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小泉今日子月ひとしずく奥田民生月ひとしずく鬱陶しい梅雨空だけど、雲の隙間にさっきちらりと十六夜(いざよい)の月が見えたんだよね。きれいだね。
2024年06月25日
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Swing Out SisterNow You're Not HereNow You're Not HereStudio live inJapanese television* フジテレビ『夜のヒットスタジオ』か。公式動画としてアップロードされている。原題:もうあなたはここにいないNow You're Not Here旧・公式動画
2024年06月25日
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GazeboI Like Chopin小林麻美雨音はショパンの調べ訳詞:松任谷由実
2024年06月25日
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坂本野原ずぶ濡れのレインコートゆ雫落ちレインブーツの赤に染まりぬなにとなく梅雨の鬱にて焼酎の梅酒割りなどふふみてをれりびしよ濡れの鳩も雀も生きてゐる生まれしものは生くるべきなり人の嫌ふ梅雨だけれども草の葉はたぶんうれしく濡らされてゐる心頭を滅却すれば憂鬱な梅雨また涼し梟の鳴く時はいま雨が濡らしてしろしめす地上はすべて緑の野原蜜豆を食べたくなりぬ素麵もいいよね夏と水との親和蜜豆の黒豌豆は大福のそれと品種が同じだらうかただでさへ酸つぱいものが好きなのに夏はますます酸きが好き好きいとほしやいとしに掛けてあるらむか中島みゆき「糸」に思ひき恋歌は種族の保存本能に根ざしてるからホモ・サピエンス寝よだれとヒコロヒー言ふ芸人の語彙さりげなくゆかしかりけり骨董を夫婦で売りて悪漢に強盗さるる変な夢見つ蒸し暑くなつてきたのでをみな皆薄着になれることのたのしみ芸術はかなりのことが許されむEテレでさへ時には陰部処女性に大した意味はなかりけむクリスチャニティならぬ地にてはCMの30秒のCGのワンデーアキュビューオアシスマックス旧かなや文語体とか行き来して時間旅行のうたのおけいこ今はもうキャンヴァだよねと娘言ふ型落ちらしきパワーポイント世界観、存在感と違和感でトリオ組まうと枡野浩一*『NHK短歌』23日朝放送より(司会:ミュージシャン・尾崎世界観、ゲスト:俳優・片桐はいり、講師:歌人・枡野浩一)。旧仮名づかひ
2024年06月23日
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伊藤銀次 こぬか雨こぬか雨 ライヴ
2024年06月22日
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森高千里 雨雨オリジナル
2024年06月21日
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CarpentersRainy Days and Mondays
2024年06月20日
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The BeatlesRain雨が降ったら 軒に隠れる日が照ったら 蔭に隠れるレモネードでも啜ってりゃいい雨が降ったら 気にしない晴れになったら 天気がいいそんなもんだろ 心なんてさ聞いてるか 俺の言ってること聞いてるかジョン・レノン
2024年06月20日
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真中朋久(まなか・ともひさ)ひとのはなし聞いてゐないとなじられて父と息子とひと括りなる子がこゑに読むをし聞けばかな多きわが恋歌の下書きなりきゑのころを見るたびに摘むをみなごの父なれば手にゑのころ五本あわただしく移る季節は窓のそとつながつたまますこし眠つた歌集『エウラキオン』(平成16年・2004)註2首目:字が読めるようになった幼子が、たどたどしい声で何か朗読しているのを何気なく聞いていたら、それは私が書きかけた、ほぼ仮名文字の恋歌の草稿だった。・・・うわわ恥ずかしい、おいおい ^^;ゑのころ:エノコログサ。通称「猫じゃらし」。をみなご:女の子。おなご。娘。
2024年06月19日
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島木赤彦(しまき・あかひこ)森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明りかも第一歌集『馬鈴薯の花』(大正2年・1913)
2024年06月18日
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昨晩帰宅したらエアコンを使っていなかったので、妻と娘たちに開口一番なにげなく「クーラー点けるべーよ、さすがに暑かんべー」と言った。この「暑かんべー」は、古語「暑かるべし」の音便であり、さらに遡れば(文法上の品詞分解とは別の、語源論的に見れば)「暑く・ある・べし」が約(つづ)まったものである。意味は「暑いだろうよ」である。このように、方言はしばしば由緒正しき古語をよく保存しているのである。・・・ だからって、別にどうってことはないんだけどね
2024年06月17日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)しばらくは瀧に籠こもるや夏げの始はじめ奥の細道(暑いなあ。)しばらくの間、涼しい滝に籠ろうか。夏の初め、夏行げぎょうの始めだ。註下野国しもつけのくに(現・栃木県)日光の「裏見の滝」にて。夏げ:当時盛んだった、大自然の中での仏教・修験道などの「夏行げぎょう」(夏季の修行、呉音読み)。巨匠が表現の目標として掲げたものの一つ、洒脱な「軽かろみ」と諧謔(ユーモア)が感じられる名句。 裏見の滝 栃木県日光市ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2024年06月17日
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森山直太朗 夏の終わり夏の終わり ライヴ夏の終わり埼玉・川越氷川神社ライヴ日本の夏は暑すぎて、僕たちをちょっとした狂気に導く。そこで起きたことは、ときに一生の思い出または悔恨になる。
2024年06月16日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)どつちにある、こつちといへば片頬笑かたほゑみひらく掌たなそこの赤きさくらんぼ歌集『黎明』(昭和21年・1946)(右の手と左の手と)どっちにあるでしょうと孫が問う。こっちだと当ててしまったので、少しがっかりしてはにかんだほほ笑みで開く掌てのひらの赤いさくらんぼ。
2024年06月16日
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小池光(こいけ・ひかる)廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり歌集『廃駅』(昭和57年・1982)
2024年06月16日
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紀野恵(きの・めぐみ)この度も除目沙汰じもくざた無くほころびてあさぎざくらは裏庭に生おふ註「除目(じもく)」は、もと公式の目録(記録文書)から除いたり登録したりすることで、平安時代の官僚の人事異動(昇進または音沙汰なし、場合によっては降格・左遷なども)をいう。毎年春秋の二回あった。僕が大好きな今年の大河ドラマ『光る君へ』でも、なかなか出世できなかった下級貴族・藤原為時(まひろ・紫式部の父)たちにまつわるワードとしてたびたび登場している。現代のサラリーマンにとっても、人事は切実な一大関心事である。浅葱桜は、一重の花弁に緑の萼(がく)が目立って、あまり美しくないといわれる桜の品種。
2024年06月16日
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遠山勝雄(とおやま・かつお)いつの日もとなりに同じ寝息ある幸ひ満ちていつまでふたり対岸に日傘を振れる妻見えてわれも手をふりペダル踏み込む妻とゆく手をとるほどの若さなく手をひくほどの老いにもあらず病む妻に茶を注ぐわれの手の少しぶれて笑み合ふ秋陽のなか添ひ遂げむ君と過ごしし春かぞふそれでももつと知りたき女ひとよ紅梅の色ます弥生わが孫の秘めたる恋も春雪のなかひとり行くこぶし満開の山の道忘れたきこと忘れるために晩秋の水霜あびし辛子菜を野うさぎとわれ朝あさ分け合ふ海神にわが村かくす防潮堤浦のすて船ひとつただよふ震災の海に育ちし岩牡蠣をひたすらむける陽のかぎるまで第一歌集『銀のちろり』(令和6年・2024)
2024年06月16日
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高瀬一誌(たかせ・かずし)広軌から狭軌にかわる昂奮が山形新幹線「つばさ」にはある歌集『火ダルマ』(平成14年・2002)註鉄道ファンなら、なるほどとニュアンスがよく分かる一首である。私も軽い「鉄ヲタ」だが、車両にはほとんど興味がなく、路線と軌道(レール)の構造などに特化した変態マニアである作者の表現意図とは違うだろうけれども勝手に敷衍すると、イギリス植民地規格であった(新橋-横浜以来の)日本のほとんどの在来線狭軌から、新幹線によってやっと広軌(世界的にはフツーの標準規格)になった。西洋に追いつき追い越せだったこの国の必死の近代化の道程の一つの象徴ともいえよう。今はその変化を楽しめるほどに、この国も先進国になった。・・・なんてことを思ったりする。
2024年06月15日
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永井祐(ながい・ゆう)君といて色んなテレビが面白い ゆっくり坂を上から下へ第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(平成24年・2012)君といると今まで興味がなかったテレビ番組さえ色づいて面白く見えるよ。君とふたりでゆっくり坂道を下って行こうか。註三十一文字(みそひともじ)の制約もあって、一読してなんか舌足らずな歌だと思っていたが、紙背を透かしてよく読めば、ほとんどプロポーズに近いぐらいの、それなりにたおやかな恋歌だった。一見、肩の力が抜けたナチュラル感が、作者らしい。
2024年06月15日
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John LennonMOTHER母さんあなたは僕を得たけれど僕はあなたを得なかった僕はあなたがほしかったけどあなたは僕がほしくなかっただから僕は言うよさようなら さようなら父さんあなたは僕を捨てたけど僕はあなたを捨てなかった僕にはあなたが必要だったけどあなたには僕は必要じゃなかっただから僕は言わなくちゃならないさようなら さようなら子供たちよ僕がしてきたみたいにはするなよああ僕は歩けもしないのに走ろうとしたんだだから僕は言わなくちゃならないさようなら さようなら母ちゃん 逝かないで父ちゃん 帰って来い(拙訳)* 邦題は、アルバム『ジョンの魂』初出時(1970年)に『母』、その後シングルカット時に『マザー』と改称された。
2024年06月14日
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The 5th DimensionUp, Up and Away
2024年06月14日
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The 5th DimensionAquarius / Let The Sunshine In(The Flesh Failures) 5次元水瓶座/日の光を内へ(肉体の蹉跌)* 西洋占星術(アストロロジー、「星占い」の本家本元)においては、21世紀は水瓶座♒(アクエリアス)の時代とされていると仄聞する。それは、地上の地域に当てはめると、アジアであるともいう。
2024年06月13日
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原田彩加(はらだ・さいか)スプーンを水切りかごに投げる音ひびき続ける夜のファミレススカートがくらげみたいに膨らんで水の匂いの地下鉄が来る行列がなくなり水が腐っても撤去されない黄色いボート嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ透けながら眼前に立つ木蓮のいいえ謝る必要はないさりげなく花の記憶を分け合って路線図のごと別れていくか好きだったひとを忘れて新緑の世界ようやく胸に迫りぬ岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる雨粒の滴る森のやわらかく俯いているアカキツネガサ第一歌集『黄色いボート』(平成28年・2016)
2024年06月11日
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クロード・ドビュッシー海管弦楽のための3つの交響的素描クラウディオ・アバド指揮ルツェルン音楽祭管弦楽団Claude DebussyLa MerTrois esquisses symphoniquespour orchestreClaudio AbbadoLucerne Festival Orchestra 葛飾北斎 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン* 僕がクラシック音楽で最も好きな作品のひとつでこのブログを始めた10数年前からつとにリンクしてご紹介したかったのだがユーチューブを探ってみてもあんまりいい演奏がなかったのでとうとう今日になってしまった。今、最高の演奏に巡り合えたので、たぶん初めてリンクする。この不定形で夢を見ているような感じがドビュッシーの独壇場であり、すばらしすぎる。
2024年06月09日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)藍青らんじやうの天そらのふかみに昨夜よべ切りし爪の形の月浮かびをり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)註きのうの宵、ふと空を見たら、すごく綺麗な細い月が出ていた。この秀歌の的確すぎる表現を知ってからは、こういう月を見ると、切った爪にしか見えなくなっている。おそろしい。佳人である若い頃の作者が足の爪を切っているさまを妄想させて、なにげにエロい一首でもある。・・・あ、足とはどこにも書いてないか。すいません 「夕べ」ならぬ「昨夜よべ」なんて言葉はこの歌で初めて知ったが、確かに存在し、源氏物語に用例があるとかいう。
2024年06月09日
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梅内美華子(うめない・みかこ)ティーバッグのもめんの糸を引き上げてこそばゆくなるゆうぐれの耳乳房当たらぬように抜け来し雑踏の振り返りたれば秋のまたたきみつばちが君の肉体を飛ぶような半音階を上がるくちづけわが首に咬みつくように哭く君をおどろきながら幹になりゆく重ねたる体の間に生るる音 象が啼いたと君がつぶやく夜半の道君ひとりする物思い知らざれば照るわれは若月みかづき截るごとにキャベツ泣くゆえ太るときもいかに泣きしと思う夕ぐれスピンクスのわれが投げにし言葉の輪からんと君の首に落ちたり歌集『若月祭』(平成11年・1999)註女性ならではの鋭敏な身体感覚が横溢している、現代短歌の名作歌集。男の身体でも詠んで詠めないことはないかもしれないが、このように優美な感じにはならないだろう。截る:「きる」と読むのだろう。截断(せつだん)する。話は変わるが、伝統的で優雅ではあるが書くのも読むのも難しい旧(歴史的)仮名遣い(例・ゆふぐれ)を用いるか、分かりやすい新(現行)仮名遣い(例・ゆうぐれ)を選ぶかという、短歌実作者であれば必ず直面する、それなりに重大な岐路・選択・決断がある。そう遠くない昔(俵万智以前)は、一流の歌人は旧仮名というイメージも、確かにあった。個人的には、梅内さんが(格調高い文語体でありつつ)新仮名遣いを採っているのを見て、これが決め手になり、私も途中で旧仮名から新仮名に変更した覚えがある。今となってみると、新仮名にして良かったと思っている。読者に媚びるわけではないが、読んで分かりやすいということも大事だと思う。梅内さんは、いわば一種の師範であり、恩人である。
2024年06月09日
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大伴家持(おおとものやかもち)振りさけて若月みかづき見れば 一目見し人の眉引まよひき思ほゆるかも万葉集 994夕空を見上げて若い三日月を見るといつか一目見た人のほっそりした眉が思い出されるんだよなあ。註1300年前の「近代人」、天才家持16歳の青春歌。奈良時代の平均寿命は短かったとはいえ、あまりにも早熟だなあ。振りさく:振り向いて仰ぐ。「眉引まよひき」に「迷ひき」が掛けてあるともいわれる(奈良時代当時の発音は同じ)。この場合、「人」は「私」を示し、「一目見た私は迷った(魅惑された)、それが思い出される」という別の文脈でも意味が通る。
2024年06月09日
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大伴家持(おおとものやかもち)春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯うくひす鳴くも万葉集 4290春の野原に霞がたなびいていて、何となく泣きそうになる。この夕暮れの光の中に、鶯も恋の歌を歌っているんだなあ。註鶯うくひす:後世、我々が「ホーホケキョ(法華経)」と聴いているあの鳴き声を、仏教伝来以前の古代人は「ウークピツ」と聴いていた可能性があり、それが語源であるとも思われる(筆者くまんパパ説)。奈良時代以前、ハ行はパ、ピ、プ、ペ、ポであり、サ行はツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォだった。「笹の葉」は「ツァツァノパ」であり、「すずめ」は「ツツメ」、「ひよこ」は「ピヨコ」だった。いずれもオノマトペ(擬音語)であると解される。
2024年06月08日
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき太陽が昇りはじめてこの街のガラスしづかに透明となるどのやうに馬鹿なことでもすでにもう誰かが言つたり書いたりしてるどのやうに語つてみても納得をさせるためには沈黙が要る洪水の以前も以後も世界には未来がありぬいたしかたなくひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始むたとへもし世界が滅んでしまつてもそれも世界の出来事である一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり歌集『ファブリカ』(平成8年・1996)
2024年06月08日
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知ってる? Google アプリCMMISANOいくつかの異なるヴァージョンでテレビ放映たけなわである。露出度もすごくて、けっこう話題になっている模様。圧倒的に可愛いというにとどまらずなんか女子としての余裕というか貫禄というか成熟や落ち着きや凄みを感じて、一瞬でぐっとくる。・・・僕が若かったら、お嫁さんにしたかった
2024年06月07日
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俵万智(たわら・まち)いつもより一分早く駅に着く 一分君のこと考える第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)
2024年06月07日
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竹内亮(たけうち・りょう)自転車の荷台に雀一羽立ち草の匂いがながれていったキッチンで知らない歌を口ずさみ君は螺旋のパスタを茹でるジーンズの裾に運ばれついてきたあの日の砂を床に落として線香を両手でソフトクリームのように握って砂利道を行く水色のジャージで歩く女子たちのみな丸顔になっている国川べりに止めた個人タクシーのサイドミラーに映る青空旧市街を何も話さず歩きたい足音のよい道を選んで海水の透明な水射すひかり大きな鳥が陸を離れる終電の一駅ごとに目を開けてまた眠りゆく黒髪静か第一歌集『タルト・タタンと炭酸水』(平成27年・2015)
2024年06月07日
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)画家が絵を手放すように春は暮れ林のなかの坂をのぼりぬ第一歌集『青蟬』(平成7年・1995)
2024年06月07日
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□ 生物学者が歳をとってわかった「人生の意味」 池田清彦氏【東洋経済オンライン 6月6日】
2024年06月07日
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横山未来子(よこやま・みきこ)ゆたかなる弾力もちて一塊の青葉は風を圧しかへしたり第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(平成10年・1998)
2024年06月07日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)これまでに吾に食はれし鰻らは佛ほとけとなりてかがよふらむか歌集『小園』(昭和24年・1949)
2024年06月06日
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井辻朱美(いつじ・あけみ)水球にただよう子エビも水草もわたくしにいたるみちすじであった歌集『吟遊詩人』(平成3年・1991)註水球:ここでは地球のこと。スポーツ種目ではない。
2024年06月05日
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若き日に巨人・田中角栄の薫陶を受け、自民党幹事長などとして「豪腕」と謳われた大物政治家も、寄る年波で今では野党・立憲民主党のせいぜいご意見番ぐらいのポジションに甘んじているが、やはりさすがに腐っても鯛だった。久しぶりに気炎を上げていると『夕刊フジ』が伝えている。その内容に共感したので、全文引用する。・・・全体主義独裁国家に金は要らない。民主主義には金がかかる。自明の理であると私も思う。いわゆる「民主主義のコスト(費用)」である。国民各位は「政治とカネ」の問題に対して、一時の感情に走らず、長い目で見て冷静に受け止めてもらいたいと、切に思っている。〔以下、リンク・引用〕□「頭がおかしいのではないか」小沢一郎議員の "正論"岡田幹事長ら立民幹部を批判「法案を出した時点でパーティーの開催はなしだ」【岩田温氏「日本の選択」 夕刊フジ 6月4日配信】久々に野党議員から正論を聞いた。文字通りの「正論」である。まず、確認しておこう。立憲民主党は政治資金パーティーを全面禁止するための法案を国会に提出した。それにも関わらず、岡田克也幹事長や大串博志選対委員長ら一部の幹部が、政治資金パーティーの開催を予定していたことが発覚した。意味不明な選択である。国民が怒りの声をあげると、突如、自分たちのパーティーの自粛を決め込んだ。「朝令暮改」とは、このことを言う。筋違いで、場あたり的行動を繰り返す党のあり方に異を唱えたのが、立憲民主党の小沢一郎衆院議員である。彼の発言こそが正論であった。小沢氏は政治資金パーティーの存在を否定しない。政治には金がかかることを彼は熟知しているからである。地元に事務所を構え、私設秘書を置く。選挙のためでもあるが、有権者の声を聞くためでもある。地域の人々の声を聞かずして、何のための政治家なのか。不正で不透明な金のあり方には異を唱えるが、「政治と金」の問題をすべて問題視はしない。金のかからない政治を求めるならば、民主主義は不要だからだ。考えてみれば、全体主義に金はかからない。地域の人々の声など無視すればよいからだ。陳情も訴えもすべて不要。住民の意向など一顧だにしない。それが全体主義だ。為政者は権力を行使し、人々はそれに従うだけでよい。民主主義社会では、誰もが過ちを犯し、正す必要がある。誤りのない人など存在しない。その「可謬性(かびゅうせい)の哲学」こそが保守主義だ。小沢氏が否定するのは、意味不明な理屈に終始する政治家たちである。彼は言う。「信じられない。頭がおかしいのではないか。法案を出したのだから、その時点で(立憲民主党の政治資金パーティーの開催は)なしなのだ」誰がどう聞いてみても正論である。さらに、小沢氏は続ける。「世間から見れば、『パーティー禁止の法案を出したのに、党執行部が先頭に立って(パーティーを)開催するとは、どういうことか』となり、信じられない。法案が成立するまでパーティーをやるということは、『警察が来るまで、盗人をやれ』みたいな話ではないか」信なくば立たず。国民から、疑われるような行為は厳に慎むべきであろう。盗人猛々(たけだけ)しいような政治の世界を、一般国民は蛇蝎(だかつ)の如く嫌悪している。政治家は信用できない。噓しかつかないからだ。しかし、これでは馬鹿げている。国が亡びる。私が本当に愛するのは現実だ。現実を跳び越えた野望に意味はない。政治家は国民の信用を取り戻すべく尽力せよ。
2024年06月05日
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小倉百人一首 四十八源重之(みなもとのしげゆき)風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな詞花集 211あまりに風が激しいので岩を打つ波が自ら砕け散るように(岩のように冷たいあなたに心を砕いて)思い悩んでいるばかりのこの頃だなあ。註激しくやる瀬ない(失いかけている恋の)片思いの歌。イメージとしては東映映画の冒頭のトレードマーク・タイトルのような感じか。いわゆる「一人相撲」の状態なのだろう。安全保障条約と同様、男女の仲も片務的でなく、双務的でなければ上手くいかないようである。(風)を(いた)み:風がひどく強いので。上代語特有の「ヲミ語法」。体言(名詞など)+間投助詞「を」+形容詞の語幹 +接尾語「み」で、「・・・が、・・・なので」の意味を表わした。和歌では後世も用いられたが、それ以外では廃れた。なお、「を」の用法としては、こうした間投助詞が最も古く、次いで格助詞の「を(歌を詠む)」、さらに接続助詞の「を(色は匂へど散りぬるを)」が生じたとされる。いた(み):形容詞「甚(いた)し」(甚だしい、激しい)の語幹。連用形の「甚(いた)く」は現代語でも用いられる。「いたく悲しむ」。おのれ(己)のみ:自分だけが。ひとりでに。
2024年06月05日
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小倉百人一首 四十九大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)御垣守みかきもり衛士ゑじの焚たく火の夜は燃えて 昼は消えつつものをこそ思へ詞花集 225皇宮の門を守る兵士たちの焚く篝火かがりびのように(私の恋の情火は)夜は燃え盛り 昼は消え入るごとくに狂おしく思い悩んでいるばかりだ。註御垣守みかきもり:平安時代当時、皇居(現・京都御所)の諸門を守った警護の兵。「御垣」は、もと皇居の垣根の意味だったが、転じて御門の意味になった。枕詞(まくらことば)ではないが、ここでは「衛士ゑじ」に掛かる枕詞のように用いている。衛士ゑじ(えじ):御垣守みかきもりに同じ。衛視。警備官。夜は燃え昼は消えつつ:夜は恋の炎に身を焦がし、昼は沈淪して思い悩みつつ。「燃え」と「消え」の対比が洒落ている。どちらもヤ行の活用なので、歴史的仮名づかいはこのようになる。(ものをこそ)思へ:係り結び。命令形ではない。「燃え」と「思へ」が韻を踏んでいる。けっこう技巧的な一首である。
2024年06月04日
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チューリップぼくがつくった愛のうたいとしのEmilyビートルズのポップな一面の影響が「一聴瞭然」だが完全に換骨奪回して自分のものにしている、財津和夫の才覚であった。1974年の時点では、驚異的なほどおしゃれなサウンドだった。なお、タイトルのエミリーは、チューリップが当時所属していたレコード会社「東芝EMI」と「lovely」から名付けたのだという。・・・このように作詞の創作秘話みたいなのは知るとがっかりすることが多いので、僕はあえて深く調べないことにしている
2024年06月03日
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チューリップ夏色のおもいで
2024年06月03日
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松任谷由実守ってあげたいライヴ松任谷由実守ってあげたい「蓮華を編む」なんて、「ダイヤルを回す」などとともに今の若い人たちには死語なのかな。と思うと、少し寂しい。
2024年06月02日
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小倉百人一首 五十藤原義孝(ふじわらのよしたか)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな後拾遺ごしゅうい和歌集 669 あなたにお逢いするためなら捨てても惜しくなかったこの命でさえ(お逢いできた今では、少しでも)長くあってほしいなあと思ったのです。註後拾遺集の結句は、完了または強調の助動詞「ぬ」を用いた「思ひぬるかな」(切々と思ってしまったのです)だった。上掲の形は、百人一首の撰者・藤原定家による改稿か。大げさな表現を嫌う彼らしいが、淡々としたこちらの方がいいかどうかは、微妙か。後拾遺集の詞書ことばがきに、「女の許もとより帰りて遣つかはしける」とあり、思いを遂げたあとの、いわゆる後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。ロジック(論理、理屈)の歌だが、そのロジックが面白く、「言い草がいい」という感じだ。ある種のユーモアさえ感じとることもできるだろう。百人一首 43番の藤原敦忠の歌にモチーフがやや似ているが、こちらの方はよりストレートでおおらかな、青春の直情・真情を感じさせる。なお、作者は当時流行していた天然痘(疱瘡)に罹り、二十一歳の若さで夭折していることから、「命」に言及したこの歌をその事実と絡ませて(いわばチャイコフスキーの『悲愴』作曲の逸話のように)読まれがちだが、それとこれとに関係があるかどうかは未詳。どちらかといえば無関係(偶然)なのではないかと思う。君:現代語のニュアンスと異なり、相当な敬意を伴った第二人称代名詞。あなたさま。古代では女が男に用いることが多かったが、ここでは女性に用いている。(命さえ)長く:生き長らえて。少しでも(または、いつまでも)長く保って。もがな:詠嘆を込めた強い願望を表す終助詞。「~だったら(いいのに)なあ」「~であってほしいなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。
2024年06月02日
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小倉百人一首 五十一藤原実方(ふじわらのさねかた)かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを後拾遺ごしゅうい和歌集 612 せめてこんな有様なのだとだけでも私はあなたに言えるだろうか(いや、言えない)。伊吹山に生える指し艾草もぐさ(が表面に表わさずに燻くすぶりつづけるようにこの胸の奥に)燃える情熱の火をあなたはそれほどのものとは知らないのだろうなあ。註後拾遺集の詞書(ことばがき)に「女にはじめてつかはしける」とあり、典型的な玉梓(たまずさ)の相聞歌(そうもんか、恋歌)である。まさに、好きな人に初めて出したラブレターである。百人一首の中でも指折りの技巧的な作品として知られる。日本語は、1300年前の古事記や万葉集が、今でも註釈なしにけっこうそのまま読めてしまう世界でも稀有かつ驚異的なギネス級の言語だが、さすがに掛詞や圧縮した言い回しを駆使して凝りに凝ったこの歌の表現は、解説がなければ何が何だかほとんど意味が分からないレベルではある 日本語(やまとことば)で、こんなことができたんだなと感服。これを受け取った女性も、何の註釈もなく意味が分かったのだとすれば、相当な教養の持ち主といえるだろう。同時代に生きた清少納言という説もあり、根拠は薄弱ながら、なるほどそんなこともあり得るかも知れないなという気もする。かくとだに:直訳すれば「(せめて)こう(だ)とさえ」。こんなにも思いを募らせていることだけでも。だに:「せめて~とだけでも、~なりとも」の意味の副助詞。えやは:「~ことはできるか(いや、できない)」の意味の反語的疑問形。可能を表わす副詞「え」に、反語(または疑問)の係助詞「や」が付いた「えや」に、さらに強調の係助詞「は」が付いた形。その後に動詞を接続する。ちなみに、この「え」の用法と意味は、現在の関西弁の「(そんなこと)よう言うわ」(よく言えるなあ)、「よう言わんわ」(言えないよ)などの言い回しに継承されているように思う。いぶき:「言ふ」と「伊吹」を掛けている(当時、濁点表記はなく「いふき」と書いた)。伊吹山は、一般的には美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の国境(県境)の山をいうが、古来、この歌に限っては下野国(栃木県)の城山(じょうやま、栃木市吹上町)の別称とする伝承がある。作者がのちに陸奥守として奥州(東北地方)に下向し、そこで客死した(左遷説、およびその否定説がある)ことに絡んで生まれた伝説と思われる。いずれの伊吹山も、薬草や艾(もぐさ)の産地。さしも草:「指し艾(もぐさ)」の意。単に「艾」というに同じ。蓬(よもぎ)。当時、灸を据えることを「艾を指す」といったらしいことからいう。灸術や草餅に用いる。「さしも」(それほどとも、下記参照)に掛けている。灸をする際に、もぐさの表面には火が見えないが、内部で燃えているイメージを、恋い焦がれていることの比喩に用いている。さしも:(打消しの語や反語表現を伴って)「それほど、大して、さしたることとも」などの意味を表わす副詞。(知ら)じ:打消しの推量を表わす助動詞。~ないだろう。~(である)まい。ちなみに、意味的に「じ」は「む」(だろう)の打消し、「まじ」(打消しの当然)は「べし」(当然そうだろう)の打消しにそれぞれ相当するとされる。な:詠嘆の終助詞。・・・(だ)なあ。ねえ。
2024年06月02日
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小倉百人一首 五十二藤原道信(ふじわらのみちのぶ)明けぬれば暮るるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな後拾遺ごしゅうい和歌集 672夜が明けてしまえばまた日が暮れ(てあなたに逢え)るとは分かっているがそれでもやはり恨めしい早朝のほのめきだなあ。註後拾遺集の詞書(ことばが)きに、「女のもとより、雪降りはべる日、帰りてつかはしける」(女の許から、雪の降る朝に帰って遣わした)とあり、内容も合わせ考えると、ある程度親しくなった女性との逢瀬の後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。51番の難解な歌から一転して、きわめて平明で分かりやすい一首で、当時流行歌のように広く愛誦されたといわれる。(明け)ぬれば:完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」に接続助詞「ば」がついたもの。(明け)てしまうと。ながら:逆接の接続助詞。~であるが。現代語でも「しかしながら」などと使う。なほ:「それでもやはり」の意味の副詞。現代語でもこの意味で用いる。
2024年06月02日
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小島ゆかり風に飛ぶ帽子よここで待つことを伝へてよ杳とほき少女のわれになにかあやふき感覚は来ぬ岩かげを声なき蝶のもつれつつ飛ぶわが髪より生れしならずやなまぬるき風を起こして黒揚羽とぶ若宮年魚麻呂わかみやのあゆまろといふ人の名をおもへばたのし春の早雲はやくも蟬はみな小さき金の仏にてせんせんせんせん読経のこゑす炎昼のわあんゆうんと歪ゆがみつつ樹木は蟬の声に膨らむ午後のかぜ瀞とろにしづみて夏ふかしあなひそかわれに魚の影あるくれなゐは不穏なるいろ花にあり火にあり女のくちびるにありその髪の濡羽色なるをみなにて抱けばほのあかき喉見ゆシーア族難民ゆゑにパキスタン国境に来て棒で打たるる秋のショールに肩つつまれて何をどう言ふともわれは難民ならず会議室の窓にひろがる鰯雲 ギリシャ以前に多数決なしみづからが釣りたる魚を食む子らは眼しづかに骨まで食べぬ石川原、草川原あり 蜻蛉せいれいのにほひにみちて秋の陽は照る玉のごと白湯さゆやはらかし生くる身のもやもやふかい冬のあさあけ弾丸の速さに雲へ飛び込みし冬の鳥あり のちしろき風椿さく下土黒しこの朝は霜の神殿ひそやかに建つ今しがた落ちし椿を感じつつ落ちぬ椿のぢつと咲きをり走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり歳晩の鍋を囲みて男らは雄弁なれど猫舌であるみかんひとつころがり落ちてゆふやみにとほいわたしの声が聞こえる歌集『憂春』(平成17年・2005)
2024年06月01日
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