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定期検診の続き、ガリウム検査でがんセンターに行った。28日(月)に注射を済ませていた。その時、4年前の手術時に同室だったYさんと会った。お互いに元気でいられることを喜びあった。中の一人は手術後1年も経たずに亡くなったし、他の人達はどうしているだろう。さて、どうぞと言われて部屋に入った。器械が奥にも2台あり、そこにも技師がいた。着替えもなしで仰向けに寝て「30分ほどじっとしていて下さい。」言われた通りにしていると、四角い1平米ぐらいの半透明盤が、頭の上にググーッと下がってくる。キャー!!私が閉所恐怖症なのを知らないのか。息苦しいのには耐えられないのだ。でも、横は見えるし暗くはないので、我慢出来ないことはない。盤はだんだんお腹の方に移動して行く。眼をつぶった。どうも20分間は眠ってしまったようだ。
2003年07月31日
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今朝は夜明け前もっと前から雨が降っていた。一時的に雨が上がってもまた降るそうだ。にもかかわらずブルーベリーが20粒ぐらい綺麗な紫色に熟していた。多分1週間前よりは気温が高くなっているに違いない。食べてみると粒によって味が違うのに気がついた。一鉢に2種類植えてあるから違うわけだが、もっと色々の味がする。色合い・大きさ・形の違いによって様々だ。これが、自家製の自然の味というものだ。
2003年07月30日
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27日は、Myパソコンがストライキを起こしたようだ。何度試しても繋がらないのだ。これは少し休みなさい、ということかと思い、おとなしくすることにした。昨日は兄から電話が入り、久し振りに弟が来たので来ないかと言う。早速出向いた。兄夫婦、弟と私、ビールやお酒を飲みながら食事をした。両親の話、祖父母の話、それぞれの子供たちの話、私の夫の話、なかなか尽きない。弟は義兄である夫の影響でダイビングを始め、今も仕事にしている。昔、夫は合気道、弟は空手の試合をして、弟が夫の足を蹴り折ったこともある。それより昔、弟の勉強を教えるのに、あろうことか私がムチを振るったという話もある。(この話はウソ)ふと時計を見ると、もう9時だ。「帰らなくっちゃ。」「もう遅いよ。泊まっていった方がいいよ。」「そうだよ。そうだよ。」というわけで、また話に花が咲く。翌日つまり今日、朝も昼も義姉の手料理をご馳走になり、送ってもらって帰宅した。ああ、面白かった!!
2003年07月29日
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右目の目尻の縁が赤くなって少し痛い。パソコンに向かい、合間に編み物をしていると、知らず知らず眼を酷使しているらしい。読みたい本も横に置いてある。眼に良くないことばかりしているようだ。少しぐらい散歩をして景色や緑を眺めても追いつかないかも知れない。強度の近視なのでコンタクト・レンズを何十年も使っている。落としたり、壊したりも何度も経験した。夫が居た時には「落としちゃったー。おねがい!」と叫ぶと、「動かないで!」と言いながら100%に近い確率で捜してくれた。夫は強度の遠視であった。視力表の一番下は勿論、欄外の+++謹製まで読めてしまった。眼科医に聞いたことがある。「近視と遠視だったら、子供は丁度良くなるんじゃないですか?」と。「そうはならないんですよ。どちらかになるんですね。」という返事だった。結局子供は皆近視になった。もう一つ。「眼が悪いので。」と眼科医に言うと、「近視は眼が悪いのではないんです。遠くが見えにくいのです。遠視は近くが見えにくいのです。」と言われた。さて、夕方も散歩に行こうか。
2003年07月26日
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編み物をしながら考えた。「イラク復興支援特別措置法案」が参院本会議で、賛成多数で可決成立した。イラク国民への医療活動、被災民への食料、医療、医薬品などの援助、輸送、補給活動など「人道復興支援活動」と、治安維持活動を行う米英軍を後方支援する「安全確保支援活動」の二つの分野に従事するものだそうだ。この法案に限らず、現在の国会では与党が提出した法案は可決し、野党が提出した法案は否決される。多数決原理に従っているから仕方がない。仕方がないが、これは本当の民主主義と言えるのだろうか?多数の意見が必ずしも正しいとは限らないだろう。少数意見も尊重し、議論を尽くせば民主主義と言えるのだろうが・・・
2003年07月25日
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さて、編み物に取りかかるぞ!一応“夏の編み物”の本を買ったので、その中からサマーセーターを選んだ。本当はゲージを取ってから編み始めるのに、ゲージなしで始めてしまった。だが良く見ると、模様編みの記号と編み図が一寸おかしい。結局は娘に聞いて納得した。急がば回れ、だ。矢っ張り編み図を書いてからにしよう。
2003年07月24日
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今日は大暑というのになんだろう、この辺りのこの梅雨寒は。寒さのせいでというわけではないが、無性に編み物をしたくなり毛糸を買った。不器用なので、洋裁とか工作とか作ることは苦手である。ただ編み物だけは上手ではないが時々編みたくなる。娘に言わせると「ふうちゃんはアスペルガー症候群だから、デジタルの編み物が好きなんだよ。」だそうだ。表か裏か、一目一目進む、というのが性格に合っているという。以前娘と一緒に本屋で立ち読みしていると、「ふうちゃん、アスペルガー症候群の実例が出てるよ。北海道で、先生が<寒いねぇ。>と言うと、その子が<9度だよ。>って言ったんだって。」と娘。「この前、私も近所の人に<寒いですねぇ。>って言われて<さっきは17度でしたよ。>って言ったけど。」と言うと、「エーッ。矢っ張り!!おんなじだ!」と笑うこと、笑うこと。そんなに変かなぁ。私はそんなに寒いとは思っていなかったんだけれど、人によって寒さの感覚も違うんだなぁ、と思い、17度というのはどうなのかなぁ、と思っただけなのだ。寒い冬に17度だったら、きっと暖かく感じられるだろうし、暑い夏だったら、寒いぐらいに感じられるに違いない。面白いなぁ、と思う。そこでまた娘の言うのには、「普通の人は<寒いですねぇ。>と言うときに大体、<そうですねぇ。>という相槌を期待しているのであって、<こんにちは。>というのと同じ意味なんだよ。<気温は何度です。>なんて返答されるとビックリするんだよ。」そうなのか?多分来週には梅雨も明けて暑くなるに違いないので、サマーヤーンという夏用の糸で細めのを買った。さあ、何を編もうか。
2003年07月23日
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早朝散歩をしなかったので、がんセンターまで歩いていった。検査の結果を聞く日である。大丈夫とは思うものの待つのの待つのはイヤなものだ。「もう何年経ちましたか? 4年ですね。」「検査の結果はーーー大丈夫ですね。みな基準以内ですよ。」「お陰様で。有り難うございました。」「それでは今度はガリウム検査をしますから。」「先生、それってこの次の検査の時ですか?」「イヤ。来週の月曜日に注射をして、3日後に全身の写真を撮ります。そしてその次の週に結果が分かります。」エーッ!! そんなのアリ? そんなの初めてだ!帰宅してから娘にその話をすると、娘は「ふうちゃんの経過が良いから、きっとお医者さんはそういう人のデータが欲しいんじゃないかな。」という。そうかも知れない。とにかく初期のガンではなかったのに、上手な手術を受けられたことには感謝している。データは提供することにしよう。
2003年07月22日
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スーパーマーケットの入り口のそばに、こぢんまりとした花屋さんがある。店は小さいけれども、手入れが行き届いていて回転も速い。時々覗くと、新しい花が並んでいる。ストロベリーフィールドという名の赤い小さな花があった。エッ! これがあのビートルズの“ストロベリーフィールド、フォーエバー”の花なの?あのビートルズの歌から描いていたイメージとはちょっと違っているなぁ。私のイメージではーーーすてきなイングリッシュ・ガーデンに、淡い緑や濃いグリーンに縁取られるように、赤い可愛らしいストロベリーフィールドが鮮やかに溢れてーーーという感じだったのに。あぁ、イギリスにも行ってみたいなぁ
2003年07月21日
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久し振りにNHKラジオの「日曜名作座」を聴いた。子供の頃はラジオしか無かった。家族で晩ご飯を食べながら、宿題などをしながらラジオを聞いていた。台風の時などもラジオが頼りになった。テレビが生活に入り込んでからはラジオは殆ど聞かなくなってしまった。ラジオを見直したのは、4年前にガンで入院したときだった。情報(ニュース)は早いし、良い音楽は聴けるし、手仕事をしながら聞いていられる。“ラジオ深夜便”を聞いたのもその時が初めてだった。夜11時15分位から朝5時まで、元NHKアナウンサー(?)が終夜担当するのだ。「日曜名作座」を最初に聞いたときは正直言って驚いた。出演者の声がとてもお年寄りの声に聞こえたのである。何が、というわけではないが「大丈夫なのかな。」と思ってしまった。が、2回・3回と聞くうちに、私が間違っていたことに気付いた。出演者は森繁久弥と加藤道子の2人である。ナレーションも登場人物すべてのセリフも2人だけである。物語に応じての言い回しや方言も味があり、何といっても間の取り方が素晴らしい。物語の情景が眼に浮かび、夢中で聞くうちに20分などアッという間に経ってしまう。今晩のは宮沢賢治の「ドングリと山猫」だった。多分これは再放送だったと思う。すばらしかった。
2003年07月20日
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今日も曇り時々小雨であった。朝4時過ぎラジオで、九州福岡で「大雨洪水警報」が出されたと言っていた。その後テレビでも、博多駅や水俣市が大変なことになっている実況中継をしていた。昨日の諫早市の列車脱線事故も、大雨で地盤が弛み130kgの岩が線路に落ちてきたのが原因らしい。梅雨といっても関東地方は雨はそれ程降らず曇り空の日が多いのに、西日本は集中豪雨に見舞われている。小さい国なのに、北と東と西とでこんなにも違う、なんと細長い国なのだろうと思う。福岡や長崎の方々の被害が、どうか最小限の被害で済みますように!!
2003年07月19日
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今日は小学生チビっこたちの終業式だ。私の孫は、小学6年・1名、5年・1名、4年・1名、2年・3名で来年入学が2名、予備軍2名である。皆元気で性格が良く肥満児もいないし、私の心配することは何もない。成長の過程で反抗期というのはあるとしても、このまま素直に成長して欲しいと願うばかりである。私が出来ることで、していること。1. 物を買い与えないこと。 何か買おうとすると10人分になるので現実問題大変。1. 買わない代わりに、一緒に遊ぶ。散歩をする。 日焼けを覚悟で。1. 本を読む。 大きい子は自分で読むようになったが、小さい子に読んで いると寄ってくる。1. 見かねたときだけ、気合いで怒る。(2年に1回位?)私の夢は、孫を2人位ずつ連れて旅行することである。数年前に徳島に行き、私の見た鳴門の渦をハガキに書いて孫たちに出したら、見に行きたいとせがまれた。高学年の子はもう連れ歩いても大丈夫だろう。いよいよ明日から夏休みだ。
2003年07月18日
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東京駅でN子さんと会った。N子さんとは女子高校時代3年間一緒のクラスだった。彼女は5人兄姉の末っ子だったがとてもしっかりしていた。何人か親しい友達はいたが、現在も気兼ねなく相談し会うのはN子さん一人である。皇居の方に向かい噴水や花壇を眺めながらベンチに坐って話をした。噴水も花壇もベンチも人工的な現代風のものだ。大昔お互いに独身時代、勤務先がN子さんは有楽町近く、私は東京駅近くの丸の内側だった。時々打ち合わせて昼休みに皇居まで出て過ごしたりした。お堀は当時のままだが、噴水などは昔は無かった。そこから日比谷公園まで歩いた。昔に比べると大木が多くなり鬱蒼としていた。池に向かって尺八を吹いている男性がいた。お昼過ぎになったので帝国ホテルに向かった。たまには贅沢をしてみようということで、“インペリアル・バイキング”というのを先刻予約しておいたのだ。“レディーズレイトランチプラン”と言って1時半からの時間帯割引になるらしい。17階からの眺望はふれ込みほどではなかったが、料理は種類も沢山あり、味はそれぞれがとても美味しかった。暖かい料理と付け合わせ、冷たい料理、デザートを少しずつ食べたつもりなのに満腹になってしまった。フルーツやアイスクリームまでは到達しなかった。矢張りバイキングは若い人達にはかなわない。YS一心さんの日記に、確か食べ放題のことをバイキングと呼ぶのは日本だけとあった。N子さんはご主人の晩ご飯の支度があるからと、地下鉄日比谷線でそそくさと帰った。私は独り東京駅まで歩いた。お互い相談事があったはずなのだが、取り留めなく話して、話しているうちに自分自身で解決法を見つけている、というのが私たちだ。いつまでも良い友達でいたい。
2003年07月17日
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曇りがちではあるが、昨日に引き続き暑すぎもせず爽やかであった。高校時代の友達から電話が入った。明日会おうということになった。彼女は横浜に住んでいるので、丁度中間の東京駅で会うことにしている。明日も多分雨は降らないと思うが、暑くなるか寒くなるか、どうだろう?
2003年07月16日
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4時半、7月15日なのに肌寒く感じられる。40分位坂道を下って上って歩いた。皆が出掛けた後娘も幼稚園の仕事で出掛けた。一人でパソコンに向かったが何となく落ち着かない。庭に出て草花を眺めたりブルーベリーの熟したのを採ったりした。ブルーベリーは一つの鉢に2種類植えてある。植えてから3年目ぐらいだろうか。最初は細くて15cm位だったのに、今はもう1mにもなり緑の実や赤っぽくなった実を沢山付けている。赤からだんだんに青くなり青紫に変わって行く。当然濃い青紫の実は甘く、薄青い実は酸っぱい。どちらもとても美味しい。私がここにいる間は、私が一人で食べてしまっているかも知れない。そんなことをしている間に11時を回った。幼稚園児のチビちゃんをバス停まで迎えに行く時間だ。一緒に下りる3人の友達と一緒に下りてきた。家にいるときは元気なのに、とてもおとなしい。大分暑くなったので、冷やし中華をゆでて2人で食べた。ママがいるときより静かで良い子だ。結局パソコンはあまり出来ずだった。
2003年07月15日
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昨日の夕方から雨が降り続いた。今朝は散歩はや・す・み。早朝散歩をするようになってから1ヶ月近く経つだろうか。八十艮さんのサイトを見て、これは私にも向いているかも知れないと思ったのがきっかけだった。岐阜の娘宅はすぐ近くが病院だった。ベランダから見るともなく見ていると、足を引きずりながら病院に入って行く年輩の方が随分多いことに気がついた。そういえば私も痛いとまでは行かないが、膝に違和感を覚えることがある。特に正座をしていて、いざ立とうとすると「膝が変だな。」と思う。手術の後のんびりし過ぎて、大分太り気味だし歩くことは良いかも知れないと思ったのが、もう一つの理由だった。梅雨時であるから雨で休む日もあったし、長時間歩いたわけでもないが、ふと気がつくと膝の違和感は無くなっていた。運動は苦手で長続きしない私でも、歩くことなら多分これからも出来るであろう。足からの老化を防ごう!!
2003年07月14日
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昨日とはうって変わって梅雨寒という感じ。兄夫妻が迎えに来てくれて、両親の墓参りに行った。ここからは近く、公園墓地になっている。とても広い。古い場所では墓石も一般的であるが、最近は西洋風の背の低い墓石が主流になっている。春は桜がとてもきれいで、近隣の人達はお花見だけにでも来る。車がいつもより多いと思ったら新盆なのだ。この辺りでは新盆にお参りする家も多いようだ。私は(亡夫もそうだったが)新盆がいつなのかも忘れるほど墓参を重要視していない。墓参をしなくても、夫も、両親も、夫の両親も、私のそばにいると思っている。私が決して忘れないからだ。だが娘たちはそれだけでは充分ではないという。「ふうちゃんが忘れないだけではなく、お父さんのことを(祖父母も含めて)子供たち、孫たち、関連のあった人達に伝えるために書き残してくれなくちゃ。」という。確かに、夫からの宿題であるかも知れない。少しずつ書いてはいるが、まだまだ先は長い。
2003年07月13日
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昨日今日の蒸し暑さはどうだろう!!この蒸し暑さこそが、ヨーロッパなどから来日、滞在している人達を参らせる元であるに違いない。友達から電話が入った。以前マンション(私たちは鉄筋長屋と呼んでいたが)に住んでいた頃の仲良し3人組の1人である。ママさんというよりおばさん3人組だったかも知れない。彼女MT さんは3人の中で一番若く美人だった。美容院でも「黙って座っているとお人形さんみたいね。」と言われたが、ひとたび口を開くと、ゆったりした大阪弁でキツい言葉が飛び出すのだった。肉屋さん、八百屋さんなどでの値切り方は、関東者の私などには真似の出来ぬ鮮やかさだった。もう1人IT さんは私より2つぐらい上だったが、5人姉妹の末っ子で性格がおっとりして可愛かった。東京下町の育ちで細かいことにこだわらなかった。向かいの公園で子供たちが遊ぶのを眺めながら、長屋の廊下でおしゃべりをしたものだ。たまにわが夫が早く帰宅すると「家の中に入って話せば良いのに。」と言っていた。今はそれぞれ別のところに住むようになり、子育て中は連絡も途絶えがちだったが、最近になって、たまに集まるようになった。去年はMT さんの運転で筑波山に行った。見晴らしの良い山上でお弁当を食べながら話は尽きなかった。今年もどこかに・・・と考えていたのに、ITさんが、昨年ガンの手術をしたというではないか。ITよ!おまえもか・・ITさんはもう大丈夫とは言うが、機会はいくらでもある。次回にしようね。
2003年07月12日
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昨日の日記で、レノグラム検査の説明をして欲しかったと、がんセンターに苦言を呈した。が、他のがんセンターは知らないが、ここ千葉のがんセンターは素晴らしいと私は思っている。4年前に始めて行ったとき、まずその明るさに驚いた。建物も立派というわけではないが明るい雰囲気だ。お医者さんや看護士さんも、そして何より患者さんたちの明るさにビックリした。ガンと知らされガーンとなったとき、先生に「ガンだからといって不幸とは限りません。身体は健康な人でも不幸な人はいくらでもいますよ。」と言われて納得したのだった。手術後、待合室で一緒になった男性は「私は骨ガンで、こことここに転移しましてね。仕事の合間に病院に来たんですよ。」と何事もないかのようだった。手術の後も、抗癌剤治療(私はしていないが)や放射線治療を何故、どのようにしなければならないかを、きちんと説明してくれた。横の連携が非常に良く取れているのだ。夫がその前年に手術した東京の大学病院ではまったく違っていた。大学病院では、ガン患者とその他の患者が一緒なので、ガンということをハッキリ言わないのだ。その上、外科と他科との連携がまったく取れていないと私には思えた。大学病院の患者というのは、人間ではなく〈症例1〉〈症例2〉というものでしかないのではなかろうか。
2003年07月11日
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定期検診の2日目である。今日のは大したことはい。心電図とレノグラムだけだ。レノグラムというものは最初の検診の時から(なんだろう?変なものだ。)と思っていた。椅子に座らされて細い細い注射器で、静脈から血液を出したり入れたり繰り返す。「10分間このまま座っていてください。」と一人にされる。目の前に貼られたハガキぐらいの、どこかの広告から切り抜いたような風景画や、部屋のあちこちを見るともなく見る。(手持ちぶさたというのは、こんな時に使うのかなぁ)と思っていると、お医者さんがやって来て「ハイ、終わりました。」で終わる。「コレはどんなことをしているのですか?」と聞いたが、「あー。コレはむにゃむにゃむにゃ。」とまったく要領を得ない。夫がいたときは、聞くと即座に答えが返ってきたので、不思議に思ったことは何でも聞くことにしていた。百科事典を抱えていたようなものだ。夫も分からないことは、物識りの知り合いに聞き調べた。レノグラム検査の時には、百科事典さんがいなかったので分からぬまま過ごしてしまった。それを今調べてみると、【腎臓へのRIの集積と排泄の時間変化を動態画像収集によって計測するもので、その時間放射能曲線の形から腎臓業の診断がある程度可能です。腎動脈の動脈硬化が原因で生じる腎血管性高血圧の患者さんにとっては重要な検査で、左右どちらの腎臓がどの程度悪いかが分かります。】ということだった。要は放射性物質を血液に入れて、それが血管をどのように通過して行くかを調べるらしい。成る程それでお医者さんの歯切れが悪かった筈だ。手術の後、私は通院で40日近く放射線治療を受けた。1回の放射線照射は一瞬なのだが、それでも毎日の被爆というものは、言葉では説明不可能な不愉快さであった。レノグラム検査時の放射能注入量は胸部レントゲン撮影時と同じぐらいらしい。だがそれでも、核医学の先生は放射能のことをきちんと説明すべきだと思う。各地の原子力発電所の問題も、結局は国民や地域住民に分かってもらおうという姿勢ではなく、隠そう隠そうという姿勢がいけないのだ。今日はお茶や水を沢山飲んで、放射能を流してしまわなければ。
2003年07月10日
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娘と2人で千葉まで出掛けた。合い鍵を作るためだ。4月に岐阜に行く時に、私の持っていた鍵を小2の子に渡したのは良いけれども、こちらにいる間は矢張り鍵が必要になる。昔の田舎では鍵など必要としなかったものだ。今でも鍵が要らない地方があるのだろうか。あって欲しい気がする。千葉ではスターバックスでフラペチーノを飲み、帰りには長崎チャンポン屋さんでお昼を食べた。滅多にない大人の時間であった。明日から幼稚園児は午前保育なのだ。
2003年07月09日
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今日はがんセンターに行かねばならない。手術後の定期検診日である。もう5年目になった。経過は良好なので「もう行かなくても良いのでは・・」と思うのだが、娘たちは「とんでもない!」と怒る。夫がガンで他界して、納骨を済ませ、さてこれからどうしようかと思っていた矢先に、まさか自分もガンになるとは思ってもいなかった。娘たちの方がビックリしたらしい。通常、定期検診は1日入院になっているのだが、私は外来にしてもらっている。血液を4本採られる位は何ともないが、それでも検診はイヤなものだ。明後日、もう一回行かなくてはならない。
2003年07月08日
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携帯電話の電話帳登録をした。機種を交換してからもう一ヶ月以上も経つのに、登録は娘3人だけ、娘にしてもらっただけである。カメラ付きで、外出時には持って出るようにはしているが滅多に使わない。一度娘からケータイメールが入ったが返信の仕方が分からなかった。千葉に来て、友達にも連絡を取ろうかと考え、矢張りケータイに電話番号が載っている方が便利だろうと思ったのだ。取扱説明書を見ながら打つのだが、とてもややこしい。何度もやり直しながらやっと7人だけ登録した。電話でさえも用事がなければ掛けないのだから、この程度でよしとしよう。今夜は七夕だが、天の川は見えないようだ。
2003年07月07日
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早くに目覚めたが雨音がしている。新聞を取りに出た。そんなに強い降りではないが、散歩は止め。新聞受けのそばのバラ、ルィーズ・オーディエの香りが素晴らしい。すぐ横のエブリンはフルーティーだ。こう書くと広い庭の感じを受けるかも知れないが、まるで家の周りの通路庭園である。この狭い場所を4年足らずで、ここまで仕上げるとは、わが娘ながら庭師の才能があるのではなかろうか。実は娘自慢?あっ、新聞で思い出した。ここは読売新聞を取っているが、岐阜(といっても白鳥)では読売が売られていないのだ。私はあまり難しいところは読まないが、読売の日曜版が好きだった。堀越千秋さんの挿絵付きのエッセイ、佐治晴夫さんや米原万里さんのエッセイが大好きだった。春に岐阜に行ってから、日曜版だけは読売と思ってコンビニに行ったが置いていなかった。図書館の新聞コーナーに行っても置いていない!中日、岐阜と農業新聞、全国紙では朝日と毎日ぐらいなのだ。期待に胸を弾ませて日曜版を開いた。なんとしたこと!!!堀越千秋さんも、佐治晴夫さんも、米原万里さんの名前も無いではないか!!PS:【堀越千秋さんのエッセイは、月一回土曜日の夕刊に掲載されているそうだ。】あぁ、よかった!と言うべきか。
2003年07月06日
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移動の予定を昨日(4日)にしていたが、天候が良くなかったので今日に延ばした。高速バスで岐阜、岐阜から名古屋、名古屋から東京、東京から千葉と乗り継いで、こちらにやって来た。こちらでもチビっこ3人組の歓迎を受けた。娘たちは外出から戻ったところで、早速ビールで迎えられた。娘が丹精しているバラたち、マッカートニーローズ・ギターレ・アイスバーグ等々も二番咲きではあったが、香りとともに迎えてくれた。ブルーベリーや木イチゴの実も、チビちゃんが案内して採ってくれた。千葉は今年の梅雨は、例年に比べて降水量が少ないとTVで言っていたが、確かに爽やかな感じである。それにしても、ちょっと疲れた!大体乗り物では座っていたのに、土曜日で人が多かったからだろうか。お風呂の後、チビっこたちは「ふうちゃんと一緒にねたい!」と大騒ぎだったが・・・またあしたね・・
2003年07月05日
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娘が用事で2時間位といって出掛けた。チビちゃんは裸でおもちゃで遊んでいたが、ちょっと機嫌が悪くなった。おっぱいが欲しいんだな。シャツを着せて、ダッコした。何気なく、口をついて出た子守歌。 ねんねん ころりよー おこーろーりーよーではなく、 ねんねん ねこのけつにー(品が悪いが) ありが はいりこんだー 1ぴき かーとー おもーたーらー 2ひき はいりこんだー 2ひき かーとー おもーたーらー 3びき はいりこんだー 3びき かーとー おもーたーらー 4ひき はいりこんだーと、延々と続くものだ。夫が子供たちの小さな頃に、寝かせるために必ず歌っていたものだ。私は関東育ちだが、そんな歌は聞いたことがなかった。夫は京都育ちでおばあちゃん子だった。夫は「これは昔からある子守歌だよ。」と言っていたが、本当なのか、夫の創作だったのかはわからない。とにかく、娘たちはこの子守歌で育った。アリが10匹入り込んだところで、チビちゃんは寝入った。
2003年07月04日
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土用の丑の日にはまだ少し早いが、娘が鰻の白焼きを生協で注文した。かば焼きと違って、一応ポン酢で食べるようになっている。量も多くないし、子供はあまり食べないだろうということで、メインではなく、もう一品ということだった。ポン酢だけではなく、鰻のたれも用意して、どちらを付けても良いようにしていた。ウナギ自体が美味しかったのか、たれが美味しかったのか、とにかくポン酢よりも良い味だった。チビっこたちは、鰻は食べず、ウナギのたれをご飯にかけて食べること、食べること、3杯も4杯もお代わりをした。思い出した。私なども子供の頃はウナギというと、本体には見向きもせず「タレだけ、ごはんにかけてちょうだい。」と言っていたものだった。いつごろから“ウナギはおいしいもの”と思えるようになったのだろう。思い出せない。
2003年07月03日
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7月2日の日記を書いて更新したはずなのに消えていた。楽天さん、どうしたことでしょう。まぁ、いいか。半夏生のことについて書いたのだった。他の方々のHPを楽しみつつだった。気が抜けてしまったので、要点のみ。“半夏生”という語感が、理屈抜きで私は好きだ。
2003年07月02日
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今日から7月。 晴れた朝の日課として散歩に行った。西の山には霧が出ていた。予想はしていたが、9時半頃から雨が降り出した。気温もあまり高くはない。チビちゃんを外に連れ出すことも出来ず、テレビのスイッチをいれた。アッ! よねちゃんだ!!大好きな米村傳次郎先生である。米村先生は以前高校の理科の先生をしておられた。実験が好きで、身近な物で何でも作ってしまうということで、TVで特集をしていたのを、たまたま夫と一緒に観たことがあった。それ以来、よねちゃんのファンである。よねちゃんは今は確か東京・北の丸公園にある科学技術館におられる筈である。そう、テレビの話。相変わらず、よねちゃんは楽しげに実演していた。一つはハンドパワー。静電気を利用して、シャボン玉を掌や風船を使って自在に操るというもの。もう一つは“空飛ぶペーパー”。ボール紙を手裏剣のように切って、ちょっと折り目を付けると、ブーメランのように飛んで、手許に戻ってくるというもの。ブーメランと竹とんぼは同じ原理だそうだ。たった10分間の出演だったのに、またまた印象に残った【よねちゃん】でした。
2003年07月01日
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