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江姫は、きのう信長おじさんのところに遊びに行って、ズケズケと言いたい放題喋りまくって、帰りぎわにはおみやげだよとばかり、紫の袱紗(ふくさ)に包まれた名高き「蘭奢待(らんじゃたい)」を、ちゃっかりもらってきちゃったよ~昨晩のNHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」の一場面である。おうちで待ってたお市ママの驚いたのなんの。僕らも驚いた。おいおい、それは、おそれおおくも正倉院御物である天下第一の名香を、覇王・信長が切り取った歴史的宝物なんですけど~・・・しかしこの挿話、絶対にあり得ないとも言い切れないところが、信長という男の破天荒な凄さであり、おそろしい。冒頭シーンの、加藤茶ばりの (* >ω
2011年01月31日
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又吉直樹(またよし・なおき、ピース又吉)自由律俳句転んだ彼女を少し嫌いになるフタをしめない主義なのか大人なのに行きつけの店がない便座はおそらく冷たいだろう句集「カキフライが無いなら来なかった」(平成22年・2009)註小説家は当然としても、文学青年くずれの俳優とか歌人、俳人というのはちっとも珍しくなく、そこらへんに掃いて捨てるほどゴロゴロ転がっているだろうが、現役文学青年のお笑い芸人とはまた、世にも稀なる存在である。ビートたけしやタモリなどの大御所連中は、時にやや近い水準の教養を滲ませる場面もあるが、彼はそこに一歩踏み込んでそれを常態化したといえる。背景には客の側の成熟・目利き化もあるのだろう。「太宰」だの「三島」だの「遠藤周作」だの「両村上」などの固有名詞がポンポン出てきつつ、含羞を感じさせる自虐的ギャグで笑わせるという芸風は、これまでありそうでなかった新しいスキマのジャンルを切り拓いている、といったら褒めすぎか。彼の才能を見出した、能天気で「チャラい」ライトな個性を持つ相方・綾部の炯眼も確かだった。この二人のコンビネーションはちょうど対照的・補完的・補色的で、ベスト・マッチングと見える。もっとも又吉はああ見えて、サッカー大阪府代表でインターハイに出場したほどのスポーツ少年だったそうで、実は抜群の運動神経の持ち主だという。あの独特のブンガク的なイメージは、芸人として措定したキャラクターでもあるのだろう。この句集は、韻文表現に必須の犀利な観察眼を感じさせつつ、芸人の片手間の余技とか伊達や酔狂ではない、むしろ発想の根幹部分を呈示しており、この才能は本物だと思う。・・・などと、文芸評論家でもあるまいに、エラソ~に書いてしまった。何様だよっ、オレお察しのことと思うが、僕は彼を、多少他人とは思えないところもあるのである(笑)■ ピース又吉直樹がGALAPAGOSに出会った!カキフライが無いなら来なかった価格:1,365円(税込、送料無料)
2011年01月31日
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落合直文(おちあい・なおぶみ)しもやけの小さき手してみかんむく わが子しのばゆ風の寒きに萩之家歌集(明治39年・1906)註しのばゆ:偲ばれてならない。「ゆ」は自発を示す奈良時代の助動詞で、平安時代には滅びた。「あらゆる」「いわゆる」などに痕跡的に残る。したがって、この言い回しは擬古的である。ことさら(意図的)にではなく、おのずと(自然に)そうなる意味。
2011年01月30日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)雉食へばましてしのばゆ 再また娶りあかあかと冬も半裸のピカソ歌集「緑色研究」(昭和40年・1965)註雉:「きじ」/ 娶り:「めとり」難解さを以て鳴る、いわゆる前衛短歌に分類される作品だが、感覚的には何となく分からないでもない。「草食男子」などという言葉も実体もつゆあり得なかった頃の、元気な「肉食男子」もしくは「悪食(あくじき)男子」の歌であるといっていいだろう。とりわけ塚本氏の場合、男性的で雄渾な、今でいうマッチョな感じに加え、ことさらにそれを示威するような露悪的な傾(かぶ)きさえあり、一種異形(いぎょう)の“婆娑羅(ばさら)ぶり”とでもいうべき強烈な個性が持ち味だった。それが如実・ストレートに出ている一首といえる。それ以上の解釈は、個々の読み手に委ねられよう。ともあれ、力感溢るるイメージと色彩感を伴った鮮烈な歌だと思う。猫が獲物の鳥を銜(くわ)えている凄まじい図柄の、パブロ・ピカソのキュビズムの傑作「鳥を食らう猫」辺りから着想を得たものであろうか。山上憶良の名歌「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ」(万葉集 802)を踏まえている。パブロ・ピカソ 鏡の前の少女(複製)価格:63,000円(税込)【送料無料】
2011年01月30日
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アメリカの大手格付け会社、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が日本の長期国債の格付けを引き下げことについて、菅直人首相が首相官邸で記者団に「そういうことに疎いので・・・」と述べたことは、はしなくもこの人の本音が出てしまったということだろう。あ~あ、またまたやっつまったな~。一国のトップたるものの資質が疑われるに十分な、爆苦笑発言であった例えば、町田康の新作小説とか、穂村弘の難解歌集とかについてでも訊かれたのなら、記者団に堂々と「そういうことに疎いので、わしゃ知らん」と表明していいだろう。だが、本業の喫緊のガチンコ課題である財政・金融に関わるこの質問に、この答えはありえねだろ~。う~む、こういう人を総理に選んでしまったのは国会、ひいては国民にほかならず、寂莫たる木枯しが身に沁みるのみ。・・・残念ながら、この国はもうダメかも知んないね~うとい【疎い】そのものとの交渉が浅かったり全く無かったりして、内情・本質を見抜く力が欠けている様子だ。(三省堂「新明解国語辞典」)うとし【疎し】その人(事)に関係のうすい状態をあらわす語。〔1〕(その人と)親しくない。交わりが浅い。疎遠だ。〔2〕(その事に)関係が深くない。縁遠い。〔3〕(その事、その人に)感心が薄い。無関心だ。そっけない、うとうとしい。〔4〕よく知らない。不案内だ。(用例)「世事にうとい」(岩波書店「広辞苑」)日本国債格下げ 米S&Pが1段階 財政悪化を懸念【読売新聞 28日付朝刊1面トップ】 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は27日、日本の長期国債の格付けを、「ダブルA」から「ダブルAマイナス」に1段階引き下げたと発表した。 財政状況の深刻化と経済成長見通しの弱さを理由に挙げた。 格下げは2002年4月以来、8年9か月ぶり。中国やクウェートと同じになり、財政が悪化するスペインを下回った。日本政府の今後の取り組み次第では、長期金利の上昇圧力が高まる恐れもある。 格付け会社は、国債の信用度が低下したと判断すると、格付けを引き下げる。格付けが下がると、政府が約束した通りに借金を返せなくなるとの疑いが強まる。 ダブルAマイナスの格付けは、21段階中で上から4番目。S&Pは「日本の政府債務比率がさらに悪化するとの見方を反映した」と説明している。 また、「民主党政権は債務問題に対する一貫した戦略に欠けている」と政府の姿勢を厳しく批判した。菅首相は、社会保障と税の一体改革に意欲を示しているが、「政府の支払い能力が大幅に改善する可能性は低い」と、改革の推進を疑問視している。[1月27日20時14分配信 読売新聞]首相「そういうことに疎いので・・・」【読売新聞 28日付朝刊1面】 菅首相は27日、米S&Pが日本の長期国債の格付けを引き下げたことについて、首相官邸で記者団から質問を受け、「今、初めて聞いた。(衆院)本会議から出てきたばかりなので。そういうことに疎いので(コメントは)改めてにさせて下さい」と述べた。 首相の発言について枝野官房長官は記者会見で、「事故など危機管理上の緊急を要する案件と、しっかり分析して対応する情報は性格が違う。国債の信認について首相は日頃から強く意識している」と強調した。ただ、「私にも(衆院)本会議終了後、速やかに報告は入っている。首相にも私より早く入っていると思う」と述べ、食い違いも見せた。S&P、日本国債を格下げ 民主政権「一貫戦略欠く」と不安視【産経ニュース 1.27 17:35】 米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は27日、日本の長期国債の格付けを「AA」から「AAマイナス」に引き下げたと発表した。日本の債務残高比率が今後も上昇し、2020年代半ばまで下降に転じないと判断したため。民主党政権に債務問題に対する一貫した戦略が欠けていることも理由に挙げた。 S&Pでは、中期的には、大規模な財政再建策が実施されない限り、2020年より前に基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の均衡は達成できないと予測。政府が昨年決定した財政運営戦略で掲げる同年度までの黒字化は達成できないと断じた。 また長引くデフレや急速な高齢化による社会保障関連費の増大が続く中、抜本的な改革を実施しないと、日本の財政はさらに悪化すると警告。政府が表明している社会保障制度と消費税率を含む税制の一体改革についても、「これにより大幅に改善する可能性は低い」と指摘した。
2011年01月28日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)味噌汁は尊たふとかりけり うつせみのこの世の限り飲まむと思へば歌集「つきかげ」(昭和29年・1954)註うつせみの:「身」「世」「人」「命」「妹(いも)」「むなし」「わびし」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「実相観入」を目指し、「真率(しんそつ)、全身全霊」の表現を鼓吹した、近代短歌の巨人・茂吉らしい名品。威風堂々たる大真面目な味噌汁礼賛が、おそらく本人の意図せざる、たくまざるユーモアさえ帯びてしまっている。こういうのを読んでいると、真面目で頑固でいくらか癇癪持ちだった明治男の祖父を思い出す。敬愛すべき日本の先人と思う。
2011年01月28日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)現世のうまき品々あまたあれど味噌汁大根おほね吾は忘れず斎藤茂吉全集
2011年01月28日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ミユンヘンの夜寒よさむとなりぬ あるよひに味噌汁の夢見てゐきわれは大正12年(1923)頃、留学先のドイツ・ミュンヘンにて作。歌集「遍歴」(昭和23年・1948)ミュンヘンの街が夜寒となった或る宵に味噌汁の夢を見ていた わたくしは。
2011年01月27日
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良寛(りょうかん)飯乞こふと里にも出いでずなりにけり きのふもけふも雪の降れゝば良寛禅師歌集乞食(こつじき)の托鉢をしようと人の住む里に出ることもなくなってしまったなあ。この越後の山あいにはきのうもきょうも雪が降りつづいているので。註飯:「いひ(いい)」と読むか「めし」と読むのかは不明だが、どちらかといえば前者か。降れゝば(降れれば):古典文法では、四段活用の「降る」の連用形は「降れ(ば)」になるが、これは下二段活用の「触るれ(ば)」などとの混用・誤用か。あるいは天然の気象現象に対して畏敬の意味を込めた「降らるれば」などの転訛でもあろうか。正統な文法上は誤謬であるが、これは瑕疵どころかある種の親しみすら抱かせる独特の言い回しであるといい得る。■ 良寛 史跡巡り
2011年01月26日
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先ほどオンエアされた「突撃!隣の晩ごはん」(日本テレビ系全国ネット「DON!」内で隔週水曜日放送)で、“突撃先”の家の中学1年生の女の子が、いかにもそれらしく「わたしはAKB48の大ファンで、特にあっちゃんとともちんが大好きです」とか言ったら、ヨネスケがすかさず、「オレは大石主税(ちから)が大好きだ」と、一瞬ワケの分からない返しをした。果たしてそのココロは・・・AKRあこうろうし 47 しじゅうしちにんだそうだ。 赤穂浪士 四十七人・・・さすが師匠。ダジャレもここまで極めれば芸術の域だと思ったヨネスケの不法侵入至芸にて録画して見る奇特なわたし拙作(「短歌人」2009年9月号掲載作品)
2011年01月26日
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坂本野原 「短歌人」2月号掲載作品そのまんま東、石原、石破、俺 シラケ世代の成れの果てなり茂吉またハイデガーすらあやまてる政治憑依の朔つきたちの朝オウム以後叛乱を見ず新世紀いづくにありや破壊衝動左よりかつて吶喊したるもの右に変はるも似たやうなもの銃口にかつて挿したる茉莉花ジャスミンに時雨ふりつつうつろひにけり *北小路死し北大路来年は家康らしき秋のゆふぐれ* 重信房子「銃口にジャスミンの花無雑作に挿して岩場を歩きゆく君」(歌集「ジャスミンを銃口に」平成7年・2005)/小野小町「今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり」(古今和歌集 782)12月号掲載作品「人の世はあへていふなら暇つぶし天麩羅蕎麦を啜り帰りぬ」が、今月号「作品月評」欄に掲載されました。■ 歌人・英文学者、諏訪部仁氏(「短歌人」編集委員)評このような真理●●を悟るにはかなりの年数が要る。ソバを食うのにもこのような理屈を捏ねる作者の姿が、一連の他の歌にも読み取れて楽しい。(「才女ナミヱ」など筆者は知りません、念の為。)2010年12月作著作権を有します。(c) 2011 Daddy Bear Nohara Sakamoto All rights reserved.
2011年01月26日
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実はおとといの夜、妻に「○○を買ってきて」と頼まれて、「はいよ、分かった~」と安請け合い気味に確約したことを覚えているのだが、昨夜になって、肝心のその「○○」が何であるかを忘れていることに気づいた。・・・私は今、顔面蒼白になっている。エキサイトニュースの「エキニュー恋愛総研」というコーナーの「なぜ男性は『スポーツ観戦』が好き?」という記事をたまたま眺めていたら、「スポーツ好きな男性たちが、昨日の妻の話は思い出せなくても、大昔の選手の名前や印象的なプレーは事細かに覚えている・・・なんていうのもよくある事象なのです」というくだりがあり、激しく同意である。僕の場合は、「1300年前の万葉集の歌はけっこう覚えているが、おとといの妻の話は思い出せない・・・なんていうのもよくある事象なのです」なのです~。何をグヂグヂ言ってるんだ、もう一度聞き返せばいいだろうよと、軽くおっしゃる方も少なくないだろう。・・・が、妻にもいろいろある。愛らしい子猫ちゃんのような妻もいれば、百獣のナンバー2ぐらいの猛虎のような妻もいることを忘れてはならない。しかも、どこに地雷が埋まっているのか皆目見当が付かず、もし逆鱗に触れた場合、取り返しのつかない大惨事を招く惧れがある。既婚者の男性諸氏ならけっこう共感してくれる方も多いのではないかと思うが、そのような虎の尾を踏むようなオトロチイ行為は、とてもとても僕には出来ないのである。・・・で、解決の端緒となりうる糸口であるが、確か近所のドラッグストアのチラシを見ながらその会話が交わされたような記憶があるので、ドラッグストア(ないしスーパーなど)で売っているようなものであろうか。昨夜のうちにひそかに点検したところでは、米、牛乳(出来れば特濃4.4)、卵、果汁100%ジュース、トイレットペーパー(青または白)、ティッシュ、サランラップ、ブルドックソース、明星チャルメラしょうゆ味、東洋水産マルちゃんのカレーうどん(甘口)、マルハニチロ・横浜あんかけラーメン(冷凍)など、わが家の定番生活必需品は当面十分に揃っていることが確認された。なお、その過程で大森屋の「緑黄野菜ふりかけ」が切れていることに気づいたので、これはさっそく買っておくことにする。・・・が、問題のシロモノはこれではない。先日、食事中に突然、たまにはくさやの干物も食べてみたいね~などと妻が言い出して、バカ話がはずんだことも思い出したが、むろん、それでもないだろう。う~む、いったい何であったか? 真相は全く藪の中である。・・・そんなこんなで、どうやらこのつぶやきは何一つオチもなく終わるのであるが、何とぞご容赦のほどをお願い申し上げます~
2011年01月25日
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川田順(かわだ・じゅん)木曽人は大きなる炉にしたたかに燃やす榾火ほだびをもてなしとする註木曽人:「きそびと」と読むのだろう。晩年の西行が源(木曾)義仲の敗死を悼んで詠んだ歌「木曽人は海のいかりをしづめかねて死出の山にも入りにけるかな」(山家集、聞書集)を踏まえているか。作者・川田氏は西行を崇敬し、研究者として聞こえた。ちなみにこの西行の歌は、「いかりをしづめ」で「碇を沈め」と「怒りを静め」を掛けるとともに、「海」と「山」を対比させている技巧的な作品。榾ほだ:「ほた」と濁らないことが多い。囲炉裏や竈(かまど)にくべる焚き木。切り揃えた薪(まき)と異なり、木(こ)っ端だったり根株だったり、大きさや形はまちまちで、野趣を感じさせる。
2011年01月24日
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志貴皇子(しきのみこ)葦辺あしへ行く鴨の羽交はがひに霜零ふりて 寒き夕べは大和し思おもほゆ万葉集 64枯れた葦の叢(くさむら)のほとりを行く鴨の左右の羽の間(あわい)に霜が降りてこんなに寒い夕べは大和の奈良の都がおのずと思い出されるなあ。註羽交はがひ:鳥の左右の翼が合わさるところ。cf.)羽交い絞め。慶雲3年(706)、文武天皇(もんむてんのう)の行幸(ぎょうこう、みゆき)に随行して難波宮(なにわのみや、現・大阪市中央区)に滞在していた皇子が、妻のいる都を偲んで詠んだ歌。なお、難波宮の遺跡は、現在の大阪市中央区馬場町・法円坂・大手前四丁目付辺に及んでおり、大阪歴史博物館やNHK大阪放送局のある一角も難波宮の跡であるという。→難波宮史跡公園時代背景となるこの前後の歴史はきわめて錯綜していて、僕なんかには頭が痛くなるほどややこしいのだが、ごくごくかいつまんでいうと、古代最大の内乱だった壬申の乱(672)によって天武天皇(大海人皇子)系皇族が権力(皇統)を掌握して以来、天智天皇の第七皇子だった志貴皇子は、政治の公職からは生涯遠ざけられた。ただ、そのぶん和歌や学問などには沈潜できたようで、名歌といえる少なからぬ作品を残している。なお、第6子の白壁王は、のちに光仁天皇(こうにんてんのう)になっている。
2011年01月23日
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作者未詳山の端はにあぢ群騒むらさわき行くなれど われはさぶしゑ君にしあらねば万葉集 486山の尾根の辺りにアジガモの群れが賑やかに騒いで楽しげに飛んでゆくのだけれど私は寂しいよ。それは君ではないので。(・・・賑やかなアジガモの群れのように多くの人が通り過ぎて行くけれども私は寂しいなあ。その人々はあなたではないから。)註作者未詳:舒明天皇(じょめいてんのう、崗本宮)御製説、または皇極天皇、重祚(ちょうそ)して斎明天皇(後崗本宮、女帝)御製説があり詳らかでないと、万葉集原文の詞書きに記載されている。山の端は:山や丘陵の稜線、尾根をいう。「山の麓(ふもと)」ではない。類似の言葉に「山際」があるが、これには両方の意味があるようだ。あぢ(アジガモ):現和名、トモエガモ。古代人に愛され、食用ともなっていた。万葉集に頻出。「あぢ」と「騒く」は縁語。「あぢむらの」は、アジガモが群がって鳴き騒ぐ意から「かよふ」「さわく」にかかる枕詞。「目」「夜昼」などに掛かる枕詞「あぢさはふ(あぢ・障ふ?)」とも語源的関係があるといわれる。騒く:現代語「騒ぐ」の語源だが、「く」は濁らない。
2011年01月23日
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ガダルカナル・タカの、売れない若手芸人時代の窮乏伝説ってのは、こういうことだったのか~(下記引用記事)。台湾で「偽ドリフ」をやっていたとか、最初の事務所がつぶれてひどい目に遭ったとかは、これまでもいろんな機会に断片的に小出しには読んだり聞いたりしてきたのだが、きちんとまとまった形では今回初めて読んだ。・・・なるほど、苦労してるんだな~。そして、それを救い上げて、たけし軍団の番頭格にまで育てた兄貴分・ビートたけしの男前ぶりは、問答無用にカッコイイな~。あとは、たけしに「お前はワイドショーとかで、のりピーについてコメントできるのかっ!」と突っ込まれる、育った家庭環境などを語ると、もっと面白いかも知れない(笑)〔泣いて笑って踏ん張って 役者・芸人貧乏物語〕ガダルカナル・タカ【日刊ゲンダイ14日付(ゲンダイネット)】■ サラ金も貸してくれなくなっちゃって次はヤミ金「今まで一番お金に困ったのは、最初に所属した芸能事務所が倒産した時ですね。ホントに大変だったんだから」 苦笑しながらこう言うと、ガダルカナル・タカさんは、31年前を振り返った。 当時、タカさんは同郷のつまみ枝豆さんと2人で、「カージナルス」というお笑いコンビを組んでおり、御年23歳。デビュー1年余りの若手だった。「月給は3、4万円でした。でも、京王線笹塚駅そばに事務所が借りてくれたアパートに住み、社長によく食事に誘っていただいたので、やっていけたんです」 そんな折、日本の大衆演劇団の前座として、約1カ月間の台湾巡業の話が舞い込んだ。初めての海外。しかもアゴアシ付き。即決で飛びついた。「最初は『座頭市』や『愛染かつら』のコントがメーン。ところが一番ウケたのが、加藤茶さんのヒゲダンスでした。『オレたちが元祖、本家本元だ』って言い張って、すごい人気だったなあ」 帰国するやすぐに再演が決まり、2回目は2カ月ものロングツアー。またしても連日、会場は満員御礼となり、凱旋気分で帰国した。ところが……。「台湾のプロモーターがケチつけて、ウチの事務所にギャラを払ってくれなかったんです。渡航費とか他の役者さんへの支払いをウチの社長が前払いしてたから、事務所はたちまち火の車。オレと枝豆のギャラは後回しになっちゃった。でもね、それは構わなかったワケ。社長が必死で金策に駆けずり回ってるのを目の当たりにしてたし、それまでの恩義は十二分に感じてたから。むしろ『今こそ恩返しの時だ』って、事務所とアパートの家賃、水道光熱費、その他の雑費を2人で肩代わりしたんです」 だが収入はタカが知れており、出費は増える一方。やむなく2人は、伊豆の実家にそれぞれ持っていた自分名義の乗用車を売るハメに。タカさんは日産・サニーカリフォルニア、枝豆さんは日産・グロリアで、これで一息ついたものの数カ月でまたまた金欠……。「しょうがないから、サラ金に行きました。でも3軒目で可能な借入金額をオーバーしちゃって、やむなく次はヤミ金。すぐに金利コミで100万円ぐらいになって、後は自転車操業でした」 しかしその間、どうやって食いつないでいたのか?「その頃は、セフ○が常時、7、8人いたんですよ。電話すると、『若手芸人サンって大変ね』なーんて感じで、Hもメシもコミコミでお世話になったもんです」 なんともウラヤマシイ話だが、借金取りは待っててくれない。ましてや貸金業法が成立する前のヤミ金全盛時。さぞかし怖い思いをしたのでは?「ええ、もちろんありました。2回大モメして、頭にきたから枝豆と一緒にヤミ金の事務所に殴り込み、いや乗り込んだんです。そしたら、完全にアッチの業界としか見えない人たちが勢揃いでした。でも、逆に親分サンに感心されたんです。『おまえら、いい度胸してんなあ』って。アハハハハ」 そんな窮状を見かねて“クモの糸”を垂らしたのが、タカさんが「殿」と言ってはばからないビートたけしさんだった。「借金をすべて肩代わりした上に、軍団にも入れてくれて、仕事がグーンと増えました。ピンチがチャンスの大どんでん返し、そういう意味でも殿は大恩人。以来、命よりも嫁よりも大切なのが殿なんです」▽ガダルカナル・タカ(タレント) 1956年12月16日、川端康成の名作「伊豆の踊子」の舞台として知られる静岡県天城湯ケ島町(現伊豆市)生まれ。ビートたけし率いるたけし軍団の番頭としてテレビや映画で活躍し、「情報ライブ ミヤネ屋」「みんなの家庭の医学」「たけしのコマ大 数学科」「世界まる見え!テレビ特捜部」他にレギュラー出演中。[日刊ゲンダイ1月14日付掲載 1月15日17時00分配信]・・・日刊ゲンダイは、論調が政治的に左の方に偏向してるのであんまり好きじゃないんだけど、こういった記事は独壇場だな~。けっこうホロっときた。
2011年01月22日
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大原今城真人(おおはらのいまきのまひと)磯の浦常呼つねよび来棲きすむ鴛鴦をしどりの 惜をしき吾あが身は君がまにまに万葉集 4505沼の畔(ほとり)にいつも呼び合って来て棲んでいるオシドリの番(つがい)のように捨てがたいこの身は君の心の儘(まま)に。註惜をし:名残惜しい、捨て難い、いとおしい、失いたくない、などの意味を併せ持った古語形容詞。現代語「惜しい」にも、比較的これらのニュアンスは保存されていると思う。「鴛鴦をしどり」と「惜をし」が掛けてあり、「鴛鴦をしどりの」までが序詞(じょことば)。
2011年01月20日
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聞いて楽しむ日本の名作 朗読CD全16巻セット【送料無料】価格:29,000円(税込、送料込)17日の朝刊各紙(たぶん、地方紙を含む一般紙全て)に大々的にチラシが入った、ユーキャン「聞いて楽しむ日本の名作 朗読CD 全16巻セット」は、一括払いで29,000円(分割29,700円)。上記リンクの楽天市場店でもお買い求めになれます~しかし、正直言ってすでにけっこう読んでるし、本ぐらい文庫本なりを自分で読むし、大枚ハタいて買う人の気が知れないな~などと思っている僕なのだが、朗読した俳優たちのリストを眺めていると、ただひとり、紺野美沙子さまには、いささか心が動かされる。彼女が朗読しているのは「乱れ髪」「恋衣」(与謝野晶子)、「野菊の墓」(伊藤左千夫)、「海やまのあひだ」(釈迢空=折口信夫)など、短歌作品や歌人の手になる詩や小説である。確かに食指がそそられる。■ 内容の詳細・朗読者一覧彼女は、かつて僕ら中年世代の隠れもなき女神さまであった。同意してくれる方も多いだろう。今もなお、憧憬は決して消えていない。「乱れ髪」などは内容も内容だし、声を聞いてるだけでイっちゃいそうな気もする(・・・あ、すいません、下品な言い方をしてしまいました)。あとは、正岡子規の句集「寒山落木」や「俳句稿」、石川啄木の歌集「一握の砂」を寺田農(みのり)さんが読んでいるらしい。これもハマリ役だと思うし、かなり興味が湧く。やっぱりオレは、五七五が好きなんだなと改めて痛感・再確認してしまう。・・・そのほかの小説とかは、自分で読むので、どうでもいいやという感じである
2011年01月19日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ新古今和歌集 671馬を止めて袖の雪をうち払う木蔭もない佐野のあたりの雪の夕暮れ。(・・・そして私は途方に暮れる。)註藤原定家:有職(ゆうそく)読み(貴人・才人への敬意を込めた音読み)で、「ていか」とすることが多い。長忌寸意吉麻呂(ながのいきおきまろ)「苦しくも降り来る雨か三輪が崎狭野(さの)のわたりに家もあらなくに」(万葉集 265)の本歌取り。佐野:現・奈良県桜井市狭野、あるいは和歌山県新宮市・三輪崎および佐野など、諸説ある。わたり:「辺り」説が有力だが、「渡り(渡し場)」説もある。
2011年01月18日
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近所のスーパーの「駅弁大会」のチラシが入っていたので、さっそく足を運んでみました。広島駅の名物だという「しゃもじかきめし」があまりにもおいしそうだったので、一目見てほとんど迷わず買いました~。税込1,050円。11月から3月までの冬季限定発売とのこと。地元・宮島の名産というしゃもじを形どった容器を開けると、中は牡蠣の出汁(だし)で炊いたご飯の上に煮ガキ4粒が載り、カキフライ2個とカキのゆず味噌あえ1つが横に置かれており、まさにカキ尽くし。瀬戸内海名産のジャコの佃煮と広島菜の漬物も添えられています。さて、肝心の味についてですが、実は私は味覚のレビューに関してはあまり自信がないことを、この際率直に告白いたします~。生まれつきグルメ趣味も好き嫌いもほとんどなく、何を食べてもおいしく、逆に言うと、何を食べてもだいたい同じようなものだという大ざっぱな感覚の持ち主なのであります~(笑)それをご承知置きいただいた上で、僕なりに出来る限り真面目に評するとすれば、これはかなりおいしい弁当なのだろうと思います。特に煮ガキは、旨みがギュッと凝縮された深い味わいで、本当にうまい。間違いなく、どなたにとっても満足度が高いだろうと思いました。まさしく立派なメイン・ディッシュになっています。カキの柚子味噌和えも、香り高くて風雅な味わいと思いました。カキのダシ汁で炊いたご飯も、なるほどひと味違って旨みがあります。このあたりは、神経が行き届き、気が利いていると思いました。ただ、それらに比べると、正直言ってカキフライは、まあ普通というか、通りいっぺんの味かな~と言わざるを得ないと思いました。これは弁当ゆえに、あの出来立てのフライのサクサク感がなくなっていることが大きく、やむを得ないだろうなと思いました。この厳しいご時世に、軽食一食に1,050円といえば、ちょっとした贅沢と僕には感じられますが、コスト・パフォーマンス(費用対効果、顧客満足度)はなかなか高い水準にあると思いました。なお、今ざっと検索した限りでは、インターネットでの通販などはしていない模様です。興味のある方は、最寄のスーパーなどでの駅弁フェアを待ってお買い求め下さい。
2011年01月18日
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ウェスティンホテル東京(恵比寿ガーデンプレイス内、アンドレアス・トラウトマンスドルフ総支配人)の中の鉄板焼レストランのアルバイト従業員だったC大学理工学部の女子学生(20)が、有名人顧客の来店情報などをツイッターで常習的に「実況中継」していた“機密漏洩事件”が、ネット上で祭りになっている。この女子大生は、それに加え、上司の悪口や不平不満なども日常的につぶやいていた。まあこれは次元が違う話だが、根っこは一緒かなとも思われる。上品な雰囲気を誇る当ブログで(?)この話題に触れるのはどうかとも思うが、野次馬根性含みの正義感(?)が疼(うず)いてしまうのはいかんともしがたい。「疼く」という字は「やまいだれ」に冬と書くから、冬にはふさわしいかも知れない。・・・なんのこっちゃ?・・・とにかく、ど~も炎上には目がないもんで■ 日刊サイゾー「ウェスティンのJ稲本&田中美保Twitter暴露騒動 損害賠償請求の可能性も?」その女子大生は、「スネークス(蛇)」とか呼ばれているらしい影のネット上級者軍団(?)によって、あわれ実名、顔写真、在籍する大学・学部、それ以前の学歴などまで突き止められ、大々的に晒されている。本気でやられたら、プライバシー侵害などという概念もへったくれもないに等しく、すべて丸裸にされてしまう恐怖のパターンの再現である。実にコワイ現象ではあると思いつつ、これらの情報は、もちろん僕もブックマークしてある(笑)これまでも僕らは、公(おおやけ)のマスメディアの報道には一切出ない、凶悪事件を犯した少年犯の実名や顔写真はもとより、場合によっては住所や家族構成まで目にしてきた。その他、問題発言や行動をした者に対しても、有名・無名人を問わず、推して知るべしの状態である。これらの実例を通じて、僕らはインターネットが恐るべき発明であることを如実に知った。彼女は当分、街も歩けないだろうし、将来、就職・結婚などにも影響がないとは言い切れない。たぶん、この世のどこかにあり、密かに流通しているとも仄聞される要注意人物ブラックリストに登録されたことは疑いない。これまでにも数々の炎上事件を繰り返してきたインターネット空間の怖さを、20歳にもなって何も知らなかったのだろうか。何とも哀れではあるが、若干苦笑してしまうのも禁じえない。そういえばこのブログだって、ずいぶん前にだが、1~2度炎上(というほどでもないかも知れないが)しかかったことがあるのを、昔からの読者でご記憶の方もいるだろう。それは、僕もコワさを知らず好き勝手放題書いていたブログ初心者の頃で、ある超有名芸能人がらみのかなり批判的な記事を載せたときのことだった。(後記:ダウンタウン。特に浜田の、初期の尖った芸風。一線を越えていると思った。)たちまち、激烈、あるいは冷笑的なコメントが長期間殺到し、なんとも嫌~な感じでうんざりしつつ、けっこうビビった。数えたわけじゃないが、全部合わせれば5000アクセスぐらいにはなったんじゃなかろうか。今思い出しても冷や汗が出る。その件では、深く反省するとともに、どういったことを書くとヤバイのか、身に沁みて勉強になった。感情(特に、怒りや下世話な好奇心)に任せた一方的な記事や、熱烈なファンがついている人気芸能人がらみとか、社会的常識に欠ける「掟破りな」独断的な記事掲載などは特にアブナイと思う。今回の女子大生の書いた内容は、それらのドツボな要素をいくつも兼ね備え、炎上まっしぐらのつぶやきだったと思う。やったことは、社会人としては言語道断・もってのほかの行為といっていいだろう。アルバイトだろうが何だろうが、接客業に従事するものが、顧客の来店などの個人情報を公然とリークするとは、あってはならない・あるまじき・ありえない初歩的社会的常識の範疇である。この場合、ホテル側の「守秘義務」は、公務員や医師・弁護士などに課される法制度的なものではないのかも知れないが、信義・道義・社会通念的な問題としては、確乎として存在すると思う。政治の世界では、料亭の中で話したことや起こったことは、絶対に外に漏れないと言われてきたし、それは事実だといわれる。一種の伝統文化とさえいえるかも知れない。・・・が、何も料亭に限らず、これが接客業者の基本だろう。勤務先だったホテルの信用失墜や損害も甚大と想像される。確かに、例えばもし僕が常連客だったとしたら、別に有名人でなくとも相当気分が悪いし、たぶんもう二度と行かないだろうと思われる。後味が悪い「イタいニュース」ではあったが、以て他山の石であり、人の振り見てわが振り直せの、一罰百戒的な、社会への警鐘になったという意味では、それなりに有意義だった。
2011年01月17日
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昨晩は、雪のちらつきはじめた中、地元神社の冬祭り(北関東・栃木、宇都宮二荒山神社「冬渡祭・おたりや」)に参加。これは平安時代初期の遷宮を記念して、実に1200年続いていることが確認されている郷土の伝統行事ですが、こんな真冬の祭りは、全国的にもけっこう珍しいかも知れませんね。時節柄、これまでも雪にはしばしば降られています。そのあとは、ますます雪の降りしきる中、祭りの直会(なおらい)を兼ねた町会青年部(実質「中年部」?)の新年会で、深夜まで盛り上がりまくりました~。そして、けさ起きてみたら、一面の雪景色。この冬初めての本格的な積雪となりました。・・・キレイだけど、寒い~っ!!!
2011年01月16日
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永田和宏(ながた・かずひろ)青葉木菟あをばづくが鳴いてゐるよと告げたきに 告げて応ふる人はあらずも歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)* アオバズク註永田氏は昨夏、妻で歌人の河野裕子さんを亡くされた。ご夫婦揃って宮中歌会始選者を務めたことでも知られていた。この作品は、端正な表現に万感の真情が満ち溢れ、河野さんの以て瞑すべき名歌と思う。・・・昨夜は、この歌を肴に一晩飲めた。
2011年01月15日
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秋篠宮妃殿下紀子さま天蚕やままゆはまてばしひの葉につつまれてうすき緑の繭をつむげり歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)* ヤママユ、マテバシイ
2011年01月15日
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秋篠宮殿下山峡やまかひに直すぐに立ちたる青松の嫋やかなる葉に清さやけさ覚ゆ歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)註嫋やか(なり):普通には「たをやか(たおやか)」、古語としては「たわやか」とも読む。これは母音交替であり、意味は同じである。細くしなやかで美しいさまをいう形容動詞。語幹「たをや、たわや」は「たをやめ(手弱女)」などと共通。漢字「嫋」は「余音(余韻)嫋々(じょうじょう)」などの熟語に使われる。
2011年01月15日
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皇太子妃殿下雅子さま吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)
2011年01月15日
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皇太子殿下紅葉もみぢする深山みやまに入りてたたずめば木々の葉ゆらす風の音と聞こゆ歌会始の儀(14日宮中お題「葉」)
2011年01月15日
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皇后陛下御歌(みうた)おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)* マンサク
2011年01月15日
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天皇陛下御製(ぎょせい、おおみうた)五十年いそとせの祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す歌会始の儀(14日宮中、お題「葉」)
2011年01月15日
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木下利玄(きのした・りげん)鎌倉の山あひ日だまり冬ぬくみ摘むにゆたけき七草なづな歌集「みかんの木」(大正14年・1925)鎌倉の山あい 日だまり冬なのに温(ぬく)いので摘んでみれば豊かに七草薺。註念のため意訳的な現代語訳のようなものを添えてみたが、「冬ぬくみ」にしろ「摘むにゆたけき」にしろ、和歌ならではの洗練された言い回しであり、そのまま味読するに越したことはないだろう。
2011年01月14日
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「柚子胡椒」ってものは、以前からスーパーあたりで時々見かけていて、そういうものがあることは何となく知っていたが、・・・ユズとコショウ~?@@、 そんなもの、いったい何に使うんだ? ぐらいにしか思っていなかった。ところが、最近知ったところでは、この「胡椒」は九州南部辺りの方言で「唐辛子」を意味し、「柚子胡椒」とは、ユズ風味の唐辛子ペーストのことだという。これは、昨年暮れのNHKの「ことばおじさん」梅津アナウンサーの解説で初めて知った。類似のものに、新潟の「かんずり」がある。これは鍋物か何かで食べた記憶がある。関東では、むしろこちらの方に馴染みがある。かんずり 新潟・越後妙高の香辛調味料(唐辛子発酵食品)価格:400円(税込、送料別)ちなみに、標準語でいう「胡椒」は、その南九州方面では「洋胡椒」というのだそうだ。・・・う~む、ややこしい。しかし、な~んだ、そうだったのか。それなら分かる。味噌汁や麺類、魚介や肉の鍋料理をはじめ、けっこういろんなものに合うという噂も腑に落ちた。もともとご存じの方には笑われそうな話であるが、これはけっこう僕だけでもないようである。 But I'm not the only one.この正月に親戚が一同に会する機会があり、たまたまこの話題になったのだが、ほとんどの者がこの小事実を知らなかったようで、「えっ、そうなの~?」とけっこう驚いていた。たぶん、この「胡椒」の意味は、少なくとも関東では、まだほとんど通用しないと断言できるのではないだろうか。直感的に間違いないと思う。そこで、僭越かつお節介の極みではあるが、関東に販路を拡大したいメーカー各位におかれましては、悪いことは言わないから「柚子唐辛子」に改名した方がいいのではないかと、衷心から申し上げる次第である。九州方言の味わいは味わいとして貴重だろうが、確かにこれは分かりにくい。分からないから、なんか得体が知れない感じで、金出してまで買わないということになるだろう。・・・実は、けさの新聞折り込みの地元スーパー「サンユー」のチラシに、S&Bのチューブ入り「柚子こしょう」(40g)が98円となっている(これはたぶん安いと思う)ので、さっそく買ってみようと思い立ち、延いてはこの話題になったのである
2011年01月14日
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穂村弘(ほむら・ひろし)体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ歌集「シンジケート」(平成2年・1990)註現代短歌の秀歌で、異才初期の代表作の一つ。読めば読むほど高度に技巧的な作品であることが分かり、この一首に投入された思索は見た目を超えて深いと思う。実作者の端くれとして感服だ。まず何といっても、「ゆひら(雪だ)」という舌足らずな発音のセリフを発見したことがすばらしい。音韻(音の響き)が美しく、可愛い。「ひとひらの雪」という言葉さえ連想される。その「ゆひら」を導く前段として、「体温計くわえて窓に額つけ」という、状況説明を兼ねつつそれ自体しゃれたイメージが、序詞(じょことば)のように配置されている。「体温計」という、妙になまめかしい小道具アイテムも、なかなか絶妙。・・・彼女は風邪気味なのだろうか? それとも、オギノ式避妊法でもあろうか?結句の「雪のことかよ」という、ややぞんざいで粗い口調の着地もいい。さまぁ~ず三村のツッコミを髣髴とさせて豪快だ。若い男女が一夜を過ごした冬の寝室の朝、古めかしい言葉を使えば「後朝(衣々・きぬぎぬ)」の場面でもあろうか。・・・まあ、夕方でも夜でもいいけどね。何となく、ウッディ・アレン監督・主演の映画「アニー・ホール」で、当時本物の恋人同士だったアレンとダイアン・キートンが、オマール海老かなんかの料理で大騒ぎしてジャレ合っている場面がふと思い浮かんだ。あるいは、ヌーベル・バーグ時代のフランス映画の一シーンでも見ているような小洒落た雰囲気と現代感覚を醸し出している。ぶっ飛んだ難解作品が多いこの作者としては、割と分かりやすい一首といえるだろう。なお作者は、この連作「シンジケート」で昭和61年(1986)第32回角川短歌賞の次席に入選。そのときの角川短歌賞(本賞)は、翌年「サラダ記念日」で一世を風靡することになる新進気鋭の女流・俵万智の「八月の朝」だった。今や現代歌壇を代表するといっていい両雄の、これは数奇なめぐり合わせだったといえよう。ちなみに、「体温計くわえて窓に額つけ『ゆひら』とさわぐ」女の子のイメージは、上野樹里演ずる野田恵(のだめカンタービレ)そのものではないかという意見が、ネット上では散見される。この人物造形の愛らしさ、可愛らしさが普遍的だということを示している。むろん、時系列的にはこの歌のほうが前であることはいうまでもないが。
2011年01月13日
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くまんパパ 目くじら僕は別に謙虚ではなく若者の歌に目くじら立てたりしない自衛とうわけでもなくて人さまの歌にいちゃもんつけたりはせず人さまをけなしたりせず肩肘を張ることもなく僕は生きてる「歌としてダメである」とか「規律ある詩語」とか僕の辞書にない死語どうしても肯うべなえぬのでわたくしは茂吉の墓前で腹かっさばく?この文はウザさの極致という意味で短歌史上に残るであろうおしゃれとかカッコつけてるわけじゃなく歌を詠んだりして暮らしてる暮れ泥なずむ冬の巷ちまたをデジカメで撮ってブログに載せたりしてる* 永井祐「わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる」(「短歌ヴァーサス」11号・2007年10月)。■ 永井氏の上記作品に対する、歌人・大松達知氏の強硬な筆致の批判文全文(1)、(2)(「歌壇」2011年1月号)。
2011年01月13日
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坪内稔典(つぼうち・ねんてん)水中の河馬が燃えます牡丹雪句集「落花落日」(昭和59年・1984)
2011年01月12日
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結社誌「短歌人」1月号に、かねてより蔭ながら深く尊敬している俳人の坪内稔典(つぼうち・ねんてん、としのり)仏教大教授・京都教育大名誉教授の論考がゆくりかに載っていて、視線が釘付けとなった。それは、短歌人所属の歌人・吉岡生夫氏の評論集「狂歌逍遥」への書評文の一部であるが、わが意を得たりという気持ちになった。以下、当該部分の最小限の引用をお許し戴きたい。引用 ■ 紹介と批評 吉岡生夫評論集「狂歌逍遥」坪内稔典氏批評文「そうなのだろう」よりやや強引な言い方をするが、歌が新しくなるときはたいてい狂歌的なのではないか。石川啄木のへなぶり、斎藤茂吉の赤茄子、そして近くは俵万智のカンチューハイや穂村弘の象のうんこ。それらの歌はなにがしか狂歌的である。君が眼は万年筆の仕掛にや、絶えず涙を流して居給ふ 石川啄木赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 俵万智サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘狂歌的なものが短歌を新しくする。そのように言ってもいいだろう。念のために言い足すと、狂歌が歌を新しくするのではない。あくまで、狂歌的に突出した逸脱、それが歌を新しくする。(引用終わり)・・・ああ、なるほどと思った。いずれ劣らぬ近現代短歌の名歌四首であるが、こういう括りで並べられたのを見たのはもちろん初めてであるし、類例も見たことがないほど斬新だと思う。ただ、斎藤茂吉の歌に巧まざるユーモアを見る視点は、「短歌人」の小池光氏が、それまでになかったものを初めて歌論に持ち込んだもので、広く納得され評価されている。上記の括りには、石田比呂志氏や藤原龍一郎氏を加えることも可能ではないかと思う。一見、不倶戴天の犬猿の仲であるように見える(笑)名匠・石田氏と鬼才・穂村氏は、この視点で見れば、案外近いところにあるような気さえする。実は、この種の見方は、朧気ながら僕の頭の片隅にもずっとあった感覚で、僕の短歌鑑賞のツボでもある。それを明晰な言葉で改めて言ってくれた。さすが達人の言であると感服した次第だ。いつも僕が引っかかり面白がってきて、力及ぶかどうか分からぬがあわよくば自分でも作りたいと念願している短歌は、言われてみれば「狂歌的な短歌」であると、ずばりと言い当てられた気がする。ちなみに、そういう坪内氏の詠む俳句も、まさに持論通りの狂歌的・川柳的な句風といっていいだろう。「一月の甘納豆はやせてます」で始まる甘納豆連作(句集「落花落日」昭和59年・1984)も圧倒的だが、桜散るあなたも河馬になりなさい(同)などは、現代俳句最高水準の境地を示す、いうなれば「川柳的な俳句」の傑作であると思う。ただし、もちろんこれが川柳ではなく、俳句であることは言うまでもない。
2011年01月12日
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)冬の光しんかんたるに真竹原閻魔大王の咳しはぶきのこゑ女犯戒にょぼんかい犯し果てけりこまごまとこの暁あけちかく雪つもる音歌集「雀の卵」(大正10年・1921)
2011年01月11日
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浜田康敬(はまだ・やすゆき、こうけい)豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている元旦に母が犯されたる証し義姉は十月十日の生まれ連作「成人通知」(昭和36年・1961)註浜田氏の歌は、人生への復讐、生誕への呪詛であると評された。傷ましい青春の記録である。今ではご家族にも恵まれ、叙情的な歌も詠う穏やかな好々爺になられた孤高の歌人の、若き日の伝説的といえる力作秀歌。この連作五十首で、第7回「角川短歌賞」を受賞(小説でいえば「芥川賞」などに相当)。
2011年01月11日
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くまんパパ 江一身に織田と浅井の血を受けて深淵そこひを見たる烈はげしき姉妹近江おうみより一字を取りて名づけしと そういえばわれも下野しもつけより茶々、江のビルの谷間のラーメン屋みたいな僕の好きな初姫動物と子役に勝てぬジンクスがまた再確認されてしまった上野樹里ごっつい顔の女優だと本能的にたじたじとせり妻も子も大河ドラマも三姉妹こいつぁ春から縁起がいいわえ ** 河竹黙阿弥「三人吉三廓初買」より。
2011年01月10日
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正月早々ながら、今日は伯母の三回忌を執り行いました。生前の伯母もかなりのおしゃべり、僕も生まれつき日本男児にあるまじきほどのおしゃべり小僧だったこともあって、小さい頃から年の差を超えて妙に馬が合い、大変可愛がってくれた伯母でした。幸い、この伯母に対しては、生きているうちにいろんな意味で恩返しが出来たと思っており、思い返しても「トイレの神様」的な後悔の念などはありません。おととしの1月に亡くなってからもう2年経ったんだな~と、月日の流れの早さに驚きつつ、感慨無量の厳粛な気持ちになりました。非常に寒い日が続いていた北関東の当地ですが、今日は奇跡的に暖かい一日で、けっこうポカポカ。その点はとても良かったです。そのあとは、成人式の笑顔の若者たちで大にぎわいの地元ホテルに移動して、親戚一同お清めの酒宴となりました。・・・そんなわけで、だいぶ酔っぱらってしまったので、ブログは本日お休みです~
2011年01月09日
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くまんパパ「しょっぱい」と家族みんなが言ったから 一月七日はしょっぱ記念日* 俵万智「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」(歌集「サラダ記念日」昭和62年・1987)自註妻が昨晩、七草粥の味付けに失敗し(・・・入れた干鱈の塩気が強すぎた~)、子供らはブーブー総スカン、僕がなだめ役になる仕儀と相成りましたそこですかさず、天下の現代名歌を本歌取りの上、詠んでみましたが、・・・う~む~、イマイチな出来かな~?
2011年01月08日
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この記事は、後で続きを書くとか書きましたが、なんだかんだ言いながら大体の論点は書いてしまって、満足しちゃったというか飽きちゃった気分なので、書かないかも知れません。すいませ~ん「トイレの神様 批判」などのキーワードで検索すれば、何が批判されているのかがすぐ分かると思います。ちなみに僕の場合、沁みまくった曲として直ちに思いつくのは、ケツメイシの「トモダチ」。これもけっこう長いんだけど、厖大な量と緊密な質のラップのライム(叙事詩、歌詞)で徐々に徐々に盛り上げていって、サビのメロディが炸裂するところでは、僕の場合必ず泣くことになっている。独断的にいえば、鳥肌モノのJ-POP完全作品だと思う。この曲については、かなり以前だが、確かこのブログでも既に書いた記憶がある。そのほかにも、ケツメイシの曲は力作揃いで、本当にすばらしいものが多い。こういうのを基準に考えたら、評点も辛くなっちゃうよね。昨年大ブレイクし「NHK紅白歌合戦」出場効果でこの新春に再ブレイクしている植村花菜の「トイレの神様」は、いろんな意味で興味深い作品だと思う。思えば、昨年春ぐらいからラジオなどでよく耳にしていた。僕は普段テレビはあんまり見ない生活をしており、ラジオを聴いてることが多いので、なおさら馴染みがあった。あの9分52秒のフルサイズ・バージョンのオンエアが多かったのが記憶に残る。ラジオ放送向きだったこともあり、ラジオの現場ディレクターの琴線をまず鷲掴みにしたと察せられ、あれよあれよという間に社会現象といえるような大ヒットになっていった。その間、僕はそんなに本気になって聴き込んだわけではなく、いわば聴き流していたので、なるほど世評にたがわず、なかなかいい歌だな~ぐらいに思っていたのだが、同時に、何やら微かな違和感が胚胎してくるのも事実だった。僕が子供の頃、折しも日本は高度成長期で、両親とも忙しく働いていたので、僕も「お婆ちゃん子」として育った一人である。その祖母はアララギ派の短歌など詠んでいて、歌集も残っている。思い出もたくさんあり、受けた影響は絶大だったと、今にして思う。その祖母を詩歌作品に詠み込むとしたら、こうなるだろうか? という素朴な疑問が湧いた。なんかどこか引っかかるんだよね~。人それぞれだとは思うけど。最近になって、インターネット上で、この歌詞が激しい毀誉褒貶と賛否両論の渦中にあることを知って、それらを丸一日かかって熟読してしまった。その批判(非難?)は、単にタイトルの「トイレ」という尾籠で刺戟的な言葉への反発から、歌詞の深い分析に基づく傾聴に価する意見や、場外乱闘的な作者の人格攻撃に至るまで、あらゆる次元に及んでいるのだった。それらに驚くと同時に、あ~やっぱりな~、という感じも拭えなかった。僕も微かに感じていた違和感の正体が、激しい言葉で綴られていた。ネット上の言論は、時にこういった微妙な異質感に対して冴え渡るのではないか。J-POP、というか流行歌は、歌詞に加えてメロディ、リズム、サウンド、そして何より歌唱、また歌い手の魅力、売り方(プロモーション)などの多くの要素が入っているので、歌詞単体で評価するのはフェアではないといえるかも知れない。事実、この歌を楽曲として聴いた時と歌詞だけを読んでいる場合では、かなり印象が違う。まるで別物といえるかも知れない。それにしても、この歌詞は、詩歌など言語表現に興味があるものなら、熟読玩味して十分分析する必要があり、またそれに価する「出来不出来(?)」だといえるだろう。僕は、基本的にはまあまあいい歌だと思っている。いわゆる「感動の押し売り」的な面も確かになくはないが、売れてなんぼ・売れなきゃカスの芸能界であるから、ある程度はしょうがないだろう。問題はその程度と質である。作詞技巧的に上手いところと、稚拙なところ・冗長なところが同居している、いわば舌足らずな表現になっているところに隙と難点があり、各方面からこうまで突っ込まれまくっているのだろう。ちなみに作者・植村花菜は、シンガー&ソングライターとしての実力はつとに認められつつも、これまで全くヒットに恵まれず、メージャーシーンでは鳴かず飛ばずのカナリヤだった。10枚目のシングル・リリースになるこの歌が当たらなければ、今年あたり契約解除・都落ちの瀬戸際だったという。作者も必死だったのだろう。ポピュラー音楽評論家・富澤一誠氏によると、こうした経緯は「海援隊」が世に出た「母に捧げるバラード」(作詞:武田鉄矢、1973)と酷似しているという。彼らも、尻尾を巻いて故郷・博多に帰るかどうかの瀬戸際で、乾坤一擲の大ヒット曲を生み出した。それなかりせば、現在余人を以て代えがたい個性の名優となっている武田も存在しなかったということになる。・・・芸能界って、ホント博打だよね~。さてこの歌に戻ると、固有名詞の使い方はけっこう上手い。「(吉本)新喜劇」なんて、なかなかいいんじゃないかと思う。これがあざといという意見も少なくないが、あざとさと鋭さは紙一重であり、これが許容されなければ表現者はやってられないだろう。「鴨なんば」なんて初めて聞いた。もちろん「鴨南蛮」は知っているが、この関西訛り(?)も半ば固有名詞的に機能して、リアル感を醸し出すのに寄与している。作者本人と目される作中主体「わたし」は「おばあちゃん」を見捨てて勝手に出て行って、最後まで和解してないのに、「おばあちゃん」は「わたし」を待っていてくれたとか勝手な解釈をして自分に酔ってるんじゃないかという意見もある。ここに悪しきナルシシズム/自己愛を嗅ぎ取った批判がきわめて強い。これは確かに事実としてそうなのかも知れないし、単に言い方が舌足らずなのかも知れない。いわば、短歌用語でいう「言いさし」になっていて、受け手に解釈を委ねる形になっている。受け手は自分なりにイメージを補完するよう迫られる。この辺も面白い。少なからぬ違和感が次々と湧いてくる、一種の軽い心理的な不思議ワールドだ。・・・が、これら全てが、作者の狙い通りであるという可能性も排除できない。トーク番組などでの作者の受け答えを聞いていると、理路整然と立て板に水であり、頭脳明晰で意識的な表現者タイプであることは一目瞭然であった。10分弱という長尺も、刺戟的なタイトルも、レコード会社や周辺スタッフの反対を作者が押し切ったという。表現に対して矜持と信念があることが十分にうかがえる。むろん、関西弁もきわめて有効に機能している。東男から見ると、関西弁の遣い手は羨ましい、もしくはズルいといつも思っている。これだけで独特の情感が醸成されるアドバンテージがある。・・・が、いずれにしても、今私は「短歌人」3月号締め切り間際で、頭から火~噴いているところです~考察の続きはまたの機会にいたします。毎年そうなんだけど、この正月の締め切りが精神的に一番キツイんですよね~。お屠蘇気分の抜けない正月ボケの状態での作歌作業は、はっきりいって無理だと思うんです~(笑)そんなこんなで、今日のところはこの辺で~
2011年01月07日
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長谷川莞爾(はせがわ・かんじ)絵でいへば自画像ばかり描いてゐる 画家のやうなり歌人といふは歌誌「短歌人」1月号註言っていることは、もちろん言いすぎである(短歌は、もう少し広い対象を取り扱っている)とは思うが、現象的にも本質的にも、どこか鋭く真実を穿っているところがあって、新年早々笑えた。短歌表現特有の、短い「端的な断定」の面白さが決まっている。
2011年01月06日
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よみ人知らず わが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に小石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。註もともとは、若い女から親しい男に向けた相聞歌(恋歌)風の、当時の一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」は、その種のものが多いといわれる。しかし、撰者・紀貫之らによって初の勅撰和歌集である古今和歌集の賀歌(新年の祝いの歌)の部の劈頭に配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上した時点で、「わが君」の指し示す内容は「日本国天皇」の意味に確定した。このおよそ100年後、当時の詩歌の詞華集(アンソロジー)というべき藤原公任(きんとう)編の名著「和漢朗詠集」に、起句を「君が代は」として収録された。この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」、ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。この一連の過程に亘り、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から各学校独自の判断により祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認して今日に至っている。これらの経緯から、「君が代」が国歌であることは自明であると思われ、むしろそれゆえにであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は最終的に決着した。
2011年01月05日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)正月むつきたつすなはち華のさきはひを 受けて今歳ことしも笑ひあふ宿志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集正月元日が来た。だから梅の華の祝福を受けて今年も笑い合う明るいわが家。註橘曙覧:江戸末期に早くも近代的感性をたずさえ、それまでの因循姑息な陋習に沈滞していた「月並和歌」ではない、平明で写実的(リアル)な「近代短歌」を準備したと正岡子規によって絶賛された、幕末・越前(福井)の歌人。事実、この歌のような身近な家族のモチーフが、万葉集以来実に千年間、和歌の世界からほとんど失われていたのは事実であり、後の世から見れば驚くべきことであった。この「正月」は旧暦(太陰暦)なので、今でいう1月末から2月上旬頃に当たる。早咲きの梅がそろそろ咲きそめる頃。正月むつきたつ:正月一日である元日になること。ちなみに、「朔(ついたち)」は「月立ち」の音便。さきはひ:「幸い」の上古語。(神霊などに)祝福されること。ここではたぶん、(華が)「咲き」と掛けてある。宿:「わが家」の意味。本居宣長の流れを汲む国学者らしく、ここでは万葉時代の上古語の意味で用いている。
2011年01月03日
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大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重しけ吉事よごと万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ 吉よき事よ。註あの巨大な万葉集の掉尾(クロージング)を飾る、最終編纂者・家持による名歌。奈良時代の天平宝字3年(759)旧暦正月元旦に、因幡国守として現・鳥取市国府町に赴任していた家持が、新年の宴席で詠んだ。旧暦の元日(旧正月)は、現行太陽暦の1月下旬~2月中旬頃に当たる(今年でいえば2月3日)ので、そろそろ梅の蕾がほころびはじめ、「初春」の表現が似つかわしい時節である。現在とはかなり季節感が異なる。
2011年01月02日
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あけましておめでとうございます皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます本年もよろしくお願い申し上げます佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝の日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集「山と水と」(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫である歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現では比較的普通に使われる。語源的には「あり(在、有)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2011年01月01日
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