型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2020.12.07
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カテゴリ: 芸術
11月にヴァレリー・ゲルギエフ指揮のウイーンフィルが来日しました。
ウイーンフィルの熱狂的なファンや久しくなかった贅沢が再び戻ってきました。
今の状況下でこの公演をすることは多大な尽力とリスクがあったことでしょう。
主催がサントリーホール、協賛がダイワハウスで、制作する側としては偉業レヴェルです。

ウイーンフィル、ベルリンフィル、アメリカのオーケストラが素晴らしいなど、
若い頃にさまざまな批評を読み、生で聴いてみたいと憧れたこともよくありました。
また、同じ曲の異なる演奏の聴き比べるためレコードや CDを聴きあさりました。
そして、いつしか世界のオーケストラ・ランキングのような意識が根付きました。

日本人はヨーロッパから伝来したクラシック音楽をずっと学ぶ立場でここまできました。

名前が知られていなくてもステイタスが高く外国人というだけで見方が変わります。
今の世の中は批判的なレビューが極めて少なく美化されるためにこの価値観は変わりません。

これまで演奏家としては演奏する場を手にすること、主催者側は聴衆人気を求めてきました。
「いい音楽を提供すればいつか報われる時がくる」
こう言われて学生の時から研鑽を積んでもそれだけでは仕事になりません。
質が求められているのではなく外国由来とブランド力が求められています。

外国由来とは海外の演奏家や海外における実績は日本より上だということ、
海外のコンクールなどで認められることが日本のそれより上だという認識です。
ブランド力とは人気のある組織に所属していることで、
音楽の質と言うよりもこれらの人そのものが今のトレンドということになります。

今年は外来演奏家の来日がほぼキャンセルとなりコンサートすら実現しにくい状態、

こんな状況だから元に戻したいという意識が働くことは意義深いことですが、
逆に今こそ新しい日本人が独自の音楽を発信していく好機だと思います。

日本は音楽に限らず無条件に欧米のものを良しとする風潮があります。
欧米を規範とし紹介することを好み、人々は異なる文化を新鮮に感じるのです。
日本のメディアも海外と比較して日本のものをあえて推奨しない傾向があります。

最近ではアニメもその仲間入りをしている気がします。

音楽においてはこの20〜30年間のトレンドは大きく変わっていません
日本の音楽家の中には人知れずとても優秀な人がとてもたくさんいます。
しかし、盛んに取り沙汰される音楽家は旧来から活動している重鎮か、
海外での功績を判断基準として、演奏内容の検証や批判されることはなくなりました。

世の中の風潮として、過大に美化することはあってもネガティヴな発信をしないことで、
批評家のポジションが形骸化してしまい、宣伝の一環としての発信に同化しています。
絶対的な価値観を検証しなくなったことが音楽文化全体の衰退に結びつくと思われます。
それでも、口には出さないとしても審査や評価は歴然とあるわけで社会の表裏を感じさせます。

もっともクラシック音楽文化を継承しているオーケストラの世界でも、
名演の例として目にするのは今だにカラヤンやバーンスタインだったりしますが、
これまでに曲ごとの名演がなかったわけではなく取り沙汰されなくなってきたと思われます。
いかに多くの聴衆を集め、多くのステージを順当に消化することに集中してきたのです。

1970年くらいまでの現代音楽には深く日本のアイデンティティを感じさせ、
海外の現代音楽にはない和の良さを共有できるものが多かったと思います。
しかし、そのような方向性が楽壇にはあまり好まれず欧米で認められたものに向きました。
ヨーロッパとの関係は密接ですが、音楽で西欧に日本的な感性が認められたことは少なく、
西欧ナイズされた音楽でコンクールに通るなどして活動の幅を広げた現代音楽が、
音楽を志す若者の興味の対象にはなっても聴衆層から支持を得ているとは思えません。

それでも、海外から指揮者を招聘して日本の曲を演奏する場合は、
海外で認められた邦人作曲家の作品が挙げられますが日本の聴衆には好まれていません。
日本の指揮者が日本の現代作品を選曲する場合は逆に日本のアイデンティティを持つ、
嘗ての日本の名曲、伊福部昭、武満徹、矢代秋雄、三善晃などなどです。

ここからわかることは最近は日本的な価値観で発信されている音楽がないことです。
新たな音楽が紹介されて聴衆が集まったとしてもポップス的にシフトされている曲や、
調性的な部分が増えている曲でなければ再演、再聴の余地はありません。
この行き詰まりは以前からのもので、新たな方向性が欠けていると思われます。

新型コロナウイルスで海外からの招聘が難しくリスクが高い現在、
宝がたくさん埋まっている日本の人材やクラシック音楽の真髄を取り戻すべく、
新たな発信が今こそ必要なのだと思います。
クラシック音楽の初心者や若者への啓蒙活動よりも深さを取り戻すべきです。

ちょうど100年前、クラシック音楽界は無調と調性音楽に分かれる節目でした。
以降、12音技法による無調音楽が発展し更なる前衛音楽がつくり出されましたが、
フランス6人組を始めとして調性を有する音楽も反主流としてつくり続けられました。
音楽史を勉強するなかで調性を有する音楽の多くは当初知られていませんでした。

しかし、2000年に入り知られていなかった調性を有した1930年以降の音楽が、
留学生の増加やインターネットにより海を越えて盛んに採り上げられるようになりました。
演奏する人の増加によりレパートリーが多く必要になったこともこの要因ですが、
いかなる用途であっても無調の現代音楽が演奏されることは滅多にありません。

経験上、ほとんどの演奏家は音楽を分析したり意味を紐解くことを好きではなく、
理論を考えて演奏するのは古典やロマン派くらいでまでだと思われます。
大学院で研究することを除けば普段は分析までは行わない人がほとんどです。
一般的に理論から音楽に入ることはなく、理論に勝る共感がまず先決になります。

以前にも書きましたが、純然な無調音楽を自ら演奏する人はごく稀で、
学術上紹介されることはありますが、聴く対象は専門的な音楽教育を受けた人です。
現代の日本では海外に支持されることよりも、
まず日本人に支持されるポストモダンを独自に発信すべきで、
それは既存の現代音楽風ではなく今までの調性音楽にただ戻すことでもありません。





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最終更新日  2020.12.07 15:09:18
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