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イーグルスが9年ぶり3度目の来日公演を行うそうだ。イーグルスといえば、僕が高校生の頃LPレコードをよく聴いた。懐かしくなって、CDを探して聴いていると、当時のことが思い出される。できる事ならあの頃に戻ってみたいと強く思う。バンドとサッカーと波乗り。僕の心に鮮やかによみがえる。未来も過去も「空」の中、実態として感じれるのは「今」だけ。本当は時間などないのかもしれない。
2004/07/29
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先日のお祭りで、子供たちが金魚すくいをやりました。すくった金魚を持って帰りたいというのでさらに200円を払い、袋に入れてもらいました。家の水槽には金魚が2匹とメダカくらいの大きさの名も知らぬサカナが2匹おりましたが、一気に増えました。今日、古株の金魚が死んでしまいました。なぜ、古株ってわかるかというと一番おおきい金魚だったからです。その金魚も我が家に来たときは小さかったんですが、子供にかわって僕が育てました。今回も結局、僕が世話をすることになるような気がします。以前は亀も飼ってましたが、邪魔くさくなって近所の池に放しました。今回の金魚のなかで一匹だけ黒の出目金が混じっています。娘いわく 「パパ~、あの黒い金魚、怒ってるの~?」僕 「なんで?」娘 「目が飛び出てるから怒ってるの違う?」大笑いしました。子育てはおもしろい!って思う瞬間です。
2004/07/28
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天満宮のお祭り2日目。今日は午後3時より息子は太鼓を叩きに行きました。朝から「ハッピを着る」といい、やる気満々です。おまけに「合気道をやめて太鼓を習う」と言い出す始末、すっかりハマってます。妹は「来年、太鼓叩く!」と言い、「小学校3年からしかアカンねん」というと残念がっておりました。妹が太鼓を叩く姿を見たいような、あんまり大きくなってほしくないようなそんな親父の気持ちです。
2004/07/25
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今日は天満宮のお祭りです。小学3年生の我が息子は朝の7:40から太鼓を叩きに行っております。日中の暑い中を近所の商店や医院や喫茶店などの軒先で太鼓を叩いて、夕方から境内で、がんばっておりました。さすがに、疲れている様子。笑顔も見られませんでした。今日と明日の二日間が本番ですが、6月の半ばごろから練習に行っておりました。明日無事終了すれば、3000円お小遣いを頂けるそうです。最初は「行かない」と言ってたけど、「3000円くれるみたいよ」と女房が教えたとたんに、「行く行く」とゲンキンな息子です。(僕によく似ていますm(__)m ; )
2004/07/24
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今日は近所の神社のお祭り。お祭りといっても、スマートボールや金魚すくいやくじ引きなどの夜店が出ているだけ。今日も気がつけば兄妹で3000円使ってました。24日25日は天神祭り。大阪の天神祭りは有名ですが、同じ日に近所の神社でもお祭りがあり、今年は息子が屋台に乗って、太鼓をたたきます。そのために1ヶ月くらいまえから練習に行っております。そして月末には住吉神社のお祭りです。子供の頃は住吉神社の祭りが終わるとなんとなく夏が終わる気がして、寂しい感じがしてたな~。(今は早く過ぎて欲しい?!)
2004/07/21
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僕は輪廻転生を確信しておりますが、人が再びこの世に誕生するとき、それまでの記憶を一切置いて生まれてくるそうです。そして、この人生で心に響く出来事やうずくような感覚、何度見ても感動し涙する映画などは、今生、魂が生まれてきたかった所以に結びついているのだそうです。僕たちは、人生で手にした物(お金や家や宝石や車など)何一つ持って帰る事はできません。そればかりか、年齢と共に肉体的には失うものばかりです。視力、聴力、体力・・・。そして誰でも最後は病気になって終のときを迎えなければなりません。しかし、その肉体的条件と引き換えにして、この人生を振り返ったとき、忘れられない思い出の数々、悲しかった事、うれしかったこと、その体験を通じて得られた境地だけが、持って帰れるとともに、自分が生まれてきたかった理由が明らかになってくるそうです。そして、この人生での深い後悔が再び生まれ出ることを願うエネルギーになり何度も転生を繰り返し、進化していくのだそうです。死んだら終わりの人生観、死生観は、生きている間に人を押しのけても自分が得をすることを追求するように思います。しかし、人間は肉体が本体ではなく、肉体を動かす魂が本体であると思います。なぜそう思うようになったかというと、僕は1992年5月にロスにあるクリーブランドカイロプラクティックカレッジにおいて人体解剖を体験させていただきました。兵庫医科大にてすでにカットされた検体を勉強させて頂いたことはありましたが、自分で検体をカットするのは初めての経験でした。午前中はレクチャーで午後より実習です。当たり前のことですが、教科書に書いてある通り胃も肝臓も小腸もその他筋肉からなにから何まであるのです。そのとき、不思議な感覚になりました。「このおばあさん(検体)も生きて僕たちと同じように笑い、怒り、悲しみ、喜んだ人生の時間を過ごし、今何かのご縁でこうして僕の解剖の検体となってくださっている。しかし、生きてるというのはいったいどういうことか?だって臓器はついてるのに動いていないから死んでる。物質としてはあるのに死んで動かない。ちょうど電化製品が故障していなくても電気がこなければ、つまりコンセントにつないでなければ動かないのと同じ。では、人の身体を動かすエネルギーはいったいなになんやろ?脳が死んだらすべての臓器が止まり死んでしまう。でもその脳を動かしているのはなに?」僕はこのとき人間は完全に何かによって生かされていると感じました。人体の精妙さを少し勉強するだけでもそれが偶然に出来るものではなく、意図され創られたものであるとわかります。この解剖を体験したとき「人体を動かしているものが、霊とか魂とかいうものかもな」と素直にそう感じました。「身体はその魂が人生を経験するために、体験するために乗る乗り物に過ぎないんとちがうやろか」そう直感しました。そして「人は生かされていることを多くの患者さんに伝えなければ」と思いました。その後、様々な出会いや様々な書籍からも自分の直感は正しいのではないかと思いつつあります。わたしの師によると輪廻転生を繰り返す理由は、前世において1.捻れてしまった関係の再結・・・今生も捻れた関係 になるみたいです。2.志、半ばで終わってしまったことの成就3.人や場の照らし4.魂の成長(カルマの修正)以上4つだそうです。わたしたちはこのようにして何度も何度も人生を送って進化成長しているのだそうです。あの世で、「できるならば、もう一度あの人にあの子に会いたい!もう一度あの花の香りをかぎたい!もう一度波の音を聞きたい!」などを願い、思いどおりにならないことがはるかに多く、会いたくない人や嫌な出来ごととも会わねばならず、また逆にいつかは愛する人と別れなければならない愛別離苦の苦しみ、つまり四苦八苦で耐え忍ばねばならないことを知ってなお、生まれて来たかったわたしたちなのです。肉体がなければ、魂だけでは体験できないのです。だから、苦しい状況に置かれてもこうして生かされていることは本当に幸せなことなんですね。
2004/07/20
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今日は夕方からハリーポッターを見に行きました。座席を予約できる映画館で、時間に行くと他のお客さんより先に席に案内してくれるのでとても便利だ。最近はレンタルビデオでも、映画館でも暗くなると眠ってしまうので、実は今日もそれが心配でしたが、無事眠ることなく最後まで見れました。もちろん、面白かったですよ。もう一度8月に入ってすぐに、2度目の家族サービスで「ポケットモンスター」を見に行きます。多分このときは寝るでしょう。(予言)
2004/07/19
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みなさんはどんなテレビを見てきましたか?ぼくは、こんなん見てました。他にもいっぱいあるけれど、思い出したものを書いてみました。幼児期「ブースカ」「マグマ大使」「サンダーバード」小学生「仮面ライダーシリーズ」1号、2号、3号まで 「クイズヒントでピント」「太陽にほえろ!」「エースをねらえ!」←よう考えたらなに見とんねん!中学生「宇宙戦艦ヤマト」「俺たちの旅」高校生「探偵物語」←優作かっこよかったな~今の自分を改めて考えてみると、これらのテレビの影響を受けてると思う。 皆さんも教えてください。
2004/07/17
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「アシジの聖フランシスコ」(イエンス・ヨハネス・ヨルゲンセン著、永野藤夫訳、講談社)より フランシスコはある冬の1日、兄弟レオーネといっしょに、ペルージアからポルチウンクラへ旅をしたが、ひどい寒さになやんだ。フランシスコは先を歩いていた兄弟レオーネを呼び、こういった。「兄弟レオーネよ、私たち兄弟が全世界に聖性と信心の手本を示しても、完全な喜びはそこにないことを、心して書きとめておきなさい」 フランシスコはしばらく歩くと、またレオーネを呼んでいった。「ああ、兄弟レオーネよ、私たち兄弟が盲人を見えるようにし、手足のきかない人を治し、悪魔をはらい、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、中風の人を歩かせ、口のきけない人を話させ、それどころか、死人を四日たって生き返らせても、完全な喜びはそこにないことを、心に銘じなさい」 フランシスコはまたしばらく歩くと、大声でいった。「おお、兄弟レオーネよ、私たち兄弟があらゆることばを話し、あらゆる学問や聖書全体に通じ、将来のことや心の秘密を示すことができても、完全な喜びはそこにないことを、肝に銘じなさい」 フランシスコはまた少し行くと、高声でいった。「おお、兄弟レオーネよ、神の子羊よ、わたしたち兄弟が天使の舌で話し、天体の運行と薬草の力を知り、わたしたちに地上のあらゆる鳥魚獣の価値と力、人間や木や石や木の根や河の特徴が、明示されても、完全な喜びはここにないことを、心に深く銘じなさい」 フランシスコはまたもう少し行くと、大きい声でいった。「おお、兄弟レオーネよ、わたしたち兄弟が話し方をわきまえて、不信の者が全部キリスト教徒に改宗しても、完全な喜びはそこにないことを、よく銘記しなさい」 そんなふうに彼は、半マイルも話し続けた。ついに兄弟レオーネは驚いて「父よ、お願いですから、完全な喜びはどこにあるのかを、教えてください」といった。 フランシスコは答えていった。「わたしたちはこうしてポルチウンクラへ向かっているが、雨にびしょぬれになり、寒さにかじかみ、道の泥にまみれ、飢えに苦しんで、修道院の門をたたくと、門番が出てきて、腹を立て「だれだ」という。こちらは「二人の修道士です」と答える。するとこうだ。「うそをつけ、追いはぎだろう。うろつき回っては人のものをかすめ、貧者からほどこしをひったくる奴らだ。さっさと行っちまえ!」 門番はそういって門もあけず、空腹のわたしたちを外の雪と水と寒さの中に、ほったらかしておく。日が暮れる。そんな時に、わたしたちはそんな悪口や悪意や取扱いに耐え、がまんして怒ったり、不平をならしたりせずに、この門番はわたしたちのことを見通していて、彼にそういわせたのは神である、とへりくだって愛情を持って思う時――おお、兄弟レオーネよ、いいかね、これこそ完全な喜びです。 また、わたしたちが戸をたたき続け、門番がでてきて、腹を立てて、わたしたちをあつかましい浮浪人よろしく、ののしったり、なぐったりして、「恥知らずのごろつきめ、らい病人の所へでも行け、ここでは食物も宿もやらんぞ」と怒り、わたしたちはそれをも忍耐と朗らかさと愛をもってがまんする時――おお、兄弟レオーネよ、いいかね、ここにこそ完全な喜びがあるのです。 また、わたしたちが飢えと寒さと夜にせかされて、また戸をたたいて、お願いだから、せめて屋根の下に入れてほしいと、涙ながらに頼んでも、門番はいっそう腹を立てて、「この恥知らずのごろつきめ、分相応の仕打ちを受けろ」とわめいて、棒を持ってとび出し、わたしたちを頭巾をつかんで地面に引き倒し、雪の中を転がし、棒でところかまわずなぐりつける時、わたしたちはそれでも忍耐強く朗らかにすべてに耐え、誉れ高いキリストの苦難を思い、キリストへの愛のために苦しむことが、どんなにわたしたちにふさわしいかを、よく考える時―おお、兄弟レオーネよ、いいかね、そこにこそ完全な喜びはあるのです」
2004/07/16
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ここしばらくヘビーな内容が多過ぎたので、もとい!町の電線に止まってるすずめ。すずめってどこで死ぬのかな?死んでるの見たことない。すずめの寿命ってどれくらい?それと死ぬときはどこか人目のつかないところへ行ってこっそり死ぬのかな?誰か知ってる人います~?知ってたら教えて。
2004/07/15
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虹のわ。。さんの日記 より感動した言葉を忘れないようにここにもUPしておきます。全文をお読みになりたい方は、 おすすめ新着 から行ってください。「あなたが何か物を言うとき、それは役立つことでしょうか。力を与えることでしょうか。相手をケアしているでしょうか。この三つのことを常に考えてから物を言いましょう。」言葉はエネルギーを帯びていて、美しいことばがよいに決まってるのは誰でも知ってるけど、なかなかきれいな言葉ばかり使えていない。 再び虹のわ。。さんの日記 より「あなたが口にした一言があなたを殺してしまうことにもなりかねません。もしあなたがなにかとても感情的なことを相手に言ってしまった場合、相手はそれで病気にもなりかねません。言葉はとてもパワフルです。ナイフにもなりえます。一度口にしてしまったら取り返せません。その結果というのが付きまとってくるのです。あなたが何か人に感情的に物を言ってしまったとします、あなたが相手で、同じ事を言われたら自分はどう感じるでしょうか。」 「あなたが何か物を言うとき、それは役立つことでしょうか。力を与えることでしょうか。相手をケアしているでしょうか。この三つのことを常に考えてから物を言いましょう。」このことを忘れませんように・・・
2004/07/14
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先日の日記で、元気やエネルギーを出すためには、なにが必要か?それは「願いと目的」ではないかと書いた。ではその願いはどこから来るのだろう?願いにもいろいろなレベルがあると思います。「お金がほしい」「いい車に乗りたい」「彼女(彼氏)がほしい」から「病気が良くなりたい」「あの人が成功して欲しい」など自分の欲から人の心配までいろいろあると思います。では一番深いところの願いはなにか?それは肉体の欲求を超えた、魂の願い、つまり生まれてきたかった理由につながるような願いです。「生まれた理由なんかわからん、気がつけば生まれてた?」ごもっともです。生まれるときに全て忘却してでてくるそうですから。ではどうすれば思い出せるのか。生まれたかった理由のヒント・・・何度も読み返す本、何度も見てしまう映画、思い出すと今でも昨日のことのように感動すること、身が引きちぎられるほどの後悔・・・などなど。年齢を重ねるとそういった事柄が増えてきます。すると、ジクゾーパズルを組むように人生の輪郭が見えてきて、生まれてきたかった理由がわかってくるみたいです。「後悔なんてしないほうがいい」「後悔するのは弱いから」そう思っているかたも多いと思います。しかし、後悔のなかにこそ「本当はどうしたかったか」という願いが必ず含まれています。そして、願いがわかれば、今日からまた新しい自分を生きることができるのです。
2004/07/13
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先ほど渾身の日記を書き上げ、「知ってる人だけ知ってる健康ネタ 」のテーマを選択したら、消えてしまった!もうあの日記と同じものは書けないのでお蔵入りだ!PS:テーマ選択は、日記を書く前にしよう!
2004/07/12
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患者さんは、良くなりたいとは限らない。「そんなはずはないでしょう?」と思われると思います。しかし、表在意識ではよくなりたいと願っていても、潜在意識ではそうでない場合があります。どんな場合か。「病気でいると家族が心配してくれる」とか「施術者が話を聞いてくれる」とか「お金になる」という場合もあるかと思います。それらに自分で気づいている場合と本人は本当に良くなりたいと思っているのに良くならない場合つまり気づいていない場合とがあります。例えば、腰痛の患者さんで、腰痛が良くなったら、次に肩の痛みが出て、それが改善したら、膝のいたみといった具合に、次々と症状が出てくる場合があります。このような患者さんに対して、治療家になってしばらくは、「自分の治療がよくないんやろうか」と悩んだりもしました。その後、こころとからだは一つであることやこころもからだも引力と斥力というエネルギーに作用していることなどを学び、引力と斥力から考えてみるようになりました。引力とはひきつける力です。斥力とは押し出す力です。具体的には引力=吸気、摂食行動、性行動、わかって欲しい、かまって欲しいなど・・・斥力=呼気、排泄行動、運動、防衛反応、ほっておいてほしいなど・・・引力と斥力が中和しているときは健康です。(中道といえる)引力が強いか、斥力が強いか?食べるのが多くて病気なら、運動を増やすや食べるのを減らす。運動が多く症状が出ていれば、休息を取る。実に簡単なことです。しかし、「かまってほしい」や「わかって欲しい」は対象となる相手が必要なだけに、ちとむずかしい場合もある。相手が理解があればいいんですが。(あなたの家族の病気は、あなたに原因があるかも・・・です。)子供の非行なんかも、親に対して「かまって欲しい」「わかって欲しい」か「かまいすぎ」「ほっといてほしい」のどっちかと思います。自分はよくなりたいのになかなか症状が取れない方で、病院でも異常なしの方はこのあたりのことを考えて見てください。
2004/07/11
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明日、カイロプラクティック治療のテクニックのセミナーがあるので、今日のうちに参議院選挙の投票に行ってきました。一時は「選挙に行っても変わらんし・・・」と行かない時期もありました。(若気の至り)しかし、「投票権があることがいかに幸せな事か」に目覚めましてこのところはず~と行ってます。「一部の組織票で好きなようにされてたまるか!日本を動かしているのは一部の人であってはいけない!」と思うようになりました。そういえば、11年前に亡くなった祖父が言ってました。「有権者になってから投票に行かなかった事は一回もない!」おじいちゃんは、投票権のない世の中がどれほど恐ろしいかを知っていたんだと思います。
2004/07/10
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元気やエネルギーを出すためには、なにが必要と思われますか?健康?体力?お金?好きな人?・・・・・。では、病気の人はエネルギーが出ない?体力がない人、好きな人が今いない人には元気は出ない?必ずしもそうとは限らない。病気でも前向きでエネルギッシュな人を僕はたくさん知ってます。お金がなくても元気な人はいっぱいいる。では、元気やエネルギーを出すためには、なにが必要か?僕は一番に「願いや目的」が必要と思っています。自分が願う事は何か?目的は?これが見えないときは、地図を持たず彷徨っているみたいで、不安やあせり、恐怖が忍び寄ってきます。しかし、願いや目的がハッキリしているとき、目は輝き心はいきいきをエネルギーを放ちます。それが大きい願いなら、必ず壁が来る。そのとき、あきらめてしまったり、願いが変わったりすると、成就しなくなります。だから、願いは叶うというのは、壁が来ても願いを忘れずに、また変更せずに、努力し続けることで叶うのではないかと思います。ポジティブシンキングだけで願いは成就しにくいように思っています。患者さんの願いを引き出し、いつも思い出していただくように接する事は治療家にとって大切なテクニックです。はじめは皆、良くなりたいと願いますが、途中であきらめたり少し良くなると「のどもと過ぎれば・・・」仕事でもダイエットでもなんでも願いと目的を明確にすることから始めるとよい。またいつでもそれを確認する。つまり「初心に帰る」。「初心に帰る」とは「願いに帰る」と同じではないでしょうか。
2004/07/09
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今日は大阪は異常に暑かった。身体はさすがにバテ気味です。こんな日はなぜか焼肉が食べたくなる。(夕食はそーめんやったけど)僕は疲れているときにこそ、心の中で祈ります。「どうか我を忘れて働く事が出来ますように。。。」と
2004/07/08
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先日、近所の喫茶店で偶然、開業したばかりの頃の患者さんと10年ぶり位にバッタリ会いました。その方は、生年月日から世界でたった一つのオリジナルのブレスをパワーストーン(天然石)を使って創り、またいろいろな悩みの相談をお聞きしているそうです。僕はさっそくお願いしました。 ブレスとバイオリズムや性格などを書いたシートも頂きましたが僕は結構当たってるなという感じでした。興味のある方はどうぞ。 AZURITE
2004/07/07
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友達の嫁さんが治療を受けに来た。第一声が「疲れてるみたいね」僕「そうか?今日は暑かったからな」友達の嫁 「先生の話を聞きにきてんで」つまり、ぼくの話を聞きに来たそうなんです。この友達の嫁も友達も僕と同じ高校の同級生で、16歳から26年の付き合いです。(年ばれる~)今日はそんなご縁を頂くということをかみ締めるひと時にしようと話をいろいろさせていただきました。なかなか病院では話をきいてもらえないから、僕たちのような体に触れながら話を聞かせていただいたり、話をしたりといったことが喜ばれるように思います。そして、帰るころにはパッと明るい表情で帰って行きました。『きく』には3つあるそうです。聞く・聴く・訊く【聞く】は、ただ生理的に耳に入ってくる感じの聞くです。したがって、先入観や決め付けで聞いてしまうことも。【聴く】は、一生懸命、相手の心に自分の心を合わせて聴こうとすること【訊く】は、相手の心にもっと接近して、気持ちを汲み取り、受け入れ、訊ねるように訊くこと『きく』という行いは受動的なイメージがありますが、実は共感力をもって相手のところまで出かけて行くような積極的な行いである。「真我を開放する行」高橋佳子編著 三宝出版我々治療家はともすれば、患者さんにいろいろ体のことや状態を説明するために一方的に話す傾向にあると思います。しかし、患者さんの話を訊ける治療家は患者さんの治癒率は非常に高いでしょう。今日のワンポイント:人の話はしっかり訊こう!治療家の良し悪しは患者の話を訊いているかで決まる
2004/07/06
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今日は子供たちを連れて、近くの温泉、といってもスーパー銭湯に行ってきた。昨日も仕事で、疲れが溜まっていたので身体が緩んで気持ちよかった。2周年という事で半額やったしね(^_-)-☆ 。子供たちも大きいお風呂は気持ちがいいのか、いつも喜んでくれます。行く前に回る寿司でちょっと腹ごしらえをしてから行きました。血行が良くなれば、気のめぐりもよくなります。気のめぐりの悪い患者さんは、お風呂に浸からず、シャワーで済ませたり、浸かってもカラスの行水程度の人が多いように感じます。夏はエアコンで案外身体が冷えています。だから、お風呂にしっかり浸かりましょう!(今日の健康ワンポイント)←新しいコーナーか?子供たちを見て、「後何年一緒に入ってくれるやろう」などと考えておりました。そんな時、今という時間が一回生起だと強く感じることができます。「いつか、別れるときが来る。なのになぜ出会うのか」以前の僕はよくそう思っていました。初めて子供の寝顔を見たとき、幸福感と同時に別れる恐怖を感じていました。その後、また一つ悟らせていただきました。「別れは必ずいつか訪れる。だからこそ今の一瞬を大切にしよう」「今を、我を忘れるほどに出会えたら」「ご縁を頂いた人たちにいつもそう思えたら・・・。」それがナトゥーラの求める自然体なのです。ぜんぜん普段は忘れて、できませんが。m(__)m
2004/07/05
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今日は、2週間に一度の真言宗のお寺での治療の日だった。朝から20名ほどの患者さんを診せていただいた。今日が初めての方が3名来られたが、3名とも交感神経系の亢進を感じさせる方ばかりだった。みんな、イライラ・ストレスから、手や足のしびれ、頭痛などを訴えている。手や足の痺れに対する検査をいくつかしても陰性で、今は症状が出ていないとのことでした。副交感神経系に刺激を与え(上部頚椎や骨盤)、皆さんには「症状は呼びかけですよ、身体を休めてくださいとか、イライラしないでという信号です」と話して帰っていただきました。それと夏はエアコンを入れて身体を冷やす傾向にあります。冷えすぎは必ず陽気が少なくなる秋から冬場にかけて堪えてきます。僕も暑がりで、ある年の夏にエアコンをガンガン効かして寝ておりましたら、その冬に腰痛が出て、いつも行く鍼の先生に「春の陽気が出るまでスッキリせんよ。夏に身体冷やして陽気不足やから」と言われ、その通り春になったら、腰痛がすっかり消えた経験があります。みなさん冷えには気をつけてください。今日伺った真言宗のお寺さんとは不思議なご縁を頂き、かれこれ3年以上お世話になっています。もともと僕の親戚が真言宗の四国88ヶ所札所の一つなのですが、親戚とは関係なく今日のお寺さんのほかにも淡路島の真言宗のお寺さんにもご縁を頂いて月に1回伺っています。ぼくはなぜか不思議なご縁が非常に多く、びっくりするようなエピソードも実に多いのですが(ここでは説明できません。ご了承ください)そんなときに必ず感じるのは、出会いは必然なんやということです。自分に訪れる出会いや出来事は必然と思います。もちろんいい出会いやいい出来事ばかりではありませんが、どれもこれも必然で、偶然は何一つないのではないかと思っています。そうとしか思えないほどのエピソードがいっぱいあるんです。(ここでは説明できませんが m(__)m )
2004/07/04
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梅雨は明けてしまった?というぐらい暑い。今日の朝、クマゼミが鳴いていた。これからしばらくうるさいぞ~。例年、雷がなって梅雨が明けてせみが鳴いていたように思うやけど、年々季節が狂ってきているように感じています。フォトンベルトの影響かな?マヤ歴は2012年12月23日で終わっているそうですね。詳しい方コメント待ってます。去年はお盆を過ぎてから暑くなって、7月は涼しくて、子供たちとプールに行けなかった。今年の夏はかなり暑いそうです。泳ぎにいくぞ~!汗は重金属を流してくれます。僕は夏には海洋深層水をたっぷり飲んで、汗をたくさんかくようにしています。鉛、水銀、カドニウムなどの重金属は尿からは排泄されにくく、汗からでるそうです。ナトリウムの排泄にカリウムが必要なように、水銀を排泄するためにセレニウムが必要やそうです。したがって、海洋深層水はミネラルバランスがいいので僕は、去年の夏は硬度500のものを一日1~2リットル飲んでいました。痩せましたよ。今!流行りのにがりを水に入れてもいいですね。
2004/07/03
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最近の虐待などのニュースで感じることは、発散要求が大きく暴発しているように思います。発散要求が大きいという事は、集中要求も大きい。つまり過剰栄養によって得られたエネルギーのわりに消費エネルギーは少なく、発散要求が高まって、イライラしたりするのではないでしょうか?過剰栄養が肉体的にも精神的にも病気を作っているように思います。やはり、高カロリー食品を控えたり、断食などは現代においてかなり有効な健康法であると思います。過剰栄養摂取の人で発散が足りない人のからだは相対的に固いような気がします。エネルギーが内攻しているんでしょう。亭主関白でないご主人なのに子宮筋腫になったあなたは、摂取エネルギーが過剰というわけです。実際にwalking によって血中エストロゲン濃度を下げる事で筋腫が小さくなっていくそうです。また、からだのゆがみのパターンは重力に対して前後、左右、捻れとそれらの複合ですが、大きなストレスを受けた方は捻れが強く出るように感じています。患者の肉体的、精神的な状態を発散と集中で見ることで、なにが必要かが見えてきます。しかし、患者さんのネガティブな話を聞かせていただくためには、やはりこちらのこころがひろくなくてはできません。人の喜び、人の苦しみが我が事と感じられるこころを作る。そのことと患者さんの治癒率が上がってくる事はひとつである。つまり、現実が好転していくことと内的成長は一つであると感じています。そこにこそ、ぼくがこの仕事をする意味を感じています。しかし、まだまだ未熟なために患者さんたちには申し訳なく思っております。 おわり
2004/07/02
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僕はカイロプラクターですが、筋骨格系の症状を訴える患者さんを多く診せていただいております。以前のぼくは、患者さんの症状の原因を構造的問題と機能的問題(特に脊柱を中心とした)のみで考えておりました。つまり脊柱のどの部分の位置がずれ、また動きが悪いのか?どれが悪くてこの症状なのか?ばかり考えていました。しかし、その鍼灸院ではとなりのベットから離婚話や仕事のトラブルなどの人間関係の悩みが聞こえてくるのです。ぼくは、ある意味ショックでした。そんなプライベートなことに立ち入ってはいけないとさえ思っていたからです。そこで、先生にたずねました。僕 「先生、離婚話とか隣でぼくに聞こえるのに話してもいいんですか?」先生「患者さんの症状のほとんどがこころに抱えている問題から来ると思わんか?」僕 「それは感じますけど、他の患者みんなが聞いていいんですか」先生「ひとりの問題やなく、みんながそれぞれ考えて共通する部分も必ずあるから」「それと、患者さんは話を聞いて欲しいんやで。聞いてあげるだけでも筋肉が緩み症状が取れることもあるんや」僕 「なるほど・・・。」 それからはいろいろなことを患者さんに尋ねるようにしました。すると患者さんから「そんなことぼくに話してもええの?」というような話も出てくるようになりました。患者さんの話を聞かせて頂く事も治療のひとつと気づかせていただきました。からだをよく観察すると、呼吸も吸うと吐く、食べ物も食べると排泄、あるいは運動と言った具合に、からだに取り入れる事と発散することになります。野口整体の野口先生は集中要求と発散要求で説明されています。これはこころ(感情)にも当てはまります。言いたいことを抑えて発散要求を満たせないと、エネルギーは内攻してからだに病気を作ったりするようです。亭主関白で奥さんに意見を言わせないようなご主人をもった奥さんに子宮筋腫などの婦人科疾患が多いとか・・。(その逆でご主人がものを言えない場合はどうなんやろう?) つづく
2004/07/01
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