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本日、ネットラジオ『オールニートニッポン 巨椋修のオグラジオ』で生放送です。内容としては、子育て本で有名な明橋大二先生への電話インタビュー。さらに妖怪研究家の山口敏太郎さんをゲストにお呼びして、民俗学的見地から、ひきこもりやニートについて語っていただこうと思っております。さらに、元ひきこもりナンパ師の夏目了介さん。 うつ病で不登校・ひきこもり・ニートや、親からの虐待を経験した白井カツミさんを、パーソナリティに迎え、『不登校・ひきこもり・ニート』についてのリアルな話しを語り合いたいと思っております。お時間がある方は、ぜひお聞きください。
2007年09月28日
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なぜでしょう。なぜだか『不登校・ひきこもり・ニート』の支援団体は、他の団体を攻撃したり対立したりする場合が多いようなんですよ。(苦笑)団体だけではなく、個人同士でもそうなる場合もあるようです。まあ、それぞれに考え方があり、やり方があり、それぞれの方向性が違っていたりするからなんでしょうが、こういった支援団体の多くは、非営利であったり善意でできていたりするだけに余計に痛々しく見えてしまいます。そりぁあねえ、どんな人間にも欠点があり、どんな団体でも欠けているところがあるんでしょうけどね。なんか昔の学生運動に似ているような気がすることもあるんですよ。対立とか内ゲバとかにねえ……それぞれに自分たちの意見があって、自分たちの意見に従わない相手を攻撃するとか意見や批判は常にあるべきなんですが、その意見や批判に対しても、議論とか意見の交換をするとかではなく、人格攻撃をしてみたり、すごく視野が狭かったり……まあ人間なんだから仕方がないんでしょうけどねえ……自分や自分たちの団体があって、他の意見もあって、そこで考えてみる。意見の交換するとかを話し合う・議論をすると、言うんですが、どうもそうはならないで口ゲンカになったり、なじりあいになったりすることがあったりするようです。こういう人たちのことを日本語ではお話しにならない人・聞く耳を持たない人という表現になったりします。ハタで見ていると、ちょっとイヤだなあ、あまり関わりになりたくないなあなんて思ってしまいますね。いやいや、【人の振り見て我が振りなおせ】ですね。ぼく自身も、常に戒めておかなくては。できるなら常に話し合いができる人・聞く耳を持っている人で、ありたいものです。
2007年09月20日
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『不登校・ひきこもり・ニート』と、精神世界、つまり宗教とか心霊とか超能力と、直接関係はないんですが、ときどき『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者や関係者が、そういったモノにハマる人も多いので、ちょっと書こうと思います。基本的に、人はそういうモノにハマるように出来てる。よって、わたしはそういったモノにハマる人をバカにしないし、よほど反社会的なものでない限り否定する気はないんです。一番それがわかりやすいのが、宗教でね。人類史は、必ず宗教が密接に関係しています。それは、善きにつけ悪しきにつけ、ですね。そして宗教の本質は、盲信であり狂信である。『理屈はない。とにかく信じる』というのが、信仰というものであり、日本人のように宗教が表にでない民族では『なんとなく信じる』というのが、多いんです。人類が宗教というものを発明したのは、“目に見えない何かを畏れる”ということから始まります。最初は、自然であったのでしょう。嵐、雷、地震、火といったものは、近世までよくわからないものでした。そして、生と死。人類はそういったモノを畏れ、考え、感じ、予測したり予想したり、空想するだけの、脳ミソを持った。また、脳はときどき錯覚を起したり、幻覚・幻聴を起したりもする。ときには、集団でそういったもを感じることもある。これが宗教など、精神世界コトハジメ。さてさて、世界には三大宗教というのがあって、釈迦、イエス、ムハンマド(モハメッド)が、その教祖とされています。彼らが、そういった宗教に目覚めるのには、ひとつの共通点があるんですよ。釈迦49日、イエス40日、ムハンマド30日の断食後に、彼らは悟りなり神の声を聞いている。これが何を表しているかというと、これだけ長期間食を断つと、生命の危機が訪れる。人間という生き物は、死が近づくと、幻覚を見るという特性がある。その特性というのも、全人類にある程度共通していて、天使が迎えにきたり、お花畑を見たり、神の声を聞いたり、光りに包まれたりする。臨死体験というものがこれですな。三大宗教の教祖もこの体験をしたものと考えられる。また、こういった幻覚や幻聴は、特別な人だけでなく、わたしたちも見たりするんですね。ほとんどの人は、うたた寝をしているときに、名前を呼ばれる錯覚を起すなど、幻覚や幻聴があるものです。金縛りなんていうのも、そういったモノの一種。わたしはときどき座禅を組みますが、そのときに、光りに包まれるとか宙に浮く感覚を感じることがあります。そういった後に、何となく“悟ったと感じる気がする”ものですが、それは悟りでもなんでもなく、禅の世界では、『魔境』といって、初心者によくあることだそうです。これを、『神からの啓示』などとカン違いすると、新興宗教の教祖になる。(笑)重ねて言っておきますが、わたしは宗教等を否定していませんし、信仰をバカにする気もない。人類は、善きにつけ悪しきにつけ、そういったモノにハマる、頼るように出来ているからです。ただ、あまりにも過剰に狂信的になっている場合は考えたい。戦争や憎悪につながる場合は、いかがなものかと思います。中には、“病的”にそういった幻覚・幻聴を見たり聞いたりする人もいます。覚せい剤やアルコールなどの薬物依存症の人は、幻覚・幻聴に苦しみます。統合失調症の人もそういった幻覚・幻聴があるし、認知症の老人にも多い。その他の精神病・神経症にも、そういった症状が出る場合もあります。“霊感が鋭い”という人にもそういった傾向がありますね。「霊が見える。感じる」という人は結構いるものです。それを商売にしている人もいますね。文字通りの“霊感商法”ですが、特に反社会性がなければ、それはそれでいいんです。人には見えない・感じないものが、見えたり感じたりするというのは、統合失調症の人が、幻覚や幻聴を見たり聞いたりするのと同じなんです。わたしたちは、統合失調症の人が見たり聞いたりする、幻覚・幻聴を見たり聞いたりができない。だから、「そんな声はない」とは、言えない。周りの人は、そんな幻覚や幻聴、霊、神、悪魔などは感じないんですが、その人の脳には、そういったモノが、確実に見える。聞こえる。感じているんです。つまり、他の人には感じることも、存在することもないんですが、そういった人の脳には、確実に姿が見えたり聞こえたりしている。よって、その人には、そういったものは“ある”んです。また、医学や科学ではわかっていないことも確かにありますしね。そしてそういったモノに悩んでいるとしたら……周囲の人は、その人をバカにするのは、あまりにも“優しさが欠けた行為”ということができます。その人は、その幻覚・幻聴に苦しんでいるのですから。
2007年09月10日
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ぼくは月に一度【オールニートニッポン】というネットラジオのパーソナリティーをやっているのだけど、別の週では作家の雨宮処凛さんもやっていて、雨宮さんの番組が今回本になったんですよ。で、9月14日に新宿ロフトプラスワンというイベント会場で、トークライブをやるらしいのですね。雨宮さんとは昨年一度対談をしたことがあるのですが、彼女のイベントにはまだいったことがないので、ぼくもちょっと行ってみようと思っています。ばくはまだ、雨宮さんの本は、一冊しか読んでいないのですが『すごい生き方』という本で、とても素晴らしい本でした。雨宮さんの本のなかに【生きづらさから逃れるための10箇条】というのがあって、最後に引用させていただきます。 ★逃げる。 ★我慢しない。 ★常識を捨てる。 ★自分を責めない。自分が生きづらいのを社会などのせいにする。 ★公的、民間の機関で使えるシステム(たとえば駆け込み寺や電話相談など)を有効利用する。 ★日頃から情報収集をしておく(逃げ場所や、的確な対処方法など)。 ★同じ気持ちの仲間を探す。 ★家族と離れる。 ★病院に行く。カウンセリングを受ける。 ★自分勝手になる。うん、まったくだ。
2007年09月02日
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