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12月19日の早朝(午前4時ごろ)娘が帰って来ました。以来、ダンスのレッスン、アルバイト、高校の友達、バレエ友達とデートの梯子に忙しい日々。ゆっくりする暇もありませんでした。昨日クリスマス。午前4時起きして、人をエアポートまで送って行きました。疲れも溜まっているだろうと、自分で起きるまで寝かせておきました。12時過ぎてからお目覚めでした。「サンタさん来たみたいだよ。」と母。小さなクリスマスツリーの下には、なにやらプレゼントが・・・。母には何と、SONYのフラットスクリーンモニターが!!娘サンタからでした。「お母さんコンピューターで何時も字が良く読めないって言ってたから。」私のパソコンはいつもお下がり、普通のモニターで字はぼんやりした感じで、小さい字は読めませんでした。この間も、字もう少し大きくならないの?なんて言ったばかりでした。壊れてもいないものを交換するという発想は慎ましい主婦にはありませんでした。すぐに新しいモニターに換えてくれました。何と、ばっちり。全てが良く見えます。母が喜んでいる様子を見て、「お母さんのプレゼントって難しいんだよね。喜んでもらえて、ほんと良かった!!!」と娘サンタ。(プロフィールの欲しい物という所を読んでいただければ、娘の苦悩も頷ける筈。)「高かったんじゃない?」ちょっと、躊躇してから、「これは、インターネットで募集し、ほんとは$2~300するんだけど、$50で買えた。」慎ましい母は、輪をかけてお喜びです。「お母さんに内緒でこれをするのは難しかった。」私が、喜んでパチパチやっている間に、娘はまた眠むってしまったようです。「ええ、ええ、そうでしょう。ゆっくりしてね。」母は、いそいそとマッフィンを焼いたり、夕食の支度したり。程よい頃に起きてきました。暗くなり始めています。「ローソクに灯つけて。」と最近ローソクにはまっている私。 シャンペンを抜いて、お祈りをして、乾杯。口当たりのいい美味しいシャンペン、ターキーステーキとスタッフィング、等など。ここまでも良かったんですが、食事を終えてから、まだ、シャンペンも残っていて、二人で空けながら話が始まりました。この話しが最高だったんです。2歳からバレエママの私には。バレエママ、音楽ママ、等など○○ママは、学業との両立、友人関係等どれを取ってみても手探り状態で本当に迷いの連続なのです。この夜、娘は、「お母さん、私はバレエだけじゃなくていろいろな事がとてもよく出来るよ。友達もすぐ出来るし、沢山いるし、お金藻、一番少なく貰ってるんだけど一番お金があるんだよ。人からも、30歳位くらいの経験と能力があるって言われるんだよ。いろいろしてくれてありがとう。」「そうだったのー☆^0^。」シャンペンでポーっとなった頭には、なにやら心地よく、お互い口も軽くなり、駈け抜けてきた日々のそれぞれの思いを語り合いました。「お金がいくらあるかってことより、どうマネッジするか、それが大事。」「そうそう、いろいろ教えてくれてありがとう。」「子育って難しいかったよ。迷いの連続。だって、こうすれば良いっていうことは、その時は全く分からないんだから・・・。でも、こんな風に、全てを真っ直ぐに受け取ってもらえて本当に嬉しい。ありがとう。」揺れるローソクに時に目をやり・・・。「このローソク綺麗に燃えてるね。」(写真手前左の、娘サンタからのプレゼントの小さいローソクを見ながら)「ローソクって、意外と垂れたり、真ん中だけしか燃えなかったり、こんなに綺麗に燃えるのってないよね。」「こんな風に、自分の人生も燃やしたいね。」明日はどうなるか分からないバレエ界、でも、「たとえ、それが自分にとって今悪いことのように見えても、全ては、自分にとって、一番良くなるために起こっている事、今を一生懸命生きていればいいんじゃない。それしかできないものね。」「そうだよ、今までのこと、みんなそうだったもの。」そろそろ、お話しも下火になった頃、下にお皿を敷いたのは、こんなに細いローソクだから垂れて下が汚れると思ったからでしたが、一滴も垂れず、一滴も残さず、綺麗に燃焼しつくしました。「無駄なく、周りを汚さず、静かに光を放って、周りを照らし・・・、ほんとこんな生き方したいね。」お互い、悩み多く、困難な道を歩んでいるけれど、蝋燭に寄せて、無言の内にお互いの思いを了解し合いました。「最高のクリスマスだったね。」「うん、最高。本当によかった。」お互い何回、ありがとうを言い合ったことか。はるかに母を超えている我が子よ、ありがとうをありがとう。この夜の会話、かけ抜けてきた子育て、いつか一冊の本にしたい
2006.12.26
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1465.なかよし - PEACE PROJECT 2466.平和のはと - PEACE PROJECT 34,5,6年生の平和の願いメッセージ 広島、長崎について子ども達は勿論、大人にも余り知られていないようです。興味も持たれていません。私は押し付けにならないようにチャンスがあると原爆が命にとってどんなに破壊的な武器であるかさらりと話すようにしています。ある国から来た大学生は広島って日本にあったの?と驚いていました。潔く散る。水に流す。喉もと過ぎれば・・・。日本国内でさえ、非核三原則がぐらついて来たと聞いています。一体誰が、核の恐怖を、残虐さを、その被害の持続性を伝えていくのでしょう!!!それぞれの国がエゴ丸出し。6カ国協議は難航しているし・・・核保有国は増える一方 5,6年生有志が書いてくれた、ポスターです。子どもの字って、本当にいい字ですね。何処まで伝わったか・・・それは分かりません。それを考えたら、何も出来ません。したくなくなります。自然は無数の種を飛ばし、無数の卵を産卵しますが大地に根付くのは、孵化して成長するのは、ほんの少し。自然界の厳しさを計算に入れているのでしょう。でも、根付いた一本が、また沢山の種を飛ばして・・・・成長した生き物がまた卵を産み・・・・芽を出さなかった種でさえ、生存できなかった卵でさえ、きっとどこかで自然の役に立っているのでしょう。平和の種の多くが芽を出さないからと、諦めたら平和は死滅するでしょう。教育は希望です。希望がなかったら教育は不毛です。教育改革、それは、一人一人が希望を持つ事から始まる
2006.12.23
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1465.なかよし - PEACE PROJECT 2三年生は平和のはと「平和」子ども達は難なくこの異国の言葉を受け入れて白いはとが虹色に変えられて子ども達は平和をはとに託す 大人はこの願いを真摯に受け取って平和な世界を創らなければ・・・でも・・・ときどき虚しくなる大きい世界の中で小さい自分がしている事が・・・そしていつも思い出す一粒の砂一滴の水そして一人の人それが世界のエレメントだってこと自分を信じて
2006.12.22
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1なかよし - 子どもたちの健全な日常子ども達はみんな元気だ入れ物に収まりきらないエネルギーに溢れている雨だれのように絶え間なく飛び跳ね小鳥のさえずりよりやかましく喋り捲る嵐のような激情に駆られて叫び走り回りときに激しい喧嘩次の瞬間何事もなかったようにからりと晴れ渡るそしてなかよし 一、二年生のテーマは「なかよし」平和はここから出発奴さんがはかまに変身みんなの目はまん丸Cool!!ざわめきときめききらきらきらめく瞳瞳白い奴さんは自分に変身みんななかよしGOOD FRIEND (なかよし)広島、長崎資料”Sadako and Thousand Paper Cranes”ブログ仲間のzaiyasu82さんから、HIROSIMA PEACE SITE (広島平和サイト)をご紹介して頂きました。英語サイトもありとてもよい資料になりました。それから、みくまの筍医者さんからは、ご自分で撮られた平和公園の写真を頂きました。本当にありがとう御座いました。小さな力が寄り集まって
2006.12.20
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アフター・スクール・プログラム の子ども達と千羽鶴を折っている。ブルーカラー地域の学校。親は仕事で忙しく、子どもは原石のように元気。時に元気すぎるほどの子ども達。大声で喋る。時所構わず走る。人の話など聞かない。注意すると、あの子が悪い自分のことは棚に上げる。私に、教育の重要性を教えてくれた子ども達。私は、簡単な日本語と折り紙を教えている。初めての日本語、初めての折り紙。次の日、すれ違い際に「ミス・カズ姫、コンニチワ。」「ありがとう。」こんな言葉がとび出して、私を喜ばせてくれた。ある日私のグループの一人が、”Sadako and Thousand Paper Cranes"という本を持って来た。「この本大好きだけど、最後は”She never woke up"って書いてあるんだよ。悲しいお話。サダコは死んじゃうんだよ。涙が出て来ちゃった。」「この本借りていい。」「いいよ。」次の日、「読んじゃった?」「ええ。読んだよ。」「最後、泣いた?」「うん・・・。」「悲しいよね。」「本当に悲しい。ねえ、千羽鶴折ろうか。」「折りたいけど、折り方知らない。」「教えてあげるよ。ちょっと難しいところも有るけど、やってみる?」「イエーイ!!。」子ども達に広島長崎の悲劇を伝えた。「戦いは嫌だね。世界の平和を願って、折ろうね。」9月下旬に子ども達の自発的な発想から”PEAGE PROJECT"は始まった。正規のクラスでは、簡単なものから教えている。それでも、自分では中々出来ない。まだ折り鶴は難しいかなと思ったけど、有志に宿題が終わった後のちょっとした時間とかに折り方を教えた。不器用な、慣れない手つきで。ぶくぶく、くちゃくちゃ。でも、願いが込められているから失敗しても捨てない。もう一度開いて皺を伸ばしてやり直し。使い捨てが日常の子ども達に、物を大切にすることも教える。最近は、「折紙ちょうだい。」と、紙を貰いに来て自分で折る子も増えた。今日、プログラムの”ショウ・ケース”(展示発表会)。471羽を展示した。今日、も+12羽。本日最終、483羽。来年の広島平和式典に送るつもりだ。子ども達は、目を輝かせている。 参加意識を高めるために、書きたい子には名前も書いてもらっている。小さな願いも、集まって大きな力に!!
2006.12.19
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多忙な日が続いています。更新もご訪問も滞っていて済みません。せっかくご訪問頂いても同じものばかりでは・・・・。短い詩を載せて、お詫びに変えさせて頂きます。命かみしめて闇の中で心に刺さった氷の棘朝もやの中ではじけた温かい流れがほとばしり日は頭上に輝いた命かみしめてかみしめて今日一日命のカプセル 命湛えて命慈しみ命喜び希望託して命
2006.12.14
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たとえそれが過酷なものでも、変えられないのなら静かに待とう。あるがままを受け入れて。感謝さえして。でも、変えられるものならとことん変えよう。勇気を持って!!★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)8. 見栄え教育(記入完了)9.決め付け教育(記入完了) 10.たった一度の人生だから(12.10.06更新) 今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。国に教育の危機を救う気も良識も誠意も無いんですね・・・。教育基本法改定についての一連のニュースには、唖然、がっかり、信じられない、諸々。ここは平和憲法を守っていかないと、歴史を繰り返すことになりますね・・・。過去も未来も今にのみ生きるけ、剣道まで、ま、負けたんですか?!!お家芸という域を出て、いよいよ剣道も、日本の独壇場から、世界の剣道に。と言えばかっこいいですが、一抹の寂しさを禁じえませんね。
2006.12.10
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でした。水溜りへの写りこみは、必ず逆様ですよね。もし私が、向こう側に行っても、 このようには見えませんよね。きっと反対側の景色が逆様に写っているでしょう。私がこうした理由、それによって起こる視覚的反応の違い、等など書けば長くなりますが・・・。まあ、それぞれに感じて頂くことにしましょう。別に・・・と思われる方もいるでしょう。それも、OK。虚構は見抜かなくてはいけないけれど、知識がないと見抜けないこともあるけれど感覚が研ぎ澄まされていないと心に写らない事もあるけれどでも、ここで、嘘は、現実でないものは、全て真実にあらずなのか。深い命題も生まれます。芸術。メルヘン。思いやり。騙し。欺き。策略。全て人間に与えられた想像力の問題です。画像、映像、文字の氾濫は、深く考え、深く感じ、深く認識する事をうばっています。深く考え、深く感じ、深く認識しなくても、生きていけます。でもそれさえも幻影です。戦争。自然界の絶滅の危機。現在社会の混乱。自殺や殺人。深く考え、深く感じ、深く認識してこなかったために起こっている現象です。世界は、全て”連帯”で成り立っています。自分だけ救われるという事はありません。人生は神様に導かれて真実を探す旅
2006.12.08
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実は、この前の日記459.虚構と真実の狭間で・・・ の写真には虚構があります。気が付かれたでしょうか。変だなって所ありませんでしたか?見つけて下さい。heliotropeさんの所で、見つけました。ぜひお読みになって下さい。世界人権宣言一人一人が大切
2006.12.07
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目を凝らして心を凝らして感覚を研ぎ澄まして見てみよう感じてみよう 何処から何処までが実態で何処から何処までが幻なのか・・・何が真実で何が虚構なのか今、世界は様々な虚構の波に晒されているいち早く犠牲になるのは弱い立場にあるもの子ども老人病人自然の息吹の中で見えないものを感じながら大自然と魂を通わせ芽生える畏敬の念そんな生活の中では決して見失わない人としての真実物が溢れて物に追われて物を追っかけて目に見えないものは数字に直し物に置き換え人より多くを!!!そんな生活の中で虚構の波に飲まれて見失う真実幻の回転木馬に乗って果てしなく彷徨う真実ってどこかに転がってる物じゃない一人一人が探し当て辿りつき時と共に変わりそして変わらないもの今、人としての主体性を取り戻す時
2006.12.05
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命は物質に宿り、全ての物質には精霊が宿る 木々の梢にも光にも 太い幹にも葉を支える細い枝にも 風にそよぐ虫に食われた葉にもそしてそよぐ風にも 大地を深く掴む逞しい根にも支える大地にも長く伸びる影にも木の命、木の精感じてある人々は命の尊ささえ忘れましてや精霊の存在など一笑に付しただ物質のみを追う欲に駆られて哀れな姿さらして世界は調和物と命と霊と見て感じ思い木精占いきれいなものはみんなすきバーソロミューさん"の所で見つけました。私は、でした。皆さんは?
2006.12.04
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ちょごりさんからの書き込みを昨日の日記に追加させて頂きました。ご自分のいじめ克服体験記です。ぜひお読みになって下さい。そのため文字オーバーになってしまったので、カズ姫が書いた部分は削除しました。間に書き入れた部分は全く削除してしまいましたが、初めの部分はコピーが残っていたので、それをここに転載しておきます。カズ姫は、今できる事、心から教育の大切さを痛感し、与えられた教育の機会はどれも大切にして、感謝して、未熟ながら教育に情熱を注いでいます。それは、アメリカのアフタースクール・プログラムで直接アメリカの子ども達と関わりを持ったとき、日本人とかアメリカ人とかそういう国や人種を越えて、子どもって凄いなーと感動を新たにしたことから始まりました。でも、いい教育がなされなかったら、子ども達は破壊されてしまうという事も、同時に痛感したのでした。そして、今日は、補習校で中学3年生の数学と公民というのを教える羽目になり、中学生に初めての授業をしてきました。真っ赤にさびた頭の錆を一生懸命に落とし、そして、教えるのですから少しは磨きもかけ、どうにか体裁は整えてきましたが・・・。公民はテストでしたからどうという事は無かったんですが、アメリカ生まれの子どもたちが半数以上を占めている集団には、かなり難しそうでした。英語で書いてもいい?と何人も聞いてきました。そして、立てば見上げるような子ども達ばかり。林の中に一人たたずむ感じでした。でも子ども達は、言ってみれば図体は大きくても可愛いく、そして、ここでもまだまだ教育が必要な年頃である事を痛感しました。そして、今日、文部科学大臣から、いじめに関して一面に家庭、もう一面に生徒向けのいじめはいけないという文書が全校生徒に配られました。奇麗事の文章がなんだか空しく思えました。後は、プライベートでアメリカ人の高校生に電話とネットを使って日本語を教えています。高校でほぼ毎日、日本語クラスがあるんだそうです。テストの時などは往復3時間の道のりを運転し、直接指導したりしてます。素直でとても熱心に学習しています。漢字もかなり読めます。もう一組は、これから日本に仕事で行くというアメリカ人のビジネスマンだったり、家族だったり、どのような場でも、心を込めて教育に当たっています。教育って心を込める事から始まるんですね。また、昨日も貴重なコメントを頂いていますので、そちらもぜひお読みになって下さい。バーソロミューさんのところで見つけました。
2006.12.03
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忙しくて更新もご訪問もコメントも余り出来ないでいる間に、皆様から教育に関して素晴らしいコメントを沢山頂いていました。感謝です。全てをご紹介したいのですが、特に、本日 colle:自由な時間(Leika21)さんからこのような膨大なコメントを頂いたので、ご紹介させて頂きます。今!「親」は何ができているのだろう? scolle:自由な時間(Leika21)さん 今日は漠然と昨今の日本中を取り巻く話題『教育!といじめ』についてこの場を借りて述べさせて頂く事をお許し下さい。・「教育再生会議」の結論に不安が・・・ この会議のメンバーには殆どと言っていいほど 今の学校の本当の現場が見えていない。 健全な学校時代を過ごした優等生の方々に 現在の『教育』の本質を欠いた 進学優先の「予備校」と化した学校においては、 先生にも子供達にも「いじめ」を通して何かを学び育むとか、 「いじめられっ子」と「いじめっ子」の心の中にある本当のSOSの叫びを感じ取ってやるなんていう時間も心の余裕すらないことを。授業が終わると子供達は塾へ・予備校へ飛んで行かねばなりません。授業が終わると先生方には会議がレポートが沢山の雑用が待っています。昔のような『真の教育』に触れるためには、昔のような『真の心触れ合う場』を求めるものは、フリースクールへ・専修学校へ・自宅待機と。自分を守るために普通校から出て行かねばなりません。そこには以外にも普通校と異なり『真の教育の心と時間』が存在します。しかし、その代わりに世間からは「落ちこぼれ」とか「負け犬」と表されてしまいます。「教育再生会議」の中で唯一氏家先生に皆の期待が集まります。しかし、氏家先生がアレだけの活躍ができ、子供達を変えられたのは一つには氏家先生がおられた学校が普通校ではなく、時間をかけて時間をかけて子供達と面と向かって向き合えるだけの時間と生活がある学校だったことも大きな要因です。「真の教育」には時間と心の余裕が必要です。今の学校現場にはそれが無い中で、先生方と子供達にまた理不尽な負担がかかりそうな案と感じてしまいました。追記 1 (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん ・子供達のSOSの象徴である「いじめ」を単純に『犯罪』と一括りにして表していいのでしょうか?「いじめっ子」と「いじめられっ子」を単純に「加害者」と「被害者」と表していいのでしょうか・・・「教育の現場」で。・今!親は何ができているのでしょうか 「いじめっ子」と「いじめられっ子」の間に毅然とした教師達と親達が存在し、その両者で「いじめ」を通して子供を育んでいけたら、『いじめ』は人間が大きく成長するための大切な糧とも成り得るのですが、今!親達は何をしているのでしょうか。学校の責任を追及するばかりでいいのでしょうか。政治の批判をするばかりでいいのでしょうか。大きく間違ったマスコミ報道に流され、誘導されていていいのでしょうか。35人の子供を見る先生の目よりも一人の我が子を見る親に目の方が、実は確かでなくてはいけないのではないでしょうか。我が子の変化に気づき、先生にその異変を伝えるのは親の責任と役目ではないのでしょうか。35人の生徒を統括する先生に「なんで内の子を死なせたんじゃ!」と自殺した子の親が叫ぶ事は本当に道理なんでしょうか・・・つい感情的に流されてしまいそうですが。その前に「あなたは親として気づいてかなかったんですか、日々子供が苦しんでいた事に」と叫びたいのは私だけなのでしょうか。ご冥福をお祈りする事とこの事はまた異なる気がしまてなりません。(不謹慎をお許し下さい)今朝、学校に行く時の我が子の目は大丈夫だったか夕方、学校から帰宅した時の我が子の目に何か語られてはいなかったか・・・SOSが。追記 2 (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん 低学年のようにそんなに多くを語らず、家庭から外の社会へ出て行こうとする自立しかけの思春期には特に、そんな風に一瞬一瞬!子供の態度を通して我が子の「語り」を掴もうと必死だった気がする。先生にも何度出勤前に電話をかけ、休憩中にも電話をいれ、我が子の変化を伝えただろう。(勤めていれば尚だった)大人の理由により家庭が崩壊した子供の叫びがいじめに。成績が悪い事を親に責められたストレスからいじめに。単に友達をつくることが苦手な子供がいじめに。一人でいる強さのない子供が皆でつるんでいじめに愛情に飢えた子供達がいじめに。その段階で親にも先生にも気づかれず、救われない子供は、その内野放しとなり、親にも見離され、自暴自棄になり愛情に上、犯罪へと向かう。「いじめ」には色々なパターンと段階がある。それを「いじめ」と一括りにして刑罰に値する「いじめ」と刑罰として片付けてはいけない「いじめ」。あるのではないだとうか?我々大人はそれらを単純に「いじめ」というタイトルで一定の定義なしで、其々が想像する「いじめ」を基本として論じていていいものだろうか。子供達の叫びやまだまだ幼い心を論外にして・・・ お詫び (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん ”「教育再生会議」のメンバーには殆どと言っていいほど今の学校の本当の現場が見えていない”今日やっと落ち着いてニュースを観、「教育再生会議」の中にも氏家先生・渡辺美樹氏・陰山英男氏等、現場を正しく知る方々からの発言があり、会議は様々な意見が交わされたとの事。先ずはその方々から、現在の異常な学校現場が報告され、多くの方々の耳に入った事に少し安心をしました。(欲を言えば、アウトサイダーで子供と触れながら活躍をするルポライターの藤井氏、いじめを経験された評論家の宮崎氏等も参加されると更に広い視野で議論がなされる事でしょう)(不勉強で、失礼な発言をお詫び致します)*コメンテーターの江川さんが大切な発言をして下さいました(「教育再生会議」の案について)”上からの管理体制がまた強く・細かく規制され現場が何も変わらぬまま、現場での教師達の苦闘が懸念される”というようなご意見でした。現在の日本のマスコミは哲学とポリシーを失い、以前のように政治や社会にイイ影響を与え、世直しの一反を担うという組織では無く、正に庶民感情そのものとなってしまいました。「教育」も宗教や芸術と一緒で”1+1=2というような単純なものではない”という一番大切な部分が忘れ去られた今日のマスコミ報道を私達は日々、”リアリティーの瞳”をもって見届ける必要があると強く感じます。*カズ姫さんに”皆で声をあげましょう!”とのコメントを戴き、私が今できる一つとして各マスコミを通じ、氏家先生等(教育に真の信念をお持ちの方)へ意見を届けて頂きました。「教育再生会議」のメンバーの方々を通じ、我々の意見を代弁して頂いて、少しでも現場の状況が世の中に正しく伝えられる事を願います。 (私が今!できる小さな事・・・まず一歩でした)そして、先日はまやちーさんからもこんな書き込みを頂いています。身近な問題 まやちーさん 忙しいこともあって更新できずにいたのですが・・その間、いじめの問題、学校の問題、親の問題と身近なところ、そう自分の娘の学校でも起きていることが分かりショックを受けました。正確には学校・教師の隠ぺい体質のすごさにかもしれません。いじめ等、うちの学校にもあるとは分かっていましたが・・・教師・学校・国がこんなにも逃げ腰であるのか!と憤りを感じています。娘はいじめの被害者ではありませんが娘のクラスはとんでもないクラスだったのです。「先生はいいことばかりしか言わない。だから先生の言うことを全部信じないで!」娘のこの言葉にも衝撃を受けました。また、日記に載せようと思っていますがまずはカズ姫さんに聞いてもらいたくてカキコさせて頂きました。ちょごりさんからもこのような書き込みを頂きました。ありがとう御座いました。ちょっと長くなります。 ちょごり1122さん
2006.12.02
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