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宝くじは普段まったく買わない。そういうことを他人に言うと、「夢の無いヤツだなあ」と言われることがある。しかし私は思う。金を払ってみる夢など、夢ではないだろう、と。今年も年末ジャンボの季節がやってきて、テレビのCMでも盛んに宣伝している。それによると今年の最高賞金は、なんと「7億円」とのこと。1等5万円プラス前後賞が各1億円、ということだ。しかし私は思う。7億円はともかく、1等の5億円ですら、今どうしても欲しいという人が一体どれくらいいるのか、と。おカネは無いより有るに越したことはない。しかし必要以上に有っても、それはそれで持て余してしまうことだろう。仮に今、私が5億円、いや1億円でもいいや、それだけの金額をポーンと誰かから譲られたとしても、たぶん使いきれない。無理やり使おうと思えばいくらでも用途はあるが、そうなると必ず他人に知れるところとなる。それは絶対イヤなのだ。以前このブログでも書いたことがあるが、宝くじを買わないはずの我が家に、1等が当選したという噂がまことしやかに流れ、非常に困惑した経験がある。もちろん事実無根なのだが、あれは今思えば高額当せんの疑似体験になったと思う。あんな思いはもうしたくないのだ。ただ何度も書くが、私もおカネが要らないわけではない。店の方もいろいろと手を入れて改善したいところもあるし、プライベートでは教育費など子供に掛かる費用は、今がちょうどピークだ。それに老後の不安もないではない。ただそれに掛かる金額が億単位かと言えばそうではない。要するに私がもし宝くじに期待するとすれば、半ば実現不可能な「夢」とやらを持つのではなく、今どうしても入り用なカネを都合してくれるものであった方がずっといい。それには一等賞金が億単位である必要はない。極端なハナシ、百人に1億円当たるよりも、千人に1千万円当たるくじの方がずっと嬉しい。夢の無いヤツだなあ、と言いたければ言えばいい。ただ今のこの世知辛い世の中で、私と同じ考えを持つ人も少なくないのでは、とも思うのだが。
2013年11月28日
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最近当たり前のように毎日報道されている、食品の偽装・誤表示問題。最初に阪神阪急ホテルがヤリ玉にあがったが、その後もあちこちから出るわ出るわ....。謝罪会見もハッキリ言ってもう見飽きてしまった。もっともこれだけあちこちから出てくると、「日常的にみんなやってるのでは!?」と思われても仕方ない。世の中にウソをつかないという人がいないのと同じように。もちろん一から十まで全くのごまかし無しにやっている人も、大勢いらっしゃるだろう。でも故意でないとしても、無意識のうちにごまかしをやったことのある人も、少なくはないかもしれない。こうなると、日本という国の風土とか日本人の国民性といったものが、そもそも食に対していい加減だった、と結論づけるよりほかなくなってくる。スケープゴートのようにヤリ玉にあがった人だけを捉まえて、「オマエが悪い!」と非難しても仕方ないことだ。そういう理解をしないと、時代を超えて何度も何度もこういう問題が出てくるはずないから。例えばヨーロッパ諸国では、フランスの「AOC」のように、食品の原産地表示に関するキビシイ規定がある。ワインやビールに関しても、その基準を法律で厳しく取り締まっている国は少なくない。単に法律が整備されてるから優れている、というつもりはないが、ある意味これは「いい加減なことは許さない」という国民性の表れだと思う。今まで何かと「なあなあ」で済ませることを美徳としてきた日本人には、ひょっとしたらそぐわない考え方かもしれない。でも今後、食に関する規定をもっと厳格にしていくべき、という考え方が多数を占める世の中になるのなら、こういう法整備も必要になってくるかもしれない。そして今回の偽装発覚の中心が高級店ばかり、というのもなんだか象徴的だ。それだけ日本人のブランドに対する期待値が高いということの裏返しなのだろう。激安飲食店などで多少の偽装が発覚しても、「やっぱりね~」と笑って済まされそうだし。飲食のすべての業種から、いかなるごまかしも100%根絶する、というのは現実的に難しいかもしれないが、とりあえずは健康被害の出ないということを最優先にお願いしたいと思う。
2013年11月09日
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「キミの言っていることは確かに正論だ。しかし世の中、正論だけでは通らないよ」こういうセリフはどこの世界でもよく聞かれることだろう。正論は正論で、客観的な正しさがある。だからそれは誰もが認めざるを得ない。しかし正論が論理的に正しいと思っても、心情的に認めたくなかったり、あるいはその運用の仕方において、異を唱えたくなることもある。特に日本人って、そういう人種なのかもしれない。正論を押し通せば角が立つ。物事を円満に済ますことを優先させれば、一旦正論は脇に置いておかなければいけなくなる。かようにして、冒頭のセリフが出てくるわけだ。正論とはある意味、強くて、嫌われ者なのだ。言い方を変えれば、正論を押し通せば「ドライ」な人とみられ、情緒的な観点からそれを否定すれば、「人情的」な人と見られる。もちろんどちらが正解、ということはない。その置かれた状況によっても違ってくるし、何年も後になってどちらが正解だったかの明確な答えが出てくることもある。井端選手が中日ドラゴンズを退団した。彼の今年の年棒は1億9000万円、来期年棒として提示された額はたったの3000万円。今年の成績から見ればある程度は仕方ないが、あまりに低い提示に納得がいかず、自ら交渉を決裂させた格好だ。ファンは怒った。人一倍ドラゴンズファンに愛された選手だけに、球団への批判があちこちで湧き起った。で、今回の件について、交渉当事者の落合GMは、次のような説明をしている。「ここ数年は故障がちで、体にメスも入れてる。そんな選手に億以上の金を出して、球団がリスクを背負えるか?」その上付け加えるなら、打撃も守備も往年のものには到底及ばないし、何より若返りを図ろうとしているチームの方針にそぐわない存在でもある。これ、全部、正論だ。過去を振り返ってみれば、落合氏がドラゴンズの監督を務めていた8年間というもの、彼の考え方は一貫して正論だった。物議を醸した2007年の日本シリーズでの、完全試合を続ける山井の交代。WBCの日本代表に自軍の選手を出すことへの拒絶。選手のコンディションについて徹底して敷いた箝口令.....。これらのことについては各方面から批判も続出したが、彼はあくまでも正論をぶつけることで、批判を封じた。そもそもいちばん基本的な理念――――「勝つことが究極のファンサービス。俺は試合に勝つことだけに専念する」この部分が8年間まったくブレなかったからこそ、我々は強いドラゴンズを十分に堪能できたし、監督が代わって弱くなったチームに彼がGMとして戻ってきたことに対して、喝采した。それは彼の正論を全面的に受け入れる、ということではないか。確かに井端選手は私にとっても大好きなプレーヤーだが、落合GMの正論に対して情緒的な反論をぶつけるつもりはない。何より彼の「ブレない」ところが魅力だからだ。正論が正しいか否か、ということを超えて、彼が正論を貫き通す姿勢には、とかくご都合主義が罷り通る今のプロ野球界においては、清々しさすら覚えるのだ。井端選手の一件が正しかったかどうかなんてのは、後年、歴史が判断することだろう。
2013年11月07日
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