全67件 (67件中 1-50件目)
ゆ~たんの脳波検査が16日に決まりました。検査の結果、脳波に異常が見つかれば、てんかんという診断が下ることになります。もっとも、検査の結果は29日にならないとわかりませんが…今はきっと異常はないと信じています。本人はあの日以降、至って元気ですし、きっと大丈夫ですよね…
2005年09月07日
コメント(15)
昨日の午前5時頃、隣で寝ていたゆうたんの様子がおかしいと叩き起こされた。確かに、ゆうたんが白目をむいて痙攣している。呼びかけても反応がない。治まる様子がないので、救急車を呼んだ。 ボクはなっちゃんとふたりで車で搬送先の病院に向かった。 病院に着く頃には痙攣は治まったらしいが、明らかに様子がおかしい… 医師は、改めて専門医の診察を受けるように指示したそうだ。 家に戻ったのは7時前だった。 それから、ゆうたんをまあちゃんに任せ、ボクは仕事にでた。 昼、携帯にまあちゃんから電話があった。内容はこうだった。 かかりつけの小児科で、紹介状を書くので総合病院に行って、脳波など詳しい検査をするようにと言われた。まだ、11時前だったので早速近くの総合病院に向かった。 総合病院では、検査の結果を待たなければはっきりとは分からないが、てんかんであろう。 ボクは、呆然となった。
2005年09月01日
コメント(2)
久しぶりの更新です。 7日に初盆をやります。 親父が亡くなって、早いもので9ヶ月。 お盆と言えば、子供の頃には親戚が集まる楽しい年中行事だった。 親父が亡くなり、初めての盆。 親父は帰ってくるのだろうか? そんなことを考えながら、親父を懐かしんで過ごす今日この頃。
2005年08月04日
コメント(4)
先日、仏壇を買いました。 自分が仏壇を買うなんて、信じられません。なぜなら、ボクはクリスチャンの母に育てられたから… 親父が亡くなって、先祖の位牌などを誰が守っていくのか? そんな問題にボクは遭遇することになったのです。 結局、ボクが仏様を守っていくことになってしまいました。 母が守らないから… 些細なことだけど、そんな一つ一つのことが煩わしかったりする。 母を恨んだ時期もあったが、今は親父亡き後、母を守っていく必要があるのだ。 仕方がない…
2005年03月02日
コメント(3)
親父が逝って、早3ヶ月が経とうとしている。 親父の容態がどんなに悪くてもボクは日記を書き続けた。 ところが、今はまだ書けずにいる。 何か、新しいテーマを見つけてまた書きたい!
2005年02月01日
コメント(6)
忘年会の季節になりましたね。 「今年は親父が亡くなったばかりだし、忘年会でもないなぁ…」っと思っていたら、そういえばボクは幹事でした(^^;) ガ~ン!! でも、一応35日は過ぎたし、酒好きだった親父も許してくれるだろうということで、出席することにしました。 でも、幹事慣れしてないので、うまくやれるか心配です。 どうなることやら… そういえば、話は全然違いますが、昨日は双子座流星群がよく観察できたようです。
2004年12月14日
コメント(2)
ボクの住むど田舎山口県では、クリスマスを盛り上げるイルミネーションを楽しめるスポットがない。 周南市の徳山駅通りで毎年開催されるツリーまつりが唯一大規模なイルミネーションが設置される。と言っても、他県のそういう催しとは比較にならないほど小規模でセンスがない。 とはいっても、県内では一番の催しだし、子供たちにも見せてやりたいと連れて出た。 札幌のホワイトイルミネーションなどとは違い、大きな色とりどりの電球が光っている。まあ、綺麗でないこともないが、そりゃないだろって感じ。 とはいえ、なっちゃんもゆ~たんも満足の様子。まあ、いいか。 帰り、ファミレスで夕食ということになった。ゆ~たんは子供メニューではなく、大人の食事を注文。ほぼ完食した。4才にしてすごい…
2004年12月11日
コメント(4)
ボクがパニック障害の発症を自覚したのは、大学4年の時だった。もちろん、その時にはパニック障害という病名は知らず、医師の診断も過換気症候群というものだった。 それ以降、激しい胸の痛みや死ぬのではないかという恐怖感に度々襲われた。救急車にも何度も乗ったし、救急外来に何度も駆け込んだ。 でも、医師は決まって「これといった所見はありません。疲れがたかったのでしょう。」といった。ひどい場合は「なまけ病じゃないかなぁ、何かイヤなことがあるんじゃない?」とまで言われた。 ここ6,7年だろうか? パニック障害がテレビでも取り上げられるようになり、地方でも心療内科の看板を掲げる病院が増えてきた。 ボクはある番組を見て、自分の病気はこれだと確信した。パニック障害であれば、薬を飲むことで病状をある程度コントロールできると知り、少しでも早くと国立病院の心療内科に飛び込んだ。 思ったとおり、医師はボクの病気はパニック障害と診断した。発症から約10年が経過していた。 主治医は、物静かで時間をかけて僕の話に耳を傾けてくれた。それが、ありがたかった。嬉しかった。 それまで、ボクは発作を起こすたびに冷ややかな目で見られていた。しかし、医師の目は温かかった。 ボクは、少しずつ前を向いて歩き出した。 それはまだ、今から5年前のことだ。
2004年12月09日
コメント(4)
親父がどんなに危険な状態でも、どんなに苦しくてもこの日記を書き続けたボクは、今こうして書けずにいる。 どうしたんでしょうね…
2004年12月03日
コメント(4)
早いもので今年も12月を迎えて気ぜわしい毎日・・・・ 年賀状は喪中のため出せないので、代わりに寒中見舞いを出そうということになっている。 去年届いた年賀状や「結婚しました」や「転居しました」というはがきを整理しながら、宛名ソフトにデータを入力する準備をしていた。 そこへまあちゃんがとても優しい笑顔でやってきて、1枚のはがきをボクに手渡した。 亡き親父が入院中になっちゃんへ送った誕生日をお祝いするはがきだ。 「なっちゃんはお姉ちゃんだから、ゆ~たんと仲良く元気に遊んでね。ぢいちゃんも早く元気になって帰るからね」 ……… 「この嘘つきが…」 涙が溢れて止まらない。 親父の優しさが、人柄が溢れている文面と自由にならなくなってきた手で書いた乱れた文字… 失ってはじめて気づくものがある。 それは… 愛に違いない。
2004年12月02日
コメント(1)
親父のことがあって、しばらく周りが気を遣ってくれていて仕事をみんながカバーしてくれていた。 ボクはそれに甘えて親父のことに集中していた。 ほぼ相続のことが終わって、親父がいないことが当たり前の「いつもの生活」が戻ってきた時、職場におけるボクの居場所が小さくなっている。 精神的に不安定になっているなぁ… しばらく多くを考えないようにしよう…
2004年11月29日
コメント(4)
今日は3時間ほど有給休暇をもらって、郵便局と銀行に行った後、出勤する予定でしたが、おふくろが保険の証書が出てきたって言うもんだから、休みを1日に変更して処理することにした。 「親父、オレたちのために黙って財産を残してくれていたのか」と思いきや、保険会社に念のため電話してみたら、「平成14年に満期金を受け取られています」だって… 「そんなの聞いてないよぉ~」 意外と親父もちゃっかりしている(^^;) というわけで、午後から時間ができたので、おふくろの店のパソコンの調子が悪いから、ちょっといじくって、一足早く帰ってシチューを作ることにした。 ちなみに、なっちゃんはボクはシチューと野菜炒めしかできないと思っている。 さて、みんなの反応はどうかな?
2004年11月25日
コメント(5)
今月はお金を使い過ぎだ… ストレスを浪費で発散してる… (^^;) まあ、ほとんどは必要なものだから仕方ないけど… 家族旅行、七五三のスタジオ写真、太陽光発電システム、プリンタ、ノートパソコン、年末ジャンボ宝くじ、ダイエットプーアール茶、ゴスペラーズのベストアルバム… あっ、大塚愛のニューアルバムも衝動買いしてた(^^;) かるく350万円は超えてる… きっと きっと職場の借金王はボクに違いない(-_-;) まぁ、いいか… そういう時もあるさ 太陽光発電システムは15年ローンだし、地球環境のために貢献するんだ(^_^)v 今日は、バカな日記になっちゃったなぁ…
2004年11月23日
コメント(5)
なっちゃんはどうも反抗期なのか、どうも最近素直じゃない。何か言っても反応しなかったり、「いやっ!」とか大声で拒否反応を見せる。 おじいちゃんが亡くなって、情緒不安定なところもあるだろうけど、とても扱いに困る。 夕食の時もわがまま放題。ついにキレてしまったボクはなっちゃんの左ほほに平手打ちを入れてしまった。その後は修羅場… なっちゃんにも腹が立ったが、子供を殴ってしまった自分にも腹が立った。ボクは親父の遺影のある和室に一人でこもり、親父に語りかけた。 自分もまだまだ情緒不安定なところもあるんだから、まだ6才のなっちゃんの心は当然揺れているに違いない… 反省…
2004年11月19日
コメント(8)
今日はおふくろの64回目の誕生日だ。 毎年、おふくろの誕生日にはお祝いなどはしないのだけど、今年はおふくろもさみしいだろうから、孫の顔くらい見せに行こうかな… と、思いながらも仕事が長引いて、結局何もできず… まあいいか、特別何かすると余計にさみしいかもしれないし… 葬儀の時の花が、傷んできたのでほとんどを処分した。 何回か活けかえたりしたので、比較的長く飾ることができたけど遺影の周りもさみしくなってきた。 週末には花をもらってこよう。
2004年11月18日
コメント(0)
親父が亡くなって1週間目の土曜日、家族で何か生き物を飼おうということになり、グッピーを3ペア買ってきた。 月曜日の朝、メスの1匹が今にも死にそうになっていたけど、時間がなかったので夜様子を見てみると死んでしまっていた。でも、あとの5匹はとても元気に泳いでいる。 それをじっと眺めていると、ふと稚魚が目にとまった。グッピーは卵胎生なので赤ちゃんを産むとは知っていたが、びっくり。 ペットショップではオスとメスが分けてあったのに、わずか3日で繁殖するなんて… まあは「お父さんの生まれ変わりかもよ」なんて笑顔で言ってた。それはないにしても、生命って不思議だなって思う…
2004年11月16日
コメント(2)
今日は朝からパニック障害の軽い発作に襲われています。 胸の周りを締め付けるような痛み。特に左胸の心臓のあたりに激痛が… 忌引きも今日が最後。 明日から仕事に戻る、その現実にストレスを感じているのだろうか。今までは上司にも、同僚にも恵まれ、仕事の量も減らしてもらっていた。これからは、そうはいかない。 これまで、仕事の面では評価されてきたが、ここのところの親父の看病などで、仕事から気持ちがそちらに向いていたこともあり、重要な仕事からはずしてもらっていた…というかはずされていた。これからは真剣勝負。今までの自分にかえれるだろうか… そういう不安が発作を引き起こしたのだろうな… 今は、やるべきことを一つ一つこなしていこう。
2004年11月15日
コメント(8)
親父が亡くなって、もう1週間が経ってしまいました。 2年3ヶ月に及ぶ闘病生活。本当にお疲れさまでした。 親父は本当にがんばってくれました。 最後に「ありがとう」という言葉を残して、親父は逝きました。親父らしい思いやりのある言葉です。 親父が亡くなって、我が家に新たに1つ習慣ができました。 親父の遺影に「おはよう」、「いってきます」、「おやすみ」と子供たちと一緒に声をかけること。 さあ、がんばるぞ!
2004年11月13日
コメント(4)
午前0時を過ぎ、血圧が42まで下がってしまった… もう、機械を使わなければ血圧も測れない。 午前5時30分、親父は大きく息をして、逝ってしまった。 医師の「ご臨終です。力になれなくて申し訳ありません…」という言葉がまるで、ドラマでも見ているかのようにボクの耳元を通り過ぎていった。 あまりにも淡々と時間は過ぎていく… 親父と共に闘う日々が終わりを告げた。
2004年11月06日
コメント(8)
親父から目が離せない状況、血圧があがらない。 血中酸素濃度が徐々に下がっていく。 親父、がんばれ…
2004年11月05日
コメント(0)
午後から病院に近い町に出張だったので、ちょっと早めに親父の元へ。 今日も反応がない。 でも、今日はいつもと違う様子。血圧が低い。血圧70。 「このまま血圧が下がっていくかもしれません。奥さんも来ていただいた方がいいと思います。」看護師の言葉に、しばらく言葉を失う。 頻繁に看護師が血圧を測りに来る。次第に下がっていく親父の血圧。息も絶え絶えになってきている。ボクはお袋に電話をして、すぐに来るように言った。 「長い一日になりそうだ…」そう心の中でつぶやいた。
2004年11月04日
コメント(1)
親父の容態が良くないので、早めに七五三のお参りに行くことにした。今なら親父に2人の姿を見せてやれるかもしれないから… 朝近くの神社に行ってお参りを済ませ、お袋とばあちゃんに報告して記念写真を撮り、急いで病院へ。 親父は目を開けてはくれなかったけど、子供たちの声はきっと届いたはず。なっちゃんとゆ~たんの可愛い姿を心の目に焼き付けてくれたはずだ…
2004年11月03日
コメント(0)
家族旅行から帰ってきて、翌日は仕事。 きついなぁ、ボクも年だな… と思いつつ… まだまだ、がんばらねば! 仕事を終えて、病院に直行。 病室は薄暗く、静かだ。 いつものように親父に声をかける。 「ありがとう。がんばってくれて」 でも、反応がない。 親父の手はグローブのようにむくんでいる。今までになかった症状だ。前から足はかなりむくんでいた。とうとう手までもむくんできたか… 正直、それを発見した場面は、脳裏に焼き付くに違いない。 日々衰えていく親父の体を丁寧に撫でるようにマッサージする。少しむくみがとれてきた気がする… 自己満足かもしれないが、少しでも親父が楽になればと思う。 でも、いくら声をかけても、とうとう最後まで反応はなかった。 最後に「明日は七五三のお参りに行くから、子供らを連れてくるからね」と約束をして、病室を後にした。
2004年11月02日
コメント(2)
朝一番の「お父さんの容態は安定してるから、予定どおり行っておいで…」というお袋の電話で一安心。 ハーモニーランドに行った。 ゲートをくぐると、キティーちゃんがお出迎え。大興奮のなっちゃんとゆ~たん。この日は30回目のキティーちゃんの誕生日。バースデーイベントもちょっとだけあって、子供たちは一日楽しんだ。 特に、ゆ~たんは生まれて初めてのジェットコースターに半べそになりながらも、ニッコニコ。 帰りは病院に直行。 親父はいくら呼びかけてもピクリとも反応してくれない。看護婦さんは「昼間は呼びかけに反応してくれてたんですが…」と言っていたが、最近顔つきも一段と悪くなってきたみたいだ。 ともあれ子供たちにとっては、久しぶりの楽しいイベント。行って良かったと思う。きっと、親父も話すことができれば「行って来い」って行ってくれたはず。親父は、そういう男だ。 また、日常がやってくる。
2004年11月01日
コメント(2)
家族で大分県別府市の城島後楽園ゆうえんちに行ってきました。城島と言えば『ジュピター』(木製ジェットコースター)ですけど、まだ子供が小さいし雨が降っていたので…というわけではなく、今日の目玉は『特捜戦隊デカレンジャー』ショー(^_^)v ゆ~たんが今夢中のデカレンジャーショーを見せてやろうということから、今回の家族旅行企画はスタートしている。 親父の容態が思わしくないこともあって、ボクとしても恒例の家族旅行を躊躇していたが、女房のまあが「年賀状を用意しないというのはイヤだよね」って言った言葉がボクを動かした。 日曜日から月曜日にかけての旅行ということで道も空いていて思ったより早く到着した。遊園地のショーだけあって、デパートのショート違って特殊効果がふんだんに取り入れてあって子供にとっては大迫力のステージだったに違いない。大興奮のゆ~たんはデカグリーンのお面をかぶってご満悦。 夕方、湯布院の街を散策し、自分たちにおみやげを買って宿へ。 家族湯につかった後、部屋食をゆったりと満喫した。夕食後になっちゃんの希望によりもう一度まあは風呂へ。 そこへお袋から電話が… 「お父さんの容態がいつもと違うと看護婦さんからあって、すぐ来て欲しいって…」言葉を失うお袋。 ボクは、「とにかく病院に行って様子を見てきて」というのが精一杯。でも、不思議と旅行に出てきたことへの後悔の念は浮かんでこなかった。というよりも、親父は大丈夫という確信があった。 まあたちがお風呂から上がってきて、しばらくして子供たちを寝かせた。 しばらく、いつもはない夫婦の時間。話をしていると、電話が鳴った。「容態は良くなってきたから、大丈夫」とお袋からの電話だった。 電話を切った時、ボクは思わず、バタッと布団に倒れ込み、ふ~っとため息をついた。まあは心配げに「どうだって?」ととボクの顔をのぞき込んだ。 これまでの経過を話すと安堵感が部屋中に広がった。 明日はハーモニーランドに行く予定。親父の様子次第では、朝一番に病院に向かうことも考えられる。しっかり休もう。
2004年10月31日
コメント(0)
明日から計画どおりに家族旅行に行く予定。そこで、家族そろって親父の元へ。日頃は、ボクだけで行くことが多いから、喜んでくれるはず。 はじめにボクが声をかける。薄い反応… でも、顔色は昨日より良さそう。 なっちゃんが「おじいちゃん」と声をかけると親父ははっきりと反応。親父の視線の方になっちゃんを抱きかかえて見せてやると満面の笑みを浮かべる。 ゆう~たんも恥ずかしがりながら、「じいちゃん…」。手を握らせると親父は顔をくちゃくちゃにして嬉しそうにする。 ボクは「明日は来れないけど、明後日の晩に来るからね」というと大きくうなずいてくれた。 最後にまあがごあいさつ。 しっかり目を見て親父に語りかける姿は、愛情に溢れていた。すこしボクは奥さんを自慢したくなった。 では皆さん、行ってきます!
2004年10月30日
コメント(6)
今日の親父は、昨日より意識がはっきりしていて、呼びかけにもしっかり反応してくれました。 昨日は血圧が70くらいまで下がっていた時もあったけど、今日は100は超えている。でも、脈が200を超えてナースステーションで監視しているモニターのアラームが鳴ることも… でも、大丈夫! 親父はボクの呼びかけに笑顔を見せてくれました。がんばるぞって気持ちを握った手で表してくれました。 さて、こうしてボクが親父のところに毎日通えるのは、家を守ってくれているまあのおかげ。キツくてダウンしそうになりながら、一生懸命がんばってくれている。だからこそ、ボクもがんばれる。 正直、仕事面では支障が出ているけれど、この際仕方がない。みんなが優しい目で見守っていてくれるうちは、それに甘えさせてもらう。ごめんなさい。 部長も「悔いの残らぬよう、休むことは気にしなくていいから、しっかりそばにいてあげなさい」と言ってくれている。感謝します。 こうした支えがあるからこそ…
2004年10月29日
コメント(0)
朝、2人の叔父のところに電話を入れました。 悪くなっている親父の様子を伝えるためです。 次男のまーちゃんおじちゃんは仕事に出ていて留守。三男のケンおじちゃんは全国を飛び回っているので携帯に連絡。状況を伝えるとケンちゃんおじちゃんは辛そうに「行きたいけど、なかなか行けなくてゴメン」と呟いていました。 仕事に出て、部長にメールをしました。 「父の容態はかなり悪くなっており、近い将来看取ることとなりそうです。そこで、お願いなのですが、父の希望もあり葬儀はごく内輪でやりたいのです。父は、以前から葬儀はしないで欲しいと言っていました。葬儀がどういう形になるか分かりませんが、いずれにしても父の親、兄弟に若干の親戚を加えた程度でしめやかに、そしてひっそりと送ってやろうと考えています。そのため、自分としては父が亡くなっても、しばらくの間事務所には知らせないつもりです。… もちろん、部長さんにはお知らせしますが、いっさい他言はしないでください。」 まだ、部長からの反応はありません。 仕事を終えて、病室に向かいました。途中、まーちゃんおじちゃんから電話が入りました。様子を伝えると、これから行こうということになって病室で合流することにしました。 親父は、昨日よりも随分反応も良くて、コミュニケーションが取れているなあと実感できるほどでした。もちろん、他の人が客観的に見れば、そうは見えないでしょうが… でも、ボクはとても嬉しかった。 そうこうしているうちに、まーちゃんおじちゃんが来ました。叔父は親父の顔を見るなり深いため息をつきました。表情がみるみるうちに曇っていきます。 「もう、だめか…」 思い雰囲気が部屋を包みました。ボクはこのHPに訪れてくださる皆さんのアドバイスのとおり、明るく「親父はしっかり聞いていますよ。ちゃんと理解もできています。」そして、親父の手をギュッと握り、「分かってるよな!おじちゃん来たよ!がんばってるトコをしっかり診てもらいっ!」と笑顔でいいました。 笑顔が多少引きつっていたかも知れませんが、親父も叔父も分かってくれたと思います。 帰り際、看護婦さんに今の状況を叔父に説明してもらいました。看護婦さんは説明の中でガンの末期であり、今は薬でコントロールできているが、いつ状態が急変するかも知れないとハッキリ言いました。 こうハッキリ言われたのは初めてでした。この看護婦さんの言葉というのは、家族にとても影響を与えるんですね… 正直、分かってることだけど、それをハッキリ言われると感情的に揺れてしまいますね。ボクもまだまだです。しっかりしなきゃ… 家に帰り、皆さんからの暖かい言葉を見て、正直涙が出てきました。皆さん、本当にありがとうございます。
2004年10月28日
コメント(4)
日曜日の夕方以来、全く呼びかけにも反応してくれなかった親父が、今日は少しだけ反応してくれました。 首を縦と横に振るだけだけど、とてもうれしかった。 「子供たちを風呂に入れなきゃいけないから帰るよ」って言って帰ろうとすると、親父の目には涙が浮かんでいるように見えた。 ギュッと握手をしてやると、ギュッと握り返してくれた。後ろ髪を引かれながら家路を急ぐ… 月がとてもきれいに見えた。
2004年10月27日
コメント(6)
子供たちを寝かしつけて、いつものように親父の病室を目指し出発しました。 日曜日以来、何度「親父!」、「お父さん!」と呼びかけても親父は反応してくれません。もう2度と親父はボクの声に反応してくれないかも知れない…そういう気持ちが胸の底から湧き上がるのを感じました。 僕たちは31日、1日と家族旅行に行くことにしている。ひょっとしたら、その間に親父の容態が急変するかも知れない。そういう思いはなくもない… でも、そうして親父の容態が悪い方向に向かうことを意識した行動は取りたくない。親父はまだ生きている。ガンが治らなくても、せめてもう1度立ち上がるくらいに回復して欲しい。1度でいい、子供たちに会って笑って欲しい。 支離滅裂かも知れないが、だからボクら家族は予定どおりというか毎年の恒例どおり旅行に出る。 とはいっても、今の状況はとても気になる。だから、看護婦に聞いてみた。看護婦はいつも無愛想で苦手な人だったが、冷静に言葉を選びながら説明してくれた。 あくまでも個人的な意見だがと前置きして、容態は医師が考えていたよりも相当悪い方向に向かっていること。今特徴的な症状として出ている呼吸の乱れ、無呼吸状態が続くこと、その無呼吸状態が長くなっていくのではないかと思うと。 まだ、その看護婦は「意識がハッキリしている時に、会わせたい人に来てもらってくださいとアドバイスしておけば良かったのですが…」と涙を浮かべながら頭を深々と下げた。 最後に、「息子さんが一番大変だと思いますが、がんばってください」と声をかけてくれた。 親父との別れがいつ訪れるか分からない。明日かも知れない。ボクは、最後までボクらしく親父に接していきたい。
2004年10月26日
コメント(4)
我が家の恒例行事に、秋の家族旅行がある。なっちゃんとゆ~たんは温泉が大好きで、温泉旅館の部屋食が大のお気に入りだ。 とは言っても、今年は親父の容態が急激に悪くなっていることもあって、旅行に出ることを躊躇っていた。 でも、考えてみれば、ここで旅行をやめれば親父が容態がさらに悪くなる、或いは亡くなるといったことを想定した行動ということになり、縁起でもないし、決してそういうことにならないって信じたいという思いからいつも通り行くことにした(もちろん、年賀状もいつも通り購入する予定だ)。 とはいうものの、もしものことがあってはいけないので、子供たちには直前まで内緒だ。今年は、大分県の城島後楽園ゆうえんちに行き、湯布院泊。翌日ハーモニーランドで遊んで帰ってくる計画だ。 親父、がんばってくれ!少しでも長生きしてくれ! 今日も、先ほど病院から帰ってきたが、病室にいた間に、1度も親父は反応してくれなかった。薬のためだと分かっていてもとても悲しい。
2004年10月25日
コメント(4)
11時頃、ボクは久しぶりに家族を連れて親父を見舞いに行った。ここのところ意思の疎通ができないほど容態が悪かったが、孫にはしっかり反応してくれた。 なっちゃんと握手すると嬉しそうな顔を見せた。ゆ~たんが恥ずかしがっていると親父はかすかにニヤッとして見せた。良かったなぁと心から嬉しく思いつつ、少しご無沙汰しているまあの実家へと向かった。 ところが、夕方「できるだけ早く家族の方に来ていただきたいのですが…」と電話が入った。おふくろに電話のことを伝えると、もう泣き出している。おろおろしているおふくろを励ましながら気を付けて行くように言い聞かせて、自分も急いで出かける準備をした。 駆けつけてみると、親父はほとんど意識がない。呼んでも反応がない。一足早く駆けつけたおふくろは、じっと親父の様子を見つめるだけだった。 1時間ほどして、親父の目に力が入った。 声をかけるとわずかに反応する。声をかけ続けると時折笑顔を見せる。一安心。 看護婦がシモの世話をしてくれている間、ボクはおふくろを部屋から連れ出した。 親父にもしものことがあった場合の対応を相談するためだ。 考えたくないことだが、冷静に考えれば、その日が近いことは間違いないことだろう。 これからは、そういうことも考えながら、親父をやさしく包んであげないといけない。
2004年10月24日
コメント(2)
うちの子供の通っている保育園は、この時期毎年お店屋さんごっこという行事を行う。 お店屋さんごっこは、子供たちが作った手作りおもちゃや食べ物を工作したり折り紙したりして売り物を事前に作っておき、子供たちがお店の人になって、親や遊びに来た小学生たちが買い物をするというイベント。 ゆ~たんは、しっかりレジ係をマジメにしてたし、なっちゃんは折り紙水族館の呼び込み&チケット係を元気にこなしてた。 なんだか嬉しい一日でした。 夕方、親父のところに行った。親父は血圧が下がり、容態が悪くなっている。ほとんど意識がもうろうとしながらも、声をかけると時折、少しだけ笑顔を見せてくれた。
2004年10月23日
コメント(0)
仕事が終わって病院に向かっていた時、携帯電話が鳴った。親父の入院している病院からだ。以前、何かあったらボクの携帯に連絡をくれとお願いしていた。 親父が、興奮して暴れているという。できるだけ早く来て欲しいということだった。あの優しい親父が点滴や酸素吸入器などをすべて引き抜き看護婦を困らせている。 これ以上、酸素なしでは血中酸素濃度が足りなくなり、命に関わる。それに痛み止めの点滴が切れれば、痛みでのたうち回ることになる。 ボクは気持ちを落ち着けながら、病院へと急いだ。 親父は、薬で眠らされていた。 意識すらはっきりしない。3時間ほど手を握り親父に話しかけた。でも、結局反応はなかった。 お袋と交代して、帰宅した。 ボクは今日、親父がいなくなる日が目前に迫っていることを意識した。
2004年10月22日
コメント(2)
今日は、台風一過でいい天気 (^o^) 嘘みたいな天気が広がっている。 久しぶりに昼休みの楽しみ、職場のソフトバレーに参加。楽しい汗をかいた。 仕事が終わって直行で親父の病院に向かう。 どうも、今日も親父は看護婦を困らせているようだ。 どうしても妄想、思いこみ、被害妄想のような言葉が目立つ。これも、病気が進んでいる証拠か… ひとしきり話を聞いてやると、親父は落ち付いた様子で穏やかに目をつむった・おやすみ。
2004年10月21日
コメント(0)
親父と会話できなくなって、どのくらいの日数が過ぎただろうか。筆談にも慣れてきたが、新たな問題が出てきた。 というか、もともと症状は見られたのだが、それが著しくなってきた。字が出てこない。言葉にならない。意味不明の言葉… 最近、ベットで暴れることも多くなった。医師も首をひねる。どうしてこういう症状が出るのか… 穏やかな本来の親父の時もあれば、悪魔に取りつかれたような時もある。脳にガンが転移しているのか… 話はまったく違うが、今日太陽光発電設置の契約をした。果たして、営業さんの言うような発電能力があるのだろうか。楽しみでもあり、恐くもあり…
2004年10月20日
コメント(2)
風邪をこじらせたのか、体がだるくて動けない。 2日続けての年休だ。 昨日寝ていたら、なぜか治療中の仮歯が滅茶苦茶に壊れたので歯科へ、それからこの風邪は内科の薬では治らないと耳鼻科へ… 昼食は京都餃子の王将に行き、近くのホームセンターを散歩。つい、本気になってセンサー付きライトなどを買いまくり昼から取り付けた。 上々の出来映えだったが、まあは休んだんだからもっとすることがあるんじゃないってお冠 (^_^;) まあ、それも正解。ごめんなさい。
2004年10月19日
コメント(0)
木曜日頃から、喉の調子が悪くなってたけど、とうとうキツくて仕事を休んだ。 これじゃあ、親父のところにも行けない。
2004年10月18日
コメント(0)
あまり知られてはいないだろうが、数年前「きらら博」という博覧会があった。ボクはその博覧会で目玉の一つであった日本一の花時計(ホントは西日本一も危ない?)の担当だった。この花時計の前でNHKの趣味の園芸の収録があったり、結構メディアにも露出して興奮したモノだった。 そんなことはどうでもいいことだが、その後地は公共施設として今も利用されており、そこでイベントがあったので家族で出かけた。 いろいろなブースをまわり、ソーセージなど県内の農産物や加工品を買って帰ろうとしたが、子供たちはそこにあるフィールドアスレチックで遊ぶといって聞かない。 仕方なく、少し遊ばせることにした。 やはり子供の笑顔は、親にとって何ものにも代えられないすばらしい宝物だ。親父にとっても、孫の笑顔は何よりの良薬だろう。
2004年10月17日
コメント(0)
今日は家族連れで、まあの同僚のFさんの家に遊びに行くことになった。Fさんちには2匹の猫がいて、名前をジジとさつきという。もちろん、宮崎駿作品の「となりのトトロ」のキャラクターにちなんでの命名だ。 Fさんのダンナさんは、ボクの仕事の大先輩。同じ職場になったことはないが、彼のことを知らない人はいない。いわば殿上人である。 殿上人の家はさびれた公園の隣にあった。昔は子供たちの声で溢れていたに違いないと思われる十分な広さだ。 Fさんはボクたちのためにケーキを買いに出かけていた。しばらく、子供たちをブランコで遊ばせていると、Fさんは明るく元気に帰ってきた。 なっちゃんもゆ~たんも、珍しく物怖じすることなく、楽しそうに時間を過ごすことができた。これもFさんの人柄のおかげだろうか… ゆ~たんは、帰り際に「楽しくて、おいしかった~」と笑っていた。 帰りに親父の見舞いに行った。 久しぶりに子供たちを見た親父は、いつになくハイテンションで嬉しそうだった。子供たちと力強く握手をした親父の目は絶対病気には負けないという強い意志を感じた… 最近では、全くと言っていいほど見せることのなかった笑顔を3回も見せた…
2004年10月16日
コメント(0)
今日はどうも咳が出るし、痰が絡む。 こんな状態では親父のところには行けない。 今日は親父のところには行かないと決めたものの、どうも親父のことが気になっていけない。 明日は休みだし、久々に子供たちを連れて見舞いに行くか。
2004年10月15日
コメント(0)
連日の親父の見舞い、長距離通勤、子供とのふれあい、精神的疲労などにより、心身ともに疲労困憊。 居眠り運転しないように集中するのがやっとの状態… 家族には、疲れているのを気づかれないように努力しているが、残念ながら隠しきれずにいる。 自己満足の世界かも知れないが、やはり毎日親父の様子を見に行きたいと思っているし、それを懸命に実行している。 でも、こうした状況では仕事どころではないというのが実状で、やろうとしても体が動かないのが悲しく、悔しいところ。 仕事は仕事。誰にも迷惑をかけず、それなりにでも足跡を残す仕事をしたい。それは社会人になってから変わらぬ信念だが、親父が実質仕事をリタイヤした約3年近く前からその信念が貫けずにいる。 ここに来て、疲労もたまり、自分の体も維持できなくなる不安も出てきた。 どうにか、心身ともにリフレッシュしなければ続かないのかなぁ… 秋恒例の家族旅行に思い切って出てみるか!
2004年10月14日
コメント(2)
最近、仕事帰りに親父の見舞いに育成か、子供たちと過ごす時間が短くなっている。それに夕食の時間も遅くなってしまっているため、結局寝る時間も遅れ遅れとなっている。 そのためか、子供らの様子がおかしい… いつになく、わがままだったり、ウジウジしてハッキリものを言わなかったり… これは悪い傾向だ。 日に日に悪くなる親父の容態も気になるが、できるだけ子供たちと過ごす時間を増やさないと行けない。
2004年10月13日
コメント(0)

親父との筆談にも慣れ、かなり親父の意志も伝わるようになってきた。と、同時に親父の書く文章も次第に支離滅裂になってきて、また、親父の意志をくみ取れない歯がゆい状況になってきた。 親父は、日曜日に容態が急変して以来、常時鎮痛剤を投与されるようになったが、親父自身自分に対する治療の方向性が変わってきていることに自覚を持っている。 それがどういう意味なのか、親父がどう思っているのか大きな不安を感じながら、笑顔で話す病室はやけに静かだった。
2004年10月12日
コメント(0)
親父の様子も落ち着いているので、車で1時間ほどのところにある観光りんご園に行くことにした。 着く頃には眠くなってきた子供たちは、ちょっと不機嫌だったが、りんごの木を見てウキウキ。すぐに、ご機嫌になった。 ところが、ゆ~たんは前日の雨でぬかるんでいるりんご園に入ろうとせず、現代っ子ぶりを発揮。 それでも、りんごを嬉しそうにかじりながらデカレンジャーの唄を歌っていた。
2004年10月11日
コメント(0)
3連休の2日目。 11時頃、久しぶりに子供らを連れ、家族そろって親父の見舞いに行った。 部屋に近づくと何やら騒がしい。 子供らを制し、ボクだけ先に部屋に入ってみる。 今まで観たことがない形相で親父が苦しんでいる。 看護士は「朝からこうなんです」と言う。 「それなら、なぜ連絡をくれない!」 そう思いながら、容態を確認する。 どうも、いつもの酸欠、血圧の低下ではないらしい。 必死に痛みに耐えているのだ。脈拍は180~200を超える状況。呼吸は浅く早くなっている。もう、ボクを見る余裕もない。 「もうすぐ鎮痛剤が来ますから」看護士はそういうと、親父の手を握り、呼びかけ続ける。親父の目は、焦点を失っていた。 ボクは、子供たちを部屋に入れることをやめ、ロビーに待たせることにした。看護士と共に親父に声をかけ続けながら、これがガン末期の苦しみなのか、こんなに突然訪れるものなのかと動揺した。 様子が分からず、嬉しそうに部屋に飛び込んでくる子供らを静かにさせながら、親父の手を握らせた。 鎮痛剤を投与された親父は少しずつ落ち着きを取り戻し、夕方には静かに眠った。
2004年10月10日
コメント(0)
なっちゃん(6才♀)は、昨日から風邪らしくコンコン咳が止まらない。 子供たちをベットに連れて行き、絵本を読んであげたボクは親父の見舞いに病院に向かった。 添い寝していた女房は子供たちが寝付いたので、寝ている菜々子に「コンコン咳が出たら、頭のところにタオルを置いてるから口にあてなさいね。吐きそうになったら、洗面器も置いてるから使うのよ。泣いちゃダメよ。」と枕元でささやいて風呂に入った。 女房が心配したとおり、コンコン咳こんだなっちゃんは泣きながら2階から降りてきたそうだ。 話を聞いてびっくり。 なっちゃんは、咳き込んで吐きそうになったので、トイレまで行って吐いていたのだ。 泣いちゃダメという言いつけは守れなかったけど、洗面器に吐くどころか、トイレに行って吐くとは、なんてしっかり者なんでしょう。 いやぁ~、ビックリしましたぁ。 大したことじゃないかな?親バカですか?
2004年10月09日
コメント(0)
夕方、1本の電話があった。 親友からの電話… 「少し話がしたい」と切り出した彼は、自分の近況などを話しながらボクを笑わせてくれた。 電話を切る前に彼は「よかった」と一言。 彼は、ボクの様子を気遣って電話してくれていたのだった。 職場から見える景色は夕焼け色に染まって、晴れやかな気持ちになった。
2004年10月08日
コメント(0)
ゆ~たん(4才)は最近わがまま放題。とにかくデカレンジャーにはまってて、朝から晩までデカレンジャー。 「ご飯ですよ~」と声をかけても、「・・・・・」完全無視。あまりにひどいので、プッツンきたまあ(妻)は、「もうゆ~たんのことしてやらないよ」と言うと、「いいもん、お父さんと寝るもん」と逆襲。 完全にキレたお母さんは、しばらくゆ~たんを無視するふり。 そこに帰ってきたボクを救世主とばかりに「お父さん」とすり寄ってくるゆ~たん。既に、メールで状況を聞いていたボクは、それを軽くいなして相手にしない。 逃げ場のなくなったゆ~たんは、しばらくがんばったけれど、泣いてしまった。 お母さんに抱き寄せられて諭される様子は、ある意味微笑ましいところがあるが、最近毎日だからなぁ… しばらく、親子の戦いは続きそうです。
2004年10月07日
コメント(0)
最近、見舞いに行くと親父は寝ていることが多い。 体力の衰えなのだろうか。 便に血が混じっているようだと言うことで、流動食が止められているせいだろうか。急激に元気が無くなってきたようだ。 病室の天井をじっと見つめていることが多い。ふと見ると、涙ぐんでいるようにも見える。 親父は自分の容態をどう考えているのだろうか。 ここ数日、親兄弟が一斉に見舞いに訪れた。もちろん、それは自分が叔父に親父の容態を知らせたからだ。 そのことによって、親父は自分の死期を悟ったのか。 もし、そうなら親父は偉大だ。こんな時でさえ、家族や看護師への気遣いを忘れない。笑顔さえ見せるからだ。 今日の最後の言葉は「ありがとう」だった。 小さくなった親父が、トテツもなく大きく見えた。
2004年10月06日
コメント(3)
全67件 (67件中 1-50件目)


