京都へ来たのはよいが、教養部が封鎖されていて、正規の授業はなく、囲碁部の門を叩いて、毎日朝から晩まで囲碁三昧の日々を送っていました。そんな時に囲碁部の
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回生に蝶屋さんが二人もいて、丁度その時に京都で開かれた日本鱗翅学会へ誘われて聴講に行きました。その当時、『幻の蝶』と言われていたヒサマツミドリシジミの生活史についての発表がありました。記憶が曖昧なんですが、ヒサマツは麓のウラジロガシに卵を産んでそこで育った成虫が山の上の方へ飛んできてテリ張り、求愛行動をするらしいと言う発表だったと思います。京都付近でテリ張り場所として鞍馬の奥にある北山の杉峠と言う有名な場所があり、シーズンには
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日数本しか出ていないバスが物干し竿を持った蝶屋さんでいっぱいになると言う状況でした。私もヒサマツを求めて
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回生の時から杉峠通いが始まりました。
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回生の時からはホンダのスーパーカブを中古で買って杉峠まで通いました。よいポイントを取るためにテントを持って泊まり込んだことも一度や二度ではありません。毎日
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人くらいの蝶屋さんが来て、ヒサマツが採れたと言う幸運に巡り合える人は
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日に一人いるかいないかと言った状況でした。エゾやジョウザンは一日に数頭は採れましたが、ヒサマツに出会う幸運は
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年目も
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年目も訪れませんでした。
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年目のある日のことです。もう
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時を回って日が傾きかけて来た頃です。「今日も駄目だったか~。」と帰り支度を始めた時です。ポイントにエゾやジョウザンとは違う金緑色に輝く
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頭が入って来たと思ったら、何処にいたのかもう
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頭がスクランブル発進をしてグルグル卍巴を始めました。アドレナリンが一気に出て心臓が破裂しそうになりながら渾身の一振りで
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頭を一緒に網に納めました。近くで裏翅のV字を確認するまでドキドキは続きました。三角紙に丁寧に入れて、峠までの道を戻る途中、出会う蝶屋さんに喜びを悟られないようにするのは大変でした。
1961
年
7
月
5
日、
47
年前の昔話です。
当時保育社から生態写真を載せたポケット図鑑が初めて出ましたが、それを見てもヒサマツの写真は逆光でボケたV字がようやく確認出来る程度のおそまつな写真で、いかに珍しい蝶であったかが判ると思います。
レジン包埋標本作製( ^)o(^ ) 2020年12月20日
後天性サバン症候群になって、・・・。( ^… 2020年12月14日
越冬集団その2( ^)o(^ ) 2020年12月13日
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