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2025年06月25日
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ずっと行きたかった寺院があったんです。徳川家の菩提寺であり、江戸一の大伽藍を有した浄土宗の寺院、増上寺です。初めは書籍で、次に動画で、そんで直にこの目で、幾たび見てもその度に感動しっぱなしです。東京タワーを背後に背負う二重屋根の大堂は、今日の江戸(東京)の繁栄を表すようでもあります。


江戸三十三観音霊場二十一番札所:三縁山 広度院 増上寺 西向観音堂


地下鉄の大門駅から徒歩数分、​ 芝大神宮 ​の近くに、地名の由来となった大きな門が道路を跨いで建っています。かつてはこの門の先はもう増上寺の境内だったと言います。いかに広大な境内を持っていたのかが分かりますね



今回はかなり長くなりそうなので、先にご由緒の方を見ておきましょう(開山の所をクリックすると浄土宗のWeb大辞典に飛びます)。
三縁山 広度院 増上寺

浄土宗大本山 
開山: 西譽聖聡上人
本尊:阿弥陀如来
札所本尊(観音堂本尊):西向聖観音

家康が二十万坪の寺域を寄進
 増上寺は浄土宗四大本山の一つで、正式には三緑山広度院増上寺という。寺伝によると明徳4年(1393年)、現在の平河町付近の貝塚にあった真言宗の光明寺を、浄土宗の八世西譽聖聡上人が改宗して増上寺と改め開創し、文明2年(1470年)増上寺三世の音譽聖観上人の代に、後土御門天皇の勅願所となった。そして天正18年(1590年)徳川家康が江戸入りしたとき、菩提寺として20万坪の寄進を受けて芝の現在地に移し、十二世の存応上人が紫衣と永代常紫衣の論旨を賜ったといわれている。また江戸時代は浄土宗の学問所である関東十八壇林の筆頭になっていた。
 現在の上野公園が18万坪というから、20万坪という当時の寺域はその広大さが想像されよう。現在の東京タワーあたりから浜松町駅付近までが寺域であったのである。ところが、昭和20年(1945年)の戦災に遭って、一部を除いてすべてを焼失してしまった。
 ・・・。

廃仏毀釈の嵐のなかで
 増上寺は、江戸時代には二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の将軍・夫人・子女たちが葬られている。また徳川家の庇護のもとに栄えて子院が50を超え、学僧が3千人もいたという。寺領もはじめは千石であったが、のちに1万石を超えた。他に蔵米4千俵ももらっていたというから、経済的にはかなり余裕があったと思われる。
 秀忠こと台徳院の廟所は、本堂南にあった元芝ゴルフ練習場にあって、二千坪を超す広さをもっていたようだ。そばに五重塔が建ち、参道入り口には極彩色の惣門があった。また将軍家宣・家継らの廟所は、ほとんどが東京プリンスホテルとその前面の駐車場にあった。家継こと有章院の場所の参道入り口には、広目天と多聞天が祀られている二天門が建っていた。当時の写真を見ると、それら廟所の外観は 日光東照宮 ​のようにきらびやかで、屋内は石や青銅の宝塔を中心に奉安され、 中尊寺の金色堂 ​のようにまばゆいくらいであった。とりわけ台徳院の廟所が豪華であったという。
 増上寺の境内にはこのような建物が大小七十もあり、江戸第一の名所としていつも参話者で賑わっていたそうだ。
 明治維新の前後は混乱の時代で、大きな社会変革をもたらした。新政府は宗教界に対して神仏分離法を出し、「祭政一致」と「神仏分離」 を旗印として、神社にいた僧侶に蓄髪させ、仏像を神社から追い払った。日本全国で予想外の廃仏毀釈の暴挙が頻発し、寺は至るところで廃寺に追い込まれたり、打撃を受けたりした。江戸三十三観音札所のなかでも、特に徳川家と緊密な関係にあった傳通院、護国寺、金地院、そしてこの増上寺などがその最たるものであった。増上寺の境内の一部が芝公園になったのもこのときである。

再建された徳川将軍家霊廟
 ようやく世の中が治まって神仏が崇拝されるようになったが、第二次世界大戦の末期になると、残念なことに昭和20年(1945年)5月の空襲によって、三門、御成門、惣門、二天門を残し、すべて灰燼に帰してしまった。観音さまは、その地獄絵をどんな想いで間近に目撃されたのであろうか。お身体に傷は負わなかったのであろうか。御詠歌にあるように、参詣する人々の現世安穏・後生極楽という願いを聞き届けてくださる。まことに有り難い西向きの観音さまである。
 昭和27年(1952年)に仮本堂が再建され、昭和33年(1958年)にはその裏手およそ300坪の土地に、8基の将軍と夫人たちの宝塔が徳川家霊廟としてまとめられた。この徳川家霊廟は有料での拝観ができる。私は桜が満開の一日と、バスツアーでの参詣のとき拝観する機会にめぐまれた。
 奥の右手に秀忠の石の宝塔、左手に家宣の青銅の宝塔があり、それぞれの側に三基の宝塔が居流れるように立っている。空襲前とは比較にならないくらいに縮小されている。
 ・・・。
​江戸三十三所観音巡礼 新妻久朗 著 140~145ページ より引用

今でも十分に広大で豪華絢爛な伽藍を持っていますが、明治の神仏分離、昭和の大空襲などの影響を受けて規模が縮小、現在の形になります。最盛期の姿を見た日にゃ、感動と驚きで失神してしまうかもしれません

大門をくぐり、せわしない芝の通りを横目に歩いていると、T字路の突き当りになんとも美しい朱塗りの山門が見えてきました。この門は通称”三門”、正式には三解脱門と呼ばれ、増上寺の伽藍の中では最古級のものです。国指定重要文化財に指定されています。



三解脱門(三門)

 増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。
 煩悩から解脱した覚りを開くための三種の修行「空門」「無相門」「無願門」の三門を三解脱門といい、またこれを通称「三門」ともいいます。

 慶長16年(1611年)徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。元和7年(1621年)大風により倒壊するも、元和8年(1622年)に再建。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。
 建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部(非公開)には、​ 釈迦三尊像と十六羅漢像 ​が安置されています。この門をくぐると、念仏を称えて阿弥陀様と親しく近しい縁を結び、「むさぼり、いかり、おろかさ」といった煩悩から解脱した安らぎの世界「極楽浄土」への往生を願う空間が広がっています。

三門という名前を体現するように、門の両脇にはまた更に門が取り付けてあります。



反対側もこのように・・・!



三解脱門をくぐると、いよいよ増上寺の根幹エリアに突入です。正面を眺めるとあの有名な光景が広がっていました!ついにここまで来れたという感動でいっぱいです



こちら(公式サイト) ​から伽藍の配置を確認しておきましょう。

それでは参道右手から見ていきます。
この目立つ松は”グラント松”と呼ばれます。樹勢盛んなこの松は、米国大統領御手植えの物です。
グラント松

 米国第18代大統領グラント将軍は明治12年(1879年)7月国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念としてこの樹を植えました。
​境内説明書き より引用



松の奥の方に鐘楼堂が建っています。こちらも御堂から鐘からどちらも大きく、かなりの轟音を響かせそうですよ。



中に人が数人は入れそうな位大きいです。東京住なら大晦日にはこの鐘の音を聞きながら・・・なんてのもオツですよね
鐘楼堂(しょうろうどう)

 寛永10年(1633年)の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものです。鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673年)にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級)、江戸三大名鐘の1つに数えられています。
 朝と夕べ、2回撞く鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす108の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く6度の誘いでもあります。
 江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(​ 浅草寺 ​)か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、庶民に親しまれました。



鐘楼堂の周りは石碑エリアです。
こちらは筆塚。文豪たちから町人まで幅広い方々が使用した筆を納めたものです。



隣には芝大神宮に引き続き火消しに関わる石碑が置かれています。増上寺門前町の火消しを担当した”め組”の殉死者などの供養碑です。



供養碑の後ろには境内社の熊野三所大権現宮が鎮座しています。



手水舎には鳩が水浴びをしに来ていました。人だけでなく動物たちの憩いの場でもあるようです。



水盤には熊野大神の使いである八咫烏が刻まれています。








熊野三所大権現宮 由来記

 増上寺鎮守中最大なものとして、本殿拝殿あり、大きさ不明なれど東照宮に次ぐものなりと云う。縁山志によれば、火災ありしも、明暦以来焼けたる事なし。
 御神体は・・・
・熊野本宮大社:家津御子大神
・熊野那智大社:大已貴命
・熊野速玉神社:伊弉諾尊

大本山増上寺熊野みこし講



先ほど見た大門から始まり、旧参道を進み、最終的にこの熊野神社の前まで神輿を運ぶようです。かなり熱気あふれる行事みたいで、動画を見てみましたが、沢山の人がわっせわっせと楽しそうに担いでおりました。江戸の風情が感じられる行事、いつか見られたらいいんですが・・・!
下に動画を載せます。



熊野神社参道の右脇には、熊野神社創始者の錦貫次郎氏の記念碑が建てられていました。



ほんでもって熊野神社の社殿です。宝形屋根に切妻屋根がかぶさっている不思議な造りです。全体的に新しく、相当な数の崇敬者がいるものと思われます。



斜めから。
この様な造りの祠は今まで見た事がありません。なんとも面白い!



熊野神社から寺院の参道の方に戻ってくると、草葉の陰におーいお茶の石柱が建っていました。どうやら桜を植樹するキャンペーンみたいですが、記念すべき千本目はかの十一代目 市川海老蔵氏になどによるもの!お江戸の顔たる大傾奇者、粋だねぇ!



参道の左側も見てみましょうか。
こちらは手水舎です。相当な古めかしさですが、江戸初期に建立されたというからそれも当然です。説明書きを見てみましょう。




水盤舎

 この水盤舎は清揚院殿(徳川家三代将軍家光公三男甲府宰相綱重公)の霊廟にありましたが、明治時代の解体・昭和の空襲を逃れ、現在地に移築されました。
 徳川将軍霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつです。


境内説明書き より引用

手水舎の側には聖観音像が立っていました。柔らかな衣の表現や、緩やかな体の傾きなどが良く現れている美像です。



その隣には仏足石です・・・と言っても摩耗により見えずらいですが。




仏足石

 仏足石は仏の足うらの形(千幅輪相)を石に彫りつけたもの。インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的にあらわし、人々はこれらを仏として礼拝した。
 この仏足石は、当山第七十世福田行誠上人の代、山内宝松院松涛泰成上人の発願により明治14年(1881年)5月に建石されたもので、側面には仏像、経文、由来などが刻まれている。


境内説明書き より引用

説明書き通り側面には大陸風の観音が刻まれていました。



更にその隣、魚供養之碑が建っています。こちらは千代田水産株式会社によって建立されたものです。水産加工品に使用された海産物たちの御霊を供養するための石碑になります。



先ほどグラント松という銘木もありましたが、こちらにはブッシュ槇も植えられています。四十一代ブッシュ大統領が昭和57年4月24日の来日の際にお手植えしたものです。



更にこんな石碑も。詠唱発祥の地とありますね。これは吉水講に関係する石碑で、詳細は 公式サイト の方でご覧になれます。



まだありますよ、変わった光背を背負った聖観音ですが、何を意味する石碑なんでしょうか?説明書きを見てみましょう。




聖鋏観音縁起

 この聖鋏観音像は、昭和56年8月3日、国際美容協会会長・山野愛子が願主となって、大本山増上寺境内のこの地に建立、開眼された。
 願主の一生がハサミに支えられ、お陰によって生かされたことへの深い感謝と、ハサミの中にみる己れを滅して他を整え美しくする働きを、観音様と拝む心とによって聖鋏観音像造立を発願。併せて美容はもとより、ハサミにかかわりのあるすべての人々の心の依り処となり、お守りとなるよう願われて奉造された。

 聖鋏観音像は、彫刻界の長老北村西望氏の制作である。
 毎年8月3日を「ハサミの日」と定め、この世におけるつとめを果たし終えたハサミをあつめてこの塚に納め、ハサミ供養法要が厳修される。

ハサミは観音菩薩の御手そのものである。
徹誉大僧正



鋏塚的な側面も有るようです。

それではいよいよ本殿おば。
大本山ともなると、伽藍の規模が桁違いです。神仏分離や東京大空襲などで規模はかなり縮小されたはずなんですが、いやはや何とも見ごたえのある立派な本堂なことか・・・



扁額です。
この扁額の下あたりに賽銭箱が置かれており、格子の隙間から本尊を拝むことが出来ました。本尊は室町時代の作と伝わる古仏で、​ 公式サイト にてその姿を見ることができます。
説明書きも見てみましょう。
木造阿弥陀如来坐像(本尊)


 寄木造、金箔押、漆箔で阿弥陀定印を結んでいます。室町時代の作とされ、江戸期には華頂宮門跡・尊超法親王の念持仏であったものを明治42年(1909年)、旧大殿が火災に遭った折り、当時の総本山知恩院門跡山下現有猊下から寄贈されました。



本堂の地下は宝物館になっています。ここでは増上寺蔵の文化財が何点も展示されており、かなりの見ごたえです。特に超巨大且つ百幅もあるとされる”絹本着色五百羅漢図”は全て展示しきることは不可能であるため、月だったか週替わりだったかで5幅位ずつ展示されていたはずです。
展示室中央には、かつて増上寺の境内南方にあったとされる、台徳院殿(二代秀忠公)霊廟の縮小レプリカが展示されています。現存していないことが本当に悔やまれるほど荘厳な霊廟で、かの​ 日光東照宮 ​のプロトタイプにもなったと言われています。

この様に様々な宝物が展示されていますが、宝物館の受付ロビーには、さらにすごいものが安置されています。この立派な祭壇に置かれているのはインドのマハボディ寺院より授かった釈迦三尊(釈尊、ラーフラ尊者、アーナンダ尊者)の舎利です。



説明書きを見てみましょう。




釈迦三尊仏舎利縁起

 1954年、東南アジア研究所長・大屋源幸は戦後事情の視察旅行中、インドのネルー首相、令嬢インディラ女史に謁見を許された。その折、ネルー首相から「更なる日印の親善と世界平和祈念のシンボル」として、インドの仏教聖地サンチー(アショカ王が開いた聖地)僧院所蔵の由緒ある仏舎利寄贈の話を戴く。その際「この仏舎利のお祀りは固着した旧来の考え方を脱し、一宗一派に偏ることなく、広く日印親善と平和祈願に寄与出来得る新時代的考慮のもとに計画されるべきものである。従って仏舎利の奉納受入は、日本中の大衆が気軽く参集出来る風光明媚な地に超派的・開放的・国民的・大衆的・観光的に奉納されるべし」とされた。

 大屋はその祭祀者を探す途上、政治家・大野伴睦を介して1955年に藤田興業(現在の藤田観光)本社に小川栄一を訪ねた。小川はその仏縁と使命を厳粛に受け止めた。1955年9月インド・サンチーのマハボデ寺院管長パナティッサ大僧正が自ら仏舎利を奉持して来日し、日比谷公会堂にて盛大に奉迎式が行われた。各々がカスケットに納められた三体の御舎利は、釈尊自身と、その長男で出家したラーフラ尊者、親族従弟でもあり釈尊の側近にあったアーナンダ尊者のものであった。それは釈尊生前の人間的情景の一場面を彷彿とさせる様な「釈迦三尊」と称される希有なものであった。
 奉迎式の席上で小川は「伊豆大島に大聖地公園を計画し、観光と大衆に直結した仏舎利塔建立」を誓願した。更に小川栄一の自己資産と政財界、各界各位からの寄付金によって「財団法人友愛会」 が設立された。

 当時の増上寺法主・椎尾弁匡大僧正と深い信頼の絆で結ばれていた小川は、戦災で焼失した増上寺の本堂復興に協力を約束する一方、仏舎利塔建立が成就するまでの期間、増上寺がそれを仮奉安の形で預かる事を申し出た。
 その後、増上寺大殿(本堂)は全国の浄土宗寺院及び檀信徒の熱い思いが結実し、昭和49年(1974年)に復興された。その復興の陰には、当時増上寺の飛び地(現東京タワーや芝公園)を不法占拠していた者達の立ち退きに対して、小川が長年にわたって根気強く整理に尽力した軌跡があった。
 一方で仏舎利塔建立の為、1957年11月6日、大島三原山にて「聖地公園」の地鎮式が椎尾大僧正導師の下で行われた。しかしその後の「大島聖地公園」計画は、町としての発足まもない大島町にあって、一部住民の理解を得る事が出来ずに実現しなかった。
 一方、聖地公園計画の地質調査過程では、それまで飲料水に苦しんでいた大島に水脈が発見され、当時の島民生活の向上に大きく寄与する事となった。更には温泉も堀り当てられた工程は、まさに釈尊の御遺徳であろう。

 小川は大島の計画以降も、富士山を望む箱根外輪山を走る芦ノ湖スカイラインの隣接地に「箱根先祖の国」を計画し、そこに仏舎利塔建立を発願した。土地の収用、整地をして基礎を造成するも、墓地埋葬法等に関して自治体との折衝がはかどらずに中断が続いた。
 1978年12月8日に小川栄一が死去する。その後、小川の遺志を継承した嫡子・小川光一は故人の悲願を実現すべく、藤田観光はじめ多くの関係各位と協議、努力を重ねてきたが、残念ながら今日まで仏舎利塔建立は実らなかった。
 しかしながら現今、増上寺大殿と東京タワーの大景観を求めて境内に参集する参詣者の波は、国内外を問わず日々絶える事はない。そこにある「伝統と創造、古きものと新しきものとの調和美」こそ、まさに日本文化の真髄を象徴する現代日本の風光明媚に違いないとの強い確信を持った。そこで改めて本仏舎利の請来本旨を鑑みる時、今こそ長年の仮奉安を解き「親善と平和、大衆直結の聖地増上寺」に、由緒ある仏舎利を正式に奉納するという決断に至った。



本堂と連結される形で、左手には光摂殿・増上寺会館が建っています。ここは行事やイベントなどで使用される御堂です。



それらの左手には都有形文化財に指定されている経蔵があります。外からは分かりませんが、ここの経蔵も回転式で、かつては家康公が寄進した宋版、元版、高麗版の各大蔵経(国重要文化財)が収蔵されていたと言われます。



そしてその隣、一際目立つ御堂がありますが、これは慈雲閣という御堂です。いわゆる開山堂で、開山:酉誉聖聰上人を中央に、その脇に師:聖冏上人・中興開山:聰観智国師が祀られています。



こちらの慈雲閣は側面から見ると横長の造りとなっており、何かしらの開場として使われているのかもしれません。



大堂の右手に向かいます。
大堂のすぐ右隣には、仮本堂として使用されていた安国殿という御堂があります。増上寺の御朱印などの手続きはこちらで行えます。
この御堂には家康公の御持仏であった、通称”黒本尊”と呼ばれる阿弥陀如来像が安置されています。御開帳は正月・5月15日・9月15日に行われるようです。黒本尊は恵心僧都作とされる古仏で、各地に恵心僧都作と伝わる仏像は数多く在りますが、こちらは本物なのではないでしょうか。
安国殿には他にも徳川歴代当主・親族の位牌や皇女和宮の実寸大の像、家康公の肖像画などが収められており、見所の大い御堂となっています。



そして安国殿の斜め向かいにひっそりと建つ、この小堂の中に江戸三十三観音霊場の札所本尊:西向観音が安置されています。
西向観音は、金銅仏でも木仏でもなく石仏です。江戸三十三観音霊場の札所本尊の中でも、石仏であるのはこの西向観音だけとなります。



石像の珍しい西向き観音さま

・・・。
 この石造りの札所本尊は、北条時頼が諸国回遊のとき、すぐ近くにある丸山古墳群(建立されたのは現在東京タワーが建っているところとする説も)の上に西向きに祀ったという。
 当時は、古墳群の北に池などあって風雅な憩いの場所でもあり、辻堂に出家者が住んでいて街道を行く人々にお茶の接待をし、道中安全、子育て開運の信仰を集めていたそうだ。昭和50年に浄土宗開宗800年を記念してお堂をこしらえ、いまの場所に移されたのである。
​江戸三十三所観音巡礼 新妻久朗 著 142ページ より引用

西向観音堂の前には千躰地蔵尊が置かれています。



この千躰地蔵尊は境内の北端に沿ってズラリと奥まで続いています。これに誘われるかのように、安国殿の裏手まで行ってみましょう。



安国殿の裏手には再建された徳川家の墓があります。往時の姿はかなりのものだったそうですが、現在は石塔が数基建つのみとなっています。
墓の入口近くには数基の石仏が置かれています。



徳川家の墓の入口にはどっしりとした石門が置かれています。これは鋳抜門と呼ばれ、もともとは文昭院殿霊廟(徳川六代家宣公)の宝塔前の中門でした。墓地の他の建造物と共に国宝に指定されていましたが、東京大空襲などで他の伽藍が焼失してからは、その指定が解除されています。



墓地内を見ていきましょう。
徳川一門の内、増上寺に祀られているのは二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公で、その他にも崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮(十四代家茂公夫人)ら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)など5人の側室、及び、三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

まず左手前には合祀塔が置かれています。名前からして子女などの集合墓なんでしょうか。



その隣には静寛院宮(十四代家茂公夫人:皇女和宮)。



すぐ隣に夫である昭徳院殿(十四代家茂公)が祀られています。



まだ続きますよ。
文昭院殿(六代家宣公)。



祟源院殿(お江の方)と台徳院殿(二代秀忠公)。



有章院殿(七代家継公)。



惇信院殿(九代家重公)。



慎徳院殿(十二代家慶公)。
これで全てになります。



墓所から更に西側に行ってみます。
登り階段の先に圓光大師堂と書かれた門が建っていました。圓光大師こと法然上人は浄土宗の開祖、つまりこの御堂は開祖堂という事でしょうか。



御堂はこんな感じです。入母屋屋根と赤い外観が特徴です。背後には東京タワーも見えます。



説明書きです。
圓光大師堂

 元祖法然上人800年御忌を記念し、総本山知恩院門跡第八十六世 中村康隆猊下と増上寺第八十七世法主 成田有恒台下との尊い結縁が実を結び、平成18年(2006年)11月25日、知恩院より法然上人御廟の御浄砂を拝領しました。
 御浄砂を成田台下は「御身柄」と命名、この法縁を承け奉安する御堂の建立を発願し「圓光大師堂」として平成21年(2009年)9月に竣工しました。
 御身柄は内陣奥の特別な厨子に経筒型の五輪塔に納められ奉安されています。
 建築様式は木造平屋建、妻入入母屋造、軒唐破風付吹放し向拝の意匠を施した和様の伝統建築であり、身体と心を養う念仏道場として開放しています。

扁額です。



圓光大師堂の麓辺りには風光明媚な茶室が置かれています。この茶室は貞恭庵と呼ばれ、皇女和宮の法号である貞恭に因んだ命名です。
別料金ですが、ここでお茶を楽しむことも出来るんだとか・・・。この日は時間が無く断念しましたがね・・・。



貞恭庵の向いには、ひっそりと聖観音?が建っています。茶室に向かう風流人たちを見守ります。



貞恭庵の裏手にも宝塔が建っています。こちらは大納骨堂と呼ばれるもので、いわゆる無縁墓・集合墓です。
建立自体は昭和8年(1933年)と古く、空襲による被害を受けなかった貴重な堂宇です。



墓守として狛犬が置かれているんですが、この日はカラスも引き連れていました。



堂内には地蔵尊が置かれています。この地蔵尊は高村光雲氏の作品を基にした像だそう。扉内側の彫刻もかなり荘厳!



斜めから。
かなり長い記事になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。この駄文では紹介しきれない魅力が溢れる寺院で、もし東京に住んでいるならちょくちょく通いたい寺院でもあります。
ビルやオフィスが乱立する東京ですが、この増上寺の境内だけは、昔の雰囲気をそのままに、心落ち着く空間でした。日々の息抜きや東京観光の折には、是非ともご参拝ください




ありがたや 西向観音に詣る身は 現世安穏 後生極楽

本尊:西向聖観音 आर्यावलोकितेश्वर

今回貰った御朱印です。

観音堂本尊・江戸三十三観音霊場 



一行写経記念御朱印



安国殿本尊:黒本尊



宝物館:絹本着色五百羅漢図



宝物館:台徳院殿(二代秀忠公)



宝物館:皇女和宮



公式サイトへのリンクです。
・大本山 増上寺

以上です。





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最終更新日  2025年06月25日 22時58分21秒
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