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今回は、紋章、色彩、動植物の歴史―それらは、象徴の歴史という枠組みでくくることもできそうです―の研究を精力的に進めておられる、フランスの歴史家ミシェル・パストゥローMichel Pastoureau(1947-)について、紹介したいと思います。 ミシェル・パストゥローの父親は、シュールレアリストのアンリ・パストゥローです。ヤフーなどで検索する限り、アンリ・パストゥローはあまり日本では知られていないようです。なお、氏自身は、自らの文体の詩的な部分について、父アンリの影響があるかもしれないと言っています(1)。 彼の母親は、エレーヌ・パストゥロー(1915-1990)です。 ミシェルは、1947年、パリで、二人の間に生まれました。 高等教育はソルボンヌの古文書学校(l'Ecole des chartes)で受け、そこでの卒業論文が『中世紋章の動物誌』(Le Bestiaire heraldique medieval, 1972, 未刊)です。この論文は高く評価されたそうですが、卒業論文で動物をテーマにしたいといったとき、先生がたは難色を示したと、氏は言います(2)。動物は、歴史の表舞台とは縁のない役者だという価値観が、当時はまだ支配的だったわけですね。 このように、ミシェルは紋章の研究から出発し、深い関わりのある印章、メダルなども史料として扱い、あるいは研究を進めています。さらに研究領域をひろげ、テーマとしては、卒業論文からもうかがえるように、動物の歴史、植物の歴史、色彩の歴史などを、心性史的、あるいは人類学的なアプローチで研究しています。 さて、経歴に戻ると、1982年に高等実習研究院第4部門(l'Ecole pratique des hautes etudes, IVe section)の教授として選ばれ、 1983年より、同部門で「西欧象徴体系史講座」(la chaire d'histoire de la symbolique medievale)教授をつとめます。その後、高等実習研究院第6部門(経済学・社会科学)が改組された社会科学高等研究院(Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales)で、ジャン=クロード・シュミットらと共同ゼミナールも開いているようです。 ところで、松村剛先生は、ジャン=クロード・シュミット『中世の身ぶり』(みすず書房、1996年)の訳者あとがきで、アナール学派第4世代の研究者としてミシェル・パストゥローの名前も挙げておられますが、他のところではあまりパストゥロー氏がいわゆる<アナール学派>に属するとは聞きません。アナール学派の主要な研究拠点にも籍を置かれているわけですし、方法論的にもそうだとは思うのですが。 管見の限りではありますが、現段階で出版されているアナール学派に関する概説書(邦訳)に、アナール学派第4世代についてまでカバーした本はないように思います。最近はそういった論文もチェックしていないので、なにかしら文献もあるかとは思うのですが。ジャック・ル・ゴフがばりばりがんばっていた頃はともかく(今もがんばっていますが)、いわゆる第4世代ともなるとそうとう研究も細分化しているでしょうし、「アナール学派」と一口にいうのも難しくなってきているのかなと想像します。 邦訳『ヨーロッパの色彩』の、石井直志さんによるあとがきは、ミシェル・パストゥローの人柄を伝えてくれます。氏が、さりげなく優しい心遣いをされたエピソードなどが紹介されています。 その他、パストゥロー氏の著作を翻訳しておられる松村剛先生もおっしゃるように、氏はふっくらとした体型で、お気に入りの動物は豚とのこと(その他、熊もお気に入りだと、『王を殺した豚 王が愛した象』に記されています)。アパルトマンの部屋には、豚の置物や、豚を描いた絵も多く飾ってあるとか。 彼の夫人はミレイユ・パストゥロー(Mireille Pastoureau)さんといって、フランス学士院図書館の館長をされています。そのため、氏もミレイユさんとともに官舎住まいの身になったということです。 なお、Yahoo!Franceで検索していると、何件か氏のラジオインタビューや講義が聴けるページがヒットしました。私は残念ながらフランス語の聞き取り・会話能力はほとんどなく(読むのも辞書を片手に調べまくってなんとか、というところですが)、ほとんど分からなかったのですが、ちょっと低めのしぶい声でした。註(1)下記『ヨーロッパの色彩』訳者あとがき、209頁。(2)下記『王を殺した豚 王が愛した象』3頁。ーーー 2019年12月現在で邦訳されている氏の著書は、次の通りです(2019.12.19更新)。・ミシェル・パストゥロー(松村剛・松村恵理訳)『悪魔の布 縞模様の歴史』白水社、1993年(こちらは、『縞模様の歴史―悪魔の布―』[私は未見です]として、2004年、白水社Uブックスとしてあらためて刊行されています。)・ミシェル・パストゥロー(石井直志・野崎三郎共訳)『ヨーロッパの色彩』パピルス、1995年・ミシェル・パストゥロー(松村剛監修)『紋章の歴史-ヨーロッパの色とかたち』創元社、1997年・ミシェル・パストゥロー(松村恵理・松村剛訳)『王を殺した豚 王が愛した象-歴史に名高い動物たち-』筑摩書房、2003年・ミシェル・パストゥロー(松村恵理/松村剛訳)『青の歴史』筑摩書房、2005年・ミシェル・パストゥロー/ドミニク・シモネ(松村恵理/松村剛訳)『色をめぐる対話』柊風舎、2007年・ミシェル・パストゥロー(篠田勝英訳)『ヨーロッパ中世象徴史』白水社、2008年・ミシェル・パストゥロー(JEX Limited訳)『CROMA(クロマ)―色の世界・350のフォトグラフィー―』青幻舎、2010年・ミシェル・パストゥロー(平野隆文訳)『熊の歴史―<百獣の王>にみる西洋精神史―』筑摩書房、2014年・ミシェル・パストゥロー(蔵持不三也・城谷民世訳)『赤の歴史文化図鑑』原書房、2018年・ミシェル・パストゥロー(蔵持不三也訳)『図説 ヨーロッパから見た狼の文化史』原書房、2019年 2018年には、ミシェル・パストゥロー初の絵本の邦訳も刊行されました。・ミシェル・パストゥロー(文)/ローランス・ル・ショー(絵)(松村恵理訳)『ピエールくんは黒がすき!』白水社、2018年 加えて、次の論文を、日本語で読むことができます。・ミシェル・パストゥロー「青から黒へ―中世末期の色彩倫理と染色」徳井淑子編訳『中世衣生活誌―日常風景から想像世界まで―』123-142頁 その他、私が所有している原著は、次のとおりです(2011年11月20日現在)。・Michel Pastoureau, Figures et Couleurs. Etude sur la symbolique et la sensibilite medievales, Paris, 1986 (『図柄と色彩―中世の象徴と感性に関する研究』)・Michel Pastoureau, Couleurs, Images, Symboles. Etudes d'histoire et d'anthropologie, Paris, Le Leopard d'Or, 1989 (『色彩・図像・象徴―歴史人類学研究』)・Michel Pastoureau, Jesus chez le teinturier. Couleurs et teintures dans l'Occident medieval, Le Leopard d'Or, 1997 (『染物屋のイエス―中世西欧における色彩と染色―』)・Michel Pastoureau, Les Emblemes de la France, Paris, Christine Bonneton, 1997 (『フランスの標章』)・Michel Pastoureau, Une histoire symbolique du Moyen Age occidental, Seuil, 2004 (『西欧中世象徴史』)・Michel Pastoureau, Traite d'heraldique, Paris, Picard, 1979 (5e ed., 2008) (『紋章学概論』)・Michel Pastoureau, Bestiaires du moyen age, Seuil, 2011 (『中世の動物誌』)・Michel Pastoureau / Jean-Claude Schmitt, Europe. Memoire & emblemes, Les Editions de l'Epargne, 1990 (『ヨーロッパ―記憶と標章―』。ジャン=クロード・シュミットとの共著)・Michel Pastoureau / Jean Mounicq, Mont-Saint-Michel, Imprimerie nationale Editions, Paris, 2004 (『モン・サン・ミシェル』。ジャン・ムニクとの共著(写真集))・Michel Pastoureau / Gaston Duchet-Suchaux, La bible et les saints, Flammarion, 2014 (1990) (『聖書と聖人たち』。ガストン・デュシェ=シュショーとの共著) ブレポルス社刊行の、西欧中世史料類型シリーズが、3冊あります。 ・Michel Pastoureau, Les armoiries (Typologie des sources du Moyen Age occidental, fasc. 20), Brepols, 1976 (2e ed., 1998) (『紋章』(西欧中世史料類型第20分冊))・Michel Pastoureau, Les sceaux (Typologie des sources du Moyen Age occidental, fasc. 36), Brepols, 1981 (『印章』(西欧中世史料類型第36分冊))・Michel Pastoureau, Jetons, mereaux et medailles (Typologie des sources du Moyen Age occidental, fasc. 42), Brepols, 1984 (『ジュトン、メロー、メダル』(西欧中世史料類型第42分冊)) また、英訳版については、下記の著作を所有しています。・Michel Pastoureau(trans. by Markus I. Cruse), Blue. The History of a Color, Princeton University Press, 2001(邦訳『青の歴史』) 邦訳は、多くの図版が白黒になっていますが、こちらは、カラー図版が豊富で、邦訳と一緒にもっていても損はしないと思っています。フランス語の原著(ポッシュ版は図版が省略されているそうですが)がすらすら読めるとその方が嬉しいのですが…。・Michel Pastoureau (trans. by Jody Gladding), Black. The history of a color, Princeton University Press, 2008・Michel Pastoureau (trans. by Jody Gladding), Green. The History of a Color, Princeton University Press, 2014・Michel Pastoureau (tr. by George Holoch), The Bear. History of a Fallen King, The Belknap Press of Havard University Press, 2011 最後に、私は入手していないですが、氏の主要著書を紹介しておきます(なお、タイトルの試訳は、松村剛さんおよび篠田勝英さんの訳を参考にしています)。・Michel Pastoureau, L'Hermine et le sinople. Etudes d'heraldique medievale, Paris, le Leopard d'or, 1982 (『白地黒斑と緑色―中世紋章研究)・Michel Pastoureau, L'Echiquier de Charlemagne. Un jeu pour ne pas jouer, Paris, 1990 (『シャルルマーニュのチェス盤―使わないためのゲーム』)ーーー研究整理の一覧はこちら。次の記事を書くのはいつになるやら…ですが。
2007.10.29
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前回の研究整理の記事からずいぶん時間が経ってしまいましたが、今回は、11世紀頃からのヨーロッパにおける悪徳観の転換について書きたいと思います。今回は、レスター・K・リトルの有名な論文、「傲慢が貪欲に先行する:ラテン・キリスト教世界における社会的変化と悪徳」 (Lester K. Little, "Pride Goes before Avarice : Social Change and the Vices in Latin Christendom")に、主に依拠しています。(参考記事:ヨーロッパ中世の悪徳観(その1);ヨーロッパ中世の悪徳観(その2) ) 11世紀から14世紀の間に、ヨーロッパ社会には、大きな構造的な変化が起こります。都市が成立し、商業が復興、貨幣が使用されるようになります(リトルは1000年~1350年を、「商業革命」の時代として捉えています)。 前回までの研究整理で見たように、11世紀以前、悪徳の首位は「傲慢」prideでした。ところが、11世紀頃から、「貪欲」avariceが強調されるようになります。私の専門のかねあいもあり、シトー会修道士のリールのアラヌス(Alain de Lille, 1125/30-1203)を例にあげます。彼は、その『説教術大全』の中の「貪欲について」という章で、次のように述べています。「貪欲には限りがない……ただ貪欲のみが、測りにかけられることがない。……貪欲と金銭への愛は、他のどの悪徳にもまして悪い」。ところが、アラヌスは、七大罪を図式的に並べるときには、傲慢、嫉妬、憤怒、気鬱、貪欲、飲酒、放蕩としています。これはグレゴリウス大教皇以来の伝統的なsiiaagl型(傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、貪欲、大食、姦淫:superbia, ira, invidia, acedia, avaritia, gula, luxuria)に近いといえるでしょう。 有名なトマス・アクィナスは、その『神学大全』の中で、貪欲と傲慢はどちらが悪いかという問いをたて、そのいずれかが優勢ということはないと述べています。その根拠は、聖書にある、矛盾したテクストです。一つは、集会の書10章15[13]節「全ての罪の初めは、傲慢である」という言葉。もう一つは、テモテへの手紙一6章10節「金銭欲はすべての悪の根本である」という言葉です。 リトルは、こうした文書史料の分析から、図像史料の分析に移ります。 傲慢を描いた図像は、9-11世紀には5つだったのが、12世紀から20に。貪欲を描いた図像は、 9世紀に一つ、10世紀に二つだったのが、11世紀には10、12世紀には28と増加していきます。もっとも、リトルが示す数についていえば、傲慢にせよ貪欲にせよ、11世紀以前の図像表現と12世紀以降の図像表現の割合は大体1:4となり、リトル自身も言うように、どちらが優勢ということはありません(数の上では、貪欲の方が多いですが)。いずれにしても、11世紀頃から、貪欲がますます強調されるようになり、傲慢が以前ほどではなくなる、ということはいえそうです。 傲慢と貪欲の、それぞれの図像表現についてもふれておきましょう。 傲慢は、主に、馬から落ちる騎士の姿で表現されました。貪欲を示す図像表現は多様で、金を数える人、ユダヤ人、金の入った袋を握りしめる人といった図像があります。さらに、貨幣が不潔なものであることを示すために、貨幣を排泄する猿、猿が持つボウルに貨幣を排泄するhybrid man(適切な訳語が分かりません…)の図像が描かれました。さて、貨幣が排泄されるということは、腸はその不潔な貨幣をうむところであります。ということで、ユニコーンがかがんだ猿に角をむけて突っ込んでいくという図像さえもあります。ぞっとしますね。 あらためて、11世紀以前、いわば「前商業社会」における最悪の悪徳は傲慢でした。11世紀頃からの「商業社会」にあっては、最悪の悪徳は貪欲となります。リトルは、これらの対比を、それぞれの時代に主要だった修道会の理想の対比と関連づけています。 11世紀以前に主要な修道会であったベネディクト会系修道院では、修道士の多くは騎士階級出身でした。彼らは、馬、武器を捨てて修道士となります。いわば、富ではなく、権力を捨てたのでした。そうした彼らの理想は、謙遜でした。ということで、彼らにとって傲慢への非難は、権力への自己批判という性格も持ち、また、非難すべき問題であったということです。 ところが、11世紀頃から、宗教改革者(ルターの時代の意味ではなく)は、ベネディクト会の壮麗さを非難するようになります。 11世紀頃から活動をはじめた隠修士もそうです。また、13世紀に誕生し、主要な存在となる托鉢修道会の理想は、清貧でした。代表的な人物であるアッシジのフランチェスコは、もともと富裕な商人でしたが、あるとき回心して、財産をなげうって修道士になります。巡歴説教を展開し、喜捨に頼って生活した彼らにとって、富、それにつながる貪欲は最悪の悪徳だったということです。 以上の論を図式的に示すと、次のようになります。<時代>:<社会>:<主要な修道会>:<その理想>:<最悪の悪徳>11世紀以前:「前商業社会」:ベネディクト会:謙遜:傲慢 (「商業革命」→都市の勃興、商業の復活、貨幣の使用)11世紀以降:「商業社会」:隠修士、托鉢修道会など:清貧:貪欲 このように、悪徳の首位が貪欲に移行する中で、それを示す新しい悪徳の図式が生まれます。スサのエンリコ(ホスティエンシス;c. 1200-1271)が、はじめてその図式を示しました。彼による図式は、次の通りです。傲慢、貪欲、姦淫、憤怒、大食、嫉妬、怠惰(superbia, avaritia, luxuria, ira, gula, invidia, accidia) この図式は、saligia型と呼ぶことができます。これまでの図式のように、傲慢が最初に置かれていますが、貪欲の位置が上位に移っていることが確認できますね。 今回の記事で、初期中世から13世紀頃までの、悪徳観についての概観は、とりあえず終わりにします。もっとも、ブルームフィールドが紹介している、悪徳と動物の関係など、興味深いテーマはまだありますので、また書くかもしれません。 次の研究整理の記事のテーマは何にしようかなぁ…。卒業論文から勉強している「例話」なら、いままでに書いた論文を下敷きに書きやすいのですが。 とまれ、今回の記事の参考文献です。(研究文献)・Morton W. Bloomfield, The Seven Deadly Sins : An Introduction to the History of a Religious Concept, with Special Reference to Medievale English Literature, Michigan State University Press, Repr. 1967.・Lester K. Little, "Pride Goes before Avarice : Social Change and the Vices in Latin Christendom", American Historical Review, 76-1, 1971, pp. 16-49.(史料)・Alan of Lille (translated. by Gillan R. Evans), The Art of Preaching, Cistercian Publications, inc. Kalamazoo, Michigan, 1981.・トマス・アクィナス(稲垣良典訳)『神学大全第12冊:Prima Secundae QQ. 71~89』創文社、1998年。
2007.06.18
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前回の記事からずいぶん時間があきましたが、今回は、4世紀から11世紀頃までの、中世ヨーロッパにおける悪徳観の図式の変遷を書いておきたいと思います。メインは、この期間に中心的な悪徳の図式となる、グレゴリウス大教皇によるそれになると思います。「七大罪の父」と呼ばれる、エウァグリオス・ポンティコス(c. 346-399)は、エジプトで隠修士としての生活を送りました。当時のエジプトの知的背景には、前回紹介した「魂の旅」の思想があったといいます。 そんな中、彼は、悪徳を次のように図式化しました。大食、姦淫、貪欲、悲嘆、失望あるいは怠惰、虚栄、傲慢[gula, luxuria, avaritia, tristitia, ira, acedia or accidia, vana gloria, superbia] この図式は、それぞれのラテン語の頭文字をとって、glatiavus型と呼ぶことができます。ここでは、悪徳の数は八つだということを指摘しておきます。 エウァグリオスの弟子であったヨハネス・カッシアヌス(c. 360-c. 432)は、西方にその師の図式を伝えたことから、「西方における大罪の概念の父」と評されています。彼の図式は、その師の図式のうち、憤怒と悲嘆が逆転していますが、その他は一緒です。重要なのは、リストの最後に挙げられている傲慢[superbia]を、最悪の悪徳としてとらえていること、これらの悪徳を、修道士との関わりからとらえていることです。 以上の図式では、八つの悪徳が確認されました。ところが、7と8には互換性があるといわれます。たとえば、ローマの歴史家であるマクロビウス(Macrobius, 400年頃)は、7と8はいずれも完全な数だと述べているそうです。 グレゴリウス大教皇は、7大罪の図式を生み出します。彼の『ヨブ記注解』から、一節を引用します。たしかに、全ての悪の根は傲慢である。それについて、聖書が証明しているのであるが、次のように言われている。「全ての罪の初めは、傲慢である」[集会の書10章15(13)節]。実際、その最初の子孫、すなわち七つの主な悪徳は、この有害な根から造り出される。すなわち、虚栄、嫉妬、憤怒、悲嘆、貪欲、腹の大食、姦淫である。傲慢の悪徳によってとらえられた私たちをこの七つ[の悪徳]が苦しめるので、そのため、私たちに対する救済が、聖霊の七つの賜物によって、霊の解放の戦いへとやってくる(試訳…あまり良い訳ではないですが)["Radix quippe cuncti mali superbia est, de qua, scriptura attestante, dicitur : Initium omnis peccati superbia. Primae autem eius soboles, septem nimirum principalia uitia, de hac uirulenta radice profuntur, scilicet inanis gloria, inuidia, ira, tristitia, auaritia, uentris ingluuies, luxuria. Nam quia his septem superbia uitiis nos captos doluit, idcirco Redemptor noster ad spiritale liberationis proelium spiritu septiformis gratiae plenus uenit".] グレゴリウス大教皇は、傲慢[superibia]を、他のあらゆる罪の根としてリストから外し、虚栄[vana gloria]をリストの首位においています。エウァグリオスに見られた、失望あるいは怠惰[acedia or accidia]は確認できませんが、これは悲嘆[tristitia]に組み込まれていると考えられます。また、エウァグリオスには見られなかった嫉妬[invidia]がリストに現れています。 あらためて、グレゴリウス大教皇の言葉を図式的に示すと、次のようになります。虚栄、嫉妬、憤怒、悲嘆、貪欲、大食、姦淫[vana gloria, invidia, ira, tristitia, avaritia, gula, luxuria] 先と同じく、ラテン語の頭文字をとって、この図式はviitagl型と呼ぶことができます。ところが、後世になると、虚栄[vana gloria]と傲慢[superbia]の互換性が見られ、また、怠惰[acedia]が悲嘆[tristitia]に変わるようになり、嫉妬と憤怒の順番も逆転します。これを踏まえて図式化すると、次のようになります。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、貪欲、大食、姦淫[superbia, ira, invidia, acedia, avaritia, gula, luxuria] この、siiaagl型と呼ばれうる型が、西方において最も影響力をもつことになります。なお、グレゴリウスが大罪の数を七つとした主な理由は、悪徳と対立する美徳として聖霊の七つの賜物をおいたことにあると考えられるといいます。 * * * 今回見た中では、悪徳の首位は傲慢[superbia]でした。ところが、11世紀頃から、ヨーロッパの都市化が進み、商業が発展すると―つまり、「商業革命」とさえ呼ばれる状況が訪れると、悪徳の首位が、傲慢から貪欲へと変わっていくといいます。この説を示したのがリトルLittleという研究者です。次回は、リトル説の整理を紹介したいと思います。 それでは、今回の参考文献です(記事は、修士論文の一部をほとんどそのまま使っているのですが…)・Morton W. Bloomfield, The Seven Deadly Sins : An Introduction to the History of a Religious Concept, with Special Reference to Medievale English Literature, Michigan State University Press, Repr. 1967. ・ジャン・ドリュモー(佐野泰雄・江花輝昭・久保田勝一・江口修・寺迫正廣訳)『罪と恐れ-西欧における罪責意識の歴史/13世紀から18世紀』新評論、2004年(この文献は、1196頁、本体価格13000円という分厚く高い本で、私も全て読んだわけではありません。悪徳観に関係する、第6章と第7章を確認した程度です…。それにしても、私はなぜだか分厚い本にわくわくしてしまいます…)。*ドリュモー『罪と恐れ』の画像です。
2007.05.08
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今回は、中世ヨーロッパの悪徳観について紹介します。 中世ヨーロッパの七大罪の一般的な図式は、傲慢(superbia)、憤怒(ira)、嫉妬(invidia)、怠惰(acedia)、貪欲(avaritia)、大食(gula)、姦淫(luxuria)の七つです。それでは、七大罪の観念の起源はどこにあるのでしょうか。Wenzelという研究者は、以下の三点を指摘しました。<七大罪の起源>(a)ストア哲学的な悪徳の型。(b)グノーシス主義的な「魂の旅」Soul Journy。(c)聖書のテクスト。 (a)は、不勉強ですのでここでは割愛します。 (b)の考えは、中世における悪徳について勉強する際にはおそらく必読文献であろう、ブルームフィールドBloomfieldの研究が強調しています。以下、簡単に整理しておきましょう。 「魂の旅」は、ペルシアに端を発し、後に西方に広まった概念です。その基本的な要素は、次の通りです。まず、魂は、神あるいは上の世界から、7つないし8つの惑星を通り、地上に降り、新生児に入ります。魂は、惑星を通っている間、それぞれの惑星からなんらかの特徴を受けます。また、人間の死後、魂はふたたび惑星を通って上の世界に上昇し、最後に浄化されます。浄化されるまで、惑星から受けるのは、全て悪い特徴であるといいます。 象徴に関する人類学的な研究を行っているルルカーLurkerも、惑星の象徴的意味について論じる際、七大罪と惑星との関係を指摘しています。彼によれば、それぞれの惑星は以下の悪徳を意味します。<惑星と悪徳の対応関係>1)月…嫉妬2)水星…吝嗇、意図的な貪欲3)金星…肉欲4)太陽…高慢5)火星…憤怒6)木星…飽食7)土星…懈惰 註記すれば、月と太陽も「惑星」で、土星が、肉眼で見える最も遠い惑星であるということです。 次いで、(c)聖書のテクストについて、七大罪の根拠と考えられる章句をいくつか列挙しておきます。「上品な声を出すからといって信用するな。心には七つの忌むべきことを持っている」(箴言26章25節)。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」(ルカによる福音書8章2節)。「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れてきて、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」(ルカによる福音書11章24-26節) * * * 私は、修士論文では、ジャック・ド・ヴィトリという説教師の悪徳観を考察することを中心に、悪徳の歴史の概略について勉強しましたので、以上の三つの起源のどれが真の起源か、というところまでは踏み込んだ考察をしていません。おそらく、どれか一つにしぼられるような問題ではないと思うのですが、はてさて…。 次に悪徳についての研究整理を書く際には、「七大罪の父」と呼ばれるエウァグリオス・ポンティコスから、 11世紀頃までの悪徳観の歴史を見ていきたいと思います。そのとき余力があれば、「商業革命」の時代(11-13世紀)に、悪徳の首位が傲慢から貪欲へと変わっていったというリトルLittleのテーゼも紹介できればと思うのですが、リトル説の紹介にあらためて一回分とった方がいいかもしれません。 それでは、今回の記事の参考文献です。・Morton W. Bloomfield, The Seven Deadly Sins : An Introduction to the History of a Religious Concept, with Special Reference to Medievale English Literature, Michigan State University Press, Repr. 1967. (この文献は岡大図書館にありました。これは嬉しかったです)・Siegfried Wenzel, "The Seven Deadly Sins : Some Problems of Research", Speculum 43, 1968, pp. 1-22.・マンフレート・ルルカー(林捷/林田鶴子訳)『シンボルのメッセージ』法政大学出版局、2000年。(この文献は、大学3年生くらいに読んだのですが、めくるめく読書体験でした。とても面白かったです)*ルルカー『シンボルのメッセージ』の画像(アフィリエイト)です。535頁。索引と原注などが巻末47頁。***どうでもいいことですが、今朝は、佐飛通俊さんの『宴の果て 死は独裁者に』を読んでいたのですが(読了して感想を書くつもりでした)、残念ながら挫折しました。…やっぱり面白いと感じられませんでした。またいつか、読むかもしれません。というか、せっかく買ったのだから読みたいですね…。
2007.04.19
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