全113件 (113件中 1-50件目)
The Beach BoysWouldn't It Be NiceThe Beach BoysWouldn't It Be NiceLive in Japanザ・ビーチボーイズ素敵じゃないか陽だまりの彼女人は、恋するために生まれて来た、と思っちゃう曲。
2025年04月30日
コメント(0)
moumoonmoonlight
2025年04月30日
コメント(0)
moumoonDo you remember?
2025年04月29日
コメント(0)
松田聖子赤いスイートピー松田聖子 / 松たか子赤いスイートピー歌詞の最後の方を紙背に徹して読めば、二人が肉体的に結ばれたことが分かる。「赤いスイートピー」(の花)って、実はかなりエロいイメージなのではないか。アダムとイブか、イザナギとイザナミか。aiko「カブトムシ」と同様。「ちょっぴり気が弱いけど素敵な人」って、作詞者・松本隆の自画像だろう。物書きって、えてしてこういう「たくらみ」をするんだよね。すごいな 森香澄赤いスイートピー
2025年04月29日
コメント(0)
安藤裕子のうぜんかつらのうぜんかつらLive
2025年04月29日
コメント(0)
安藤裕子 あなたと私にできる事
2025年04月28日
コメント(0)
安田顕 × 安藤裕子TOKYO SPEAKEASY ラジオ〔TOKYO FM〕
2025年04月28日
コメント(0)
安藤裕子 泡の起源
2025年04月28日
コメント(0)
安藤裕子 海原の月
2025年04月28日
コメント(0)
安藤裕子 衝撃衝撃ロングヴァージョン衝撃ライヴ衝撃山本康太リミックスKOHTA YAMAMOTO Remix
2025年04月27日
コメント(0)
安藤裕子 パラレル
2025年04月27日
コメント(0)
安藤裕子 ドラマチックレコード
2025年04月27日
コメント(0)
□ 日本人の祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫るゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究【サイエンス・ポータル 内城喜貴氏 2024.7.24】僕らが紅顔の「科学少年」だった子供の頃から興味津々の話題だが、遺伝子ゲノム(いわゆるDNA・デオキシリボ核酸)解析技術の進歩で、近年大きな発見があった模様である。ただこの問題は、ややもすると、かたやアイヌ民族・琉球民族(沖縄人)などへのレイシズム(人種・民族差別)的言説につながりかねない側面があり、こなた日本国家・大和朝廷・天皇(家・制)の起源にも濃厚に関わってしまう、最高度に歴史的・政治的な問題でもあることから、これまで研究者の口は重く慎重で、隔靴掻痒の感は否めなかった。が、ゲノム解析という最新の科学技術の進歩により、研究者も有無を言わせず自信を持って自説を吐露できるようになったといえる。薄々は分かっていてもなかなか公にし難かった所説に、強力な根拠(エヴィデンス)の後ろ盾が付いた感じだ。また、この問題は、わたしたちが愛してやまないこの美しい日本語(漢語や外来語を除く「やまとことば」)の成立にも直接関わってくる。リンク先の記事は、異なる2つのソースを基にしており、前半部の理化学研究所(理研)発表の部分と、後半の金沢大学(覚張隆史助教らのグループ)発表の部分でやや齟齬があり錯綜しているが、特に注目されるのは後半の金沢大学由来の部分である。これまで言われてきた縄文人+弥生人の「二重構造モデル」の構図に加えて、いわば「古墳人」というものの存在があった(三重構造モデル)として、発表当時大きなニュースになったことは記憶に新しい。覚張助教は、文化勲章確定であろう。この発見を、くだんの金沢大学・覚張隆史助教(がくはり・たかし、考古分子生物学)の出演も得て詳細に報じたNHK『フロンティア』では、もう一歩進んで、やはりアイヌ民族に縄文人の遺伝的形質が最も濃厚に残っていることも明らかにされた(約70%)。これも従来から言われてきたことだが、最新科学の裏打ちがあった形だ。『フロンティア』の内容を要約し、私なりの解釈も若干交えつつ書くと、3万年少し前、東南アジアのインドシナ半島やマレー半島付近に定住していた人々の中から、理由は分からないが移動して今の中国の海岸伝いにやって来て、当時ほぼ地続きだった日本地域にたどり着いた人々がいた。総勢たったの1000人ほどだった。これが「縄文人」にほかならない。現在のタイ奥地のジャングルの中に住む少数民族・マニ族ときわめて近い遺伝子を持ち、ホアビニアン文化という狩猟採集文化を持っていた。その頃これらの新天地にほかの人間はいなかった。黄海は陸地で、現在の朝鮮半島も含めて大陸の一部だった。日本海は巨大な湖で、対馬海峡は川に過ぎなかった。獣がいれば狩って食糧にした。これはよほどのごちそうだった。木の実でも草の葉でも魚でも貝でもざりがにでも昆虫でも茸でも、食えるものはすべて口にした。無人の荒野と蒼古の森をひたすら歩いてゆっくりと北上し、最も早くこの地にたどり着いた人々だった。当然、移動の途中で他民族との交雑もなかった。まさに、フロンティア精神の体現者だった。その後18000年前ごろから温暖化(氷期の終わり)によって海面が上昇し、島国となったこの国で、16000年前から3000年前まで1万数千年の長きにわたって彼らは平和と繁栄を享受し、縄文文化を花開かせた。青森・三内丸山遺跡のような集落も各地に築いた。この縄文時代後期には農耕の萌芽のようなものもあったが、ほとんど狩猟採集生活のままだった。縄文人同士での交流・交易も盛んだった。彼らの遺伝子は、現代のアイヌの人々に7割、沖縄の人々に3割、東京の人々に1割残っている。しかし、世界は動き始め、1万年前ごろに農耕が、5000年前ごろには「文明」が発生した。しばらくして、約3000年前、北東アジア(シベリア)方面から朝鮮半島を経て、船で渡来人がやってきた。一時的な寒冷化や人口の飽和が背景にあったのではないかとも考えられている。彼らは稲作などの農耕や金属器などの先進技術を持っていた。農業の伝来によって土地や水利をめぐって争い・殺し合いも起こったが、まだ大規模ではなかった。縄文人と渡来人はおおむね友好的で、婚姻・混血・融合が進んだ。この縄文人と渡来人のDNAを合わせ持った人々が「弥生人」である。その遺伝子組成は、縄文人が約6割、渡来人4割である。ここまでの大筋は、従来も言われてきたことだと思う。歴史好き、とりわけ古代史好きであれば、だいたい上記のように理解してきた。DNA解析もない時代に、よくぞここまで立論できたものだと思う。結果的にはおおむね正解だったと思われる。先人たちの労苦を多としたい。ところが今回、金沢大学・覚張助教が提唱した新説は、さらにもう一段を加えたところにある。3世紀半ばごろ(西暦200年代、1770年ぐらい前)から、忽然として日本国家につながる強大な大和王権が形成されていった。「古墳時代」の開幕である。この国にいきなり文明が開化した感がある。それ以前には卑弥呼の邪馬台国もあった。この過程は従来謎とされ、弥生文化の中から自然発生的に成立したと説明されてきたが、今ひとつ腑に落ちない感じがあった。が、今回のDNA研究によって、この時期に大量の渡来人が流入していたことが明らかになったという。遺伝子解析によれば、この時期の新しい渡来人のゲノムは、庶民の人骨のDNA解析で、実に6割以上に一挙に跳ね上がったという。従来も、渡来人がちらほら来訪したとは言われてきたが、ごく少数だと見られていた。が、今回の分析ではそれどころの騒ぎではなく、庶民を含むきわめて厖大な人々が日本列島に押し寄せたと見られる。こうしたことが起こった時期は、まさに日本史上「空白の四世紀」と呼ばれる、西暦266年~413年の約150年間の全く記録のない時代に当たる。当時日本(ヤマト)にはまだ文字はなかったのだから当然だが、中国側に記録がない。したがって歴史的記録(史料)はないが、その代わり考古学的資料は豊富だという。この「欠史時代」に天皇(すめらみこと)という地位が生まれ、その人を中心とする大和王権が成立した。この大枠のフォーマットが、まるでお伽噺みたいに1700年以上続いてそのまま現代に至っている、世界でも類を見ないギネスブック級の国家がわが日本である。その空白の前は、『三国志(正史)』の魏志倭人伝の、邪馬台国の卑弥呼の跡継ぎ・台与(臺与・とよ)または壱与(いよ)が魏の国に朝貢外交をしたという記事であり、空白の後は、「讃・珍・済・興・武」で有名な倭の五王が中国南朝の宋などと外交関係を持ったという正史『宋書』などの記事である。「済」が允恭(いんぎょう)天皇、「興」が安康(あんこう)天皇、「武」が万葉集の劈頭を飾る名歌を詠んだ雄略(ゆうりゃく)天皇であることはほぼ確実と見られ、定説である。折しも大陸中国は、全土を支配していた超大国・後漢の滅亡後、ファンも多い『三国志(演義)』で知られる魏・呉・蜀の三国鼎立時代となり、その後も群雄割拠の興亡と戦乱(いわば内戦)の時代となっていた。各国とも、生きるか死ぬかの闘争で精いっぱいで、海の向こうの島国に外交的関心を寄せるどころではなかったのだろう。その時代の華々しいいくさを描いた映画はエキサイティングだが、同時代の民衆にとっては災厄でしかなく、大量の難民が発生していた。それらの民衆が、戦乱に嫌気がさしてか、生命の危機に瀕してか、海の向こうの東の伝説の理想郷「蓬莱」の国を夢みて日本に逃れてきた可能性はきわめて高い。彼らの一部は、文字(漢字)、機織り、製鉄技術などの先進的な文化を持って来た。「原住民」である縄文・弥生人にとってはまばゆいばかりの文明だったろう。彼らの出自はさまざまだが、おおむね現在の中国の版図の人々と遺伝子を共有しているという。彼らの民族性はまだ明らかにされていないが、少数民族や漢民族(いわゆる中国人)もいたのかも知れない。特に、地理的に近い「呉」(現在の上海を中心とする地域の国)などからは、故郷を捨てて台湾・琉球列島伝いに続々とやって来たのではないか。最初は言葉も通じず、どうやってコミュニケーションをとったのか、想像もつかないと覚張助教も言う。ただ、彼らの一部は文字というものを知っていて、記憶だけでは到底無理な叡智を蓄え、話し言葉だけでは不可能な高度な思考ができた。美麗な「呉服」を着ていた。機織りなんて、現代の我々の頭でも、よほど勉強しなければ、どうやって糸が布になってゆくのか皆目見当もつかない高度な技術である。そして、一旦緩急あれば、鉄製の武器に物を言わせることもあった。当時アジアでは最高の文明人であった。知識やスキルのある者が、政権に重用されたことは確実で傍証も多い。その知識の中には、政治的・軍事的なものも含まれていた。こうした趨勢の中で何が起こったのか、上記の通り全く文字の記録がないので詳細は分からず、想像を逞しくするほかはないが、なんらかの激動があったことは間違いないだろう。ただ、この辺りからは、日本史の機微というか、「やばい」領域に入ってゆくことになる。天皇(制)の起源論に近づくからだ。根拠もなく下手なことは言えない感じ、日本人なら分かるよね。NHKも覚張助教もやや竜頭蛇尾で、言葉を濁してお茶を濁した。私もそうすることにする PS. 日本語の起源についても、番組では全く触れられていないが、一定の知識のある者には間接的ながら示唆に富んでいる。有力な言語としては世界的にも稀な、母音が非常に多い日本語の音韻は、基本的には明らかに南方・海洋系の特徴を示しているとつとに言語学者は言っていたが、縄文人の出自を見れば当然である。ハワイ原住民の言語・ハワイ語もその末裔だろう。日本語とは遠い親戚である。ハワイ、ホノルル、カメハメハ。言葉の響きが明るく朗らかで、歌を唄ったりするのに向いており、現代の外国人からしばしば「かわいい」と評される日本語音韻の特徴である。まさに「サザン」(南方)の響きである。故・大野晋学習院大教授によるスリランカ原住民の「タミル語」同源説も思い出される。その縄文人の南方系言語の基層に、北方系の渡来人の言語が、膠着語的な文法や単語などを取り込みつつ融合し、弥生時代には基本的な日本語(やまとことば)が成立したと思われる。これまた従来から言われてきたことではあるけれども。・・・この国に生まれて本当に良かったと、いつも口癖のように子供にも言っている私にとっては、日本、そして日本人の成り立ちについて読んだり考えたりしているのは至福の時である。そういう感覚を持っている人々の代表が、この分野の専門の学者たちなのであろう。もちろん、日本最高度の知性が結集している。ただ、彼らの学説の応酬などを読んでいると、あまりにも精緻で頭が痛くなるか眠くなるけれども、ごくごくかいつまんで書けば上記のようなことだと思われる。いいなあ、幸せな人たちだなあと、羨ましく思っている
2025年04月25日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)やは肌のあつき血汐ちしほに触れも見で さびしからずや道を説く君第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの俵万智訳(平成10年・1998)この柔肌の熱い血潮に触れてもみないで寂しくないのですか。滔々と道学を語っている、あなた。註誰もが知る作者の代表作で、日本の近代文学を切り拓いた傑作の一つ。人口に膾炙している。良家の娘の方から男を誘う。現代ですらあまりないことのように思うが、ましてや男尊女卑の当時にあっては驚天動地の大胆不敵な表現だった。道を説く君:のちに夫となる与謝野寛(鉄幹)。短歌結社「明星」を主宰する歌人であると同時に、今でいう保守派知識人論客のような存在でもあった。当時としては珍しい熱烈な恋愛結婚をした。
2025年04月25日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)くろ髪の千ちすぢの髪のみだれ髪 かつおもひみだれおもひみだるる第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)註かつ:(みだれ髪の)「その上に、さらに」(思いも乱れる)の意味を表わす副詞(または接続詞)。
2025年04月24日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)髪五尺ときなば水にやはらかき少女をとめごころは秘めて放たじ第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)たっぷりと湯に浮く髪のやわらかき乙女ごころは誰にも見せぬ俵万智訳(平成30年・2018)
2025年04月24日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)歌にきけな誰たれ野の花に紅あかき否いなむおもむきあるかな春罪もつ子第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)和歌に聞きなさいな。いったい誰が野の花に向かって紅いことを否む趣意を示しただろうか。だから 春、罪を持つ娘よ。(たくさんの和歌に詠まれているのをお読みなさい。女に生まれて美しくあることは誰も否定しないのだから思うがままに生きるがよい。心に罪を宿した娘よ。)註凝縮された表現のなかなか難解な一首だが、作者の趣意としてはだいたい上記拙訳のような意味か。解釈と鑑賞はめいめいの読者がすればよい。
2025年04月24日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)春三月みつき柱ぢおかぬ琴に音立てぬ触れしそぞろの我が乱れ髪第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)春だというのに三か月も琴柱ことじさえ立てず放りっぱなしの琴に音を立ててしまった。触れたのは、恋の病で気が触れたわたくしの乱れ髪。
2025年04月24日
コメント(0)
与謝野晶子(よさの・あきこ)その子二十はたち 櫛くしに流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)二十歳はたちとはロングヘアーをなびかせて畏おそれを知らぬ春のヴィーナス俵万智訳(平成30年・2018)註与謝野晶子、二十歳の自画像。明治時代の老若男女を瞠目・驚倒させた。俵万智の現代語訳も出色。
2025年04月23日
コメント(0)
The BeatlesBecause
2025年04月22日
コメント(0)
斉藤和義HAPPY
2025年04月22日
コメント(0)
椎名林檎 青春の瞬きAnother deva. もうひとりの歌姫。 定期的に聴きたくなるので、またもやリンク。
2025年04月22日
コメント(0)
宇多田ヒカル BLUE19年間検索しているが、公式動画は未だにアップロードされていない模様。彼女にとってこの曲は、もしかすると「黒歴史」なのかもしれない。やむなく非公式(不法?)動画にリンクしてご紹介したい。宇多田の隠れ名曲といった意見に賛成。歌詞も、旋律も、編曲(サウンド)も、歌唱も、すべて気魄の塊だ。大きめの音量で聴くといいと思う。初めて聴いたときに衝撃を受けた。確かに、この時期の彼女は煮詰まって、やや「鬱」状態だったのかもしれない。そうした精神の危機を見事に音楽に昇華している。尻切れとんぼであっけなく、投げやりで唐突な終わり方にもある種リアル感がある。この曲を含むアルバム『Ultra Blue ウルトラブルー』に自己のすべてを投入して魂の抜け殻になった、みたいなことを当時本人がインタビューで答えていたのを記憶している。若気と成熟、ポピュラリティと芸術性のあわいでさらにはプライヴェートのごたごたもあいまって天才が苦悩していた時期ならではの名品。
2025年04月22日
コメント(0)
小倉百人一首 十九伊勢(いせ)難波潟なにはがたみじかき蘆あしの節の間も 逢はでこの世をすぐしてよとや古今和歌集 1049難波潟に生えた葦の節と節のようにほんの短い間でもお逢いせずにこの世を終えてしまえというのでしょうか。註難波潟:現・大阪湾の入り江。「芦屋」などの地名を見ても、葦が繁茂していたのだろう。「難波潟みじかき葦の」までが「節の間」(ほんの短い間)を導く序詞。「節」は「臥し」(寝込み)と掛けているともいう。「難波」については、前エントリーを参照。(逢は)で:打消しの助動詞「ず」と接続助詞「て」が接合して約まった助動詞。品詞は助詞説もある。(逢わ)ないで。現代語にも「作者ならではの作品(作者でなくては出来ない作品)」などの形で残る。この世をすぐす:「この夜を過ごす」と「この世(一生)を終える」の意味が掛けてある。また、古語「節(よ)」の掛詞とも見られ「節(ふし)」と縁語。てよ:・・・てしまえ。完了の助動詞「つ」の命令形(の珍しい用例)。「つ」は、能動的・主体的な動作の完了を示す。作者は、平安期の女房(上級貴族に仕えた侍女兼家庭教師のようなもの)で、紫式部や清少納言と同職。多くは中下級貴族の娘で、当時最も教養があった才色兼備の女性層。庶民から見れば彼女たちもお姫さまであり、憧れの的だったことは、昨年の大河ドラマ『光る君へ』を見ても明らか。今でいうなら「女子アナ」みたいなものか
2025年04月22日
コメント(0)
小倉百人一首 二十元良親王(もとよししんのう)わびぬれば今はた同じ 難波なにはなるみをつくしても逢はむとぞ思ふ後撰和歌集 961心底つらく思いわずらってしまったのでもう今さらどうなっても同じこと。難波の海にある澪標みおつくしのようにわれとわが身を尽くしてもあなたに逢おうと思うのだ。註宇多天皇の寵妃である女御・京極御息所(きょうごくのみやすんどころ、藤原褒子・ふじわらのほうし)との不倫の恋が露見し騒動になった際に詠んだ、貴公子の執炎の歌。・・・やっぱり、不倫は文化だったか?わびぬれ(ば):動詞「侘(わ)ぶ」に、完了の助動詞「ぬ」の連体形が付いたもの。「わぶ」は悩み苦しみ思い煩うこと。後世に言う「わびさび(侘び寂び)」よりはだいぶ激しい意味合いだった。悩み込んですっかり煮つまってしまったので。今はた同じ:解釈が難しい凝縮された表現だが、「今さらまたどうなっても同じことだ」「こうなれば生きていても滅んでも同じことだ」などの含意と思われる。「はた」は「また」とほぼ同義だが、より強いニュアンスがある。ここでいわば句点(。 )が付き、2句切れ。難波なには:大阪付近の古名。「なんば」とも読む。「難」の字を嫌ってだろう、後世「浪花」「浪速」の字を当てた。cf.)「浪花節、浪曲」。みをつくし:「澪漂(みをつくし)」と「身を尽くし」の掛詞(かけことば)。澪漂は、岸に近い海に杭(くい)を並べて立て航路を示した標識で、船が往来するときの目印にした。語源は「澪(みを)つ串(くし)」(「つ」は上代の格助詞で、「の」と同じ意味)。遠浅の難波(大阪湾)のものは古来有名で、現在、大阪市の市章になっている。「澪(みを)」は「水(み)尾(を)」が語源で、(船が安全に航行できる)「水路、水脈」の意味。「身を尽くし」は「身を終わらせる、滅ぼす」「命を尽くす」の意味。
2025年04月21日
コメント(0)
小倉百人一首 二十一素性(そせい) 今来こむといひしばかりに 長月の有明の月を待ち出でつるかな古今和歌集 691すぐ行くよとあなたが言ったばかりに秋の夜長の長月の有明の月が出るまで待ち明かしたのですわ。註来こむ:古語動詞「来(く)」の連用形に意思の助動詞「む」の終止形が付いたもの。「行くよ」。「来」が文脈によっては「行く」の意味になるのは、英単語「come」と似ている。長月:太陰暦の九月(現行太陽暦のほぼ10月に当たる)。「夜長月」が語源とされる。有明の月:満月以降の月。夜更けになってやっと出て、朝になってもまだ空にある。寂寥として、ある種の空漠な感じも漂う。待ち出でつる:「待っていて出会った」の意味と解釈されている。この意味で読めば、結局は逢えたということかもしれない。が、定かではない。和歌では、散文的な意味の正確さはさほど重視されない。つる:能動的な動作の完了を示す助動詞「つ」の連体形。作者は男性の僧侶だが、この歌では女性の身になって詠んでいる。対面の口頭でか、玉梓の使いの伝言でか、すぐに行くから待っていてくれよと言われたのに、延々と待ちぼうけを食らわされた寂しさと悔しさ。なかなか上らない有明の月と、なかなか来ない男が二重写しになっている。・・・この記事を書いている4月21日朝現在も、季節は違えど南の空に下弦の有明の月がぽっかりと浮かんでいる。
2025年04月21日
コメント(0)
小倉百人一首 二十二文屋康秀(ふんやのやすひで)吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ古今和歌集 249 吹けばたちまち秋の草木が萎しおれてゆくのでなるほど山風をあらしというのだろう。註吹くからに:吹けばすなわち。吹くやいなや。吹くそばから。むべ:なるほど。動詞「うべなう(肯う、諾う)」(肯定する)の語幹と同語源。「嵐」と「荒らし」の掛詞(かけことば)や、「山風」と「嵐」の文字の遊びになっており、ちょっととぼけた味のある歌。天下の美女・小野小町とも親交が深かった洒脱な才人の一首。
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十三大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193 あの月を見ていると限りなく思いが溢れてきてたまらなく切ないなあ。私ひとりのために来た秋ではないのだけれど。註平安朝の知識人・学者だった大江千里の、やや理屈っぽい持ち味が出ている秀歌。月を見て一献傾けて、さまざまな物思いに耽ってうるうるしている自分のセンチメンタルな主観を、もう一人の冷静で客観的な自分が批評して(茶化して、 あるいは照れて)いるような歌。・・・「ひとりボケとツッコミ」みたいな(?)また、言外に「わが身ひとつの秋である」と言っているも同然とも解される、一種の恍惚・多幸感・エクスタシー。月は古来、なぜか知らねどこういった感覚を僕たちにもたらすのである。こういった、明らかに読み取れる(頭の中だけで作った)観念性は、日本の伝統的な詩歌では概して好まれず、けなす人はぼろくそにけなす。ほかのエントリーでも書いたが、明治期の巨人・正岡子規はその筆頭である。俳句の方では、完全にアウトである。子規子は、ひと言で言えば「和歌」を「短歌」に革(か)えた人である。写生・写実(リアリズム)を短歌表現に導入した。その影響は深く現代に及んでおり、不詳わたくしめもその主張を基本的には正しいと思っている一人である。だが、今の目で見直すと、この一首の持つ軽やかな観念性・精神性・論理性は、180°転回して嫌味ではなく、むしろ近代的な感性の秀歌と評してもいいのではないだろうか。「こそ・・・けれ」は、強調の係り結び。
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十四菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき神のまにまに古今和歌集 420この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。神社の秋の祭礼における「初穂」(その年の初めての稲の収穫を奉納するもの)もこの類い。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。
2025年04月20日
コメント(0)
Bialystocks 花束
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十五藤原定方(ふじわらのさだかた、三条右大臣さんじょうのうだいじん) 名にし負おはば逢坂山あふさかやまのさねかづら 人に知られでくるよしもがな後撰和歌集 701(「逢う坂」と「さ寝」という)その名の通りであるならば逢坂山のさねかずらの蔓を手繰り寄せるように人に知られずこっそりとあなたを連れて来るすべがあればなあ。註名にし負はば:その名を負っているのなら。その名に背かないのなら。「負は(ば)」は未然形で、仮定の意味になる。逢坂山:現・滋賀県大津市逢坂付近の山。東海道と東山道(のちの中山道)の関所が置かれた。山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の国境(くにざかい)で、古来、交通の要衝だった。さねかづら(サネカズラ):マツブサ科の常緑つる性の木。「さね」の語源は「実」だろうが、ここでは「さ寝」(共寝すること)と掛けている。また、蔓がからみつくイメージも念頭にあるか。(知られ)で:打消しの助動詞「ず」と接続助詞「て」が接合して約まった助動詞。品詞は助詞説もある。(知られ)ない状態で。現代語にも「作者ならではの作品(作者でなくては出来ない作品)」などの形で残る。くる:「繰る」(手繰る)と「来る」を掛けている。動詞「繰る」は、現代でも「ページを繰る」などと使う。現代語「手繰る」は、「手(た)」+「助(す)く」=「助(たす)く・助ける」や、「手(た)」+「向(む)く」=「手向(たむ)く・手向ける」などと同様の語構造。なお、この「来る」の主語を作者(男)と見れば、「行く」の意味とも取れる。文脈によって「来る」が「行く」の意味になることは、和歌では珍しくない。英語「come」と似ている。よしもがな:由(手段、方法、術・すべ)があればいいのになあ。「もがな」は、願望・希求を示す古語の終助詞で、和歌・短歌では後世でも用いられた。奈良・万葉時代は「もがも」。
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十六藤原忠平(ふじわらのただひら、貞信公ていしんこう)小倉山をぐらやま峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ拾遺しゅうい和歌集 1128小倉山の峰を彩る紅葉よもし心があるならば色あせることなく今ひとたびの帝みかどの行幸みゆきを待ってほしい。註小倉山:現・京都市右京区嵯峨亀ノ尾町の名所。その麓の別邸で、藤原定家が小倉百人一首を編んだ。みゆき:醍醐天皇の行幸。(待た)なむ:密かに相手に誂(あつら)える(頼んで自分の思うようにさせる)意をあらわす終助詞。・・・してほしい。してくれたらなあ。
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十七藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ新古今和歌集 996瓶原に湧いて、分けて流れる泉川。いつ見たというのか(逢ったことがあるのかどうかもよく覚えていない)その人がなぜこんなにも恋しいのだろう。註きわめて微妙な恋心の心理が詠まれているが、けっこうリアルなところを突いている佳品。何となく皆、思い当たる節があるのではないか。技巧的な一首だが、とにかく結句「恋しかるらむ」の調べにしびれる。瓶原:山城国相良郡(現・京都府木津川市加茂町)付近。甕原。「みか」と「見き」の音韻が掛けてある。わきて:「(水が)涌き出て」と「(野を)分けて」の両義が掛けてある。「分き」は、古語動詞「分く」の連用形。「(とて)か」:この疑問の「か」が「いつみき」と「恋しかるらむ」の両方に掛かっており、全体として疑問形。「いづみ(泉)」と「いつ見き」が掛けてあり、「いづみ川」までが序詞(じょことば)の構成。当時は濁点表記がなかった。発音も濁っていたのかどうかは微妙なところ。
2025年04月20日
コメント(0)
小倉百人一首 二十八源宗于(みなもとのむねゆき)山里は冬ぞさびしさまさりける ひとめも草もかれぬと思へば古今和歌集 315 山里は冬こそ寂しさがまさるなあ。訪れる人も絶え草も枯れてしまうことを思えば。註「(冬)ぞ・・・(まさり)ける」:強調・詠嘆の係り結び。「ける」は連体形。ここでいったん切れる三句切れ。ひとめ:「人目」から転じて、人の行き来、往来。かれ:古語動詞(人の行き来が)「離(か)る」(離れる)と(草が)「枯る」(枯れる)を掛けている。「離(か)る」は「あくがる(憧れる)」に残滓的痕跡。「(魂が対象に向かって抜け出て)離れる」が原義。
2025年04月20日
コメント(0)
Pink FroydRun Like Hell
2025年04月20日
コメント(0)
Angèle Oui ou Nonうわ~なにこれパリコレ、すごいなこのMV。ここまでやっちゃう!?僕は個人的にエクスクラメーション(びっくり)マークが好きじゃないのであんまり使わないが、これは使わざるを得ないわ。けっこうショックを受ける人もいるかもしれないので、要注意です。映画などで昔から、おしゃれでエスプリが利いてるけれども日本人が生理的に受け付けないといわれるおフランス流のどぎついコメディ感覚がほとばしっちゃってる。アンジェル本人は、ものすごくかわいい歌姫アイドルですね
2025年04月19日
コメント(0)
Angèle A Little MoreA SPLENDID STORY OF CHANCECHANEL結婚前に、妻にシャネルの香水をプレゼントしようと言ったらいらない、匂いが強すぎるからと断られた(苦笑)ある意味、いい思い出である
2025年04月19日
コメント(0)
小倉百人一首 二十九凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)心あてに折らばや折らむ 初霜の置きまどはせる白菊の花古今和歌集 277 当てずっぽうに折るならば手折ってみようか。初霜が降りて目を惑わせる真っ白な菊の花。註心あてに:当て推量で。初霜の置き:現代語では霜や露が「降りる」というが、古くは「置く」と言った。よっぽど目が悪いのならいざ知らず、霜と白菊の花の見分けがつかないなんて、いくらなんでもそんなワケね~だろうと思うし、当時の人でさえそう思ったことだろう。この歌は、半ばジョークというか、「白髪三千丈」式のほら話的な感覚で詠まれた、遊び心の歌なのだろうと思われる。これも一種の風流といえるだろう。今の目で見ると、発想のユニークさとユーモアが感じられる。・・・が、まさにそこらへんのところを突いて、明治の大歌人・俳人だった正岡子規が、名著『歌よみに与ふる書』(明治31年・1898)の中で、空疎な修辞・表現の典型として、この歌をコテンパンに攻撃したことは短歌愛好者には有名で、いわく因縁付きの一首である。確かに、頭の中で考えた感が強いのは否めないだろう。そういう子規自身は、ユーモア溢れる人物ではあったけれども。私としては、子規の主張も分かるし、この歌の洗練されたユーモアも分かる。歴史的に見れば、明治初期までを支配した古今集と新古今集の陋習停滞から和歌を解放し、写実(リアリズム)的な万葉集を再評価・称揚しつつ、近代的な「短歌」を創始した「ルネサンス」のさなかでの、文壇・歌壇的な煽動(アジテーション)だったと捉えられる。この論調の影響力は凄まじく、何ほどか現代短歌・俳句にも及んでいるといえるだろう。優れた批評家でもある俳人・夏井いつき氏が、「映像、映像」(写実)と口を酸っぱくして言っているのも、この流れの中にある評価基準であろう。・・・といったひと悶着があったほど、ユニークな秀歌である
2025年04月19日
コメント(0)
『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)4月17日放送。評者はおなじみ俳人の夏井いつき氏。兼題は「キーホルダー」。梅沢富美男山笑う湯宿のルームキーでかし季語「山笑う」は、春の山が花や新芽によって明るく色づく様子をいう。昔の宿やホテルのルームキーのホルダーは、紛失防止のためか、やたらとでっかかったなあ。ユーモア溢れる一句。kis-My-Ft2キス・マイ・フット・ツー 横尾渉春月にひとり鞄に鍵がない「春月や鞄の中に鍵がない」を夏井氏が微修正。無駄な「の中」を省きつつ、孤独な焦燥感を際立たせた。誰もが身に覚えのある情けない状況を、春のうららの月が照らしていた。千原ジュニアぶらんこはよやくだれかのぬいぐるみキーホルダーのぬいぐるみから発想を飛ばした。近所の公園のブランコにぬいぐるみが置かれてあった。さては、誰か女の子がブランコを「予約」したのかなあ。ひらがな表記が子供っぽくてかわいらしい中に、「予約」という大人の概念を持ち込んだ意外性が面白く、作者らしいオリジナリティ。
2025年04月18日
コメント(0)
小倉百人一首 三十壬生忠岑(みぶのただみね)有明ありあけのつれなく見えし別れより あかつきばかり憂うきものはなし古今和歌集 625有明の月がつれなく見えたあの夜明けの別れから今も暁ほど憂鬱なものはない。註招請婚(通い婚)だった平安時代当時、恋する女性にしばらく逢えないでいる男の悲哀を詠んだ。「有明のつれなく見えし別れ」は、字義通り読めば「有明の月が冷淡そうに見えた後朝(きぬぎぬ)の別れ」という意味だろうが、〔1〕「有明」は女性を象徴しており、女性に冷たくされた(平たくいえば「フラれた」)という説と、そうではなく、〔2〕女性と作者(作中主体)は今も好き合っているのだが(「つれない」のは月だけ)、何らかの事情や、いわゆる「生さぬ仲」で逢えないでいるという、微妙な解釈の違いがある。一般的には〔1〕の説が優勢と思うが、小倉百人一首の撰者・藤原定家は〔2〕のような解釈を採った上で、艶なる趣があると評価している。和歌では古来、正確な意味がはっきりしない例は多く、解釈で左右されることが珍しくない。作者自身が、初めから表現の多義性を意識し、意図していたと思われる例もある。そうしたこともあって、冷泉家(藤原定家の末裔)のような歌の名家が、いわば「解釈権」を独占して権威を高めた面もあった。和歌では散文的・論理的な意味より、「調べ」(音韻の美しさや音楽性)を重視した。それは現代短歌においても滅びていない感性といえる。有明ありあけ:明け方になっても空にある月。陰暦十六夜(いざよい)以降の月。つれなし:すげない。そっけない。冷ややかだ。ほぼ原義のまま現代語「つれない」に残る。これが有明の月だけの描写か、相手の女性の態度も掛けているのかは、古来解釈の違いがある。・・・どの歌だったか思い出せないが、「つれないそぶり」なんて、確かサザンの歌詞にもあったよね
2025年04月18日
コメント(0)
小倉百人一首 三十一坂上是則(さかのうえのこれのり)朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪古今和歌集 332 ほのかに夜が明けそめる頃有明の月が照っていると見まごうほどに明るく吉野の里に降り積もっている白雪。註有明の月:旧暦の毎月十六夜(いざよい)以降の、明け方の空に残っている月。
2025年04月18日
コメント(0)
小倉百人一首 三十二春道列樹(はるみちのつらき)山川やまがはに風のかけたる柵しがらみは 流れもあへぬ紅葉もみぢなりけり古今和歌集 303 深山の川に風がかけたしがらみは流れようとしても流れずにとどこおった紅葉だったなあ。註山川:「やまがわ」と濁る。「やまかわ」と濁らない場合は、「山と川」の並列の意味。柵(しがらみ):水流をせき止めるために、川の中に杭(くい)を打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけた柵(さく)。人がかけるものである柵しがらみを「風がかけた」と見立てた趣向に面白みがある、典型的な古今調の一首。
2025年04月18日
コメント(0)
Ambre Cielthe sun, the sky読み方不明。何者か不詳。とりあえずフランス語読みをしてみる。琥珀色(褐色)の空。世界の音楽シーンに、超大型新人登場か。宇多田ヒカルがデビューした時の新鮮な衝撃を思い出した。
2025年04月18日
コメント(0)
YuufIn The SunLive in Surrey Hills
2025年04月17日
コメント(0)
羊文学くだらない
2025年04月17日
コメント(0)
斉藤和義ずっと好きだった歌詞には「この街」としか出てこないが、何を隠そう当地・栃木県宇都宮市が舞台になっている名曲。山下達郎『さよなら夏の日』の「としまえん」プールとともにある場所の記憶が音楽に昇華された双璧じゃないかと思う。聴くたびに、僕も青春時代を過ごした東武宇都宮駅近くのオリオン通りの当時の光景が脳裏に浮かんできて、そこはかとなくうれしくなってしまう。今、サッポロ一番のコマーシャルで流れてるのも、いとをかし □ バカリズム みそラーメンヴァージョン□ 芳根京子 塩らーめんヴァージョン その関連で、さまぁ~ず「袋麺食べ比べ」 動画。長いのかな~と思ったら、面白くて全然長くなかった。このシリーズのほかの動画も楽しい。
2025年04月17日
コメント(0)
□ 吉高由里子×宮沢氷魚 CM『リッチクリーンTeeは、まちがいない服。海の見える部屋篇』 GLOBAL WORK大河主役の大役で燃え尽きたとか嘯いていた由里子さまだったが女優魂が疼いたか、ぼちぼち活動を再開した模様。めっちゃうれしい、めちゃすてき
2025年04月17日
コメント(0)
![]()
小倉百人一首 三十三紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ古今和歌集 84大空の光ものどかな春の日になぜ落ち着きもなく桜の花は散るのだろう。註ひさかたの:「天(あめ・あま)、空」にかかる枕詞(まくらことば)。転じて「日、月、雨、雲、光、星、夜」など天象に関わる語に冠し、さらに「都、鏡」などにかかる。語源は「久堅」または「久方」とされる。下二句は、「など」(なぜ、どうして)、「などてか知らねど」(なぜかは知らないが)などの疑問語が省略された形と解され、これを補って読むのが定説。しづ心:穏やかな心。静謐な、落ち着いた心。* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2025年04月17日
コメント(0)
小倉百人一首 三十四藤原興風(ふじわらのおきかぜ) 誰をかも知る人にせむ 高砂たかさごの松も昔の友ならなくに古今和歌集 909(今では親しい友はみな世を去り、私だけが取り残されて)いったい誰を知己にすればいいのだろう。(長寿だという)高砂の松も(人にはあらず)昔の友ではないのだよなあ。註知る人:親しい友人、知己(ちき)。高砂たかさご:播磨国加古郡高砂(現・兵庫県高砂市)の浜辺(現・高砂海浜公園)。古くより松の名所で知られる歌枕の地。同地・高砂神社の「相生あいおいの松」も有名。なくに:和歌に多く用いられ、否定の詠嘆を示す。従来の文法的解釈としては、打消しの助動詞「ず」の古い未然形「な」に、語を名詞(体言)化する接尾語「く」と接続助詞「に」が付いたものとされており、古語辞典でもこの解釈で載っているものが多い。が、近年では、「ず」の連体形「ぬ」に、上古に存在したと推定される形式名詞「あく」が接続して約つづまったものとされ、現在ではこちらの説が有力になっている(「ク語法」の統一的説明)。この説に従えば、この「く」は「いはく(曰く、言わく)」「のたまはく」や「思はく(「思惑」は当て字)」「老いらく(の恋)」などの造語成分と共通であると、統一的に説明できる。例えば「老いらく(老ゆらく)」は「老いる(老ゆる)+あく」である。
2025年04月17日
コメント(0)

小倉百人一首 三十五紀貫之(きのつらゆき)人はいさ心も知らず ふるさとは花ぞ昔の香かににほひける古今和歌集 42人は、さあ、心も分からないがあなたが住んでいるこの里では梅の花が昔のままの香りで照り映えているなあ。註いさ:否定のニュアンスを持つ古語副詞(感動詞)。さあ。さてどうだろうか。「いざさらば」「いざ鎌倉」などの「いざ」とは別語だが、混同されて「いざ知らず」という語になって残った。ふるさと:この場合は、現代語でいう「故郷(郷里)」ではなく、昔なじみの(女性が住んでいる)里。「(花)ぞ・・・(にほひ)ける」は強調の係り結び。『古今和歌集』編者による名歌。この「花」が梅であることは、作者自らが古今集の詞(ことば)書きで明示している。
2025年04月17日
コメント(0)
全113件 (113件中 1-50件目)
![]()
![]()
