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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、幸福感のある楽しく素晴らしい人生に感謝である。健康を保つ上で食事・運動・メンタルと共に重要なものは睡眠である。年を取るにつれ、睡眠の質が悪くなると言われている。よい睡眠が得れるように自分なりの工夫をすることが大切である。睡眠を気にするあまり、「この時間に寝なくては」、「さあリラックスしよう」と意気込むと、それがストレスになって脳が活性化し、かえって目が冴えてしまいます。これは、眠ろうとがんばるほど興奮が強まり、眠るためにするいろいろな試みが、「眠らせない」という脳の反応に結びついてしまうためです。「こうしなくてはだめ」、「あれをしてはだめ」という考え方にとらわれるのではなく、「これができた」、「これは自分にとって気持ちがいい」ということを大切にして、自分なりのリラックス法を見つけましょう。日々の生活でのちょっとした工夫で、快適な眠りを手に入れることができます。食事、運動、寝室など、眠りのための環境が整っているか見直してみましょう。食事の工夫 朝食はしっかりと、夕食は就寝2時間前までに 軽い運動 朝の散歩と夕方の軽い運動 ぬるめの入浴 入浴は40℃前後のぬるめのお湯で、30分くらいの時間をかけて 眠る環境づくり 寝る前の寝室の明かりは暗めに、室温・湿度にも気をつけて 睡眠改善薬の使用 ドラッグストアなどで買うことができる「睡眠改善薬」を上手に使い、「眠りの悪循環」を早めに断ち切る その他のポイント 早起きで体を疲れさせる、短い昼寝、寝る前にTVやパソコンを見ない、などのちょっとした工夫もポイント[出典:睡眠改善委員会]
2011年02月28日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。本日は午後から兵庫県健康管理士会の定例会がある。嫁さんは例のごとく孫目当てに大阪の娘の家に遊びに行った。さて日野原先生によると、人間が生きる上で重要なのは「生きる上での幸福感を持つ」ということらしい。幸福感こそ、最も大切なもの 私は2月の連休に2年振りにハワイに出張しました。羽田からホノルルへの直行便が夜半に出るので、成田発よりも時間的に1日得をした感じがしました。 出張の目的はホノルルで国際健診学会があり、私は会長としての発題講演をしました。定期的健診とは、人間ドックともいわれている、症状がなくても、体内に何かの異常があるかも知れないので、精密検査をし、結果も即刻知らされて非常に有効です。私はそこでは在米の健診にはない認知症(アルツハイマー病)の早期発見のテストと、加齢と共にからだが脆くなり、壊れやすくなる(脆弱性)を先延ばしできるよう早期に診断することの必要性を述べました。 それと同時に精密な検査装置としてのMRIやCTスキャンで検査すれば、誰でもどこかに異常が発見され、傷のない人は誰もないことと分かります。だが、たとえ体に何かの致命的ではない病気や異常があっても、その人が健康感をもち、生き甲斐を持って働ける、つまり生きる上での「幸福感」を持てば、その生き方こそが大切です。 一言でというと、国内総生産(GDP)よりも国民の幸福感(Gross National Happiness: GNH)の方がむしろ個人には大切だという、考え方の転換をもたらすという内容の本"Gross National Happiness"(「国民総幸福量」、作者Arthur C. Brooks, Basic Books, 2008)を紹介する講演を私は英語で発表し、日本からの参加者には日本語に同時通訳をしてもらいました。 くだいて言うと、健康問題についても、経済問題についても、また外交問題についても、この幸福感こそが地球上に生まれた人間すべての最も大切なものだという考え方です。 その翌日は、一般市民に「生き甲斐を求めて」と題しての公開講演を行いましたが、1000名近い日系や諸外国からの移民の市民が集まり、素晴らしいフラダンスのショーに皆幸福感を持って帰られたようです。 国際学会の懇親会でもフラダンスがありましたが、昔はスローなのどかなフラでしたが、最近はテンポが早く両手をたたいて調子を取ったり、体を「く」の字のようにそらせて速やかに踊るフラとなり、エレキで拡大したウクレレやギターでの伴奏や合唱で、聞く者、見る者を強く興奮させるパフォーマンスだったことが印象的でした。 日本では、高齢者の間にスローテンポのフラが流行っていますが、フラは手足や体の障害のリハビリテーションに効果的だと分かり、リハビリのダンスとも言われていることをお知らせしたいと思います。プロフィール 日野原重明(ひのはら・しげあき) 誕生日: 1911年10月4日 聖路加国際病院理事長 [出典:読売新聞]
2011年02月27日
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昨日は私が里親になっているタイの13歳の女の子、ナッダちゃんから手紙が来た。彼女の手紙はタイ語で書かれているので私にはチンプンカンプンである。しかしボランティアがタイ語を英語にそのまた英語を日本語に訳してくれ、その訳文も添付してくれるので意思の疎通が出来る訳である。 ワールド・ビジョン・ジャパンはチャイルド・スポンサーシップということで、一人一人の相手を探してくれ、その子と手紙のやり取りもできる。将来はタイに一度会いに行ってもいいし、彼女を日本に招待してもいいと思っている。
2011年02月26日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。新しいモデムが到着した。旧モデムも復旧していたが、いつまた切れるとも限らないので新しいものに交換をした。担当者に連絡を入れ設定作業をしたが、なかなかお年寄りではこの作業も大変だろうと思った。さてパソコンによる確定申告も終了したが、収入金額欄に初めて年金が出てきた。この年金、受給開始時期を変更できることをご存知だろうか!?我家も私一人分の終身年金としては十分な額であるが、もし私が先に逝った場合には妻は私の遺族年金と自分の基礎年金を受給することになる。彼女の基礎年金を上げるために、70歳まで支給を遅らせるという手もある。各家庭の事情により、考えられるとよいだろう。年金受給 早めたり遅らせたりで、家計の都合に合わせて、年金の受給開始時期を早めたり、遅らせたりすることはできますか。減額・増額が一生続く 全国民に共通の基礎年金の支給開始は通常65歳から。しかし、年金が必要になる時期は家計の状況などで異なる。そこで、60~70歳の範囲で受給開始を選択できる制度が設けられている。 早く受け取る「繰り上げ受給」では、最大で60歳まで受給開始を早めることができる。ただし、繰り上げた期間に応じて年金が減額され、その金額が一生続く。減額幅は1941年4月2日以降生まれの場合、繰り上げ期間1か月につき0・5%。5年早めて60歳ちょうどからだと30%減だ。基礎年金は40年加入で月約6・6万円(今年度)なので、約4・6万円になる。 逆に、遅く受け取る「繰り下げ受給」では、70歳ちょうどまで遅らせることができ、期間に応じて年金が増額される。41年4月2日以降生まれの人は1か月につき0・7%増。5年遅らせて70歳から受け取ると42%増で、40年加入なら月約9・4万円になる。 利用を考える際は、長い目で見ることも必要だ。年金累計額を見ると、60歳ちょうどに繰り上げた場合、76歳半ばで通常受給に追い越される。繰り上げ期間が1年短くなるごとに逆転年齢は1歳上がる。一方、66歳ちょうどに繰り下げると、累計額が通常受給を追い越すのは78歳近くになってから。繰り下げ期間が1年長くなるごとに追い越す年齢は1歳上がる。70歳開始なら82歳近くだ。寿命によって損得が生じるので、健康状態などを考えて判断したい。 ほかにも注意点がある。例えば、65歳前に一定の障害を負うと、通常は障害基礎年金が支給されるが、繰り上げ受給を始めてからは対象にならない。遺族年金の受給に関しても制約が生じる。繰り下げ受給では、専業主婦などに出る振替加算も同時に支給が遅くなるが、増額はされない。 繰り上げ受給者は国民年金だけに加入してきた人の45%、繰り下げ受給者は1%程度だ。徐々に繰り上げが減り、繰り下げが増える傾向にある。 厚生年金の受給者も、基礎年金の一部または全部を繰り上げ受給できる。また、65歳以降の厚生年金は繰り下げ受給ができる。老後の生活設計に合わせて上手に利用したい。(林真奈美)[出典: 読売新聞]
2011年02月25日
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モデムが昨晩復活した。一昨日モデムがダウンし、時間を空けながら何回か繋いでみたが駄目だった。その後モデム回線のすべてを1日中切って昨晩駄目もとで繋いで見ると、何と繋がったのである。こういう機械も休めてやると復活するというのは、何か生き物のような感じがした。さて、ユニセフのマンスリーサポート・プログラムやワールド・ビジョンのチャイルド・スポンサーシップに対する1年間の寄付に対して、礼状が届いた。こういった社会貢献は精神的健康に繋がるものである。またこれらの寄付金は確定申告をすると税金が還付される。収入の多い人ほどこの還付金は多いので、収入が多く余裕のある人は是非入ってもらいたいものである。
2011年02月24日
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時々切れていたインターネット接続のモデムが昨日遂にダウン。PCインターネット、メールが出来なくなった。早速プロバイダーに交換を依頼するも配達のため3、4日は使えない。インターネットがないと急に生活が不便になる。しばらくアナログ的生活を強いられる。
2011年02月23日
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昨日は確定申告をほぼやりあげた。投資用マンションを持っているので、サラリーマン時代から20年ばかり毎年やっている。不動産の明細書を作るのは相変わらず邪魔臭い。本棚のそれらの書類の横から日記が出てきた。私は中学1年生の終わり頃から日記を付け始めた。一時期は英語で付けていたこともあった。昔の日記を見ているとその時のことが思い出され、大変懐かしい。最近日記の記載はとんとご無沙汰だが、10年日記もいいなと思っている。そういえば、大体毎日書いているこのブログも日記だったのだなと改めて認識した。10年日記は人生の道しるべ 先月のこの欄で私は、「10年日記」を買ったことを書きました。以前は1年分のポケット日記を使っていましたが、現在使っているのは3年分書き込める日記と、この10年日記です。今回は、私が長期間の日記を愛用する理由について触れたいと思います。 1年分の日記を書いていた私が、3年分書き込める日記帳をプレゼントされたのは20年前のことでした。 3年日記はA4サイズです。2月10日のページの場合、最上段に最初の年の記入欄が印刷されており、その下段には次の年の欄があり、最下段には3年先の欄があります。1年以上先の講演や、大切な行事予定などを記入することにしました。 「新老人の会」の全国35支部主催の講演会をはじめとし、私は1年間に170回もの講演をしています。全国各地の小学生に「いのちの授業」も実施しています。このようなスケジュールが2年先、3年先にも入って忙しくなるので、3年日記はいつも手提げかばんに入れるようになりました。 一方、10年日記を頂いたのは2004年末です。「石原10年日記」という、石原出版社から発行されたものです。昨年末に購入した新しい10年日記には早速、2020年までの毎年の10月4日の欄に私の誕生日の行事予定を記入しました。 こうすることで、10年先をつねに意識し、110歳までは現在と同じはつらつとした生活をしたいと強く思うようになりました。今までしていた週1回の徹夜はやめ、午前1時までだった原稿書きは0時までにして、就寝時は能率のよいうつむけ寝の姿勢を取ること、起きるのは午前6時半ということも決めました。 この10年日記を使うたび、私は元気に生きるエネルギーをもらいます。私に講演を依頼する各種医学会などには、少なくとも3、4年後でなければスケジュールが取れないとも宣伝しています。この日記は、人生という長い階段を上るのを助ける、手すりのようなものなのです。読者の皆さんにも、年齢にかかわらず、長期間の日記を使って数年先の生活を設計しながら生きることをお勧めします。筆者プロフィール 日野原重明(ひのはら・しげあき) 1911年山口県生まれ。医師。聖路加国際病院理事長。同名誉院長。120万部を超えるベストセラーとなった「生き方上手」(91年)をはじめ、著書多数。診察の傍ら、小学校での「いのちの授業」ほか、各地で講演を行う。ミュージカル「葉っぱのフレディ-いのちの旅」の原案執筆、企画し、2010年7月にはNYで自ら舞台にも立った。[出典:朝日新聞]
2011年02月22日
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現在、V・E・フランクルの「夜と霧」という本を読んでいる。倉庫になっている部屋の本棚にあった古本である。アウシュヴィッツ収容所に収容され、九死に一生を得て助かった精神医が書いた本である。この種の本によくある残酷な描写を多用したものではなく、精神科医から見た心理的描写・解釈がよく出てくる。翻訳書なので、内容把握に難しいところもある。これは勿論私の本ではなく娘の本であると思う。娘は薬学の勉強の後、心理学の勉強もしており、2つの大学で通算10年間ほど勉強していた。整理している本棚から出てきたこの古本をshinic書店に出品したところ、早速注文が来て売れてしまったので、どんな本か私も読んでいる訳である。並行して読んでいる30代のホームレス問題を書かれた「助けてと言えない」と比べてみると程度の差はあれ、共通したところもある。アウシュヴィッツでは毎日が死との隣り合わせで、点呼時監視の兵隊のひとさし指が左を指すか右を指すかでガス室行きが決まる。苛酷な強制労働が出来る体力かどうかを瞬時に判定する訳で、しゃんと立っている体力がなくても無理やり背筋を伸ばして、健康そうに見せなければならない。1日パンひとつ、薄いスープ1杯ではとても体力は保てないのであるが。一方、ホームレスも夜寝ている時にホームレス狩りが恐ろしく、おちおちと熟睡できないという。人間は極限状態になると日頃とは違った面が出てくるようである。こういった本を読んでいると、何もない平穏な生活が如何に幸せなものかよく分かるものである。
2011年02月21日
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定年後の健康で大事なものは3つである。身体的健康・精神的健康と共に、それらを経済的に支えてくれる経済的健康である。経済的健康が損なわれると、自分の思いのまま好きなことが出来ず、身体的健康・精神的健康にも影響を及ぼしてくる。現代日本人の定年後の収入のメインは年金だろうが、将来的にこればかりに頼って生活して行くのは如何なものであろうか。現代の若者が非正規社員として薄給でこき使われている時代に、既得権で年金生活で何の生産もせず、のうのうと生き延びるのは感心しない。定年後も自活が大事で、自分の食い扶持ぐらい自分で稼ぐ気概がないといけないと思う。かくいう私も年金を貰う年齢になり、今まで真面目にサラリーマンを継続してきたお陰で、厚生年金、企業年金、企業年金基金など、何もしなくても収入が入ってくる。確かに何もしなくても入ってくるお金はありがたいものであるが、これに甘んじていてはいけないと思う。年金を当てにする生き方ではなく、自分の好きな分野で自分の力を発揮して、収入を得るのがよいだろう。今まで何十年と培ってきたいろいろな能力・技術をフルに発揮し、複数の収入を得て、余分なものは寄付など社会奉仕に回すのが、数の多い我々団塊周辺世代の人間の今後の務めではないだろうか。年金支給額 物価や賃金で変動 物価が上がったり下がったりすると、年金額が変わるとか。2011年度の年金額はどうなりますか?4月から、月額266円下げ 年金額は、消費者物価の上下や現役世代の賃金の増減に伴って、上げたり下げたりすることになっている。 11年度の老齢基礎年金は、06年4月以来5年ぶりに引き下げられる。保険料を40年納めてきた人が受け取る年金額は、月額6万6008円より266円減の6万5742円となる。実際に減るのは、4、5月分が振り込まれる6月支給分からだ。 総務省によると、10年の消費者物価指数は、前年比マイナス0・7%。これに対し、年金の減額はマイナス0・4%にとどまっている。国民年金法付則により、06年度に年金額を引き下げた際に基準とされた05年の指数と、10年の指数を比べることになっているためだ。その指数の差をみると0・4。引き下げ幅はこの数値に準じている。 減額には、高齢者の生活を脅かす面もあり、据え置きも検討された。しかし、据え置けば給付額が膨らんで、国費の負担も増える。据え置くための特例法も必要で、結局は見送られた。サラリーマンの賃金が下がっていることも見送りの要因になっている。 特別障害者給付金は、物価の上下にそのまま連動するため、11年度は0・7%減。1級が5万円から4万9650円に、2級が4万円から3万9720円に減額される。これは学生時代に年金に加入しないまま障害を負った無年金障害者に支払われるもので、税金で全額を賄っている。 では、支払う方の額はどうなったか。4月からの国民年金保険料は月額1万5020円。わずか80円とはいえ、制度創設以来初めての減額だ。 国民年金法では、17年度までの保険料水準が決まっている。ところが、10年度は1万4980円だったが、実際の保険料は1万5100円。保険料は物価の推移や過去3年間の賃金の変動を考慮して算定されるためで、11年度は同水準を下回った。 サラリーマンの加入する厚生年金の保険料率の見直しは、毎年10月支払い分から行われる。物価とは関係なく、毎年0・354%ずつ上がり、17年に18・3%(労使折半)で固定する決まりで、今年も現行の16・058%から16・412%になる。(内田健司)[出典:読売新聞]
2011年02月20日
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昨日の某市職員150名対象の講演会は無事終了した。さて今日は午後から大阪で健康講演会があり、私が勉強する方である。明日からは確定申告とロコモティブシンドローム(運動器症候群)のレポート書きが待っている。ロコモを勉強しつつ、筋トレ、骨トレの新しい運動習慣を付けたいと思う。日野原重明の100歳からの人生2010年に、満99歳、数えで100歳を迎えた、聖路加国際病院理事長の日野原さんが長寿の秘訣について語ります。※勤務先の聖路加国際病院のホームページはこちら。 正月明け、無理な筋トレ たたる 私は時々胸部の肋間(ろっかん)神経痛があり、0.4~0.5グラムの錠剤のバファリン(アスピリン)を内服すれば、30分以内に胸部のキリキリした痛みが消失します。 今年10月には百歳となる私は、今年のお正月の3日に、ぶらっと近くの商店街のスポーツギャラリーを訪れた時に、たくさんの筋肉トレーニングの道具があるのを見て、百歳近くでも筋トレを毎日繰り返せば筋力がつき、重い鞄を持ったり、階段を上がったりしても疲れにくくなるかも知れないと思いました。握力強化用のセットと、鉄のアレイの代わりに手首に巻く1.5Kg の重さのもので、左右1対、合計3kg となる重りのもので鍛えると、前腕や上腕や背筋の肥大が起きます。その他にも、筋肉トレーニングのための弾力性のある幅の広いゴムの長い帯を購入しました。 お正月の後、毎朝夕に欲張って、これらの装具で筋トレを行いました。私は運転手付きの自家用自動車での通勤中にも、握力計のごとき道具を手のひらに握って、全身の力で50回も連続して筋トレを行ったのです。すると、平素全く運動する時間のない私が欲張った筋トレを行ったためか、数日後には強い筋痛が側胸部から背部にわたって起きました。 そこで早速、私の病院の整形外科医の診察を受けたところ、これは筋トレが過重のために起こった肉離れだといわれ、湿布薬(モーラス・テープ)を痛い部分に貼ればよいと指示され、朝夕2回このテープを左側胸部から左背部に貼り付け、やっと2週間で軽快しました。 そこで私は次の川柳を作りました。「 白寿過ぎ 筋トレやり過ぎ 肉離れ 」首の痛みや腰痛... 寝方変えればなくなることも 首の痛みや腰痛があり、整形外科医に診てもらっても、「手術を行うほどでないから、少し温めてください」といわれても、効果のないことがよくあります。そういうことは、固い枕をして仰向け寝をしているために起こることがよくあり、私はうつむけ寝を勧めています。できれば羽毛の入った薄い枕を右か左の側頭部に当て、うつ伏せか、半側臥位で寝ると、肩こりや腰痛、更に強いいびきまでがなくなるのだと私は教えて、私の考案の羽毛入りの枕を作らせました。 日野原式枕というと、商売けがあるように思われるので、「Ohara(オハラ)ピロー」と呼んでいます(聖路加国際病院の地下の売店、聖ルカ・サービス・センターで販売。電話・03-3542-9746)。 以上とは別に、血中コレステロールを下げる薬の中にも、筋痛を起こす薬のあることも知っておいてほしいと思います。[出典:読売新聞]
2011年02月19日
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本日は午後から某市役所職員150名を対象に1時間半の講演を依頼されている。テーマは「ガンを予防する食べ物・生き方とは?~免疫力UPで生活習慣病を予防しよう!~」である。今や日本人の2人に1人がなり、3人に1人が亡くなっている恐ろしいガンであるが、生活習慣病であるので毎日の生活改善でその予防が可能である。その辺のコツを分かりやすく解説したと思っている。
2011年02月18日
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全体には衰退している日本であるが中でも地方の衰退は激しく、若者は東京に集中する傾向にある。子供は東京で地盤を構え、親の方は地方にいることになる。月日が経ち両親も老いて来ると離れ離れと言うことが問題となってくる。元気な時はいいが、介護が必要となってくると遠距離介護ということもあり得る。また両親のどちらかが一人になった場合に東京に呼び寄せるか、慣れた地方で一人で暮らすかも問題になってくる。かくいう我家も例外でなく、嫁さんの母は85歳だが四国の田舎に一人で住んでいるが、義兄は東京で一家を構えている。今のところ義母の希望で田舎での一人暮らしを続けている。無理に東京に呼び寄せても都会の孤独を味わうことにもなりかねない。一方、私の母は88歳で一人暮らしであるが、同じ関西にいるのでその問題はない。しかし、私の息子は東京におり、今後も東京で暮らす希望である。関西の我々と将来同じような問題が発生する可能性もある。まあ、しかしその頃にはリニアモーターカーで、東京・大阪もより身近になっているかもしれないが。東京と地方に離れた親子問題は、多くの家庭で発生していることだろう。実家で父は「良い最期」 小樽-東京の遠距離介護「若い頃は、親の死を怖いものだと思っていました。でも、ちゃんと看取れたことで、ごく自然に受け入れられました」(東京都内で)=武藤要撮影 精神科医の香山リカさん(50)は昨年11月、82歳の父を亡くしました。東京と北海道を行き来する遠距離介護を続け、死の直前には入院先ではなく実家で看取(みと)る道を選びました。「別れは寂しいけれど、良い最期を迎えられたと思う」と話しています。 北海道小樽市で産婦人科医をしていた父は、引退後も医院のあった自宅で母(78)と暮らしていました。介護が必要になったのは1年半ほど前からです。変形性股関節症でつえが必要になり、昨年夏ごろから車いす生活になりました。慢性腎不全もありました。 認知症の症状はなく、通所リハビリや訪問リハビリを利用しながら、身の回りの世話は母がしていました。私は月に2、3回、仕事の合間を縫って帰郷し、札幌に住む弟とともに、両親の話し相手になったりしました。治療方針について主治医と相談したりするのは主に私の役割でした。 実は、東京に両親を呼び寄せる計画もあり、部屋も確保していました。穏やかな性格の父は「そこまで言ってくれるなら」と応じてくれましたが、歩行困難になったことで延び延びになっていました。 香山さんの父が入院することになったのは昨年10月。持病の治療で手術するためだった。しかし、手術は成功したものの、慢性腎不全が悪化するなどして退院できなくなった。本当の気持ち 初めは、そのうち退院できるだろうと思っていました。小樽に戻る回数を週2回程度に増やし、「退院したら東京の病院で治療を受けてみては」と提案したりしました。父も「そうできたらいいね」と話していましたが、最新の治療を受けてもらいたいと思うあまり、本当の気持ちを推し量る余裕がなかったかもしれません。 仕事が忙しくてそう頻繁に帰れないことにストレスがたまりました。帰れても夜に到着して翌朝には戻る生活です。東京には私を待っている患者さんもいますし、以前から決まっている講演などを直前にキャンセルするのは難しかったからです。 「帰れなくてごめんなさい」と母に謝ったことがあります。母は「東京に戻ったらお父さんのことは忘れて、自分の仕事を大切にして」と言ってくれたので、気が楽になりました。 でも、「父が病院で弱っているのに、私は何をしているんだろう」と、ふと思ってしまったり。気持ちを切り替えるといっても、実際は難しいものだと実感しました。 入院から約1か月後の昨年11月7日、香山さんは父の状態が良くないという連絡を受け、講演先の大阪から、急きょ小樽へ戻った。日常の中で 不思議な巡り合わせですが、その日は遠距離介護をテーマにした講演をしていました。講演を終えて、夕方の飛行機に飛び乗りました。 病院に到着すると父の意識はほとんどなく、これは厳しいなと覚悟しました。解熱剤のほか血圧を上げるためなどの様々な薬が投与されていました。しかし、回復の見込みはない。そんな父の姿を見ていて、「このまま病院にいて意味があるのだろうか」という思いが頭をもたげてきました。 父は意識があった頃、「家に帰りたい」とよく話していて、母も「帰れるのならそうしてあげて」と言います。私は「家で看取ろう」と腹を据えました。主治医も理解してくれました。 朝、家に帰った父は愛用のベッドに寝かされました。薬の投与はなく酸素吸入だけです。「帰ってきたよ」と母が手を握ると、意識がないのに涙を流す父。苦しむこともなく穏やかに流れる時間を家族で共有しました。母はいつものように夕飯の準備を始めます。そんな日常の営みの中で、父は静かに呼吸を止めました。私が戻って3日目の夜でした。 香山さんの母は、小樽で独り暮らしをしている。東京に呼び寄せるかどうか結論は出ていないという。 母はまだ元気ですし、地元でのつながりをたち切ってまで私の近くに住むことが良いとは限りません。家族のコミュニケーションを絶やさず皆で考えていこうと思います。 今回の経験を通じて感じたのは、介護やその先に迎えるであろう死別の形は人それぞれだということです。父を家で看取った母ですが、「迷惑をかけたくないから、私は病院かな」と話したりもします。 最近は、介護に疲れた方から相談を受けることも多いのですが、「まずは自分を大切にしてください」と話しています。在宅か施設か、同居か遠距離か--。悩むことばかりですが、介護する側の子どもが自立して、しっかり生きていることが第一歩になると思うのです。 かやま・りか 精神科医。1960年、札幌市生まれ。東京医科大卒。著書に「ぷちナショナリズム症候群」(中公新書ラクレ)、「いまどきの『常識』」(岩波新書)、「老後がこわい」(講談社現代新書)など。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍。2008年から立教大現代心理学部教授。 ◎取材を終えて 看取りの際、死亡確認をしたのは医師である香山さんだった。呼吸や脈、瞳孔などを確認した。悲しみの中、弟さんが医療をテーマにしたテレビドラマに例えて「ERみたいだ」と冗談を言い、家族で笑い合ったそうだ。きっと明るく笑いの絶えない家族だったのだろう。「悲しかったけれど、父をきちんと送り出せた満足感があった」という香山さんの言葉から、家族の強い絆を感じた。(赤池泰斗)[出典:読売新聞)]
2011年02月17日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。さて非正社員ががんになった場合、その苦しみと共に襲ってくるのが雇用の問題である。正社員なら有給休暇なり休職なり本人が復帰してくるまで手厚く待ってくれる感じがあるが、これが使い捨ての非正社員の場合だと早めに企業は切ろうとする。正社員と非正社員は賃金だけではなく、こういった福利厚生全般でも格差を付けられている。現在の日本では3人に1人が非正社員なので、NPOなり社会団体が支援をして、非正規社員ががんになった場合、経済的困窮に陥らないよう対策を打つことが急務である。がん共生時代 ・ 働く(1)治療と両立 支援の輪 「じょぶ」に参加し、がん経験者らと語り合う桜井なおみさん(左から2番目)。「働き続けることは人間の尊厳を守ることでもある」と語る。 東京・御茶ノ水のビルの一室で毎月開かれているがん経験者の就労相談会「じょぶ」。1月18日の夜、会社員、介護士、フリーライターら職種も様々な男女11人が輪になって悩みを語り合った。社会保険労務士や産業カウンセラーが専門的なアドバイスもする。助言者もがん経験者だ。 法律関連の事務所で働く契約社員の女性(30)はこの日が初参加。乳がんの手術で1か月間休み、復職して通常業務をこなせるようになったころ、勤務先の人事担当者に契約打ち切りを通告された。 休業中の所得を一部補償する休職制度は正社員だけが対象だった。そのため女性は有給休暇を使い切った後は欠勤扱いにされた。人事担当者は欠勤が重なったのが契約打ち切りの理由としたうえで「あなたの病気は今後がわからないでしょう?」と冷たく言い放った。 「抗がん剤治療で一番苦しい時も乗り切ったのに、今なぜクビを切られるのか」 「じょぶ」では「業務をこなせるかどうかで判断すべきだ」「契約内容を調べ、人事担当者とのやり取りを記録したらいい」と具体的なアドバイスをもらった。 後日、女性は上司や同僚の支援も受けて、契約打ち切りを撤回させた。「人事と最後まで交渉する力をもらった」と感謝する。 この相談会を主宰するのは、がん経験者の就労支援に取り組むNPO法人「HOPEプロジェクト」だ。理事長の桜井なおみさん(44)も37歳の時に乳がんを患い、勤務先の設計事務所で暗に退職を勧められた。通院のため、有給や夏休みをすべて使い、ほとんど休めなかった。早めに帰宅する桜井さんは同僚の冷たい視線を感じた。結局、辞めざるをえなかった。 がん治療と仕事はどうしたら両立できるのか--。 退職後、がん患者約400人に就労実態について調査した。就労継続を希望する3人に1人は転職していた。約1割が解雇・依願退職に追い込まれ、約4割が収入減に陥っていた。「治療のための休職制度が必要」「職場で、病気への理解や配慮がほしい」。患者の願いは共通していた。桜井さんはNPO法人で、解決策作りに乗り出した。 昨年、がん経験者が仲間と共に働き続けるための知恵を詰め込んだハンドブック「がんと一緒に働こう!」(合同出版)を出版。がん経験者が対象の職業紹介サイトを作り、企業の人事担当者向けの研修も開始した。 「がんを経験しても自立して働ける仕組みを作る必要がある。経験者が声を上げて、社会を変えていかなければ」。来月、がんの就労問題に取り組む全国組織を設立する。活動の輪は広がっている。[出典:読売新聞]
2011年02月16日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。昨日は久々にMLM旅行会社のセミナーに行ってきた。この会社は究極のネットワークビジネスで、世界中の5星級ホテルに7泊8日無料宿泊が出来る上、ボーナスが貰える。単回投資でいいので、ダウンのリピートを心配することもない。今後のネットワークはこういった形が多くなるだろう。さてshinic書店開店後10日が経過したが、最初はよく売れたもののその後はサッパリである。やはり買う方もよく見ていて、値打ちのあるものだけ買っていくようである。今後は希少価値のある本を重視して行きたいと思う。
2011年02月15日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。今週の金曜日に、某市の職員150名を対象に食育の講演を1時間半頼まれている。その最終のスライド確認を仕上げねばならない。テーマは「ガンを予防する食べもの・生き方とは?~免疫力UPで生活習慣病を予防しよう!~」である。先日の公民館での薬の講演では、話に熱中し深く入り過ぎ、スライドを減らした割には、後半時間がタイトだったので、もう少しスライド枚数を減らそうと思う。
2011年02月14日
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「光陰矢のごとし」と言う言葉があるが、これは「月日が過ぎるのは、飛ぶ矢のように非常に速く、帰らない。だから無為に送るな。」と言う意味である。年齢を重ねるにつれ、時間が早く過ぎるように感じるのは、私だけではないだろう。最近は1日が終わるのがすごく早く感じる。子供の頃の1日は長かった。感受性がそれだけ研ぎ澄まされていたからかもしれない。感動が多かったのだろう。また、年齢を別にして考えても、何かを待っている時は長く時間を感じるものである。実際の時間と体内時計のずれであろう。時間感覚...年齢、状況でずれる「心の時計」 年を取るにつれ、時が早く過ぎるように感じませんか。また、同じ時間でも、時と場合によって、短く感じたり長く感じたり。時計の時間は一定なのに、なぜ私たちの感じ方は一定ではないのでしょうか?(高橋圭史) 「そのようなズレは、『心の時計』と『実際の時計』の進み方の違いとして考えることができます」 こう語るのは、時間学の研究に取り組み、「大人の時間はなぜ短いのか」などの著書もある千葉大文学部准教授、一川(いちかわ)誠さん(実験心理学)だ。 こんな実験がある。対象者は4~82歳の約3500人。自分が「3分」と感じた時点でボタンを押してもらったところ、年齢が高くなるほど、実際の3分より長くなる傾向が出た。 分析によると、2~4歳年齢が上がるごとに1秒長くなり、70歳代では1割増し。70歳代の人は、「本当は3分18秒もたっていたの?」と驚くことになる。 つまり、年をとるほど「実際の時計」より「心の時計」の進み方が遅くなるため、時がたつのを早く感じる、というわけだ。 一川さんによると、心の時計に影響を与える要因は、様々な実験研究から分かってきている。一つずつ紹介すると--。代謝 代謝が良いほど、心の時計が早く進み、時間を長く感じる、という仮説が有力視されている。一川さんの研究室の実験でも、運動した後の方が、運動していない時より、時間を長く感じる傾向が出た。年とともに時間の経過を早く感じるのは、代謝が落ちるから、とも説明できる。感情 恐怖を伴う時間は長く感じるらしい。英国の実験で、ガラス箱の中のクモを一定の時間(実際は45秒)凝視させ、どのぐらいの時間に感じたか尋ねたところ、クモに恐怖感のある35人の平均は56秒で、恐怖感のない18人の平均33秒より大幅に長かった。時間に注意を向ける頻度 頻繁に時計を気にすると、時間を多くの部分に分節化して認識し、長く感じる、との仮説がある。つまらない時間は、時間に注意が向きやすいので長く、逆に何かに集中すると短い。車の運転では、直進中に比べ、作業が複雑で集中が必要な右折時の方が、かかった時間を短く感じる、との研究もある。印象に残る出来事の数 印象に残る出来事が多い時間の方が、長く感じられる傾向がある。子供はささいな事も、新鮮に感じ印象に残りやすい。一方、大人は多くの事をしても、慣れていると印象に残らない。これも、加齢に伴って時間を早く感じる理由らしい。刺激 大きい物・音に接するなど、強い刺激を受けた時間の方が長く感じる、との研究もある。◇ とかく現代人は時間に追われがちだが、これらの考察を生かせないだろうか。 例えば、楽しい時間を長く感じることは可能か? 一川さんは「慣れた事だけでなく、少しずつ新しい事に取り組めば、経験する出来事や刺激が増え、充実した時間が長く感じられる可能性はある」と話す。 さらに、こんな助言もしてくれた。参考にしたい。 「人が思うほど実時間は長くない。予定は詰め込み過ぎず、やりたい事に優先順位を付けた方がよい」時間学 哲学や物理学などで別々に行われてきた「時間」に関する研究を、文系理系の枠を取り払い総合的に捉えようとする新しい学問。生活リズムと病気の関係、時間感覚を踏まえた社会政策なども対象。2009年に設立された日本時間学会には、理、工、医、文など様々な学部から研究者が参加。山口大には時間学研究所がある。[出典:読売新聞]
2011年02月13日
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ホームレス問題で有名な湯浅誠氏の「生活保護申請マニュアル」を現在読んでいる。基本的人権を守る最後の経済的砦は生活保護である。しかしフリーパスで認めると本来の目的を逸脱し、ヤクザ等働かないで収入を得ようとするけしからん輩が出てくるので、福祉事務所職員の厳しいチェックが入る。しかし、本当に困っている人(生活困窮者)もそれで撃退され自殺や餓死等、大きな社会問題になっている。その福祉事務所職員のチェックもクリアする方法は必ずあるはずで、その方法を湯浅氏は分かりやすくまとめている。悪用されると困るが、性善説に立ち生活困窮者の最後の救いの手段として生活保護がよい意味で利用されることを願うものである。
2011年02月12日
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今朝は芦屋も今年初めての雪である。昨日から我家に来ている孫たちは喜んではしゃぎ回っている。一方雪国では雪下ろしが非情に大変だそうであるが、この辺は全くその心配がなく、恵まれていると思う。雪下ろしから始まる生活など全く想像がつかない。運動だと思えばそれほどでもないだろうが、しかし強制的にしたくもない運動をやらされるのは、さぞかしうんざりすることだろう。表日本は晴天の日が多いが、裏日本は曇天の日がほとんどで、うつが多いのも理解できる。うつの人が雪下ろしを迫られるのでは、たまったものではない。雪下ろしで亡くなっている人もおり、自衛隊も今年は非常時と判断し出動すべきだろう。これが東京だとすぐに非常事態と判断するのであろうが、地方は見捨てられているということは雪問題でも明らかである。高齢世帯に除雪重く 今冬の死者24人の6割占める 雪下ろしをする高齢者=2日、上越市大島区高齢者宅の周りを除雪するボランティア=4日、長岡市旭町1丁目 県内はこの冬、上・中越地方を中心に「平成18年豪雪」以来の記録的な大雪となった。雪下ろしなど除雪作業中の死者は7日現在、24人を数え、全国最多。うち65歳以上の高齢者は6割、15人を占める。対策本部などを設置して警戒にあたった11市町で、除雪支援の必要な世帯は計約7600世帯。高齢・過疎化が進み、除雪の担い手となる若者も減っていく中、高齢者世帯の除雪作業は大きな課題となっている。 久々に晴れ渡った2日、上越市大島区の農業吹山公一さん(74)は、かんじきをはいて屋根に上がった。十日町市に接する豪雪地帯で、市の総合事務所の2日の積雪は約2.3メートル。この冬、5度目の雪下ろしで、2回は市内に住む長男が駆けつけてくれた。 汗を拭きながらはしごを下りた吹山さんは「自分でやるのは当たり前。夏、田んぼの草取りをするのと同じさ。できるのに人に頼んだら『どうかしたのか』と言われる」。周囲の高齢者の多くも、体が動くうちは自分で雪下ろしをしているという。 妻の由美子さん(66)と2人暮らし。相次ぐ転落事故の報道は耳にしているが、作業には慣れており自分が落ちるとは思わない。高齢者の事故が多いのは、「体力的なものより、屋根に上がるのは65歳以上が多いからだ」とみる。若者は都市部に出て、農村や山間部は高齢者だけの世帯が増えている。 同市によると、災害救助法の適用で高齢者だけの世帯や障害者などの除雪支援が必要な世帯には、適用日から今月18日までの作業に対し13万4200円を上限に除雪費が助成される。ただ高齢でも自分でできる人や一定以上の収入がある人は対象外だ。制度上も「可能な限り各世帯で」が原則。同市の約8800の要援護世帯のうち助成を申請したのは7日現在約3600世帯。うち1割近い340世帯は申請が却下された。 地元建設業者によると、雪下ろしの作業員1人当たりの時給は約4千円、複数で行うため1回当たり数万円から、排雪まで含めると10万円を超すこともある。助成対象にならない高齢者世帯には費用が大きな負担となる。 ■若者減少 ボランティア頼みの綱に こうした中、どの自治体もボランティアの手を借りて支援にあたっている。 死傷者が県内最多の長岡市は、雪害ボランティアセンターを設置。北海道や東京都、石川県などを含む県内外の174人が4~6日の3日間、高齢者宅を中心に47カ所の除雪作業に汗を流した。 ただ、市内で除雪支援が必要とされる世帯は1167世帯もあり、優先されるのは緊急性のある世帯だ。 同市旭町1丁目の無職河野太郎さん(75)方では4日午後、ボランティアの男性5人が雪かき用シャベルを使って家の周りの雪を集め、脇を流れる柿川に運んでいた。 河野さんは妻(74)と2人暮らし。「私自身、足やひざが痛いし、妻は昨年大病をしたばかり。除雪してもらえて本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱい。今年の雪にはホント、まいった」と話していた。 除雪費の助成やボランティアで支援できる人数は限られている。県危機対策課は、2人以上での除雪を呼びかけているが、「地域から人が、支える若者が、いなくなってきている。1人で作業せざるを得なくなっている高齢者は多く、難しい問題だ」としている。(遠藤雄二、松本英仁、大内奏) [出典:朝日新聞]
2011年02月11日
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今日は13:30~16:15兵庫県医師会館で生活習慣病講演会がある。知り合い2人も誘って3人で行く予定である。がん6回を克服した人のお話もある。一方我家には本日から4日間、娘家族軍団が押し寄せる。いつものことで孫たちに振り回される生活が始まる。孫達が来た時は嬉しいが、帰った後はどっと疲れる。孫は「来て嬉しい、帰って嬉しい。」ということで、短期に時々付き合うのがベターだろう。
2011年02月10日
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知り合いの社長から管理薬剤師の求人を頼まれた。時給4500円と時給としてはいい方なので友人等あたったが、それぞれに事情がありいなかった。もし、読者で希望者がいればメールをいただきたい。・勤務時期:2011.4月~・勤務場所:阪急神崎川駅近くの会社の管理薬剤師・実働時間:1日4時間(例:10時~15時、時間の前後融通可能)、週4回・時給:4500円
2011年02月09日
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昨晩9時過ぎに急に停電になった。しかしどうも我家だけのようで、懐中電灯を点けても電池が切れているのか役に立たず、仏壇のロウソクを付け、しばし嫁さんとパニック状態になった。真っ暗になった経験は、国内では阪神大震災以来である。ブレーカーを見てみるとすべて点いている。しかしよくよく見てみると大元のブレーカーが落ちている。これだと思い入れたが、すぐに戻ってしまう。何なんだと思いつつ、夜のことでどこに連絡すればよいかも分からず、暗い中説明書を読んだ。それによると一箇所漏電の可能性があると、大元ブレーカーが落ちるので、すべてオフにしてから、ひとつずつ大元ブレーカーが落ちないか試せと書いてある。北東洋室のクラーが原因と分かったので、そのブレーカーをオフにしそれ以外をすべてオンにして正常に戻った。3年前、中国で1ケ月間研修をした時はよく停電を経験したが、今の日本では停電は考えられないことである。電気のありがたさを久々に実感した。当たり前と思っている今の便利な生活も、感謝しながら送らねば罰があたると感じた。
2011年02月08日
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初日1冊売れた後、二日目は何と6冊が売れた。しかし不思議なもので、売れるとその本を手放すのが惜しくなるものである。今は全然読まないものでも、そのうち何かの参考になるようなものは置いておくようにした方がいいようである。昔は新しい本を買って古本屋へ持って行くのは面倒だったので、ほとんどは捨てていた。これからはインターネットを利用しリサイクルが出来るということで、エコになり大変いいことである。私の本棚はまだまだ整理ができていないので、どんどん売って行き、楽天でまた新しい本も入手して、知識をリフレッシュして行きたいと思う。
2011年02月07日
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私は新品書籍は通常、楽天で買っているが、中古の本はアマゾンで買っている。私の書斎と倉庫になっている部屋の本棚には本が無数にある。日頃から嫁さんが処分を望んでいた。先日テレビで60歳過ぎの方が年金を貰いながら、古本でビジネスをやっていて、多い時は月80万円の収入があるという番組を見た。中古の本を買えるということは売れる訳で早速出品手続きをやったところ意外に簡単であった。昨日shinic書店の開店であるが、2冊本を出品したところ早速本日注文メールが入っていた。本棚の整理ができたうえ、小遣いにもなるので、大変喜んでいる。
2011年02月06日
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今日は朝6時に起き、孫たちの保育園の生活発表会を見に来ている。ゆっくり成長を見て楽しみたいと思う。
2011年02月05日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。本日は、某市公民館の健康セミナーの講師を2時間依頼されている。対象は40名だそうだが、高齢者が中心のようである。演題はお得意の「知って得する薬の知識」であるが、本日は抗がん剤、コレステロール低下剤の恐ろしさも入れておいた。しかし、素人の人は薬に対してかなりの誤解をするもので、胃の痛みに鎮痛剤を飲む人があることが分かった。痛み止めは副作用で胃を荒らすので、まったくナンセンスな話である。穿孔(穴が開くこと)を起こして死の危険性もある。もっと基本的なことを伝えた方がいいような気がしている。
2011年02月04日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。米寿の母から買ってくれるよう頼まれた本の中に、曽野綾子の「老いの才覚」という本があった。この本の中に面白い記述がある。老化度を測る目安は「くれない指数」」というものだ。してもらうことが当たり前になればなるほど老化しているということである。何でも自分のことは自分でするように日頃から習慣づけをしなければならない。特に、嫁さん頼みできた男性は注意が必要である。
2011年02月03日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。高齢者社会に入り、介護の問題が大きな問題となってきている。ロコモティブシンドロームとは運動器症候群ということで、骨や筋肉、関節など運動器の働きが衰え、生活の自立度が低くなり、要介護の状態や要介護となる危険の高い状態のことをいう。今まで問題視されてきた腹回りなどの一般的なメタボなどの生活習慣病と違って、食事よりもより運動に特に注意しなければならない生活習慣病と言えるかもしれない。人間は日常から動き回って筋肉や関節を鍛えておかねばならない動物である。年とともに活動量が減ってくるので、努めて活動的に動かねばならない。私もデスクワークが多いので、意識して運動の習慣を付けたいと思う。
2011年02月02日
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毎日毎日、多くのステキなことや出会いがあり、楽しく素晴らしい人生に感謝である。今日から2月、早いものである。1月は正月、母の米寿祝、ヨーロッパ旅行とバタバタとしているうちに過ぎてしまった。今月も健康セミナーや原稿作成等の予定がいっぱい入っていて、忙しい。最近はロコモティブシンドロームも問題になっているので、身体を鍛え筋力も付ける生活習慣も確立したい。
2011年02月01日
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