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不安とは何かと申しますと、何かモヤモヤとした“恐れ”のことです。何かモヤモヤとした……というのは、ハッキリとした恐怖とは怖さとは違うんですね。例えば、町を歩いていて暴漢に襲われると思ってしまうというのは“不安”です。町を歩いていて、実際に暴漢に襲われたときの恐怖は不安とはいいません。このように不安というのは、ハッキリとしない恐怖と言えます。では“不安”は、どこから現れるのかというと、自分の心から現れるわけです。つまり、過去にあった経験や体験を元に、自分の心が“漠然とした不安という気持ち”を作り出すんです。よく「自分の将来が不安である」とか、「子どもの将来が不安」などと言いますけど、そのほとんどは、自分の心が想像したものだったりします。また不安は、自分と他人との関係性で生まれる場合が、非常に多いんです。他人とは、比較的身近の人物、例えば家族との関係であったり、数人の同僚、数人のクラスメイト、数人の親戚や、数人のご近所さんといった身近な数人です。赤面症という病気は、人と会うと顔が赤くなる神経症ですけど、誰に対しても顔が赤くなるというわけではない場合がほとんどです。例えば、赤面症の人でも、小さな子どもや赤ちゃんと話すとき、顔が真っ赤になって恥ずかしいという話を聞いたことがありません。赤面症の人は、町を歩くとき“その他大勢”の人に対して顔が赤くなるということは少ないと思います。だから空気同然の家族とかに赤くなる人はあまりいない。一人部屋の中で顔が赤くなって困るという人も、あまりいないでしょう。どうもね、赤面症など神経症の多くは、自分と他人の人間関係から生まれる“不安”が原因である場合が多いようです。もしかしたら、うつ病などもそうかも知れない。それも身近な、ほんの数人との人間関係。よく不安になりやすい人というのは、身近な人間関係がうまく行っていない人に多いようです。不安になりにくい人というのは、身近な人との人間関係が良好な人に多いようなんです。不安に対処するコツは、周囲の人とうまく付き合うということです。ストレスという言葉を最初に使用した、カナダの生理学者ハンス・セリエ(H.Selye 1907-1982)が、不安やストレスに対処する一番いい方法として次のように言っています。「隣人を愛せ、隣人から愛されよ」『不登校・ひきこもり・ニート』の人というのは、人間関係が不器用な人が多いのですが、それは逆にいうと愛され方がヘタであり、同時に愛し方がヘタな人。ということができそうです。不安な人というのは“孤独な人”であるとも言えそうです。人は周囲の人々と、うまくいっていて孤独でないなら、それほど不安を感じないですみます。不安になったとき、身近な人に相談をしたり甘えたりすることができます。しかし、身近な人に相談したり甘えたりすることができない人は、どうしても孤独になりがちです。ある意味、ひきこもり系の人というのは、もっとも孤独な人であるのかも知れません。不安は孤独を生み、孤独は不安を育ててしまいます。学校で友達がいない子どもは、不登校になりがちです。社会に不安をもっている人は、人と接したり働くことに恐怖を感じます。家族に安心できない人は、家庭内でもひきこもってしまいます。不安に対処するには、セリエ・ハンス博士が言うように「隣人を愛せ、隣人から愛されよ」であり、人を愛し、人を大切にし、人に優しくすることで、人から愛され、大切にされ、優しくされ、孤独ではなくなります。(つづく)
2008年06月30日
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※前回のネットテレビ開局に関する皆様のご意見です。=========================================Re:ネットテレビ放送局を開局しようと思っております 雪だるまんさん 開局楽しみです。具体的な諸問題の解決法を教えてもらえればいいと思います。それも一つじゃなくて複数の。(2008年06月28日 12時00分50秒)開局楽しみにしています。 tohohoさん 引きこもりの娘を持つ母親です。自分の子供 自分の親に対して、聞けない 言えないことなどそれぞれに本音を吐露できる場があれば有難いと思います。(2008年06月28日 15時10分27秒)Re:ネットテレビ放送局を開局しようと思っております ハンバーガーさん 楽しみです。いま不登校やひきこもりじゃなくても、生きるのがつらい人がたくさんあると思います。そういった人たちも、対象にしてほしいと思います。(2008年06月28日 17時09分04秒)開局を お待ちしています オテイエプさん 開局を、お待ちしています。楽しみにしています。1.調べてもらいたい事「自己評価を高くする方法」、「自己肯定感を高める方法」、「(健康な方の)自尊心を高める方法」(ちなみに、「(健康な方の)自尊心」とは、私の作った造語で表現すると、「自己尊厳感」と なります)2.意見を聞かせてもらいたい事「自己評価を高くする方法」「自己肯定感を高くする方法」「(健康な方の)自尊心を高める方法」あるいは、以上の事について、「自分は、こうして、高くする事ができた」又は、「自分は、このような、高くするのに良い助けが得られた、ありがたい応援を受けた」と、いった体験談。(2008年06月28日 17時12分52秒)家族とのコミュニケーションについて 長文さん 家族間の問題を、「家族会議」を習慣化することで解消できないかと考えています。週、月に何度かでも一家団欒する時間をきちんと取って、大事なこと、いいにくいことを話し合い、問題を解決したり、共有したりすることができれば、ずっと家族の問題も減るのではないかと思うんです。僕自身の体験談からだと、家族でのコミュニケーションがうまくいかない原因のうち、大きくウェイトをしめることとして、何かを言い合う場がないんじゃないかということ、そして、何かを伝える時はお互いのタイミングが悪く一方的な一人語り(部屋のドア越し、でかける合間、何か物事に熱中している合間)になることがあげられるように思います。つまり、どちらも相手のいうことを受け入れる準備をした上で話し合う機会がないんです。だから、表面上取れてるようで実は取れてない家族も、多いと思うんです。おぐらさんは、この意見に対してどう思いますか?また、この意見に肯定的だとしたら、どんな人でもうまくいく家族会議のルール作り(親が一方的に従わせるだけの会議になるなど)、みんながしない理由、するにはどうすればいいかについて考えて欲しいです。特に、家族間の不和が決定的である場合、問題を抱えている個人同士などが話し合ってもうまくいきませんよね)。だから、みんなが家族会議を実際行えるような形になるまで落とし込みをして欲しいのです。(2008年06月28日 19時08分54秒)楽しみです(><) なで肩の鼠さん 弱者が幸せに生きる技術のような話が聞きたいです。あと、ニートでも彼女を作る方法とかwがんばってください(><)(2008年06月28日 23時17分40秒)名前がちょっと・・・。 スキッピーさん 開局への運び、楽しみですね。「不登校・ひきこもり」という概念を社会の裏側としてではなく、この社会のひずみを警告する現象として共有する場になればと思います。あと、よく使われる「心の闇」という言葉。自分も抱えながら簡単に使うアナウンサーやコメンテーターにも見てもらいたいものですね。ただ、「生きぞこない」はちょっと違うかも・・。それではすでに死んでしまってるんじゃないでしょうか。生きているかぎり、生きぞこなってはいないのだと思いますが。(2008年06月29日 08時45分06秒)ネットテレビ放送の企画について ヒロさん 番組内で35才以上の当事者を取り上げて欲しいと思います。この齢まで来ると、就職する事も恋愛する事もかなり難しくなると思います。親が高齢化して支え切れなくなるのも間近です。このような当事者が、今後のどのようにして生き延びて行くか、若しくは死んで行くのか。働く事も恋愛する事も困難な人間が、不毛な人生の中でどのようにして自分の承認の得て行くのかを、取り上げて頂けたらと思います。あとは、秋葉原通り魔事件の事を取り上げて頂きたい。家庭、社会、雇用、性愛、コミュニケーション、共同体(セーフティーネット)の問題と絡めて番組を作って頂きたいと思います。(2008年06月29日 16時56分06秒)開局が楽しみですね。 ちょびさん こんにちは。生きぞこない(苦笑)当事者の女です。色んな生きずらさを少しでも和らげる(?)ような逃避ではない策が見つけられたらいいですね♪(2008年06月29日 17時22分01秒)開局待ち遠しいです ヤンダさん 友達の作り方。働く意欲のない人の向上心のつけ方。異性経験の少ない人のための恋愛アドバイス。ネット上のコミュニケーション講座。この国から自殺者を減らす方法論。 色々書きましたが観た人が何か一歩踏み出してみようと思うそんな放送局であってほしいと思います。(2008年06月29日 19時11分31秒)Re:ネットテレビ放送局を開局しようと思っております(06/28) 修&航ママさん こんばんは。いつもありがとうございます。インターネットの番組は誰でも観れるのでしょうか?だったら嬉しいです。私は、いろんな問題を実際に克服した方の気持ち移り変わりを知りたいです。問題を克服するまでの葛藤と言うか・・・。どんなことを悩み、どんな失敗を重ね、結果 今はこう思う・・・みたいな。うまく書けないけど・・・。よろしくお願いします。(2008年06月29日 22時21分28秒)Re:ネットテレビ放送局を開局しようと思っております Limeさん 元当事者です。http://blog.restspace.jp/archives/51341010.html自分の記事を参考として申し訳ありませんが、不登校や引きこもりといった、すでにカテゴライズされている問題だけでなく、その引き金となりそうな諸問題について実態を調べていただければと思います。(2008年06月30日 02時35分17秒)
2008年06月28日
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え~、このたびわたくし巨椋修(おぐらおさむ)はインターネットの動画番組。つまりいインターネットテレビ局を開局しようと、画策しているのです。テーマは、このブログと同じ『不登校・ひきこもり・ニートを考えるネットテレビ局』と、いうことで、テレビ局の名前を「生きぞこない放送局」と、しようと思っているのですよ。まあ、わたくしも、相当に【生きぞこなって】いるものですから。(笑)この番組は、このブログの同様のテーマを、わたくし巨椋修(おぐらおさむ)と、『不登校・ひきこもり・ニート』の経験者、支援者、関係者などで作る番組で、わたくしが、総合司会者をする予定のものです。たぶん、週に一回30分放送の予定で、放送局ホームページでは、わたしがこのブログと同様のコラムを、ほぼ毎日掲載していくということのなりそうです、そうなると、ここの「楽天ブログ」は閉鎖して、「生きぞこない放送局ブログ」にお引越しとなるかも知れません。いまのところ、どうなるわかりませんが、そのときは皆様、よろしくお願い申し上げます。さて、「生きぞこない放送局」では、皆様からのテーマや、こういったことについて調べてほしい、こういったことについて意見が聞きたいという要望に、なるべくお答えしたいと思っております。そこで、もしよろしければ、皆様のご要望をお聞かせ願えればとおもうのですが、いかがでしょうか?不登校の相談ニートやひきこもりについて心のつまづきについての対処法恋の悩み家庭の問題病気の問題借金問題なんでも結構でございます。すべてにお答えできるかどうかは不明ですが、真剣に考えさせていただきます。わたくしどもでは、わからないことも、専門家の意見を聞いたりして、皆様の苦しみに対することに、少しでもヒントになれればと思っております。コメント欄を開きますので、もし何かございましたら、ぜひ書き込んでください。コメント欄意外では、掲示板や直接メッセージをいただければと思います。お返事はできかねる場合もあるかと思いますが、必ずご一考させていただきます。では、皆様よろしくお願い申し上げます。巨椋拝※この記事は、皆様からのご意見をいただいた時点で、我々に保存”させていただいたあとに消去することになるかも知れませんことを、ご了承ください。※数多くのご意見ありがとうございました。ぜひ参考にさせていただきます。
2008年06月28日
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え~、ここのところ暗い話題が多かったので、ちょっと趣向をかえて。最近の記事からちょっと……******************************************************************************被害者遺族も死に神かと抗議 (時事通信社 - 06月25日 18:01) 13人の死刑を執行した鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した朝日新聞の記事について、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は25日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「死刑執行を望む犯罪被害者遺族も死に神ということになる。侮辱的で感情を逆なでされた」とする抗議文を、同日付で朝日新聞に送ったことを明らかにした。 抗議文で同会は「法律に従って執行を命じたにすぎない法相を非難することは、法治国家を否定することになる」と批判。記事の意図などについて同社に回答を求めた。 *******************************************************************************この記事を書いた人は、まさかこんなに叩かれるとは思っていなかったのでしょうね? わたしは【人権】とか【良識】というものは、何よりも大切と思っているんですけど、ここ10数年くらいの間に【人権】とか【良識】とか、言う人が、ほとんど信じられなくなってしまいました。 それら【人権不信】【良識不信】をわたしに与えてくれたのは、大々的に【人権】だの【良識】だの【正義】だのをのたまわっている方々でしてね。 あと、自然保護団体や動物愛護団体とか、平等とか正義とか平和とか愛とか、福祉とか教育とか、人の為とかを、のたまわっている方々。 そういった方々がいたら、申し訳ないけど【眉にツバをぬって】観るようにしています。 『不登校・ひきこもり・ニート』の支援者や支援団体にも【良識】や【人権】などを、大声で叫ぶ人や個人がたくさんあって、それは、確かに大切なことですから、いいのですけど……中には【?】マークをつけてしまいたくなる人や団体がいるもの事実です。一番おそろしいのは、やっている本人が【正しい】と思っている場合ね。 これは怖いです。 正義の味方きどりの人は、良心の呵責なく敵を殺したり傷つけたりして、平気ですからね。こわいこわい。 はい、あまり『不登校・ひきこもり・ニート』に関係のない話ですみません。ついでに、もうひとつ。今度は、もっと関係のないお話を……来月の7月2日(水)にあるトークライブに出演します。繰り返しますが『不登校・ひきこもり・ニート』とは、まったく関係ありません。ホラー系、ミステリー系のトークライブなのですが、なぜかゲスト出演をすることになりました。ホラーとかミステリーとか、専門じゃないし、なぜわたしが……と、司会の作家山口敏太郎氏に聞くと「ツッコミ役としてぜひ」ということらしいです。このメンバーは去年の暮れにやった『オールニートニッポン ニートたちの大忘年会』で、一緒にライブをやった仲間たちです。去年のトークライブでは、前半に『不登校・ひきこもり・ニート』の話をして、後半になぜかホラーの話をしたのです。そしてライブが終わったあと、打ち上げをやっていたのですが、出演者のひとりが、「いや、実はライブの途中でこの会場に、幽霊がでた」という話になりまして、さらに「わたし見た」「わたしも見た」なんていう人が続出しました。いや~、一方的な【良識】や【正義】を振りかざす人もこわいですけど、こういった話もこわいですね。いえ、ホラーの話ですから、ある意味こっちが本道なのですけど。(笑)『不登校・ひきこもり・ニート』と関係ない話ですいません。興味のある方はどうぞ。****************************************************************************阿佐ヶ谷ロフト「ナイガイミステリーサミット2008」NMR ナイガイミステリーリサーチプレゼンツ ナイガイミステリーサミット2008【NMS】ナイガイミステリーリサーチのトークイベント~7・2阿佐ヶ谷ロフトに向かってガンガン盛り上がっている。特典1 悪魔面が参戦!!ついに青梅から「死を招く悪魔面が登場!!」ゴム人間を撮影した女性(今は山口敏太郎の妖怪本舗でバイト中)が運搬係。ゴム人間と悪魔面、夢のコラボか!!特典2、会場前は「河童のまぼろし」プロモが見える会場は18時、19時から開演ですが、18時代は映画「河童のまぼろし」のプロモーションビデオが見れます。妖怪ファン、河童好き必見です。特典3 新発見・呪いの映像も登場か。全てガチ、実際に発見された呪いの映像がついに初公開。司会・解説山口敏太郎 蘇我鯨ナイガイミステリーリサーチ編集部ゲストファンキー中村島田秀平疋田紗也巨椋修いたこ28号「あっちの世界ゾーン」都市伝説広場の管理人 UFO・超常現象・国家陰謀続々!!テレビ・メディアの取材が殺到1、ステッィクカムでライブ生中継http://www.stickam.jp/2、CS放送・G+7月5日「大人館」でライブの模様が流れる。3、7月末日・TUTAYAレンタル開始「山口敏太郎Bファイル」7月末「妖怪編」8月末「江戸結界編」9月末「怪談ライブ編」レンタル開始見所1、ファンキー中村が「吉田照美を震撼させたあのネタ!披露」2、山口敏太郎が、「青梅百物語で起こった奇怪な出来事」「死を呼ぶデスマスク・悪魔面」を公開!3、島田秀平が「首都神話の最新情報を披露」4、疋田紗也が、「千葉で遭遇したゴム人間の話を披露」「横須賀取材中に遭遇した地震雲について」5、いたこ28号のボケは受けるのか!!7月2日(火) Asagaya/Loft A http://www.loft-prj.co.jp/lofta/open 18:00/ start19:00前売り¥1500 / 当日¥2000(ともに飲食代別)会場・Asagaya/Loft A
2008年06月27日
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さて、前回の少しお話したように、過干渉の親の多くは「自分が過干渉をしている」ということに気付きません。それだけその親にとって、過干渉が当たり前のことになってしまっていたり、親自身もまた、親から過干渉に育てられたか、あるいは逆に、放任されて育ったため、子どもとの距離感が掴めていないためです。また、例えば最近あった【秋葉原通り魔事件】などを見て、凶悪犯罪や、あるいは親殺しの犯罪などを見ると、犯人は親から過干渉で育てられた場合が多いことを知り、態度を改めようとする親もいます。その場合、注意しないといけないのは、往々にして、過干渉を止める=育児放棄という極端に反対の行動に出てしまうことがあります。親としては、「これまで過干渉であったのだから反省をして、子どものために過干渉を止めよう」と、考えてのことのようですが、これまで、過干渉のため自分で考えたり行動したりすることを、させてもらえなかった子どもにしてみれば、急に親から“見捨てられた”も同然ということになります。子どもはこれまで、親の過干渉によって、自立するための能力を奪われてきているのです。よって、急に見放されても、何もできなくなり、途方にくれるしかありません。それを見た親は「この子は、わたしがいないと何もできない」と、また過干渉を行うようになり、しばらくすると、「やっぱりこのままではいけない」と、過干渉を急にやめ、見放す態度に出たりします。これでは、ただいたずらに、子どもの成長を妨げ、一人前なるのを妨害しているだけになってしまいます。これら、極端から極端への行動は『アダルト・チルドレン』や『境界性人格障害』などによく見られる特徴でもあるのですが、過干渉をしてしまう場合、親自身の心理に、何らか問題を抱えていて、その心の隙間を埋めるために、子どもに対して過干渉を行ってしまうということがあります。あるいは、親自身が、いまだに大人になりきれていないゆえに、過干渉になっている場合もあります。(過干渉と関連のあるものとしては、『アダルト・チルドレン』『共依存』などがありますので、興味のある方は検索してみてください)子どもというのは、一朝一夕で大人になるものではありません。いろいろな紆余曲折、困難をぶち当たり、悩みながら、失敗を繰り返して大人になるものです。例えば、いま高校受験を控えている子どもがいるとしましょう。親は、子ども将来を考えて、なるべくいい高校に行かせたいと願っています。ところが子どもは、学校が嫌いで、中学を卒業したら、もう学校には行きたくないと思っているかも知れません。過干渉の親であれば、子どもに対して命令口調で高校へ行くことを強制するでしょう。過干渉の親の特徴として、我が子が小学生くらいまでは「子どもの心は誰よりもわたしが知っている」と、思っていることです。ところが、それは、子どもが親に合わせて“良い子”をなるべく演じているだけで、子どもは、親に喜んでもらうために、自分の心を殺しているだけのことだったりします。そして子どもが中学生くらいになって、思春期になってくると、子どもも自我が目覚めてきて、親に反抗したり、自己主張をしたりするようになってきます。親にしてみれば、これまで従順だった子どもが、あるいは子どもの心を“わかったつもり”になっていただけに、ビックリしてしまいます。これまでのように(親自身は自覚していなくても)力で、子どもの意思を押さえつけようとするか、あるいは子どもと話し合うかと悩む親も多いようです。しかし、十数年、子どもに対して行ってきた命令口調や、嫌味な態度などは、親自身に自覚がないだけに、よほど注意しないと直らないようです。そうすると、親子の話し合いをしようとしても、子どもとしてみれば、「また親がぼくに生き方を強制しようとしている」と、感じてしまい、話し合いに応じないか、あるいは、口先だけ「はいはい」と、聞いたふりをして対応してしまいがちになります。もし、このときに親が、同じように子どもに対して強制的な過干渉を行った場合、子どもは「どうせ、親はぼくの思いなんて知ろうとしないんだ」と、思ってより深く傷ついてしまいます。あるいは、親としては子どもと充分に話し合っているつもりでも、子どもが親の希望や、親の機嫌に合わせているだけで、子どもは、本当の心を話さないこともあります。では、どのように子どもと接したらいいのか?過干渉の親が無意識で行っている、上から強制するような態度を改めることです。また、過干渉をやめ、少しずつ子どもに自立するように、子どもから離れていくことです。子どもは、親に反抗したりしながらも、親を大切に思っているものです。親から本能として愛されたいと思っているのですが、同時に本能として自立して一人前になりたいと思ってもいます。親としては、急に見放すのではなく、かといって過干渉はやめて、徐々に子どもの独立を応援していくのが良いようです。ですから、先ほどの例え話、中学生の子どもが自分の進路について、悩んでいるとき、親としては、自分の考えを強制したり、過剰に干渉するのではなく、子どもの意見を充分にききつつ、悩みを共有し、話し合うことができればいいのではないでしょうか?例えば、子どもが高校に行かなくても、親としては、将来の心配もあるでしょうから、来年、再来年に高校進学の道もあること、あるいは、高認(旧大検)を受けて大学進学の道もあることを、提示したり、調べておくという方法もあります。そして親子とはいえ、親は親の人生、子は子の人生を歩むわけですから、関わりあいながらも、親離れ、子離れを、少しずつしていくことです。過干渉というのは、親が子どもに依存している状態ですので、親自身も、子どもから独立して、大人になる必要があるのかも知れませんね。
2008年06月26日
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『不登校・ひきこもり・ニート』の原因とされるもののひとつに、過保護・過干渉というものがあります。過保護も過干渉も虐待の一種とされ、場合によっては子どもを死に至らしめるようなこともあります。ある意味において、過保護・過干渉は他人の目に触れにくい場合があり、過度の体罰以上に、対処の仕方が難しいものかも知れません。では、過保護・過干渉にはどのようなものがあるのでしょうか?簡単に言いますと、子どもかすれば、口うるさい親ということになります。「早くしなさい」「ご飯をたべなさい」「牛乳を飲みなさい」「この服を着なさい」「早く寝なさい」「早く起きなさい」などなど、過剰に干渉してしまうことを言います。しかしこれらは、どこの家庭でも言われていることで、過保護・過干渉との違いは、“過度に”とか“著しく”“極度に”という言葉を付け加えればいいかも知れません。子どもの【考える力】や【やる気】を奪うくらいに“過度に”“著しく”“極度に”です。こうして過干渉で育てられた人は、自立することが困難になり、何事も親や他人のせいにしたり、精神的に大人になり切れなかったり、家庭内では暴君に、一歩外に出たら、人と上手く付き合えないようになったりします。これは考えてみれば、すぐにおわかりでしょう。何事も、自分で決断し、行動することを学習させてもらえなかったわけですから。こういうとある過干渉の親御さんは、こういいます。「そんなことはありません。わたしは子どもに、いつも自分で決断し、行動するように言ってます」しかし、よくよく聞いて見ますと、親御さんは、【親が思うとおりの決断や答え、行動をとるように、暗に子どもを誘導している】場合が少なくないのです。あるいは、あらかじめ失敗すると思いつつ「自分で決断して、やってみなさい」と、命令し、それで失敗すると「やっぱり失敗したでしょう。最初からわたしの言うことを聞けばよかったのよ」と、今後の子どもの決断や行動を鈍らせるように持って言っている場合が、多かったりします。この親の行動は、「アルコール依存症の妻」が、よくとる行動で【共依存】といいます。共依存については、ここで説明することを避けますので、知らない方は、【共依存】で検索して調べてみてください。そして、これら過保護・過干渉の親御さんの多くは、自分がそのように“過度に”干渉していることに気付いていないことが多くあります。むしろ、自分は人一倍、子どものために気を使っており大変な思いをしていると思っている場合も多いようです。なぜかというと、どうやらその親御さんも、自分の親から同じように育てられており、自分が他の親と比べて“過度に”とか“著しく”違っていることにあまり気付いていないようなのです。また、気付いていたとしても、「これは我が家の教育方針である」と、子育ての仕方を変えようととはしない場合が多いようです。このことは、体罰などの虐待をやっている親自身が「わたしも親から、殴られて育ってきた」「これは、しつけであり教育である」「人の家の教育方針に口出ししないでほしい」というのと、まったく同じ心理といえます。確かに、各家庭にそれぞれの子育ての仕方があっていいですし、他人はあまり口出しすべきではないかもしれませんが、過度の体罰と同様、過保護・過干渉も子どもの自立を奪う結果になる子育ての仕方であることは、どうやら間違いないのです。(つづく)
2008年06月25日
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前回書いた宮崎県知事の「げんこつ条例」についてのわたしの意見として、わたしが以前に書いた記事を再録させていただくことで、「子どもを叩いて育てるという教育法に対する、わたしの意見といたしたく思います。よろしければ、お読みください。=========================================『昔の日本式子育て』 巨椋修(おぐらおさむ)よくこんなことを言う人がいます。「最近、子どもへの虐待が問題になっているけど、それは最近のニュースとかで取り上げられているだけで、昔は当たり前にあったんだよ。最近の親は、子どもを甘やかして殴らなくなったから、子どもがつけ上がって、学級崩壊とかになるんだ子どもは動物と一緒なんだから殴って調教しないとダメなんだよ。いまの学校の先生はかわいそうだね。体罰禁止とかで子どもを殴れないからなあ……」これは一部のホントと、多くの間違いがあります。一部のホントとは、最近になって報道で虐待事件を取り上げるようになって、虐体が目立つようになったこと。多くの間違いとは、子どもを殴らなくなったから、子どもがつけ上がる様になったわけでもなく、学級崩壊が増えたわけではないこと。また、動物を調教するときに、殴って調教するのは素人で、高度な訓練を必要とする場合、決して暴力で動物を支配して躾たりはしないということです。(動物を調教する場合、まずが全力で動物に愛情をかけて世話をし、人間と動物が一緒になって遊び、人間と付き合うことは楽しいことだと教え込みます。警察犬、盲導犬、麻薬捜査犬などは、仕事をすると楽しいということを徹底して、教え込みます。馬などを調教する場合も同様です。そうすることで、犬や動物達は、人間と一緒に働くことが生きがいになるのです)学級崩壊などの場合、「すべてが……」というわけではありませんが、問題を起す子どもが、親から殴られて(つまり厳しくしつけられて)育てられた場合や、親による子育ての放任のため、人との協調がうまくいかなくなってしまっている場合が少なくないのです。また犯罪少年もまた、親の養育態度が、厳しく躾けられた結果(行過ぎた躾は虐待と考えられています)であったり、放任や、過保護・過干渉(これらも虐待の一種です)であるとされているのです。では、日本は昔から子どもを殴ったり、文字通り“鞭打って”育てていたかというと、歴史的に見るとそうではないのですよ。子どもを叩いたりする躾は、明治以降の西洋式子育てが伝わってからのことです。その子育て法が庶民にまで広がったのは、ひとつは明治以降の学校教育によって。そして太平洋戦争後であるとわたしは考えています。では、明治以前はどのような子育てをやっていたかというと、江戸時代後期に来日したカール・ツンベルクというスウェーデン人は、その紀行文のなかで「注目すべきことに、この国ではどこでも子どもをムチ打つことはほとんどない。子どもに対する禁止や不平の言葉はめったに聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」という日本古来の子育て法をヨーロッパに伝えています。さらに明治維新後、すぐに来日したアメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モースは、大森貝塚の発掘や、日本の文化を写真におさめたり、民具を収集したりしたことで知られている人ですが、その紀行文である『日本その日その日』にこう書いています。「また私は、いままでのところ、お母さんが赤坊に対してかんしゃくを起こしているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にいないと確信する」 「いろいろなことがらのなかで外国人の筆者たちがひとり残らず一致することがある。それは日本が子どもたちの天国だということである。この国の子どもたちは親切に取り扱われるだけでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく(中略)日本の子どもたちが受ける恩恵と特典から考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかし世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること日本の子どもほどのものはいない」と、書き残しています。ここで二人の西洋人が述べているのは、「子どもに体罰を与えない」「親がかんしゃくを起すことはめったにない」「一見、甘やかしているようであるが、日本の子どもは、両親を敬愛し、老人も尊敬している」ということでした。明治時代、日本が見習った西洋式教育法というのは、キリスト教式の教育法で、それがどのようなものであるかというと、旧約聖書にはこうあります。「まだ望みのあるうちに、あなたの子を打ち懲らせ」(箴言19章18節)「あざける者をあなたは打つべきである。それは経験のない者が明敏な者となるためである」(箴言19章25節)これがキリスト教的教育法。(他にも子どもを鞭打てという文言があったと思うのですが、いまちょっと思い出せない)欧米に比べると、日本における凶悪犯罪の少なさは、こういった子どもを可愛いがる日本文化と、子どもを家畜のように鞭打って躾る西洋文化にあるのではないかと言う識者は、多くいます。かつて、子どもに暴力を振るうことが少なく、そうやって育てられた子どもは、親や老人を敬愛し、尊敬していた文化は、だんだんと消えつつあるように思えます。人間は、幼少期・少年期に親や周囲の人に愛され、可愛がられることによって、他人を信用し、うまくコミュニケーションできるようになり、愛し愛されることが出来るようになると言われています。体罰よりも愛を暴力より安心を愛や安心や平和を育んでほしいと思っています。そしてかつて、親から体罰や虐待、暴力を振るわれた人も、自分が同じことをくり返すのではなく、愛情を持って子どもや、他の多くの人たちに接してほしいと思いますね。
2008年06月23日
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前回、わたしの「宮崎県知事によるげんこつ条例をどう思うか?」という問いに対して、たくさんのコメントをありがとうございました。大変、参考になりました。このページが「『不登校・ひきこもり・ニート』がテーマであり、わたし自身も、体罰反対を表明していたせいでしょうか。体罰や条例賛成のコメントはありませんでした。ほんとうは、賛成派の人たちはもっと多いと思うのですが……みなさんのコメントは、以下に掲載させていただきます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。==========================================Re:げんこつ条例について考える(06/21) nakkoro-rinさん 自分の体験では、学校時代にぶたれた事は1度。高校3年の時、掃除をサボって駅まで30分かかる道のりを必死にたどり着いた時、担任が来るまで駆けつけたのです。駅に。田舎道を走ってふけた私達を見ていたんですね。車で連れて学校に戻り、並んで「ばしっ」と定規で頭を叩かれました。私は当時親は転勤で遠方地に。下宿をしていて洗濯したかったので早く帰りたかったのです。しかし、その体罰は自分で納得できたものでしたので、いい思い出として残っています。愛ある体罰はよい場合もあると思いますが、確かに線引きが出来ませんよね。(2008年06月21日 01時36分05秒)↑の間違い nakkoro-rinさん 3行目。来るまで→車でです。ごめんなさい~!ふけた→サボったという意味です。(2008年06月21日 01時38分46秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) スキッピーさん 知事にいくら人気があるからって、この考えはちょっと狭すぎるし浅すぎると思います。大人というものは自分の子どもが不登校など弱い立場になってみないと本当に必要な愛情の形とか、解らないものだろうとは思います。この知事は表面に現れている問題に取り組むことは得意なようですが、微妙な問題には乱暴なのかもしれないな、と感じました。(2008年06月21日 07時15分39秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) じゅんこkaaさん 「体罰」と「愛のむち」は違うと思うんです。「体罰」はあくまでも罰をもってて相手にわからせようとすること。でも「愛のむち」は場合によっては必要な場合もあるんじゃないかと思います。でもそれは本当に心からの愛情から発する場合。私も中学時代、宿題を忘れたとかそういったことでげんこつをする先生がいました。でも本当に生徒の気持ちがわかる人気者の先生で、私も大好きでした。でも今の時代、それは通用しませんね。線引きも難しいし、やっぱり「愛のむち」と言えども認められないと思います。ましてや条例で認めるなんて、なんか違いますよね。(2008年06月21日 13時42分06秒)Re:げんこつ条例について考える オテイエプさん 昔、ことばに過敏で、「愛の鞭」の言葉に反応した事がありました。その時私は「愛に、鞭 (という手段) はない」と言いました。自分の手も痛まず、相手にみみず腫れも出来かねないような「鞭」を体罰?厳しさ?の代名詞に使っている、(それでいながら美しい言葉として通用している)事に、拒否感嫌悪感を感じたのだと、思います。 行過ぎた体罰、加える側の都合による体罰、冷酷な体罰が、想起されます。 本人が、話し合いから逃げない為の時間的拘束にとどめ、落ち着いた話し合い、説明で、対応できる機会を、体罰を行う側が、労力を出し惜しみするために、行うケースなどを、条例が誘発することに、なるかも知れないと、思いました。(2008年06月21日 16時20分42秒)マイコ こころの居場所さん 先生にげんこつを食らった…とかの記憶はありませんが、小学生の頃は宿題を忘れたら運動場五周走ってくるとか、バケツに水を入れて教室の後ろに五分間立つとか、ランドセルに教科書を全部いれたものを両腕の上に乗せて立たされる…とか、そんなのはありました(^-^) 皆も「宿題忘れたんだし仕方ないなぁ」「授業中にしゃべってばかりだったから、仕様がないよなぁ」と自分がそうされることに納得済みでした。先生の威厳がなくなると、学級崩壊に繋がってしまうのも確かなことみたいですし、大人をどこか小馬鹿にしている子供たちがたくさんいるのも、先生や親が「友達」みたいになってきているのが原因のひとつなのではないのかなぁと親でもある自分は実感しています。(2008年06月21日 19時19分45秒)ゲンコツより言語 山本さん 中学生の頃、忘れ物をした生徒にビンタをする国語の先生が居ました。私は当時、習字が大嫌いで、わざと道具を忘れてきて、毎回ビンタを食らってました(笑我慢できる程度の体罰って、慣れちゃいますからね。かといって、我慢出来ない程の体罰だと拷問になってしまいますが(苦笑体罰は、軍隊のような特殊な環境以外では無意味だと思います。多分、教師の腹癒せくらいにしかならないでしょう。殴られた生徒は腹癒せに他の弱い人間を傷つけるんだと思います。いくら『愛の鞭』などと綺麗な言葉で誤魔化しても、「立場の違いを利用した暴力」が良い結果をもたらす事は無いと思います。大体、その捌け口が弱者へ向けられていくんじゃないでしょうか。結局、暴力って、言葉で解決出来ないから振るう訳で、「体罰やむなし」という発想は、言葉で上手に伝えられない教師と、言葉を正しく理解出来ない生徒、双方の国語力に問題があるから出てくるんじゃないでしょうか。なので私は、『ゲンコツ』よりも『言語』の方が大事だと思います。しっかり国語力を身に付けさせて、ちゃんと他人とコミュニケーションを取れる人間を育てる方が有意義だと思います。(2008年06月22日 00時48分36秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) Therese_N さん げんこつ条例が可決されたら、私は宮崎には絶対に住みません。それを前提に。もし実行されてしまうことになったら、条件をつけると思います。他の親御の子供たちが可哀想なので。1、げんこつを実行したあとの子供のケアカウンセリング2、親への充分な説明3、げんこつを実施した際の書類作成 (げんこつの回数、シチュエーション、強度、理由、子供の経過、親の反応、周りの子供の反応)4、書類とともに職員会議、教育委員会への報告、議論、フィードバック以上のことを義務としての絶対条件としてなら、げんこつ条例を認めてもいいです。これらを「そんなのめんどくさい」と思ってげんこつを控える教師だったら、要するに「言葉でめんどくさいからげんこつを使う」教師であって、結局精神的にあとあとめんどくさくなるのは子供のほうだからです。これだけ書いたあとでなんですが、ホント、教師だってカッなってげんこつしちゃうことくらいありますよね。でも、条例はいらないです。「げんこつしていいんじゃん♪愛だし!」となったら怖いから。(2008年06月22日 08時24分48秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) ケロ助さん 親の立場として一言。親以外の大人が、我が子に手を挙げるという状況は「よっぽど」な状況だと考えられます。いつから、人間はこんな風にマニュアルがなければ考えられなくなってしまったのでしょう。条例だの、規則がなければ善悪の判断もつかなくなっていて、規則がある為にそれに縛られ、規則のおかげで正当化する。そういう大人たちが、なんと増えた事か・・・・規則があったって、破りっぱなしの大人たちなのに。私は絶対反対。我が子が拳骨でなぐられ、打ち所が悪くてどうかなってしまっても、法の下、正義とされてしまう!それよりも、親の再教育の制度を考えた方がいいと思います。軍隊のような教育方法ではなくてね。(2008年06月22日 09時05分23秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) 修&航ママさん 子供の先生をなめる態度をどうやって抑えるかってことだと思います。今の小学生は何かと「今の体罰だ。」とか「プライバシーの侵害。」「セクハラ。」だの主張します。悪いことをして注意してもなかなか聞きません。テリーさんの意見も当たっていると思うし・・・どうしたらいいのでしょうね。(2008年06月22日 13時43分53秒)げんこつ条例・・・反対です。 ayamiさん 娘の不登校で約1年半、いろいろ考えてきました。今まで巨椋さんの記事からも たくさんの元気をいただきました。そんな私としましては、【体罰】には絶対 反対です!!痛みで相手を従わせるような手段には賛成出来ません。(2008年06月22日 22時46分00秒)Re:げんこつ条例について考える(06/21) つるひめ2004さん 体罰容認派の方々に多いのが、子供はしつけるものだ、という調教師のようなご意見、とお見受けしております。「子供に人権など認めた日には大人はなめられる」?と言うほどではないにしても、それに近いものを感じるのですね。私などは逆に、子供の人権を認めた方が、相手も大人の人権を認めるようになる、と思うのですが。そのように育てるのが大人の側の義務でもある、という気がします。ちなみに、教師から体罰を受けたことは小学時代はありません。6年間教えていただいた担任の先生が体罰とは無縁の方でした。中学のとき、髪を引っ張られたことがあり、人からはそれは体罰だよ、とずっと後になって言われました。その体罰は納得はできなかったですが、たいしたことではありませんでした。大きな傷として残るかどうかというのも、ありますね。ただし、その境目の線引きはできない、というのも確かで、体罰は全部許せないもの、としておいた方が子供にとっても、大人にとっても間違いが少ないと思います。(2008年06月23日 00時05分04秒)
2008年06月23日
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宮崎県の東国原知事が【げんこつ条例】、あるいは学校における体罰について、語っております。げんこつ条例できないか 「愛のむち」と東国原知事 宮崎県の東国原英夫知事は18日、子どもの教育に関連し「(体罰が問題視されない)げんこつ条例というものが宮崎県ではできないか」と述べ、一定の体罰は認められるべきだとの考えを示した。県庁で記者団の質問に答えた。 東国原知事は「最近は体罰ができなくなっている中で教師の位置付けをどうするか。愛のむちという範囲ならば殴っても罰せられない、愛のむち条例とかができないか」とも述べた。 これに先立つ県議会では、自民党議員が「昔はみんな、げんこつで教えられた」などと教育現場にはある程度の厳しさが必要と指摘。東国原知事は「大変示唆に富んでいる」と述べた。2008/06/18 22:14 【共同通信】わたしの個人的な意見を言わせていただければ、わたし巨椋修(おぐらおさむ)はすべての体罰に反対です。しかし、反対だからといって、こういったことがらにあまり、ヒステリックになるのもどうかなとも思うのです。人間というものは、不完全ですし、教育というのは“生き物”ですから、どこで体罰と暴力の一線を引くのか、どこから体罰は良くて言葉の暴力はいいのかなど、非常にあいまいな部分のありますしね。また、単純に“叩いたから体罰”なんてものでもないと思うんですよ。場合によっては、つい叩いてしまうことだってあるでしょうし、むしろ叩いた方がいい場合もあるかもしれない。叩かざるを得ないこともあるかもしれない。ここらへんは、大人同士、親子、教師と子どもとかでも、人間と人間の微妙なところが関わってくるように思います。ですから、わたしはすべての体罰に反対ですが、体罰=悪であるとか、体罰=暴力であるとは思っていないんです。ね、微妙でしょ。(苦笑)ちなみに明治12年の教育令で体罰はどのようになっていたかというと「凡学校ニ於テハ、生徒ニ体罰(殴チ或ハ縛スルノ類)ヲ加フヘカラス」と、あります。読みづらいので現代語訳にしてみましょう。「およそ学校においては、生徒に体罰(殴るあるいは縛るなどすること)を加えるべからず」明治時代からすでに体罰は禁止されていたんですね。現在の法律によりますと学校教育法第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と、あります。さて、今回の東国原知事の「最近は体罰ができなくなっている中で教師の位置付けをどうするか。愛のむちという範囲ならば殴っても罰せられない、愛のむち条例とかができないか」という意見には、賛否両論があるようです。例えば、タレントのみのもんた氏はある番組中に「ボクらが子どものころは、耳を殴るときは、平手でやると鼓膜が破れるからいかん。げんこつでコツンとやれ、と先生が言っていた。げんこつは当たりまえでしょう」と、拳骨で殴ることに大賛成の模様。一方、他の番組でテリー伊藤さんは「ボクは大反対。愛情があればいいというが、自分の指導力不足で殴る先生って絶対に出てきますよ。言葉で説明できないから手が出る。先生のさじ加減で、条例が正義になっていく」と、みのさんと違って、大反対の様子です。さて、わたしの意見は、テリー伊藤さんと同じ意見ですね。もしこんな条例ができたら【愛】という大義名分で、すべて暴力で解決しようとする無能教師が横行することになるような気がします。目も当てられないような虐待をする親がいうことも「これは、しつけや教育の一環」と、いうのが定番ですからね。体罰とは「肉体的苦痛を与えることによって教育上の目的を達成しようとする方法」であり、「肉体的な痛みや恫喝といった、恐怖で子どもを支配する方法」ですから、あまり褒められたものではないような気もします。また、今回の東国原知事の意見に賛成の方もたくさんいるとも思うのです。もしかしたら、多いかも知れない。むしろ良識的な、暴力とか虐待の実態について無知な人は、賛同するような気もします。また逆に、わたしが感じたのは、自分が体罰を受けて育った人は、やはり体罰容認になりやすいともいえると思います。自分が受けた養育や教育を否定されるということは、いまの自分が否定されるような気になるようです。また、自分を育ててくれた親や先生方を否定されたような気になるものです。さて、この東国原知事の【げんこつ条例】について、読者の皆さんのご意見をうかがいたくなりました。コメント欄を空けますので、ご意見のある方は、ぜひ書き込みをしてください。※コメントは締め切りました。ご協力ありがとうございました。皆様のコメントは、次の会に掲載させていただいております。
2008年06月21日
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昨日、08年6月19日のニュースによりますと、昨年1年間の全国の自殺者数はが、前年比2・9%増の3万3093人もいたといいます。つまり10年連続で3万人以上の人自殺したということが、警察庁のまとめで分かりました。しかもそれは過去最悪だった平成15年に次ぐ2番目に多さでした。亡くなられた方で、動機や原因がわかる方では【うつ病を含む健康問題】が、62・3パーセント【経済・生活問題】は31・5%でした。つまり、自殺を防止するためには、うつ病や健康問題を改善し、経済や生活苦を改善することで、防ぐことができそうです。また、今回の発表では出ておりませんが、自殺に関して、単純に収入の低さよりも、負債、つまり、借金のほうが、大きな原因になっているようですので、多重債務対策や、その他借金対策が、自殺防止に役立つといえそうです。自殺する年代的には、50歳以上で3分の2近くを占めています。また、7割が男性ということですから、中高年男性の生きづらさを、改善することで、自殺を防止することができそうです。職業別では、無職が57・4%会社員などの「被雇用者・勤め人」は27・7%「自営」は9・9%「学生・生徒」は2・6%。中高年男性の自殺が多く、その原因の多くがが経済・生活苦ということは、中高年の失業率を改善すれば、自殺防止に効果があるかも知れませんね。最近の自殺におけることで、変わったのは【硫化水素自殺の流行】です。インターネットで「簡単に作れる」「きれいに死ねる」「苦しまず死ねる」といったまったく根拠のない情報が流れたことで、大流行してしまったのですが、それはまったくのウソなのです。遺体は、ふくれあがり大変みにくくなり、他の家族や、近所の住人、救助に向かった人たちをも巻き込む、最悪の自殺法のひとつということができます。大阪大学法医学教室教授として数多くの死因解明に取り組んできた的場大阪府監察医事務所長は「硫化水素中毒死の遺体は、体内で硫化メトヘモグロビンが合成されるため、その色素の影響で、一般に腐敗色といわれる緑色に変色する。自殺後しばらくは、有毒ガスを含む遺体を取り扱うには、二次中毒被害を防ぐために防護服を着た人以外は近づけない。親族との最後のお別れも制限される。遺族に残るのは、正視に堪えかねる遺体と悲しみだけ」とのことです。警察の科学捜査部門の担当者は、「純度の高い硫化水素はプラントでないと化学合成できない。個人の生半可な知識と簡単な設備でできるものではなく、手製の硫化水素では死に至るまで酸欠の窒息状態を経るので、決して楽な自殺方法でもない。他人を巻き込めば苦しんだあげく、死後でも立件される。ほかの手段も含め、自殺を考えている人は、どうか思いとどまってほしい」と、述べておられます。硫化水素による自殺は今年1~5月で489件。すでに517人に上りました昨年は硫化水素自殺で亡くなった方、27件、29人だったので、昨年の約18倍と急増していることがわかります。この急増ぶりに、警察は、自殺者本人の積極的な立件も検討するとこのことです。つまり、硫化水素は楽に死ねるというのはウソ。周囲の人に大変な迷惑をかけ、生き残っても立件されるということです。わたくしごとですが、最近、知り合いが2名、入院をいたしました。自殺願望が、高まったため自ら病院に入院したそうです。「死にたい」「わたしは死んだ方がいい」などといった、考えが、あまりに頻繁に行き来するようであれば、病院に相談するなり、緊急避難的に入院をするという方法もあります。一人で悩まないで、まず相談をしてみてください。自殺には、流行性というものがあります。今回あった【秋葉原通り魔事件】でも、犯人をマネして、いろいろなところで犯行予告をして捕まる人が続出しています。決して、カッコよくも、ホメられもしない、やった本人にとっても、ストレス解消にもならない最低のマネゴトなんですが、どうかこのような流行に振り回されないようにして欲しいものです。(参照;08/6/19産経ニュース)
2008年06月20日
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『不登校・ひきこもり・ニート』っていうと、なんかすげぇマイナスイメージがあるじゃないですか。そうすると、当事者もマイナスイメージになっちゃって、意識過剰になっちゃう。なんかそんな言葉を聞いただけで、顔が引きつっちゃう。マイナスイメージがダメだとか、プラスイメージじゃないといけないなんて、言う気はないけれど、その言葉だけで笑顔を失ってしまうっていうのは、ちょっと残念ですね。“笑う”っていうのは、実にいいものらしいんですよ。よく笑う人と、あまり笑わない人とでは、病気に対する抵抗力が全然違うらしいんです。笑うとどういったことが、体に起こるかというと ●免疫活性ホルモンなるものが、出てきてガン細胞や最近に抵抗力がつくらしい。●ベータエンドルフィンたらいう、一種の脳内麻薬みたいなのが出て、気分が良くなる。● 腹筋や横隔膜、心肺機能を高めることができる。● ようするにストレス解消になる。●いい笑顔は、人間関係を良くする。と、まあいいことずくめなんですなあ。たまに“笑い皺ができるからイヤだ”などと言う人がいますが、シワなんて、笑わなくたってできらあね。 また、たまに“男は、眉間にシワを寄せて黙っている方がシブくてモテる”なんてカン違いしている人もいる。こういった人は、高級ホテルのバーで、バーボンとかを黙って飲んでいると、スゲーいい女が「おごってくださる?」なんて声を掛けてくると思っているような人ね。(笑) 夜のバーで、ひとり不機嫌そうに飲んでいる男に声を掛けてくる女性はいないって!いるとしたら、売春目的くらいだって!男にしても、女にしても、いい笑顔ほどの武器はないよ。マジでさ。いい笑顔があるってことは、悪い笑顔もあるってことを忘れてはいけない。いい笑顔っていうのは、目じりが下がって両方の口の端が、上にあがっている顔なんです。目が笑っていなかったり、口が片方だけしか上がらない笑顔は、ハッキリいってダメです! また、笑いといっても、嘲笑、自嘲なんかはダメ。田舎で農業をやっているばあちゃんが、金歯を剥き出しにしながら、大笑いしているような笑いがよろしい。(笑)なに?そんな笑い方は出来ない?まあ、ばあちゃんみたいな笑い方でなくてもよろしい。(笑)笑い慣れていない人は、ワザとでも、無理やりでもいいから笑顔を作ってみるとよろしい。声のイメージから変わります。嘘だと思う人は、自分の声を録音して、普通の顔と笑顔と、それぞれに声を聞き比べてみるとよくわかります。笑顔の方が、断然いい声になる!これホント!面白くなくっても、いつもいい笑顔を作っていると、変わってきます。これもホント。なぜかというと、無理やりでも笑顔を作っていると 脳がだまされるんです!! 笑うっていうのは、一種の習慣でもありますから、笑う習慣をつけるつもりで、自分の脳をだましちゃえってことです。いい笑顔には、お金もかからないし、健康にもいいし、人間関係も良くしてくれるんですから。
2008年06月19日
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今回は『呪と祝』という言葉について書きましょう。 いささか宗教じみた言い回しをするかも知れませんが、宗教でもオカルトのことではないので、宗教的なことが苦手な人も安心を。 内容は、言葉とそれに影響される心のことです。 日本では古来言葉に力があり、それを『言霊(ことだま)』と呼びました。 言葉にはどのような力があるのか? 言葉には人を縛る力があるのですよ。 その縛る力こそが、言葉の「定義づけ」です。 犬といわれて猫をイメージする人はいませんね。いるとすれば、日本語をよくわかっていない人だけ。 これはつまり「犬」という言葉が、脳内イメージを「犬」と縛ることです。 もし誰かが 「お前に不幸がやってくるであろう!」 と言ったとする。 あなたがその言葉を記憶し、気にしていたとすれば、あなたは 【不幸】という言霊に縛られたということになる。 これを呪(しゅ)といいます。 もし誰かが 「あなたは幸せになりますよ」 と言ったとする。 あなたがその言葉を記憶し、気にしていたとすれば、あなたは 【幸せ】という言霊に縛られたということになる。 これを祝(しゅう)といいます。 これらの言葉を聞いた後も、人は毎日の日常を普通に暮らすものです。 普通の生活には、小さな不運と小さな幸運が連続して起こっているものです。 もし、あなたが不運を気にしていたとしたら、小さな不運に見舞われるたびに、 「ああ、あの人の言った通りだ。わたしは不運なのだ」 と、確信することになります。 この状態を、 「呪いをかけられた」 と言います。 こうなると、呪いをかけられた人は、不運にばかり意識がいくようになり、石が転げ落ちるように、不運ばかりが目につくようになりますね。 つまり不幸になる。 逆に、幸運や幸せの言葉である祝(しゅう)、つまり祝いの言葉をかけられ、その言葉を記憶し、気にしている人は、小さな幸運のたびに気持ちが良くなり、幸せという言霊に縛られ、どんどん幸運を感じることができるようになります。 実は、幸運の人にも不運の人にも、起こっている事象は同じことであったりします。 しかし、呪(しゅ)をかけられるか、祝(しゅう)をかけられるかで、その心理は大きな違いが起こってくるものです。 やがて呪をかけられた人の顔は暗く狷介になり、より孤独になり不運を呼び寄せる結果になる。 祝をかけられた人の顔は、明るく豊かになり、より人に慕われ幸運を呼び寄せることになる。 実のところ、これはオカルトや宗教ではなく、人の心と体はそのように出来ているのです。 では、人から祝(しゅう)ではなく、呪(しゅ)をかけられたときはどうすればいいか? 神道的な言い方をすれば、“祓えばいい”のです。 祓うといっても、神社にいくことじゃありませんよ。 要は気にとめないこと。 気にとめないことが祓うということになる。 最後に、人に呪・祝をかけるのは他人ばかりではない。 自分で自分にかけることもできる。 自分を幸せにするも、不幸にするも、自分の心次第ということね。『不登校・ひきこもり・ニート』っていうのは、場合によってそれだけで「呪」の言葉になることもあります。『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者、支援者のほとんどが「呪」として取り扱っていますね。だからと言って、無理やり「祝」とすると返って逆転現象が起きる。過剰な、あるいは無理なポジティブシンキングは、返ってマイナス思考になりがちです。だからこそ、「あるがままに受け入れる」ということが大事になりますね。
2008年06月17日
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ときどき思うんですよ。オレたちは好きで生まれてきたわけじゃない。どういうわけか……たまたま……運良く(運悪く?)頼みも頼まれもしないのに……生まれてきてしまった。親を選んで生まれてきたわけじゃない。親だって、こんな子を生むつもりで産んだんじゃない。そしてたまたま生まれた家庭や親、その環境で育ってきただけなんです。生まれ落ちた赤ちゃんにその後の人生について、まだ何の『責任』も『自由』もないんだよ。生まれてきたばかりの赤ちゃんに、「その後の人生は、この子の責任である」とか「お前は自由だ」なんて言う人がいるとしたら、それはちょっとおかしい。(笑)誰かがいて、その人が生まれて成長して、いまがあるわけなんだけど、その人自身は、その親のところに生まれたいと思っていたわけではなく、その親の元で成長したいと思っていたわけでもない。だから、その親のことに関して、その人に責任なんてないんだよ。その親から生まれたことに、そして育ってしまったことに責任を感じることはないんだよ。親も子も、いいように付き合うしかない。だからさ。いま生きていて、苦しんでいる人に言いたいことは「親のせいで、生まれてきたんじゃない」「生まれてきたことに、あんたに責任はない」たまたま、生まれてきてしまったんだってことだね。生まれてきたことも産んだこともさそれが悪いってことじゃないと思うんだ。だからさ子は親を親は子を許してあげてもいいんじゃないかな。
2008年06月14日
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【秋葉原通り魔事件】の犯人にとっての不幸は……あるいは、犯人の親にとっての不幸は、すべてがマイナスの方向に向かってしまったということでしょう。犯人の親は、かなり厳しく教育していたようです。親にしてみても、我が子を殺人犯にするために、教育をしていたわけじゃないはずなんです。これはどこの親御さんにしても、同じことで【良かれ】と思ってやっている場合が多いと思うんですよ。この良かれと思ってやった教育や子育てが、マイナスになってしまった。この場合、親はまったく子どもを【甘やかさずに】育ててしまった。甘えを知らずに育った子どもは、自己肯定をすることができにくくなります。他人が自分を褒めてくれても、その言葉を信用することができにくくなります。この事件の犯人の不幸は、自己肯定することがまったくできず、すべてをマイナスに考えることしかできなかったことにあります。人間の自己評価というのは、自分が思っている自分と、他人が思っている自分の中間点にあるといってもよくて、いくら自分で自分を褒めたり、責めたりしたところで、他者評価と違いがありまた、他者評価も、その人のすべてを知っているわけではありませんから、どこか違いがでてきます。だから、自己評価がすべてではなく、他者評価が全部正しいということもないわけです。自己評価の高め方としては、自分で自分を認めてやるということと、他人に自分を認めてもらうことです。よく“ありのままの自分を認める”といいますが、“ありのままの自分”とは、自分のいいところだけではなく、自分のダメなところも認めるということです。自分の欠点がわかれば、それに対処することもできやすくなるじゃないですか。あと、ひとつのことだけじゃなくて、いくつかのことを継続してやること!よく“ひとつのことでいいから、得意なことを継続してやる”とか言っていて、それはそれでいいんですけど、それ以外のことを継続してやるといいんです。本業があって、それ以外の好きなことを犠牲にせずに、それも続けていく。どれも均等にやる必要はありません。そんなことは無理ですもんね。(笑)これはどういうことかというと、複数のコミュニティに所属するということなんです。仕事や学校に所属すると同時に、趣味のグループにも所属する。大人の男の人なら、会社だけじゃなくて、家族や、趣味の仲間、いきつけの飲み屋の仲間とか、いくつかのグループに所属しているのと同じですね。そうすると生き抜きの場が多くなるんです。主婦でも、専業主婦の方が、生きるストレスが多く、うつ病とかになる確率が高いそうですし、自分の人生が子育てだけになってしまって、子どもから疎まれるなんてことが起きやすくなったりするそうですから。そして、いくつかの居心地のいい所属で、関係を継続する。継続していると、それなりのポジションがついてきます。仕事や趣味なら、技術も上がってきます。この技術の向上と、ポジション(地位・居場所)が、自己肯定感につながってくるんですね。さて、問題はね、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちは、人間関係が苦手の人が多く、そのため人間関係を継続することが難しかったりします。でもね、やってみてください。人間関係も技術です。技術は、経験を積み重ねないと上手くなりません。誰でも最初は下手なんですから、失敗しならがでもやってみてくださいな。それが続くようになれば、自己肯定感は、少しずつ育っていっているということですから。
2008年06月13日
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秋葉原通り魔事件の犯人が、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者との共通点があるということを述べてきました。虐待と思われるような厳しいしつけ。親による過干渉社会にも、家庭にも自分の居場所がないという状況などすべてではありませんが、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者が抱えるものが、事件の犯人周辺には点在しています。さらに共通点を付け加えるとすれば、【被害妄想】【自殺願望】【強烈な劣等感】【攻撃性の高さ】がありますね。これらはすべて、うつ病の人にも見られる症状です。【被害妄想】については、犯人が書いたと思われる携帯電話の掲示板に彼女がいないという文言が、42回以上一人という文言が、30回以上不細工という文言が、22回以上書かれているそうです。さらに、職場への不満繰り返す転職親への不満などなどが書かれており、この被害妄想の強さ、劣等感の強さは、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者にもよく見られるところです。そして、これらの被害妄想と劣等感は、自分、もしくは他者への攻撃となっていきます。そして、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者と犯人との共通点として、【自らダメになる方向へ行く】というのもありますね。人に嫌われるような言動をしてしまったりして、自爆、自滅していくんです。今回の犯人のようにならない方法としては、【自分で自分のことを、認めてあげる】ということが必要ですね。いわゆる【自己否定】じゃなくて、【自己肯定】をする。【自己肯定感】を育てるということです。自分の悪いところ、ダメなところも含めて、それを認め、肯定する。自分で自分を許すということが大切になってくると思います。そして、第二、第三の犯人、この事件の“模倣犯”が出ないことを祈ります。おかしなことに、こういった事件の後に、必ずマネをする愚か者が出てきますから。
2008年06月12日
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【秋葉原通り魔事件】 の犯人と、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者やその親と共通するところは多い。と、いうより、かなりの部分で共通しているところが見受けられます。ただ、『不登校・ひきこもり・ニート』の人や関係者にしても、人それぞれで、みんながみんなというわけではないことを、付け加えておきましょう。では、どのようなところで、共通しているのか?本人が書いたと思われる、携帯電話の掲示板サイトには次のような事が残されています。「親が書いた作文で賞を取り親が書いた絵で賞を取り親に無理矢理勉強させられたから勉強は完ぺき」「中学生になった頃には親の力が足りなくなって捨てられたより優秀な弟に全力を注いでいた」「小さいころから「いい子」を演じさせられていた」「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ」また、近所の人は、犯人親子について次のように述べています。【教育熱心だった両親から厳しく育てられたという。子供のころしかられた加藤容疑者が、玄関前に閉め出され、泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくない。真冬の極寒の中、薄着で外にいる姿も目撃されている。「しつけか、虐待か分からなかった」】(スポーツ報知より転載)『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者は、一般的に親から【甘やかされている】というように考えられる場合が多いようです。しかし、現実には、むしろ厳しく育てられた場合の方が多いのです。犯人の場合、決して甘やかされて育てられなかった。むしろ、親子関係における健全な甘えを断たれ、なおかつ親からの過干渉があったということでしょう。過干渉とは、過剰に干渉することですが、学校の宿題である【作文】や【絵】を、子どもの代わりに親が書いていたらしいという、犯人の文章から、それをうかがわせます。また、犯人は小学校中学校は、トップクラスの成績でした。これは、親の期待に答えるべく、自分を殺し、親のために必死に生きてきたのでしょう。そして、それが思春期になったときに崩れはじめます。高校になったとき、県下で有名は進学校にすすみますが、そのとき犯人の成績は下がりだします。中学校でトップであったとしても、同様の成績が集まる進学校では、普通か、それ以下になるのは当たり前。さらに、両親の期待は弟に向かい、犯人は親から「見捨てられた」と思うようになります。また携帯電話の掲示板に書いた文章を見てもわかるように、犯人は、自分のふがいなさを、両親のせいにしています。一方の親はそんな犯人について、どのように感じていたのでしょうか?母親は高校時代の犯人について親しい知人に「2人で食事するのがとても苦痛。(97年に神戸市で連続児童殺傷事件を起こした少年)『酒鬼薔薇聖斗』と同じ年なんだよ。怖いんだ」と、おびえた様子で語っていたといいます。母親は、すでに高校時代の犯人と食事をすることが苦痛であったといいますから、親子間は、すでに通じるものがなかったのかも知れません。どうやら家庭内暴力もあったらしく、母親の顔に殴られた後があったという近所に人もいるようです。さらに、犯人の弟は犯人が高校卒業後に、他県の進学校に進学し家から離れ、金融機関に勤める父親は他県の店舗と青森の自宅を行き来する生活であり、両親は昨年夏から別居状態で現在、実家は父親が一人暮らしだといいますから、すでに家庭に犯人の居場所はありませんでした。犯人は、最近、勤め先から解雇されるのではと恐れており、会社にも、そして実家にも居場所がなかったといえます。虐待と思われるような厳しいしつけ。親による過干渉社会にも、家庭にも自分の居場所がないという状況これらの状況は、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちの多くに共通することなのです。
2008年06月11日
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08年6月8日、東京秋葉原にて7人を殺し、10人が重軽傷を負った事件おきた。犯人の加藤智大容疑者(25)は、普段マジメに勤務しており、学生や児童であったころは成績優秀、スポーツもできた男であったそうです。高校になって暗くなったという人もいますが、まったく人気がないということもなく、やはりおとなしいマジメな人であったいいます。そして、犯行直前、加藤容疑者は、自分の気持ちを携帯サイトの掲示板に、次のように書き込んでいます。「勝ち組はみんな死んでしまえ」「みんなに馬鹿にされているから車でひけばいいのか」「みんな俺を避けてる」「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「味方は一人もいない」「彼女がいれば、仕事を辞めることも(中略)携帯依存になることもなかった」これらは、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちから、実によく聞く言葉なのです。そして「ぼくなんか、生まれてこなかったほうがよかった」などという心理。自殺願望などがなります。おそらく『不登校・ひきこもり・ニート』系、生きづらい系の人たちの中には、今回の加藤容疑者に共感する人が、少なからずいると思います。
2008年06月10日
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人類に多く見られる3大タブーとして1,人肉食2,近親姦3,殺人があるという話しを前回しました。しかしこれらのタブーは、『人類にとって、できない行為』というわけではありません。タブーを定義化すると「特定のコミュニティではやってはいけない、触れてはいけない、話題にしてはいけないとされていること。禁忌」(はてなダイヤリーより) つまり“それぞれのコミュニティ”、民族、村、国、文化、宗教などなどによって、タブーはいろいろと変わってくるということでもあります。また、タブーは普遍的なもの、絶対的なものではないということになります。例えば『殺人』は、時と場合によって「やっても良い」、「やった方が良い」、「やらなければならない」ということもあります。人肉食も、近年まで……、あるいはもしかしたら現代でも行われているかも知れません。よく聞くところでは、即身仏としてミイラになった高僧の皮などを食べるとか、亡くなった親族や友人、恋人のお骨を食べるなどということを聞きます。山や海で遭難した人や、飢餓にあった人が人肉食で命をつないだという話しはよく知られてします。人類の歴史において、食料として人肉を食べるということもめずらしくなく、例えば中国で儒教を打ち立てた孔子の時代などでは、人肉の塩漬けが一般に食べられていたらしく、孔子の高弟の子路という人が殺されて塩漬けにされたことを悲しみ、孔子自身はそれから人肉を食べなくなったという説があります。また他にも、中国には『子どもの丸焼き』のようなレシピがあるという話もあります。世界に目を向けてみると、多くの民族に食人の習慣や記録が残っていたりします。これらのことを考えるに、人間という生物には「絶対にやってはいけないものなどない」「3大タブーとされるものでさえ行われている」「行われており、それが不都合であるがゆえにタブーとなったり、ルールで禁止する」「つまりは、絶対にやってはならないものを作った」となったと考えてよさそうです。
2008年06月09日
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人間という動物は、他の動物と違っているとされているところがあって、多少本能のタガが外れているらしいんですよ。例えば、オオカミなどは同じオオカミと争っても、相手が“降参”のサインを出せば、攻撃が本能的に抑止されて、どうしても同種を殺すことができないんです。ところが人間様と言えば、同じ種である人間を殺すことが、いともカンタンにできてしまうんです。それどころか、同じ種を殺す……、つまり殺人という行為に、どうも快感を覚えるらしいんです。よって人類史から“殺人”やら“戦争”“虐殺”がなくなったことはないんですな。しかし、あまりカンタンに殺し合いをすると、生きて行きにくくなる。安心できない。そこで、「殺人は悪い」というルールを作るわけです。しかしこの、「殺人は悪い」というルールも、自分たちの仲間にのみ通用するルールで、見知らぬ人だの民族では、必ずしも通用するものではありません。むしろ、人間は「正当な理由さえあれば」殺人をしても良いと考えている動物でもあります。正当な理由としては、戦争、防衛、復讐などなど……他から見ればとんでもないような“理由”でも、本人や所属するグループが「正当」と見なせば、あっさりと殺ってしまうところがあります。よく少年の凶悪犯罪について語る人が「最近の子どもは自然に接していないから命の重みを知らないのだ」などとエラソーなことを言っておりますが、大自然に囲まれた石器時代から人類は、殺し合いをやっていましたし、大都市が必ずしも、殺人率が多いということもないのです。ちなみに、平成18年の都道府県別殺人発生率をみると、1位は沖縄県です。そんなに殺人とかおきなさそうな香川県は4位、青森県8位、岩手県と徳島県は9位となっています。では、世界最大級の東京都は17位で、都道府県では、ほぼ中間あたりということになってます。ジンギズ・ハンという人は、ユーラシア大陸のほとんどを侵略して征服した人ですが、雄大なモンゴルの大平原で育ち、わずか14歳のときに異母弟を殺したという説もあります。「最近の子どもは死に接していないから、人を平気で殺すのだ」などとのたまわっているエライ人もいるようですが、現実では死が日常にある発展途上国では、とても殺人が多かったりします。もっとも、日本に限って言えば、10代20代の殺人が世界各国と比べても驚異的に少なく、また過去40~50年の間に減少しているという非常にめずらしい国であるそうなのです。ちなみに、平成17年度の年代別殺人発生率は、1位30代、2位40代、3位20代で、凶悪化しているはずの10代は、60歳代より下の6位なのです。(つまりは、「最近の若者はキレやすい!」と、エラソーに言っているエライ人たちの年代より、いまの若者の方が凶悪ではないということですな。(笑)おっと、話しがズレました。そういうことで、殺人というのはルールによって禁止されているということになっています。殺人のように、人類や多くの民族で共通する根源的な“悪いとされていること”を、タブー(禁忌)といいます。人間は、本能というタガが外れてしまっているので、ルールやタブーを作ることで、より暮らしやすい日常を手に入れようとしたのでしょう。ルールやタブーは、それぞれの民族や文化によって、もの凄く違いがあるんです。人類における3大タブーと言えば1,人肉食2,近親姦3,殺人なんてものが挙げられますが、それも文化や民族などグループによって大きな違いがあります。『不登校・ひきこもり・ニート』とは、直接の関係はありませんが、『人間とは何か?』を問い直すために少し書いてみようかなと思います。(つづく)
2008年06月08日
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==========================================中学7割、高校8割で自傷行為把握2008.6.7 08:43(産経ニュースより) リストカットなど子供の自傷行為を養護教員が把握した公立学校は、中学校で7割、高校で8割に上ることが7日、文部科学省が日本学校保健会に委託した平成18年度の保健室利用状況調査で分かった。自傷行為の調査は初めて。 約5年ごとに調査。今回は18年10月、計約1100校の公立小中高校を対象に、保健室の利用状況や子供の心身の問題を調べた。 調査によると、過去1年間に養護教員が子供の自傷行為を把握したことがある小学校は9%だったが、中学校は73%、高校は82%と大幅に上昇。児童生徒1000人当たりの自傷人数も小学校の0・2人に対し、中学校3・7人、高校3・3人だった。 自傷行為に伴うことが多いとされる摂食障害も小学校8%、中学校38%、高校63%と学校段階が進むとともに把握した割合が増えた。==========================================自傷(じしょう)行為というのは、自罰行為でもあるんです。そして、自傷行為は『不登校・ひきこもり・ニート』における重大な周辺事態でもあります。それら当事者が、学校に行けないため、働けないために、周囲に人たちに責められ、自分でも自分を責め、自分で自分を傷つける行為をする。自分で自分を罰する行為をする。これは凄く凄くかわいそうなことです。この記事によると、ほとんどの中学・高校で自傷行為をする人がいるということが、わかりました。鹿児島大学が2006年1月の発表によると、回答者1592人(男性831人、女性761人)のうち・自傷行為の経験者は120人(7.5%)・「家族からの放任や罵倒などを経験した」と答えた人が自傷行為をする危険性は、そうでない人の8.7倍・「第三者からの性的暴力を受けた」が5.8倍・「教師や友人からの無視を経験した」が5.5倍・「両親からかわいがられた経験がない」が4.2倍であったそうです。参照;ウィキベディア百科事典「自傷行為」より自傷行為者は、親や家族との関係性に問題がある場合が多く、また、他人との人間関係についても、あまりうまいとはいえない人が多いようです。自傷行為には、手首を切る行為や、自分の体にタバコを押し付ける行為、自分で自分を殴る行為、大量の薬物を摂取するなどがあります。また、大量にアルコールを摂る習慣からアルコール依存症になったり、あるいは他の依存症になることも多くあります。自暴自棄になって、あえて危険な行動に出たり、他人に迷惑になる行為をしたりすることもあります。自傷行為をする人には、どうしようもなくやるせない悲しみや、悲しみからくる怒りが、心の奥底で、ぐつぐつと沸騰していることが多いんです。そしてその心理は、ほとんどの場合、人に言うこともできず、また言ったところで、なかなか共感してもらうことは少ない場合が多くあったりします。自傷行為というのは、若者だけの問題であるように思っている人も多く入ると思いますが、わたしはこれから、どんどんと大人の、または中高年の自傷行為や、自罰行為が、表に出てくるように思えてなりません。
2008年06月07日
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前回、あるお母さんのことを書いたんですけどね。そのお母さんは、『わたしが悪いんじゃない』といつも思っていたという話なんですが、どうしてそう思うようになったかと想像するんですけど、たぶん、周囲の人からずっと攻撃されてきたんじゃないかなと。ときとして、不登校やひきこもりのお子さんがいる家庭では、お母さんがとても攻撃されてしまうことがあります。育て方が悪かったんじゃないかとか、甘やかしすぎなんじゃないかとか。他の家族に責められたり、親戚に責められたり。かわいそうですよね。子どもが不登校になる理由なんて、現実には特定できないことが多いんです。それなのに、お母さん一人が周囲から責められてしまうことがある。そうなると、苦しいですからどうしても、不登校のお子さんを責めてしまう。お子さんは責められると苦しいし悲しいですから、お母さんを嫌ったり憎んだりします。絵に描いたような悪循環。負の連鎖ですね。これはお子さんにもいえることなんですけど、ずっと責められていたら、悲しくなるし苦しくなる。悲しみはやがて怒りに変わったりします。怒りはやがて、暴力や暴言、体調や精神の不調になったりします。周囲との人間関係もうまく行かなくなったりします。ここのふさわしい例えじゃないかも知れませんが、ここ十年くらいの間に、中国という国のことを嫌いになった日本人が多いんです。それまで、日本人はもっと中国人が好きだったんです。なぜ嫌いになった人が増えたのか?それは、中国の反日教育によって、日本人を嫌う中国人がたくさんいるということを知ってしまったからなんですよ。相手に、嫌われたり、責められたりしたら、悲しいしやっぱりいい気持ちはしません。どうしても、相手を嫌いになりがちですよね。なんでもそうだと思うんですけど、責められたり攻撃されたら、自分を守るためにどうしても反撃したり、怒りを感じたりします。怒りや暴力の根源は、悲しみだといいますけど、その通りだと思います。そして怒りは怒りしか生まない。悲しみは悲しみしか生まない。なるべく早く、その悪循環から逃れるようにしたいものですね。
2008年06月06日
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『不登校・ひきこもり・ニート』の人や親御さんの多くが持っている傾向として、二者択一論っていうのがあります。いわゆるオール・オア・ナッシング。白か黒か、善か悪かどちらかを決めたがる思考法なんですけど、これは『不登校・ひきこもり・ニート』の人だけじゃなくて、うつ病や神経症、アダルト・チルドレンといった人たちも、そういった傾向があります。この思考法の困ったところは、敵と味方を決め付けてしまったり、善悪を決め付けてしまったりして、自分を守ろうとしたりします。ある不登校の子どもを持つお母さんがそうでした。そのお母さんは学校の先生をやっていたんですが、自分の子どもが不登校になったとき思ったんでしょうね。自分が悪いんじゃない自分が悪いんじゃない自分が悪いんじゃない 悪いのは学校だ!!学校が悪いからうちの子が不登校になったんだ!!私が悪いんじゃない!! 確かにね、そのお母さんが悪いから、お子さんが不登校になったんじゃないのかも知れません。そのお母さん自身の職場が、学校でしたから、学校の悪いところとかよく知っていたのかも知れません。で、そのときそのお母さんは、悪いのは自分か学校かという二者択一論になってしまったわけです。それからそのお母さんは、学校と敵対することになります。でもねえ、そのお母さんがやっていることは、責任の押し付け合いで、かんじんの子どものことを忘れているような気がするんですよ。学校に子ども行こうと行くまいと、どちらにせよ子どもの人生のケツを拭くのは、子ども自身なんです。子どもが学校に行かない責任を、学校か親かで押し付けても、子どもの利益にはなりません。オール・オア・ナッシング、二者択一論よりも、どっちが正しいか悪いかよりも、責任の押し付け合いよりも、人間なんてもっといい加減でいいんじゃないでしょうか?決め付けて怒っているよりも、もっといい加減に生きましょうよ。人生なんて適当でいいんじゃないでしょうか。きっとその方が楽ですよ。責任の所在なんて、どうでもいいことです。
2008年06月05日
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生きるのがしんどいと思っている人や、生きずらい系の人たちに、共通しているのが「自己評価の低さ」だったりします。 もっとも、自分を等身大で見るなんて、なかなかできることじゃなくて、どこか過大評価であったり、過小評価であったりしますよね。 等身大の自分を見るためには、なるべく自分を客観的に見る必要があります。 よく心理カウンセラーが、悩んでいる人に対して「あなたはそのままでいいんですよ」とか、「ありのままを受け入れる」「そのままの自分を受容する」などとアドバイスをすると聞きます。 この「ありのままを受け入れる」とは、ダメな自分もそのまま受け入れるということです。 自分を等身大で見るというのは、自分がダメなところ、嫌なところも、そのまま見るということです。 自分のダメなところ、嫌なところを過大も過小もせずに、そのまま見る。 自分のいいところも、そのまま見る。 そこで「わたしはこんなところが、本当にダメだなあ」と、自分のダメさ加減をしっかりと認めてやる。自分のダメさ加減を肯定してやる。 これが「自己肯定」の第一歩です。自分のダメなところや嫌なところを見つめ、肯定したからといって、無理にそのダメなところを良くしてやろうとか、改善してやろうとかいうことは、無用とお考えください。だって「あなたはそのまんまでいい」っていうことなんですから。(笑) ダメなところ、嫌なところも、そのまんま受け入れ、肯定してあげる。すると、必要以上に自分の自己評価を低くすることもありません。 自分自身を必要以上におとしめたり、自分で自分を傷つける必要もありません。必要以上に自分を大きく見せようと見栄を張る必要もなくなります。自分のダメなところも肯定して、受け入れて生活していると、そのうちに嫌でも、自分のダメなところが顔を出してきます。 でも、ちゃんと自分のダメなところを肯定していると「しょうがないなあ。こんなときに自分のダメなところが出てくるんだから」 と、笑ってすませることができるようになります。 もし、自分のダメなところを肯定せず、克服しようとして努力していたら「こんなときに、ダメなところが出てくるなんて自分が許せない!」 と、自分を責めてしまったり、自己嫌悪が強くなったりしてしまいがちです。 やめときましょうよ、人間が持って生まれた性格とか、これまで何十年もつちか培ってきた性格や癖なんてものは、一朝一夕では直らないんですから、それならそれと、うまく折り合って付き合っていけばいいじゃないですか。 むりに自分を矯正しよう直そうとするより、自分がダメ人間だと認めていくことから、自己肯定ができますし、また、自己評価も高くなっていくことになります。
2008年06月04日
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