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前述したように、自殺をする人のほとんどは、なんらかの精神疾患にかかっている可能性があります。その精神疾患のうち、一番多いのがうつ病で、約30%次に、アルコール依存症など物質関連障害が、約17%統合失調症が約14%パーソナル障害が13%という調査結果がでています。(参考;http://www.ncnp.go.jp/ikiru-hp/manual/gyosei/gyosei21.pdf)しかも自殺者の8割の人が、治療を受けていないか、あるいは適切な治療を受けていないといいます。と、いうことは、自殺の予防と治療は、精神疾患の予防と治療と重なるといってもいいでしょう。つまり、いつも自殺を考えてしまうようになったら、病院にいって相談するのが一番よさそうです。精神疾患を患っている人は、それはうつ病にせよ、神経症にせよ、どうも“認知のゆがみ”があるようなので、認知療法などの精神療法を受けて、少しでもその“ゆがみ”を治していくのがよいようです。“認知のゆがみ”には、どのようなものがあるかというと被害妄想や、~をしなくてはならないといった強迫観念、物事を大成功以外はすべて大失敗と考えてしまう二者択一、オール・オア・ナッシング思考法などがあります。これらの思考をもっとわかりやすくいうと、人からみたらどうでもいいことに対して、ひどく悩んだり、自分の行動や他人の行動を、悪く考えてしまって、おかしな対応をしてしまうということがあります。もっと簡単にいうと、過剰に悩み、過剰に苦しみ、どうでもいいことに怒り、勘違いをし、絶望するということです。そしてこれは、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちにも共通することでもあります。また、これらのことに対する大きな原因として、ストレスがあります。『不登校・ひきこもり・ニート』の人も、自殺を考えてしまう人も、ストレスに弱く敏感ですので、自殺の予防と治療に関して、いかに日ごろからストレスを抱え込まないようにするかというのが、重要なテーマになります。ま、もっと気楽になることです。人生なんて、いい加減で適当でいいんですから。
2008年05月30日
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わたしは『不登校・ひきこもり・ニート』を、『家族問題』であり『家族障害』であると考えております。誤解を生まないように説明をするならば、たかだか子どもが学校にいかない程度のことで、パニックを起こしたり、嫌がる子どもの腕をつかんで引きずってまで、学校に連れて行こうとしたり、子どもを責めたり、母親を責めたりすることはなくたかだたか子どもが、家にひきこもったままであったり、働けなくなっている状態にあるときに、お互いに腫れ物に触るような付き合いになったり、肉体的・心理的家庭内暴力が生まれたりするというのは、家族として健康的な状態ではなく、柔軟性も失っているということです。健康的な家族であるなら、『不登校・ひきこもり・ニート』は決して大きな問題にはなり得ず、それらの状態とうまく付き合って行って気にしないで生活をしているか、早期に解決しているものです。同じく自殺もまた、『家族問題』であり『家族障害』であると考えています。医学の世界には、次のような格言が古くからあるといいます。「自殺の危険の高い子どもの背後には自殺の危険が高い親がいる」「自殺の危険の親の背後には自殺の危険が高い子どもがいる」青少年の問題行動は、家族の状態と密接な関係があることは、よく知られています。これは自殺だけに限らず、『不登校・ひきこもり・ニート』といった問題もしかりです。学校でいじめ自殺が起こると、問題は「いじめ問題」に集中してしまいますが、いじめられている子どもは、もしかしたら家庭内での環境や生育歴が原因で、いじめを受けやすい言動(あるいは、相手をいじめてしまうような言動)をしてしまっていたということもないわけではないのです。精神医で自殺研究にくわしい防衛医科大学の高橋祥友教授の言葉を借りると「ある人のあらわす症状とは、家族全体の精神的なバランスを保つために、その人と家族が支払っている犠牲の結果ともとらえられます」(『自殺の心理学』高橋祥友著 講談社現代新書)ここでいう「ある人」とは自殺者のことを指していますが、これは自殺に限らず、『不登校・ひきこもり・ニート』にしても、同様に考えることができます。わたし自身が、多くの『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者や、自殺未遂者、自称癖のある人、精神疾患にかかっている人から話を聞いた場合も、その多くで親との葛藤や、親自身になんらかの問題があると、感じられることが少なくありません。サバースという精神分析医によると、自殺の危険の高い人は、家族の中で『取替えがきく子ども』という役割である場合が多いといいます。サバースによると、「意識的、あるいは無意識的に、言葉に出して、あるいは無言で、自分のことを取り除こう、死んでしまった方がよいと、子供が解釈するような親の願望が存在する」さらにサバースは「親は子供が、親の幸せに対する脅威であると見ており、そして、その子供は、親が迫害者か抑圧者と見る」といいます。残酷な言い方かも知れませんが、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者なら、この言葉にうなずく人がたくさんいると思います。また、次のようなことも言っています。「自殺の危険の高い子供は、それぞれの親の特定の精神症状の特定の必要性にかなうので、家族の構造の中の不安定な平衡を保つのに役立っている」また、精神療法家のリッチマンによると、自殺の危険がある家族のいる家庭というのは、その病的なバランスを保つために、家族の誰かを【スケープゴート】にしていることが多いと述べています。スケープゴートとは、犠牲のひつじ、つまり犠牲者、いけにえの意味なのですが、スケープゴートの役割は1、家族の問題をすべてその人物の責任にする2、そうすることによって、合理的な問題解決を回避する3、家族間の病的なバランスを保ち、分離不安を解消する4、家族の抱える自責感を晴らす5、この一連の行為によって、家族は直接的かつ間接的にスケープゴートの自殺行為に加担するこれもまた、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者・関係者はうなずかれる方が多いと思います。さらに、小児精神科医のフェファーは、自殺の危険が高い青少年の家族には、親子二代を超えた問題があると指摘し、次の5つの特徴をあげています。1、親自身も自分の親から十分に自立していないため、自分が親に対して抱いている敵意、喪失感、自尊心の低さ、過度の愛着を、自分の子供になげかけてしまいます。2、深刻な葛藤に満ち、柔軟性に欠けた夫婦関係が存在します。(中略)3、親の非合理な感情が子供に投げかけられてしまう結果、慢性的な親子間の葛藤が存在します。4、心理的に不健康な形で一本化している共生的な親子関係認めます。(中略)5、全体として柔軟性に欠ける家族のシステムができあがってしまいます。以上、これらの参照文献は、『自殺の心理学』高橋祥友著 講談社現代新書からのものです。もっとくわしくお知りになりたい方は、ご一読をおすすめします。そして、やはりこれらも、『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者、関係者には納得できる方が多くいると思います。そして、親御さんにとっては、耳が痛いものかもしれません。しかし、知っていただきたいのは、自殺にせよ、『不登校・ひきこもり・ニート』の問題にせよ、本人一人が苦しんでいるのではなく、家族全体の問題であることが多く、また、自殺にせよ『不登校・ひきこもり・ニート』にせよ、当事者ひとりが解決のために行動するよりも、家族全体で、問題解決をする必要があるということです。ただ……悲しいかな、そういった家族の場合、すでに家族全体で解決のために動くというのが、難しくなっている場合も多く……当事者のみ、あるいは母親のみが、単独で動かなくてはならないようなことも多いと思います。かくのごとく、自殺や『不登校・ひきこもり・ニート』の問題は、家族の問題であり、関係は限りなく深いのです。いま、日本では3万人を超える人が、自殺で亡くなっています。しかし、実際には、自殺未遂の人がその10倍以上いるといわれています。自殺未遂までいかなくても、自殺を考えた人は、100倍くらいいるかも知れません。しかし、もし自殺未遂ですんだ場合、考えようによっては、家族のひずみが、そこに噴出してしまったかも知れないわけですから、これを機会に、責任を(当事者も含めて)家族の誰かに押し付けるのではなく、みんなで考え、みんなでやり直すキッカケになるかも知れません。例え、家族にそのような理解がないとしても、誰か一人がそのことに気付いて、解決のために適切な行動をとるキッカケになればと思います。
2008年05月28日
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昨日、元TBSアナウンサーの川田亜子さんが、練炭自殺をして亡くなったというニュースがと飛び込んできましたので、ちょっと予定を変更して、彼女の自殺と、自殺のサインについて書いてみたいと思います。実のところ、わたしは川田アナについてあまり知らなかったんですよ。それが、ある番組で話題になっていたので、「どんな人だろう」と、ネットで検索をしたりしていたんです。すると、こんなネットニュースが載っていました。「体調が悪く元気がない」とブログに書く川田亜子が心配5月20日10時0分配信 日刊ゲンダイ『元TBSアナウンサーの川田亜子(29)を心配する声が上がっている。 美人アナとしてバラエティーを中心に活躍しながら、昨年4月に華々しくフリーに転身したはずだったが……。「発端は彼女のここ10日間ほどのブログです。“うまくしゃべれない”“仕事に行きたくない”といった後ろ向きな内容でした。さらに、数日後にその書き込みがすべて削除され、14日にはブログ休止宣言をした。そのため、ファンの間で“どうしたんだ?”と話題になったんです。しかも、彼女はその日のうちに“自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね。こっそり書いてしまいました”と休止を撤回した。どうなっているのか」(芸能関係者) そんな中、川田は14日に同系列の事務所に所属する坂口憲二と蛯原友里が出演したCM発表会の司会として公の場に現れた。そこでも、「ほおがやつれていたし、伏し目がちで元気がなかった。アナウンスも棒読みだし、自分のMCが終わるとステージの端でため息をついていた」(マスコミ関係者)という。 現在、川田のレギュラーは「がっちりマンデー!! 」(TBS)と「サタデースクランブル」(テレビ朝日)の週2本。報道番組を志望して華々しくフリーに転身した川田にしてみれば、「こんなはずじゃなかった」という心境なのかもしれない。 16日、川田はブログで、「体調が悪く、元気がないなか、仕事を下さった方、一緒に仕事をして下さる方、みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただきました」とつづっているが、まだまだ周囲の心配は続きそう。早く元気いっぱいの姿を見せて欲しい。』 これは川田さんが、亡くなるわずか5日前の記事なんです。つまり、川田アナは、生前、自殺のサインをしっかりと出しており、周囲の人たちも、「最近の彼女は少し変だ」と、うすうす感じていたようなのです。自殺をする人のほとんどが、なんらかのサインを出すといわれています。どのようなサインがあるかを、書き出してみましょう。●自殺をほのめかす●別れの用意をする●過度に危険な行為に及ぶ●突然の態度の変化●実際に自傷行為に及ぶなどがあります。そして川田亜子さんのように、うつ状態になり、元気がなくなったり食欲がなくなったりすることも多くあります。これらのことは、普段あまり気がつかないこともあるかも知れませんが、もし自殺を疑われるときは、病院に連れて行って、治療を受けるなどのことをしたほうがいいかも知れません。またご自身がそういう状態になったときは、早め早めに、自分から病院を訪れるようにしたほうがいいように思えます。また、当の本人は病院に行くことを嫌がるかも知れませんが、自殺をする人の、9割はなんらかの精神疾患にかかっており、しかし、適切な治療を受けていた人は、ほんのわずかしかいないということが、いわれています。自殺予防の一番の方法は、早めに病院に行って、適切な治療を受けるということだと言われています。アナウンサーの川田さんの場合、今月に入ってから、ずっと精神的な不調をブログなどで訴えており、周囲の人も心配をしていたようです。彼女が病院に治療にいったのかどうかは、不明ですがもし、行っていなかったとしたら残念でなりません。また、有名人が自殺した場合、それに影響されての自殺が起こることがあります。マスコミは決して、自殺を美化したりすることなく、また被害者をおとしめることなく、十分に注意をしながら報道することが必要だと思います。あるワイドショーなどでは、最近流行している、硫化水素のやり方をスタジオを実験していたそうです。自殺が流行しているとき、その方法を、公開するというのは、最低の報道行為といえるでしょう。
2008年05月27日
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どのような人が自殺をしやすいかということを考えた場合、その判定方法はたくさんあるらしいのですが、そのひとつに次のような傾向がある人は、自殺をしやすいと考えられていますので、参考までに書き出してみます。(参;『自殺の心理学』高橋祥友著 講談社現代新書刊 およびhttp://www.ncnp.go.jp/ikiru-hp/manual/gyosei/gyosei21.pdf)1、自殺未遂歴2、精神疾患3、援助組織の欠如4、性別5、年齢6、喪失体験7、事故傾性8、性格傾向9、その他簡単に解説します。1、自殺未遂歴過去、自殺未遂をしたことがある人は、また自殺をする確立が一般人口の数百倍にもなるといいます。2、精神疾患世界保健機構(WHO)の調査によると、自殺が起きた場合、その人が生前、精神科診断にあてはまらない例は1割にも満たず,残りの9割に精神障害を認めているといいます。ところが、実際に精神科治療を受けている人は、せいぜい2割くらいにしか過ぎず、精神障害を早期に発見して、適切な治療を実施することが、自殺予防につながると考えられています。どのような病気が自殺の関係が深いかというと、うつ病が約30%、アルコール依存症を含む物質関連障害約17%、統合失調症約14%、パーソナリティ障害13%となっています。3、援助組織の欠如自殺を「孤独の病」と述べた医者がいるそうです。未婚の人、離婚した人、配偶者と死別した人は,結婚していて家族のいる人に比べて、自殺率は約3 倍高くなるそうです。4、性別自殺は女性より、男性の方が多く、自殺未遂は男性より女性の方が多いそうです。5、年齢年齢が高くなると、自殺の確立もまた高くなります。6、喪失体験経済的損失、地位の失墜、病気や外傷、近親者の死亡、訴訟などが起こると、自殺の危険が高まります。7、事故傾性自殺を実行する前に、事故が起しやすくなる傾向があります。8、性格傾向未熟で依存的な人は、自殺を起しやすい傾向があると言われています。衝動を抑えられない人、完全主義、オール・オア・ナッシング(白か黒かという二者択一)、孤立がち抑うつがちな人、反社会的な人がその傾向が強いようです。9、その他児童虐待経験、他者の死から受ける影響。次回は、この中で特に重要と思われる児童虐待と、それにつながる家族との関係や問題について述べていきたいと思います。(つづく)
2008年05月26日
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自殺というのは、一種の“流行性”があります。ある自殺の方法が“ブーム”になったりするのです。例えば、2008年5月現在ですと、硫化水素自殺です。その前は、練炭自殺。一年半前に流行してしまったのが、いじめ自殺。富士の樹海での自殺は、ある小説からブームになり、リストカットもアメリカで、60年代に大流行し、世界に広まった行為です。1986年には、ある女性アイドルが飛び降り自殺をすると、その一ヶ月で30名以上の同年代の人たちが、飛び降り自殺をして亡くなるということもありました。これらの事柄を見てみると、いかに自殺に流行性があるのかがわかります。これらは“群発自殺”と言われたりもするのですが、まず、一人の人が自殺をします。するとそれに影響された周囲の人が自殺をする。それを過激にマスコミが報道した場合、その自殺法が全国的に広がっていくという現象になる傾向があります。これら、流行する自殺を帽子するには、マスコミが自殺を報道について充分に注意をすることと、【自殺予防教育】の充実が重要なのですが、日本においては、それらがほとんどなされていないというのが実情といえます。日本で一番、自殺が多い県である秋田県で、自殺予防教育をしたところ、15%も自殺が減ったという報告があります。自殺予防は確実に効果があるということです。自殺を考えてしまう人、あるいは自殺を考えてしまう瞬間というのは、やはり心が不安定になっているときだと思うのですよ。そういうとき、マスコミの報道やネットの記事をみて、「じゃあわたしも……」と思ってしまってしまうものなのかも知れません。このブログもそうですが、自殺について物事を書いたり語ったりするときは、すべての人に注意が必要と思われます。
2008年05月25日
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2004年度世界保健機構の統計によると、日本は世界で9番目に自殺が多い国であり、先進国では、一番多い国という結果が出ています。では、どういった国に自殺が多いのかといえば、まず旧ソ連から独立した東欧諸国が多く、また北欧諸国も多いのです。ちょっと書き出してみましょう。1位 リトアニア2位 ベラルーシ3位 ロシア4位 カザフスタン5位 ハンガリー6位 ガイアナ7位 スロベニア8位 ラトビア9位 日本となっており、旧ソ連圏の東欧諸国が多くを占めています。この順位は、2004年のものなんですけど、これが1986年~1989年の世界保健機構WHOの順位になると、自殺率の高い国順位は1位 ハンガリー2位 フィンランド3位 デンマーク4位 東ドイツ5位 オーストリア6位 ソビエト連邦7位 ベルギー8位 スイス9位 フランス10位 ルクセンブルグというように、この時代では、日本はまだ10位に入ってはおらず、旧ソ連の崩壊前ということもあり、旧ソ連に支配されていた東欧諸国は、それほど自殺が多いという記録も上がってきていません。むしろ、福祉大国であり、世界でもっとも平和な国々と言われている北欧諸国が、自殺大国として、名を連ねています。この理由としては、ひとつに、東欧、北欧というのは、地理的に寒く日照時間が少ないため、自殺が多いのではないかと推測できます。これは、日本においても、東北や北陸に自殺が多いのと同様ですね。また、世界でもっとも平和で社会保障が、充実している北欧諸国で自殺が多いというのは、豊かさイコール自殺が減るというものでも、ないということなのでしょう。日本もまた、社会保障は先進国最低レベルではありますが、豊かさと平和さでは、世界トップレベルであるにもかかわらず、先進国でもっとも自殺が多い国なのです。また、現代の東欧、旧ソ連から独立した国や、支配から逃れた国に自殺が急増したのは、希望から絶望に突き落とされたからだといわれています。ソ連に支配されていた社会主義国の生活は苦しく、夢も希望も国家に潰されている毎日でした。ところが、そのソ連が崩壊した!東欧の社会主義国家の人々は、我々の資本主義国家、民主主義国家の人々のように、豊かで自由になれると希望をもったわけです。しかし、それはすぐに絶望に変わる。そりぁそうです。これまで、国家のいう通りにしていれば、よかったわけです。社会主義時代は、餓死者が出たりしてましたけど、自分たちが西側諸国の人と、圧倒的というほど、豊かさの差があることなど、情報統制とかがあって、あまりくわしくは知らなかったようです。ところが、ソ連が崩壊し、支配する人がいなくなって、情報が入ってくるようになると、自分たちは、西側・自由資本主義国家の人々に比べて、ひどく貧しくみすぼらしい暮らしをしていると、知ってしまった。西側諸国の人たちのように、高性能の車や、テレビ、洗濯機が欲しくても、自分たちには、そう簡単に手に入らないということを知ってしまった。それらを手に入れるためには、自由競争をして勝ち抜いていかねば、ならないということを知り、そして、自分たちにはそんな能力がないことを知ってしまった。つまり絶望した!人間は、苦しい生活を続けているだけのときより、希望を持ったり、いったん豊かさを手に入れた後、それを奪われたり、希望を持つ続けることができなくなったときに、死にたくなるらしい。日本もそうです。80年代までは、日本は特に自殺が多い国ではなかった。しかし、バブル景気というものがあって、国民の多くがその景気に熱狂した。バブル以前はどうかというと、戦後の高度成長期、その後も、成長をし続け、明日は今日より良くなると、信じることができた。そこへバブル景気。一気に浮かれた。そしてバブルがはじけた。景気は簡単に回復しそうになかった。人々は絶望した……そして、バブル崩壊の数年後、日本は過去にないほど自殺者が激増した。が……しかし、よくよく考えてみれば、バブル崩壊後は確かに不景気ではあったが、それ以前に比べて、特に貧しくなったということではないんです。仕事がない、景気が悪いといいつつ、昭和初期や中期のように、餓死者が出るようなことはほとんどなかった。平均寿命が減ったということもない。ただ……希望だけがなかった……人間は希望がないと、生きていくことが難しくなるらしい。自殺の原因といわれる「うつ病」もまた希望を持てなくなる病気です。と、いうことは……もし、自殺を減らしたいのであれば、人々が希望を持ちやすい社会や思想を、提供すればいいのかも知れません。たとえば、自殺というのは、悲しいことに『不登校・ひきこもり・ニート』という事柄において周辺事態なわけです。『不登校・ひきこもり・ニート』の人が自殺をするとすれば、その理由のひとつに、希望を失ってしまったということがあるかもしれない。学校に行かないから、希望がないだとかひきこもっているから、希望がないだとか働いていないから、希望がないだとかたぶん、そんな考えに呪縛されている人がいるかも知れません。ところが、そんなことはないはずなんです。いま学校にいっていなくても、働いていなくても、それはいまのことですから。将来はどうなるかわかりませんから。いまが最低なら、これ以下ということはないわけですから。それに、希望なんてひとつじゃないんです。希望は無数にあるんです。希望のひとつやふたつ適わなかったからって心配することはありません。無数にある希望の中から、とりあえず手ごろなのをチョイとつまめばいいだけのことだし、気に入らなければ、それは捨てて適当な希望と取り替えればいいだけのことです。人生なんて、その程度のいい加減さでいいんだと思いますよ。
2008年05月24日
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「世界平和度指数」というものがあるのですよ。英経済誌エコノミストの調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)などが140カ国を調べてランク付けしたものです。調べた内容は(1)戦争や内紛が起きたか(2)暴力犯罪のレベル(3)政治的安定性(4)テロ発生の潜在性など24項目について分析し、数値化して国別比較したといいます。これが08年5月20日に公表されました。 日本は昨年と同様5位で、主要8カ国(G8)中では最高。隣国と緊張関係にあるものの、重大犯罪が少なく、政情も比較的安定していることなどが評価されたそうな。どんな国が平和とみなされているかというと、これは昨年度2007年のベスト10なんですけど、ちょっと書き出してみましょう。2007年度「世界平和指数」 1位 ノルウェー 2位 ニュージーランド 3位 デンマーク 4位 アイルランド 5位 日本 6位 フィンランド 7位 スウェーデン 8位 カナダ 9位 ポルトガル 10位 オーストラリア では、ワースト国はどんなところがあるか?ワースト1位 イラク ワースト2位 スーダン ワースト3位 イスラエル ワースト4位 ロシア ワースト5位 ナイジェリア 昨年の評価ですが、平和とみなされている国は、福祉大国といわれている北欧諸国が多いようですね。そして、ワースト国はしょっちゅう紛争をしている中東や、貧しいアフリカが多いことがわかります。次に寿命が長い国はどこかというと……06年WHO調べによると ■世界平均寿命・国別順位(男女総合) 順位 国名 平均寿命(歳) 1位 日本 82歳 1位 モナコ 82歳 1位 サンマリノ 82歳 4位 オーストラリア 81歳 4位 アイスランド 81歳 4位 イタリア 81歳 4位 スウェーデン 81歳 4位 スイス 81歳 では逆に寿命が短い国は……ワースト1位 ジンバブエ 36歳 ワースト2位 スワジランド 37歳 ワースト3位 シエラレオネ 39歳 ワースト4位 ザンビア 40歳 ワースト4位 ボツワナ 40歳 ワースト4位 アンゴラ 40歳 聞きなれない国名がたくさんあると思いますが、すべてアフリカ大陸の国です。ちなみに世界で平均寿命の短い国ワースト6位に、お隣の北朝鮮が入ってしまっています。これらのことを調べてわかるのは、国の平和さというのは、国がある程度の豊かさをもっていて福祉に力を入れていること。戦争や紛争はもちろん、暴力、犯罪の発生率が低いことがあげられます。平均寿命とか、平和度ランキングをみると、日本は相当に優秀といえますね。日本って国は、世界で10番目に人口の多い国で、いわば大国になるんです。 人口1億人を超えている国で、平和度ランキングや平均寿命が、ベスト10に入っているのは、日本だけなんですよ。さらに、昨年度の日本は、戦後もっとも殺人事件が少なかった年でもある。 つまり、この国は相当に住みやすい国ということがいえそうです。 もっとも、国の社会保障や福祉は先進国最低といわれているにも関わらず……ですが。 国民が平和で長生きの国って、それは相当に住みやすい国ということになるのでしょうけど、果たして本当にそうなのか?そこで自殺率という数値も一緒に考えてみるとどうなるか?日本の自殺率は世界9位、先進国では1位なのです。 それにしても、日本での自殺は異常に多い。多すぎます。 『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちに限らず、いまやこの国の人たちの多くが、いま現在、自殺の危機に直面しているといっても過言ではありません。そこで少し日本における自殺について調べてみようと思います。(つづく)
2008年05月23日
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4月になってから、硫化水素自殺が爆発的に増えている。2~3月は、ほんの数人だったのが、4月だけで70人を超えた自殺者が出たという。そして今月5月は、すでに80人違い人が、この方法で亡くなってしまっている。いまの勢いなら、今月中に100人以上がこの死に方で自殺するのだろう。実のところ、ぼくは自殺が悪であるとは思っていない。ぼくには、自殺しようとしている人に対して、「絶対に死ぬな」とは言えない。死なないで欲しいというくらいしか言えない。生きていると、死んでしまいたいと思うことも多いだろう。自殺したいと思う人が悪いということはない。自殺は、悪ではなく、自分にとっても周囲にとっても、とても悲しいことなのだ。だからできれば死なないでほしい。ぼくの友人で、オキタリュウイチさんという方が、自殺防止運動をやっているので、ここで紹介します。死ぬためのテクニックではなく、生きるためのテクニックを教えてくれる『生きテク』というサイトです。最近ではメールマガジンも発行されるようになっていますので、自殺念慮に苦しんでいる方は、ぜひ登録をおすすめします。また、『自殺予防総合対策センター』というのもあるので、悩んでしまったときは、積極的に利用していただきたいと思います。「死にたい」と思った人は、物事をちゃんと考えられなくなってしまったり、短絡的になってしまったりすることがあると思います。つい最近のことですが、ぼくの知り合いが、発作的におこる激しい自殺念慮に襲われ、硫化水素自殺を実行しようとしたため、自ら警察に電話をして、保護してもらったということがありました。現在、その方は入院をしていますが、だいぶ落ち着いてきたようです。硫化水素自殺にせよ、他の自殺にせよ、自殺というのは流行性があったりするものです。いま死にたいと思っている人は、ちょっと踏みとどまって、できれば死なないでいてほしいと思うばかりです。
2008年05月22日
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「はじめにロゴス(論理)あり、ロゴスは神とともにあり」― 新約聖書 ヨハネによる福音書 一章一節 ―論理とは、「筋道の通った話し」という意味です。その論理を研究した学問が、哲学であり論理学です。論理学は、「シロクロをハッキリとつける。中間はない」というものです。つまり、オール・オア・ナッシング的思考法と言えます。この考え方は、限りなく数学的です。間違っているか? 正しいか?間違っている・正しいを、言葉や数式にして、解を出すのです。近代から現代文明は、この論理学的な思考法によって、発展してきました。自動車が走るのも、飛行機が飛んでいるのも、パソコンが使えるようになったのも、すべてこの論理的な計算や、答えの結果できるようになったのです。それを見ただけで、この論理学的思考法がいかに優れたものであるかが、わかるでしょう。しかしシロクロをハッキリつけることが出来にくいものがあります。人間という生き物です。前回、社会主義と資本主義について書きました。20世紀という100年をかけて、「富と権力の分配」を目指す社会主義と、「自由と競走」を目指す資本・自由主義のどちらが優れていたかが、決着したという話しです。結果は、社会主義の社会では、理想とは逆に、富の格差、失業、貧困、独裁、餓死、虐殺が、資本・自由主義社会よりも、はるかに頻発し、そして社会主義国のほとんどが潰れるか、方向転換を余儀なくなりました。オール・オア・ナッシング的思考法だと、「社会主義的な考え方はすべてダメ」、「資本・自由主義的な考え方のみ正しい」という解がでるはずです。しかし、人間や人間社会は、数の計算のように、シロクロがハッキリつくものではないのです。資本・自由主義の要諦(ようてい・ポイント)は、“自由競争による淘汰”にあります。よって、弱肉強食が正しい。これを豆腐屋さんに例えると力のない豆腐屋は倒産し、力のある豆腐屋がのし上がるというのが、正しい。これが社会主義体制であると、豆腐屋はひとつの町にひとつだけに限定する。よって、豆腐屋の倒産はありえない。全国の豆腐屋は豆腐一丁100円と限定する。すると価格競走がおきないので、ますます安定すると考えたわけです。しかし、人間というものは気まぐれで、安定するとサボったりする。豆腐の原材料である大豆が、毎年同量の収穫があるとは限らない。天災もあれば人災もある。ノルマにあきたらず、もっと安くて美味しい豆腐を作ろうとしても、それは「みんな一緒」の方針と違いますから、許されません。よって、最終的に社会主義国は立ち行かなくなってしまったのです。資本・自由主義体制だと、町にいくつ豆腐屋があっても良い、値段も自由につけてよい。味が良かったり、値段が安かったりと、お客に人気がある豆腐屋は栄え、サボったり味が悪い豆腐屋は淘汰されるということになります。20世紀をかけた社会実験は、資本・自由主義が正しいという答えがでました。はたしてそうだったのか?資本・自由主義社会は、完全に「弱肉強食オンリー」であったわけではありません。失業した人には、失業保険という制度が破産した人には、これまでの借金がチャラになるという破産制度が生活が困難である人には、生活保護という制度が年金や健康保険といった制度が、弱肉強食社会、競走社会のフォローをしています。これらの制度は、社会主義的な考えでもあります。オール・オア・ナッシング。シロかクロか、生か死かという二つに一つという極端な考え方では、人間という生き物に対処できません。シロ派であろうと、クロ派であろうと、他派の良いところはどんどん取り入れるべきでしょう。人間という生き物はシロでもクロでもなく、その中間でうまく生きていくものなのでしょう。「はじめに論理あり 1」の最初に述べましたが、現代文明の二つの潮流芸術と科学、大学風にいうと文系と理系という潮流があるわけですが、科学や理系は、数字で、あるいは論理的に、解決や考えることができます。しかし、芸術や文学、絵画、音楽、哲学というのは、数字や論理のみで解決や考えることは困難です。これらは、感性や雰囲気、好き嫌いといった感情、情緒的なものあるからです。古代ギリシャの時代、芸術家と科学、文系と理系はひとつでありました。レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家であると同時に、最先端と科学者でした。ガリレオもニュートンも、科学者であると同時に哲学者でもありました。一方に片寄っては、どこかにヒズミがでる。ユガミがでる。学問だけではなく。思想だけではなく。人として、真に豊かでありたければ論理だけでは不十分です。感情や情緒だけでも不十分です。論理と感情。論理と情緒。この両面が充実していなければ、どこかイビツになる。「はじめに論理あり、同時に情緒と感情あり」 人は論理的に考え、情緒的に行動するというのが、豊かな生き方なんじゃないでしょうか? 少なくともわたしは、論理のみ、情緒や感情のみの生き方よりも、車の両輪のごとく、論理と情理をつき合わせて、人生に対処したいと思っています。(完)
2008年05月21日
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18世紀から19世紀に、ヨーロッパに産業革命が起こります。さらに、19世紀、のドイツにひとりの経済学者が生まれます。20世紀から現代にかけて、もっとも世界に影響を与えた思想家カール・マルクスです。21世紀の文明の源流は、イスラエルの宗教にあると書いてきました。イスラエル人とは、ユダヤ人ともいいます。キリスト教の始祖であるイエス・キリストも、ユダヤ人です。そして20世紀に大きな影響を与えたマルクスもユダヤ系ドイツ人でした。マルクスは、資本主義・自由主義では、富の格差が拡大し、失業問題が生まれると考え、「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ!」と宣言し、共産主義という政策・経済思想を打ち立てたのです。(ここで余談ですが、マルクスは大富豪の家に生まれ、両親から受け継いだ巨万の富を「貧しい労働者」のために使うことなく、マルクス主義である「富を平等に分配する」わけでもなく、たちまち浪費してしまいます。そのため、エンゲル係数で有名なエンゲルが金銭面で支援をしたり、友人などから莫大な借金をするのですが、お金が入るたびに連日豪華なパーティーを開き、それもたちまち使い果たします。また、大変な人種差別者でもありました。一種の性格破綻者であったのかもしれません。マルクス自身の人生も、オール・オア・ナッシングであったようです)それはさておき、マルクスの打ち出した「富を平等に分配する」という思想は、多くの人々に共感されました。20世紀になり、マルクスの思想である共産主義・社会主義を実行したのは、ロシアのウラジーミル・レーニンです。レーニンはロシア革命に成功し、世界初の社会主義国家「ソビエト連邦」を作りました。(おもしろいことにこのレーニンもユダヤ系であったりします)では、世界初の社会主義国家「ソ連」は、その理想通り「富を分配する失業のない夢の国」になりえたかというと、まったく正反対の結果になります。富は特権階級に独占され、独裁者を生み、虐殺と粛清、貧困と餓死が、これまでの社会にないくらいに増えたのです。オール・オア・ナッシング。富の分配のために。20世紀は「社会主義の時代」と言われています。社会主義・共産主義といった、人類が理想と感じた数多く出現しました。一方、社会主義ではない主だった国は、「富を平等に分配する」のではなく、「自由と競走」をする思想である資本主義・自由主義思想を支持しました。世界は社会主義と資本主義に分かれます。オール・オア・ナッシング。社会主義か資本主義か。社会主義国では、富は特権階級に独占され、徹底した格差社会を生みました。さらに独裁者を生み、粛清・貧困・餓死のため数千万人、一説では億を超える人が死んだのです。一方の自由資本主義では、不況時や世界大恐慌のときでさえ、ほとんど餓死者はおらず、粛清も行われませんでした。20世紀という100年をかけた社会主義と資本主義という壮大な実験は、20世紀末にソビエト連邦の崩壊、中国の近代資本主義経済の導入ということで、決着がつきました。社会主義の富の分配は理想論であり、失業はないはずであったのが、労働者が工場へいっても、工場自体がまったく動かず、農民は農場へ行っても、種がない、トラクターが動かないという状態にまでになってしまったのです。資本主義・自由主義の特徴は、「競走」であり、「弱肉強食による企業淘汰」です。資本主義・自由主義も、大変に厳しい思想であるのです。ただ、人間という動物において、理想論である社会主義よりも、弱肉強食である資本主義・自由主義体制のほうが、本性(ほんしょう)に合って居たのかも知れません。人間はそんなに理想どうりの、美しい生き物ではないからです。さて、次回で最終回となります。(つづく)
2008年05月20日
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中世ヨーロッパの歴史を、大急ぎで解説しています。中世ヨーロッパは、キリスト教会による弾圧・抑圧が人々を苦しめた時代であり、一説には「暗黒時代」とも呼ばれた時代です。このキリスト教による弾圧は、「オール・オア・ナッシング」思考法のマイナス面が出たものでした。「オール・オア・ナッシング」思考法は、シロクロをハッキリとつける思考法です。中間はない。そういった考え方をする中世キリスト教では、「教会、法王庁に逆らう者、異教徒には死を! 従う者は死後天国にいける」という考え方で、多くの人々を指導・抑圧しました。「地動説」を発表したガリレオ・ガリレイは宗教裁判に掛けられ、一生を軟禁生活させられました。虐待や暴力は他者への暴力を生みます。人々は、隣人を「あの人はおかしい、魔女かも知れない」と、教会に密告し、中世ヨーロッパでは魔女狩りが盛んに行われました。魔女の疑いを持たれた人は、拷問され「死ねば人間、生きていれば魔女の証拠である」という救いようがないオール・オア・ナッシング思考法によって、殺されました。魔女狩りによる処刑は公開され、抑圧された民衆のガス抜きであり、娯楽でもあったようです。執行する側のカトリック教会は、「権力は腐敗する」の法則の通り、堕落しきっていました。それに対して宗教改革が行われ、プロテスタントが生まれましたが、それは決して人々に解放するようものではなく、「オール・オア・ナッシング」的思考法が強化され、魔女狩りなどは、さらに頻繁に行われるようになりました。オール・オア・ナッシング。神の名のもとに。しかし、14世紀から16世紀に「ルネサンス」という芸術や学問も再生行動が起こり、抑圧されていた芸術・哲学・数学や天文学が大きく発展して行きます。17~18世紀にかけて「古典派物理学の創始者」で有名なアイザック・ニュートンが出ました。ニュートンが生涯をかけて研究したのは、「神の実在を証明する」というものであったことはあまり知られていません。哲学も多いに発達しました。実際のところ、ニュートンなど現在は科学者と言われている人たちも、自分たちのことを科学者であるとは思っていませんでした。まだ「科学」という言葉がなかった時代ですから当たり前ですが、ニュートンたちは自分たちを「自然哲学者」であると考えていました。現代、科学とは大学でいう「理系」の総称のようになっていますが、もともと哲学と科学は分離しておらず、天文学者も物理学者も数学者も、神や自然・人間を研究する哲学者と考えられていました。彼らは、“錬金術師”とも呼ばれており、「魔術を行う者」のような感覚で見られることもありました。ちなみに中世では、調理人も錬金術師と見られていたりします。ただの食材を、不思議な術を加えて美味しい料理に変えてしまうからです。また、18世紀あたりからヨーロッパ・アメリカ文明に新しい“うねり”が表れてきます。社会思想や経済学という部門です。経済学の父と言われるアダム・スミスがあらわれ、「市場(しじょう)は規制するよりも、自由放任にしたほうが良くなる」という資本主義の考え方で出てきます。アメリカ合衆国が独立し、フランス革命が起こります。現代につながる「自由・平等・博愛・権利・義務」という思想が出てきます。「人道主義」、「人権主義」という考え方であらわれますが、これは宗教の一種と見なされています。フランス革命の指導者、マクシミリアン・ロベスピエールは、新たに祭壇を作り、巫女を集め、人工的な神を創設したりしたくらいです。オール・オア・ナッシング。極端から極端へ。フランス革命では「人権宣言」のもと、「自由・平等・博愛」を説きながら、一方、反革命的な人物、元貴族、少しでも疑いのある人物を次々にギロチンにかけ、大量虐殺を行っています。オール・オア・ナッシング。殺すか、殺されるか。聖職者や上級貴族の腐敗した政治から、下級貴族や民衆による恐怖政治へ。また、フランス革命の前に行われたアメリカの独立宣言でも、「人間は平等、基本的人権」を謳いながら、西アフリカから大量に黒人奴隷を輸入し、インディアンといわれた原住民を大量に屠殺しています。オール・オア・ナッシング。自由、平等、博愛の名のもとに。オール・オア・ナッシング。人権、人道の名のもとに。革命と虐殺から、民主主義があらわれます。資本主義の流れから、自由主義と社会主義に分かれます。これもまた、オール・オア・ナッシングの思考法から生まれたものといえるでしょう。(つづく)
2008年05月19日
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前回、「神は実在するのか?」「なぜ生きるのか?」という疑問から、西洋哲学や科学が発達していったということを述べました。その原点はキリスト教、ひいてはイスラエルの民の宗教の思考法である「オール・オア・ナッシング」にあると述べました。「オール・オア・ナッシング」とは、『不登校・ひきこもり・ニート』と関係の深い、パーソナリティ(人格)障害や、アダルト・チルドレン、神経症や気分障害の人がなりやすい思考法でもあると述べました。『不登校・ひきこもり・ニート』と、虐待やいじめは、関係のある場合もあり、イスラエル(ユダヤ)人は、民族という単位で、常に迫害され、虐待され、いじめられてきた歴史があります。個人の人格も、集団(民族等)の人格も、環境や歴史によって似てくるのかも知れません。さて、「オール・オア・ナッシング」の思考法を持つ宗教に影響をされた人たちは、「神は実在するのか? どうやって証明するのか?」という疑問を持ちました。実はこの、「神は実在するのか? どうやって証明するのか?」という疑問を持つ宗教は、極めてめずらしいことなのです。なぜか?「宗教の本質は“狂信”にある」からです。ここで言う狂信とは何か?「文句や余計なことは考えず、ひたすら信じること」と言えましょう。よくわからない?日本には、「南無阿弥陀仏」と唱え続ければ、極楽浄土に行けると考える宗教や、「南無妙法蓮華経」と唱え続ければ救われるという宗教があります。その布教者、信者、研究者に、「極楽浄土とは、具体的にどのようなところか? 証明せよ! 答えを出せ!」という人がいましょうや?いたとしても、科学的に証明しようとしたり、答えを出そうと何代にも渡って研究し続けた人がいましょうや?「悟りとは何か?」「悟ってみなければわからない。だから悟るために修行なさい」と、日本人宗教家なら答えると思います。「極楽浄土とはどのようなものでしょう? 証拠を出し証明してください」「死んでみなければわかりません」という人もいるでしょう。「そんな疑いを持たずに、ひたすら信ぜよ! お経を唱えよ!」「お経を唱えよ」が、「呪文を唱えよ」でも「ひたすら祈りなさい」でも同じこと。これが宗教の本質。ところが、古代イスラエルの民やその影響を受けた古代ギリシャの人たちは、その証明をしようと哲学を作り、数学を作ったのです。そこで古代ギリシャの哲人たちや数学者たちは、必死に考え討論をしました。しかし、それは長く続かなかった……なぜならば、キリスト教も宗教であり、本質は“狂信”であったからです。古代ギリシャから古代ローマへと時代は渡り、やがてヨーロッパは中世の時代をむかえます。中世ヨーロッパは“暗黒時代”とも言われるように、キリスト教カトリックがヨーロッパを支配した。抑圧した。抑圧とは「ひたすらキリスト教を信じよ! 信じない者、異教徒は殺せ!」というオール・オア・ナッシング的な考え方です。やっと14世紀から16世紀に「ルネサンス」と言われる時代が来て、古代ギリシャの哲学や数学を再生しようという動きが出てきた。レオナルド・ダビンチやミケランジェロといった人があらわれた。宗教改革があり、プロテスタントが生まれた。大航海時代でもあり、新航路発見の冒険があった。フォーク使って食事をする習慣が入ってきた。アラブやインド、中国や日本などより、よほど野蛮で文化的に低かったヨーロッパが、世界を侵食しようとする時代でもあった。とはいえ、キリスト教による抑圧の壁は厚く、「天動説」と発表したガリレオ・ガリレイは宗教裁判に掛けられ、一生を軟禁生活させられたり、魔女狩りが行われ多くの人々が拷問され殺された時代でもあった。「ルネサンス」の時代は、16世紀で終わりますが、この後ヨーロッパ文明は、アメリカも含めて驚異的な発達をします。その原動力は、「オール・オア・ナッシング」的な思考法。シロかクロかをハッキリとつける論理学的な思考法でもありました。(つづく)
2008年05月18日
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はじめに言葉(ロゴス)あり、言葉は神とともにあり― 新約聖書 ヨハネによる福音書 一章一節 ―このブログにおいて、思想と信教(宗教)の話しは極力避けようと思っているのですが、今回のお話しはいきなり“思想と信教”についてです。(笑)しかも長くなるぞ~。さて、近代から現代文明(主に欧米の文明)というのは、大きく二つの潮流に分けられます。すなわち、「芸術と科学」です。大学の科目風にいうと、「文系と理系」これらの源流はどこにあるか?イスラエル民族の宗教にある。芸術も科学も、他の民族や地方にあるのですが、現代を席巻し、特化したのは、この古代イスラエルの源を発した宗教にあると言っても過言ではないでしょう。イスラエルの宗教とは何か?ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が現代に伝わっています。特にキリスト教から、近代~現代における「芸術と科学」に大きく影響した。特化した。どこが?イスラエルの宗教は、オール・オア・ナッシングなんです。シロかクロかをハッキリとつける。ゼロか100かをクッキリとつける。ここで言うゼロとは何か?旧約聖書を読めばよくわかる。神に逆らった者は、「ノアの大洪水」、「ソドムゴモラ」の話しに見られるように全滅・皆殺しにされます。従えば助かる。また、旧約聖書には、戦争による殺しや略奪さえも「よし」とする場面も出てくる。「だからいま幼いうちに男の子は皆殺しにせよ。男と寝て男を知っている女も皆殺しにせよ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」 (旧約聖書 民数記 31章17~18節)ひょえ~、でしょ。神に逆らえば皆殺しにされる。神の命とあらば、皆殺しにして良い。(処女は除いて)なんていう言葉が残っているくらいです。オール・オア・ナッシング。すべてか?ゼロか?このオール・オア・ナッシングの思考法は、『不登校・ひきこもり・ニート』の人に多く見られるという思考法でもあります。人格(パーソナリティ)障害、うつ病など気分障害、神経症といった人にもよく見られるというオール・オア・ナッシングという思考法を持っているのが、イスラエルの宗教ともいえる。(かなりこじつけですが)また、このイスラエル人という人たちは、またの名を「ユダヤ人」あるときは、地中海あたりを漂泊し、あるときは奴隷階級にさらされ、世界中から迫害され、虐待され、いじめられた人たちです。この人たちが持った武器が「はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり」というものなんです。ここで言う「言葉」とは何か?ギリシャ語では「logos(ロゴス)」英語では「logic(ロジック)」ロジックとは、論理=話しの筋道のことです。この言葉=論理を武器にしたのが、古代イスラエルの人たち。古代イスラエルの思考法は、ギリシャに伝えられ、プラトンやらアリストテレスへ伝わり、やがてヨーロッパ文明を築いていくことになります。彼らに常に考えた。「神は実在するのか? 実在するとしたらどうやって証明するのか?」「こんなに迫害されて、生きているのが苦しいのに、なぜ生きていないといけないのか?」これらの問題に関する“論理的・科学的な”答えは、少なくとも聖書には書いていません。イエス・キリストは言った。「信じる者は救われます」キリスト教徒は思った。「ホントか? 証拠はあるのか? どうやって証明する?」「信じれば天国か? 信じないと地獄なのか?」このオール・オア・ナッシング思考法が、やがて近代数学や論理学を生み、哲学を生んでいきます。(つづく)
2008年05月17日
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わたしが『不登校・ひきこもり・ニート』に関わるようになった最初は、不登校問題についての取材からでした。取材を続けていて、わたしが感じたことは「たかだか不登校“程度”のことで、多くの人たちは、なぜ悩み苦しんでいるのか?」ということでした。不登校というのは、その多くの場合“たかだか、子どもが学校に行かない(行けない)だけのことに“過ぎない”わけです。ところが……不登校児童生徒は……、あるいはそれ以上に親がパニックになっているわけです。つまり「学校に行けば(行ってくれれば)、すべての問題は解決する」「学校に行かない(行けない)のは……ぼくが(わたしが)悪いから親が悪いから学校が悪いから社会が悪いからいじめっ子がいるから無能な先生がいるから……」と、不登校問題の“原因探し”をはじめます。一番、笑ってしまったのが、あるフリースクールの有名なセンセイが講演で「不登校の犯人探しをやってはイケマセン! 悪いのはアナタではアリマセン! 悪いのは学校と政府です!!」って、叫んでいたことですね。やってるじゃん、しっかり“犯人探し”!!(笑)つまりは、こんなもんでね。この有名なセンセイは“責任転嫁”ってヤツを、親の代行してやっているだけのことなんです。(笑)フリースクールにとって、お金を払ってくれる“客”は、親御さんなわけですよ。そしてその有名はセンセイも、元不登校児童生徒の親であったわけなんですけど、結局、「わたしが(あなたが)悪いわけじゃないんだ」と、大声でアピールすることで、免罪をアピールしているわけです。つまり、そうやって「わたしが悪いんじゃない」「悪いのは●●だ」とか、「すべてはわたしが悪いから」と主張しているウチは、その問題に“呪縛”されてしまっている状態なわけです。そして、そこには一番大切なものが置き忘れられてしまっていることに気付いていないんです。一番大切なものとは何か?不登校問題であれば、子ども本人であり、親本人のことです。子どものことを一番に考えているのなら、“たかだか学校に行けない程度のことで”嫌がる子どもを無理やり学校に引きずっていき、子どもを苦しめることはしないはずです。親がもっと自分を大切にしているのなら、“たかだか我が子が、学校に行けない程度のことで”異様に心乱れてしまっているのか?本当に子どもや自分のことを考えているのであれば、なぜ子どもや自分の苦しみを増幅させるような行為に必死になっているのか?「子どものため」とか「自分のため」という言葉の裏側には、子どもや自分のためよりも、社会や世間に合わせようとする行為のような気がします、なぜそうなってしまうのかというと、人間というのは、自分自身のことを、客観視することができないからですね。悩んでいるといこと自体に悩んでしまうんです。ほとんどの人は、他人からみたら、大したことがないことに悩んでいるわけです。不登校問題の本質は、子どもが学校に行かない(行けない)ことではありません。その不登校を攻撃して乗り越えよう、克服しようとすると、その不登校に囚われてしまうんですね。自分や子どもが不登校とかひきこもりになったら、過去はもう変えられないわけですから、いま状態をそのまま認めることです。人間は我が子とはいえ、他人を変えることはできないんです。それどころか、自分すら変えることは大変に困難なわけです。よく「もっと前向きに」「ポジティブシンキング」とかいって、自分や他人を叱咤激励している人がいますけど、そのときもし「前向きになれない」自分がいたとしたら、逆に落ち込んでしまうわけです。だったら、「前向きになれない自分」とか「ボジティブ」になれない自分を、まず認めてしまうことが、逆に問題解決の近道だと思いますよ。悩んでいるなら、悩んでいることを認めることからはじめてみたらどうでしょう?まず、悩んでいることを認めて、無理はしないと。そうすると、悩んでいるのに、悩んでいないって頑張るより、楽になれると思うんですけどね。
2008年05月16日
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今週の【週刊東洋経済5月17日号】に興味深い特集が組まれていたのですよ。【子ども格差 このままでは日本の未来が危ない!!】と、題する特集です。大阪府堺市の調査によると、「生活保護世帯」の学歴中卒が58.2%、高校中退が14.4%さらに母子世帯を調べたところ、親の学歴が中卒、または高校中退が7割親子2代に渡って生活保護を受けている世帯が4割さらに母子世帯の26%で10代の女の子が妊娠しており、そのうち46%が中卒 まさしく「負の連鎖」!! これは大阪の堺市だけではなく、全国の市町村も似たり寄ったりなのでしょう。福祉行政に関わる人の隠語に「生活保護家庭の子どもは、大人になっても生活保護を受ける確率が高い」というものがあるそうですが、悲しいかな、今回の調査でそのことが確認されてしまったようです。さらに国際的に見ても、日本という国の「子どもに関する公的支出は先進国最低レベル!虐待や貧困などで子どもを預かる「児童相談所」はパンク状態になっているといいます。また行政サイドとしては、生活保護をカットする方針のところも多いらしく、福祉事務所から「おカネが欲しかったら、サラ金に行きなさい」などと言われた人もいるといいます。福祉事務所が「負の連鎖」を促進させてどうするっちゅーんじゃい! と、一喝したくなりますね。他にも、この特集記事から興味深い記事があります。興味のある方は、ぜひ一読を!
2008年05月15日
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巨椋っす。ちょっと仕事が忙しく、更新している時間がないので、過去、他の場所で書いたコラムを転載します。以前、映画『不登校の真実』を撮っていたときに書いたコラムでございます。 不登校におもう 巨椋修(おぐらおさむ) 更新日時:05年3月30日 この映画を制作するようになって、多くの人から 「不登校についてどう思うか?」「この映画で伝えたかったことは?」「なぜ不登校の映画を作ったのか?」 などといった質問を受けるようになりました。 これらの答えとしてわたしは「不登校自体は、大した問題ではない。いや、問題ですらないと思っている」と、答えてきました。 わたし自身、便宜上“不登校問題”という言葉を使いますが、不登校が学校へ行くか行かないかということだけであれば、それは大した問題ではないと思っています。 本当の問題は学校へ行く・行かないではなく、その裏側にあると確信しているからです。 不登校の原因は、学校でのイジメであったり、親の虐待、先生の体罰、心の傷や病気、本人の怠けなどなど、百人百様の原因があり、ひとつのパターンにおさめることは不可能です。 一面、学校にいかないことが問題とされるのは、“子どもは学校に行かなくてはならない”という固定概念があり 『学校に行く』=○ 『学校に行かない』=× という、二つに一つの答えしか求めないことが、『学校へ行かないことがダメなことで問題である』という、いわゆる“不登校問題”ということになっているような気がします。 この二つに一つの考え方は、わたしたちの単純で、一見して実に力強く周囲にアピールすることができる考え方です。 例えば 勝利か敗北か 白か黒か 正義か悪か 有罪か無罪か と、いった具合です。 しかしこの考え方では、「勝つためには何だってやる」「敗けたら、これまでの努力がすべて水の泡になる」 「正義に少しでも反する人は、みんな死刑にしちゃえばいいんだ」 などといった極端な考え方しかできなくなってしまいます。不登校に関して言えば 学校にさえ行けるようになれば、問題解決である。 という考え方ですね。実はこの学校にさえ行けるようになれば、問題解決という考え方が、不登校問題に対峙している人の多くが思っている解決法でもあるのが現実なのですよ。 でもこれでは本当の解決になっていないですよね。イジメを受けて学校へ行けなくなった児童へ無理やり学校へ連れていく。これって、わざわざイジメられに行けっていうことになりかねないでしょう? でも周囲の人は言うんですね。「イジメなんかに負けちゃだめだ。やられたらやりかえすくらいでなきゃ」ってね。でも、自分の身に置き換えて考えて見て欲しいんですけど、自分が複数の人から理不尽な肉体的・精神的暴力を受けて、やりかえせますか? 「オレはそんなに弱くない。やりかえせる」という人は、こう想像してください。あなたは暴力団事務所に、肉体的暴力と精神的暴力を受けるとわかっているのに毎日出かけることができますか? もちろん学校は暴力団事務所とは違います。誤解を受けかねない表現ですが、イジメを受けている児童・生徒はそれに似た心理になってしまいます。 そこまで追い込まれてしまうから、自ら死を選ぶという子どもも出てくるのです。 学校内でレイプされた子どもが、親や先生にも相談できなくて、学校が怖くなって行けなくなる。周囲の人は、そんな事情がわからないから「おまえは根性がない。甘えるな!」と、怒鳴りつけて無理やり学校へ連れて行こうとする。悲しいかなこんな現実があったりするんです。 学校に行く=○ 学校に行かない=×不登校の子どもが、学校に戻ることのみを解決とするだけでは、本当の解決ではない。学校に行く行かないではなく、本当の問題はその裏側にある。 それがこの映画を作って思ったことです。 (原作・監督 巨椋修(おぐらおさむ))
2008年05月14日
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巨椋です。以前に書いた文章を転載します。つーことでよろよろ。教育におもう 巨椋修(おぐらおさむ) 更新日時:05年3月30日 不登校に悩む親が学校の先生の考え方に「せめて高校くらいは出ていないと……」「せめて大学くらいは出ていないと……」と思っている人が大勢います。 それまでは不登校に理解があった親御さんでも、いざ、ご自分のお子さんが学校へ行かなくなったら、子どもの将来を考えて、上記のような考えになってしまう場合が多いようです。 むしろそう考えるのが当たり前でしょう。我が子の将来を心配することは当然です。 いくら学歴崩壊などといっても、学歴社会は存在しますし、高学歴のほうが就職に有利なことも事実です。 また、学校を卒業しなくては就けない職業もあります。医者や看護士は専門の学校を卒業して国家試験を受けなければなりません。 不登校の映画とか本を作っていると 「不登校に理解がある=不登校バンザイ、学校なんていらない」 という考えの持ち主であるかのように思われてしまいます。 わたしは“学校だけが教育の場ではない”と思ってはいますが、決して不登校バンザイとは思っていないし、学校はすばらしいシステムだと思っています。 わたしは「せめて高校くらいは出ていないと……」という考えはしていませんが、現実としての学歴社会を知っています。 だからご自分のお子さんが、不登校になってしまった親御さんの悩みや当人の不安もわかります。 よく「○○くんは、お勉強はできないけど絵が上手だから絵描きさんになればいい」とか「野球がうまいから将来は野球選手に」 なんていう人もいますけど、それはただの無責任な発言で、それで、生活できるな人なんてほんの一部でしかないのが現実です。 そういった現実を踏まえた上で「学校だけが教育の場ではない。学べる場はもっと多くあるし、人生の選択肢も多くある」と言っています。 教育の目的は何かというと、それは高卒や大卒の証書を取ることではないはずです。 教育とは“教え・育てる”ことですよね。つまりは、知育・徳育・体育で、その人が生きていける力をつけるということです。 わたしたちは、海外からこの国にやってきた人と話しをするとき「あなたはどこの高校を出ましたか? 大学は?」なんて聞かないでしょう? それ以前に、この人はどんな人なのか?その人の人格・品位をまず見るんじゃありませんか? 相手の人だって同じで、この人は信用できるのか? というところから入ってくるわけじゃないですか。 そのときに、その人に魅力や人格、おもしろみがなければ、少なくとも友達としては付き合わないでしょう。 ビジネスでも信用がなければ付き合わない。いくらその人が「ぼくはケンブリッジ大を出ている」とか「ぼくはオックスフォードだ」なんて言われても、信用や人格がなければ付き合わない。 不登校の当人や親御さん、先生が将来に不安を持つのは当たり前のことなんです。 それは不登校であろうが、学校に行ってようが関係なくあると思います。 いろいろな現実を知ったうえで……理想論としてではなく、現実論として、わたしは高校・大学の卒業証書を得るためだけの教育よりも、もっと大切な教育があると思っているんです。 人間、どうしても身近な世間しか見えにくくなりますし、追い詰められた人は、選択肢が大変せまくなってしまいます。 例えるなら、失恋したした人が、自殺するか自分を振った相手を殺すかといった狭い選択しかなくようなものです。 人生の答えはひとつではないと思うんですよ。 もっとゆとりを持って、広い目で見てみると、いろいろな答えが出てくるような気がします。 (原作・監督 巨椋修(おぐらおさむ))
2008年05月12日
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不登校・ひきこもり・ニート』を対処するために必要なこと。そのひとつに、『現実と向き合う』ということがあります。これは口で言うほどカンタンなことじゃない。ときには大変な覚悟が必要だし、目をそむけたい、考えたくないことを考えるということでもあります。例えば、「一生フリーターでもいいじゃないか」という考え方がある。しかし現実では、正社員としての生涯賃金が約2億1500万円なのに対して、フリーターは約5200万円と、およそ4倍の収入格差がある。(UFJ総合研究所の調べ)確かに月15万円も収入があれば、それなりに生活ができる。しかし、20代のときはフリーターも正社員も収入に大差がないかも知れないけれど、30代、40代、50代と年齢を重ねると、収入に大きな差が出てくる。収入が低ければ、結婚や子作りも難しくなってくるというのが現実。その現実とどう向き合うのか? 落しどころを見つけるのか?「不登校でもいいじゃないか」という考え方がある。しかし中卒では、いろいろなチャンスが減るというのも現実です。じゃあ、学校に行けない状態にあるのに、無理やり学校に行けばいいのかというと、それも現実無視なわけです。無理やり学校にいって、心に大きな傷を負ってしまったり、自殺などをしてしまっては、「学校など行かなかった方がよかった」ということが現実にある。ひきこもりやニートにしたって、同様の現実があります。こういった現実に直面して、どうすればいいのかを考える必要があります。例えば、心に深い傷を負って『不登校・ひきこもり・ニート』になってしまっている場合がある。親や他人、あるいは本人も気が付かないのだけれど、そう言う場合は少なくないんです。こういったときは、親も他人も本人も、もの凄く焦っていたりするんですけど、一番いいのは現状維持であったりします。つまり、焦らない。ヘタに行動を起さない。高望みをしない。「そんなの現実的じゃないよ」と思われるかも知れませんが、現状以上を望むため焦って行動したりして、失敗をする。ただでさえ、深い傷を持っているのに、さらにその傷を深くしてしまうということが少なくない。不登校やひきこもりは、本人や家族だけの力では、いかんともし難いことが多いので、第三者、それもちゃんとした知識のある人の相談した方がいい。もしかしたら、社会不安障害や、うつ病、統合失調症といった場合もあるので医療機関に相談するのもいいでしょうね。できないことは無理しない。できそうなことから、少しずつはじめてみる。そういったことが現実的対処だと思います。
2008年05月12日
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さて、ここで問題です。問い: 「お金で愛が買えるか?」答え; 「買える」問い; 「お金で命が買えるか?」 答え; 「買える」問い; 「お金で時間が買えるか?」答え; 「買える」「そんなことないよ~」と、怒る善男善女の皆さまのお顔が目にみえるようでございます。が、これはすべて事実なんですよ。 正確には、「お金で買えない 愛、命、時間もある」というのが正しいでしょう。「そんなことはない!」と言い切る人もいますが、容姿がそっくりで、性格もそっくりの異性が二人いて、そこそこ貯金もあり年収も高い人と、貯金ゼロ、時給900円のアルバイターで、サラ金から多重債務をしている人から求愛されたとします。どちらを選びますか?おそらく、圧倒的多数の人は、お金を持っている人でありましょう。「お金で命は買えない」と言う人は、子どもの心臓移植のために寄付金を集めている親に向かって、そう言えますか?人が、自分の時間を会社や仕事に使うのは、お金を得るためである比重は大きいでしょう。社長が「仕事はお金のためにやるんじゃないんだ。世のため人のため、自分の生きがいのためなんだから、全員最低賃金、祝日祭日返上、サービス残業で必死で働け!」って言われて「その通り!」って奮起する人が何人いるんでしょうね?ここでひとつ面白い統計を。国立社会保障・人口問題研究所は、06年9月22日、未婚の男女8734人から回答を得た「結婚と出産に関する全国調査」(05年6月)の結果をまとめました。「いずれ結婚するつもり」という女性の割合が90%、男性87%と言う結果。そのうち、男性の場合、自営業者の60.5%、正社員の56.3%は「1年以内に結婚したい」と答えたものの、 パート、アルバイトの人は29.5%にとどまったというんですな。この数値は何を表しているか?お金の問題です。そもそも結婚なることをしようとすると、準備期間も含めて総費用はいくらくらいかかるか?ざっと700~800万円もかかっちゃう。当然、収入の低いフリーター・ニートは結婚に手が出ないということになってきます。「愛があればそれでいいの」と、いうカップルは問題なし。でもほとんどの人は、考えちゃうよね。じゃあ式は、簡略化するとして、その後の生活はどうするの?子どもが生まれたら、その面倒や教育費は?世間では、『ニート問題』を働かない・やる気のない若者の問題だと思っているけど、本質は、 “失業問題” “金銭問題” であったりするのですよ。「やる気がでない」「人と会うのが怖い」というのは、個人的な問題かも知れないけれど、失業問題は、政治や社会の問題になりますね。おっと、話しが少しズレた。「無償の愛など存在しない」がテーマでした。夫婦間、恋人同士が、仮に“愛の基本形”のひとつと定めるとします。このカップルは、本当に“無償の愛”でつながれているのか?誰でも「イエス」と答えたいと思うのですが、答えは「ノー」です。そもそも「愛」というのは、もの凄くエゴイスティック(利己的)なものなんです。人が人を愛するということは、相手から何らかの“報酬”を得たいということなんですよ。“報酬”とは何か?「ぼくがあなたを愛するから、あなたもぼくを愛してください」というのも報酬のひとつです。なんと我がまま、エゴイスティック、利己的。「もっとぼくを見てください、その代わりにバラの花束をプレゼントしますから」「わたしを愛してくれたら、キスまでは許すわよ」「一生を保障してくれたら抱いてもいいわよ」やっぱり利己的だなあ。(笑)このように「無報酬の愛」などというのは存在しないのです。親子愛でもしかり。親が子どもを育てる最大の報酬は、生命(遺伝子)の継承。子どもが親を愛するのは、親に愛されないと、生活力のない子どもは、たちまち死んでしまうからです。つまり自分を養育してもらうという報酬ため、子どもは可愛らしく笑い、ときとして利己的にふるまうのです。「そんなことはない、そんなことはない」と、顔ぶんぶん振っている人が目に見えるようです。わたし感じた限りでは、『不登校・ひきこもり・ニート』に関係する人の多くが、「愛はお金で買えない。命はお金で買えない。時間はお金で買えない。愛は無償」教信者であるように思えます。だからこんなことを書いていると、もう講演とかに呼んでもらえないかも知れない。(笑)でも言っちゃう。 「愛は有償である」「愛は無償」教の呪文には次のようなものがあります。「アナタノタメナノヨ」「わたしがこんなことをしたり言ったりするのは、あなたのためなのよ」という意味らしいのですが、それはちょっと違う。本当のところは「わたしのためなのよ」ではありませんか?「愛は無償」教では、すべて「アナタノタメ」ということにしておいて、その実態は 「わたしがこんなに苦しいのは、あなたのせいなのよ」 と、主張しているように感じることさえあります。もっと素直になってもいいんじゃないでしょうか?自分を愛せない人は、他人を愛せません。愛は利己的であるからこそ、利他的になり得るのです。まず自分を愛する。利己的な自分を認める。自分の楽しい・心地よいを追及する。楽しい・心地よいを追求する過程において、苦しい・嫌なことも多少はガマンする。そして現実的な落しどころを見つける。いい人生って、そんなものなんじゃないかと思ったりもします。
2008年05月10日
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『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちはモテるのか?人にもよるだろうけど、全般的に見ると、どうもあまりモテそうにないなあ……(笑)ここでいう、モテるというのは、いわゆる“異性にモテる”ということですけど、別の言い方をすれば“人気者”ともいえますね。中には、「オレはモテたくない」「人気者なんかになりたくない」なんていう人もいるだろうけど、そんなことを言っている人だって、心の奥底では、やっぱりモテたい、人気者になりたいもの。また、『不登校・ひきこもり・ニート』共通の悩みでもあり、すべての人にとっても共通の悩みでもある“人間関係”が上手な人ほど、人気者であり、モテるはず。そこで、ORICON SYTLEなるところが「社内でモテる男性」をテーマにしたリサーチを実施していたので、「社内でモテる男性 ベスト5」を紹介をしてみましょう。1位 明るい/前向き2位 仕事ができる3位 気が利く4位 人望がある5位 清潔感がある/さわやかであるわはははは、見事なまでに『不登校・ひきこもり・ニート』のイメージと真逆だなあ。この調査によると、男性と女性とでは順位が少し違っていて、女性からみた「社内でモテる男性」っていうのは1位 仕事ができる2位 清潔感がある/さわやかである3位 人望がある4位 気が利く5位 明るい/前向きとなっています。まあ、フツーそうだわな。女性にモテたいなら、2位の「清潔感がある/さわやかである」ってのは大事だね。これは男性から見た女性の場合も一緒なんだけど、フケツなヤツっていうのは、モテないねえ。神経症の一種に「潔癖症」や「不潔恐怖症」なんてのがある。あるいは、自分の容姿や体臭を以上に気にしたりする神経症があるけど、そこまでになってしまうと、まったく逆効果で、むしろ他人に「不潔感」を与えてしまったりするところが、かわいそうなところです。そういう場合は、遠慮なく病院に相談にいったほうがいいと思うよ。『不登校・ひきこもり・ニート』の人の中には、お風呂が嫌いとか、ずっと同じ服を着ているなんていう人が、たまにいたりするけど、そういう人は、ちょっと気をつけたほうがいいかもね。あと、「気が利く」っていうのは、優しい人のことです。どんなに自分で自分のことを「自分は優しい」と思っていても、それが態度に表れないと、本当に優しいとはいえませんよね。「優しさ」っていうのは、「気くばり・こころくばり」ができる人のことです。「こころくばり」を漢字で書くと、「心配り」つまり人のことを「心配」してあげることができる人のことです。心をくばって、行動をする人のことを「気が利く人」となりますね。モテたかったら、あなたの優しい心をくばってあげればいいんです。そうするとおのずと「人望」が集まります。人望=モテるみたいなもんですからね。また「明るい/前向き」の人がモテるのは、わかりますよね。暗くてウジウジしていて、後ろ向きの人ってやっぱりモテにくいもんです。いま、オタクとか腐婦女子なんていう人たちが意外と人気者だったりするんですけど、いま人気のオタクたちって、ものすごく明るくて、前向きなのね。(笑)オタク・ファースト世代のぼくなんかには、とてもついていけません。(苦笑)なんといっても、ぼくのあだ名は「ネクラのオグラ」ですからね。これを読んでいる人も、なかなか「前向きに明るく」なんてできないと思っている人も多いかも知れませんね。ぼくもそうなんですけど、一日中明るくなんてできないですよ。1日という時間だって、深夜もあれば真昼もあるんです。だから、ある時間だけ明るくできればそれでいいんです。前向きだってそう。ずっと前向きなんて疲れるじゃないですか。そんなときは、ななめ後ろ向きくらいでいいんじゃないでしょうか・そして必要なときは ななめ前向き これでOK。
2008年05月10日
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生きていくことがつらい人たちというのがいます。『不登校・ひきこもり・ニート』という状態にならなくても、一見すると毎日学校に行き毎日職場に行き毎日元気に過ごしているような人たちそういった人たちの中でも、生きづらいと感じている人が、意外なほど多くいます。ほんとうに意外なほど多くいる。その苦しみを誰にも言えない。親にも兄弟にも友だちにも言えない。そんな人が実に多くいるのです。ぼくは、そんな人たちと実に多く会ってきました。ぼくが『不登校・ひきこもり・ニート』といった人たちのいことを取材し、本にしたり映画にしたりしていることで、こっそりとその苦しい胸の内を語ってくれたのだと思います。そういった人たちは、硬い硬い鎧をかぶっていて、心の中まで柔軟性を欠いていることも多いようです。そういった人たちは、たまにでもいいから鎧を解いて、心のマッサージをする必要がある。かたく凝ってしまった筋肉をマッサージするように、心をゆるめてあげる必要があります。心をストレッチして、かたくなった心に血を通わせてあげて、ふう~とリラックスさせてあげる必要があります。ときどき、自分の鎧をはずして、心のマッサージとストレッチをさせてあげてくださいな。肩の力を抜いて、楽に楽になってほしいと思います。
2008年05月09日
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よく『不登校・ひきこもり・ニート』の関係者が声を大にしていうことがありますね。不登校はダメ人間じゃない!ひきこもりはダメ人間じゃない!ニートはダメ人間じゃない!これは、そうであるかも知れないし、そうでないかも知れない。(笑)どちらでも取れる発言なんですね。全員がダメということもないですし、全員がイケているということもない。ただ、社会一般というの意見をまとめると、『不登校・ひきこもり・ニート』というのは、どちらかというとダメ人間だと思われているかも知れません。だからこそ、『不登校・ひきこもり・ニート』の関係者は「あなたはダメ人間じゃない!」と、叱咤激励をしているのかも知れない。コレ、ちょっとおもしろくてですね。『不登校・ひきこもり・ニート』の関係者が必ずいう言葉に「そのままを受け入れる」というのがあるんです。ところが、『不登校・ひきこもり・ニート』の人の自己評価はとても低くて、自分の本心では「ダメ人間」だと思っている場合が多い。社会的にもダメ人間と思われている場合が多い。しかし、周囲の人は、本人の自己評価を高めるために、「あなたはダメじゃない」と励ましの言葉を言ってしまう。これには、どこか嘘があったりして、言っている人も言われている人も、心のどこかで「そうは言っても……」と、思っちゃう。よくうつ病の人に対して「頑張れ」と言ってはいけないといいますけど、これも似たような叱咤激励の言葉になってしまうことがあります。無理なポジティブシンキンングは、かえってしんどくなってしまいますから、こういうときは無理せずに、一旦自分のダメさ加減を「ありのままに」認めてしまった方がいい。いいですか、自分のダメさ加減を責めるのじゃなく、認めることです。自分はこんなところがダメなんだとか、これが苦手なんだと等身大の自分を冷静に見るというのは大切なことだと思いますよ。で、次に大切なのは 自分が認めた自分の欠点を克服しようとしないことです。 たぶんこの意見は、ほとんどの人が「えっ?」と思うことだと思うんです。ほとんどの『不登校・ひきこもり・ニート』の本や自己啓発の本は、どうやって自分の欠点を克服するかということが書かれていると思うんですけど、本を読んだくらいで劇的に改善されるのなら、もうとっくの昔に改善されているはずです。自分をそのまんま受け入れるってそういうことなんじゃないでしょうか?受け入れて叱咤激励したり、無理にポジティブに考えない。アドバイスをする人も、「あなたはあなたのままでいいよ」というのは、そういういことなんじゃないでしょうか?他の人はともかく、わたしはそう思うんですよ。家庭内暴力とか、迷惑行動、犯罪は認めるわけにはいきませんので、あらゆる手段を講じても止めないといけませんけど、それ以外は認めちゃう。ダメ人間なら、まずダメ人間であることを受け入れる。ダメじゃないところまで、ダメだと思う必要もない。そうすると、ダメな自分と対立することがなくなりますから、自然とダメなところと上手に付き合うことができるようになります。人が怖いという心があるなら、それを全面的に認めちゃう受け入れちゃう。人が憎いと思うのなら、それを全面的に認めちゃう受け入れちゃう。へんに対抗しようとすると、その気持ちと戦うために人を刺してしまいたくなったり、自分を傷つけたくなります。自分を「ありまままに受け入れる」っていうのは、難しいことでもあります。だって、自分の嫌な所を認めないといけないんですから。でも、受け入れるってそういうことなんだと思います。
2008年05月08日
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アダルト・ビデオの監督というのは、男性なら一度はやってみたい仕事のひとつであるそうです。ことしの3月にですね。 ぼくは、アダルト・ビデオの監督をやったのですよ。(笑) テーマや、出演者、シチュエーションなどは、アダルト・ビデオメーカーさんやプロダクションさんが決めて、「こういうものを撮ってほしい」と、リクエストがあり、それに合わせて、ぼくがシナリオを書いて、監督もしたというものです。もちろん、アダルト・ビデオ初監督でありました。出演者もスタッフも全員がプロですので、現場はなごやかですけど、真剣そのものです。ぼくは監督ですので、お芝居のシーンやエッチなシーンも、ほぼすべてに演技指導とかをやりました。大変でしたけど、とてもいい経験と勉強をさせていただきました。もう、出演者、スタッフ、関係者の皆様には感謝感謝です。さて、ぼくが本日書きたかったのはこんなことじゃない。(笑)これはアダルト・ビデオ女優プロダクションの人から聞いたんですけど、アダルト・ビデオとかに出演する女優さんって、案外、普通の学生やOLさんが何かのキッカケでヒョイと出ちゃうなんてことが多いそうなんです。キッカケというのは、スカウトであったり、知り合いにアダルト・ビデオの関係者がいたりとか、あるいは自分から「出させてください」と、言ってくる人もいるそうねんですね。それで、プロダクションの人が会ってみると、地方に親と住んでいるごくごく普通の、学生やOLさん。中には、男性と付き合ったことがない、つまり処女の女の子とかが「出させてください」とやってくることがあるそうなんです。そういうときは、プロダクションの人も「ちゃんと恋愛をして、自分が本当に好きな男性に抱かれてから、またきてください」とかいって、帰ってもらったりするそうなんですね。それに、アダルト・ビデオに出演するというのは、それなりのリスクもありますし……この話をですね。友人の精神科医に話したとき、そのドクターがこんなことを言ってました。「人にとって、非常に大切なことがあるんですよ。それは自己肯定感です。人間はね、他人から必要とされたい生き物なんです。他人から必要とされて、認められて、自己肯定感が育つんです。もしかしたら、アダルト・ビデオに出る女の子たちの中には、自分が必要とされることを求めて、出演している子もいるのでしょうね」つまり、群れで生きる動物であるところの人間は、他人から必要とされることが必要である生き物ということなんでしょうね。他人から必要とされる。他人から良い評価をされることによって、自分を肯定、つまり認めることができ、自己評価を高めることができるということなのでしょう。アダルト・ビデオに出る女の子が、いろいろなリスクがあるのを知っていながら、それでも“他者に必要とされる場”であるアダルト・ビデオ業界に飛び込んでいくことがあるというのは、リスク以上に、人は人に必要とされたいということなのでしょうね。さて、不登校の映画を撮ったり講演をしたりしながら、アダルト・ビデオの監督もするというわたしへの他者評価はいかがなものなんでしょうか?(笑)自分による自分の評価では「不登校の映画を撮ったり講演をしたりしながら、アダルト・ビデオの監督もする」男というのは、こんなにおもしろいヤツはそういない。という自画自賛だったりするのですけどね。(笑)中には「けしからん!」と、烈火のごとく怒ったり、ぼくを否定する人もたくさんいるんでしょうねえ。でも、みんなに好かれようとは思っていないので大丈夫。(意外と自分大好き人間です。(笑))アダルト・ビデオは、これからもチャンスがあれば撮りたいと思っているんです。あと、エロ漫画も描きたいしエロ小説も書きたい!『不登校・ひきこもり・ニート』の、性やSEXの問題とかもね、いろいろと述べていきたいと思っています。
2008年05月07日
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“高齢化”するひきこもり 40代以上も 都への相談で判明2008.5.5 23:08(産経ニュース) 東京都が開設したひきこもり電話相談の対象者のうち、17%が40代以上で占められていることが5日、都青少年・治安対策本部の集計でわかった。都は15~34歳の若年者層を対象にひきこもり対策を進めているが、40代以上は「全く想定していない」(同対策本部)と困惑気味。対象者のうち30~40代以上と10~20代の割合も同じで、若年層に多いといわれるひきこもりが、実際には“高齢化”していることが浮き彫りとなっている。 都は昨年7月、ひきこもり専用の電話相談窓口を設置。今年3月までに本人や家族から寄せられた相談件数は延べ1190件で、このうち性別や居住地を申告して相談窓口の利用登録を行った対象者773人のうち、40代以上が17%、30代が29%、20代が34%、10代が12%(不明8%)だった。内容は「職場不適応」などが目立つという。 都は4月から不登校経験者や高校中退者を中心に全国初となるひきこもりを予防するための戸別訪問を実施、独自の「ひきこもり相談マニュアル」を作成するが、40代以上については「若年者層と同一にとらえることは不可能。今のところ対策は考えていないし、考えようがない」(同対策本部)と戸惑っている。 都が2月に発表したひきこもりの実態調査によると、都内のひきこもりは約2万5000人。調査対象者は「15歳以上34歳以下」で、35歳以上の統計は存在しないが、30~34歳が全体の43%を占めており、電話相談と同様に、若年層が多いという見方を覆す傾向が出ている。 実態調査をまとめた明星大人文学部の高塚雄介教授は「若年者層のひきこもりは心理的葛藤(かつとう)が主な理由だが、40代以上は精神疾患の可能性があり、全く別物。年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが、現代では家庭にこもるしかないのでは」と指摘している。***********************************************************************************まず、東京都がこのような調査をしたことを前向きにとらえたいと思います。今回の調査で都青少年・治安対策本部が【40代以上は「全く想定していない」と困惑気味。】と、ありますように、今回の調査で20代よりも、30代よりもより深刻である、40代以上のひきこもりへの対策が、これから多少考えられるようになる足がかりになったという意味においても、この調査は良かったと思います。実際、40代のひきこもりというのは、相当に深刻なわけで、これまで「まったく想定していない」というのが、むしろ【異常】なことだったんです。【ひきこもりの高齢化】は、何年も前から叫ばれてきましたけど、一部の識者以外、支援者ですらその事実を【無視する】【考えたくない】などというのが多かったりしたのが、事実であったりします。それは、都青少年・治安対策本部が【「若年者層と同一にとらえることは不可能。今のところ対策は考えていないし、考えようがない」(同対策本部)と戸惑っている。】と、あるがごとくです。しかし、現実として40代以上が17%もいるようであれば、もれから考えないといけない。いま、10代、20代を対象に支援をしている人たちも、若いひきこもりが、30代、40代になってもひきこもりのままなどといったことがないように、充分に考えないといけないということです。ただし、 実態調査をまとめた明星大人文学部の高塚雄介教授の意見。【「若年者層のひきこもりは心理的葛藤(かつとう)が主な理由だが、40代以上は精神疾患の可能性があり、全く別物。年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが、現代では家庭にこもるしかないのでは」】というのは、かなりのピンボケ発言です。(苦笑)まあ、40代に限らず、ひきこもりの人が精神病院にいけば、ほとんどの医者は「何らかの病名」を与えて薬も処方してくれます。また、若年者のひきこもり……、それは10代以下の「不登校」も含めてですけど、その当事者たちがの多くが、相当にストレスた溜め込んでいたり、心に深い傷を負っている状態になっていたりします。また、10代のうちはひきこもりにも、不登校にもなってはいませんが、周囲の人とうなくやっていくことができない、人間関係に難しさを感じてながら成長し、成人してから「職場不適応」で、ひきこもりになってしまうという例も多くあります。つまり、この教授がいうように「まったく別物」などというのは、検討違い噴飯物。若年者のひきこもりも40代のひきこもりも大いに関係性があり、いまの世の中、ひきこもり予備軍というのは、表に表れる数字の数倍、ひょっとしたら10倍近くが、常に、そして大量に存在していることを、この教授や公的機関の方々、支援者の方々も知っておくべきでしょう。それを「昔の人は山篭りしていた」というのは、ちょっとピンボケ。ひきこもりは、長期化すればするほど、高齢化すればするほど事態は深刻化してきます。見守るにしても、家族はよくよく考えるなり、何らかの対策を考えておいたほうがいい。いろいろな“覚悟”もしておいたほうがいいんです。
2008年05月06日
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『不登校・ひきこもり・ニート』の周辺事態に【軽度発達障害】と言われているものがあります。鳥取大学の小枝達也教授による厚生労働省「軽度発達障害児に対する気づきと支援のマニュアル」を見るとこの用語は、ご存じのようにWHO(世界保健機構)が出しているICD-10や米国精神医学会が出しているDSM-VIといった診断の手引き書で定義されたものではなく、注意欠陥/多動性障害(ADHD)学習障害(LD)高機能広汎性発達障害(HFPDD)軽度精神遅滞などの総称を「軽度発達障害」というようです。また「ウィキペディア フリー百科事典」によりますと「軽度は知的障害の程度ではなく、障害の程度を示す等の主張もあり、その意味するところは共通認識に至っていない。したがって文部科学省は、2007年3月15日、「軽度発達障害」という用語は使用しないことを表明した。」とあり、両者を見ても、わかるようにどうも『軽度発達障害』というのは、ハッキリと医学的に定義されたものいうのではなく、おおまかな【概念】であるようです。これら【軽度の障害】を持ったとされる本人はもちろんなんですけど、お母さんが誤解を受けたり、苦労をなさったりすることが多いようです。ここでいう誤解とか苦労とは何かと申しますと、これらの障害を持った人や子どもというのは、他の人なら「当たり前」と思われているようなこが、なかなかできなかったりします。例えば、なぜか算数がまったくできない。例えば、算数は得意なのに、漢字の読み書きがまったくダメ。例えば、運動が超苦手。例えば、何度注意されてもじっとしていることができない。人とのコミュニケーションがうまくとれない。などなどといったことがあったりします。発達障害というのは脳の障害であり、どんな時代・社会・人種・文化であろうとも、一定の割合で表れる障害ですから「当たり前のこと」ですが、本人が悪いとか親が悪いということはありえません。繰り返しますが、本人が悪いとか親が悪いということはありえません。しかし、これらのことや苦しみは、他者にも支援者にも理解しづらく、本人も親も大変はストレスや、ときには罪悪感すら持ってしまうことがあります。本人や親が「しつけがなっていない」「甘えている」「怠けている」「やる気がない」などと思われてしまったり、責められてしまったりすることが多く、それらの誤解が多くの不幸を呼んでしまうことさえあります。その不幸とは本人の自己否定。親の自己否定。過度のストレス。それらから生まれてくるやり場のない憎悪、怒り、悲しみ。そこから生まれてくる虐待や家庭内暴力なとが、起こってしまうことがあります。わたしの個人的な意見・考え方なんですけど、わたしは発達障害にせよ、●●障害と言われているものにせよ、【障害】というより、その人が持って生まれた【個性】のようなものであると思っています。つまり、背が高いとか低いとか、絵がうまいとか下手とか、走るのが速いとか遅いとかというのも、一種才能というか個性であったりしますよね。他者と同じように練習をしても足が遅い人とか、絵が下手な人というのはいるものです。その人に対して、「親の育て方が悪いからだ」とか「本人が甘えているからだ」なんていう人はいませんよね。だから、本人や親御さんが罪悪感を持ったり、自分や他者、世の中を責めたり恨んだりすることはないと思うんですよ。発達障害にせよ、不登校やひきこもりやニートにせよ、本人や親が過剰に、ときに場違いに責められていることが多いんですけど、それは間違いです。また発達障害等が、もって生まれた個性であるとするならば、その個性を完全に矯正するとか殺してしまうのではなく、ある程度は「その個性と付き合う」っていうのがいいんじゃないでしょうか?人生にせよ、個性にせよ、それらは克服するものではなく、うまく受け入れて付き合っていくものだと思うんですよ。周囲の人も、それらの人がいたとしても、それなりに受け入れてその人を肯定していくというのが大切なんだと思います。それらは個性ですから、向いている仕事、向いていない仕事があったり、苦手なものがあったりもするはずです。あまりに苦手なものは、無理をしないで“そこそこ”にしておくってことが、人生を渡っていくコツだと思うんですね。人生を「運命」と言い換えてもいいんですけどね。人生だの運命だの、もって生まれた性格だの、個性だの、能力だのとは、克服するもんじゃなくて、うまくお付き合いしてあげればいいんだと思いますよ。そのほうが、いい結果を生むと思いますし。
2008年05月05日
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