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人の死後の事務処理の大変さをひしひしと感じた10日間。8月19日、継母95歳が入院ている老地元の病院へ見舞いと6月老人ホーム入所以来放置された実家の片付けに帰省した。待っていたかのように、翌朝危篤状態に陥り、病院に駆けつけて2時間ほどで臨終。葬儀場及び葬儀時間の決定、血縁への連絡。通夜までの時間を縫って市役所への各種届け出をさませた。式服わを持ったかみさんを次女夫妻が車でおくってくれて、お通夜、葬儀。葬儀後、3女と弟、妹夫妻と共に実家に帰り本来の目的、家の中の片付け冷凍庫と冷蔵庫の中身と燃えるゴミを車に積んで近くのゴミステーションに運んだ。ここで かみさん以外は3女の車で新幹線駅へかみさんと私は翌朝、実家のゴミを、詰めるだけ車に積んで出発、高速道路を9時間走って帰宅した。【市役所手続き】8/20⭕️緊急連絡機器返納⭕️年金受給停止⭕️健康保険・介護保険資格喪失届⭕️その他保険証返納⭕️埋葬料の請求書⭕️タクシ券バス券返還 ⭕️固定資産税前納★放送機器返納まだ★健康保険葬祭費請求書 要葬儀領収書【各種契約の解約】8/20⭕️ガス解約済8/20⭕️配薬品 解約済帰宅後の土日は静養、月曜日から実家の電気、水道等の契約解約と変更手続きが始まった。8/25⭕️葬儀社費用振込済8/26⭕️NTT電話解約済8/27⭕️傷害保険電話解約済8/27⭕️★恩給停止総務省済【名義変更】⭕️★水道名義変更8/27用紙の送付依頼中⭕️★中国電力名義変更8/28届け出用紙依頼中前々から少し調べていたのだが継母に死後のことを話しかけるのがためらわれて遺言書も作らなかった。預貯金の確認、見つからない通帳もありともかく大変なのだ。四十九日までに終わらせたいと思っているのだがどうなることだろうか、
2025/08/30
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継母の死去に伴う届け出のあれこれを、今日も朝からやっている。実家のある役場には通夜の日の午前中、保険証関連の返納と書類提出した。葬儀から帰って家の電気、水道、傷害保険の手続き等たくさんあって、いつ果てるやら、ため息が出る。それでも夕方には打ち切ってビール片手にテレビを見ている。風呂に入ろうと脱衣所に行ったら窓にヤモリを発見!前回は7月20日だったから1か月ぶりか。爬虫類ではあるがヤマリを見るとホッとするのだ。明日も届け出書類と格闘するかと思うとゲンナリ。そんな爺をヤモリが励ましてくれているのかも知れない。
2025/08/27
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8月9日継母がショートステイしている老人ホームから「おかあさまが苦しんでいるので救急を呼び〇〇病院に搬送しました」と電話があった。8月10日(日)朝、当直医から「腎臓の調子が悪く小水が出ない状態で長くはもたない」継母の弟、実の息子、実の娘に電話連絡した。8月11日、継母の孫娘から「連絡しておいた面々がそろって面会してきた、なんとか話も出来た」8月12日、主治医から「今回はかなり悪い、前回の入院時はすぐに戻った数値が戻らない、覚悟した方がよい」盆休み明けを待って車で帰省すると伝えた。8月19日早朝、車を運転してひとりで帰省することにした、片道580km。100km毎に休憩して、午後3時実家に着いた。すぐに病院に電話して明朝10時訪問と決めた。ご近所に帰省の挨拶を済ませ、夕方まで実家屋内のゴミを「岡崎市の可燃ゴミ袋」に詰めた。近くの道の駅で夕食を済ませ早目に床についたがなかなか眠れない。翌朝6時半携帯が鳴った。「容体急変、すぐに来てください」7時過ぎ到着、継母に会った、呼吸が荒い。主治医が、そばに来てくれた。「この呼吸だともって10時間」大部屋から個室に移してもらった。個室申請書を書き終えて継母をみると呼吸が弱い、手を握り呼びかける、頬をふれると同時にこっと息を吸ったような病室のドアを開けると当直医「呼吸止まってます、脈ありません、瞳孔開いてます」「9時20分ご臨終です」さあどうする継母の肉親、わが家のかみさんに連絡、葬儀場をどこにするか決めなくては、、、兼ねて何かの時は実家の近くでと思っていたが交通の便の良い「新岩国駅」の近くの葬儀場に決めて、電話で申し込み、空いていると見えて、すぐに迎えの車を手配してくれた。11時、遺体は病院から運び出された。病院に挨拶、患者の荷物を引き取り葬儀社へ直行。葬儀社で「家族葬」その内容、お寺は実家の檀那寺、通夜(翌日)と葬儀(翌々日)の時間を決めた。このことを関係者に携帯電話連絡。その夜は実家に帰り片付けの続き、早目に寝た。夜中、継母の弟に通夜葬式の時間を連絡したかどうか気になった。携帯の履歴を見た、朝の連絡はあったが、午後の履歴はない。眠れないまま、あさ8時を待って電話した。その後、8時半、市役所支所に行って届け出を済ませた。★◎緊急連絡機器返納★◎年金受給停止 ★◎年金8月分申請書★◎健康保険・介護保険資格喪失届★その他保険証返納★健康保険被保険葬祭費請求書★埋葬料の請求書★◎タクシー券バス券返還 ★固定資産税3期4期分前納11時、継母の貯金通帳から葬儀費用を下ろしておこうと郵便局に行った。局長に挨拶したら すでに継母の訃報は伝わっていた。通帳から葬儀等の費用として下ろして置きたいと言ったら、それは出来ないと言う。ゆうちょカードであれば下ろせたのだが通帳からでは下ろせないのだそうだ。葬儀費用の領収書があれば、その範囲ないでおろせるのだそうだが、急場には間に合わない。グズグスできないから次はガス屋に行き、たまっていたつけを払い、ガスを解約してもらった。ついで、老人ホームに立ち寄り挨拶、継母の荷物をうけ取り車に積んで実家て降ろした。午後になったので、葬儀場近くのレストランで少し遅い昼食、コーヒーでひと息ついてかいじょうへ。オシャレだった継母の葬儀を少し晴れやかにしようかと花輪の追加など細かい打ち合わせをしているところに次女のむこ殿の運転で かみさんが到着そうこうするうち、妹夫妻が新幹線で到着。弟は通夜に間に合わず葬儀には駆けつけるとのこと。継母の関係者が揃った頃にはつやが始まり、来客が帰り、妹夫妻とわれわれ夫婦が通夜のばで泊まった。22日(金)10時かろ葬儀、斎場と続き、午後3時くらいに実家、仏壇の前に祭壇をしつらえた。弟たちは墓参りに行ったが、私は家の中で探し物と、当初の予定だった冷蔵庫と冷蔵庫の中身を岡崎市に持ち帰るためごみ袋に詰めた。その間、かみさんと3女が部屋のゴミを袋詰め。ひと通り袋に詰め終わったら、あまりの量にびっくり冷凍庫の中身と可燃ゴミを地区の焼却場に運ぶことを思いついたのだが、時間は午後3時50分。慌てて電話してみたのだが、4時までしか受け付けられませんとの返事、そこをなんとかと頼み込んで、なんとか受け付けてくれることになった。大急ぎで私の車に冷凍食品ほか乗るだけ積んで、3女を助手に出かけたら、4時15分くらいに到着、計量の女性と収集車の男性の2人が待っていてくれて、なんとか処理できた。3女の車で私のおとうとお妹夫妻を新幹線の駅に送ってもらい、私たちは、近くのホテルで一泊。23日(土)朝早く、ご近所に挨拶をして私たち夫婦は車に岡崎市の ごみ袋を満載して高速道路をわが家に向かった。2女夫妻は通夜のあととんぼ返りだったが、3女と孫三太郎は、同じ頃、高速道を名古屋に向かった。途中、かみさんとスマホLINEで連絡を折り合っていたら、新名神「宝塚北SA」できせきてきに一緒になった。思いがけぬ怒涛の日々だったが無事わが家にたどり着き、次女の家で孫一に面倒をみてもらった「タイガ」にも久しぶりに会えた。やれやれヤレヤレまだまだしばらくは継母の後片付けは続く本当にヤレヤレだなあ
2025/08/25
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昨日連絡があり、今朝から孫二姫を預かっている。ジジと話していてわからない言葉はスマホで検索しているスマホの扱いは慣れたもの、LINEもやっている小学校2年生から学校で英語の時間があるそうだでもTシャツの英文は読めないらしいGoogleレンズで翻訳そのうち「e-スポーツ」を始めるかも知れない。二姫を預けて次女夫妻は名古屋市の野球場に出かけて行った。孫一の野球試合応援だという高2の孫一は5月、受験勉強に力を入れるため軟式野球部を退部した。ところが、退部者が多くて部活動が出来なくなってしまった7月から9月の期間だけ「復部」してくれと頼まれて心やさしい(優柔不断な)元部員数名が復部した。そして今日「愛知県新人体育大会軟式野球地区大会」に出場次女とのLINEそして孫一とのLINEあれれ このまま2年次中、部活やると言いそうな気配10月からは活躍の場をブンブの「文」に切り替える決意を忘れないでおくれ。そう言うジジは高3の夏高校野球山口県大会の応援団の一員だった昭和39(1964)年7月26日の試合は延長戦にもつれ込んだこのまま勝ち進んで甲子園なんてことになったら野球部は東京六大学に推薦で入れるが応援団は全員 一浪だななんてドキドキハラハラ負けた時は悔しさよりほっとしたのを覚えている。それでも燃えよ 孫一
2025/08/17
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盆休みに沖縄旅行中の3女一家。初日、2日は宮古島。台風の影響で波高しだけど湾内もあるみたい今日は本島で「ジャングリア」開門前の行列おおいに楽しんでいるようだ3泊4日明日は帰ってくるそうだ。ジジババは どこにも出かけなかった。
2025/08/15
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70年代の映画「砂の器」ストーリーは まるで覚えてないのだが山陰の海辺を歩く親子の「ほいと(乞食)」の姿だけは 頭から離れないまま半世紀あの場面だけは もう一度見たいと思っていたのだがビデオを探すほどではなく今日まで来た。それをYouTubeで見つけた!長い正味約2時間半、コマーシャルが何回も入って結局3時間超2時間過ぎついに山陰出雲地方を放浪する父親と息子親はハンセン病を患っている。ハンセン病が強力な伝染病と認識された時代感染者は強制的に瀬戸内海の療養所に隔離されたハンセン病の伝染力は弱いと認定されたのはつい最近のことこれは源作を読まなければおさまらない。
2025/08/11
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暑くてウォーキングも とんとご無沙汰そうすると 3大成人病(高血圧・糖尿病・高コレステロール)が気になる爺朝夕の散歩だけでも頑張ろうとしているのだがこれだけではダメなんじゃないかと心配になるYouTubeを観ていて「インターバル速歩」というのに出会った。3分間息が上がる程度に早歩きをして3分間ゆっくり歩くこれをワンセットとして1日5セットこれを週4回やるのだという3分間を5分にして3セットでもも良い1日2回に分けても良い1日合計15分の早歩きをすれば良い一昨日やってみた5分早歩き、5分ゆっくり歩きいつもの散歩より汗をかいた。昨日は3分早歩き、3分ゆっくりこちらの方が効き目を感じたのは変かなともあれ、今までの散歩より足腰を鍛える効果がおりそうだから 当分続けてみよう。爺が今年の初めくらいから続けているものに「酒は最初の1杯目を30分かけて飲む」というのがある元気なつもりでも79歳そろそろ酒はやめても良いかもしれないのだがやめられないこんな爺が NHKの「トリセツ」お酒とのつきあい方 を観て最初の1杯目の酒を30分かけて飲むと飲み過ぎが防げることを知ったさっそくやってみたら 酒1合(ビールは500ml)で納まるようになったもちろん たまには酒の2杯目もあるのだが2杯目はほぼ 炭酸水にポッカレモンで終わるおかげで あと5年は酒を続けられそうな気がしてきた。少しの酒は百薬の長
2025/08/10
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ネットオークションで手に入れた江戸末期か明治初年の写本「大久保武蔵鐙」 全二十五巻筆書きだからこのままでは読めないが幸い、大正2年発行の活字本が手元にある。『大久保武蔵鐙』は、作者不明の江戸時代の実録本である。「宇都宮騒動之記」「松前屋五郎兵衛之伝」「彦左衛門功蹟之記」の三部から構成されている。大久保彦左衛門の事績としてあることないこと書かれている。平易な言葉で書かれており、当時の武士や任侠者の心意気、清廉さが描かれているから、庶民の間で広く読まれた。原本は存在せず、数多くの写本が作られ貸し本として広まった。江戸時代の貸本屋の姿今回手に入れたものは箱入りであるが、おそらく貸し本として多くの人が読んだものだろう。貸本屋の印が押されている巻末に落書きもあるこれで落札価格3200円、郵送料1200円久しぶりに良い買い物をしたかも。
2025/08/06
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暑くても朝と夕方だけは散歩をしていたのだが8月に入って朝夕も30℃超えが続いているこんな日に歩くのはアホの極み外に出るのは喫茶店かスーパーへ行く時だけ家にいるとテレビなのだが見たい番組がほとんどない。Amazonプライムで映画を観たりYouTubeをあちこち覗いたりなのだがこれもそろそろ飽きた。8月末には「家康公検定」のテキストが届くのだが今はまだ手元にあるのは過去問題集だけ今日 喫茶店に行くときこの内の1冊を持って行き100問中40問をやった。明日は 家で過去問をやるかな。
2025/08/03
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