森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

このメルマガ New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2025.08.05
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
人はいつでも、どんな時でも、何かしら考えています。寝ているときでさえ考えています。大人だけでなく、幼い子ども達も考えています。でもそれらの多くは単なる「反射」であって、自分の意思に基づく「思考」とは異なるものです。ですから「いつでも考えているから思考力がある」というわけではありません。

私は毎日ブログを書いていますが、毎回毎回、一生懸命に考えて書いています。ただ「言いたいこと」を言いたいように吐き出すだけなら考える必要はありませんが、ブログを読んで下さっている皆さんに「今知って欲しいこと」を考えたり、「私の考えを分かりやすく伝えるためにはどのようなことをどのように書いたらいいのだろうか」というようなことは、思考力を使ってちゃんと考えないと出来ません。

工作などでも、ただ手当たり次第に切ってつなげるだけだったり、与えられたマニュアル通りに作るだけなら思考力は必要ありません。でも、自分なりの目的を持って、その目的を実現するために頭の中であれこれ試行錯誤しようとするのなら思考力が必要になります。

そして私は、この「頭の中での試行錯誤」こそが「思考力」と呼ばれるものの本体なのではないかと思っています。

子育てなどで悩んでいる人の話を聞いていると、思考がいつも同じ所をクルクル回っているだけです。思考の自動回路が出来てしまっているのです。だから閉塞感があって苦しいのだし、だから、いくら考えても考えても苦しみから抜け出せないのです。

そのような人に「新しい提案」をしても、「でも・・・」という反応が返ってくるばかりで、話が先に進みません。「どうしたらいいんでしょうか?」と聞いてきたのに、「こうしたらいいですよ」と言うと「でも・・・」としか言わないのです。そして自分の頭で考えようとはしないのです。そのような人は、「自分の苦しみ」を知って欲しいだけで、変わるつもりはないのでしょう。

本当に変わりたいのなら、新しい視点で、新しいことにチャレンジする必要があるのです。新しいことを始めるのですから、当然、試行錯誤も必要になります。

1周100mのグラウンドを100回走れば10kmです。でも、10km走っても、ただ円周を走っているだけならいつまで経っても「狭い円の中」です。何十年と死ぬまで走っても「狭い円の中」です。でも、その円から外れて、自分で道を探しながら前に進もうとするなら、同じ時間で、元いたところから10km移動することが出来ます。

思い通りの目的地にたどり着けるかどうかは分かりませんが、その過程で、新しい出会い、新しい発見、新しい学びをすることは出来ます。様々な体験を通して成長することも出来るでしょう。



じゃあ、この「頭の中で色々と試行錯誤する能力」はどのようにして育つのかと言うことですが、そこで必要になるのが「対話」なんです。

幼い子どもはお母さんと対話しながらお母さんの言葉を理解しようとしています。「どう表現すれば、自分が感じたこと、考えたことをお母さんに伝えることが出来るのか」ということも考えます。そうやって、試行錯誤しているのです。

子どもがいつも靴を左右逆に履くのも試行錯誤の結果です。分からないから左右逆に履いているのではないのです。分からないからなら、五分五分で正し履き方になるはずですよね。

テレビやユーチューブのように、自分が言いたいことを、言いたいように一方的に言うだけなら思考力は必要がありません。でも、「相手の言葉」を理解し、相手に自分が感じ、考えたことを伝えようとするのなら思考力が必要になります。自分の勝手な論理ばかりを並べ立てて「はい、論破!」などと言って勝手に話を打ち切ってしまうような人は思考力が低い人です。

子どもの言葉に耳を傾けることが出来ない人も思考力が低い人です。でも、子どもの言葉に耳を傾けることが出来る人の思考力は高いです。「お母さんの言葉」や「友達の言葉」に耳を傾けることが出来る子は思考力が高い子です。鳥の声や風の音にも耳を傾けることが出来る子は思考力が高い子です。

造形などの場では、試行錯誤を通して「素材や道具との対話」、「自分のイメージとの対話」が必要になります。ですから、その対話が出来ない子は造形も苦手です。楽しむことも出来ません。思考力が低い子は自分の頭で考えて作るのが苦手です。(そのくせ「かっこいいもの」を作りたがります。)

ちなみに、難しい算数の計算式を解くことが出来るからといって、思考力が高いわけではありません。コンピュータは問題を解くのが得意ですが、だからといって思考力が高いわけではありません。コンピュータがやっているのは「思考」ではなく「0」と「1」を使った機械的な「演算」だからです。ですから「学校の成績がいいから思考力が高い」と言うことではありません。

思考力が必要になるのは「文章題」の時です。「言葉」を「式」に変換するときに思考力が必要になるのです。でも今、その文章題が苦手な子がいっぱいいます。

また「式」から問題を作るようなときにも思考力は必要になります。人に何かを教えるときにも思考力が必要になります。だから一方的に先生が教えるよりも、子ども同士で教え合った方が子どもの思考力は育つのです。

ちなみに、AIは文章題も解けますが、それはAIも蓄えられたデータを使って試行錯誤をしているからです。でもAIは与えられた問題は解けても、自分自身で「問い」をたてることは出来ません。

それに対して、思考力が高い子は、自分で「問い」を立てることも出来ます。そして「なんで?」「どうして?」と聞いてきます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.08.05 09:18:52
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: