その店は私が名大医学部を卒業して名鉄病院で研修をしていた頃に通った店で、私が居酒屋放浪をするきっかけとなった店です。外科の馬淵先輩に連れて行ってもらいましたが、眼科の道野先生とか産婦人科の堀先生なども好きでよく来ていました。名古屋市の明道町の古い民家のようなところでした。暖簾をくぐるとカウンターだけ10席くらいの小さな居酒屋です。親父は下戸ですが、こだわりを持っていて、酒は剣菱の樽酒、ビールはキリンの瓶ビールだけしか置いてありませんでした。どちらもよく飲みましたが、剣菱を頼むと樽から一合升に注いでくれます。常連で流行っていて、時には満席で外で待っていることもありました。
親父は背が高く、ボーリングが得意で、優勝トロフィーなどが飾ってありました。下戸ですが、グルメであちこち食べ歩いてはつまみになりそうなものを見つけるとそこと契約して店に送ってもらってつまみとして出していたのです。京都の森嘉豆腐店の揚げは冬の定番メニューで、焼いて七味をかけて食べます。飛龍頭、からし豆腐やアンペイなどもありました。その他に、新潟桜屋のうなぎの笹蒸しとか、松本の小口屋の味噌わさび漬けとか大阪山三の海生味(うおみ:牡蠣の塩辛)など、いつも5~6品のつまみが取り寄せで置いてあり、注文するとそのつまみについての親父の講釈を聞かされます。奥さんが一緒に手伝っていて、取り寄せグルメ以外におふくろの味も3品ほどカウンターの上に並んでいました。
店には小さな名刺サイズでふたつ折りにした店の紹介が置いてありましたが、その裏面には地元の美味しい店が数店紹介してありました。三重県多賀の大黒屋(鯉料理の店)、ひつまぶしで有名ないば昇、国道19号線沿いの洋食だいや食堂など、その名刺を見ては食べ歩きしました。そこへ行くと名古屋の居酒屋剣菱で聞いてきましたと言うので、そこの人や他のお客さんもどんな店だろうと剣菱を訪ねて来るということになり、自分の店も流行るという親父の算段です。
道路の拡幅工事で明道町の店が立ち退きになって、浄心の第二ステーションビルに移りましたが、こちらも明道町からの常連さんで賑わっていました。その当時親父は70歳くらいだったと思いますが、移って2年くらいした頃に脳梗塞を患いました。軽い片麻痺が残りましたが、何とか店を始めることが出来ました。半年ほどして次に行った時には親父は宮古島風に言えばアメリカへ行ってました。それでも店は奥さんと嫁に行った娘が手伝ってやっていました。でも奥さんももう80歳近くなっていましたので、それから半年くらいで、店じまいとなりました。
私にとっては居酒屋通いが始まった店、全国のグルメをつまみに飲める店、いろいろな近場のグルメを教えてくれる店、親父の講釈も五月蠅い時もありましたが、懐かしく思い出します。
この話は星空文庫「
レクイエム
」で公開中です。
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