 これはあくまでも私の持論なのですが、「モノ」が充分飽和した現代、新しい分野とは「モノ」を作る事よりも「モノ」にいかに付加価値を付けることによって、差別化するかという点に重きが置かれるように社会が変化するからです。 景気は「元に戻った」のでしょうか?あるいは、「新しい形に変化した」のでしょうか?景気が「元に戻った」のであれば、さて、バブル崩壊以前のような分野・商品がまた売れるようになるのでしょうか? 生産される商品はすべからく性能の差異は見出しにくくなっています。自動車、電化製品、IT産業と一様に性能は人間が扱える範囲において更なる開発の余地はどんどん少なくなって行くでしょう。 では、それが自動車であれ、一皿の料理であれ、商品ごとの優位性を持たせる要素とは、「プレゼンテーションとコミュニケーション」このふたつにあるといえます。(明日の日記に続く、、、)
Apr 1, 2006
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今日のお昼間に、とあるワイドショーを見ていると、「チーズと牛乳」についての話題が。 まず、牛乳について。昨今では某○印の事件があったから、かどうかは別として、消費者の牛乳離れが年々進んでおり製品そのものが過剰生産になってしまったため、今年で年間1000トンもの牛乳を廃棄処分にしたのだそうです。 一方、ナチュラルチーズ、プロセスチーズなどの値段は高騰するばかりです。理由のひとつとしては、急激に西洋化が進む中国への輸入の増大。なにしろ10億人の市場がありますから、ブームになると需要の規模は日本をはるかに上回ります。中国に限らずロシアでも輸入が伸び続けているのだとか。 国内で生産されているものに「プロセスチーズ」がありますが、このプロセスチーズの原料のうち80%を占めるのは、海外から輸入される「ナチュラルチーズ」。 ヨーロッパのみならず、南北アメリカ大陸産のものや、オーストラリア産のチーズが「輸入」され、一旦、蒸し機で加熱され溶かしたものを再び固めて作られたものが「プロセスチーズ」となります。 さて、輸入元のチーズの値段が上がっているので、日本の乳製品の製造会社も様々な手段を打って来ています。 ひとつは値上げによる対処なのですが、今のところ大っぴらには値上げはしていない模様です。 変わっての対処方が、容量を減らすという事。実は、昨年の同時期なら8枚入りだったパックが、7枚になっていたり、ポーションを少しづつ小さくして全体的な容量を減少させて同じ値段で販売するといった策がとられています。 国内で廃棄する牛乳をチーズの生産にまわせば良さそうなものなのですが、まず、国内には牛乳をチーズとして生産できる設備などが整っていない事。 また、牛乳に限らず日本の農畜産物には様々な規制が多く、生産者保護の観点から牛乳がたくさん出来たからといって、安い値段で販売することが許されないことにもあります。 そのため、すべて国産の牛乳からプロセスチーズを作るとなると、チーズの値段を現行の2倍から3倍に値上げしないとコストが見合わないといった状況に陥ってしまうことが原因です。 それで、国内で生産される牛乳を捨ててでも、諸外国から日本に輸入されているチーズを使用する方がコスト的には安いといった矛盾が起きるのです。 それでも、日本に輸入される「ナチュラルチーズ」の値上がりは実際にレストランにも影響を及ぼしていました。私の勤めていたレストランいおいても、この一年ほどで1割くらい値上がりしたかも知れません。 日本では「ナチュラルチーズ」を美味しく食べる事について、まだまだ未発達と言えると思います。 「ナチュラル」とは、その名の通り加工されていない事です。ナチュラルチーズは発酵と熟成の段階で様々な「微生物」が関わってきますので、時に独特な個性を持っています。 プロセスチーズは先に述べた通り、一旦加熱されています。そのため、微生物が影響を及ぼすことはありませんので、その味は均質です。 しかし、「ナチュラルチーズ」はそのものがそれぞれ個性を持ったひとつの「生き物」であるともいえます。この個性を育ててあげないと、提供するチーズは美味しくなりません。それは、一見難しそうに聞こえますが、その昔日本でも各々の家庭にお漬物用に糠床があったような感覚に近いものです。 チーズショップにおいて、また、レストランにおいて、「ナチュラルチーズ」を上手く「飼う・育てる」ことも可能なのです。その方法とは、あくまでも自己流なのですが…(つづく)
Mar 27, 2006
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このブログももうすぐ200回を迎えることが出来そうです。思えば、私の場合、言わないと気が済まない性分なのか、一回あたりの文章がやたら長いそうです。 友人に指摘されてしまいました。一日あたりの平均が2200文字くらい、200本書くと440000文字!原稿用紙1100枚分かぁ~! ホンマ、そのくらい「レストラン」っていろんなネタが詰まってるんです。しんどい事もあるけど、なによりも楽しいデスよ(^^;)さてさて、「サービス」について考える時、そもそも「サービスとは?」といった疑問が浮かびあがるのです。 大阪で「サービス」と言うと、「おニイちゃん、ちょっとサービスしといてぇな」と言われるように、「まける」の意味合いで使われている事が多いように思うのです。 ちょっと話は脱線しますが、大阪で言う「まける」とは、一般的に思われている以上に深い意味合いを含んでいます。 「まける」というのは単にディスカウントする、イヤラシク値引きする、と言ったネガティブな意味ばかりではありません。「まける」とは「負ける」の意味で、お店側がお客様に「負ける」事なのです。 では「負ける」に対して「勝った」のは誰かというと、これはもちろんお客様です。 あながち間違いなのが、「負ける」という事が、無益なディスカウント競争とはきちがえられてしまった事にあります。 お客様を「勝ち組」にして差し上げる。 そもそも、お客様が「勝った」という気持ちいい気分にさせることの方が大事なのです。「勝った=得をした」、とも言い換える事も出来ます。 商売のやり取りの中で、お客様が「得をした」と感じることは、金額を値引く事だけではありません。現在多くの場所で見られる「ポイント制」によるサービスもそのひとつであると言えます。 大阪に東京からの大型家電量販店が進出してきた際に、大阪の家電店においてはお客様は昔ながらの「値段の駆け引きを楽しむであろう」という事に期待を寄せていました。 価格を下げること無く、「付加価値」を高めることも「お客様が得をした。」という意味ではお店側が「負けた」ということになるのです。 値引きすることと、ポイントを付与することとは商売の売上如何に関する部分においては、同じ程度の競争になったはずですが、今のところ結果的にはこの「ポイント制」の店舗が勝利した模様です。 これは消費者の側に意識の変化があったのです。 「意識の変化」については、常に時代の中で起っている事ですから、我々のフランス料理の業界においても無縁ではありません。 フランス料理は現在でも少々「高級な食事」のイメージが付きまといますし、高いからわざわざ足を運ぶといった要素もあります。そこで、価値に見あう「美味しさ」があるのは当然のことで、価格の違う商品と比較して「こっちの方が美味しい」と言ってもお客様は得をした気分にはなりません。 フランス料理のお店が少なくて珍しかった時代には、「珍しい」という事が「付加価値」だったのですから。 いづれにしても、必要な事は「お客様の支払うお金の価値について考える」ということです。 お客様が「良い時間を過ごせた。」とか、「ここで食事をして得をした。」など思って頂ける。お客様に「勝った」と思っていただけるような「サーヴィス」が「負けてあげるサービス」なのです。「お客様に勝ってもらう」のです。…お客様にかってもらう…お客様に買ってもらう!…なるほどなぁ、、、我ながらなかなかいいオチやなぁ。
Mar 26, 2006
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(さらに昨日の続き) 諸々の銘柄牛が品評会において金賞を受賞しています。しかし、この賞は別に主催者が全国を回って良質な肉牛を探してくるわけではなく、生産者側からのエントリーであることは間違いありません。 こういった賞を受賞すると言うことは、ブランド牛としての認知が高まるというメリットの反面、高値で取引される様にもなります。消費者側の需要に応じて値上がりした末、消費者が購入しなくなると言うリスクもはらんでいます。 また、ブランド和牛の産地と言うのは消費地になるべく近い方が望ましいと言えます。日本の経済のネックになっているのが流通であると言えるからです。 神戸牛、松坂牛、近江牛などその例といえるかも知れません。 生産量が多く無く、品質の高いブランド牛とは「プロトタイプ」つまり、現段階では試作品であると言うことです。 ブランド牛を新たに確立する過程において、まず、種牛となるオスの選別に始まります。これは、競走馬と同じくで、サンデーサイレンスや、トニービン(古っ!)産駒が活躍するよう、良い血統を受け継いだ牛は、良い食肉になる可能性があります。 そして他のブランドとは異なる、肥育方法を研究するワケです。出荷前に大量にビールを飲ませるという方法もそのひとつですし、丁寧なブラッシングを行うといった方法、また牛舎に音楽を流すといった試みも行われています。 高級料理と考えられている、フランス料理の著名なシェフに「世界一美味しい」とのお墨付きをもらえるのであれば少々安い値段で卸しても、「ブランド化」する戦略としてはよい広告宣伝になるでしょう。この点については、お互いに相乗効果が得られます。 好評を得て需要が高まれば、いづれブランド牛は同じ生産方法を用いて量産化されます。その時にコストに見あった高価格で取引されるためには、ブランド化が必要であったのです。 さて、話を「豚」に移すと、ここ最近各地で「銘柄豚」の生産も眼につくようになりました。海外からでは「イベリコ豚」、スペインからの豚ですが、「イベリコ豚」についてはいささか事情が違いました。 イベリコの豚は思わぬ「瓢箪から駒」状態で人気を博した経緯があります。 …このお話はまた近いうちに。
Mar 7, 2006
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(昨日の続き) 経済学において、価格は「需要と供給」の差で成り立っているといわれます。欲しがる人が多くて、生産される商品が少なければ自ずと値段は上がっていくのが原則です。 最近、食に関する様々な問題が露呈しているところから、和牛の値段は上がって来ています。 和牛の値段が上がると、さぞかし、生産農家は儲かっているだろう。と思っていても、実はそうではありません。和牛が「ブランド化」されて値段が上がって来ても、食品とはそもそもが「生き物」であることから事情は少々複雑です。 高級レストランやステーキハウス、鉄板焼のお店などで需要があるのは、「フィレ」「ロース」と言った部分になります。 牛一頭は500キロ程の体矩があるのですが、そのうちフィレは2本あり2つ合わせても10キロ程です。牛1頭が仮に100万円するとして、50分の1のフィレだけを残して、他のすべてを廃棄してしまっては、フィレ一本あたりが50万円になってしまいます。しかし、牛の他の部位、例えば、モモ肉だとか、ほほ肉、牛テールといった部位に買い手がつかないというのが現状です。 内臓に関しては、ホルモンとして焼肉店に卸せばよさそうな物ですが、和牛は穀物しか与えられずに成長させられていますので、草を食べて成長している牛と違って内臓は食用に向いていません。 残念なことに、牛からフィレだけを取り出す技術も、フィレ肉だけで出来た牛というのもありえないのです。 他の部位の売り先が確保できる予想が立って初めて屠殺出来ることが推測できます。 思いのほか、和牛というのは可食出来る部分の率は悪いのです。 牛をお肉に変えずに、つまり屠殺せずに成長させつづければ、その分飼料代もかかりますし、世話をする人間の人件費もコストとしてかかってきます。 コストとは土地・設備代、牛の飼料代,そして人件費。人件費には多分、獣医師なども含まれるはずです。 希少と言われる銘柄和牛の肉を牛1頭分購入するのも、フィレとロースの部分だけを購入するのも金額的には大差がないと推測しています。 高級な「もも肉」、高級な「ホホ肉」の購入先を探しておく必要を鑑みれば、どちらかの店鋪が1頭分を丸々買ってくれることは、ロスなくして販売出来る事から、生産者にとってはありがたい話です。 ソムリエとしての知識を活かすなら、これは「DRCアソートセット」と同じ販売方法です。本当に欲しいのは「ロマネ・コンティ」と「ラ・ターシュ」だけであったとしても、「ロマネ・サンヴィヴァン」も「エシェゾー」も一緒で無いと売ってくれない。というのに似ています。 実は、日本の和牛の流通ルートはそもそも2つあって、半頭分の「枝肉」(映画「ロッキー」でロッキーが、肉屋の冷蔵庫で練習用に叩いていた、首から下の肉全体の様子)と個々の部位、例えばロース、フィレ、イチボ(お尻)、バラ、、、などに解体した「部分肉」とは卸し元が違うのです。 こういった事情から各生産者においては「ブランド牛」戦略があります。(…続く)
Mar 6, 2006
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←写真にて表示しております「特上和牛フィレ肉!」さて、このフィレ肉はオスでしょうか?メスでしょうか?…そんな事分からへん、、、って!? 実は牛肉が「特上」である場合、また、牛肉の中で非常な高価の場合はまず間違い無く「メス」です。食肉用の和牛というのは、メスか、あるいは去勢されたオスしかいないのです。 松坂牛、近江牛、神戸牛。これらが日本三大和牛の銘柄牛と言われています。その他にも日本各地にブランド牛がいますが、繁殖、つまり仔牛がその場所々々で生まれているかと言うと、そうではないケースも多いです。 関西でいうと、兵庫県但馬地方。また、九州では長崎、熊本、宮崎などで生まれた仔牛を生後5~6ヶ月目で銘柄牛ブランドの産地へ移動させてそれから肥育を行うといった方法がとられています。 生まれた仔牛は、まず「オス」「メス」を区別されます。メスは、将来仔牛を生むために母牛となるべく育てられるグループと食肉用になる牛とに分けられます。 オスはわずか何頭かの種牛になる優秀な仔牛を除いて、仔牛のうちに食肉にされるか、あるいは去勢されます。去勢とは、今風にいうと「ニューハーフ」っていうことですね。去勢することによって気がおとなしくなり、男性ホルモンが排出されなくなりますので、肉質がメス牛に近付きます。 食肉用の牛は、生後5~6ヶ月の後は牛舎で飼われる事になります。その後、約30ヶ月肥育されます。牛を肥やすワケですが、この時カロリーの高い穀物や干し草を与えて育てます。 多くの場合、「牛」は牧場でのんびり草を食べている図を想像してしまうのですが、実はこういった「高級和牛」は戸外には出ることはほぼありません。青い草を食べると、脂肪が黄色くなってしまうからです。 牛は体内でカロチンを分解できませんから、乳、脂肪。汗や排出物にカロチンの黄色い色が現われます。ことことは1月28日の日記、「フロマージュ・シェーブル」に記載した、「山羊乳のチーズは白く、牛乳のチーズは黄色っぽくなる」というのと同じ理由からです。(続く…)
Mar 5, 2006
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名古屋市でシェフを勤めている先輩から、久しぶりに電話がありました。何ごとかと思って出てみると、「…ところでな、誰か人おらんかなぁ?キッチンもサービスも全然足らんのやけど、、、」「そうなんですかぁ。そやけど、神戸も大阪もあちこちの店から、人を頼まれるんですけどねぇ、、、なかなかいてませんねぇ。」 何処も人材不足は顕著なようです。ましてや、名古屋近辺の知人といってもほんの数人しかおりませんから、ネットワークを活用してもなかなか紹介出来るかどうか。 人は「モノ」ではありませんから、右から左というわけにもいきません。お店にあう人材なのかどうか、紹介される人が学びたい事がそこにあるのかどうか、もちろん働きに見合う報酬も考慮せねばなりません。 だからこそ、当のシェフは無理を承知で私の所に尋ねて来られるのでしょうが。 人材不足という問題にもいろいろと要因はあります。それは、単純に若いスタッフに「根性が無い」とか「夢が無い」とかで片付けられるものでも無さそうです。 雇う側、お店の方の責任としては、やはりあまりにも即戦力を欲しがる傾向が強くなっている事にもあります。 過去、十数年前なら毎年々々新入社員が入ってきたもので、年ごとに先輩後輩の関係が出来ていたのですが、お店そのものが増えてきて、少人数で対応するようになると、なかなか教育として一から教える余力がありませんから、新入を受け入れにくくなってきてしまいました。 と、なるととにかく2、3年どこかで経験してきた人を雇いたがるので、じゃぁ、何処のお店が社会人一年生を育てるのか、という事になりがちです。 働く側、スタッフの方にとっては、少なからず時代背景というものが見えかくれします。私ぐらいの年代のものが、この業界に入った頃はまだバブル経済華やかな頃で、将来に対して夢とか、野心とかあったのですが、すぐ後の世代の人たちは、その「バブル経済」の崩壊からその後を目の当たりにしているワケですから、「努力したってなぁ、、、」「やりたい事が見つからない」という雰囲気があって、これは今現在の「大人」の人が反面教師になっちゃってしまってる部分が大きいんじゃァないかとも思うのです。 「世界にひとつだけの花」という歌があって、随分流行りました。 歌詞の内容はすごくいいと思います。しかし、「じゃあ、俺はニートでいいんだ。」「やりたい事を探すんです。」というのが「オンリーワン」の尊さだと勝手な解釈をしてしまいがちです。「花」は自分の為だけに咲いているのではありません。咲いてもすぐに散ります。 「花」は植物にとっての身体の一部に過ぎません。しっかりした根と豊かな葉を備えてこそ「花」は咲くのです、 「花」は蜜を求めてやって来る生き物に、ここにある、という目印なのです。また、後々に繋がる「種」を残すための準備段階なのです。いくら花が咲き乱れても「種」が残らなければ生命の意味が無いのです。 飲食業界に限らず、社会の様々な場所でこういった風潮は見られます。 これから社会に来る人たちに、「将来」を考える機会を与えねばなりません。そのときに、「ああなりたい。」「こんな風になりたい。」と思える大人がどれほどいるのでしょうか。「大きくなったら何になりたい?」子供の頃から、散々問われてきました。しかし、残念なことに我々はすっかり「大きくなってしまった」のです。
Feb 10, 2006
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「勝ち組・負け組」という言葉が流行りましたが、私はあまり好きではありません。と、言うか「大ッキライ」です。今時、「2006年は勝ち組になるぞ~(^^)/」なんて堂々と書いている方を見るとなんだか淋しい気持ちになります。そんなこと意識してるのって「負け組」の人だって、、、そもそも「勝ち組・負け組」が言われ出したのがバブル崩壊後でしたから、もう10年も前になるでしょうか。 当時は、「価格破壊・激安」のかけ声と共に様々な業態でコストの削減が図られました。あちこちのホテル、レストランにおいてもリストラが進み、「バイキング」や「食べ放題」に盛んにシフトしていきました。 無駄遣いを止める事はもちろんいいことです。しかし、「コスト削減」の名のもとに多くの「文化」を一緒に失ってしまったように思います。経験を積んだ料理人は給与が高くなるので配置を異動されました。長く勤めたサーヴィスマンは現場を離れ事務職へと異動されます。 では勝ち組・負け組を測る判断の基準は何所だったのでしょう。多くの場合は「株価」でした。株価の高低を論じるのはほとんどにおいて投資家です。 こうなると、我々などは全くの「負け組」の部類に入ってきます。新聞紙上で取り沙汰されているような、何億円の単位の取引などは全く無縁で、料理でも値段の高価な部類に入ってしまうと、消費者の絶対数は少ないですし、また、流通の面から言っても足を運んでお店まで来ていただかないと全く提供できない訳です。増してや、「サーヴィス」などという形の無いモノを販売する以上、ネット上の取引などあり得ません。もう、ニッチもサッチもどうにもこうにもブルドッ~グ♪、、、て感じですね。「会社は株主のためにある」と言ってはばからない経営者、投資家もいます。 しかし私は、規模の大小はあれ「会社・お店」は第一にお客様の為にあり、第二にそこで働く従業員の為にあるのでは無いかとも思うのです。 我々のような職種や、「職人」として呼ばれる人々は、「勝ち・負け」の基準が違います。お客様が、美味い!と思える料理を作れた。お客様に感動を与えるサービスが出来た。人が美しいと思ってくれる作品が出来た。「勝ち組・負け組」って言葉もそろそろ流行遅れになって来ちゃったことですし、そろそろ新しい価値観が生まれてきてもいいんじゃないでしょうか。
Jan 8, 2006
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メートル・ド・テルは「マネージャー」と同義かというと一概にそうとは言い切れません。 しかし、職責名は「メートル・ド・テル」であってもマネジメントのノウハウは必ず重要な条件になってきます。「メートル・ドテル」であるための要素のひとつとして、店鋪のマネジメントが含まれるからです。 ではマネジメントを行うために必要な条件とは、、、平たく言えば「経営者の感覚」です。 飲食店に限らず、小売店や例えば生命保険会社においても「マネージャー」という役職があります、この「マネージャー」とは経営の感覚を持った雇用者=サラリーマンということができるのでは無いでしょうか。 よく起業、独立をを目指す方への売り文句で「人に雇われない生き方うんぬんかんぬん」という文章で起業を煽る広告をよく目にしますが、「独立・経営者=勝ち組」「サラリーマン・アルバイト=負け組」的な意識にはあまり共感を覚えません。 雇われてなお、経営者と同じ視点で自店の経営を考えられるか。また、自分が雇い主になった時に自社に勤めてくれるのは他ならぬサラリーマンであり、経営者であればなお雇われる側の意を汲み取る事が本来望まれるのではないでしょうか。 現在における満足感だけで無く、将来に対する「危機感」を高め、日頃の業務に対しての「問題意識」を常に持ち続ける事が将来の自らのレベルアップにも繋がり、また自社のスタッフに対しての良い意味での緊張感を持たせる事になります。 ではマネジメントとは何を指すのか。一般的に言われているのは、「目標の達成」です。経営において「5大資源」と呼ばれている物があり、それが、人・物・お金・情報・時間です。自己資本であれ、他人の資本であれこれらの資源を管理し目標を達成する事がマネジメントです。その手段としての行動が、○コーチングとカウンセリング…従業員の教育、能力開発、精神的なフォロー○コミュニケーション…お客様のみならず、従業員どおし、業者、近隣の方など○コーディネーション…お客様と従業員、従業員と業者、会社と店鋪など○コントロール…目標の設定と達成、店鋪運営などの上記「5つのC」であると言えます。こうした日常の業務の中に見られる行動こそ「マネジメント」であり、店鋪の質はマネジメントの如何によって左右されるのです。
Nov 16, 2005
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(昨日からの続き) サーヴィスの品質を向上させた後、最もその効果が波及できるのは他ならぬお客様です。 お客様の中には、「料理が最高でサーヴィスが最低のレストランとサーヴィスが最高で料理が最低のレストラン、の二者択一を迫られたら、迷わず後者を選ぶ」とおっしゃって頂けるお客様もいらっしゃいます。 しかし、レストラン・サーヴィスの品質向上を求める時、現場で働くスタッフ抜きにしては語れません。レストランの総意がお客様に伝わるのです。 先述しましたMKタクシーにおけるサーヴィスの評判が広く伝わることは「雨の日に傘を指したり、お客様が家まで見送るのは面倒だ」と考える人や、「事故さえ起こさずに、地点から地点まで人間を運べばいい」と考える方はあえてその職場を望まなくなる事が考えられます。 これは理想論かも知れませんが、スタッフとして共に働きたい人とは、「潜在的にちゃんとサービスがしたい人」であり、「そのための向上心がある人」では無いでしょうか。 となると、あえて運営側、経営側は自らの組織がサービス品質の高い組織であることをアピールする事もひとつのスタッフ採用の際の方法論であるとも言えるのです。 レストランサーヴィスのひとつの職種に「ソムリエ」があります。ソムリエはワインの普及と共に社会にその職種の存在が認知されましたが、ソムリエはその認知の過程で「ソムリエ試験というものがあり、その試験はたいへん難しそうだ。」という顧客側の認識があったのは確かです。 ソムリエ資格の試験が、いかなるものかほとんどのお客様はご存知ありません。しかし、この試験が「難しいものらしい」という噂がソムリエのステータスを上げている事に一役買っている事は確かなのです。 慣れなくてもできるシステムづくりや、スタッフに熟練を求めない組織造りを進めれば、確実に間口は広くなりますので、人材を集めるだけならば容易になると言えます。しかし、そのような組織では「よいサーヴィス」を働いたことへの評価が報われないことがままあります。昨今言われている「成果主義」はサーヴィス業においては使い方を誤ると諸刃の剣となる危険性もあるのです。 以前、フランス外人部隊について話した時(2005/8/19)に述べましたが「戦争という局面においても、戦闘をやりたいヤツが一番強い」のです。 既存のスタッフが彼らが望むような将来の姿を見せることも必要なのです。これこそ若いスタッフへの還元であり、カタチを示す必要があります。 向上心あるスタッフは必ずしも平易な道程を望みません。会社、レストラン、ホテルなどの組織は「意識のある人を採用して、技術を教える。」ことが今後サーヴィス業が広く社会に認知されるために不可欠なものとなるのです。 「評判のいいレストラン」には「いいスタッフ」が入ってきます。まさに鬼にカネボウ・フォア・ビューティフル・ヒューマン・ライフ。採用した人が次々ダメになるように思えるレストランはその組織のあり方に疑問を投げかける必要があるかも知れません。 いいレストランが益々伸びるレストランになり、またダメだと思えるレストランがますます悪くなるような気がするのはあながち思い込みでは無く理由のある事なのです。 …少々お堅い話が続きましたね。私も関西人の端くれとして、このままオチを外すワケにはいきません。さあ、ご期待下さった皆さん!ここから大爆笑ですよ。用意はいいですか!…未ナ滿1回應8偸電影??ミサ去一ン貨、+未(氈i華キョ納゙1+8為ウ秀看-曙cp級制ハ級?去電f偸[華sd影コノ?ヘン教デ一カン下ベ秘?$褐鵠[限##遂秘U訣ンシテネ(^^)vうわあぁああぁ!文字化けしてしまってるぅ!せっかくイイネタだったのに~
Nov 2, 2005
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私たちの生業とする「料飲サービス」とは少々趣が違っていても、他業種のサービスに関する取り組みなどは非常に参考となる点もあります。例えば、病院、介護サービス業、農林水産業、、、様々な業種があれど、そこに「お客様」がいる事を意識すれば「サーヴィス」が生まれます。 京都に本社のある、あるタクシー会社があります。ブログ上で公開するに支障があるといけませんので、イニシャルでMKタクシーとしておきます。 このMKタクシーは、そのサービスの良さで定評があり、他のタクシー会社との差別化に成功している事例といえます。 昨今において関西圏ではレストランやホテル、バーなどにおいてタクシーを呼ぶ時、「MKにしますか、それともその他のタクシー会社にしますか?」と言われることもあるようにようになりました。 ある意味、「タクシー」と「MKタクシー」は別のカテゴリーという認識の現れです。 さて、このMKタクシーのサービスで、本などにも掲載されるような「感動のサービス」とされる事例をいくつか挙げます。・雨の日にMKを呼ぶと、運転手さんが傘をさして車外で待っていてくれる。・女性がひとりで利用すると、自宅まで送った後、マンションの一室の明かりが点くまで車を発車させずに、無事帰宅した事を確認してくれる。などが、あります。ところがこの2例目に関してなんですが、少しよく考えてみると、おかしな点があります。「最初に」この行為に気付いた「お客様」は誰だったのでしょうか? 昔の怪談で、「××淵でその幽霊に出会ったものは誰も生きて帰っては来なかった…」という話がよく見受けられます。誰も帰って来なかったのに幽霊が出た事、襲われた事をいったいどうやって証明したのか。というロジックの矛盾がありますよね。 同じく、この事例にも矛盾点はあるのですが、これが「感動のサーヴィス」を商品として宣伝広告するにあたっては非常に有効であった事も確かです。 推測するに「・女性がひとりで利用すると…」の話は、話題が先にありきで、「マニュアル」によって社員にそう行動するよう示唆されている事が伺えます。 「いいサーヴィス」が会社の評判として噂になれば、組織全体に同じ水準のサービスが期待されます。 もしかすると、この噂を聞いた女性のMK利用者は噂が本当かどうか、家に付いた時にそっと窓からMKの所在を確認するかも知れません。その時にもし自分が降車したその場にタクシーが無かったら、他の会社ではあたりまえの事であっても、MKにおいては「お客様の期待を裏切る」行為になる事もあるのです。よく、「マニュアル的で無く、スタッフの個性を重んじたサービスこそ素晴らしい」との意見が見られます。しかし、優れたマニュアルは質の高いサーヴィスを常態的に提供する為には必要となる場合があります。 飲食業のひとつでサービスのクオリティが高いとされ有名なのが、石川県の「旅館 加賀屋」です。加賀屋のおもてなしのサプライズで、「到着の時、中居さんが全員表で一列に並んで迎えてくれる」という「演出」が行われます。お客様は感動しますが、これは個人それぞれの意思によるものではありません。この「演出」が評判で訪れるお客様の期待は裏切れないのです。そのために、お客様が到着する時間には全員が表に出られるように規定されているはずなのです。 また、日本でもっともサーヴィスの質が高く、リピーターの多いと言われるのサーヴィス産業が「東京ディズニーランド」です。この場所において、スタッフは膨大な量のマニュアルを見につける必要があります。そのマニュアルの中には「スタッフの目の前で子供が転んだら、一度子供の正面に回り、子供の目の高さに屈んで、目を見ながら起こす」といった内容まであるのです。 ここまで質が高くなれば、「マニュアル」と一般的に呼ばれるもので無く、「組織のモラル」といえるものかも知れません。個性によるサーヴィスとしばしば比較される「マニュアル」とは場当たり的な「規定」であるともいえます。 レストランやホテル、また各種の企業などの「組織」が「品質の高いサーヴィス」を謳います。サーヴィスの質が高い事を宣伝広告するならば、お客様の期待は裏切れません。 常に質の高いサービスを提供する鍵は、目標の設定とそれに向かうための継続の意思です。これを決定するのは現場のスタッフではありません。経営者であれ、シェフ、メートル・ド・テルであれ、組織のリーダーの強い意思であると言えます。マニュアル化できない部分は、マニュアルを作成する立場の者の行動であり。ここにこそ「心」が必要なのです。 そして、組織のサーヴィスの向上はスタッフにも波及できる効果があり、また、相乗的にサーヴィスの質を高める事にもなるのです。その理由とは…(つづく)「…『つづく』ってあんたしょっちゅう続き書いてへんやん!飽きっぽいの!?」と、あるところから指摘されました。今回はちゃんと続きを考えています。ホンマです。ホンマですからぁ~!お楽しみにぃ~
Nov 1, 2005
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レストランに訪れるお客様は実に多種多様に富んでいます。 誕生日を祝いにくる人、食事を楽しむためだけを目的とする方、品のいいご夫婦。会社の社長、医者、フリータ-、クラブのママ、、、 IT関連の企業の経営者がネット上で充分過ぎるほどの情報を集められる立場にありながら、なお知りたいことがある時どうするか?人に会いに行く。ということだそうです。本日付けの読売新聞の紙上で、以下のような記事が掲載されていました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「ネット族は勉強不足」敵対的な買収でSBI・北尾氏 SBIホールディングスの北尾吉孝CEO(最高経営責任者)は26日、2005年9月中間決算を発表した記者会見で、敵対的な買収について、一般論とした上で「企業風土や文化が違えば、難しい」と述べ、否定的な見解を示した。 さらに、「最近のネット族は勉強不足。野心だけで成功するのはたまたまだ」と述べ、暗に、楽天の三木谷浩史社長やライブドアの堀江貴文社長らを批判した。(読売新聞)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 敵対的な買収うんぬんに関しては私も門外漢なので触れないでおきますが、ここで北尾氏が言う「勉強」とは何を指しているのでしょう? 会社の資産価値という点から見れば、暗に指摘された方々は、もうすでに十分に勉強した上で成功を収めているように見えます。また、数々の有用な人脈も持たれているのでは無いでしょうか。 あくまでも私の想像に過ぎませんが、ネット上の取引であれ、最終的に商品を購入するのは「人」つまり顧客です。 それが例えばテレビ局であったとしたら、番組、その中に流れるCMという間接的な手法を用いた延長上に、視聴者という名の顧客がそこに存在しているのです。 お客様の顔を見なさい。ということでは無かったかと考えます。お客様の喜ぶ顔が見えなければ、不十分なのです。 サービス業、接客業はその名の通り、直接的に顧客に接する機会に恵まれています。 レストランで働くとは、大げさに言えば、そういう意味での「勉強」ができる場所でもあります。 街の雰囲気、景気の業種、流行のファッション、、、20人や30人程度のお客様でいっぱいになるような料理店でさえ、顔を近づけて小さな穴から覗いてみれば実に様々な事が見えてくるのです。
Oct 27, 2005
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レストランに携わる業界人向けのセミナー。「売上げを伸ばす接客術。」「リピーターをつかむサーヴィスとは。」などのテーマが花盛りです。書店に足を運んでも、「このサービスで勝ち組になる!」「感動を呼ぶサービス」などの書籍が目に付きます。さて、本当に 「サービスを向上させると売上げは上がる」 のでしょうか? 「サービス」が形の無い「商品」である以上、お客様の評価もまた形の無いものであると言えます。 感動するサービスを行えたとしても、涙でも流して頂かない限りは、他者の目には宣伝効果はありません。もちろん、お客様の笑顔が満足の表れではありますが、評価基準を「売上」におくと対価としては見えてきません。 答えとして帰ってくるのに、時間がかかるのは確かです。お客さまがリピーターとして帰って来ていただけるか、あるいは、「サービスの良い」お店としての第三者の評判を得て新規のお客様の来店を図るか。 宮大工という職業があります。「宮大工」とは通称で、正しくは社寺大工と言うそうですが、日本の社寺の建築の美しさは「宮大工」によって築かれました。中世からの日本の社寺の建築物は、すべからく材質は木を用いられています。地震や台風の多い日本において、このような建築物を後世まで残す技術は相当に高いものと言えます。 宮大工の技術は、築造から200年、300年の時を経たのち、建造物が残って初めて評価されるのです。 我々がお客様に向かって「サービス」の品質の向上を訴えることは、非常に難しいのです。 料理の説明において、ワインのプレゼンテーションにおいて、レストランの調度品においてもサービスマン達はいかに美味しく表現するかに努めます。しかし、自らの心遣いについては口に出すことはできません。「今日はいかがでしたか?こんな風にサーヴィスマンは気を使いました。」と言ってしまったら、その時、サービスではなくなってしまうのです。 しかし、確実に言えることは、 「サービスが悪いと売上げは落ちる」 と、いうこと。 何年か前の公共広告のテレビCMで元巨人の清原選手が口にしていました。三振したらどやされる。ホームラン打ったら誉められる。どっちにしてもバットを振らなアカン。 難しい球もあり、速い球もあります。しかし、プロの野球選手である以上、結果を出さねばなりません。 観客は打者がバッターボックスに立つ時、十分な練習と努力を積んできたことを期待しているのです。(つづく)
Oct 26, 2005
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「阪神タイガースが村上ファンドに買われた。」っちゅうニュースが最近新聞紙上を賑わしてますなぁ。なんでも球団を株式にして経営するとかしないとか。 株式を公開するってコトはビジネスとしてとらえるなら、会社に値札を付けるようなもの。値段がとてつもなく高いから普通の人は手を出さないだけで、まぁ「商品」になるということですね。 大阪人は「儲かりまっか?」が挨拶になっていると思われがちですが、ホンマです。 額面通りに受け取ると「お金が沢山入ってきていますか?」って聞いているようにも取れます。関西人はお金にうるさいんではないかと。しかし、実はそういうニュアンスでもないんです。「儲かる=大勢のお客さんの支持がある。」ということで、「儲かる=お金がジャブジャブ入ってくる」ということでは無いんです。 そやからホンマに儲かってる村上ファンドの社長を大阪人は「儲かってるエラい人」として拍手喝采では迎えなていないんですわ。 今期優勝した阪神タイガース。ビジネスで測ってみたら、そら生産性はものスゴいいいはず。一番人件費に投資してみた球団はずっと低迷して5位のまんま終了。それが、「野球」という名の「文化」なんですなぁ。 プロ野球を文化として考えるンやったら、儲からんで当たり前なんですわ。「ビジネス」はお金を儲ける行為。「文化」はお金を使う行為。ですから、なかなか両立は難しい。 飲食業なんていうのも似たようなトコロがあります。「食文化」の担い手であると自負すればする程、文化ですからホンマに儲からん仕事やと思います。 そやけど、「起業家」やとか、「ニッチなビジネス」やとか「オンリーワン」やちゅうて「文化」の中に手ぇ突っ込んで来はる人多いですけど、お金探したってなかなかお金は見つかりませんなぁ。 といっても、もちろん自己満足でもあきませんねん。サービスの本来の目的はお客さんに喜んでもらうことであって、その結果お客さんの評価は店の売上げとして表れる訳ですんで。お客さんに「サービス」を買ってもたれあってるンで、両方成立させればホンマハッピーですわ。 車の車輪と一緒ですわ。右のタイヤと、左のタイヤが一緒に回ってこそ初めて前へ進んでくれます。どっちか片方では同じところをグルグル回るだけ、、、両方のスピードが上がったらそれこそ遠くへ行けるんですな。でもね、そんな文化が私は好きなんですわ。自分で勉強してて思います。そんなん勉強して何になるねん。と。 うーん。分かりませんなぁ。この勉強が必要、不必要って取捨選択できる程まだまだ賢くは無いですもん。何になるかはお客さんに評価を委ねないと。私のサービスをナンボで買いますか?ウチの店の料理の値うちはナンボですか? 何年か前、ゴッホの絵が何十億円で取引されてましたなぁ。ニュースにもなってましたけど、一枚の絵が何十億円でっせ。…原価ナンボですかぁ?紙と絵の具ですやん。(つづく)
Oct 18, 2005
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本日ご来店のお客様はとある日本の大手企業の部長クラスの方々。あらかじめ予約の際に接待の席と言うので割とよい席も用意しました。 接待の席ですから、お客様の会話は自然と仕事の話に向かいます。その企業の方々は最近中国への進出したらしく、現地での指導にあたって、採用した中国人の姿勢を非難していました。グローバル化がなされていないんじゃ無いかと。 ところが、皆様の食事の姿勢こそが全然「グローバル」じゃないんですね。 脚を組んで椅子に腰掛け、パンはちぎらずにかぶりつく。目下の社員の方が食べ終わるのが遅い。食事の合間に喫煙とホールでの携帯電話。いい席と言うのは、レストランのホール内においては他からもよく見える席ですから、別卓のお客さまの目にも見栄えがよく無いです。 以前、中国、上海からの留学生をアルバイトで雇い、共に働いた事がありました。彼女は中国におけるいわゆるエリート階級で、日本語はまだまだ上手く話せませんでしたが、英語のスキルは欧米人と大差無い。 海外に進出する日本の大手企業でさえ、中国人の採用にあたっては、「日本語を必須」を条件としているそうです。彼等にとって世界に出ていくのならば、欧米諸国は英語が出来れば仕事上は不自由は無いのに、日本企業だけが日本語が出来ないと就職できない事に疑問を感じているそうです。 過去、日本の西洋料理、フランス業界は、飛躍的な発展を遂げた出来事があります。ひとつは1968年、東京オリンピックともうひとつは1970年の大阪万博です。当時、世界を垣間見た我々の諸先輩方は、刺激を受け現代とは全く条件の違う中、ヨーロッパに修行に出られました。また、東京オリンピックでの日本の料理長の奮闘はNHK「プロジェクトX」にても取り上げらるまでになっていました。 私にとっては2世代前の方々なのですが、現在のフランス料理の礎になった事は間違いありません。 日本は自動車、電気製品など西洋で産まれた物を精緻化、大衆化し、海外に輸出する事において経済の発展を遂げました。古くはトランジスタ、もちろん車、ビデオ、カメラ、などなど フランスにおいてシェフと呼ばれる人々は、聖職者や医者に次ぐ尊敬されるべき職業として社会的地位が高いと言われています。これはとりもなおさず、フランスにとってフランス料理は形の無い文化でありながら、世界に向けて発信できる輸出品であり、また、シェフとはその担い手でもあるからなのです。 2008年にオリンピックを控えた中国も今、外国人を迎えるためにホテルが次々と建設されています。しかし、ハード面での施設の充実は出来ても、サーヴィス、つまりソフト面での向上はまだまだ間に合ってはいないようです。「サーヴィス」への広い認識がまだまだ不十分なようです。 さて、北京オリンピック、35年前の日本の様子と同じ事が起こりうるかも知れません。日本は西洋の文化を受け入れてきた事においては、少なからず歴史が余分にあります。また、家電製品の例を引くまでも無く、ヨーロッパの文化をリコンストラクションする能力にも長けている国であるともいえます。 中国はやはり欧米から学ぶのでしょうか?隣国である日本から「サーヴィス」というソフトを輸入するに至ってはまだまだ日本のサーヴィスは不十分なのでしょうか?
Oct 3, 2005
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