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旅は準備からはじまる。特に海外旅行となると沖縄に行くのとはちょっと違う心もちがする。同じ飛行機に乗るわけだが国内と国外では、なぜ心がこうも違うのだろう。ことばが違う。文化が違う。人種が違う。何度行っていても国内とは違う思いにかられるのはどんな相違があるからだろうか?それ以上に何があるのだろう?沖縄へは大阪から1時間半で着く。ニュージーランドとなると直行便のAir NewZealandで12時間かかる。距離的なことは決定的な理由とはならない。隣の韓国に行くときにでも、やはり国内の北海道へ行く時とはちがう気持ちになる。どこに行くときでも同じ心の状態でないのは、私だけだろうか?私は国際人ではないのだろうか?島国で育った日本人としての特徴が人より大なのか。15回目くらいまでは勘定していたが、NZへはそれ以後何回行ったかはもう勘定をしなくなったので分からないくらい行っている。それでも私には、日本から出て行くのがどこか見知らぬ世界へ行くような不安と新しい期待が入り混じっている。今回は今までにない贅沢をするつもりだ。それでも最初の1週間は忙しい。留学している高校生の問題に耳を傾けなければならない。そしてライフウエイ・カレッジの今後の留学企画の打ち合わせや夏のツアーの計画固めをしなければならない。だかその後の4,5日は、のんびり海岸で読書と決め込むつもりだ。友人の別荘が海岸べりにある。そこで過ごすなど、今まで考えたこともない贅沢な身分となる。私はリタイヤーするつもりはない。働ける間は働くつもりだ。その今、このように4,5日でも何もしなくて済むなどまるで夢のようだ。これは長年私が夢見てきたことなのだが、その夢がかなえられるとはほんとうにうらやましがられてしかりである。神さまの祝福とは、人にうらやましがれることである、とある人が言った。
2004年02月21日
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大阪の松屋町筋は昔から人形やおもちゃや本屋の卸問屋で賑わっている通りである。50年ほど前、高校生だった兄はその通りの本屋で手塚冶虫氏のマンガを買いに行くと「いましがた手塚さんがこの店にいましたよ」、と言われたという。そのとき会ってサインしてもらっていたら、今その本はすごい値打ちものだろう。今、本屋はまったくない。おもちゃ屋さんも少ない。3月3日の雛祭りのための人形が並べられて華やかなお店を数件まわって刀を探した。日本刀である。ニュージーランドのライフウエイ・カレッジへお土産としてもっていく。これは秘密なのでここで書いたのが読まれて告げられると困るから誰も言わないようにね、(お願い)3,4軒目でいいのが見つかった。おもちゃのようでは困るし、それだからと言ってあまり高価なのも困る。予算がない。適度な値段で立派なのが見つかったのでそれをもって行くことにした。刀は日本人のこころ、武士の魂である。聖書では神さまのことばは、両刃の剣よりも鋭くて霊魂と骨髄を刺し貫くとある。神のことばである剣をもって、戦いなさいとも書かれている。 私は何度聖書のことばで人生を乗り切らされてきたかわからない。誘惑や困難に出会ったとき、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなことなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」というこのことばによって何度助けられたか数えられない。その“ことば”は神であった。ことばがこの世に来られた。人となって私たちの間に住まれた。この方は恵みとまことに満ちていた。このことばのシンボルである剣をお土産にしたいと前々から思っていたが今回持っていくことにした。サムライの魂である刀が西洋の一般的な人々に受け入れられ理解されることはないかもしれない。しかし私の友人たちは、自分の主人に忠実な僕たちだ。彼らはこの日本刀のスピリットを感じ取ってくれるだろうし、そのサムライを養成しているライフウエイ・カレッジにふさわしいお土産だと信じている。月曜日私は刀を持って飛行機の人になる。神様のことばを世界に宣べ伝え、また伝道者を養成している友人が日本刀を見て驚くその顔が今から楽しみだ。彼は昨日、あなたに会えるのがextremely looking forwardだとメールをくれた。彼だけでなく昨日今日とで4人の友人が暖かいメールをくれた。彼らとは40年間、同じ主人に仕えているサムライである。同じ刀を持っている仲間が世界中にいる。その刀を振るうサムライの相手は目に見えない。
2004年02月18日
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日本の群集と日本の文化に浸った一日でしたとその体験を興奮気味に話す彼の顔は輝いて見えた。おかげ横丁は、おかげさまで日本を彼に少しは見せてくれた。大阪の町は西洋と変わらないが、伊勢の神宮と二見が浦の人ごみで日本を彼は少し味わったようだ。土、日、月は込みますが、火、水、木は比較的少ないですよ、と神宮の人は言う。伊勢に天皇の皇女が奉剣したのがBC5年と聞いている。それまで26箇所をめぐりめぐり、今の伊勢に神宮が落ち着いたのがその頃だと言われている。それから2000年の歴史を20年に一度建てては壊しの遷宮をしながら今に到るこの不思議な歴史を解明するのは、世界ひろしと言えでも誰もいないだろう。私はそのルーツを聖書のモーセの幕屋以外にその例を知らない。だがそれがルーツだとは、断言もできないのがもどかしいがその神秘に何か不思議な好奇心を抱いている。おかげ横丁で江戸時代の模型をみた。その時代、男と女の実物大の人形が150センチから140センチであるのが日本人の身長であったのが驚きであった。将軍綱吉は126センチであったらしいが、犬公房は“小さい人物”であったのだ。ジム(NZの友人)は西洋人も昔は小さかったのだよ、と言う。世界の人が、その身長が伸びたように心も豊かになり精神的にも成長すればよかったのだが反比例しているような人類の歴史を現在見ていると進化論は信じれない。むしろ私は退化論を信じよう。「なぜ伊勢には狛犬と獅子が神殿の前にないのか?」と内宮の人に聞くと「伊勢は一番原始的な形を今も保つことに忠実なんです。」との返答がもどってきた。私は伊勢のその素朴で質素な、自然の中に溶け込んでいる姿が大好きだ。神宮の石畳は、私の足に清い振動を与え、その音は都会のコンクリートの冷たさからとうてい感じ取れない日本の心を響かせてくれる。群集は、何がおわすか知らねどもそのありがたさに涙こぼるる、と拝殿に向かって頭を垂れて両手を合わせている。「知られない神を教えてあげよう」と世界の大伝道者はギリシャの神殿で大声を上げた、そして多くの人がその後に続いてヨーロッパは変えられた。そのようにこの日本で、同じ声を上げている者の数は少ない。
2004年02月17日
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沖縄から帰ったら友人夫妻は我が家に着いていた。イギリスから彼らの国ニュージーランドへの途中、立ち寄ってくれた。が彼の妻の母が危篤ということでその夜、彼の妻はひとり関空から発った。彼は、日曜日の朝教会での集いと夕方区民センターでのレクチャーのため残ってくれた。 土曜日、私は彼を伊勢神宮にお連れした。彼はおかげ横丁、そして内宮の雑踏の中で日本を感じ、あたかも日本文化の水槽にバプタイズ(浸礼)されたと述懐した。40年間の先生としての彼の学びへ飽くなき渇望は異文化を堪能し吸収していた。夫婦岩のしめ縄を夫婦の絆と見た彼は、いたくその象徴的結びをよろこんだ。日曜の午後、彼の妻は電話で母が死んだ、そして月曜日16日告別式だと言った。彼の妻は、告別式に夫がいない。彼は彼の仕事を日本でするために自分の家族を捨てた。二見が浦の岩の綱は、彼にどのように彼の脳裏に写っていたろうか。私は彼の誠実な語り口、情熱あふれる態度、聖書を解き明かす明快な理路整然とした解説と注解を通訳しながら、彼の自分の本来の仕事に専念する生き方にサムライを見た。彼は自分の主人(全能で天地を創造され、ご自分の御子を愛のために死に渡されたお方)に忠誠を尽くしていた。彼は日本人を知ること、そして彼の友人(私)への約束を守るためにひとり残ってその務めを果たした。友が友のためにその命を捨てることより大きな愛はない。私は彼の中に愛を見る。そして彼の講演を聞く全聴衆が彼の話に裏付けられた彼の態度に感動し、彼がサムライに見えた。日本人が燃えてやまないその魂は、父、母、妻、子、を捨てて私に従えと言われたイエスのことばを実行するその価値にある。それを知る私の仲間の日本の友人は、ニュージーランドにも侍がいることを知った。彼は私に何度も繰り返し自分の仕事に謝礼は要らないと言う。サムライは報いを自分のなすべきことを忠実に行うことが報酬だと言う。彼の顔に刻まれた皺は、私には神さまからの刻印のように思えてならない。私は来週彼の波打ち際の別荘で、この40年間の交友を暖め合う。私もサムライでおりたいし、私の日本の友人にもサムライはいる。サムライは自分の主人に忠実である。
2004年02月15日
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沖縄に快晴をもってきてくださったと会う人ごとに喜ばれた。それほど沖縄は寒かったとのこと、雨と風の日々だったらしい。 グスクに行った。波の上神宮は正月に沖縄の人が押し寄せる神社だそうだ。そこで祈る人、人、人。それが並み大抵の祈りではない。10分20分と両手を合わせて立ちすくす人、人、人・・・グスクで頭を垂れて祈る人、30分微動だにせず祈る人、人、私はその人たちのように祈っているだろうか?私は恥ずかしかった。 神々に祈る姿ほど人を感動させる姿はない。それが神々を言われている石や木の神や場所であろうとも。石や木や岩などの神であろうとも。祈る姿は動物にはない。人が人であり人が霊的な生き物だからだろう。人本来の姿が祈りだ。「神は人の心に永遠への思いを与えられた。」と神々の神が言われている。だから人は祈るのだろう。 そのうちのひとりの婦人とその娘さんと話す機会があった。「あなはたは何をそんなに長くお祈りされているのですか?」と私。「私は、自分のことそして家族の祝福を祈ります。」「それには30分も長くありませんか、他の人のために祈ることもされるのですか?」「いいえ、他の人のためにとりなしはしません。」 大阪の神社や京都の神社、で祈る人を見かけるが手を合わせるだけで、ほんの2,3秒だ。それが沖縄では短い人で5分は立ちすくしているし、グスクでは30分は普通だ。「あなたはユタになるのですか。」「なりたくありませんが、そのように召されているような感じがしています。」と言われた。 私の仲間は、その斎場といわれる場所や、偶像が置かれていたり岩が突き出て奇怪な形をしているところを気持ちが悪いと近寄ることもしていなかった。そこに足を踏み入れることなど考えもしていなかった。その友人が霊場といわれている真っ只中で生まれて初めてそのユタになるかもしれない人と楽しげに話していた。その体験を彼女は、自分で信じられないようなことをしていたとその日の夕方集まった方々に目を輝かせて話しておられた。 その信仰深い祈りの婦人は、共に祈り場に来られていた娘さんと共に「私をあなた方が集まるとき、誘ってください。必ず行きます。私は『イエス・キリスト』が好きなのです。」と目を輝かせておられた。 人は自由を与えてくれる何ものかを求めて祈っている。私たちは名刺交換をして笑顔を交わして分かれた。 私を出迎えて招いてくださった人々は、偶像を拝まずまたその場所を忌み嫌っている人たちだ。だから、その場所や人を恐れて近づいて声もかけることができなかった。それが今日、私は自由です、と述懐された。 心の黒雲を取り払うように、沖縄に快晴が訪れたのだ。快晴の3日間は今日も続いてその青空に飛びたって機上の人となった。 機内にいる私は、外の重力の影響をまったく受けていない。睡眠不足を補ってくれる安からなうたたねを楽しんだ。 沖縄、確かに様々な霊力を信じている人が多い、そしてそれを恐れている人が多い。だがそんな霊力が、恐れを抱かせたり不吉なことを起こさせる影響などない。確かな信仰をもっているものたちは、ユタを両手でだきしてめて余りある愛をもち喜んで斎場や神社で彼らに声かけて、共に真理を求め合うものだ。 沖縄に快晴を運んだと今も私は思っている。沖縄は暖かかった。
2004年02月12日
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「オレ死にたい」「早く10日がきてほしい」「こんなつらいのはもういやや」口癖になるほど、こんなことばがドンドン発せられる。昨日、昼からやってきた彼らに話した。君たちの人生で初めてのハードルが高校受験だ。いままで自分をテストされて道を決められることはなかっただろう。すんなり何事もなくここまで過ごしてきた。そしてこのハードルはだんだん高くなるのが人生というもの。次は大学受験、そして就職試験、それからなんだと思う?と聞いた。するとひとりが結婚か、と答える。そのとおり、その一つ一つで自分が試される。まず初めのハードルで君たちが真剣に立ち向かうなら次のハードルでも真正面から取り組むことができる。だから君たちがストレスを感じて毎日がんばっている姿はそれでいいのだ。かならず合格するから自信をもって前に置かれている試練をよけて通ることのないように。「もう死にたい」と言った生徒にはそのようなことばを口にするな、と励ました。中学3年生のこの時期に、まじめに受験というハードルに目をそむけてまじめに勉強していない連中もたくさんいる。彼らは、つぎのハードルに準備ができていないから中途半端な気持ちでは人生に襲ってくるハードルを飛び越えられない。そのハードルは大学、就職、結婚というものだけでなく突然目の前にやってくる病気、事故、災害、などのものにはどう対処していくのか分からない自分を育てていることになっている、と話した。午後のひとときの勉強が始まる15分の彼らへの説教は石地に落ちた種でないことを祈る。彼らの受験日は、火曜日の10日だ。あと3日。月曜日いつもの通りの時間より一時間早めに来て、早めに終わらしてくれ、と言う。ダメだ!いつもの通り、今までやってきた時間通りの授業をする。「何も変わったことをすることはない。」受験だからといって、生活リズムを変える必要などない。いつもの自分のやってきたこと以外にする必要などない。私は頑固に平常心の大切さと、毎日のやってきたことの連続と積み重ねがハードルを越える一番の秘訣だと怒鳴りつけた。そして「人は生きてきたように死ぬ」それ以外、人生のハードルを越えることはできないと話したが果たしてストレスの真っ只中にいる彼らにどれだけの励ましになったか人の心の中はわからない。
2004年02月07日
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予定は変更するためにある、などと言うなかれ。3月26日に1年ぶりにニュージーランドへ行く予定であった。諸事情のゆえにそれが昨日、すなわち4日それが1ヶ月早めに行くことにあいなった。その事情の最大理由はここではあえて公表しないが、予定変更のために留守中の調整、またニュージーランドでの滞在先の友人への連絡など一日中十何軒への手紙、メールで追われてしまった。 旅行代理店は、飛行機便の変更でかなりの迷惑をかけてしまった。代金を払ってチケット手配を終了した場合は、その変更は大変だったようだ。オークランドのキリスト教会の牧師は、変更を快く受諾してくださったがキャンプでの講演変更は、残念と惜しがってくださった。私も残念だが「予定は変更するべきでない」ことを痛感せずにおれない。 だが、3月下旬のニュージーランドより2月下旬のニュージーランドは幾分暖かくまだ夏の面影はあるだろう。海と泳ぎの大好きな若いときなら泳げるぞ、という喜びはあるかもしれないがこの歳では、それも影を潜めている。なによりも変更のよい点は、我がニュージーランドの母に1月も早く会えることだ。彼女は私の命の恩人である。右も左も分からない40年前、私を暖かく家に招いてくださり心からラブシャワーを浴びせてくださった。そしてそのシャワーはほとんど毎月の手紙のやりとりでわかるように耐えることなく私は浴びさせてもらっている。80歳を裕に越えている老婦人は、今も私のニュージーランドの母である。子が母に会って言ってもらう最大の賛辞は、「お前にはひとつの心配もないよ」と言うことばだろう。彼女に心配をかけている他の二人の息子がいる。ひとりは真の息子、そして他は私と同じような彼女が面倒を見た人である。私だけでもこの心配事を少しでも軽くするためにこの恩人に数分でも多く彼女の老人ホームの一室で横に座らせてもらおう。予定変更がよい方向に向かうとき、それに伴う下準備を再びせねばならなくともそれには骨折る値打ちがある。そのためには、人生で予定変更はつきものであるがそのための代価を支払うことを嫌っては、人生の旅路で勝利を得ることはできない。周りの迷惑を考えずにイノシシのように、まい進するのもよし、変更するときに周りを迷惑の渦の中に引き込むのをものともせず猪突猛進もよし。 がしかしその側面に謝罪と他への気配りと同意をうるため努力をなくしてはそのイノシシは鉄砲で撃たれて頓死する。
2004年02月04日
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目に入れないこと、よく振って使用すること。S製薬株式会社。これをデキモノの上に乾いたら塗り乾いたら塗りを2,3日した。2ヶ月間も気に障り続けていたデキモノ、痒くていらいらさせていたものがうそのように姿を消し始めた。医者がレンズでそのものをしっかり見て、これを塗りなさい。と指導してくれたおかげである。ここで学んだこと:1.医者が適切な指導をしたこと。2.その指導に従って私が忠実に実行したこと。このふたつがあってこそこの良い結果を生んだということだ。そのどちらかがかけていても問題は解決しなかったであろう。私は塾の先生もしている。生徒は今私立高校を目指してがんばっている。小学6年生は私立中学めざして今その試験の真っ最中。ここ大阪では、もうすでに合格発表がなされている。私の指導のもとで勉強をしているが、その指導方針に従わない中学3年生がいる。成績の上がる生徒は、素直な子だ。結果を出す子は、先生の話を素直に聞く子だ。塾もまた種種雑多な職業を学んでひとかどの技術を身につけようとしている若者もその基本を学ばないでは、ことは進まないのは道理である。指導の分野と聞く分野が重なり合ってこそ成功に喜びに二人が握手する。神さまが人に何かを指導される。それに耳を傾けない人は、神さまが分からない。「耳のある人は聞きなさい」とは至言だとつくづく思う。私は、デキモノが痒くなってきたとき、皮膚癌を恐れた。かつて口があけられなくなったときがあった。航空外科に走った。のどが痛くなったときがあった。喉頭癌を恐れた。肺が苦しくなった。肺癌か?1週間に3回も救急車で病院に運ばれたこともあった。全身くまなく検査してもらった3週間の入院結果、どこも悪くなかった。心療内科に連れて行かれた。そこでパニックディスオーダー(パニック障害)の典型とお墨付きをもらった。医者はクスリをくれた。それを飲んだ。するとてき面に効いた。そしてその病の原因をすぐに排除した。ある仕事を辞めたのである。そして1ヵ月後、それは消え去って今はその跡形さえない。(これは4,5年も前のことで、まだそのことばの知識は稀であった)そのたびに医者は適切に対処してくれた。そして全快した。医者は、その知識をどこで得たのであろうか?人を癒す力をどこで。私を癒したのは、医者であり、私である。でももうひとり、私は感謝する方を忘れてはいけないと思っている。(パニックディスオーダーからの回復は、クスリ以上のものが必要であることをまた私の経験を通して書いてみたい)もうひとつ言っておかなければならないこと:私は医者嫌いだった。むしろ信頼していなかった。20才から50才まで私はクスリも飲まず、医者にもかからなかった。風邪でも腹痛でも何でも。それほどの病気をしなかったからかもしれないが、薬が人を治すものではないとかたく信じていたのである。しかし、人は素直にならなければならないことを今、苦しみを通して学んでいる。
2004年02月02日
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