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忘年会の季節になりましたね。 「今年は親父が亡くなったばかりだし、忘年会でもないなぁ…」っと思っていたら、そういえばボクは幹事でした(^^;) ガ~ン!! でも、一応35日は過ぎたし、酒好きだった親父も許してくれるだろうということで、出席することにしました。 でも、幹事慣れしてないので、うまくやれるか心配です。 どうなることやら… そういえば、話は全然違いますが、昨日は双子座流星群がよく観察できたようです。
2004年12月14日
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ボクの住むど田舎山口県では、クリスマスを盛り上げるイルミネーションを楽しめるスポットがない。 周南市の徳山駅通りで毎年開催されるツリーまつりが唯一大規模なイルミネーションが設置される。と言っても、他県のそういう催しとは比較にならないほど小規模でセンスがない。 とはいっても、県内では一番の催しだし、子供たちにも見せてやりたいと連れて出た。 札幌のホワイトイルミネーションなどとは違い、大きな色とりどりの電球が光っている。まあ、綺麗でないこともないが、そりゃないだろって感じ。 とはいえ、なっちゃんもゆ~たんも満足の様子。まあ、いいか。 帰り、ファミレスで夕食ということになった。ゆ~たんは子供メニューではなく、大人の食事を注文。ほぼ完食した。4才にしてすごい…
2004年12月11日
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ボクがパニック障害の発症を自覚したのは、大学4年の時だった。もちろん、その時にはパニック障害という病名は知らず、医師の診断も過換気症候群というものだった。 それ以降、激しい胸の痛みや死ぬのではないかという恐怖感に度々襲われた。救急車にも何度も乗ったし、救急外来に何度も駆け込んだ。 でも、医師は決まって「これといった所見はありません。疲れがたかったのでしょう。」といった。ひどい場合は「なまけ病じゃないかなぁ、何かイヤなことがあるんじゃない?」とまで言われた。 ここ6,7年だろうか? パニック障害がテレビでも取り上げられるようになり、地方でも心療内科の看板を掲げる病院が増えてきた。 ボクはある番組を見て、自分の病気はこれだと確信した。パニック障害であれば、薬を飲むことで病状をある程度コントロールできると知り、少しでも早くと国立病院の心療内科に飛び込んだ。 思ったとおり、医師はボクの病気はパニック障害と診断した。発症から約10年が経過していた。 主治医は、物静かで時間をかけて僕の話に耳を傾けてくれた。それが、ありがたかった。嬉しかった。 それまで、ボクは発作を起こすたびに冷ややかな目で見られていた。しかし、医師の目は温かかった。 ボクは、少しずつ前を向いて歩き出した。 それはまだ、今から5年前のことだ。
2004年12月09日
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親父がどんなに危険な状態でも、どんなに苦しくてもこの日記を書き続けたボクは、今こうして書けずにいる。 どうしたんでしょうね…
2004年12月03日
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早いもので今年も12月を迎えて気ぜわしい毎日・・・・ 年賀状は喪中のため出せないので、代わりに寒中見舞いを出そうということになっている。 去年届いた年賀状や「結婚しました」や「転居しました」というはがきを整理しながら、宛名ソフトにデータを入力する準備をしていた。 そこへまあちゃんがとても優しい笑顔でやってきて、1枚のはがきをボクに手渡した。 亡き親父が入院中になっちゃんへ送った誕生日をお祝いするはがきだ。 「なっちゃんはお姉ちゃんだから、ゆ~たんと仲良く元気に遊んでね。ぢいちゃんも早く元気になって帰るからね」 ……… 「この嘘つきが…」 涙が溢れて止まらない。 親父の優しさが、人柄が溢れている文面と自由にならなくなってきた手で書いた乱れた文字… 失ってはじめて気づくものがある。 それは… 愛に違いない。
2004年12月02日
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