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森の声

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2025.08.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近では、「体操教室」や「スポーツ教室」に通っている子どもは珍しくありません。からだを使って遊ぶことをしなくなった子どもたちの筋力や、体力などを育てようとしているのでしょうか。また、そのような教室は、群れて遊ぶことをしなくなった子どもたちの「仲間作りの場」としても機能しているのでしょう。

それはそれで、現代の子どもたちを取り巻く様々な状況を考えれば必要なことなのかも知れませんが、本来は、9才頃までの子どもたちの育ちにとって必要なのは「体操」や「スポーツ」などではなく「遊び」なんです。

その理由はいくつかありますが、まず、「遊び」の主人公は「子ども」なのに対して、「体操教室」や「スポーツ教室」の主人公は「大人」だということです。

遊びの場では「何をするか」「どうするか」を決めているのは「子ども」です。でも、「体操教室」や「スポーツ教室」でそれらを決めているのは「大人」です。そのような場で子どもに求められているのは、「大人の指示や要求にどれだけ応えることができるのか」「大人が決めたルールをちゃんと守れるか」ということだけです。でもこれは、9才までの子どもたちの成長に必要な能力ではないのです。

また、大人の指示や要求に応えることが出来れば褒められます。褒められれば嬉しいので頑張ります。「自分のために」ではなく「先生や親のために」です。でもその繰り返しで、子どもは「自分が本当にやりたいこと」や「自分の可能性」が分からなくなってしまう恐れもあるのです。

よくスポーツなどの試合で「監督のために頑張ります」と言う選手がいますが、私はあの言葉に違和感を感じます。

「人のために頑張る」というのは、一見「素敵なこと」のように思えますが、でもそれは「自分」というものがしっかりと出来てから言うから意味があるのです。「監督のために」という目的(口実)がないと頑張れないようでは、「自分の人生」を「自分のもの」として生きていくことが困難になってしまうのです。その結果、「会社のため」、「お国のため」、「家族のため」、「子どものため」という生き方しか出来なくなってしまう可能性もあります。

実際、「子どものため」と頑張っているお母さんはいっぱいいます。そしてそれは「すばらしいこと」のように語られています。でも子どもは時期が来たら自立して勝手に出て行ってしまいます。そしてお母さんの心の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまいます。

本当は、そこからお母さんの「自分のための人生」が始まるはずなんですが、「子どものため」だけに頑張ってきたお母さんは、子どもが出て行った後、「自分が何をしたらいいのか」が分からなくなってしまうのです。また、そのように育てられてきた子どもの方も、親から離れても、精神的に自立することが出来ずに新しい依存先を探そうとします。



そして、そのために必要なのが「遊び」なんです。「遊び」は「自分のためのもの」です。他の誰のためのものでもありません。ですから、遊びの場では子どもたち一人一人が主人公です。だからケンカも起きます。でもそれと同時に、「自分がやりたいこと」を実現するために仲間と仲良くしたり、助け合うことも学びます。そうしないと「自分がやりたいこと」を実現できないからです。

また「自分のためのもの」ですから、自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で行動しようとします。そして9才頃までの子どもの育ちで必要なのはそのような「自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で行動する活動」なんです。それが「遊び」というものが子どもの成長に必要な理由でもあるのです。





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Last updated  2025.08.24 08:15:01
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