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先日参議院選挙が行われたが、前回の改選時に比べて、ずいぶん投票率は下がっていた。もっとも多少上がっただの下がっただのと言っても、基本的に国政選挙で7割や8割に行くことはまずなく、所詮ドングリの背比べでしかない。投票に行かない人というのは、大きく分けて二つに分かれるだろう。ひとつは「自分ひとり投票しようがしまいが大差ない」と考える人たち、もうひとつは「端から政治に興味がない」という人たち。少なくとも前者の人たちを投票所に向かわせるだけでも、投票率はかなり上がってくると思われるが、まずは彼らをそう考えるに至らしめる原因は何かと考えてみた。いろんな要素があるとは思うが、私にはマスコミの責任が大きいように思えてならない。例えば「現状分析」と称してマスコミ各社は独自の取材・調査をもとに、選挙結果の予想を立てるが、私には、何の必要があってやっているのかよく分からない。まさか有権者の判断材料にしてもらおうとでもいうのだろうか。今回であれば、「与党過半数確保の勢い」、「ねじれ解消の見込み」などという見出しが投票前に見られたが、こうやって自信たっぷりに書かれると、与党のシンパは安心して、また与党のアンチは諦めムードになり、投票意欲を無くしてしまうのではないか。また投票日夜の選挙特番における、あまりにも早すぎる「当確」、これも百害あって一利なし、とみる。特に今回で言えば、投票終了の午後8時と同時に、テレビの特番は「与党過半数確保!」とブチ上げた。まだ開票の「か」の字も出ていないうちに、である。もちろん出口調査をはじめとする各種データに基づく、限りなく精度の高い結論であるということは、よく分かっている。しかしこれではあまりにもシラケさせられてしまうのも事実だ。こういう報道を目の当たりにして、「ああ、やっぱり俺が一人行かなかったとしても、所詮は何も変わらないんだな」という厭世観に苛まれる人は少なくないと思う。事前予想にしても、早すぎる当確にしても、おそらくメディアの受け手が望んでのことではなく、単にメディア間の競争意識の中でエスカレートしてきただけのものであることは間違いない。少々乱暴に言ってしまえば、メディア間の競争によって有権者が振り回され、その結果として投票率の低下が起こっている、そういう理屈も成り立つのではないか。いっそのこと告示日から、公式の投票結果が出揃うまでの間、マスコミは選挙の予測報道を自粛する、くらいのことを義務付けてもいいのではないだろうか?
2013年07月22日
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このブログでも何度も書いたが、私のムスコはかつて、小学校区単位の学童野球チームに所属していた。これはいわゆる「リトルリーグ」とは違うが(リトルリーグは硬式、学童野球は軟式)、それでも毎週土・日は練習や試合で完全につぶれるし、定期的な大会もある。ムスコはほぼ毎回欠かさず参加していたが、仮にそれが嫌だと言って休んでいたりすると、当然上達も遅くなるし、そうでなくても試合で使ってもらう機会は少なくなる。それはチームの一員であるための不文律のようなものでもある。野球だけではなく、サッカーなどほかのスポーツにも同じような団体があり、それらのチームでも、基本的に事情は同じだと思われる。確かに指導者の方々も少年時代、概ね同じような境遇で過ごしてきてるだろうから、それが当たり前になってしまっているフシはある。それに最終的な目的が試合で勝ち、大会で良い成績を上げることだとしたら、どうしても練習量は多くなる。ただ、「野球をしたい」という子供たちの意識には、多少の温度差があるのではないか、とも考える。上手くなって将来はプロを目指したい、それにはどんな厳しい練習も厭わない、という者から、とりあえず興味が湧いたからやってみたい、でも厳しいのはイヤだ、という者まで、いろいろいて然るべきだろう。しかし前述したようなリトルリーグや学童野球のチームでは、結果的に勝利を目指すことを目的としている以上、どうしても練習は厳しくならざるを得ない。そういうチームには、ちょっとお試しで入ってみたい、などという者が入り込める余地はないのだ。昨今、野球をしようという子供が減っているということが言われているが、いざ野球をやりたいと思っても、その子の身の丈に合った受け皿が必ずしもあるとは限らない。そこで例えば自治体が率先して、「下手だけど楽しむためだけの野球チーム」みたいなのを作ってみるのもいいと思う。ただ現状のスポーツチームの多くが、多くの方々のボランティアで成り立っているのも事実だ。一部の人の好意に乗っかったままでは長続きしないこともあり得るから、ここは自治体が一定の予算を付けることも考える必要があるだろう。「生涯スポーツ云々」というお題目を掲げるのなら、そういった草の根レベルの状況を整備することから始めなければいけないと思う。
2013年07月13日
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以前のブログで、新しいメガネを作りに行った際に、いろいろと不具合があって、結果的に3種類のメガネを併用する羽目になった、ということを書いた。「通常用」として使うつもりで新たに作ったメガネが、ずり落ちやすくて困る、さらにはその対策として鼻当てに装着したシリコンパッドが、結果的に見づらさを助長してしまった、ということだった。結論から言うと、そのメガネをもう一度別のフレームで作り替えてもらうことにした。私の購入したショップでは、半年以内なら無料でやってくれるということだったので、そのようにお願いしたのだ。上に書いたような不具合が原因だったことはもちろんだが、それ以外にも作り替えに至った要因はある。それは、「あまりにも違っていた」ということだ。メガネのフレームというのは、機能的な要素はもちろんだが、デザイン面での好みというのも、そのチョイスに大きく作用する。もちろん私も、店頭であれこれいろいろ試しながら、最も気に入ったフレームを選んだ、つもりだった。ところがいざ出来上がったメガネを見て、正直ちょっとがっくりきてしまった。店頭に並んでいた、あの私の一番気に入っていたメガネとは、全く別物になっていたからだ。理由は簡単、前にも書いたように、私が超ド近眼だからだ。私の超ド近眼を補うためのレンズは、必然的に分厚くならざるを得ないが、片や店頭の見本というのはみんなダミーのレンズなので、厚さなどたかだか知れてる。だから店頭の見本を試しにかけてみて、自分に似合ってると思ってもみても、出来上がった分厚いレンズのものまで同じように似合ってるとは限らない。今回の場合、私が選んだものがわりと幅の太いフレームだったが、出来上がったのを見てみると、それは水泳用のゴーグルでしかなかった(笑)。かといってフレームの選択の段階で、分厚いレンズを想定することは非常に難しい。超ド近眼の人間は、常にこういったギャップに悩まされなければいけないのだろうか、と思うと、なんだか悲しくなってしまうのだった。
2013年07月04日
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