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今日はモヤシの話をしましょう。一昔前までは、モヤシは大豆から作りました。大豆を日の当たらないところで、発芽させたものです。部屋に閉じこもって外で遊ばないひ弱な子のことをモヤシっ子と言いますね。元は大豆ですから栄養豊富、発芽によって消費される成分もありますが、逆にビタミン類は増えるようです。今は東南アジアやインド原産の緑豆やブラックビーンズに原料が変わってきているようです。でも昔ながらの大豆モヤシが一番蛋白質は多いのです。家の近くにもモヤシ屋さんがありました。昔ながらの製法で作っていましたが、最近の機械化した大手メーカーに太刀打ちできずに廃業してしまいました。モヤシ屋さんの横を通ると独特のモヤシの臭いが漂っていたものですが、・・・。大豆は植物性蛋白質の代表、モヤシ→枝豆→大豆と変わりますが栄養価は同じです。そして、加工食品の納豆、豆腐。まさに日本人の蛋白源です。大豆も収穫が面倒ですが、少し畑で作っています。半分くらいは枝豆でなくなりますが、・・・。植物に光を当てずに、水分と栄養を与えると大体モヤシ化します。光がないとクロロフィル(緑色の色素)が合成されずに白っぽい色で光を求めてひょろひょろと伸びて行きます。山菜採りに行ってもブッシュの中のワラビは長く伸びています。ネギなども土をかけて育てると白い部分が長く延びて大仁田ネギができますし、ウドなども栽培品は土をかぶせて長くします。家の前の庭は牡丹の合間に3月になるとバイモソウが生えて一面バイモの庭になります。今、土を割って芽が出だしました。おや、この黄色いのは何だ隣りの緑色の芽はバイモです。実はこれはバイモのモヤシなのですここに植木鉢が伏せて置いてあったのをどけたらこうなっていたという訳でした。偶然できたバイモのモヤシ。芽を出す頃に植木鉢を伏せて置いておくと他のものでもできるかも知れません。同じ遺伝子を持っていても環境が違うと似ても似つかぬものに育つという例でした。まあ、しばらく置けば日の光を浴びて元に戻るでしょう。駄目ですよ。赤ちゃんに日を当てずに育てて背を高くしようと思ってもビタミンDが活性化されず、病気になりますよ3月には裏庭もバイモの庭になります。写真を追加しましょう。
2007年01月31日
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庭に今クチナシの実がなっています。この実は栗きんとんの色づけなどに使いますが、熟しても実が裂開しないことから口無しと名づけられたそうです。クチナシは7月ころに白い花が咲きます。またオオスカシバという蜂に似た蛾の幼虫が食草としています。この実を見てあるものを思い出しました。家には碁盤が3面あります。厚みは右ほど厚くなりますが、値段は左の方が高くなります。一番左は栢(かや)の3寸盤、真中は桂の4寸盤、一番右は新栢の5寸盤です。左の栢の3寸盤は私が中学2年の時に碁を覚えてから愛用していたもので、目も一度擦り切れて、名古屋のウロコ屋で目盛りしなおしてもらいました。真中は女房の家に伝わっていたもの、一番右は私が骨董屋にだまされて買ったまがい物です。この碁盤は、明治28年生まれの私の父から婿入り道具としてもらってきたものです。父より手ほどきを受けて、ルールを覚えると4子以上は置かしてもらえませんでした。星目(9子)置いても負けるのですが、沢山置くと、上手は無理な手、強引な手を打つからその悪い形を覚えるといけないからと4子以上置かしてくれなかったのです。もちろん負け続けました。2年ほど負け続け、初めて勝ったときの嬉しさは格別でした。最後はその父に2子置かせるくらいになりました。ひっくり返してみると、みんな同じような格好をしています。この足がクチナシの実を形どってあるのです。碁を打っているとき、周りで見ているギャラリーは対局者より冷静でよく手が見えるものです。岡目八目といいます。しかし、打っている対局者にとっては周りからの口出しはとても気になり、邪魔になります。プロはもちろんですが、アマチュアの対局でもギャラリーは黙ってみるのが、マナーです。口無しの実が使ってあるのは、周りのものは口を出すなという意味なのです。それを破ったものは首を切り落として碁盤を逆さまにしてその上に置く。すると真中の窪みが流れる血を受けると言われます。(本当は打った石の響きが良くなるように削ってあるということですが)最近は滅多に碁も打たなくなりました。インターネットで世界中の人と対局できる時代になりましたが、ひまがありません。でもやはりモニター画面で打つよりは、碁盤に向かって静かに打ちたいですね。父は明治28年生まれ、今生きていれば112歳、93歳で亡くなりました。完全に一世代くらいずれていますね。物心ついたときには、第一線を引退しており、お祖父さんという感じでした。父から受け継いだものは、この碁盤と碁好きであるということ。子供たち4人にも囲碁を教えようとしましたが、失敗しました。教え方が厳しすぎたのです。褒めて育てるという教育の基本をそのころまだ知りませんでした。え~い、お前たち勝手に好きなことをやるがいいと諦めました。昔、勝負の世界に生きるプロ棋士に憧れて、プロ棋士になろうかと考えたこともありました。その当時は碁を打つと、全部覚えていて、夜並べなおして反省をし、棋譜をとったりしていましたが、今はその棋譜もほとんど散逸してしまいました。本になって残っているものが少しありますので、紹介しましょう。 昔、昭和51年から年1回日本棋院の中部総本部で全国のアマチュアの強豪が集まって80人づつ東西に分かれて、天下分け目の東西対抗戦が行われていました。これは第7回大会のときの棋譜です。合計で9回出させていただき、5勝4敗という成績でした。それが、アマの碁という本になって残っています。私の青春の足跡のひとつです。
2007年01月30日
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昨日は午前中、看板の取り付けをしてから下の畑へ野菜の取り入れに行きました。それほど広くはありませんが、女房と手伝ってくれる近所のおばさんとで作っています。ブロッコリーが採りごろです。真中の大きい部分を採ります。周りの小さいものはまた大きくなってから採ります。拡大するとひとつひとつが小さな花それが少し開きかけています。カリフラワーはもう少し置いておきましょう。エンドウはまだ花で実はついていません。ミズナも少し採って行こう。さあ、みんな記念写真を撮るから並んで、並んで。白菜、ネギ、ミズナ、ゴボウ、ニンジン、ダイコン、ブロッコリー、春菊。午後は長男のところへ、女房と新しい車で、野菜と蜜柑を持って行きます。4人目の孫が3月に出来る予定です。今は三好スイミングでアルバイトをしていますが、生活は苦しそうです。お嫁さんにも栄養のあるものを食べてもらわないと。今日は三好町の駅伝大会で初めて優勝したそうな。それじゃあ、蒲郡行くからね。孫の誕生を楽しみにしてるからね。風邪を早く治してね。宮古島の練習メニュー作って送ってね。最初は一日30分、週5日くらいでね
2007年01月29日
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今日は竹薮とゴミの不法投棄についてです。うちには竹薮があります。前は3ヶ所ありましたが、1ヶ所は宅地造成でなくなり、2ヶ所になりました。孟宗と破竹と1ヶ所づつあります。ここは孟宗藪です。この道路の右側には溜め池があります。道から降りて真中辺りまでがうちの竹薮です。大お祖母さんが元気だったころはここは蜜柑畑でした。竹薮が隣りの土地から攻めてきて今では本当に竹薮になってしまいました。竹薮は管理をきちんとしていないとどんどん周りに拡がって行き、他の樹は日陰になって枯れてしまいます。竹は節ごとに成長点があり、中空なので、成長が早く一番よく育つ時には一日で1mくらい伸びます。とても他の樹は太刀打ちできず日が当たらなくなって枯れてしまいます。タケノコを取るくらいでは追いつきません。昔は、時々竹を切って畑の支柱や垣根に利用していました。今ではそれが殆どなくなったために、竹の需要と供給のバランスが崩れて、周りに拡がっているのです。まあ、タケノコが採れるのはありがたいことです。孟宗は4月のお祭りの前後1ヶ月くらいが最盛期ですが、1月の終わりくらいからよく探せば掘ることができます。この時期のタケノコはまだ土の中、足で探って見つけます。中はまだ全部つまった状態です。掘ってすぐに薄く切って刺身で食べるか皮ごと焼いて食べます。先日、うちの竹薮を見に行ったら、何と粗大ゴミが道から入ってすぐのところに捨ててありました。扇風機にテレビにエアコンに室内自転車漕ぎにサッシの壊れたものなど、・・・。業者ではなさそうですが、誰かが捨てていったようです。今粗大ゴミもタダでは処分できない時代です。この竹薮は管理が悪そうだからと通りがかりに捨てて行ったようです。地元の人がこんなことをするはずはありません。最近セントレアが出来てあちこちに新興住宅地も出来てきました。女房が怒ってまず、市役所に電話しました。でも道路に落ちていれば、市が処分するが、個人の土地では地主さんの責任で処分して下さいという素っ気無い返事、まるで捨てられる方が悪いという言い方でした。次に警察へ電話すると、すぐに来てくれましたが、一応写真などは撮って行きましたが、重大犯罪の可能性がないと、そこで指紋を採って犯人を探すところまではしてくれませんし、粗大ゴミを引き取ってもくれません。もう一度市役所にかけあったら、注意看板だけはくれました。結局泣く泣く地元の電気店に¥9,000円払って処分を頼みました。まあ、確かに管理が悪かったのも確かです。カーブミラーのところから簡単に入れるのですが、ここから入れないように竹を切って垣根を作ることと、先ほどの看板を取り付けることにしました。昨日の午後は、対抗馬の石田陣営の地元、犬山市で神田さんを励ます会をしました。地元の人も大勢集まってくれました。小牧北インターで降りて、国道41号線を会場まで向かう途中信号待ちで横の中央分離帯を見ると、空き缶やらペットボトルやらが落ちています。ゴミ行政も大事だが、まず個人の意識改革が必要だと思いました。捨てるのは一部の人だけだと思いますが、そういう人に限って自分の車の中は綺麗にしていたりするんですよ。神田さんは教育に対する考え方の石田さんとの違いについて訴えていましたが、自然、環境保護についてしっかり教育して欲しいと思います。私もタイトルにちょっと付け加えました。今日の午前中に看板取り付け作業をしました。女房が考えた脅し文句もつけました。反対側の池の金網にも4ヶ所くらい取り付けました。
2007年01月28日
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昨日は一昨日に続いて、夜竹島ホテルで蕎麦打ち例会があった。竹島ホテルのとなりの市の土地を借りてライオンズで花畑を作っている。春の菜花、夏の向日葵、秋のコスモス以外に薩摩芋と蕎麦を作っている。芋は地元の小学生を呼んで芋掘りをして焼き芋を焼く。隣りの蕎麦は秋に取り入れて、飯田の方で粉にしてもらい、それを使って蕎麦打ち例会をする。講師は停年後趣味が高じてそば打ち道場をしている地元の壁谷哲也さん。蕎麦を延ばして、切るところを解説つきで実演してくれた。例会をしている間に粉を練って纏めてありました。そば粉8:小麦粉2(いわゆる2・8蕎麦)です。この玉で約10人前です。最初は手で丸く延ばしていく。丸出しという。それを麺棒を使って四角に伸ばす。角出しという。それを1.2mmの厚さ(1円玉と同じくらい)になるまで延ばす。拡がりすぎるので、手前の方は巻いてある。延ばした板を何重にも折っていく。この時たっぷり打ち粉(もちろんそば粉)をする。(切ったときに蕎麦どおしがくっつかないように。)それを大きな蕎麦切り包丁(刃渡り33cm)で切って行きます。左手は軽く添えるだけで、押さえないように。ゲストスピーカーで来た市長さんも蕎麦切りに挑戦、私も切らせてもらいましたよ。出来上がった蕎麦をいただきました。他のご馳走もあったので、蕎麦は少しだけです。誰が切ったのか蕎麦が少し細すぎた。蕎麦打ちは何とかできそうですが、・・・。どうせするなら蕎麦は畑で作って、石臼で粉にひいて、やはりそこまでしたくなりますね。そういえば、蔵に石臼があったっけ
2007年01月27日
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一昨日新しい車が来ました。昨日朝通勤で、早速、知多から伊勢湾岸道、東名高速を通って蒲郡まで乗ってみました。私はブレーキを殆ど使わずに、エンジンブレーキを多用するのですが、ちょっとシフトレバーの使い方が変わりました。それとオートクルーズがついているのもよいですね。これですよ。皆さんの反対に会って、オートバイは買ってもらえませんでした。トヨタのRAV4です。山道をしょっちゅう走るので4WD車です。運転席に座るとこんな感じです。車高が高くなったので、ちょっと見晴らしはよくなりました。今は綺麗だけどすぐに汚れます。仕事が終わったら、bokeabさんから電話がかかってきて、ライオンズのゴルフ部会の新年会を竹島ホテルでやっているからと呼ばれました。行ってみたら、もう出来上がってました。三谷温泉の芸者衆も来ていましたよ。二次会で天城越えを歌いながら、盗撮。あなた、殺していいですか~。
2007年01月26日
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今日はロゼットを探しに木枯らしの吹く中を散歩してみましょう。ロゼット(rosette)はばら花結び、円花飾り、薔薇花飾りのことだが、宿根草の冬越しのひとつの形態です。今の時期に外へ出てみると田んぼや畑の土手にはロゼットの花盛りです。あるいは庭の片隅にも見られるかもしれません。これは1月9日の日記に載せた田んぼの土手で見つけた赤と緑のロゼット。これがその中間くらいの色目のもの、これはどうもギシギシのようですね。これは皆さんよくご存知のタンポポのロゼットですよ。答えの花が付いています。これはオニノゲシのロゼットです。夏になると、背よりも高く伸びるゼニアオイも庭の片隅でロゼットになっていました。おっと、こんなところにもロゼットがあったもうひとつおまけにこれも緑とピンクのロゼット
2007年01月25日
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今日の画像は、アロエは悲しいんだアロエの花が咲いていました。金網の中にアロエの本体があって、そこから出た花穂が金網の網目から外に咲いていました。この内側は蒲郡警察署の独身寮。その向こうには留置場もありますよ。捕らえられたアロエが外へ逃げ出して花を咲かせようとしているのかこれを見て井伏鱒二の「山椒魚」を思い出しましたよ。「山椒魚は悲しいんだ」で始まる、穴の中で大きくなって出られなくなった山椒魚の話ですよ私も蒲郡で大きくなりすぎて蒲郡から出られなくなりました。でもアロエは植物だから別に動けなくてもいいか考えてみると、植物は移動できないから、最初によほど暮らすのによい場所を探さなくてはいけませんね。私も蒲郡へ来て20年の間に3回引越ししました。今は駅の近くで名古屋に出るにも便利だし、何より夜飲むところがたくさんあって満足、満足。
2007年01月24日
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昨日は午前中外来で、午後名古屋へ国保審査会に。電子カルテ化の影響で1時過ぎまで外来がかかってしまった。時間がないので、蒲郡駅のコンビニでパンを買って駅のベンチで食べていた。するとハトが来て物欲しそうにうろうろ、そのうちスズメもやって来た。こんな状態になってしまいました。仕方ないので、少しパンを千切って分けてやるとスズメの方が小さい分すばしっこいんですね。さっと寄ってきて食べてしまいます。野生の動物でもスズメやハトは人慣れしていて、すぐに餌があると思うと寄ってきます。用心深い野生の鳥や狸などでも少しづつ慣らして餌付けすることができます。ハトは古い病院のときは窓から餌をやる人がいて、糞公害に悩まされました。新しい病院では窓が簡単に開けられないのでそういうことはなくなりました。猫や犬でもいったん野生化(野良化)するとすごく用心深くなって、餌付けできてもなかなかなつきません。特に野生化2代目以降はそうですね。野生動物を餌付けすることは、生態系のバランスをくずすことになります。野生を失って人に依存するようになったり、異常に繁殖して公害に悩まされたりします。まあ、あまり困らない公園の池などで、渡り鳥に餌をやるくらいはよいのでしょうが、・・・。餌付けできたと思って喜んでいたら、裏切られて、ショックを受ける人もいるようです。小さいころこんな遊びしたことありませんかすずめの子をいぬきが逃がしつる。からすなどもこそ見つくれ。(源氏物語)
2007年01月23日
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今日は、海で採ってきたものの料理編です。その前にヒジキの下ごしらえについて少し書いておきます。採取時期は12月頃から大潮の夜の干潮のときに岩場の先端に行くと付いています。3月くらいまで少しづつ伸びて長くなります。これを小鎌で刈ってきます。素手でもむしりとることは出来ますが、岩に付いている石付きの部分も一緒にとれてきます。その他に小さな海老のような虫がついていたり、他の海藻が混ざっていたりします。大きな鍋で湯を沸かし、そのまま放り込みます。これはキノコの下処理と一緒で、ゴミを取る前に茹でてしまうのがコツです。その方が掃除がしやすいのです。キノコでも茹でこぼす種類のものはゴミを取らずにそのまま放り込みます。これは天神坂のママさんから教わりました。そのまま2~3時間茹でます。長く茹でるほど柔らかくなりますが、このくらい茹でても買ってくるヒジキと比べると歯ごたえがあります。鍋が冷めるまで待って、ゴミを取りながらザルに拡げます。石付きも簡単に指で千切って取ることができます。すぐに食べる分はビニール袋に入れて冷蔵庫に保存します。あとは日陰干しして乾いたら、ビニール袋に入れて常温で保存します。乾燥したものは縮んでいますので、また戻すともとの分量に戻ります。今日は知多の家に久し振りに帰ったら、女房が作って待っててくれましたよヒジキはニンジンとグリンピースと油揚げとともに、このようになりました。海鼠は女房は茶ぶり海鼠(少し柔らかくするために、切ったナマコを熱いお茶にくぐらせる方法)にして、私の造ったポン酢と大根おろしでいただきました。ワカメは味噌汁の中でくつろいでいました。昨日官舎で飼っていたワカメは夜、緑屋さん(普段は弁当屋さんですが、時々御利益会といって私の採ってきたものをつまみにして飲み会を開いてくれます)へ持っていったら、細かくたたいて、長芋のすったものと混ぜて卵とじにしてくれました。これは、私が天神坂で聴いてきたヌルヌルはヌルヌルどおしという原則に適っています。
2007年01月22日
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今日はナマコの調理法について書きます。気持ち悪くなる人はすぐに閉じてね。いいですか~。行きますよ~。ナマコを採ってきたら、海水も汲んできて、このようにしてしばらく生かしておきます。すると、食べていた砂をだいぶん吐き出してくれます。下の方にある砂は全部ナマコの腸からでた○○○ですよ~。芽カブ付きのワカメも飼ってますよ~。マナマコには赤と青と黒があり、黒は身も薄く、黒い汁が出るので採ってきません。左が青、右が赤ですよ。ひっくり返してこれが腹の方です。赤の方は腹が赤いですね。腹には吸盤の付いた短い管足がいっぱいあり、これでいろいろなものにくっつきます。移動の仕方はイモムシ(尺取虫)のような動きをします。時速584cmのスピードだそうです。一日で140mになります。関西では赤が、関東では青が好まれるようです。この辺では赤の方が高いですね。暮れにラグーナのお魚市場で見たときは、5~6匹入って、青が600円、赤が900円もしていましたよ。さてそれではナマコの解体ショーの始まりです。腹の方から割いて内臓を全部出します。中身は殆ど消化管です。まだ大分砂が残ってますね。砂ごと飲み込んで、その中の有機物を栄養として摂っているようです。細い小腸と太い大腸と腸間膜があります。腸はあとで処理しますので、容器に入れてとっておきます。産卵期になると、5~6匹に1匹くらい卵巣や精巣(白子)を持っているものがいる。これは卵巣で少しオレンジがかった色をしています。(精巣は白い)口の方についているので、クチコともいいます。これで作った干物をコノコとかホシコと呼んでいてとても高価です。外側の身は口の固いところとおしりを少し取り除き、薄切りにして、以前作っておいた自家製ポン酢につけます。新鮮なうちはこのままワサビ醤油で食べることもあります。こりこりした食感がしますが、柔らかい方が好きという方はここで、熱いお茶ないし熱湯をくぐらせます。とっておいたナマコの腸はしごいて砂を出します。8匹分で盃にこれくらいしかとれません。腸重量の10~15%の量の塩で漬けます。全量入れずにまず3分の1入れて、少し置いて 出てきた水をあけて残りの塩を入れます。後はときどきかき混ぜながら熟成させて1週間くらいで食べられるようになります。書いている途中で患者さんの急変と検案で呼ばれて載せるのが遅くなりました。ナマコの歌を少し紹介しましょう。生きながらひとつに凍る海鼠かな(芭蕉)安々と海鼠のごとき子を産めり(漱石)このわたに唯ながかりし父の酒(松本たかし)珍味なりコノコ何処の子海鼠の子(ドクター)
2007年01月21日
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今日は海藻の色について書きましょう。海藻には生の状態での色によって、緑藻、褐藻、紅藻の3種類があります。海に漂うアオサのように最初から緑色をしているものが緑藻、たまに刺身のつまについてくる赤い色をしたトサカノリは紅藻、昆布やヒジキやワカメは生の状態では褐色をしているので褐藻といいます。ワカメは緑色と思っている方も多いと思いますが、生では昆布と同じように褐色をしているのです。これが、海に生えているワカメですよ(あっ、よく見たら横に青ナマコがいた。採りそこなった。)青みがかった褐色ですね。ところが、味噌汁の中のワカメ、インスタントラーメンに添えられたワカメ、店で売られている塩をまぶしたやわらかいワカメもみんな緑色ですね。これは含まれている色素に秘密があります。褐藻類は光合成を行うクロロフィルという緑色の色素のほかに、フコキサンチンというカロチノイド系の色素を持っています。カロチノイド系の色素は一般に黄色系の色をしていますが、このフコキサンチンは橙黄色をしており、たんぱく質を結合すると赤色になります。赤い色素は赤の反対色(補色)である緑の波長の光を吸収します。水中の深いところでは赤い波長の光が届かなくて、青い(緑色の)世界です。クロロフィルは赤い光を吸収して光合成を行いますが、海の深いところではクロロフィルだけでは、光合成ができないのです。そこで、フコキサンチンが吸収した光のエネルギーをクロロフィルが貰って光合成をしているというわけです。褐藻が褐色に見えるのは、緑色のクロロフィルと赤のフコキサンチンが混ざっているためなんですね。ところで、この赤のフコキサンチンはワカメが加熱されると、たんぱく質と結合していたものがたんぱく質から離れて本来の橙黄色に戻ります。緑のクロロフィルは熱にあっても最初は色が変わらないので、緑色がまさってワカメが緑色に変わるというわけです。売られているワカメは一度湯通しをしてから塩漬けにされたものだったというわけです。ヒジキも褐藻類ですから、温めだすとこのとおりサッと緑色になります。でもヒジキはやわらかくするために、2~3時間くらい煮込みますので、そのうちクロロフィルそのものが分解して黒っぽくなってきます。売っているヒジキが黒いのはそういうわけです。出来たばかりの地球で、限りある有機物がなくなろうとしたときに、最初に原始藻類がクロロフィルという色素を取り込んで、光合成を行い無機物から有機物を作るという画期的な発明をしました。酸素を作り出すというおまけまでつけてその獲得した技術は、連綿と植物に受け継がれてきました。我々動物が生きていけるのもそのお蔭なのです。動物は無機物から有機物を作ることができません。酸素を使って有機物を分解して炭酸ガスを排出するだけです。いまや、人類は藻類をはじめとする植物が作り、貯めておいてくれた化石燃料まで食い物にしています。石炭を食いつくし、石油(これは原始藻類がクロロフィルを使って太陽のエネルギーを貯めたものです)をジェット機を飛ばすために使っています。あと数十年で石油も枯渇します。酸素を消費し、二酸化炭素を排出し、温暖化によって地球を生物がますます棲みにくい環境にしようとしています。そろそろ子孫のために、クリーンエネルギーの利用をしませんか
2007年01月20日
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昨日も忙しい一日でした。深夜に1人末期癌の患者さんが亡くなり、見送りまで済ませて、少し寝て、午前中回診、お昼に警察へ留置人の健康管理に行き、午後名古屋へ国保の審査会へ、帰ってきてブログを見て、夜は知多へまたナマコ漁へ、知多の家へ帰ったのが0時半。獲物の整理をして風呂に入ったら、蒲郡警察から検案で呼び出され、また蒲郡へ。結局獲物だけ置いてゴンギツネのようになってしまいました。昨夜はナマコとヒジキ以外にもいろいろ採れました。これはワカメ。これはサザエ。これは小さいけどアワビ。アワビの頭。ヒジキを2鍋とこれだけ置いて、蒲郡へ向かう。検案を済ませて、官舎に戻ったら3時半でした。それから、蒲郡でもヒジキとナマコの後始末をして、少しうとうとしたら、もう朝でした。今ブログを更新しています。今日は8時半から外来だった。アチャー、朝飯を食べる暇がない。減量には丁度いいか
2007年01月19日
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家には休耕田がひとつある。20年くらい前まで人に貸して田圃であったが、その人が年をとって出来なくなり、返ってきたが、うちではもちろん誰もできない。遊ばせておけば、減反補償で税金分以上に入ってくることもあり、そのまま休耕田になっている。今では、雑草やら葦が生えていて、時々草刈をするのが大変である。最近では娘婿さんが時々草刈にきてくれる。一時花菖蒲を植えたときもあったが、雑草に負けて消えてしまった。花菖蒲さんごめんなさい。でもここでは春先にセリが採れる。セリにはキアゲハの幼虫もいる。冬はクワイが採れる。クワイは冬になると地上部が枯れてしまう。泥の中に来年芽が出る芋となって冬を越す。11月に入るとこんな状態で芋を掘る。株の下には芋はない。そこから横に地下茎が延びてその先に芋が出来る。ひとつの株の周りに4つか5つくらいの芋ができるのだが、50~60cmくらい離れたところに出来るので、地下茎を切らないように辿っていって掘り当てる。12月に入ると、地下茎もすぐに切れてしまうので、見つけるのが難しくなる。クワイはお正月料理の煮しめの中に必ず入れる。里芋と一緒に入っている。小さく黄色くて、少しこりこりして、ほろ苦いが里芋より人気があり、お祖母さんが探して食べる。大きなものは薄切りにして揚げてチップスにする。いつも掘るのが泥んこになって大変なので、昨年はちょっと工夫をした。これですよ。家の入り口駐車場のところに雨水を貯める大きなポリバケツが置いてあるが、その横に小さな甕を置いてその中にクワイの芋を植えて育てました。夏は元気に伸びて、葉の形が面白いので飾りにもなる。冬はこんな状態です。隣りの甕は開田高原で採ってきたワスレナグサです。手を入れて探ってみると有りましたよそんなに大きくはないけれど、簡単に収穫できました。私と女房とお祖母さんで1個づつ食べましたよ。今年はもう少し甕を増やそうかな探したり、掘ったりするのが大変な芋をこのように収穫しやすいところで育てることがあります。他にも山芋を樋の中で育てたりもよく行われていますね。蓮根も根が深くて掘るのが大変なようですが、蓮根を甕作りにするとどうなるんだろうとぐろを巻いた蓮根ができるんだろうか
2007年01月18日
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今日は鳶(トビ、トンビ)について書きましょう。鳶はタカ科タカ亜目に属する、日本で最もポピュラーなタカの仲間です。他のタカ類に比べると人間社会に最も近づいたタカの仲間といってよいでしょう。主に生物の死肉を食料とし、ヘビ、カエル、ネズミなども捕食し、都市部ではゴミ漁りもします。海岸や平地に住んでおり、あまり高山にはいないようです。海岸に打ち上げられた魚の死体なども食べます。蒲郡にも漁港の近くには群れを作って飛んでいます。鳶は人間社会との関わりが深いので、いろいろと引き合いに出されます。「鳶が鷹を産んだ」「鳶にアブラゲをさらわれる」「トンビがくるりと輪を描いた」などあります。また鳶職という職業があるように、高い空を上昇気流を利用して巧みに飛ぶ技を持っています。尾羽がバチ状に拡がっており、飛行機の尾翼のようにこの角度を変えることによって巧みに方向転換をします。この編隊飛行をしているのは家に帰る鵜です。鵜は鳶のように急に進路を変えることはできません。これもセントレアに帰る飛行機で真っ直ぐ飛びます。それでは本邦初公開の鳶の歌です。こんなの好きなの~、いいですか~。行きますよ~。 おいらは鷹になれない形原トンビ、 風をあやつる技術は超一流 くるりくるくる ピーヒョロロー 空はおいらのキャンバスだい 自由自在に空飛べば、ほーらあの娘も見上げてる くるりくるくる ピーヒョロロー三ヶ根山の麓から獲物を求めやってくる 黄昏る夕日をめがけて飛び回る くるりくるくる ピーヒョロローおいらは鷹になれない形原トンビ 狙った獲物は逃さない、あなたのハートを射抜くまで くるりくるくる ピーヒョロロー
2007年01月17日
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昨夜は市長さんからお誘いがあって、市長さんの家に行ってきました。毎年この時期に単身赴任者を慰める会を催してくれる。呼ばれるのは私と、院長、警察署の署長、副署長、そして世話役に秘書課長。私が一番長い、単身赴任歴20年。座敷でちゃぶ台の上にコンロを乗せて、3人づつで鍋を囲む。ふぐ鍋ですよ~。市長さんは釣りも好きらしいが釣った魚ではないようです。蒲郡には漁港が三つあるので、三河湾産の美味しいふぐが安く手に入る。ふぐ料理屋も駅前にあるが、そこでやるより随分安上がりにできる。刺身もから揚げも出ましたよ。ポン酢は市長さんのお手製、レシピを訊いて私も造るようになった。お酒は最初ビールで始まって、ヒレ酒、焼酎(鹿児島の伊佐見)、空(設楽の蓬莱泉の人気銘柄)、養神の原酒(蒲郡の造り酒屋)、6人の中では市長さんと私が群を抜いて強い。それも、そのはず、市長さんの家はもともと造り酒屋。かけてある額はその昔絵師に頼んで、その当時の造り酒屋の様子を絵に描いてもらったものだという。酒造りの全ての工程が描き込まれている。右下に見える、菊花誉という銘柄のお酒を造っていたらしい。市長さんの代になって、造り酒屋は廃業し、酒類販売店と倉庫業になり、量販店があちこちできたので、販売もやめて、今は倉庫業と市長業に専念している。庭には昔使っていた酒樽が茶室に改造してある。この中でお茶をいただいたこともありますよ。酒造りには綺麗な水が必要、裏に深井戸が掘ってあって、のぞき込むと底まで透き通って見える。倉庫を見せてもらうと、あちこちに市長さんの道楽の道具が置いてある。これは三河の手筒花火、竹筒に藁縄を巻いて火薬をつめて作る。これを抱えて上げる、最後にボンといって底が抜ける、勇壮な花火である。下手すると大火傷する。原則として、上げる人が自分で花火を作るものである。今年は統一地方選、市長選もある。二期連続無投票当選している。三期目の今年はどうなるでしょう?
2007年01月16日
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一昨日の披露宴のあと、その会場のホテルに泊まりました。そこに面白い木彫が飾ってありましたので紹介します。あしたのジョーという漫画のパロディーです。花咲かじいさんのパロディーです。太陽がいっぱいのパロディーです。他にも猪木の洗濯(命の洗濯のパロディー)、汚いキツネ(キタキツネのパロディー)、亀ライダー(仮面ライダーのパロディー)など面白い木彫がいろいろありました。パロディー彫刻だそうです。駄洒落のようなものばかりですが、笑ってしまいます。 おまけの画像です。婿さんの家の庭に咲いていました。
2007年01月15日
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昨日は長女の結婚披露宴が焼津の松風閣というところで行われた。天気もよく富士山がよく見えた。11月19日に地元の神社で式を挙げたことを11月20日のブログで紹介したが、今度は披露宴を嫁ぎ先の地元で行った。婿さんの地元藤枝では3年ごとに”おおまつり”という祭りが行われ、山車の上で長唄が歌われる。その祭りに先生とともに来て祭りの世話役をしていた婿さんと知り合ったとのこと。ご主人は41才、娘は28才一回り以上離れている。可愛い孫が労せずして出来た。芸達者な人たちがたくさん居て、鳴り物入りで獅子舞を見せてくれた。久し振りに兄弟4人が揃った。何年振りだろう。トライアスリート(私の影響)、長唄奏者(女房の影響)、医者(私の影響)、小学校の先生(女房の影響、いや給食が食べたいんだった)とそれぞれが好きな道にすすんだ。最後の挨拶で新しく孫になった笑里(えみり)ちゃんと将来一緒にトライアスロンの大会に出たい、富士山へキノコ採りに行くのによい中継基地が出来たと言ったら何故か受けていた。
2007年01月14日
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最近あちこちでばらばら殺人やら、不可解な変死体の報道が続いている。報道されるのは、事件の可能性があるものが報道されるわけだが、病死あるいは自然死という、治療中のわかっている病気でなくなる場合を除いたその他の死は異常死といって、検案の対象となる。全死亡の15%くらいが異常死であり、それは日常茶飯事である。蒲郡で年間60~70件くらいある。異常死の50%くらいは病死(内因死)である。それ以外は外因死であり、種々の原因の事故死、そして自殺、他殺がある。他殺は滅多にないが、自殺は蒲郡でも毎年20件くらいは発生する。遺書を残すのは4人に1人である。あとは状況で判断するしかない。今日は午前中の外来が終わって、ライオンズの例会が豊川稲荷でありました。京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷と並ぶ日本三大稲荷のひとつです。精進料理を食べてきました。商売繁盛、家内安全の神様だけあって、熊手がたくさん並んでいます。大きなものは1万円以上します。もちろん買いません。病院がはやったり、変死がはやったりすると困りますからね。行く途中で蒲郡警察からまた呼ばれました。42才の男の人が首を吊りました。急いで帰りました。今日は首吊りについてまとめておきましょう。自殺の方法はいろいろありますが、昔から最も人気があり、比較的他人に迷惑をかけない方法です。首吊りはまず自殺ですが、気をつけないといけないのは、自殺に見せかけた他殺を見逃さないことです。まず1人で可能な方法かどうか、そして首に残った痕が使った紐やロープやコードと合うかどうかです。それから、家族が自殺となることを嫌がって、降ろして布団に寝かせて病死に見せかけることがあります。自殺だと保険金が下りない場合があります。病死のようでも首はよく観察します。後ろ手にガムテープで手を巻いて首を吊っている人がいました。それは1人でも巻ける巻き方だったので、自分で苦しくて手ではずさないように念には念をいれたものでした。足が地面から浮いているものを定型的縊死といい、着いているものを非定型的縊死と言います。定型的縊死の場合は体重全体がかかるため、頭へ行く動脈の全てがしまりますので、眼瞼結膜には溢血点が見られませんが、非定型的縊死の場合には、椎骨動脈が完全に閉まらないために、溢血点が出ると言われます。手で首を絞めた場合(絞死)にも溢血点が出ます。ドアノブなどの低いところでも首吊りは可能です。少しおしりが浮くくらいで十分締まります。すぐに見つかる場所で首を吊ってくれる場合はよいですが、ちょっと山奥の人の来ないところで吊ると、見つかるまでに白骨化することがあります。夏場ですと、蛆がわいて2週間くらいで白骨化します。すると、首と胴体が離れて、胴体は下に落ちています。
2007年01月13日
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今年は猪年、山菜採りに行って3回野生の猪を見たことがある。飯田の方では山の方の畑は猪に荒らされるので、猪獲りのワナがあちこちに仕掛けてあり、捕まえた猪が河原で解体されて、水に晒してあった。坂内村へ天然ワサビを採りに行って、この沢を登っているときに一度猪に突進されたことがある。その前の年に、そのあたりで山菜採りの人が熊に襲われて死んだことがあり、最初真っ黒なものが向かって来たときには、一瞬熊かと思った。さっと避けたら横をすり抜けて走り去り、戻って来なかったので、ホッとした。 今日の昼はしし鍋をご馳走になった。意外にあっさりしていた。大きな鍋で作り、みんなに振舞われた。今日は年初めの蒲郡警察署感謝状贈呈式だった。以前は警察始め式といって、アトラクションもあったが、今は感謝状贈呈式と署長の挨拶、来賓3人の挨拶だけで終わる比較的シンプルな式になった。それでも、防犯、地域安全、交通で協力した団体・個人合わせて200近い団体・個人が表彰される。私も警察医をしているので毎年もらう。10年の間に、署長感謝状10枚、本部長感謝状2枚もらった。額付きでくれるが、警察が市民からの有形無形の協力を得るには安い代償である。ただの紙切れだが、免停になったときの期間がこれを持って行くと1段階まけてもらえる。最近はないが、2回感謝状のお世話になった。冒頭のしし鍋は出たところで、お巡りさんたちが、作っていて来た人に振舞っている。いつもは、餅つきをして、ぜんざいを出してくれるのだが、今年は猪年ということで、しし鍋になったらしい。夜には神田知事夫妻が見えて励ます会が行われた。神田さんはとても律儀な人で、お子さんを5人も設けた。1人負けた仕掛け人は愛知県トライアスロン協会の國分会長だ。白いウィンドブレーカーを着ているのはみんなトライアスリートだ。名古屋でもやり、蒲郡でやり、三好でもやる。神田さんに続投してもらって、アジア大会を名古屋へ誘致しようとしている。
2007年01月12日
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今日は環境に優しい車について、書きましょう。私の持っている乗り物は車と自転車以外にこんなものがあります。これはアラコ(今のトヨタ車体)が作っていた電気自動車、コムスです。前に長男がアラコのトライアスロン競技部にいるときに買いました。完全にバッテリーだけで走ります。ここは王将というビジネスホテル、朝はここで朝食を食べます。コムスは満タンに充電していても、走行可能距離は40kmくらい。知多までは帰れません。官舎と病院の行き来に使うだけです。でも、加速は軽自動車なみにあります。最高速度は50kmまで。冬はちょっと寒いですが、一応屋根があるので、雨露はしのげます。荷台が広くて荷物はたくさん積めます。内緒ですが(公然の秘密か)病院へ行くと救急外来のところで、充電しています。つまり、ガソリン代がいらない。家庭用の100Vの電源からも充電ができます。お値段の方は65万円ほどでした。短い距離をちょこちょこ乗るには便利な環境に優しい車です。幅1mもないので、どんな狭い道でもすいすい入って行けます。
2007年01月11日
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昨日の朝日新聞、岐阜県立多治見病院で、倫理委員会が回復の見込みのない80歳の男性の延命中止を容認したが、院長は県と相談して、中止を認めず、3日後に人工呼吸器をはずさなかったが亡くなったという記事が出ていた。この舟橋院長は私の大学時代の内分泌研究室の指導医だった先生で、昨年多治見で内分泌外科学会の会長をした。男性は食べ物を喉に詰まらせて、心肺停止状態で病院に搬送されたが、救急蘇生で心拍だけは再開したが、呼吸は戻らず、人工呼吸器をつけられた。男性は生前「重病になり、将来再起の可能性がないとすれば延命処置をしないでほしい」という文書を家族に託しており、問題となった。病院の倫理委員会(今では大きな病院ではどこにでもある)を開催し、男性の治療に関わっていない医師2人から「回復の見込みがない」との診断を得て、人工呼吸器をはずすことを容認して院長に結論を報告したが、舟橋先生は県に相談したうえで、「国の指針などが明確でなく、現段階では医師だけが責任を問われかねない」として、倫理委の決定を認めず、治療続行を指示したものである。私と違って、石橋をたたいても渡らない舟橋先生らしい判断だなと思いながら読んだ。確かに今まで、主治医の勝手な判断で延命中止をして問題とされたケースはあるが、倫理委員会が判断したというのは初めてのケースではないかと思う。安楽死(尊厳死)が法律的に認められていない(決められていない)日本では、死の定義もまだあいまいで、移植医療のために脳死を人の死と認めても実際には心臓移植、死体肝移植がまだ諸外国のようには行われていない現状である。私はしょっちゅう検案に呼び出されるが、これは明らかな死体であって、生き返ることは絶対にないものばかりである。しかし、救急医療をしていると死にかけている人が運ばれてくることがある。昔はDOA(dead on arrival)と言っていたが、今はCPA(cardio-pulmonary arrest、心肺停止状態)と呼んでいる。私も昔当直をしていて、心肺停止状態で来た人を生き返らせたことが1度だけあるが、それは稀なケースである。大部分は心肺蘇生処置(心マッサージと人工呼吸)を行っても心拍も自発呼吸も再開しないか、心拍だけ再開するが呼吸が戻らないかどちらかである。脳の血流が停止して3~5分も経過すると脳の神経細胞が壊死をして元へは戻らない。高級な脳ほど早く駄目になる。循環・呼吸を司る中枢は延髄にあり、一番最後まで生きている。上の脳が駄目でも、両方の機能が残れば植物状態となる。これは人工呼吸器をはずしても、アメリカであったカレンさん事件のように何年も生きることがある。心臓・肝移植のドナーとなることができるのは、脳死という状態で、自発呼吸は全くなく、心拍のみ保たれている状態だが、この状態では人工呼吸をしていても長くは持たない。多治見病院のケースはこういうケースである。救急外来には割りとシンプルな人工呼吸器が置いてある。CPAで来院すると、本人の意思にかかわりなく、挿管することが多い。すると今回のようなケースになる。われわれが普段診ているのは癌の患者さんが多い。末期になるとだんだん悪くなり、もう治ることはない。最後は心臓が止まるより呼吸が止まる方が早い。そのとき挿管して人工呼吸器につなげば一時しのぎにはなる。しかし、治るわけではなく、いずれは駄目になる。前もって本人・家族に急変時の挿管をするかどうかを訊いておく。たいていは挿管まではして欲しくないという人が多い。これからは元気なうちから、急変時の対応についての意志表明を文書で残すことと、またそれが尊重される法律の整備が必要である。
2007年01月10日
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ロゼットとは、多年草が冬越しをするときのひとつのスタイル。地上の高い構築物を落して、地面にへばりつくような葉だけが放射状に残る省エネスタイルである。名前の由来は ”rose(薔薇)のように”という意味である。薔薇の花を上から見たようだというわけである。女房と散歩していたら、田圃の土手にいろいろな植物のロゼットがあった。女房はロゼットを知らなかった。ロゼットと言ったら、植物の名前と思ったらしい。いや、そうではなくて、植物の冬越しのひとつの形態なんだと説明したらようやく理解したようだ。私とロゼットとの出会いは実は植物ではない。私は外科医だが、病院には常勤の病理医がいないので、術中迅速組織検査が必要な場合、病理医のいないときには自分で顕微鏡を覗いて診断する。昔から顕微鏡の標本を診ている。病理の本を読んでいるとときどきロゼット様配列という表現がでてくる。神経系の腫瘍などで、細胞の核が放射状に並んでいるのをロゼット様配列と言っている。病理の本を読んでいてその表現からロゼットって何だと調べて知ったのが最初である。ロゼットを形成する植物はいろいろあるが、代表的なのはタンポポかな冬に競合する植物がなく日当たりがよくなるようなところに見られる。タンポポは葉の形に特徴があるので、判るがロゼットになっていると、種類が判らないものも多い。春地上部が伸びてきて、花が咲いてようやく判るものもある。よく見ると大小様々なロゼットがあるが、緑と赤のロゼットが並んでいました。何だろう
2007年01月09日
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今日は、3連休の最後だが、外科の拘束当番。午前中病棟の回診に行った。先に書いたように今年から電子カルテになったので、回診の時も電子カルテ端末を引っ張って行く。回診でカルテの記録とガーゼ交換をするとその実施入力をしなければいけない。何か電子カルテになって、医者の仕事が増えたような気がする。やはりいつもの倍くらいの時間がかかった。官舎に戻って飲み水が切れているのに気がついた。もちろん水道はあるが、水道の水は飲む気がしない。家なら美味しい井戸水があるが、・・・。蒲郡では山へ汲みに行く。冷たい小雨の降る中、オレンジロード横の山道を登って行く。登って行く途中に水の出ているところがある。ここの水も飲める。ポイントは上に流れがないこと、伏流水になっているので、綺麗な水である。でもここでは汲まない。ここですよ。峠を越えて、音羽町に入り、1号線の近くまで降りたところにあります。昔、聖徳太子が見つけたという湧き水です。天気のよい日だと遠くから汲みに来る人もいて、並んで待つこともある。今日は誰もいなかったので、すぐに汲めた。1号線へ出て、他の道から峠を越えて、戻ってきた。その途中にも飲める水が出ているところがある。降りて来て、坂本町へ入ったところで、ブログのタイトルに使っている、リナリアと菜の花がもう咲いていた。帰ってきて、汲んできた水を飲む。昨日bokeabさんのところで、夕飯をご馳走になり飲み過ぎたので、水が美味しい。午後に今年初めての検案があった。西浦温泉の大きなホテルの58才の従業員、勤務に出てこないので、見に行ったら従業員寮で死んでいた。冬だけれどエアコンが28℃でついていたので、3日ほどで腐敗が酷くて巨人様になっていた。ちょっと写真はお見せできませんね。周りの様子だけ。缶ビールにタバコ。玄関を入ったところには、焼酎の空き瓶が8カートン(1カートンに1升瓶6本)積んである。1年前から勤めだしたそうだが、1年で48升も飲んだの死因は少し吐血した痕があるし、これだけ飲めば肝硬変になるでしょう食道静脈瘤ができて、きっと破裂したんだわ~というわけで、死因は上部消化管出血による病死としました。こんなに飲んでは駄目ですよ~と自分に言うと言いながら、足は”志な乃”に向かう。
2007年01月08日
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昨日、家に帰ったら代車でistが来ていた。前の車は修理に出したが、どうも修理するより買い換えた方が得なようだ。オートバイにしたかったが、女房を始め、皆さんから大ブーイングが出て今回は諦めました。替わりに何か買いたくなったので、名古屋へ出たついでにこんなものを買ってきてしまいました。コメツガさんに影響されました。NikonのD80。今まで撮っていたのは、これですよ。SONYのCyber-shot、DSC-T30。これもポケットに入れて持ち歩くには便利です。これからはこの両方で撮りますからね。それでは、新しいD80の画像で、庭の花を撮りましょう。まず、裏庭のツバキを3種類。そして、蝋梅。ここまでが新しいD80の画像ですよ。古いCyber-shotの方だとこんな感じ。ピントのあっているところはそう変わらなくても、背景のボケ具合がD80の方がよいですね。昔、写真に凝っていたころは光学カメラでNikonFから始まり、F2、F3と10年毎に変わり、暗室まで作ってやっていた時がありましたが、最近はずっとバカチョンカメラで撮ってました。久し振りに大きなカメラを買いましたが、デジカメでも昔の光学カメラと変わらない感じの写真が撮れるのですね。
2007年01月07日
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4日から仕事が始まった。4日は午前中入院患者さんを診て、昼に警察署へ行き、留置人の診察をして、午後は乳腺外来。5日は午前中外来、午後見学に来た杏林大学の学生さんの案内をして、夕方豊橋で東三河の刑事親交会に出た。病院の中庭では姫沙羅が最後の1葉になりかけている。でも、今年の新しい芽が膨らんできている。診察室の中では、永年使ってきた、診察机の上の大きなオーダリング端末が姿を消した。新しく、電子カルテのシステムに替わり、薄型のモニターとなり、紙のカルテもなくなり、机の上が広くなった。でも、今までの患者さんの情報を新しい電子カルテに入れなければならない。紙のカルテをぺらぺらめくって見ていたのを、クリック・クリックで画面を切り替える。どこに目的のボタンがあるのか、慣れるまで大変だ。5日の外来は予約をかなり減らしておいた。いつもだと午前中3時間半で30人くらいの患者さんを診察するのだが、20人に減らしても5時間かかった。終わってからも、古い紙カルテのデータを新しい電子カルテに移さねばならない。年が明けて、最初の1回目は紙カルテも出してくれるが、2度目からは出さないという。というわけで、昼間ブログを見ている暇がなかった。夕方、警察署長が迎えにきてくれて、一緒に豊橋まで車で行きました。毎年、年初に行われる、東三河刑事親交会、東三河(豊橋、豊川、蒲郡、田原、新城)の刑事さんが100人くらい集まる。警察医をしているので、蒲郡からは、私と歯科医師会会長と市長が来賓で呼ばれる。最初に刑事親交会会長の豊橋署刑事課長の挨拶。昨年起こった管内の重大事件(新城での放火殺人事件、蒲郡での元教師が妻の母親を刺し殺した事件、豊橋での児童虐待死事件)の犯人をそれぞれ検挙解決したとの報告があった。次に、定年退職者、永年勤続者の表彰があり、新任刑事の紹介があった。これは新しく東三河で刑事になった人たち、まだ入ったばかりは初々しいが、年数が経つと目つきも鋭くなって、刑事さんなのか恐いおじさんなのか区別がつかなくなる。警察業務は刑事課、交通課、地域課、留置管理などいろいろあるが、刑事さんたちは一番結束が固い感じで、このように毎年盛大に各地区で親交会が行われている。来賓の挨拶には、東三河暴力対策市民会議代表の豊橋市長が立った。宴会が始まり、私は飲み友達の蒲郡市長とよい機嫌で飲んでいた。宴もたけなわになると、いつもはここで豊橋出身の演歌歌手タカムラサオリの登場となるのだが、今年は予算の関係か自前のカラオケとなった。各署から若手刑事さんが代表で歌を歌う。こうなると黙っておれないのが私の悪い癖だ。女房からは人前で歌ってはいけませんと止められているのだが、ついつい申し込んで小椋桂の”めまい”を歌ってしまった。この写真は私ではありませんよ。
2007年01月06日
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今日はとろろ汁の作り方について書きましょう。世間では1月3日にとろろ汁を食べるようですが、うちでは1月2日の夜です。だいたいお節料理(最近ではうちで作らず、買うことが多くなりましたが)を食べ始めるのが12月31日の夜ですから、1日ずれているのですね。お祖母さんがとろろ汁が好きで、お正月休みに入るともうとろろ汁のことを言い始めます。材料は12月31日の日記で掘ったこの山芋ですよ。まず、最初にたわしでよく洗って泥を落とします。ところどころにヒゲ根がついているので、これを火であぶって焼くか、包丁でこそげ落とします。最近皮を薄く剥いてその皮をから揚げすると美味しいということを発見して、時々女房が作ります。次に、卸し金(いろいろなものがありますが、私はこの陶器製のが好きです)ですります。すっていると、ぽきぽき折れてその度に小さなかけらが入りますが気にせずにすります。またアクで色が黒っぽくなりますが、これも気にしません。ナガイモと違ってすごく粘りがあって、持ち上げると切れることなく、持ち上がります。まずここまでで指が痛くなります。次にこれを大きなすり鉢に移します。最初これくらいの量です。これをかけらを潰しながらすっていきます。丁度よいところに三男が帰ってきました。選手交代して、三男にすらせます。なかなか手伝いを言いつけても、すぐにやらない三男もこれは嫌がらずにします。ある程度すれたところで、卵(全卵)を2個入れます。これを出汁でのばしていきます。少し芋が多かったので、1/3くらい容器に入れてとっておきました。それは、また別にそのまま刺身で食べたり、海苔を巻いて天麩羅にしたりします。少しづつ、出汁でのばしていき、最終的には3~4倍にのばして、出来上がりです。これを少量の麦飯にかけて、きざみ海苔とネギを振りかけていただきます。お祖母さん、またお替りいいよ、今日はたくさんあるから、好きなだけどうぞ。とろろ汁は男の料理、力仕事です。11月24日の日記で印をつけ、12月31日の日記で掘り、そして今日で完成です。この伝統は三男にも伝えられて残っていくでしょう。裏山にもまだ印のつけた芋があります。春までにもう一度やろうかな11月24日、12月31日の日記と合わせて、カテゴリーを山芋としましたので、続けてお読みください。あっ、言い忘れましたが、食べ過ぎるとおならがよく出るそうです(お祖母さん談)ので、気をつけてください。
2007年01月04日
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昨日採ってきた海鼠(なまこ)は今朝も元気だった。海水に入れて酸素を送っていれば暫く飼うことはできる。でもあまりたくさん入れておくと、そのうち死んだナマコは腸を外に吐き出し、消化液が出てきて、他のナマコも弱ってしまう。このように口を開いて触手を伸ばしている状態は元気な証拠。yumiさんばりのアップの写真です。こちらがナマコの口ですよ。お尻の方は小さな穴がひとつ開いているだけ。でも口の方は硬いところがあるので、おしりと口はポンポンと切って捨てます。あとは腹の方から開いて腸を取って水洗いしてから薄切りにしてポン酢につけます。ひまがあれば、腸もしごいて砂を出して塩と酒でつけて、海鼠腸(このわた)を作ります。海鼠を採りに行った岩場にはこういう角の生えた生き物もいます。これは軟体動物門、腹足綱のウミウシ類に属するアメフラシです。一見するとナメ様のようだが、退化した薄い貝殻を軟らかい背中の内部に持っており、サザエやアワビなどの巻貝の仲間なのである。棘皮動物門、ナマコ綱に属するナマコ類とは分類学上かなり離れているのですが、角があるかないかと模様が違うくらいでよく似た感じの生き物ですね。ナマコはみんなが採りにきますが、これはあまり採る人がいません。だから結構たくさん這っています。誤って踏んだり、手で強く触れたりすると、紫色の墨を吐いて驚かせる。タコやイカのように外敵から身を守るためなのだろう。ちょっときもい生き物ですが、これを食べる人がいるんです。白土三平という漫画家がいます。カムイ伝を書いた漫画家です。この人がすごくゲテモノ食いで、「三平の食堂・白土三平」という本の中で、昔飢餓の時には漁師たちはこれをうみょうじんと呼んで食べていたと書いている。その調理法を書き写します。まず、背孔から指を入れて、身を引き裂きながら内臓を取り出す。内臓はそ嚢、砂嚢、胃と三段構えの消化器官と生殖器官、肝臓、腎臓、鰓、心臓、各種神経節などあり、ナマコよりかなり高等生物であることが判る。次にさっと茹でる。温度は手を入れられるくらいまで(約60℃)あまり煮過ぎると固くなるのでアクが出たらすぐに火からおろす。ザルにとり、洗ってアクを落とす。内臓の取り残しがないようにひとつづつ丁寧に洗う。洗い終わったらザルにとり、しっかり水気を切る。以上が下ごしらえである。ついで、できるだけ薄くきざむ。本体には味がないので、タレが勝負だそうである。工夫すれば、タレの味付けは幾通りもあるだろうが、と言って、伝統的な酢味噌仕立てを紹介している。隠し味に酒と魚醤を少量入れ、薬味に山椒の葉を落としてよくすり鉢ですり混ぜると書いてあった。確かに美味しそうに見えますが、誰か食べる勇気のある人はいますか?
2007年01月04日
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前に紹介したことがありましたが、うちには蜜柑畑が少しあって、温州蜜柑(わせ、なか、おく)、柚子、酢橘、八朔、姫八朔、金柑、檸檬があります。今日は、蜜柑千切りに行ったら、ついつい剪定がしたくなって、酢橘と柚子と温州蜜柑4本の剪定をしました。私枝を切る人、女房は千切って、枝を片付ける人。酢橘も思い切って剪定しました。日が万遍なく当たるように重なっている枝は切る、採りにくくなるので、上の方にあまり伸びた枝は切る、そして横に伸びた枝も通りにくくなるので切るとこうなってしまいます。そして、夕飯はお祖母さんのリクエストに答えて、とろろ汁を作りましたが、これはまた日を改めて書きましょう。そして、夜9時から今日は潮がよいので、南知多の方へ海鼠(なまこ)漁に出かけました。車がないので、今日は幼馴染のデザイナーの克君に乗せてもらいました。ときどき、一緒に牡蠣や海鼠、山菜、キノコを採りに行きます。着いたら、まず岩場の先端に行って、ひじきを採ります。そして、浅瀬で海鼠を探します。胴長を着て膝くらいの深さまで入ります。岩場の色とよく似た保護色になっているので、慣れないと難しいです。でも今日は風がなかったので、比較的見つけやすかった。赤海鼠と青海鼠を採ってきます。黒はたくさんいますが肉が薄くて、黒い汁が出るので採りません。赤の方が肉厚で美味しいです。これくらい採れましたよ。まず半分くらい、裂いて腸を出し、洗ってぶつ切りにして、自家製ポン酢につけました。腸で海鼠腸(このわた)も作れますが、採ってきてすぐだと砂が一杯なので、少し生かしておいて砂を出させてからの方が作りやすいです。出来上がりです。自家製ポン酢は今日収穫した酢橘を使って作りました。その配合は、酢橘の搾り汁 4ミツカン米酢 1キッコーマン丸大豆醤油 5相生本味醂 1酒(純米本醸造) 1日高昆布 適量以上を合わせて火にはかけず、1日置いてから瓶詰めします。手前右側にあるのは、くちこです。これを持っているのは5匹に1匹くらいです。塩と酒で漬けます。手前左側はトラフグの子供が泳いでいたので、獲ってきて、刺身にしました。内蔵は全部捨ててよく洗いましたから、中らないはずです。ひじきは大鍋で2~3時間煮てから、ゴミを取って、ザルに拡げて干し、保存しておきます。
2007年01月03日
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昨日は元旦マラソンに出て、年賀状を出してから蒲郡から知多へ帰る途中タマゲルことがありました。お正月から事故です。あ~、こりゃひどいな~相手の車はありゃ、どこかで見たことがある運転手は大丈夫、写真を撮ってますからね片側2車線の交差点、青信号で直進していたら急に反対車線からUターンした車が左車線まではみ出してきて、よけようがありませんでした。幸い相手の方も怪我はなくてすみましたが、車は車軸が曲がってしまって動かなくなりました。お正月で車屋さんも休み、JAFを呼んで取り合えず、レッカー移動してもらいました。ご心配の向きもあろうかと思いますので、姿を現しましょう。今年の年賀状ですよ。yumiさんの真似をして被り物をしました。競艇も大当たりするかと思って帰ってからインターネットで買ってみたが、大当たりは出なかった。
2007年01月02日
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ブログ仲間のみなさん、新年明けましておめでとうございます。毎年元旦の日は、恒例の元旦マラソンに出ます。ご一緒にどうぞ。朝6時、蒲郡の中央公園に集まります。蒲郡陸上競技協会の主催だが、毎週日曜日の朝7時にここに集まって山の方へ走って練習している蒲郡クラブのメンバーを中心に50名ほどが集まった。陸協の福井先生(往年2時間20分台で走ったマラソンランナー)の挨拶で始まる。6時過ぎにスタートして、まず石山神社(2kmくらい)へ向かう。先頭を引っ張るのは蒲郡クラブの重鎮、ヨッチャン(緑のウィンドブレーカー)、隣りは75歳でトライアスロンに挑戦するSさん。最初は歩くくらいのスピードだ。石山神社でお参りして、そこでお汁粉を1杯もらい、次に竹島へ向かう。(2.5kmくらい)信号では止まって待つ。竹島が近づいてくると、あ~、足が勝手に~、トライアスリートの本性が目覚めて~、ヨッチャンを追い越してトップに踊りでて~、最後はダッシュ竹島の橋はお参りと初日の出をみようという人で一杯。竹島には八百富神社がある。ここでも、お参りをして、甘酒をいただく。いつも情報を提供してくれる、S理容のSさん、隣りは一緒になった小坂井から来た小学生。今年は、天気もよく、暖かく、初日の出も綺麗に見えた。帰ろうとしたら、橋を救急車が渡ってきた。誰か倒れたようだ。でも私は呼ばれなかった。中央公園へ戻るとおでんとぜんざいで一杯といきたいところだが、今日は知多の方へ帰るので、お酒はぐっと我慢した。隣りの天桂院には四季ざくらが咲いていた。8kmくらいだが、久し振りに走ったのでアキレス腱がパンパンだ。さあ、帰って年賀状を出して、知多へ帰ろう。今年もよろしくは控えめに4月の宮古島に向けて減量しま~すいつまでもつかな
2007年01月01日
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