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ユニバーサル社会の実現をめざすシンポジウムが3月24日 ホテルニューオータニ東京で行われる。社会福祉法人プロップ・ステーションと読売新聞東京本社がシンポジウム共同で開催する運びとなった。ユニバーサル社会の実現をめざすシンポジウムにとても興味があるので私は東京に行くことになりました。ダイナー・コーエンの講演にも興味がありますが、何よりも興味があるのは弁護士 大平光代さん。私は彼女の漫画を描くことも今年の目標のひとつ。他には防衛大臣 石破氏、浜四津敏子氏、富士電器ホールディングス 加藤丈夫氏のパネルディスカッションが見れる。いつからだったろう?私はこうした障害者の将来を考えて日本の各界リーダーの活躍に目をつけるようになった。今は日本は少子高齢社会日本といわれる。子供も高齢者も大事なのはわかるけど、障害者だって「将来」があるのだ。その「将来」に扉をつけてほしい。私は今まで障害者の団体として活動してきたが、多くのくやし涙を見てきた。もう涙は見たくないけど・・・。去年も今年も私は障害者団体の現実というものを嫌というほど見せられた。希望の扉を与えてくれるような日本にしたい。もし、私が耳がきこえていなかったらこんなことはしないだろう。もし、私が耳がきこえていなかったら漫画は描かないだろう。この私の人生に私は感謝してる。「課題」を私に与えてくれた。そうそう、今年は6月の終わり頃にイタリアに行くことになった。親友と一緒にイタリアろう映画祭に行ってきます。親友と一緒、10年前に戻った気分で行ってきます。本当は映画の台本を漫画化にすることもありますが、私は友人とじゃれ合うことが一番ストレス発散になれるので・・・そのつもりで満喫してきます。イタリアで友人と大暴れもいいね。「そらとぶねこ」になりたい、私でした。そうそう、おもろい写真があります。ボケとツッコミ作者:GORO都道府県:神奈川県年齢:32歳作者からひとこと猫「なんでやねん!」そらとぶツッコミ。ひゃはははははははははのはははは!
2008年02月26日
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「人間不信」私はたまに、人間不信になってしまうことがある。いろんな人に会う分、人間不信になってしまうこともある。けれど、乗り越えないといけないんだなぁ、と思うように。つらいものはつらいものである。心に穴があくほど。私は去年、信頼していた友人を失う。(傍にいてくれた二人が一度に)そして更に信頼していた友人に裏切られてしまった。それと入れ替わりに新しい友人の出会いと再会がある。有り得ないことが有り得るのだ。それでも周りの人たちが支えてくれるからこそ、私はいつもと変わりなく時を過ごすけれど、やはりこの傷は癒えない。上を見ていこうと思う自分がいる。許そう。友人を許すことで自分が救われるだろうか?と思うけど・・・いいことばかりではない。私にとって「人生は98%はあまりいいことじゃなくて当たり前」そして「人生の2%はいいことである」。気がつけば私はこの姿勢を変えないようにしてる。心の中では動揺してるが、いつも前向きでいようとしてる。何故かわからないが、私はいつも残された者同士で力を合わして頑張っていくことが多い。それが私の義務かな?と思ったりする。「去る者は去って新しい道を見つける」「残された者は今の姿勢を変えずに耐えていく」私は「残された者」かもしれない。けれど、最近、みんな頑張ってる。私の周りの人たちは笑顔で乗り越えようとしてる。私も頑張らないと。私にとって心の励みは障害児の笑顔だろう。「先生」と私を大声で呼ぶ障害児たち。「生徒」から「仕事のパートナー」になろうとする障害者たち。私の隣で仕事を支えてくれる仲間たち。私を支えてくれるのはこの人たちの笑顔。私は人と人のつながりのパイプになりたい。自分の描いている漫画もある意味、メッセージを伝えるような人間になりたい。「心のメッセージ」が多くの人を救えるなら救いたい。以上、私の愚痴でした・・・。(聞いてくれておおきに。)落ち込んだとき、よく見る大好きな写真があります。これが私の元気になれる写真です。それは「空をとぶ猫」です。そらとぶねこは竹中ナミ(私の師匠)なら、私はそこに座ってるねこやな、と眺めてます。ナミねぇ、見てたら、許してください~
2008年02月23日
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録画してくれた「激痛と闘った妊婦」を見て久しぶりに涙ポロポロ流しました。http://www.ntv.co.jp/gyoten/oa/080220/02.htmlうううう、私はここまでできないよぉ~私は2日間陣痛と難産に苦しんだ挙句、帝王切開で出産したけどこの人にはかなわない。この人には頭が引き下がる想い!そうや、子供は宝やで!「命」を考えされた1日です。。。母親は子供のためなら死んでもいい!という気持ちですが・・・・。何も考えていない能天気な息子を見て腹が立つのは私だけでしょうか・・・。ううううう~(T_T)
2008年02月20日
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私は「命」って有難いなぁと思うようになったのは15歳のとき。信じられないと思うかも知れないけど、私は意識を戻すため、電気ショックを3回も受けた身。高校1年のとき、子宮筋腫で倒れ、手術を受けて卵巣を片方取ってもらったが、その後はホルモンのバランスがどうもおかしくなった。薬物で自分の身体をコントロールできなかった。15歳って子宮筋腫なんて、想定外だから。(医者も驚いていた)なんとも言えない微熱と薬の強さと痛みにガマンをするのがずっと続くのか、と思った。下腹をおさえる日々がずっと続いた。これが、病気と闘うっていうものか、と思った。学校は3ヶ月も休んでしまい、落第するかもしれない状態だった。そんな中で、限られた時間に勉強をした。「勉強」というものは頑張れば自分を助けてもらえるものだと知ったのは高校1年だった。あんなに沢山休んだのに、テストを受けてその結果で、単位が取れる。そんな中で私は「自信」を付けた。勉強が私を救ってくれる。久しぶりに登校した私は最初、友人はできなかった。「別に、友人を目当てに学校にきてるわけじゃないし」何故か、私は開き治ってしまった。「私」は私で堂々すればいい。肝が座ったかのように「ガハハハ!」と一人で笑うようになったとたん、何故か、似た者同士の友人が沢山寄ってきた。心のどこかで私は「命」に感謝するようになった。ある意味、私は病気をしてよかった、と思うように。これまで私は自分の聴覚障害に疑問を持って「勉強」はしなかったもの、今度は「命」と引き換えに「勉強」をすることの大切さを知った。勉強をすると道が拓くよ、という手段を知った。母は「命が助かっただから、勉強なんかしなくてもいい。高校も中退していいよ」と言ってた。私は思った。じゃあ、勉強すれば、私はこの田舎から離れることができるかもしれない。ひとりの人間として自由になりたい。私の母は厳格な人だった。私を田舎から出すことは絶対認めない。私はその母の言わんばかりのプレッシャーに重く感じていた。母の考えは間違っていない。間違っていないけれど、上から押さえるような母の圧倒に私はいつももがいていた。私は「自由」になりたくて上京したいと考えるのはそこから始まった。田舎者だった私。厳格な母親から自由になりたい為、勉強に励むようになった。(意外な理由やけど・・・)母は私のような子供を生んで泣きたくなるほど苦労をしたんだと思います。それは私が今息子を育てて、今思う。こいつが「私」だったら泣きたくなるのも無理もない。愛されていたんだな、こんな私でも。
2008年02月20日
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ある知人が私のために漫画の原稿のコピーを送って下さった。内密に見せてくれたのでどこの出版社かは名乗らないので御免なさい。今は個人情報とか厳しくなったので・・・しかし、こうして私のために送ってくださることは有難い。ネタに詰まって一時、漫画を描くのをためらったことがあったが、編集者が私を励まそうとしてくれた。私は目を見張った。一枚一枚、「うぉぉおおお!」と声を上げるほどだった。私はずっと眺めていた。小さな絵までタッチが生きてる。他人の漫画を見て感動したのは何年かぶりだろう。「漫画を描きたい」という気持ちが強くなってきた。あとはプロット。そのプロットが完成したら私は画力で勝負だ。「生きるタッチ」を魅せたい。「ラッキーウーマン」プロジェクトを開始して長く経つが、私にとって永遠の作品でありたい。それからもうひとつ・・・・。描いてみたい作品がある。それは「ろうあ者」の視線で描いた作品を漫画化にすることである。少しずつであるが、私は漫画を描くためのエネルギーをつけたい。先週、私は生まれて初めて中学生のとき描いた作品を出した。中学生のとき描いた作品は400ページも及ぶ。内容はイタリアの名門に男女の双子が生まれるが、その名門は女の子が跡継ぎになる伝統がある。男の子は父親であるスパイに引き取られてしまう。その男の子はプロのスパイとして成長する。冷酷な心を持ち、人を殺すことを指導されてきた。成長した兄(レオ)は初めて妹(カタリーナ)に出会う。名門の財産を狙う人たちからレオはカタリーナを守るが、カタリーナはレオの部下スパイに恋し、家を出る。カタリーナは部下スパイと逃げるのに失敗し、部下とともに殺される。これをきっかけにレオは自分の血を呪い、名門の財産を狙う人たちを殺すために生き続けていく。そんな中でレオはカタリーナの元婚約者が結婚したと聞く。カタリーナの仇を討とうとするが、レオは元婚約者の妻に人目惚れしてしまう。そのレオをとりまく複雑な人間模様を私は楽しんでいたみたい(笑)最後はどうなるだろう・・・と妄想しながら漫画を描いていた。この漫画、生きてる間には完成させてみようかな、と思っている。この複雑な人間模様の中でレオは裏切られ、裏切り、恋し、愛し、愛され、、、そういう中で成長していくのが私なりの楽しみだった(笑)レオだけに終わらず、レオの息子、ボオの年代まで続いた。冷酷なレオに対して、ボオは優しい心の持ち主。その親子関係を描くのも楽しみの一つでした。女の子よりも男の子が主人公だと集中できた時は私は「前世は男だったのかしら?」と思うほどでした。(この漫画は私の恥ずかしい漫画なので誰にも見せません、御免なさい)
2008年02月15日
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私は中学生までは漫画を描くということはいわゆる「自己満足」だった。当時、私は生まれつき聴覚障害者だったが、今と違って「きこえないこと」は社会的にオープンではなかった。偏見や差別は当たり前という現実を目の前に私は非行に走った。「自分」が好きになれなかった。普通の小学校、中学校に通った頃の私の心を慰めてくれたのは他ならぬ漫画とマルチーズのマミーだった。漫画を読みあさり、漫画を自分で作ってみたりする企画が大好きだった。時代は変わり、ろうあ者の活躍は目覚しくなってきた。昔と異なり、手話もオープン的になり、今はろうあ者の芸術というものが華やかになってきたと思う。メディアやマスコミを通じ、「ろうあ者」の活躍は目覚しくなっていく。だが、その裏側では大切なものがある。それはろうあ者同士の信頼関係というもの。健聴者に人気があるだけではそのときだけで終わってしまう。ろうあ者は人を見抜く力がある。その表情の裏をろうあ者は誰よりも知っている。だから、ろうあ者と付き合うということは本当に勉強になり、私にとってプラスになるのだ。私にとって恵まれているのは人間のつながりだ。私は学生のとき、東京で過ごしたのでその東京で会った知人はほとんど「ろうあ者の芸術者」が多い。その関係者らと交流を深めることが私にとって「生きがい」なのである。一番親友と言える友人は東京でディレクターとして活躍している。私は彼女と数年ぶりに再会し、更に友人の存在を必然的に感じた。共に同じ立場として生まれ(生まれつきだが、難聴児として普通学校に通う。言葉は綺麗に話せる)、苦しみも分かり合える。今後は彼女を通じ、いろんなろうあ者やメディア、マスコミを通じてネットワークを広げたいと思う。彼女の前では「真の自分」をさらし出すことができる。東京に居た頃の私は手話も使わず、「健聴者と変わらないよ」という態度をとっていた私を彼女は知ってる。そして彼女もそうだった。お互い、ぶつかりながらも信頼を深めていった。久しぶりの「友情」に懐かしさを感じ、更に彼女からの応援にまた頑張れるような気がしました。「類は友を呼ぶ」彼女は私の「太陽」ですわ。そして・・・聾の世界は本当に狭いです。今は東京⇔大阪を繰り返すことで仕事が増えましたが、それなりに楽しんで行くことが大切だと思う。(あとは体力やね)
2008年02月11日
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いきなりだが、英語を習うことになった。あれは13年前。私は「ケント・ギルバート学院」という英語の学院に通っていた。1年間ずっと通い詰めだった。週に2~3回、プライベートレッスンだったので外国の先生の唇や咽喉を触ったり、舌の位置を見せてもらいながらのレッスンだった。そう、私は英会話を習ったあとはアメリカに行くことを考えていた。終わる頃に私は子供が出来てしまった。アメリカに行くことを断念。その子供が今13歳になった。今は中学生になって、落ち着いてきた頃、私の友人が英語を習うことになったと聞いたとき、私も「勉強がしたい」と思ってしまった。というわけで2月から私は毎週英語の教室に通うことになった。13年ぶりの勉強はすご~く楽しかった。学生に戻った気分で英会話を話しながらノートに書く。「勉強っていいもんだ」と実感。息子は小学校1年から英会話教室に通い、今も英語の教室に通っている。隣で呟いたもんだ。「いいなぁ」って・・・・。私の周りには英語ができる友人も多いし、私も外国に行くチャンスはあっても英語が頭に浮かばない。スペルは書けないし、英会話といっても短い言葉ならしゃべれても長い文章だと、??????なので、息子も中学生になったし、パートナーもいるし、もうそろそろ私にも「ご褒美」として勉強をすることにした。頑張って英語を勉強するから、MIKI2004さん(オーストラリアに住んでる元ルームメイト)私の相手になってね♪
2008年02月07日
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