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2025年03月04日
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カテゴリ: 御朱印:宮城県
福島出張の度に蔵王連山の写真撮りに挑戦しているんですが、なぜか毎回雲がかかってしまい、上手く撮れないんです。この日はまだ良く見える方で、割となだらかな山容をしていることが分かります。この蔵王連山の内、刈田嶺の山頂には蔵王信仰の東北根拠点とも言える 蔵王刈田嶺神社 奥宮 ​が置かれており、​ 遠刈田の里宮 と対になって、人々の崇敬を集めています。
今回紹介する寺院は、これらの神社と同じく蔵王にまつわるもので、刈田嶺の中腹に鎮座しています。その周囲には草木がまばらにしか生えず、地獄の風景にも似ることから賽の磧と呼ばれ、霊場と化しています。各地にある賽の磧の中でも、ここのものは最大級に広いそうです。




金峰山 蔵王寺


境内には本堂と寺務所、あとは石碑があるくらいで、本当に物悲しい景色が広がっています。



この様に地蔵尊像がいくつも建っている姿は、救済を臨んだ人々の思いを表している様に感じられます。それにしても本当にすごい数ですねぇ。



本堂はこじんまりとしていますが、風雪に耐えうる頑丈な建材が使用されています。蔵王刈田嶺神社 奥宮に似ていますよね。



金峰山 蔵王寺の由緒については不明な点が多いんですが、以前書いた記事の中に関連する内容が載っていました。
 蔵王山頂に鎮座する蔵王大権現は、天武天皇8年(679)に、役の行者の叔父 願行(がんぎょう)が勧請したものと伝えられる。蔵王大権現社は往古より蔵王一帯の修験者を統括し、大刈田山(青麻山)東麓の「願行寺」が管理した。平安時代末期(12世紀末)には奥州藤原氏の庇護も受け、願行寺は繁栄し、子院四十八坊を形成するまでになった。奥州藤原氏が滅亡とともに衰退し、戦国時代には兵火による焼失も加わって、戦国時代末期には 山之坊・宮本坊・嶽之坊 の3坊にまで減少した。

 後に、 山之坊は廃れ 宮本坊は宮蓮蔵寺 となり、 嶽之坊は金峯山蔵王寺嶽之坊 と号し、蔵王山参詣表口を統括した。御山詣りが流行した江戸後期以降は、多くの参詣者を山頂の蔵王大権現へと導く役を担った。雪深い蔵王山は冬の参詣ができないため、例年、十月八日から翌四月八日までは御神体を遠刈田の「蔵王大権現御旅宮」(おかりのみや)に遷すようになった。この御旅宮は嶽之坊と同一の場所にあるなど、古くから嶽之坊と蔵王大権現社とは、同体ともいえるほど深くつながっていた。

 明治維新で神仏分離が行われると、吉野では「蔵王権現」を神号とし、従前の僧侶が神官となった。これに従って当地でも明治2年(1869年)7月に「蔵王大権現」を「蔵王大神」へと改号。さらに同年9月、「蔵王大神」とは「天水分神および国水分神」の2柱であるとの解釈から、社号を「水分神社」(みくまりじんじゃ)に改称した。なお、この時期に修験道の「蔵王大権現」を管理していた真言宗の 嶽之坊は、神道の神社となった当社と合一したと見られる。 明治8年(1875年)に「水分神社」は「刈田嶺神社」と称するようになった。

対して、由緒の中に出てきた蓮蔵寺の由緒の中では・・・
 願行寺は末寺四十八寺院を有するまでに至ったが、文正(1466)、応仁(1467~1468)の乱による戦難にあい、奥州藤原氏の衰退と共に 宮本坊(現蓮蔵寺) 岳の坊(現遠刈田金峰寺) 山の坊(蔵王寺) の三坊を残すだけとなった。

蔵王刈田嶺神社 里宮 の由緒であり、自身は”嶽の坊(岳の坊)”の後裔と合一したと記述しています。後者の由緒書きに出てくる遠刈田金峰寺が岳の坊であり、現存していないとすれば、残るは山の坊のみということになりますよねぇ?蓮蔵寺の由緒通り、金峰山 蔵王寺は願行寺 山の坊の後裔と見て良さそう・・・。
一応補足で金峰山 蔵王寺の公式サイトも見てみましょう。
霊場 賽の磧

 當山は海抜1.250米に位置し、日本で有数の高地にある山岳寺院であります。 白鳳時代に山岳仏教の開祖、役の小角(エンノオズヌ)『神変大菩薩』の開山で、とくに地蔵信仰の中心地をなし、賽の磧供養の歴史は約600年前(室町時代)から始まり 又、祈願処としては約一千数百年前になります。
​​ 蔵王寺 ​ より抜粋

役小角の開山という事しか分かりませんが、これは恐らく前身の願行寺の由緒から引っ張ってきた内容ではないでしょうか?詳細な由緒が知りたいところ・・・。
本尊も不明なんですが、恐らく地蔵尊ではないかと思われます。

本堂の前には石造りの守り年本尊が置かれています。



僕は丑年なので、虚空蔵菩薩を拝んできました。安らかな表情をしています。



斜めから。
由緒不明の寺院でしたが、山寺号や境内地からも蔵王信仰と関連していることは明確です。屋根は黒、壁は白と色味の無いカラーリングがまた周囲の景色と合っていて、ものものしい雰囲気を醸している寺院でした。
御朱印を待っている間にお守りなども見てみたんですが、気になる線香を発見して買ってみました。銘は霊山香、この寺院で出している線香です。白檀のニュアンスが強く、本当にかぐわしい麗香!参拝時には是非試してみてください。



今回貰った御朱印です。



以上です。






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最終更新日  2025年03月04日 22時09分25秒
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