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12日に千葉にやって来た。明日ケアンズ出発。しばらくの休養・・・
2003年09月15日
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台風14号は“猛烈な”台風だそうだ。瞬間最大風速74.1mってどんななんだろう。家屋も吹き飛ぶほどだそうだ。私の勘では残暑もあまり続かず、秋の訪れが早い筈だったのに、どうも狂ってしまったようだ。今日の暑さはどうだろう! 33℃ぐらいはあったのではないだろうか。来月2才になるチビちゃんも、外に出ない方が良いと感じたのか、部屋で汗をかきながら、積み木でご馳走を作ってくれた。明日から私がしばらく出掛けるのを感じてでもいるのか、私にくっついてくる。可愛いものだ。というわけで、明日は移動前の移動である。
2003年09月11日
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システム手帳が爆発的に流行った時期があった。15年ぐらい前だったろうか。街で見かけるビジネスマンや営業マン・ウーマンたちの多くがシステム手帳を片手に、話をしメモを取り公衆電話に取り付いていた。携帯電話が普及する前だったから、事故などで電車が遅れたりすると公衆電話に長い列が出来たものだ。パソコンも今ほど企業に浸透していなかったので、ビジネスは紙とペンが主流だったわけだ。確かに予定表とか議事録とか住所録とかメモ帳等々別々の手帳を持つよりも、それらを一冊にまとめるのは賢い方法だった。賢い方法には違いないが、かなり嵩張るし重たいものだった。その数年後・・携帯電話が瞬く間に広まった。ビジネスマンどころか中学生にまで大はやりである。パソコンも企業から個人(小中学生から)まで使うようになった。現在システム手帳を使っている人はどの程度なのだろう。最近は都会には全然足を踏み入れなくなったのでまるで分からない。夫は他界する10日前まで書いていた。私は今は仕事をしていないけれども手帳は持っている。システム手帳と呼べるほど立派なものではないが一応レフィルを使っている。縦横ともにレフィルとほぼ同サイズ(実際には1cmずつ大)の革製である。嵩張らないので小型バッグの隅に収まる。中身は予定表と住所録(わずか)と罫線と白紙のみである。予定表も最近は書かずに覚えていられる程度だ。出掛けるときに分厚い10年日記を持っては行けないので、罫線レフィルに書いておいて帰宅後写すことにしている。単なる雑記帳のようなものだが私は気に入っている。
2003年09月10日
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重 陽(ちょうよう)九月九日 重陽は、易でいう陽数の極である九が重なることで、重九(ちょうく)ともいわれる。中国では奇数を陽の数としていたので、陽の九が二つ重なる九月九日は、大変に目出たい日とされた。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾り、酒盛りをして祝ったといわれている。 日本へは平安時代に伝わり、宮中で「観菊の宴(重陽の宴)」が催された。杯に菊花を浮かべた酒を酌みかわし、長寿を祝い、詩歌をつくった。江戸時代には、五節句の中で、最も公的な性質を備えた行事になり、武家では菊の花を酒にひたして飲み祝ったとされる。民間では粟御飯を食べた。ということだそうである。(丸写し)ところで9月6日の日記に画像を載せてみた。娘がデジカメで撮ってくれたものだ。群れ鳥の様子が少しは伝わるだろうか。1本の電線にのみビッシリの光景が!!!
2003年09月09日
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私はノート・パソコンを使っている。本拠地が決まっているならデスクトップ型が良いのだろうけれども、私のように3人の娘の家を行ったり来たりするには持ち運びが出来るというのが必要条件である。だが、今のiBookでさえ大きいし重すぎる。外出先では細かい処理は必要ない。(普段でも細かいことなど何もしていないのだが)理想は、例えば電子辞書ぐらいの大きさが良い。キーボードは小さくても良いが必要なので少し横長でも良い。いくら小さいと行っても携帯電話の入力方法は好みではない。そしてややこしい設定などせずに何処からでも、何処にでも繋がるようになれば良いのにと思う。要するに携帯パソコンというもの。もう既にあるのかな?
2003年09月08日
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朝遅く上のこ2人を連れて散歩に出掛けた。ローラースルーを押しながら軽快に出発したが随分暑い。気温は25℃となっているが雲もなく太陽がカッと照りつけると更に暑く感ずる。川の石段を下りて流れが緩やかなところで「水で手を浸してご覧。」というとその通り川縁に入った。木の下で露草やナデシコなどを眺めながら2人を見ていたがなかなか出てこない。水辺でススキの穂が風にそよぎ、シオカラトンボが飛んでいる。赤とんぼはまだいない。それにしても子供たちは水が好きなんだなぁ。やっと「のどがかわいた。」と上がってきた。 「何かいたの?」「うん。めだかがいたよ。」メダカではないかも知れないが、小魚がいたらしい。そういえば今年の夏は涼しすぎて川遊びも出来なかったね。2人にもコスモスを見せ自慢をしながら(よそ様のものなのに)帰ってきた。
2003年09月07日
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早朝散歩から戻った後雨になった。秋雨といった感じだった。夕方雨が止んで外に出てみた。早い月を見上げたとき送電線が眼に入った。高い位置に電線が4本。その1本に何と小鳥がびっしり留まっていた。数十羽どころではない、数百羽はいただろう。2羽、3羽ずつ飛び立っては又戻ってくる。高すぎて何の鳥か分からない。スズメではない。コチドリ?電線は4本あるのに、どうして1本だけに留まっているのだろう。リーダーがいて何か指令を出しているのだろうか。鳥語で話し合っているのだろうか。 あんなに群れていても派閥争いはなさそうだ。
2003年09月06日
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川のこちら側と向こう側の道端に一群れずつのコスモスがある。日の当たり具合はそれ程差はないと思う。が、こちら側のコスモスは随分咲き揃ってきている。丈も40cmぐらいから1mを越すものもある。ピンク色が大半だがローズ色も少しある。スーッと伸びた茎、ふわっとした柔らかな黄緑色の葉。コスモスは風にそよいで、そんなに強そうには見えないけれどもとても強いらしい。 《立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花》と歌われた頃はまだコスモスはメキシコから日本に渡って来ていなかったに違いない。もし私が男性で、コスモスのような女性に遇ったとしたら、きっと一遍で参ってしまうのではなかろうか。
2003年09月05日
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9月に入ってから真夏に逆戻りだ。暑い、暑い!寒暖計が無いので気温は分からないが30℃+1℃か2℃ぐらいだろう。窓を開けはなって扇風機を付けぐうたらしていた。冷たいお茶が幾らでも飲みたい。ここの保育園や小学校は暑いときは毎日水筒を持って行く。お茶を沸かし冷蔵庫で冷やしておいたものだ。のどが渇いたら何時でも飲んで良いのだそうだ。今週は2人とも全部飲んで来た。麦茶でも何でも良いのだが、今のところ我が家はルイボス・ティーというのを飲んでいる。癖がなく利尿作用があると思う。暑いとは言っても朝晩はそれ程でもない。秋はそこまで来ている!
2003年09月04日
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昨日の夕方、外でチビっこたちの遊ぶのを見ていたとき空に綺麗な月が出ていた。三日月よりちょっと太い。四日目ぐらいだった。夜中の2時に目が覚めた。あっ、火星!今なら見えるに違いない。外の廊下に出て上を眺めた。 あっ、あれだ!下に降りて広場に出てみた。見えた見えた!!他の星よりも確かに火星は大きいし明るい。だがこうなると天体望遠鏡で見てみたいものだ。今度一度プラネタリウムに行ってみようか。
2003年09月03日
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ナナカマドの実を送ってくれたH子さんに返事を書かねば。H子さんはパソコンをしない。時候の挨拶から始まって近況報告をなめらかな文章でさらさらと書いて来る。ボールペンではなく万年筆である。私は年だけは人並みに取っているが、普段もあまりきちんとした挨拶など苦手だし、手紙文も苦手である。出来れば用件だけで済ます方が気が楽だ。パソコンを始めて、“良かった”と思ったことの一つがそれである。メールだと気軽にやり取りが出来るし、文章や文字を間違えてもすぐ直せるし消すのも簡単だ。待てよ。この間房総の娘の家に行ったとき、夫の遺品を整理していたら万年筆が出てきたのだった。昔は何本も持っていたのに、現場に出るときにはボールペンになり、ワープロやパソコンを使うようになってから万年筆は隅に追いやられてしまった。気前の良い人だったから、欲しいと言われれば上げてしまったのかも知れない。TTさんという変な友人がいて、珍しい万年筆を手に入れたからと、東京から京都まで、夫に自慢しに来たことがあった。手術後は夫は手紙は専ら毛筆を使っていた。筆は力が要らず楽だからという理由だった。出てきたのはモンブランだった。まだ新品同様で、夫にしてはペン先が少し細めである。まるで私に残してくれたように思える。娘の夫がモンブランのインクを持っていた。万年筆も丁度同じのを持っていた。ペン先が彼の方が少し太い。書き比べなどした。私もその後モンブランのインクを買った。夫はインクはブルーブラックを使っていた。私はロイヤルブルーにしてみた。
2003年09月02日
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今朝も夜明け前の散歩に出た。四方霧が深くて星どころか山も何も見えない。いつもは街路や高速道路や橋で光っている明かりが、少し離れるとボォーッとにじんでいる。電灯のない時代は月や星のない夜は本当の闇夜だったのだろう。霧の中だったら尚更だ。関ヶ原の戦いの時、家康の兵と石田光成の兵とが狭い道をすれ違ったのに、どちらも気が付かなかったということだが信じられる。その代わり晴れた夜空の星はきれいだった筈だ。私の子供の頃でさえ満天の星空は当たり前だった。地図作りの伊能忠敬は昼間は器具を使って海岸線の三角測量をし、夜は星を観測して位置を測ったそうだ。それを55才から18年間も続けたとは気が遠くなりそうだ。きっとその頃の火星は今よりも明るかったに違いない。
2003年09月01日
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