全15件 (15件中 1-15件目)
1
ヤコブス・デ・ウォラギネ(前田敬作・今村孝訳)『黄金伝説1』 ~人文書院、1979年~ 13世紀に編纂された、聖人伝の集大成です。 著者のヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃~1298)は、説教を中心に行うドミニコ会に属し、ジェノヴァ大司教もつとめました。『黄金伝説』のほか、『ジェノヴァ市年代記』や説教集などの著作があります。 本書の構成は次のとおりです。(カッコ内に、訳注を参考に該当の祝日や当該聖人の生没年などをメモ) ――― 序章 1 主の降臨と再臨[待降節、現行では11/27~12/3にはじまる] 2 使徒聖アンデレ[祝11/30、X型十字架] 3 聖ニコラウス[祝12/6、4世紀前半] 4 聖女ルキア(ルチア)[祝12/13、304年没] 5 使徒聖トマス[祝12/21、インドに布教しそこで殉教したと言われる] 6 主のご降誕[12/25] 7 聖女アナスタシア[祝12/25、304年頃殉教] 8 聖ステパノ[祝12/26、キリスト教最初の殉教者] 9 福音史家聖ヨハネ[祝12/27] 10 罪なき聖嬰児ら[祝12/28、ヘロデ大王の命令で殺された男の子たち] 11 カンタベリーの聖トマス[祝12/29、1118-1170] 12 聖シルウェステル[祝12/31、第33代教皇、位314-335] 13 主のご割礼[祝1/1] 14 主のご公現[祝1/6、東方三博士来拝の日] 15 初代隠修士聖パウロス[祝1/15or1/10、228-342頃] 16 聖レミギウス[祝1/13、440頃-534] 17 聖ヒラリウス[祝1/14、315頃-367] 18 聖マカリオス[祝1/15、300頃-380/390頃] 19 ピンキスの聖フェリクス[祝1/14] 20 聖マルケルス[祝1/16、第30代教皇、位308-309] 21 聖アントニオス[祝1/17、251頃-356] 22 聖ファビアヌス[祝1/20、第20代教皇、位236-250] 23 聖セバスティアヌス[祝1/20、3世紀後半] 24 聖女アグネス[祝1/21・1/28、3世紀末or4世紀初殉教] 25 聖ウィンケンティウス[祝1/22、304年殉教、スペイン人最初の殉教者] 26 司教聖バシレイオス[祝6/14(東方では1/1)、370年頃活躍] 27 慈善家聖ヨハネス[祝1/23、610頃-619アレクサンドリア総大司教] 28 聖パウロの回心[祝1/25、パウロがキリスト教迫害者から伝道者へ転身] 29 聖女パウラ[祝1/26、347-404] 30 聖ユリアヌス[全5人のユリアヌスに言及。祝1/27ほか] 31 七旬節[その主日は復活祭から9週間前の日曜日] 32 六旬節 33 五旬節 34 四旬節[灰の水曜日から復活祭の前日までの6週間半] 35 四季の斎日[春は四旬節第一主日、夏は聖霊降臨の大祝日、秋は9/14、冬は12/13の各直後の水、金、土曜日] 36 聖イグナティオス[祝2/1、117以前没] 37 聖母マリアお潔め[祝2/2、聖燭祭とも。主の降誕後40日目に聖母マリアが神殿に行って潔めの儀式を受けたことに由来] 38 聖ブラシオス[祝2/3、3世紀末頃or4世紀初頃殉教] 39 聖女アガタ[祝2/5、250年頃殉教] 40 聖ウェダストゥス[祝2/6、540年没] 41 聖アマンドゥス[祝2/6、679or684没] 42 聖ウァレンティヌス[祝2/14] 43 聖女ユリアナ[祝2/16、4世紀初頭殉教] 44 聖ペテロの教座制定[祝2/22・1/18] 45 使徒聖マッテヤ[祝2/24、ユダの裏切りにより欠員が生じた十二使徒に、主の昇天後くじで選ばれた] 46 聖グレゴリウス[祝3/12、第64代教皇、位590-604] 47 聖ロンギヌス[祝3/15、現在では聖列に入っていない] 48 聖ベネディクトゥス[祝3/21、480頃-547] 49 聖パトリキウス[祝3/17、385頃-461頃] 50 主のお告げ[祝3/25、大天使ガブリエルによる受胎告知の日] 51 主のご受難[四旬節の第五主日] 解説 ――― 構成だけで53行使ったので簡単にメモ。 訳注が充実し、解説でヤコブスの経歴や主著、本書の意義も論じられているなど、非常に便利。 訳文も読みやすいです。(「すたこらさっさ」とか「桑原桑原」という訳文が印象的。) 本論は、聖人についてはその名前の意味を解き明かすところから始まり、その経歴を紹介したり、その聖人が行った主な奇跡を紹介したりといった構成。ある言葉や出来事の複数の意味を論じるあたり、説教と同様の構成と持っています。 序章での、期節の区分についてメモ。(カッコ内の丸数字は教会歴の順番) ・迷いの生活の時代=アダムの原罪~モーセの時代=七旬節~復活祭(④) ・呼び戻しの時代=モーセ~主のご降誕=待降節~降誕祭(①) ・贖罪の時代=キリストの誕生~死=復活祭~聖霊降臨(⑤) ・巡礼の時代=現代の人間の時代=聖霊降臨~待降節(⑥) ・贖罪の時代(2)=降誕祭~ご公現の祝日の8日後まで(②) ・巡礼の時代(2)=ご公現の祝日の8日後~七旬節(③) 時代の名前の当て方が、私が勉強を進めているジャック・ド・ヴィトリと同様で、ジャックは迷いの時代(待降節~七旬節)、呼び戻しの時代(七旬節~復活祭)、回復の時代(復活祭~聖霊降臨)、巡礼の時代(聖霊降臨~待降節)と、期節の区分はやや異なるものの、その類似性が気づきになりました。(参考:Lecoy, pp.272-273) 全4巻中、とりあえず第1巻を読みました。第2巻以降も徐々に読んでいこうと思います。(少し先送り中)(2021.11.10読了)・西洋史関連(史料)一覧へ
2022.01.02
コメント(2)
John Frederick Hinnebusch, The Historia Occidentalis of Jacques de Vitry. A Critical Edition, The University of Fribourg Switzerland,1972 このブログで何度か紹介している、12世紀末頃~13世紀半ばにかけて活躍した聖職者ジャック・ド・ヴィトリ(1160/70~1240)による『西方の歴史』の校訂版です。 この史料は、ジャックの同時代のパリ大学の状況や、ジャックとつながりのある説教師たち、黎明期のフランシスコ会も含む種々の修道会の様子などを描いており、多くの研究に使われています。 本書の構成は次のとおりです(拙訳)。 ――― 前書き 参考文献一覧 文献略号 略号 第1部 序論 第1章 ジャック・ド・ヴィトリの生涯と著作 A.ジャック・ド・ヴィトリの生涯 B.ジャック・ド・ヴィトリの著作 C.歴史家としてのジャック・ド・ヴィトリ 第2章 『西方の歴史』 A.執筆時期 B.『西方の歴史』の構造 C.『西方の歴史』の特徴 D.『西方の歴史』の典拠 第3章 校訂の基礎と原則 A.写本伝承と系統 B.テクスト校訂に関する原則 第2部 『西方の歴史』のテクスト 第3部 付録 A.B写本、K写本及びP写本間の章題と章番号の対応表 B.『西方の歴史』における例話と逸話 C.人物、地名に関する注釈 索引 ――― 第1部第1章は、ジャック・ド・ヴィトリの経歴と著作を要点よくまとめており、ジャック・ド・ヴィトリに関する研究ではしばしば参照されています。 第2部のテクストはラテン語です。全ては目を通していません。この史料にはフランス語訳もあり(Jacuqes de Vitry (tr, par Gaston Duchet-Suchaux, Introduction et notes par Jean Longère), Histoire occidentale. Historia occidentalis (Tableau de l'Occident au XIIIe siècle), Paris, Les Éditions du Cerf,1997)、気になる箇所は少し読んでいる程度です。 第3部の付録では、この史料に登場するあまりメジャーでない人物や修道会について、概要が紹介されるとともに、その事項に関する詳細な参考文献目録もついていて、たいへん勉強になります。(事項によっては概要はなく参考文献のみの掲載。) 先にフランス語訳を紹介しましたが、Jessalynn Birdという研究者が、この史料の英訳を準備しているとのこと(Jessalynn Bird, “The Religious’ Role in a Post-Fourth-Lateran World: Jacques de Vitry’s Sermones ad status and Historia Occidentalis”, in Carolyn Muessig (ed.), Medieval Monastic Preaching, Brill, 1998, p.209-229 (at p. 209))。20年以上も前の論文の記載ですが、いつ出るかとずっと心待ちにしています。 (2020.04.25読了)・西洋史関連(史料)一覧へ
2020.08.01
コメント(0)
サー・トマス・マロリー作 W・キャクストン編(厨川文夫・圭子編訳)『アーサー王の死(中世文学全集I)』 ~ちくま文庫、1986年~ 15世紀後半、無頼の騎士トマス・マロリーがまとめあげ、イギリス初の印刷業者であるキャクストンが出版した『アーサー王の死』の編訳です。マロリーの序文によれば、本作は全部で21巻、507章からなります。この編訳書では、聖杯の探求に関する巻や、トリストラム(トリスタン)が主人公の巻などが省略されており、アーサー王の誕生・即位、ローマとの戦い、円卓の騎士の中でも最も強いとされるラーンスロットに焦点を当てた物語、そしてアーサー王の死に至る物語が中心となっています。 具体的な構成は次のとおりです。 ――― 序文 アーサー王の誕生と即位 ローマ皇帝ルーシヤスを征服 ラーンスロット卿とガラハッド卿 ラーンスロット卿の狂気 ラーンスロット卿と王妃 グウィネヴィア王妃とラーンスロット卿 最後の戦い アーサー王の死 解説 マロリーとアーサー王物語 ――― ラーンスロットは王妃グウィネヴィアに恋いこがれるのですが、別の女性に慕われ、魔法で(自分は王妃と信じていたのに)別の女性と関係をもち、後に聖杯探求で活躍するガラハッドが生まれたり、王妃の嫉妬により罵られて狂気に陥ったり、とはいえ王妃が別の騎士の策略で裁判にかけられたときには全力で助けたりと、二人の関係性が面白かったです。どっちもどっちというか…。 西洋中世史を勉強していながら、アーサー王物語にはあまりふれたことがなく、最近シドニー・ラニア編(石井正之助訳)『アーサー王と円卓の騎士』(福音館書店、1972年)を読んだ程度なので、あらためて本書で物語にふれられて良かったです。(だいぶ前に購入していたものの読めていなかったので、この度通読できたのも個人的には良かったです。) ・西洋史関連(史料)一覧へ
2020.01.12
コメント(2)
チョーサー(西脇順三郎訳)『カンタベリ物語(下)』 ~ちくま文庫、1987年~ (Geoffrey Chaucer, Canterbury Tales) 上巻に続き、巡礼参加者の話が繰り広げられます。 簡単にメモしておきます。 ――― 「郷士の話」武者修行のため外国に行った夫の帰りを待ちわびて悲しむ女のため、なんとかしたいと言い寄ってきた男に、女は無理難題を吹きかける。しかし男は奇術家の力を借りて、その難題を解決してしまい…。 「医者の話」邪な裁判官に引き取られた娘を守るために、その父親がとる行動とは。 「赦免状売りの話」三人の道楽者が、他人の宝物を盗む。しかし、それぞれが宝を独り占めしたくなり…。 「船長の話」ケチな商人と贅沢な女房の話。 「尼寺の長の話」聖母マリアの功徳を説く話。 「チョーサーの話」メリベウスという金持ちの男と、プルデンス[思慮分別]という名の妻の話。二人の娘とプルデンスが悪漢に襲われ、仲間とも相談の上で敵を相手に戦争をしようと考えるメリベウスだが、プルデンスは多くの聖書の逸話などを引きながら、夫の考えをあらためようと説得する。 「修道院僧の話」アダム、サムソン、ネロなど、多くの人物の没落の物語。 「尼僧侍僧の話」雌鶏の言葉を聴いて、占いにさからい野原に降りた雄鶏と、雄鶏をだます狐の話。 「第二の尼の話」聖女セシリヤは、兄弟を説得しキリスト教徒に改宗させるが、地方長官アルマキウスは二人を殺してしまう。しかしセシリヤは、地方長官の前でも信仰を貫き通す。 「僧の従者の話」錬金術師の弟子をしていた従者が、錬金術のひどさを力説する。 「大学賄人の話」カラスが黒くなった由来の話。太陽の妻が、太陽不在時に不倫をしていたことを白いカラスが太陽に伝え、太陽は怒りカラスを黒くしてしまう。(参考:オウィディウス『変身物語(上)』岩波書店、77-82頁) 「牧師の話」贖罪についての説教。贖罪は、痛悔、告解、罪償完済の三つの部分からなる。痛悔についての話の中で、七つの大罪と、各々にまつわる小罪、そして各々の薬となる美徳について詳述。 ――― 赦免状売りの前口上は、以前紹介したClaire M. Waters, Angels and Earthly Creatures. Preaching, Performance, and Gender in the Late Middle Ages, University of Pennsylvania Press, 2004でも取り上げられています。本書解説でも、中世の説教のあり方に言及しており、「この点で実際的な文献として大切」(419頁)と評価されています。 「第二の尼の話」で紹介されるセシリヤの言葉が印象的です。「あなたの権勢など少しも恐れるに足りません。と申しますのは、人の権力などは本当にいずれも空気でふくらんだ膀胱みたいなものに過ぎません。それがすっかりふくらんでも、その偉そうな様子は、針一本でぺしゃんこにされてしまうことでしょうからね」(240頁)。無駄に偉そうな人間の前で毅然とした態度、とてもかっこよいです。 「牧師の話」は、説教の構造も内容も、私の研究関心からとても興味深く読みました。 本書にはチョーサー年譜も付されており、有用です。それによれば、チョーサーは1340-43年頃に生まれ、1400年に亡くなっています。また、『カンタベリ物語』は、30人の巡礼が、カンタベリへの往復でそれぞれ2つずつの話をするという、合計120の話が構想されていましたが、24の話を遺したのみで未完に終わりました。 本来はこういう作品は大学生のうちに読んでおきたかったのですが、不精者だったので今いろいろと読んでいる次第です。 上巻の記事に書いたとおり、訳語はいろいろ気になるところもありましたが、全体として読みやすく、良い読書体験になりました。 ・西洋史関連(史料)一覧へ
2019.05.26
コメント(0)
チョーサー(西脇順三郎訳)『カンタベリ物語(上)』 ~ちくま文庫、1987年~ (Geoffrey Chaucer, Canterbury Tales) ジェフレイ・チョーサー(1340-1400)はイギリスの詩人で、「イギリス詩の父」とも呼ばれているそうです。本書は、彼が晩年に残した、あまりに有名な作品です。(でありながら、今回初めて読みました。) カンタベリに巡礼に赴く途中、宿屋で居合わせた29名の男女。宿屋の主人の提案で、それぞれの参加者が、一人一話語りながら行くことになります。 以下、簡単にメモしておきます。 ――― 「ぷろろぐ」29名が宿屋に居合わせ、主人が物語の提案をする。 「騎士の話」アテネにつかまったテーベの二人のいとこ同士が、アテネ領主の美しい娘に恋をする。一人はテーベに帰され、一人は塔に幽閉されたままだったが、やがて、いとこ同士で、娘をめぐって戦うことになる。 「粉屋の話」好色な教会役員が、目を付けた女性を追い回すも、彼女の恋人にこらしめられ、女性の夫で大工の男もこてんぱんにやられる話。 「親分の話」粉屋の話の仕返しに、大工の親分が、うそつき粉屋がこらしめられる話をする。 「料理人の話」道楽者の丁稚小僧が主人から追い払われる。(その後の話は未完のようです。) 「法律家の話」ローマの美しい姫クスタンスが、シリアのサルタンのもとに嫁ぐが、サルタンの母の陰謀で、クスタンス以外の、サルタンを含む全てのキリスト教徒が虐殺された。その後クスタンスは放浪の身となる。(徳の高い生活を送りハッピーエンドに。) 「バースの女房の話」多くの夫をもったバースの女房が、いかに夫をあしらってきたかという長い前口上の後、好色な騎士についての話をする。騎士は、女王から、女がいちばん好きなものが何かを1年と1日以内に答えられないと首をとばされることになるが…。 「托鉢僧の話」私腹を肥やすことに夢中の刑事が、悪魔と出会って一緒に旅をする話。 「刑事の話」托鉢僧の話の仕返しに、托鉢僧が金持ちからの寄付を求めようとするが、その息子にこらしめられる話をする。 「学僧の話」結婚に関心がなかった王が、いなかの美しい娘グリゼルダをめとる。王は彼女がどこまで耐えられるかと、彼女が産んだ二人の間の子供を殺したように見せかける。それでもグリゼルダは悲痛な顔を見せずに振る舞うが…。 「貿易商人の話」学僧の話と反対に、高齢の夫をもつもののひたむきに彼女に恋をする従者と浮気する女の話をする。 「騎士の従者の話」未完。 ――― 訳者による解説に、ここに集められている物語の多くは、中世に流布されていた様々なタイプの話が含まれている、とあるように、下品な冗談の多い「ファブリオ」(笑話)や、ケルト物語、キリスト教の信仰を説くものなど、多様な話が含まれています。 『カンタベリ物語』は本来韻文の作品だそうですが、この邦訳は散文で訳されていて、読みやすいです。 一方、訳語ではいろいろ気になりました。「僧」とは何か。「托鉢僧」ではなく「托鉢修道士」が一般的な訳語です。「刑事」とは何か、気になります。その他、アウグスティヌスが「オーガスティン」となっているなど、一般的な表記ではなく英語読みで表記されているところも見受けられました。「ナンマンダ、なんのご用じゃね?」(274頁)など、キリスト教ではあり得ない「ナンマンダ」という言葉もあってびっくりしました。わが国におけるキリスト教用語の翻訳のひどさを指摘する朝倉文市「異文化の理解を求めて―翻訳書にみるキリスト教用語について―」『キリスト教文化研究所年報』17、1995年、118-142頁を読んでから本書を読んだので、余計に気になったというところもありますが。 ただ、読みやすく軽快な文章ではあるので、楽しく読み進めることができました。 ・西洋史関連(史料)一覧へ
2019.05.18
コメント(0)
エインハルドゥス/ノトケルス(國原吉之助訳)『カロルス大帝伝』 ~筑摩書房、1988年~ 訳者の國原吉之助先生は、カエサル『ガリア戦記』やスエトニウス『ローマ皇帝伝』などの訳者として有名です。本書刊行当時は、名古屋大学文学部教授でいらしたようです。 カール大帝について、実際に彼に仕えたエインハルドゥス(アインハルト)と、大帝の死後に生まれたノトケルス(ノトカー)が残した伝記の邦訳です。 本書の構成は次のとおりです。なお、各著作の題目や内容目次は原典にはなく、訳者の國原先生によるものです。 ――― エインハルドゥス『カロルス大帝伝』 第1部 カロリンギ朝の起り 第2部 カロルス大帝の外征と内政 第3部 カロルス大帝の私生活と肖像 第4部 カロルス大帝の晩年と死 附録 『カロルス大帝伝』へのヴァラフリド・ストラボの序言 注 ノトケルス『カロルス大帝業績録』 第1巻 敬虔なカロルスと教会 ・聖俗の学問と教育 ・カロルスと聖職者 ・聖職者と悪魔 ・カロルスと教皇 ・聖俗の建築物建立 ・雑記 第2巻 英邁勇敢なるカロルスの外交と戦争 ・外敵との戦争 ・ビザンティウム帝国やその他との交流 ・フルドヴィクス(ドイツ王) ・ノルドマンニ人その他との戦い ・フルドヴィクス(敬虔王) 注 解題 あとがき 年表 カロリンギ朝系図 地図 地名・民族名の中世ラテン語―現代語訳表記対照表 人名索引 ――― 巻末の解題が分かりやすいのはもちろん、「地名・民族名の中世ラテン語―現代語訳表記対照表」や「人名索引」も付されているように、とても丁寧に作られている一冊です。 カロリング朝の王であり、800年のクリスマスに教皇レオ3世から戴冠されるカール大帝(フランス語でシャルルマーニュ)について、同時代人の残した伝記ということで、有名な史料ですが、読んだのは今回が初めてになります。 まず、アインハルト『カール大帝伝』についてメモ。 面白かったのは、カール大帝は教皇レオからの皇帝の称号の受取を最初は固辞していた、という記述です。アインハルトは、カール大帝が次のように言ったといいます。「あの日がたとい大祝日であったとしても、もし教皇の意図をあらかじめ推察できていたら、あの教会にのこのこ踏み込んだりはしなかったろう」(38頁)。東ローマ帝国の皇帝による嫉妬を危惧していた、というのですね。 その他、息子や娘の死の際には涙を流したり、ローマ教皇ハドリアヌスの訃報に接したときも悲泣したりと、大帝の感情的な面が描かれていたり(30頁)、娘たちを愛していたため誰のもとにも嫁にやろうとしなかったり(31頁)と、彼の人となりにふれられます。また、自分になじんでいた焼いた肉をやめてゆで肉を常食とするよう説得されたために、医者をほとんど敵視していたといった記述など、楽しい記述もあります。 ノトケルスの『カール大帝業績録』は、強欲な聖職者の顛末など、カール大帝のこと以外についてもいろいろと余談が多く、エピソードとしては面白い話も多いですが、構成はアインハルトの作品の方がすっきりしていて読みやすいです。(そのあたりの作品の性質については、解題にも詳しいです。) 私が専門に勉強している時代とは異なる時代ですが、有名な史料にふれることができて良かったです。先に書いたとおり、とても丁寧な作りが嬉しい一冊です。 ・西洋史関連(史料)一覧へ
2019.05.03
コメント(0)
シドニー・ラニア編(石井正之助訳)『アーサー王と円卓の騎士』 ~福音館書店、1972年~ (Sydney Lanier, The Boy’s King Arthur. Sir Thomas Malory’s History of King Arthur and his Knights of the Round Table, 1917) 訳者あとがきによれば、編者シドニー・ラニア(1842-1881)は、アメリカの詩人だそうです。本書は、ラニアが、15世紀後半にアーサー王物語を散文でまとめあげたトマス・マロリーの著作をもとに、少年向けの読みものとして、「物語の重要な点はあまさずに追い重複や反復はたくみに削って、膨大な作品を簡潔にまとめ」(あとがき5ページ目)た一冊です。 本書の構成に沿って、簡単にメモしておきます。(人名表記は本書による。) ――― 「一 アーサー王のこと」 ユーサー王の子は、魔術師マーリンに託され、さらにエクターのもとにはこばれ、アーサーと名づけられる。アーサーは、誰も引き抜くことのできなかった、鉄床に置かれた見事な剣(エクスキャリバー)を引き抜き、王となる。後に、王はグィネヴィアを妃として迎え、ユーサーから巨大な円卓を贈られる。 「二 湖水のサー・ラーンスロットのこと」 円卓の騎士の中でも最強のラーンスロットが、自身の弟も含め64人の騎士を閉じこめている城主タークィンのもとを訪れ、城主をたおす。さらに、巨人たちをたおすなどの冒険物語。 「三 オークニーのサー・ゲイレスのこと」 アーサー王のもとを訪れ、厨番として1年仕えたゲイレスが、王の許可を得て、訪れた乙女の仕える婦人を助ける旅に出かける。彼を養ったサー・ケイや、冒険の導き手となった乙女には、卑しい厨番と何度も蔑まれるが、多くの屈強な騎士を倒し、乙女にも認められる。 「四 サー・トリストラムのこと」 トリスタン・イズー物語のひとつのようです。 「五 サー・ギャラハットとサー・パーシヴァル、および聖杯探索のこと」 円卓の騎士たちが聖杯探索の旅に出る。中でもラーンスロットの子ギャラハットが活躍する。 「六 アストラットの美しい乙女のこと」 サー・ガーウェインに嫉妬した円卓の騎士の一人が、彼の毒殺を試み、別の騎士が毒殺される。王妃グィネヴィアが催した宴の最中のことで、王妃に毒殺の疑いがかけられる。王妃を疑う騎士たちに対して、サー・ボーズは王妃の無罪を主張する立場となる。そして、王妃を疑うサー・メイドーとサー・ボーズの決闘により真実を見定めようというとき、王妃の無罪を証明するためサー・ラーンスロットが決闘の場に訪れる。 「七 アーサー王の死」 サー・ガーウェインが、事故とはいえ自分の兄弟を殺したラーンスロットを憎み、王を唆してラーンスロットを宮廷から追放する。ラーンスロットを追いフランスを訪れる王やガーウェインたちだが、本国で、王の留守を任されていた男が、王を名乗り始める。本国に戻るアーサー王たちだが、王は戦いで負傷し、やがて死を迎える。 ――― だいぶ雑なメモになってしまいました…。 かつて、アーサー王物語の人名や紋章を扱ったミシェル・パストゥローの論文を紹介した際(記事はこちらとこちら)、アーサー王物語はちゃんと読んだことがない、と書いていましたが、こんにちまでずるずるきていました。このたび、図書館のリサイクル市でありがたいことに本書をいただくことができたので、まずは読んでみた次第です。 断片的な知識しかない私には、読みやすく、また訳者あとがきによれば「物語の重要な点はあまさずに追」ってくれている本書は、アーサー王物語にふれる導入としてはとても良かったと思います。 円卓の騎士というと、アーサー王を取り巻く素晴らしい騎士たち、というイメージがありましたが、サー・ケイがたしなめられながらもゲイレスを罵り続けたり、嫉妬から仲間の騎士を毒殺したりと、みながみな清廉潔白だったというわけでもないというのが発見でした。 ・西洋史関連(史料)一覧へ
2019.05.01
コメント(0)
オウィディウス(沓掛良彦訳)『恋愛指南―アルス・アマトリア―』(Ovidius, Ars amatoria)~岩波文庫、2008年~ 古代ローマの詩人、オウィディウス(プブリウス・オウィディウス・ナソ。B.C.43-A.D.17/18)による代表的な詩の邦訳です。原題を素直に訳せば『恋の技術』『恋愛術』となるところですが、そこをあえて(もちろん内容をふまえた上で)『恋愛指南』という邦題にしているのが素敵です。 本書の訳者解説にもありますが、本書は「弁論術」のもじりで、恋愛についても技術を伝授しようという意図があるようです。内容も、オウィディウス自身が本文の中に記しているように「たわむれ」で、まじめに恋愛術を伝えつつ、同時代の詩などのパロディにもなっているのですね。ギリシャ神話の逸話がふんだんに盛り込まれているので、ギリシャ神話や同時代の詩や文学作品に詳しければ、もっと楽しめただろうなぁと思います。 本書は3巻構成となっています。第1巻は、男性がいかに女性をつかまえるか、第2巻は、つかまえた女性をいかに逃さないでおくか、について技術を説いていきます。そして第3巻は、女性の側は男性をつかまえ、また逃さないためにいかにふるまうべきか、を論じています。 今から2000年も前に書かれたとは思えないくらい、現代にも通じる部分がたくさんあるのが楽しいです。たとえば…。「鹿の骨髄を混ぜたものを人のいる場でつけることも、人前で歯を磨くことも感心できない。そうすることで美しくはなるが、眼にするのは見苦しい」(109頁) ここなど、電車の中でお化粧したりする人たちを連想しますよね。 また、女奴隷にお化粧してもらいながら、女奴隷を痛めつける女主人や、今では詳細不明なゲームなどなど、当時の状況をうかがい知ることのできる描写もあって、興味深いです。 ネタとして面白かったのが、オウィディウス自身が失敗したことを書いている部分です(実際にオウィディウスがそういう失敗をしたのか、作品上のネタなのかはこの際気にしません)。オウィディウスはまるで恋愛の達人のように恋愛の技術を説いているのですが、自分がした失敗と同じ過ちをしないように、とも説きます。 その失敗というのが、「かつて逆上して、愛する女の髪をぐしゃぐしゃにして」(62頁)しまったというのですね。ところが女性には、下着を引き裂かれたと言われます(「そんなことしてないのに!」とオウィディウスは思ってるのですが…)。そこで、下着を買い換えてあげないといけなかった、というのです。なんというか、人間、今も昔も変わらないものですね…。 本書は中世の諸作品にも大きな影響を与えているということで、今回全体を通して読めて良かったです。今後勉強していく中で、なにかで本書を参照する機会も出てくるかもしれません。 また、内容的にも楽しい1冊です。(2010/09/23読了)
2010.10.16
コメント(0)
シシル(伊藤亜紀/徳井淑子訳)『色彩の紋章』(Sicille, Le blason des couleurs en armes, livrees et devises, Germain Rouze et Olivier Arnoullet, Lyon, 1528)~悠書館、2009年~ 15世紀中頃、紋章官シシルという人物によって執筆され、その後何者かの手によって増補され出版された『色彩の紋章』の全訳です。訳者の伊藤亜紀先生は15-16世紀イタリアの色彩や服飾について、徳井淑子先生は12-15世紀の色彩や服飾について、それぞれ専門にしていらっしゃいます。伊藤先生の著書は読んだことがありませんが、先月末に名古屋大学で行われた西洋中世学会でのご発表を、興味深く拝聴しました(15世紀の文化人、クリスティーヌ・ド・ピザンの自画像とその服の色に関する興味深いご報告でした)。 徳井先生の著作は、下記の3冊について記事を書いています。・徳井淑子『服飾の中世』勁草書房、1995年・徳井淑子編訳『中世衣生活誌 日常風景から想像世界まで』勁草書房、2000年・徳井淑子『色で読む中世ヨーロッパ』講談社選書メチエ、2006年 本書の構成は次のとおりです。ーーーはじめに『色彩の紋章』第1部『色彩の紋章』第2部解説1.隠れたベストセラー―「紋章指南書」から「色彩象徴論」へ(伊藤亜紀)2.博物誌の伝統と近代的な感性(徳井淑子)あとがき「色彩の紋章」第1部・註「色彩の紋章」第2部・註解説1・註解説2・註引用・参考文献ーーー 『色彩の紋章』は、たとえば前掲『色で読む中世ヨーロッパ』のなかでも、主要史料として取り上げられています。ミシェル・パストゥローが多数発表している紋章や色彩に関する議論もとうぜんかかわってくる、興味深い史料です。「解説1」でも指摘されているとおり、第1部と第2部は大きく性格を変えています。伊藤先生による解説の標題のとおり、第1部は紋章(の色)に関する議論が中心ですが、第2部では紋章色に限らず、いろんなニュアンスの色についても論じられています。 個人的には、第1部の方を興味深く読みました。紋章色には、金属色である金と銀、そして色彩の赤、青、黒、緑、そして赤紫の2グループがあります。金属色の背景に置くことのできる図柄の色は、金属色以外の色彩なのですが、パストゥローの議論でなじみ深いこの説も、この史料の中に読むことができて、興味深かったです(紋章に焦点をあてた史料を読むのは今回が初めてですし…)。 また第1部は、先の2グループの合計7色について、それらの象徴性をまとめています。たとえば、それぞれの色が対応する曜日、惑星、美徳、人生の7つの世代などなど…。そして、「わたしは人生の七つの世代を七つの色にたとえて語ったが、これは前例のないことである」(49頁)という著者の言葉も興味深かったです。なお人生の諸時期というテーマについては、以前紹介した事典の項「人生の諸時期」が参考になります。 本書は、史料自体も興味深いのですが、詳しい訳注や、二人の訳者による解説がとてもありがたかったです。史料の翻訳を刊行するのであれば、これくらいの訳注や、その史料の意義を示す解説(論考)が付されていてほしいものですね。 こちらも興味深い史料でした。(2010/07/13読了)
2010.08.09
コメント(0)
ティルベリのゲルウァシウス(池上俊一訳)『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』~講談社現代文庫、2008年~ 本書は、宮廷に仕えた聖職者、ティルベリのゲルウァシウス(1155年頃-1234年)が、タイトルどおり皇帝が余暇を楽しむために著した『皇帝の閑暇』の、第3部の全訳です。 訳者解説によれば、その第1部は、主に創世記のはじめの方の注釈となっている「宇宙論」、第2部は知りうるかぎりの地球上の地域を記述する「地理論」となっていて、邦訳された第3部が、「驚異譚」となっています。 第3部は全129章で(それぞれの章の長さは数行から20数頁とまちまち)、不思議な動植物や鉱物、「インド」の怪人たち、幽霊や悪霊の話、狼男の話など、興味深い話題が盛りだくさんです。 特に面白く読んだ2つの話について、メモしておきます。 一つは、第85章で詳しく語られるドラクスについて。ドラクスは、悪霊というか妖精というか、日本でいうところの妖怪がいちばんぴったりくるような存在です。 ドラクスは川の淵に住んでいて、金の指輪なんかに姿を変えては、それに興味をもって拾おうとする女性や子どもを川の中に引きずり込みます。特に授乳時期の女性を引きずりこんでは、自分の子どもたちの乳母にする、というのですね。物語の中では、7年でドラクスの宮殿から地上に戻ってきた乳母の証言が紹介されています。 もう一つは「カタロニアの山」と題された第66章で紹介される、悪霊の館についてです。カタロニアにある、カナグムと呼ばれる山の頂上に湖があります。そこには、常人には見ることのできない悪霊の館があるといいます。物語では、泣きやまない子どもに業を煮やして、その子を悪霊に渡してしまう農民の話が語られます。7年後、その土地のある男が、悪霊にこき使われていた男を発見します。さらに悪霊は、上述の農民の娘を育てるのも飽きたので、喜んで返すつもりだ、といいます。農民は驚き、そして娘を返してもらうのですが…。 以上、2つの話について簡単にメモしてみましたが、これらの話が面白いと思ったのは、当時のイマジネール(想像界)についての貴重な証言となっているように思われるからです。ただし、これらの「面白い話」を、学問的に分析する力は今の私にはありませんが…。 さて、本書の中で最長の第103章「ある乙女に現れ、驚異を物語り、知らせる死者」や第99章「かつて妻だった女を殺した死者」などの幽霊譚は、先日紹介しました、ジャン=クロード・シュミット『中世の幽霊』の中でも詳しく分析されています。先にシュミットの分析を読んでからオリジナルの物語にふれたので、より興味深く読むことができました。 また、シュミットはその著作の中で、幽霊譚を分析するための主要な3つの史料として、「奇蹟譚」「驚異譚」「教訓例話」の3つを挙げています。そして「驚異譚」について論じていく際、ティルベリのゲルウァシウスによる「奇蹟」と「驚異」の違いに関する見解を紹介しているのですが、その見解は本書の序に見られます。 中世ヨーロッパのめくるめく想像の世界にふれられる、興味深い史料です。(2010/07/03読了)
2010.07.22
コメント(0)
逸名作家(池上俊一訳)『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』~講談社学術文庫、2009年~ 池上先生が「仕掛け人」の、講談社学術文庫「西洋中世奇譚集」シリーズの第2弾です。もともとこのシリーズ、青土社から刊行されていたのですが(池上先生訳の『皇帝の閑暇』、有光秀行先生訳の『アイルランド地誌』の2冊があります)、講談社学術文庫にレーベルを移したのですね。『アイルランド地誌』の文庫化もぜひにと思います。 さて、本書は文庫オリジナルです。7世紀から12世紀頃に西欧で作られた、東方(インド)にまつわる3つの史料の邦訳が収録されています。 本書の構成は以下のとおりです。ーーーはじめに 「インド」の幻想I.アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙〔ラテン語〕II.司祭ヨハネの手紙(1)〔ラテン語ヴァージョン〕III.司祭ヨハネの手紙(2)〔古フランス語ヴァージョン〕訳注訳者解説主要参考文献ーーー 司祭ヨハネは、プレスター・ジョンの名で有名です。「インド」(その概念の広さについては、本書解説に詳しいです)にいると考えられた、キリスト教国の君主ですね。プレスター・ジョンについては、以前池上先生の『狼男伝説』の記事でもふれたことがありますが、福田誠先生の論文が参考になります。・福田誠「プレスター・ジョンの出現-『プレスター・ジョン伝説』(1)-」『就実女子大学史学論集』3、1988年、157-186頁・福田誠「プレスター・ジョンとモンゴル帝国-『プレスター・ジョン伝説』(2)-」『就実女子大学史学論集』4、1989年、43-82頁・福田誠「プレスター・ジョンとエティオピア-『プレスター・ジョン伝説』(3)-」『就実女子大学史学論集』6、1991年、163-195頁 本書を読んで面白かったのは、プレスター・ジョンがその(想像上の)国のトップでありながら、「司教」などの称号でなく、「司祭」なのかにふれたくだりです(ラテン語バージョン訳では、110-111頁)。想像上の国、人物でありながら凝った造形で、勉強していて面白いなぁと思います。 アレクサンドロス大王の手紙(偽文書ですが…)も面白かったです。東方に遠征しているアレクサンドロス大王の一行が、やたらめったら化け物に襲われます。サソリの群れや象、キュノケファルス(犬頭人)グリフォン、などなど…。ほとんど冒険小説を読んでいるような感じでした。 というんで、西洋中世史の「史料」ではあるのですが、あまり勉強のことは意識せず、読み物として楽しく読んだ一冊です。 (2010/05/03読了)
2010.06.02
コメント(0)
森本英夫/西澤文昭訳編『フランス中世滑稽譚』~教養文庫、1988年~ 今年になってから紹介しています、『フランス中世艶笑譚』、『フランス中世処世譚』に続く、中世ファブリオのシリーズ第3弾にして完結編です。 上述それぞれの記事でも書きましたが、ファブリオは、12世紀から14世紀にかけてさかんに作られた、「現実的主題を扱い、愚かしい行為や出来事を笑いの種にした笑い話」です(『フランス中世艶笑譚』解説の定義より)。 本書の構成は、以下のとおりです(部やそれぞれの話の連番は、便宜的に付しました)。ーーー第1部 僧侶にご用心 1.ゴンベールと二人の学僧の話 2.やきもち亭主アルールの話 3.染料に赤く染まった司祭の話 4.騎士とその妻と学僧の話第2部 愚か者あわれ 1.パリの三人の女たちの話 2.尻長のベランジェの話 3.バイユールの農夫の話 4.桑の実を食べた司祭の話第3部 頓智と奸智 1.弁舌によって天国に行った農夫の話 2.オルレアンの町人の女房の話 3.司祭と騎士の話 4.フランシスコ派修道士の下穿きの話 5.むりやりに母親をあてがわれた司祭の話第4部 臭い話 1.大道芸人ジュグレの話 2.糞の話 3.田舎のロバ引き第5部 馬鹿話 1.魔法の指輪の話 2.ゴートロンとマリオンの話あとがきーーー 第1部は、寝取られ亭主の話です(このテの話はシリーズ通してたくさんあります)。そんな中、第4話の「騎士とその妻と学僧の話」は凝っていて面白かったです。奥方に本気で恋して今にも死にそうになった学僧。ところが奥方はとても信心深い女性で、夫以外の男性に身を任せるなんて考えもしない。そして夫の妹は、学僧に恋をしている…という、なかなか惹きつけられる設定です。 第2話の中には、興味深かった登場人物のセリフがあります。それは、「恩知らずの者によくしてやっても、うらまれるのが関の山」という諺がある、というセリフです。というのは、『フランス中世処世譚』に収録された「溺れた仲間を救ってやった男の話」のなかに、次のような文章があるからです。「邪悪な心の持ち主に仕える者は、時間の損だ。罪を犯した盗人を、絞首台から助けてやったとしても、その男、一日とておまえさん方を愛さないだろうよ。いやかえって憎しみを抱くものだ。悪者というものは、善意を受けた相手に、決して感謝することなんかありゃしない」 いま引用した文章はことわざというわけではありませんし、私自身、中世のことわざを勉強していないのでさっぱりですが、同じジャンルの史料を読む中で、同じような意味の言葉を見つけられて、ちょっとテンションが上がったのでした。 第2部は、笑える話が満載です。たとえば第3話など、生きているのに、あんたはもう死んだのよと女房に言われて信じてしまい、自分のいる前で堂々と女房と司祭が交わるという、なんともまぁな話です。第2話は、毎日トーナメントに行って活躍しているといいながら、実は木に盾をぶら下げて、自分でそれを槍でぼろぼろにする男が、妻にしてやられるのですが、これもそんな馬鹿な!という設定があります。 第3部では、特に第1話が面白かったです。死亡後、悪魔も天使もその魂のところにやってこなかったので、見かけた大天使について天国に行った農夫がいました。天国で、聖ペテロや聖トマスに、お前は天国にふさわしくないぞと言われるのですが、聖書のエピソードをあげて、聖ペテロたちこそ、天国にいるにふさわしい振る舞いをしていたのか、と言い負かしてしまいます。聖書、そして使徒たちがここまでパロディ化された話があったんだなぁ、と、新鮮な発見でした。 第4部は、まるで筒井康隆さんのある種の短編みたいなむつごさがあります。そんな中、第3話は毛色が違います。これは、肥料を積んでロバを引いていた農夫が、町にやって来て、香辛料屋の前で、香辛料のにおいで気絶してしまうという話です。農夫は、肥料のにおいをかいで、意識を取り戻すのでした。 この話について、『フランス中世処世譚』でもふれた、ジャック・ド・ヴィトリの例話集にも同様の話があります。Thomas Frederick Crane, The Exempla or Illustrative Stories from the Sermones Vulgares of Jacques de Vitry, London, 1890 (reprint., BiblioLife, 2009)の例話191番です(編者クレインも、この編訳書のもとになっているファブリオ集を指摘しています)。 第5部は、2話とも見開き2頁だけの短い話で、印象に残りませんでした。 ということで、ファブリオの編訳シリーズ3冊を全て読むことができました。以前の記事にも書きましたが、私は中世史の史料といえば基本は説教や説教例話を読んでいたので、ここまで馬鹿話に徹したファブリオを読むのはとても新鮮な体験でした。単純に読み物としても面白いですし、良い読書体験でした。(2010/01/25読了)
2010.01.29
コメント(1)
森本英夫訳編『フランス中世処世譚』~教養文庫、1985年~ 以前紹介した『フランス中世艶笑譚』の続編です。 12世紀から14世紀にかけて、ファブリオというジャンルの作品がさかんに作られました。本書解説による定義は、「現実的主題を扱い、愚かしい行為や出来事を笑いの種にした笑い話」です。本書は、中世フランスで作られたファブリオのうち、処世術を読み取れる話を集めています。 本書の構成は、以下のとおりです(部やそれぞれの話の連番は、便宜的に付しました)。ーーー第1部 悪妻ならし 1.玉を抜かれた奥方の話 2.アンの旦那と女房アニューズの話 3.にわか医者 4.はさみで刈り込まれた牧場の話第2部 浮気と貞淑 1.女衒婆さんオブレの話 2.お天道様に溶かされた子供の話 3.良識の詰まった財布の話 4.長い夜の話第3部 盗みと騙し 1.三人の泥棒の話 2.頭巾をかぶった役人の話 3.山うずらの話 4.二頭の馬の話 5.司祭の牝牛のブリュナンの話 6.ブリフォの話第4部 教訓話 1.溺れた仲間を救ってやった男の話 2.外套の話 3.愚かな気前よさ 4.オントの袋の話解説ーーー 本書も楽しく、そして興味深く読みました。 特に嬉しかった(?)のは、第1部の第4話です。というのが、私が専門に勉強してきている説教例話(説教を分かりやすくするために説教の中で語られた短い物語)の中に、同じモチーフの話があるからです。こんな話です。 夫が、牧場が鎌で刈られているなぁというと、妻は、いいや、はさみで刈られたんだ、と反論して聞きません。ファブリオの方では、夫が妻を60発殴って、妻は倒れて言葉も聞けなくなりますが、それでも指でもって、はさみで草を刈るジェスチャーをするのです。私が読んだジャック・ド・ヴィトリという説教師(1240年没)の例話では、妻は舌を切られたことになっていますが、その後もジェスチャーをして夫に反対するのは共通しています。(ジャック・ド・ヴィトリの例話の編纂者クレインも、この邦訳のもとになっているファブリオ集に言及しています) 第2部の第4話は、浮気しようとした司祭が殺されて、その死体がえんえんと人々の手を渡っていく話です。自分が殺したと思われたくないから、どんどん人のところに置いていくのです。干し豚と死体を入れ替える話は、『フランス中世艶笑譚』にも見られたと思います。 先に例話の話を少し書きましたが、基本的には説教の中で語られるということで、教訓色があります。そういうわけで、第4部も興味深く読みました。物語の最後に、この話にはこういう教訓がある、という言葉が付け加えられているのです。 楽しく、自分の勉強にも結びつく、有意義な読書でした。参考)記事の中で紹介したジャック・ド・ヴィトリの例話は、Thomas Frederick Crane, The Exempla or Illustrative Stories from the Sermones Vulgares of Jacques de Vitry, London, 1890 (reprint., BiblioLife, 2009)の222番です。(2010/01/07読了)
2010.01.12
コメント(0)
森本英夫訳編『フランス中世艶笑譚』~教養文庫、1984年~ 12世紀から14世紀にかけて、ファブリオというジャンルの作品がさかんに作られました。本書解説による定義は、「現実的主題を扱い、愚かしい行為や出来事を笑いの種にした笑い話」です。本書は、中世フランスで作られたファブリオのうち、「男と女の浮き世話」を集めています。 本書の構成は、以下のとおりです(部やそれぞれの話の連番は、便宜的に付しました)。ーーー第1部 浮気の結末 1.戸棚に入れられた司祭の話 2.石を蹴ろうとした男の話 3.恋人を風呂桶に隠した女房の話 4.出歯亀司祭の話 5.ぼろ屑からとび出した小鼠の話 6.悪魔の使いエストルミーの話 7.お蔵番修道士の話第2部 夫婦の味 1.十二人の女房を欲しがった若者の話 2.ポン・シュル・セーヌの漁師の話 3.黒いふぐりの話第3部 女の口説き方 1.アルルーの粉屋の話 2.司祭と情婦アリソンの話 3.鷹を手に入れた騎士の話 4.騎士に仕返しした女の話第4部 娘の教育 1.あの話を聞くと胸の悪くなる娘の話 2.元気百倍のリスの話第5部 馬鹿話 1.男性自身を拾った三人の婦人の話 2.娘のもつ、も一つの口の話 3.伯爵の指輪を見つけた三人の女の話 4.修道士の夢 5.女の局所に祝福を与えた司教様の話 6.女の局所に話をさせる騎士の話 7.百人の騎士に愛の奉仕をした女の話解説ーーー 本書のタイトルからも想像がつくでしょうし、またいくつかのタイトルの標題にもあるとおり、下ネタ満載の物語たちです。ふだんは聖書や教父たちを数多く引用した説教や説教手引書ジャンルの史料を読んでいるので、これらの史料はなかなか新鮮でした。 記事の冒頭にはややかたいことも書きましたが、そんなこと抜きに笑える話ばかりです。 司祭や修道士といった、聖職者たちが風刺の対象となる話が多いですね。もちろん、寝取られ夫や女の悪さといった、よくあるテーマの話も多いです。 ファブリオには、聖職者や騎士のような、上の方の社会階層ばかりでなく、漁師、農民などなど、いろんな階層の人々が生き生きと描かれます(どこまで現実の状況なのか判断しかねるのが難しいところですが)。ところが、これらの物語を作ったのは、当然読み書きできる聖職者たちが中心で、物語を聴いていたのも、宮廷文学を聴いていた人々と同じだろうと森本先生は書かれています。 当然ファブリオの研究も進んでいるでしょうが、気になることがたくさん出てきました。・これらの話が同時代に果たした機能は?、・いかに作られいかに受容されたかという問題・やたら、「聖○○に誓って」という誓いの言葉が出てきますが、私が勉強していたある説教師の例話(説教を分かりやすくするための小話)には、やたら誓ってはいけないよと聖職者に叱られる女性が登場します。誓いのパロディとして、ファブリオではやたら誓う人が登場するのでしょうか。・誓いに関連して、「キリストの尻に誓って」などというとんでもない誓いの言葉もあるのですが、同時代の聖職者たちはこういう物語をどう思っていたのでしょうか。 勉強してみたいことは尽きないですね。 面白い一冊でした。(2010/01/02読了)
2010.01.09
コメント(0)
新倉俊一訳『結婚十五の歓び』(Les Quinze Joyes de Mariage)~岩波文庫、1979年~ いつものように、内容紹介、感想の順ではなく、つらつらと書こうかと思います。本書からの引用も、内容の紹介も詳しくすることにします(自分の勉強とも関わるので、メモの意味もこめて)。 本作は、中世フランス文学です。その方面で有名な、新倉先生の訳です。本作の作者、成立年代など、不明な点も多く、定説はないようですが、解説をまとめると、成立年代は14世紀末から15世紀初頭、作者は、(田舎の)聖職者であろう、というのが有力なようです。 さて、この物語は、一言でいえば(ひどい)奥さんにふりまわされる(気の毒な)旦那さん、といったところ。 内容に入る前に、タイトルについても一言。本書の構成は、序文、第一の歓び~第十五の歓び、結論、となっているのですが、序文にこのようにあります。「我身は(中略)ついぞ結婚の経験はないものの、これを経験せる者から聞いたこと、ならびにこの目で目撃したことから察するに、結婚には十五の難儀があり、しかも、結婚をなせる人々はこれを以て歓喜、快楽、至福とみなし、無双の歓びと信じ込んでいる、と考えるにいたった。しかしながら(中略)これら結婚の十五の歓びこそは、思うに地上最大の責め苦、苦悩、悲哀、不幸で」あるというのです。作者は結婚を、魚梁(やな:川魚をとるしかけの一種)にたとえているのですが、その魚梁にひっかかった者は、苦難の状態にあってもそこから出ようとせず、歓びと考えている、というのです。だから、あえて歓びと呼ぶ、と結論で言っています。 第一の歓びは、結婚してそう年月が経っていない男性に起こります。奥さんは、豪華な服を欲しがっています。夜、床につき、夫婦の営みをしたがる旦那さんですが、奥さんは具合が悪いといいます。理由を聞いてもなかなか答えてくれません。奥さんは、旦那さんがあんまり言うから答えるけれど、と、理由をいいます。旦那に言われてお祭りに行ったけれど、自分の服装が一番みすぼらしかった。決して高い服が欲しいから言うんじゃないけれど、私がみすぼらしいと、あなたのことを思えばこそ恥ずかしいのです、と。旦那さんは、家計で手一杯なのに、なんとか服を買ってあげようと、お金に苦しむことになります。 んー、書くのに時間かかりますね。あとは流しながら書くとしましょう。 第二の歓びは、奥さんがお友達や従兄弟(それが本当に従兄弟がどうかはわからないとのこと)と祭りや巡礼に行こうとする場合。第一の歓びのように、巧みに旦那さんをいいくるめます。第三の歓びは、妊娠した場合。妻はそう具合が悪くないのにとても具合が悪いように言い、お医者さんもそのようにいいますから、旦那さんは奥さんのかわりに家事で手一杯なのに加えて、奥さんを心配するあまり食事もろくにとれなくなります。ところが、旦那さんが留守にしているあいだに、友達たちが家にやってきて、当の奥さんも一緒に食事を楽しむのです。 第四の歓びは、何人か子どもができて、適齢期になった娘たちを嫁に出す場合。結婚するとき、女性は嫁資金といって、持参金を持っていかなければなりませんでしたから、出費がかさみます。これに、旦那さんは苦労することになります。 第五の歓びは、奥さんの方が身分が高い場合。ここでも奥さんは高い晴れ着をほしがり、浮気もします。 ところで私は、小説を読むときに、面白いと思ったところ、関心をもったところに付箋をはるのですが、本書には原語や言葉を説明してくれる注もついていて、勉強につながるところにも付箋をはりました。研究室の方に付箋をはっている理由を聞かれ、そのように答えたのですが、「神かけて、ジャンヌ(使用人の名前)、この私は夫から何も買ってもらえない。あの人ときたら、本当に馬鹿だ」というところから何を学んだのかとつっこまれてしまいました。笑ってしまったから貼っていたのですが。 とまれ、この奥さんのセリフは第五の歓びに登場する方のもの。旦那さん、口答えをしようものなら、奥さんの家柄の方が立派なわけですから、その話をされてしまい、逆らうことができないのです。 第六の歓びは、好人物が、若くて邪険な妻をめとった場合。奥さんはやたらと口答えをしますが、旦那さんは彼女をいたく愛していて、できる限り機嫌をとろうとするので、大変なようです。 第七の歓びは、結婚してしばらく年月が経った場合に起こります。一般論として、若い頃はまだしも、年を経るにつれて、旦那さんの精力は衰えていきます。奥さんは浮気をし、その噂が旦那さんの耳にもはいるのですが、奥さんはうまくやりこめます。 第八の歓びは、子どもがまだ小さい場合。子育てのことで、もめるわけですね。子どもが本当は元気なのに、とても弱っているという奥さんや乳母たち。旦那さんは心配しながら、いろんな仕事をして疲れるわけですが、そんなことを言おうものなら、出産のときに自分がどれだけ弱っていたか、どれだけ聖女さまたちにお祈りしたか、あなたはもうお忘れになったのね、といわれるのです。 第九の歓びは、旦那さんが年をとったり、病気なりで弱ったりしまったとき。長男はそれなりの年齢になっていて、まるで家長のようにふるまいます。家族の誰も旦那さんをいたわらないのですね。 第十の歓びは、なんかもう離婚手前までいっている事例です。 第十一の歓びは、若い貴公子が国中をふらふらしているときに、ある娘さんを妊娠させてしまった場合。娘さんの奥さんは、なんとかその男と娘を結婚させようとします。男は男で、結婚できて大喜びなのですが、結婚後にできちゃった婚だったことがばれ、両親から嘆かれてしまう、というものです。 第十二の歓びは、めちゃくちゃ尻にしかれる場合。 第十三の歓びは、旦那さんが戦争に行き、捕虜にされるなどして、しばらく帰ってこられなくなった場合。旦那さんが妻のことを強く思っているあいだにも、奥さんは夫が死んだものとして、新しい夫を見つけ、楽しんでいるのです。 第十四の歓びは、とても気立てのよい女性と結婚したものの、妻に先立たれてしまい、邪険なバツイチ女性と再婚する場合。その女性は結婚の経験があり、旦那をどう扱うかこころえているので、しばらくは本性を見せずに、夫の性質を見抜いたあと、どんどん邪険にふるまうというのです。 第十五の歓びは、願いかなって結婚したものの、相手の女性が遊び好きで、この世の快楽をむさぼるタイプだという場合です。作者によれば、これは「地上最大かつ極度の苦しみ」です。 * 結局全部紹介してしまいました…。私が専門に勉強にしている時代よりも、成立年代はあとなのですが、興味深い一次史料ですし、細かくメモをとっても困りますまい(ほとんど遊びで書いていますが)。 以上、途中から「歓び」と書くのが痛ましいほどの物語を紹介してきましたが、新倉先生は、ここに反女性主義が見られる、と指摘しています。同時に、本書は、そんな苦しみの中に入り、それを歓びと感じている愚かな男性たちへの風刺の性格をもっているとのことです。 史料として読む場合には、こういうことも考えなければなりませんが、ここではひとまず一つの物語として楽しく読みました。旦那さん気の毒だなぁ、と思いながら。 私は古本で購入しましたが、絶版になってはいません。私が通っている大学の生協にも並んでいます。
2006.02.09
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1