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「ひきこもりは甘えである」という論の根幹に何があるかというと「ひきこもりは悪いことである」という 考えであるように思えます。答えからいうと、ひきこもりにせよニートにせよ、それ自体は“ただの現象”であって、善でも悪でもありません。たまに、「ひきこもりやニートが増えると、税金が入らないので悪である」みたいな言い方をする人がいます。あるいは、「ひきこもりやニートのために我々の血税を使わないで欲しい」という人も居ます。そのように言う人たちは、まずひきこもりやニートの人たちがいかに苦しんでいるのかを知らない。知らないから、そういったことが言えるのです。つまり、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちが、毎日とても苦しんでいるという事実を知らない。知っていて、苦しんでいる人にそういったことを言えるとしたら、相当に浅はかであるか、冷酷な人間でしょうね。そして、ひきこもりやニートも自身も、自分が苦しい理由もよくわかっていない。だから、ひきこもりやニート系の人は、自分たちと同じように苦しんでいる人を責めたりするのです。家族もよくわかっていない。わかっていないから家族に、『不登校・ひきこもり・ニート』になる人が出ると「甘えている」「怠けている」と攻撃してしまったりします。そして悪循環が起こる。家族や周囲の人に責められたら、本人は悪いことをしていると思います。周囲の人に申し訳ないと思います。攻撃されたら、自分の心と体を守るために、反撃に出ざるを得ないこともあります。自分でも、悪いと思っていますから、自分で自分を責め、自傷行為や、自殺行為をしたりすることもあります。そういうことをしてしまった後に、そのことを後悔し、また落ちこみます。そしてまた、社会復帰しにくくなり、周囲の人も当人を「困った人」という評価をしてしまいます。この悪循環の原因は何か?そう、『不登校・ひきこもり・ニート』が悪であるという思いです。はじめに「ひきこもりにせよニートにせよ、それ自体は“ただの現象”であって、善でも悪でもない」と書きました。収入がない人が、税金を支払わないのは当たり前のことで悪ではありません。そして、行政はひきこもりやニートのための税金は、それほど使っておらず、せいぜい公共サービスか、生活保護、支援施設くらいです。そして、そもそも税金とはそういった公共サービスや社会保障のためにあるのであって、決して公務員や政治家、行政にぶら下がっている業者を裕福にするためにあるのではありません。よって、「ひきこもりやニートのために我々の血税を使わないで欲しい」とう論理が、いかに空虚なものかがわかります。ひきこもりにせよニートにせよ、それ自体は“ただの現象”であって、善でも悪でもありません。善悪のつかないものを、善や悪と決めるのは、それぞれの状況や心理です。それよりも、我々が気にしなくてはならないのは、『不登校・ひきこもり・ニート』などで、困っている当人やその家族のことです。困っている人、苦しんでいる人がいたら、周囲に人はどうするべきでしょうか?困っている人、苦しんでいる人を攻撃することでしょうか?わたしは、出来る範囲で手を差し伸べるべきであると思っています。わたしの考えは間違っているのでしょうか?わたしは間違っていないと確信しています。(つづく)
2008年07月31日
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ニートやひきこもりの人にとって、つらいのは、自分が「他人に受け入れてもらえないのではないか?」という恐れだったりします。これなども、ごく普通に社会生活を営んでいる人には、ちょっと理解するのが難しいかも知れませんね。不登校にせよ、ひきこもりにせよ、人に【受け入れてもらう】というのは“大変な大きな壁”と思えてしまうのです。一度学校を長く休んでしまったとき、次に学校に行ったとき、最初にうまくなじめるか不安になったりするものです。そのとき、不登校のようにマイナスのイメージある休み方をしたとしたら……余計に行きにくくなってしまうかもしれません。勇気を出して、登校してみたとしても、クラスで浮いているような気持ちにもなるでしょうし、クラスメイトの質問攻めにあうかもしれません。もし、過去にいじめられていたような人の場合、再登校をキッカケに、またいじめが再発するかもしれません。このようなことを想像すると、どうしても、再登校がこわくなったり、うっとうしくなったりしてしまうものです。また、ながくひきこもりやニート状態であった場合、アルバイトであるにしても、履歴書の空白期間の説明とかもしにくいものです。ひきこもりやニートというのは、長くやればやるほど、社会復帰が難しくなります。「ひきこもり」の期間が、次のひきこもりの原因になってしまうのです。つまり「ぼくはひきこもりだから、アルバイトの面接に受かるわけがない」と、思ってしまい、ひきこもりから脱するのに躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。そして躊躇しているうちに、またひきこもり期間が長くなってしまい、社会復帰が、また少し困難になっていくのです。(つづく)
2008年07月30日
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「ニート・ひきこもりは甘えや怠けである!」これが、ニート・ひきこもりとあまり関係のない人の一般的な思いかもしれませんね。学校にも行かず、働きもせず、親に食べさせてもらっているニートやひきこもりは、抵抗なく学校に行け、働いている人から見れば、「甘えている」と写るものかもしれません。それ以上に、『不登校・ひきこもり・ニート』系にキツく当たるのは、同じように『不登校・ひきこもり・ニート』になりそうなのに、がんばっている人たちだったりします。おそらく「オレはがんばっているのに、お前らは甘えている!」という思いがあるからでしょう。しかし、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちは、そうでない人と比べて、大変に苦しんでいるというのが、実際のところなのです。あるいは、『不登校・ひきこもり・ニート』の傾向がある人たちも同様で、一見、普通に働いているようで、毎日をとてもつらく苦しい思いをしながら、日々を過ごしている場合が多いのです。なぜ? どのように苦しいのでしょうか?それは学校に行けないといけないと、思っているのに行けない!働かないといけないと、思っているのに働けない!外に出て行かないといけないのに、出ていけない!そんな思いが、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちの心を責めつけ、つらく、苦しいのです。この気持ちは、ごく当たり前に学校に行け、働けたり人と接することができる人には、わかりにくいものです。ただ似たような“心の壁”は、多かれ少なかれ誰にでもあるもんでね。例えば、これをお読みになっているアナタにも、理解不能だけど苦手なものってあると思うんですよ。蛇が嫌いだという人は多いでしょう。でも、実際に毒蛇に咬まれたから怖いという人は少なくて、どうも気持ちが悪いとか「イヤなものはイヤ!」みたいな、あまり合理的でない理由で怖かったりしますよね。蛇じゃなくても、ゴキブリとか、大きなクモとか、それが毒がない種類と分かっていても、何だか怖いとかいう思いがある人はたくさんいると思います。あるいは、絶対に安全とわかっているけど、高いところに行くと、足がすくんで動けなくなってしまう人とかね。でも世の中には、蛇もクモもゴキブリも、全然怖くない人もたくさんいるんです。高いところが怖くない人もたくさんいますね。でも、仮にアナタは怖いとする。そして仮に、怖いのは少数派で何十人にひとり、何百人にひとりだとする。そして、アナタの周りの人は、寄ってたかってこういうのです。「蛇やゴキブリが怖いなんで“甘え”だ!!」これは果たして、本当に甘えなんですかね?「蛇やゴキブリが怖いのは、お前が弱いからだ!!」そんなことを言われたら、アナタならどう思います?わたしなら「そりぁそうかもしれないけど……」とだけ言って、あとはだまってしまいます。たぶん、怖くない人にいくら説明しても、わかってもらえそうにないし……「怖いものは怖い!」って叫んでも、やっぱり「だからそれが甘えだと言ってるんだ!」って言われそうだし……もしかしたら、怖くない人、嫌じゃない人は“親切心”から、こんな行動に出ようとするかも知れません。「そんなことを言っているような人は、無理やりにでも、蛇やクモ、ゴキブリがたくさんいる部屋に引きずっていって、放りこんだらいいんだ!! だったら、すぐに慣れて怖くなくなる!!」リアルに想像してみてください。アナタが蛇やクモやゴキブリが怖いとして、それがウヨウヨしている部屋に放りこまれたらどう思いますか?「周りの人たちは、なんて親切な人たちなんだ。感謝しなくちゃ」と、思える人は少ないかもしれませんね。『不登校・ひきこもり・ニート』の人たち、つらさ・苦しさというのは、こういったものに似ていると思うのです。それは、毒がないと、無害だとわかっている蛇とわかっているのに怖いと思っている人がいるのとよく似ています。(つづく)
2008年07月29日
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「ここには、もう戦士に用はない。わたしたちが取引をする。これは老人の仕事だ。若者は戦う。未来への希望や勇気。戦争の美徳は若者の美徳なのだ。そして、平和は老人が請け負う。平和の悪は、老人の悪である。猜疑心を持ち、警戒する。それはそうに違いない」―映画『アラビアのロレンス』より、ファイサル王子の言葉-これは映画『アラビアのロレンス』という映画の中で、アラブのファイサル王子が、ロレンスにいう言葉なのです。それまで、アラブの民族のため、アラブの独立のために戦ってきた英国兵士ロレンスを、アラブから追い払うときにいうセリフなのですが、この言葉には真実があります。若者は希望や未来のために戦い、その心は純真で純情であるかもしれない。しかし、平和をもたらすのは、若者たちの“平和や未来のための戦争”ではなく老人たちの、狡猾で、猜疑心に満ち、卑怯な駆け引きや、取引によって成就するのです。人間という、地球上ももっとも好戦的な生物が、殺し合いや戦争を避けるためには、このような“老人の知恵”が必要なのかも知れません。しかし……最近の日本を見ていると、若者以上に、困った大人や老人がいるような気もしますね。(苦笑)実際、平成17年(2005)の年齢階層別殺人率によると、各年齢層の殺人検挙人数と各年齢層10万人当りの比率は…… 1位 30代! 殺人率1.64 2位 40代! 殺人率1.39 3位 20代! 殺人率1.34 4位 50代! 殺人率1.30 5位 60代! 殺人率1.07 6位 10代! 殺人率0.91 7位 70代! 殺人率0.41と、10代よりも成人の方が人を殺しやすく、20代の若者よりも、30代40代の方が人を殺しやすいらしい。どうも他の国では、若者ほどこういった凶悪犯罪をしやすく、歳を重ねると落ち着いてくるらしんですが、この日本においてはそうではないらしいのです。わたしは以前、教師の不祥事を調べていたことがあるのですが、その不祥事には、わいせつ事件やレイプといったものが多かったのです。それも、20代の教師よりも40代50代の教師に多かったように思います。いえ、正確な統計をとったわけではないので、実際のところはわかりませんけどね。(実は最近、起こっている教師による不祥事をアップしようと思ったんですが、どうもこのブログだと、自動的に「公序良俗は反する」単語が入っているらしく、アップできなかったんです)でも正直、う~ん……と、思ってしまったのは事実です。電車内での暴力でも、加害者で一番多いのは50代だといいますし……別に若者の味方をする気も、40代50代を敵に回す気もないのですが、若者を指導するのが年長者の務めであるとすれば、あまり威張れたものじゃないなあと……ま、わたしもその年代なんですけどねえ……(苦笑)どうもね、いまあぶないのは、若者より大人なんじゃないかと思うときが、ときどきあるんですよ。本当は、キレやすいのは経験が少ない若者で、年長になると落ち着かないといけないはずなんですけどねえ……さてさて、困ったものです。「荒れる大人たち」なんてあまりカッコよくないと思うけどなあ……でもね、わからないでないんですよ。40代50代の年齢になると、男性性、女性性が薄れてきてしまいます。これまで、これは男としての自信や女性としての自信や自覚が、消えていくという恐怖や焦りを伴います。更年期障害が起こってきたり、不定愁訴に悩まされたりもしてくる年齢です。イライラもしてくると思います。子育てをしてきた人であれば、子どもに手がかからなくなり、子育てに熱心な人ほど、自分のアイデンティティの喪失感などで不安になってしまったりもします。老人といわれる年齢になれば、支援とか援助、あるいは何らかの社会的、世間的な助け舟が出されることも多いのですが、大人といわれる年齢の人には、社会的プレッシャーが強くなるだけで、助けはあまりなかったりします。わたしは、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人に対して「あまりリキまずに、力を抜いていきましょうよ」なんて言いますが、これは『不登校・ひきこもり・ニート』系の人だけではなく、いわゆる「大人の人全般」にも言いたいことですね。あまりリキますに、力を抜いていきましょうよ。肩に力が入っていると、本当の力は出ないですよ。ってね。
2008年07月27日
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「子どもがあぶない!」なんてのは、わりとフツーに聞く言葉ですよね。でも、その「あぶない」とされている子どもを育てているのは“大人”なんですね。日本で起きる殺人事件だって【荒れる十代】が起こす事件は、年間100件前後。その十代や子どもたちを育てている立派な大人が起こす殺人事件は、年間1300件くらいだったりします。自殺はどうか?平成19年の未成年自殺者数は、全国で548人です。去年の自殺者総数は、警察庁の発表によると3万3093人ですから、圧倒的多数の大人が自殺をしていることになります。よく「若者の自殺が増えている」と、マスコミは言いますが、実際のところ、ここ10年くらいでは、増えていないんです。ちなみに年代別自殺者数をあげてみると、60歳以上が前年比8・9%増の1万2107人で最多。次いで50歳代が2・8%減の7046人。40歳代が1・8%増の5096人。30歳代が6・0%増の4767人。20歳代が2・5%減の3309人。最少は12・0%減の19歳以下で548人。もうおわかりでしょう。「最近、自殺する若者が多い」というのは嘘で、本当は「大人ほど自殺をする」のです。人生の重みとか、責任感の違いとかもあるのでしょうが、案外、子どもより大人の方が弱いのかも知れません。『不登校・ひきこもり・ニート』関係では、子ども支援、若者支援のみになりがちですけど、もっと親や大人の支援があってもいいのだと思いますね。親は大人も、深く傷つき、大人であるだけに返って、相談とかもしにくいのかも知れませんしね。
2008年07月26日
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秋葉原に続いて、八王子でも通り魔事件が起きました。容疑者は、菅野昭一(かんのしょういち))33歳。職業、会社員。犯行の理由は「仕事関係で2、3日前からむしゃくしゃしていた」「仕事関係で悩み、事件直近に親に相談したが最後まで聞いてくれなかった。大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出て(家族に)犯行を示せると思った」と、いうものです。約一ヶ月前に起こった【秋葉原通り魔事件】の犯人が、携帯サイトに「目標、ワイドショー独占」という書き込みをしたのと、同様の自己顕示欲と、親への不満があります。同じように、7月16日に起こった【愛知バスジャック事件】もまた、親への不満が、犯行の原因のひとつでした。つまりここで【秋葉原通り魔事件】【八王子通り魔事件】【愛知バスジャック事件】の共通点として、親への不満、親への鬱憤があげられるということになります。親への不満があり、その不満を親にではなく、無関係の人に向けるという共通点。さらに、もうひとつ。この三つの事件は、すべてコピーキャットなのです。コピーキャットとは、模倣犯、猿真似の意味で、決して尊敬される言葉ではありません。【秋葉原通り魔事件】の犯人は、【神戸連続児童殺傷事件】、別名【酒鬼薔薇事件】や、【西鉄バスジャック事件】と同い年であり、マスコミよると、この年に生まれた人に、共通する“何か”があるのでは?と、いうものもありますが、約120万人いる彼らの同年代だけが大きく他の世代と違っているとは思えません。むしろ、彼らの同年代に、印象深い【神戸連続児童殺傷事件】が、最初にあり、その犯人に、負けまいと事件を起こしたのが【西鉄バスジャック事件】の犯人。同年齢で、その二つの事件の影響を受けて、真似をしたのが【秋葉原通り魔事件】の犯人。【西鉄バスジャック事件】を模倣したのが、【愛知バスジャック事件】の犯人。【秋葉原通り魔事件】を猿真似したのが【八王子通り魔事件】の犯人ともいえるでしょう。つまりは、ひとつの事件から次々に負の連鎖を起きたともいえます。そして、自我が確立していない、つまり幼い未熟な人間は、そういった事件の模倣をしてしまう傾向があるようです。それは、十代の自殺でもっとも多いのが、有名人の自殺やいじめ自殺、その時代で流行している自殺などを“模倣”した【連鎖自殺】であることからもわかります。幼稚であるが、自我や自己愛は人一倍強い。誰かに認められたい。認められるだけの実力はあるはずだと思っているのですが、その実力はなく、実力を試すこともしない。あるいは試した結果、思うようにならなかった。しかし、悪いのは自分ではない。自分が認められないのは、社会や世間が悪い、社会や世間のせいで、いまの自分はダメなのだ。と思ってしまう傾向があるようなのです。自分がダメなのは、自分以外のみんななのですから、当然、その復讐の相手は、自分以外の誰でもいいわけです。こういった犯人が口を揃えていう言葉。「誰でもよかった」は、自分以外の誰でもいい“誰か”に、責任を転嫁させた結果起こります。特に、今回の【秋葉原通り魔事件】の犯人は25歳。【八王子通り魔事件】の犯人は33歳。両人ともたっぷりと【おとな】の年齢なのです。それにしてはあまりにも未熟!あまりにも幼稚!しかし、【秋葉原通り魔事件】も、【愛知バスジャック事件】も、【八王子通り魔事件】も、これらは『不登校・ひきこもり・ニート』の周辺事態であり、これらの事件に共感している『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちはとても多いのです。また、【八王子通り魔事件】の容疑者は、少年時代不登校であったのも事実です。『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちも、自我や自己愛が強い傾向にあり、同時に精神的に不安定で思ったようにいかず、苦しんでいる人たちが多いのです。今回の一連の事件を通して、わたしは、【親子の問題】と、【犯罪の負の連鎖】について考えざるをえませんでした。こういった人たちは、やはりまた出てくると思います。そして、社会がこういった人たちを出ないような世の中にするというのは、遠い未来のような気がします。では、自分たちの周囲で、少しでもこういった悲しい犯罪者を出さないようにするには、どうすればいいのか?おそらく、各家庭や家族、各親子、各個人で、できることや、しなくてはいけないことがあるような気がしています。また、わたし自身、そういった思いもあって、このブログを書いていたりするのです。
2008年07月24日
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どうも皆さん、こんにちは、『愛の言霊(ことだま)使い』の巨椋修(おぐらおさむ)です。(笑)日本人というのは、太古の昔から、言葉には魂が宿ると思っていました。口から放った言葉に霊魂が宿り相手に届くと考えていたのです。それが言霊(ことだま)言霊をわかりやすくいいますと、わたしたちはよく「縁起でもないことをいうな!」って言いますよね。これは「縁起でもないこと」つまり、不吉なことを口から出すと、その不吉なことが実際に起こってしまうと考えたからなんです。「縁起でもないこと」、これはマイナスの言霊というわけです。だからこのような言葉は忌み言葉になったわけです。では、プラスの言霊はどんな言葉でしょうか?それは、皆さんが言われてうれしい言葉です。「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「最近、綺麗になったんじゃない?」「いいねえ」「素敵!」「すばらしい」などなど……こういう言葉をかけてくれる人に対して、わたしたちは何となく、好印象を持つものです。では、不吉な言葉とまでは行かないまでも、マイナスの言葉は……それは意外と、口うるさいお母さんとか、上司、学校の先生が“この子のため”と、思って言っている言葉だったりします。「まだまだだな」「もっとがんばれ」「よくやった! でも○○くんは、もっとがんばってるぞ」「ちゃんとしなさい」「ダメじゃないか」「ほんとにバカねえ」などなど。いわゆる叱咤激励です。心が健康のときは、叱咤激励でもいいんですけど、少し傷ついていたりすると、普段の何十倍も心に重いものが元気とやる気を奪ってしまいますよね。もちろん、叱咤激励が悪いわけじゃない。時と場合や相手の心理を考えていうなら、とても有効です。また、悪い言霊と思われるものに、最悪のこと、縁起でもないこと、不吉なことがありますが、これは、もう逆に、充分に考えて、最初から、最悪の事態に対して、対処法を考えて、準備しておくべきです。例えば、地震がくると言うから地震がくるわけではなく、それは地球物理的にくるわけですから、言霊ではなく、いざというときのために、備えておく。受験なども、落ちるとか滑るなどと言う言葉は縁起でもないと、考えるのをやめるのではなく、万が一、落ちたり滑ったときのために、第二、第三の備えをしておくべきです。言霊は、そういった物事より、対人関係に効くものなのです。プラスの言霊、マイナスの言霊は、別の日本語を使えば、このように表現できます。プラスの言霊=祝いマイナスの言霊=呪い祝(しゅ)と呪(じゅ)というのは、どちらも同じ口から出る人間の言霊なんですよ。いい言霊は、人を元気にします。悪い言霊は、人の心をダメにしていきます。いい言霊を放つ人は、人気者になれます。(当たり前です(笑))悪い言霊を放つ人は、人から疎まれます。(これも当たり前です)いい言霊を放てば、運が良くなります。悪い言霊を放ては、運は悪くなります。これらも当たり前のことですね。さあさあ、どうせなら、これからどんどんいい言霊を放とうではありませんか。すると、どんどんと良くなってきますよ。まずは、あいさつとありがとうからはじめましょう。(笑)
2008年07月23日
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今週の『週刊現代』に、【秋葉原通り魔事件】犯人の弟さんによる手記が載っています。手記は、あの事件が起きた後、家族がどのようになったかを書いているのです。事件の後、母親は、ショックのため精神科に入院します。父親は、しょっちゅうマスコミが押しかけるので、仕事ができなくなります。弟さんは、仕事を辞めることになります。母親は、入院後不眠になり、強い薬でやっと眠るようになり、その結果、ろれつが回らなくなり、一切の外出禁止。自殺の危険があるとのことで、眠っているときも、一時間おきに看護師が見回りにきているそうです。弟さんは、母親の容態が悪化し、面会できないため、母親に出した手紙が掲載されています。「母へ良くなりかけた体調がまた悪化したと聞きました。(中略)俺たちのような家庭は、程度の差こそあれどこにでもありうるのかもしれません。手記を読んだ人がなにかに気付いてくれれば。そうすれば将来において犯罪がひとつでも減るかもしれない。防ぐことができるかもしれない。確かに狂った家庭ではありました。それは受け入れてください。ですが、それと事件とはなんの関係もありません。ですから、自分のせいだと苛(さいな)むことはしないでください。俺がその証拠です。同じように育った俺は実にまっとうに生きています。俺は生まれてきて良かった、生きていて良かったと思っています。(後略)」この手紙は、弟さんが書いた手記を、母親が読み「母親が自分が両親に対する憎しみから手記を書いたのでは」と思い込み、急速に容態が悪化したと聞いてかいた手紙だそうです。この手紙の後、母と弟さんは、電話で話しをします。そのときの話では、母親は犯人が20歳で上京する直前に、育て方がおかしかったと謝罪をし、犯人は母親を許したということも、今回の手記に書かれています。家庭内暴力が続いていた家ですから、犯人が強制的に謝らせたのかも知れません。そこらへんのところは、手記に書かれていませんので、何とも言いようがありません。そのとき母親は、弟さんにこんなことを言ったそうです。「育て方はおかしがったけど、確かにひどいことをしたけども、何でそんなことをしでしまったのか自分でもよくわがんねのや。ごめんね。大人になったふたりだったら、私の気持ちわがってもらえる?」そして最後に、母親は「家族が仲直りできればいいな」と、静かにつぶやいたといいます。この家族は、両親は別居、子どもたちは親元を離れ、特に交流もないバラバラであったといいます。また、それ以前から家族にこれといった会話もなくなっていたといいます。それまで、交流が途絶えていた家族が、この事件によって、また会話がはじまったという皮肉。手記には次のように記されています。「亡くなった犠牲者の遺族の方々、被害者の方々の苦痛を重く受け止める一方、事件によって私たちが本当の意味で家族になりつつある皮肉な現実……」と。犯人も弟さんも、不登校でもひきこもりでも、ニートでもありませんでしたが、これに似た家庭というのは、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちに少なくないように思えます。ほとんどの家庭の場合、幸いにもまだ大きな犯罪などは起こっておらず、この犯人家族のような悲劇には至っていないことでしょう。しかし『不登校・ひきこもり・ニート』といった事柄から、家族とは? 家庭とは? と考えるきっかけになるかも知れません。もっとも、『不登校・ひきこもり・ニート』というのは、育て方が正しいから起きないとか、言い切れるものではありません。どんな育て方をしようと起きるときは起きてしまうものなのです。そして母親の言葉……「家族が仲直りできればいいな」この言葉が妙に重く心にのしかかります。 ※手紙・手記の文章は、筆者が読みやすくするために、多く改行をしてあります。
2008年07月22日
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巨椋(おぐら)です。このブログを読んでくださっている方より、以下のようなメールをいただきました。========================================いつも興味深く読んでいます。今、15歳の息子が俗に言うひきこもりです。今年中学を卒業し、家にいます。おぐらさんの仰ることは共感することが多いのですが・・・記事の最後のほうにある宣伝?はいかがなものかとだって、クリックしてみたら不登校を治すにはとか、何日間で解決とか見出しを見ただけで怪しげな雰囲気ですよ。おぐらさんの記事にはふさわしくないのではないでしょうか・・・=========================================メールありがとうございます。ご指摘ごもっともでございます。「記事の最後のほうにある宣伝」というのは、ブログのあとに「不登校は90日でなおる」だの「ひきこもりが○○日でなおる」みたいな文句で、自分たちの「商材」を売っている人たちの広告のことですね。さっきチラリと見ましたけど、まともなところもあれば、相当に怪しいというかひどいのもありますね。(苦笑)これはこの【楽天ブログ】のスポンサーであって、わたしにはどうすることもできないのです。このブログというのは、無料でわたしが書かせていただいているかわりに、【楽天ブログ】の広告が入ってしまいます。実は、すでに何人かの人から言われておりまして、わたしが、そういった「商材」を売っているのではないか? という人がいたりもするわけですが、わたしとは一切関係ございません。また、こういった無料ブログで書いている限り、そういった広告が入ってしまうのは仕方がないということでしょうね。また、そういった広告がすべて偽者とはいえませんしね。本当に優れた「商材」なら、むしろオススメしたいくらいなのですが、ひとつ言えることは 「○○日で『不登校・ひきこもり・ニート』がなおる」みたいなことを書いているのは、まず信用できない!ということです。そういうのは、不登校や、ひきこもりに苦しんでいる人を食い物にしている人たちであると思っていいでしょうね。苦しんでいる皆様には、こういった悪徳業者に気をつけてくださいとしかいいようがありません。いえ、このように「商材」として売っている人たちだけではありません。NPO団体や、支援団体を名乗っているようなところでも、怪しいところやいい加減なところが結構あったりします。その区別の仕方としては、○○日でなおるなどという言い方としているところは、怪しい。(例えば「3日で20キロやせる」という薬を通販しているようなものを、あなたは本気で信用しますか? そもそも『不登校・ひきこもり・ニート』は病気じゃないですから、なおるとかそういう問題じゃないですしね)ある政治や思想、宗教に偏っていることろは避ける。(国家や社会が悪いからとか、学校が悪いからとか、○○教に入信すれば良くなるみたいなところは避けましょう)これらは、『不登校・ひきこもり・ニート』の人や、弱っている人たちを食い物にしている業者と思えばよろしい。こういった業者は結構ありますので、皆様、充分にお気をつけてくださいませ。
2008年07月20日
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読売新聞に次のような記事が載っておりました。=======================================「なりすましメール」でいじめ急増…取り締まり難しく(読売新聞 - 07月18日 14:45)********************************************************************************* 他人の携帯アドレスや名前を偽装する「なりすましメール」を悪用したいじめが、中高生の間で急速に広まっている。 クラス全員から悪口のメールを送られたと思い込み、不登校になる子どもも出ているが、アドレスを偽装する行為自体は違法とはいえず、取り締まりが難しいという。 今年に入って既に約300件の相談を受けた「全国webカウンセリング協議会」(東京都)では、「人間不信に陥る前に、まず窓口に相談を」と呼びかけている。 送信元アドレスの偽装は、「匿名メール」などと呼ばれる携帯サイトに接続し、表示したいアドレスを打ち込めば簡単な操作で可能だ。受信者の携帯画面上には偽装アドレスだけが表示され、本当の送信者のアドレスは表示されない。 一部の悪質業者がスパムメール(迷惑メール)の送信元偽装に利用していたとされるが、この手法が1年ほど前から、子どもたちの間で流行し始めた。 同協議会に寄せられたメール絡みの相談件数は、昨年4月までは1か月に0~2件だったのが、昨夏以降、急に増え始め、今年4月には89件、5月は76件に達した。その大半が、なりすましメールだという。 東京都内の中学生は、突然、クラス全員のアドレスで「うざい」「死ね」などといった内容のメールを受け取り、以来、学校に登校できなくなった。学校が調査したが、送信した生徒は見つからず、連絡網代わりにクラスで公開しているメールアドレスが悪用されたなりすましメールと判断。しかし、誰のいたずらだったのかは、とうとう分からなかったという。 また、埼玉県内の高校では、同じクラスで交際している男女にそれぞれ「もう絶交」「すぐ私のアドレスを消して」とのメールが届いた。2人はケンカ別れしたが、その後、交際を快く思わない友人によるなりすましメールだったと分かった。 なりすましメールの中には、発信者を偽装したメールを最大1万件まで発信できる「メールボム」や、携帯サイト上で無料で取得できる「サブアドレス」を悪用したものも。サブアドレスの場合、1人で複数のサブアドレスを取得できるため、いじめのたびに使い捨てにするケースも報告されている。誰から送られてきたメールか分からないまま、クラスメートしか知らないはずの話題を織り交ぜながら悪口を書かれ、精神的に追いつめられるケースもあるという。 捜査関係者によると、国内では虚偽のアドレスを使って送信する行為を規制する法律はない。仮に相手を中傷する内容のメールだとしても、掲示板のように誰もが見られる状態ではないため、刑法上の名誉棄損にもあたりにくいという。 ◆設定で防止可能◆ なりすましメールは、端末の設定を変えるだけで防ぐことができる。NTTドコモは「受信拒否」の設定を「弱」に、auは「フィルターレベル」を「低」にする。ソフトバンクの場合は、「オリジナルメール設定」で受信しない設定にできるという。**************************************************************************わたしは、悪質ないじめを、『いじめ』という言葉で括ってしまうことについて、どうかなと思っています。つまり「犯罪」と「いじめ」に一線を引いた方がいいのではないかと思うことがあるのです。例えば、「カツアゲ」といわれる金品を恐喝する行為も、学校内で行われた場合、「いじめ」として対処されることがあります。しかし恐喝は、重い罪なのです。どれくらい重いかというと、成人がやれば10年以下の懲役刑であり、例え未遂であっても処罰されます。「カツアゲ」でも、暴行があったり、場合によっては、強盗罪となり5年以上30年以下の懲役刑となるのです。殴る蹴るといった暴力行為は、暴行罪になります。暴行罪は、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料。それで相手がケガをしたら傷害罪です。傷害罪は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金。相手は子どもですから、ケンカをすることもあるでしょうし、また、多少のケンカや、「いじめ」行為もあることでしょう。大人であっても、人間社会には、どのような集団でも「いじめ」や「ケンカ」「いさかい」といった行為は必ずあるものですから、細かいことであれば、事を荒立てずに大目にみたりすることも必要でしょう。しかし、これくらい重い罪であるということ。場合によっては、加害者が子どもであっても罰せられるということも、教えておくべきとも思います。さて、上記に新聞記事ですが、これは「カツアゲ」でも「傷害」でもありません。陰湿な「いじめ」です。しかも“なりすましメール”という悪質な手段を学習しての「いじめ」です。「いじめ」というのは、加害者側にとっては、軽い憂さ晴らしであったり、ちょっとした意地悪であったり、悪戯のつもりであったりするだけの場合もありますが、やられるほうにとっては、たまったものではありません。そして、この「いじめ」は、10年前にはなかった類のものなんです。つまり、これまでの「いじめ」への対処法では、通用しにくいものです。例えば、昔なら「いじめに負けるな! いじめっ子なんてやっつけてしまえ!」などといったことをいう人が結構しました。(ハッキリ言って、昔であろうと今であろうと、こういったマンガ的発想で、「いじめ」に対処ですことは、相当に無理があるのですが……)パソコンや携帯を使ったメールは、クラス内の強者であろうと、問答無用で襲い掛かってきます。実際にクラス内の弱者(いじめられっ子)が、携帯やパソコンから、クラス内の強者(いじめっ子)を攻撃し、それがバレて暴行を受けたり、警察が乗り込んでくるような事件になるということも起こっているのです。「いじめ」は、大人社会であろうと、どこであろうと起こりうることです。わたしはこれまで、「いじめ」を受けたことがないという人はいましたが、小さな意地悪も含めるなら【いじめをしたことがない】という人と、会ったことがありません。「いじめ」をさせないという強さも必要かも知れませんが、同時に「いじめ」をしないという強さも必要であろうと思ったりします。そして、「いじめ」を受けたときに、逃げるという強さも必要でしょう。この場合、「強さ」を「教育」と言い換えてもいいかといいかも知れませんね。さらに、そういった「いじめ」を受けたときに、ひとりで悩まずに、「相談」をするという勇気や、「相談」する方法や場所なんかも教えておく必要があるでしょうね。ですから、もし、あなたが、そういった「いじめ」を受けたときは、一人で悩むのではなく、どこか「相談窓口」にいってみてください。それも、できたら一つの窓口だけではなく、複数の窓口に相談をしてみたらどうでしょう?案外、「いじめ」から逃れるいい方法が、見つかるかも知れませんよ。
2008年07月19日
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08年7月12日のJ-CASTニュースに以下のような記事が載っていましたので紹介します。************************************ 「ニートはどうして男だけなの?」 そんな疑問が正しくないワケ 「ニートはどうして男だけなの?」。そんな疑問でネットが盛り上がっている。確かにテレビ、雑誌などが報じるニートは男性ばかりだ。「男は女を見習うべきだ」といった意見も出ているが、実際は男女半々なのだそうだ。とすると、なぜ、男性ニートばかりがクローズアップされるのか。 「男が女性を見習うべきだと思います」 「ニートはどうして男だけなの?」が話題に 巨大掲示板「2ちゃんねる」に2008年7月9日にこんなスレッドが立った。 「どうしてニートは男にしかいないのか?」これに対するカキコミには、「男がもう少し女性を見習うべきだと思います」「女は働かず結婚すべきという偏見があるから、ニートと呼ばないのです」「女は家事手伝いを公言できるから」 一般的なニートの定義は、学校に通っておらず、働いてもおらず、職業訓練も行っていない、15~34歳までの若年者。内閣府が05年7月に出した「青少年の就労に関する研究調査」によれば、02年のニートは約85万人。この調査では、メディアによく引用される厚生労働省の「労働経済白書」(04年)のニートの数字52万人と比較している。この数字の開きは「家事手伝い」を含むか含まないかの差だと表記している。「家事手伝い」とされているのは女性がほとんど。実際のニートの男女比は半々なのだそうだ。 それなのになぜ、「ニートは男性」のようなイメージが強くなってしまったのだろうか。「我が子をニートから救う本」「小島貴子式 仕事の起爆力」などの著書がある立教大学大学院ビジネスデザイン研究科小島貴子准教授はJ-CASTニュースに対し、 「日本は男女に関して、画一的、表面的なものの見方が続いているため、仕事をしていない男性に対し、より厳しい目を向けている」と説明する。女性の場合は「家事手伝い」という立場が社会的にも一応認知されていて、仕事をしていなくてもやがては「結婚、主婦」という言い訳が通じる。また女性の場合、一生働き続けるという文化が未成熟なのも影響しているというのだ。 面接でも女性は「家事手伝い」が通じる さらに、ニートから脱却するのも男性の方が不利なのだという。ニートがいきなり毎日・フルタイム働くのは難しく、ランディング(訓練)する期間が必要な人もいる。女性の場合は派遣社員になった場合でも短期間・短時間働ける職種があるのに比べ、男性は少ない。就職面接でも女性は「家事手伝い」が通じるが、男性の場合は就職していない「空白期間」を問題にされたりする。 小島さんは、男性のニートについて、 「親が子に対し、働く前から正社員になれ、長く勤めろ、など強い要求をしたり、『男の子なんだからしっかりしろ』といったために、逆に働けなくなってしまう場合が多い」と明かす。ニートの子供を持つ親は、子供に期待しすぎて信頼していないケースが多く、むしろ、期待せずに信頼することが、子供を立ち直らせる事に繋がるとしている。また、ニートの男性も、社会復帰した最初から完璧にやり抜こうなどと言う気負いは捨て、徐々に慣れればいいという気持ちが必要だとしている。そして、 「本人の問題より、企業が採用の窓口を広げることが最重要。継続して仕事が続けられるように職業訓練をすることも必要です。そうしなければ現状は変わりません」 と話している。**********************************どうもね、女性の『家事手伝い』を、職業をして認めるか、認めないかで、ニートの男女比がどうなるか変わってくるみたいなんです。ちなみにわたしは、女性だけではなく男性の『家事手伝い』も、職業として認めていいと思っています。男性の『家事手伝い』を認めるということは、男性の『専業主夫』を認めるということでもあります。なぜならば『家事手伝い』とは、花嫁修業のことであり、専業主婦になるための準備中ということであり、専業主婦というのは、夫は外で現金を稼いできて、妻は家庭の仕事をするという家庭内分業ということで『専業主婦』もまた、職業のひとつと考えていいということです。ただ、ニュースの記事にもあるように、現実問題として、若い男が『花“婿”修行』をして、それが世間的に認められるような時代や、環境ではないのですが……それとね、ニート問題というのは、男性の家事手伝いを認めるかどうかっていう問題ではなくてですね。ニートの男性のどれくらいが、実際に家事を手伝っているかというと、おそらく……、これはおそらく何ですが、ほとんど手伝っていないのではないか?と、想像するわけです。まあ、ちょっとした買い物とか掃除くらいはしている人も多いでしょうが、それが職業とか、職業訓練とかいえるほどはやっている人は、まあ少ないでしょう。なぜならニートというのは、「就業、就学、 職業訓練のいずれもしていない人」のことですから、『花“婿”修行』『花嫁修業』をやっている人は、真性のニートとは言えないでしょうし。いや、むしろ『花“婿”修行』とか『花嫁修業』をやってみたらどうでしょう?例えば、料理教室に通ってみるとか。女性に聞くと、料理のできる男性は、結構魅力的だそうですから、女の子にアピールできるかも知れません。男性にとっても、料理のできる女性は魅力的ですし。ある程度料理とかの心得があると、飲食関係の仕事とかに挑戦もしやすくなるでしょうし。あるいは、もしかしたら、見事に『専業主夫』か『専業主婦』になれるかも知れませんしね。(笑)
2008年07月18日
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『不登校・ひきこもり・ニート』というのは、すでに若者だけの問題ではありません。不登校が、まだ【登校拒否】と呼ばれて注目されだしたのは、1980年台です。そのときの子どもたちで、いまだに不登校(登校拒否)問題のつまづきから脱しきれず、すでに35歳を越えている人がたくさんいるのです。いえ、すでに40歳を越えている人もいるのです。また、50歳からはじまる『ひきこもり』の人もいるのです。文部科学省が、2001年に発表した不登校児童生徒を追跡調査した結果よると、● 中学校卒業直後に進学した者のうち、卒業・修了した者 58%● 中退した者 38%と、小中学校で不登校児童生徒のうち4割が、高校を中退するのです。さらに● 中学卒業5年後の調査時点えで「就学・就労ともにしていない者」 23%20歳の時点で、23%の不登校児童生徒が、いわゆるニートになるということです。さて、これは文部科学省の【不登校経験者】の20歳までのデータ。本日のテーマは、『不登校・ひきこもり・ニートは若者だけの問題じゃない!』ですから、それよりも年長の人たちのことを調べてみましょう。一般に、不登校経験の3割ほどが「ひきこもり」になるといわれていますが、東京都による「ひきこもりの実態調査」によると、ひきこもりでもっとも多い年代は、30~34歳で、その年代の人が、ひきこもり全体を占めるパーセンテージは 42.9%!!え~、念のためいっておきますと、この調査は2008年に発表されたものなんですけど、住民基本台帳から15歳以上34歳以下の男女3,000人を無作為抽出し、調査員の戸別訪問によりアンケート調査を行ったものです。いいですか?15歳以上34歳以下!それ以上の年齢の人は、調査の対象外なんですよ!ちなみに他の年代のひきこもり者がどれくらいいるかという結果も書いておきましょう。●15~19歳 17.9%●20~24歳 17.9%● 25~29歳 17.9%●30~34歳 42.9%と、最高年代である30~34歳のクラスが一番多い!調べた人数の中で、この年代が一番多かったというのも、パーセンテージが多い理由であり、就職氷河期という問題もからんでいるのでしょうが、それにしても……、と、思わざるをえません。なぜ、調査の年限が、34歳かというと、ひきこもりやニート、フリーターというのは、“若年者の問題”と考えられていて、それらの調査のほとんどが15歳~34歳までとなっているからです。ひきこもり者が、最初にひきこもるようになった年齢はというと、● 25~27歳がもっとも多く 29%● 次いで多いのが13~15歳 18%何年くらいひきこもっている者が多いかという調査では● 「3年~5年」が最も多く 29%● 次いで多いのが「7年以上」21%7年以上……と、長期に渡る場合、当然、調査年限の34歳を越えてしまうことが考えられるわけで、するとその実態は、いまのところ闇の中ということになります。ひきこもりになる年齢で2番目に多いのは、13~15歳とあります。これはいわゆる「不登校」のことです。ひきこもりになる原因は● 職場不適応 25%● 病気 25%● 不登校 18%● 人間関係の不信 18%と、なっています。職場不適応にせよ、不登校(学校不適応ともいえます)にせよ、人間不信にせよ、これらは、人間関係能力や、コミュニケーション能力の問題が大きいことを示しています。これらのことを考えると、人間関係能力を高めるようにすることが、問題解決のポイントであるように思えます。また、当事者がそのままでいると、やがて高年齢化して、ますます社会と縁遠くなってしまいますので、少しずつでいいですから、早め早めに、対応していった方がいいようですね。『不登校・ひきこもり・ニート』の問題は、もうすでに若者だけの問題ではないのです。 『不登校・ひきこもり・ニート』は、生活能力に乏しく、何らかの援助がないと生きていくのが困難です。わたしたちは、その現実を直視なければいけない時期が、もうすでに来ているということであり、ただ、だまって見守っていればいいというわけではなさそうです。
2008年07月16日
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不登校の解決というのは、実質のところ2点に集約されます。学校へ通うのか?そうではない人生を選択するのか?ただそれだけのことです。一般に不登校は、義務教育である、小中学校の時代に起こることですから、中学を卒業時に、高校進学を選択しない場合、中卒ということになります。あるいは、高校に進学したとしても、卒業せず途中で退学した場合は、やはり最終学歴は中卒。つまり、不登校問題の表面的な問題は“中卒でいいのか?”と、いうことでもあります。高校進学や止めたり、高校を中退した場合でも、それで「学歴が終わる」ということはなく、「高校卒業程度認定」(通称;高認(こうにん))を受けて合格すれば、高校卒業と同程度の学力があることが証明されたとして、大学受験や、その他、高校卒業資格が必要な就職試験などが、受験できます。高認は、8~9の科目があり、各科目とも40点が合格基準となっていて、必要な科目の合格基準をすべて満たせば高卒認定合格となり、一部の科目だけ合格した場合、翌年以降、合格した科目は免除になるため、改めて受け直す必要がないといいます。また、高認は16歳から受験することができ、何度でも受けられますから、高校を行かないという道を選択した人は、公認合格を目指すというのも、ひとつの方法でしょう。話を戻しましょう。不登校の解決としての方法は小学校、中学、高校への学校復帰。高校、大学、専門学校への進学。就業。という方法が、表面的な解決です。表面的ではない“何か”が、あるのか?あります。不登校になった当事者や、あるいは保護者は「不登校になってしまった」という、心の傷といいましょうか、コンプレックスといいましょうか。ある種、「不登校」という言葉の呪いにかかってしまうのです。 つまり、不登校から関係のなくなった年齢に達しても「不登校」という言葉が耳に入ってしまうと「ドキッ!」と、したり妙に心に引っかかったりしてしまうのです。そういった人の中には、元経験者として、不登校支援を行う人がいたり、あるいは「不登校研究者」として、不登校に関わり続ける人もたくさんいます。おそらく自分が不登校、もしくは不登校児の親であったという経験から、後輩の役に立ちたいという心からで、とてもいいことだと思います。同時に、いまだ癒えていない傷を、仲間たちと一緒に癒して行こうという心があるのかも知れません。どのようなカタチにせよ、当事者、保護者を合わせて、「不登校」という言葉に「ドキッ!」としたり、妙に気になったりするということになったとき、そのときが、本当の意味での、「不登校の解決」ということになるような気がしていますこれは「ひきこもり」や「ニート」という言葉でも、同様だと思いま。
2008年07月15日
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え~、まず最初に【オルタナティブ教育】と【教育バウチャー制度】についてカンタンに説明しておきましょう。【オルタナティブ教育】とは;オルタナティブとは、既存のものと取ってかわる新しいもののこと。二者択一。代替物という意味。オルタナティブ教育は“学校選択制”とも呼ばれることがある。【教育バウチャー制度】とは;子どものいる家庭に、バウチャー(クーポン券や引換え券みたいなもの)を配って、保護者や子どもが自由に学校を選択し、学校は集まったバウチャーの数に応じて行政から学校運営費を受け取るという制度。これらの教育制度は、不登校関係者から支持されていることが多くあるようです。わたしも、この制度については一考してみてもいいと思ってはいるのです。しかし同時にオルタナティブ教育やバウチャー制度を採用した場合、おそらく教育や学校における【競争】が、いま以上に激しくなると思っています。どうもね……不登校関係者の中には、「教育に競争や評価はいらない」と思っている人が多いらしく、これらの制度は「平等である」と、思っている人がいるみたいなんですね。これらの制度はどう考えても、自由競争制度であり、その結果教育格差が広がる制度でもあるんです。つまり、代替学校や学校選択制、バウチャー制が実行されたら、人気のある学校に児童生徒が集まってくるわけです。人気のない学校やクラスには集まりません。つまり、人気のない学校は淘汰されて、無くなるか寂れていく。多くの親は「子どものためなら」と思っているわけですから、人気のある学校や成績優秀な学校に子どもを入れたいでしょうから、これまで以上に過激な競争が繰り広げられると考えられます。教育バウチャー制度を実施した国では、人気のある学校が遠くにある場合、親は学校の近くに引っ越してきて、地価が高騰し住民は高所得者層になり、気のない学校があると、地下が下がり、住民は低所得者層で治安も悪いなんてことがあるそうなんですね。いまの日本でも、そういった面は出てきており、【オルタナティブ教育制度】や【バウチャー制度】は、その傾向をよりいっそう広めることになりそうです。かといって競争のない教育ではどんなものがあるかというと、全体主義的な教育といいましょうか、何が何でも横一列な教育といいましょうか、そういった教育にならざるを得ないような気もします。まあ、何事も【選択の自由】というものがあると、必ず【競争】が生まれますね。これを【恋愛】や【結婚】に例えてみれば、すごくわかりやすいんです。どうしても人気のある人と、そうでない人に分かれますから。そしてその人に対して競争が生まれることでしょうね。で「それはいけない! 恋愛も結婚もすべて平等にすべし!」ということになったら怖い。(笑)恋愛や結婚の自由競争をなくして、全員平等に恋愛や結婚をするために、自由恋愛や結婚を禁止して、お上が決めた相手と結婚することを義務化したらもっと怖い。気に入らない相手が抽選とかで当たったりして、もし嫌がったら「お母さんは、そんな好き嫌いをする子に育てたつもりはありませんよ!」なんて言われて、きらいなタイプの相手でも泣く泣く結婚させられたりして。(笑)いやいや、もしかしたら国家が「結婚や恋愛は異性の平等分配しなければ不公平である! 結婚や恋愛に競争はいらない! 異性は平等分配すべし! 相手は国家が公平に決定します!」なんてことになったらもっと怖い!(笑)まあ冗談はさておき、このようなわけで【オルタナティブ教育】とか【教育バウチャー制】は、より激しい競争と格差、淘汰を生むことになると考えられます。しかし、わたし個人としては、教育の選択肢は多いほうがいいとも考えているのです。はたして、本当にこれらの制度がいいのか悪いのか……さてさて、難しいものですねえ……
2008年07月14日
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フリースクールというのは公学校と対立するところから、その歴史がはじまっています。最初、フリースクールは学校の代替学校というところや、学校を拒否するというカタチからはじまっています。しかし、フリースクール経営安定のためには、どうしても公的資金が欲しい。フリースクールは学校を拒否していながら、公学校の代替学校というカタチからはじまっていますから、フリースクールによっては【学校は拒否するけど、我がフリースクールは学校として認めて欲しい】という複雑な学校コンプレックスがあるように見受けられるのです。例えば、日本で最初にできたフリースクールは「東京シューレ」というフリースクールなのですが、その東京シューレ自身も、最初は「反学校」「学校拒否」という体質があったようです。しかし、学校を否定、学校拒否をしていた東京シューレは、2006年に公的中学校を作りました。これはなぜかといいますと、おそらく「やっぱり公学校でないとダメだ」という本音もあったと思うんですよ。東京シューレの児童生徒の進路は、以前、放送大学に出演されていた東京シューレの先生が言うことには約50パーセントが学校復帰か、高校大学等に進学。約25%が、フリーターとかアルバイト。約25%が自宅にいたり、またシューレに戻ってきたりするそうです。 この数字は、親や当人にとって切実な問題で、結局、学校に戻るか進学しないと、ニートかフリーターになるということを表しています。ニートやフリーターが悪いということはないのですが、多くの場合、それが望ましいと思っている人は少ないと思います。これ、凄く皮肉な結果です。 つまり【反学校的】であったにも関わらず、学校復帰による不登校問題解決が半数。残りの半数が【フリーター、ニート、ひきこもり】というのがその“成果”であり“現実”であることになるのです。としたら「やはり、無理にでも学校へ行かなきゃ……」と、なってしまう可能性が大きくなるのです。これでは、シューレなど、「反学校的」なフリースクールや不登校支援者の本意ではないと思われます。また、いくら「教育に評価や成果主義はいらない」と、いったところで、親や本人にとって不安になってしまいます。わたしが、いまここでこんなことを述べていることを快く思わない関係者は多いかも知れません。しかし、真剣に不登校という問題と向き合っていくためには、このことを避けるというのは、むしろ偽善であるようにも思えます。これらの現実をかんがみて、フリースクールについてどのように考えればいいのかと申しますと、●フリースクールは、教育機関という側面もあるが、単位制や通信制学校と提携していないフリースクールの場合、学校というより不登校児の【居場所】の側面が強い。●フリースクールを卒業・修了しても、進学や就職、資格取得に必要な学校の卒業資格は得られないため、生徒は高校卒業程度認定の受験や、就職について、別途考えておいた方がいい。(義務教育である小中学校の場合、在籍する公学校の校長の裁量によって、フリースクール等の民間施設に通った期間を、学習指導要録上出席扱いすることができるようになったので、フリースクールに通うことで卒業することができる)●フリースクールは、実にさまざまで、その教育方針やスタイル。規模、会費などの違いがあるため、入会する前に充分に下調べをしておいたほうがいい。できれば、学校VSフリースクールという対立ではなく、お互いに提携しあうとか、協力しあって、当事者や保護者を、より安心できるような場となって欲しいものです。学校に行って自殺するくらいなら、学校には行かないほうがマシですし、子どもの居場所というのは、学校だけでも、フリースクールだけでもないと思っています。わたしは、なんだかそれほど「学校」や「不登校」にこだわることもないような気がしているのですよ。人間が人間を育てる。そのために学校やフリースクール、その他の機関や方法を利用する。それでいいんじゃないかと思っています。(つづく)
2008年07月13日
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不登校への支援機関として「フリースクール」というものがあります。フリースクールというのは、民間施設ですから、いろいろなタイプがあり、その方針も、そのスクール、スクールにより千差万別です。あるスクールでは「わたしの子どもが不登校になったのは、学校が悪いからだ」という論理であったり「いまの学校教育では、不登校になる方が正しいのだ」という姿勢のところもあります。どうもね、その人たちの主張を観察していると学校VSフリースクールとか不登校の児童生徒は、学校に行くかフリースクールに行くか、二者選択しかない。といった雰囲気すらあります。フリースクールというのは、不登校支援の場として、大変に有用な場所であると思うのですけど、そういったオール・オア・ナッシング的な思考はどうなんでしょう?と、いうのはね。少し前に、そういったタイプのフリースクールの連盟が、●文部科学省は、学校に適応指導教室を増やす場合、フリースクールをこれに当てるべき。●公立学校在学者1人当たりの国と地方自治体の教育支出は、高校生112万円、中学102万円、小学生90万円であり、不登校の親は、子どもが学校に行っていないのに、その税金を払い、またフリースクールは公的支援を受けていないため、親は「二重負担」となっている。フリースクールは実質的には不登校の子どものセーフティネット機能をもっており、公的な教育予算を配分すべきであるといった意見書を文部科学省に提出したとか、あるいはこれから提出するとかいう話を聞いたことがあります。う~ん……これ、どうなんでしょう?適応指導教室というのは、言ってみれば不登校児童生徒にとっての【公的フリースクール】というようなものです。学校の教室ですから、その目的が「学校復帰」となっていることは、仕方がないこと。どうも、そこが「反学校」姿勢のフリースクールには気に入らないらしいんですけどね。さっきの意見書をフリースクール関係者がいうと「ライバル企業である公立の適応指導教室は、いりません。そのかわり、我々のフリースクール連盟にお金をください」という風に聞こえてしまいます。税金とフリースクールの会費の【二重負担】というのも、ちょっと違うような気もしますし……それになんといっても、公的な適応指導教室の授業料は無料であり、さして裕福ではない家庭にとって、ありがたい存在であると思うのです。本当に不登校児童生徒のことを思うのなら、「適応指導学級を増やすと同時に、フリースクールにも助成金を」くらいでいいのではと、思ったのですよ。平成18年度の東京都を例にして見てみますと、不登校の相談や指導を受けた機関として、適応指導教室が1,218人。民間の施設や団体は120人と、文字通り10倍の差があるという現実もありますしね。フリースクールは経営が大変であり、いつ潰れてもおかしくないフリースクールがあるのかも知れませんが、同じことを言うにしても、もう少に上手にアピールしてほしいと思ったりします。公的機関ではなく、民間ならではの良さもたくさんあると思いますし。そして不登校児を抱える家庭には、シングルマザーや、裕福ではない家庭も多く、業者にとって商売の対象ではない場合が増えているのも事実です。そういった家庭の人たちを、ぜび我がフリースクールにという思いがあるのかも知れませんが、なんだかこの意見書では、いま話題の「モンスター・ペアレント」を連想してしまいます。まあ、実際にはいろいろな教育方針があっていいわけですから、別に「反学校」の教育機関があってもいいんです。でも、あまりに攻撃的なところや視野の狭い団体を見ていると、やっぱり「なんだかなあ……」と思ってしまいますね。(つづく)
2008年07月12日
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学校はね子どものためにあるんです。学校のために子どもがいるんじゃありません。そこを間違えてはいけません。
2008年07月10日
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※8月2日と告知しておりましたが、イベントが8月22日に変更になましたことをお知らせいたします。ご予定を組んでいただいた方には、大変申し訳ありません。来る8月22日に、新宿ロフトプラスワンにて、トークライブに出演いたします。 今回の主役は、ネットラジオ【オールニートニッポン】で共演してきた【元ひきこもりナ○パ師】夏目涼介が、はじめて本を出版することになりました! これはその出版記念イベントです。 ひきこもりで女の子と話も出来ず ひきこもりのため、ロッテリアでハンバーガーの買い方も知らなかった男が このままひきこもりで、自殺してしまいそうになったとき、せめて女の子とお話をしてから死にたいと思い、街に出かけて女の子に声を掛けてナンパをはじめます。 しかし、そういまくいくはずもなく しかし、捨てる神あれば、ひろう神ありで 生まれてはじめて恋愛をして 壮絶にふられ また付き合い直して、ナン○師を引退するまでの数年間を描いた【絵に描いたようなモテない、ひきこもり男の奮戦記】 よろしければ、ロフトプラスワンにいらしゃって、本人の顔を見てやってください。 「うん、これはホントにモテそうにないや!」 と、確信し、やがて 「彼でもできるのなら、きっとぼくだってモテるようになれるはずだ」 と、大きな勇気がもらえるはず!! では、みなさん。 8月2日、新宿ロフトプラスワンでお会いしましょう! ================================================================== 『僕のひきこもり○ンパ宣言』出版記念イベント ~見逃し三振より、空振り三振~ 【日時】 2008年8月22日(土)開場12時00分/開演12時30分 【会場】 新宿ロフトプラプラスワン 地図 http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/map.html 【料金】 ¥1,000(飲食別) 当日券のみ 【出演】 森下くるみ(A・V女優)、渡部伸(「中年童貞」著者)、巨椋修(漫画家)、アイズさん(プロナ○パ師)、古澤克大(革命的非モテ同盟)、山本繁(NPOコトバノアトリエ)、夏目涼介、司会・月乃光司(こわれ者の祭典)(※森下さんと渡部さんは現在出演交渉中) 【プログラム】 1時間目:夏目さん、おめでとう!(誰も興味ないだろうけれど、夏目涼介の半生を大公開!!) 2時間目:森下くるみの恋愛講座~先生、どうして僕はモテないんですか? 3時間目:アイズ流ナ○パ術を伝授!いざ、歌舞伎町へ!? ※プログラムは事前の予告なく変更されることがあります。ご了承下さい。 【本の紹介】 書名:僕のひきこもりナン○宣言 著者:夏目涼介 プロフィール:1981年生まれ。高校卒業後、自衛隊に入隊。そこで不条理ないじめを受ける。親の反対を押し切って、5年で退職。親元を離れ安アパートでひきこもり生活に入る。2年に渡るひきこもりのあと、NPOコトバノアトリエでボランティア活動を始める。そこで知り合った女性スタッフにフラれたのをきっかけに、ネオにーとの道を歩みながら、ナンパをするようになる。その記録は「ひきこもりナ○パブログ」と題して、ブログで公開されている。 http://natsumeryosuke.seesaa.net/ 出版社: 新紀元社 発売日:2008年7月26日 【お問い合わせ先】 NPOコトバノアトリエ 担当:番野、山本 TEL.050-1071-8324 / e-mail. info@kotolier.org http://www.kotolier.org/
2008年07月10日
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わたしは、小説や本を書いたり、漫画を描いたり、映画と撮ったりしているせいか、ときどき「どうせアンタは、エリートだろ」だの「実家がお金持ちのボンボンなんだろ」と、決めつけられてしまうことがあります。ふふん、だったらいーなと思うよね。両親は、公営団地に住む年金暮らしだし、宗教にハマって貯蓄もないし。わたしの学校の成績はというと、それはそれは惨憺たるもので、どれくらいヒドかったかというと、子どもの頃は、全科目1か2でね。学校の先生も、親も少しおかしいんじゃないかと思ったらしいんですよ。で、小学校のとき、山の中のサナトリウムみたいなところに連れていかれて、IQテストとか、いろいろ検査されたことがありましたね。参照:(わたしのホームページより)http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_46.htm#62あのとき、親と先生から、マジメに養護学級にいかないかと言われたことがあるんです。結局、親が普通学級にと決めたみたいなんですけどね。正直いうとね、わたしは行きたかったんですよ。勉強なんかまったくわかんないし、学校にも自宅にも自分が安心して存在できる場なんかなかったですからね。夜、寝るとき真っ暗になってから、やっとほっとできるんです。小学校の頃は、ふとんの中だけが、安心できる場所でしたねえ。初めて自殺を考えたのも、小学校の4年か5年くらいだったと思います。「自分なんて居ない方がいいんじゃないか」とか「生きているのがつらい」なんて、それなりに真剣に考えてましたねえ。よって、ときどきというか、いまでも「オレってバカなんじゃねーか」って思いますね。参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_392.htm#442わたしだけじゃなくってイトコなんかも同じような目にあったらしい。もっとも彼はちゃんと大学を卒業し、会社員として数年間勤めた後、家業を継いでいますから、たいていは何とかなるもんらしいですな。参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_277.htm#323高校時代はこんな感じだったし参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_420.htm#477この高校だって、よく入れたなーって思いますよ。高校なんか行く気なんかなかったですからね。行けるとも思ってなかったし。高校卒業して、定職に就くわけでもなく、フラフラしていましたね。たまにバイトをやるくらいで、いまでいうニートとかフリーターだったんですよ。周囲には「漫画家を目指している」って言ってましたけど、それはほとんど言い訳でね。何かを目指しているとか、やってるって言わないと、存在が許されないから、とりあえずそう言ってた感じです。実際には、本当になれるなんて、思ってなかったしね。23の時、たまたま投稿した漫画が入賞して、それを言い訳にして家を飛び出したんです。このままこの家にいたら、オレはダメになるって思ってましたしね。前年におばあさんが死んだとき、形見分けで20万円ほど貰ってましたから、それが全財産でね。とりあえず東京に来て、場所も何もわからないから、適当な駅で降りて、不動産屋に飛び込んで、一番安い部屋を貸してくれっていいましたね。するとね、新宿歌舞伎町から道路一本挟んだ大久保って街があるんですけど、東洋一のラブホテル街なの。そこの裏通りにある、いまどきもうないような、三畳間を貸してくれたんです。家賃1万6千円だったかな。ラブホテル街だから、アパートから一歩でると、売春婦やオカマの売春婦が立っているようなステキな環境でね。夜中の買い物は、いつも歌舞伎町でした。それからわたしの、七転八倒の東京暮らしがはじまるんですけね。まあ、いまとなっては、悪くない人生だったと思ってますよ。
2008年07月09日
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SEXの方法のひとつに”SMプレイ”ってのがあるじゃないですか。いわゆるサドとマゾ。縛ったり、叩いたりして喜んでいるのがサド、サディストで、縛られたり、叩かれたりして喜んでいるのがマゾ、マゾフィスト。で、世間一般では、SMっていうのは、”変態”なんて言われているけど、これが夫婦、恋人同士で、お互い了解の元で、あるいは望み望まれして、やっているとしたら、まったく何の問題もないんです。コミュニケーションの方法を、教える人の中には、「自分がやって欲しいと思ったことを、人にやってあげなさい」なんて言う人がいますけど、 これは間違い!大間違い!! だって、「ぼくは、縛られたり叩かれするのが、大好きだから彼女にも、やってあげよう」とか「ぼくはおしっこをかけられるとコーフンするから、彼女にもかけてあげよう!」って言うのと同じなんですよ。(苦笑)また同様に、「自分がやられてイヤだと思うことは、人にやってはいけない」なんていうのも、 そうとは限らない! 人には、好き嫌いや、選り好みってヤツがあるでしょ。いくら、自分が縛ったり、叩くのがのが好きでも、他の人がそうとは限らないんです。つまりね、何が言いたいかと言うと、自分と他人は、違うっていうこと。嗜好が合う者同士が、お互いに楽しむ分にはいいけど、例え、親子、夫婦、恋人、友人と言えども、押し付けちゃうのはよろしくないんです。 SMなんてそういった意味では、”究極”であって、嗜好の合う者以外でやりあうと、まさしく”犯罪”とか、”変態”になっちゃう。人に、自分の嗜好、志向、思考を押し付けるのは、いかがなものかと思ったりしますね。これは、SEXだけじゃなくて、食べ物、宗教、習慣、趣味なんかすべてそうです。コミュニケーションというのは、自分と他人との関係なんです。 自分だけでもないし他人だけでもない。 その中間のうまい落としどころが大切なんですよ。友人に、SMにくわしい人がいましてね。その人がいうにはSMというのは サービスのS満足のM と、いうことらしいんですよ。つまり、需要と供給が合っているということなんでしょうね。(笑)これが合っていれば、まったく問題ないとも言えます。昔、知り合い女性で、SMクラブで、”女王様”を職業にしている人がいたんですけど、その”女王様”が、言うんです。「オグラ先生、ぜひお店に遊びに来てください。先生なら、凄くサービスしますよ」で、思わず聞き返しました。「で、一体そういったサービスをしてくれるんですか?」 「はい、ペニスにいっぱい針を刺したりしてさしあげます」 ヒイィイ~!ごめんなさい。そういった嗜好はわたしには、ないのでサービスはいらないです。コミュニケーションとか、サービスっていうのは、一方通行じゃいけないって言うことですね。人とは、ちゃんと正しい距離をとって、お互いに思いやりながら生きていくということです。
2008年07月08日
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先回、「少年の凶悪犯罪は増えていない。むしろ減っている」ということを書きました。しかし、マスコミの報道などの影響で、信じられないという人が多くいます。日本は、先進国でもめずらしく年々、凶悪犯罪が減っている国で、去年などは、戦後もっとも殺人事件が少なかった年なんですが、そういった事実を知る人すら少ないんです。ではなぜマスコミは、「殺人事件が減っている」という【いいニュース】を取り上げないのか? と、いうと答えはカンタン。 そんなニュースでは新聞や雑誌は売れないし、テレビは視聴率が下がるからです。(笑) (似たような話が、不登校“業者”にもあって、以前、不登校児童生徒が13万人台から12万台に減ったときに、烈火のごとく激怒した不登校業者がたくさんいました。不登校業者にとって、「不登校児童生徒が減る」=「客は減る」ことを現していますから、とても困ることなのです。そんなニュースよりも、年々不登校児童生徒が増えていて、学校不信が大きくなってくれたほうが、不登校業者にはありがたいことなので、そんな事実をいうマスコミは許すことができなかったわけです)ひとつの証拠として、法務省の『平成19年版犯罪白書のあらまし』の『〈第4編〉少年非行の動向と非行少年の処遇 』をリンクしておきましょう。この『犯罪白書』のグラフをみてもお分かりのように、総数としては昭和58年前後が、少年犯罪のピークです。 その昭和58年は、「少年犯罪、戦後最悪」と、マスコミに大々的に取り上げられましたが、その実態は、確かに少年刑法犯が、戦後もっとも多く検挙された年でしたが、少年殺人犯の逮捕者は、戦後最低の50人であったのです。 では「殺人」ではなくどのような少年犯罪が増えていると申しますと、「窃盗」と「横領」が少年犯罪の8割を占めていると、犯罪白書に書かれています。少年犯罪における「窃盗」とは、そのほとんどが万引きであり、「横領」のほとんどが、自転車やバイク泥棒であったりします。そして、この万引きや自転車泥棒というのは、「暗数」(よくわkらない数字)が多く、警察が、夜に自転車を止めて職務質問をする回数が増えれば、自転車ドロが増え、スーパーやコンビニ、本屋さんが捕まえた万引き少年を、警察に突き出す回数が増えれば、その総数が増えていくというものです。つまり、戦後少年犯罪のピークであった昭和58年前後というのは、警察や市民が万引き少年を厳しく取り締まった結果であり、少年が凶悪化したということではないといえるのです。今回、少年の凶悪犯罪について述べましたが、不登校にせよ、ひきこもりやニートにせよ、あまりマスコミや、エセ関係者の煽りを信じて、不安になったりしないようにしたいものです。そして、マスコミや世間よりも、自分を信じていけたらいいですね。
2008年07月07日
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わたしが不登校に関心を持ったのは、マスコミが『少年の凶悪犯罪が激増している!!』という報道がよくなされていたときでした。いまでもそうなんですが、不登校やひきこもりの人が、いかにも『凶悪犯罪を犯す』みたいな言われかたをしていたんです。 そういうことで、本日は『少年の凶悪犯罪は増えているか?』をテーマに書きましょう。ほとんどの皆さんは激増していると思ってるでしょ。ところがどっこい 増えてないんですよ。 5年、10年という短いスパンだと増えたり減ったりしていたりします。でも、50年、60年という長いスパンだと、 激減 しているんですよ。じゃあなんで、目立つかっていうと 件数が少ないから目立つ! と考えるのが妥当でしょうね。 「最近の少年はなっとらん!」 などと怒っているオジサンは、多いんですが、03年度の殺人加害者を年代別に見るとどうなっているか? 少年(未成年)、96人 20代、268人 30代、314人 40代、212人 50代、306人 60代、186人 70代以上、75人 と、圧倒的に大人が、人殺しをしているのが現状です。 特に50代の人は、年齢的にも社会のリーダーで見本となるべき年代なんですけど、この年代の人は、殺人以外の犯罪も多く、凶悪犯罪世代なんですね。電車内のトラブルもこの年代がナンバー1だし。 よくこの年代の人が 「我々の若い頃は、ジャンクフードなんかなかったが、いまの若者は、あんなものを食べているから凶悪犯罪が増えるんだ!」 とか 「パソコンやテレビゲームばかりやっているから」 とか 「アダルト・ビデオや、性情報が氾濫しているから」 なんて言ってますが、 それは嘘! 大嘘! いまのオジサンたちが子どもだった195~60年代には、テレビゲームもなかったしパソコンもなかったしアダルト・ビデオもなかったしマクドナルドも日本になかったんです。(笑)なんといってもその証拠に、1960年では、少年による殺人検挙数は、 いまと比べて、 4~5倍! レイプは、 10倍も多いんです。 ちなみに、触法少年といわれる13歳以下の殺人事件は、 1960年代で 53件! 1990年代は10件。 こりゃどー見ても、いまの大人が少年だった頃も、大人になったいまも、大人の方が相当にヤバイ!(笑) こりゃどー見ても、いまの少年の方が、温厚で紳士ということになります。 いまの少年には、心の教育が必要だと言う前に、いまの大人に心の教育が必要ということでしょう。(笑) なんといっても、少年凶悪犯罪は激減しているのに、 大人による未成年へのレイプ等の犯罪は増えている んですから。 子どもを変えなきゃっていう前に、大人が変わらないと…… ねえ。
2008年07月06日
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不安というのは、自信がない時に生まれてきます。自信のない時は、何事にも迷いが出てしまい、ちょっとしたことでも決断力や行動力が鈍ってしまいます。あるいは、あるとき思い切って決断したり行動したりするのですが、その後でいつまでもクヨクヨと後悔をしたり、あるいは、先ほどとった行動の真逆のことを、やってやり直して、それまでの努力をオジャンにしてしまったりする人も多くいます。また、不安を抱えている人は、その不安に対抗するために、あるいはその不安を人に知られないために、他人に攻撃的になったりします。劣等感の強い人は、他人に対して攻撃的になりやすく、不安になりやすいとも言われています。劣等感や不安の強い人ほど嫌味なほど“強がって”みせたり、自信満々な態度をして、周囲からヒンショクをかったりします。実際のところ、どんな人でも不安を覚えない人はおらず、劣等感がない人もいません。不安や劣等感が異常に強いことが問題なんです。では、劣等感や不安を少なくするためには“自信”をつければいいということになりますが、どうすれば自信がつくようになるのでしょうか?ちょっと残酷なことをいいますが、自信をつけるためには、ある程度の“時間”が必要になります。自信とは、今日始めて、明日身に付くようなものではないんです。それを一番わかりやすく説明できるのはスポーツです。あなたが何かスポーツをはじめて、数日でそのスポーツで自信が持てるなんてことはないでしょう?どんなスポーツでも、自信がつくまでには、ある程度の時間と経験が必要になります。それは、スポーツにせよ、その他に何事にせよ同じことです。ですから、何かに自信を付けたければ、続けることが大切になってきます。はい、ココ大事ですよ~。(笑)はい、本当に大切なところです。仕事でも趣味でも、自信が付くまでになるには、ある程度のやり続けること!やり続けることで、経験を積み、何か突発的なことが起こっても、自信を持って対処できるようになります。ところが、『不登校・ひきこもり・ニート』系の人は、自信が付くまで物事を続けることができない人が多かったりします。だから悪循環になりやすいのです。続けることは、別に仕事や学校の勉強でなくてもいいんです。趣味や自分が好きなこと、それが仕事や学業なども含めて、自分に合っていて続けられそうなこと見つけること。そしてそれをやり続けることです。続けることで知識や経験、技量が増えてきます。自分の好きなことを続けていくと、それが自分の得意分野になってきます。どんなことでもやり続けていると、同好の友が生まれてきます。いえ、できるだけ積極的に、同好のグループに所属するべきでしょう。得意分野のグループやサークルに所属しますと、そのグループの中で、自分のポジションができてきます。そこで長く続けていくと、自然とポジションも上がってきます。自信というのは、自分一人でいくら「ぼくは、コレに自信がある」といったところで、本当の自信にはならないんです。自分ひとりの評価では、まだ半分。あと半分は、他者からの評価が必要となります。人間という生き物は、他者からのいい評価がないと、本当の自信というものは持てないんですね。ときどき、教育には評価がいらないなどという教育者がいますが、それでは人は自信をもつことができないんです。自信を持つには、他者からの評価が必要です。それも一度や二度ではなく、何度も繰り返していい評価をもらえないと、自信を持つことができません。逆にいうと、誰かに自信を持たせるためには、何度も何かを繰り返し繰り返し、やってもらって、多分それで失敗も繰り返すのかも知れませんが、それでいいところがあったら繰り返しほめることです。最初は誰でも、失敗をします。最初は誰でも、うまく行かないものです。しかし、やり続けることです。続けているうちに、失敗が少なくなってきます。そうすると自己評価が上がります。そうすると他者評価が上がります。そして自信がついてきます。あなたが仮に、40歳とか50歳だとしても、10年好きなことを続ければ、ひとかどのものになれます。それが60歳からはじめたとしても……何事も柔軟に考えれば、人生に手遅れはありません。汝、絶望するなかれやり続けること。これが自信をつけるコツです。自信がつけば、不安は少なくなってきます。
2008年07月04日
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居場所の作り方を語る前に、この場合における【居場所】とは何かについて、述べておきましょう。ここにおける【居場所】とは「自分が安心して、居れる場所」と定義しておきましょう。古い日本語でいうところの「気の置けない場所」と、いうことでもあります。さてここで、国語のお勉強。(笑)「気の置けない」の意味は、「油断してはいけない」「落ち着けない」と思っている人は意外に多いと思うのですけど、これは間違い。「気を置く」には「気を使う」という意味があるので、「気が置けない」とは、「気を使う必要がない」「遠慮のいらない」という意味になります。つまり「気の置けない場所」とは、「気を使う必要がない、安心できる場所」という意味になります。「気の置けない人」というのは、親しい友人という意味になります。なんだか間違えやすい日本語ですね。(笑)この「気のおけない場所」「自分が安心して、居れる場所」を作るには、ちょっとしたコツがあります。それは、これまで何回か述べたこと。「隣人を愛せ、隣人から愛されよ」であり、人を愛し、人を大切にし、人に優しくすることです。そんなことかと思うなかれ。『不登校・ひきこもり・ニート』系の人たちは、どうもこのことが苦手な人が多いのですよ。人に親切にしているつもりでもウザがられてしまう。人とうまく接することが苦手。つまりは人間関係が下手……『不登校・ひきこもり・ニート』系の人で、そういった思いを持っている人は大変多いのです。これは何かといいますと、人と接する距離がよくわかっていないということなんです。ここでいう人と接する距離というのは、メートルとかセンチといった距離のことだけではなく、心理的・精神的な距離も含めてのことです。心理的・精神的なところで、他人に近づきすぎしまったり、つまり依存しすぎてしまったり、あるいはもっと相手に近づきたいのに、妙に怖くて距離をとってしまったり……つまり、人間との距離が極端だったりします。人間は「人のあいだ」と書いて「人間」というように、人と人との関係性で生きていく動物です。これが下手だと、非常に生きづらいということになります。人と安心して付き合うためには……、つまり「自分が安心して、居れる場所」で、他人といい距離、いい関係を持っていなければなりません。いってみれば、人といい距離、いい関係が持てるようになれば、「自分が安心して、居れる場所」で、他人と仲良くなれ、生きづらさがかなりの面で解消されるということです。先ほど述べたように、他人といい距離を保って付き合うには、「隣人を愛せ、隣人から愛されよ」であり、人を愛し、人を大切にし、人に優しくすること。これをうまくやるには、自分が他人に依存しない、されないことを心がけつつ、いろいろな人と軽く接することです。軽く接するといってもわからないかもしれませんね。簡単にいうと、最初は、それが家族であっても、あいさつがナチュラルにできるようにする。あと、ちょっとしたことでも「ありがとう」と無理なく言えるようにクセをつける。あいさつと、感謝の気持ち。「ありがとう」が、無理なくいえるようになれば、第一段階はクリアです。ちょっと心がけてみてください。(笑)次回は、自信のつけ方、自己肯定感のつけ方について述べてみましょう。(つづく)
2008年07月03日
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子育て不安に悩むお母さんや、マタニティブルーになるお母さんは【働くお母さん】より【専業主婦】の方が多いということを、ご存知でしょうか?あるいは、崩壊してしまう家族のお父さんを見てみますと、【仕事一筋の会社人間】であったり、またまったく逆の【マイホームパパ】に多いといわれています。これらの人たちが、どんな人たちであるかというと【自分の居場所が、ひとつしかない人たち】と、いうことができます。【専業主婦】の人は、家庭にしか居場所がなく【仕事一筋の会社人間】の人は、会社にしか居場所がなく【マイホームパパ】の人は、マイホームしか居場所がないということになると、もしそれらの居場所に、何らかの問題が起こったとき、安らげる場所も仲間もいなくなってしまうということになりかねないんです。人間ってね。一面だけで生活しているんじゃないんですよ。学校や会社の顔と家庭の顔とは違いますし、クラスメイトや同僚に対する顔と、遊び仲間や親戚と接するときの顔は、微妙に違っていて、それがひとつの人格となっています。人間は二本足で立っていますが、一本足だと不安定でしょう。足が三本、四本とたくさんあればあるほど安定します。居場所というのは、足のような“支え”であり“拠りどころ”でもあるんです。居場所というのは、単なる【場所】ではなく、いろいろな人間関係であり、いろいろなグループに所属することでもあります。会社や学校で疲れたり失敗したとき、あるいは家事や子育てに疲れたりしたときに、そこだけしか居場所がないと、もう逃げ場がなくなってしまいます。だれか友達がいれば、まったく違ったことをやってあるいは気晴らしができたり、あるいは愚痴を聞いてもらったり、意見を出してもらったりすることができます。不安になったときでも、誰かがそばにいてくれるだけで、不安はやわらぎます。学校に友達がいないと、どうしても不登校になりがちですが、もしクラブに友達がいれば、学校にとどまることができやすいのです。つまり、学校などでもクラスの中だけではなく、クラブなど複数の居場所があれば、不登校になりにくいということになります。でもね。『不登校・ひきこもり・ニート』関係の人って、ひとつの居場所が持てない場合が多かったりします。つまり、人間関係が苦手だから、居場所がどんどん少なくなってくる。どんどん、孤独になってくるという悪循環になりがちなんですね。では次回に、居場所の作り方を考えてみましょう。居場所の作り方っていうのは、自信のつけ方とか、自己肯定感のつけ方と共通することでもありますので、そのことについて述べてみましょう。(つづく)
2008年07月02日
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『不登校・ひきこもり・ニート』とは何かというと、苦しい自分、生きづらい自分からの逃避という一面でもあったりします。「逃避」や「逃げる」と言うと、とてもマイナスなイメージがありますが、人間が健康に生きていくためには、絶対に必要なことなので、特にマイナスとか負けとか考える必要はありません。「逃避」や「逃げ」に問題があるとすれば、それは逃げっぱなしになったままになっていることで、これが家に閉じこもっている場合なら【ひきこもり】学校に行きたくないということであれば【不登校】ということになります。働くということに不安や恐怖、面倒くささを感じて、働きたくないとか、働く気が起きないという場合は【ニート】いま「面倒くささ」と書きましたが、これも本当に面倒くさいというよりも、「不安や恐怖」が潜在的にあるのですが、自分が「不安や恐怖」を感じていることを認めたくないと思った場合、言葉や感情を「面倒くさい」と置き換える場合があります。よく『不登校・ひきこもり・ニート』の人に対して「ありのままでいいんだよ」「そのまんまでいいんだよ」「自分を受け入れなさい」と、カウンセラー等がいうことがあります。これは、「不安と感じているのなら、その不安をそのまま認めなさい」ということなんです。弱い自分がいたら、素直に自分が弱いと認める。ダメ人間であると認める。不安であれば、その不安認め、そのまま受け入れるということです。認めて受け入れて、はじめて「無理をしない」「必要以上にがんばらない」ということができるようになります。認めて、受け入れないと、不安を無視したり、不安と戦うことになりますからね。不安は無視しても、確実に存在しますし、戦ったかって勝てるというものではありませんので、その戦いは、ほとんど無駄になることが多いのです。昔の武道家や武芸者は、斬りあいの恐怖から逃れるために、座禅を組んで心を鍛錬しましたが、それは死の恐怖や不安と戦って勝つためではありません。死の恐怖や、不安を受け入れて、いざというときパニックをおこさない【平常心】や【不動心】をやしなうためにいざというときの【覚悟】をやしなうために座禅を組んで、精神を練ったのです。実際、どんなに強そうな人でも、【強い自分】と【弱い自分】が両方いて、それで一人の人間なのです。しかし、何らかの形で、傷ついてしまったり「自分は弱みを見せてはならない」と思った場合、弱い自分を無視したり、隠したり、認めなかったりすることになりがちです。すると、どうなるか?弱さを隠す、認めないということは【強がる】ということですから、心がどうしても、無理をしてしまいます。場合によっては、心が疲れきってやる気や心のエネルギーがなくなってしまったり傷ついた動物が、牙をむき出すように、攻撃的になってしまったりします。その攻撃性は『不登校・ひきこもり・ニート』の場合、家庭内暴力となって現れたり、リストカットなど、自分への攻撃、自罰行為になる場合もあります。さて、ここで皆さんに勘違いしていただきたくないことがあります。『不登校・ひきこもり・ニート』は、学校や社会に不安や恐怖を感じてなってしまう場合が多いのですが、『不登校・ひきこもり・ニート』は決して【悪ではない!】と、いうことです。前述したように、『不登校・ひきこもり・ニート』になった人というのは、心が大変疲れてしまっていたり、傷ついてしまっていることが多いのです。先ほど、「傷ついた動物が、牙をむき出すように攻撃的になってしまったり」と、書きましたが、傷ついた動物が牙をむき出し、攻撃的になるのは、他者からの攻撃を恐れているからです。それが、攻撃ではなくても、少し傷口を触られたりしただけでも、激痛が走るのです。周囲の人が、『不登校・ひきこもり・ニート』の人を認め、安心しあう人間関係が構築されていれば、『不登校・ひきこもり・ニート』の人も安心して、心の傷を癒すことができるのですが……周囲に理解がなかったりすると、それだけで当事者に激痛を与え、身を守るために、攻撃的になったり「こんなことになったのは、自分が悪いのだ」と、自傷行為や自罰行為をしてしまったりすることがあります。傷ついた動物は、洞穴などに身を隠し、じっとして傷を癒えるのを待ちます。不登校になったり、社会に出なくなるというのも、傷ついた動物が、身を隠して、傷を癒している状態と同じと言えるでしょう。傷ついた動物が、その傷を認めず強がっていたら、やがて弱って死んでしまうことでしょう。強がらずに、自分の弱さを認めることはそれぐらい重要なことなのです。ですから、周囲の人は、当事者を認めて安心を与えてあげてください。当事者は、強がらずに無理をせず、心の傷を癒してください。そして安心できる仲間をたくさんもつことです。それには、人を愛し、人を大切にし、人に優しくすることで、人から愛され、大切にされ、優しくされ、孤独ではなくなります。孤独でなくなれば、不安は少しずつ解消していきます。(つづく)
2008年07月01日
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