型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2021.04.13
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カテゴリ: 芸術
音楽史において、音楽であるか単なる構造物か問われる転換期があります。
音楽にも構造はありますが、それが音楽を離れて構造のみが残る状態、
もちろん材料は音ですから何かが生まれますが従来の音楽ではありません。
完全な構造物になった瞬間に演奏するうえで楽譜のみが手掛かりとなります。

パリにいた頃に楽譜にエモーショナルな要素は不要だと教わりました。
セリーなどの数学的なセオリーを使うと音楽的要素は薄まり構造物と化します。
演奏者における想像力はもはや不要で書いてある音をいかにエモーショナルに奏するか、
それが現代の音楽だと1995年頃に言われましたが、今はどうでしょうか。

1曲の中で調性的な瞬間や古い様式感が一瞬もない曲はかなり減りました。

そうなったのは時代が変わり、生き残りがかかったからだと言えます。
アイデアと構造のみで勝負していた現代音楽が袋小路に入ったからです。

新しさを競っていた音楽芸術が新しさを見失ってしまったこと、
個別の理論で作曲家が作曲家を評価し、周りがその良さを認識できなくなったこと、
現代音楽が本来の音楽性を失いクラシック音楽と異なるものに発展したこと、
芸術と感じられる要素が減り、人気の高い曲がよいとされやすくなったことが要因です。

これは音楽より時代の先を行っていた美術全般に関しても同様のことが言えると思います。
今は写実的な技術や艶やかな色彩感で人目を惹く絵画が目を惹きますが新しいとは言えません。
過去の技術が幅広く伝播し若くして才能が開花することは良いことである一方、
歴史的な技術の進化や幅広い芸術を識ることによる真の個性や深みは少ないと言えます。

今の状態は芸術の普遍性よりも人目を惹き人気(数字)の取れるものが注目されます。

その中にあっても、今もっとも芸術的アピールのある分野が漫才ではないかと思います。
漫才は二人のテンポや間の取り方が言葉の意味と相俟って音楽に近いと感じられます。

M-1上位の漫才はかなり以前からスタイルが明確でその比較による勝負が熾烈でした。
そして、スタイルの秀逸さでは2019年のミルクボーイ、ぺこぱがとても高いです。
台本にもよりますが完成されたかたちが見てとれました。


これは、審査員の上沼恵美子氏の言うところの漫才の領域を破った芸術性と言えます。
それまでの漫才も芸術性の高さはあったと感じられますが、
マヂカルラブリーが「これが漫才か?」と揶揄されることこそが革新的で、
例えば美術界で​ 画家のL.フォンタナ ​がキャンバスを切り裂いた絵画を作ったこと、
それがまさに「これが絵画か?」と言われ、
音楽会では I.ストラヴィンスキー「春の祭典」、S.プロコフィエフの初期の管弦楽、
そしてA.ジョリヴェ のピアノ協奏曲などが「これが音楽か?」とブーイングされたごとく、
従来の枠を超える表現が今の漫才にはあり、まさに芸術的活況を迎えています。
次にはさらに新しい表現が期待されていること、それが芸術だと感じます。





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最終更新日  2021.04.13 00:58:59
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