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この花は、ギンネムの花です。大きさは2センチ弱です。蕾も複数付いておりまして、開花の準備をしております。学名はルシーナと言うそうです。 沖縄へは1910年、明治43年に、セイロン島から農作物の肥料用として導入されたそうです。しかし、去った大戦で沖縄は焦土と化し、ギンネムはほとんど全滅した。現在繁茂しているのはハワイから導入されたものです。 現場の道端に生えていたギンネム、ちょっと失礼してパチリと撮りました。ついでにアダンの実のアップも載せておきます。
2008年04月29日
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勤務中は何ともないのですが、仕事から解放されて家にたどり着きますと、なぜか、最近体がだるくてぐったり、そのまま、シャワーを浴びて寝てしまう、という毎日であります。これは何故か、更年期障害ではないし、労体が老体になったわけでもない。もしかすると、悪い病気にでも犯されたのであろうか? と、いろいろと考えるのですが、結論は唯一つであります。つまり、毎晩、2リットル近く飲んでいたビールや泡盛をピタリ、と止めたからです。酒をやめる、これは大変な重労働であります。肉体は元気なのですが、精神がまいってしまっている。貧乏と重労働には強いが、酒には弱い、愚かな私であります。 つまり、酒を飲む人はそれを止めても平気ですが、飲まれている人は何故か、飲まれなくなると断末魔の苦しみとなるので御座います。 禁酒して、一ヶ月が過ぎましたが、いまが、苦しみの絶頂期だと思う。しかし、その苦しみに勝たねばならない。何故か? そんな事はわからない。しかし、苦しみに勝っていく1日1日は確かに、己に命のエネルギーを与えている、という事が分かる。 無気力、だるさ、あと何日、否、何年、耐えていけばいいのであろうか? 己との闘いは果てしなく続きそうです。 下のデジカメは ”アダンの実” です。学名は ”タコヤシ” で。
2008年04月28日
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生まれる前に父が死に、6歳の時、母は死んだ。彼はそれから祖父や叔父たちの家をたらい回しにされ、最後に叔父アブドル・ムッタリブに引き取られて育てられた。 生まれたところはアラビア半島のオアシスの町メッカで、クライシュ族のハーシム家という名門商人の家柄であった。彼の名はムハンマド、別名マホメットであります。なお、このマホメットという呼び名は、イスラム教徒には嫌われておりますので使わないほうがいいと思います。 彼は子供の頃から隊商に加わっていろいろと経験をつんでいくのですが、25歳のとき、ハディーシャというおばさんのところで働くようになった。そこで、40歳の後家さんである彼女に気に入られましてプロポーズされ、ご結婚なされたのであります。 25歳と40歳、ねーさん女房、・・・いいですね? それから二人の間に5人の子供が出来るのですが、当時としては超高齢出産となりますので感心いたします。 ハディーシャは貿易隊商の大富豪でしたので、生活は安定、老後は年金を貰わなくても保証されていたわけであります。ところが生活の安定が保証されますと、彼はなぜか洞窟に篭るようになります。 そういう時、ある日突然、天使ガブリエルが現れて、ムハンマドがアラーの神の唯一の預言者である、ということを告げたのであります。 そのショックで彼は重い病気になって朦朧となるのですが、ガブリエルが提供した ”黒い苦い液体” を飲まされて元気回復したのであります。これをアラビア語で力という意味の「qahwah=カウア」と呼び、どうやら「コーヒー」の語源らしい、ということであります。 それから彼の布教活動が始ったのであります。「アラーがただ1人の神であり、宇宙の創造主である」 彼は声を高らかに説教しまわった。しかし、誰も彼の言葉に耳を貸そうとはしなかった。 唯一、彼を庇護し、彼の神託を信じた信者第一号は、ねーさん女房のハディジアでありました。こういう思いやりのある奥さんを持ちますと、亭主はどこまでも出世するのであります。また、そういう奥さんである、という事は、そういう奥さんにならざるを得ないという、素晴らしいところを亭主が持っていた、ということにもなりますね? 事実、彼はとっても優しいところがあったのであります。ある日、外出しようといたしましたところ、飼っていた猫の「ムエザ」が彼のよそ行きの着物の上で昼寝をしていたのであります。 普通ですと猫を蹴飛ばして着物を取るのですが、彼はそういうことはせずに、寝ているところの周りを鋏か何かでそっと切り抜き、穴の空いたその着物を着けて出かけたのであります。猫の安眠を妨害してはならない、という優しさの成せる業でありました。 その後、彼は波乱万丈の人生を歩み、イスラム教を世界の至る所へ広める原動力を築き上げたのであります。 途中、奥さんのハディージャは65歳で亡くなり、母方の 叔母ハウラの勧めで二人の妻を娶ります。1人は、熱心な信者で30歳のサウダ、もう1人は親友の娘で、6歳のアーシャイでありました。 アーシャイとは婚約だけで、9歳になったときに正式な嫁さんとして迎えております。時にムハンマドが50歳のときであります。 その後、彼は10人の妻を持ちます。当時は一夫多妻が当たり前でしたので、道徳観念を阻害するような罪責の念はなかった。かえって、実力者の証として賞賛されたのでございます。 1989年2月14日、アヤトラ・ホメイニ師は「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディと、その発行人に対して処刑宣告をした。 翌日、それを受けて、イランのホルダホ財団はラシュディを処刑した者にイラン人の場合は3億6000万円、外国人には1億2500万円を与える、と発表した。 その「悪魔の詩」と申しますのは、イスラム教の聖典コーランを指すもので、上述の一夫多妻の件を卑猥的に捕らえ、反コーラン的色彩を露骨に表現しております。 たとえば、ムハンマドを「小さな野郎」と呼び、妻の死後、一年の間に髭が半分白くなるほど大勢の女と寝た「道楽者」であるとした。さらに、イスラム教徒が崇める聖人たちを ”チンピラ、かす、くそったれ道化” の三位一体であるとし、イスラム教徒が尊敬するビラルという方を「黒い巨大な怪物」とけなしております。 「コーラン」と申しますのは、礼拝、貧困救済、道徳的潔白、自己規律、神への服従を強く打ち出しておるものですが、この「悪魔の詩」はそれを真っ向からけなすものであります。コーランは屁のこき方、セックスのやり方、犯した犯罪の消し方、性交の正しい方法と間違った方法、などについて長々と詠っているものである、というのであります。 考えて見ますと、これはイスラム教に対する最大の侮辱ですね? 怒らないほうがおかしいと思いますが、しかし、それにたいして「殺せ」というのは、アラーの神の御心に反するのではないかと思えたりします。 しかも、この「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディという方は、国籍は英国ですが、ボンベイ生まれのイスラム教徒であります。 この「悪魔の詩」は15ヶ国語に翻訳され、イギリス国内だけで100万部売り上げのベストセラーとなっております。しかし、身の危険を感じた作者サルマン・ラシュディは、1990年9月に今後の出版は許可しないという誓約書をエジプト宗教相やイスラム教学者グループと交わしております。 それから翌年の7月12日、筑波大学の五十嵐一助教授が構内において、何者かによって刺殺されましたが、「悪魔の詩」の翻訳者であるための「処刑」であるとみなされております。処刑人はシーア派イスラム教徒のイラン人という見方が有力であります。 悪魔の詩、ほんとに恐ろしい話であります。
2008年04月23日
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20日夕、韓国の季明博(イ・ミョンパク)大統領が特別機で羽田空港に到着した。シャトル外交の再開第一弾として福田総理と会談するためであります。きょう、21日午前中に会談は行われますが、両国が仲良くなり、互い助け合って人類の発展と繁栄に貢献できれば、こんな素晴らしい事はないですね。 官民一体となった日韓関係の和睦と、経済、文化、教育の発展改善を視野に置いた相互協力が進展すればすばらしい事ですね。過去において日本が韓国に対して犯した罪悪、それに対して、日本は面子とか、国の威信とかのくだらないガラクタを払い捨てて、謙虚に謝罪を表し続ける必要があると思います。頭を下げて謝罪する事は決して恥ずべき事ではない。逆に、頭を下げて謝罪する姿は尊く、崇高であり、日本の質を高めるものであります。 問題は領土問題ですね。竹島を(韓国では独島)めぐっての領有権の主張は、両国の国民感情も深刻に巻き込んで難しい問題となっている。お互い相譲らずで、最悪の事態となれば戦争ともなりかねない。 一体、どうすればよいのか? お互いが、「そうですね~~~、この島はあんたのものでした。ごめんな~~~い、寛大に笑って許してね~~~」 となればいいのですが、世の中そう甘くはない。しかも、海底油田が存在するとなれば絶対に双方とも譲るわけには行かないのだ。 そこで、私は考えるのですが、竹島を両国の共有とし、そこに両国の交流の場、施設を作り、世界人類皆兄弟として仲良く親睦を深める、というのはどうでしょうか? あるいは、世界各国の共有の島とし、全世界の人々が寄り集って、阿波踊りやカラオケ大会を催したり、トライアスロンを行ったり、・・・てなアイデアは如何でしょうか? 年間数兆円の経済効果を日本や韓国にもたらすと思うのですが・・・、やっぱりだめですか? 大変失礼致しました~~~!
2008年04月21日
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現場は浦添市嘉数3丁目2-6で、電柱番号は嘉数53分4でありました。住宅地の狭い路地が入り込んだところですので、通行止めをせざるをえない所でありました。作業班は米津班。 交通誘導員は私一人ですので、一方はカラーコーンを並べて通行止めの看板を立て、他方の出入り口に私は立った。車はほとんど通らないところですので、退屈、うんざりであります。 そのうち、すぐ目の前の民家の屋敷から、道路の上に枝葉を広げている木に青い実がなっているのを発見した。何の実だろうか? ・・・もしかするとマンゴかも、と思っているとき、その民家の主人と思しきお方が出てきた。そこで、早速尋ねた。 「この木、気になる木ですが、もしかするとマンゴの木ですか?」 70代前後のそのお方は頭を振りながら応えた。 「違うね、これはね、カネステルという木です。マンゴの親戚ではありますね」 男は薄笑いを浮かべて言った後、屋敷の中に入っていった。・・・カネステル、考えて見ますと、変な名前ですね。金を捨てる、とも聞こえます。きっと、このお家は大金持ちなんでしょうね? 有り余ったお金の処理に困って捨てざるを得ない、という事でしょうか? そういえば、このお家、琉球王朝時代の大金持ちのお家の造りであります。では、そのカネステルの木の実と、そのお家を御紹介します。
2008年04月19日
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沖縄市照屋にある ”(有)知念電気” に派遣された。5ヶ月前に一度だけ行ったきりで、どういう会社化は良く分からなかったのですが、2度目に行って初めてとっても良い会社である事がわかった。 第一、職員の心が美しい。お互い和気合い合いとして作業をする。外の会社ですと当然ながら言葉使いは荒い。「ばかたれー、これはあれではない、あれがこれなんだ~~~、なんばしちょるとか~~~・・・、しっかりしろ~~、ばかもの~~」 となります。 ところがこの会社は違う。「おばかさんね~~~、これはあれではござーませんのよ~~、あれさまが、これさまなのですよ~~~、おしっかりあそばせね~~~、いやん、ばか~~ん」 とまあ、こんな具合であります。 そして、仕事が速い。一致協力、チームワークが見事でありまして、外の会社で4時間かかる仕事をたったの2時間半で、てきぱきと終わらせてしまうのです。 そして、休憩時間となり、みな、公園で輪になって和やかに雑談となります。私は部外者ですので、遠く離れたベンチで悟りを開きます。 しばらくして、はつらつとした若い声がした。 「警備員さん、どうぞ、これをお召し上がりください・・・」 吃驚して目を開けますと、若い作業員が、お茶とあん餅を私に丁寧に差し出していた。私は大いに恐縮し、頭を何度も下げてお礼を申し上げた。 普通、ガードマンは馬鹿にされ軽視される。こちらから言葉をかけますと、面倒くさそうにしか返事をしない。しかし、彼らは違う。どんな人間でも大切にする、そういう尊い人格のもち主ばかりであります。 ”(有)知念電気” きっと、社長や指導部が素晴らしい人格の持ち主だと思います。 (有)知念電気よ、永久に栄えあれ!
2008年04月19日
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土曜日、仕事が早く終わった。時間は15時30分。17時まではどこかで時間を潰さねばならない。それで、高所作業車(スカイマスター)2台と、資材積載車1台の計3台は、浦添市経塚1丁目にある公園の道路の脇に駐車し、8人の男たちは、それぞれ車の中で昼寝をした。 私は例によってデジカメを持ち、公園の植物観察をした。いろいろな花がありました。ジンチョウゲ、ハイビスカス、スミレ、アメリカセンダンソウ、ススキ、・・・そして、このまっかな花は何でしょうか・・・? 百合のようで百合ではないですね? とりあえず御紹介します。名前が分かり次第ご報告いたします。
2008年04月13日
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みなさま、ここに深くお詫び申し上げます。実は、さるすべりの実である、と自信を持ってその写真を数回にわたってご紹介いたしましたが、それはさるすべりではなくて、アセロラである、という事が、今朝、会社の社長から教えられました。 あ~~~、なんたるちや、私とした事が、申し訳御座いません。なぜ、勘違いしたのか、・・・それは幹がさるすべりにそっくりであった事と、相棒の大城さんが、さるすべりである、と主張したからであります。 勿論、この過ちを人のせいにするつもりはありませんが、全て私の早とちり、愚かさによるものであります。ここに改めて深くおわ見もうしあげます。・・・みなさん、どうか哀れみと思いやりで、寛大に美しく笑って許してください。これがほんとのさるすべりの実ですついでに、満開のさるすべりの花を御紹介します。これが問題のアセロラの実です 猿が滑るのでさるすべり、私が汗を書いたので汗露羅、失礼致しました。
2008年04月12日
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朝、会社へ行きますと風が強く、前に紹介しました、さるすべりの木、が大きく揺れておりました。よく見ますと、あの青かった実が赤く熟れております。 早速、デジカメを取り出し、風が弱くなった瞬間を見計らってパチリ、意外とうまく取れました。すると背後から声がいたしました。 「おお、美味そうだな、御馳走になります」 その声は相棒の大城さんであった。彼はそう言うや否や、長い手を伸ばしてその実をもぎ取り、口の中へ投げ込んだのです。 「美味くてすっぱ~い、これで今日のビタミンCはOKだ~~~、ぐわっはっはっはっはははははは~~~」 あ~~、何という事だ、貴重な自然の芸術品が一瞬にして胃液に溶かされて、後はガスと共に排泄されるのだ。私は寂しい思いでデジカメを収めた。
2008年04月10日
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35億年前から40億年前にかけて誕生した生命体は進化と繁栄を続けたが、6億5千年前にその90%が絶滅した。そういうことはこれまでに18回もあったという学説があり、その周期は2600万年に一回らしい。原因は、ネメシスという彗星で、接近すると隕石の嵐を激しく地上に降らすためであるという。 恐竜が絶滅したのが6500万年前で、その時代に哺乳類が出現している。地上をわがもの顔で徘徊し、その全盛を誇った強大な生命体が滅びると、弱いものが生き残り、それが繁栄し強くなると滅亡してしまう。その繰り返しのドラマが生命体の歴史でもあるように思える。次の絶滅は1300万年後、と計算されているが、人類は果たしてどうなるのでしょうか・・・? しかし、考えてみますと、それ以上にもっとも危険性を孕んでいるのは、人間が自ら築き上げた科学、そして、歪められていく人格と心ではなかろうか。それは1300万年後どころか、100年後、あるいは明日、明後日かもしれないのだ。 自然、宇宙には、その秩序を狂わそうとする事象、物象、存在に対し、抹殺か制御の力を向ける意図的なものがある。人間がそれに立ち向かい、逆らって宇宙を支配することは絶対に不可能である。 人間は自然、宇宙の力の前に謙虚となり、己の無力さを悟るべきだと思う。自然、宇宙の創造の力によって誕生し、今、生かされている事実、それを無視し、残虐に殺しあう戦争を続けていけば人間はそのうち見捨てられるのではあるまいか。
2008年04月08日
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最近、何故かバテ気味であります。仕事から帰ってまいりますとぐったり、こんなはずでは、と思うのですが、現実の事実はそうであります。 原因は何か? 考えて見ますとそれははっきり、輪郭明瞭、鮮明、歴然であります。つまり、沖縄尚学院が甲子園において連戦連勝、今日ついに最強の東大姫路に勝っちゃって決勝進出となったからです。 明日は決勝戦、血湧き肉踊るこの興奮絶叫は更に私の老体をバテ気味にさせるでしょうね?・・・老体! けしからん、私は67歳だが、老体ではない。私は永遠の現役、労体であります。あと150年は病まず死なず弱らず、つまり、今の若さで労務者としての偉大なポジションを維持し、無限パワーを発揮しまくる、ということであります。 明日はきっと、午前中は仕事で、午後は休みとなるでしょう! それは、何故か? 皆様御存知ですね? そう、沖尚学院の決勝戦が午後零時から始まるからです。明日は午後は仕事休みいで~~~す。 では、ここで、先日のそのまたまた先日、2回に渡って御紹介したさるすべりの、実を御紹介します。
2008年04月03日
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浜辺の歌、私の好きな学校唱歌の一つです。作詩は林古渓、作曲は成田為三となっております。2,3年ほど前の日曜日の読売新聞に、成田為三が片思いの女性に贈ったのがこの浜辺の歌である、という記事が載っておりました。この曲は彼が東京音楽学校在学中に、雑誌「音楽」の主宰・牛山充に勧められて作曲したものだそうです。歌詞は、林古渓が幼い日に湘南海岸の浜辺を歩いたときの追憶と言われています。 その歌詞に曲をつけて、なぜ、為三は片思いの女性に贈ったのか? 歌詞の内容には愛の告白を匂わすような箇所は見当たらないのですが、明治生まれの男には、あからさまに恋を表現する事が出来なかったと思います。 しかし、3節の中の、浜辺の真砂、まさご(真砂子)、赤裳の裾、という単語を見ておりますと、そこから連想されるものは万葉集の第4巻にある笠女郎(かさのいらつめ)の詩と、第7巻の作者不明の詩です。 笠女郎の詩は全部で24首ですが、それらは全て、大伴家持に贈られた激しい恋歌なのであります。その中に次のような詩があります。 やほが往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖の島守(0596首) (家持様、浜辺の砂の果てしなさなど、私のあなたへの恋の無限さに比べれば、たいした事はありません) また、第7巻の1090首は次のようになっております。 我妹子(わぎも)が、赤裳(あかも)の裾の、ひづちなむ、今日の小雨に、我さへ濡れ(我妻の赤い衣裳の裾を、今日の小雨は濡らしているだろう。我もまた同じように濡れよう) つまり、成田為三は浜辺の詩の第3節にこれらの恋歌を絡ませて愛を告白した、という事になります。大正5年ごろ、「いとしい正子にささぐ」と記して、浜辺の歌の手書きの楽譜と歌詞を郵便で送付しております。 結果は失恋、見事にふられております。相手は同窓の矢田正子(旧姓=倉辻)さん。振った理由は彼女がすでに結婚していたからでした。恋に痛手を負いながら、為三はその後ドイツに留学しております。彼が大酒を飲むようになったのはその頃で、体を壊しております。しかし、お見合いで禁酒宣言し、53歳で他界するまでそれを守り続けたと言われています。きっと、綺麗な素晴らしい奥さんだったのでしょうね? このことは、振った正子さんの養子、声楽家の鈴木義弘氏が、二年ほど前、宮崎市で開かれた演奏会で初めて公開しております。 「成田さんには気の毒なことをした。この歌を歌うときは成田さんの心情を考え、おろそかにしないでほしい」 とは、正子さんが生前に鈴木氏に言った言葉です。 では、皆さん、いっしょに浜辺の歌を歌いましょう! あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる風の音よ 雲のさまよ よする波も 貝のいろも ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるるよする波よ かえす波よ 月のいろも 星のかげも はやてたちまち 波を吹き 赤裳のすそぞ ぬれもせじやみしわれは すでにいえ 浜辺の真砂 まさごいまは
2008年04月01日
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