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家族で大分県別府市の城島後楽園ゆうえんちに行ってきました。城島と言えば『ジュピター』(木製ジェットコースター)ですけど、まだ子供が小さいし雨が降っていたので…というわけではなく、今日の目玉は『特捜戦隊デカレンジャー』ショー(^_^)v ゆ~たんが今夢中のデカレンジャーショーを見せてやろうということから、今回の家族旅行企画はスタートしている。 親父の容態が思わしくないこともあって、ボクとしても恒例の家族旅行を躊躇していたが、女房のまあが「年賀状を用意しないというのはイヤだよね」って言った言葉がボクを動かした。 日曜日から月曜日にかけての旅行ということで道も空いていて思ったより早く到着した。遊園地のショーだけあって、デパートのショート違って特殊効果がふんだんに取り入れてあって子供にとっては大迫力のステージだったに違いない。大興奮のゆ~たんはデカグリーンのお面をかぶってご満悦。 夕方、湯布院の街を散策し、自分たちにおみやげを買って宿へ。 家族湯につかった後、部屋食をゆったりと満喫した。夕食後になっちゃんの希望によりもう一度まあは風呂へ。 そこへお袋から電話が… 「お父さんの容態がいつもと違うと看護婦さんからあって、すぐ来て欲しいって…」言葉を失うお袋。 ボクは、「とにかく病院に行って様子を見てきて」というのが精一杯。でも、不思議と旅行に出てきたことへの後悔の念は浮かんでこなかった。というよりも、親父は大丈夫という確信があった。 まあたちがお風呂から上がってきて、しばらくして子供たちを寝かせた。 しばらく、いつもはない夫婦の時間。話をしていると、電話が鳴った。「容態は良くなってきたから、大丈夫」とお袋からの電話だった。 電話を切った時、ボクは思わず、バタッと布団に倒れ込み、ふ~っとため息をついた。まあは心配げに「どうだって?」ととボクの顔をのぞき込んだ。 これまでの経過を話すと安堵感が部屋中に広がった。 明日はハーモニーランドに行く予定。親父の様子次第では、朝一番に病院に向かうことも考えられる。しっかり休もう。
2004年10月31日
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明日から計画どおりに家族旅行に行く予定。そこで、家族そろって親父の元へ。日頃は、ボクだけで行くことが多いから、喜んでくれるはず。 はじめにボクが声をかける。薄い反応… でも、顔色は昨日より良さそう。 なっちゃんが「おじいちゃん」と声をかけると親父ははっきりと反応。親父の視線の方になっちゃんを抱きかかえて見せてやると満面の笑みを浮かべる。 ゆう~たんも恥ずかしがりながら、「じいちゃん…」。手を握らせると親父は顔をくちゃくちゃにして嬉しそうにする。 ボクは「明日は来れないけど、明後日の晩に来るからね」というと大きくうなずいてくれた。 最後にまあがごあいさつ。 しっかり目を見て親父に語りかける姿は、愛情に溢れていた。すこしボクは奥さんを自慢したくなった。 では皆さん、行ってきます!
2004年10月30日
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今日の親父は、昨日より意識がはっきりしていて、呼びかけにもしっかり反応してくれました。 昨日は血圧が70くらいまで下がっていた時もあったけど、今日は100は超えている。でも、脈が200を超えてナースステーションで監視しているモニターのアラームが鳴ることも… でも、大丈夫! 親父はボクの呼びかけに笑顔を見せてくれました。がんばるぞって気持ちを握った手で表してくれました。 さて、こうしてボクが親父のところに毎日通えるのは、家を守ってくれているまあのおかげ。キツくてダウンしそうになりながら、一生懸命がんばってくれている。だからこそ、ボクもがんばれる。 正直、仕事面では支障が出ているけれど、この際仕方がない。みんなが優しい目で見守っていてくれるうちは、それに甘えさせてもらう。ごめんなさい。 部長も「悔いの残らぬよう、休むことは気にしなくていいから、しっかりそばにいてあげなさい」と言ってくれている。感謝します。 こうした支えがあるからこそ…
2004年10月29日
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朝、2人の叔父のところに電話を入れました。 悪くなっている親父の様子を伝えるためです。 次男のまーちゃんおじちゃんは仕事に出ていて留守。三男のケンおじちゃんは全国を飛び回っているので携帯に連絡。状況を伝えるとケンちゃんおじちゃんは辛そうに「行きたいけど、なかなか行けなくてゴメン」と呟いていました。 仕事に出て、部長にメールをしました。 「父の容態はかなり悪くなっており、近い将来看取ることとなりそうです。そこで、お願いなのですが、父の希望もあり葬儀はごく内輪でやりたいのです。父は、以前から葬儀はしないで欲しいと言っていました。葬儀がどういう形になるか分かりませんが、いずれにしても父の親、兄弟に若干の親戚を加えた程度でしめやかに、そしてひっそりと送ってやろうと考えています。そのため、自分としては父が亡くなっても、しばらくの間事務所には知らせないつもりです。… もちろん、部長さんにはお知らせしますが、いっさい他言はしないでください。」 まだ、部長からの反応はありません。 仕事を終えて、病室に向かいました。途中、まーちゃんおじちゃんから電話が入りました。様子を伝えると、これから行こうということになって病室で合流することにしました。 親父は、昨日よりも随分反応も良くて、コミュニケーションが取れているなあと実感できるほどでした。もちろん、他の人が客観的に見れば、そうは見えないでしょうが… でも、ボクはとても嬉しかった。 そうこうしているうちに、まーちゃんおじちゃんが来ました。叔父は親父の顔を見るなり深いため息をつきました。表情がみるみるうちに曇っていきます。 「もう、だめか…」 思い雰囲気が部屋を包みました。ボクはこのHPに訪れてくださる皆さんのアドバイスのとおり、明るく「親父はしっかり聞いていますよ。ちゃんと理解もできています。」そして、親父の手をギュッと握り、「分かってるよな!おじちゃん来たよ!がんばってるトコをしっかり診てもらいっ!」と笑顔でいいました。 笑顔が多少引きつっていたかも知れませんが、親父も叔父も分かってくれたと思います。 帰り際、看護婦さんに今の状況を叔父に説明してもらいました。看護婦さんは説明の中でガンの末期であり、今は薬でコントロールできているが、いつ状態が急変するかも知れないとハッキリ言いました。 こうハッキリ言われたのは初めてでした。この看護婦さんの言葉というのは、家族にとても影響を与えるんですね… 正直、分かってることだけど、それをハッキリ言われると感情的に揺れてしまいますね。ボクもまだまだです。しっかりしなきゃ… 家に帰り、皆さんからの暖かい言葉を見て、正直涙が出てきました。皆さん、本当にありがとうございます。
2004年10月28日
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日曜日の夕方以来、全く呼びかけにも反応してくれなかった親父が、今日は少しだけ反応してくれました。 首を縦と横に振るだけだけど、とてもうれしかった。 「子供たちを風呂に入れなきゃいけないから帰るよ」って言って帰ろうとすると、親父の目には涙が浮かんでいるように見えた。 ギュッと握手をしてやると、ギュッと握り返してくれた。後ろ髪を引かれながら家路を急ぐ… 月がとてもきれいに見えた。
2004年10月27日
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子供たちを寝かしつけて、いつものように親父の病室を目指し出発しました。 日曜日以来、何度「親父!」、「お父さん!」と呼びかけても親父は反応してくれません。もう2度と親父はボクの声に反応してくれないかも知れない…そういう気持ちが胸の底から湧き上がるのを感じました。 僕たちは31日、1日と家族旅行に行くことにしている。ひょっとしたら、その間に親父の容態が急変するかも知れない。そういう思いはなくもない… でも、そうして親父の容態が悪い方向に向かうことを意識した行動は取りたくない。親父はまだ生きている。ガンが治らなくても、せめてもう1度立ち上がるくらいに回復して欲しい。1度でいい、子供たちに会って笑って欲しい。 支離滅裂かも知れないが、だからボクら家族は予定どおりというか毎年の恒例どおり旅行に出る。 とはいっても、今の状況はとても気になる。だから、看護婦に聞いてみた。看護婦はいつも無愛想で苦手な人だったが、冷静に言葉を選びながら説明してくれた。 あくまでも個人的な意見だがと前置きして、容態は医師が考えていたよりも相当悪い方向に向かっていること。今特徴的な症状として出ている呼吸の乱れ、無呼吸状態が続くこと、その無呼吸状態が長くなっていくのではないかと思うと。 まだ、その看護婦は「意識がハッキリしている時に、会わせたい人に来てもらってくださいとアドバイスしておけば良かったのですが…」と涙を浮かべながら頭を深々と下げた。 最後に、「息子さんが一番大変だと思いますが、がんばってください」と声をかけてくれた。 親父との別れがいつ訪れるか分からない。明日かも知れない。ボクは、最後までボクらしく親父に接していきたい。
2004年10月26日
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我が家の恒例行事に、秋の家族旅行がある。なっちゃんとゆ~たんは温泉が大好きで、温泉旅館の部屋食が大のお気に入りだ。 とは言っても、今年は親父の容態が急激に悪くなっていることもあって、旅行に出ることを躊躇っていた。 でも、考えてみれば、ここで旅行をやめれば親父が容態がさらに悪くなる、或いは亡くなるといったことを想定した行動ということになり、縁起でもないし、決してそういうことにならないって信じたいという思いからいつも通り行くことにした(もちろん、年賀状もいつも通り購入する予定だ)。 とはいうものの、もしものことがあってはいけないので、子供たちには直前まで内緒だ。今年は、大分県の城島後楽園ゆうえんちに行き、湯布院泊。翌日ハーモニーランドで遊んで帰ってくる計画だ。 親父、がんばってくれ!少しでも長生きしてくれ! 今日も、先ほど病院から帰ってきたが、病室にいた間に、1度も親父は反応してくれなかった。薬のためだと分かっていてもとても悲しい。
2004年10月25日
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11時頃、ボクは久しぶりに家族を連れて親父を見舞いに行った。ここのところ意思の疎通ができないほど容態が悪かったが、孫にはしっかり反応してくれた。 なっちゃんと握手すると嬉しそうな顔を見せた。ゆ~たんが恥ずかしがっていると親父はかすかにニヤッとして見せた。良かったなぁと心から嬉しく思いつつ、少しご無沙汰しているまあの実家へと向かった。 ところが、夕方「できるだけ早く家族の方に来ていただきたいのですが…」と電話が入った。おふくろに電話のことを伝えると、もう泣き出している。おろおろしているおふくろを励ましながら気を付けて行くように言い聞かせて、自分も急いで出かける準備をした。 駆けつけてみると、親父はほとんど意識がない。呼んでも反応がない。一足早く駆けつけたおふくろは、じっと親父の様子を見つめるだけだった。 1時間ほどして、親父の目に力が入った。 声をかけるとわずかに反応する。声をかけ続けると時折笑顔を見せる。一安心。 看護婦がシモの世話をしてくれている間、ボクはおふくろを部屋から連れ出した。 親父にもしものことがあった場合の対応を相談するためだ。 考えたくないことだが、冷静に考えれば、その日が近いことは間違いないことだろう。 これからは、そういうことも考えながら、親父をやさしく包んであげないといけない。
2004年10月24日
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うちの子供の通っている保育園は、この時期毎年お店屋さんごっこという行事を行う。 お店屋さんごっこは、子供たちが作った手作りおもちゃや食べ物を工作したり折り紙したりして売り物を事前に作っておき、子供たちがお店の人になって、親や遊びに来た小学生たちが買い物をするというイベント。 ゆ~たんは、しっかりレジ係をマジメにしてたし、なっちゃんは折り紙水族館の呼び込み&チケット係を元気にこなしてた。 なんだか嬉しい一日でした。 夕方、親父のところに行った。親父は血圧が下がり、容態が悪くなっている。ほとんど意識がもうろうとしながらも、声をかけると時折、少しだけ笑顔を見せてくれた。
2004年10月23日
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仕事が終わって病院に向かっていた時、携帯電話が鳴った。親父の入院している病院からだ。以前、何かあったらボクの携帯に連絡をくれとお願いしていた。 親父が、興奮して暴れているという。できるだけ早く来て欲しいということだった。あの優しい親父が点滴や酸素吸入器などをすべて引き抜き看護婦を困らせている。 これ以上、酸素なしでは血中酸素濃度が足りなくなり、命に関わる。それに痛み止めの点滴が切れれば、痛みでのたうち回ることになる。 ボクは気持ちを落ち着けながら、病院へと急いだ。 親父は、薬で眠らされていた。 意識すらはっきりしない。3時間ほど手を握り親父に話しかけた。でも、結局反応はなかった。 お袋と交代して、帰宅した。 ボクは今日、親父がいなくなる日が目前に迫っていることを意識した。
2004年10月22日
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今日は、台風一過でいい天気 (^o^) 嘘みたいな天気が広がっている。 久しぶりに昼休みの楽しみ、職場のソフトバレーに参加。楽しい汗をかいた。 仕事が終わって直行で親父の病院に向かう。 どうも、今日も親父は看護婦を困らせているようだ。 どうしても妄想、思いこみ、被害妄想のような言葉が目立つ。これも、病気が進んでいる証拠か… ひとしきり話を聞いてやると、親父は落ち付いた様子で穏やかに目をつむった・おやすみ。
2004年10月21日
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親父と会話できなくなって、どのくらいの日数が過ぎただろうか。筆談にも慣れてきたが、新たな問題が出てきた。 というか、もともと症状は見られたのだが、それが著しくなってきた。字が出てこない。言葉にならない。意味不明の言葉… 最近、ベットで暴れることも多くなった。医師も首をひねる。どうしてこういう症状が出るのか… 穏やかな本来の親父の時もあれば、悪魔に取りつかれたような時もある。脳にガンが転移しているのか… 話はまったく違うが、今日太陽光発電設置の契約をした。果たして、営業さんの言うような発電能力があるのだろうか。楽しみでもあり、恐くもあり…
2004年10月20日
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風邪をこじらせたのか、体がだるくて動けない。 2日続けての年休だ。 昨日寝ていたら、なぜか治療中の仮歯が滅茶苦茶に壊れたので歯科へ、それからこの風邪は内科の薬では治らないと耳鼻科へ… 昼食は京都餃子の王将に行き、近くのホームセンターを散歩。つい、本気になってセンサー付きライトなどを買いまくり昼から取り付けた。 上々の出来映えだったが、まあは休んだんだからもっとすることがあるんじゃないってお冠 (^_^;) まあ、それも正解。ごめんなさい。
2004年10月19日
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木曜日頃から、喉の調子が悪くなってたけど、とうとうキツくて仕事を休んだ。 これじゃあ、親父のところにも行けない。
2004年10月18日
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あまり知られてはいないだろうが、数年前「きらら博」という博覧会があった。ボクはその博覧会で目玉の一つであった日本一の花時計(ホントは西日本一も危ない?)の担当だった。この花時計の前でNHKの趣味の園芸の収録があったり、結構メディアにも露出して興奮したモノだった。 そんなことはどうでもいいことだが、その後地は公共施設として今も利用されており、そこでイベントがあったので家族で出かけた。 いろいろなブースをまわり、ソーセージなど県内の農産物や加工品を買って帰ろうとしたが、子供たちはそこにあるフィールドアスレチックで遊ぶといって聞かない。 仕方なく、少し遊ばせることにした。 やはり子供の笑顔は、親にとって何ものにも代えられないすばらしい宝物だ。親父にとっても、孫の笑顔は何よりの良薬だろう。
2004年10月17日
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今日は家族連れで、まあの同僚のFさんの家に遊びに行くことになった。Fさんちには2匹の猫がいて、名前をジジとさつきという。もちろん、宮崎駿作品の「となりのトトロ」のキャラクターにちなんでの命名だ。 Fさんのダンナさんは、ボクの仕事の大先輩。同じ職場になったことはないが、彼のことを知らない人はいない。いわば殿上人である。 殿上人の家はさびれた公園の隣にあった。昔は子供たちの声で溢れていたに違いないと思われる十分な広さだ。 Fさんはボクたちのためにケーキを買いに出かけていた。しばらく、子供たちをブランコで遊ばせていると、Fさんは明るく元気に帰ってきた。 なっちゃんもゆ~たんも、珍しく物怖じすることなく、楽しそうに時間を過ごすことができた。これもFさんの人柄のおかげだろうか… ゆ~たんは、帰り際に「楽しくて、おいしかった~」と笑っていた。 帰りに親父の見舞いに行った。 久しぶりに子供たちを見た親父は、いつになくハイテンションで嬉しそうだった。子供たちと力強く握手をした親父の目は絶対病気には負けないという強い意志を感じた… 最近では、全くと言っていいほど見せることのなかった笑顔を3回も見せた…
2004年10月16日
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今日はどうも咳が出るし、痰が絡む。 こんな状態では親父のところには行けない。 今日は親父のところには行かないと決めたものの、どうも親父のことが気になっていけない。 明日は休みだし、久々に子供たちを連れて見舞いに行くか。
2004年10月15日
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連日の親父の見舞い、長距離通勤、子供とのふれあい、精神的疲労などにより、心身ともに疲労困憊。 居眠り運転しないように集中するのがやっとの状態… 家族には、疲れているのを気づかれないように努力しているが、残念ながら隠しきれずにいる。 自己満足の世界かも知れないが、やはり毎日親父の様子を見に行きたいと思っているし、それを懸命に実行している。 でも、こうした状況では仕事どころではないというのが実状で、やろうとしても体が動かないのが悲しく、悔しいところ。 仕事は仕事。誰にも迷惑をかけず、それなりにでも足跡を残す仕事をしたい。それは社会人になってから変わらぬ信念だが、親父が実質仕事をリタイヤした約3年近く前からその信念が貫けずにいる。 ここに来て、疲労もたまり、自分の体も維持できなくなる不安も出てきた。 どうにか、心身ともにリフレッシュしなければ続かないのかなぁ… 秋恒例の家族旅行に思い切って出てみるか!
2004年10月14日
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最近、仕事帰りに親父の見舞いに育成か、子供たちと過ごす時間が短くなっている。それに夕食の時間も遅くなってしまっているため、結局寝る時間も遅れ遅れとなっている。 そのためか、子供らの様子がおかしい… いつになく、わがままだったり、ウジウジしてハッキリものを言わなかったり… これは悪い傾向だ。 日に日に悪くなる親父の容態も気になるが、できるだけ子供たちと過ごす時間を増やさないと行けない。
2004年10月13日
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親父との筆談にも慣れ、かなり親父の意志も伝わるようになってきた。と、同時に親父の書く文章も次第に支離滅裂になってきて、また、親父の意志をくみ取れない歯がゆい状況になってきた。 親父は、日曜日に容態が急変して以来、常時鎮痛剤を投与されるようになったが、親父自身自分に対する治療の方向性が変わってきていることに自覚を持っている。 それがどういう意味なのか、親父がどう思っているのか大きな不安を感じながら、笑顔で話す病室はやけに静かだった。
2004年10月12日
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親父の様子も落ち着いているので、車で1時間ほどのところにある観光りんご園に行くことにした。 着く頃には眠くなってきた子供たちは、ちょっと不機嫌だったが、りんごの木を見てウキウキ。すぐに、ご機嫌になった。 ところが、ゆ~たんは前日の雨でぬかるんでいるりんご園に入ろうとせず、現代っ子ぶりを発揮。 それでも、りんごを嬉しそうにかじりながらデカレンジャーの唄を歌っていた。
2004年10月11日
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3連休の2日目。 11時頃、久しぶりに子供らを連れ、家族そろって親父の見舞いに行った。 部屋に近づくと何やら騒がしい。 子供らを制し、ボクだけ先に部屋に入ってみる。 今まで観たことがない形相で親父が苦しんでいる。 看護士は「朝からこうなんです」と言う。 「それなら、なぜ連絡をくれない!」 そう思いながら、容態を確認する。 どうも、いつもの酸欠、血圧の低下ではないらしい。 必死に痛みに耐えているのだ。脈拍は180~200を超える状況。呼吸は浅く早くなっている。もう、ボクを見る余裕もない。 「もうすぐ鎮痛剤が来ますから」看護士はそういうと、親父の手を握り、呼びかけ続ける。親父の目は、焦点を失っていた。 ボクは、子供たちを部屋に入れることをやめ、ロビーに待たせることにした。看護士と共に親父に声をかけ続けながら、これがガン末期の苦しみなのか、こんなに突然訪れるものなのかと動揺した。 様子が分からず、嬉しそうに部屋に飛び込んでくる子供らを静かにさせながら、親父の手を握らせた。 鎮痛剤を投与された親父は少しずつ落ち着きを取り戻し、夕方には静かに眠った。
2004年10月10日
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なっちゃん(6才♀)は、昨日から風邪らしくコンコン咳が止まらない。 子供たちをベットに連れて行き、絵本を読んであげたボクは親父の見舞いに病院に向かった。 添い寝していた女房は子供たちが寝付いたので、寝ている菜々子に「コンコン咳が出たら、頭のところにタオルを置いてるから口にあてなさいね。吐きそうになったら、洗面器も置いてるから使うのよ。泣いちゃダメよ。」と枕元でささやいて風呂に入った。 女房が心配したとおり、コンコン咳こんだなっちゃんは泣きながら2階から降りてきたそうだ。 話を聞いてびっくり。 なっちゃんは、咳き込んで吐きそうになったので、トイレまで行って吐いていたのだ。 泣いちゃダメという言いつけは守れなかったけど、洗面器に吐くどころか、トイレに行って吐くとは、なんてしっかり者なんでしょう。 いやぁ~、ビックリしましたぁ。 大したことじゃないかな?親バカですか?
2004年10月09日
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夕方、1本の電話があった。 親友からの電話… 「少し話がしたい」と切り出した彼は、自分の近況などを話しながらボクを笑わせてくれた。 電話を切る前に彼は「よかった」と一言。 彼は、ボクの様子を気遣って電話してくれていたのだった。 職場から見える景色は夕焼け色に染まって、晴れやかな気持ちになった。
2004年10月08日
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ゆ~たん(4才)は最近わがまま放題。とにかくデカレンジャーにはまってて、朝から晩までデカレンジャー。 「ご飯ですよ~」と声をかけても、「・・・・・」完全無視。あまりにひどいので、プッツンきたまあ(妻)は、「もうゆ~たんのことしてやらないよ」と言うと、「いいもん、お父さんと寝るもん」と逆襲。 完全にキレたお母さんは、しばらくゆ~たんを無視するふり。 そこに帰ってきたボクを救世主とばかりに「お父さん」とすり寄ってくるゆ~たん。既に、メールで状況を聞いていたボクは、それを軽くいなして相手にしない。 逃げ場のなくなったゆ~たんは、しばらくがんばったけれど、泣いてしまった。 お母さんに抱き寄せられて諭される様子は、ある意味微笑ましいところがあるが、最近毎日だからなぁ… しばらく、親子の戦いは続きそうです。
2004年10月07日
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最近、見舞いに行くと親父は寝ていることが多い。 体力の衰えなのだろうか。 便に血が混じっているようだと言うことで、流動食が止められているせいだろうか。急激に元気が無くなってきたようだ。 病室の天井をじっと見つめていることが多い。ふと見ると、涙ぐんでいるようにも見える。 親父は自分の容態をどう考えているのだろうか。 ここ数日、親兄弟が一斉に見舞いに訪れた。もちろん、それは自分が叔父に親父の容態を知らせたからだ。 そのことによって、親父は自分の死期を悟ったのか。 もし、そうなら親父は偉大だ。こんな時でさえ、家族や看護師への気遣いを忘れない。笑顔さえ見せるからだ。 今日の最後の言葉は「ありがとう」だった。 小さくなった親父が、トテツもなく大きく見えた。
2004年10月06日
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親父は会社で賞状書きを永年勤めてきたほど字がうまいのだが、手が不自由になってきているため、とても読みづらい。 でも、親父との筆談にも慣れてきて、意思の疎通も図れてきた。 と思った矢先だ… 親父の書く文章が乱れてきた。時々意味が通じないことを書いては、理解できないでいると苛立つのだ。 思えば、親父は少し前から幻覚を見ていた。その時は鎮痛剤の影響かと思っていたのだが、もしかして、脳にも転移したのかと不安になる。 残された時間をどのように過ごすのか、日々変わる親父の容態に揺れ動く自分がいる。
2004年10月05日
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看病疲れと昨日の保育園の運動会の疲れが重なって、今日はまったく仕事にならなかった。 さて、今夜も病院に行きますか(^_^) 病院から帰ってきました。もう午前様です。 親父は8日ぶりに便が出たのですが、なかなか排便の力が出ないため苦しそうでした。腹痛に耐えながら、必死になっている親父を見ながら、衰えていく親父を感じました。 それにしても、頭が下がる看護師さんたち。親父の下の世話をイヤな顔一つ見せず何回も何回も繰り返す姿には感銘しました。ありがとう…
2004年10月04日
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気配りなっちゃんとマイペース派のゆ~たん。二人そろっての保育園の運動会は今年で最後。 なっちゃんは数日前から気合い十分。ゆ~たんはあくまでマイペースながら、お姉ちゃんの踊るソーラン節にあわせてテントの中で上手に踊るなど、S市から来たおじいちゃんとおばあちゃんを楽しませてくれました。 毎年ある運動会だけど、その度ごとに我が子の成長を感じることができる嬉しいひととき。
2004年10月03日
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なっちゃん(6才♀)、ゆ~たん(4才♂)がスイミングに通い始めてもうすぐ1ヶ月。二人ともようやく先生が付いていてくれれば、どうにか顔を浸けることができるようになってきた。 それでもゆ~たんは巧みに並んでるフリをしながら、どうにか練習をさぼろうとがんばっている。 でも、考えてみれば保育園ではつい最近まで二人とも顔を浸けられなかった訳だから焦ってはいけない。 さてさて、これからどうなることやら………
2004年10月02日
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今日は少しだけ朝ゆっくりして、午後から休んで親父のところに行った。 親父は嬉しそうに微笑んで、ゆっくり目を閉じた。 親父は呼吸がままならないため、長時間熟睡することができない。だから、短時間寝ては痰がたまると目を覚ます、それを繰り返している。 付きそう方もかなりしんどいけれど、親父はもっともっときついはず。がんばらねば(^_^)v
2004年10月01日
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