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東北大学の研究成果の産業化というと東洋刃物が思いつきますが、東北大学の研究成果の産業化の歴史を、以下に企業名で整理します。------------(1)東洋刃物株式会社○ 数々の特許を誇る世界一の工業用鉄鋼刃物メーカー○ トップページにある鉄と剪断技術についての文章は感動的で素晴らしい!○ 大正14年創立、国内3工場(多賀城、富谷、大阪)のほか、海外に営業拠点(ジャカルタ、香港、シンガポール、マレー)と関連会社(仁川、上海)を持つ。(2)NECトーキン株式会社○ 昭和13年、逓信省の勧奨で通信機器用金属材料国産化のため日本特殊金属株式会社設立、同年に東北大学金属材料研究所の増本博士の発明したセンダストの工業化のために設立された東北金属工業株式会社を吸収合併(東北金属工業株式会社)、1988年株式会社トーキンに変更、2002年にNEC・電子部品事業と統合、NECトーキン株式会社に社名変更。本店は仙台市太白区郡山六丁目。○ 宮城県民には昭和59年(1984年)11月テレホンカード生産の白石工場設立が懐かしい。○ 岩手県一関市、富山、栃木、兵庫などに関連会社(生産拠点)を持ち、営業網は全国展開。海外では、中国・フィリピン・ベトナム・タイなどに生産拠点をもち、営業拠点は欧米・アジアに広がっている。○ 第1回ものづくり日本大賞(2005年)受賞(3)通研電気工業株式会社○ 昭和21年東北帝大電気通信研究所の研究成果を活用したベンチャー企業として設立。昭和31年に東北電力の資本参加をうけ、電力設備運用自動化の遠隔監視制御装置をはじめ、情報伝送装置、ネットワークシステムなどの電子応用機器を開発・製造。○ 新潟を含む東北7県にネットワーク。(4)東北電子産業株式会社○ 昭和43年設立、電気計測機器、応用機器、医科用機器で世界唯一の技術を誇る。○ NEC在職中に発明60件の実績を残し特許の重要性を認識する佐伯社長が、大学と連携して研究開発に努めた。著名な発明であるケミルミネッセンス・アナライザは、東北大学電気通信研究所との産学共同研究の成果をベースに、東北大学農学部との共同研究の中で開発。○ 本社は太白区向山3丁目。利府町に工場。編集長も向山の本社二階で佐伯社長からお話を伺ったことがあります。(5)八木アンテナ株式会社○ 創業者は八木式アンテナ(八木・宇田アンテナ)の発明者である八木秀次博士。大正14(1925)年、長中波大陸間無線通信が脚光を集め、短波によるラジオ放送すらなかった当時、八木率いる東北大学電子工学科は夢物語だったマイクロ波に挑み、超短波の送受信方法を理論的に解明したが、国内学界から無視された。しかし八木の研究成果はニューヨーク高い評価を受け、先進各国では八木の指向性アンテナの原理を応用し着々とレーダーを開発。日本政府は重要性を理解できず、日本軍が占領した英国植民地シンガポールで最新のアンテナを見つけ、英兵が持っていた技術書(ニューマン・ノート)の中に"Yagi"という文字を見つけ、大変驚嘆したという逸話がある。○ 戦後、超短波利用テレビ放送の時代に八木アンテナに再び世界の脚光を集める。○ 昭和27年八木アンテナ株式会社発足、八木が初代社長。平成12年に国際電気(株)・日立電子(株)・八木アンテナ(株)が合併し、株式会社日立国際電気へ。平成16年10月分社により(新生)八木アンテナ株式会社発足。17年4月株式会社日立国際電気サービス八木システム本部を会社分割により八木アンテナ株式会社へ統合。(6)株式会社本山製作所○ 流体器機の専門メーカーですが、労働法ゼミだった私には労働争議の方が有名でした。○ 1924(大正13)年、本山重寿が本山商会を創設、冷暖房衛生工事設計に従事。東北大学金属材料研究所長本多光太郎博士の指導を受け金属ベローズ国産第1号を完成。その応用製品としてスチームトラップ、減圧弁等を商品化。1938(昭和13)年、北仙台に本社・工場を新設し、株式会社本山製作所と改組。○ 昭和60年東北大学の技術指導で半導体製造ガスプロセス用ウルトラクリーンバルブ(UCV)を開発。○ 現在本社は青葉区堤町一丁目、工場は大衡村。北京、上海にも営業拠点を持つ。また関連会社(株)モトヤマも全国展開。------------他にも、例えば東北特殊鋼株式会社(現在は村田町に本社を置き、長町の本社・工場跡地は西友のザ・モールとなった)は、東北大学の技術協力があるようです。詳しくは手が回りませんでしたが西澤潤一も言っているので、あるはず。以上、整理していても仙台・宮城の人間として誇らしく胸を張りたくなる。でも、同時にいつもながらの落胆も感じます。つい先週も、中部国際空港(セントレア)のパンフレットにで「中部圏にある企業」のページを見ますと、「中部にはメイドインジャパンを象徴する企業が数多くあります」なんて、言っている。トヨタ、ブラザー、ヤマハ、INAX、スズキ、セイコーエプソン(以上は本社所在)、三菱重工業、シャープ、三洋(以上は工場所在)、など、圧倒的です。例えば、仙台空港の振興を考えようと比較すると、背後の経済界の実力の違いに、いまさら仕方ないことと思いながらも愕然としてしまいます。中京地域の財界は、口ばかりでなく、ちゃんと金も出すでしょうし、実際に空港の経営までするのだから。比較するんじゃないぞ。はい、わかっちゃいるけど。はぁ~(ため息)宮城の産業は、仙台の商業特に卸売りにボリュームがあるものの、製造業は地場の食品関連などを除いて域内連関が薄く企業立地の波及効果も発揮しにくい。これは何十年も変わらない本県の特質だ。大学の研究成果や人材供給力が長所とされてきたが、立地企業も上滑りで地域産業に定着しない。そもそも経済界中軸がガードの堅い仙台商人たち。それでも、仙台市や県の地道な努力がジワジワと効果を発揮し、個別の領域で有力な経営者が輩出し出してきた感がある。ただ、どうもモノづくり分野ではやっぱり発展・集積は望めない。規模はともかく域内集積の厚みは山形、福島、岩手に負ける。東洋刃物のような企業があと100個あれば、と思うこともあるけれど、わが宮城県はうまい米と魚で「心豊かに」(はんだや参照)生きてきたのだ、それはそれで仕方がない。コメ本位経済だったことを誇りに思えばいい。東北大学や誘致企業が上滑り(域内経済循環につながらない)なのも当然。教科書的な産業発展モデルはあきらめて(追求する必要もない)、こうした個別分野をテコにして、都市の総合力(人材、大学、空港など)を活かして、できればコメ本位で生きてきたことを逆手に(つまり例えば「食材」です)、モノ作りか新手のサービス業か、何かわからないけどネットワークが形成されて、いつのまにか産業集積して経済が域内で活性化するという姿を目指すことになりましょう。経済資源の流動の射程距離は宮城県では狭すぎ、少なくとも近接県までは考えるべき。本県内にモノづくり集積がないことを嘆く必要はない。その時、やっぱり大学は重要な役割を果たすはずです。これまでの裸の集積が薄いだけに相対的にそうなるのですが、そういう消極的理由以上に、今後の強い武器として使えるからです。幸い、行政や大学も前向きですし、ベンチャーなどの支援体制も定着してきつつあるように思います。宮城の企業で世界に進出しているものの大半がこれら企業であることも(他には弘進ゴムとアイリスオーヤマか)、それを物語ると思います。東北大学の産学連携も、IT技術、学生ベンチャーなどを含めて、多様な展開が出て来ているようです。大学のみならず、せっかく東北の他の県都より抜きんでて成長した(それも実は他県のお陰なのですけど)大都市仙台の総合力を今こそ発揮の時。梅原市長も総合力とか伝統重視とか言う様ですが、仙台(市)という狭い料簡で伝統を論じない方が良い。田舎の雄藩のプライドに満足し安閑・無為と足引っ張りの閉鎖体質を重んじないでいただきたい。空間的には東北他県も視野に、経済主体の面ではヨソ者こそ大切にして、また気風の点でも進取や珍奇を賞賛して... 本当の政宗の気概はこうなのだろうと思うのだけど、その後が良くなかったか。(この辺は後日テーマを細分化して客観的に整理する用意あり。)ところで、これを書いている過程で、仙台市のHPの中に、起業教育・キャリア教育の教材として「仙台立志伝 仙台の起業家102人の履歴書」というのを見つけました。色んな分野の方がいて、面白いですね。自由闊達、多彩に、仙台の経済界、宮城の産業界の明日の天気図をカラッと塗り替えていただきたいです。
2006.01.31
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週末にオニコウベスキー場に家族で行きました。鬼首に向かう車中でのこと、それまでの小脳運転から、急に頭の中が活発化してしまいました。きっかけは、子どもが路傍の看板「あいおい損保」を読みあげたことです。ウン、これは全部母音だな、ほかに母音だけの言葉は... と一人頭の中で考えました。江合(川)、青江さん、青井さん、大井さん、愛さん、王(監督)...さて、そこで、母音だけの文章を考えてみましょう。オーイ、青江愛〔あおえあい=人名〕、青い良い〔いい〕家を! イエーイ! エー? 相生!? ウエー!(解釈:おーい、青江愛さん、青くて良い家を建てたんだってネ。イエーイ素晴らしい。エッ? 相生に建てたの? ウエーッ(すごいね)!)何のことやら。やっぱり無理がありますな。そんなヒマなことを考えているウチに岩出山を抜けて、鳴子町に入ったのでした。ダム沿いの国道108号線は、路面凍結もあり運転に集中です。また挑戦します。どなたか良い案があれば、どうぞご応募下さい。(仙台・宮城・東北を考える当ジャーナルと何ら関係のない記事でした。編集長謹白)
2006.01.30
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2005年の一年間の山形空港と庄内空港の利用客がともに減少したそうです。 ■山形新聞の記事2004年より山形空港の利用者数は5400人減り、庄内空港も1万1400人減少。ともに東京便利用の落ち込みが影響している。ちょっと意外だったのは、山形空港の利用客はすでに庄内空港の半分程度に落ちて、年間20万人レベル。東北では、年間100万人を越えるのは仙台、青森、秋田の3空港。次いで、福島、花巻が50万人クラス。20万人レベルだと、大館能代や三沢飛行場と同程度となります。東北では仙台、秋田と並ぶ第2種空港で、由緒ある空港ですが、近年の利用者激減は顕著です。景気低迷でビジネス需要が落ちていることは事実でしょうが、山形新幹線利用と仙台空港シフトの影響が大きいでしょう。山形新幹線開業直前の1991年には年間利用客は約70万人でした。この辺の悩みは、読売の記事が表現しています。 ■読売新聞 東北未来ナビ(2)東北9空港の動向(2006年1月14日)
2006.01.30
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今年2006年の仙台フィルの定期演奏会予定を見ると、10月の第214回に、舘野泉さんが客演するようだ。曲目は「左手のためのピアノ協奏曲」(ラヴェル)。ラヴェルの協奏曲は、ジャズを取り入れた斬新なもので、オーケストレーションも多彩。高校生のときFM放送で聞いた印象が残る(間違っていなければ、あの曲でしょう)。是非聴きたいと思っているのだが、その反面で、「舘野さんの演奏を聴きに行く」ことに少々後ろめたさも感じていた。というのは、TVのせいである。海外で演奏直後に脳溢血で倒れ、一時はピアニスト生命を断念しながら、奇跡の復帰を果たして、左手の演奏活動で活躍していることを、TV番組で見てしまったからである。以前にも何かで復活後のコンサートの映像は見ていたが、最近見たこの番組の取り上げ方が感動押し売り的だったために、答えのない自問自答に陥ってしまった。音楽としてではなく、「左手のピアニスト」というモノ珍しさや、ちっぽけな感動ほしさに、聴きたいと思っているのでないだろうか...と。(数年前のフジ子ヘミングに対する国民的ブームの際に、クラシック音楽評論の論壇の世界では賛否が沸き起こったようだ。)しかし、先日(1月26日)の毎日新聞の記事で、見事にスーッと解消した。文化欄の、渡辺浩さん(東京大学・美学芸術学)の「考える耳」。自分なりに理解すれば、次のような趣旨だ。------------○ 舘野さんの音楽の豊かさは、魂さえあれば片手でも両手でも関係ないという、ありがちなまとめには還元できない価値がある。○ すなわち、「片手でも」ではなく「片手だからこそ」の表現の豊かさがある。○ 左手用の作品の中には、片手ならではの独自の音楽表現を追求するものもある。例えばブラームスが編曲したバッハのシャコンヌ。歴史的にアルペジオは和音を同時に弾けない弦楽器が和音を分散して弾く奏法として、独自の表現世界に発達した。ピアノは同時に和音を弾けるが、舘野さんの多様なアルペジオは豊かな表現の源泉の1つになっている。○ 片手だからアルペジオを多用するのはある意味当然だが、それを超えて普通のピアノ音楽では得られない多様な表情を生み出したのだ。いわば、一種の不自由さを逆手にとって、新しい表現を引き出した。○ 我々は片手だとピアノ音楽の表現が制約されると思いがちだが、それだって、手が2本という人間の制約の範囲内でピアノ音楽を観念しているだけのこと。もし手が3本あったら、もっと違っていたはず。○ そもそも音楽は、演奏者の身体的制約と楽器の制約に関わりつつ、多様な表現を追求してきた。とすれば、片手ピアノ奏法は、3本の手による奏法と同等な意味で、未開拓な領域なのである。○ 「左手では不十分だ」という話でも、「左手だけで両手と同じ音楽ができる」という話でもないのだ。------------無理して「片手も両手も関係ない」と自分に言い聞かせる必要もない。また、片手ピアノ奏法に独自の価値を堂々と論じられる。だから、スッキリするのだ。すごく気持ちが楽になった。さらに、電子音楽と異なる「人間」の演奏の価値、また音声メディアだけで聴く音楽ではなしに、演奏者の演奏を楽しむ「演奏会」の価値、というものも改めて認識できたように思う。これで、堂々と行ける。良かった。
2006.01.29
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カツノリ遂に営業の道か!? イーグルスの2006年度公式ファンクラブの募集パンフを手にしてます。もうすぐ春だ、オープン戦だ、見ているだけでワクワクします。帰りの電車、バスの中でずーっと見ていました。 お父さん(私)はゴールドクラブ(1万円)、子どもたちはキッズクラブ(3千円)に入れようかな。 ところで。Mr.カラスコクラブというのが新設されて、何と、特製Mr.カラスコマスクが特典でもらえるという。そのマスクをかぶっている写真が、カツノリ。ついに色物扱いか。でも、絵になる。ガッツポーズ決まってるぞ。 今年は2軍の試合にも頻繁に足を運べそう。頑張れ、カツノリ。パンチ力ある捕手、岩手出身の高卒ルーキー銀次にも大いに期待しています。
2006.01.28
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ロンドンで川に迷い込んだ鯨が話題になったそうです。結局は衰弱死したのですが、救出劇をマスコミも取り上げて、見物人も多数出て大騒ぎ。思わぬ展開もあるようで、英国の動物保護団体は、鯨1頭が注目されたのに対して、日本では鯨千頭以上を殺しているとして、批判を向けているのだそうです。在ロンドン日本大使の連絡先まで紹介して抗議活動しているとか。この手の批判には、いつもながら呆れる。最近も保護団体が日本の調査捕鯨船から放水を浴びる映像が流されたが、自らわざわざ渦中に入って被害者ぶって世間の関心を呼ぶ、というよりも、後進民族東洋いじめで溜飲を下げ、啓蒙する姿に自己陶酔しているというのだから、世話がない。今は石巻市になりましたが、牡鹿半島の鮎川に行ったときに、「くじらや」で鯨のステーキを食った。(ちなみに国分町の「牡鹿半島」も学生時代から行っています。)石巻市内に住んでいた頃も、飲み屋では鯨刺身をよく食べました。捕鯨は伝統文化。最近宮城県では、民主主義が伝統文化だと言ったり、男子校が伝統文化だと言ったり、その場しのぎの都合のいい政治家の「伝統文化論」が華やかだが、そんな浮ついた馬鹿な議論とは違う。古来から大洋に乗り出し命をかけて鯨を捕らえた。食用のみならず、骨や皮まで余すところなく利用されてきた。他方で信仰や地域芸能の対象ともなった。もっとも鮎川は明治以降の大資本によるノルウェー式商業捕鯨が導入されてから本格的捕鯨基地となったのであって、和歌山県太地や南房総とは歴史が違うという面はあるかも知れない。ただ、伝統文化と言うかどうかは別にしても、地域の文化・経済の中心であることは間違いない。地域の存立の中心なるものである。絶対的価値と言っても良い。生存の基盤を取り上げてしまうには、相当の理由と覚悟がなければならない。「先進文明国」の論者にとやかく言われる筋合いは、全くないのだ。英国のキツネ狩り復活運動も、周辺の経済効果に着目した待望論が後押ししているからだと聞く。ああ、先進文明国ぶった「環境保護」「動物保護」思想の、底の浅さよ。ところで外交とは国益の調整であり、妥協が本質だという。この観点からは、国や地域の絶対的伝統文化を主張し守るという、価値を伴った議論は出てこない。あらゆる利益が相対的な度数と化して、妥協の計量の要素となってしまう。象徴的に言うならば、「拉致被害者1人が何だ。重大な国益調整こそ優先すべし」と公言した外務省に、人命の安全を期待できないのだ。人命に優る国益って何か。人命さえ相対化させる知ったかぶりの「国益」いじりオタクに任せている我が国も、行く末あやしいものだ。国民性のやさしさがアダになっている面もあろうが、自分の絶対価値を認識し主張することも、もっと必要でないか。相手を見てどうこう態度を変えるべきでない。座標軸の一点にどっかりと腰を据えて、オレはこうだ、と主張すべきはするだけのこと。だから、だ。外務省ではなく、ここは水産庁の主張に期待したい。「国益」という崇高な業務に自己満足する特権意識の職業外交官たちに、国民の真の利益を、ユメユメ任せてはいけませんぜ。真珠湾攻撃の通告を懈怠した大失態、ペルー大使館の呑気なパーティー。今更言うまでもないが。同様のことは、米国からの牛肉輸入問題(特定危険部位である背骨が混入した問題)についても言える。日本人など適当にあしらっておけ、という米国の姿勢が見え見え。政治過程論でもよく取り上げる昔の牛肉・オレンジ交渉は、旧通産省の通商外交に委ねられたが、今こそ農水省の本領発揮の場だ。頑張れニッポン! 頑張れ宮城県。越和宏も荒川静香もトリノでメダルだ!(何の事やらグチャグチャになった。)
2006.01.28
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山形県がプロ野球で活躍した故皆川睦雄さん(米沢市出身)に県民栄誉賞を贈るそうです。 ■山形県HPなお、これまでの県民栄誉賞受賞者 は、 (1)元横綱 柏戸・鏡山親方(平成9年2月4日贈呈 平成8年12月8日逝去) (2)藤沢 周平氏(平成9年3月8日贈呈 平成9年1月26日逝去) (3)大場 満郎氏(平成9年8月11日贈呈 世界初の北極海横断単独徒歩行達成後)だそうです(同HPから)。他方で、山形県の「名誉県民」を見ると、 (1) 板垣清一郎(元知事) (2) 福王寺法林(日本画家、米沢市出身)のようです。さて、東北各県をみてみましょう。なお、名誉県民と県民栄誉賞のそれぞれの意義は宮城県のところでだけ記します。他県もほぼ同じなので。■宮城県 ○名誉県民 (社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する方) 大槻文平 西澤潤一 山本壮一郎 伊藤宗一郎 ○県民栄誉賞 (文化・スポーツなどの分野で輝かしい功績を上げ、県民に敬愛され、県民に希望と活力を与えた方) 佐々木主浩 田中耕一■青森県 ○県民栄誉賞 斉藤仁 赤石光生 坂本勉 畑山隆則 齋藤春香 三浦敬三 三浦雄一郎 泉浩 伊調千春 伊調馨他県では、岩手県で新日鉄釜石ラグビー部、福島県で田部井淳子さん、など個別の情報はあるのですが、一覧が得られませんでした。全県の一覧を整理して、何か書こうと企てたのですが...息切れです。
2006.01.27
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朝6時だと、東の方の山の際から、うっすらと白んで来るようになりました。バナナのような月が皓々と光っていて、実に美しいです。突然ですが、単純な話題。「伊達」はなぜ「だて」と読むのか。「だて」は「達」の読みであって、「伊」は漢和辞典(角川新字源)で見ても訓読みの「イ」しか出ていないし。伊達政宗がローマ教皇にあてた書状には、IDATEと記されていたという。古くは伊達は「いだて」と読んだようで、それを示す文献もあるのだそうです。現在は地名も「だて」と読まれるが、日本語の脱音変化による説があるという。つまり、 ○ いばら → ばら(茨) ○ いでは → では(出羽) ○ いだく → だく(抱く)のような脱音と同様だというのです。(吉岡一男他『宮城県の不思議事典』新人物往来社、2004年)。なるほど。
2006.01.26
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余もいずれの年寄りか 片雲の風に誘はれて 漂泊の思ひやまず 海浜にさすらへ 去年の秋 江上の破屋にくもの古巣を払ひて やや年も暮れ 春立てる霞の空に 白河の関越えんと...芭蕉の奥の細道に向けた旅だちは46歳という。編集長もあと数年です。月日は百代の過客、日々旅をすみかとする芭蕉の旅への思いは計り知れないが、古来の歌枕をめぐりたい、行きかふ年に去来した古人の心をその土地に偲びたいという、熱い思いが旅情をかき立てたのでしょう。(高橋克彦の芭蕉隠密説も良いのですけど...)ところで紀行文の題名(奥の細道)にもなった「おくのほそ道」が岩切から多賀城にかけての小道であることは、われわれ仙台・宮城は、何と光栄なことでしょう。題名にするほど、芭蕉も賛辞したわけです。「おくのほそ道」とは岩切今市橋付近から多賀城の壺の碑に至る2.7キロ程度の道を指しています。5月8日雨上がりの朝に歩いたそうですが。塩釜、多賀城の歌枕を経て、松島、石巻に至ります。岩切の東光寺入り口に石碑が建っています。表面は「おくのほそ道」と、THE NARROW ROAD TO THE DEEP NORTH EASTの字句。裏面には「かの画図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に、十符の菅有」、この付近から東へ続く古道を示唆している。平成元年11月23日「おくのほそ道三百年」記念事業実行委員会・仙台市・仙台市文化事業団・河北新報社・宮城県俳句協会建立、とあります。
2006.01.25
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朝7時20分台のNHKラジオ「ニュース・アップ」を車中で聞くのですが、今日、じゃなかった昨日(月曜日)はルポライター(NHKの紹介ではノンフィクション作家)の鎌田慧さんが出ていました。 実は、雪を払ってエンジンをかけていたものの、家を出たのが7時20分を過ぎたので、ゲストの名前は聞かないまま話しぶりを聞いていたのですが、明らかに青森県か岩手県北部のアクセント、ゆっくりで丁寧な口ぶり、あれこれは誰だろうと思いながら聞いていました。 テーマは、ライブドア問題を社会経済の時勢から評論するもの。もちろん昨夜の堀江社長逮捕の前の時点です。勝ち組負け組の構図、儲ければ何をしても良い、という風潮を指摘するという感じでした。証券取引法違反という問題よりも、もっとゆるやかで大局的な視点から批評するので、経営学や経済学の学者ではないだろうな、と思いながら聞いていました。 番組の最後になって、鎌田慧さんと紹介されました。鎌田慧さんと言えば硬派の社会派ルポライターというイメージ。でも、エッ、意外でした。ルポルタージュの鋭さと、ラジオのゆったりとした丁寧な語り方とが、わざわざ「堀江社長」を「ホリエモン」と言い直すほどの丁寧さなのですが、すんなり一致しなかったからです(特に理由もないのですが)。 後で調べたら、やっぱり鎌田慧さんは青森県の出身。弘前市出身だそうです。知りませんでした。 例えば、青森県近代文学館で2004年に、特別展「陸羯南から鎌田慧へ-青森県のジャーナリストの系譜」(県近代文学館、東奥日報社主催)が開催され、この記念シンポジウムで、鎌田慧さん自身が基調講演で「青森県はジャーナリストの宝庫。その源流をつくった陸羯南と、もう一つの大きな流れとなった安藤昌益を再評価すべきだ」と指摘。羽仁もと子、澤田教一ら多彩な人物の功績を紹介し、「ジャーナリストの在り方はさまざまだが、バックボーンは反権力でなくてはならない」と締めくくったのだそうです。なるほど。 このシンポジウムに関する東奥日報の記事によると、「津軽は保守的な半面、先取の精神を持つ街で、そうした素地から気骨のある人物が生まれたのだろう」「県南では斗南藩士が各地に散らばって塾を開いたことから教育活動が盛んになり、鳥谷部春汀のような人物を生み出した」などと、本県の風土とジャーナリストのかかわりが話題になったそうです。 私は出てきた人物を全ては知りませんが、青森・津軽と聞いて、「気骨」「先取」というキーワードを出されると、もう圧倒される迫力を感じます。参りました。さすがですね、という感じ。 このキーワード、わが仙台・宮城人には、とてもじゃないが、言えません...でしょ。
2006.01.24
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久しぶりの積雪。昨夜から弱い雪が断続的に降ったようで、今(朝5時)は、5センチくらい積もったよう。今から外に出て雪かき(雪掃きという感じでしょう)をします。TVでは昨日も東京で積雪あったようです。大雪の今年、仙台のこの辺はほとんど雪がないのですが、それでもやっぱり寒さは例年以上です。今日は月曜日。今日はなかなか起きないハズで、しかも雪となれば早めに出たい親との間の苦闘が、予想されます。7時過ぎ頃がピークとなるはず。毎朝こちらは時間勝負。子どもたちがダラダラ朝食を食べたり、着替えもしないで遊んでいると、保育所に出して電車に乗る時間の迫るこちらは、だんだんイライラしてきます。ウダウダして「♪ツッパることが...」などと歌っています。子どもの記憶力は驚異的です。先日のTV「あの人は今!?」をちょっと一緒に見ただけなのに、歌を覚えてしまい、「俺ってグレイト?」(アラジン)、「♪ツッパる事が男の~たった一つの勲章...」(嶋大輔「男の勲章」)(下の子によれば「おとこのブンショウ」となるが。)などと歌っています。子供らを前に、怒ってばかりいるのも何なので、先週のいつかの日でしたが、 「♪ふざけることがコドモの~、たった1つの楽しみ~」と歌ってやったら、上の子が 「♪怒ることがオトナの~、たった1つのストレス解消~」と返しました。なるほど鋭い。下の子は最近朝の寝覚めが悪くなりました。以前は6時前に自分で起きていたのに。夜もすぐに寝ないようです。先日寝るときに(子どもは9時に寝る決まり。)質問してみました。 父「保育所でお昼寝しているのか?」 子「していないよ。」 父「寝ていないは誰?」 子「○○ちゃん、○○ちゃん...」(ほとんど起きている模様) 父「お昼寝の時間どうしているの?」 子「ヒマだから、こうしてるの」(うつ伏せでほおづえをついて見せる。) 父「まあ、人生において、ヒマがあるって良いことかもな。」と納得してしまいました。
2006.01.23
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水曜日か木曜日のこと、仕事を熱心にしたせいでもないのに疲れてダルくて、帰りの仙台駅で電車に飛び乗るのを見合わせ(移動時間10分足らずを立つのもイヤで)、次(の次?)のホーム停車中の電車に空席を探して、座って出発を待っていた。すると隣のオバ様が読んでいるのは「生協の白石さん」。売れているということは読んでいる人がいるんだな、と納得しながら、ついつい横目で何ページか読ませていただきました。この場で御礼します。さて目の前にも人が林立し混雑して来たが、まだ出発まで結構時間があり、車掌さんのアナウンスで、この列車の主要駅の到着予定時刻を説明している。疲れながらボーッと聞いていて、気づいた。アレッ?「○○駅、なな時○分」という。(実はまだそんな早い時間なのですが疲れていた。)あれまあ、「しち時○○分」とは言わないのか。JRのマニュアルでも決まっているのか、それともこの車掌さん個人の癖か。そういえば、日本語の数字の数え方には2つの系統がありますね。(A)ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお(B)いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、く(きゅう)、じゅう(A)が古来の和語で(B)が漢音由来だろうと予想が付くが、時刻や温度や分量などを言う場合は、(B)が普通でしょう。「いち時にじゅうさん分」という具合に。でも、よく考えてみると、「4」だけは、「し時」とは言わない。仙台放送の番組も「ヨジテレビ」ですし。そして、車掌さんの「7時」だが、「なな時」と「しち時」の両方がある。これも不思議だ。どちらかと言えば、「しち時」と言うのが多いように思う。確か「しち時のNHKニュースです」というはず。「なな時」は例えば田舎の祖母が言いそうだ。「シ」と「シチ」の発音のまぎわらしさを避けて慣例化したのか、「死」の連想を嫌ったのか。よくわからないが、確かに「4」と「7」が例外だ。疲れた頭で思い出したのは、チベットの数字の呼び方が日本の「イチ、ニ、サン...」と酷似しているという話。何年か前、ブータンから農業分野の技術研修で仙台に来ていた方にこの話をしたら、ブータンの言葉もそうだよ、となって少々盛り上がったことがありました。チベットと仙台の結びつきを考えると、日本の三蔵法師と言われる河口慧海(1866-1945)の文献が東北大学に残っていて、東北大学の西域の研究が進んでいるとか、というのをずーっと前にテレビで(「ふしぎ発見」だったか?)見ました。このへん全く曖昧です。あと、私の知人が独身時代ネパールを一人で旅したら、旅すがらの学校で突然「何でも良いから日本について授業をしてくれ」とせがまれた、という話を思い出した。情に厚い知人は帰国後、その学校に日本・宮城の写真など資料を郵送したそうです。すばらしい。というわけで、これ以上は、当ジャーナルの記事にもならない雑感でした。チベット、ネパール、ブータン...生きているうちに行けるものなら行ってみたいが、まあ無理でしょう。まずは体調を回復せねば。
2006.01.22
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一家で山形から行楽の帰りに、どっかで夕食をとるかという話になり、286号線沿い西多賀あたりの「半田家」(注:漢字です。)かその脇の「びっくりドンキー」にするか、車内でモメました。私は当然はんだや派。しかるに子どもたちが妻に賛成し、父親あっさり敗北。ちょっと前までは必ず父親に付いたはずなのに...それはともかくとして、妻が言うには、びっくりドンキーははんだやグループに入っているというのです。エッ本当か? 「きらら寿司」がはんだやなのは知っているが。私も仙台の多くの「元」若者と同様(?)、はんだやで育ちました。私の「はんだや」人生は、社会人になってから。学生時代は自分でコメを炊くのが安いし時間も柔軟だから、ほとんどお世話になりませんでした(徹夜明けの青葉通り「吉野家」にはよく行ったけど)。平成になる前後の頃だと思うが、国分町にも小さな「はんだや」があって、朝食はそこでご飯とカリカリの目玉焼きを食べたこともあります。これぞ仙台のシティライフと勝手に胸を張り、ゲーテに敬意を表しながら。2年ほど前、宇都宮に住む大学時代の友人から「漢字のファミレスタイプで宇都宮に出来たが、あの仙台のはんだやか」とメール連絡がありました。はんだやの現在の全国展開はすごいですね。さて、問題の「はんだや」と「びっくりドンキー」の関係です。確かに、はんだやのHP見ますと、会社概要に「ドンキー4店舗」とあります。ドンキーの運営会社は株式会社アレフですが(ドンキーの食事に出てくる竹箸の袋に社名が書いている)、主取引先にも「(株)アレフ」とあります。「びっくりドンキー」は札幌が発祥のハンバーグレストランで、今や全国に127店舗(直営112,FC161)あるそうですが((株)アレフHPによる)、そのFC展開の一部(4店舗)を株式会社半田屋が担っているようです。全然関係ないのですが、関西では「王将」が有名だそうで、学生や若者はみんな「王将」でメシを食うんだ、関西で王将に行かないヤツおらへん、と自慢する大阪の友人に連れられて関西の3泊4日くらいの楽しい旅行をした時、京都市内でだったと思いますが、ついに念願の「王将」に入りました。もう15年くらい前です。餃子を中心にしたメシ屋さんですね。何を食ったか覚えていませんが、インドネシア人のSが醤油の瓶をこぼしたのを何故か覚えています(留学生を交えて多民族混成チームで行った楽しい夏休み旅行。あのメンバー仙台にも来てくれた)。あの「王将」、仙台で言えば、もちろん「はんだや」ですね。東北の外食産業(一昔前は「中食」産業と言われた分野ですね。)で元気なものを勝手に挙げますと、 幸楽苑(前の「会津っぽ」、東証一部銘柄指定) カルラ(まるまつ、すし兵衛) アミノ(うまい鮨勘)でしょうか。がんばれ、はんだや。がんばれ東北の企業。
2006.01.21
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河北新報に出ていました。年末年始10日間(12月25日から1月3日まで)の宮城県内主要スキー場(9カ所)の入場者数は、雪不足の昨シーズンの1.5倍の79,845人だそうです。今冬の大雪と期間中天候に恵まれたことが要因ですが、過去8年間(98年から)をみると5番目。レジャーの多様化進行の影響で、増加傾向とは言えないそうです。 具体的に見ると、93年・94年が5万人台と落ち込んでいますが、99年から02年までは8万人台、特に01年は10万人を超えています。 スキー場別に、今シーズンの10日間で入場者の最も多いのは、えぼし(23,310人)、次いで、スプリングバレー、泉ケ岳が1万人を超えています。以下、セントメリー、白石、オニコウベが7千人前後で第2グループ。 私は近場ではやっぱり山形蔵王が最も好きですが(私のスキー発祥の地)、県内では、オニコウベ、セントメリー、というところです。スプリングバレーは近いですが、あまり好きではありません。 子どもが小さい頃のソリ遊びから、セントメリーにはよく行きました。車で行きやすいのと、帰りに川崎町内の食堂で「牛乳ラーメン」を食べる秘かな楽しみもあるからです(娘にも仕込んだ)。宝来食堂?だったかな。 我が家ではスキー板と靴はシーズンレンタルで借りています。といっても、私だけは別。妻が、生協のシーズンレンタルを利用すると言って、子どもたちと妻の分はそうしているのですが、特に毎年サイズが変わる子どもの場合は便利だと思います。私は、貧乏根性で「あるから良い!」と意地を張り、もう15年も前の重くて長いのでやっていますが、本当はカービングの方が楽で良いです。レンタル料は子ども9千円くらい、大人1万2千円くらいのようです。 子どもたちも意欲があるので、今年も何度か県内スキー場にも足を運ぶつもりです。妻はシーズンレンタルのモトを取る、と意気込んでいます。 東北各地域のスキー場入り込み数の推移や特徴など分析したいと思いましたが、手が回らないので後日に。 地域経済振興の立場からは、今シーズンは回復してくれれば良いですが。もっとも、利用者としては昔のような混雑がないのは歓迎すべきとも言えるのですけれど。
2006.01.20
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竹中総務大臣の私的懇談会「地方分権21世紀ビジョン懇談会」が12日に初会合をもったとの報道がありました。 目的は三位一体改革後の将来の地方分権の具体像をビッグピクチャーとして描き、それを実現する抜本的な改革案を議論するもの。検討内容としては下記のとおり。 (1) 地方の自由度の拡大のための改革(道州制を視野に入れた国と地方の役割分担の見直し等) (2) 地方の責任の明確化のための改革(破たん・再建法制の検討等) (3) 国と地方を通じた財政健全化のための改革(中期地方財政ビジョン等) (4) 地方行革の推進(地方自治体の資産・負債管理等) (5) 不交付団体の増加目標 (6) 制度の簡素化・透明化■総務省のHP関係部分 河北新報の15日の記事「自治体の破たん法制浮上」では、自治体の破たん・再建法制の導入が浮上したという観点から記事にされていた。上記の(2)に着眼したことになるでしょう。現行の再建制度(財政再建団体指定)だけではなく、もっと多様な制度を用意すべきとの観点で複数の委員から制度見直しの声が上がった、との報道である。今後、破たん法制の内容を協議するという。 ある学者の整理によれば、自治体の破たん処理法制として、大きく、現行の準用財政再建団体制度のような「行政的手法」と、民事再生法適用論のような「司法的解決」が考えられる。後者は単純化してキーワードで言えば、裁判所が関与し、債権者意思を尊重して再建計画を作成し、債務の減免ありうるなどの点で、前者と全く異なるアプローチ。 この「司法的解決」が議論される背景には、現在の制度が自治体の放漫を助長しているという基本的認識があります。言い換えれば、公的債務について暗黙の政府保証が自治体を無責任にしているというのです。 具体的には、(1)自治体の破産は想定されず、その代わりに財政再建制度(地方財政再建特別措置法)があるが、債務デフォルトはないから、市場による規律が機能していない。この点、例えば米国では自治体にも破産法制を適用することが多い(自治体財産差押えによる行政活動支障を防ぐ趣旨)。また他方で(2)地方交付税がモラルハザードを招来する。 従って、改革の方向としては、(1)自治体の破たん法制を整備し、(2)歳入の自治・自律を実現する、ということで自治体の財政規律を確保しようということになります。 この(1)の改革方向が「司法的解決」と言われる施策ですが、具体的には様々な課題もあります。 ・再生型にとどまるのか清算型倒産も可能か ・倒産状態の定義(補助金をどう扱うか) ・債権者利益と住民自治(例:債権者集会が増税決定できるか) ・行政財産に差押えが可能か などで、どこまで「司法的解決」を貫徹するのか課題があります。 いずれにしても「司法的解決」の制度化によって、暗黙の政府保証を断ち切り、シビアな自治体の財政規律を確立しようというものです。(以上、白川一郎氏(立命館大学)の著作、また三菱総合研究所資料を活用し、ODAZUMA Journal整理) 懇談会の議論の中身が、現行の再建制度(行政的手法)の段階化なのか、抜本的な司法的解決なのか、詳細はわからないが、河北新報の記述からすれば、総務省の狙いはあくまで前者の方向のようだ。これにプラスして地方債市場を通じた選別で健全化を促す観点が入るようだ。 米国のような自治体の破産を認める方向は、自治体は納税者の道具というプラグマティズムとして自然なのかも知れないし、コモンローの発想にもかなう。また、何度も破産を通じてビジネス成功者になるアメリカの経営風土とも合致するのでしょう。 しかしながら、日本の自治にこれを徹底することは、できない。 論者の真意は、自治体の破たんやデフォルト可能性を意識させることで財政運営の責任を明確化させようという点にあるのだろう。また、同趣旨の議論として、自治体の財政運営のランキング付けなどの議論もさかんになってきた。 モチーフとしては、良い。しかし、自治の論理をひっくり返すこと(裁判所や債権者が住民自治に優越する?)ことは許されません。 この点は、よもや学識者に異論ないとは思うが、自治体バッシングが世論を変な方向に導き、具体策について無理解無検討のままに破たん法制論議がムードで進行することには、一応警戒しなければならないと思っています。河北新報の見出しの付け方にも、ちょっと懸念がある。 もっとも、地方財政の現状が今のままで良いというのではなく、何らかの制度上の改革論議は必要です。ただし、公選の首長と議会という代表制をベースに情報公開や住民訴訟などの補完を伴いながら、将来の負担を含めて住民ベースで健全で自主的な財政運営を進めることが基本で、その上で財政再建制度の多様化や交付税の改革などを進めるという方向でなければなりません。そんなのきれい事だ、放漫な地方に外からタガをはめよ、という人はいるかも知れないが、現実に地方財政の歳出削減努力と住民の監視の実態をみれば、まだバラバラだけれど(地方議員と選出者の意識)、結構その方向に進みつつあると思います。古典的?な、おエライ議員さんの利益誘導政治スタイルは、まず崩壊の方向です(地獄を見る人たちも続出)。そもそも増税や地方債発行が自由でないという点で制度上縛られていますし。 それにつけても、国家財政です。地方は国の暗黙の債務保証に甘えているというけれど(制度上たしかにそう)、ならば国はどうか。歳出抑制もままならず、当然のように増税論議を持ち出す、政官財リバイアサンは、誰に甘えているのか。これはどうしましょう。
2006.01.19
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ふと気になったこと。年賀状を数多く書く、一番礼儀正しいのはどこの県か?探したら日本郵政公社の東北支社(6県を管轄)と全国ベースのプレスリリースがありました(下記サイト)。 ■東北支社報道発表資料 年賀状の元旦配達状況 ■全国のデータ 平成18年年賀郵便物元旦配達物数 これらによると、平成18年元旦の年賀郵便物配達物数は、東北支社管内で約1億2,960万通(前年同期比89.0%)、県別には以下の通り。------------ 1人あたり配達通数 1世帯あたり配達通数青森県 12通 31通岩手県 12通 35通宮城県 15通 39通秋田県 14通 38通山形県 15通 45通福島県 13通 38通計 13通 38通(全国) (16通)------------「配達数」のデータですが、配達数=出した数、と無理矢理割り切った上で、元旦に配達できるように、つまり「真面目に年内に書いた数」だとみなしましょう。本当は新年になってから書く人も多いですが、一般と混じり合うので統計がないのでしょう。とすると、やっぱり?(理由はない)、山形が多いですね。特に世帯あたりで見るとダントツ。全国データでは1人あたり16通だそうです。もっとも、対前年比の通数変化でいうと、山形は86.6%と6県中で最も落ちが激しい。この数値の高いのは90.8%の青森と福島です。全国は92.2%なので、東北地域は随分下がっているようです。全国の支社管内別をみると、数値の多い(落ちのゆるやかな)順に、北海道96.0%、東海93.7%、九州93.2%、近畿92.7%、東京92.2%、南関東92.0%、中国91.4%、関東91.0%、信越・北陸・四国90.9%、沖縄 90.0%、と来て、堂々最後が東北で89.0%です。年賀状数は何に依存するか、なぜ山形が多いのか、そしてなぜ東北は最も減少が激しいか。県民性、ビジネス需要、景気、Eメール等への転換、元旦以降に書くなど...いろいろ考えれば考えられますが、データ解釈はちょっとお手上げです。
2006.01.18
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昨夜の帰途、7時台に仙台駅の改札前の広場で「会津若松の物産展」をやっていました。店じまいなのか片づけ始めていましたが。 もう3年前ですが、平成15年の秋と冬に続けて2度会津を訪れました。1度目は、11月の上旬に会津高原へ。2度目は年末休暇に猪苗代(リステル)でスキーとプール。 私にとって会津地方と言えば、20年近く前に会津若松の友人に会いに「宮56」ナンバーのボロ車で行ったことがある程度でした。友人に市内でウナギをごちそうになり、県立博物館、喜多方でラーメン(まこと食堂)、国設猪苗代スキー場で車がスリップ、などの思い出があります。仙台出身の人は、小学校の修学旅行で野口英世と会津磐梯山が定番だそうですから、もっと身近でしょう。 さて、その3年前の秋に会津高原に行った旅なのですが、大変思い出深いものとなりました。基本は舘岩村の会津高原(たかつえスキー場)のペンション村に格安に泊まれるプラン(2泊)を妻が決めて、日程は私が決めるのですが(よくあるパターン)、簡単に行程を振り返ると次の通りでした(一部不正確かも)。○ 1日目 福島西ICから土湯経由(随分立派な道路)で猪苗代へ。子どもたち湖畔で遊ぶ。 会津若松市内で昼食(知人に教えられた、みそ田楽の店) 大内宿(国道からはずれて宿に入る道で2時間近く渋滞にはまった) 塔のへつり(娘がふざけて川に落ちないよう怒りっぱなしだった記憶アリ) 田島町経由で宿へ○ 1日目は、大内宿で時間かかったのと、地図上と実際のスケール感覚のズレで、宿に入る前に真っ暗になって、あわてて電話しようにも、当時使用のPHSは通じないという思い出もあります。会津西街道沿いから分かれた国道352号線も、細い山道があって夜の運転はちょいと怖かった。 ペンションは東京の人が運営しているそうだが、料理も良いし、朝の散歩もすがすがしかった。○ 2日目 ペンションのアドバイスもあり、一路尾瀬へ。一般立ち入りのできる最終週、ということもあり、決断。御池口から沼山まで車で入れる期間だった。沼山のトイレで子どもたちにオシッコさせて、上の子は歩かせ、下をオンブして長蔵小屋まで行ってくる。暑いくらいの好天でした。出会う人に子供たちはお利口さんネと言われ満悦。 その後、檜枝岐の町内?でそばを食べ、小豆温泉「窓明の湯」(伊南村)につかる。帰り道に、「大桃の舞台」という文化財、曲がり家の前沢集落などを見ました。見たと言っても、車を止めては子どもとチョコチョコ写真とるのが中心。この辺は、あきれる妻をヨソに、いつものパターンです。○ 3日目 帰りは、普段通らないところを通る発想で、南郷村、只見町経由、国道252号線(沼田街道)を走り、磐越自動車道へ。スケール感覚が宮城県とは違うので、結構時間がかかる。地勢や歴史を考えながら山あいの道を運転するのは、私にはこの上ない楽しみなのだが、後の方には退屈な母子が寝ている。磐梯山SAでラーメンを食べた(野外に出られるのがユニーク)のは、かなり遅い昼飯だったはず。 印象を一言でいうと、会津は奥が深い! です。猪苗代や会津若松で会津に行ったつもりでも、まだまだ福島の北の方。地理的に深いだけではなく、集落や文化など伝統の奥の深さがあるようです。 データの点で最近に気づいたのでは、さる総選挙のダントツの投票率。福島4区76%、そして90%以上の町村もある、信じられないような地域です。 ■過去の日記 今回の総選挙、宮城県の投票率の低さを考える(05年9月13日) 会津の人は情が深いとか、会津っぽとかも言われますが、関係あるのでしょうか。このようなことを、編集長はマジで考えてみるのです。 南会津地方では、合併で3月20日南会津町が誕生だそうです。 また、奥会津に行ってみたいです。夜の星空がきれいだとも聞いたし。また、新潟に抜けるのも良いか。あれこれ地図を見ながら考えています。
2006.01.17
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用もないのに仙台空港に行くことがあります。子ども連れでターミナルビルに入って展望デッキから離発着を眺めたり、牛タン・笹カマを試食したりします。 また、滑走路(3000mのB滑走路)の東側、貞山堀(正確には南貞山運河というようです)にかかる橋(北釜大橋。第一臨空公園の所)から20メートルくらい草道を歩いた地点から着陸する飛行機を眺めたり。 この運河脇のポイントから眺めると、海側から高度を下げて進入してくる飛行機を正面から迎えて、滑走路に降りる直前の飛行機をちょうど真下から仰ぎ見ることになるので、機材の大きさにもよりますが、結構迫力があります。 一度、秋の夕方の7時頃にこのポイントで眺めていたとき、着陸時間の合間の静寂のなか、薄暗い運河の方からチャポチャポと音がする。カッパでも泳いでいるのかとビックリして振り返ると、薄暗い川面にボート練習する人の姿がありました。のどかな田園風景と国際空港というミスマッチも、良いかも知れません。 さて、昨年2月開業の中部国際空港(セントレア)では、開業後半年で来港者1千万人を突破(年間目標が1千5百万人)、その6割が「空港観光」だそうです。空港見学ツアー、飲食や買い物の商店街、展望風呂など、最初から非航空系収入を積極的に見こんだトヨタ流民営空港の効果と一般に理解されているようです。 ちなみに単純な私はこの話を聞くと、どうしてもJR仙台駅の3階の「すし通り」「牛タン通り」を連想してしまいます。 空港は、文字通り空の玄関。北日本の拠点都市仙台の空の玄関です。来春にはアクセス鉄道も開業予定ですから(仙台駅と空港が17分で直結)、さらに都市との一体性が増します。仙台空港のターミナルビルは将来の航空需要伸長に対応させているため、現時点では余裕があるようです。 そこで、来客を惹きつけるような、賑わいと交流の機能も、何か工夫できないものかと思います。また、空港の本分である航空需要ももっともっと伸びるのではないかと期待しています。アクセスがスムーズになることによって、東北全体の航空需要客を仙台空港が担うとともに、需要そのものも押し上げるからです。 象徴的なケースとして、山形蔵王に全国からスキー・温泉客が集まるケースが増えると思います。 私、新年早々に仕事も放り出し、山形蔵王のゲレンデで寒さにふるえては温泉につかっていたのですが、単なる遊びでなく、実は、仙台空港の振興にむけた基礎調査という極秘の調査ミッションがあったのです。と言うのはウソですが、たまたま次のようなことがわかりました。 宿で食事していると、どうも関西の言葉が飛び交っている。お風呂で妻が聞いたところによると、ある家族は山口県から福岡空港を利用し、仙台空港からはバスで来たのだそうです。航空会社のパッケージで、往復航空券・バス・3泊の宿代をあわせて、大人1人3万円台だとか。え~、そんなに格安なのか。 ネットで、福岡発着の東北方面スキー宿泊のパッケージを探してみると、たしかに3泊4日で4万円弱のものがあります。わが一家が泊まった宿も出ています。 関西や九州の人からすれば、どうせ飛行機で行くのだから、便利な方がいいでしょう。コースが豊富で温泉街のある山形蔵王に行くとすれば、現在は福岡-山形便がないので、仙台空港に飛ぶことになります。あるパックでは、福岡空港発9時40分で仙台空港11時20分、バス(仙台バスさんの山形蔵王号)で午後2時頃に到着します。帰りは午後4時頃発、仙台空港発午後7時25分、福岡空港着9時35分。 というわけなのです。頑張ろう仙台空港。仙台という都市の玄関から、東北の玄関へ。
2006.01.16
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アインシュタインの松島での行程について、ちょっぴりわかる資料がありました。12月3日に、仙台市の公会堂で一般講演をした後、列車で松島に向かった。そして、(以下引用します) 塩釜から県庁のモーター船で松島へ。博士は建築に興味があったため、瑞巌寺、観瀾亭、雄島、五大堂を巡り、観察眼が鋭かったと当時の河北新報は報じている。 松島はことのとき、大正2年にドイツ人レルツの設計により建てたばかりのパークホテルが地上3階の威容を誇っていたはずだが、博士は白鴎楼で休憩した後、午後8時半に仙台に戻り、仙台ホテルに泊まった。(小川澄夫『新松島ものがたり』国書刊行会、平成11年、p80)博士が松島でどこを見たのか、はわかりました。今、松島では、水族館の建て替えなど観光地としての再生の議論が活発になりました。また旧松島パークホテルを見直す運動もあるようです。私としては、日本人の心象風景として古来あこがれであった八百八島という風光そのもので勝負すべきだと思うのですが、いずれにしても活発な議論はすべきでしょう。■過去の日記 ○ アインシュタインと仙台(その4)(1月4日) ○ アインシュタインと仙台(その3)(12月18日) ○ アインシュタインと仙台(その2)(12月17日) ○ アインシュタインと仙台(12月14日)
2006.01.15
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私の大好きなテレビに、「あの人は今」シリーズがあります。1月12日(木)放送の「あの人は今!? 2006新春 伝説の55人」を、先ほど明け方から録画で見ていました。アラジン、松鶴家千とせ、などなど懐かしかったですね。ところで、昔の名曲を披露するとき、スタジオのセットの前で歌う場合と、ビッグバンドを伴って歌っている場合とがありました(別時間に収録していると思われる)。最近歌番組などは全く見ていないので、ビッグバンドの演奏をTVで見るのは、本当に久しぶりです。私、実はビッグバンドの演奏を「見る」のが大好きです。30年くらい前でしょうか、NHKで土曜か日曜の夜11時頃に「きらめくリズム」があって、音楽も良いのだけれど、ビッグバンドの生演奏を、演奏者の表情や指使いがわかるように映してくれるのが、たまらかなった。当時は、ビッグバンド全盛時代だったのでしょうか、「8時だョ!全員集合」はだいたい「岡本章生とゲイスターズ」が多かった。他にも、思い出せば、ダン池田とニューブリード、小野満とスウィングビーバーズ、高橋達也と東京ユニオン、宮間利之とニューハード、など。紅白歌合戦では、紅白それぞれに別々のバンドがついたはず。単に「歌手が歌っている」というとらえ方ではなくて、音楽として楽しむなら、やっぱりバンド生演奏でなければなりません。バンドやリーダーの個性も大事にされていたように思います。ポール・モーリアやジャズとも相通じる「音楽の楽しみ方」のようなものがありました。この番組に出ているバンドは何だろう。皆さんちょっと高齢だナ、と、録画を戻しながら見ていたら、森川由加里の歌の時だったと思いますが、「指揮庄崎正訓、演奏ガッシュアウト」と出ていました。恥ずかしながら初めて聞く名前です。(編集長から)当ジャーナルの趣旨に何の関係もない話題でした。「あの人は今」で実は現在東北に住んでいるという人でもいれば、と思いましたが、誰もいませんでした。唯一東北に関係あると言えば、せんだみつおが出てきたくらいです。
2006.01.14
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今朝の折り込み広告に、サンシティのマンションの広告がありました。最近の耐震強度偽装問題で分譲業者も相当神経を使っているはずだろうと思い、どう説明しているか見てみたら、安心というテーマで、構造を説明し、「構造に関する説明会開催予定」と記載されている。「偽装はない」などと正面から書いてはいないが、ウチは当たり前にやっていますから疑問あるなら聞いてくれ、という含意だろうか。さて、この広告には「平成16年東北地区マンション供給ランキング」が紹介されており、堂々1位(17棟788戸)がこの株式会社サンシティさんということです。以下2位に穴吹工務店(515戸)、大和ハウス工業、東北大京、住友不動産、と続いています。確かに、サンシティとサーパスは近年よく見ますね。それから3位の大和ハウスも、確か北関東が本拠だったと思いますが、仙台のマンションに進出していますね。偽装問題発覚の直後に、たまたま大和ハウス工業のマンション広告で、細かく記載されている建築確認の代行業者が報道されている業者だったのを覚えています。さらに、設計者、施工業者の記載の中にも、報道された業者がありました。問題はないのだろうけれど、直後と言うことででしょうか、その時には広告に解説などはありませんでした。それにしても根の深い問題ですね。
2006.01.13
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私の住むあたりは、朝の5時過ぎ頃から雪が降り出して、うっすらと雪化粧されています。少し早めに家を出ようか。さて、昨秋に庄内を旅した際、鶴岡市内で偶然入った美術館で娘たちがちぎり絵体験をしたことがありました。■関連する日記 鶴岡でのちぎり絵体験(05年11月6日)丁寧に完成まで教えてくれた先生方にお礼もそこそこに退散した我が家一行だったため、御礼の手紙を出さねばならないと思いつつ、結局年末の休暇になってやっと出しました。当日会場で手にしたパンフに代表の方の住所とお名前があったので、これを頼りに。そうしましたら、早速、今度はその先生の作品が子どもたちあてに送られてきました。びっくりと同時に、大変ありがたくいただきました。文面にある、手作りの良さが見直されています、との言葉もそのとおりと思います。そもそも、なぜこの「体験」に飛び込んだかというと、あの日「致道館」を見学した後、向かいの美術館のような施設(鶴岡アートフォーラム)に美術好きの祖母が関心を持って入っていったところ、地元のちぎり絵サークルの展覧会がありました。体験もできるというので(本当は体験の受付時間を過ぎていたようなのですが)、指導していただいた、のでありました。年末の御礼の手紙は父代筆で出しましたが、今度は娘たちにお礼の手紙を書かせます。
2006.01.12
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先日岩手県内で岩手日報を読んだのですが、県内では平泉の2008年の世界遺産登録に向けて盛り上がっているようです。その一環としての「世界遺産に向けて 平泉への道」という記事(連載の第1回、1月7日付け紙面)を読みました。筆者は東北歴史博物館(多賀城市)の工藤館長でした。■岩手日報HP■岩手県の公式HP「平泉からHIRAIZUMIへ 世界遺産登録をめざして」 謎が多い東北の古代・中世ですが、12世紀末の平泉・奥州藤原氏の滅亡という一点だけはクリアに東北の一時代の終焉を示しているのであります。しかも、義経の存在と足跡が象徴するように、平家滅亡と頼朝の鎌倉幕府成立という日本史のエポックと、まさに全国規模でつながっています。 奥州王アテルイを顕彰する動きなどは、本当にここ数年だと思うのですが(高橋克彦さんの著作も大きい)、中央(関西)からの蝦夷征討の視点ではなく(史料の制約があるのでしょうが)、東北地域にドッカと腰を据えて見た場合に、そこにいた人・来た人が、何をしたのか、どう暮らしていたのか、を知りたいと思います。 日本人は世界にも稀な、歴史を通した一民族一国家だと教えられてきて、それはそれで良いのだけれど、関東以西中心の史観で終わるのはさびしい。セクショナリズムや一過性の優越感(ひがみ根性のウラ返し)ではなくして、私たちの住む地域とは何たるものか、私たちの祖先は何をしてきたのか、を主体的に知りたいという思いです。 こう考えると平泉の歴史と精神文化的意義は、もっともっと深く見直していくべきなのだと思います。昔々、何やら金持ちが金色堂やミイラを残したとさ、ついでにそこで弁慶が立ち往生したとさ、という程度の話ではないのであります。反省。 ところで最近気になっているのは、2月20日に誕生する「奥州市」(水沢市・江刺市・胆沢郡から金ヶ崎町を除く)の名前が定着するか、ということ。■参考(過去の日記)「北上市」という命名を50年後の今賞賛する(05年11月18日) 奥六郡を支配するため胆沢城の置かれた(とされる)水沢市が中心なので、奥州を名乗る資格はあるとは言えるのですが、奥州といえば、広義に東北全体、藩政時代で言えば陸奥国を言うと思われるので、ちょっと広すぎか。 また、「奥州藤原氏」と称される平泉との関係もあります。現在の平泉町の区域は、中世の奥六郡の外にある磐井郡(現在は西磐井郡)の区域内ですが、当時の都市としての平泉は、胆沢郡(衣川村や前沢町)にも及んでいることが徐々にわかってきているのだそうです。上記の岩手日報の工藤館長の連載では、平泉以前の蝦夷は、鎮守府(胆沢城・紫波城)と国府(多賀城)の二元的支配状況にあったのに、あえて両地域にまたがる都市平泉を造成できた藤原(清原)氏の支配力に注目しているのです(編集長の不勉強で読み方が誤っているかも知れませんが、そのような趣旨だと思います)。 とすれば、いっそのこと、一関市の合併枠組みからはずれた平泉町を、新しい奥州市で取り込んではどうか。一千年前に敢えて胆沢郡との境界にまたがって奥州の中心都市を建造した奥州藤原氏の再現。世界遺産平泉を、東北・奥州の名の下に一体的に堂々とPRもできるというもの。長期的にみれば財政的にもメリット。自治体としての一体感も... 単なるアイデアです。
2006.01.11
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「決定!全国47都道府県超ランキングバトル」というTBSの番組を見ました。1月5日夜放送なのですが、山形に行っていたので録画しておいて、昨日9日に細切れで見ました。番組独自の1万人アンケートに基づくそうですが、所々にデータ紹介や解説があって、結構楽しめました。ランキングというと、15年くらい前に一時大流行しました。『東洋経済』や『ダイヤモンド』、それと今はなくなったと思いますがPHPの『the21』とかで、よく特集がありましたね。都市化の度合という単一の座標軸で地域を並べるようにも思われがちですが、地域の固有の根強い文化風土がデータに出る場合もあって、面白いです。もちろん数値化できないデータも重要ですけど。ちなみに番組で系列各局の女子アナを並べたのは何の意味があったのか。NG集番組でもないしリポートする訳でもないので、全く不要でしょう。個人的には、TBSの迷走を示しているようで困惑。ランキングや県民性だけで十分面白いのです。他局の路線を変にまねる必要ないのに。この番組で紹介されていたものでは、「お金にシビア」ランキングのコーナーで、1位の香川県では、ガソリンスタンドのセルフ化率が全国1位というのが紹介されていました。また、3位の富山県では、持ち家率と県民所得が全国1位。5位の福井県は、世帯あたり預貯金額が全国1位で、ペットボトル飲料購入率が全国最下位。無駄をしないという文化風土だ、という解説です。アンケート項目や手法からしても科学性は高くなく、順位自体は話題程度ですが、その背景にある地域性や、日本人が社会の中で育ててきた考え方などを考えさせられる、興味深い番組でした。他には、カカア天下は大阪第1位、時間にルーズは沖縄第1位。「仙台時間」で宮城も上位に入るかと思ったら、さにあらず。さて、最後に「お人よし」ランキングのコーナーがあって、岩手県が第1位。東北の各県の順位をメモしましたが、秋田3位、青森23位、福島28位、山形31位、わが宮城が42位。おそらく宮城県は低いだろうとは思っていましたが、これだけ他県と差がつくとは。納得すべきか、嘆くべきか...
2006.01.10
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昨日(8日)に岩手県の親の家に行きました。国道4号線を北上するにつれ、積雪も多くなります。もっとも仙台周辺は日陰に残る程度ですが、宮城県北はある程度雪化粧、岩手県にはいるとやっぱり一面雪という感じです。気温もマイナス5度とか。実家のあるあたりは、もう道路以外は雪。幹線をはずれて小さい道路に入ると、両側の田畑は完全に真っ白。水墨画の世界どころか、CGの世界です。真っ白い中ただ一本の道を進む、と。色のない世界が意識と一体化して、ただ小脳で運転しているという感覚(よくわからない表現)。実家の兄によれば、朝はマイナス10度くらいになっているという。岩手県でも地域によってはマイナス20度はザラです。南北にも200キロありますから、実家のあたりと盛岡でも全然違う。今年は雪が多いようだが、私も子供の頃はこれが当たり前だったですね。月夜の晩などは、2階の窓から外を見るとまるで別世界だった。ぼーっと眺めたものです。このような真っ白けの世界は珍しかろうと思って、娘たちに外を見ろ、と言いましたが、無関心の様子。お父さんの子供の頃はな...とクドクド言うのも何なので強要はしませんでしたが。つまらないことでも、自然の諸相を眺めふける、ということを子供たちにもして欲しいと思うからです。帰りにも、上の娘に、今年は雪が多い年だと覚えておくと良いんじゃないか、自然を感じるということも良いんだぞ...などと言ってみましたが、「え、何で?」と。まあ、親が強制するものでもないし、こんな子供たちでも意外とあれこれ気づいているのかもしれないから、まあ良いか。ところで、我が家の蓄熱式暖房の2台目(小さい方)がどうも通電していないようです。故障でしょうか。最近朝が寒いと感じるのは、外気温が低いだけではなく、これも原因かも知れない。もっとも、室温が十何度という程度で騒ぐようでは、子供に「自然を感じろ」などと言う資格がないのかも。ちなみに子供たちは布団を蹴りとばして、毛布一枚で元気に寝ています。布団にくるまるのは親の方。マイナス10度の岩手県には、ひょっとすると、私はもう暮らせない?かも。情けない。残念。
2006.01.09
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グタ~ッと廃棄物のように寝ていたら下の娘が起き出したので、かいけつゾロリを見ていたら、突然画面が切り替わって、アナウンサーが映った。赤ちゃんが国立仙台病院の裏手から発見されたとか。犯人から解放するとの連絡があったのだという。東日本放送では身代金目的のため、報道を控えていたとか何とか、よく聞こえなかったが、犯人から身代金要求があったのだろうか。犯人の逮捕と事件の解明が待たれる。いずれにしても、無事保護ということは、まずは良かった。
2006.01.08
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6日朝と7日朝にそれぞれ書いた日記が、5日と6日の日記になっています。山形から携帯で書いたヤツですが。やり方がまだよくわからないのですが、仕方ないのでしょうか。
2006.01.07
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相変わらず山形です。こちらの新聞には連載で恩田さんの、「きのうの世界」というがあり、面白かった。写真も付いたミステリーて感じ。全国で何紙か連載でしょうか。 仙台でも読みたいです。
2006.01.06
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実は今一家で山形の蔵王温泉にいます。毎年スキーに来ます。と言っても蔵王は二年目ですが。 下の娘は、スクールで自信つけて姉に追いつくスピード! 山形蔵王は私のスキー発祥の地。 今年はやはり寒いですね。昨夜の食べ過ぎでまだ腹いっぱいの編集長です。
2006.01.05
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県道にある警察の電光情報板によれば、何かが7名、と出ていました。運転中にチラッと見たので、何が7名か正確ではないが、交通事故の死者数でしょうか。もし、そうだとすれば3日か4日で7名とは随分多いように思います。宮城県警のHPを今(5日の午前3時)に見ても、1月3日現在1名、と出ています。だけど、泉区などで死亡事故があって、少なくとも3件は新聞で見た記憶があるので、電光情報板の「7名」はひょっとすると死者数だったのかも、と思いを巡らしています(同じ県警情報なら、やっぱり違うか)。 痛ましい死傷事故の報道に接するたびに、運転マナーの悪さを嘆きます。歩行者の無理な飛び出しや寝込みなどを別にすれば、ほとんどの場合は運転者に「原因」があるはずです。飲酒運転は論外、スピード、信号無視、横断歩道の歩行者無視、携帯やラジオに熱中、などなど。逆に言えば、ルールとマナーを守って運転すれば、まず事故は無いはずなのに。 NHKの県内版ニュースと毎日新聞の記事に、宮城県内の昨年(05年)の交通事故死者数は138人との報道がありました。前年比8人増加だが、過去10年間で3番目に少ない。5月の多賀城市のRV車事故(高校生3人死亡)を受け撲滅運動を展開し、飲酒運転が原因の事故は前年よりも10件・8人減少と大幅に改善されたという。 東北各県の状況を見てみます。------------■東北各県の交通事故死傷者数(各県警察本部公表数値による) 05年 04年青森 79人 103人(※05年は12月27日現在)岩手 114人 115人(※)宮城 138人 130人秋田 75人 78人(※)山形 81人 77人福島 143人 162人------------総じて近年は減少傾向にあるようです。 警察庁資料で全国統計をみても、交通事故死者数は昭和45年の16,765人が最高で、平成8年に1万人を割り、平成16年(2004年)7,358人と、明らかに減少傾向にあります。平成17年(2005年)は11月末現在で6,200人前年同期比で6%の減ということです。 年齢別には、高齢層(65歳以上)が横ばい、若者(16~24歳)はここ10年で3分の1という激減です。人口変動もあるので年齢階層別に人口あたりでみると、10年前に対して高齢層は65%に、若者は45%に、それぞれ下がっています。 なお、同資料で月別統計を見ると(全国ベース)、例年12月が最多で11月が次いでいるようです。逆に最小は2月です。 かつて統計分析として、交通事故発生件数や死傷者数が何に依存するか、政策効果が説明できるか、をやったことがあります。例えば都道府県別データで回帰分析を行いモデルを作るのですが、人口、道路延長、自動車登録数などを説明変数にし、時系列データで政策効果や制度変革のダミー変数などを試してみたりしましたが、結局うまく行かなかったように思います。学生時代の話。 時系列の季節変動は説明力の高いモデルが得られそうに感じます。 また、よく聞く話として、事故発生数が月の満ち欠けと相関があるとか言われます。 時間があれば、取り組んでみたいとも思いますが、まあ当面はできないでしょう。 とりあえずデータを眺めて若干のことだけ記します。 全国最多(平成17年の11月末まで)は愛知県です。人口は全国4位(平成17年国勢調査)ですから、自動車登録台数(確認していませんが全国1位か2位でしょう)が寄与すると思います。以下、2位埼玉県(国勢調査人口は5位)。3位北海道(人口7位)は感覚的にはうなずけます。モデルで言えば道路延長が寄与するでしょうか。4位千葉県(人口6位)。5位東京(人口1位)。6位茨城(人口11位)は何でしょうか。7位大阪府(人口2位)。8位兵庫県(人口8位)。神奈川県(人口3位)・静岡県(人口10位)・福岡県(人口9位)などが続きます。これらの順位は概ね例年同じでしょう。 逆に死者数の少ない方、47位から40位までは、鳥取・高知・長崎・山梨・佐賀・沖縄・奈良・徳島ですが、人口とのバランスでは長崎(人口26位)、奈良(人口29位)、沖縄(人口32位)が特徴的です。 東北では、福島20位、宮城21位、岩手22位、青森30位、山形31位、秋田32位です。人口とのバランスで言えば宮城は少なく、福島以外の4県はやや多い、ということになりましょう。 宮城と福島で比較すれば、福島が例年多いのは、県土面積ないし道路延長や自動車登録台数によるでしょう。なお、人口は今では福島200万で宮城が235万という感じですが、20年前までは福島が東北では人口最多でしたね。今でも自動車登録台数なら150万台くらいで同程度ではないでしょうか(と思って、今、東北運輸局HPを見たら、「自動車保有台数」というのが正式のようですが、平成17年3月末現在で、福島155万台、宮城156万台でほぼ同数です)。 交通事故は誰でも被害者に(加害者にも)なりうる。近年の死者減少が「政策」の効果かどうかは冷静な分析が必要だろうが、警察や交通関係者の多方面で地道な取組みの表れであることは確かだと思います。 今後も減少を続けるようであって欲しいです。
2006.01.05
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昨日から今日にかけて暴風雪と言われましたが、この辺はほとんど影響がないです。高校サッカーは、終了間際のドラマ。インターハイ王者の青森山田は悔しい逆転負け、岩手の遠野高校は堂々8強。頑張って欲しいです。さて、突然ですが、アインシュタインの続き。ちょっと視点を変えて、アインシュタインに連なる仙台・宮城の歴史について。アインシュタイン来日の中心人物であった石原博士と仙台・宮城の関わりと言えば、東北大学と歌人原阿佐緒です。大正11年の仙台訪問の際には、石原とともにアインシュタインに会い、会話をしています。明治21年(1888年)、宮床村の裕福な家に生まれた才色兼備の阿佐緒は宮城女学校(現在の第一女子高)を経て画家を志し上京。美術学校の妻子ある教師に迫られ妊娠、自殺未遂、出産を経て、宮城学院女学校の美術教師となる(現在の宮城学院高の校章をデザインしたそうです)。他方でアララギ派歌人として歌集も出版。歌を与謝野晶子に認められ、のち斉藤茂吉や島木赤彦にも師事し、アララギの美人歌人として一躍歌壇の注目を浴びる。その後画家と結婚するが破綻、上京するが病気で帰郷。東北帝大へ赴任してきた石原は自らもアララギ派の歌人として活躍しており、大学の職も妻子も捨て、大正9年阿佐緒と結婚。これは一大スキャンダルとして報道され、阿佐緒はアララギ派破門。8年後石原は他の女に走り阿佐緒の3度目の結婚も破綻。東京や大阪の盛り場を経て、女優に転身。自伝を元にした映画に主演するも成功せず、大阪の雇われマダムなどの経歴を経て、最後は東京で次男の原保美さんご夫妻と生活したそうです。そして、昭和44年に82歳で亡くなりました。もう10年くらい前でしょうか、私は俳優の原保美さんが母をつづった短い随筆を文藝春秋だったか中央公論だったかで読んだことがありますが、原保美さんが阿佐緒の息子さんだと言うことをその時初めて知りました。その保美さんも平成9年に亡くなったそうです。阿佐緒については、私も記念館を2度ほど訪れた程度で、文学的な良さは正直言ってよくわかりません。地元出身の人に聞いたことがありますが、地元では阿佐緒については郷土の生んだ偉人として顕彰するというよりは、敬遠、触れたくない、むしろ非難するような雰囲気があったようです。たしかに、波乱に富んだ激しい人生をみれば、地域の見る目もわかるような気もします。本人も画家を志して母と一緒に上京したときには、こんな波乱を夢にも思わなかったでしょう。才能と美貌のゆえとも言えるかもしれませんが、スキャンダルが先行して、文芸人としての正当な評価が後退していたことは残念な気がします。彼女の晩年には、歌人としての彼女を見直す動きが生じて、70歳代になって、大年寺山や宮床の生家に歌碑が建てれれたようですが、波乱と非難の人生を歩んだ彼女も、最晩年は歌人としての評価を得て、救われたのかも知れません。そして、地元で顕彰する機運が生じたのはごく最近のようです。没後20年以上を経て、生家が原阿佐緒記念館として開館したのが平成2年6月です。最後にもう1つ。昭和7年に阿佐緒は自らの半生を描いた映画「佳人よ何処へ」を製作・主演した際に、阿佐緒は古賀政男に主題歌の作曲を依頼(昭和7年)しています。映画は興行に失敗しましたが、阿佐緒の直接訪問をうけて感銘した古賀が涙ながらに作った歌「あけみの歌」は名曲でヒットしたのだそうです。古賀政男もわが宮城県ゆかりの音楽家ですね。さらに言えば、アインシュタインの仙台講演を通訳した愛知敬一教授、そのご子息で後日アインシュタインを尋ねて仙台の思い出を話し合った政治家愛知揆一も忘れてはなりません。このようにアインシュタインに連なる人物が、わが仙台・宮城の歴史と深く関わっているということで、まさに時間と空間がつながっているという感じです。■原阿佐緒記念館(大和町宮床)の公式HP■過去の日記 ○ アインシュタインと仙台(その3)(12月18日) ○ アインシュタインと仙台(その2)(12月17日) ○ アインシュタインと仙台(12月14日)
2006.01.04
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今日(3日)は朝7時過ぎに、岩切の東光寺を八坂神社を訪れました。先月だと思うのですがが、東光寺裏の横穴遺跡が仙台市の文化財審議会から指定すべしとの答申があったとの新聞記事がありました(ちょっとあいまいな記憶)。政宗の仙台開府以前は、現在の仙台市内では岩切が最も栄えた場所だったという。2年前に青麻神社に初詣した際に、妻の数えの厄年でもあり(30代の方のです。)家族でおはらいをしてもらったのですが、その際に地域の歴史に関する書籍が置いてあったので読みました。宮司さんが何かの委員をされていたのでしょうか。青麻神社も千年以上の歴史があると知りました。関心を持ちながらも、調べもせずにいましたが、先月の新聞記事に促されて、すこし調べました。青麻神社は、伝によれば852年に穂積保昌が山城国から来たりて、里人に麻の栽培を教え、また一族の尊崇する三光神を清水湧く山峡の岩窟中に奉納したのが創始。中世には義経家臣の清悦仙人が霊験を顕したため祀られている。古来より中風病と海上安全の信仰があり、各地青麻神社の総本山。(青麻神社HPから)岩切地区の歴史概観(仙台市の関係資料から思い切り圧縮)。------------○平安まで 岩切周辺は縄文時代から人が住み着き(燕沢遺跡など)、弥生時代後半には豪族が成立(入生沢横穴式古墳、千人塚古墳など)、大和朝廷の確立の頃には開拓が始められ、大化の改新の後に陸奥国は中央政府の支配下に入る。8世紀には多賀城が国府・蝦夷鎮守府として東北の中心都市となるが、岩切周辺の住民も築城の労力として使われたと思われる。 また、聖武天皇の命で国ごとに国分寺が建立されたが、仙台市木ノ下の国分寺の土台の石が岩切の石とされる(「岩切」という地名の由来についての一説)。 平安時代になり征夷大将軍坂上田村麻呂は蝦夷を岩手県胆沢まで征服し、蝦夷鎮守府は胆沢に移された。この際、田村麻呂は利府の阿久玉姫の間に千熊丸をもうけた。千熊丸が沢乙の奥を歩き朝日を拝んだとされる「天拝坂」の地名が残る。なお、もともと京の人であった阿久玉が多賀城に旅立つ際に、悪人に逢ったら醜女に、善人に逢ったら美女に見えるよう観音様に祈願した。残り1里のあたりで池の水を鏡にし旅の汚れを落とし化粧をしたという(鏡ヶ池、化粧坂の伝説)。 また、この時期,「途絶(緒絶)の橋」と「十符の菅」が歌に詠まれている。十符の菅薦は後に松尾芭蕉も触れている。○鎌倉・室町 頼朝の鎌倉幕府が開かれ平泉藤原氏が滅亡すると、御家人の伊沢家影を留守職に任命(後に留守と改名)。その後の多賀城一帯は,朝廷への配慮と貧弱のためか、岩切城(高森山)を本拠地とする。 家影は京の八坂神社を分霊したが(祇園牛頭天王社)、鎮座場所が変遷、これを戦国時代伊達政宗がもともと志波彦神社のあった場所に移したのが現在の八坂神社。志波彦神社は塩釜神社に移され、その社を八坂神社境内に冠川神社として祀っている(冠川は七北田川の別名)。 仏教も陸奥国まで伝わり、現在に石仏や石碑(板碑)が多数残されている。東光寺比丘尼の板碑。また慈覚大師が夜中に作ったとされる磨崖石仏など。 南北朝の争乱の影響で、岩切城を舞台に吉良貞家と畠山高国の抗争が繰り広げました。岩切城の前衛である東光寺城(余目城)が吉良に攻撃されると、岩切城の四方の絶壁に残り少ない蕎や米を撒いて富裕を装い敵を欺いたと言う(「蕎米坂」の由来)。 室町時代には、新田開発など豊かになると冠川(七北田川)流域に市が開かれた。○戦国以降 4世紀にわたる守護大名留守氏は水沢に移る。古くは留守の家臣であった兵藤大隅俊信は、今市に移住し、新道開設と新田開墾に励み、町を宿にして献上したいと申し出たところ、伊達政宗が大いに感心し、新町取立免状を下付した。これが岩切新町(今市=新しい市場の意)であり、新田開発に携わった足軽を供養するのが耕田寺である。また支配人頭として尽力した鎌田九郎の墓が東光寺山門にあり、百文も褒美を高くした功績から「百文囲」の地名が残る。 江戸時代、岩切は塩釜・石巻に通ずる街道筋で茶店や宿で繁栄した。湯豆腐(うどんのような物)、比丘尼坂の甘酒、燕沢のはねこうさぎの民芸品、今市おこし、台ヶ原のてんのこにぎり、などが特産品だったという。------------今日の私は1人で、まず誰もいない東光寺へ。日陰には踏み固められた氷雪が残り、土も黄土色のまま凍っている。気温はマイナス2度か3度くらいだろうが、風はなく朝陽も当たるので、澄み切った冬の朝という感じ。境内から、幼稚園の遊具や鐘堂のある方の坂を歩いて登っていくと、奥は墓地になっているが、坂の途中に石仏がある。慈覚大師の石仏か。審議会が答申したという横穴群は見えなかったが、本堂の裏手で見えないのだろうか。坂から眺める七北田川の風景は意外と美しかったです。なお山門の手前の階段のところには、最近建てた石碑があり、芭蕉の「奥の細道」の名の由来として、十符の菅薦に至る道がどうとか書いている、との説明がありました。その後、八坂神社へ。どこかのおじさんが1人高級な車で参拝しに来ており、ご挨拶しました。私も、参拝。家族の安全を願う。たしかに、勉強したとおり、脇に冠川神社がありました。江戸時代なら、塩釜さまの参拝の道すがら、岩切で宿泊し大いに遊んだ人も多かったろう。参拝や旅行なんてのは一生一代の大娯楽だったのだろうし。八坂神社も東光寺も、道路を通行するときに車中から眺めるだけでしたが、地域の歴史をかみしめながら訪れるのも、また良いものだと思います。ちなみに、この付近では今市橋たもとの和洋菓子「いとうや」が有名ですね。
2006.01.03
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娘達は、「あぶり出し」の遊びに熱中しています。大晦日の前日から、我が家は妻の実家に移住し、私だけがチョコチョコ戻っている状態なのです。娘達は、おばあちゃん(妻の母)に教えられて、昨日の午後に、ミカンの汁で絵を描いたようです。それを、今日は、火鉢にあてて、何が出るか楽しみにしながら待っています。あ、これは自分のだ、とか、おばあちゃんのだ、とか。おばあちゃんには、ゆっくり見るんだよ、これが昔の遊びだから、と言われています。火鉢の火が弱いので、たしかに時間がかかります。でも、せっかちな現代です。子供にもゆとりとゆっくり待つことも教えたいです。それから、娘達は、実家にある古い「遊び歌」の本を引っ張り出して、読んで楽しんでいます。おばあさんが、保母さんとして活躍した頃に買った物だと思いますが、こういう遊び歌が好きな娘たちなので、楽しいようです。私もゆっくりとしたグータラ正月。初夢は仕事で失敗してしまった夢で、朝の3時に目が覚めてしまいました。のどがかわいて、冷水を3杯飲みました。非常にリアリティの高い夢で。ああ、ヤバイ。
2006.01.02
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年越しは妻の実家にて。娘たちと、布団に入りながらお笑い芸人GPを見ていましたが、9時前には熟睡。朝も9時まで寝ているという、グータラ正月。自宅に来たのは(近いのです。)、年賀状を取りに行くといって、実は録画しておいた昨夜の「たけしのTVタックル超常現象SP」を見るためです。毎年大晦日はコレが楽しみです。以前は「世界はこうしてダマサレタ」でしたね。わが宮城・角田出身の天才大槻先生も出ているし。内容的にはトークショーが全面に出てしまって、ちょっと、という感じもありますが、とにかく毎年続けて欲しいです。ところで、ゲストの真鍋かをりさんですが、後半からは席から消えていました。なぜでしょうか。紅白にも審査員で出ていましたけれど、こっちは録画でしょうが。正月からつまらないことで悩んでしまいました。娘達から2度も電話が来たので、もう実家にもどります。
2006.01.01
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